1 :
あぽ〜ん :
03/07/30 22:11 ID:??? パンクの長い歴史の転換点を語ろう。
2
3 :
NO-FUTUREさん :03/07/30 22:13 ID:da5+z2a6
3
パンクの始めの転換点は何だ?
5 :
直リン :03/07/30 22:14 ID:PZD7Tzja
6ぐらい
誰も知らないのかよ。 クソが。
誰も知らないのかよ。 クソが。
誰も知らないのかよ。 クソが。
誰も知らないのかよ。 クソが。
BOZO祭りのヨカーン
誰も知らないのかよ。 クソが。
誰も知らないのかよ。 クソが。
豚スレ
誰も知らないのかよ。 クソが。
誰も知らないのかよ。 クソが。
改行するよりスペース入れたほうがいいよ。
誰も知らないのかよ。 クソが。
誰も知らないのかよ。 クソが。
誰も知らないのかよ。 クソが。
誰も知らないのかよ。 クソが。
誰も知らないのかよ。 クソが。
誰も知らないのかよ。 クソが。
誰も知らないのかよ。 クソが。
25 :
帝王アシックス ◆SADSt2kij. :03/07/30 22:54 ID:xpgMDq6u
おう!!ぶーちゃんwww あいかわらず暇してんなーオメーwww なんなら大人の雑談とかいうの潰しにいこーぜwww あのマスターとかいうパゲがいらつくからよww オメーも来いよwwホレ、とりあえず飼料でも食えよ
26 :
NO-FUTUREさん :03/07/30 23:11 ID:pNzv/Kl8
1996年 BOZO誕生
誰も知らないのかよ。 クソが。
28 :
帝王アシックス ◆SADSt2kij. :03/07/30 23:14 ID:xpgMDq6u
ぶーちゃんマスターどっかいっちゃったなwww 残念だよ。豚のオマエも諦めてコピペ再開ブヒ!!ってかwww しかたねー豚だなwwwまあ頑張れよ。
60年代末〜70年代初頭にかけて、アンダーグラウンドで活動をつづけていたアメリカのガレージ・バンド達の影響を受け、70年代半ばには、ニューヨークを中心に独自の音楽文化が育っていた。 特に政治過激派集団「ホワイト・パンサー」の広告塔的な側面を持っていた爆音系ガレージ・バンドMC5の影響力は絶大で、そのメンバーであった、ギタリストのフレッド "ソニック" スミスは、後にパンクの女王パティ・スミス(右写真)と結婚。 オルタナティブ系バンドのソニック・ユースの「ソニック」もフレッドのニックネームに由来している。
31 :
帝王アシックス ◆SADSt2kij. :03/07/30 23:19 ID:xpgMDq6u
おいおいレスはいらねーよwww だいち俺豚語読めねーもんwwww わかるのはなんとか俺に話しかけようとしてんなって事だけwww だからコピペ以外の事無理してすんなってwwwなっオマエも 立派な大人豚だろ???それともまだ子豚ちゃんか?
ニューヨーク・パンクの音楽ルーツの1つには、やはりガレージ・バンドとして60年代に活動していたヴェルヴェッド・アンダーグラウンドを挙げずにはいられないだろう。 「あまりの下手さに"俺にも出来る"と勇気が出たよ」とは、後にパンク&ニューウェイヴ界に多大な影響を与えるイギー・ポップ(vo)の言葉だ。 そのイギー自身も、ストゥージズを結成し60年代末〜70年代初頭に活動するが、まったく成功することなくレコード会社との契約も切られてしまう。 そこへ救いの手をさしのべたのが、早くからヴェルヴェッド・アンダーグラウンドのルー・リードやイギーの才能に気づいていたデヴィッド・ボウイだった。 ボウイはイギーを自分の所属事務所に入れ、レコード会社との契約まで取りつけた。しかしながら、イギーはボウイのアレンジを嫌って飛び出し、ドラッグに溺れ引退状態となる。 だが、この後またボウイに拾われ再起し、時代も彼に追いつき成功を収めてゆくことになる。こういった状況を目の当たりにしていたニューヨークのロッカー達には、この状況自体が衝撃的で、何か未知の新しいパワーを感じ取っていたはずだ。 こういったグラムからパンク時代へ移行する過渡期に現れた象徴が、73年に奇才トッド・ラングレン(ロックの神童と呼ばれた米天才マルチ・プレイヤー)のプロデュースでデビューしたニューヨーク・ドールズであり、 ケバケバ・メイクに、シンプルでストレートなロック・サウンドという、グラムとパンク両方の特徴を兼ね備えていた。
パンクが最初に大きく注目され出したのは、ニューヨークで起きていたこういった状況を、すべて間近で体験していた元MC5のフレッド・スミスの夫人で、女流詩人でもあるパティ・スミスがデビューしてからのことだった。 小さい頃から虚弱体質だったパティは、毎日本を読んで暮らす生活を送っていたが、その後ニューヨークの書店で働くうちに、若き日の有名写真家ロバート・メイプルソープと出逢い同棲生活を始める。 メイプルソープは多くの芸術家と交流があり、ヴェルヴェド・アンダーグラウンドのプロデューサーであった画家のアンディ・ウォーホール、脚本家のサム・シェパード(写真左)や、ブルー・オイスター・カルトのアラン・レイニアー(key)、トッド・ラングレンなど、 さまざまなアーチスト達とこの時期に親しくなる。それと同時に、自らも自作の詩にバック・ミュージックを付け、人前で朗読するようになり、74年ついにはバック・バンドを従えシングル・デビューを果たす。 このシングルには、当時恋人であったテレヴィジョンのトム・ヴァーレイン(vo,g)も参加していた。 75年にはアルバム・デビューも果たすのだが、元ヴェルヴェッド・アンダーグラウンドのジョン・ケール(b,key,vo)をプロデュサーに迎え、トム・ヴァーレインやアラン・レイニアーも参加。 加えてジャケットはメイプルソープによるポートレイトという、すごい陣容のアルバムである。これら全ての要素がいっぱい詰まったこの「ホーセズ」は全米47位まであがるヒットとなり、パンク時代の到来を告げた。
パンク発祥の地であるニューヨーク周辺からは、同時期にテレヴィジョン、トーキング・ヘッズ、ラモーンズ、ブロンディなどが続々と注目されはじめ、その知的でシンプルで破壊的なサウンドとみすぼらしいファッションは、しだいにパンクと呼ばれるようになっていった。 パンク=PUNKとは直訳すると「若い浮浪者」「よたもの」「不健康な」という意味があるが、ニューヨークのパンクはどこか芸術運動のような側面も持ち合わせ、イギリスで広まったパンクとは少し趣を異にしていた。
35 :
覇王ジュンヤ ◆/4VqRVtt0U :03/07/30 23:26 ID:tLAWP+5Q
__Λ_
__/ノへ ゝ ___
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http://music2.2ch.net/test/read.cgi/punk/1058104809/ { .|__  ̄ ̄ヾ } このスレが生まれたときにパンクは大きな転換期を迎えたと言えるね
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イギリスでアートスクールに通っていた、マルコム・マクラレンは、アメリカへ渡り、ニューヨーク・ドールズのマネージャー兼準メンバーとして活動した後、テレヴィジョンを脱退したばかりのリチャード・ヘル(b,vo)を誘い、イギリスでバンドを組ませようと画策した。 しかし、リチャードはこの誘いに乗らなかったため、マルコムがロンドンで経営する、アートスクール時代の仲間、 ヴィヴィアン・ウエストウッド(女性ファッション・デザイナー)のブティック「SEX」に出入りしていた街のチンピラ達を集め、リチャードのファッション(破れたシャツ、 逆立てた短髪、安全ピン・ルックなど)を真似て、75年セックス・ピストルズとして結成させた。 彼らはろくに演奏もできなかったが、そのファッションと傍若無人な振る舞い、暴言がすぐにイギリス中の大きな話題となった。 その後、それを見て影響されたクラッシュやザ・ジャム、ストラングラーズなども現れ、ロンドン・パンクはニューヨーク・パンク以上の話題を集めることになる。しかし、こういったスタイルだけのロンドン・パンク・ブームは短命で終わり、 以降高度な音楽性を持ったニュー・ウェイヴ系のアーチスト達によって、表面上のスタイルだけが受け継がれてゆくことになる。 ピストルズのリード・シンガーであったジョニー・ロットン(左写真)自身も早々にバンドを脱退し、ジョン・ライドンと名前を変え、ニューウェイヴ路線へ転向する。
37 :
帝王アシックス ◆SADSt2kij. :03/07/30 23:27 ID:xpgMDq6u
ここまで読まれますと、パンクの元祖はNYパンクのようですが、 確かにNYパンクのシーンがUKに流れてUKパンクムーブメントが起こったの ですが、UKパンクはNYパンクの持つインテリジェンスでダークな部分をまったく 引き継いでいません。奇抜なファッションやCBGBのシーン、スタイルを 引き継いだくらいでしょうか。NYパンクは当時CBGBで演奏しているでけで その中に入れられてしまうバンドも多いですから、パンクが始まる きっかけではありますが、パンクが生まれたのはUK、ピストルズと考えるのが 自然では無いでしょうか。ロットンやUKの若者が持っていた才能が NYパンクを切っ掛けに爆発して生まれたものがパンクです。
38 :
帝王アシックス ◆SADSt2kij. :03/07/30 23:28 ID:xpgMDq6u
ここから、勘違い君が多いのですが、一般的にはピストルズの起こしたパンクムーブメントは クラッシュ、ダムドを生み、あっという間に終わり、後にパンクは死んだと 言い放ったクラス、それに対してパンクは死んでいないと言い返したプロイテッド やらのUKハードコアへと流れます。UKハードコア?わかりますか? 音的にはパンクをより早く重くシンプルにしたものですね。 また良く言われる、DIYや、政治批判、戦争批判、右翼左翼(これはまた別ですが) 動物愛護といった考えが真剣に歌われるようになったのもこのUKハードコアからです。 先のパンク、ピストルズも確かに政治批判的要素もありますが、まったくの おふざけですね。それに、ピストルズ等の若者はそれ程親身に批判する程の苦は しいられていなかったでしょう。
39 :
_ :03/07/30 23:28 ID:???
