75 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/28(火) 22:53:44
76 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/28(火) 22:55:13
723 ::2010/04/18(日) 05:42:55
723階 AA(警察アート)職人がかかない相関図作成会
┏文部科学省━総務省━外務省━法務省━公安調査庁
┃ ┃
警察軍・政府軍━━通信傍受法━━警 察 破防法適用
┃ ┃ ┃
【家 族 会】━━個人情報公開━━死刑賛成━━検察庁
┃ ┃ ┏━┓ .┃ ┃
┃ ┗━━━┫監┣━━━創価学会叩き━家宅捜査
AA職人━しぃ虐待┫視┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ・ ┣━━アンチ2ch 政府・警察メディア
タラヲ氏ね ━━━┫放┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃置┣━━2ch関連サイト消滅 ┃
韓国叩き━━━━┫対┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┏━┫象┣━━警察右翼━監視カメラ設置
ばぐ太 Z武叩き ┗┳┛ ┃ ┃
┃ .┃ ┃ ┃ ┃
削ジェンヌ━玲奈━雑賀壱━西村博之━2ch━情報解析
759 ::2010/09/08(水) 23:45:47
759階 AA(警察アート)職人がかかない相関図作成会
┏削ジェンヌ━ばぐ太━ドラえもん━山形浩生━影の人
┃ ┃
警察軍・政府軍━━通信傍受法━━警 察━━アソパソマソ
┃ ┃ ┃
【家 族 会】━━個人情報公開━━死刑賛成━━検察庁
┃ ┃ ┏━┓ .┃ ┃
┃ ┗━━━┫監┣━コリア基地外殺せ━家宅捜査
【玲奈】 ━しぃ虐待┫視┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ・ ┣━━チンシュッ 政府・警察メディア
朝日新聞━社民党┫放┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃置┣━━━━━AA職人 タラヲ氏ね
家族会左派━━━┫対┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┏━┫象┣━━警察右翼━監視カメラ設置
【山崎】 ナオ ┗┳┛ ┃ ┃
┃ .┃ ┃ ┃ ┃
大久保━━━松田━コーラ━北赤十字━2ch━情報解析
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1199601651/
77 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/28(火) 23:45:43
105-1、父が超自我、子が自我に対応するのにたいし、母はエスと対応することになる。フロイトによれば、
自我も超自我も、発生論的にはエスから分化したものであるとされる。
105-2、前エディプス期の心的体制は、<一次的ナルシシズム>と呼ばれる。
105-3、アブジェクシオン abjectionとは、いまだ対象 objet とならずに一体化している母という前=対象
abjet/abject となって棄却されること、を意味している。
通常のフランス語の用法では、アブジェクトは「おぞましい、唾棄すべき、卑劣な」の意味の形容詞
であり、アブジェクシオンはその名詞形として「おぞましさ、汚辱、卑劣」といった意味で用いられる。
クリステヴァは、abject や abjection の接頭語 ab に着目し、語源を汲みあげるかたちでこれらの
語を用いたのである。ab は「分離、遠隔」を意味する接頭語であり、abject/abjection は、「分離
すべく=投げ出されたもの」ないし「分離すべく=投げ出すこと(棄却すること)」と解される。それ
にたいして、対象 objet の ob は、「対立、反対」の意の接頭語であって、本来、「面前に対立する
かたちで=投げ出されたもの」が「対象」というものなのである。
アブジェクト abject と同様の意味で用いられる abjet という語は、objet と abject にひっかける
かたちでつくられた造語であり、「いまだ対象となっていない、分離すべき、おぞましき前=対象」
という意味がこの一語のなかに圧縮されている。
78 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/28(火) 23:47:48
105-4、否定性すなわち棄却のメカニズムを<前=対象の母>の棄却として語ることにより、棄却の舞台が、
前=エディプス的体制である一次的ナルシシズムと、そこに生ずる原抑圧に限定されることになった。
105-5、クリステヴァの語彙を用いれば、愛とは意味生成性である、ということになる。愛は、自己から
