1 :
森しゅしょー:
なんかブツブツ独り事いってるってほんと?
さすがに自分が馬鹿にされているらしい事は、「動物」の本能でわかるらしいな。
3 :
ハッピネス:2001/02/27(火) 01:55
オタクってどういう意味か知ってる?
中森明夫と大塚英志から解説しよか?(爆>3
>>4 中森明夫の中学生時代(だったよな確か)から解説せんといかんのでは
4です.
なんだか,
>>5さんにお任せした方が良さそうです.
>>6 その中学時代の話ってどんなの?
>>5
>>7 ソースは同じだと思うが、中森明夫自身が書いている。
今手元に、83年の漫画ブリッコの中森明夫のコラム(の再録)が、
ないんで、(箪笥にしまった段ボール箱の山に埋もれている筈なのだが、
発掘できない、後年「広告批評」誌に再録された..たしか)
ちょーあやふやな記憶だが、
中森明夫の中学生時代(高校生だったかも)の同級生だったかに
やたら暗いやつがいて、そいつが相手を呼ぶとき「お宅」と
言っていた。
で、
ttp://ishiyama.arch.waseda.ac.jp/www/lab/morikawa/otkuku.html 「栄養のゆき届いてないようなガリガリか、銀ブチメガネのつるを額に喰い込ませて笑う白ブタかてな感じで、女なんかはオカッパでたいがいは太ってて、丸太ん棒みたいな太い足を白いハイソックスで包んでたりするんだよね。普通はクラスの片隅でさあ、目立たなくて暗い目をしてて、友達の一人もいない。(中略)マイコンショップでたむろってる牛乳ビン底メガネの理系少年、アイドルタレントのサイン会に朝早くから行って場所を確保してる奴、有名進学塾に通って勉強取ったら単にイワシ目の愚者になっちゃうオドオドした態度のボクちゃん…。それでこういった人たちを、まぁ普通、マニアだとか熱狂的なファンだとか、せーぜーがネクラ族だとかなんとか呼んでいるわけだけど、どうもしっくりこない。(中略)それでまぁチョイわけあって我々は彼らを『おたく』と命名し、以来そう呼び伝えることにしたのだ。」
という差別的なコラムを書いて、当時同誌(ロリコン漫画雑誌)の編集長だった、
大塚英志を怒らせたって話だ。
オリジナルを参照できなくてスマソ
>>8 すんごく感謝します.
ってゆーか,「ブリッコ」の現物持ってるなんてスゲェー.
友達になりてえ.いや,違う,お師匠様と呼ばせて頂きたい!!
俺のソースは別冊宝島の「オタクの本」(タイトル失念,失礼)で
その中森と大塚の確執が終わりを告げた対談だったはず.
いやあ,この板も捨てたもんじゃないなあ(藁
ほんと,ありがとうです.
10 :
5:2001/02/28(水) 22:01
>>9 え”...さすがに、ブリッコはもってないです。
ブリッコの問題のコラムを収録したマドラ出版の「広告批評」誌の方です。(^^;;
当時ブリッコの存在は知ってたけど、買って読むほどコアなマニアではなかった
っすから。
当時の怪しい記憶でいえば、ブリッコの論争が、他の雑誌に飛び火して、同人誌系
とかサブカル系の人々に伝わっていったと記憶しています。
私が「おたく」という表現を知ったのも、他の雑誌に飛び火してからです。
なんて雑誌だったかよく覚えていないのですが、たぶん、
「ComixBOX」(ぱふから独立したサブカル系漫画評論誌)か、「ぱふ」
あたりだったと思います。(すでに Peke は廃刊になってたと思うし..)
もしかしたら、東京おとなクラブだったかもしれません。(中森明夫がスタッフしてた)
あ”...サブカルにひたってるなぁ...しみじみ
11 :
7=9:
>>10 あぁ,ごめんなさい.(採録)って書いてありましたね.失礼.
うーん,さすがに「ComixBOX」とか「ぱふ」とかって名前しか知らないですねえ.
「東京おとなクラブ」なんて中森明夫にハマったときにはなかったし.
サブカル良かったのになあ.....宮台にはハマれないしなあ....