41 :
覇王ジュンヤ ◆/4VqRVtt0U :03/07/30 23:30 ID:tLAWP+5Q
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__/ノへ ゝ ___
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http://music2.2ch.net/test/read.cgi/punk/1058104809/ { .|__  ̄ ̄ヾ } アシックスいいこと言うじゃねえか!!
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60年代末から70年代初頭にかけて、アメリカでは急激に進化するブリティッシュ勢の勢いには付いていけず、多くはガレージで練習を始めたような、粗雑な3コード(ロックンロールの基本的曲進行パターン)の演奏をしているようなバンドが数多く存在していた。 しかし、こちらの方が、純粋に本来のロックのエネルギーを持っていたことも確かで、後にこれらのバンド達は、パンクやアメリカン・ハードの原型となっていったのだ。 70年代には、これらのガレージ・バンドも再評価され、MC5やアンボイ・デュークス(写真左)、ブルー・チアー、ストゥージズ、ヴァルヴァット・アンダーグラウンドなどは、後々まで影響力を発揮することになる。 当時アメリカではこれらのバンド達をパンクと呼んでいたが、今では後に出現するニューヨーク・パンクやロンドン・パンクと区別するために、プロト・パンクと呼んでいる。
43 :
帝王アシックス ◆SADSt2kij. :03/07/30 23:31 ID:xpgMDq6u
そうそう、良くある勘違いですが、これは、上記を読まれますと、 ピストルズの起こしたパンクムーブメントはあっという間に終わり次ぎの UKハードコアが始まったかにとれますが、実際は期間は短いながらも 70年代後半から80年代初期までピストルズの起こしたパンクムーブメントは 世界に飛び火して居るのです。ハイ。このシーンを御存知無い方が多いため パンク精神をUKハードコアと同じに考えてしまう方が多いのが現実ですね。 CBGBのシーンがUKにもたらされた訳ですから、パンクは同じように クラブ、100クラブ、MAXWELL HALLもしくは学校などに若者が集まり 音楽を楽しんで居た訳です。そこにUKハードコアのような精神があるはず もなく、多くは単なる目立ちたがりやというバンド達でしょう。 また、このムーブメントに乗っかったパブロックな親父達もいたようですね。 こういったパブバンドはMIRRORS等ですが比較的渋い音をだしています。 ヴァイブレイターズなんかもそうでしょうか?
44 :
覇王ジュンヤ ◆/4VqRVtt0U :03/07/30 23:32 ID:tLAWP+5Q
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__/ノへ ゝ ___
/´ ̄ ̄ .| \´,_ゝ)ゝ `ヽ、>だがしかし
>>37 83点。
>>38 43点だな
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ジュンヤおもんない
46 :
帝王アシックス ◆SADSt2kij. :03/07/30 23:33 ID:xpgMDq6u
このように、ピストルズの起こしたパンクムーブメントは以外にも大きく さらに言ってしまうと、ヨーロッパ、デンマークのSODS、 イギーポップのサポートなんかもしています。やフランスは ELECTOR CHOCやフランスと言えばSKYDOG、DOGS、1984、ASPHALT JUNGLE といったパンクバンドを排出したレーベルもありますね。 JET BOYSなんかはジョニーサンダースと共にライブもおこなった ジョニーサンダースファンの多いフランスの代表的バンドです。 さらに、UKからUSにもちゃんと飛び火してますよ。 SINATRAS、THE ONLYS、SLUGS、SLUGSなんて聞けばすぐ ピストルズの影響が強いのがわかりますよ。 ものすごい数のパンクバンドが生まれたんです。ハイ。 そんなシーンは残念ながら無視されがちですね(泣 さらにはココからネオモッズ、パワーポップと呼ばれる事となる バンド達、シーンが生まれたのですが、パンクからUKハードコアという 流れしか説明されない場合がほとんどでしょうか…
47 :
覇王ジュンヤ ◆/4VqRVtt0U :03/07/30 23:35 ID:tLAWP+5Q
__Λ_ __/ノへ ゝ ___ /´ ̄ ̄ .| \´,_ゝ)ゝ `ヽ、>UKハードコアの精神=パンク精神って思ってる奴なんて { .|__  ̄ ̄ヾ } 本当にいるのか!? i;;',,, r---NO FUTUER,、_,, ,',;:',i .l;';',;,, } /;\ / ヽ / ,;,;;',;l .|;;',;, } ./;;;,, \ / ;;;;;;ヽ ,,;;','i i;',, / /;;,',';; ノ--, ',',;;::',',゙i ,,';';i i;,'; /./,',',';;" / \ ',',',;;,'i ,;',i / / i 、 / ヽ ',;::'、| \ ヽヽヽヾ丿 〈 ヽ'' {//// ```` ト, i | 、 i´´´ |',',;; } ! ',',;;i |,','、 / ヽ',',','| !;;', / !,',;,;'| ゙i',';;;;i |:::;;;i !'' { }'' ! / i, 〉 ヽ、 彡、,,,-‐┘ └ュュュュ
ビートルズの「アビイ・ロード」をチャートから引きずり降ろしたのは、 実はキング・クリムゾンだけではない。ヤードバーズ解散後、新しいメンバーで再出発したジミー・ペイジ(g)のバンド、レッド・ツェッペリンのセカンド・アルバムもまた、 ビートルズを押さえ彼ら初のチャート1位に輝いている。 このツェッペリンのサウンドは、ブルースを基調としながらも、ブリティッシュ・トラッド、ケルト・ミュージック、カントリー、フォーク、ファンクやあらゆる民族音楽などを取り入れながら、 大音量、重低音のドラム、ハイトーンのヴォーカル、独特のギター・リフなどヘヴィメタルの基礎とも言える様式を確立し、 サイケデリック以降のロックの方向性において、もう一方の核となっていった。 その後70年代にはいると、これにつづけとばかり、大音量で派手なパフォーマンスを繰り広げるロック・バンドが急増し、プログレと双璧の一大ブームを形成する。このハードなサウンドのロック全体をハードロックと呼ぶ。 なかでもクラシック・ミュージックを大胆に取り入れ、スピード感のあるサウンドで絶大な人気を獲得したディープ・パープル、黒魔術や悪魔崇拝などダークな世界観を強調し、 宗教的人気を獲得していったブラック・サバスが、群を抜くカリスマ性を持ち、先のツェッペリンと併せてハードロック御三家と呼ばれるようになっていった。
49 :
覇王ジュンヤ ◆/4VqRVtt0U :03/07/30 23:36 ID:tLAWP+5Q
