50と100が自分の恋愛経験を詳細に晒すスレ Part10

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502500(前スレ800)
Y子さんは笑わない人だった。
素っ気ない口調と振る舞いが好きだった。
最初は知るために、そして忘れないために、僕は彼女の話し方や考え方を真似た。
日を追う事に僕はそれに馴染んだ。彼女に近付き、他の人々から遠くなった。
その事で母は悲しみ、先生達は苛立ち、友達は離れていった。
構わないと思っていた。正しいとか間違いとかじゃなくて、僕がそうしたかったから。
5年の間、僕は彼女の様に振る舞い続けた。
思えばそれは意味のない事だった。
僕はY子さんの全てが好きだけど、Y子さんは自分自身を好きな人ではなかった。

中学を卒業した翌日、僕はY子さんと再会した。
ひどくやせ細ってはいたけれど、彼女は変わらず美しかった。
深く傷付き、傷付いてなお、救いを求める事を知らなかった。
そのくせ気の毒なほど不器用な手段で僕を救おうとしていた。
「うん。電話する」
最後にY子さんは約束をくれた。
Y子さんに約束を守るつもりがないことは初めから知っていた。
僕が待ち続けるのは信じているからではなくて、約束を殺さないためだった。

高校生になった僕は、学校以外の大半の時間を自分の部屋で過ごした。
本を読み、勉強し、彼女の残した9枚のレコードを繰り返し聴いた。
時折絵筆を取った。宛先も分からない手紙を書いた。
つまりは電話を待ち続けた。

新しいクラスに僕は馴染もうとしていた。
しかし少年期の5年間を費やして身につけた習性は、すでに本性になりつつあった。
気をつけて愛想良く振る舞ってはいたが、所詮は僕にとっての「愛想良く」でしかなく
ほんの数日で、誰も用がないかぎり話しかけてはこなくなった。
M子だけが例外だった。
503500(前スレ800):03/03/22 22:35 ID:vTl9gfzS
彼女は僕と出席番号が同番で、クラス分けの後しばらく席が隣だった。
「○○君、お久し振り」
「ああ、久し振り」
僕は彼女を憶えてなかった。顔は見たことがあるような気がした。
「偶然だね、うちの中学少ないのに同じクラスになれるなんて」
「そうだね」
「これで3年連続か。ねえ、他に誰か見た?」
「さあ」
彼女はめげなかった。その後も度々話しかけてきた。
「消しゴム貸して」
「分度器持ってる?」
「シャーペンの芯分けて」
「次、自習だって。ラッキー」
僕はその度に「うん」とか「そうだね」を繰り返すだけだった。
正直なところ、鬱陶しい女だと思っていた。
504500(前スレ800)500(前スレ800):03/03/22 22:37 ID:vTl9gfzS
昼休みの時は仲の良い者同士で机を寄せ合うのがクラスの慣例だった。
僕は昼食を摂らないので、いつも給湯場の自販機コーナーでコーヒーを飲んでいた。
その時、僕は間違えて買ったコーヒーを流そうとしていた。
「捨てちゃうの?もったいない」
知らないうちに後ろにいたM子に声をかけられた。
「甘いの買ったんだ」
「わたしにくれない?」
「一口飲んじゃったよ」
「良いの良いの。わたしそういうの気にしないから」
僕は気にする方だが、彼女にカップを渡した。
彼女は一口啜ると「美味しいね」と言った。
美味しくないから捨てようとしたのだが。
敢えて何も言わず買い直したコーヒーを飲み始めた。
「ねえ」
「何?」
「いい天気だね」
「そうだね」
「ねえ」
「何?」
「わたし、うるさい?」
「少し」と言いそうになったが、咄嗟に「別に」と言い替えた。
その日から、M子は昼休みを僕の隣で過ごすようになった。
M子はいつも勝手に話して、勝手に納得して、勝手に笑った。
僕も次第にM子が傍にいても気に触らないようになった。
505500(前スレ800):03/03/22 22:37 ID:vTl9gfzS
半月と経たないうちに僕とM子が付き合っていると噂され始めた。
M子は否定も肯定もしなかった。僕には誰も訊かなかった。
5月の連休が始まる頃にはほぼ「公認の仲」になっていた。
「連休中、予定ある?」
「ないよ」
「どっか行かない?」
「行かない」
「なんで?」
「混んでる」
「なら、連休明けの日曜ね」
こうして僕とM子の初デートが決まった。騙されたような気がした。

初めてのデートは美術館に浅井忠展を見に行った。
2度目は映画「天空の城ラピュタ」上映最終日。
3度目が植物園の「世界の食虫植物展」、4回目は水族館にラッコに会いに行った。
いつも気が付いたら約束させられていた。
僕はM子を誤解していた。彼女は必要なら「黙っていられる」女の子だった。
そのかわり帰りがけに喫茶店によるとM子は火がついたように喋りはじめた。
勝手に喋ってころころと笑った。そういう時はちょっと可愛いなと思った。
決まって夕方になるとM子は「もう少しだけ」と帰るのを嫌がったが、
「電話、待たないといけないんだ。ごめん」
そう言うと、素直に納得してくれた。
僕はいつも帰る理由に「電話を待たないと」と言ったが、M子は「誰から」とか
「どんな」とか、僕が答えたくない事は訊かなかった。
彼女は賢明だった。
M子に恋愛感情は一欠片も持ってはいなかったが、僕は彼女との交際を楽しんでいた。
506500(前スレ800):03/03/22 22:38 ID:vTl9gfzS
夏休みに入るとM子と合う機会はなくなった。
たまに電話を掛けてきたが、僕は長電話を極端に嫌った。
M子にしてみれば口実を見つけないと掛けられない雰囲気を感じていたらしい。
少しM子から離れてしまうと、一人の方が気楽に感じられるように戻っていた。
孤独な状態を好んでいたわけではなくて、僕にはそのほうが自然だった。
つまりは電話を待ち続けていた。

