1 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2000/10/24(火) 00:17 ちょい流行りだとか、理念的だとか ギブソンから離れすぎだとか、佐々木さん頑張りすぎとか いろいろ言われてるけど、実際どーなの?ってとこ、どうぞ。
2 :
こころ躍る名なしさん :2000/11/01(水) 03:36
スレの趣旨が漠然としていてわかりにくいから沈んでいっちゃうんだと思うが。 素人さんは言葉自体を知らないだろうし。 そこで提案。 アフォーダンス(affordance)の訳語をみんなで考えませんか? 2ちゃんねる生まれの専門用語が未来の心理学教科書に 太字で書かれていることを想像するとワクワクしちゃいます。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/02(木) 01:07
賛成あげ。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/02(木) 02:33
賛同あげ 寝る前に考えます
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/04(土) 21:29
みんな考えてね.
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/05(日) 00:57
おもいつかん。
7 :
西周 :2000/11/05(日) 03:24
わしにも難しい。
8 :
佐々木正人 :2000/11/05(日) 04:00
私にも思いつきません
9 :
西川泰夫 :2000/11/05(日) 04:53
私もわかりません。
10 :
名無しさん :2000/11/05(日) 06:00
アフォーダンス→阿呆ダンス→阿呆踊り
頭でっかちの人工知能の失敗を踏まえて、 頭を空っぽにして外界にある情報にチューニングをすることで 環境に適応していこうという戦略、それがアフォーダンスだ。 だから、頭空っぽで「阿呆ざんす」だと概論の授業で教えたことがあります(実話)。
12 :
東周 :2000/11/05(日) 06:59
阿呆箪笥。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/06(月) 18:12
みんなボケばかりかましおって...
14 :
↑ :2000/11/06(月) 19:23
ひょっとしてギブソン先生?
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/07(火) 00:50
>1 理念的ではなく体験的だと思うんですが。 指あそびとか、不要なマウスクリックとか、マウスポインタが泳いだり、マウスパッドにマウスが引っかかることは理念ですか。 >11 不適応すらアフォードしますよね。 そもそも「適応していこう」「これは適応だ」という風に都合良く扱えるものではなくて、言う間も無いうちに常時起こっている事ですよね。 ツッコミ御免。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/07(火) 11:57
>15 おっしゃることはごもっともです。 ギブソンは主体の存在とは無関係にアフォーダンスが実在すると考えていたようですし。 ただ工学方面から注目されているのは、 11さんの言うようなフレーム問題を突破するひとつのアイデアとしてでしょうね。
17 :
名無しさん :2000/11/07(火) 17:54
>1 おっしゃるとおり、最近のアフォーダンスは当初の概念から、 かなり乖離、遊離してしまっている。その証拠に、認知心理学 (知覚心理学)をまともに知らないような美大生の輩が飛びついて くだらん「からだ」アートをしているではないか。無地な美大生 は絵かいてろ。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/08(水) 01:39
勉強させていただいてます。 >16 フレーム問題は別スレが立っていますが、庶民から言わせると 「私は考えてからでないと行動できません」と言って怖がる機械を作ってどーすんの、と思うのですが。 そんな物ばかり作ろうとする人間の方がその考え方(フレーム=枠)にハマっているような。 17> デザインやアートの世界で飛び出るかの言葉はどうもネタでしかないみたいですね。 たった一枚の絵を書くためにアイデアを消費するのは勿体無く思います。 このあたりの話は普段本のエピソードで楽しむ位しか無いかもしれませんが、大学の 講義にもぐりこんだり(おい)して、ビデオ教材等を見させていただくのも楽しくて 良いかもしれませんね。 要所要所に電球をつけた人間が暗闇で歩く様を撮ったビデオは楽しかったです。 (シーンによって光点の動きが微妙〜に違うが、それだけでもちゃんと年代や性別まで大体わかる。 最後の一人は先生のお子さん、というオチつき) 自分の日常で探して行くのも、楽しいですよ。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/08(水) 02:28
最後のはスレまちがいです
2> こんな感じで参考URLがあるとどうでしょう。 アフォーダンスについて訳語を考えた事はありませんが、ユーザーインターフェースについて定義を検討した事はあります。 ○00/10/10 UIとは 何かの起点になりうる、対象に伝わったもの 連続的に行う事を促しうる、形式的かその時点の環境に依存する表現 対流する空間の境界 層のようにふるまうつながりの無い網 試行錯誤の種 アフォーダンス 入力 間にあるものを忘れたり、気にしなかったり、意識しないでもいい関係性もしくは空間 参考になります?
個人的に好きなのは「対流空間境界」です。 (対流する"空間の境界") 彼我の間にある無数の境界でアフォーダンスが発生する。 境界といっても境目は無いようにふるまう事もできるし、アフォーダンスも同じ。 細胞の 臀部の 椅子の 部屋の 家のアフォーダンスも 腰椎の血管間際の壁の形も 背骨も モニタと首の姿勢も どう区切ってどこに着目しようがそれは自由かと。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/10(金) 03:27
あげといて。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/10(金) 08:00
18から23は同一人物か? こういうのを「知のアウトソーシング」というのかな。 なんだか新人類の登場を感じさせる。 俺たちもかつてそう呼ばれたが。
26 :
名無しさん :2000/11/10(金) 16:33
なんか最近のアフォーダンス論って、語り口が中沢新一を彷彿とさせて お刈るティっクな空気をかもし出しているな〜。ギブソン先生は、 そんなお刈るティっクなこと言っていたっけ?
>25 はい。(15, 18 - 23) 他分野から来て現在心理や行動周りにいらっしゃる方(あるいはその逆)と推測します。 発言の妙なところや身の回りの話のタネ等あれば色々いじめていただけると有難いです。 手前勝手で申し訳無いのですが、折角ネットワーク経由で連絡ができるわけですから、周囲がきちんとフォローアップできる形で色々話ができたら面白いと思うのですがいかがでしょう。 私としても無学なものですから、その方が有難く思います。 別スレでもフレーム問題とかコネクショニズムとかとの関わりが話題になっていますし、1番さんの仰る通り「実際どーなの?」ってとこが出ないと面白くないでしょう。 (自分の自慰的発言はsageます)
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/11(土) 15:08
27です。
>26
そのオカルティっクなアフォーダンス論というのはどのあたりで見られる、どの辺
の事でしょうか? Webから参照できますか?
たとえばこのへんのようなニュアンスでしょうか。
●「移動する聖地―テレプレゼンスワールド」展
トークセッション「ネオシャーマニズム」
http://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic026/html/168_170.html 「中沢さんは「テレプレゼンス」というエッセイの中で,テレビ電話になると電話の神秘的な空間が失われてしまう,視覚が入ると距離性がどんどん出てきてしまって内包空間ではなくなってしまうと指摘していますね.」
このあたりの表現だけでは、それぞれのバックボーンから来る言い方で似たような問題に触れているだけ、という様にしか読めませんね。オカルトという感じは受けません。
※抽象度と補完については「マンガ学(原題 "Understanding Comics")」に具体的に示されていると思います。でも読むためには漫画に慣れ親しんでいる必要があります。
どうにかして説明したいがためにオカルティックな表現を借りており、それがオカルティックな印象を与えているという文章なのではないかと推測するのですが、よろしければその個所を教えて下さい。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/13(月) 13:54
あげとくよ。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/18(土) 12:48
新人類あげ。
空あげ君がここにも。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/23(木) 04:39
もひとつ空あげ。
話を続けるべきか正直よくわかりませんが・・・ 「崩す」という言葉の連想から、自転車を連れて歩く時のアフォーダンスについて考えてみましょう。 普通自転車を押して歩く時にはたいてい「自転車に乗る」時に使う手の配置をほとんど崩ささないまま、体を地面に下ろしていると思います。これは自転車に乗っている姿勢からごく自然に導き出される多様な動きの一つ(群)です。 これだけでもその時の条件によって多様な経過と結果が毎回もたらされている(=マイクロスリップ)わけですが、条件によってはさらに大きく変わることがあります。 たとえば私は腰を痛めてしまい、普段自転車を押す時のような「かがむ」姿勢、あるいは傾いた自転車を「支える」姿勢に耐えることができない時期がありましたが、結果として次のような動きが現れました。 自転車の左側に普通に立って、右手で自転車の左ハンドルを持つ(あるいはその逆)。 また常時自転車のバランスを取ることで、自転車も自立させる。 この様にできると、普段の(直立、あるいは別の"楽な")姿勢のままで自転車を連れ回せるので非常に楽です。 しかし、もはや自転車を押して歩いているとは言えませんね。 もし発展するなら: ○その動きを獲得(?)するまでの経過 ○弁別刺激? ○具体的なはずなのにあいまいな"コツ"、抽象度について ○非生物との置き換え ○アフォーダンスを想像できる 庶民が何か貢献できるとしたらこんな感じの体験談ですね。 下の方でこっそりやりましょう。 ではでは。
37 :
age :2000/11/26(日) 22:57
38 :
Radical Heiderian :2000/11/28(火) 03:28
そんなコソコソやらんでもいいだろ。 で,訳語を考えてみた。 『余知』 わかる人にはわかると思うが, 「afford:余地がある」の「余地」と 行為を導くという意味での「予知」を組み合わせたもの。 「頭の外にある知恵」という含みもある。 どうかな? 阿呆箪笥よりはマシだと思うが。
39 :
Radical Heiderian :2000/11/28(火) 04:28
いま思ったのだけど, 『与知』 というのもありかな。 中国語に堪能な人の意見も聞いてみたい。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/28(火) 12:07
陰徳
41 :
Radical Heiderian :2000/11/28(火) 13:45
>40 なるほど。「陰」の字を使うのはいいかもね。 環境の側にある凹みに行為が流れ込むイメージか。 儒教か仏教用語にありそうだけど。
42 :
Radical Heiderian :2000/11/28(火) 14:06
音にこだわって, 『阿呆道』とか『阿呆導』なんていうのは? やっぱりダメかな。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/29(水) 08:51
38> 余裕の無い人には気づく事ができないし、伝達できないという意味で「余知」も良いですが 普段いつも身の回りにある、というニュアンスもあるといいなぁ、ということで「余地」でもイケると思います。 中国語は知りませんが、近いニュアンスでは「道(タオ)」が思い浮かびます。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/06(水) 03:33
アフォーダンスってばよくも悪くも、キリスト教の「自我」一辺倒から逃れた 仏教観に近い心理学のようなきがしますなあ。にしても心理学なのか? 実際、無理に日本語にしたら 「環境」という単語が「〜学会」とかがつきやすい造語の一部にはなりそだね。 合付追妥統学会。。。。アフオダンス・・・ゆるせ。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/06(水) 07:21
スキナーの徹底的行動主義も仏教的だって 佐藤方哉先生が言ってたな. スキナーにしろ,ギブソンにしろ, 西欧的人格主義(理性主義?)と一線を画しているのは確かだね.
46 :
唯伝仔 :2000/12/06(水) 12:34
方哉先生には「随伴性は縁である」という名言あり。 徹底的行動主義、っていう名前が「機械論的」な行動主義っていうイメージをもたらしちゃうんだよね。ホントは逆なのに。radicalってのは日本語はむしろ「柔らかい」と超訳した方がいいと思うのは私だけ?
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/06(水) 13:02
あなただけ。どうしてそういうことばっかり思いつくかね(笑)
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/06(水) 19:45
あげ
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/08(金) 03:00
さまざま心理学を学び求道していらっしゃる方からみて アフォーダンスやその流れは、どんな風にみえているのか (今の流行への合致度とか実用性、学会の未来や研究している人への感想etc) そこいらへんが「実際どーなの?」って事なのかな?うーむ。 デザインやアートからのアプローチがおもしろく見えるから やはりそっちがアフォーダンスの生きる道なのだろうか。
50 :
>49 :2000/12/08(金) 03:09
日心でのSさんの講演は、知覚心理学者の怒りをまきおこしたらしい。
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/08(金) 03:29
>50 何故ゆえに? 2chならばあえて詳細願うなり
52 :
50 :2000/12/08(金) 21:39
よくわからないんだよね。ちゃんと討論してほしいものです。
わからないのか・・・ なにかマターリとしたスレッドですな。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/11(月) 19:03
あ
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/12(火) 05:19
興味age
へちまです。 「この椅子は座ることをアフォードする」とはよく引き合いに 出される言葉だと思いますが、その椅子の上に箱を置いたら、椅 子と箱の関係はどうなるでしょうか。 普通の車は4つのタイヤの角度を調整したりする事で全体とし て一つのモノとして働くようになっていますが、ここでもう一つ 自由に扱えるタイヤを持つ、生物のような車を想像してみて下さ い。(スペアタイヤにするのは禁止です) どういう路面(場面)でどう働くのかまで、ちょっと具体的に イメージしてみてください。 ネタとして挙げておきたいのは、アフォーダンスの働く場所は どこからどこまでか、という事ですね。 自分と環境の境界だけではなく、環境と環境の境界、果ては自 分の内部にまで及んでいるようだという事です。 元々「椅子」といってももっと小さな単位に分割する事もでき ますし、もっと大きな解釈をする事も可能なわけですから、この あたりは押さえておくべきだと思います。 瞼に遮られた歪んだレンズに映った光線が全てであるとか、 生物にこだわると損をしそうですよ。 どっとはらい。
誤>レンズに映った 正>レンズに入った
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/13(水) 02:17
観察する側がそれがアフォードされている状態だと「正」「否」という基準のほうが 問題(というか問いが)あると思う。現象としてストイックに証明したいのなら物理学やり。 フレーム問題みたく発展するのもなんだかアフォーダンスの未来に潤いないような気もするし。。。わからぬ。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/17(日) 19:39
>58 文章が何というかうねりすぎて理解しにくいのですが・・・ ・アフォードしたか、していないかという判定をどうするの? ・ストイックに突き詰めたいなら物理学?的取り組んではどうか。 しかしそれだと結局フレーム問題のようになってしまいそうで、 アフォーダンス的に寄与するのかよくわからない。 で良いのでしょうか。
59の理解で良いのなら。 広義のアフォーダンスならば、判定する必要がない。実践 するだけ。 始めから全部あるというのに、ベースとして限定した考え 方を持つのならばただ単純に"限定している"という、ただそ れだけ。 周りと話をしたいがためのアフォーダンスであれば、よく 観察し、自分もよくよく体験していれば切り分け方が見えて くるものだと思います。 でもそれっていくつかのポイントが違うだけで、普通の実 験ときっと変わらないと思います。 何を言いたいのか、伝わるでしょうか。 Yodaの言葉を借りれば You must unlearn what you have learned. お前は今まで身に付けた全てを忘れねばならん。 Try not. Do, or do not. There is no try. 試そうとするな。動け、なければ動くな。隙間は無い。 You must feel the force around you. すぐ身近にあるフォースに委ねるのだ。 私は以前の仕事で、どうしても転んではいけない場面に始 終いたのがきっかけで歩様について色々試して来たのですが ・・・ 普通の人もたまに怪我をして足を痛めたり、もの凄い寒波 で路面が凍りついたりして、今までの気ままな歩き方では地 面が相手をしてくれなくなったその時には生きるためのダイ ナミック・タッチを体感するかもしれない。 しかしそれがどういう問題なのかを理解できなければ、平 常の生活に戻ったらまた今まで通りの生活になるでしょうね。 それが悪いとは思いませんが、ポイントはずれるんじゃな いでしょうか。
「判定」という部分について、補足で。 「全部」は分けられるようなものではないし、どこまでも分割 する事ができるものなので分ける必要が無い。(むしろ中途半端 に分けてはならず、やるならやるでうまく切り出さなければなら ない) 無限通りの切り方をした羊羹を想像できますか?
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/19(火) 04:12
私は心理学が専門ではありませんがアフォーダンスにはとても興味があって 関係する書籍や雑誌をマメによんでるつもりのですが、やっぱりよくわからない感じがします。 60さんがおっしゃるとおりに 『判定する必要がなく「全部」は分けられるようなものではない』というのが アフォーダンスの考え方の一部であるとしたら 観察したり分析したり記録する学問としての 1さんがいうように「実際どうなの?」という姿がどーしても想像できないのですが。 ヨーダじゃなくてマトリックスにも似たようなセリフありましたね。 「速く動こうとするな。速いと知れ。(だっけ?笑)」 プログラミングされている世界観を超えるっていうほうが すこし理解しやすいような。でも私にはやっぱ羊羹はわからんです。 たとえば60さんが言うように 「路面が凍りついたりして、今までの気ままな歩き方では 地面が相手をしてくれなくなった」状態であれば 「歩く」必要はまったくなくて「滑れ」ば 前に進むということはアフォードできるわけですよね。 「進む」ということをアフォードしたいのか「歩く」ということを アフォードしたいのかといえば、今のアフォーダンスは 進むことを分析している雰囲気にみえます。 私は、実際にアフォーダンスを研究している人達が 現象面を捉えてアフォードされているものを 言語化してしまいこーいう言葉の切り替えのレトリックに 無防備な感じがとっても気になります。 >平常の生活に戻ったらまた今まで通りの生活 平常な生活を平常と感じられるようにアフォードされる過程も アフォーダンスでは?? なにを書いてるのか自分でも判らなくなってきましたが、 ぶっちゃけていうと、私はアフォーダンスが(を研究する人?が他の心理学部門と比べて) どんなものと決別してくて、なにを愛しているのか いまいち飲みこめないのです。 仏教的な世界感が好きだからアフォーダンス。では決して無いと思う。 乱文失礼しました。
こんにちは。 のんびり行きましょう。 ※なお私は探求はしておりますが研究はしておりませんので、 その旨ご考慮の上コメントください。 > ヨーダじゃなくてマトリックスにも似たようなセリフありましたね。 > 「速く動こうとするな。速いと知れ。(だっけ?笑)」 といったようなセリフがあったと思います。 個人的には、マトリックスの東洋風思想は面白くないのですが。 > 「路面が凍りついたりして、今までの気ままな歩き方では > 地面が相手をしてくれなくなった」状態であれば > 「歩く」必要はまったくなくて「滑れ」ば > 前に進むということはアフォードできるわけですよね。 「判定」という問いに悩んでいらっしゃるらしい方も、 このあたりで突っかかっていらっしゃるのでしょうか。 現実は判定を許さないわけですよ。判定を許すのはたまた まそのような余裕が与えられた時だけであり、その判断が方 向として正しいかどうかさえ現実が握っているわけです。 歩様に関して、例を挙げてみます。 体と床との間に働く微少行為の集合としての歩く行為を イメージ・・・しにくいかもしれませんが、実際に裸足や 爪先立ちで歩いてみたりして、摩擦や力のかかり具合が機 会によってどう変化するかを検討してください。 さらに、状況が変わればどうなるか。例えば、いきなり 足を踏み出したら右足のかかとの内側から滑り出したよう な時にどうできるかを検討してください。 (それらを前提として) 思った方向に進むかどうかは大事な事ではありますが、 思ったように進むことができるかどうかを考えてみてくだ さい。 >>平常の生活に戻ったらまた今まで通りの生活 > 平常な生活を平常と感じられるようにアフォードされる過程も > アフォーダンスでは?? 御意。 そのようになる事が悪いとは思いませんが、人と話すに あたってはポイントがずれても仕方ないんじゃないでしょうか。 常時ダイナミック・タッチを行っているというのに、それ がをわざわざ無視して「歩こう」と思って歩くし、おおむね 学習しちゃった歩き方で歩いているわけですから。 転びますね。 前述だと思いますが、切り分けるのが悪いという事は無い でしょう。 「階段のへり(角)の手前にある黒い線が何だろうと思って 良く観察していたら、階段のへりと協調した歩行者のかかと が作り出していたものだった」(佐々木本より) 私の要約は判りにくい可能性がありますが(苦笑) とても判りやすいですよね。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/20(水) 16:52
2曰く >アフォーダンス(affordance)の訳語をみんなで考えませんか? で、ずっと(たまに)考えていたんだけど、 誘価もしくは湧価 ってのはどう? 「萌え」が主体的か客体的か、ってのと少し関係するけど、そのへんの訳しかたが難しい。 コップがアフォードする コップが湧価する ってのは変な文だけど、 コップがつかむことをアフォードする。 だって変な文なんだから。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/23(土) 05:22
死ぬ(殺すこと)をアフォードするとか。。。。考えちゃダメなのだろうか。 過剰なものにたいしてのアフォーダンスは それが結局、主体にとって危険かどうかが 判断基準になってるような気もする。なんかなっとくいかない。 ビジュアルクライシス?怪我をすることのアフォーダンスは? 己の身体が不利益をこうむることをアフォードする? 核兵器とかはアフォーダンスにとってどういう存在なのだろう。 バカな事言ってるのは自分でもわかりますけど なんか身体のまわりで起る小さい力ではなく より過剰な力の錯覚にたいしてアフォーダンスは想像力がなさ過ぎる気もします。 弱き力を敬うアーティストとかが喜んで飛びつくのを批判できない側面もあるのでは?
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/24(日) 02:12
へちまです。
>>64 細かいですが、「は」とした方が良いと思います。
コップは掴むことをアフォードする
コップは掴むことを湧価する
言葉の陰に隠れている部分を少し補ってみると
(手に届く所にある)コップは(ある程度の大きさの人間が)
(必要になったその時に)掴むことをアフォードする
コップだけでは何もアフォードしないので。
価値が無い場合の方が多いと思うのですが、
「価」という字以外に何か良いものは無いでしょうか?
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/27(水) 03:10
湧意 湧発 湧初 湧起 環意 環起 ・・・
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/27(水) 03:54
勃起
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/27(水) 04:01
>68 辞書とかに載ってる意味として捉えればありえるかもね。 「コップは掴むことを勃起する」 うーむ。イメージとしては間違ってない気はするが 卑猥な先入観が捨てられん・・・・・・ なにより勃起学会とかイヤ。 せめて勃発とかで許してくれ。
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/27(水) 04:59
>68, 69 藁った アフォーダンス=勃起 決定age
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/29(金) 02:18
変なカキコにも 真面目に応答する心理版のみんなが好き♪ それにしても勃起に決定は笑えるが。。。それでいいのか?
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/29(金) 04:40
いいんじゃない(ワラ
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/29(金) 05:02
ウムム。よかないぞ(笑 アフォード=価値が生まれるというのより なにかが始まり事が起るという感じのほうがイイような気はします。 すなおに「発揮」するとかはどーよ?
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/01(月) 01:31
新世紀がアフォードするものは?age
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/04(木) 04:08
あだるとちるどれん
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/05(金) 11:19
「野球」って訳にすれはいいじゃん
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/05(金) 12:19
↑ 昼休み大爆笑だけど、なんで?
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/08(月) 02:35
さあピッチャー振りかぶって投げた、打った当たった大きい、大きい、大きい入った、入ったアフォーダァーンス! 0 1 21世紀最初のアフォーダンスはここから始まり ここまでの放送は 「いつもあなたのそばに」 ギブソン (間) ご覧のスポンサーでお送りしました。 ていうか対話しようよ。
79 :
異邦人さん :2001/01/08(月) 13:23
佐々木の授業まじドキュソ。まじ所沢の山からでてこないで欲しい。
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/31(水) 03:56
?
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/07(水) 09:39
> 異邦人さん どの辺がドキュソ度高いか教えて〜 それとも 流行り物叩くことで自分を賢く見せたがっているだけか
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/07(水) 09:40
> 異邦人さん どの辺がドキュソ度高いか教えて〜 いや、流行り物を叩くことで自分を賢く見せようとしているだけか つまらんage
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/09(金) 05:03
流行りものにしては、アフォーダンスについてみんな感想すら語れんよね。 そんなに難しいのか。それとも簡単すぎるのか。つかみどころがないというか。 現代アートの連中がとびつくのは 確かにこれからの芸術の先端に近い思想だからだとは思うがな。 タレルの作品なんかアフォーダンスそのものだぜ。 哲学や宗教よりの心理学なら語りやすいのかもな。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/16(金) 19:27
ココ読んで気になったので、「知覚は終わらない」佐々木正人を買って読んでいる最中。 入門部分は読了。 整体を実践するものとしては、とてもわかりやすかった。それを活字で語ることは身体感覚を表現するのと同様に難しい。 とても簡単に表現すれば、「世界ってこんなに美しいものなの?」って感じですかねー。 整体でも相手を矯正しているとき、相手の変化を同様に自分の中でも感じる時があります。というよりそれを手立てにして いますね。そういう時は自分の体が妙にシックリしていて、心地よい感じ。総てが自分と地続きのような感じ。 「感応」と私達は読んでいるのですが、この本を読むまではどうしても「気」という曖昧な概念をつっかえ棒にして理解せざ るを得なかったので、近代人としての私の理性はムズムズするような違和感を感じていました。 この本を読んで、「嗚呼、こんな感覚って誰にでもあるんだなー。ただ、それを再確認しなければならない情況に出くわして いないだけで・・・」と勝手に納得。 もちろん気=アフォーダンスなどという気はありませんよ(^^;)アフォーダンスが生物と環境の関係性であるので、東洋医学 的な「気」とずれる部分の方が多いと思います。 さて博学な皆さんにお聞きしたいんですが、アフォーダンスとバイオフィードバックってすんごく似た概念というか、研究対象 がかぶっていると思うんですが、どう違うんでしょうねー。外部の刺激を受けて、それを自動制御して人間が生存→創造活動が できるって感じですよねー、バイオフィードバックって。 想像では アフォーダンス:生物=ハードウェアー 環境=ソフトウェアー バイオフィードバック:生物=ソフトウェアー 環境=ハードウェアー とアフォーダンスの方がより環境からの絶対的影響を強く支持しているように感じましたが、これいかに? 誰か教えてくれー。
85 :
84 :2001/02/16(金) 19:45
>>84 自己レスです(^^;;)
>さて博学な皆さんにお聞きしたいんですが、アフォーダンスとバイオフィードバックってすんごく似た概念というか、研究対象
>がかぶっていると思うんですが、どう違うんでしょうねー。外部の刺激を受けて、それを自動制御して人間が生存→創造活動が
>できるって感じですよねー、バイオフィードバックって。
www.openlab.tnl.ntt.co.jp/okudehp/sasa_top.html より一部転載
アフォーダンスとはアメリカの知覚心理学者のジェームス・ギブソンが1950年代末に提唱した新しい知覚理論です。一般的に、私たちは外界の状態から刺激を受け、それを脳の中で処理して意味のある情報を得ていると考えられています。しかしギブソンは、そうした考えに反対しました。ギブソンは、意味のある情報は私たちを取り巻く外界――環境の側にあると主張したのです。
この辺かな?でもバイオフィードバックもちょうど'50年代頃からだと思うが・・・
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/19(月) 04:24
誰か詳しい人、答えてあげてage
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/01(木) 01:17
深層age
88 :
27 :2001/03/23(金) 00:14
思い切り久しぶりにブックマークから開いてみたら、細々と反応
があって嬉しいです。
>>84 良い機会ですから、ここで両方を指し示しながら進めれば良いかも
しれないですよ。それが一番のこやしになると思います。
# 私は歩様(独学)から入っているのですが、アフォーダンス
# について考えさせる書籍として
#
# 「マンガ 老荘三〇〇〇年の知恵」(老子)
# 「マンガ 禅の思想」
# 「五輪書」
#
# なんて面白かったですよ。
89 :
訳語案 :2001/04/03(火) 07:43
訳語の案だけど、 「提案性質」とか「提案性」
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/04/04(水) 02:39
請求性とか請託性質
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/04/13(金) 16:02
新学期,演習でレジュメをきらねばならん論文にアフォーダンスが出てきた. このスレ読んでも,まだわかんないけど, 参考にはなった.感謝あげ.
