スキナーってどうよ?

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1佐藤
行動分析学の認知心理攻撃の旗手とも言えるスキナーってどうでしょうね?
2名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 05:58
おれスキナーが好きなんだ。
なんちゃって。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 06:09
>>2
定番すぎて少し寒いです。
でも少しホッとしないこともないです。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 06:21
>>1
俺なんかの感覚だと「行動分析学=スキナー」だとしか思えない。
スキナーを「行動分析学の(たくさんいる中の)ひとり」みたいな
書き方している1に時代の流れを感じました。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 06:29
>>2 誰かが言うと思ってました!
さすが「ちんぴら」or「おでん屋」
6名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 07:05
ウオールデン・ツー(スキナー著のユートピア小説、このユート
ピアでは人間は全て行動理論に基づいて生活している)読んだとき
これってひょっとしてトンデモ本かもと思いました。特にラディカ
ル・ビヘービアリズムはマッドサイエンスと誤解される要素を持っ
ているように思います(私は行動主義者なので好きですが)。
スキナーは本当に独創的なので尊敬しています。40過ぎて心理学
始めて行動分野の巨頭になったのってやっぱり天才なのでは。
しかし、オペラントってよくこんなこと考えついたよな。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 23:00
あなたが(チャチャンチャチャン)スキナーんです。まるで今のわーたしー
迷い子のようね。あなたが(チャチャンチャチャン)スキナーんです。

かくしてスキナーに迷わされた人間は数限りないという...。
8ふつうに名無し:2001/07/11(水) 00:08
人間は物事の起きる場所に過ぎないってい逝った人。
だから人殺しした人間に責任は無い。
罪に責任があるだけだ?
9名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 06:49
>>8
だから,人格論に陥らないで犯罪行動を直接消去する,あるいは
犯罪行動と拮抗する行動を直接強化するのが犯罪への解決策,となるのよ。
スキナーなら精神障害者には責任能力がないから無罪,という
議論は明らかにナンセンス,犯人の心的特性なんかにはこだわらず
本人の犯罪行動と,その強化随伴性に直接対応しよう,というだろう。

専門家(の顔をしている)人にもこんなに誤解されているという点で,
スキナーはダーウィンに並ぶものがあるね(和良。
10行動ヲタ:2001/07/11(水) 21:47
スキナーは内的過程(内観)を否定したのではなく、環境と行動の関数的記述
という方法論をとったのにすぎないはず。トークンエコノミーで人間の経済活
動の心理学的側面はわかるがそれだけで経済活動全般は理解できない。
人間の犯罪行動についても徹底的行動主義の論にたてば9さんのとおりだが、
犯罪の理由(強化子)が多彩である以上、強化随伴性で直接対応しようという
のは難しいのでは。
11名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 22:02
スキナーってなんだ?
12モウダウ:2001/07/11(水) 22:06
オリジナルはワトソンじゃないの?
13名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 22:34
ドキュソ心理学研究者はしばしば心理学史「だけ」詳しい
14名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 00:06
「直接対応」が「原因の解明」であるなら>>10の言うとおりだろうね。
しかし,刑法や刑罰は「今後の行動の制御」が主な目的。
犯罪の理由が多彩であるから対応できない,のであるなら,
現在の刑法制度も含めて,あらゆる方法が対応できないだろう。
多彩な理由で生じた行動を,できるだけ少数の有効な変数を
制御することで統制しようとするのは,別に行動主義だけじゃ
ない。行動を実際にコントロールできる方法の多くは,
同じ性質(少数の有効な変数の発見に依存)をもっているはず。

いっぽう徹底的行動主義以外の心理学は,犯罪の理由についての
多彩な推論を立てることは得意だが,実際の犯罪行動を制御するための
少数の有効な変数を発見したり,それを制御する力には乏しい。
これは,精神分析から認知心理学,生理心理学までに共通する特徴。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 00:09
>>12

オペラント条件づけの「発見」は古典的条件づけの発見や
それに影響されたワトソンに時間的に後続し,かつそれらの
影響を大きく受けた,という点では「ワトソンがオリジナル」という
言い方はそんなに大きく間違ってはいないだろう。
しかし,オペラント条件づけが「パブロフによって理論化されたのとは
違うタイプの条件づけ」であることは認識すべきだし,それができないと
教養の心理学の単位も取れないだろうね。
16名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 00:16
>>15
オペラント条件づけの直接のルーツである
ソーンダイクの試行錯誤学習の研究は19世紀末。
ワトソンはもちろん,パヴロフよりも前ですよ。
パヴロフは心理学嫌いだったけれど,
ソーンダイクの研究には一目置いていました。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 00:25
ソーンダイクとパヴロフはまったく独立に研究を進めていて,
パヴロフがソーンダイクの仕事を知ったのは
ワトソンの登場以後のことと思われる。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 00:40
だからどうした?
19行動ヲタ:2001/07/12(木) 02:29
考えてみれば刑法自体、犯罪行為への罰として機能しているといえ
るな。しかし、犯罪「行動」自体、いろろな行動のチェーンになっ
ているわけだから(泥棒に入る場合、家に行く、2階に登る、窓を
割る、鍵をあける...)、ひとつの行動を消去しても無駄なので
はなかろうか。泥棒という行動を消去したつもりが、窓を割るかわ
りに窓をはずすという行動に変わっただけだったりして。
犯罪行為に関連した「行動」は無限なわけだから消去は不可能。
でも、「犯罪を行おうと思う」という意識自体も「思う」という行
動としてとらえられるのであれば、「そういうことを思わなくなる
」という条件付けが可能なんだろうか?難しいですね。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 16:32
>>19
>考えてみれば刑法自体、犯罪行為への罰として機能しているといえ
>るな。

刑法は「ルール」で、罰金とかが「罰子」として機能しているんじゃ
ないかな(非常に厳密なことを言うと罰金は「罰子」じゃないけど)。

この区別を明確にしないと、犯罪行動の行動分析学的な分析(冗長だな)
はできない。

犯罪行動の分析は、簡単に言うとこういうこと(説明後述)。

 @犯罪の再発:罰金、懲役などの「罰子」による「罰」による制御。

 A犯罪の予防:刑法などの「ルール」が確率操作として機能し、
        嫌悪感が上昇した不安・罪悪感などの「罰子」による
        「罰」による制御。
2120:2001/07/12(木) 16:33
@の説明は特になし。

Aの説明は以下の通り。

刑法だけが犯罪の予防をしているとは思わないが(モラルとか宗教ね)、
実際問題、刑法が犯罪行動を制御している主な要素であることは間違い
ないだろう。

刑法っていう「ルール」は、犯罪行為に関連した無限の「行動」は明記して
いなくても、犯罪行動によって引き起こされる、考えうる全ての行動の結果
は明記していていると思う。つまり、全ての人の殺し方は明記していないが、
殺人行動による結果(人が死ぬこと)は明記しているということ。

で、「犯罪を行おうと思う」という言語行動をした時に、刑法という「ルール」
(あるいはモラルとか宗教という可能性もある)により、犯罪を犯した後に
生じるであろうもろもろなネガティブなこと(罰金・懲役など)に対する不安感
が増大する。このことが「罰子」として「犯罪を行おうと思う」という行動を
「罰」するため、犯罪が予防される。

つまり、「ルール」が「確率操作」としてしっかり機能している人は犯罪を犯さず、
様々な問題によりもともと機能していない人か、ついかっとなって一時的に機能しな
くなった人は犯罪を犯してしまう。

スキナーは、罰なき世界を目指したが、晩年はそれは無理だという結論に至った
らしい。

ネタばれ必死の、罰による犯罪行動の行動分析学的な分析おわり。
2220:2001/07/12(木) 16:42
>>4
スキナー=行動分析学は正しい。
スキナー=行動主義なら4の言い方でもよい。

>>9,19
消去という言葉の使い方が誤解を招きやすい。
消し去ると言う意味の場合は消去という言葉を
使わない方がいい。

Extinctionにのみ、「消去」を使うべし。
23心理ヲタ:2001/07/12(木) 16:56
厨房な私にすぐに回答頂きましてありがとうございました。さて、行動分析学
に出てくる技術用語は一般名詞のものが多くて誤解を招きますね。いわく、
消去、強化、行動などなど。まあ、弁別とか三項強化随伴性になるとわけわか
んなくなってきますが。昔、三島由紀夫の「行動主義入門」を買ったら、当然
全然関係ない話でした(あたりまえか)。というわけで、22さんの言っている
EXTINCTIONのみに消去という言葉を使うべし、というご意見はそのとおりだと
思います。当方、厨房なものですみません。それでは。
2420:2001/07/12(木) 18:21
>>23
いえ、当方も厨房なのに、上から物を言っているような言い方
で失礼しました。

間違いを見つけたら、それを攻撃するのでなく、普通に違うよ
と指摘して、みんなでそれを学ぶようにすればいいんでしょうね。

2chにもかかわらず、偽善的な物の言い方なのでさげ。
25名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 19:23
犯罪に関する行動分析を刑法によるルールと,罰金,懲役などの罰コントロールによってのみ制御しようとするとうまく行かないのは当然。なぜなら,ヒトの総行動数は代わらないのだから,犯罪行動をただ減らそうとしても,1次的には減少しても,他の行動レパートリーがなければ,また生起するでしょう。
重要なのは,犯罪行動を減少させるのではなく,適切な行動を増やすことによって相対的に犯罪行動を減らさないといけない。
また,少年院などの様に異なった随伴性のなかで,適切行動を獲得したとしても,日常の随伴性の中に戻ると,その適切行動が強化されなかったり,消去されたりすることも多い。このようなところにも再犯性の構造がある。
つまり単純にルール(特に刑法のような罰のルール)だけでは,行動は制御できないし,罰によってもそれを与えつづけないと,行動がまた生起する可能性があるということである。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 19:26
じゃ,どうするかって,日常の随伴性にも介入をしていかなければいけない
ってことになる。
そのような集団,組織のマネージメントも行動分析の対象であり,今後の
研究,実践の中核になるでしょう。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 20:29
んじゃマジで臨床強化みたいなもん?
28行動ヲタ:2001/07/12(木) 21:38
ハンドル名間違えました。心理ヲタではなく、行動ヲタでした。失礼。
さて、少年院などの刺激が制御された環境(一種のスキナー箱?)での適切行
動の自発を促進することは可能でも、社会というなんでもありの環境下では行
動制御は難しいでしょうね。日常の随伴性に関与するということは、言語行動
を通じて行動を修正していくのがいちばん簡単なので、近いのは宗教の活動か
もしれません。25さんのように、犯罪行動を減らすのではなく適切な行動を
増やすことによって相対的に犯罪行動を減らすというのが正しいような気がし
ます。ところで、動物行動学で転位行動(確か、硝子のなかの餌に突進したト
ゲウオがエサに近付けず、腹で砂をこすって反転するという行動をとるといっ
た例だったように思いますが、本がないので確認出来ません。失礼)っていう
のがあって、まあ、むしゃくしゃしたときに道ばたのカンをけっとばすような
行動だったと思いますが、ある行動をする→社会から評価されない→転移行動
としての犯罪に走る、っていうのはあるんでしょうかね?でも、それがありだ
とすると犯罪を行うという行動自体、生得的な部分があるということになって
救われませんね。それではまた。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 01:32
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そうです、私がスキナーです。
__ _________________
         ∨
   ⊂?ヽ
     \\
       | |
       | |∧ ∧
       | ( ゚Д゚ )
       \    \
        |    |\\
        \   \ > >
           >   |/
          //  /
         //  /
        // /                デカイモナ
       (( (                !Λ_Λ
        ヽ\\              ⊂( ´Д`;)
          ヽ\\__             \    )
            ヽ\ |             ( (  |
             しU               (__)
30名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 02:20
臨床と関係ない話題はこちらへ
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=994930909&ls=50
3120:2001/07/13(金) 03:26
>>25,26
>犯罪に関する行動分析を刑法によるルールと,罰金,懲役などの罰コントロールによって
>のみ制御しようとするとうまく行かないのは当然。

>重要なのは,犯罪行動を減少させるのではなく,適切な行動を増やすことによって相対的に
>犯罪行動を減らさないといけない。

確認なんだけど、「ルール」「罰金」「懲役」などでは、大多数の人の行動は制御できても
全ての人の行動は制御できない。この「ルール」「罰金」「懲役」の制御下にない人(つまり、
21で言っている「ルールが確率操作として機能していない人」。具体的には何度も犯罪を犯す
人)の犯罪行動を制御するには、「適切な行動を増やす」ことが重要、ということを言いたい
んだよね。

これには同意。

現状は、教育などと称して、刑法(あるいはモラル)といった「ルール」が、確率操作として
機能するようにあれこれとやっているのだと思う(平たい言い方をすれば、心を入れ替えさせる
ということ)。

しかし、どうあるべきかという話をすれば、「適切な行動」を増やし、相対的に犯罪行動を減少
させるというアプローチが正しいと思う。

具体的には「代替行動分化強化」か「非両立行動分化強化」あたりを使うことになると思う。
費用対効果の問題がクリアできればOKなんだが、それが難しい。

一応、「罰なき社会は可能か」を検討しているってことでスキナーつながり。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 13:30
>>31氏の意見に賛成です。

ただ、問題行動に関する90年代の研究では、

>具体的には「代替行動分化強化」か「非両立行動分化強化」

というよな、機能的に等価だが反応型が適切な行動を形成する他に、
機能的に等価ではないが、適切な反応全てが強化される環境におくことに
よっても、問題行動が(相対的に)減るということが示されています。

そうすると、代替行動や非両立行動というような新しい行動を形成するより
も、もともと行動レパートリーの中にある低頻度な適切行動を「ひらすら強化」
する方がコスト面ではいいのではなかと思います。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 15:57
SM癖をなおすには何を強化したらいいの。
ちなみにSとMは相殺しないらしい。
3420:2001/07/13(金) 16:27
>>32
>機能的に等価ではないが、適切な反応全てが強化される環境におくことに
>よっても、問題行動が(相対的に)減るということが示されています。

なるほど。それは知らなかった。もしよろしければ、その理論的な説明、
もしくは参考文献の情報を教えて下さい。

>そうすると、代替行動や非両立行動というような新しい行動を形成するより
>も、もともと行動レパートリーの中にある低頻度な適切行動を「ひらすら強化」
>する方がコスト面ではいいのではなかと思います。

同意。もし代替行動や非両立行動がレパートリーにないならば、レパートリーに
存在する適切な行動をターゲット行動に選ぶ方がよい。
3520:2001/07/13(金) 16:28
(続き)
しかしながら、何度も犯罪を犯す人の犯罪行動を減らすための社会システム(周り
の人がその犯罪者の行動にどのように対処するかとかいうのではなく)という観点
からみると、いずれの強化を使ったアプローチにしても、現存する罰を使ったアプ
ローチ(刑法、罰金、懲役)にわざわざ追加するほどは、コストに対する効果の程が
明確でない。

