アフォーダンス

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192164
>>191
外界を知覚するために遺伝または進化によって眼が用意されているけれども、
外部環境の構造に関する知識は我々は生まれながらに持っているわけではない。
それらはすべて生後の経験を通して獲得される。
椅子が座ることをアフォードしていると言うが、そうではなく、脳に蓄積された
生後のいろいろな経験から固い物には乗ることができる、座ることができるという
ことを我々は知っているからじゃないのでしょうか?
「知覚内容≠環境」であることは、私が上で挙げたとろろ芋の比喩から明らか。
我々の知覚内容は決して外界を反映しているのではない。反映しているように
見えるのはそのことを我々が知っていくから、脳に経験として蓄積された結果じゃ
ないのですか?
アフォーダンス支持者は「知覚内容≒環境」という事象しか見ていない。むしろ、
「知覚内容≠環境」な事象を見ることによって、それは脳の機能を反映したもので
あることが理解できるのではないだろうか?