アセクシャル総合スレ

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299裏表 ◆USnasty1/A
>>272>>274
エロス,ストルゲー,フィリア,アガペーってのは、「キリスト信仰関連の文脈で語られる」
ことが多いので、それを前提に。

まぁ、ギリシャ古典文化で話題になるのは、大概先の3つで、アガペーってのは
キリスト教がギリシャで発展した頃には、「意味も定かでない古語」だったらしい。
日本語で言うところの「かな(愛)し」みたいなもんか。要は「他とは違う特別
扱いのものとして」信仰上理想とされる「愛」の形を表現する為に、既にある
言葉を借りてきた、という感じか。

それぞれの意味については>>272の通りなんだが、特にアガペーと他の3つで
「決定的に違う」ところは、エロス・ストルゲー・フィリアが、対象は違いこそすれ全て
「人として自然に湧き起こる感情」であるというのに対し、アガペーは「自らその
感情を(意思的に)引き起こす」ものだとされている点らしい。

「好みの異性」「家族」「友人・同朋・信仰上の同志」に対して覚える、「愛情」
というのは、「受動的なもの・自らそれを愛することを選択してそうしている訳
ではない、卑近な感情である」ってことなんだそうな。
→この「受動的」というのを、日本語じゃ自然(じねん)に湧き起こる、という
意味で「自発的」とか言ったりするから更にややこしいが…関係ないな。

上に対して「神の愛」であるアガペーは、「自らの理性によって意思的に」引き
起こされる愛情な訳。キリスト教を語る際に必ず引き合いに出される「汝の敵を
愛せよ(敵ってのは“信仰の敵”なんだが)」という代表的な台詞などは、将に
「アガペーへの道」を説いているのだろう。「感情的にどうしても許容できない」
「自分を完全に敵視している」人をも、つーか寧ろ、そういう人をこそ積極的に
「愛する、愛しちゃう」ってのが、アガペーという概念な訳で。「理性の愛」と言わ
れる所以ですな。

どうでもいいことを長々書いたが…単に、「アセクシャルの悩みというのは“自らの
内部でのエロスとフィリア”“自分のフィリアと相手のエロス”という、2つの鬩ぎ合いに
よるものなんだろうか?」と思っただけのことで。スレ汚しスマソ。