もちろん、こうした強化を使って犯罪者の適切な行動をサポートするシステムを追加
する方が望ましいんだけど、そのシステムにかかるコストと、そのシステムによって
生み出される利益(犯罪の減少)を天秤にかけた場合、どうもつりあっているようには
思えない。というかつりあっていないから、現在そうしたシステムがないとも言える。

で結論。社会システムは、ごく一部のものを除いて(確定申告とか)、ほとんどは
罰を使ったものであり、そうならざるを得ない。よって、ウオールデン・ツーの世界
の構築は難しい。
36名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 16:31
今さら前世紀の遺物たるスキナーを論じる気が知れない
37名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 16:35
>>33
SM行動の直後に電気ショックを与え、まずはSの行動を罰する。

Mの行動は強化されるが、Sがいなくなれば自然とMの行動も減少
するであろう。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 16:53
>>36
何で?
39名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 17:00
>>38
あんなもの、学問じゃない。行動を制御するためのテクニックじゃ
ないか。それもきわめて低レベルの。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 17:06
どのへんがレベル低いと思う?
41名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 17:15
行動を制御するためのテクニックに過ぎないということは認めるん
ですね?
スキナーと行動生物のローレンツ、言語学者の、えっと名前が出て
こないが、後もう一人認知心理学者の、これも名前が思い出せないが、
これらの対談は読んだよ。そのことごとくでスキナーは論破されている、
負けていると思ったね。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 17:24
悪いが、私は行動主義心理学の用語はすべて忘れてしまった。
もはや顧みる余地は全くないと思ったので捨ててしまったんだよ。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 18:31
以前の心理板では、スキナリアンの論客が2名いて、
議論が進むと、反スキナリアン側の旗色が悪くなってそのままウヤムヤということが多く、
なんだか割り切れない思いが残ってばかりいたが、
最近はスキナリアンも増えて厨房率も高くなったようなので、
付け入るスキはあるだろう。
久しぶりにもう一回やるかい?
44名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 18:49
>>43
スキナリアンが増えただって? ほんまかいな。以前に反スキナリアン
の旗色が悪くなったというのは、反スキナリアン側に厨房が多かった
せいだろう。
で、あんたは反スキナリアン側なの? 反スキナリアンだとしたら、
認知主義者? エソロジスト?
45名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 18:57
>>44
消去か臨床強化にしてくれ。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 19:06
少なくとも厨房スキナリアンが増えたのは事実だろう。
私は反スキナリアン厨房だが、認知屋というほどではない。
スキナリアンから見れば所詮は認知屋だろうが。
とにかく、G氏の書き込みには反論しにくい。
氏の人間性には好感を持っているが、
一度「参りました」と言わせてみたいのだ。
4741:2001/07/13(金) 20:39
>>46
私がきたからには大丈夫、と言いたいところだが、私もスキナリアン
相手に議論するほど暇人でもないんだな。
もしもおっぱじめるなら、要所要所で顔を出してやってもいいけどな。
48行動ヲタ:2001/07/13(金) 20:55
スキナリアン厨房です。よろしく。
49名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 02:53
あほらしい。煽りたいなら他にスレ立ててやってくれ。
ここではスキナーについて語ってくれ。

>>41
事実はどうでもいい。なぜテクニックにすぎないのか、
あるいは、どの点で論破され、なぜそれの議論が有意義
なのか、まずはそれを自分の言葉で説明してくれ。
暇があればでいいから。

>>46
反スキナリアンレスは歓迎。
ただし、頼むから荒らさないでくれ。
5041:2001/07/14(土) 03:33
>>49
刺激と反応の間で、与えられた刺激に対して「どのような」処理が行われた
結果、反応が引き起こされるのか、科学者としての私が知りたいことは
まさにこのことなのだ。しかし、行動主義は一切この問いに答えようと
しない。あるのはただ、どのような刺激を与えたらどのような反応が
現れるかだけだ。このような知識の価値は、行動を制御する目的において
のみ有用、だからテクニックに過ぎないと言った。

それからオペラントとレスポンデントの区別など意味はない。動物は
スキナー箱に入れられた、この状況という刺激に対して反応しているの
だから。

シェーピングをどう考えるか。私も以前に100匹近いネズミのシェーピングを
行っているが、シェーピングは単にレバーを押すという行動を形成させる
のではない、レバーを押せば餌が出るということをネズミに理解させる
作業なのだ。このことを示すデータを提出するのは難しいが、ネズミは
レバー押しに慣れてくると訓練者が教えなかった方法でレバーを押す
ようになる。右肢だけじゃなく左肢でも押し、レバーを押すだけじゃなく
押し上げるような動作もするようになる。このことは私にはネズミが
レバーを押せば餌が出ることを理解していることを示すだけではなく、
いかに速く押して餌を手に入れるかを工夫しているように見えた。
これだけではないが、上の観察は私が認知主義者に転向する大きな
きっかけになったことだけは間違いない。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 04:10
>>43,>>46に同意。
スキナリアンの論客2人ならG氏とM氏か。
G氏は素人で、M氏は専門家だが、二人とも所詮はシンパ。
他にJ氏もたまに来るがこれも素人のシンパ。
本物の行動分析家はいない。
しかし彼らの書き込みが面白いのはたしか。
最近では「ひたすら強化」スレがいい例だ。
そういえば「心ってどこ」スレのたしか第2部の終わりの方で、
何回かG氏の説のフォロー解説をしていた名無し氏は本職っぽいが。
オレが知っているスキナリアンはこの4人に及ばないただの単純な実験屋、臨床屋で、
語らせてもありきたりで論破可能。

そもそも行動分析が勢力を築いているように見える2ちゃん心理板は異常なのだ。
とにかく彼らに太刀打ちできなかった反スキナリアンのレベルに問題がある。
所詮は2ちゃんとはいえ、素人や初学者も見ている。
その意味でも>>41(47)氏のお手並みを(皮肉でなく)拝見したい。
いま>>50を読んだが、オレの経験上これだけでは彼らをギャフンと言わすのは到底無理だぞ。
がんばれ。
5241:2001/07/14(土) 04:24
>>51
俺も基本的に実験屋なのでな。50で書いたことで精一杯なのだ。
G氏、M氏というのがいるのは今知ったところだが、俺は彼らの書き込みをわざわざ
検索してまで読む気はしない。
おそらく、行動分析(行動主義)と認知心理とでは興味の対象が異なっているので
議論がかみ合わないというのが本当だと思う。俺は実は生物学者であり、脳科学者
なのだ。その立場から見た場合、間違いなく俺は認知心理に共感を覚えるし、
興味の方向も一致していると感じるのだ。
5341:2001/07/14(土) 04:44
少し補足すると、私の興味は脳の情報処理機能であって、行動の制御
方法ではないのだ。行動制御の技法や考え方は確かにある種の患者の
治療に有効なのかも知れないが、それは結局のところテクニックという
言い方が悪ければ技術であって、そのことに私は興味はないのだ。

心理学という学問は自然科学の仲間入りをしたいと考えているのか、
それとも行動障害の治療技術として進歩したいと考えているのか、
どちらなのだ?
54名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 07:28
そりゃああなたの「科学へのイメージ」が偏っているだけだ。
あなたのような人が2ヶ月に1回くらいやってくるのも、
この板の特徴だな。

「電子レンジで料理ができる」という現象について、
 どんな材料を、どのように準備して、電子レンジを
 どのように設定すると上手な料理ができるか
を調べるのと、
 電子レンジのどのような構造や機能が
 料理を可能にしているのか
を調べるの、前者は「テクニック」にすぎず、後者は
「科学」だと言えるか? むしろ、
前者は「電子レンジで作られる料理」についての科学、
後者は電子レンジについての科学、だ。
どちらかが重要で、どちらかが不要ということはないし、
どちらが科学として優れているということもない。
もちろん、後者だけが自然科学であるわけでもない。

あなたからみて興味が持てるかどうか、と
それが科学であるか、とか、意味があるか、ということとは
何の関係もない。世界にはあなたが興味を持っていることを
すべて無意味と否定する世界もある。たとえば、あなたは自分を
「生物学者」というが、生物学の主流は動物の行動を理解するのに
脳の情報処理機能なんてことには全く注目しないぞ(藁。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 07:31
どっちもだろ。
5649:2001/07/14(土) 13:26
41氏、やってもうたな...

これを機会にまずは行動分析学についての正確な知識を身に付けてくれ。
行動主義じゃないぞ。なぜならここは行動分析学に関するスレだ。

>あるのはただ、どのような刺激を与えたらどのような反応が現れるか
だけだ。

そりゃワトソンじゃないか。ワトソンの行動主義とスキナーの徹底的行動
主義の違いを理解してくれ。

>それからオペラントとレスポンデントの区別など意味はない。動物は
>スキナー箱に入れられた、この状況という刺激に対して反応しているの
>だから。

これも同じ理由か?両者は区別されるぞ。

>ネズミはレバー押しに慣れてくると訓練者が教えなかった方法でレバーを
>押すようになる。

反応クラス(何かの共通特性をもった反応の集合)は同じ。
5749:2001/07/14(土) 13:27
>心理学(行動分析学)という学問は自然科学の仲間入りをしたいと考えているのか、
>それとも行動障害の治療技術として進歩したいと考えているのか、どちらなのだ?

スキナーの徹底的行動主義(行動分析学)は、科学と工学(engineeringって意味で)、
あるいは基礎と応用の両立を目指している、というか両方の分野がある。特にどちらか
に決める必要性は感じない。

>このような知識の価値は、行動を制御する目的においてのみ有用、だから
>テクニックに過ぎないと言った。

>行動制御の技法や考え方は確かにある種の患者の治療に有効なのかも知れないが、
>それは結局のところテクニックという。言い方が悪ければ技術

行動分析学における工学/応用の目的は、行動の予測と制御。41氏の定義で、行動の制御
をテクニック/技術と言うのであれば、その通り。

41氏の「興味は脳の情報処理機能」かもしれんが、行動分析学についての正確な知識を
身に付けておくことは、そんなに役にたたんのかもしれんが、損になることはないと
思うぞ。暇があったら勉強してくれ。

でも、勉強して、また「これはどうなんだ」とかいうレスをするのはやめてくれ。
俺はスキナリアン vs 反スキナリアンで罵り合うことには興味はない。
何度も言うが、煽りたかったら別スレを立ててくれ。

もう何の話をしてたんだか忘れたな。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 13:39
たとえば,現代の進化生物学にとって遺伝学の知識は必須だ.
進化の成立を「支える」システムとして,遺伝は不可欠だからね.
だけど,進化を理解するためには,環境と,それによる淘汰という
「生物の外側にある事象」をきちんととらえる必要がある.
遺伝システムをいかに詳しく調べても,ある生物が実際に
どの方向へ進化していくのか,その原因はなにか,はわからない.

同じように,脳の情報処理機構(脳が「情報処理」してるなんて
考え方はどうしようもなく古臭いが,それはおいといて...)は
生体の行動を「支える」重要なシステムだが,それをいくら詳しく調べても,
その個体を実際に取り巻いている環境と,環境と生体の相互作用という
「生体の外側にある事象」をとらえられなければ,具体的な
行動は説明も,予測も,統制もできない.

認知心理学者たちは「行動を支えるシステムのひとつ」に過ぎない
ものだけを研究して,行動が理解できると考えている.
たとえば,脳内で環境入力がどう処理され,行動につながるかを
完全に解明できたとして,それで行動のどれだけが予測/統制できるかな?
ギブソニアンは,必ずしも脳を経由しない体の各部分相互の協応を
行動の重要な要素と考え始めているけど,そういうことはどうかな?

Aという環境が,Bという脳内過程を経て,Cという行動を生み出すとして,
Cの「原因」はなにかな? Bが解明されたとして,起きることは
AによるCの予測力を増分する程度じゃないの? それ以前に,
実際の「テクニック」として,日常的にBを観察したり,場合によっては
統制したりする技法はいつできるの?

「テクニック」をなにか低いもののように考えているようだけど、
なんのテクニックも生み出さない「科学的知識」にどういう意味があるの?
行動分析の最大の利点は,まさにあなたが批判するところの
「テクニック」そのものだと思うよ.
59名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 14:11
>スキナーと行動生物のローレンツ、言語学者の、えっと名前が出て
>こないが、後もう一人認知心理学者の、これも名前が思い出せないが、
>これらの対談は読んだよ。そのことごとくでスキナーは論破されている、
>負けていると思ったね。
 遅レスですが、この本の詳細きぼんです。
 何という書籍でしょうか?邦訳等ありますか?
60名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 14:28
チョムスキーとの対話のことだと思うけど,
日本語訳っていま出てるの?「スキナーがチョムスキーに
論破された」という「伝説」だけはあっちこっちに
書かれているけど,原文を読めばそういう判断はかなり無理.
チョムスキーの学説自体が今では実質的に否定されているしね.
61名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 14:36
>シェーピングをどう考えるか。私も以前に100匹近いネズミのシェーピングを
>行っているが、シェーピングは単にレバーを押すという行動を形成させる
>のではない、レバーを押せば餌が出るということをネズミに理解させる
>作業なのだ。

ほんとに腹を抱えて笑ったよ.それはあなたが,あなた自身の
「理解」という概念を構成していった過程にすぎないよ.
あなたにとっては,それはシェーピングではなく「理解させる過程」
であった,というだけの話だろう.

どうして心理学者って,こんなに素朴なやつばっかりなんだ?
君はきっと30年前に生まれていたら何も疑わない筋金入りの
行動主義者になっていただろうな.そしていまの時代なら
認知主義者ってわけだ.
62名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 15:01
さて,話をスキナーに戻すけど,俺もスキナーに
全面的に賛成,というわけではない.

スキナーの最大の間違いは,オペラント条件づけによる
行動の成立に「刺激統制」など「コントロール」という
概念を使ったことだと思う.ふつうコントロールという概念は
人格を持った主体が,その意志や計画などの「目的」に基づいて
他の存在や事象に影響を与えることを意味する.

たしかにスキナー箱においては,人間がある目的に基づいて,
(オペラント条件づけを用いて)ラットをコントロールしている,
という意味で強化随伴性が行動を「コントロール」している.
しかし,オペラント条件づけが生じる多くの場面では,強化随伴性が
目的をもって行動を成立させているとはいえない.

スキナーがそういう意図でコントロールという概念を使ったのでは
ないにせよ,このことが大きな誤解を招くとともに,オペラント
条件づけと他の法則(例えば進化)との関連付けを妨げている.
63名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 15:07
たとえば,進化は「生物の形態が環境によってコントロール」されるの
だろうか? ダーウィンなら間違いなく,ノーというだろう。
環境や自然淘汰,生物の進化になんらかの目的や意志を仮定するのは、
進化論に対する最大の誤解だろう.

オペラント条件づけは,環境が生体の行動をコントロールする,
のではなく,生体の行動が環境との相互作用によって,
結果として環境に適応した行動に変化していくことだ.
そう考えると,進化とオペラント条件づけが連続した
過程であることがわかる.進化がなにかによるコントロールでないのと
同様に,オペラント条件づけも刺激によるコントロールではないのだ.

