【原発事故関連】茨城県情報3

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203名無しに影響はない(やわらか銀行)
続き
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535 自分返信:地震雷火事名無し(東京都)[sage] 投稿日:2011/11/05(土) 22:22:28.44 ID:xt1L/dQr0
>>511のビデオの話の続き
NHKスペシャル 調査報告 地球核汚染 〜ヒロシマからの警告〜 放送時間89分 放送日1995.08.06
この番組の次の話。ソビエト、チェリャビンスク、マヤーク・プルトニウム生産工場の核汚染と爆発事故について。
地球核汚染3
http://www.youtube.com/watch?v=ydwttK1IN_M&feature=related
あらすじを、聞き取りで書いてみる。
マヤークは、ソビエト時代には地図にも描かれなかった核秘密都市。
1948年、ソビエト原爆第1号のプルトニウムがマヤークで作られ、その後、ソビエトのプルトニウムの半分がここで生産された。
ソビエト崩壊後、軍事用生産は中止されたが、原発用プルトニウムは今も生産されている。
マヤーク工場から高レベル核廃棄物はテチャ川に6年間たれ流され続けた。下流では12万人が川の水を利用していた。
7Km下流メトリノ村1200人の村人の平均被曝量は140レムだった。(1シーベルトは100レムなので、140レム=1.4シーベルト→致死量の20%だけど本当か・・・?)
村民は川が汚染されて5年後に避難させられた。メトリノ村の平均寿命は51歳。
マヤークは汚染発覚後、垂れ流しを止め、汚染水の地下タンク貯蔵に切り替えた。
しかし4年後(テレビでは年を言わないが、1957/9/29)、冷却装置の故障により地下タンクの大爆発事故が起こった。
160tのタンクの蓋が吹き飛び、放射性物質は300Km先まで降り、27万人が被曝した。
テチャ川への核廃棄物投棄と地下タンクの爆発により、40万人が被曝した。
テチャ川下流の42の村が避難させられたのに、1つだけ避難させられなかった村がある。ムスリューモバ村当時6000人、現在4000人である。その村の川のほとりは4μSv/h。
地元のガリモバ医師が核汚染の事実を知ったのは9年前。その時、既に10年間医師であったのに、それまで研究所の医者からも知らされなかった。
ムスリューモバ村の平均寿命は48歳。子供達は今でもテチャ川で釣りをしている。

Wikiの記載
1957年9月29日、肝心の冷却装置が故障。タンク内の温度は急上昇して爆発が生じ、大量の放射性物質が大気中に放出される事態となった
約1,000m上空まで舞い上がった放射性廃棄物は南西の風に乗り、北東方向に幅約9km、長さ105kmの帯状の地域を汚染、約1万人が避難した。
避難した人々は1週間に0.025-0.5シーベルト、合計で平均0.52シーベルト、最高0.72シーベルトを被曝した。特に事故現場に近かった1,054人は骨髄に0.57シーベルトを被曝した。
事故は旧ソ連で起こったために極秘とされたが、1958年には「何かがあったらしい」程度の情報がアメリカ国内にも伝わることとなった。
概要が明らかになったのは、1976年11月にソ連から亡命した科学者ジョレス・A・メドベージェフが英科学誌「ニュー・サイエンティスト」に掲載した論文による。
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アメリカのハンフォードの住民と同様に、ソビエトのムスリューモバ村の人達も人体実験に使われたんだろうな。可哀想に。
今の福島県民もこれらの人体実験と同じ状況だ。調査するのは山下俊一率いる福島県立医大ということだ。
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