__Λ_ __/ノへ ゝ ___ /´ ̄ ̄ .| \´,_ゝ)ゝ `ヽ、>モッズきもい { .|__  ̄ ̄ヾ } i;;',,, r---NO FUTUER,、_,, ,',;:',i .l;';',;,, } /;\ / ヽ / ,;,;;',;l .|;;',;, } ./;;;,, \ / ;;;;;;ヽ ,,;;','i i;',, / /;;,',';; ノ--, ',',;;::',',゙i ,,';';i i;,'; /./,',',';;" / \ ',',',;;,'i ,;',i / / i 、 / ヽ ',;::'、| \ ヽヽヽヾ丿 〈 ヽ'' {//// ```` ト, i | 、 i´´´ |',',;; } ! ',',;;i |,','、 / ヽ',',','| !;;', / !,',;,;'| ゙i',';;;;i |:::;;;i !'' { }'' ! / i, 〉 ヽ、 彡、,,,-‐┘ └ュュュュ
グラム・ロック 60年代からミュージシャンとして活動するが、まったく芽が出ず、パッとしなかったデヴィット・ボウイ(右写真)は、 いつしか演劇の世界へと足を踏み入れる。しかし、そこで出逢った、やはり売れないミュージシャンのマーク・ボラン(T・レックス/vo)と共に、 この後ロック界全体を揺さぶる一大旋風を巻き起こすことになるのだった。 グラム・ロックのグラムとは=Glamorous=魅惑的なという意味だ。その特徴は、 きらびやかで派手な衣装や中性的な化粧、演劇的なステージ・・・すなわちこの2人の特徴でもある。 2人は70年代初頭より、ほぼ時を同じくして頭角を現し、ルックスなどのビジュアル面とポップなサウンドにより大成功を収め、 あっという間に全英大ヒットを連発する大物スターになっていた。 この2人の成功は、音楽業界全体にもかなりの衝撃を与え、レコード会社はこぞって、お抱えアーティスト達に彼らのマネをさせ売り込もうとした。 その中から出てきたロック・スターには、スイート、スレイド、マイケル・デ・バレス(シルヴァーヘッド/vo)といった、真の実力を持ち合わせていた者達もいた。
51 :
帝王アシックス ◆SADSt2kij. :03/07/30 23:39 ID:xpgMDq6u
さて、ネオモッズですが、これはジャム、もっと前のWHOやsmall faces といったバンドから始まったシーンなのですが、今は黒モッズは置いておきます。 そうですね、やはりジャムが代表でしょう。パンクとの混合といった意味では まさになバンドです。このジャムがあらわれた事でパンクシーンに少し変化が起きます。 若者達がジャムに魅せられパンクからネオモッズのシーンへ走りだしたのです。 パンクはもう古い、今はモッズだよと、しかしながら今までパンクだった訳で 音的にきっちりとモッズを繁栄したバンドは少なくまったくのパンクバンドで スーツ着用しているだけのバンドも多かったのが実体です。 そうですね、CIGARETTESなんて完全にパンクですし、 またユーゴのPEKINSKA PATKAあたりになって来るとネオモッズとパンクが ごっちゃになって伝わったのでようか?スーツ着ておもしろい音を出してますね。 そうそう、NEON HEARTSあたりはパンクからまあ元からパンクとは 少し違った音出してましたが、Circlesというネオモッズに転校した わかりやすいバンドですね。メンバーみるとなるほど流行に乗る 若者達といった雰囲気です。音的特徴というか熱くこみ上げるような 音だしてますかね、ネオモッズは・・
52 :
覇王ジュンヤ ◆/4VqRVtt0U :03/07/30 23:40 ID:tLAWP+5Q
__Λ_ __/ノへ ゝ ___ /´ ̄ ̄ .| \´,_ゝ)ゝ `ヽ、>ピストルズもジャムぱくってたよね! { .|__  ̄ ̄ヾ } i;;',,, r---NO FUTUER,、_,, ,',;:',i .l;';',;,, } /;\ / ヽ / ,;,;;',;l .|;;',;, } ./;;;,, \ / ;;;;;;ヽ ,,;;','i i;',, / /;;,',';; ノ--, ',',;;::',',゙i ,,';';i i;,'; /./,',',';;" / \ ',',',;;,'i ,;',i / / i 、 / ヽ ',;::'、| \ ヽヽヽヾ丿 〈 ヽ'' {//// ```` ト, i | 、 i´´´ |',',;; } ! ',',;;i |,','、 / ヽ',',','| !;;', / !,',;,;'| ゙i',';;;;i |:::;;;i !'' { }'' ! / i, 〉 ヽ、 彡、,,,-‐┘ └ュュュュ
ブリティッシュ・ロックの全盛期 70年代の初期から半ばにかけて、イギリスのロックはものすごい勢いで進化し、隆盛を極める。この時期のイギリスには、 ヘヴィ・メタル・キッズやアトミック・ルースター、クォターマス、カーヴド・エア、ジェントル・ジャイアントなど、いわゆる「中堅ロック」と言われるマイナーだが優秀なバンドも数多くデビューし、 そのほとんどは有名になることなく消えていったのだが、そういった層の厚さがブリティッシュ・ロックを根底から支え、高い音楽性となってロック界を牽引していたのだ。事実ハードロックやプログレに限っては、 この時期アメリカのマーケットでもブリティッシュ勢がほぼ独占状態を続け、特にレッド・ツェッペリン(71年「IV」は現在までのトータル1600万枚/全米ロック・アルバム・セールス1位)やジェスロ・タル(72年「Thick As A Brick」、73年「A Passion Play」2枚連続全米No.1)、 ピンク・フロイド(73年「狂気」は全米チャート150位以内に15年間ランク・イン)などのアルバムは、ことごとく凄まじいセールスを記録していた。 いまだに「ブリティッシュ・ハード」が最高だとか、「ブリティッシュ以外はプログレと呼ばない」などと言っている人達をよく見かけるが、そのほとんどは、この時期からロック・ファンになった熱狂的なブリティッシュ信者だ。
ウエスト・コースト・ロック 70年代前半、アメリカのロックは完全にイギリスに遅れをとり、世界規模で活躍するスターは極端に減った。 当時全盛を極めていたハードロックでは、唯一グランド・ファンク・レイルロード(GFR)が対抗馬として奮闘していたが、プログレにいたっては皆無の状況であった。 しかし、アメリカ国内では、独自のブルージィなサウンドを展開するサザンロックや、カントリーとハードロックを融合させたウエスト・コースト・ロックが大きな人気を呼んでいた。 70年代半ばになると、そのウエスト・コースト・ロックの中から、世界に通用する素晴らしいサウンドへと大きな変貌を遂げた2つのバンドが出現する。その1つは、 メンバーチェンジによってハードさを強めたイーグルス(右写真)で、75年に「呪われた夜」、76年に「ホテル・カリフォルニア」を連続で全米1位に送り込み、世界中にその名を轟かせた。 もう1つのバンドは、75年に初の全米No.1シングル「ブラック・ウォーター」を放ったドゥービー・ブラザーズで、彼らもまた激しいメンバーチェンジで、R&Bやジャズっぽいフィーリングをも身につけ、大成功を収めてゆく。