分離されたものとしての対象の定立に関わる意識を生成し、語る主体、言語、ル・サンボリック
(記号象徴体系)を生成する。したがって文化・歴史を生成するとされるのである。
105-6、クリステヴァの精神分析理論、<アブジェクシオン>や、<想像的父>や、メランコリーの理論
には、クラインの理論との親近性が認められるのではないかと思われる
36-3、第三項排除とは、任意の誰か(ユニーク性をもつ個人ないし集団)を周縁的存在にするだけでなく、
しばしば秩序外にたたき出しさえする。下方排除とは、アブジェクシオン(abjection)である。
4-2、徹底的におぞましい状況(アブジェクシオン)のなかに、自覚に向かう契機がある。バタイユ的弁証法
はこの点にある。だからこそ、バタイユは、誰よりも早く、ヒロシマ・ナガサキとアウシュヴィッツの
悲劇を、最も重要な経験とおさえ、それらをかけがえのない思想の対象とし、それらを思想的に生き抜く
決意をした。
>>75 基本はスレ当てだが、それは出題のしやすさからであって
結構変則問題出てるよ
>>61 漢字に注目すると、か。
思いついたのは、小学校低学年向けの教材。
教科書や学校で使う副読本だと後書きは無いだろうから、市販の音読教材か何か。
81 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/29(水) 08:25:33
106、外傷神経症における反復強迫は、死の欲動のある種の顕現である。言い換えるなら、それは「本源的
マゾヒズム」としての死の欲動である。
107-1、人間には、意識の支配を超えた、無意識の繰り返し=反復がある。ひとたび、ある外傷的な体験を
持つと、何らかのきっかけでその外傷時の状態に逆戻りする傾向を持っている。
107-2、フロイトはこうも述べている。「神経症には心的外傷を引き起こした体験状態への固着がある。神経症
患者は心的外傷を体験した状況の中にそのまま置かれていて、その状況を解決しないために、時間の
流れが止まり、その状態がいつまでも心的現実性を持って、現在、そこに存続し続けるかのような状態
に陥る」。
107-3、フロイトによればこの反復強迫は、受身で強いられた外傷的な体験を自分のコントロール下で能動的に
やり直そうとする意図を持つという。次項で述べる道徳的マゾヒズムの研究は、無意識に不幸を繰り返
す人々の宿命を明らかにしたが、彼らは、宿命神経症とか、運命神経症と呼ばれる。彼らもまた、過去
の受け身で加えられた外傷的体験を、能動的な形での繰り返しを通してコントロールできるようになろ
うとするのだが、結局はまた同じ外傷体験の繰り返しになってしまう。これらの人々からフロイトは、
反復強迫の何か運命的な力を実感したようである。
82 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/29(水) 08:27:15
107-4、フロイトは、みずから不幸、災厄を求めるかのように行動する人々に注目し、その心の層に、本人も
気づいていない無意識的罪悪感に由来する自己処罰心理が潜む事実を明らかにし、この心性を道徳的
マゾヒズムと呼んだ。
107-5、この罪の意識から罪を犯す人、その背後にある罪悪感の潜在、その罪悪感を正当化するために罪を犯す
ことなどの指摘は、フロイトによれば、ニーチェの『ツァラトストラかく語りき』にも述べられている
という。
107-6、これらの無意識的罪悪感に由来する自己破壊衝動の研究は、反復強迫、そして「死の本能」論へと発展
した。
107-7、そもそも人類は、自己中心的な原始的衝動を自然から与えられているが、その利己的な破壊衝動が親
たちのエロス(愛情)によって中和され、社会性のあるさまざまな欲求へと転化されるならば、愛情
豊かな内面的なモラルが発達するはずである。
83 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/29(水) 08:29:59
108、マゾヒスムに何ものかが欠けているとするなら、それはいささかも自我ではなく、超自我の方である。
57-2、超自我は、エスから発した欲動のうち攻撃的な成分を無意識的罪責感として自我に押しつけてくる。
57-3、生の欲動も死の欲動も、根源的には自己自身に向かっている。生の欲動に関しては一次ナルシシズム
である。死の欲動については、一次マゾヒズムである。人間というものは、根源的にナルシストである
と共に、根源的にマゾヒストでもある。自己に向かう死の欲動はこの上なく危険なものであり、攻撃的
行動によってある程度外に放出しなかれば、無意識的罪責感として自我を責め苛み、食い殺してしまい
かねない。
58-3、マゾヒスティックな人は自分で決定をくだす必要がないし、危険をおかす必要もない。彼はけっし
て一人ぼっちにはならない。しかし、彼は独立しているわけではない。人格が統一されていない。
いわば、まだ完全には生まれていないのだ。