>>83 東大の人ですか。
99年度の正人の学部生向けの生暖かい講義とったんですね。
講義の中で正人が
「今世田谷美術館でやってるジェームズ・タレル展」いいよね
って言ってたから見に行ったんでしょ。
確かにキレイだったね。絵葉書買っちゃった(ワラ
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/04/13(金) 19:56
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/04/14(土) 20:08
age
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/04/16(月) 00:49
>>92 昔だねえ。92はすでに卒業か?生暖かいっていう表現も笑えるぞ。
アフォーダンスによくでてくる包囲光とか姿勢の定位なんていう単語には
ぴったりのアーチストだよね。タレルは。
にしても、正人様のあの髭もやっぱなにかをアフォードするための触覚がわりなのかな♪
>95 ご本人様曰く、ビールの泡だそうです。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/02(水) 04:50
マターリと続けて欲しいスレですな。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/04(金) 21:33
GWでマターリ。でも、院生はマッタナシage
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/16(水) 00:36
久しぶりにあげてみる。
今日の観察 電車にデザインされたシンプルな水平線は何かが来たという事だけを アフォードする (漫画の集中線のように)
中途半端な長期旅行はデータをすっ飛ばすような事をアフォー ドしないが、インストールしっぱなしで存在を忘れていたゲーム か何かがあったのを思い出させる事についてはアフォードする
清潔そうに扱われている割り箸の先端の方が細く軽く しなやかで大きく広がりやすい事と根元の方がそうでな い対比、およびそこそこ長い経験と少々の知識は、どれ も我々にそれを割って箸とする事をアフォードすること になる。
従業員控室へのドアとカウンター内部へ続く小扉は、互い が近くにあることを従業員側に対してアフォードする
従業員控室へのドアとカウンター内部へ続く小扉は、互い が近くにあることを従業員側に対してアフォードする
太陽は光をアフォードしている (蒸し暑ければ目が覚める)
日本において黒髪は天井から舞い降りるかの虫を アフォードするのではないか?
こんな事考えても何にもならない事をアフォードする
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/16(水) 11:58
age
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/16(水) 13:53
>>101 -108
「アフォードする」の使い方が間違っているように思われ.
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/16(水) 14:54
んだ。101-108は勉強不足。 たとえばこのように使うのが正しい。 平らな面は、人がその上に直立することや、そこに静かに横たわることをアフォードする。 ドアの把手はそれを掴む(そしてドアを開ける)ことをアフォードする。 壁から突き出た棒は、それに洋服などを掛けることをアフォードする。 黒髪は、その香りを楽しむことをアフォードするし、またそれを掴んで その持ち主を引きずり回すこともアフォードする(藁。 アフォーダンスを固定的な「意味」や「記号」と混同するなよ。
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/16(水) 21:44
>>101 -108
それをアフォードする過程で
スリップする事象を調査・実験して明日までにまとめる様に。んん?
よろしく。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/17(木) 06:40
>>113 アフォーダンスとマイクロスリップって、そんなふうに
かならず随伴関係にあるもんじゃなくて、そもそも
別の問題のような気がするのは俺だけ?
アフォーダンス論はミクロとマクロを繋ぐ部分に
欠けている気がする。でも、彼らはそこを考えると
「学習」の問題にぶちあたって、彼らが最も嫌う
行動主義を無視できにくくなるから、躊躇してるのかもね。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/18(金) 05:05
>>113 そだね。ワレも違和感はあるような気がする。
そこいらへんの妙な感じを語るとさらにアフォーさんがよく見えてくるかも。
んでも、マイクロスリップによって環境側のアフォーダンスを説明するやりくちは
哲学的になりがちなアフォーダンスを(このスレでもフォースとか仏教的などと・・・)
煩雑な作業抜きに既成の心理学においこむための手法にワレは思えるのだが?
環境側の可能性をいちいち分析したり検査したら死ぬッス。多分。
116 :
日本アメリカ化計画 :2001/05/19(土) 22:55
A型は徒党を組んで国民を操ろうとする。注意せよ! 特に全国民の5%しかいないAA型は偏固で神経質。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/23(水) 01:26
正人age
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/23(水) 06:20
アメリカ化計画がときどきあげてくれるので、 いろんなスレを忘れずにすんでありがたいです。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/27(日) 05:34
お髭すりすりage
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/27(日) 05:40
ところで缶をたたく打検師の話知ってる? 面白いよ。
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/02(土) 20:08
な〜に?それ?
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/10(日) 22:21
おーくらage
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/16(土) 03:47
ホテルおーくらage
125 :
どーでもいいことだが。 :2001/06/16(土) 04:13
先日どこかのTVでベテラン打検士が技を披露していたよ。 打検士とは金属の打検棒という道具で缶詰を叩いて, 音や手ごたえを頼りに不良品を見つけるのが仕事。 みかんだとかトマトだとか,缶の中身も当てることができるそうだよ。 打検士の働きによって工場から出荷される製品の全数検査が可能になる。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/23(土) 20:54
心理学界最良の輸出商品であるアフォーダンスのスレをさげちゃダメでしょ。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/24(日) 01:15
!
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/24(日) 06:00
>>126 なの?日本だけが熱心なのかな。学会もできたというウワサも聞くが…
っつうか研究って東大でしかやってないのでは??無知なので詳細キボン
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/24(日) 17:17
キボンって希望のことです?
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/24(日) 22:05
∩
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( ゚∀゚ )//<先生!
>>129 はちゃんと2chにアフォードされていません!?
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131 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/24(日) 23:00
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/26(火) 06:07
コネチカットに逝くんだYO
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/26(火) 09:41
>>128 学会できたの? 学会の名前とか事務局の所在とか教えて!
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/28(木) 00:18
マイクロアフォーダンスってどういうことっすか?
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/29(金) 21:45
age
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/30(土) 20:30
コネチカットから帰ったんだYO
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/01(日) 09:01
学会の話はどうなったのかな?
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/03(火) 04:57
粛清
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/03(火) 06:59
粛清
浄化
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/03(火) 10:07
>>136 4日間じゃ行き返りあわせて現地滞在2日弱か....
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/05(木) 03:54
眼鏡&髭の学会。あと躍ったり杖ついたり。
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/08(日) 00:45
∧ ∧ カタ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (,, ・Д・),__カタ__ < あげろ、あげろー! 〜(つ_|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| \_____________ |\|| VAIO | '\,,|==========|
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/08(日) 17:18
誘機, 誘和,
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/13(金) 03:17
13日の金曜age
アホ-ざんす
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/14(土) 09:55
だれかアフォーダンスの観点からチンコについて語ってくれ。
この混沌ぶりは…やっぱ概念すら難しいのか… みんなアフォーダンスと聞くと怯えた眼になるわけだね…
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/14(土) 13:56
それより佐々木さんたちの学会のこと教えてよ. 入会したいんだけどさ....
教えて ア・ゲ・ナ・イ(はあと)
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/14(土) 22:28
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/14(土) 22:31
阿保ダンスとは阿波踊りのこと。 阿波踊りは連に入る。
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/14(土) 22:37
>>151 挿入をアフォードするものは
あなた以外にもいっぱいありゃーす。
カップヌードルとか。
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/15(日) 02:13
私は残念ながら、アフォーダンスは概念のお遊びだと思うです。遅かれ早かれ 忘れ去られるので、わざわざ訳語なんか考える必要ないと思います。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/15(日) 02:23
ええっ!心理学そのものが概念のお遊びだと思ってたのにぃぃ・・・鬱だ。
156 :
やまだ :2001/07/15(日) 02:30
で?学会は存在するの?
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/15(日) 02:36
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/15(日) 08:44
>>154 歴史的に,心理学で他の分野に最も大きな影響を与えるのは,
心理学の中では「忘れ去られる」思想や理論であることが多い(笑).
アフォーダンスを単なるレトリックであるとしか捉えられない人は,
たとえば進化論におけるラマルクとダーウィンとの違いも,
レトリックの問題だと捉えるんだろうね....
生物でも実験屋はそういう感じだからね.
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/15(日) 15:28
議論に参加したいが、それだけの素養が無い。悲しい。 哲学的に(?)とらえると、アフォーダンスはどのような立場になるのん? メルロポンティーとか言うけどさあ。
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/15(日) 15:39
ダーウィン。から語り始めたがる人が多い。 キャッチコピーとしては信家ロンはあんまりうまくないとおもうけどなあ。
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/17(火) 08:57
佐々木正人の本より三嶋博之の本の方が数段分かりやすかった。 佐々木さんは結局イロモノなの?
163 :
159 :2001/07/17(火) 10:25
>>154 続き.
概念がなければ発見されないもの,というものが,明らかにある.
理論がなければ観察が成立しないようにね.
アフォーダンス,という概念によってなにが発見,あるいは
再発見されているのかをきちんと認識すべし.その「発見された
もの」がどうでもいいものであるなら,あなたが何もいわなくても
アフォーダンスという概念自体,いずれは使われなくなるだろう.
ただ,アフォーダンスという概念から「あなたが何も発見できない」
場合には,それは,あなたがアフォーダンスという概念を理解していない
だけであるという可能性を忘れないことだね.
>>162 たいていは第二世代の書く本の方が分かりやすくなる.
第一世代は,自分がそれを考えるわけだから,自分だけ分かっていればいい.
第二世代は,第一世代の考えたことを自分なりに敷衍して考える,
ということを余儀なくされるから,他人に説明することもうまくなる.
自分で考えて,自分で確立した考えほど,人に教えるのは難しい.
人から教わった考えを,人に教えるのは,ずっと易しい.
読んで分りにくいのが「イロモノ」なら,心理学諸分野の「創始者」
はみなイロモノということになるだろう.あるいは
ミンスキーやベイトソンもイロモノか(前者はほんとうにそうだという
説もあり).
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/19(木) 01:45
>>163 スキナースレでの対決と似てきそうなんだけど(藁、上記の打検の話は、私は
筋肉収縮を感知する筋紡錘と脳との相互作用によって解釈されるようになると
思うよ。
脳と筋紡錘との間には上行性、下行性双方向の神経連絡があってね、この神経
連絡から得られる情報を生体はうまく利用しているんだよ。おそらくアフォーダンス
研究の対象とされている感覚の多くが理解できると思うね。
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/19(木) 02:52
>>163 つうか個体の機能的な入出力だけで説明するのはアフォーダンスの理解と方向が…
そっちはそれで理解してくれ。多分アフォーより10倍くらい役立つし。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/19(木) 06:07
たしか、打検は音で不良品を調べるはず。 名古屋大の人が言っていたと思う。
168 :
164 :2001/07/19(木) 07:19
>>167 いや、そういう個別のことじゃなくてね、私は脳と筋肉との相互作用の
情報を軸に、それと遠隔刺激としての光や音の情報を処理する視覚系や
聴覚系との協調に関する知識の総体が「アフォーダンスと呼ばれるもの」を
支えているんじゃないかと思うの。
169 :
164 :2001/07/19(木) 07:20
やっぱり外部環境じゃなくて、脳内にあるんだと思うなーーー笑
170 :
164 :2001/07/19(木) 07:35
ゆうべ、とろろ芋を食べたんだよね。プラスチック製の軽いお椀に 入ったとろろ芋を見ながら、お椀を持ち上げようとしたら、お椀が 思いの外軽く、お椀を手でひっくり返してテーブルにぶちまけちゃった。 とろろ芋の入ったお椀を見て、ほとんど自動的にその重さを予想して 持ち上げたんだが、とろろ芋は泡がたくさん含まれているので見かけ より軽く、それでひっくり返しちゃったんだよ。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/19(木) 14:19
アフォーダンスという概念に「意味」を見出せるかどうかは, ギブソンが「外的世界→知覚→脳による処理→行動」という「常識」を 援用しないで(というか否定して)「直接知覚」という考え方で 知覚を説明し,知覚理論をこれまでの抽象と概念の世界から 「リアルな世界」へ引き戻した,ということを理解できるか, あるいは理解した上で評価できるか,ということにかかっている. 164みたいな人にはそもそも縁のない話.164が言っていることは アフォーダンスの「乗り物」になる生体の機構についての話で, アフォーダンスとは直接関係がない.君がいうように アフォーダンスは脳内にあるとして,それを「脳内に作る」力は どこの誰が持っているの? ギブソンがアフォーダンスと呼んだのは, 脳内にそれを作る力をもつ環境の構造であって,君が問題に しているのは「アフォーダンスと行動の媒介過程」に過ぎない.
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/19(木) 14:23
まあ,アフォーダンスに限らず,すべての理論や概念が すべての人に理解される必要はない.アフォーダンスも, それを理解できて,それによって自分の思考や研究を 新しい方向に進めることのできる人,その必要がある人だけが 理解すればいいことで. これはフィールドワークでも,質的方法でも同じこと. 今までの方法で,今までの概念でいいと思う人はそのまま続ければいい. 164はアフォーダンスを自分の住み慣れた古典的な知覚概念に 翻訳しようとしてるわけだけど,その翻訳は相当な誤訳だし, そもそも翻訳が可能なくらいならアフォーダンスという概念自体 必要ないだろう.
173 :
164 :2001/07/19(木) 14:35
いや、実に攻めるのがうまい。特権階級の気分に酔いしれているのか? たぶん、一番引っかかるのが「直接知覚」の考え方だと思うんだが、 それを解説していただけないか?
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/19(木) 14:45
アフォーダンスは難しいよね。すごーく簡単(すぎる)説明すると 人の知覚が164さんがいうように脳内でね、すべて説明できたと仮定しよう。 すると、その脳をそこまで作り上げたのは環境のアフォーダンスなんだよ。 人が人の姿をしているのは遺伝子のせい、じゃなくてアフォーダンスからみると……もう分かるよね?
175 :
164 :2001/07/19(木) 14:55
176 :
172 :2001/07/19(木) 15:39
>>173 そこが簡単に説明できるんだったら、アフォーダンスはこんなに
誤解されないよ。俺の場合それが何となく分かってくるために
ギブソンの「生態学的視覚論」を自分で一回通読、ゼミで院生と
もういちど通読、それから佐々木氏他の解説書を数冊読む必要が
あったし、それと進化論とか、オペラント条件づけとかとの関係が
分かってくるためには例のリードの本なども通読する必要があった。
俺とその経験を共有してくれた上で、ここが分からないから教えて、
といわれれば、心理学者として解説することはある程度できると思う。
177 :
164 :2001/07/19(木) 21:11
そかそか。私も「認知心理学講座」と佐々木氏の本は何冊か読んでいる。 そのときは分かったような気がしたのだが、時間が経つと忘れてしまうのだな。 もう一度読み直してみるよ。リードはいい(笑) それからこれは心理に限る本じゃないが「パラダイムの迷宮(Paradigm Lost)」。 これは自然科学から言語学、心理学などさまざまな分野の基礎的な概念を俯瞰する 上で僕には参考になったよ。
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/19(木) 21:52
∧⊂ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (゚Д゚)ノ < でさ、解説もいいけど学会とか「実際どーなの」ってトコどうなの? (| | \___________________________ 〜| | ∪∪
179 :
164 :2001/07/19(木) 23:26
私など、ドーキンスなんかは一読しただけで完全に洗脳されたが(笑)、
スキナーは反発しまくり、ギブソンが結局時間が経つと忘れたのは
「それは脳で説明できるんじゃないの?」という思いがつきまとった
ので洗脳にまで至らなかったせいかも知れない。
>>178 私も知りたい。アフォーダンスの実験ってなにするんだろう?
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/20(金) 00:52
ダイナミックタッチ
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/20(金) 00:54
またぎとくぐり
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/20(金) 01:29
>>181 ワラタ.ただ,個人的にあのペーパーは
アフォーダンスなんて言葉を使わない方がよかったと思われ.
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/20(金) 05:22
ダイナミックタッチって、アメリカでやってるいろんな物を手に持って 振ってみる実験じゃないの? 「"またぎ"と"くぐり"のアフォーダンス知覚」という論文があるのは 分かったけどForbidden!だって。 どなたか、この文献内容を簡単に解説して、それが「アフォーダンスと 行動の媒介過程」では説明できないことを示してよ。
184 :
あのー :2001/07/20(金) 10:34
マーケティングと消費者行動論をやっている者です。 心理学については徹底した「消費者」です。 少しは知っている認知心理学と大脳生理学からみると、仮説は自由としても ギブソニアンはDQNに見えるのですが・・・・・。
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/20(金) 11:44
ホワイトヘッドを読めれ!
特にマジメな心理屋さんほどアフォーをアホあつかいだねえ… 別にアフォーダンスが認知心理学や大脳生理学を否定しているわけじゃないYO! そんなに反発しなくても思うのだが。 自分の専門に引篭もったりDQNと切って捨てる前にもっと悩んでみようYO!
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/20(金) 14:18
>>186 なんにも説明せずに「否定しているわけじゃない」と言ったって、
誰に通じると思ってるんだ。君こそほんまに心理屋なのか?
188 :
夏休み厨房 :2001/07/20(金) 16:19
172さん。夏休み厨房にいろいろとやさしく解説してあげてください。お願い致します。
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/20(金) 22:36
>>184 DQNに見えるのはオーバーな表現(イスが座ることをアフォードしているなど)の多用のせいと思われ・・・。
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 08:49
イスが座ることをアフォードしている,というのは事実そのもので, オーバーでもなんでもないよ.イスは座る人がいて始めて「座れるもの」に なるのか? 座る人が誰もいなくても,その物体が「座れるものである」ことは その物体が持っている「物理的特性」によって決まっている.それが その物体が「イスとして座ることをアフォードしている」という意味. アフォーダンスは,それが誰かによって利用されるとか,「認知される」とか に依存せずに,物体の側に存在するもの.これがアフォーダンスの「リアリティ」 なのだ.アフォーダンスを行為者側の認知や解釈の問題だと考えるなら 「イスが座ることをアフォードする」は「オーバーな表現」かも知れないが, アフォーダンスは認知や解釈に先攻して「物体の側」にある,というのが ギブソンの考え.で,直接知覚とは,そうしたアフォーダンスが認知や解釈に 依存しないで,環境(たとえば環境光の構造)のフローと不変項との相対関係から 直接知覚される,という考え方. ギブソンは脳や中枢神経系の機能や,それについての研究を否定したりはしない. しかし,われわれの知覚というものが「環境の構造を直接反映している」 と考えるので,知覚に依存する行動を理解するためには,その知覚を 直接決定している環境の構造,とくに環境が各個体に対してもつ アフォーダンスを解明することがまず必要,と考えるわけ.
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 08:50
認知屋は「知覚内容≠環境」という前提から,その差を作り出す 「認知過程」を,その差についての研究から分析しようとする. これは知覚心理学の錯視研究以来の伝統.一方ギブソンは 「知覚内容≒環境」という前提から,「知覚内容を作り出す環境の構造」を アフォーダンスという概念から解きあかそうとしている.たとえば 「錯視」とか「錯覚」という現象をギブソンやギブソニアンたちが どう考えているかを見るだけでも,この違いはわかるはず. 知覚や行動が,基本的に環境の構造,環境のリアリティに依存している というリアリズムが,ギブソンとスキナーを繋ぐものだし, また,生体の環境への適応や種の進化を,「自然選択(淘汰)」という 環境側のリアリティに立脚して説明しようとしたダーウィンとも, そこでつながるわけだ.
192 :
164 :2001/07/21(土) 09:07
>>191 外界を知覚するために遺伝または進化によって眼が用意されているけれども、
外部環境の構造に関する知識は我々は生まれながらに持っているわけではない。
それらはすべて生後の経験を通して獲得される。
椅子が座ることをアフォードしていると言うが、そうではなく、脳に蓄積された
生後のいろいろな経験から固い物には乗ることができる、座ることができるという
ことを我々は知っているからじゃないのでしょうか?
「知覚内容≠環境」であることは、私が上で挙げたとろろ芋の比喩から明らか。
我々の知覚内容は決して外界を反映しているのではない。反映しているように
見えるのはそのことを我々が知っていくから、脳に経験として蓄積された結果じゃ
ないのですか?
アフォーダンス支持者は「知覚内容≒環境」という事象しか見ていない。むしろ、
「知覚内容≠環境」な事象を見ることによって、それは脳の機能を反映したもので
あることが理解できるのではないだろうか?
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 09:08
たとえば形と重さが全く同じで,大きさだけの違う物体を持ち比べると, われわれは大きさの小さい物体の方を「重く」感じる.これはこれまで 重さの知覚が視角に影響される「錯覚」と考えられてきた. ところが,ギブソニアンは重さの知覚を「物体の慣性モーメントの 直接知覚」と考える.で,上に述べた物体の場合,重さと形が 同じであれば大きさが小さいほど慣性モーメントは大きくなる, したがってこれは錯覚ではなく,正常な知覚であって, むしろ「物体の重さと慣性モーメントが比例しない」という ごく特殊な環境の側に「錯誤」があると考えるわけだ. 実際,自然界の事物のリアリティとしての「重さ」が 慣性モーメントと比例しないことは,考えにくい. それを「錯覚」だというのは,そもそもこれまでの重さ知覚の 研究が,物体の質量だけに注目して,重さの知覚の本質を 解明できていなかったからだ,というわけね. で,慣性モーメントを直接知覚している,と考えるところから, 触ったり振ったりするだけで視覚を用いなくても物の形や 長さがわかる,というダイナミックタッチの研究につながるわけね.
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 09:11
一方知覚屋/認知屋はこれを「錯覚」と考えて, それを生み出す「重さの感覚と視覚を繋ぎ,解釈するシステム」 という内的過程に沈潜していくことで,環境のリアリティから 離れていくわけね.....
195 :
164 :2001/07/21(土) 09:13
ちなみにとろろ芋はあれだけ泡をたくさん含んでいるために見かけより 軽いということを、私はとろろ芋を久しぶりに食べたので忘れてしまって おり、したがって、「知覚内容≠環境」であることをうっかりして いた、だからぶちまけてしまったのである。
196 :
164 :2001/07/21(土) 09:15
私は慣性モーメントを、視覚と筋紡錘、そして皮膚に加わる重量 感覚の総体として脳が理解すると考えているのですが。
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 09:17
>>192 おいおい,知覚の基本機能が基本的に学習とは
関係ないことはスキナリアンだって同意する事実だぞ.
>椅子が座ることをアフォードしていると言うが、そうではなく、脳に蓄積された
>生後のいろいろな経験から固い物には乗ることができる、座ることができるという
>ことを我々は知っているからじゃないのでしょうか?
それは「われわれがいかにして物体のアフォーダンスを利用するようになるか」
という話.生後の経験からなにをどう学んだって,もともと
座れるように出来ていない物体には座れないだろう?
世界にはもともと座れるアフォーダンスを持っている物体がある,
われわれは経験や学習によってそのアフォーダンスを「発見する」
ということだよ.
もし伝染病かなにかで人間はすべて死に絶えて,
人間の作ったものだけが残った世界にイスが残っていたとすれば,
それにはもう誰も座らないし,それにイスとしてのアフォーダンスが
あることを発見するものもいない.しかし,そのイスは依然として
座ることをアフォードし続けているのだよ.
これが,アフォーダンスは「抽象概念」ではなくリアルな現実である,
ということ.
198 :
164 :2001/07/21(土) 09:21
>しかし,そのイスは依然として >座ることをアフォードし続けているのだよ. 人間と全く身体構造の違う宇宙人が見ても、その椅子は座ることを アフォードしているのかね?
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 09:23
同様に,とろろ芋のアフォーダンスは,君がそれを 利用できるか,できないかに関わらず物理的に定まっている. 君の失敗は,単にアフォーダンスを発見できなかった, というだけのこと. >私は慣性モーメントを、視覚と筋紡錘、そして皮膚に加わる重量 >感覚の総体として脳が理解すると考えているのですが。 視角は関係ないです.視覚が慣性モーメントをどうやって検出するのよ? そして,「脳が理解」する慣性モーメントの「大きさ」は 脳の活動によってではなく,物体が持っている慣性モーメントに よって決まる.だから,重さの知覚は脳によってではなく 対象となる物体のモーメントによって決まるわけです. 「決まっているもの」を脳がどうやって理解するのか, という問題と,「何によって決まるのか」という問題を 混同してはいけません.ほら,スキナースレと同じところに いきついたでしょう?だから君は「心はどこにあるか」スレなどを きちんと読む必要があるということになるのです.