たしかに,オペラント条件づけが「技法」として用いられる
さまざまな場面では,それが「コントロールの道具」として
用いられることが多いだろう.たとえば臨床場面では,セラピストが
クライエントの行動を良い方向にコントロールする,というように.
しかし,それは「オペラント条件づけがコントロールに用いられる場面」で
あって,オペラント条件づけの本質は決して「コントロール」ではない.
「刺激性制御」などの概念にこだわり過ぎると,生体にとってのオペラント条件づけの
ほんとうの意味が見えなくなるし,コントロールの概念を捨てることで,
行動分析学と生態心理学,進化心理学などの「非認知科学系心理学」の
理念的交流や統合が促進されると考えられる.
6441:2001/07/14(土) 17:11
もう少し逆らってみようかな(笑 疲れるけど。悪いが、せめて番号のハンドルを
使用してもらえないか? 敵の数が知りたいのでね。

>>54
 「電子レンジで料理ができる」、これはすでに電子レンジで料理ができることが
解明された後の話ですね? 自然科学の現場では、最初は「電子レンジ」だけが
ぽんと目の前に呈示されるだけなのです。で、「電子レンジ」に対していろいろと
基礎的な自然科学的研究が重ねられた結果、どうも「電子レンジ」は電磁波を出す
機械だということが分かってきて、「電子レンジ」で料理すること「も」できる、
ということが分かってくる。この時点では「料理」の研究は応用科学の局面に入って
いる。
 前に述べた「科学」と「テクニック」は、「基礎科学」と「応用科学」に言い換えて
もいい。では、心理学は応用科学なのですか?

 動物行動科学の主流が脳の情報処理に興味を持っていないわけではない。ただ、
扱う動物が多いので、そこまで行けていないだけ。ニューロエソロジーという分野も
あることをお忘れなく。

>>56
 われわれ自然科学者は事実に興味があるのであって、説を唱えた人間には興味がない。
 反応クラス(何かの共通特性をもった反応の集合)に関し、ではなぜ、ネズミは
自分の持つさまざまな行動レパートリーの中から「同じ反応クラスに入る反応」を
選べるのですか? 「同じ反応クラスにある反応は同じ効果を持つ」ことを理解して
いるから、と考えてなぜいけないのですか?

>>57
 そう、「行動分析学の目的は行動の予測と統制」、これが自然科学者からみたら
非常な違和感を覚えるのです。これはやはり科学じゃない、技術なんですよ。

>>58
>たとえば,脳内で環境入力がどう処理され,行動につながるかを
>完全に解明できたとして,それで行動のどれだけが予測/統制できるかな?
 繰り返すが、自然科学は予測や統制に興味はない。

>ギブソニアンは,必ずしも脳を経由しない体の各部分相互の協応を
>行動の重要な要素と考え始めているけど,そういうことはどうかな?
 ギブソンのアフォーダンスを私は鵜呑みにしていない。もっと身体各部の生理学的
研究が必要だ。私は身体各部の協応については「筋肉センサーとしての筋紡錘と
脳の相互作用」の研究が重要な意味を持つようになると考えている。

>>62
 「コントロール(統制)」を強調するスキナーの姿勢が、行動分析学は科学ではなく
技術であることを明確に主張しているではないか。

>>63
>たとえば,進化は「生物の形態が環境によってコントロール」されるの
>だろうか? ダーウィンなら間違いなく,ノーというだろう。
 これはレトリックの違いであって、こういう言い方も可能。しかし、だからといって、
環境になんらかの目的や意志を仮定することにはならない。

 私は進化においてオペラント条件付けはそんなに重要とは考えられない。オペラント
条件付けは非常に人為的ではないか。オペラント条件付け事態そのものに目的が
隠されている。しかし、自然環境にそんな目的はないのだ。
65名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 18:15
どんどん笑おう.

「自然科学の現場」って,あなた認知系の心理学者に過ぎないでしょ.
自然科学を勝手に代表するなよ(笑).それも誤解や教科書知識レベルのものだけで.

>動物行動科学の主流が脳の情報処理に興味を持っていないわけではない。ただ、
>扱う動物が多いので、そこまで行けていないだけ。

まあほとんどウソだけど,脳の情報処理に興味を持っている人はいるかも知れないね.
でも,それが主流にならないのは「扱う動物の種類が多いから」じゃなくて,
それが本質的な問題と考えられていないからだ.それに,君の考えでは
脳の情報処理過程というのは種によって根本的に違うものなの?
それはたいへんだ.

>「同じ反応クラスにある反応は同じ効果を持つ」ことを理解して
>いるから、と考えてなぜいけないのですか?

考えてもいいさ.ただし間違っている.その「理解」そのものが
強化随伴性に還元でき,理解と言う表現は冗長だから.

>繰り返すが、自然科学は予測や統制に興味はない。

では予測や統制を考えずに,「自然科学」の仮説や理論はどのように
検証されるのかな? 「実験」を予測や統制抜きにできるかな?
予測も統制もできない理論が「正しい」と,どう証明できるのかな?
あるいは,予測も統制もできないが正しい理論に,どういう価値があるのかな?
とても興味深いので教えてよ.

>私は身体各部の協応については「筋肉センサーとしての筋紡錘と
>脳の相互作用」の研究が重要な意味を持つようになると考えている。

さすが研究者厨房,相互作用という言葉をうまく使って逃げたね.
でも身体各部の協応が脳によって中枢支配されているという思想自体は
隠せないね.それ古すぎる.最新の人工知能研究などを勉強しよう.

比喩が通じないことについては諦めるよ.
しかし,それがなんに使われるかは抜きで電子レンジが目の前に置かれる,
というような不条理な状況を仮定しないと説明できないものってなに?
66名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 18:22
> 私は進化においてオペラント条件付けはそんなに重要とは考えられない。オペラント
>条件付けは非常に人為的ではないか。オペラント条件付け事態そのものに目的が
>隠されている。しかし、自然環境にそんな目的はないのだ。

あのなあ,進化とオペラント条件づけの関係(差異)も理解してないのか?
教養の心理学で習わなかったか?
どちらも変異と選択,進化は種のレベルで起きる,オペラント条件づけは
個体のレベルで起きる.だから進化とオペラント条件づけは
別のレベルの話だから「進化にオペラント条件づけはそんなに重要じゃない」
どころの話じゃない.じゃあ少しは重要なのか?条件づけの結果が
遺伝して進化になったりするのか?わけないだろ.

オペラント条件づけが人為的なのは,人為的な状況においてだけだ.
たとえばわれわれがさまざまな事物のアフォーダンスを発見するのは
オペラント条件づけによってだろうが,たとえば椅子には見えないものに
座ってみたら上手に座れた,というかたちでアフォーダンスを発見し,
それをその後利用することを学習したとして,環境の側に
なんらかの「人為」があるか? ヤシの木を揺らしてみたら
実が落ちてきた,食べたらうまかった,だからまた揺らして落として
食おう,このときにヤシの木の側に「人為」があるか?
だからオペラント条件づけはコントロールじゃないっていってるの.
もう別の議論しているんだから、根本から理解できないやつは
無理に入ってくるなよ.
6751:2001/07/14(土) 18:24
>>64(41)
悪いが、まだまだ分が悪い。

1.彼らは基礎と応用を完全に両立させようとしているのであって、これは正しい。

2.「電子レンジと料理」について、
>これはすでに電子レンジで料理ができることが
>解明された後の話ですね?
ところが、電子レンジは「料理」という行為が前提となって開発された。
「料理」がなければ電子レンジは生まれない。
電子レンジの研究は「料理」によってその存在意義を持つ。
「電子レンジ」そのものは料理を支える条件の一つ「にすぎない」とも言える。
つまり、「心はどこ」スレで問題になった「機能」とそれを支える「機構」の違いであり、
>>54氏や「心」スレの伍長氏らの説明は極めて穏健で納得できるものである。
>>55氏の「どっちもだろ」が正しく、>>58氏が正しい。
スキナリアンは偏狭だとよく言われるし、私もそう思うが、
しかし、少なくともこの議論を巡ってはあなたの考えが偏狭。

3.
>ではなぜ、ネズミは自分の持つさまざまな行動レパートリーの中から
>「同じ反応クラスに入る反応」を選べるのですか?
これは重要な問題だが、

>「同じ反応クラスにある反応は同じ効果を持つ」ことを理解して
>いるから、と考えてなぜいけないのですか?
「理解」とは何か?
私が認知屋になりきれないのは、このような素朴な発想を受け入れがたいからだ。
6851:2001/07/14(土) 18:24
4.予測と制御
最終目的ではないかも知れないが、必要条件か十分条件のどちらかではないかと思う。

5.
>オペラント条件付けは非常に人為的ではないか。
>オペラント条件付け事態そのものに目的が隠されている。
そんなことはない。何を言っておるのだ。スキナー箱の実験ならともかく。
いや、スキナー箱と言えども実験者の目的とは無関係の条件づけが生じることがある。

>しかし、自然環境にそんな目的はないのだ。
そのとおり。だがスキナリアンに対する反論にはならんぞ。

以上、41氏にがんばってほしいのであえてスキナリアン側に立って突っ込んでみた。悪しからず。

>>63他の(おそらく)マルシンド氏の書き込みには反論しにくい(というかほぼ同意)が、
それは一般論しか論じていないからだ。これまでの伍長氏も同様。
各論になってくれば大いに違うはず。
例えば、41氏と同じ質問をするが、「反応クラス」はなぜ成立する?
69名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 18:32
そういう議論なら意義があるから乗るけど,
反応クラスは学習されるものと,生得的なものがあるんじゃないかね.
後者はスキナーは嫌う考え方かも知れないが,
行動間に生得的な連関を考えること自体は無理じゃないと思うよ.
ただそれは「理解」なんてメンタルなこととは関係ない.
身体のシステムと,その進化の過程で決まることだな.

ましてや41が言ってるようなパターンはほとんど「結果が同じである」
ことによって反応クラスが学習されたと見るべきだね.最初に学習された行動によって,
よって,レバーと関連する種々の行動が活性化される,その中で
レバーを押すのと同じ結果を引き起こす行動(たとえば「引き下げる」とか)
が強化される,そういったなかで反応クラスが「形成される」んでしょう?
70名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 18:34
それはそうと,51氏は「オペラント条件づけはコントロールじゃない」
というのにも同意してくれるの? これちょっと書き物にしようと思ってるので
「シンパじゃない行動分析学者」の意見が聞きたいんだよね.
7151:2001/07/14(土) 18:47
私は行動分析学者ではないし、シンパでもない。

「オペラント条件づけ」は「コントロールである」でも別に良いと思う。
レトリックの問題にすぎない。

>反応クラスは学習されるものと,生得的なものがあるんじゃないかね.
>ましてや41が言ってるようなパターンはほとんど「結果が同じである」
>ことによって反応クラスが学習されたと見るべきだね.最初に学習された行動によって,
>レバーと関連する種々の行動が活性化される,その中で
>レバーを押すのと同じ結果を引き起こす行動(たとえば「引き下げる」とか)
>が強化される,そういったなかで反応クラスが「形成される」んでしょう?

これでは答えにならない。
それともこのレベルで良しとすのかな?
この疑問は、上であげた「それを支える機構」の問題ともいえる。
その点についての見解を訊きたい。
7241:2001/07/14(土) 18:57
調子に乗るなよ(笑

>「自然科学の現場」って,あなた認知系の心理学者に過ぎないでしょ.
>自然科学を勝手に代表するなよ(笑).それも誤解や教科書知識レベルのものだけで.
 違うよ。私は生物学者さ。

>でも,それが主流にならないのは「扱う動物の種類が多いから」じゃなくて,
>それが本質的な問題と考えられていないからだ.
 さぁ、それはどうだろうか?

>脳の情報処理過程というのは種によって根本的に違うものなの?
 ニューロエソロジーに言及したように、「神経細胞のネットワーク」という根本的に
共通の仕組みによって処理が行われていると考えられているのだが、それがなにか?

>その「理解」そのものが
>強化随伴性に還元でき,理解と言う表現は冗長だから.
 還元できることを良しとするなら、ではシナプス増強ですべてが説明できるか?
シナプス増強から脳の情報処理を理解するまでには大変に長い道のりがある。DNAの
構造が解明されても、そこから実際の発生を説明するまでにも長い道のりがあるでは
ないか。その前に、そもそも強化随伴性はそんなに重要か? 行動を説明する上で
そんなに根本的な概念なのかね。

>あるいは,予測も統制もできないが正しい理論に,どういう価値があるのかな?
 確かに予測まで加えたのは間違いだったが、物理学におけるさまざまな法則はどうだ?
人間がその法則をコントロールできるのか? できるのはその法則を利用することだけだ。
それは一般に工学と呼ばれる。

>さすが研究者厨房,相互作用という言葉をうまく使って逃げたね.
 逃げたのではない。現に脳と筋紡錘の間には上行性、下行性の両方向の神経連絡が
存在するではないか。

>でも身体各部の協応が脳によって中枢支配されているという思想自体は
>隠せないね.それ古すぎる.最新の人工知能研究などを勉強しよう.
 自然科学は思想ではない。また、脳の情報処理機能と人工知能が行っている処理は
同じなのかね? そんな保証はどこにもない。仮に人工知能の処理の方が優秀であったと
しても、だ。
7370:2001/07/14(土) 18:59
そうか,でも「コントロールかどうか」はレトリックの問題じゃないよ.
ダーウィンが進化における目的や志向性という概念を頑固に
拒否したのと同じように,概念の本質に関係する問題だと思う.

反応クラスの問題は,基本的には「同じ結果をもたらす行動が
反応クラスを形成する」で別に「答えにならない」ことはないと思うが,
重要なのは,その「同じ結果」は現前するものに限らないということ.
たとえばレバー押し行動として生じた行動と「過去の同じ結果によって
結び付けられている行動」の蓄積があれば(たとえば過去にレバー押しと類似した行動を
した時に,その対象を口で突いたことも同じ結果を導いた,など),
その場面では同一クラスの他の行動に強化がなくても,それが選択される
ことはあるだろう.

このとき,この現象を「記憶」「認知」などの「支える機構」の問題にするのか,
「強化歴」などの概念を使って過去の外的事象に還元するかは
理論的嗜好の問題に過ぎないだろうね.

過去の事象がなければ「支える機構」があっても何もおこらないし,
過去の事象があっても「支える機構」がなければやはり何もおこらないからね.
これもやっぱり「答えにならない」の? だったらどういう答えが必要なの?
7451:2001/07/14(土) 19:05
>過去の事象がなければ「支える機構」があっても何もおこらないし,
>過去の事象があっても「支える機構」がなければやはり何もおこらないからね.
過去の事象がなくても「支える機構」があれば起こるという可能性は考えないのか?
7570:2001/07/14(土) 19:07
>>72
おいおい,いちばん大事なところに答えていないよ.
予測や統制なしに,仮説や理論の正しさはどう証明されるのか?
っていうのがいちばん大事なところだよ.