夏休みの終わる三日前、M子が電話を掛けてきた。
「すぐ終わるから、ちょっとだけ」とM子は言った。
明日会いたいというだけの話だった。

翌日、待ち合わせた喫茶店でM子と会った。
M子は髪にパーマを掛けて化粧をしていた。
僕は、雰囲気の変わったM子にいささか戸惑った。
「明日には戻さないといけないでしょ。今日中に見せたかったの、どう?」
「どうって、似合うよ」
「そうじゃなくって、大人っぽく見えない?」
「そう言えば、そうだね」
「ごめん失敗」
「何が?」
「これハワイのお土産」
そう言ってマカダミアナッツチョコをくれた。
旅先での話を色々してくれたが僕は内心退屈だった。
それはM子にも伝わっていたらしく、話し続けるために話してるみたいで
辛そうに見えた。
507500(前スレ800):03/03/22 22:38 ID:vTl9gfzS
2学期に入りM子との交際は再開した。
前のように一緒に出掛けることは少なくなったが、登下校や校内ではいつも
一緒に行動するようになった。
クラスでは完全にカップル扱いされるようになり、席替えの時二人の席は
また隣り合わせた。
僕はその状態に満足した。M子は不快に感じさせるタイプではないし、僕に
とってはただ一人の親しい友人だ。M子が嫌がっていないならクラスの連中が
どう誤解しても僕たちには関係ない。
M子のおかげで僕は少しだけ周囲に馴染めるようになり、「話しやすくなった」
と言われたこともあった。
どうやら「変人」から「無口な人」に昇格したようだ。
冬が近付く頃、不意にM子に訊かれた。
「わたしといて楽しい?」
僕は「もちろん楽しいよ」と答えた。
M子は淋しそうに笑ってみせた。
508500(前スレ800):03/03/22 22:41 ID:vTl9gfzS
その頃から、僕はY子さんの事を少しずつM子に話すようになった。
「○○の好きな人って年上だよね?」
M子が訊いたことが切っ掛けだった。
「そうだよ」
「何歳くらい?」
「僕らより、ちょっと上かな」
「先輩なんだ?」
「そうじゃなくて、僕と君を合わせたより、ちょっと上」
M子は驚いていた。
「そんなに離れてるんだ…」
「まあね」僕はちょっと得意だった。

彼女の美しさや価値観、話した言葉や、描いた絵について語るのは楽しかった。
Y子さんの話題の時だけ、僕は雄弁な話し手になった。
M子は他人に話してよい話題とそうでない話題の区別がつく珍しい女の子だと
解っていたから、安心して大抵のことを話せた。
M子も好んでY子さんの話を聞きたがった。
509500(前スレ800):03/03/22 22:42 ID:vTl9gfzS
クリスマスが近付く頃、M子が訊いた。
「電話の相手って、Y子さんだよね」
「そうだよ」
「そっか。毎晩、掛けてきてくれるんだ。いいなあ遠距離恋愛…」
少し迷ったけど、Y子さんとの約束について話した。
一度彼女から避けられた事。3年近く経って、彼女が引っ越す直前に
呼び出された事。その時「電話する」と言ってくれた事を話した。
M子はしばらく言葉に詰まった。
「それって、いつの話?」
「3月11日。まだ一年も経ってないよ」
M子は怒っているようだった。
「○○は待ってるんだよね。毎晩」
「うん」
「あのさ、怒るかも知れないけど、聞いてくれる?」
「何?」
「多分、掛けてこないよ。待ってても」
「そうだね。僕もそう思うよ」
「なんで待ってるのよ?」
「約束だから」
M子は泣いていた。
「わたしね。Y子さんの事、ちょっぴり嫌いになった」
M子は口を噤んだままで、それ以上何も言おうとはしなかった。
510500(前スレ800):03/03/22 22:42 ID:vTl9gfzS
その後もM子は何かにつけY子さんについて僕に訊ねた。
僕はその度に、彼女の人となりや口癖や仕草について話した。
「Y子さんならこんな風に言う」「こう思うだろう」「こう感じるんじゃないか」
そんな言い方をする事もあった。僕はM子にY子さんを知って貰えるのが嬉しかった。
そして、その度にM子は傷付いた。
僕はM子の気持ちに気付いていたし、彼女も隠さなかった。
僕はY子さんの思い出を話せる相手を求めていたし、それはM子の他にいなかった。
話すことで僕は癒されたがM子は傷付いていた。
それは傷を移し替えるだけの残酷なカンバセーションだった。
僕はM子を利用していた。
511500(前スレ800):03/03/22 22:43 ID:vTl9gfzS
次第にM子は口数が少なくなり、沈みがちになった。
心配したM子の友人から「○○が二人になっちゃったみたい」と冗談まじりに
抗議された事もあった。
そしてM子は笑わなくなった。Y子さんのように。
僕はそんなM子に初めて異性として惹かれるようになった。酷い話だ。

「わたし、会ってみたいな。Y子さんに」
「うん。僕も会いたい」
「会いに行っちゃいなよ」
「無理だよ。待つって約束したから」
「そっか。ごめんね」
「ごめん」
その頃の僕たちは互いに謝ってばかりだった気がする。

約束から1年が過ぎた、僕たちは2年生に進級した。
僕は、つまりは電話を待ち続けた。
512500(前スレ800):03/03/22 22:44 ID:vTl9gfzS
僕とM子は2年生でも同じクラスになることができた。
既に僕たちは公認されており、新しいクラスでも席は隣合わせになった。

新しいクラスに面白い奴が居た。
単純で空回りで騒々しいSという男子だ。広島弁と長州弁と関西弁の混じった
不思議な言葉を喋る。
「一緒のクラスになれて嬉しいで。よろしゅう」
そう言って握手を求めてきた。僕は他人に触ったり触られたりするのは苦手だ。
「ああ、よろしくな」
受け流すと強引に僕の手を取り、力任せに握りしめた。
Sはその後も妙に馴れ馴れしく絡んできた。
「次の体育は短距離じゃったな。○○は足速いんか?」
「まあまあだと思うよ」
「よっしゃ、勝負や。今日こそ決着つけたるで!」
Sは全然速くなかった。
「○○は英語得意やったな。勝負や!」
「○○は数学得意か、そうか、よっしゃ勝負や!」
「○○も芸術は美術とっとんたんか。よっしゃ絵なら負けんで!」
事あるごとに一方的に勝負を挑んでは、一方的に負け続けた。
「なんでじゃ、ちきしょう!同じ人間なのに!何で一個も勝てんのなら!」
「それは僕の得意な物でばかり勝負したがるからだろう」と、教えてみたかったが、
面白いので口には出さなかった。
僕はSを割と気に入っている。6年ぶりに出来た同性の友人だった。
513500(前スレ800):03/03/22 22:45 ID:vTl9gfzS
SはM子をMちゃんと呼ぶ。
「Mちゃん、彼氏借りるで、後で返すけん勘弁な」
近頃のM子はあまり喋らない。こくっと頷いた。
「用?」
「しょんべん。連れションに決まっとろうが。いちいち言わすな」
「今、行きたくない」
「つべこべ言わんの。お前ん時にも付き合うたるから、来んかい!」
いつもこの調子だった。
10月にあった修学旅行のディズニーランドでも
「○○見んかったか?奴とは射撃で決着つけたらなあかんのじゃ」
僕を捜し回っていたらしい。
Sは「○○お前、おもろい奴じゃなあ」を連発する。
人から面白いと言われたのは初めてだった。
M子に言わせると、Sと知り合ってから、僕は別人のように明るくなった
らしい。自分でもそんな気がする。
514500(前スレ800):03/03/22 22:45 ID:vTl9gfzS
僕とM子は一緒に学校に通い、授業を受け、休憩時間を過ごした。
M子は日に日にY子さんに似てきたような気がする。
たまにM子の髪に触れさせてもらう。Y子さんの髪を思い出していた。
「M子の髪って、こんなに黒かったかな?」
「そうよ。どうして?」
「いや、前は栗色っぽかったような気がしたから」
「そうだっけ。日に焼けてたからかな」
言われてみれば肌も前より白くなった気がする。
僕と一緒に過ごすようになって、M子は日にあたらなくなったのだろう。
僕は日差しが苦手だし、M子も日焼けを嫌うようになった。