200 :
164 :2001/07/21(土) 09:24
いずれにしても、アフォーダンスは人間の経験と自らの身体その他の 特徴に強く依存していることは疑いない。そしてそれは脳によって 獲得されるんだよ。
201 :
164 :2001/07/21(土) 09:26
物体が持っている慣性モーメントを、脳が経験から知っていくんだよ。 視覚と筋紡錘、皮膚感覚の相互作用を通じてね。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 09:29
>>198 こら,アフォーダンスの本読んだなんて,ウソだろ!
アフォーダンスは物体の側のリアリティだけど,
それが利用されるかは,利用する側との相互作用で決まる.
人類が作ったイスは,多くの場合「人類が座るのに適した
アフォーダンス」を物理的に持っている.人類とは
性質の違う生物からは,そのアフォーダンスは発見されないし,
利用もされない.
しかし,人類とよく似た身体構造を持つ宇宙人からは,
そのイスのアフォーダンスは発見され,利用されるかも知れない.
このとき,人類とは違う宇宙人に「見られて」いる時と,
人類と似た宇宙人から「見られて」いる時とで,イスの側に
なにかの変化が起こっている? 起こっていないよね?
アフォーダンスは,それが利用されるかされないかにかかわらず
物体の側のリアルな物理特性として存在して,発見された時だけ
利用されるんだよ.
203 :
164 :2001/07/21(土) 09:32
私は君とは違ってアフォーダンスのことをいつもいつも考えておれる 環境にないから忘れてしまうこともあるさね。 ま、今は引き下がっておきます。
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 09:35
>>200 ,201
せっかく200ゲットなのにそれも気がつかないようじゃ
ダメだね.
「脳によって獲得される」「脳が経験から知っていく」っていうけど,
じゃあ脳は何を獲得し,何を知っていくの?
環境が持っているアフォーダンスを獲得し,知るんでしょう?
脳は環境の構造を行動に繋ぐための「機構」に過ぎず,
脳の中で作り出されるものなんか、ないんだよ.
そして,究極の脳というのは,環境の構造を完全に完璧に
反映して,環境の構造と全くズレのない行動を作り出す
脳だろうね.つまり,脳が進化すればするほど,脳を
分析しなくても,環境を分析すれば,脳が何をどうするかが
完璧にわかるような脳になるかもよ(笑).
ところで,あなたの使う「脳」という言葉,すべて「生体」とか
「人間」とか,もっと一般的な概念に互換なんだけど,
これって,つまり脳というのもひとつの「象徴」に過ぎないっていう
証拠じゃないかな?
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 09:39
>>203 他のスレを見れば,私がアフォーダンスだけでなく
スキナーのことも,進化論のことも,臨床心理士のことも,
研究のパクリのことも,心理学業界の美人ちゃんのことも,
あるいはその他のことも,いつも考えておられる環境にある
ことがわかるでしょう.
それがなにか?(笑)
206 :
164 :2001/07/21(土) 09:40
ここはスキナースレとは違って私の味方も多そうだからね(笑) 後は頼んだぞ。
207 :
164 :2001/07/21(土) 09:42
>>205 いや、私はこの板だけじゃなく、生物板やエロゲー板のアクティブでも
あるんだよ。だから、手が回らないこともあるのさ。
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 09:49
ギャラリーに対しても強調しておきたいけど,大切なことは, アフォーダンスっていうのは物体や環境の側にある「物理的」な リアリティであり,生体の側はそれを発見したりしなかったり, 利用したりしなかったりするだけで,アフォーダンス自体が 生体の側の認知や解釈で成立したり,変化したりはしない, っていうことが,ギブソンのそもそもの考えだ,っていうことだ. アフォーダンスに対する最大の誤解は,アフォーダンス自体が 「見る側」の主観によって作られるように考えている人が多いこと. 「見る側」はアフォーダンスを発見し,利用するけれども, アフォーダンス自体はもし,発見も,利用もされなくても その物体の側に厳然として実在する,ということね. まあそのアフォーダンスの発見と利用のプロセス,ってのが ギブソンとスキナーを繋ぐものだと考えてるのは俺だけかも 知れんが.
164さんと190(172?)さんのやりとりは アフォーダンスってなんだべ?という初心者にもわかりやすい語りになってるね。 夏休み厨房の疑問を先取りしているかのようで(・∀・)イイ! ヨーローさんの本を読んだばっかりの子にアフォーダンス解説している苦悩にそっくり(笑 最近は遺伝子でなんでも説明してもらいたがる人が多いような…
>>206 味方したくても、あんまりバカなこと書き散らすから味方できないよ。
アフォーダンス論には批判的な人間からみても、どっちが低レベルか
一目瞭然だもん。
>>210 まあまあ、いいじゃないですか。優劣を競う場所じゃないのですから。
164さんが言う事はアフォーダンスを知って最初に抱く疑問で一番多いものを選んでると思うよ。
僕も同じような事聞いた覚えあるもん。
ウスウスわかっちゃいるけど、せっかくアフォーのスレなんだから突っ込んでみたんでしょ。
212 :
164 :2001/07/21(土) 16:33
>>210 そうかい? 敵はしたたかだからな、うまい具合に相手をおとしめる話術に
長けているのさ。俺はその手を使わないだけ。それを見抜けないようじゃ君も・・・
214 :
164 :2001/07/21(土) 16:47
座れるアフォーダンスを持っているものってすごく数が多いよ。極端には立てた 状態のペットボトルだって座れるし(ズボンに穴が空くかもしれないけど)、 だいたい我々の周囲にある固くて上面の見えるものはすべて座れるアフォーダンスを 持っていることになるんだけど、こういう理解でいいわけ?
215 :
164 :2001/07/21(土) 17:08
あるいは板に刺さった釘を抜くような場合、釘抜きが手元にあれば問題がないけど、 そうでなければ我々は代わりになるものを探すじゃない。どうして探すかというと 座れるアフォーダンスを持つものと同じように釘を抜けるアフォーダンスを持つ ものを「頭の中で」想像しながら探すんじゃないの。 どうも、いくら我々の環境はリアルで、アフォーダンスは変化しないといわれても、 それを発見するのが脳である以上、「脳にある」(笑)と思うんだよね・・・
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 17:47
>>214 それを君が「座る」と呼ぶなら,君はその物体に
座るアフォーダンスを発見しているわけ.そして
そのアフォーダンスはたとえばそのペットボトルが
「君の体重を支えられる」などの物理的特性を持っていることに
よって規定される.その他なんでも,君が実際に座れるもの
(座れると思うもの,じゃないよ)は,君にとって
座るアフォーダンスを持っている.しかし,それらは
君より体重が重い人や,お尻に障害がある人にとっては
それをアフォードしないかも知れない.
しかし,君が座れて,誰かが座れないとしても,
ペットボトルの物理的特性が変化するわけではない.
そのペットボトルは,一定の体重,または一定の特性を
持つ人にとって座ることをアフォードする物理特性をもっているわけ.
それがアフォーダンス.わかった?
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 17:47
>>215 釘抜きがない時に,他のものが「代わりになる」と想像する
理由はなに? おそらく,過去の経験でそれ(たとえばペンチ)が
釘を抜くこと(あるいは類似した物理的効果)をアフォードする
ことを知っているからだよね? どうして知っているの?
それはそもそもペンチがそういうアフォーダンスを持っており,
過去の経験でそれを発見しているから.
この場合,すでに複数のアフォーダンスを発見していて,
発見済みのアフォーダンスから必要に応じてどれかを選択する,
ということが起きているに過ぎない.その選択は確かに
脳で行われるが,その根拠となる「知識」は,釘抜きや
ペンチなど「環境内の事物」がリアルに持っている
アフォーダンスに依存する.
アフォーダンスは環境の側にあって,生体によって発見されるものでも,
発見するのが脳だったら,アフォーダンスは脳にあるといえる,っていうのは,
望遠鏡に映った遠くの山が「望遠鏡の中にある」というのと
同じくらい滑稽だと思う.
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 17:51
あるいは,テレビに映っている「上空から見た札幌市」 というのは,テレビの中にあるの? それとも外的世界に 実在するの? で,生体の認知機能や脳の情報処理が「テレビより不正確」 (外的世界を反映している度合いが低い)と想像する理由はある?
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 17:55
あるいは,テープレコーダーに君の歌が録音されているとして, その歌が上手だったり,下手だったりするのは君のせい? それともテープレコーダーのせい? で,生体の認知機能や脳の情報処理が「テープレコーダーより不正確」 (外的世界を反映している度合いが低い)と想像する理由はある?
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 17:56
君が言ってることは「札幌はテレビの中にある」 「歌が下手なのはおもにテープレコーダーのせいだ」と 言ってるのと同じなんだよ.
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 18:02
で,私はテレビに映っているのはとりあえず実在する札幌だと思う. そして,それに対して私が起こす反応はテレビによって起こされているのではなく, 札幌によって起こされている,と考える. また,私は歌の上手下手は,歌い手の特性だと考える. 下手な歌を直すためには,テープレコーダーを調べるのではなく, 歌を吹き込んだ人に何かアドバイスしようとするだろう. 札幌,あるいは歌い手が環境,あるいはそのアフォーダンス, テレビやテープレコーダーが脳,だと考えたら? もちろん,それでもテレビやテープレコーダーに興味を持つ人はいるし, その専門家は必要だけど,その人たちが「世界はテレビの中にある」 とか「音楽の価値はテープレコーダーが決める」なんて言い出したら みんなびっくりするよね. と,この手の話題は「心はどこにあるスレ」などで詳細に論じられてるので, そっちも見て下さい.
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 18:08
しかし,楽しませてくれる人だ.感謝してるよ(煽りにあらず).
164はマジなの?なにゆえアフォーダンスを唯脳論に変換したがるのか。 そのうち「俺の脳が認識しなければアフォーダンスどころか世界そのものも最初からナイ」 とか電波言いそうだね。
224 :
164 :2001/07/21(土) 20:30
待て待て。ここで言った釘抜きの代わりになるものは、ペンチが同じ ような機能を持つことを前に発見しているから思い出す場合だけじゃない。 頭で考えてそのような機能を得ることを思いつくこともあるじゃないか。 ちょっとわかりにくい表現になったが、両足の靴で釘を止めて手で板を 外そうと思いつくこともある。そんなことは今までにしたことがなくてもだ。 これはどう説明する? それから望遠鏡やテレビ、テープレコーダの例では望遠鏡やテレビ、 テープレコーダという中間媒体が存在するじゃないか。そして、それらの 媒体は仕組みさえ知っておれば、外界を一応忠実に捕らえていることは 理解できる。しかし、今問題としているのは、我々の身体の中でほとんど 一体となった眼と脳の話だろう? 生体の認知機能や脳の情報処理が 「テレビやテープレコーダーと同等に正確」(外的世界を同じ程度に 反映している)と想像する理由もないんだぜ? 一応、進化ということで 理解できるけれども、真実は分からない。我々が本当はきわめて ゆがんだ像を得ているのだが、生活する上では支障のないようなゆがみ方だ、 ということもあり得る(わかりにくい表現になってしまったが)。 それから223のことにしても、この世界は俺が作り出した世界だって こともあり得る。そして俺が死んだらこの世界は終わるかも知れないが、 俺はそのとき死んでしまうので、俺が死んだら世界は終わるのか、 存続するのかを俺が知ることはできない。それは君らにしても同じだ。
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 20:42
ハーイデンパレスハツケナーイ ハーイデンパレスハツケナーイ ハーイデンパレスハツケナーイ
226 :
164 :2001/07/21(土) 20:43
たとえばガラス。現実のガラスは光を少なからず反射するので見失う ことはないが、本当に無色透明で反射光のないガラスがあったらどう する? そんなものを見る能力が俺たちにはないだけで、実際は存在し たら? 宇宙にはX線しか放射しない恒星があるではないか。しかし、 我々はそれを見ることができない。我々が見ているのは電磁波の中の ごく狭い範囲の波長の光だけなんだぜ。
227 :
164 :2001/07/21(土) 20:48
226は我々がゆがんだ世界を見ていることのひとつの例だ。 誤解のないように。
164サン。君はきっと良い心理屋さんなんだろうね。 でも、暑さが続きすこし疲れているんだよ。僕もみんなもナツバテ気味さ。 このまま持論を展開すると誤解が増殖するだけだから、しばらく休みなよ。うん。 よーく読み返してごらん。アフォーダンスと関係ない持論を書くばかりで アフォーダンスの考え方に歩み寄よったり関連付けたりする気力も無くなってるようじゃない。 それに大切な164さんの持論書いたって2chじゃ同意なんかしてくれないんだから、もったいないよ。 あと、人の親切な解説にも「貶め」られるだの「敵」だとか……ね、少し疲れてるんだよ。 普段はもっと元気なのはみんな知ってるから、しならく小休止してスレの流れを眺めてごらん。
229 :
164 :2001/07/21(土) 21:08
いやいや。誤解というより、アフォーダンスがこれだけ攻撃を受ける 可能性のある考え方だということをお主らも知っておいた方がいいぜ。
いや、確かに誤読していることも多いようだ(笑 休憩しよっっか。
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 21:58
S-R コンパチビリチィとの関連についてご意見いただきたい。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/21(土) 21:58
失礼。コンパチビリ”ティ”
234 :
164 :2001/07/22(日) 10:54
さて、と(どっこいしょ)
235 :
164 :2001/07/23(月) 03:30
こうアフォーダンススレが下がるところを見ると、アフォーダンスはもうあまり 興味を持たれていない? それとも私のふっかける議論は見向きをする価値も ないと? とりあえず224に対する回答ほしいな。 いつかギブソニアンがほんとに苦しむ質問を考えてやるから・・・
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/23(月) 04:08
うんうん。確かにアフォーダンスとかの本や話題などの賑わいにくらべると
このスレで164さんのような感想(というレベルで許せ)を言う人すらも少なかったからね。
上がってきてるだけでもヨイヨイ。
>>229 はあるかもね。攻撃はちょっと過激にしても拒絶反応起こす人はいるみたいだしね…
224について言えば
アフォーダンスは『環境の実在』(最重要)を認めるところから始るわけなのだから
「生体の認知機能や脳の情報処理」だけですべて説明、とか
「この世界は俺が作り出した世界だってこともあり得る」と言われてしまうと
話を対比させることも関連づけることも出来なくて、困っちゃいます。
まず100歩くらいさがって「自分の意思や存在と関わらず環境は情報をもっている」という
前提を了承してくださいな。お願いします。
で、発展的に語りましょうよ。
きっと近いうちギブソニアンが苦しむ質問も書き込めますよ・・・
237 :
164 :2001/07/23(月) 04:54
「直接知覚」の意味だが、従来光や音のような遠隔刺激を処理する 視覚系や聴覚系の研究はかなり進められ、我々が外界を正確に捉えて いるわけではないことを示す錯覚の存在も知られるようになった。 しかし、皮膚表面の感覚器による触覚や筋紡錘を介した筋肉感覚の 研究は比較的遅れている。だから、ギブソニアンが進める直接知覚の 研究は、これらの感覚の理解に寄与することが期待できる。 ただし、この皮膚感覚の錯覚の例が実はすでに知られている。有名な 例が人差し指と中指を交差させ、その二本の指の間に1本の鉛筆を挿入 すると、まるで2本の鉛筆で中指と人差し指が挟まれているような 感覚を生じる錯覚だ。こういう研究が進めば直接知覚も視覚などの 遠隔知覚と同じように、外部環境を正確に捉えているわけではない ことが理解されるようになるかも知れない。 236さんには悪いが、理論の根本である前提(アフォーダンス理論では 「知覚内容≠環境」という前提)をうち砕くことが、常に、その理論の 誤謬を指摘する一番の早道なのだ。
238 :
164 :2001/07/23(月) 04:56
うう・・・ ×前提(アフォーダンス理論では「知覚内容≠環境」という前提) ○前提(アフォーダンス理論では「知覚内容≒環境」という前提)
理論の根本をあんまり簡単に打ち砕いてしまうと 違う理論や学問、というかメルヘンになっちゃうよ。 残念ながら164は今のところ天才でも英雄でもないのだから 現在君が打ち砕けるものなんて何もないと思うよ。教わりたいのならあきらめも肝心。 語るところからハジメナサイ。
240 :
164 :2001/07/23(月) 05:22
>>239 ちょっと待ってよ。そういうカキコこそ煽りでしかないんだよ。
237であげた皮膚感覚の錯覚に対してギブソニアンはどう応えるのか、
それを教えてよ。
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/23(月) 06:16
>>164 あのなあ、君は根本的に間違っている。
もし知覚内容≠環境だったら、
そもそも知覚は何のためにあるんだ?
あるいは、知覚は何のために進化してきたんだ。
錯覚は「知覚の誤差」を示すものに過ぎないし、
先にも述べたように、錯覚の一部はむしろ
われわれを取りまく自然環境の特性に対応した
「正常な知覚」の誤動作に過ぎないことがわかっている。
たとえばミュラーリヤー錯視と奥行き知覚の
関係を知っているか?
あなた、ひとつの物差しがつねに実際の長さより
15%多い長さを報告するとして、そのものさしで
計り比べて長いものと短いものとの関係が、
実世界では逆転するとか想定する?
直接知覚、ってのは「知覚内容=環境」ではなく
「知覚内容≒環境」、知覚が基本的には環境の実在を
反映している、っていう当り前の仮説。
もし君がそれを否定するなら、それは唯物論の否定だから、
自然科学全体を否定することになるんだよ?
242 :
164 :2001/07/23(月) 06:36
>>241 237であげた皮膚感覚の錯覚で本来1本の鉛筆が2本に感じる錯覚も
誤差に過ぎない、と?
まぁしかし錯覚で攻めるのはあまり有効な戦略ではないことは
分かった。次の手を考えるさ。
243 :
164 :2001/07/23(月) 07:26
すまん、242で錯覚から攻めるのは有効ではないといったが、皮膚感覚で 1本の鉛筆が2本に感じる錯覚は論じるに値すると感じたので以下、それを 述べてみる。 鉛筆の例は指だったが、足を交差させてその間に杭を挿入した場合も 同じ錯覚が生じるだろう。そして1本の杭に接触した場合は単に杭から 遠ざかればよいが、2本の杭で挟まれた状態は捕らわれたという感覚を 生じる。言い換えれば、2本の杭で身体を挟まれた状態は、杭と身体 との関係性において「捕らわれた」というアフォーダンスを持つ、と 言える。しかし、現実は交差した足の間に1本の杭が挟まっただけ、 足が1本の杭を挟んでいるだけなのだ。 今地震が起こって壁が崩れ落ちてきた。あなたは逃げる間に瓦礫に つまづいて足を交差させる形でうつぶせに倒れた。そのとき、交差した 足の間に杭がドスンと落ちてきた。あなたは幸い救助隊に発見され、 上半身から引き上げられることになった。あなたの交差した足の間には 1本の杭が挟まっているだけなので救助は容易と思われた。ところが あなたは上記の錯覚により2本の杭の間に足が挟まって逃げられないと 感じている・・・
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/23(月) 08:17
それはとても簡単な話. 交差された指に鉛筆が挟まれている時,たとえば右手の 人さし指と中指を交差し,その間に鉛筆を挟んだ時, 鉛筆は人さし指の左側と,中指の右側に触れているよね? 指を交差していない時,鉛筆がそのように指に触れている なら,鉛筆は2本あることになる. 自然環境では,指を交差して何かに触れることと, 交差しないで何かに触れることとでは,後者の方が一般的である. だから,指の感覚は指を交差しないで何かに触れることに適応しており, 交差して触れる,という異常な環境条件には適応していない. だから錯覚が生じる. 君は致命的なミスを犯しているんだけど,それを指摘するよ. もし,君の言うように知覚が「脳の高度な情報処理」によって 「生じている」のなら,指が交差している,という視覚情報も あり,また,指が交差しているという「認知」がある以上, 指の「感覚」は脳内の情報処理できちんと補正されて, 鉛筆が二本に感じるなんて錯覚は起こらないはずだ. 指を交差してものを挟むと,それが二本に感じると言う「事実」 自体,指の皮膚感覚が環境からの刺激によって「直接」生じて いることの,有力な証拠にならないか?
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/23(月) 08:22
それから,
>>243 における「アフォーダンス」という
言葉の使い方は間違っている.前の方をもう一度読んで.
246 :
164 :2001/07/23(月) 08:34
うむ、この錯覚の生じる仕組みは簡単だ。そして、この錯覚は視覚 刺激によってむしろ妨害されるという性質があるのだが、 >指が交差しているという「認知」がある以上, >指の「感覚」は脳内の情報処理できちんと補正されて, >鉛筆が二本に感じるなんて錯覚は起こらないはずだ. そうなんだよな。しかし、ここには自分の身体同士が接触する 場合と、自分と他者が接触する場合とでは脳による情報処理が異なる のではないか、という別のテーマが潜んでいる。 >指を交差してものを挟むと,それが二本に感じると言う「事実」 >自体,指の皮膚感覚が環境からの刺激によって「直接」生じて >いることの,有力な証拠にならないか? この意味がよく分からないのだが・・・
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/23(月) 08:46
>>246 おお,いいポイントじゃ.
つまり,普通に「脳内情報処理」モデルで考えると,
「鉛筆が一本か二本か」といった「高度な」認知は
感覚知覚のたくさんの情報を総合して「脳」が
行っている,と考えられる.だから,指が交差している,
といったごくシンプルな状況要因でそう簡単に錯覚が
起こるとは考えにくい.
指を交差しただけでそういう錯覚が起きるということは,
鉛筆が一本か二本か,という高度な認知が「指だけ」で
生じている可能性がある.つまり,脳が知覚しているのではなく,
(高度な情報処理機構など持たない)指が直接環境を知覚している,
という可能性が生じるだろう?
248 :
164 :2001/07/23(月) 09:01
>指を交差しただけでそういう錯覚が起きるということは, >鉛筆が一本か二本か,という高度な認知が「指だけ」で >生じている可能性がある.つまり,脳が知覚しているのではなく, >(高度な情報処理機構など持たない)指が直接環境を知覚している, >という可能性が生じるだろう? はぁ?(゚Д゚) 頭が痛い。休憩・・・
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/23(月) 10:19
>>248 頭が痛くなるのは脳神経が増殖しているのじゃ,
もっともっと難解な刺激をあたえよ.
250 :
164 :2001/07/23(月) 10:21
>>249 私の既存の知識と認知的不協和を起こしているんですよ、これは・・・
知覚やら認知の領域で研究活動する人々の中には
ギブソンの議論を素通りしてしまったような人も
いるだろうけど、その一方でギブソンの議論を
批判的・発展的に継承したような人もいるわけで。
てなわけで、
>>194 みたいに「知覚屋/認知屋は…」
って十羽ひとからげにするのは勘弁して欲しいナリよ。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/23(月) 15:59
253 :
252 :2001/07/23(月) 16:00
で、ギブソンの議論を批判的・発展的に継承した人、って 具体的に例えば誰で、どんな研究が発展しているのかな?