あと「予測や統制」っていうのは理論や法則を「利用した」ものに
決まってるじゃないか.「法則をコントロールする」なんて
なんか用語の使用法としてすでに間違っているよ.
しかし,自然法則を「利用」したら工学になるんだったら,
すべての科学は工学じゃないか? 君がよって立っている
測定や実験はすべて自然法則を利用した予測や統制だし,
そもそも最先端の理論だって,それが成り立つ根本には
比較的単純な自然法則があるんじゃないか?
まあ51氏が言っているように,行動分析は工学でかまわないと
思うけどさ.スキナーのAbout Behaviorismって本の翻訳は
「行動工学とはなにか」って題になっていたよ(笑).

>>自然科学は思想ではない。

だったら君の言っていることは自然科学ではないことになるね.
7641:2001/07/14(土) 19:09
議論を当面「反応クラス」の問題に絞ってくれないか?
私が認知主義に転向するきっかけになった観察でもあるのだから。
7770:2001/07/14(土) 19:13
>>74 =(51)

過去の事象がなくても「支える機構」があれば起きる,
という可能性はあるよ.でもそうした行動のほとんどは
過去や現在の事象と結びついていないのだから,なんの
結果も引き起こさないか,その状況では不適切な行動に
ならないか? 外的事象と「支える機構」がきちんと協応した時に
行動は初めて効果を持つのではないか?

ただし,オペラント条件づけの重要な要素である
「フリーオペラント」が,事象なしに「支える機構」によって
引き起こされている,ということは重要だね.
とくに,フリーオペラントの内容が状況によって(状況に適切な
ように)変化する,としたら「支える機構」の役割は重大だよ.
ただし,その内容の変化は,過去の経験によって決まるんだけど,
あえてくり返すがそれが「記憶」「認知」などによって説明されるか,
過去の事象に還元されるかは理論的嗜好の....(以下省略)
7851:2001/07/14(土) 19:14
>>76
おいおい逃げるか?
って言っても、たしかに一般論の方へどうしても引っ張られてしまうんだよな。
2ちゃんのスキナリアンは戦術が上手い。(笑)
7970:2001/07/14(土) 19:16
申し訳ないが今日はもう帰るし,明日は休みなんで
これ以降のレスが遅くなると思う.別に無視するのではないので
怒らないでね.
8070:2001/07/14(土) 19:20
話を全部一般論にしちゃう,って批判は当たっているので
甘んじて受けます.でも,前にも出てきたけど「シンパじゃない」
スキナリアンは今度は特殊論に閉じこもって,議論自体拒否しがちなんだよ.
「他流試合」に乗り出す時点で正統派スキナリアンじゃないんだろうね,俺.
でも,俺はスキナーを「動物心理学の実験技術」に貶めてるやつらが嫌いなんだよなあ.
8141:2001/07/14(土) 20:13
言っておくが、こんな議論に乗り出す生物学者はいない。私だって他流試合に
挑んでいるのだ。

おそらくスキナリアンはさまざまな反論に応える用意だけは周到なのだろう。

>このとき,この現象を「記憶」「認知」などの「支える機構」の問題にするのか,
>「強化歴」などの概念を使って過去の外的事象に還元するかは
>理論的嗜好の問題に過ぎないだろうね.
 本当にこれでいいのか? 言っちゃ悪いがつまらないね。「強化歴」に還元する
のでは、全く発展する見込みがないではないか。偏狭な治療技術としてとどまる
ことを自ら選択しているように思える。
8241:2001/07/14(土) 20:30
反応クラスに関し、

>>69
>反応クラスは学習されるものと,生得的なものがあるんじゃないかね.
私は生得的なものがあるとは全く考えなかった。それより学習するというのは
どういうこと? 単に刺激と反応が結合することを言っているの?
それではなにも説明したことにならないと感じる。

51の言う「支える機構」、それは脳という解釈でいいんですか? 神経細胞の
生理学、脳や身体の神経連絡網、これらはすべて脳で何かが生じていることを
示す状況証拠ではありませんか。当然、次のステップは学習が起こった時に脳で
なにが生じているかに向かうべきでしょう。でなければ科学は進歩せんよ?
8341:2001/07/14(土) 20:43
>>73
>反応クラスの問題は,基本的には「同じ結果をもたらす行動が
>反応クラスを形成する」で別に「答えにならない」ことはないと思うが,
ではその反応クラスはどこで形成されるのか? こういう疑問は生じないの?
こういう質問はしていけないの? 生物学者なら迷わず、それは脳で
生じると答える。どのような仕組みで?それは今後の研究課題、という
具合にどんどん深化(進化ではないよ)していくものだが、こういう
姿勢はスキナリアンにはないのか?
8441:2001/07/14(土) 20:53
スキナリアンは強化随伴性という金科玉条の概念ですべて演繹的に説明しようと
するようだが、それでは納得できないという立場もあるんだよ。それを実験データで
示されなければ納得できないし、その強化随伴性の正体は何なのか、このことには
全く答えようとしないんだね。
8541:2001/07/14(土) 20:58
依然として感じるスキナリアンに対するこれらの鬱憤の原因は、
結局スキナーの理論というのは行動をコントロールするための技術と
いう閉じられた体系だから、なんじゃないですか?
8641:2001/07/14(土) 21:02
結局、
>でも,俺はスキナーを「動物心理学の実験技術」に貶めてるやつらが嫌いなんだよなあ.
この言葉は、スキナーの理論は今では顧みられることはなく、置き去り
にされている、ということを端的に示しているのではないのでしょうか?
8770:2001/07/15(日) 08:29
「脳が介在している」ということと「脳で生じている」ということを,きちん
と区別すべきだよ.反応クラスの問題でも「同じ結果を導く行動が,反応クラ
スを形成する」ときに,同じ結果を導く行動を判別して,反応クラスにまとめ
る,という過程は脳や中枢神経系で生じているだろう.

しかし,脳が何を,どのようにまとめるかは,脳の外側,生体の外側の環境の
中で起きた出来事(現在,あるいは過去において,それぞれの行動が実際にど
のような結果を引き起こしたか,同じ結果であったのはどれとどれか?)に依
存している.過去の事象を問題にするなら,「記憶」は確かに脳の中で生じて
いるが,「記憶の内容」は第一義的には外的事象に依存する.(行動に影響す
るのは「記憶の内容」であって記憶の過程ではないよね.)もし,脳の活動が
それらの「外的事象」に依存しなかったなら,その結果として起きる行動は環
境への適応に役立たないだろう.(外的事象に依存しない記憶,というものを
想像してほしい.)

したがって,反応クラスは「外的事象に依存して,脳を介在して生じる」ので
あって,「脳で生じる」のではない.反応クラスに限らず,強化随伴性は本質
的に外的行動と外的事象との「関係」であって,脳はそうした外的な構造を行
動へと媒介する機構に過ぎない.たしかに中枢神経系には(「脳」ではないと
いう説もあるので...)オペラント条件付けを司る機構はあるだろうが,その機
構の機能は「脳の外側の世界にある強化随伴性を判別し,それを適切な行動に
繋ぐ」ことであって,その働きは外的事象に依存して「いなければならな
い」.であるなら,強化随伴性の本質は外的事象の構造であって,脳内過程は
それに依存して働くだけだ.
8870:2001/07/15(日) 08:30
脳の活動が外的事象に依存する限り,外的事象の構造は脳を調べることによっ
ても解明できるだろう.たとえば神経の連結などを判読して,その個体がどう
いう反応クラスを持っているかを解明することは,将来可能になるかも知れな
い.しかし,それが本来「複数の行動が同じ結果になる」という外的事象に依
存しているなら,脳の中をのぞくより,外的事象の構造を調べた方が早い,と
いう理論的嗜好が生じるだろう.そして,少なくとも現段階では,反応クラス
を脳から読み取ることはできない.しかし,それを生じさせる外的事象の構造
は観察可能である.工学的興味の向く方向は自明だろうね.

生体の行動は,環境の中で起きる事象に依存して,脳を媒介して生じ,その行
動は環境からのフィードバックに依存して,脳を媒介して変化する.この時,
行動全体の理解のためには,環境の構造と脳の媒介機構の双方を理解すること
が必要だろうし,スキナーも生体内の生理的機構の解明には大きな期待を述べ
ている.でも,スキナーやスキナリアンは脳の働きよりも,脳を「働かせる」
環境の構造と,それと行動との直接的な関係に興味を持っている,ということ
だ.また,外的事象の構造を無視して脳だけを調べて行動を理解しようとした
り,なにかが外的事象と独立に脳の中で「生じる」と考えることは,端的に
言って「間違っている」.

スキナーの理論が時代遅れか,と言うことに関して言えば,部分的にはそうい
うところはある(「コントロール」の問題はそのひとつだと思う).しかし,
それが「環境の構造と生体の行動との直接的な関係」に注目するギブソン/生
態心理学,進化心理学などの心理学の新しい流れや,ダーウィンの「再評価」
などといった生命科学全体の流れとことごとく通底していることは重要.そし
て,それらがすべて「大脳生理学による行動理解」志向と鋭く対立することも
ね.
8949:2001/07/15(日) 11:47
用事があって、しばらく見れないでいたのだが、すごいことになってるな。

1. 反応クラスについて

41氏、これだけ説明してもらえばいいか。理論的嗜好の問題だと納得した?

あなたも52で言ってますよね。
 >おそらく、行動分析(行動主義)と認知心理とでは興味の対象が異なっているので
 >議論がかみ合わないというのが本当だと思う。
違うのは、興味の対象だけではなく、アプローチの仕方もだ。俺は生物学的アプローチを否定する
つもりはない。むしろ、行動分析学があまり触れない領域をカバーしてほしいと思っている。

「心ってどこにあるの?」の91を引用する(リンク張っても読まないかもしれないから)。よく読ん
で、「理論的嗜好の問題」というのを理解してくれ。一応言っておくが、俺が書いたんじゃないぞ。

91 名前:こころある名なしさん 投稿日:2000/12/06(水) 08:08
  高校生や脳至上主義の人のために老婆心ながら(ホントは爺だが)ひとこと言っておくと、
  伍長さんやマルシンドさんの議論は、
  「脳科学には意味がない」とか「脳と心は関係ない」とか言ってるわけじゃないからね。
  脳の研究は心の理解にとって重要だし、心理学もいろいろな形でそれに貢献していくだろう。
  (振り返ればヘッブやオールズといった心理学者が脳研究に突破口を開いたことも事実である)
  だが心(と呼ばれている現象)の全容を理解するにはそれだけでは十分ではないし、現実的でも
  ないと言ってるわけだ。
  そして脳研究を補完するというのではなく、脳研究とは違う次元の心の研究こそ心理学がやらねば
  ならない仕事だと。
  集合現象のような社会心理学の研究対象が脳内過程だけでは説明できないことはわかると思う。
  個人の心理現象と考えられているものでも、
  たとえば「妄想」を脳の過程だけ、あるいは個人内の過程だけで理解することができるだろうか。
  考えてみてください。
9049:2001/07/15(日) 11:48
2. 行動分析学は科学か、について

今更という感じもあるが、行動分析学とは何かを正確に伝えたいため、あえて書く。

>>64(41)
>前に述べた「科学」と「テクニック」は、「基礎科学」と「応用科学」に言い換えて
>もいい。では、心理学は応用科学なのですか?

>そう、「行動分析学の目的は行動の予測と統制」、これが自然科学者からみたら
>非常な違和感を覚えるのです。これはやはり科学じゃない、技術なんですよ。

>「コントロール(統制)」を強調するスキナーの姿勢が、行動分析学は科学ではなく
>技術であることを明確に主張しているではないか。

>>85
結局スキナーの理論というのは行動をコントロールするための技術と
いう閉じられた体系だから、なんじゃないですか?

もう一度書くが、行動分析学は(勝手に心理学と話を大きくしないでくれ)は、行動の説明、
予測、統制を目指しており、科学と工学の両方の分野を確立させている。

56で、俺は行動分析学の「工学/応用的側面」を技術と呼んでもいい、と書いたが、勝手に
行動分析学全般(科学/基礎的側面も含む)を技術とは呼ばないでくれ。

41氏の主張は、行動分析家に「行動分析学を科学として認めるのは間違っている」という形を
取るべきではなく、世間全般に「自然科学以外を科学と認めるのは間違っている」という形を
本来とるべき。
9149:2001/07/15(日) 11:51
(続き)

gooからとった大辞林の定義を貼り付けるから、これを読んで、科学と自然科学の関係、工学、
技術とは何を差すのかを理解してくれ。もちろん、俺は41氏が技術という言葉を(1)の意味で
使っているのはわかっている。

科学(science)
(1)学問的知識。学。個別の専門分野から成る学問の総称。「分科の学」ないしは「百科の学術」
  に由来する。
(2)自然や社会など世界の特定領域に関する法則的認識を目指す合理的知識の体系または探究の営み。
  実験や観察に基づく経験的実証性と論理的推論に基づく体系的整合性をその特徴とする。研究の
  対象と方法の違いに応じて自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。狭義には自然科学
  を指す。

工学(engineering)
  科学知識を応用して、大規模に物品を生産するための方法を研究する学問。広義には、ある物を
  作り出したり、ある事を実現させたりするための方法・システムなどを研究する学問の総称。

技術(technique/skill/technology)
(1)物事を巧みにしとげるわざ。技芸。「運転―」
(2)自然に人為を加えて人間の生活に役立てるようにする手段。また、そのために開発された科学を
  実際に応用する手段。科学技術。
9249:2001/07/15(日) 11:53
長々と申し訳ない。

今後は、
 ・スキナーのオペラント条件づけはコントロールか(62,63)
 ・生得的な反応クラス(69)
あたりを、行動分析的アプローチで膨らませて行きたいと俺は思っている。

