アフォーダンス

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>>>394
さてそれで、「自発的」についてだが:

>>心理的にどう思った、楽しい、悲しい、も随伴的に起こり、
>>人間の行動には何ら影響しない。
>>それら全てを人間は「後付け」で思うだけなのだ、と。
> では、ある行動に先立って生じるはずの、「意図」はどうなるのか。

これも同じだよ。ご存知かと思うが、
Motor intensionやreward expentancyに関連して活動する
ニューロンがあることが見つかっている。
さっきの言い方を続けるならば、
人間は「自動的に」意図や期待をするニューロン活動の後に
合目的な行動をする。
そしてこのニューロンの活動によって
随伴的に後付けで人間は「そうしようと思った」と言うだけだ。
(随伴的の言葉は別にスキナリアンの人が使う強化随伴性
とは関係ないので混同しないでおいてほしい)
別にオレはアフォーダンスに義理はないのでそう言える。
つまりこれはあくまで「意識」の問題であって、
それに「自由意志」を引き寄せた考え方なのよ。
もうスレ違いだからこんなもんにしとくが
これは以下に少し関わってくる。

>>「自発的」に行動して目的に適った行動をする生き物がいるとして、
>>それが意識を持っていなかったら、果たして自発的といえるかどうか。
> いえると思う。ここでは意識のことは考えていない。

意識がない生き物が「自発的」に行動したとして
だれがそれを「自発的」であると判定するのだろうか。
あなたが「脳がそうやり脳が判断する」と答えるならば、
それは認知システムに加わったノイズ
(あなたがヘッブスレでイメージしている自発発火とかね)
によって出力が確率的挙動を示す、ということしか言ってないのでは。
これはその次に出てくる膀胱の括約筋の話でも同じこと。
スキナリアンがSORで何を言ってるか知らないで言うけど
(必要なら誰か補足してちょうだい)決定論的、といったって
100%決定論的になる必要なんかないし、
そういう確率的挙動ぐらいとりこめるのではないの?

そして「脳がやる」と言えないのならばやはり
自由意志には意識が必要なのでは?

>>398も言いたがっていたが、
自由意志の問題を扱おうとしたら哲学的問題にぶち当たって、
ギブソンだろうとスキナーだろうと認知主義だろうと
問題に引っかかると思うよ。

結論:
アフォーダンスとスキナー批判として
自由意志、決定論の話を持ってくるのはうまくないのでは、と思う。