D.A.ノーマンだとか言うなよ(藁
知覚以外の領域でどの程度名前が知られてるのかわからんけど、 例えばMITのRichardsとかにはGibsonの影を感じるナリよ。 ちょっと長いけど、彼が編集した"Natural Computation"とゆー 論文集(の邦訳)の序言から引用すると 最近、ある人が私のことを新Gibson主義者であると非難した。 私は幾分それが当を得ていることを認める。というのは、 Gibsonが「知覚とは直接的なものである」と述べたとき、 彼は正しい方途にあったと私は信じているからである。 私は、もし、この主張の意味が、知覚過程のどんな分析よりも、 かなり低次レベルの入力から――過度な中間的感覚機構の 泥沼に入り込むのではなく、むしろたとえばスケッチ要素 (primal-sketch primitives)」などから―― どのようにして高次レベルの推論が“直接”作り出され得るかに ついての理解を目指さなければならないと解釈されるなら、 私はこの主張の精神を共有する。 (「ナチュラルコンピュテーション」パーソナルメディア社) Richards自身が自分の立場をどう考えているかもさる事ながら、 ある人とやらに「おまえは新Gibson主義者だ」と「非難」された というくだりが興味深いナリ。 やや真面目モードに移行しつつ、つづく。
で、Richardsあたりの立場、というか正確には彼らの論文から 私が理解したところによると、まず 1)視覚が可能であるためには、シーンを生成する環境が ある種の構造を持っていることが必要不可欠である。 ということが重要です(ギブソニアンな人は「画像」「像」とか いう語に抵抗がありそうなので「シーン」と表記します)。 念のため補足しておくと、1)は「あるシーンが与えられた時に そのシーンを生成した構造を特定せよ」という問題には一般的に 解が存在しないことに由来します。 さて、1)より視覚について研究するためには 2)シーンを生成する「環境」はどのような構造をもっているのか。 を知る必要があります。さらに、 3)シーンに含まれるどのような特性から、環境が持つ構造の どのような側面を推定することが可能なのか。 を明らかにしなければなりません。3)の議論を踏まえることによって 4)ヒト(など)の視覚はシーンから環境についてのどのような 情報を、どうやって取り出すのか。 という問題への考察を深めることが可能になります。 RichardsとかBennettとかの仕事に詳しい方、誤りがあれば訂正 していただければ幸いです。つづく。
3)と4)の問題が独立に扱うことが可能である、という考え方は 「アフォーダンスは環境が持つ性質である」とか「観察者がそれを 抽出するしないにかかわらずアフォーダンスは存在する」とか ゆー考え方と矛盾しないと思います。推定を可能にする環境の構造も、 シーンから環境の構造を推定する方法も、それがヒト(など)に 用いられている/いないに関わらず存在するからです。 では、この辺りの人々がGibsonと一致しない点がどこにあるかと ゆーと、それはinvariantという概念だと思います。 invariantは環境が持つ構造と直接的に結びついているので、シーンが 含むinvariantを抽出できれば即、知覚が成立するというのが Gibsonのinvariantの基本的な考え方だと理解しています。 (やはり詳しい方、誤りがあれば指摘していただければ幸いです) 従って、例えばヒトの知覚について議論しているならば 5)シーンが含むinvariantを網羅する。 6)ヒトが利用可能なinvariantを網羅する。 ことが出来れば、ヒトの知覚システムの最終的な理解に至ることが 出来ます。しかし、ここで疑問に思うのは、5)や6)は果たして可能 なのかということです。特に 7)ヒトが知覚する、シーンに含まれるさまざまな構造のすべてに 対して、それと「直接的に結びついた」invariantが存在するか。 という点が、Gibsonのinvariantというアイディアの妥当性を考える 上で非常に重要です。つづく。
で、7)の問いですが、Gibsonが扱ったようなoptical flowと自己運動 や、遮蔽輪郭と奥行き方向への面の不連続といった関係は、比較的 シンプルです。そのため、invariantというアイディアはうまくいく ように感じます。しかし、例えば陰影からの面の形状復元(shape- from-shading:以下SfSと省略)といった問題はどうでしょう? 一応簡単に説明しておくと、SfS問題とは明るさの変化から面の形状を 推定することです。アフォーダンスという語を使うならば、 「シーンにおいてなめらかに明るさが変化する領域は、その領域に なめらかに曲がった面が存在することをアフォードして」おり、 そのアフォーダンスを取り出す問題だということになりましょうか。 聡明な方々はすぐお気づきのことと思いますが、このSfS問題、実は かなりの難問です。例えば光源が点光源の場合、まったく平らな面にも 明るさの勾配が出来ることがあります。平行光源を仮定できる場合でも、 その面が光沢を持たない面である場合と、そうでない場合で明るさの 勾配が異なります。さらに反射特性そのものがなめらかに変化する面 だって我々が生活する環境には存在しますよね。したがって 8)シーンにおいてなめらかに明るさが変化する領域と、なめらかな 曲面が対応する「場合がある」。 9)しかし「なめらかな明るさの変化」は「なめらかな曲面の存在」 以外の原因によって起こる場合もあり、両者は「直接的に 結びついた」関係ではない。 にもかかわらず…スペースがないので、つづく。
8)、9)にもかかわらず、 10)ヒトは、心理実験で「なめらかに明るさが変化する領域」を提示 されると、なめらかな曲面を知覚することができる(SfSの実験より)。 ということになります。明らかに、ここにはGibsonの素朴なinvariant の概念では説明できない問題があります。 もちろん「なめらかに明るさが変化する領域」が「なめらかな面」 のinvariantであると考えたのがそもそも間違いであり、もっと 直感的ではない「シーンに含まれる何か」と面の形状が直接的な 関係にあるのだという反論も可能でしょう。しかし、その「何か」を 具体的に明示できないのであれば、この種の反論はほとんど無意味です。 Gibsonの理論は、具体的な「何か」を突き止める手がかりを 与えてはくれませんし、ヒト(など)の知覚と直接的に対応する 「何か」が必ず存在すると信じる根拠も現時点では特にないと思います。 つづく。
で、Richardsあたりの人々ですが、彼らはSfSなどの問題に推定統計学
などの手法を用います。その背後には、前述のとおり、シーンを生成する
「環境」はどのような構造をもっているのか、そしてシーンに含まれる
どのような特性から、環境が持つ構造のどのような側面を推定することが
可能なのかという考察があります。
この辺りは、彼らがGibsonから受け継いだ問題意識だといえると思います。
(実際、この問題を議論するときにGibsonが引用されることがある)
その一方、シーンと知覚内容の対応関係(の複雑さ)については、現在の
理論はGibsonのinvariantに比べてはるかに複雑なものになっています。
この辺りは批判的、発展的に受容されたと言えなくもないと思います(弱気)。
…うーん、
>>251 を書いた以上責任があるかなとか思って
書いてみたけど、やっぱり大幅に実力不足ナリよ。
読み返すの怖くて校正してないよ。鬱だ逝こう。
______ /_ | /. \ ̄ ̄ ̄ ̄| / / ― ― | | / - - | ||| (6 > | | | | ┏━┓| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | | | | ┃─┃| < 正直、251はがんばった。感動した。おめでとう。 || | | | \ ┃ ┃/ \__________________ | || | |  ̄  ̄|
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/24(火) 03:21
>10)ヒトは、心理実験で「なめらかに明るさが変化する領域」を提示 > されると、なめらかな曲面を知覚することができる(SfSの実験より)。 ここで、これは静止画像を呈示するのですか?
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/24(火) 03:27
>念のため補足しておくと、1)は「あるシーンが与えられた時に >そのシーンを生成した構造を特定せよ」という問題には一般的に >解が存在しないことに由来します。 念のためにお伺いしますが、ここで、この「シーンを生成した構造」 というのは生体側のたとえば脳を指しているのか、それとも環境側の たとえば点光源か平行光源かを指しているのですか?
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/24(火) 03:41
2ちゃんにしては上出来や。 ホンによう頑張った。 特に門外漢にも何とかついていけるように書いてくれはったのが偉いやないか。 このあとの展開が楽しみや。 基礎系のこういうお人は貴重なので、潰したらあかんで。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/24(火) 09:03
いや勉強になった.251氏に感謝. まず,日本のギブソニアンはoptical flowは光学的流動, invariantは不変項と訳すことが多いね.フローはフローの ままのほうが分かりやすい気がするが. ギブソンの著作自体は理論と言うより哲学,また不変項という概念も 検出されることによって定義される,という点で再帰的なので, それを具体的な実証研究に繋ぐ時には,もうワンステップの 飛躍が必要なんだよね. また,「環境の構造が実質的に無限,すべてをリストアップできない」 という問題は,環境を問題にする心理学理論すべてに関わる問題. もちろん,説明概念の対象が無限であるということが,その説明が 間違っている,あるいは不完全だと言うことに直接はつながらない. 自然数は無限だが,自然数を含んだ式や予測が間違いだとはいわないからね. ただ,実際の実証的研究では,その無限の中から一定の要素を抽出しなければ ならず,その抽出の基準が常に問題になる. いわゆる「行動主義」は,それをものすごくシンプルな要素に還元してしまった. このことの是非は十分論じられているのでここでは述べない. 確かに生体を取り巻く環境や,その構造,その中に含まれる不変項は 無限に存在するわけだけど,そのなかで生体にとって「意味がある」 ものは,ある程度限られる.ユクスキュルの「環境世界」などに示される ように,その範囲は種(とそのニッチ)によって,進化的にある程度 定められているだろうし,ギブソニアンが進化論に傾くのは 環境内の不変項とそのアフォーダンスの検出の傾向が,基本的には 種に依存する,というようなことを考えているからだろう.
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/24(火) 09:14
>7)ヒトが知覚する、シーンに含まれるさまざまな構造のすべてに >対して、それと「直接的に結びついた」invariantが存在するか。 まあギブソニアンはそれが「存在する」と考えて,捜すわけだよね. そこがギブソンが哲学である,というゆえんだし,そのドグマを受け入れるか どうかが,「ギブソンを咀嚼した知覚心理学者」になるか,ギブソニアンに なるかの境目だろうな.進化論でも,ダーウィンの「発見した」原理 自体はドグマに過ぎないわけで. ただ,進化論者がダーウインのドグマを用いて多数の発見を積み重ねたように, ギブソニアンもそのドグマに基づいて発見する.「ダイナミックタッチ」に おける重さや形の知覚と「物体の慣性モーメント」という不変項の 直接の関係の発見は,そうした発見の代表的なものだし,知覚心理学の 歴史の上でも画期的な大発見だと思う.同じような発見が今後も 続いていく,という期待もある程度できる. 251氏の言うSfS問題でも,現在の研究がまだそうした不変項を 発見しておらず,今後発見される,という可能性もあるわな. それを発見することができれば,直接知覚の理論は前進するわけだし, 発見されなければ停滞する,それだけのことだ.
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/24(火) 09:22
もちろん,ギブソニアンも慣性モーメントの例みたいな 単純な不変項検出原理だけを想定しているわけではないだろう. ギブソンも言うように,知覚は全体がひとつのシステムなんだから, 複数の感覚モダリティが協動することで発見される不変項も あるだろう.たとえばギブソニアンは視覚でも聴覚でも 「自分の体の移動」を重視するよね.慣性モーメント問題も 慣性モーメントが直接知覚されると言っても,別に人間の 腕に慣性モーメントの検出に特化された受容体があると言う わけではなく,触覚,筋肉感覚,腕の運動感覚などが 「知覚システム」として強調して機能しているわけだ. そういう点では,ギブソン世界においても「不変項とその知覚との 関係」は相当に複雑だし,ギブソニズムを実証研究に 繋ぐ,というレベルではかなりの困難が生じるだろうし, 現に生じているわけだ.
268 :
251 :2001/07/25(水) 11:03
もっとぼろかすに言われるかと思っていたので、ちょっとホッとしました。
私の説明が不明瞭だった点があるようなので、少し補足します。
>>263 > この「シーンを生成した構造」というのは生体側の
> たとえば脳を指しているのか、それとも環境側の
> たとえば点光源か平行光源かを指しているのですか?
シーンを「生成した」側ですから、環境が持つ構造ということになります。
「あるシーンが与えられた時にそのシーンを生成した構造を特定せよ
という問題には一般的に解が存在しない」
という点についてもう少し説明しておきますと、例えば影絵を
考えてみてください。スクリーンの裏にテニスボールを置けば、
丸い影が映ります。一方、ジュース缶を置いた場合でも、向きに
よっては丸い影が映ることがあります。
視覚がやってることというのは、この影絵の例でいえば
「丸い影が映っているとき、スクリーンの裏にある物の形状を答えなさい」
というのと似ています。丸い影をつくる形状というのま無数に考える
ことが出来るので、この問題の解をひとつに定めることは不可能です。
というわけで、上記の「…には一般的に解が存在しない」というのは、
正確にいうと「解となりうる候補が無数にあって、解を特定することが
出来ない」ということになります(この点、不正確でした)。
これは脳がどうとかいう問題ではなく、光学(正確には逆光学)の問題です。
で、…つづく。
「視覚が可能であるためには、シーンを生成する環境が
ある種の構造を持っていることが必要不可欠である。」
>>256 という点ですが、やはり影絵の例でいくと、スクリーンの裏にある物体が
あらかじめ制限されていれば、先ほどの問題が解ける「場合がある」
ということです。例えば二種類の物体があることがわかっていて、それらが
1)ボールと本 → 丸い影は「ボール」
2)缶と本 → 丸い影は「缶」
3)ボールと缶 → 丸い影は「ボールか缶か、特定不能」
ということになります。
ここで注意していただきたいのは、二種類の物体の組み合わせによって
「丸い影」から推定できる内容が異なるということです。
つまるところ、影絵から物体を特定することが可能か、影絵から物体を
特定するときの妥当な推論規則は何か、という点を規定するのは「缶と
本のみが存在する」といった環境の構造なのです。
もうひとつ。
>>262 > ここで、これは静止画像を呈示するのですか?
Shape-from-Shadingの実験という場合は、静止画像を用います。
観察者自身や刺激が運動してしまうと、陰影以外の手がかりが含まれて
しまいますので。
>>265 -267 のお返事はまた時間があるときにさせてください。
270 :
267 :2001/07/25(水) 12:01
>>268 ギブソン的には,その丸いものが「運動」(たとえば縦横に回転)
すれば(あるいは自分が縦横に移動すれば),テニスボールか缶かは
すぐにわかる,ということの方が重要だろうね.
そして,対象も自分も静止している知覚,ってもの自体,
生態学的には「異常」な状態で,ふつうわれわれは
運動による視覚的フローのなかで物の形態を知覚してるんだ,
って話になるだろう.その場合,環境の構造についての
先行する情報はなくても「ボールか缶か」は「直接知覚される」
というだろうなあ,多分.これ,別の話かね?
271 :
251 :2001/07/25(水) 16:42
またまた書き方がまずかったようですので、その点について。
>>268 -269の影絵の話は「視覚が可能であるためには、環境がある種の
構造をもっていることが必要」という点を説明するために考えた
仮想的な「視覚」問題で、現実のヒト(など)の視覚の話とは事情が
異なります。
影絵の例における観察者は、能動的に視点を変えたり、物体の向きや
光源の位置を変える能力を持っていないとお考えください。
うーん、かえってややこしかったでしょうか。
ヒトの視覚において、観察者自身が運動することによって起こる
フローが重要な役割を果たしているのは事実です。
そして、静止画や瞬間提示といった実験刺激がある意味「異常な」
シーンであり、自然な状況における知覚を理解する上でどういう
意味があるのかという疑問が出るのも理解できます。
(恐らく
>>262 さんの質問もこのことと関係あると思うのですが)
この疑問への回答ですが… 個々人の哲学というか、信仰に近い
ものがあると思うので、本当に人それぞれだと思いますね。
ってこれでは納得していただけないかも知れませんが。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい :2001/07/25(水) 17:31
アホーダンス?
273 :
名無しさん@勉強中 :2001/07/25(水) 21:49
感動っす!
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/25(水) 21:55
阿呆ざんす
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/26(木) 09:13
>>271 ギブソンが衝撃的だったのは,知覚に興味を持つ心理学者の
「個々人の哲学というか,信仰に近いもの」を根本から
揺さぶったからだよね.そういう意味では,ギブソンを
評価しない知覚心理学者や認知心理学者も,それぞれ
「個々人の哲学というか,信仰に近いもの」に基づいて,
自分の研究を進めているわけだ.
学問の進歩には,ある「哲学/信仰」(クーンはそれを
「パラダイム」と呼んだ)の中での積み重ねというタイプの進歩と,
ある哲学/信仰から,より新しい哲学/信仰への移行という
タイプの進歩がある.ギブソンの「新しさ」は,後者のタイプのものだ.
ギブソンは知覚を「学者からみて研究しやすい」構造に還元して考えるのではなく,
生態学的に意味がある,あるいは生物が日常的に行っている知覚の構造に
立脚して研究しようと提案した.ギブソンがゲシュタルト心理学の正統な
後継者とされるのはその点でだ.
276 :
名無しさん@お腹いっぱい :2001/07/26(木) 11:02
ギブソンは徳島へフィールドワークにきて、 阿波踊りを目の当たりにした。 そのときギブソンはこう思った。 「研究者たるもの踊る阿呆になってはいけない、 あくまで非参与の観る阿呆で居続けるからこそ、 新たな知覚が提起できるのだ」 ニュートンにとっての「りんご」がギブソンに おいては阿波踊りだったのだ。 もうおわかりだろう。 アフォーダンスは、本当はアホーダンスなのだ。
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/26(木) 11:14
>>276 パロディはもとを理解してないと面白くない.
ギブソンはやっぱり「踊る阿呆」になるはずだし,
「非参与の観る阿呆」みたいな立場はギブソンとは対極だわなあ.
踊らなきゃ踊りのアフォーダンスは発見できない,
だからアホーダンスなのだ,くらいのが欲しかった.
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/26(木) 11:25
279 :
名無しさん@勉強中 :2001/07/26(木) 11:26
ギブソンを評価しない知覚心理学者や認知心理学者の方はゲシュタルトをどう考えているんでしょう?
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/27(金) 01:09
164はどうした? 稀少な基礎系の議論を楽しみにしてるんだが。
キメの勾配?
282 :
164 :2001/07/27(金) 07:41
健在ですよん。 たぶん、私をがりがりの唯脳論者でメルヘンなヤツとお思いでしょうが、 ギブソニアンとは前提が異なるだけで、少なくとも唯脳論を通しても世界を 説明でき、仮に誤謬があったとしても誰にも指摘できないことは分かりました。 結局、信じている宗教が違う、ということでしょう。 しかし、唯脳論者は演じてみただけ。実は私もこの世界は存在し、世界は自らの 知覚とほぼイコールであると考えています。私は両眼が見えるときにギブソンに 出会ったが、その後片眼を失明した。しかし、そのおかげで、ますます自ら動く ことによる「見えの変化」が環境を知覚する大きな手がかりになっていることを 理解するようになりました。少なくとも私はギブソンの生態学的視覚論や視覚的 フローの意味は理解しています。 しかし、直接知覚やアフォーダンスの意義については未だ疑念を抱いています。 直接知覚は皮膚感覚や筋紡錘を介した内部感覚という近接感覚の理解を促進する 上で期待されるが、たとえば指そのものが知覚しているという説明はとうてい 受け入れられない。 251氏の議論の進展に今は注目しています。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/27(金) 08:26
>たとえば指そのものが知覚しているという説明はとうてい >受け入れられない。 なぜ受け入れられないのか? おそらくそれが君のいう「信じている宗教」なんだろうな。 (中枢神経系がほとんど関与しない)ミミズの知覚について 勉強すると、指そのものが知覚する、という話の リアリティが解ってくるぞ。
284 :
164 :2001/07/27(金) 08:31
ミミズの知覚がそんなに詳細に分かっているのですか? 基本的に感覚器と効果器が直接連絡しており、進化によってその構造が 獲得されていることを言っているんでしょうけど、人間の感覚にまで 敷衍することにどれほどの価値がありますか?
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/27(金) 08:36
そうそう、ミミズと人間も進化によってつながっていることが重要。 で、中枢神経系が人間にくらべたら全く未発達なミミズでも、環境に 対応して(あきらかに「知覚」を基礎にした)多彩な行動をとることが できる。で、それはどうも体の円環構造それぞれの独立した機能と 協応動作に関係しているらしい。ミミズの場合は体の各環が 「それぞれ知覚している」ようだ、ってこと。 高度な知的行動とかならともかく、機能的に等価な行動については 低次のシステムで説明できれば、それで説明するのが順当。 モルガンの公準、って知ってるでしょう?
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/27(金) 08:41
モルガンの公準は、その説明方法が正しいことを保証するものではない。
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/27(金) 08:46
あのなあ、科学的理論の正しさをアプリオリに保証するものなんか、 そもそもないでしょう? あなたの言い方でいったら、すべての理論に 正しいことの保証なんかないよ(笑)。
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/27(金) 08:50
とにかく、低次の行動なら低次のシステムなりに説明するのが「順当」 とする言説には同意しかねるということ。
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/27(金) 10:32
>>288 まあそれもわからないでもない。
もちろん、低次の行動は低次のシステムで処理する方が
経済的だし、適応的である場合が多いのだけど、
進化の過程ではかならずしも単純で合理的なシステムだけが
生き残るわけじゃないんだよね。
ただ、高次のシステムで低次の機能をまかなっている、
という証拠がない場合には、それが低次の機能で実現できる場合は
まず低次のシステムの存在を仮定するのが普通じゃないの?
なんか認知論はなんでも高次のシステムで説明したがるし、
そもそも「人間と人間以外の生物には大きな差がある、
人間に特有のシステムがある」と思いたがるバイアスがあるように
思えてならんが.....
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/27(金) 23:39
age
291 :
164 :2001/07/28(土) 17:48
>>289 低次のシステムで処理された低次の行動と、高次のシステムが関与した低次に
見える行動とをごっちゃにしてはいけないのだと思う・・・
ギブソニアンは上で挙げた指の錯覚を直接知覚でどのように説明するのか、
教えてくれない?
それから251氏の議論は当面視覚に限定されており、平行して議論可能と思うので
いつでも応答を待ってます。
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/28(土) 19:11
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/28(土) 19:18
あと,君が理解しなければいけない(あるいは区別しなければいけない) 大事なことは,感覚や知覚の「意識」は感覚や知覚そのものではないし, 「意識にあらわれる感覚や知覚の表象」が実際の感覚や知覚と対応している とは限らない,ということだ. 知覚される,とは「対象が意識にそのように現れる」ことではなく, 対象の存在や性質を前提とした行動がきちんと生じるということだ. おそらくミミズには意識はなく,知覚の表象もないだろう. しかしミミズにも明らかに知覚がある. 錯覚の問題や,直接知覚の問題では,君はそこで引っ掛かっているように 思う.たとえば「指の感覚を意識した」からと言って,指がなにか知覚するのに 意識が介在しているとは限らない.体の一部が脳を介さない知覚を 行ったからと言って,その結果が脳に伝わらないわけではないし, その結果が意識されないわけではない.だけど,そのことと「脳が 知覚している」ということは,違う.
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/28(土) 19:20
たとえばギブソンは,知覚における意識の役割は, 偶発的で付随的なものに過ぎない,と言っている.
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/28(土) 19:22
意識は体全体の知覚内容を効率的にナビゲートしたり, 一説には「他人の知覚内容を推測するため」に進化してきたもので, 知覚そのものと,知覚に対応した行動には,意識は別に必須ではない.
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/28(土) 19:24
だから,知覚心理学が知覚の研究を主に意識(表象)の報告だけを 基盤にしてきたことに対しても,ギブソンは批判するし, ギブソニアンの知覚研究は意識表象の報告以外のデータにも シフトしていく.たとえばマイクロスリップの研究を見よ.
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/28(土) 19:34
「意識されること」が知覚だと考えると,意識は脳で生じるんだから 知覚も脳で生じるだろう,と考えるようになる. しかし,意識に現れる「知覚内容」が,脳によって知覚されているとは 限らないし(脳には「報告」がされているだけ,ということ), 意識を経由しないで知覚が直接に行動をドライブしている例は いくらもある.たとえば体の姿勢制御みたいな課題はロボットに いまだに上手にやらせられないほど複雑な「情報処理」だけど, それが中枢処理によってではなく,体の各部の協応だけで成立 しているという説がけっこう有力なものとして扱われていたりする.
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/28(土) 19:38
で,意識を経由してない知覚=行動のパスは,体の各部で 独立に行われていると考えることも当然できるのに, 心理学者はこれまでそうは考えなかった.あくまでも 「脳の情報処理」を経由していて,ただ意識されていない だけだ,という考え.意識下に意識と等価なシステムがあると言う考え. そう言う意味じゃどこかのスレで出ていたように, 認知主義と精神分析の距離は意外に近いのだ.
ちょっと意識の問題と中枢処理の問題が ごっちゃになった書き方しちゃってゴメソ. 花火大会始まったので今日は帰りまーす.
300 :
164 :2001/07/28(土) 20:59
ちょっと待ってくれ。私はこのスレでは「意識」にはまったく言及していない。 「作業記憶」が「意識」と同義だろうということは言ったかも知れないが。 >大事なことは,感覚や知覚の「意識」は感覚や知覚そのものではないし, >「意識にあらわれる感覚や知覚の表象」が実際の感覚や知覚と対応している >とは限らない,ということだ. この一文だけを読むと同意なのだが・・・ >知覚される,とは「対象が意識にそのように現れる」ことではなく, >対象の存在や性質を前提とした行動がきちんと生じるということだ. ほんとにこれでいいのか? あなたはたぶんに行動主義的傾向があるからそう思うの かも知れないが、行動としては表現されない知覚はいくらでもあるじゃないか。 >錯覚の問題や,直接知覚の問題では,君はそこで引っ掛かっているように >思う.たとえば「指の感覚を意識した」からと言って,指がなにか知覚するのに >意識が介在しているとは限らない.体の一部が脳を介さない知覚を >行ったからと言って,その結果が脳に伝わらないわけではないし, >その結果が意識されないわけではない.だけど,そのことと「脳が >知覚している」ということは,違う. 意識される感覚と、そうではない感覚が存在するのは理解している。たとえば、一度 自転車に乗れるようになると、自転車が乗れるようになったときの情況は思い出せなく ても(意識に浮かび上がらせることはできなくとも)、その人は長い時間が経過して 久しぶりに自転車に乗る時もちゃんと運転できるだろうし、おそらく一生自転車に乗る ことができるだろう。これは、なにか意識されない種類の情報(運動感覚、正確には 筋肉の協調運動に関する感覚の情報)が記憶されているのだろう。意識されうる記憶は 宣言的記憶、運動感覚のような記憶は手続き記憶と呼ばれ、脳内で保存される場所が違う だろうということは示唆されているが、このこととは違うのか? なお、(膝蓋腱反射のような)意識されない一群の脊髄反射が系列化されて手続き記憶と して記録されていることはあり得る。
301 :
164 :2001/07/28(土) 20:59
>たとえばギブソンは,知覚における意識の役割は, >偶発的で付随的なものに過ぎない,と言っている. これには今は言及しないし、 >意識は体全体の知覚内容を効率的にナビゲートしたり, >一説には「他人の知覚内容を推測するため」に進化してきたもので, これはお話(スペキュレーション)レベルと認識している。 >ギブソニアンの知覚研究は意識表象の報告以外のデータにも >シフトしていく. 「直接知覚」の研究が扱おうとしているのが皮膚感覚や筋肉運動感覚であるならば、 このことは理解できる。これらの感覚の研究が視覚や聴覚に比較して遅れていることは 認める。 >意識を経由しないで知覚が直接に行動をドライブしている例は >いくらもある.たとえば体の姿勢制御みたいな課題はロボットに >いまだに上手にやらせられないほど複雑な「情報処理」だけど, >それが中枢処理によってではなく,体の各部の協応だけで成立 >しているという説がけっこう有力なものとして扱われていたりする. これは上で述べた脊髄反射の系列を記録している手続き記憶と同じことを指している。 ただし、脳の場合は小脳がこの最上位中枢と見なされているようだ。
302 :
164ではない :2001/07/28(土) 21:06
「行動としては表現されない知覚」とはどういうもの? ちなみに言語報告は「行動」だよ?
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/28(土) 21:12
あと,「記憶」ってのは過程ではなく現象を指すタームではないかね? 「記憶しているからだ」という説明はトートロジーに思える. 自転車に乗れる人がひさしぶりに乗ってもちゃんと乗れることを 「記憶している」と「呼ぶ」のであって,記憶しているから乗れる, という説明は,結果の原因化だ.
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/28(土) 21:14
もちろん「記憶している」からといって,それが脳の働きであるとも 限らない.ときには,記憶しているのは環境の側かもしれないよ. 記憶における文脈や状況の効果を考慮せよ.
