アフォーダンス

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しばらく時間をおいたので、多少は考え方も変わっているかも知れない。が、
それは自分では知ることのできないことなのかも知れない。
一応、443はここで長らくおつきあいいただいた、行動主義者にしてアフォーダンスとの
一致点を見いだしている心理学者と見て話を進める。私は唯脳論者にして認知主義者であり、
観念論の立場に見せかける方法はすでに破棄したのは前述の通り。

どうも椅子とかドアのノブ、高性能トラックという具合に、最初からある目的を
持って製作された人造物が例に挙げられるのが気に入らない。それは本来の
アフォーダンス以外に制作者の意図も侵入しているので、話が混乱するのだ。
岩の間に開いたわずかな間隙、ある程度の高さをもつ岩、という具合にもっと
自然界にある事物でものを考えようではないか。

岩の間に開いたわずかな間隙を、われわれはどうしてくぐり抜けられるかどうかと
いうことを知るのか? ネコの身体は柔軟だ。彼らは自分の頭部さえ抜ければ
全身が抜けられることを「経験から知って」いる。逆にいうと、自分の頭部が
抜けられそうにない間隙は通り抜けようとはしないだろう。これは、自分の頭部の
大きさを「あらかじめ知って」いなければできないことだ。これを、ネコが自分の
頭部の大きさに関する表象をあらかじめ脳内にもっていて、その表象の大きさと
現実の岩の間隙の大きさを比較しているからできるのだ、と言ったらなぜおかしい
のだろう?