M子の家に遊びに行くようにもなった。
彼女の煎れる珈琲は、意外に美味しかった。
いつも家にはお母さんがいて、監視付と言うわけではないが、僕らはリビング
で過ごした。
リビングにはピアノがあって、たまにM子の為に弾いてあげた。
M子はいつも目を閉じて聴いてくれる。機嫌が良いときのY子さんみたいで
僕はすこしだけ、どきどきした。

夕方帰ろうとすると、途端に悲しそうな様子になる。
そんな時のM子は、顔立ちまでY子さんに似てしまう。胸が痛む。
僕が電話を待ち続けることが辛いのだろう。
でも、それだけは、僕にどうしてあげることも出来ないのだった。
僕は、つまりは電話を待ち続けた。
515500(前スレ800):03/03/22 22:47 ID:vTl9gfzS
学年末試験の終わった後、Sから呼び出しを受けた。
校舎裏の焼却炉の前だった。
「おう、やっと来たか」
「何?あらたまって」
いつになくSは真剣な様子だった。
「わしな。Mちゃんが好きなんや」
別に意外でもなかった。M子はもてる。
「そうか」
「ずっと前からなんや。中2の時、前に同じ組になった時からずっとや」
「中学一緒だったのか。知らなかったよ」
「お前も同じ組やったろうが中2の時は!って、やっぱり憶えとらんかったんかい
 まあ、ええわ。今日はその話とちゃう」
「ごめん。それで」
「告白しよ、思て」
「そうか」
「そうかって、良えんか?お前の彼女じゃろ」
「良いも何も、それはM子が決めることだから」
「やっぱ○○は凄いやっちゃ。わしなら、そんなこと絶対言えん」
「そうか?」
「もしMちゃんがオッケーしたら、お前振られるんやで。それで良えんか」
「良くはないけど、それはM子が決めることだろ」
「そうや。でも、ほら横からあれだ、ほら」
「横恋慕」
「そう、横恋慕じゃし友達のもん欲しがっちょる訳じゃし。お前に悪うて」
「そうか」
「そうや。ま、そういう事じゃけん、悪いな。お前はフェアな奴や」
立ち去り掛けたSが振り向いていきなり叫んだ。
「お前、わしが絶対玉砕する思うて余裕かましとるな!」
思っていた。
516500(前スレ800):03/03/22 22:47 ID:vTl9gfzS
Sはあっさり玉と砕けた。
M子は最初ギャグと受け取り、次に困った顔になったらしい。
「もし、これが原因で○○君とぎくしゃくしたらどうしよう」と泣きそうになって
いたと、幽霊のような顔でSが伝えに来た。
「やっぱり、お前の言うとおりやった・・・フォロー頼むわ」
僕は何も言ってない。でもすぐにM子に逢いに行った。
M子は狼狽えていた。「酷い振り方をしたかも知れない」と心配していた。
僕はM子に優しい言葉をかけて安心させてやり、最後に付け加えた。
「S、新学期には開き直って猛烈に迫ってくるよ」
予想は見事に当たった。
517500(前スレ800):03/03/22 22:47 ID:vTl9gfzS
3年生に進級した日から、Sは毎日M子に告白するようになった。
僕はそれを「定期便」とか「モグラ叩き」と呼んで、結構楽しんでいた。
決まって昼休み、僕とM子がコーヒーを飲んでる時にSは来た。
「○○、悪い、ちょっと外してくれ」
「またか。少しは遠慮しろよ」
「いっつも金魚の糞みたいにお前がMちゃんにくっついとるのが悪いんじゃ。
 いちいち遠慮なんか出来るか!」
「了解。早く済ませてくれ」
僕は一歩だけM子から離れた。
「Mちゃん、付き合うて下さい」
「ごめんね」
「今日もダメやったか。じゃ、また」
「またな」
こんな感じだった。
518500(前スレ800):03/03/22 22:48 ID:vTl9gfzS
Sの告白は僕にとって幾つかの切っ掛けになった。
以前よりSに対して親近感を持つようになり、M子に対しても前より
気を遣えるようになった。

「今、何考えてた?」
そう訊いた時、M子は僕の質問には答えずに微笑んだ。
「そういうこと訊いてくれたの、初めてだよ」
「そうだっけ?」
「うん」

僕は知らないうちにも随分とM子を傷つけていたことに気付いた。
その日、M子と僕は初めて手をつないで歩いた。
519500(前スレ800):03/03/22 22:50 ID:vTl9gfzS
進路相談会の最終日、僕はM子が戻ってくるのを教室で待っていた。
Sも僕に付き合って残ってくれた。
「ああ、もうすぐゴールデンウイークか、憂鬱や。○○、憂鬱って漢字で書けるか?」
「書けるよ」
「違う!そういうことやない。なんで連休が憂鬱なんだ?ってこういう場合訊くもんじゃろうが」
「なんで連休が憂鬱なんだ?」
「はあ。まあ、ええわ。教えちゃる。日曜日のたんびに、ああ、○○は今頃Mちゃんと仲良う
 しとんのやなあ思うたら辛うて辛うて。わしゃいつも血いの涙流しとんのやで。それが連休中
 ずーと続くんや。わかるか?」
「ごめん」
「謝まんな。アホ。半分冗談じゃ」
「そうか。取り消す」
「何で取り消すんや。血いの涙流しとる言うてるじゃろうが!」
「ごめん」
「何で謝るんやーってこの繰り返しかい。付き合いきれんわ」
会話が途切れた。Sは沈黙に耐えられない体質だ。
「な、不公平やと思わんか?」
「何が?」
「何がって、俺とお前や」
「そうか?」
「そうや。○○はいっつもMちゃんと一緒やのに、わしは学校でちょこっと話するだけじゃ。
 これじゃ、わしの良さなんてちっとも解ってもらわれへん。あまりにも不公平や。○○
 ばっかり得しとるみたいや。何でや?」
「彼氏だからだろ」
「そういう問題やない!いや、それが問題なんやな。マジで切ないわ。ああ、わしもMちゃんと
 遊びにいきたい。お前には解らんじゃろな、この切なーい気持ち…」
520500(前スレ800):03/03/22 22:51 ID:vTl9gfzS
「そうか。3人でどっか行くか?」
「…ええのか?」
「ああ。五日に基地祭行くから、Sも来るといいよ」
「よし。解った。お前がそこまで言うなら付き合うちゃる。ほんまにええな?」
「うん」
「よし。これはわしとお前だけの秘密や。Mちゃんには言うなよ」
「何で?」
「来ちゃ駄目言うかも知れんやろ。そないなったら、どないせいっちゅうんや?」
「来るな」
「それが友達に言うことか。とにかく秘密や、秘密。決定」
「そうか」
「そうや。恩に着るけん」
そう言って、Sは慌ただしく帰ってしまった。