305 :
164 :2001/07/28(土) 21:26
>>302 え? そんなのいっぱいあるんだけど・・・
たとえば丸いボールを見ているとする。それをつかむよう命令したら、
ボールより少し大きめに指を丸く開いてつかもうとするだろう。
ということはつかむという行動を起こす前から、ボールの形状や大きさも
知覚されていることを物語っている。
同じように壁を押す場合でも、この場合は手を開いて押そうとするだろう。
まさか、指を丸く開いて押そうとはしないだろう。
ということは、押す「前から」「暗黙的に」平たい壁の形状が知覚されて
いる。
306 :
164 :2001/07/28(土) 21:44
>>303 「記憶」は過程でも現象でもなく、脳内に記録された神経連絡網という
実体があり、その実体が記憶と呼ばれると同時に、その実体による機能の
発現も記憶と呼ばれる、と考えたら・・・?
>>305 >たとえば丸いボールを見ているとする。
それも行動だというのは?
308 :
164 :2001/07/29(日) 00:32
僕は行動とは言ってない。
でも、○○を「見る」や「見ている」というのはやはり行動だと思うが・・・ それとも、「見る」listen toは行動で、「見える」seeは行動じゃないのかな?
かなりメルヘンになってきているぞ164。落ちつきなされ。 みなさんマジメに答えてるんだから。。。。。
私もまじめに答えてまんがな。。。
どうも双方に誤解があるようだなぁ... それにしても、309のように読まれるとはちょっと解せん。
>>305 どんな心理学でも
「丸いボールを見ているとする。それをつかむよう命令したら
ボールの形状や大きさも知覚されていることを物語って」はいないでしょ。飛躍しすぎ。
デカルトの時代じゃないんだから。暗黙に知覚なんかされちゃカラクリ自動機械じゃん。
昨日1時会(歌舞伎町クラブCODE)にいってきたんですけど、 まさにアフォーダンス。 DJタイムが2回あったんだけど、1回目は終始数人でまわりは 無表情の見物人ばかり。 2回目は約50分という長丁場。 最初の15分は1回目と同じ状態だったが、数人のグループが 2〜3加わったのを契機に50人以上の「踊るアホウ」集団と なった。 輪の中に入ると、日頃おとなしくしてそうな人たちが非日常空 間で開放され、気持ち悪いほどの笑顔で盛り上がっていた。 でも180度ターンすると、冷たい視線が・・・ 「こいつらバカじゃないの?」って・・・。
楽しそうだね。そーいう状態って実はどっちが覚めてるかわからんから怖いよね。 でもね、人命救助したって、天下国家を語っても どんなに意義のある事をしていても 「こいつらバカじゃないの?」 と思ってみると、そんな風にみえてきて笑えたり、鬱になれたりするもんだよ。 選挙は躍るアホウでもいいから投票しましょう!
>>315 DJタイムが終わってから、踊っていたひとと
ちょっとしゃべったら
「おなじアホなら、おどらにゃソンソン」
っていってたっけ・・・。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/29(日) 09:53
>>305 実際にはボールをつかむ前から大きさがしっかりわかってるんじゃなくて、
ボールをつかむ直前の瞬間にかなり微調整してるんだよ。
それを意識は「最初からわかっていたかのように」表象するだけの話。
マイクロスリップの研究をちゃんと読んでごらん。
313や317は確かによく勉強されているのかも知れないが、その勉強のために かえって固定観念に汚染されているように思える。 たとえば317に対しては、ではボールをつかもうとする場合と壁を押そうとする 場合とで、それを準備する時の手の形がなぜあれほど大きく違うのだろうか? 壁を押そうとする場合まで、押す直前の瞬間に微調整しているか? これは明らかに、君の言葉を使うと「意識はあらかじめ壁やボールの形態を表象 している」ことを示していると思うが。
319 :
164 :2001/07/29(日) 13:55
ageとく。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/29(日) 14:00
昨日だったのか・・・。 花火の日にしなくてもねえ。
321 :
164 :2001/07/29(日) 14:14
どうも、行動主義を勉強してきた心理学者は、脳を刺激→反応をモジュレートする ものとしか見なしていないように思える。 私はむしろ、脳が感覚や運動をドライブしていると考えている。脳は感覚刺激を ただ受動的に待っているのではない。むしろ脳は感覚情報を積極的に収集して 外界を理解しようと努めていると考えているのだ。
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/29(日) 14:48
自分の脳も他人から見れば環境の一つ
323 :
164 :2001/07/29(日) 14:53
>>322 そんなこと当たり前じゃないか。そして、他者の脳を機能面から
研究するのが本来の心理学ではなかったのか?
324 :
164 :2001/07/29(日) 14:58
そしてそれを忘れた行動主義心理学が、今では行動を分析し制御する ための技術に成り下がっているのだ。
議論したいのなら自分のやってることだけは正しくて 他の分野はそれより下、みたいな言い方や考え方はやめたほうがいいんじゃない? 厨房になっちゃうよ。メッ!
>他者の脳を機能面から研究するのが本来の心理学ではなかったのか? 初めて知った。
324は言い過ぎかも知れないが、客観的に見てもそうなっていると 思うのだ... とにかく、揶揄すのはやめて議論に戻ってほしいと私も願っている。
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/29(日) 15:31
>>318 >壁を押そうとする場合まで、押す直前の瞬間に微調整しているか?
それが,おそらくしてるんだよ.それがわかったから,マイクロスリップの
研究に意味があるのよ.
本来の心理学は意識の科学.そのあと行動の科学になった.
脳を機能面から研究するのが心理学であったことなど,
これまでもないし,これからもない.だってそれは脳学だもん.
脳は行動を作り出す重要な要素ではあるけど,それ以上でも,
それ以下でもないんだよ.唯脳論は実質的に大昔の霊魂論とか,
生気論と同じもの.
329 :
164 :2001/07/29(日) 17:16
>>328 重要なことはむしろ
> たとえば317に対しては、ではボールをつかもうとする場合と壁を押そうとする
>場合とで、それを準備する時の手の形がなぜあれほど大きく違うのだろうか?
の方だ。これはどう説明するのだ?
違うね。脳の機能のひとつの側面が意識だろう。それを表面に現れた行動のみしか
扱おうとしなかった行動主義心理学は退歩だったんだよ。近年になって、神経科学から
脳の研究が進んでことによって本来の心理学研究である認知心理が深化できるように
なったんじゃないか。
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/29(日) 17:18
髭ダンスは?
331 :
164 :2001/07/29(日) 17:23
> たとえば317に対しては、ではボールをつかもうとする場合と壁を押そうとする >場合とで、それを準備する時の手の形がなぜあれほど大きく違うのだろうか? これに関し私は318で、これは脳があらかじめボールや壁の形態を表象している からだ、と述べている。
そう、やっぱり私は唯脳論者なのだ。しかし、唯脳論を生気論と 呼ぶのは中傷に過ぎない。脳はあくまで客観的な実在であり、 研究対象になり得ると考えているのだから。ギブソニアンも唯脳論を 生気論と言って逃げずに研究対象にしてみたらどうだ?
つうか、それで164はアフォーダンスをどうしたいのだ。 知りたいのか、自分の主張を認めてもらって他論を卑下したいのか。卑下ダンス(藁 自分の研究に迷いがなきゃアフォーダンスなんてどうでもいいじゃない。 オモロイと思ったんだろ?素直になれよ。 脳論が絶対ならそれでいいじゃない。アフォーダンスを屈服させてもなにもかわらないよ。 アフォーダンスは遅れてる論だし、あなたの脳論は世界に認められるだろね。ヨカッタネ! でいいだろ?bye.
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/29(日) 18:11
>ではボールをつかもうとする場合と壁を押そうとする >場合とで、それを準備する時の手の形がなぜあれほど大きく違うのだろうか? そりゃあ目の前にボールがあるか、壁があるかの違いがあるからだよ。 そして、それを人が知覚しているから。 君が表象という言葉をどういう意味で使っているかにもよるが、 少なくとも「表象しているからだ」というのは間違い。 視覚システムがボールあるいは壁を知覚し、それに対応して 手が動いていれば、べつに表象の存在は必須ではないから。 たしかに脳は客観的な実在だが、君が脳に帰属している さまざまな機能や過程はそうではない。 君の言い方が正しいなら、生気論をとっても、生気が 心臓に局在するといえば生気論ではなくなるし、 霊魂がたとえば松果体に局在するといえば、それは 霊魂論ではないことになってしまう。 君と話すのはとても楽しいけれど、 「頭が良くなったり悪くなったりきまらない」 (これはYG性格検査の奇妙なアイテムのひとつ) のには時々驚く。
>視覚システムがボールあるいは壁を知覚し、それに対応して >手が動いていれば、べつに表象の存在は必須ではないから。 違うだろう? 私は対象に合う形に手が「準備する」と言っている。 このことをどう説明するの? 私は、これは脳内にあらかじめ その対象の形態に関する表象があるからできるんだと言っている。
手が対象の形に合うように準備してから、微調整が始まるのはもっと後、 手が対象に接近してからだろう。
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/29(日) 18:58
その表象、ってなんのこと? 表象ってのはどういう風に脳内に「実在」するの? それはどうやって客観的に確認することができるの? また、そういう表象があると考えるとしても、 その表象はそもそも何によって作られるの? 外的環境の知覚によって作られるんじゃないの? だったら表象は環境と行動を繋いでいるだけでしょう? それ唯脳論ですらないよ。
アフォーダンスからどんどん離れてメルヘン爆発ですなあ。 紀元前の哲学者か?164は…
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/29(日) 19:12
お前はアホーダンス。
340 :
164 :2001/07/29(日) 20:56
私はどちらかというと神経科学者なんだが、これだけ理解に齟齬を
来すとは信じがたいものがある。私自身はあまりに常識的過ぎて、
こんなところで書くのは恥ずかしいと感じてすらいるのに。
>>337 神経連絡のネットワーク構造の中に外部環境の知覚等がおそらく
ソフトウェア的に記録されていると一応想定している。337に対しては
これ以上のコメントをする必要を認めない。
341 :
164 :2001/07/29(日) 21:20
このスレを読んでいる人間と心理物理学スレやヘッブモデルスレを 読んでいる人間とはまったく重なっていないのか?
342 :
奇 :2001/07/29(日) 21:25
ヘッブモデルスレ立ち上げ人だけど、いいんじゃない。既出だから といってへこませるのは、2ちゃん老人の悪癖じゃないかな?
343 :
164 :2001/07/29(日) 21:26
アフォーダンスから離れているというより、私はアフォーダンスの 概念やその意義に疑いを抱いている。そして、このあたりで述べている ことは私がアフォーダンスの考え方と真っ向から対立していることを 示しており、アフォーダンスを支持している人からはこのことは はっきりと分かるはず。
344 :
164 :2001/07/29(日) 21:37
>>342 ヘッブモデルスレを立ち上げたのは確かに君のようだが、私は君の
ことはあまり評価していない。このスレでも、私と曲がりなりにも
対等に論じてくれているのはおそらく1人か2人しかないと見ている。
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/29(日) 22:02
真っ向から対立、なんてしてないよ。 単に君が理解できないだけ。 アフォーダンスについてここまで具体的に 説明された例はないと思うがな。 外的世界が存在して、知覚は(そしてそれを支える 脳の機構は)外的世界の情報をできるだけ正確に 生体に伝え、外的世界のリアリティに対応した行動を 可能とさせるために進化してきた、という 当たり前のことが、けっきょく君には理解できない (あるいは君の宗教がその理解を許さない)という だけのことでしょう。 君が生物学者だというなら、ユクスキュルあたりに もどって勉強しなおしたらいかが?
346 :
164 :2001/07/29(日) 22:23
>>345 >外的世界が存在して、知覚は(そしてそれを支える
>脳の機構は)外的世界の情報をできるだけ正確に
>生体に伝え、外的世界のリアリティに対応した行動を
>可能とさせるために進化してきた、という
>当たり前のことが、けっきょく君には理解できない
このことは282ではっきりと言明したはず。それまでは極端な唯脳論者を演じた
だけと言っている。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/29(日) 22:28
日本のおける最大の教祖のS東大教授は 「古典ニュートン力学の限界云々」 みたいなことを著書上で論じていますが、本人は高校理科Iレベルの力学も分かってないという話じゃないですか。 これってありなの?
348 :
164 :2001/07/29(日) 22:31
悪いが、もう一度お願いしたい。 > たとえば317に対しては、ではボールをつかもうとする場合と壁を押そうとする >場合とで、それを準備する時の手の形がなぜあれほど大きく違うのだろうか? この質問に答えてくれないか? これを私は脳が外界環境の一種の雛形=表象を 神経連絡構造の形で保持していることの強い証左だと考えているんだよ。もちろん、 この雛形の知識は暗黙的なもので、行動として表現されなくとも脳内であらかじめ 形成されているはず。
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/29(日) 22:32
外野から素朴な疑問
>>381 行為の前に壁やボールが脳内に表象されているとしたら,カマキリが
動いているハエを捕まえるときも,ハエが表象されているのだろうか?
また,もっと低次の生物の場合はどうなのだろうか?
350 :
164 :2001/07/29(日) 22:36
>>345 君も厨房でないのなら、揶揄したり347に反応するような真似だけは
よしてくれよ。
351 :
164 :2001/07/29(日) 22:39
>>349 昆虫の複眼による視覚系はまだあまり理解されていないだろう?
だから、それに関する言及は避けるよ。
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/29(日) 22:42
あんまり暴走すると 犯罪者の犯罪する原因も『神経連絡構造の形で脳内であらかじめ形成されて』とか 言いそうで怖いよ164さん。
353 :
164 :2001/07/29(日) 22:47
>>352 犯罪者が犯罪を計画するときはいろんな状況を想定するだろう?
この時点で警官に見つかったらこうしようとか、いろいろ考えるじゃない?
その想定する状況の内容は、その犯罪者がそれまでの経験から得た
知識=「神経連絡構造の形で蓄えられた情報」に依存するだろうね。
354 :
164 :2001/07/29(日) 22:52
しかし、心理をやってる連中って人のことをおちょくったり揶揄したり、 つまらない人間ばっかりなんだね。
OK!OK!元の板に戻れば164よ?
356 :
164 :2001/07/29(日) 23:06
なんというか、心理をやっている連中ってスキナー(スキナリアン)だ とかギブソン(ギブソニアン)とかユング(ユンギアン)とか、 海外で名をはせた人物の思想をそのまま信奉する傾向があるのね。 しかし、自然科学はそうじゃないんだ。もちろん法則や現象、物質の 発見者はもちろん評価するが、後世に伝えられるのは人の名前じゃなく 発見された事柄の方なんだよ。
>>356 これこれ。理系の学問ほど流派が多くない、といいなさい(笑
>>354 本当に他の専門板覗いたことあるのか?
「心理をやってる連中」じゃなくて、
2チャンに書き込んでいる連中全体にそういう人間が多いということだろう。
そもそも、そういって嘆くキミ自身がその「連中」と同じ事をしてどうする。
何だかんだ言いながら、皆キミの書き込みが楽しみなんだよ(皮肉じゃないよ)。
ただ、鋭い面と、妙に単純素朴な面が同居しているのが可笑しいから
後者の面でちょっと揶揄してみたくなるんだよ。特に攻撃的な煽りはないだろう?
だからいちいち気にしなさんな。
このスレはまだマシだよ。
つうか164って学問をマジにやった事ない人のような気がする。 だから、他人の知識への尊敬と卑下の行ったり来たりの揺れ方が面白い。 頭良いけど聞きかじり上手みたいな感じ。
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/29(日) 23:53
>>353 その「想定する」ってのは意識の話だよね?
想定したからそう言う行動が生じるのではなく、
そういう行動に随伴して「想定」が生じているだけ、
(意識は原因ではない)
っていうのは、心理学者でも、脳科学者でも
最近は常識だと思うけどな、違うの?
多くの生物にはおそらく意識はないんだけど、
そういった生物も人間と機能的に等価な行動を
いろいろしている。それについて、人間だけが
意識(想定、とか表象、とかね)によって
行動をきめている、と考えるのと、人間も
動物もどちらも知覚が行動直接ドライブみたいに
なっているが、人間だけが意識という「計器盤」を
もっている、と考えるのと、どっちが生物学的に
妥当かね?
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/29(日) 23:56
あと、「知識」とか「記憶」が君が考えているより ずっと状況依存的、文脈依存的である(脳の神経連絡 構造なんかでは一義的に定まらない)っていう、これも 常識の一つだけど、残念ながらこの知識はスキナーでも ギブソンでもユングでもない、君の大好きな 認知科学の最新動向なんだけどなあ......
>>359 やめなさいって。
少なくとも彼は君なんかよりはお勉強していることは間違いない。
363 :
164 :2001/07/30(月) 00:23
>>360 >想定したからそう言う行動が生じるのではなく、
>そういう行動に随伴して「想定」が生じているだけ、
>(意識は原因ではない)
ちょっとわかりにくいんだが、もっとわかりやすく言い換えてもらえないだろう
か?
後半に関しては、結局神経細胞の数の問題になってくるんじゃないかなぁ。
ハードウエアとしての神経連絡構造はかなり遺伝的に決定されているよね。そして
伝達効率の変化とか発芽という現象で可塑性が得られるんだが、元々の神経細胞の
数が少なければ遺伝的に決定された回路を通る道筋も少ないだろうし、可塑性の
自由度も低いだろうね。つまりは数の多少によって生じる程度問題に帰着するん
じゃないの?
361は分かっているけれども、それは先ほどまで論じていた問題のもう一つ上の
レベルの問題だよね。今はそこまでいく前につまずいているんじゃないの?
364 :
164 :2001/07/30(月) 00:38
ほら、行動主義心理学でS→O→Rってあるじゃない。この場合、Oは S→Rをモジュレートしている。神経細胞の数が少ない原始的な生物や ヒトにおける反射弓などはこのSORの構造をとっているだろうけど (より単純なシステムではOがないものもあるだろう)、数が増えて くるとOがSやRをドライブするような構造も取り得るようになる、と 考えるのはどうだろう?
もう無茶苦茶でんがな。脳と心理学というスレでも立ててそっちでやってくれ。
366 :
164 :2001/07/30(月) 00:52
>>365 そうかね? 僕は364のような考え方が、環境側にアフォーダンスが
あるという考え方と対立する根本的な理由だと思っているんだけど。
「 ハードウエアとしての神経連絡構造はかなり遺伝的に決定」 それは妄想です.カッパノベルとかの本にはそう書いてあるかもしれないけど.
>>367 「かなり遺伝的に決定」の「かなり」をどの程度と考えるかの問題かも
知れないが、遺伝子が神経線維の構造まで決めているとは考えられない
けれども、発達中の神経線維の先端にあるneural coneがさまざまなtrophic
factorに導かれて結果的に形成する構造は同種の生物であればきわめてよく
似ているんだよ。すくなくとも脳梁や内側前脳束、視放線などの長線維はね。
あ、そうだ。スキナーは脳梁を両側の大脳半球がずれないように 繋いでいるだけだと言ったそうだが、この逸話はスキナーがいかに 脳や脳の生理学を軽視していたかを如実に物語っているね。
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/30(月) 06:42
俺は脳の神経生理機構が遺伝的に定まっている可能性を 排除しないが、遺伝的に定まっている、ということは それが進化の過程で決まってきているのだ、ということが 重要だ。 脳や、それをもちいた知覚や行動決定の過程が、 そもそも環境に対応し、環境の中で適応的な行動を 行うための道具として進化してきたことは どう考えても否定できない。君の根本的な間違いは 「そもそも脳や、それを用いた知覚が何のためにあるのか」 ということを捨象してしまい、あくまでも淘汰の結果に過ぎない 脳の現状の機構を絶対化していることだ。 進化というもの自体、環境の絶対的なリアリティを基盤にしたものだ。 まさか、まだ進化論はお話に過ぎないとか思ってるんじゃないだろうな。 まあちょっと古い正統派生物学の教育を受けてると、その危険もあるが、 時代はむしろ君の足元でどんどん流れているぞ。
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/30(月) 08:27
>>164 ある道具の使い方をきちんと知っていれば、
その道具の細かい機構まで知っている必要はない。
たとえば進化の過程にとって、遺伝は重要な役割を果たす機構だが、
ダーウィンは遺伝の機構を何も知らなかった(というか、まだメンデル
の法則もダーウインの耳には入っていなかった時代)。
それでも、ダーウインの進化の理論は間違っていなかったし、
むしろその中にその後の遺伝学はきちんとおさまっている。
スキナーが脳のことを何も知らなかった、あるいはスキナーの
時代に大脳の機能がいま程わかっていなかったとしても、
脳を動かす環境のリアリティについてはスキナーは
ちゃんと知っていた。スキナーの理論の中にも、
最新の大脳生理学はきちんとおさまる。
ところが生物学でも、進化を支える機能に過ぎない遺伝を
まるで進化の主体であるかのように考える人が多いし、
環境に適応した行動を支える機構に過ぎない脳を
行動の主体であると勘違いする人は多い。
だいたい人間の間違い(認知バイアス)というものは、
どこでも似通ったものであるようだ。
372 :
164 :2001/07/30(月) 10:44
>>370 ありがとう、私の言いたいことを代弁してくれて。
>進化というもの自体、環境の絶対的なリアリティを基盤にしたものだ。
これもよく分かっている。282でその辺の事情を書いている。
>>371 脳のことがよく分かっていなかった時代にスキナーがあのような
断定を下したことが問題なのだ。私にはこれは大変非科学的な姿勢に
思える。
>スキナーの理論の中にも、最新の大脳生理学はきちんとおさまる。
それはスキナーに続いた研究者の功績じゃあないのか? 天理教の
教祖は狂人だったとしても、信者がその教義を神道の中に位置づける
努力をしたおかげで天理教は今も存続し得ているのだ。
>だいたい人間の間違い(認知バイアス)というものは、
>どこでも似通ったものであるようだ。
囚人のジレンマだな。内容はともあれ、この現象には私も興味を持って
いる。この現象はまさに、「脳」が「数学的実在という一種の環境の
リアリティ」に反した情報処理特性を有していることの好例ではないのか?
つまり、脳が環境を解釈しているとする私の立場を強固にしている例だと
思うのだが? 確かに環境はリアルだが、脳がそのリアリティを誤って
解釈することの例ではないのか?
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/30(月) 11:04
>>372 囚人のジレンマは数学的にはたしかに「誤謬」であるかもしれないが、
そういう思考パターン(またはバイアス)が生態学的には機能していて、
それで残存してきてる可能性もあるね。たぶん血縁淘汰とかと
関係のある現象だな。
で、もっと基本的なこととして、それが「脳の誤った解釈」で
あるなら、脳がもっと進化すれば誤りが正される場合もあり得るよね。
そうなったら、環境のリアリティと脳のリアリティを区別する
必要はなくなるし、そもそも環境と連動しない脳のほうが
(君が考えているタイプのような脳の方が)劣っている、
ということにはならんか?
脳が環境とは独立に行動をドライブしていると言いたいなら、
そんな「誤謬」の例ではなく、環境に依存しない、環境に一致しない
脳の働きの方が「正しい」、あるいは適応的であるような
事例を挙げた方がいいな。
あと、スキナーに続いた研究者の功績で、スキナー理論に
大脳生理学がおさまるとしたら、それは元の理論の時代を越えた
正しさを証明している、と考えるのが普通だよ。
ダーウイン進化論も分子遺伝学の発達で補完されたけど、
それをもってダーウインは狂っていたが分子遺伝学者が
努力したのだ、というか?
(わからない。生物学者の中にはそれに近いこと言う人が
いるよね、笑)
これから出張なのでレスが減るけど、がんばってね。
374 :
373 :2001/07/30(月) 11:06
そうそう、認識人類学とか、知識人類学とかよばれる 学問があって、そういうのちょっと調べると面白いよ。 「人間のものの考え方」(認知バイアス)の由来とか調べてるの。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/30(月) 16:05
>>373 >そういう思考パターン(またはバイアス)が生態学的には機能していて、
>それで残存してきてる可能性もあるね。
血縁淘汰かどうかは分からないが、確かにその可能性はある。であるなら、
脳がもっと進化すれば誤りはさらに強固になる可能性もあるよね(笑)
ただ、私は生物学者として脳が優れているか劣っているかどうかには
興味がない。あくまでその機能を知りたいだけ。
>脳が環境とは独立に行動をドライブしている
端的に言ってくださいましたが、私が言いたいことはまさにそのこと。
環境はリアルであって、脳はそのリアルな環境を誤謬をはらみつつも
解釈しながら行動をドライブしている。こう考えたら行動に対する見方が
かなり変わると思うんだけど、だからといって環境に一致しないが適応的な
脳の働きの事例を挙げるのは容易じゃない。というより、常に正しいのは、
あるいは参照されるべきは常にリアルな環境の方であって、脳としてはそのリアルな
環境を正しく解釈するか、誤って解釈するのかの選択肢しかないのであるから、
環境に一致しないが適応的な脳の働きを考えるのは無意味なんじゃなかろうか。
それから、スキナー理論に大脳生理学がおさまるのではなく、逆に大脳生理学に
スキナー理論がおさまる、あるいは大脳生理学の一研究方法としてスキナー理論が
場所を得ていると私は考えているから天理教の比喩が生きてくる、のです。
認識人類学や知識人類学は調べておきます。
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/31(火) 06:33
あと,直近要因と究極要因の区別っていうのも, これは生物学でも出てくることだから,調べてみて。 たとえば生物の形態の進化では遺伝システムが直近要因, 環境による淘汰,あるいは性淘汰が究極要因。 アフォーダンスでは脳や認知過程が直近要因, 環境内の事物がもっている物理的特徴が究極要因。 進化,あるいはアフォーダンスを調べるためには 両方を研究する必要がある。 しかし,本質的なのは究極要因のほう。 今日は出張先からダイアルアップなのでこれだけ。
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/01(水) 06:25
スキナーの理論は究極要因を扱っており, 大脳生理学は直近要因を扱っている。 ふたつは相補的なもので,どちらかがどちらかに勝利したり, どちらかがどちらかを吸収したりすることはない。 直近要因は究極要因に依存して表現形を直接決定する。 行動を「直接」決定するのは脳や中枢神経系,筋肉などだが, その働きを究極的に決めるのは外部の環境リアリティ。 すごくシンプルなことだね。
378 :
164 :2001/08/02(木) 03:46
直近というのはあまり聞き慣れない言葉だが、少し調べてみたところ、特に生態学で 至近(または直接)要因に対する究極要因が最近のテーマらしいことがわかった。 確かに従来の生物学では、系統樹に沿った動物の比較から脳がどのようにして 大きくなってきたかは教えてくれるが、なぜ脳が大きくなる必要があったのかは あまり研究対象にされてこなかった。他者の気持ちを知るために意識が進化して きたという説明も、今はまだお話レベルであってもこれも究極要因を探る一つの 方向なのだろう。 このスレを最初から読み直してみて、私も最初はかなりとんちんかんなことを 言っているのがよく分かった。確かにリアルで参照されるべき環境の側にその 構造を物語る情報があり、それを脳がおおむねうまく解釈しているのだろう。 慣性モーメントも、それが物体のもつ、その構造を物語る情報なのだろう。 しかし、それを理解する過程で私自身のもつ関心も見えてきた。ボールを持とうと する手の形と壁を押そうとする手の形が違うという例を挙げたように、私はやはり 表象と呼ばれる何かが脳内で形成されると考えている。また、進化が進んで脳が 環境を完全に解釈できるようになったとして、ではそのとき、環境の持つ構造を 理解すれば行動が完全に予測できるかというと、私は違うと思う。脳はやはり 環境とは独立で、あくまで環境の持つ情報を積極的に利用して身体をドライブ しようとする存在だと考えている。意図、あるいは自由な意志。これに関して スキナリアンやギブソニアンはどう考えているのだろう。
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/02(木) 06:06
>>360 家族の看病とかどうでしょうか?