ブリティッシュ・ハード最後の大物とアメリカン・ハードの2大巨頭出現 70年代半ばになると、隆盛を極めたブリティッシュ・ハード勢も、ほぼすべてのサウンド・アプローチをやり尽くし、 新鮮さを欠いて往年のパワーを失っていった。そんな中、全くそれまでにない独創的なサウンドで、ブリティッシュ最後の砦として頭角を現したのがクイーンだった。 オペラ・ロックと呼ばれる彼らのサウンドは、楽曲、演奏技術、録音技術、歌唱力、完璧なハーモニーなど、すべてが最高水準で、まさに芸術的であった。 75年に発表された4枚目のアルバム「オペラ座の夜」は全英1位/全米4位に輝き、そこからのシングルは、前代未聞の6分にも及ぶ大作「ボヘミアン・ラプソディ」で、 9週連続全英1位という史上に残る大ヒットを記録した。 同じ頃アメリカでも、やっとイギリス勢に真っ向から対抗できるハードロック界のビッグ・スターが現れた。エアロスミスとキッスである。 ミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ/vo)のアメリカ版とも言えるスティーヴン・タイラー(エアロスミス/vo)の爬虫類のような大きな口は、まるでロックを歌うために生まれてきたかのようで、 ブリティッシュ勢が忘れてしまったワイルドさを強烈にアピールした。また、アメリカ版グラム・ロックとでも形容したくなるような、ケバケバ・メイクと度派手コスチュームで登場したキッスも、 ストレートでポップなハードロック・サウンドでビッグ・ヒットを連発。一躍クイーンと肩を並べるほどの存在となり、アメリカのハード・ロックもイギリスと同じレベルに達したことを強く印象づけた。
クロス・オーヴァー 70年代以降、一貫してジャズやR&B、ファンクなど、黒っぽいサウンドを取り入れてきたジェフ・ベック(右写真)は、 ついに75年にリリースした、全面インストゥルメンタル・アルバム「ギター殺人者の凱旋(Blow By Blow)」で、ジャズとロックの融合を成し遂げ、 大成功を収める。 一方アメリカでも、スティーリーダンによって、こちらはヴォーカル入りで、ジャズ・エッセンスを加えたロックが追求されていたが、 76年にリリースした「幻想の摩天楼(The Royal Scam)」で、ほぼ完成の域に達した。 これらのサウンド・アプローチは、70年代初頭に謳歌していたジャズ・ロックとは根本的に違うもので、あくまでもロック・ビートの中にジャス的エッセンスを加えていこうとするもので、 クロス・オーヴァーと名付けられた。 ジェフ・ベックとスティーリー・ダンの大成功によって、以降急激にロック界とジャズ界とのアーチストの交流が盛んになり、ジャズ・ミュージシャン単独によるクロス・オーヴァー・サウンドも出現。 しだいに音楽界全体を巻き込む一大ブームとなっていった。そこで後には、これらを1つの音楽ジャンルと認め、フュージョンという名前がつけられた。
プログレの衰退 プログレ界の大物バンドが解散したり、メンバー・チェンジによって勢いを失いつつある頃、 代わって登場してきたのは、スーパー・トランプ、10cc、キャラヴァン(左のジャケットはキャラヴァンの代表作「ロッキン・コンチェルト」)といったポップ色の強いプログレ系バンド達だった(これらのバンドは、 当時プログレの一種に区分けされていたが、サウンド的には後に登場するアメリカン・プログレに近いものがあった)。 こういった新しい方向性のバンド達の成功により、既に音楽的な行き詰まりを感じていたテクニカル系プログレ・バンド達は、こぞってポップ寄りのサウンドへ追従した。だが、その多くは本来の持ち味を失い、 さらに状態を悪化させていくだけであった。 75年前後には、叙情派プログレの代表バンド達もサウンド的にピーク期を迎え、以降同じようにポップ化への道を歩み、多くは成功することなく衰退する。その後80年代にマリリオンらネオ・プログレッシヴを掲げた連中が現れるまで、 プログレが再びロック界のメインストリームへ位置することはない。
アメリカのロック事情 70年代後半になると、アメリカではエアロスミスとキッスを核に、ハードロック・バンドは続々とニュー・バンドがデビューしたが、クラシック・ミュージックを基礎とした、 複雑で難解なプログレッシヴ・ロックはアメリカの国民には理解できないのではないかと思われていた。現にアメリカのバンド達は、みな一様に明るくポップで単純(悪い意味ではない)なものが多かったし、 イエスやジェスロ・タルなども、アメリカではハードロックへ分類されていたのだから・・・。それがアメリカの国民性と言えばそれまでだが、アメリカでももちろんクラシックを聴く人もいれば、オペラへ通う人だっている。 理解できないのではなく、好きな人が少なかっただけなのだ。それゆえプログレというカテゴリー自体が、あまり浸透しなかったと言えよう。 しかし、早くからプログレ的なアプローチで注目されていたアーチストもいることはいた。75年に登場したジャーニー(左写真)やボストンは、共にハードロックに独特のスペイシーな味付けを施し、他のアメリカン・ハードとは一線を画していた。 70年から活動していたスティックスもまた、75年にプロコル・ハルムやジェスロ・タルの仕事をしていたマネージャーを採用したことで、徐々にサウンドが変化し、プログレ的なエッセンスをちりばめて大成功してゆく。後には、 これらアメリカから出たプログレ・テイストのサウンド・スタイルを、アメリカン・プログレと呼ぶようになった。
プログレ・ハードとでも形容したくなる異端児 上記のバンド達とは別に、アメリカではほぼ時を同じくして、クラシカルなファンタジックさと、 転調、変拍子、複雑な曲構成などを特徴とするカンサスと18世紀文学における宇宙崇拝思想をドラマ仕立てに表現したカナダの3人組ラッシュ(右写真)の出現によって、 しだいに本格的なプログレ・サウンドも認知されだした。カンサスは、77年「永遠の序曲」(Leftoverture)を全米アルバム・チャート5位に送り込み、ラッシュは76年〜78年スペース3部作と呼ばれるアルバムを3枚連続でリリースし話題となった。 だが、彼らの生み出すサウンドはかなりハードで、やはりヨーロッパのプログレとはどこか違っていた。そのため、日本やヨーロッパでは、本家の純然たるプログレとは区別するため、それらをプログレ・ハードと呼んでいる。 当然のことながら、アメリカではそういった区分けは存在しない。
最後のギター・ヒーロー これまでロックの進化とともに、さまざまなギター・ヒーローが登場し、そのテクニックと早さを競ってきたが、 その究極とも言える1人の革命児によって、ギタリスト花形時代は終焉を迎える。そのギタリストとは、ライト・ハンド奏法でロック界のみならず全てのギタリストに衝撃を与えた、エドワード・ヴァン・ヘイレン(右写真)だ。 メジャー・デビュー前から、すでにこの奏法を編み出していた彼は、マネされないようにライヴでは後ろを向いてギターを弾いていたという。 78年に彼が率いるヴァン・ヘイレンがセンセーショナル・デビューするや否や、あっという間にバンド自体もビッグ・スターになり、ライト・ハンド奏法も瞬く間に広まった。 しかし、彼らはまたハードロック最後の大スターでもあり、サウンド自体は極めて古典的で、出現自体がその後のヘヴィ・メタル・ブームを予兆するものでもあった。
ロンドン・パンクの後始末 イギリスでのパンクは、国内の社会情勢(不況)を背景に、うさばらしのはけ口にもなり、他のロックを一掃してしまうぐらいの大ブームを巻き起こした。 それはアメリカでのパンクとは比較にならないほどの影響力を持ち、英国内では、ファッション、アート、映画、ライフ・スタイルなどに至るまで、すべてを変えつくした。 しかし、その実体は初期衝動的な破壊と叫びしかなく、自らそれを悟った元セックス・ピストルズのジョン・ライドン(ジョニー・ロットンから改名)は、PIL(パブリック・イメージ・リミテッド)を結成し、 新たな実験的サウンド・スタイルを全面に打ち出した。そのスタイルとは、知的で観念的な詩、レゲエやダブの導入、リズムの重視など、ニュー・ウェイヴの特徴ともなるものであった。(右ジャケットはPILのメタル・ボックス)