M子が入れ替わりに教室に戻ってきた。
「何のお話?」
「秘密にしろって言われた」
「そう」
521500(前スレ800):03/03/22 22:52 ID:vTl9gfzS
待ち合わせた駅に現れたSに、M子は不快を隠さなかった。
僕はM子が怒るとは予想していなかったので、目配せで懐柔を求めるSを見捨てることに決めた。
Sも後悔したらしく誤魔化すように"ははは笑い"をした。
それはかえってM子の怒りを強くした。
「なんでS君まで来てるの?」
「うわっきつ。君らだけじゃ折角の休日が盛り上がらん思うて気遣うて来てやってんのに」
「余計なお世話です。お引き取り下さい」
「遠慮せんで良えけん」
「してません!」
「君らが二人っきりになりたい時は、遠慮せずに言うてくれ。わし、すぐに消えるけん」
「なりたい」
「うわっきつ。○○なんか言うてくれよ。このままじゃ、わし一人が悪者みたいや」
僕は二人のやりとりを聞きながら、思わず笑ってしまった。
M子は肩を竦めて僕に苦笑して見せた。
僕がSを指差して「悪者」と、言うと二人とも声を上げて笑い出した。
それで決まりだった。
「今日の○○冴えてる!最高。ほな行くで」
結局Sに押し切られる形で、その日は3人で基地祭を見に行った。
M子はSを指さし、僕の耳元で小さく「悪者」と言った。
522500(前スレ800):03/03/22 22:52 ID:vTl9gfzS
Sは飛行機や武器にあきれるほど詳しかった。展示してある飛行機の性能や用途
航続距離や乗員数まで丁寧に解説してくれた。
僕とM子は手をつないでSの先導で歩いた。
「なあMちゃん、手は2本あるんやで、片っぽ貸して」
M子は聞こえない振りをした。
Sはまた助けを求めるように僕を見た。
「淋しいのか?」
「当たり前や!」
「そうか」
僕が余った右手を差し出すと、Sは「わしをなめると、どうなるか教えちゃる」と言って、
本当に手をつないでしまった。
「どやMちゃん、彼氏はホモ思われてるで」
M子は意地悪く笑うと、腕を絡めて僕の肩に頭をのせた。
「くそう、わしの負けや。そこまでは、さすがに気持ち悪うて出来ん」
Sは僕の手を離すと、ぶつぶつ言いながら前を歩き始めた。
M子の押し殺した笑い声が快かった。
Sを誘って正解だったな、と思った。
M子と僕は腕を組んだままで歩き続けた。
523500(前スレ800):03/03/22 22:53 ID:vTl9gfzS
「なあ、やっぱりどっか寄ってこうや」
駅で別れるときSが言った。
僕は「電話を待たないといけないから」を言いたくなかった。
M子は言わせたくなかった。
他に何か言い訳を考えれば良さそうなものだが、僕はY子さんに関することで
嘘はつかない。都合が悪ければ黙っているしかないのだ。
「ちょっと、用があるから」としか言えなかった。
理由はわからないままにSは雰囲気を察してくれた。
「お邪魔虫は消えますわ。今日は楽しかったで」
そう言うと、手を振って帰った。
524500(前スレ800):03/03/22 22:54 ID:vTl9gfzS
「S君がいるときには、よく笑うんだね」
「M子も楽しそうだった」
「うん」
まだ日暮れまでには、少しだけ時間があった。
僕はM子を家まで送ると言った。M子は淋しそうに笑って頷いた。
「まだ、待ってるんだ」
「ごめん」
「わたしも待ってるよ」
「僕は気が長い方だよ」
「知ってる。わたしも気が長い方よ」
「知ってる」
僕とM子は、また腕を組んで歩いた。
M子の黒いロングスカートが歩くたびにひらひら揺れた。
M子の黒いサマーセーターが切なかった。

つまりは、僕は電話を待ち続けていた。
525500(前スレ800):03/03/22 22:54 ID:vTl9gfzS
M子が僕と同じ大学を受けるには、少し無理をしなければならなかった。
僕自身は地元の国立を受験するのに、さしたる不安はなかった。
僕はM子の勉強を手伝うようになった。

夏休みになると、ほとんど毎日M子の家に行くようになった。
一緒に勉強し、週に二日は遊びに出掛けた。2回に1回はSも誘った。
「見せつけられんのは、もうこりごりや」
そう言っていたくせに、誘うと必ずついてきた。
「お前ら、それペアルックのつもりか?カラスにしか見えんで」
真夏でも黒ずくめの僕とM子をいつもからかった。
「黒着てるとね、○○が優しいの」
M子の答えは、切なかった。
「のろけんでええわ。○○の趣味っちゅうこっちゃろ。辛気くさい」
Sは妙に察しがいいので、それ以来そのことは言わなくなった。
「淋しいから優しくするのって、自然だと思うよ」
M子はSが帰ってから、そう言ってくれた。
罪悪感が少しだけ薄れた気がした。
526500(前スレ800):03/03/22 22:55 ID:vTl9gfzS
M子の勉強は順調に進んだ。苦手の数学と物理も克服した。
「○○君のおかげよ」
M子もM子のお母さんもそう言ってくれたが、M子は努力家だった。
夏休みの終わる二日前、M子のお母さんがお小遣いをくれた。
「家庭教師のお駄賃としては安すぎるわね」と、言ったが3万円も入っていた。
「明日くらいパアッと遊んでらっしゃい。遅くなっても構わないから」
僕らは朝早くから出掛け、夕方には戻った。
許可を貰っても僕とM子のデートは夜に届かない。
「ほんと、律儀ね」
M子のお母さんは少し呆れていた。
夏が終わろうとしていた。
527500(前スレ800):03/03/22 22:55 ID:vTl9gfzS
制服が冬服に戻った頃、M子の口からはっきり「好き」と言われた。
「もう電話を待たないでほしい」と言った。
「あなたが可愛そうだ」と言った。
「そんな冷たい人のどこがいいの」と言った。
M子は泣きながら、僕に訴えた。
「Y子さんを悪く言うな」
自分でもぞっとするほど冷たい声が出た。
M子は謝ったが、僕は許さなかった。

本当は解っていた。M子は悪くない。
僕が怒ったのは、揺れているからだった。
528500(前スレ800):03/03/22 22:56 ID:vTl9gfzS
それから二日の間、僕はM子と口をきかなかった。
昼休みになると、いつものようにM子は僕の隣でコーヒーを飲んだ。
M子は何も言わなかった。怯えた目が切なかった。

三日目の朝、Sに呼び出しを受けた。
「つら貸してくれ」
そう言って歩き始めた。
どうやら殴られるらしいと思った。
焼却炉の前でSは立ち止まった。
「また此処か・・・」
Sは黙ったまま動かない。
「帰って良いか?」
「駄目や」
「なら早くしてくれ」
「待っとれ、今纏めとる」
仕方なく僕は待った。1分ほどして漸くSは口を開いた。
「要するにどっちが悪いんや?」
「僕」
「お前が悪いんやな?」
「そうだ」
「なら謝れ。話は終わりや」
Sと僕は一緒に教室に戻った。