兄弟が長期入院したとか、でも慢性疾患でなく完治したことにしないと
また仕事辞めると思われる。交通事故でも可?
今後の事も考えて母はこれを契機にパートを辞めたとか。
用意しておく。
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/02(木) 06:37
自由意志の問題か。 時間なくダイアルアップなので簡潔に言うと, 自由意志というのは「自分の自由な意思で行動しているという 感覚,または意識」の問題であって,その行動が「ほんとうに」 自由な意思である(たとえば,環境の影響を受けていない)と 言うこととは違う,と考えるのが,スキナーやギブソンに 限らず,最近の心理学,哲学などのごく普通な考え方じゃないか? 認知科学者もおよそそういう風に考えていることが多いな。 たとえばスキナーからいえば,環境からの正の強化をうけて 増加,維持されている行動をしているとき,われわれは 意欲や目的感を感じ,自分の自由意志から行動しているように 「感じる」傾向がある。逆に,負の強化で維持される行動では, 強制されているとか,自分の意思ではないと「感じる」。 どちらも,実際には環境の強化随伴性によって行動が決まっている。 とはいえ,人が自由意志を「感じる」ということはとても大切なことだし, 環境を調整し,人の行動を修正しようとするときにはできるだけ 本人が自由意志を感じられるようにやるほうが良い。これが, 負の強化による「コントロール」より正の強化のほうが望ましいと スキナーが言う理由のひとつ(他にもいろいろあるが)である。
381 :
381 :2001/08/02(木) 15:05
超亀レス。
>>341 > このスレを読んでいる人間と心理物理学スレやヘッブモデルスレを
> 読んでいる人間とはまったく重なっていないのか?
ヘッブモデルスレから来た。#65だ。
私は認知神経科学の方面で仕事をしているので
164が孤軍奮闘している様子には同情する。
認知神経科学の分野では、
ニューロン活動がどう知覚などと対応しているかを調べるのに
認知主義から持ってきた道具(作業記憶のモジュールとか)を使ったり、
工学的な手法(どうシステムが入力を処理しているかとか)を使う。
たとえば初期視覚野では線分の傾きを分析している、
とかそういう言い方で。
そして164もたぶん似たようなところにいるのだろう。
それは「表象」という言葉の使い方からも分かる。
だから164の問題意識はたぶん私のと似ているだろうと思う。
----------------------------------------------
私の問題意識:
認知主義的、工学的方法で脳と心を扱うとき、
"activeである"とはどういうことだろう。
単なる受動的な反応以上のものはどうやれば扱えるのだろう。
という問題意識を私は持っている。
だからアフォーダンスについても興味を持って読んできた
(所詮素人だが)。
しかしこのパラダイムは神経科学に取り込むのは難しい。
結局のところ、
アフォーダンスという考えは、神経科学で分かった知見を
全く役に立てることが出来ないような体系ではないか、と思ってしまう。
逆にアフォーダンスが言っていることは神経科学からは抜け落ちている。
でもそれは神経科学からしたら
真っ当だが建設的でないことしか言ってくれてないように思える。
(これが「唯脳論」という言葉によって対立を生んでいる。)
そしてもちろん逆も真なりだ。だから
>>333 みたいに苛立って
> つうか、それで164はアフォーダンスをどうしたいのだ。
> 知りたいのか、自分の主張を認めてもらって他論を卑下したいのか。
なんて言ったりするのでしょ。
----------------------------------------------
ということで私の言いたいことは、以下の通り。
164は神経科学の言葉を使ってこのスレに殴りこみ?をかけてて面白いが、
唯脳論を強調しようとして「表象」の使い方がおかしくなったりしているので
もっと気をつけて書いたほうがよいと思う。
神経科学があくまで機能主義的、工学的、認知主義的パラダイムの中
にあることに気をつけながら書けば、
そんなに唯脳論的な言い方でなく、
脳と体と環境との相互作用を認知システムの外部の観察者が見出したものとして
「表象」を扱うことができると思う。
382 :
381 :2001/08/02(木) 15:05
P.S.
Gibbsonのoptical flowの話は神経科学の中では、
optical flowを分析処理するモジュールまたはニューロン(area MSTとか)
として吸収されている。しかしこの扱いはもちろんギブソン的ではない。
P.S.
現在神経科学で話題の"mirror neuron"は
アフォーダンスの考えと関わってくるかもしれないがまだ未知数。
P.S.
>>342 名前:奇
> ヘッブモデルスレ立ち上げ人だけど、いいんじゃない。既出だから
> といってへこませるのは、2ちゃん老人の悪癖じゃないかな?
あっちでも思ったけどこいつ人の言ってること理解しないでしゃべってるな。
>>341 で言っているのは、アフォーダンススレvs.心理物理学スレやヘッブモデルスレ
で使っている言葉、枠組みが全然違っていて話が通じないことを言っているのだ。
ちょっとむごいと思った。
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/02(木) 15:07
mirror neuronてなんすか?
384 :
164 :2001/08/02(木) 15:26
>自由意志というのは「自分の自由な意思で行動しているという >感覚,または意識」の問題であって,その行動が「ほんとうに」 >自由な意思である(たとえば,環境の影響を受けていない)と >言うこととは違う ここんとこをもう少し正確に表現してもらえないだろうか。私だって、環境の 影響を受けない全くの自由な意志というものは考えていない。目の前にある自分の 身長の何倍もの深さと幅のある崖は、マトリックスの主人公でもない限り、そこを 越えていこうという意志を生まない。また251氏の挙げたSfS問題は、脳はいくつかの 解釈の可能性のある刺激から一つの解釈を選択している、と見ることもできる。 この選択という行為に、私は脳の意志を感じる。 スキナー理論やギブソンの特にアフォーダンスに、私は決定論的世界観の影を 見る。刺激反応理論やそれを若干修正したSOR理論は決定論なのである。昆虫の ような固いシステムは刺激反応理論で説明できそうな気がするが、むしろ彼らの 神経系が単純なために、ある刺激を複数に解釈するだけのリソースがないから ではないか。飛んで火に入る夏の虫にとっては明るく輝く刺激に接近するのは 適応上の価値があるが、火に飛び込んだ虫は死んでしまうし(火に出会った場合に 飛び込まずに済んだ個体が少なかった)、火に出会う機会も少ないので適応上の 価値のある刺激と火を弁別するようには淘汰が働かなかったと見ることもできる。 しかし、神経細胞の数が増えてくると、Oが中心になってSやRをドライブする 構造が生まれてくるのではないか。というわけで、私は決定論に従わない意志を 生み出す神経学的基盤を探すことになる。 あるいは矛先を変えて、創造性についてスキナリアンはどう考えるのであろうか。
385 :
164 :2001/08/02(木) 15:43
>>381 >認知主義的、工学的方法で脳と心を扱うとき、
>"activeである"とはどういうことだろう。
>単なる受動的な反応以上のものはどうやれば扱えるのだろう。
>という問題意識を私は持っている。
これは言葉こそ違うが、私の「意志」に対する関心と同じものと感じる。
言葉の使い方については私も気をつけなければならないと感じている昨今です。
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/03(金) 06:42
「自由意志によって選択した」と感じることと, それが実際に「自由意志による選択」であることは違う。 環境ときちんと相互作用していない選択は偶然か, あるいは間違い(無意味)。複数の行動がたとえば強化随伴性 の中で持つ意味が違い,それがきちんと機能しているなら 選択内容は「環境によって決定」される。それが 「自由な選択である」と感じるかどうかは強化随伴性の 性質で決まる。 オペラント条件づけで「自由選択を学習させる」,ってことを 障害児教育でやっているよね。自由選択という概念や, 自由に何かを選択するという行動自体が,環境の構造によって 学習されるものなんだよ。つまり,環境によってコントロールされるが, 「自由意志の感覚が随伴して生じる」ような行動が存在する, というだけの話。 こういう議論にほんとに興味があるなら,心理学より 分析哲学などの本を読んだほうがいい。自由意志が実在するか否か, という問題は,現実についての議論ではなく,「自由意志」という 言葉の用法の問題である,ということがすぐわかるだろう。
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/03(金) 06:51
創造性の問題でも,心理学者は創造性を「環境にコントロールされない, 自由意志による行動」と定義してきたが,その結果,創造性と「でたらめ」 を区別できない,という問題に突き当たった。 でたらめでないためには,その行動が環境の中できちんと機能している 必要がある。しかし,その行動が環境の中で機能しているなら, それが強化随伴性でコントロールされている(過去の経験によって 学習されている)可能性が高まってしまう。 創造的,と考えられる行動のほとんど,あるいはすべては, 過去の経験によって学ばれた行動であっても,本人, あるいは周囲の他者がそれが学習された経緯を知らない, あるいは意識していない場合だろう。 あとは「偶然」生じた行動が,偶然にうまく機能した場合に 「創造的」と呼ばれる場合があるかもしれない。でもその場合は, その行動や行動の結果は「脳にとっても」偶然なわけで, 脳がそうした志向性とかなんとかを持っているわけではないだろう。 そして,その行動が次に起きるかどうかは,その結果によって (強化随伴性によって)コントロールされるだろう。 創造的な行動は二回目からは創造的でなくなるのか? 「創造性」なんて問題も,それが客観的事実として存在するかどうか というより,創造性という言葉はどう使用されるのか,という問題だと思う。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/03(金) 07:07
「決定論」に関していえば,環境による決定論でないものは, 環境以外のものによる決定論であるに過ぎない。私が決定論者であり, 君が決定論者ではないのではなく,君は脳による決定論者で あるに過ぎないのでは? で,脳という至近要因による(決定論的)説明が,環境という 究極要因による説明と補い合わなければ無意味であることは, 前に縷々説明したとおり。
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/03(金) 10:03
おまえらみんなアホーダンス
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/03(金) 10:54
>>386 -388
「自由意志」を哲学者がどのように論じているかには私は興味がないし、
「創造性」を心理学者がどのように定義してきたかどうかについても
私は関心がない。「自由意志」や「創造性」では論旨が間接的すぎて
あなたには通じなかったようだ。私は生物学者として、生命現象は
「自発的」だと考えている。これがおそらく工学畑にいる認知神経
学者の381氏の「activeであるとはどういうことか」と同じ問題意識
だ。いうまでもなく、「自発性」が「自由意志」や「創造性」の原因
と考えている。
私は368で同種の個体であれば神経線維の連絡構造はきわめてよく似て
いることを説明している。神経線維の先端にあるneural coneは周囲の
環境であるtrophic factorにコントロールされながら、「結果的に」
同種の生物であれば類似した神経ネットワーク構造を形成すると述べている
(このことはおそらく発生現象全体に適用できる考え方だ)。ただし
遺伝子が神経線維の構造やそのネットワーク構造を直接「決定」して
いるわけではない(このことが、多くの生物学者がヒトの遺伝子の塩基
配列がすべて解明されても、それでヒトが解明されるわけではない
と考えているひとつの理由なのだ)。しかし、その前に神経線維が
「自発的に」伸びていこうとする性質、これが重要だ。これがなければ
ネットワーク構造を形成することもできない。そしてこの性質のおかげで
新たに発芽したり、インパルスの伝達効率を変化させることが可能になる。
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/03(金) 11:22
>それが「自由な選択である」と感じるかどうかは強化随伴性の >性質で決まる。 ここでいう強化随伴性の性質とは正の強化か負の強化かを指しているので あろうか。であれば、正常な生物であれば負の強化には接近しないのは 当たり前。そして、正の強化を得る方法が複数ある場合に「選択」が 可能になる。では、行動分析学的に、互いに全く等価な正の強化を得る 方法を複数呈示した場合にどうなるのか? 行動分析ではこの呈示した 方法の定義に基づき、個体がどちらの方法を選択するかをまったく 予測できないだろう。もちろん私にだって予想できない。しかし、 現実の個体はそこに留まっていてはなにも得られないから、いずれ どちらかを選択することになる。このときにその個体に働いている ものはいったい何か?
392 :
164 :2001/08/03(金) 11:28
いうまでもなく、390、391は164である私。
393 :
164 :2001/08/03(金) 12:11
ギャラリーに向けて解説しておくと、私は今、スキナー理論やギブソン の特にアフォーダンス理論は刺激(S)→(O)→反応(R)への 一方向にしか流れないと見ている点を攻めている。 私は神経細胞の数が増えてくるとOがSを積極的に解釈してRを駆動 する構造が発生する、そしてOは生物学的に自発性を有すると考えている。 この立場から、スキナー理論やアフォーダンス理論のもつ決定論的 傾向を攻めているのです。
394 :
381 :2001/08/03(金) 14:39
--------------
>>390 > これがおそらく工学畑にいる認知神経学者の381氏の
> 「activeであるとはどういうことか」と同じ問題意識だ。
どーでもよいことだが。
私は工学ではなくて生理学。サルに電極刺してます。
だから「表象」という言葉がその世界で
いい加減に使われているのを知っていて
(例えば、このニューロンは顔を表象している、とかなんとか)、
ああいうことを言った次第。
--------------
>>393 はたしてアフォーダンス理論は
刺激(S)→(O)→反応(R)への
一方向の流れしか見ていないだろうか。
「Invarianceをpick upする」という表現はどう?
「アクティブタッチ」という概念はどう?
そういう言い方で環境への働きかけを表現していないか?
そういう環境世界(umwelt)とのループみたいなの
を論じたのがユクスキュルだし、
アフォーダンスについて考えている人はこの考えに親しんでいると思う。
だから、
>>345 の
> 君が生物学者だというなら、ユクスキュルあたりに
> もどって勉強しなおしたらいかが?
ていうのは真っ当な意見だ。
(もっとも私の周りで私以外にユクスキュルなんて
読んでいるやつを見たことはないから
こっちの分野ではそんなもんだろうと思う。
じっさいそんなの読んでたからといってNatureに論文が載るわけではない。
そういうところで私も戦っている。)
これでは164はアフォーダンスを誤解していると言われるのは仕方ないと思う。
あんまりはずすとだれも答えてくれなくなるのでは?
--------------
>>383 > mirror neuronてなんすか?
説明するの面倒だから自分で探してここに貼ってよ。
たぶん茂木さんのところのどこかに書いてある。
ニューラルネットワークの中に
395 :
381 :2001/08/03(金) 14:41
>>394 の一番最後の行は
カットアンドペーストの残りかすなので忘れて。
--------------
>>390 「自発的」について。
これはやはり意識の問題に絡んでいると思う。
「自発的」に行動して目的に適った行動をする生き物がいるとして、
それが意識を持っていなかったら、
果たして自発的といえるかどうか。
でもおそらく
>>390 で言っていることからすると、
生物が環境に対応して学習などによって適応的に行動を変化させ、
脳内のネットワークを変えていくさまに
164は「自発的」というものを見ているのかなと思う。
ただ、それなら「決定論」的にならずにすむかというと
そういうわけでもないだろう。
遺伝的に決まっていない、ということが
決定論的でない、ということを差すわけではない。
同じ条件でも行動が毎回違う、
そういうところにこそ「決定論」的という言葉を使うべきだと思う。
その文脈でのはなしだが、生理学実験において同じ条件でも
生物の反応がばらつくのは反応が決定論的でないからではなくて、
毎回の反応がそれまでの履歴と独立でないために
全く同じ条件を繰り返しているわけではないからだろう。
だから話はさらに難しくなる。
--------------
ついでに「自発的」および意識について。
文脈なし。ほとんど随想。
下條先生の本を読んで、
別に自由意志がなくても問題なく説明できてしまうのだなと思った。
意識(とくにクオリアを含んだ意識)は随伴的(epiphenomenal)に起こり、
人間の行動には何ら影響しない。
心理的にどう思った、楽しい、悲しい、も随伴的に起こり、
人間の行動には何ら影響しない。
それら全てを人間は「後付け」で思うだけなのだ、と。
でもこれで問題が解けたと思えないのだから問題はまだ問題のままなのだろう。
コリン・マッギンも
意識の問題は私らが認知できる外にあるということを言うのに
cognitive closureという言葉を使っていたりするが
(参照:最近出た本-邦題はダサいが原題は"mysterious flame"-)
なんか分かる気はする。
科学者はそれでもあきらめるべきではないが、
意識の問題を矮小化して解けたと称するわけにもいかない
(Denettのようにね)。
396 :
164 :2001/08/03(金) 16:35
>>394 >「Invarianceをpick upする」という表現はどう?
>「アクティブタッチ」という概念はどう?
>そういう言い方で環境への働きかけを表現していないか?
これに関しては今すぐには判断できないので保留にしておいて、
ユクスキュルは私も名前を知っている程度だ。
辞書を見ると、「ドイツの生物学者; 主体としての動物が知覚し, 作用する世界の総体が,
その動物にとっての環境であるとする一方, 生物行動における目的追求性を強調し, 機械論
的説明を排した」。なるほどとは思うが、あえて今から読もうという気はしないというのが
正直なところ。生物板の「脳脳脳」スレッドや「分子ニューロン」スレで同じ議論を展開
してみるといい。たぶん、がっかりするだろう。生物学もほかに考えるべきことが多い
からね。だから私も生物板ではここでの問題を論じない。
>>395 >「自発的」に行動して目的に適った行動をする生き物がいるとして、
>それが意識を持っていなかったら、果たして自発的といえるかどうか。
いえると思う。ここでは意識のことは考えていない。だから
>生物が環境に対応して学習などによって適応的に行動を変化させ、
>脳内のネットワークを変えていくさまに
>164は「自発的」というものを見ているのかなと思う。
ここは発芽やインパルスの伝達効率の変化を強調しすぎたために少し誤解を招いたよう
だ。上でも書いているが、刺激反応理論では膀胱に尿がたまったという刺激を受けて尿を
排泄するという論理になるが、私は膀胱に尿がたまったことと、実際にトイレに行って
排泄することとは別だと考えている。膀胱に尿がたまっても、実際に括約筋をゆるめて
排泄するかどうかは脳が決めている。そして、脳がいつそのことを決めるかは予想でき
ない。この部分に脳の自発性を見ているのだが、何かおかしいかな。尿の排泄のような
緊急を要する欲求ではない欲求に対処するときにこのことはもっと明瞭になる。
で、おそらく、同じ条件でも行動が毎回違う、ということになってくる。同じように
膀胱に尿がたまってトイレに行って、便器の前に立っても、脳が括約筋をゆるめさせる
タイミングは毎回違っている。なぜか。脳がその都度「自発的に」決めるから。
>別に自由意志がなくても問題なく説明できてしまうのだなと思った。
>意識(とくにクオリアを含んだ意識)は随伴的(epiphenomenal)に起こり、
>人間の行動には何ら影響しない。
>心理的にどう思った、楽しい、悲しい、も随伴的に起こり、
>人間の行動には何ら影響しない。
>それら全てを人間は「後付け」で思うだけなのだ、と。
では、ある行動に先立って生じるはずの、「意図」はどうなるのか。
397 :
164 :2001/08/03(金) 17:05
>>381 ああ、言い忘れたが、ヘッブモデルスレの68は私だ。
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/03(金) 18:58
毎回思うんだが、164氏は肝心の所でミョーーーに単純素朴になるのが可笑しい。 最近では「自由意志」やら「創造性」などの素人談義。 「意図」が「行動に先立って生じるはず」などという素朴な決めつけも、素人のお喋りにすぎん。 学者のつもりなら、もう少し用語法や論理を吟味しろよ。 「哲学者」「心理学者」に限らず、先人達がこういう問題を考察してきた歴史というのがあるのだ。 それを「興味がない」と言うのでは、あなたにはこういうことを語る資格も能力もない(学者として)ということになるよ。 「意図」やら「自発性」やらの話を自ら持ち出した割には、現にあなたは無知・無能をさらけ出している。 「興味がない」と言って先人の知恵を学ぶ努力を怠るから、こういうド素人的発言を平気ですることになるのだ。 とにかく、この一両日の164はかなり情けない(ということに気づけや)。
>>398 私は378から別の方面に議論を展開しようとしている。このアフォーダンススレも
次の章に入ったところだ。その辺の流れを理解した上で言っているのかね?
少なくとも私は一応自分の知恵を絞ってアフォーダンス理論やスキナー理論(ここ
ではスキナー理論は関係ないと思うかも知れないが、今までの相手がアフォーダンスと
スキナー理論の類似性をあげている以上、スキナー理論も議論の対象にしてもいい
はずだ)では説明できないと思うことを考えて、それを何とか言葉にしようとして
いるのだ。また、私は常に個人ではなく理論に対して異議を申し立てている。
では、
>「意図」が「行動に先立って生じるはず」などという素朴な決めつけも、
というが、ではあなたの中では「意図」はどのような位置を占めているのか
語ってくれないか? それをしない(できない)のなら、煽りか荒らしと
見なされても仕方がない。
『このアフォーダンススレも次の章に入ったところだ。』って……(笑 もう少しギブソンや佐々木さんとかの書籍の中の一節だしてこの実験はこーだけど俺はこうなんだと…などと アフォーダンス側の理論の引用が欲しいよね。 俺はこうだがアフォーダンスどうなのだっ?という 教えて君風が目立つようだが。 なんか元野球選手とかがサッカー解説やらされてなんでも野球に喩えてる、あのモドカシサ感じる…… スレの趣旨からするとマジメに研究している人達の活動や研究の日々、学会や実験とかどーいう風なのかという 「実際どうなのって?」という意見が聞きたいのが本音ではある。。。
401 :
164 :2001/08/03(金) 22:48
>もう少しギブソンや佐々木さんとかの書籍の中の一節だして >この実験はこーだけど俺はこうなんだと…などと >アフォーダンス側の理論の引用が欲しいよね。 なるほど。2ちゃんねる初の試みとして「アフォーダンス」輪読会を やってみる? 別スレをたててもいいし、メーリングリストをたてる 方法もある。
402 :
381 :2001/08/03(金) 23:22
>
>>394 >>「Invarianceをpick upする」という表現はどう?
>>「アクティブタッチ」という概念はどう?
>>そういう言い方で環境への働きかけを表現していないか?
> これに関しては今すぐには判断できないので保留にしておいて、
このスレを最初から読み直してみたけど
これはどうでもよい気がしてきた。
まさに次章に入った感じがするしな。
> 生物板の「脳脳脳」スレッドや「分子ニューロン」スレで
> 同じ議論を展開してみるといい。たぶん、がっかりするだろう。
そりゃ知ってるって。
あんたもオレもあっちが本拠地でしょ(もしくはエロゲ板-オレも)。
でもこっちに来てんだからありよ。
まあ、でも話題をさばきたい、という意志は分かる。
ユクスキュルもここで話す必要はないよ。
ネタ振りであって、質問ではないと思っといて結構。
403 :
381 :2001/08/03(金) 23:22
>
>>394 さてそれで、「自発的」についてだが:
>>心理的にどう思った、楽しい、悲しい、も随伴的に起こり、
>>人間の行動には何ら影響しない。
>>それら全てを人間は「後付け」で思うだけなのだ、と。
> では、ある行動に先立って生じるはずの、「意図」はどうなるのか。
これも同じだよ。ご存知かと思うが、
Motor intensionやreward expentancyに関連して活動する
ニューロンがあることが見つかっている。
さっきの言い方を続けるならば、
人間は「自動的に」意図や期待をするニューロン活動の後に
合目的な行動をする。
そしてこのニューロンの活動によって
随伴的に後付けで人間は「そうしようと思った」と言うだけだ。
(随伴的の言葉は別にスキナリアンの人が使う強化随伴性
とは関係ないので混同しないでおいてほしい)
別にオレはアフォーダンスに義理はないのでそう言える。
つまりこれはあくまで「意識」の問題であって、
それに「自由意志」を引き寄せた考え方なのよ。
もうスレ違いだからこんなもんにしとくが
これは以下に少し関わってくる。
>>「自発的」に行動して目的に適った行動をする生き物がいるとして、
>>それが意識を持っていなかったら、果たして自発的といえるかどうか。
> いえると思う。ここでは意識のことは考えていない。
意識がない生き物が「自発的」に行動したとして
だれがそれを「自発的」であると判定するのだろうか。
あなたが「脳がそうやり脳が判断する」と答えるならば、
それは認知システムに加わったノイズ
(あなたがヘッブスレでイメージしている自発発火とかね)
によって出力が確率的挙動を示す、ということしか言ってないのでは。
これはその次に出てくる膀胱の括約筋の話でも同じこと。
スキナリアンがSORで何を言ってるか知らないで言うけど
(必要なら誰か補足してちょうだい)決定論的、といったって
100%決定論的になる必要なんかないし、
そういう確率的挙動ぐらいとりこめるのではないの?