109、マゾヒズムは、「罪深い」行為への誘惑をもたらすものであり、これがサディズム的な良心の呵責に
よって贖われるか(これはロシア人の性格類型に多くみられる)、運命という強力な両親の力による
折檻によって贖われることになる。この両親の代理による処罰を引き起こすために、マゾヒストは
不合理なことをしでかし、みずからの利益に反して行動し、現実の世界において開かれている輝かしい
展望を破壊し、最終的には自己の生存そのものを滅ぼさざるを得なくなるのである。
110、実に心が統一されたならば、豊かな知慧が生じる。心が統一されないならば、豊かな知慧がほろびる。
生ずることとほろびることとのこの二種の道を知って、豊かな知慧が生ずるように自己をととのえよ。
111-2、明らかな知慧の無い人には精神の安定統一が無い。精神の安定統一していない人には明らかな知慧が
ない。精神の安定統一と明らかな知慧とがそなわっている人こそ、すでにニルヴァーナの近くにいる。
84 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/29(水) 08:32:01
ミスった。
110、実に心が統一されたならば、豊かな知慧が生じる。心が統一されないならば、豊かな知慧がほろびる。
生ずることとほろびることとのこの二種の道を知って、豊かな知慧が生ずるように自己をととのえよ。
110-2、明らかな知慧の無い人には精神の安定統一が無い。精神の安定統一していない人には明らかな知慧が
ない。精神の安定統一と明らかな知慧とがそなわっている人こそ、すでにニルヴァーナの近くにいる。
85 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/29(水) 09:12:24
98-4、女性も強姦される幻想を抱くかもしれないと示唆した瞬間、次のような反論が飛んでくる。
「それは、ユダヤ人は収容所でガス室送りになる幻想を抱いているとか、アフリカ系アメリカ人は
リンチされることを幻想している、と言っているのと同じだ」。
111-1、死の現実的出来事は想像界のものである。この想像界が象徴的無秩序を創造するところで、加入儀礼
は象徴的秩序を再建する。
111-2、死の禁止を創出すると同時にこの死の禁止を監視する審級、つまり権力を創出することによる。
死者と生者の連合をくじき、生と死との交換を破壊し、死から生を分離し、死と死者を禁制でうちのめす
こと、それこそまさに社会的管理の出現のための第一の要点である。死がもはや自由にされず、死者たち
が、生全体の未来の監禁を待ちうけながら監視下におかれる場合にはじめて、権力は可能になる。これは
根本的な掟であって、権力はこの掟の門の守り手である。
86 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/29(水) 10:16:18
98-5、ユング心理学では、私を取り巻く他者はすべて私自身の人格の、自分が否認した部分の外在化/投射
にすぎないとされる
98-6、女は放っておくと自己破壊的な怒りに身を委ねる危険性があるので、好意的な男性の支配によって
女自身から守られねばならないということだ。つまり、「私の中にあって、私には抑えることができ
ない、過剰な自己破壊的欲望から、私を守って」。
55-2、「あなたを呼んでいたのはあなた自身なのよ。私はあなた自身の投影に過ぎないのよ。私を通して
あなた自身があなたを呼び、あなたを導いていたのよ。あなたは自分の影法師をパートナーとして
踊っていたのよ。私はあなたの影に過ぎないのよ」
112、「おまえ、独り相撲って日本語知ってるか?」
「ヒトリズモー?」
「そうだよ、独り相撲。自分のマワシをとって暴れてんのさ、おまえは」
113、この妄想はお前のもので、お前が自分で閉じた世界だ。
110-3、戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。
114、他者との真の関係とは、他者は別の自分でしかなく、自分を愛するように他者を愛さねばならない
ということをわれわれに納得させてくれるような関係である。そうであってこそわれわれは、性的・
経済的・政治的暴力の制限を承服できる。おわかりのようにフロイトも同じ理由から、社会が攻撃性
を禁圧するのを正当と認めた。しかし、フロイトは、社会がこの禁圧を社会の成員間の攻撃性だけに
限定し、社会の外側にいる人たちに対する攻撃性は自由に発散させたといって社会を非難した。この
非難は、閉鎖社会をつくる国家に対しても、身分差をつくる支配階級に対しても向けられている。
>>80 「学年」が出たので正解。
偕成社の「日本のむかしばなし 二年生」でした。
この形なら未読の人でも当てられるのではと思ったが調整が難しいですね・・・
88 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/29(水) 22:37:51
>>87 その本から引用した意図は何?