くれぐれもまた「理論的嗜好の問題」という結論に至るのは避けてほしい。
81以降のあなたのレスは、ちょっと煽り気味だ。冷静にレスをしてくれ。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 15:42
煽り気味なのはむしろマル氏の方ではないかと。(笑)
94名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 16:45
やはり>>41氏のスキナー批判は教科書的(っていうのも変だが)でありきたりなんだよ。
去年までは俺もそうだったが。(笑)
やはり「心ってどこにあるの?」スレのせめて第一部だけでも読んだ方がいいと思う。
第一部 http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=974569037
第二部 http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=980862047
第三部 http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=984638115
(スレの中に貼られたリンクはなぜか使えないので、アドレスをコピペ)
俺はこれをリアルタイムで読んでスキナリアンへの偏見がかなり減少した(全部ではないが)。
今はまた元に戻りつつあるが。(笑)
9541:2001/07/15(日) 18:39
87以降を今読ませていただいた。遙か昔を思い出させる懐かしい内容であったと
同時に、心理学に幻滅するきっかけとなった内容でもあった。詳しい感想は後ほど。
96行動ヲタ:2001/07/15(日) 23:08
行動分析学の場合、それで得られた知見をもとに「心」の機能に迫ろうとする
のか(「心」を対象外にして関数的な記述で得られた知見を、演繹させて「心
」を探ろうという方法)なのか、行動分析の理論、技術を精緻化させて「心」
の問題とは切り離すのか?私は後者だと思うのですが。
もちろん、その技術を使って動物の認知的過程(パターン学習や概念形成等)
や知覚(視覚や聴覚といった感覚の測定)、サルのアイちゃんに手話を教える
などといった様々な応用があり、それによって認知へのアプローチも可能にな
りますが。そういう意味で、行動分析は実験心理学の非常に有効なツールだと
いうだけじゃまずいんでしょうかね。行動分析の理論によって「心」の機能の
解析をするというより、その技術を応用して解析するということなんじゃない
かと思うんですが。たとえれば、中華鍋みたいなもので、それ自体は料理じゃ
ないけど、それを使って揚げ物、蒸しもの、炒め物ときにはご飯まで炊けちゃ
うっていうような。素朴な厨房ですみません
9741:2001/07/15(日) 23:18
 反応クラスというものが存在するのではない。それは、同じ効果を持つ反応の
全体に対して人が名付けたものに過ぎない。ネズミが同じ効果を持つ反応を反応
クラスとしてまとめようとしているのではない。現実は、レバーは右足でも左足
でも押せることをネズミが学習していくのである。当然、どのネズミも同じ反応
クラスを習得するわけではなく、各ネズミが習得する同じ効果を持つ反応の総体
は異なっている。もちろん、それらの個々の反応は中枢神経系が習得していくの
である。

 脳の外側に事物が本当に存在しているかどうかをわれわれは知ることはできな
い。すべては脳の中で生じているのである。もちろん、進化を考えると外界を反
映していない知覚を有する個体は生存に不利であるから淘汰されるので、したが
って現在存続している種はその種が生きている環境を反映するような知覚システ
ムを有しているであろう。だから、われわれは外界が実際に存在し、それをあり
のままに知覚していると信じているが、それが正しいという保証はどこにもない。
すべては脳が知覚し表象しているだけである。基本はそういうものであるという
ことである。
 とはいうものの、それでも私は自分がほぼ知覚しているとおりの外界は存在し
ていると考えている。循環論のようになるが、その根拠は上述の進化である。過
去の経験は脳に蓄えられている。そして、外界をほぼ反映している知覚からなる
現在の意識の内容は脳によって解釈されている。おそらく作業記憶と呼ばれる機
能を司る脳のある領域が現在の意識の内容をさまざまにリアルタイムで操作し、
解釈し、解釈し直している。(強化?)随伴性も、外界を反映している(であろ
う)現在の知覚と過去の記憶とを照合しながら作業記憶が解釈し、必要に応じて
記憶として格納している。

 脳を調べることによって外的事象の構造を解明するのは意味がない。それは
逆である。外的事象の構造を反映する知覚を脳が解釈しているのであるから。

 生体の行動は、環境の中で起きる事象を反映する知覚を脳が解釈しながら、
必要に応じて有害物を忌避、あるいは有益なものに接近するように脳が各筋肉
を動かすことによって生じ,その行動は脳が環境からのフィードバック情報に
関する知覚を解釈しながら対処するために変化させる.この時、行動全体の理
解のためには、環境の構造に関する知覚を解釈する脳の機構と、各筋肉を動か
す脳の機構の双方を理解することが必要である。
9841:2001/07/16(月) 00:10
 私は結局、97では70の論理は全く意味がないと言っている。
しかし、理論上の嗜好の存在は理解した。嗜好というより指向
というべきかも知れないが。現在、日本では心理学は文学部内
の心理学科として分類している大学が多いが、米国ではほとん
ど心理学部として独立しているような印象を持っている。仮に
この構造を日本に取り入れるなら、心理学部基礎心理学科とし
て認知心理学講座、生理心理学講座などを置き、応用心理学科
として行動分析学講座、臨床心理学講座を置くという仕組みは
どうだろう?
 そうすれば、このような無意味な論争は避けられると思うの
だが。
99名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 00:21
臨床と関係ない話題はこちらへ
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=994930909&ls=50
100名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 00:30
101名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 01:52
百一
102名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 02:02
百二
10351:2001/07/16(月) 03:35
>>98
70氏が相手のはずなのに、どうしても41氏の方にツッコミを入れたくなる。(笑)
なぜにそんなに「行動分析=応用・技術」にこだわるかね(応用・技術力に乏しいことの反動か?)。
彼らだって基礎研究はしてるだろうに。
刺激等価性や対応法則の研究も「技術にすぎない」のか。
41は嗜好(指向)の問題は理解したと言いながら肝心の所は理解してない。
応用・技術に役立てば立つほど、それは応用科学だ工学だと言わんばかりだ。
結局これは、「心はどこ」スレの第1部でさんざん議論されたことなんだよ。
「機能とそれを支える機構」「料理の科学と電子レンジの科学」「人間が車を運転することの科学とエンジンの科学」
といった問題については、二人の脳科学厨房が狂言回し役になってくれたおかげで、
伍長氏らの分かりやすい解説が聞けてほとんど満場一致状態だった(奇跡に近い)が、
それでもこの二人には通じなかった。この点ではあなたも同様。
この区別ができずに後者の優越性(時には後者だけで良いと言っているとしか思えない)を
主張する偏狭な認知屋・生理屋が多いのは残念だ。
あなたの場合は、後者こそが科学で、前者は技術にすぎないと言っている。
「料理の科学」は料理技術だけが研究対象か?

偏狭といえばスキナリアンの代名詞だし、彼らに単純なヤツが多いのは事実だが、
だからといって行動分析が偏狭で単純ともいえない。
だいたい、それを言うなら認知屋の中にも偏狭で単純なヤツはゴマンといる。
こだわるようだが、
>「同じ反応クラスにある反応は同じ効果を持つ」ことを理解して
>いるから、と考えてなぜいけないのですか?
「理解」とは何か?
俺が認知屋になりきれないのは、このような単純素朴な発想を受け入れがたいからだ。
10451:2001/07/16(月) 03:39
>>70
一方、70の>>87,88はえらい自信(自信過剰も君らの特徴)だが、ほんとにすべてそうかいね。
例えばあなた方は、条件づけが生じた後のことばかりに注意が向いているが、
条件づけそのものについてはどうだ?
反応クラスの話はいい例なので私も追従したが、>>73>>77では全く不充分だ。
このような基礎過程の「機能」面でのミクロな分析へと進んだっていいわけだろう?
「いや、進んでるよ」というのなら別にかまわんが、俺が知らないせいもあり、
この手の研究は「機構」面からのものばかりという印象があって、見えてこない。
10541:2001/07/16(月) 04:23
>>103
97の方は読んでくれたのかいな。こっちの方が力を入れたつもりだが、
あまりふれる価値はないということ?
「同じ反応クラスにある反応は同じ効果を持つ」ことを理解しているから、
というのは書き方がまずかったと反省しているよ。だから、97では少し違う
言い方をしている。

そりゃ、応用するための基礎研究はいくらでもあるよ。しかし、行動分析と
いう目的がある限り、応用科学なのよ。
10651:2001/07/16(月) 04:45
>>97は読んでるよ。
同意できる点もあるし、突っ込みたいところもあるが、
さっき俺が問題にしたのは、「機能と機構」の問題だ。
なぜこんな簡単なことがわからんのだ。
あるいは、例えば>>105の第2段落だ。
応用するための基礎研究もあれば、基礎研究がすぐに応用に結びつくこともある。
それだけの話なのに、君のは強引な決めつけとしか思えない。
なんで俺がスキナリアンの弁護をせにゃならんのだ。
こんな間抜けなことじゃなくて、他のことで突っ込んだほうがいい。
その上で共闘しようぜ。
10751:2001/07/16(月) 04:53
いいかげん夜更かししたのでもう寝るから、
>>97はまたそのうち。
その他の点も言いっぱなしを悪しからず。
10841:2001/07/16(月) 05:27
>>106
「機能と機構」が「料理の科学と電子レンジの科学」に対応している
ことは分かった。それでもやっぱり私は料理は技術、電子レンジは
科学と言いたくなってしまうが、このことは科学論の世界であって
今は関係ない。
私は97で、87の主張とは違い「脳が介在している」のではなく、
すべては「脳で生じている」と主張した。「脳が介在している」こと
と「脳で生じている」ことを分ける必要はないと述べている。
そして97の最後の段落では87の主張を揶揄しつつ、脳は知覚を受け
入れる感覚器であると同時に、その知覚を分析して最後に各筋肉に
指令を与える効果器でもあると述べている。行動そのものを直接起こす
のが、脳の効果器としての機能であると言ってはいけないのか?

別に養老氏の「唯脳論」が念頭にあるわけではないが、私の考えは
これに近いものだ。
10949:2001/07/16(月) 06:08
>>41

脳に関する「感想」について

「心ってどこにあるの?」を読んで、自分と「二人の脳科学厨房」のどこが
同じでどこが違うかを理解してくれ。現時点では、俺には違いは見えていない。

話はそれからだ。
11049:2001/07/16(月) 06:11
>>51

反応クラスについて

ある反応クラス内の反応(右足で押す/左足で押す、など)は、実験者が目的に応じて
決定する。

つまり、実験者がどちらの足で押してもその反応を強化すれば、左右両足で押す反応が
反応クラス内の反応となり、実験者が右足で押す反応のみを強化し、左足で押す反応を
消去すれば、右足で押す反応のみが反応クラス内の反応となる。

左右両足でレバー押しをするネズミは、「どちらの足で押しても餌が出ることを理解して
いる」のではなく、単に実験者が左右両足でレバー押しをする反応に同じ効果を与えて
いるだけ。

以上がシェイピング時の反応クラス形成の大前提(今更な説明で失礼)。

次に、ある実験では、左右どちらの足で押してもその反応が強化されるにもかかわらず、
あるネズミは左右両方の足でレバーを押し、あるネズミは右足でしかレバーを押さず、
左足でレバーを押すという反応を自発しなかったため、その反応が強化される機会が
なかった。この現象をどう理解するか。

こういったあるオペラント行動が自発される/されないという違いはどこから来るのか。
この違いを70氏は>>73で次のように説明する。

>このとき,この現象を「記憶」「認知」などの「支える機構」の問題にするのか,
>「強化歴」などの概念を使って過去の外的事象に還元するかは理論的嗜好の問題に
>過ぎないだろうね.

俺は基本的にはこの考えに合意する。つまり、アプローチの仕方はいろいろあるという
ことだ。

氏は104で
>反応クラスの話はいい例なので私も追従したが、>>73>>77では全く不充分だ。
と言っているが、何が「全く」不十分なのか、もう少し詳しく説明してもらえない
だろうか。

もし、「基礎過程の機能面でのミクロな分析」をもとに説明していないからだ、という
のであれば、それには同意する。でも全く不十分というのはちょっと言い過ぎでは?
まあ、言葉の問題はいいや。

俺は、こうした「条件づけそのもの」「基礎過程の機能面でのミクロな分析」のような
ことを、アメリカではやっているところもあるという話を聞いたことはあるが、人から
聞いただけで、それが本当にそうかもわからないし、ここで説明出来るだけの知識もない
ので、ここは51氏の批判を真摯に受け止めたいと思う。

一応言っておくが、俺は行動分析学的アプローチは非常に実用性に富み、優れたものだと
思っているが、行動分析学至上主義者ではない。

「だから俺は行動分析学は嫌いだ」というのは良い。それは「嗜好」の問題だ。だが、
「だから行動分析学はだめだ」とか言うのはやめてくれ。聞き飽きた。煽りたかったら、
別のスレを立ててくれ。
11141:2001/07/16(月) 06:12
こういう見方はどうだろうか。
われわれは外界の事物と直接相互作用することはできず、あくまで
脳による外界の理解というフィルタを通してしか外界と相互作用する
ことはできない。だから、脳による外界の理解が最も重要な課題となる。

だから私は行動の予測と統制を目的とするスキナリアンと話がかみ合う
わけもなく、ここからさっさと去るべきなのだ、と。
11241:2001/07/16(月) 06:26
110は僕に対する回答でもあるね。

>左右両足でレバー押しをするネズミは、「どちらの足で押しても餌が出ることを理解して
>いる」のではなく、単に実験者が左右両足でレバー押しをする反応に同じ効果を与えて
>いるだけ。
まず、やっぱりこの説明に僕は吐き気がするんだ。

>あるネズミは右足でしかレバーを押さず、
>左足でレバーを押すという反応を自発しなかったため、その反応が強化される機会が
>なかった。この現象をどう理解するか。
これはたまたまそのネズミが左で押すことに気がつかなかっただけ。
そのことに意義を見いだすことは無意味、だと思うんですよ。
113名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 06:37
認知心理学者,認知主義者がみんな41のような考え方とは思わないが,
それが古くも懐かしい唯心論や,広い意味での観念論と非常に
親和的であることは明らかだ.おそらくスキナーや行動主義を引き合いに
出さなくても,もっと古くてシンプルな,たとえばレーニンの認識論を
用いても,41の主張を論破するのは容易だろう.

結局,論点は「外的事象のリアリティ」という「思想上の問題」なのだ.
41が考えているのとは(おそらく)反対に,外的事象はそれ自体が
行動に影響するのではなく,それの「脳による解釈」が行動を決める,
という考えは,数千年前から人間が考えてきた,常識的「信仰」であり,
おそらくすべての宗教はそれを基盤に成立している.また,伝統的な心理学,
構成主義から認知主義に至る流れも,そうした「俗信」を基盤にしている.
単に,大昔の哲学者が考えた「心」や「精神」という「形而上学」が
最近では「脳」に乗り移っているだけだ.

心理学ではスキナーやギブソンが,哲学では分析哲学や社会構成主義が
やろうとしたこと(やろうとしていること)は,「世界は解釈されるのでは
なく,世界自体がリアリティである」,「生体の行動は(脳による)解釈にではなく,
リアリティとしての外的世界に依存している」という当たり前のことの
再評価だった.たとえばスキナーは強化随伴性という「リアリティ」が生体を
「直接」動かすこと,ギブソンは「ビジュアルフロー」という「リアリティ」が
生体によって「直接」知覚されることを明らかにして,それを実現したわけだ.
11441:2001/07/16(月) 06:48
>>113
攻めるのはうまいね。ただし、いつも新しいものが正しく、逆転の
発想が常に成功するわけではない。まだ勝負はついていないよ。
115名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 06:52
確かに環境と行動を繋ぐ脳の役割を否定するのはナンセンスだ.

しかし,百歩譲って脳が「知覚を受け入れる感覚器であると同時に,その知覚を
分析して最後に各筋肉に指令を与える効果器でもある」としても,
その流れ全体が,第一義的には「受け入れられる知覚内容を作り出すリアリティ」に
依存していることは,絶対に否定できない.41も認めているように,
外的リアリティと連動しないような脳の働きは非適応的なのだから,
脳による解釈の「幅」はむしろ誤差であるし,生体の生存にとっては無意味だ.
だったら「生体の行動の理解」が目的であれば,まずはそれを生み出す
(そのために脳などを動かしている)外的リアリティを把握することが
重要だろう.