そして「脳がやる」と言えないのならばやはり
自由意志には意識が必要なのでは?
>>398 も言いたがっていたが、
自由意志の問題を扱おうとしたら哲学的問題にぶち当たって、
ギブソンだろうとスキナーだろうと認知主義だろうと
問題に引っかかると思うよ。
結論:
アフォーダンスとスキナー批判として
自由意志、決定論の話を持ってくるのはうまくないのでは、と思う。
404 :
381 :2001/08/03(金) 23:22
405 :
ギャラリー :2001/08/03(金) 23:59
>>393 アフォーダンスを刺激(S)ととらえるのは,よくある間違いである。
アフォーダンスとは環境が動物に提供するする行為の機会(opportunities)
である。あるアフォーダンス(行為の機会)を利用するかどうかは生体側
の問題であり,したがってアフォーダンスは行為の原因にはなりえない。
406 :
ギャラリー2号 :2001/08/04(土) 00:59
>>391 >ここでいう強化随伴性の性質とは正の強化か負の強化かを指しているので
>あろうか。
必ずしもそんな二者択一だけではないのでは?
にっこり笑って「おはよう」と言って、周囲から同じような反応が「自然に」返ってくる場合と、
マニュアルどおりに「いらっしゃいませ。ご注文は何にいたしますか」と言って
給料を貰える場合なんかはどうかな(後者は負の強化かもしれないが)。
つまり、同じ正の強化でも、
強化が自然に随伴してしまうような場合と、露骨に人工的に随伴させるような場合とでは、
「自由な選択であると感じる」度合いは違ってくるのでは?
>行動分析学的に、互いに全く等価な正の強化を得る
>方法を複数呈示した場合にどうなるのか?
「互いに全く等価な正の強化」とは何か?
強化される反応が同じオペラントで反応率も反応強度その他も全て同じという意味?
あるいは強化力や強化率も?
全部?
例えば?
不勉強なのでよく分からない。
それとも同じオペラントに属する異なる反応型を選択する場合のことを言っているのかな?
>正の強化を得る方法が複数ある場合に「選択」が可能になる。
とあるので、「選択行動」のことを言っているらしいが。
407 :
ギャラリー2号 :2001/08/04(土) 01:00
>>393 >スキナー理論やギブソンの特にアフォーダンス理論は
>刺激(S)→(O)→反応(R)への一方向にしか流れないと見ている
それを言うなら、
弁別刺激(S)→(O)→反応(R)→強化子(S)→(O)
と考えたって別にいいんじゃない?
これって一方向?
408 :
164 :2001/08/04(土) 01:01
私も言葉の使用において多くの間違いを犯してきたし、解釈の間違いも あった。これは認める。しかし、その間違いが指摘されるだけで 私自身が提起した問題の本質にはあまり応えてこられなかったと感じて いる。 以下、今までに私がここで提起してきたが応えられてこなかったと 感じている問題の一部を改めて提起してみる。 1)交差した足に挟まった1本の杭は2本であるかのような錯覚を生む。 2本の杭に挟まれた状態は「捕らわれた」というアフォーダンス?を 持つが、現実は遠ざかれば済む1本の杭に接触しているだけである。 この錯覚が「捕らわれた」というアフォーダンスを持つので逃げられ ないと感じるのは重大なことではないのか?(アフォーダンス?で 示したのは用法に自信がないため) 2)ボールを持とうとする時の手の形と、壁をおそうとする時の手の 形は違う。これは、あらかじめ脳内に表象が形成されていないとでき ないことではないのか? 3)私は脳は環境と独立で、脳が感覚と運動をドライブしているという 信念を持っている。「信念」という言葉を使うのは私としてはかなり 譲歩した言い方である。しかし、この信念をうち砕く事実なり理論は まだ呈示されていない。 4)405に対しては、結局アフォーダンスは脳が解釈すること、それで いいのか? 5)直接知覚の問題。これはまだ未解決と認識している。 6)自由意思や意図、自発性については今論じている最中。
409 :
164 :2001/08/04(土) 01:35
>>403 >人間は「自動的に」意図や期待をするニューロン活動の後に
>合目的な行動をする。
>そしてこのニューロンの活動によって
>随伴的に後付けで人間は「そうしようと思った」と言うだけだ。
では、期待や何らかの意図を持ったけれども、結局合目的な行動を
しなかった場合はどうなる? 「そうしようと思った」と思うことも
ないのか? あるいは、意図や期待をするニューロンは本当にその
機能を果たすニューロンなのか? たとえば意図のニューロンは
意図した後で、様々な筋肉の系列的な動作を計画するために
活動しているのではないのか? それから、意図や期待をニューロンに
還元するのはどうか? 意図や期待はむしろニューロン群の活動の総体と
して生まれるとは考えられないか?
自発性に関して、それでは別の言い方をしてみようか。ある動物
(何でもいいんだ)を、その動物にとって感覚刺激の一様な環境に
放す。動物のことだから、死ぬまで同じところにじっとしている
わけではないだろう。では、その動物のとる行動は、そのすべてを
何らかの刺激(体内の、空腹感なども含む)に対する反応として
説明できるだろうか。
410 :
164 :2001/08/04(土) 01:52
>>406 前段についてはちょっと高級すぎて私には分かりません。
後段で
>それとも同じオペラントに属する異なる反応型を選択する場合のことを言っているのかな?
これ、スキナースレでも質問したんだよね。ネズミはなぜ同じ反応
クラス(=反応型?)に属する行動を選べるのかって。私は同じ反応
クラスに属する行動はそれは人間が恣意的に分類しているにすぎない
が、それらの行動が同じ効果を持つことをネズミが理解しているから
だ、と言ったらえらく笑われたけど。そのときはミクロの分析と
いう話がでてきて、私には分からないまま流れてしまったな。
では「選択行動」のことを指しているとして、そこには意図などを
考える必要はない、と?
411 :
164 :2001/08/04(土) 01:59
>>407 >弁別刺激(S)→(O)→反応(R)→強化子(S)→(O)
これはSORの連鎖にすぎないんじゃないですか?
私の考えをあえて図式的に書くと
O
/ ¥
S R
ここで¥マークは逆スラッシュ。/、¥はともに両方向性、
となるでしょうか。
412 :
ギャラリー2号 :2001/08/04(土) 02:33
>>410 前段は別に高級な話じゃないと思うけど?
後段の件は、
>ネズミはなぜ同じ反応クラス(=反応型?)に属する行動を選べるのか
じゃなくて、
>>ネズミはなぜ同じ反応クラス(=オペラント)に属するある特定の反応型を選べるのか
ですよね。
そういうことなら、スキナースレと同じかな。私も「なぜ」という疑問はあるけど。
選択行動のことなら、やはり「互いに全く等価な正の強化」というのがよく分からない。
>>411 (O)が2回出てくるけど、これは、
>強化子(S)→(O)
の部分が、環境からのフィードバックを意味しているだろうということ。
連鎖ならこうじゃない?
弁別刺激(S)
↓
(O)
↓
反応(R)
↓
強化子(S)・・・弁別刺激(S)
↓ ↓
(O) (O)
↓
(以下略)
413 :
398 :2001/08/04(土) 02:47
>>399 >ではあなたの中では「意図」はどのような位置を占めているのか
>語ってくれないか?
議論の進みが早いので場違いなレスになってしまいそうだが、
まずは言葉の使用の問題だという
>>387 の「創造性」の位置づけと同じだということがわからない?
私もギャラリーの方々に注意を促したいが、
この立場に立ってある程度の用語法上の同意(定義のことではない)を見ないことには、
「意図」がどのように働くかなどという議論は軽々しくできないはず。
>>403 が言うように、必ず哲学的問題にぶち当たるから。
先人たちの議論を学べというのも、そういう問題があるということを知れということ。
それを知らずに素人的な用語法で語っているようでは、学者としてかなりイタイのだ。惜しい。
このあたりの吟味がないから、
>それらの行動が同じ効果を持つことをネズミが理解しているから
のような書き方をしてしまう。
そりゃ、笑われても仕方ないよ。
「理解」という語の(定義、とまでは言わないが)吟味が必要でしょう?
(なお、同じく
>>403 とはかなり近いが、「意図」や「自由意志」というのは
「後付け」的に「そう思うもの」だとは思う。)
164氏の孤軍奮闘ぶりには敬意を表するし、その問題意識も分かる。
>>378 や
>>408 などを見ても、知性的な自己批判ができる人物であることも判る。
私も概してROMしながら勉強させてもらっている。
だが、(これは164に限ったことではなく、他の学者にも言える場合が多いが)
「心」の問題を、少なくとも学問的に語ろうとするのなら、
上記のような問題に対して、もう少し注意を払うべきだと思うのだ。
414 :
ギャラリー :2001/08/04(土) 02:48
>>408 1)アフォーダンスとは無関係な問題だと思えるが。
2)ボールの丸さや壁の平らな広がりを知覚できれば,ボールや壁の表象を形成
しなくても行為可能だと思う。ボールや壁に対して行為するとき,ボールや壁
はpresentしているので,あえてrepresentする必要はないように思える。
3)行動が完全に環境に縛られているとは思わないが,完全に独立であるとは
いえないだろう。坂道は平地と同じようには歩くことが出来ないし,まして
や地面がなければ歩くことはできないだろう。
4)アフォーダンスの抽出に脳(を含む知覚システム)が関わっているのは認
めるが,脳で解釈されて作られるものではない。生体が行っているのは,事
物の持っているアフォーダンスを知覚し,利用することである。
415 :
398 :2001/08/04(土) 02:53
なお、私はアフォーダンス理論には疎いので、
>>400 に烈しく賛意を表したい。
何かないの?
実際はどうなのよ?
偉そうなことを書いた割に情けなくて申し訳ないが。
416 :
381 :2001/08/04(土) 04:27
>>409 おんなじですって。
問題の構造に気付いてないまま繰り返しても意味ないですよ。
期待や意図を持ったけど行動に現われなかった場合には
期待や意図の神経機構が活動したけれども
(例えば活動量が不十分だったからとかで)
行動を引き起こすような機構につながらなかった。
意図を持ったことだけは後付けで人間は感じた、って言いますよ。
行動を引き起こすかどうかは
さっき言ったように確率的にしか決まっていなかったのに
人間はあと付けで自由意志だと思っている、
なんていう言い方も出来ます。
だから論点は164がまだ答えてないほうの
「164の言う「自発的」というのは単なる確率的挙動と同じではないのか」
というほうの質問にあるのですよ。
そして実は私の質問に、
「自発的とは単なる確率的挙動でしかなくて、
それを後付けで意識に上らせて「自発的」と思っているので
認知主義的にはなんも問題ない」と言うのもありなのですよ。
意志や期待の神経活動とその確率的挙動が
意志や期待がどのように意識に上っているかを決定している、
という意味ではこれは全く164が言ってきたことによっぽどあってるでしょ。
問題なのは果たしてこれで納得いくか、ということ。
そして、だからこそこれは哲学的問題になっているのであって、
さっき言ったようにギブソンだろうとスキナーだろうと認知主義だろうと
問題に引っかかるんだって。
問題なのは、「随伴的」である、というところだ。
脳の活動が意識に意図や期待を引き起こす、という方向はあっても、
心にある意志や期待が脳の活動を引き起こす、
ということはないのは認めるでしょう(エックルスでもなければね)。
164が混乱してあきれられているのは、唯脳論、とか言っておきながら
この片道通行を認められない不徹底に原因があるんだって。
164に位置に近いところから164の意見の不徹底をつく、
というのが381の時からのスタンスなんだけどそこ分かってる?
417 :
381 :2001/08/04(土) 04:28
>>409 P.S.
補遺:
> 意図や期待をするニューロンは本当にその
> 機能を果たすニューロンなのか? たとえば意図のニューロンは
(以下略)
現在わかっている話と
認知主義のやり方から原理的に分かるところとは別物。
全てが分かっているわけではないのはご承知のとおり。
今言っているそういう「期待や意図の神経機構」は
単一の機能だけを割り当てられていなくてもよいし、
一個のニューロンでなくてニューロン群でもよい。
それでも以上での話が全く変わらないことがわからないか?
私の言っていることは
「意志や期待の機能および意識を引き起こす脳の機構があって
その結果行動や意識が引き起こされる」ということ。
苦し紛れにあんまりいい加減なこと言わないでよ。
> ある動物(何でもいいんだ)を、その動物にとって
(以下略)
これも単にその動物が確率的挙動を示せばいいだけだから
今までと言っていることは同じ。
それをオレは否定してないって。
164はオレに近い立場にいる、と思っていたのだが、
勘違いだったかもな。
Mirror neuronとかSejinowskiとかMSTとか
いろいろキーワード出してみたんだが反応ないし。
418 :
381 :2001/08/04(土) 04:43
当分ここに来れなくなるので 私自身のアフォーダンスに対する疑問を残しておく。 1)アフォーダンスの考え方は 神経科学+認知主義のやり方によって(将来的に) アフォーダンスの考えとは全く違った形で 説明されてしまわないだろうか。 たとえばoptical flowがMSTのニューロン活動として 単に「そういうパターンを認識する」というやりかたで 説明されてしまうかもしれないように。 物体のモーメントを単に筋肉の張力から 「そういうものを推定する」というやりかたで。 2)逆に言えば、これはアフォーダンスでしか説明できない、 という現象があるとしたらどういうものだろうか。 ファイ現象は点の動きからpredictive codingする、 というやり方で説明できる。 ゲシュタルトのある形態とそうでない形態とで ニューロンの反応が違っている、という報告もある (ある点がまわりの点とどういう位置関係にあるかによって その点に対する反応が変わる)。 これはゲシュタルト心理学だった。 あとはinvarianceではないが、 色の恒常性をその色の周りの情報からの 推定によってコードしてしまう、とかいうのもある。 3) いま言ったことはカテゴリカルエラーを起こしている のでこう言いかえよう。 アフォーダンスでの説明と (ニューロン活動を基盤においた)認知主義的説明では お互いに(原理的に)説明できないものがあるだろうか。 もしくはニューロン活動を基盤においたアフォーダンス的説明 というのは階層的にはありえるはずなのに それがありえないだろうけどそれはなんでだろうか。 "Invariance"をpick upする、というとき そのinvarianceをコードしているニューロンを見つけた、 というのでは両者をつなげられないのは確かだ。
419 :
381 :2001/08/04(土) 04:48
P.S. はじめから言っているように 言っていることは164とあまり変わらない。 ただし、煽りません。私の立場は、 「神経科学の展開にアフォーダンスが 役に立つところがあったらぜひ知りたい」というものです。 これは認知主義vs.ギブソニアンが並列であるなら どちらも神経科学につなげられるはずなのに、 という思いからです。
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/07(火) 18:09
下がりすぎ。 続けてくり
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/07(火) 18:37
なにしろ狂言回しが不在では物語も進まんわい.
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/07(火) 18:58
あら,おかえりなさい.けっこう頻繁にチェックしてるのね? それはそうと,あなたが生物板に書いているアフォーダンスの説明, ぜんぜんめちゃくちゃじゃない.あなたがあそこで説明している ことがアフォーダンスだったら,俺だってアフォーダンスに 興味なんか持たないよ.やっぱり理解していなかったのだな. そうそう,三嶋博之がNHKブックスに書いている 「エコロジカル・マインド」って本,佐々木正人ほど 電波でてないし,論理的だし,なにしろ素人向けだから 君にもわかりやすいかもしれない. 1冊くらい本を読んでからアフォーダンスを論じたら?
>>423 まぁ、ここでせんど論じてもらったにもかかわらず、まだその程度の
理解に留まっているわけよ、私の中では。
生物板での書き方が気に入らないのなら、ちゃんと訂正しておいたら?
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/08(水) 09:25
他人から説明してもらって,自分が理解できない場合, 単純に考えて 1.他人の説明が不十分,あるいは間違っている 2.自分の知識,あるいは知的水準が不十分である の二つの可能性がある.学者,または学者をめざす人たちは 実際には2であってもその可能性を考慮せず,すべて1であると 考える傾向がある. 俺自身もそうだし,最近人文系/自然科学系ごたまぜのメンバーで 仕事することが増え,互いに自分の研究分野について説明しあう経験を したことで,この傾向は研究分野をとわず「学者」の欠点であることが わかった.
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/08(水) 09:25
ある分野でそれなりに名をなした研究者でも,他の分野については 素人同然か,ときには素人以下の理解しか持っていないのが いまの学問の姿.でも「学者」はそれを無意識的にか,意識的にか 認めようとしない.だから,たとえば大脳生理学者が人の心や精神について トンデモな自説を展開するみたいなことが無数に起きる. そういう人のほとんどは,心とか精神というものが「そもそもなんであるのか」 ということについて,心理学や哲学がこれまで積み重ねてきた議論や 定説を何も知らないから,素人以下の素朴な「人間観」を妙に高度な 脳科学の知識で修飾する,みたいなものを生産するわけだ. 同じことは心理学者の書いた進化論本などにも見られるが, 人文社会で自然科学的方面に出ていってる人の方が, その逆より往々にしてまともなのはなぜかね?
427 :
このスレざっと読んだ非心理屋 :2001/08/08(水) 14:43
>1)交差した足に挟まった1本の杭は2本であるかのような錯覚を生む。 >2本の杭に挟まれた状態は「捕らわれた」というアフォーダンス?を >持つが、現実は遠ざかれば済む1本の杭に接触しているだけである。 >この錯覚が「捕らわれた」というアフォーダンスを持つので逃げられ >ないと感じるのは重大なことではないのか?(アフォーダンス?で >示したのは用法に自信がないため) ↑これだけやって、全然アフォーダンス理解してないじゃん。 人間との相互作用において、1本の杭は「捕らえる」アフォーダンスなんて持ってなくて、 特殊な身体状況が勝手に錯覚を起こしてるだけの話。 そして、こういう錯覚が生じうるのは、より一般的な身体状況において、 人間は「2本の杭」が「捕らえる」アフォーダンスを発揮するような構造を持つから。 もし、人体が液状だったら、「捕らわれた」という正常な知覚も錯覚も起きない。 >5)直接知覚の問題。これはまだ未解決と認識している。 これって↓のこと? >たとえば指そのものが知覚しているという説明はとうてい >受け入れられない。 感覚記憶ってどうなのよ? 感覚記憶に基づいた反応ってないと言い切れるの?
428 :
164 :2001/08/08(水) 15:46
425、426の言いたいことはよく分かるよ。で、私は
> 2.自分の知識,あるいは知的水準が不十分である
であることを十分に認識している。なんとなれば、私は学者では
ないから。
>>427 もし、人体が液状だったら、ってどういう仮定?
>より一般的な身体状況において、
>人間は「2本の杭」が「捕らえる」アフォーダンスを発揮するような構造を持つから。
これを、人間は「椅子」が「座る」アフォーダンスを発揮するような構造を持つから、
と言い換えることができるでしょ? つまり同じ文章構造を持つわけ。
言いたいこと分かる? それでは反論になっていないと言いたいわけよ。
人間との相互作用において、1本の杭は「捕らえる」アフォーダンスなんて持ってなくて、
特殊な身体状況が勝手に錯覚を起こしてるだけ。これはそう。だが、
現にこの錯覚を起こした人間にとっては二本の杭に挟まれているという状態は
真実なわけでしょ? そして現に二本の杭に挟まれた状態は「捕らえる」
というアフォーダンスを持つ。これはあなたも認めているとおり。
この特殊な身体状況は私が思いついたんだけど、これはアフォーダンスを苦しめる
格好の(絶好の)事例だと私は感じるんだけど。
感覚記憶は視覚でいわれる「直観心像」を思い出すんだけど、皮膚感覚や
筋肉感覚を介した直観心像を私は想像できない。ちょっと考えてみますね。
429 :
このスレざっと読んだ非心理屋 :2001/08/08(水) 16:04
>現にこの錯覚を起こした人間にとっては二本の杭に挟まれているという状態は >真実なわけでしょ? >そして現に二本の杭に挟まれた状態は「捕らえる」 >というアフォーダンスを持つ。 「状態」が「アフォーダンスを持つ」という意味が曖昧だし不適当。 アフォーダンスを持つ(可能性がある)のは、この場合「杭」。 主観的な「状態」と客観的な「状態」を混同してる。
430 :
164 :2001/08/08(水) 16:06
人体が液状だったら、というのは意味のない仮定ですよね。 椅子は座ることをアフォードするというが、それは人間と同じような 体型を持つ生物にしかアフォードしないものだったよね? アフォーダンスには、実は人間が自らの体型を認識しているという前提が 隠されているのではないか?
431 :
164 :2001/08/08(水) 16:11
>>429 主観的な「状態」が、その人にとって客観的な「状態」ではないのか?
どうも私は脳を中心にものを見る立場から離れられないようだ。しかし、
またその立場を捨てたくもない。
432 :
このスレざっと読んだ非心理屋 :2001/08/08(水) 16:27
>>430 つまり、正常な知覚と錯覚の違いは、
生体と環境との相互作用の可能性によって相対化されるものということ。
>>431 客観的な状態というのを厳密に言うのは難しいけど、
その状態の認識が他者によって否定される限りにおいて、主観的な錯覚にすぎないことになる。
433 :
このスレざっと読んだ非心理屋 :2001/08/08(水) 16:46
まあ、つまり通常の人間にとってはより一般的な知覚(2本の杭に挟まれた時に捕われたと感じる) が正常な知覚と呼ばれ、つまりそれが個体間での普遍性を持つから、そういう、 客観的かつ正しいとされる状況把握が、正常な知覚、 主観的かつ誤っているとされる状況把握が、錯覚と呼ばれるということかな。
age
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/17(金) 05:00
君 が 周 り を 無 く し た あ た し は そ れ を 無 視 し た
436 :
ahozannsu :2001/08/17(金) 12:34
アホーザンス
437 :
さげます :2001/08/18(土) 00:40
sage
でしょ?
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/21(火) 00:31
最近の菊川怜って「触角」つけてるみたいな 髪型だよな。
441 :
164 :2001/08/21(火) 01:28
おひさです。どうも、放っておくと荒らされますな。 心理の専門の方、430前後の書き込みについて何かコメントください。
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/21(火) 08:54
主観,客観って言葉の使い方が間違っているよ. 「その人から見たもの」というのは,すべて主観. 客観,てのは「その人以外から見たもの」という意味. 「客観的に見ていて」も,自分が見てる限りは主観. 431に関して言えば,「その人にとって客観的」という 言葉が無意味になっているということ. 問題は「主観の内容」が,現実問題として客観に 依存しているかどうかということ.依存していると 認めないと観念論になる.この200年間の科学の 基礎になってきたのは依存していると認める唯物論. 唯物論批判をすると言うなら,哲学板に別スレを たてるべし.
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/21(火) 09:07
430に関しては,アフォーダンスはそもそも「からだ」から 切り離して存在し得ないのだから,事物から発見される アフォーダンスが発見する側の「からだ」に依存するのは当然. ただ,そこで「人間が自らの体型を認識している」ことが 前提になるのかは疑問.何かに合った行動ができることと, その何かを「認識」していることを混同すべきではない. あるいは,君の「認識」という言葉の用法が場合によって違い, 混乱している. たとえばミミズも環境からさまざまなアフォーダンスを発見するが, ミミズは自分の体型を「認識」しているのだろうか? 然り,というなら「認識」は行動を記述する概念に過ぎず, 高次の認知作用や意識とは直接関係しないと考えるべき. 否,というなら,人間だけが他の生物と違ったアフォーダンス発見の 機構を持っていると考える根拠は?
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/21(火) 17:11
416が煽りじゃないことはよく分かったが、 そろそろ自分でアフォーダンスならこう?という アフォーダンス側の仮定を提示するくらいに成長してもいいような。 これじゃ、質問して自分の食いつけそうな答えならOK、そうでなかったら 別の話題、の繰り返しになりそ。 430の質問はおもしろいとは思う。デザインとかの分野にアフォーダンスが 興味を持たれれる理由はそこでしょう。 例えば、164は100mを9秒台では走れない。しかし、高性能トラックは それをアフォードしている。 また、164がもしも生まれつき両手が無い身体であったとしたら ドアのノブを164が手で掴むことは当然出来ない。 唯脳であればそこでドアノブを主観のみでとらえて異質な道具として 認識するのもおもしろそうだが しかし、ドアのノブは依然手で掴まれることをアフォードし続けている。 ということで、盲人の歩行とかのアフォードを考えてみると楽しいのよ。
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/22(水) 10:55
Talmyのforce-dynamicsって知ってる人いる?
447 :
168 :2001/08/22(水) 16:33
しばらく時間をおいたので、多少は考え方も変わっているかも知れない。が、 それは自分では知ることのできないことなのかも知れない。 一応、443はここで長らくおつきあいいただいた、行動主義者にしてアフォーダンスとの 一致点を見いだしている心理学者と見て話を進める。私は唯脳論者にして認知主義者であり、 観念論の立場に見せかける方法はすでに破棄したのは前述の通り。 どうも椅子とかドアのノブ、高性能トラックという具合に、最初からある目的を 持って製作された人造物が例に挙げられるのが気に入らない。それは本来の アフォーダンス以外に制作者の意図も侵入しているので、話が混乱するのだ。 岩の間に開いたわずかな間隙、ある程度の高さをもつ岩、という具合にもっと 自然界にある事物でものを考えようではないか。 岩の間に開いたわずかな間隙を、われわれはどうしてくぐり抜けられるかどうかと いうことを知るのか? ネコの身体は柔軟だ。彼らは自分の頭部さえ抜ければ 全身が抜けられることを「経験から知って」いる。逆にいうと、自分の頭部が 抜けられそうにない間隙は通り抜けようとはしないだろう。これは、自分の頭部の 大きさを「あらかじめ知って」いなければできないことだ。これを、ネコが自分の 頭部の大きさに関する表象をあらかじめ脳内にもっていて、その表象の大きさと 現実の岩の間隙の大きさを比較しているからできるのだ、と言ったらなぜおかしい のだろう?