自分の子ども用に買ったのが手元にあったから?
小学2年生でも分かる問題として出して、分からなかったら
小学2年生以下だと言いたいってこと?
6-2、本来、犯罪を一件でも少なくするには、それは何とも遠回りであるが、人間の尊厳を損なうような
ことを、社会からできるだけなくしていくことである。
それにはまず、社会の中からいわれのない差別や偏見をなくすことである。そして、ひとりひとりの
人間が自尊心を傷つけられることのないような、最低限の生活基盤やそれを支える経済状況を保障する
ことである。回り道ではあるが、根本的な解決方法はそれしかない。
ところが、01年4月の小泉内閣の登場以降は、“構造改革”という名の従業員のクビ切り断行や社会
保障費の削減など、露骨に国民の下層部分を切り捨てる施策を取っている。つまり、「勝ち組はその
まま半永久的に勝ちつづけ、負け組は二度と浮かび上がれない」という「二極分解」を、意図的に
どんどんと進めているのである。
6-3、要するに、統治権力は犯罪を増やす要因を作っておきながら、その一方で「じゃあ、急増した犯罪を
未然に防止するためにジャンジャン監視カメラを設置していきましょう」と煽っている。何のことは
ない、「マッチ・ポンプ」をやってるだけなのだ。
6-4、このエム・シーサーを警察は導入済みであることに加え、多少のハッキングの知恵があれば、対象者の
電子メールを覗き見ることはいくらでもできる。「サイバーテロの監視」と称して、国民の電子メール
の傍受はもちろん、個々人がどんなWebサイトにアクセスしているのかを監視することは、技術的には
十分可能である。
6-5、それゆえ、こっそりと私たちのインターネット通信の監視を行っている可能性はあるし、また、既に
現実にそれを行っていたとしても、現段階では、内部告発がない限り、われわれはそれを検証する術が
ないのである。
115、95年5月17日、今の「格差社会」を形作る決定的な報告書が発表される。それは日経連が出した「新時代の
『日本的経営』」。この報告書で日経連は、これから働く人を「長期蓄積能力活用型」と「高度専門能力
活用型」、そして「雇用柔軟型」に分けましょうと提言した。要するに幹部候補生の超エリート正社員と、
高度なスキルを持って企業を渡り歩く有期雇用のスペシャリスト、そしていつでも使い捨てにできる激安
労働力、という3つに働く人を分類しましょうという提言だ。
116、その竹中平蔵を評する際、「新自由主義」という言い方をすることが多いのですが、果たしてこれは
正しいのでしょうか。私は、とんでもない褒めすぎだと思います。というのは、彼の進めた規制緩和策
というのは、ありていに言うと「競争のための前提を全部取っ払おう」という話だからなのです。
117、主権論者からすれば、ある出来事について誰ないしどの機関が責任を持ち、どの法を適用するかをきちん
としなければ、誰も責任をとらない無責任状態になるか、弱肉強食の自然状態になってしまうのである。
118、「『小さな政府』って国家権力が小さくなるからいいんじゃないのって考えると思うんですが、逆です
よね。国家権力が小さくなるのではなく強力にある。福祉や社会保障は切り捨て、端的に警察・軍事が
強くなっていくのだと考えればいいのでは。社会保障を必要とする『弱者』など経済競争には必要ない。
つまりお荷物。だから社会保障などなくしてしまえ。別に死んでもいいし。歯向かうようなら容赦なく
とり締まっちゃう、弾圧しちゃうってことですね。小さな政府の本質とは、だから『病気しようがケガ
しようが失業しようが食えない賃金だろうが知ったことじゃない。なんとかできないなら迷惑かけずに
死んでくれ』ということでしょう。」
119、今、この国では自己責任論が社会の隅々まで、人の心の中にまで蔓延している。そこにあるのは、
「能力形成をして、競争に勝ち抜いて大金を得るのも自己責任」「競争に負けてホームレスになり、
餓死するのも自己責任」という身も蓋もない考え方だ。
120、私が考えているのは、貧困の状態は「溜め」がない状態だということです。「溜め」を具体的にいうと、
お金がいっぱいあるのは、金銭的な「溜め」があるということです。それから頼れる人間関係があるのは、
人間関係の「溜め」があるということです。それから、生きていりゃそのうちいいことがあるのだと思える
のは、精神的な「溜め」があるということです。