「ごめん」
M子に言って、席に着いた。
M子は何か言ったけど聞こえなかった。
Sが振り返って、にやっと笑った。
529500(前スレ800):03/03/22 22:57 ID:vTl9gfzS
M子は開き直ったように、再びY子さんの事を知りたがるようになった。
服装の趣味や部屋の調度や化粧について特に聞きたがった。
使っていたシャンプーや鉛筆の濃さまで質問した。
僕は知っている限りの事をM子に話した。
Y子さんが黒しか着ない理由も教えた。
「洗濯するとき楽」
M子は苦笑していた。
何かが間違っているとは思っていたけど、僕はY子さんの話がしたかった。
M子がY子さんになろうとする事で、僕は彼女に優しくなれた。
僕もM子も、Sが現れる前の様に言葉少なになりがちだった。
530500(前スレ800):03/03/22 22:58 ID:vTl9gfzS
11月の下旬、雨の夜だった。
日付が変わる少し前くらいに、僕の部屋の電話が鳴った。
呼び出し音が一回だけ鳴って、そのまま切れた。
受話器を取り上げても、もうツーという信号音しか聞こえなかった。
Y子さんからの電話だったように思えた。
信号音の向こうで、Y子さんが淋しがって泣いているように感じた。

「はい。○○です。
 もしもしY子さん、お久しぶりです。
 僕、今高校生なんですよ。でも、もうすぐ大学受験です。
 勉強は結構がんばってます。絵もたまに描いてますよ。
 ちょっとは上手くなったと思います。今度見て下さいよ。
 Y子さんが気にしてたけど、僕、友達できました。
 Sっていいます。騒がしいからY子さんは合わないでしょうね。
 でも良い奴ですよ。
 M子っていう女の子の友達もいます。ちょっとY子さんに似てます。
 まあ、綺麗な子です。Y子さんの真似ばっかりしてます。僕みたいですよね。
 僕の事、好きだって言ってます。
 Y子さんが、全然構ってくれないから、僕、最近その子の事、気になってます。
 M子も凄く良い子ですよ。でも、やっぱり、Y子さんじゃないから…。
 たまには電話して下さい。僕、いつも待ってますから。
 本当に待ってますから」

淋しくて泣いているのは僕の方だった。
つまりは、電話を待ち続けた。
531500(前スレ800):03/03/22 23:00 ID:vTl9gfzS
4週間ほど過ぎて、一本の電話を受けた。
電話の相手はY子さんと同じ名字を名乗った。
近くに来ているというので、その人と駅の中の喫茶店で会うことにした。

その人は、僕を見て驚いたようだ。
想像より僕が大分若すぎたのだろう。
或いは僕の雰囲気がY子さんに似ていたからか。
その人もY子さんにとても似ていた。
その人は「Y子の母です」と自己紹介したきり黙ってしまった。
何から話せばいいのか、迷っていたのだろう。
用件が何なのか僕には解っていた。

「Y子さんが亡くなられたのですね?」
「はい」
「いつですか、それ?」
「先月の22日です」

あの電話の翌日だった。

「自殺ですね?」
「はい」
532500(前スレ800):03/03/22 23:01 ID:vTl9gfzS
驚きはしなかった。ただ、Y子さんはもういないのだと思った。
「○○さんに知らせるようにと、遺書と言うか、書き置きがありまして」
ハンドバッグから紙を取り出した。
病院の薬封筒だった。

「母さん、○○君に知らせてあげて下さい。お葬式の後でいいです」

裏に、僕の電話番号と、それだけが書かれていた。
薬封筒の日付は一昨年の4月。Y子さんと最後に逢った一月後だった。
処方された睡眠薬の使い残しを、この封筒に貯めていたのだろう。
「わざわざお知らせいただき、ありがとうございました」
僕が席を立とうとすると、その人は引き留めた。
「Y子とは、どういったお知り合いで…」
「家が近所でした。子供のころ、よく遊んでもらいました。それだけです」
その人は、まだ話をしたいようだった。
「すみません。電話を待たないといけませんので。失礼します」

つまりは、電話を待ち続けた。
533500(前スレ800):03/03/22 23:01 ID:vTl9gfzS
僕は翌日、学校に行くのを忘れた。
部屋でY子さんの電話を待っていたから。
M子から電話が掛かってきて、はじめて月曜日になっている事に気付いた。
「ちょっと、体調が悪くてね」
そう、言い訳した。
猛烈に眠かった。そう言えば僕は昨日から眠っていなかった。
眠いのに目を閉じても眠れなかった。
夜遅く、母が仕事から帰ってきた。
少し心配したが「ただの風邪」と僕は嘘を付いた。

結局僕は、冬休みに入るまで学校を休み続けた。
534500(前スレ800):03/03/22 23:02 ID:vTl9gfzS
冬休みに入ってすぐ、M子が訪ねてきた。
僕の顔を見て、かなり驚いていたようだった。
「ご飯、ちゃんと食べてる?」
「うん」
嘘だった。
「風邪、もういいの?」
「仮病だよ。知ってるだろ」
「うん」
M子の家に行くことになった。
M子を部屋に待たせて、僕は数日ぶりに髭を剃って髪を洗った。

冬の日差しはきつかった。歩くと少し目眩がした。
M子が腕を組んできた。気を遣っているらしい。
「クリスマス。すっぽかしてごめん」
「いいよ。電話くれたし」
僕は憶えてなかった。
この数日、記憶が混乱していた。殆ど眠っていないし食べていなかった。
途中、自販機でトマトジュースを買って飲んだ。
かえって頭がふらふらしたが、少し座って休むと元気が戻ってきた。
M子の家に着くと、M子のお母さんは出掛けるところだった。僕を見て驚いた。
「風邪、もういいの?そうとう酷かったみたいね」
「はい。もう大丈夫です」
「大切な時期なんだから、気をつけないと」
そう言ってしきりに心配した後、タクシーが来て出掛けてしまった。
535500(前スレ800):03/03/22 23:04 ID:vTl9gfzS
二人きりになるとM子は珈琲を煎れてくれた。
M子は何も訊かなかった。僕はそれが嬉しかった。
魔法のように優しい時間だった。
僕は打ちのめされていたけど、若くて健康だった。
少しの栄養と、一杯の珈琲と、M子の存在だけで穏やかな気持ちを取り戻せた。
「少し、眠ってもいいかな?」
自然に言葉が出た。人前で眠りたいと思ったのは初めてだった。
M子は特別なのだと思った。
M子は頷くとソファーの隅に寄って、僕を膝に招いた。
僕は少し照れたけど、M子の気遣いを受け入れた。M子も少し照れていた。
M子の膝は心地よかった。
M子がそっと掌を額にあててくれた。
冷たくて気持ちよかった。

