アフォーダンス

このエントリーをはてなブックマークに追加
679164
 一言いっておくと、用語の定義の問題のために、多くの人々が肝心の本題に入る前に
その問題で疲弊してしまうのだ。これはその学問の進歩を妨げる大変な弊害だ。
もちろん、同じことが哲学でも生じており、これがいわゆる素人を哲学から遠ざける
大きな要因になっている。
 今回の問題でも、私の方から「自発性」を「明確な誘発刺激が存在しないにも
かかわらず生起する行動」と言えればよかったのかも知れないが、私は用語定義の
問題をあらかじめ知っているからこそ、なるべく概念を用いない説明方法、つまり
例を示すという方法を採るのだ。この方法はたしかに能率は悪いかもしれないが、
初学者や部外者諸氏が専門家と対話する際に用いる方法として有効ではないかと
思う。

 さて、なぜかここに来て、
>だから俺は「アフォーダンス」(環境が持っている情報),「オペラント条件づけ」(個体が情報を
>取り出す仕組み),進化(その仕組みが作られた経緯)の三題話でまとまると思うわけよ。
の意味が突然分かってしまったが、しかし、これで解決したわけではない。今までに
述べた「自発性」の概念に基づく研究は今から始められるべきなのだ。

 純粋な自発なんてものは考えられないが、出生直後の赤ん坊はまず呼吸ができる。
呼吸は遺伝的プログラムによって発達を遂げた個体に付与される自発的な行動だ。
呼吸に限らず、出生直後には遺伝的にプログラムされている、さまざまな自発的な
行動が現れる。これらの行動によって、「オペラント条件付け」の仕組みでも
なんでも構わないのだが環境の情報が取り出されていく。そして、取り出された
情報は直ちに生体によって利用される。泣けば母親が飛んでくる、だから母親を
呼ぶために泣くようになるのだ。私はこれを条件付けとは呼びたくない。赤ん坊は
泣けば母親が飛んでくることを「理解し」、直ちにその「知識」を利用して母親を
呼ぼうと「意図して」泣くのだ。これはオペラント条件付けの説明とは全く違うはずだ。
それは、われわれは刺激によって駆動されて反応するのではなく、脳が刺激と行動を
ドライブしている、という考えが根底にあるのだ。ミミズも同じ。ミミズには中枢
神経系はないが、各体節の局所の神経細胞群が自発的に活動して行動が起こされた結果、
感覚器官が受け取った外界から帰ってくる情報を利用しているのだ。
 当初は多少、私も「自発性」と「意図」で混乱したかも知れないが、自発的な
行動によりごくわずかでも情報が取り出されると、直ちにその情報を利用して
「意図」する行動がとられるようになる。そして、われわれのように一応成熟すると、
すでに膨大な情報を獲得しているので、「自発的な」行動の後ろには常に「意図」が
控えていると言えるようになる。

 私は「自発性」というものを行動の基本に据えることにより、少なくとも条件付け
とは全く異なった行動に対する展望が開けるものと考えている。