逆に、こういう「溜め」を失った状態が「貧困」という状態だと思います。
121、彼らとどんなに対立しようと、「最低限、餓死しないことが保障されなくてはいけない」ということ
では、一致できると思います。親が亡くなって真っ先に餓死の窮地に立つのは、引きこもりの人だと
思います。すでに、そういう状況で亡くなった人がいます。フリーターはお金を借りたり、デパ地下で
試食をしまくるなど、食べる手段がある。
「引きこもりの人は、いかに生きさせるかではなく、いかに死なせないかというレベルまできている」
と言う精神科医もいます。
122、現代の自殺は個人の問題ではなくて、社会の中に3万スポット、そこに嵌ってしまうと自殺に追い込ま
れる場所があるということなんです。これをなくしていく。あるいは嵌ってしまった人が這い出せる
仕組みを作っていくことが、自殺者や遺族だけでなく、スポットの手前にいる、同じ社会で生きている
私たち自身のためにもなると思う。
未読の人でも当てられるもの
→本の特徴を当ててもらうのはどうだろう
→手元にある本の中から当ててもらえそうな特徴があるものは?
で、これになった。
計算ドリルの文章問題ぐらい思い切ったほうがよかったのかな
>>88 あと、後のヒントほど
小学2年で習うであろう漢字が使われている箇所を意図的に選んでいます。
もし興味があるなら確認してみてください。
94 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/30(木) 21:39:29
123-1、「生きものはどのようなしかたで言語活動をもつか?」という問いは、「剥き出しの生はどのような
しかたでポリスに住みついているのか?」という問いに正確に対応する。
123-2、本書の主人公は剥き出しの生である。すなわち、聖なる人間(homo sacer)の、殺害可能かつ犠牲化
不可能な生である。我々は、この生が近代の政治において果たしている本質的な働きを求めようとした。
123-3、剥き出しの生はこの政治の内に例外という形で、つまり、排除によってのみ包含される何ものかという
形で、捉えられたままだ。
123-4、例外関係は、一つの締め出し関係である。実のところ、締め出された者は、単に法の外に置かれて
法と無関係なものとされるのではない。彼は法によって締め出され遺棄されるのであり、生と法権利、
外と内が混同されるこの境界線に露出され危険にさらされるのである。
95 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/30(木) 21:40:39
123-5、主権者とは、暴力と法権利のあいだが不分明になる点であり、暴力が法権利へ、法権利が暴力へと
移行する境界線だ、ということである。
123-6、プラトンが関心を寄せているのはむしろ、主権を構成する、暴力と法権利の一致である。
123-7、暴力と法権利とを一体としている還元不可能な結びつきを容赦なくあばいたことで、ベンヤミンの
「暴力批判論」は、主権に関するあらゆる探究に必要な前提となっており、この前提は今日もまだ乗り
越えられていない。
123-8、「長いあいだ、主権権力の特権的特徴の一つは、生殺与奪権だった」。『知への意志』の終わりに
見られるこのフーコーの断言はまったくありきたりなものに聞こえる。
96 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/30(木) 21:41:51
123-9、締め出された者の生は、動物と人間、ピュシスとノモス、排除と包含のあいだの不分明の境界線、
一方から他方へと移行する境界線なのだ。人間でも野獣でもない狼男はまさしく、その二つの世界の
いずれにも属することなく、とはいえ逆説的に両方の世界に住みついている。
123-10、締め出されたものは、排除されるとともに包含され、解き放たれるとともに捉えられる。
123-11、犠牲に関するバタイユの思考が両義性をもつものであることを示し、犠牲に依拠しようとする
あらゆる誘惑に抗して「犠牲化不可能な実存」という概念を断固として肯定したのはジャン-リュック・
ナンシーの功績である。
123-12、今日のように、自然的な生が全面的に都市に包含されているときには、そのような境界線は、
これから見るとおり、生を死から隔てる不明瞭な境界のさらに先へと移動し、新たな生ける死者、