すぐに僕は眠りにおちた。
536500(前スレ800):03/03/22 23:04 ID:vTl9gfzS
Y子さんの夢を見ていた。
夢を見ながら、それが夢であることを知っている、不思議な夢だった。
「Y子さん描いていいですか」
Y子さんはちらっと僕を見て、小さく頷くと、本を読み始めた。
僕はスケッチブックに直接透明水彩でY子さんを描いた。
我ながら巧く描けたと思った。
「出来ました。見ます?」
「見ない」
Y子さんは立ち上がって台所で珈琲を煎れた。
カップを一つ僕の前に置いて、もとの場所に座って飲み始めた。
翌日、Y子さんは僕のスケッチブックに顎をしゃくって言ったのだった。
「悪くないよ」
僕はそれからもY子さんを描き続けた。
僕には他に描きたいものなんてなかったからだ。
2冊のスケッチブックがY子さんの横顔で満たされた。
Y子さんは僕のスケッチブックをぱらぱらとめくって眺めていた。
「これ貰う」
2冊目の最後のページを破り取って、ファイルブックに放り込んだ。
Y子さんはまた本を読み始めた。
パネルの貼り方を教えてくれたのもその頃だった。
昔使っていたイーゼルを僕の為に組み立ててくれた。Y子さんの居間に2台のイーゼルが並んだ。

僕はY子さんの膝で眠っていた。「ああ、これは嘘だ」と思った。
僕がY子さんに触れたのは5年前、Y子さんから「もう来ないで」と言われた日の
一度きりだった。
537500(前スレ800):03/03/22 23:05 ID:vTl9gfzS
目を開けるとM子が僕を覗き込んでいた。
「起きた?」
「うん」
M子は心配そうな顔をしていた。
「悪い夢?」
「何で?」
「泣いてたから」
「良い夢だったよ。懐かしくて、優しくて、良い夢だった」
「そう、良かった」
「M子のおかげだよ。ありがとう」
それからしばらく僕らは見つめ合った。
538500(前スレ800):03/03/22 23:06 ID:vTl9gfzS
部屋の中はもう薄暗くなって、窓からは夕の陽光が差し込んでいた。
灯りをつけないままで僕とM子は2杯目の珈琲を飲んだ。

「連絡を貰ったんだ」
「そう。やっと、お話できたんだね」
僕は黙って首を振った。
M子は僕が続きを話すのを待っていた。
「もう、待たなくていいよ。って意味だと思う」
「そう」
M子はうつむいた。目に涙が浮かんでいた。
彼女が珈琲を飲み終えるのを待って、僕は立ち上がった。
「ごちそうさま、それじゃ」

帰ろうとした僕の背中にM子が抱きついた。
「今日ね、お母さん遅いの」
「うん」
「だから…」
僕を振り向かせると、目を閉じてキスを求めた。
M子の頬に涙の流れた跡があった。

M子が愛おしいと思った。
このまま彼女を受け入れてしまえば、Y子さんを忘れられると思った。
そう思った時、僕はM子を振りほどいていた。
「ごめん」
魔法の時間は終わってしまった。
「電話を待たないといけないんだ」

M子の嗚咽する声が聞こえた。切なかった。
つまりは、僕は電話を待ち続けた。
539500(前スレ800):03/03/22 23:06 ID:vTl9gfzS
昭和が終わり、平成になった。
冬休みの終わる日、久しぶりに僕とM子はデートに出掛けた。
プラネタリウムを見て、美術館を回った。
共通一次を前にした最後の息抜きを、僕もM子も心から楽しんだ。
城跡のベンチで僕らは紙コップのコーヒーを飲んでいた。
もうすぐ帰る時刻だった。

「あの人に比べて、わたし、そんなに魅力ない?」
「誰かと比べて、Y子さんを好きになったんじゃないから」
「そうだよね。ごめんね」
「ごめん」
「わたしね、身代わりでも良いよ。いつか、好きになってくれるんなら身代わりで良いよ。
 何年でも待つよ。それでも駄目なん?」
「ごめん」
「どうして、わたしじゃ駄目なん?」
「本当に言っていいの?」
「うん」
「M子はY子さんじゃないから」
「…やっぱり、言われちゃった」
「ごめん」
540500(前スレ800):03/03/22 23:07 ID:vTl9gfzS
僕らは手をつないで歩いていた。
沈黙が重かった。何か話さないといけないと思った。
先に口を開いたのはM子の方だった。

「わたしね。S君と付き合おうかと思ってるの」
「そう」
「どうして?って訊いてくれないんだね」
「どうして?」

M子は返事をしなかった。
俯いたM子の長い睫毛がY子さんを思い出させた。
僕は、なんとなくY子さんの思い出を辿り始めた。
不意にM子が言った。
「また、あの人の事考えてるんだ。冷たいよね」
「ごめん」
M子は淋しそうに笑っていた。

「わたし、あなたが好きよ。でも、もう嫌になっちゃった。
 もうすぐ卒業だし。振り向いてくれないし。もう嫌になっちゃった。
 あなたのこと、これからもずっと好きだと思う。でも、もう嫌になっちゃった。
 S君がね、言ったの。わたしがあなたを好きなままでも良いって。
 自分はずっと2番目のままでも、絶対に怒ったりしないって。
 その時、思ったの。わたしは、いつかこの人を好きになれるかも知れないって。
 良い人だし、わたしのこと好きだって言ってるし。
 だから、こんな言い方S君には悪いけど、わたしS君にしとく」
541500(前スレ800):03/03/22 23:08 ID:vTl9gfzS
僕は黙って頷くしかなかった。M子の目に涙が浮かんでいた。
マラソンの練習の集団が僕らの横を追い越していった。
僕はM子の手を取って、歩道の隅によけた。

「金メダルが取れないからって、走るのを止めなくていいもんね。
 銀でも銅でもメダルはメダルだし。だからS君にしとくの」
M子の泣き笑いが切なかった。僕も苦笑した。
そのうち本当に二人とも笑い出してしまった。
何かが終わった瞬間だったのだろう。

「あいつは銀メダルか。しまらないね」
「せいぜい銅ってとこね」
僕とM子は手をつないだまま、歩き続けた。
542500(前スレ800):03/03/22 23:09 ID:vTl9gfzS
3学期が始まっても、僕は学校に行かなかった。
部屋に閉じこもって、Y子さんを思い、M子を思い、Y子さんを思い、
Y子さんを思った。
つまりは、電話を待ち続けた。
543500(前スレ800):03/03/22 23:09 ID:vTl9gfzS
三日目の朝、Sが訪ねてきた。Sとは二十日以上逢っていなかった。
僕の顔を見て、ぎょっとした。
「えらい痩せたな。飯食ってないじゃろ?」
「学校はいいのか?今、授業中だろ」
「お前みたいなサボりに言われたないわい」
「用?」
「用がなきゃ来るかい。ええけん、支度し。わしが飯おごっちゃるけん」
多分、M子の話だろう。そう思って、僕はSの誘いに応じた。