それ以前に,「脳による解釈」ということ(「心による解釈」とどこが違うの?)自体も,
そもそも外的リアリティに依存して起こる.過去の事象の記憶,
過去の経験などが脳内で総合されて,といっても過去の事象や
経験自体が外的リアリティに依存しているし,外的リアリティに
依存していない記憶や経験は「偽」であって何の役にも立たない.
116名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 06:53
心理学を含めた行動科学の目標は,「生体の行動の説明,予測,統制」で
あって,それを可能にするためにさまざまな要因を分析してきた.
もし脳などの内的過程の分析が有意義であるなら,それは,その分析が
上記の目的の達成を増分するからである.脳の働きが根本的に「外的リアリティ
を行動に結ぶ」ものであることは自明なのだから,まずは外的リアリティと
行動との関係を解明して,つぎに,それを支える機構としての脳の過程を
分析して,説明や予測を増分していけば良い.分析の多くの過程のうち
ひとつだけを特別視して,それ以外,それどころかわれわれの科学の
本来の目的自体を疎外してしまうのは,一種の「倒錯」だ.

古くは精神科学と言われたもの,あるいはオカルトや心霊主義の
ようなものが,そうした倒錯の主要な例だが,41の主張だけを
読んでいると,脳科学と言われるものも,そうした倒錯の
一種であるように思えてくる.
117名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 08:34
>>114
勝負はついていない,って,誰と誰の勝負のこと?
行動分析と大脳生理学との勝負,みたいな論点だったら
「どちらも大事,どちらもなければはじまらない」で終わり.
君が本当に「生物学者」だとしたら,生得的でない行動が
経験によって獲得される仕組み,を,条件づけという生体と
環境との相互作用システムと,それを支える筋肉や骨の構造,
中枢神経系のシステムなど(これらを並列に並べていることには
ちゃんと意味がある)のどちらかを抜きに論じること自体
ナンセンスだと言うことはわかるだろう.
高校の生物の教科書にも書いてあることだよ.

ただし,「いつも新しいものが正しく、逆転の
発想が常に成功するわけではない。」っていうのは
その通りだと思うし,まったく同意するよ.
ところで,君はスキナーが「前世紀の遺物」だとか
言ってたよねー(笑).

みんなが信じているわけではなかったり,「時代遅れ」だとかされる,
少数派の意見に立つ人間は,それなりに自分で考えて,
多くの抵抗や非難に耐えてその立場を取っているわけだ.
そこには自分の「常識」や「俗信」を相対化することも含まれるから,
他人の論理の迷信性などにも敏感になる.
自分の素朴な実感に合っていて,かつ流行の考え方であるものを
無批判に信じているだけの人間とは違うし,そういう連中に
簡単に負けはしないんだよ.
11841:2001/07/16(月) 09:31
116を読んでいるとどちらが宗教なんだ(笑)と言いたくなってくるね。

117に対し、俺だって生物畑にあってオペラントを始めた異端児
だったんだよ。君らは少数派なりに徒党を組めるが、俺は周囲に
味方すらいなかったんだ。そんな中でオペラントに疑問を生じた俺の
気持ちを想像してみろ。そして苦しんだ末、やっと俺は認知心理を見つけて
迷路学習に取り組み始めんだよ。別に俺は自分が流行に乗っている
なんてこれっぽっちも考えたことはないし、徒党を組んでいるような連中に
俺だって簡単に負けはしないんだよ(笑)

またしばらく考える。
119116:2001/07/16(月) 10:46
わかったわかった,ものすごーく良くわかった.
それを先に言ってよ.

生物学や動物行動学では,学習と言うものを
テーマにすること自体が少数派だし,学習についても
具体的な学習内容や,それを制御する要因(これが
行動分析学のテーマなんだけど)より,学習を
支える機能が,主に進化によってどう成立して,
生得的にどう準備されているか,の方が主要なテーマだよね.
そういう意味ではオペラント条件づけみたいなことに
興味を持つのは異端だし,おそらく脳に興味を持つのも異端だろう.

生物学者の多くは,後天的な行動の成立における条件づけの重要性や,
それを支える脳の機能の重要性は認識しているものの,それの実際の
機能や,それによって生じる個体の具体的な学習とかより,
そうした機構を生じさせた進化の過程や,それを支える遺伝機序みたいな
ことの方に興味を持っているよね.
120名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 10:50
俺は,「生体の環境への適応」という大きな流れの中では
進化のシステムとオペラント条件づけが,それぞれ種の適応,
個体の適応というかたちで連続して作用していると考えるし,
どちらも「変異と選択」のシステムという点で相同だと考えてる.
そして,進化に関しては生物学者も「突然変異と自然選択」という
「外的なリアリティ」を進化の原因だと考えて,それを支える
「機構」として遺伝のシステムを考えてるよね.でも「進化は遺伝で
生じる」なんて,誰もいわないでしょう? 進化における遺伝の機構と,
オペラント条件づけにおける脳の機構は,類似した位置づけと
考えていいと思うんだけどなあ.

将来的には,生物学が個体レベルの適応にあんまり興味示さないなら,
それは心理学がやればいいし,進化生物学と行動分析学の
連続性が強調されて同一原理で統合されるようなことがあれば,
行動分析学は生物学の一部になってもいいと思う.

しかし,生物学の中でオペラントをやって,それに挫折した時に
進化生物学とかそっちにいかないで認知主義になっちゃうなど,
あくまでも「個体」にこだわるところが,君の志向性なんだねえ.
ある意味,生物学と行動分析学をつなぐ人だよね.
俺の知ってる生物学者はみんな「個体の学習については行動分析で
いいと思うけど,そういうことには俺はあまり興味ないもんね」みたいな
ひとばかりだもの.君みたいな人に行動分析学がきちんと理解されていないのは
すごくもったいないことだなあ.
121名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 12:41
ところで,41氏は生物学の中で条件づけの研究を始めた時,
条件づけと進化が基本的に同じ仕組みだ,という認識はあった?
どうも多くの生物学者には(もちろんほとんどの心理学者にも)
その認識はないようなのだが.
122伍長:2001/07/17(火) 01:21
>>1に対して書き込もうと思っても、レスの流れが早くて、きっかけがつかめません。
キリのいい頃合いがなかなか来ないので、あえて話題を逸らすようで恐縮ですが、
私の考えでは、
>>1
(1)スキナーの主張の中では、「環境側の変数の分析が疎かになってはいけない」ということが最も重要であって、この点はいくら強調してもしすぎることはないと思います。
(2)素人の無責任な立場で極論すれば(実は極論だとは思っていないが)、(1)さえ注意していただければ、各派(行動分析派を含め)に対し、「お互い、他のことはどうぞ御自由に」です(ただし行動分析派に対しては少々要望はありますが)。
(3)スキナーの最大の誤りまたは過ちは、極めて「排他的」なスポークスマンであったということです。ハル派も認知心理学もひとまとめにして、ほぼ「全面否定」したこと(これは彼の言語行動論と矛盾すると私は考える)による反発から、行動分析学が過度に疎外されるようになったという側面があります。これは心理学にとって不幸なことであり、この罪は大きい。この影響が将来において消える可能性は極めて低い(orほとんど無い)のではないかと思います。(2)の立場で良いはずなのです。

では、お続け下さい。
面白く読ませてもらっています。
12341:2001/07/17(火) 03:56
 生物学者にも「学習」に興味を持っているものは多い。生得的な過程(ローレンツ
らによって強調され過ぎた)や進化は動物行動学では重要なテーマかも知れないが、
後天的な過程に関心を持っている生物学者も大勢いるのだ。ただし、「学習」と括弧
付きで示したように、心理学者の定義する学習とは異なっている。彼らには、学習は
「行動として外部から看てとれるようになった記憶」程度の認識しかない。そして、
彼らにとっては記憶は脳内で生じる過程、学習は脳を介して筋肉で表現される過程で
あることは「自明」なんだよ。
 だから、結局は脳を対象に研究しないと話が始まらないと考えている。そのために
はある程度の研究設備が必要だ。ショウジョウバエはその点、安価な設備で飼育でき
るので遺伝研究に広く用いられてきており、染色体地図も詳細にわたって調べられて
いるので行動の研究に適していると考えられた頃があった。しかし、ショウジョウバ
エを対象にした学習行動に関する研究発表を聞いたことがあるが、その学習行動と思
われた原因は眼の色素の異常(感覚系の異常による)か筋肉蛋白の異常(効果器の異
常による)がほとんどだった。これではつまらない。
 私もしょせんは生物学者、内的過程を実現する脳の機能にこそ関心を持っているの
だ。しかし設備の制限からオペラントあたりから始める以外に手がなかった、という
のが正直なところである。スキナーの著作を最初に読んだとき、心理学を含めた行動
科学の目標は「生体の行動の説明,予測,統制」であるというその主張に、心理学は
その言葉から内的過程(=脳)の機能を研究する学問と思っていた私は大変な違和感を
覚えた。そしてその違和感は実験を通じて逆に大きくなっていったことは先述の通り。
 それからかなりの時間が経って、私が考えていた心理学(内的過程(=脳)の機能を
研究する学問)は認知心理学だったのだと気がついたのだ。この辺は、学部時代から
認知心理学を行動主義心理学などと相対的に観ることのできた心理学出身者とは違っ
ているかも知れない。

 言っちゃ悪いが、私は「生体の環境への適応」という大きな流れの中では進化のシ
ステムとオペラント条件づけが,それぞれ種の適応,個体の適応というかたちで連続
して作用しており、どちらも「変異と選択」のシステムという点で相同だというのは
理解できない。少なくとも、オペラント条件付けは脳が発達した鳥類やほ乳類以降の
生物になって初めて適応上の価値を持ってくるかも知れない、という程度の認識だ。
オペラント条件付けができるほど高度の脳機能は自然環境においてそんなに適応上の
価値があるだろうか? オペラント条件付けはやはり人為的な事態であり、ハトやネ
ズミにほとんどサーカスを仕込んでいるようなものじゃないのか。
 自然環境はきわめて固い。おそらく、少なくとも数万年間のスパンでほとんど変化
しない環境だ。これほど長い間変化しないからこそ、その環境に適応した種が進化に
よって育まれるのだ。学習能力が価値を持ってくるのは捕食動物の側だ。彼らはさま
ざまな策を講じて餌となる動物を捕まえようとする。ただし、彼らの各個体が学習す
る内容は数万年間を通じて同じことだ。だから学習能力も進化する可能性がある。餌
を注視できるのは捕まえる上で有利だろうから眼球はますます前方に寄ってくる。こ
れと同じ仕組みで学習能力も徐々に進化する。逃げる側も進化するだろうが、飛行し
て逃げるなどの方法ははるかに進化に時間がかかる、言い換えれば難しいので、基本
的に同じ逃走方法が洗練されていくだけだ。(スキナーがハトを使用したのは別に深
い考えがあったわけじゃなく、単に手に入りやすかったからだろう。現在では薬理や
医学的研究にネズミが用いられるようになり、手に入りやすくなったからネズミが用
いられているに過ぎない)

 いずれにしても、脳は理想的には人間を対象に研究したいと生物学者は考えている
だろうし、行動分析も人間を対象に応用することを目指しているんじゃないのかな。
だらだらと書いてすみません。
124名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/17(火) 08:23
あなたやっぱり,心はどこにあるかスレとか,読んでみた方がいいよ.

脳は学習を支える機構,脳がなければ学習は成立しない,このことは自明.
しかし,学習の内容(なにが学習されるか)は環境の構造(たとえば強化随伴性)に
よって定まる.このことも自明.学習の問題を考える上ではこの両方を
解明することが必要だし,どちらに重きを置くかは単なる理論的嗜好の問題.
「なにが学習されるか」を,脳だけを調べて解明できるか?この点について
君はまだ何も答えていないので,考えてほしい.

環境の構造がどのように行動と相互作用するかを調べるのが行動分析学,
環境の構造と行動を媒介する機構を調べるのが認知心理学や脳科学,
やっていることが違うし,二つは相互補間関係なんだよ.

私の知り合いにもハチなどの昆虫の学習を研究している人,ウシの
学習を研究している人などいるが,ハチやウシの学習を支える機構,
という意味では脳や中枢神経系を調べることが必要だが,ある個体が
具体的になにを学習するか,ということを考える時には行動分析の
アプローチが必要,ときちんと使い分けている.脳を調べれば,
学習を支える一般的な構造はわかるが,具体的にどういう学習が,
どのように生じるか,ということは脳をいくら調べてもわからない.
このことはわかってくれた?
125名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/17(火) 08:29
自然環境は全体としてはかなり固いかも知れず,総体としての環境への
適応はあなたがいうように長い年月をかけて成立するものだろう.それが
「進化」だ.しかし,総体としては固い環境も,個体が直面するケースレベルでは
激しく変動する.たとえばある生物が桑の葉を食べるとして,それは「食料として
桑の葉が存在する」という「固い環境」への適応によって,時間をかけて
成立してきた特性だろう.しかし,その生物のある個体が具体的に目の前に
ある桑の葉を食べようとするときに,その桑が存在し,提供される条件は
流動的だ.その桑は高いところにあったり,なにかに隠れていたり,
桑を食べるために排除したり,達成しなければならない条件が多数存在するだろう.
こうした「環境のフロー」に対応するのが学習能力だ.そして,環境に適応した新しい行動は
オペラントのランダムな自発→環境によるランダムでない選択→適応した行動の増加
というオペラント条件づけの仕組みで学習される.これが,進化とオペラント
条件づけが連続的で,相同だと言うことの意味だ.

重要なことは,このようなオペラント条件づけによる学習,それによる
「環境フローへの適応」は,ごく日常的に,脊椎動物および一部の昆虫
などによって営まれている,ということだ.オペラント条件づけ,
という概念は,そうした仕組みにつけられた名前に過ぎないし,
「制御された条件で動物を動かす」という行動分析の研究方法は
単にそれを研究しやすく抽象化しているだけで,そうした「人為的な」
状況は,そうでない場合(それが大半だろう)も含めたオペラント条件づけ
の仕組みを解明するための,ひとつの概念装置に過ぎないんだよ.
126名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/17(火) 08:57
でも「自然環境は固く,変化しない」という認識自体,
「生物学者」のリアリティが,現実の世界からどれだけ
離れてしまっているかを示しているね.たとえば北海道の
山の中にすむヒグマの毎日の生活をヴィヴィッドに
想像することができれば,その生活環境が,毎日どれだけ
激しい変化や変動にみまわれているかは容易に理解できるはずだ.
生物の行動が進化による「固い環境への適応」だけで決まっていると
したら,とくに自ら広範囲に移動する能力を持つ生物が環境に適応すること,
端的に「生きていくこと」は困難だ.自分の生活環境の「固い」部分には
進化によって種として適応するとともに,生活環境のフローの部分には
条件づけによる学習によって適応する,ということが可能になって初めて,
生物は具体的な(リアルな)環境に適応することができる.