新たな聖なる人間をそこに同定するようになる。
123-13、「価値のない生」(ないし「生きられるに値しない」生)という新たな法的範疇は、少なくとも
外見上は異なる方向を向いてはいるが、ホモ・サケルの剥き出しの生にちょうど対応するものである。
123-14、近代の生政治においては、主権者とはありのままの生の価値や無価値に関して決定する者である。
97 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/30(木) 21:43:13
123-15、死刑囚や収容所の住人は、ある意味では、気づかぬうちにホモ・サケル、つまり、殺人罪を犯さず
に殺害できる生と同じものになっている。死刑宣告と死刑執行のあいだの隔たりは、収容所の構内の
ように、人間の身体がその通常の政治的立場から解かれてしまう時間外かつ領土外の境界線を引く。
例外状態においては、この身体は極端な波乱へと遺棄される。
123-16、収容所はまさしく、これまでに地上で起こったなかでももっとも絶対的な非人間的条件が実現
された場にほかならない。
123-17、ナチが権力を掌握して、1933年2月28日に「人民と国家の保護のための政令」を布告し、個人の
自由、表現と結社の自由、住居の不可侵性、文通と電話通信の秘密に関する憲法の条文を無期限で
宙吊りにしたとき、この意味では、ナチは、すでに先行する政府が強化済みの実践を継続したにすぎ
ない。
123-18、主権権力の起訴は、例外状態について決定することができるということであるが、その例外状態
が規範的に実現される構造こそ、収容所なのである。
123-19、その空間では、通常の法的秩序が事実上宙吊りにされ、残虐なことがなされようがなされまいが、
そのことは法権利にではなく、暫定的に主権者として振る舞う警察の礼節と倫理感覚だけによって
決まるのだ
98 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/30(木) 21:44:25
123-20、この探究を続けるうちに、暫定的結論として浮かんできたテーゼが三つある。
1 原初的な政治的関係は、締め出し(外部と内部、排除と包含のあいだの不分明地帯としての、
例外状態)である。
2 主権権力の基礎的な働きは、剥き出しの生を始原的な政治的要素として、また自然と文化、
ゾーエーとビオスとを明確に区別する境界線として生産するというものである。
3 西洋の生政治的範例は今日、収容所であって、都市(国家)ではない。
124、受けた印象は、生ける屍―もっと厳しくいうならば、生かさず殺さず、何も知らさずという感じ
だろうか。魂ははじめから干からびていて、日々の時空をただ凝視すべく運命づけられているのだ。
いい加減しつこいよバカ
sageでやれブタ野郎
100 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/30(木) 22:19:04
101 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/30(木) 22:28:05
76-2、アメリカにおけるデリダの翻訳者であればこその批判だが、スピヴァックは、そもそもある地域
において、最も差別化された位置におかれた者は、自らの現状について語る言葉を持っていないこと
を明らかにした。
102 :
16:2010/10/01(金) 02:01:56
ヒント追加。
45-2 「にんじん! にんじん!」
47-2 「おれの本心は、平和主義だ。おれは元来、平和を愛する人間だからね」
>>91 120は「もやい」の湯浅さんの発言でしょうね。
しかし本のタイトルが判らない。
104 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/10/11(月) 17:23:14
対談っぽいから宮台と神保のトークオンデマンドの貧困特集かな
105 :
16:2010/10/13(水) 02:08:29
さらにヒント追加。
45-3 「あたしをコーデリアと呼んでくださらない?」
47-3 「ううむ」「何が、ううむだ。
107 :
16:2010/10/14(木) 02:56:57
未解答問題が多すぎて番号が判りづらいな
125でいいのか?
