アフォーダンス

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 私も言葉の使用において多くの間違いを犯してきたし、解釈の間違いも
あった。これは認める。しかし、その間違いが指摘されるだけで
私自身が提起した問題の本質にはあまり応えてこられなかったと感じて
いる。
 以下、今までに私がここで提起してきたが応えられてこなかったと
感じている問題の一部を改めて提起してみる。
1)交差した足に挟まった1本の杭は2本であるかのような錯覚を生む。
2本の杭に挟まれた状態は「捕らわれた」というアフォーダンス?を
持つが、現実は遠ざかれば済む1本の杭に接触しているだけである。
この錯覚が「捕らわれた」というアフォーダンスを持つので逃げられ
ないと感じるのは重大なことではないのか?(アフォーダンス?で
示したのは用法に自信がないため)

2)ボールを持とうとする時の手の形と、壁をおそうとする時の手の
形は違う。これは、あらかじめ脳内に表象が形成されていないとでき
ないことではないのか?

3)私は脳は環境と独立で、脳が感覚と運動をドライブしているという
信念を持っている。「信念」という言葉を使うのは私としてはかなり
譲歩した言い方である。しかし、この信念をうち砕く事実なり理論は
まだ呈示されていない。

4)405に対しては、結局アフォーダンスは脳が解釈すること、それで
いいのか?

5)直接知覚の問題。これはまだ未解決と認識している。

6)自由意思や意図、自発性については今論じている最中。