多くの昆虫や,それより下等な生物は学習能力をもたないと
考えられているが,そういった生物は比較的限られた環境のもとで,
自発的な移動も狭い範囲で限られて生活していることが多い.
そうした生物にとって環境のフローは直接に「死」を意味するけれど,
学習能力を持つ生物では,そうではない.リアルな環境のフローへの
対応が学習であり,行動分析はそれを環境のリアルなフローとの
直接的な関係から分析しようとするわけだ.

心理学における行動分析や生体心理学などと認知主義との違いは,
環境をリアルなフローとして見るか,脳によって「解釈される」抽象化された
概念として見るかという点にあるのかも知れないなあ.
127名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/17(火) 09:08
多くの心理学者が見ようとしているものが現実のリアルな
人間ではなく,抽象化された,概念的な人間であるのと
同じように,生物学者が見ようとしている「生物」も,
現実のリアルな生物ではなく,抽象化された,概念的な生物
なのだ,ということは,生物系の研究者とおおく接するようになって
最初に感じたことだ.彼らにとっての「生物」とは,目の前で,
リアルな環境のなかで生きているリアルな生物ではなく,たとえば
「遺伝子」であり,たとえば「生得的な解発機構」であるわけだ.
心理学でも同じ,心理学者が求めるのは目の前のリアルな人間ではなく,
たとえば「こころ」であり,たとえば「無意識」であり,たとえば
「認知過程」であるわけだ.

心理学においてスキナーとギブソンに共通する異端性というのは,
ふつうの心理学者たちがもとめる「抽象化された人間」
「抽象化された生体」ではなく,リアルな環境のフローの中で,
リアルに行動する人間/生体を直接見ようとしているところに
あるかもしれないなあ.
128名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/17(火) 10:16
なんか客観的に見るとこれはアバタースレに似ているなあ....
129名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/17(火) 11:11
たいへん面白く読ませていただいております。
130行動ヲタ:2001/07/17(火) 17:12
スキナーという目立たないスレにしたおかげで荒らされないでよかった。
いやあ、実に面白い(ヲタでもわかる心理学?)ので、もっと続けて下さい。
それではまた。
13149:2001/07/17(火) 18:48
1. 脳を対象とした研究について

>>123(41)
>彼ら(生物学者)には、学習は 「行動として外部から看てとれるようになった記憶」
>程度の認識しかない。そして、 彼らにとっては記憶は脳内で生じる過程、学習は
>脳を介して筋肉で表現される過程で あることは「自明」なんだよ。だから、結局は
>脳を対象に研究しないと話が始まらないと考えている。

41氏、「理論的嗜好の問題」というのを理解しているのか?してないのか?

124氏(70氏)は、「あなたやっぱり,心はどこにあるかスレとか,読んでみた方がいいよ」
と書いているが、このレスを見る限り、やっぱり俺もそう思うぞ。

>私もしょせんは生物学者、内的過程を実現する脳の機能にこそ関心を持っているのだ。

これは41氏の嗜好を単に表明していると読んでいいか?っていうか読ませてくれ。

もう一度、117氏(70氏)の言葉を伝える。
>行動分析と大脳生理学との勝負,みたいな論点だったら
>「どちらも大事,どちらもなければはじまらない」で終わり.

で、もうこの話は止めよう。
13249:2001/07/17(火) 18:49
2. オペラント条件付けと進化(1)

70氏の125〜127の説明でわかった?少なくとも、俺にはわかりやすい説明だったけど。

>>123
>オペラント条件付けはやはり人為的な事態であり、ハトやネズミにほとんどサーカスを
>仕込んでいるようなものじゃないのか。
結局、以前ちょっと話が出た「オペラント条件付け=コントロール」という枠組みから
離れられてないのかな?この枠組みにとらわれていると、オペラント条件付けと進化の
関連が見えないのかもしれない。

何度も繰り返された、「行動分析学の目的は、行動の説明、予測、統制」という言葉が、
ますます41氏の「オペラント条件付け=コントロール」という理解を深めているのか?

よく見てくれ、「統制」だけじゃないぞ。「説明」もあるぞ。「説明(理論)」を基に、
「予測」と「統制」を、必要に応じて行ってるだけだ。常に「統制」を行っているわけで
はない。

しかしこの「オペラント条件付け=コントロール」という誤解が広まってしまったのは、62
でも「スキナーの間違い」とされているし、一般的にもこういう誤った理解がされていると
思うので(特に教育の分野とか)、これは行動分析家の問題でもあると俺は思う。

なので、非常に単純に、「オペラント条件付け=コントロール」でない例を以下説明する。
13349:2001/07/17(火) 18:49
2. オペラント条件付けと進化(2)

分かりやすくするために、強化について説明する。

まずは強化の定義を紹介する(杉山ら『行動分析学入門』を参照。ちなみに、この本は非常
にわかりやすく、是非41氏に読んで頂きたいので、以下、この本を基に説明する)。

 行動の直後に、好子(強化子)が出現したり、好子(強化子)が増加するという経験を
 すると、その行動は将来起こりやすくなる

注意してほしいのは、「出現する」と「増加する」という言葉。ここには
>>62
>人格を持った主体が,その意志や計画などの「目的」に基づいて他の存在や事象に影響を
>与える
という意味はない。極めてニュートラルな意味しかない。

これだけではわかりづらいので、コントロールされていない強化の具体例。

本当に何でもいいのだが、例えば「自閉症児が、意味もなく手をふらふらと振る」という
行動。これは手を振るとなんか気持ちいいという「感覚性の強化子」が「手を振る」という
行動の直後に「出現」することにより、維持されていると行動分析学では「説明」する。

しかし、誰かが自閉症児をして手を降らせるように「コントロール」しているだろうか?この
世界をお創りになった神か?そうじゃないだろ。誰も「コントロール」などしていない。

こうした、感覚性強化子「など」により、形成・維持される強化随伴性のことを「行動内在的
強化随伴性」と呼ぶ。
13449:2001/07/17(火) 18:50
2. オペラント条件付けと進化(3)

一方、その自閉症児の両親が、自分の子供が意味もなく手を振っているのが忍びないため、
行動分析家に問題の解決を依頼したとする。

そして、手を振ることとは両立しない、「おもちゃで遊ぶ」という行動を注目などの「社会的
強化子」で強化し、問題の解決を図ったとする。

この場合の、社会的強化子「など」により、形成・維持される強化随伴性のことを「付加的
強化随伴性」と呼ぶ。

この「付加的強化随伴性」を「コントロール」と呼ぶかどうかどうかこそが、レトリックの
問題。医者が患者を治すことを「コントロール」と呼ぶ人は、この「付加的強化随伴性」も
「コントロール」と呼べば良い。

以上、「オペラント条件付け=コントロール」でないことの説明。

これを読んで、オペラント条件付けとコントロールの関係を理解し、それがオペラント条件
付けと進化の関係を理解するのに繋がればいいと思うが、もし、まだわからないようだったら、
どこがどうしてわからないか説明してくれ。


いつも長々と非常に申し訳ない。

あと、他のこのスレを読んで下さっている方々からのレスも求む。
135行動ヲタ:2001/07/18(水) 01:17
行動分析学の用語って一般名詞とテクニカルタームが混同しやすいので要注
意。普通、行動という言葉を用いた場合、一般名詞では「人間などが主体性を
もって自らの意志で行動する」という意味が普通だろうが、行動分析学の場
合の行動は「生物が環境に働きかける動作全般」(こんな言い方でいいのか
な?)になる。私のような厨房と専門家が同居しているようなスレでは、そ
もそもの用語の使い方で論点がかみ合わないことがある(他分野の専門家も
同じ)。オペラント条件つけがコントロールでないことは理解したが、例え
ばネズミのレバー押しを強化子を使って頻度を増やす、罰を使って頻度を減
らすという一般例を考えた場合、行動の頻度の増減はコントロールされたと
いえるのか否か。確かにコントロールという言葉の定義の問題のような気が
する。厨房ですいません。それでは。
136名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 01:21
臨床系以外のネタは以下のスレで!
板が荒れないためにお願いします。
心理学全体とは違いますが、ここでは臨床がメインです。
みんなで自治して快適な板を目指しましょう!

http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=994930909&ls=50
137行動ヲタ:2001/07/18(水) 02:14
ここは行動がメインで臨床はやっていないようですよ。せっかくの行動のパラ
ダイスなので、このスレだけはそっとしておいてやって下さい。それでは。
138名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 02:26
上の方で臨床ネタみたいなもんも、やってたじゃないか。
13941:2001/07/18(水) 02:36
 「環境のフロー」に対応するのがオペラント条件付けということは理解しました。
どうもありがとうございます。ただし二点ほど突っ込んでおくと、昆虫のそれはオ
ペラント条件付けそのものを表象した神経回路が進化によって獲得されてすでに組
み込まれている可能性があるね。つまり、昆虫においてオペラント条件付けと見え
たものは、彼らがすでに遺伝的に持っている神経回路の機能が発現しただけかも知
れないね。
 鳥類と昆虫は同じように飛行するといってもかなり意味合いが違う。鳥類ではそ
の体重の大きさ故、自由落下でも死ぬし、飛行中に壁に激突しても死ぬ。着地する
場所をちゃんと選ばないと死ぬ。つまり鳥類にとって、飛行はきわめて淘汰圧の高
い状況なのだ。だから、そうならないように脳が発達している。一方、昆虫は小さ
くて軽い。空気抵抗の方が自分の装甲より強く、自由落下では速度が大きく制限さ
れるので死ぬことはない。もちろん彼らの装甲も頑丈なので、少々の速度で壁にぶ
ち当たっても死なない。昆虫は気軽な飛び方をしているのだ。おそらく数本の神経
線維でその飛行はコントロールされている。同様に昆虫のオペラント条件付けと見
える行動も、遺伝的に決定された数少ない神経細胞のネットワークによって実現さ
れているかも知れないね。
 どうもやはり、本当の意味でオペラント条件付けが可能なのは、大きな脳を持っ
ている鳥類、ほ乳類だけなんじゃないだろうか。スキナーがハトを実験動物に使っ
たのは運が良かったのかも知れない。
 それからヒグマにおけるヴィヴィッドな毎日の生活は、それが毎日同じヴィヴィ
ッドな経験であれば一週間もすれば飽きるだろうね。ヴィヴィッドというのは人間
が見てそう思うだけで、ヒグマには飽き飽きしたことかも知れない。


 理論的嗜好に関し、112で私がいみじくも述べている、
>>左右両足でレバー押しをするネズミは、「どちらの足で押しても餌が出ることを理解して
>>いる」のではなく、単に実験者が左右両足でレバー押しをする反応に同じ効果を与えて
>>いるだけ。
>まず、やっぱりこの説明に僕は吐き気がするんだ。
 これは確かに理論的嗜好だろう。私は後者の説明を好まないのだ。

 ところがそれは理論的嗜好にとどまらないことがある。
>>あるネズミは右足でしかレバーを押さず、
>>左足でレバーを押すという反応を自発しなかったため、その反応が強化される機会が
>>なかった。この現象をどう理解するか。
>これはたまたまそのネズミが左で押すことに気がつかなかっただけ。
>そのことに意義を見いだすことは無意味、だと思うんですよ。
 つまり君たちの理論的嗜好のために、私から見たら無意味な研究を君たちは延々
と続けることにもなりかねない。

「オペラント条件付け=コントロール」か?に関し、
 なんでもよいはずの例が、行動分析学の人間(自閉症児)に対する応用例なんだ
ね。
 それはさておき、私も自閉症には個人的に関心を持っている。最近、自閉症にお
ける回転運動は小脳の異常によるものではないかとする説が提出され、それを検討
した論文を読んだことがあるが、その研究では残念ながら小脳には異常は見いださ
れなかった。まぁ神経学による自閉症の研究は始まったばかりだから、これからも
見守る必要があるが。
 「感覚性の強化子」が「手を振る」という行動の直後に「出現」することにより、
維持されていると行動分析学では「説明」するというが、行動分析では行動が現れ
たときは必ず「強化」がなされている、背後に強化が存在すると考えるんだよね。
操作概念だったか? 強化の「実体」は何かを問わずに操作概念として強化を想定
するんだよね? 理論的嗜好というが、私はこの考え方が気にくわないんだよ、実
に。
 この例では確かに何か気持ちのいいこと、「感覚性の強化子」が存在することに
同意する。では次は、その「感覚性の強化子」の実体は何なのか?という具合に研
究を進めるのが論理的だと思うのだが、そうじゃないんだね。理論的嗜好で逃げる
わけだ、行動分析は。
14041:2001/07/18(水) 02:36
>>136
 心理学は臨床という考え方が理解できないね。それに悪いが、そのスレに書き込む
気はないよ。なんだったら、この板は「臨床心理学板」にして、別に「基礎心理学板」
を設けるよう、ひろゆき氏に掛け合ってもらえないか?
141名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 02:48
>>139
レスが長い場合は、2つか3つに分けてくれないか。
途中で切れるので読みにくいのだ。
(みなさんのレスはちゃんと面白く読んでるから)

>>140
その問題については、ちょっと前に盛り上がりかけたんだが。。。
が、みんな飽きてしまった。
ここを「心理学ロビー」板か「心理学」板のままにして、
新たに「認知・行動科学」板を設ける(できれば理系板として)というところまでは
進んだんだけどな。
「心理学」という名前が付くと、それだけでメンヘル厨房が押し寄せるだろうということだった。
14251:2001/07/18(水) 03:13
>>139
>行動分析では行動が現れたときは必ず「強化」がなされている、
>背後に強化が存在すると考えるんだよね
これは違うよ。
「行動が現れたとき」じゃなくて「行動の生起頻度が高くなったとき」だろう。
しかも、生起頻度増大に影響を与えるのは強化だけじゃない。
実際に頻度増大をコントロールするのは強化だとしても。

ただ、
>では次は、その「感覚性の強化子」の実体は何なのか?という具合に研
>究を進めるのが論理的だと思うのだが
は同意。俺も上の方(>>104など)でそれを言ったわけ。
要するに、遺伝環境論争の「相互作用説」みたいなもんで、
「相互作用」だと言ってオシマイ、
と、こんな感じに見えるんだよ。
これを行動遺伝学みたいに、さらに一歩踏み込んだ「相互作用説」なら、
まあ分かる。
少なくとも、「相互作用」とは「実際には」どういうものなのか、
ということを探っているようには、まあ見える。

>理論的嗜好で逃げるわけだ、行動分析は。
とまでは思わんがね。
143名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 05:32
>>41

確認事項。

「オペラント条件付けと進化の関係」と「オペラント条件付け=コントロールでない」
ということは、「基本的には」理解してもらえたと考えてもいいのかな?
(進化の方に関しては、突っ込みが2点あるというのはわかってる)。

もし、まだ疑問点があるようだったら、今のうちに教えてくれ。

他のことについてはまた後で。なるべく早くレスするようにするけど、遅くなったら
申し訳ない。
14441:2001/07/18(水) 06:16
確かに理解しました。
ただ、ごめんなさい、心理物理学スレを読んで恥ずかしくなってきた
ので、このスレからは退散したいのですが。
145名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 12:13
> それからヒグマにおけるヴィヴィッドな毎日の生活は、それが毎日
>同じヴィヴィッドな経験であれば一週間もすれば飽きるだろうね。
>ヴィヴィッドというのは人間 が見てそう思うだけで、ヒグマには飽き
>飽きしたことかも知れない。

細かいことだが,ヒグマを取り巻く自然環境が,年によって,
季節によって,または日によって,あるいはその個体の移動によって
どれだけ大きく変動するか想像できないかな?
リアルな環境のなかでは,毎日毎日が,全然違うのだ.
君の毎日の生活だってそうだろう.その日その日で,
会う人によって,行く場所によって,行動をどんどん変化させる
ことができなければ,社会に適応することはできない.
俺はそれを「ヴィヴィッドに想像できるかな?」と聞いたのであって
その環境がヴィヴィッドであるかを問うたのではない.