ニュー・ウェイヴの台頭 70年代末期、イギリスではパンク以外のロックは時代遅れの産物として迫害を受け、多くのハードロックやプログレ・バンド達は、 オールド・ウェイヴの刻印を押され解散に追い込まれた。そんな中、逆にこのパンク・ブームを利用してのし上がろうとする知的集団も現れた。 78年にデビューしたポリス(左写真)も、当初はパンク・バンドだと思われていた3人組。実はこの3人、ジャズやプログレ界に精通した、 知力とテクニックを兼ね備えたベテラン・ミュージシャンなのだが、イギリスのこの状況をいち早くキャッチし、わざと自らの技術をひけらかさず、 シンプルな音の中に凝縮またはさりげなくチラつかせ、高度なサウンドを構築した。その結果評論家達にも絶賛され、79年にはセカンド・アルバム「白いレガッタ」が見事全英No.1に輝き、 その後「シンクロニシティ」で全米までも制覇してしまう(全米17週連続1位)。一躍ニュー・ウェイヴの代表的グループとなったことは言うまでもない。 一方、アメリカへ渡り、パンク・ブーム勃発以前からニューヨークのアンダーグラウンドに目を付けていたデヴィッド・ボウイや、彼を取り巻く周辺ミュージシャンも、 既にニュー・ウェイヴ的アプローチを完成させており、この前後に連携をとりながら大活躍した。ブライアン・イーノ(右写真)、ロキシー・ミュージック、イギー・ポップ、ルー・リードなどがその一派だ。 ボウイ自身も76年「ステイション・トゥ・ステイション」(全英5位/全米3位)、77年イーノとイギーも参加した「ロウ」(全英2位/全米11位)、同年「英雄夢語り〜ヒーローズ」(全英3位)、 79年「ロジャー〜間借人」(全英4位)、80年「スケアリー・モンスターズ」(全英1位/全米12位)とニュー・ウェイヴ・サウンドのアルバムを連続で大ヒットさせ、第2の黄金期を迎えている。
アメリカ版ニュー・ウェイヴ ニューヨーク・パンクは、もとからニュー・ウェイヴ的要素が強かったため、パンク・バンドが時代の経過と共にニュー・ウェイヴと呼ばれることも多かった。 中でもデビュー当初はパンクの代名詞だったトーキング・ヘッズやブロンディは、しだいにファンク色を強めニュー・ウェイヴ・バンドとして大成功する。トーキング・ヘッズは、 ブライアン・イーノをプロデューサーに迎え、80年にアフロ・リズムを大胆に取り入れた傑作「リメイン・イン・ライト」を発表し、ニュー・ウェイヴとしての方向性を鮮明にした。 またリーダーのデヴィッド・バーンはソロでも活躍、他のメンバー達も別プロジェクトでトム・トム・クラブを結成し、スマッシュ・ヒットを放った。 一方、ブロンディ(左写真)は、シングル3枚連続全米No.1という偉業をやってのけ、ヴォーカルのデボラ・ハリーはソロでも人気が爆発。そのセクシーな容姿から、 雑誌のグラビアなどにも引っ張りだこだっ た。一時はその唇に多額の保険をかけ話題になったこともある。このデボラ(通称デビー)の出現は、 女性ロッカーの新しいスタイル(男勝りではなくセクシーさを強調)を確立したという点でも見逃せない。 また、クイーンの仕事などで知られる名プロデューサー、ロイ・トーマス・ベイカーを起用していたニュー・ウェイヴ・バンド、カーズ(右写真)は、 デビュー当初からハードロック・ファンとパンク・ファン双方から受け入れられた珍しいタイプのバンドで、70年代の終わりから全米大ヒットを連発。 プロデューサーをAC/DCやデフ・レパードの仕事で有名なジョン"マット"ラングに替えた84年の「ハート・ビート・シティ」では、2曲のトップ10ヒットと、2曲のトップ20ヒットを生み大成功した。
ニュー・ウェイヴの大衆化 イギリスを中心としたヨーロッパでは、80年代に入りニュー・ウェイヴが定着すると、 その中からさらにテクノやノイズ・ミュージックなどが派生していった。 日本からも坂本龍一らによるYMOが日本人としては初の全世界的な成功を収め、 世界中でテクノ・ポップ・ブームが巻き起こった。 それと同時に、ニュー・ウェイヴ界にもグラムと結びついたファッショナブルなバンドが登場し、 アイドル的な人気を獲得してゆくようになる。 ジャパンやウルトラヴォックスは、その筆頭であったが、 まだ音楽的には芸術運動っぽさを引きずった実験的な要素があった。 しかし、しだいにエスカレートすると、最初からテクノやファンキー、レゲエなどを適当にちりばめ、 ポップなサウンドで売れ線を狙うニュー・ウェイヴ系アイドルも現れた。カルチャー・クラブ、デュラン・デュラン、スパンダー・バレエ、カジャ・グー・グー(右写真)などがその代表で、 彼らの音楽スタイルは、ニュー・ロマンティックスと呼ばれた。しかし、これらのサウンドはポップスとの境があいまいなため、しだいにポップス系アーチスト達に吸収され、ロック衰退を助長することになってしまう。
ハードロックのニュー・ウェイヴ ヘヴィ・メタルという言葉自体は、語源は米国の作家ウイリアム・バロウズだとか、 スッテペン・ウルフの「ワイルドで行こう!(Born To Be Wild)」の中で歌われたのが最初だとか言われているが、 実際にヘヴィ・メタルの特徴をもったサウンドが現れだしたのは、 70年代の半ば頃からだ。ヘヴィ・メタル(ヘヴィメタ)すなわち、 全盛期のハードロックの特徴をデフォルメしたサウンドは、ハードロックを聴きながら育った第二世代のためのハードロックであり、ハードロック版ニューウェイヴとも言える。 ヘヴィメタ系バンド達が模範とするサウンドとは、ツェッペリン、パープル、サバスといったハードロックの王道を突き進んだ70年代初頭のビッグ・スター達のヘヴィ・ナンバーであり、 実際ツェッペリンなどは、現役時代後期すでにヘヴィ・メタル・ロックの王者と呼ばれていた。 そして、70年代半ば、ジューダス・プリーストの台頭により、1つのサブ・ジャンルとしてヘヴィ・メタルが確立されたと言えるだろう。 ブリティッシュ・ハードの後継者として74年にデビューしたジューダス・プリーストは、最初からオリジナリティを追求するよりも黄金期のハードロックの格好良さをどんどん取り入ることに専念し、 76年に発表したセカンド・アルバム「運命の翼」(左上ジャケット写真)で、ほぼヘヴィ・メタル・サウンドの原型を完成させた。 同じ頃アメリカでも、ガレージ・ロックから発展したヘヴィ・サウンドをさらに進化させたブルー・オイスター・カルトが、ヘヴィ・メタルの祖として活躍する。
NWOBHM イギリスでは70年代後半、パンク&ニュー・ウェイヴ一色に染まり、それまでのロックは皆、衰退の一途をたどっていった。 中でもハードロックは、旧世代の代表としてオールドウェイヴの烙印を押され、マーケット上での衰退が著しかった。 しかし、こういったパンク・ブームを善しとしないハードロック・ファン達は、70年代末期頃になると、ついに立ち上がり「聞くものがないなら自分たちで演ってやる!」とばかりに、 次々とバンドを結成しアンダーグラウンドで活動を始めた。その後、その中の1つ、ロンドンのインディーズ市場で絶大な人気を得ていたアイアン・メイデン(右写真)が80年にメジャー・デビューすることによって、 しだいにヘヴィメタル人気はムーブメントの様相を呈し、80年代半ば頃までには、音楽シーン全体をも揺るがすような一大ブームとなっていった。 彼らは、オールド・ウェイヴと言われることに反発し、NWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)の名の下に集結。古き良き時代のブリティッシュ・ハードを近代風に再現した。 この時期活躍したNWOBHMのバンドには、デフ・レパード、ワイルド・ホーシズ、MSG(マイケル・シェンカー・グループ)、タイガース・オブ・パンタン、サクソンなどがいた。
