アフォーダンス

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386名無しさん@お腹いっぱい。
「自由意志によって選択した」と感じることと,
それが実際に「自由意志による選択」であることは違う。

環境ときちんと相互作用していない選択は偶然か,
あるいは間違い(無意味)。複数の行動がたとえば強化随伴性
の中で持つ意味が違い,それがきちんと機能しているなら
選択内容は「環境によって決定」される。それが
「自由な選択である」と感じるかどうかは強化随伴性の
性質で決まる。

オペラント条件づけで「自由選択を学習させる」,ってことを
障害児教育でやっているよね。自由選択という概念や,
自由に何かを選択するという行動自体が,環境の構造によって
学習されるものなんだよ。つまり,環境によってコントロールされるが,
「自由意志の感覚が随伴して生じる」ような行動が存在する,
というだけの話。

こういう議論にほんとに興味があるなら,心理学より
分析哲学などの本を読んだほうがいい。自由意志が実在するか否か,
という問題は,現実についての議論ではなく,「自由意志」という
言葉の用法の問題である,ということがすぐわかるだろう。
387名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/03(金) 06:51
創造性の問題でも,心理学者は創造性を「環境にコントロールされない,
自由意志による行動」と定義してきたが,その結果,創造性と「でたらめ」
を区別できない,という問題に突き当たった。

でたらめでないためには,その行動が環境の中できちんと機能している
必要がある。しかし,その行動が環境の中で機能しているなら,
それが強化随伴性でコントロールされている(過去の経験によって
学習されている)可能性が高まってしまう。

創造的,と考えられる行動のほとんど,あるいはすべては,
過去の経験によって学ばれた行動であっても,本人,
あるいは周囲の他者がそれが学習された経緯を知らない,
あるいは意識していない場合だろう。

あとは「偶然」生じた行動が,偶然にうまく機能した場合に
「創造的」と呼ばれる場合があるかもしれない。でもその場合は,
その行動や行動の結果は「脳にとっても」偶然なわけで,
脳がそうした志向性とかなんとかを持っているわけではないだろう。
そして,その行動が次に起きるかどうかは,その結果によって
(強化随伴性によって)コントロールされるだろう。
創造的な行動は二回目からは創造的でなくなるのか?

「創造性」なんて問題も,それが客観的事実として存在するかどうか
というより,創造性という言葉はどう使用されるのか,という問題だと思う。
388名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/03(金) 07:07
「決定論」に関していえば,環境による決定論でないものは,
環境以外のものによる決定論であるに過ぎない。私が決定論者であり,
君が決定論者ではないのではなく,君は脳による決定論者で
あるに過ぎないのでは?

で,脳という至近要因による(決定論的)説明が,環境という
究極要因による説明と補い合わなければ無意味であることは,
前に縷々説明したとおり。