125 ぶどう酒のビンがある。コルク栓がしてあるのだが、あいにく栓抜きがない。
ビンを割らず、コルクにも穴をあけないで、中のぶどう酒を飲むには、どうしたらよいか。
111 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/10/23(土) 20:29:24
126、タナトスは無意識においてさえ、心的生の中で与件として示されることはありえない。フロイトが
その見事なテクストの中で語ったように、それは本質的に沈黙している。
4-3、ハイデッガーやウィトゲンシュタインと同じく、バタイユも「沈黙」の真理を強調する。「沈黙」の
世界がもつ豊穣で無限な奥行きに想像力をもってついていくこと、これ以外に「至高性」に到る道
はない。沈黙の真理を切り捨てたこれまでの「文化形成」(ホモ・デメンス)の否定は、沈黙せる
ものの復権とともに始まる。
4-4、バタイユが本領を発揮する領域は、人間の経験を根源において規定してはいるが、とても実証的には
処理できない「沈黙の」領域である。
25-4、無力な受難として、他者の語らいを身に受けているだけの存在は、同時に、私の言表の真実性を
支える現実存在でもある。そうした存在は、過去における他者の語らいの中に埋もれている。他者
の語らいの中で、その対象として存在を享受していた私の現実が、他者の語らいを通じて見出され
なければならない。私が、そういった現実であり得るなら、私はそのとき、もう何も話さず、ただ
他者の語らいのざわめきに、耳を澄ますだけとなり、自分が生きているか死んでいるかを、もう
問わないだろう。
127、エスには、自我に対して愛や憎しみを表明するいかなる手段もない。エスは自らの望みを言うことが
できない。エスは統一した意志をもっていないのである。エスの中ではエロスと死の欲動が闘って
いる。一方の欲動が他の欲動に対してどのような手段で防衛するかは、すでに明らかにした。エス
は無口で強力な死の欲動の支配下にあり、死の欲動は休息を望みつつ、快感原則の指示に従って平和
を乱すエロスを終息させようと望むと考えることができる。
112 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/10/24(日) 03:57:48
22-2、教育機構こそ近代社会の前進運動ないし差異化過程の最も有効な整流器のひとつであることを、
知らないはずがない。その見事な機能ぶりは、「偏差値信仰」がかくも広汎な広がりを見せるまでに
なった現在、むしろ見なれた光景の一部となってしまっているが、共同体の解体と近代社会の形成に
あたって、近代の「国家のイデオロギー装置」(アルチュセール)の中核としての教育機構による
上昇志向の注入がいかに大きな役割を果たしたかは、例えば桜井哲夫の労作(「知の位階制」
『中央公論』56年2月号)によって示された通りである。
22-3、グラムシのヘゲモニー論を承けたアルチュセールが、公的領域に局在する国家の抑圧装置と並んで、
私的領域の隅々にまで浸透する国家のイデオロギー装置を見出して以来、国家装置を社会の全域と
外延を共にするものとしてとらえる道が開かれていたのである。ドゥルーズ=ガタリやフーコーの
展開しつつある権力の微視的分析は、この道をさらに遠くまで切り開いていくものと言えるだろう。
22-4、流れの加速器・制動器としての役割以上に、私的領域の隅々にまで浸透しつつ日常的に働いている
整流器としての役割りを強調すべきであろう。それは、アルチュセールのいう国家のイデオロギー装置
(AIE)が果たすのとほぼ同じ役割である。
22-5、パノプティコンは、国家の抑圧装置のひとつとしての監獄の形態的モデルである以上に、国家の
イデオロギー装置の機能的原理を示すものであると考えていいだろう。
128-1、取り込みという原理から出発して、フロイトは軍隊や教会における「集団」形成のメカニズムを
分析した。彼は取り込みのメカニズムを「対象を自我理想の位置に置くこと」と定義している。
この場合、対象は自我に取り込まれてその上位の審級におかれ、それが下位の審級を反省的に監視
する。こうした分析は、私たちを直ちに、アルチュセールによる国家のイデオロギー諸装置の分析
へと導くだおる。アルチュセールにおいて、対象の取り込みはイデオロギー的呼びかけの内面化に
相当する。国家のイデオロギー諸装置によるイデオロギー的呼びかけを内面化することで、主体は
支配的イデオロギーと同一化する。そしてこの同一化によって、主体は服従化されたそれとして
「独りで歩む」のである。
128-2、権力は社会体に遍在するミクロな「装置」によって担われ、それが権力に従順な主体を生産し
再生産する。こうした「装置」はアルチュセールにおいては「国家のイデオロギー諸装置」、