LAメタル・ブーム到来 80年代前半、イギリスで再び勢いを取り戻したヘヴィ・ロックは、しだいにロニー・ジェイムスディオが加入したブラック・サバスやイアン・ギラン(元ディープ・パープル/vo)率いるギラン、 オジー・オズボーン(元ブラック・サバス/vo)、ゲーリー・ムーア(元コラシアムII〜シン・リジィ/g)、モーター・ヘッドなどのベテラン勢や、オーストラリアのAC/DC、フランスのトラスト、 ドイツのスコーピオンズなど世界各国のヘヴィメタ系バンドも巻き込んで、80年代半ば頃には、ついに北米市場へも影響を及ぼすまでに成長する。日本からもこの時期、和製メタルの牽引者ラウドネスがアメリカ・デビューを果たし大活躍した。 全米へ渡ったヘヴィ・メタルは、モトリー・クルーやガンズ・アンド・ローゼズ(右写真)といったアメリカのビッグ・スターが出現することよって一気に人気が爆発。その後もたくさんのフォロワーが続々と登場した。 中でもロサンゼルスから、ラット、ドッケン、W.A.S.P.、グレイト・ホワイトなどの人気バンドが多く出たことから、これらをL.A.メタルと呼ぶようになり、以降アメリカ全土へ広がったヘヴィメタル・ブームは、L.Aメタル・ブームと共に栄枯盛衰するのであった。 また、このブームにのったレコード会社の策略で、ハード・ロックまでもが「HM/HR」という具合に一緒くたにされて強力に売り出され、ボンジョヴィやホワイトスネイクといった、 ヘヴィメタルとは一線を画すバンドまでもが頭角を現すのであった。やがてこれらのメロディアス・ハード&メロディック・メタル・バンド達は、ヘヴィ・メタルに取って代わる存在となる。
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無料動画直リン :03/07/31 00:14 ID:vYpghed0
ネオ・プログレッシヴ ヘヴィ・メタル・ブームと時を同じくして、プログレもまた新しい世代の活躍により息を吹き返していた。 こちらはヘヴィ・メタルのように派手なブームにはならなかったが、宗教的な広がりをみせ、マニアックな世界を形成した。 特にネオ・プログレッシヴの旗手と騒がれたマリリオンの出現以降は、世界各国で細々と活動していたプログレ・バンドも脚光を浴びることとなり、 ヨーロッパ諸国の他、アメリカや南米にまで注目が集まった。 また、すでに「プログレッシヴ=革新的」という言葉が当てはまらない、古いプログレ・サウンドの様式美を踏襲したこれらのバンド達の音楽は、 プログレのニュー・ウェイヴという意味でPomp Rockポンプ(盛儀)・ロックと呼ばれるようになっていった。 この時期活躍したポンプ・ロック・バンドは他に、ペンドラゴン、イッツ・バイツ、CASTなどがいる。 (左写真はvo.がスティーヴ・ホガースに替わり、ニュー・ウェイヴ色を強めていったマリリオン)
スーパー・ギタリストの出現 エドワード・ヴァンヘイレン以降、ロック・ギタリストのスーパースターは出現せず、 ヘヴィ・ロック・バンドにおいても、そのほとんどがヴォーカル中心のバンドと化していた。 ところが、元ブラック・サバスのオジー・オズボーン(vo)が80年にソロデビューし、 ランディ・ローズ(元クワイエット・ライオット)、ジェイク・E・リー、ザック・ワイルドなど、 スゴ腕のギタリストを次々と発掘し登用するようになってから、様相はしだいに変わり始める。 そして、アルカトラスで名を上げたスーパー・ギタリスト、イングヴェイ・マルムスティーン(右写真)が84年にソロ・デビューを果たしたのを契機に、 第2次ギタリスト花形時代とも言うべきスーパー・ギタリスト・ブームが勃発。 その後、アルカトラスでイングヴェイの後釜に起用されたスティーヴ・ヴァイや、 そのオーディションで惜しくも破れたクリス・インペリテリ、イングヴェイの亜流という批判も浴びたネオ・クラシカル・タイプのヴィニー・ムーア、 ヴァイにギターを教えた師匠ジョー・サトリアーニ、再結成カンサスのスティーヴ・モーズ、 再結成UFOのアトミック・トミーMなど、次々とスーパー・プレイヤーが出現した。 彼らはみな70年代のスーパー・ギタリストとは違い、常に前面に出過ぎるようなことはなく、 バンドの1員として、あるときはバックに徹し、あるときはスーパー・プレイを披露する。 また、どんなジャンルの音楽でも弾きこなし、ライト・ハンド奏法は当たり前のように取得していたのが特徴だ。
メロディック・メタル・バンドの台頭 80年代半ば、ヘヴィ・メタル・ブームが本格化し、同じようなタイプのバンドが音楽マーケット上でひしめき合うようになると、 しだいにメロディのよい、ある程度ポップでキャッチーなサウンドのヘヴィメタ・バンドがヒットチャートを賑わすようになる。 アメリカでは日本で一足先に大人気となっていたボン・ジョヴィ(左写真)が本国でも認められ、86年アルバム「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」は全米9週連続No.1、800万枚というとてつもないセールスを記録。 イギリスのデフ・レパードも、87年アルバム「ヒステリア」で全米1位、600万枚というビッグ・セールスを記録した。 両バンドとも、風貌はヘヴィメタ・バンド風なのだが、サウンドはポップでキャッチー、悪い言い方をすると、ヘヴィメタ版産業ロックとも言えるものであった。 しかし、この2つのバンドの大成功によって、ヒットチャート上でもロックが復権したことは確かであり、後続のバンド達にも大きな影響を与えた。 そして80年代後期には、彼らを追うメロディアス系のヘヴィメタ・バンドが次々と登場し、ポイズン、スキッド・ロウなど、ヘヴィメタ・アイドルまでが出現。 90年代初頭までメロディック・メタルの一大ブームを引き起こすのであった。
スラッシュ・メタルとデス・メタル メロディアス・ハードやメロディック・メタルの連中までも含んだヘヴィメタル・ブームが盛り上がる中、 逆に純粋なメタルの特徴であるタテノリ・ビートを誇張したスピード感あふれるバンドも、マニアの間で人気を呼んだ。 80年代半ば、ざくざくと切り立ったリフとタテノリ・リズムのエッジの鋭さを持つ、メタリカ(右写真)、スレイヤー、メガデス、アンスラックスといったバンドの出現で、 これらの純粋培養メタルは一気に火がつき、スラッシュ・メタルと呼ばれ他のHM/HRバンド達と差別化された。 Slash(スラッシュ)とは、「鞭打つような速いビート」という意味が込められている。 また、80年代後半になると、スラッシュ・メタル勢の中でも特にスレイヤーの持っていた「速い、うるさい、怖い」という特徴を誇張し、 さらに激烈なギターリフとブラスト・ビート(爆音)、激しく割れ歪んだヴォーカルを前面に押し出した、デス・メタルというサブ・ジャンルまで登場した。 中でもセパルトゥラ、デス、オビチュアリー、ディーサイドなどが80年代後半〜90年代初期にかけて注目を浴びた 。