連れて行かれたのはSの家だった。Sの家はお好み焼き屋をやっている。
「奢るって、お前ん家じゃないか」
「金はわしが出す、つべこべ言うな。ツケがきく店はここしか無いんじゃ。
 母ちゃん、スペシャル2枚頼むで!」
そう言って、奥の席に座らせた。
544500(前スレ800):03/03/22 23:10 ID:vTl9gfzS
「Mちゃんがな、わしと付き合うてくれる、言うとる」
「聞いてるよ。良かったな」
「良かったなじゃ無いやろ。お前はええんか?」
「うん。M子が決めた事だ」
「違う!お前が振ったんじゃ」
「そうらしいね」
「はあ。気のないやっちゃ。まあ、ええわ。お前Mちゃんの他に好きな女おるじゃろ?」
「いるよ」
「その人とは見込みあるんか?」
「Sには関係ないだろ」
「ある。じゃけん正直に答えてくれ。見込みはあるんか?」
「無いよ」
「Mちゃんの事も好きやろ?」
「別に」
「正直に答ええ言うてるやろ。Mちゃん好きか?」
「好きだよ」
「なら何でMちゃんじゃいかんのや?Mちゃんはお前の事が好きいうてるぞ」
「Sにとって一番大切なのはM子の気持ちだろ」
「そや」
「僕にとってはそうじゃないんだ。解ってくれ」
「じゃあ、ほんまにわしがMちゃんと付き合ってもええんやな?」
「いいよ」
「ほんまにええんやな?」
「いいよ」
「解った。ほんまはよう解らんが解った」
545500(前スレ800):03/03/22 23:11 ID:vTl9gfzS
「なあ、S」
「なんや?」
「Sこそ良いのか?M子が俺を好きなままでも平気か?」
「平気に決まっとる。当たり前や」
「なんで?」
「わしだって、お前が好きや。Mちゃんがお前を好きでも文句いえん」
「それは好きの意味が違うだろ」
「何処が違うんや?好きいうのは、そいつの為なら死んでもええいうこっちゃ。
 わしゃ、Mちゃんのためなら死ねるで。お前んためでもなんぼでも死んじゃるわい。
 おんなじこっちゃろ」
「S、お前、良い奴だな。今度それ、M子にも言ってやれよ。お前のこと見直すと思うよ」
「お前はアホか?こんなくっさい事、男同士でないと言えんわい」
「それもそうだね。僕もSが好きだよ」
「んなこと解っとるわ。いちいち言うな。アホか。」

Sは照れたのか焼き上がったお好み焼きを自分で取りに行った。
「それより飯や、飯。お前も喰わんかい」
546500(前スレ800):03/03/22 23:12 ID:vTl9gfzS
解りきってるから言える事だってあるのだと、僕はこの時まで気付かなかった。
Y子さんは答えが解っている質問には返事をしない人だった。
それでも僕は、もっと色んな事を訊くべきだった。
そう思った。

「○○、なんや、泣いとんのか?」
「ちょっとな」
「すまんな」
「Sには関係ないよ、ちょっと思い出しただけだ」
焼き立てのお好み焼きは美味しかった。僕は泣きながら食べ続けた。
何かを美味しいと思って食べたのは何年ぶりだったろうか。
Sがいてくれて良かったと思った。

次の日から、僕は学校に行くようになった。
幸いにといっていいのか、僕は相当にやつれ果てていたので、誰もずる休みとは
思わなかった。
547500(前スレ800):03/03/22 23:12 ID:vTl9gfzS
昼休みになると、M子は変わらず僕と一緒にコーヒーを飲んだ。
Sも初日だけついてきたが「わしゃ昼飯食わんと持てんわ」そういって教室に残る
ようになった。本当は僕らに気を遣ってくれていた。
M子はSの影響か、よく喋るようになった。もともとのM子は快活な女の子だった
から僕の毒が抜けてきただけかも知れない。

学年末試験が済むと、その直後には共通一次だった。
二月に入ると、3年生は自由登校になった。
僕ら3人は毎日学校に集まって、長いお喋りを楽しんだ。
僕も随分と話をするようになり、週一回の登校日にしか会わない級友達は皆驚いていた。
M子の髪も日に日に元の栗色に戻りつつあった。
548500(前スレ800):03/03/22 23:14 ID:vTl9gfzS
バレンタインに、M子はコンビニで買った板チョコをSにあげた。
「まだ好きにはなってない」意思表示だそうだ。
「ま、しゃあないな。○○は貰えんかったみたいじゃし、佳しとしときましょ」
僕はちょっとだけ悔しかった。
「くさるな、くさるな。去年と立場が逆になっただけや。半分やるけん辛抱せい。
 ま、小ちゃい方の半分やけどな。一人もんはつらいなあ?」
M子は意地悪そうに笑うと、鞄からラッピングした瓶詰めを取り出して僕にくれた。
栗の甘露煮だった。

「手作りだけどチョコじゃないから、S君に文句を言う権利はないからね。
 …でもほら、チョコより甘いし、金色だしね」
後半は小声だった。
「なあ、○○くん半分、ちょーだい」
「だめだ」
「じゃ、一個だけ」
「だめだ」
「なんや、このケチ勝手にせえ!」
「そんなことより、S、ほい」
「なんや、その手は」
「半分くれるんだろ、チョコ」
「なんやと、この強突張り!」
549500(前スレ800):03/03/22 23:14 ID:vTl9gfzS
文句も言いながらも「小さい方の半分」をくれた。
友情の味だ。少し苦かった。
栗の甘露煮を一粒その場で食べた。
僕が「美味しいよ」と言ったとき、M子は咲き誇るような笑顔を浮かべた。
M子は本当に明るくなった。甘さが胸に染みた。

「なんや、○○。また泣いとんかい」
「ちょっとな」
「お前が昼飯食わんのは泣き癖があるせいじゃったんかい」
「そうかもな」
「なあ、泣き癖の事は秘密にしたるけん、一粒だけちょーだい?」
「だめだ」
「なんやと、わしのチョコ半分食ったやないか!」
「しつこいぞ、この銅メダル!」