フーコーにおいては「規律権力」、ドゥルーズ=ガタリにおいては「エディプス的家族」と
名指される。
113 :
16:2010/10/24(日) 20:20:12
ラストヒント、これで答えが出ないようなら正解を晒します。
47-4 三国は、晋一国となった。
114 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/10/25(月) 17:39:07
115 :
16:2010/10/26(火) 03:14:35
>>114 正解です。
吉川英治の『三国志』でした。
116 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/11/02(火) 21:50:42
129-1、「だからつまり、二人で彼を監視しましょう」
「はあ?」
「私は、彼が私と一緒に居る時しか彼の時間を把握出来ないでしょ。彼が会社に言っている間、もしくは
仕事が終わった後、何をしているのか分からない。だから、あなたが彼と一緒に居る時間を、報告して
欲しいの。互いに掴める情報を、報告し合いましょう」
「つまり、今日は何時から何時まで一緒だった、というような情報を交換するという事ですか?」
「それだけじゃなくて、明日はどこに行く、とか、明日はだれと打ち合わせがある、とかそういう、彼
から聞いた事も全て。私たちが力を合わせれば、彼の事をより把握出来るじゃない」
129-2、プライバシーていうの侵害ていうのプライバシーて何なのどういう事そんなものないよ私にそんなもの
ないよそんなものない事に気付いてよ早く早く早く何なのなにどういう事私なに死んでるの?
130、いま述べた職場の人間関係には次のような心理が見られる。
まず第一に、職場での秘密を誰に話し誰に話さないかによって、ウチワとヨソモノの区別が分かれる
ということである。どのような職場でも、上司にとって、ある秘密を部下の誰に話し、誰に話さないか
というパターンができあがっている。そして何人かで秘密を共有し、そのグループ以外には漏らさない
ことによって、そのグループは同志的な結合関係をもつ。これがウチワである。それ以外の人間は
ヨソモノであり、警戒の対象になる。
職場の中でこのような内輪のネットワークがつくられるのは、夜のお酒やマージャン、ゴルフなどの
つきあいの中である。昼間は会社で何事もないような顔でつきあっているが、重要事項の多くは、
根回しや決定が事前にこのネットワークによってウチワの中で決められている場合が多い。
こうした場合、権力者側のウチワの中に属する者と、ヨソモノとしてこの情報網からはずされる者とに
分かれてしまう。
117 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/11/03(水) 21:11:22
131-1、適度のスポーツは頭の働きをよくするのに必須の条件でなくてはならない。血のめぐりというが、
頭は体の一部である。体の血のめぐりをよくしないで、頭の血のめぐりだけよくしようというのは
無理な註文であろう。
131-2、頭の中で考えているだけではうまくまとまらないことが、書いてみると、はっきりしてくる。書き
なおすとさらに純化する。ひとに話してみるのもよい。書いたものは声を出して読めば、いっそうよろ
しい。
131-3、「あの人の行動はまるで、マッチ・ポンプだ」といったとする。これは一方では火をつけ煽って
おきながら、同時に、他方では自分でそれを消化しようとしているようなことをしたときに、こまかい
説明抜きで実際をわかりやすく伝えることができる。
131-4、ちょっと考えると、籠城している人の方がいい論文を書きそうであるが、実際は人とよく会っている
人の方がすぐれたものを書くようだ。
132、元から引っ込み思案の性格のため、こういうときに気軽に相談できる友だちもいない。
133-1、「あまり上等でなかった多くの魔女たちが、そうやって自分自身の創りだした妄想に取りつかれて
自滅していきましたよ」
133-2、笑いって不思議だ、といつもまいは思う。これでちょっとした感情のしこりなんかはあっというまに
解けてしまう。
121 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2011/11/16(水) 17:10:23.74
>>118-120 君レスの仕方が変だよ 分かりにくい
問題番号とレス番号を混同するのよくない
もう出題ないのか
123 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN
小説家には達筆が多いと聞いていたが、ファックスで送られてきた清水君の字は見事なマンガ字だった