オルタナティブ・ロック 80年代前半からインディーズで地道な活動を続けていた音楽マニア集団的バンドのソニック・ユースが、 89年にメジャーのゲフィン・レコードと契約し大成功を収めたことがきっかけとなり、オルタナティブ・ロックがクローズ・アップされるようになる。 デビュー当初は即興のギター・ノイズを大音量で演奏するだけであった彼らは、しだいにレゲエ、現代音楽、パンクなどを吸収し、 実験を繰り返しながらアルバムを発表しつづけた。その先の成長というセールス主義の考え方より、実験そのものが彼らにとって重要だという点が他と違っていたのだ。 彼らはメジャー・レーベルと契約後も一般市場をまったく無視したソロ活動などを自由に行えるような形態をとり、他のインディーズ系アーチストからも手本として崇められている。 その後もR.EM.、ナイン・インチ・ネイルズなど続々とインディーズ出身のバンドが頭角を現し、94年ベック(左写真)の出現でオルタナティブ全盛期を迎える。 すべての音楽の断片を手当たり次第張り合わせていく、ベックのジャンク・アート的手法は、情報が洪水のごとくあふれる現代社会を投影し、ルーズでメリハリのないサウンドは「脱力系」と呼ばれ、 社会が成熟しきって目新しいものがなくなってしまったことによる、現代人のやる気のなさを象徴していた。
シアトルから発生したグランジ・ロック オルタナティブ・ロックの中には、パンクの精神を受け継ぎ、華美な衣装に身を包み豪華なステージを披露するヘヴィ・メタルには批判的な連中も多かった。 アメリカ西海岸では特にパンク・ロックが根強い人気を保ち、ロス、サンフランシスコ、シアトルといった大都市ではローカルなパンク・シーンでインディーズ・バンド達がたくさん活躍していた。 またシアトルはジミ・ヘンドリックスの故郷でもあり、60年代や70年代初頭のハード・ロックが自然に聞こえてくる町でもあったため、 パンクとハード・ロックが混じり合うこともあたりまえなことであった。 そのシアトルから出現したオルタナティブ・バンドのニルヴァーナは、ビートルズのメロディー・センスとブラック・サバスのヘヴィネスさを併せ持ったパンク・サウンドで、 91年にアルバム「ネヴァー・マインド」を発表し驚異的な大ヒットを記録する。同時期に同じシアトル出身のパール・ジャムも大活躍したこともあって、 一躍シアトル周辺のバンド達に注目が集まり、彼らのことをシアトル・ロックと呼ぶようになった。 その後このヘヴィ・メタルに対抗する勢力にパンク・バンドも加わり、アメリカのパンク・ブームとも言うべき「グランジ・ロック」の一大ブームが全米規模で沸き起こる。 また、ニルヴァーナの中心人物であったカート・コバーン(vo)の、擦り切れたカーディガンに穴の開いたスニーカーといったボロボロな服装がグランジ・ファッションとしてもてはやされ、 ストリートはもちろん、パリ・コレクション、ニューヨーク・コレクションといった世界的なファッション・ショーにまで影響を及ぼした。
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覇王ジュンヤ ◆/4VqRVtt0U :03/07/31 00:32 ID:D2nyCW9r
__Λ_ __/ノへ ゝ ___ /´ ̄ ̄ .| \´_ゝ)ゝ `ヽ、>もういいって、いつまでやんだよ { .|__  ̄ ̄ヾ } i;;',,, r---NO FUTUER,、_,, ,',;:',i .l;';',;,, } /;\ / ヽ / ,;,;;',;l .|;;',;, } ./;;;,, \ / ;;;;;;ヽ ,,;;','i i;',, / /;;,',';; ノ--, ',',;;::',',゙i ,,';';i i;,'; /./,',',';;" / \ ',',',;;,'i ,;',i / / i 、 / ヽ ',;::'、| \ ヽヽヽヾ丿 〈 ヽ'' {//// ```` ト, i | 、 i´´´ |',',;; } ! ',',;;i |,','、 / ヽ',',','| !;;', / !,',;,;'| ゙i',';;;;i |:::;;;i !'' { }'' ! / i, 〉 ヽ、 彡、,,,-‐┘ └ュュュュ
メタル・ブームの終焉とプログレ・メタルの登場 過去にもイギリスでパンクがハード・ロックを一掃したごとく、90年代に入るとアメリカではグランジ勢によってヘヴィ・メタル勢は、ほぼ壊滅状態にまで追いやられた。 わずかに残る優秀なメロディック・メタル・バンドでさえ、日本やヨーロッパを避難場所として細々と活動をつづけるしかなかった。 しかしその状況下、ヘヴィ・メタルとプログレッシヴ・ロックを組み合わせ、独自のサウンドを構築する新たなる動きが起きていた。 88年に初のトータル・コンセプト・アルバム「オペレーション・マインド・クライム」を発表するクイーンズ・ライチや、89年に登場するドリーム・シアター(左写真)達がその代表だ。 デビュー直後には決して順風満帆ではなかった彼らは、その後も地道に活動を続け、プログレ・メタルという新しいサブ・ジャンルを切り開くにいたった。 そして、90年代半ば頃までにはやっと一般の評価も高まり、次々と大ヒット作を生み出してゆく。その後、彼らのフォロワーも続々と登場し、 それと同時に、プログレッシヴ・ロックという音楽自体にも再び注目が集まっている。
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s :03/07/31 00:35 ID:H5X6y+cb
そしてスタンスパンクスと言う偉大なバンドが現れた
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@ :03/07/31 00:37 ID:H5X6y+cb
78 WWW
ハウス・ミュージック 70年代末期〜80年代初頭に流行していたテクノ・ポップは、メジャー音楽シーンではファンキー・サウンドなどに押され姿を消してゆくが、 アンダーグラウンドでは「テクノ」や「ノイズ・ミュージック」として脈々と息づき、80年代後期になっても「ハウス」と呼ばれクラブ・シーンで人気を得ていた。 一方、80年代半ばからシカゴを中心に流行したブラック系のリミックスを主体とするサウンドもシカゴハウスと呼ばれいっしょくたにされていたが、しだいに整理され、 ヴォーカルや生演奏などを排除した純粋な音響志向ハウスをトランス、さらにその内ダンサブルでないものをアンビエントと呼ぶようになっていった。 これらのハウス・ミュージック愛好家達は、80年代半ば頃から倉庫などでパーティーを開き自由な形で踊り狂うようになり、 しだいに様々な思想、テクノロジー、薬物などが入り乱れ、かつてのヒッピーと近似した精神性を持つに至った。 さらに90年代初頭にはこうした動きがエスカレートして、1万人規模に達する屋外パーティーまで開かれるようになり、1つの社会現象としてレイヴ・カルチャーとも呼ばれた。 そんな中、ロック界からもサイケデリックの生き残りとして細々と活動を続けてきたホークウインドが、再び脚光を浴び久々のヒット作を放った。 これらのハウス・ミュージックは、ロックとは切り離され、その後も細分化しながら独自の進化をつづけているが、 その起源が70年代のジャーマン・ロックやブライアン・イーノが創造した実験音楽あたりにあることは明白で、ロックの副産物と言えなくもない。
コピペ豚寝てやがんのwwww またもや帝王の勝利です!!!イエス!!ピッグファッキン!!!イエアー!!
83 :
NO-FUTUREさん :03/07/31 13:08 ID:IH6lytAC
だれかースケボーのスレッドたてて
こうして見てみるとパンクも大した事無いな。
86 :
山崎 渉 :03/08/02 02:09 ID:???
(^^)
87 :
山崎 渉 :03/08/15 16:30 ID:???