M子も泣き笑いを浮かべていた。
550500(前スレ800):03/03/22 23:16 ID:vTl9gfzS
卒業式の日、朝早く僕はSから呼び出された。
またしても焼却炉の前だった。
「なあ、S。なんでいつも此処なんだ?」
「うるさい。大事な話は昔から此処に決まっとんじゃ。つべこべ言うな」
「で、何よ?」
「Mちゃんの事や」
「ああ」
「わしがMちゃんに告白したい言うたとき、○○は言うたよな?」
「それはM子が決める事だ」
「そや、そう言うた。じゃが、わしにはとても真似できへん。
 もしも○○が、あんときのわしみたいにMちゃんにちょっかい出し続けたら
 わしには我慢できん。おかしなってしまうかも知れん」
「うん」
「なのにお前はずーっと笑って許してくれたし、デートにまで何度も誘ってくれた」
「それは別に、」
「黙って聞いとれ、先忘れてまうやんけ。じゃけんな、一回だけじゃ」
「もし、お前がどうしてもMちゃん返して欲しゅうなったら、返せ言うてもええで。
 一回だけなら、それはMちゃんの決める事や、ってわしも言うから」
「ああ」
「いつでん、お前が返せ言うたら、一回だけはMちゃんに決めさすけん。約束や」
「いいのか?」
「あたりまえや、男と男の約束や。言うた以上、絶対守る。でも一回だけやからな」
「解った。約束だ。ちょっとした紳士協定だな」
「なんや、それ?」
「書類や判子に頼らず、互いの名誉と誇りにかけて守る誓いの事」
「はあ、かっこええなあ。よっしゃ、この約束はわしらの紳士協定や」
「ああ、いいよ」
「話はそれだけや」
551500(前スレ800):03/03/22 23:16 ID:vTl9gfzS
二人で教室に戻るとM子が待っていた。
「何のお話?」
僕に訊いた。Sは必死に言うなと目で訴えていた。
先に秘密だと言わなかった事を後悔しているのが解った。
「ちょっと約束してただけだよ」
「そや、ちょっとした約束や」
「どんな?」
「秘密だよ」
「そや秘密や」
「何よ、嫌らしい」

そして、僕ら3人は高校を卒業した。
552500(前スレ800):03/03/22 23:17 ID:vTl9gfzS
話は少し前後するがSは地元私立に補欠で合格した。
M子は予定どおり地元の国立に無事合格した。
僕は1ランクあげて隣の県の国立に行くことになった。

引越の時、免許をとったばかりのSは、わざわざレンタカーを借りて、僕を引っ越し先まで
荷物と一緒に運んでくれた。
「助かったよ。気を付けて帰れよ」
「○○、お前には借りがえらい沢山残っとるが、これで一個は返したで」
「貸しなんてないよ」
「Mちゃんのことでは借りだらけや」
「まあ、そうかもな」
「お前がこっちの学校選んだのも、わしとMちゃんに気い遣ってのこっちゃろ?」
「それもあるな」
「わしには、解っとる。お前はフェアな奴や」

僕が志望校を替えたのは、実は他にも理由があった。
Y子さんを育てた町に僕は会いたかった。
その町にはY子さんの実家がある。
後からY子さんのお母さんを訪ねて教えて貰ったのだが、僕のアパートからほど遠くない
ところにY子さんのお墓はあった。
その町は僕の愛する人の眠る町でもあった。
僕はその町で4年暮らし、卒業後は地元に帰った。
553500(前スレ800):03/03/22 23:19 ID:vTl9gfzS
M子とSは、大学1年の終わりSの嫉妬が原因で一度別れたが、
僕の執り成しで復縁した。
その時Sは「また一つ借りだな」と言った。
つくづく墓穴を掘るのが好きな男だ。
554500(前スレ800):03/03/22 23:21 ID:vTl9gfzS
大学卒業から2年後、二人は結婚した。

式の始まる前に、僕は二人から控え室に呼ばれた。
ウエディングドレスを纏ったM子は美しかった。
非常識にもなぜかその場にSもいた。Sは、…まあ、Sだった。
「花婿の控え室はあっちだぞ」
「いや、お前なら絶対先にMちゃんに会いにいく思うて先回りしたんや。どや、Mちゃん綺麗やろ。
 おまえ惜しいことしたよな。人生悔いとるやろ。どうしても、それが訊きとうてな」
Sはイヒヒといやらしく笑った。
「紳士協定は憶えてるよな」
「お前こんな時に、何考えとんなら!?」
「自信ないの?」
「んなことあるか。しかし、だな・・・」
「弾が入ってない銃でも、ロシアンルーレットは出来ない」
「そういうこっちゃ。今日の処は貸しにしといてくれ」
「貸しはいいさ。それより肩でも揉んでもらおうか」
僕はタキシード姿のSに肩を揉ませた。
「わたしも揉んだげるね」とM子も一緒に揉みはじめた。
本当に弾が入ってないか試したい気持ちは少しあったが、僕は友人代表の立場を守った。
披露宴の後Sは「まあ、最終的には俺の勝利だったわけだ」と宣った。
当然M子と一緒に「この銅メダル!」と蹴りをくれてやった。
Sは意味も解らず喜んでいた。確かにSの言うとおりかも知れない。

その3年後、M子は母になった。
555500(前スレ800):03/03/22 23:22 ID:vTl9gfzS
二人との付き合いは今も続いている。
Sは昔と同じように、いやそれ以上にアホで空回りで騒がしい良い奴だ。
紳士協定をちらつかせると何でも驕ってくれる気前の良さも昔のままだ。
僕に彼女が出来る度に心から喜んで「今度は結婚まで行け!」と激励してくれる。
「他意はない。本気でお前の幸せを願ってるんだ。M子はこの際関係ないぞ」と墓穴を掘る。

M子は毎年バレンタインには「栗の甘露煮」を作ってくれる。
今年のカードには「今でもあなたが好きです。ちょっとだけ」と書いてあった。
チョコレートでなければ人妻でも何を書いても構わないと思っているらしい。
誕生日とクリスマスにはカードを交換するし、休みが合えば一緒にドライブに出掛ける。
夫婦喧嘩の時は実家でなく僕の部屋に転がり込んでくる。
その度に連れ戻しに来るSと会うのも僕の楽しみの一つだ。

僕にも恋人が出来た。K子という善良な娘だ。
3年来の付き合いだが今年のバレンタインから正式に付き合い始めた。
M子に対抗して「栗の甘露煮」をくれたが、まだまだ出来はM子に及ばない。
僕が開業独立したら、彼女も会社を辞めて公私ともにパートナーになる約束をした。
K子の寛容と善良さが、今の僕にとって最も大切な物だ。
先週4人の休みが重なったので、そろって史跡公園に出掛けた。

こういう場合、M子は必ず僕と腕を組みたがる。K子が加わってから甘え方も幾分過激になった。
対抗してSがK子に抱きついたので、当然M子と二人で蹴りをくれてやった。
K子にも薦めたが初めは辞退した。「楽しいから一発だけ試してごらん」と言ったら本当に蹴った。
理不尽かも知れないがSには「貸し」があるから当然だ。
K子はM子を気にいっているが「馴れ馴れしすぎる」とたまにこぼす。僕もM子も気にしていない。
556500(前スレ800):03/03/22 23:23 ID:vTl9gfzS
僕は相変わらず電話を待っている。
それはこれからも続く。
Y子さんの居場所は僕の中に残り続ける。
Y子さんの死をM子は知らない。
SとK子は、Y子さんという人がかつてこの世に存在したことすら知らない。
それでいいのだと思う。

僕は今でもY子さんを好きだし、M子のことも「ちょっとだけ」好きだ。
557500(前スレ800):03/03/22 23:24 ID:vTl9gfzS
終わりました。
以上です。
前スレ読んでない人には解りにくかったかな。

長々と失礼しました。