多重人格について教えて

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178名無しさん@お腹いっぱい。
順番に説明するにゃ。

まず大前提としなければならないのは、霊魂や魂、あるいは
それに相当するものの存在を無邪気に仮定してはいけないということ。
ここが噛み合わないと以後の話がおかしくなるので、そこんとこ夜露死苦。

さてと、あなたは手を広げて空を自由に飛べるだろうか?
我々は望むと望まざるとにかかわらず、物理的な制約を受けている。
心理学板でもよく問題になることではあるが、人間の心的装置、つまり
脳を含めた神経のネットワーク、及びそれを取り巻く環境も
残念ながら物理的な拘束を免れることは出来ない。
これは霊魂の存在を無邪気に信じない上での当然の帰結。

さて、以上の上で、「人格」とはいったい何であろうか。
ここで一番やってはいけない間違いは、人格を所与のものとして扱うこと。
これは最初に否定したはずの「霊魂」が名前を変えて帰ってきただけだからだ。
「無邪気に存在を仮定しない」。この態度は大前提。
いまここに我々が確かに存在すること、そして物理的なものがその基盤にあり、
物理的なものが基盤にあれば、有機体の活動には必要十分であること。
そう考えれば「人格」という概念そのものの実在が疑わしいということになる。

では「人格」概念はどこから生まれてきたのか?
「心はどこにあるのか」スレでも触れられていることだが、どうやら我々には
「自分自身を統一性のある実体として認識したがる」傾向があるらしい。
「人格」概念は、自分自身を認識する際に犯しがちな誤りの一つだと言える。
「人格」とは、今まで「自分」(と認識している境界の内部)がたどってきた歴史を元に、
「自分」という言葉の中に、何か統一された存在であると信じさせてくれる言葉でしかない。
(続く)