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
パンクの歴史は終わりました。ダサ・・・。
89 :
NO-FUTUREさん :03/08/15 19:40 ID:HVqZRHJo
少なくとも日本のはネ・・・・。昔からやってるバンド(POTSHOTとか)は別だけど
そんな釣りありかよ。
あげ
これを見るとパンクって音楽的に一体何を生み出したんだろうと考えてみると切ない・・・。
やっぱり70年代のスーパー・ギタリスト時代が一番活気があったな。
>>98 そうだね。オーラと言うか何と言うか・・・存在感が光ってたね。
これはパンクスには絶対に無いしな。
>>100 ん〜んだんだぁ〜。
メタル最高だべや。
36 名前: NO-FUTUREさん 投稿日: 03/12/07 21:01 ID:ykCf1gSY 厨房ってコックさんですか? 37 名前: あなたの後ろの呪縛霊 投稿日: 03/12/07 21:02 ID:ykCf1gSY コックさんだよね? 41 名前: あなたの後ろの呪縛霊 投稿日: 03/12/07 21:43 ID:ykCf1gSY 2ch用語って意味不明ですね。 もっと普通に日本語使おうね。 キモオタ君。 42 名前: NO-FUTUREさん [age] 投稿日: 03/12/07 22:00 ID:??? 厨房は台所や調理場をさす言葉であって 決して調理人やコックさんをさす言葉ではない。 2ch用語以前に日本語を覚えることが先だと。 50 名前: あなたの後ろの呪縛霊 投稿日: 03/12/07 22:14 ID:ykCf1gSY では中坊の意味ではないのですね? 人を指す言葉ではないのですね? 台所ってパンクだよね・・・で、 こんなに必死になってるパンクスって一体なんでしょうか? 馬鹿ですか?貴方達?
103 :
NO-FUTUREさん :03/12/09 00:53 ID:yCrKOKbO
36 名前: NO-FUTUREさん 投稿日: 03/12/07 21:01 ID:ykCf1gSY 厨房ってコックさんですか? 37 名前: あなたの後ろの呪縛霊 投稿日: 03/12/07 21:02 ID:ykCf1gSY コックさんだよね? 41 名前: あなたの後ろの呪縛霊 投稿日: 03/12/07 21:43 ID:ykCf1gSY 2ch用語って意味不明ですね。 もっと普通に日本語使おうね。 キモオタ君。 42 名前: NO-FUTUREさん [age] 投稿日: 03/12/07 22:00 ID:??? 厨房は台所や調理場をさす言葉であって 決して調理人やコックさんをさす言葉ではない。 2ch用語以前に日本語を覚えることが先だと。 50 名前: あなたの後ろの呪縛霊 投稿日: 03/12/07 22:14 ID:ykCf1gSY では中坊の意味ではないのですね? 人を指す言葉ではないのですね? 台所ってパンクだよね・・・で、 こんなに必死になってるパンクスって一体なんでしょうか? 馬鹿ですか?貴方達?
>>103 Desecrators / DESTRUCTIONは素直に格好良いなぁ〜。
36 名前: NO-FUTUREさん 投稿日: 03/12/07 21:01 ID:ykCf1gSY 厨房ってコックさんですか? 37 名前: あなたの後ろの呪縛霊 投稿日: 03/12/07 21:02 ID:ykCf1gSY コックさんだよね? 41 名前: あなたの後ろの呪縛霊 投稿日: 03/12/07 21:43 ID:ykCf1gSY 2ch用語って意味不明ですね。 もっと普通に日本語使おうね。 キモオタ君。 42 名前: NO-FUTUREさん [age] 投稿日: 03/12/07 22:00 ID:??? 厨房は台所や調理場をさす言葉であって 決して調理人やコックさんをさす言葉ではない。 2ch用語以前に日本語を覚えることが先だと。 50 名前: あなたの後ろの呪縛霊 投稿日: 03/12/07 22:14 ID:ykCf1gSY では中坊の意味ではないのですね? 人を指す言葉ではないのですね? 台所ってパンクだよね・・・で、 こんなに必死になってるパンクスって一体なんでしょうか? 馬鹿ですか?貴方達?
36 名前: NO-FUTUREさん 投稿日: 03/12/07 21:01 ID:ykCf1gSY 厨房ってコックさんですか? 37 名前: あなたの後ろの呪縛霊 投稿日: 03/12/07 21:02 ID:ykCf1gSY コックさんだよね? 41 名前: あなたの後ろの呪縛霊 投稿日: 03/12/07 21:43 ID:ykCf1gSY 2ch用語って意味不明ですね。 もっと普通に日本語使おうね。 キモオタ君。 42 名前: NO-FUTUREさん [age] 投稿日: 03/12/07 22:00 ID:??? 厨房は台所や調理場をさす言葉であって 決して調理人やコックさんをさす言葉ではない。 2ch用語以前に日本語を覚えることが先だと。 50 名前: あなたの後ろの呪縛霊 投稿日: 03/12/07 22:14 ID:ykCf1gSY では中坊の意味ではないのですね? 人を指す言葉ではないのですね? 台所ってパンクだよね・・・で、 こんなに必死になってるパンクスって一体なんでしょうか? 馬鹿ですか?貴方達?
>>107 =108
ボク達さ、ここはそういうスレじゃないからさ・・・
折角の良スレを幼稚園児の遊び場にしないでね。
>>110 残念だがパンクの事は少ししか紹介されてないけど・・・。
>>110 良スレと言う割には随分放置されてる訳だが・・・。
途中でチャチャ入れてる奴もウザイな。マジで。
>>115 良スレでAgitationは止めて下さい。
>>116 呪ってやつも同じような事してるから
仕方ないんじゃないかな?
呪ってやつがパンク板来なくなれば収まるんじゃないの?
メタル板行っても意味無いぞ。 メタル板で呪なんて言っても判らないんだから・・・。
36 名前: NO-FUTUREさん 投稿日: 03/12/07 21:01 ID:ykCf1gSY 厨房ってコックさんですか? 37 名前: あなたの後ろの呪縛霊 投稿日: 03/12/07 21:02 ID:ykCf1gSY コックさんだよね? 41 名前: あなたの後ろの呪縛霊 投稿日: 03/12/07 21:43 ID:ykCf1gSY 2ch用語って意味不明ですね。 もっと普通に日本語使おうね。 キモオタ君。 42 名前: NO-FUTUREさん [age] 投稿日: 03/12/07 22:00 ID:??? 厨房は台所や調理場をさす言葉であって 決して調理人やコックさんをさす言葉ではない。 2ch用語以前に日本語を覚えることが先だと。 50 名前: あなたの後ろの呪縛霊 投稿日: 03/12/07 22:14 ID:ykCf1gSY では中坊の意味ではないのですね? 人を指す言葉ではないのですね? 台所ってパンクだよね・・・で、 こんなに必死になってるパンクスって一体なんでしょうか? 馬鹿ですか?貴方達?
125 :
呪 :03/12/09 01:56 ID:???
>>121 荒らしてもメタラーに相手にされて無いアホ。
惨めだねぇ〜。情け無いねぇ〜。
0000000000
127 :
NO-FUTUREさん :03/12/10 00:36 ID:+S2uxBl6
良スレが・・・荒らされてる・・・。 悲しい・・・。
>>127 バカメタラーのせいだね。
通報してみる?
129 :
NO-FUTUREさん :03/12/10 00:58 ID:+S2uxBl6
>>128 でもここってメタラーが立てたんでしょう?
130 :
NO-FUTUREさん :03/12/10 00:59 ID:+S2uxBl6
て言うか、荒らしてるのコイツじゃん↓ 124 名前:粘着体質の呪くんの知性の限界・・・ 投稿日:03/12/09 01:53 ID:???
131 :
NO-FUTUREさん :03/12/10 01:04 ID:+S2uxBl6
アホが多過ぎるよ。パンク板は。
>>132 パンク板荒らしてるのは、パンクス自身らしいが・・・?
>>133 関係の無い他版も荒らしてるからな。アホだな。
今HNKで放映中。
次回は、パンクのくだらない思想を反映した パンク板の隆盛に付いて・・・。 キモオタの隆盛と跳梁跋扈の浅ましき経過に付いて・・・。
BOZOの登場。
139 :
NO-FUTUREさん :03/12/12 20:56 ID:nb0thMvY
>>30 32 33 34 36
どこ情報ですか?教えて下さい
折角の良スレが・・・。
ここはもう荒らさないでね。