自発的な移動や環境の自発的選択の可能性が
大きくなるほど,個体を取り巻く環境のフローは大きくなり,
それに対応するための学習能力が進化する.
「高等動物だけがオペラント条件づけで学習する」のではなく
「オペラント条件づけで学習できるように進化した動物だけが,
高等動物である」と言う方が正確かもね.
14649:2001/07/19(木) 15:49
基礎過程の機能面でのミクロな分析について(1)

>>139(41)
>>>あるネズミは右足でしかレバーを押さず、
>>>左足でレバーを押すという反応を自発しなかったため、その反応が強化される機会が
>>>なかった。この現象をどう理解するか。
>>これはたまたまそのネズミが左で押すことに気がつかなかっただけ。
>>そのことに意義を見いだすことは無意味、だと思うんですよ。
> つまり君たちの理論的嗜好のために、私から見たら無意味な研究を君たちは延々
>と続けることにもなりかねない。

俺の110の書き込みがわかりづらかったようで。

行動分析の立場は、
 >(左右どちらの足で押しても、その反応が強化される場合でも)
 >あるネズミは右足でしかレバーを押さず、左足でレバーを押すという反応を自発しな
 >かったため、その反応が強化される機会がなかった
場合に、「それは過去の強化暦によるものだ」として、基本的にはそれ以上は突っ込まない。

それに対して、51氏が104で、なぜ「強化暦」で終わりにしてしまい、「基礎過程のミクロな
分析へと進まないのだ」という指摘をしたので、俺は「ごもっとも」という解答をした。

41氏の書き込みは、「それはネズミが気がつかなかったからだ」として、この「基礎過程の
ミクロな分析」は「無意味だ」と言っているように思えるが...

あるいは、もし「強化暦」という説明をすることが「無意味」だといっているのなら、それ
は何度も繰り返されている「理論的嗜好」の問題。

41氏からのレスがなければ、以上で41氏向けのレスは終わりにする。
14749:2001/07/19(木) 15:51
基礎過程の機能面でのミクロな分析について(2)

>>141(51)
>>では次は、その「感覚性の強化子」の実体は何なのか?という具合に研
>>究を進めるのが論理的だと思うのだが
>は同意。俺も上の方(>>104など)でそれを言ったわけ。

ミクロな分析に行くのが「論理的」かどうかはわからんが、基本的には、110と上の書き
込み同様、もっとこうしたミクロな分析が進めばいいと個人的には思っている。

なぜこうしたミクロな分析に進まないかというと、様々な原因が考えられるが、一つには
多くの行動分析家の関心が、応用に向いているからだと俺は思う。この応用(技術)こそが
他の心理学に対する行動分析学の「うり」であるため、非常に難しい問題だと思う。

結局、研究者の数が足らんということだ。でも、これは事実だからしょうがない。

122の伍長さんのレスの(3)ということになるのかな。残念だ。伍長さんの言うように、(1)
を強調するだけで、(2)の方向でもっと他の分野の協力を仰いて、いろいろな研究が進まん
ものかね。
14841:2001/07/19(木) 22:43
 145のヒグマの件は少しおちょくってみただけ。無意味な議論であることは
承知している。無視してくれたまえ。

 146では、我々は常に10週齢くらいの全く訓練経験のないナイーブなネズミを
使ってシェイピングを始める。そんなネズミのどこに強化歴があるのだ?と
突っ込みたくなるが、これももう今となってはどうでもよい。

 問題は147だ。「ミクロ」という言葉を使うことで瑣末な、とるに足らない分析と
言いたいのかも知れないが、科学のひとつの重要な仕事は「因果関係を明らかに
すること」だ。つまり、Aのために(Aが原因で)Bが起こる、ではAを起こす
原因はなにか?という具合に因果関係を追求していくのが科学であり、それが
論理的なのだ。それをせずに、同じレベルにとどまっているのであれば、それは
技術なのだ。
 そうならない原因として、147で述べられている事柄以外に、私は学問の
縦割り構造があると考えている。異分野の研究者同士が同じ話題で論議するのは
難しいという状況があり、それに輪をかけて異分野に乗り出す勇気のある研究者も
少ないのだ。
149名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 01:08
厨房ですが一言。心理学というと心理板のスレようなことを一般市民は思って
しまいます。専門の心理学者がいくら「私たちの8割以上は、この板のスレの
タイトル(例、血液型とか)とは関係のないことをしている」と言ってみても
一般の市民は心理学という名称からそういうイメージを持ってしまっているの
で仕方ありません。猿のアイちゃんの仕事が心理学者の仕事だと知っている人
は一般ではほとんどいないでしょう。特に行動学は独特の視点に基づいたユニ
ークな研究分野だと思いますが、なぜ、もっと一般市民に説明する努力をなさ
らないのでしょうか。せっかく、猿のアイちゃんがマスコミにのったのだから、
「これは行動分析の仕事だよ」ともっと一般市民に啓蒙すれば、有為な学生が
この分野に集まってくるはず。優秀な学生が集まればそれだけ進歩もするだろ
うし、心理学への誤解も解けるはず。他の分野との協力といっても、他の分野
の専門家自体、心理学に対して一般市民と似たような認識をしている場合も多
いいだろうし。マスコミに出てくる心理学者が、どうも香具師のような人ばか
りなので(この前、ゴルフ雑誌を読んでいたら、「ゴルフ心理学」の先生とい
うのが出てきて世も末だと思った)、まともな心理学者が「こんな研究も心理
学の分野でやってます」なんて、世間に言ってくれればと思います。
例えば、盲導犬に教える技術も心理学、いるかの芸も心理学、なんて一般の人
は知らないし、もし知ったら興味を持つ学生が増えると思いますよ。

あおりじゃありませんので気を悪くしないで下さい。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 17:33
age
151名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 23:18
あま
152池田晶子:2001/07/20(金) 23:20
女の子大歓迎!楽しく政治の話をしませんか?
最終的にはオフ会でおいしい思いがしたいです。
まあ冗談はいいとして小泉改革の失敗する理由や日銀が不況を
生んだ権化だ!という事を中心にしたHPです。
http://homepage2.nifty.com/-kubrick-/
管理人は若い(20代)男女二人でやってます。
15349:2001/07/21(土) 05:11
>>148
>問題は147だ。「ミクロ」という言葉を使うことで瑣末な、とるに足らない分析と
>言いたいのかも知れないが、
いや、そういうことが言いたいわけではなく、(以下省略)。

>>149
その通りだと思います。
15441:2001/07/21(土) 07:40
>>149
アイの研究は、主に生物学者が行動分析の技法を用いて霊長類学的、
文化人類学的な研究をしているんですよ。
155名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 08:31
>>154

行動分析の技法がなければ,その霊長類学的,
文化人類学的研究が成立しない,ということが重要ね.

心理学においても同じことで,反行動主義的な主張を
いろいろしていても,認知心理学や認知科学が人間や
動物の「認知」を研究している研究手法や,研究装置,
それを根本から支えている概念装置は行動主義そのもの
なんだよね.いわゆる「方法論的行動主義」ってやつね.

行動薬理学なんかも勉強すると,行動分析のフレームワークが
心理学以外にもどれだけの影響を与えているかわかるよ.
15641:2001/07/21(土) 08:41
行動薬理学は薬理学全体から見たら入り口なんですよね。行動薬理で
ある化学物質に「行動」全体の抑制作用や「学習」行動習得の鈍化が認め
られると、その化学物質が代謝系に作用するためにネズミが気持ち
悪くなって行動が抑制されるのかどうかを検討するために肝臓に対する
作用を検討し、筋肉の収縮力が抑制されるためにネズミに力が入らなく
なって学習行動が低下するのかどうかを検討するために筋肉に対する
作用を検討する、という具合にして新規化合物質の薬理学的研究が
進められるのです。
157名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 08:58
で,入り口がない建物には入れないよね.
そもそも「行動に対する効果」があるかないかわからなかったら
そのあとの「薬理プロセス」の分析自体がはじまらない.
で,その「行動に対する効果」を確認するためのもっとも
合理的で洗練された方法が行動薬理学で,それは行動分析の
技法なんだよね.

学習そのものについての研究でも,学習の内的過程や
脳のはたらきを調べるためには,まず学習自体がコントロール
できる必要があるわけだ.で,それは行動分析にしかできない.

君の論理で行ったら,そのうち「人間についての科学的研究では,
人間そのものはほんの入り口に過ぎないのです」とか言い出しそうね.
実際,心理学や生物学が陥っている「人間不在」「生物不在」
「リアリティ不在」は,君的な論理の当然の帰結なんだけどね.
158名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 17:13
そもそも、あれは生物学、あれは心理学という区別は分類のためにある程度は
必要であっても学際的な部分であれはこっちだと綱引きすること自体ナンセン
ス。興味のあり方で心理学者が生物学に転向(まあ、転向でき分野は限られて
いるだろうが)することもあるだろうし、その逆もある。こんなふうにして、
既存の分野が活性化したり新発見があるはず。行動薬理をやっている人自体、
自身は心理学出身でも今自分がやっていることは心理学か生物学かよくわから
ないのでは。
冷戦が終わってNASAで大量に解雇された物理学者が経済学に乗り換えて数理経
済学が発展したという歴史的事実もあるんだし。認知科学も同様。
心理学は人間を扱っている(方法論はいろいろあるが)という点であらゆる学
問分野と結合する可能性があるのに、あれは生物学、これは心理学と区別して
はつまらない。動物行動学だって生物分野の人と心理分野の人の視点の違いと
アプローチの違いがあってこそ面白いと思う。
15941:2001/07/21(土) 17:22
だからある意味、異分野からこの板に乗り出してきている僕の方が
先駆的なんだよ。それに、僕は157が言うような「人間不在」
「生物不在」「リアリティ不在」には陥っていないと思うよ。
160名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 17:31
>>41
ある意味,ってどういう意味? 158も君が書いたんだろうが,
158が正しいなら,「異分野から乗り出してきてる」ことが
先駆的,って理屈は成立しないだろう.そもそも異分野から
乗り出してきて,それが何か影響を与えるなら
意味があるが,ダメな生物学者が心理学にまで乗り込んで
来て,生物学の恥を晒すと言う場合だってあるだろう.

あと「僕は....には陥っていない」というのはどういう根拠で?
君の分野のいちばん偉い人だって陥っているのに,君が陥って
いないと言うことはないだろう.「陥ってないと思う」じゃだめだよ(笑.
161名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 18:20
149=158、で行動ヲタです。名前を書き込むと何故かエラーになってしまうの
で名無しで投稿していました。すみません。
私が書きたかったのは、異分野に乗り込めとか、乗り込んだほうが偉いとか、
いうことではなく自分で自分の分野に枠をかけていたら面白くないんじゃない
の?という単純なことです。私は社会人ですが、大学でやったこととまったく
関係ない分野のことをやっていますし、会社の同僚自体、全く違う専門分野で
す。でも、社会に出たらこんなことは普通で、僭越ですが、ここでの議論を読
んでいたら、心理だとか生物だとか、枠に関係なく興味があればやったらいい
だけじゃないと思ったので書き込みました。そもそも日本って、理系、文系と
いう受験上のカテゴリーを大学入学以降もずっとかかえているところが変です
よね。厨房ですみません。それでは。
162160:2001/07/21(土) 18:40
>>161
ああ失礼,158の内容にはとくにケチつけてないんだが(笑.
おっしゃることはもっともだし,そういう意味でも心理学の
なかでは行動分析がいちばん分野と関係なく役立ってるんじゃ
ないかな.たとえば「自称心理学者」が行動分析を使ってやってる
仕事に限っても,動物心理から障害児教育,マーケティングや
産業カウンセリング,ゴミ問題や環境美化まで幅広いよ.

俺がいまいる大学は心理学者は俺だけで,まわりは主に
動物,植物とりまぜた生物系研究者だけど,いわゆる
「心理学」の知識で評価されているのは行動分析と
生態心理学(ギブソン)だけといっても過言ではない.
動物行動学でも,家畜管理,動物行動臨床などでも,いざ生物を
具体的に動かすとなれば行動分析の手法を使っている.
「オペラント条件づけ」なんて言葉も,みんなちゃんと知っている.
だから俺も大変評価され,重宝されていて居心地がいいわけだ.
すでにみんな枠に関係なくやってるんだよ.

ただ,枠に関係なくやっている時の方がむしろ「心理学特有の知識」
とか「心理学にしかできないこと」を期待される,という面もある.
そういう意味では,心理学にこだわることと,枠に囚われずに
異分野といっしょにやることとは必ずしも矛盾しないんだよ.
163名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 18:49
>興味のあり方で心理学者が生物学に転向(まあ、転向でき分野は限られて
>いるだろうが
160さんが、かちんと来たのは私の投稿のなかの、この部分かと思いましたが、
これは心理学者が隣接分野の動物行動学や生態学などに転向することは想定さ
さるだろうが、菌類学者やウイルス学者に転向することは普通はないであろ
う、という単純な意味ですので悪しからず。言い方がよくなかったので、あお
りととられても仕方ありません。今度から気をつけます。それから、名前がな
くても最後に、「それでは。」とあれば私です。それでは。
164名無しさん@お腹いっぱい。
>162
まったくそのとおりと思います。ただし、「枠に関係なく」やる場
合、自分の立脚点を明確にしておかないと根無しになってしまいま
す。その点、162さんのように、自分の視点や興味のあり方を明確
にされたうえで他分野との接点をとられているのはさすがです。
他分野でもオペラントが既に技術として評価され、応用されている
のは喜ばしいことですが、願わくば、こういう分野が心理学にもあ
るということを「認知」させて欲しいですね。こういうレスをいれ
ると、自作自演とか、他人と勘違いされですが、私は行動ヲタです
のでお間違いなく。それでは。