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/22(水) 16:47
すんまへん、私は168ではなく164だった。
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/22(水) 17:29
そう言っておかしくはないが,本当にそうとは限らない. そもそも「表象」ってなんだ? 普通は意識にのぼるもの,を 指すと思うのだけど,「頭部の大きさ」ってどういう風に 意識にのぼる? 目の見える動物なら「頭の形」かなんかかもしれないが, 例えば目は見えず,触覚の働きでその間隙を自分が通れるかどうか 判断するような生き物だったら,その「表象」はどんなものだろう?
>>447 あ、いや・・・
ネコとかイヌも通り抜けようとして
通り抜けられなくて苦しんだりする姿みることもあるが。
チャレンジだ!とドジって恥ずかしがるところがまた
かわいいんだな。
関係ないんでsage
451 :
164 :2001/08/22(水) 18:51
>>449 頭部の大きさはどういう風に意識にのぼるか、それは分からない。
ただ、自分のもつ感覚器から得られる情報を利用しているはずだと
いうことは言える。
>>450 それも、その間隙の大きさと自分の頭の大きさとが彼らにとって
比較できないくらい接近しているから生じること。仮に針の穴ような
大きさの間隙なら、彼らも最初から通り抜けようとはしないだろう。
そもそも通り抜けようという意図すら生じないだろう。
このことから考えて、おそらく脳内に保存されている表象はそんなに
精密に外界の事象を(この場合は自分の頭の大きさを)表現しているとは
思われない。
452 :
164 :2001/08/22(水) 18:53
修正 ×その間隙の大きさと自分の頭の大きさとが彼らにとって比較できない くらい接近しているから生じること。 ○その間隙の実際の大きさと、脳内に存在する自分の頭の大きさに関する 表象とが彼らにとって比較できないくらい接近しているから生じること。
だから?
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/23(木) 01:00
>>447 > 頭部の大きさに関する表象をあらかじめ脳内にもっていて、その表象の大きさと
> 現実の岩の間隙の大きさを比較しているからできるのだ
この主張とギブソニアンの違いは,間隙を通り抜けられるかどうかの知覚判断
に利用されている情報は,ギブソニアンに言わせれば,頭と間隙の幅に関する
内在的なスケール(いわゆるπナンバー;例えば,頭と間隙の比率)だという
ことになるだろう。つまり,自己の身体との関連において環境の属性が知覚さ
れているということであり,それらが別々に知覚あるいは表象され,比較され
ているのではないとギブソニアンは考える。
ネコの頭の大きさの表象が脳内にあること,つまり,身体についての属性と環
境についての属性が独立に知覚,表象されていることを示そうとすれば,環境
にある行為可能性(アフォーダンス)とは無関連にその身体についての表象が
あることを示さなければならないだろう。
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/23(木) 01:54
>>454 P.S.
もう少し分かりやすくなるように記号で表してみる。頭の大きさ(A),
間隙の大きさ(E)とすると,間隙を通り抜けられるかどうかの知覚判断
と経験からの学習で次のような違いがある。
447の考え
判断:脳内に表象されたAと知覚されたEを比較する
学習:脳内にAの表象を形成する
ギブソニアンの考え
判断:E/Aが直接知覚される
学習:E/Aをpick-upするように知覚系がtuneされる
ギブソニアンは,E/Aの表象が形成されるのではなく,E/Aの情報を正確
にpick-upできるように知覚システムが調整されることが学習であると考
える。
ギブソニアンはEとAの関係性を主張しているので,ギブソニアンを論駁
するには,Eとは独立にAが表象されていることを示さなければならない
のではないだろうか?
!
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/24(金) 14:02
車の運転を習うときに、最初のうちは車幅感覚としては
乗ったことのある車しかつかめない。
熟練すると初めての車でも車幅はつかめる。
初心者のうちは
>>447 の様な気がする。
熟練すると
>>455 のような気がする。
厨房の感想。
458 :
164 :2001/08/24(金) 15:49
457の比喩を利用させてもらって私の考え方を述べると、私は身体は まさに車のようなもの、脳はその車を運転する運転手のようなもの、 と見ている。当然ながら、脳と身体とはその個体が誕生したときから 一体であるので、脳(運転手)はその身体(車)の動かし方(運転)には 熟練しているだろう。 脳が自らの身体の表象をもっているという私の主張に関し、たとえば蚊が 身体のある場所に止まれば、我々は蚊の止まっている場所を目で見ずとも ほぼ確実に知り得、その場所を手で叩くことができる。これは、私には 脳が身体に関する表象をもっていることを明瞭に示していると思われるの だが? そして、脳はその表象の操作にも当然、熟練していると 考えられる。 自己の身体との関連において環境の属性が知覚されているとする ギブソニアンの主張は分かるような気がするが、だからといって E対A比が直接知覚されるとするギブソン自身の主張にはかなりの隔たりが あると感じるのだが。やはり直接知覚という考え方が、今ひとつまだ 分からない。
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/24(金) 16:10
>>457 でも,自動車教習所では「認知→判断→操作」とかの図式で教えるよね.
やっぱり我々は自分たちの行動の仕組みをそういう素朴な図式で捉えてるから,
そう教えた方が納得はいきやすいからね.
俺は心理学者になってから免許をとったので,かなり笑いながら
学科を受けたよ.実際の運転経験を積む程,運転は「判断」なんかじゃなくて
車と身体の直接フィードバック関係で成立していることが良くわかる.
>>458 それこそ,教習所と同じ話.実際にそうであるかどうかではなく,
君にとってそう考えた方が分かりやすい,君の素朴な感覚に
そういう説明の方が合っている,というだけの話さ.
目で見なくても,皮膚感覚でどこに蚊が止まっているかはわかるだろう?
もともと視覚が介在する必要はないんだよ.
あなたはすべての知覚をみんな視覚に還元して(あるいは結び付けて)
考えてしまうから,視覚の代用品としての表象を仮定しないといけなくなる.
「見る」ことはもちろん「知覚する」ことの重要な要素だが,すべてではないんだよ.
460 :
164 :2001/08/24(金) 18:04
>目で見なくても,皮膚感覚でどこに蚊が止まっているかはわかるだろう? 私は視覚の代用品として表象を考えているんじゃない。この場合は、 皮膚感覚を通して脳が身体の構造に関する表象をもっている、と 私は言いたいんだよ。
461 :
164 :2001/08/24(金) 18:08
脳における表象の形成には、視覚も皮膚感覚も、利用できるすべての 感覚を動員しているはずだと思うのよ。
462 :
よいとせのこらせ♪ :2001/08/24(金) 18:13
坂田のアフォーダンスなら知ってるけど・・・
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/24(金) 19:23
だったらその表象ってなによ?
それはどこでどのように「表象される」の?
表象されているかいないかは,なにでわかるの?
結局それは「何かが知覚され(それに適応した行動が生じ)ている」
という「唯一の事実」のメンタリズム的な拡大解釈,あるいは
不必要に冗長な説明に過ぎないじゃない.「そうとも考えられる」けど
「そう考える必要はない」時,そう考えることは控えるべきだよ.
そうでないというなら,その表象がある場合とない場合を
区別する方法,あるいは「外的事象に依存した行動が生じること」
を伴わずにその表象が生じていることをどのように確認できるか,
説明してよ.つまり
>>455 と同じ質問になるね.
君は455氏の問題提起に何も答えていないじゃない.
464 :
164 :2001/08/24(金) 19:50
>>463 それはすでにやってるんだけどね。表象がどこでどのように、と言われても
困るんだが、脳内ですべての感覚を動員して形成されるんじゃないかとしか
言えないよ、少なくとも今は。
また、今回は蚊の例(これは自分の身体に関する表象の例としてあげたん
だよね)を出したが、以前にも壁を押そうとするときは
最初から手を開いて(準備して)押そうとするし、ボールをつかむときは
指を丸く曲げてつかもうとするが、これができるのはあらかじめ脳内に
表象があるからできるんじゃないかと言ったが、これに対する回答はまだ
頂いていない。マイクロスリップという言葉でごまかされただけだ。
少なくともこの壁やボールを押したりつかもうとする例は、私は
Eとは独立にAが表象されていることを示す例になっていると思うんだけど?
465 :
tewrsfgrsffds :2001/08/24(金) 22:22
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/24(金) 23:49
>>464 つまり164さんがいう脳内の「固定された表象」というものは無くて
マイクロスリップという環境にそった流れがあるって事では?
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/25(土) 01:14
>>458 直接知覚と間接知覚の違いは,間接知覚では,表象を媒介として知覚が成立す
るということ。
>>464 164がいっている表象は,一般に心理学でいわれる表象とは異なるように思わ
れる。
> 表象は対象に関して心理学的過程を経て抽出された情報を長期記憶に保持す
> るための心的形式の総称である。(心理学辞典,有斐閣)
少なくとも,ギブソニアンが間接知覚に関していうときは,表象とは,いまあ
るpresentな情報ではなく,記憶にある情報がre-presentされたものを指して
いる。
つまり,ボールをつかむときは,ボールはそこにpresentしているのだから,
なぜわざわざrepresentしなければならないのだろうか?今そこにpresentして
いるボールについての情報を使って,運動を制御していると考えた方が自然で
はないだろうか?
468 :
164 :2001/08/25(土) 11:39
>直接知覚と間接知覚の違いは,間接知覚では,表象を媒介として知覚が成立 >するということ。 なるほど。この理解はこれで正しいんだろうね? いや、その有斐閣の表象に関する定義は、言い方が違うだけで私の考えるものと 同じことだよ。 >つまり,ボールをつかむときは,ボールはそこにpresentしているのだから, >なぜわざわざrepresentしなければならないのだろうか?今そこにpresentして >いるボールについての情報を使って,運動を制御していると考えた方が自然で >はないだろうか? では、問題の提起の仕方を変えてみよう。今、目の前に壁があると想像し、それを手で 押そうとするとき、その手はどういう形をとるか?(開いた形をとるだろう?) 目の前にボールがあると想像し、それを手でつかもうとしたとき、その手はどういう 形態をとるか?(指を丸く開いて構えるだろう?) これができるのはなぜか、と私は問うている。
なぜ壁を手を開いて押すの?グーで押す人、肘で押す人、状況によっていろいろ。 ボールもフォークの握りで取ろうとするヤツもいれば、汚いものつまむように持つ人 両手でとろうとする女性、状況によっていろいろ。
470 :
164 :2001/08/25(土) 13:44
>>469 もちろん押し方やつかみ方は人ぞれぞれだが、その前提として、
その動作は壁なりボールなりの表象を脳内であらかじめ保持しており、
それを意識の表面に浮かべているからこそできるのだろう、
と言っている。
471 :
164 :2001/08/25(土) 13:59
で、この壁やボールの例は視覚に多くを依存した表象だが、身体に 止まった蚊を叩くのは皮膚感覚に多くを依存した表象を利用している だろう。 467の >直接知覚と間接知覚の違いは,間接知覚では,表象を媒介として >知覚が成立するということ。 という説明に対して、たぶん有名なE.C.Tolmanの十字迷路の研究を 思い出した。これは十字迷路のどの端に餌が隠されているかという 学習と、とにかく右に回れば餌が見つかるという学習とに分離した 実験として有名だ。前者が表象を介した記憶による学習、後者が運動 感覚記憶を介した学習と理解している。ここの文脈に沿って言い換えると 前者が間接知覚を介した学習、後者が直接知覚を介した学習、と言って いいのだろうか?
472 :
ギャラリ :2001/08/25(土) 14:10
押し方やつかみ方は人ぞれぞれ。また環境によってもそれぞれ。 ボールという単語で表象されるようものが 脳内にデータベースとしてあるのは確かだろうが、 それが本当に環境にあるリアルなボールと直結し固定された共通のものか? 学習する事による変化と同じように あるとしても常に環境からの入力によって変化しつづける流動的な表象ではないだろうか。
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/25(土) 15:06
>>471 皮膚感覚の表象、っていったいどんなもの?
結局君は「意識」のアナロジーとしてしか
考えられてないように思うけどなあ。
どっちにしても、明確に定義可能でない概念が
中心になってる説明ってのは冗長であるか、
間違っているか、冗長で間違っているかの
いずれかだよ。
474 :
164 :2001/08/25(土) 15:22
>>472 >常に環境からの入力によって変化しつづける流動的な表象ではないだろうか。
これはもちろんそうだよ。誰も脳内に形成された表象が固定されたものとは
言っていない。
>>473 皮膚感覚の表象を言葉にしろっていうのか? それは難しいぞ。
ただ、上で言った脳(運転手)によって身体(車)を操作(運転)する
場合において、身体の大きさ(車幅)もちゃんと把握されていること
だろう。たぶん、皮膚感覚は自分の身体の構造や形に関する表象を形成する
上で有用だろう、としか言えない。
>どっちにしても、明確に定義可能でない概念が
>中心になってる説明ってのは冗長であるか、
>間違っているか、冗長で間違っているかの
>いずれかだよ。
これに関し、たとえば進化は直線的に生じたものではなく、既存の構造を
利用する形で曲がりくねって進行したと考えられていることから、
けっして冗長な説明が誤っているとは言えないと私は思う。たとえば
目は身体の前方に位置しているのに対し、視覚皮質はなぜか脳の後方に
位置しているため、わざわざ長い神経線維で眼球と視覚皮質をつないで
いる。そして、そこでの情報が再度前方の前頭皮質に向かって長い
神経線維で送られている、という「冗長な」構造をとっている。しかし、
いくら冗長であってもそれが事実なんだから仕方がない。
475 :
164 :2001/08/25(土) 15:28
少なくとも脳はコンピュータのように人間の都合で形成されたものじゃ ない。だから、人間の観点からはいくら不合理に思えることがあったと しても、そういう不合理な処理が行われている可能性はあるのだ。 >どっちにしても、明確に定義可能でない概念が >中心になってる説明ってのは冗長であるか、 >間違っているか、冗長で間違っているかの >いずれかだよ。 これは、前にもでてきた、なんとかいう哲学者の言葉らしいが、 そんな考え方を鵜呑みにする方がおかしいぞ。
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/25(土) 17:27
>>475 定義できない概念で説明しても良い、というならそれはすでに科学の否定。
哲学者がどうの、信じるしんじないのの問題ではない。
それに、473は俺の言葉。俺がふつうに教育されたことを
当たり前に書いただけ。大学もう一度行きなおした方がいいかもよ?
>>476 どうもけんかを売ってるみたいね。こういう輩とは相手にしないことに
しているので、まともな返答は致しません。悪しからず。
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/25(土) 18:14
君は自分が理解できなくなると「煽り」だと思うんだな. 帰ってきて喜んでいたのに,前より物分かりが悪くなったようだ. 夏休みサボり過ぎたんじゃないのか?
479 :
164 :2001/08/25(土) 18:37
>>478 そんなことよりも、470、471、474、475に対してまともに応えて
くれよ。
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/25(土) 19:02
それらへの答えはすでに前の方で何度もしている. 君がずいぶん前の方で理解に躓いているから, 自分では別の質問だと思っているかもしれないが, 結局どれも根本的に同じ,それもすでに答えの出た質問を くり返すだけになっているのだ.前の方をもう一度読んでくれよ. だんだん「ギャラリー」の方がマトモになってきてるぞ. だって「ギャラリー」の多くは前の方の議論をちゃんと読んで, 自分なりに理解してくれてるからな.
なにをどうしたいのかわからんぞ164。 脳内の表象は環境に依存した流動的なものだと認めたのか? 表象がどういうもので、どういう状態だと、どうなるのだ。 くれくれ君はやめて、自分なりにアフォーダンス側の仮定をたててみろよ。
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/26(日) 01:50
164氏は,知覚というものを誤解しているように思う。
>>468 アフォーダンスが問題にしているのは,動物(人間を含む)が今ある環境の
性質をどのように知覚しているかということである。イメージについて議論
しているわけではない。イメージは表象だから,イメージするときに表象が
使われているのは,当たり前のこと。ギブソニアンだって,イメージ,記憶,
思考するときに表象が使われていることは否定しないだろう。
なぜ,今そこにあるボールや壁について行為するときに,長期記憶内に保持
されたボールや壁の表象に対して行為しなければならないのか,私には理解
できない。
483 :
164 :2001/08/26(日) 02:14
いや、私はまだアフォーダンスという考え方の有効性に疑問を持って いるので、アフォーダンス側の仮定なんて立てられるわけがないし、 なぜ表象を言い出したかというと、直接知覚という考え方に対する 疑問に端を発している。 ちょっともう一度、読み直してみるので時間をちょうだい。それまで この板が生きておればいいけど。
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/08/26(日) 03:16
このスレって読んでつまんない。 思いのたけを述べてるだけだもの。 事実との対応関係で語って欲しい。それができないなら議論は無意味。
アフォーダンスを否定したいだけで興味がなければ アフォーダンスのスレッドなんかに、これほど熱意をもって書き込まないと思うけどなあ。 簡単でもいいから疑問をもった考え方の側に立てなきゃ 学問どころかディベートにすらならんような。水をそそいでも抜けてゆく感じ。。。 私もアフォーダンスに興味ありまくりだけど、難しくて分からないのもあるが 164も書いているように環境側の項目に「人間の意思」や「悪意」があると 非常に理解しにくいように思う。というかそーいうものを排除して 基本的に「攻撃的でなく中立な環境」から目的や安全を知覚するのが前提なような。 ギブソンの本にも出てきた断崖とかじゃなくても、環境側の不利益にいたる危険なアフォーダンスを考えれば ほとんど全ての環境が危険をアフォードしていて、そいつを知覚すると鬱になりそ。 でも、オカモトタロウの作品『座れない椅子』は「座れない事をアフォード」はしないからなあ。 変な事書いてるの自覚してるが、うまく書けん。ううむ。
>>484 それは実際に実験研究を行っている研究者同士ならできるのかも知れないが
残念ながら私は今は実験研究者ではない。しかし、その代わりにとろろ芋の例から
始まって、足の間に杭が挟まったことによる錯覚、壁やボールを押したり持とうと
する例、ネコのくぐる例などの、私にとってアフォーダンスを攻撃していると
思われる例を挙げて、思考実験を行ってきたじゃないか。
>>485 私がアフォーダンスを否定する、というより疑問を呈することになる一番の
きっかけは、情報は環境の中にあるというより、脳がその情報を受け取って理解して
初めて意味のあるものになると私は主張している、という構図を理解してくれなくては
意味がない。
のうとかんきょうどちらのじょうほうがじゅうようか, たまごがさきかひよこがさきか.あなたはそういいたいのだね?
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/08/26 14:35
結局のところ,知覚や行為は動物と環境の相互作用の結果なのだから,どち らも必要なのだけど,そのどちらを重視して研究しているかということだと 思う。 ギブソニアンは,動物と環境は対等な立場ではなく,動物がいなくても環境 は存在するが,環境がなければ動物は存在し得ない,つまりそこには非対称 性が存在すると考えているので,環境の方を重視する。だから,ecological psychologyなわけですよ。
>>488 というより、基本に戻って、椅子が座ることをアフォードしており、
椅子の物理的状態は変化しないから生物がいなくても椅子は座ることを
アフォードし続けていると言うが、それは椅子に座れるような形態を
持った生物が見て初めて意味を持つんじゃないのか? と私は問うて
いる。結局、根本的に椅子が座ることをアフォードしているという
アフォーダンスの考え方自体に疑義を唱えているのである。
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/08/26 16:31
>>488 ,489
164は観念論で、ギブソニアンは実在論ということかな。それで互いに相容れ
ないわけだ。この話題は、哲学板でやったほうがよいかも。
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/08/26 16:56
アフォーダンスにおいて知覚>行為と進んで アフォードが完了したと認定するのは主体?客観?
>>490 バカ野郎(笑
どういう理解をしているんだ。
>>492 まあまあ そう言わずに…。
ロムってますから議論を続けてください。
>>490 =493?
少なくともあんまりがっかりするような感想は書かないでよね。
椅子というものが椅子としての役割を果たし得るのは、ヒトの膝から かかとまでの高さ±αの高さの平面を持った物体であるということで しかない。こういう物体に対してギブソニアンは座ることをアフォード しているという。 対して私は、それはヒトの膝からかかとまでの高さ±αの高さの平面を 持った物体でしかないのであって、それが座れることを知るのは脳の働きに よる、と言っているだけにすぎない。 結局、この点について延々と議論が重ねられてきたといっても差し支えない。
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/08/27 01:26 ID:c4.XwLxY
490はあながちはずしているともいえないと思うが。それはさておき,
>>495 > 持った物体でしかないのであって、それが座れることを知るのは脳の働きに
> よる、と言っているだけにすぎない
ギブソニアンは,座れかどうか知覚するのは脳の働きではない,とはいって
いないはず。地面からある高さの平面に座れることがアフォーダンスであっ
て,それは実際に知覚されるかどうか,つまり脳内の処理に関わりなく,平面
と座る人との関係で客観的に決まるってこと。
>>489 > アフォードし続けていると言うが、それは椅子に座れるような形態を
> 持った生物が見て初めて意味を持つんじゃないのか? と私は問うて
に対して,座る人の脳の働きにより,座ることが可能になっているわけでは
ないし,知覚することにより,座るという意味が生じているわけではないと
考える。
そのアフォーダンスを知覚(pick up)するには,脳が重要な役割を果たし
ていることはギブソニアンも当然認めるだろう。
497 :
164 :01/08/27 05:51 ID:5KAZ/biM
>そのアフォーダンスを知覚(pick up)するには,脳が重要な役割を果たし >ていることはギブソニアンも当然認めるだろう。 やっぱり違うんだよ。ギブソニアンは外界にアフォーダンスがあるというが、 私はそんなものはないと言っている。外界にあるのはある高さの平面だけ。座ると いうアフォーダンスは外界にあるのではなく、脳がそういう意味づけをするんだと 言っている。アフォーダンスをpick-upするのではなく、感覚情報に基づいて脳が そういう意味づけをするんだと言っている。
498 :
164 :01/08/27 05:53 ID:5KAZ/biM
497で、「そういう意味づけ」とは、「ある高さの平面は座れる」という 意味づけを脳がしていると言っている。
499 :
164 :01/08/27 06:00 ID:5KAZ/biM
逆に聞きたいが、たぶんアフォーダンスの方が新しい考え方なん だろう? だったら、497で書いた私の考え方ではどうしても説明 できず、アフォーダンスというものを考えないと説明できないという 事象を例を挙げて説明してよ。 このスレにいるギブソニアンは確かにアフォーダンスの説明はして きたが、現実に即してアフォーダンスの考え方でないと説明できない 現象を述べていない。それを聞きたい。
500 :
164 :01/08/27 06:03 ID:5KAZ/biM
君たちはギブソンの考え方を理解し、ギブソンの考え方を説明すること だけに躍起になって、自分ではものを考えようとしていないと感じるのだ。 そんなことでは、場合によってはギブソンを超えた新しい考え方を 自ら考え出すことはできないんじゃないか?
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/08/27 06:44 ID:PruISpuE
阿呆ダンス、阿呆ざんす。
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/08/27 06:53 ID:3FzWRglE
脳がそういう「意味付け」をするのはなぜ?
それは生得的なもの?だとしたらそれは何が原因で
そう進化してきた?
あるいは学習されるもの?だとしたらそれは何が原因で
学習された? まえに至近要因と究極要因ていう
ごく基本的なお話、したよね。
その時には君も理解できたような気がしたんだが。
たしかに、特定の考え方に固着するのは良くない。
でも、固着しないためにも、まずはその考え方が
理解できる必要がある。
ギブソンを超えた考え方を生み出すには、
まずはギブソンを理解できなくちゃならないだろう?
二次方程式解けないやつが数学で新発見するか?
君が唯脳論に固着するのも、じつは唯脳論そのものを
きちんと理解していないからだ。唯脳論をきちんと
理解していれば、
>>490 がわりと良いとこ突いているのもわかるはず。
君は自分が理解できないものを
躍起になって否定しようとしているだけだ。
前に紹介した「エコロジカルマインド」は
読んでくれたのかな?
503 :
164 :01/08/27 07:01 ID:5KAZ/biM
>>502 ダメだよ。煽るばかりじゃ。
499でお願いしたこと、何か例を挙げて説明してくれない?
504 :
164 :01/08/27 07:02 ID:5KAZ/biM
書名とか人の名前、考え方の名前を挙げるだけじゃダメだ。 自分の言葉で説明してよ。
505 :
164 :01/08/27 07:05 ID:5KAZ/biM
言っておくが、私はミミズの例では全く納得していないよ。
506 :
164 :01/08/27 07:14 ID:5KAZ/biM
考え方を理解し共感するんじゃダメなんだ。科学であるからには、 それを使わないと説明できない事象の例を挙げてもらわないとね。
507 :
164 :01/08/27 07:20 ID:5KAZ/biM
本に書いてある例を挙げるんじゃないぞ。自分でその例を考えるんだ。 私がそうしてきたように。
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/08/27 08:54 ID:3pbnqV7Y
本にいくらでも書いてあることを,本も読まずに 自分で考えるなんて時間の無駄でしょ.そんなことしてたら 19世紀科学の段階まで辿り着くのに何十年もかかる, いや,一生考えてもそこまで行き着けないでしょ. なんのために本というものがあるのか,研究者がなんのために 本を読んだり,先行研究を調べたりするのか,考えてごらんよ. しばらく2ちゃんは休んで,とりあえず「エコロジカルマインド」 読んでみなよ.脳のことや君がこだわっているような問題についても 実に分かりやすく書いてあるからさ.
509 :
164 :01/08/27 09:08 ID:VjNtsK/s
>>508 悪いがその本を読む時間がないんだ。だから、2ちゃんねるで君の言葉で
分かりやすく、アフォーダンスという概念を使用しないとどうしても
説明できない例を教えてほしいんだよ。
510 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/08/27 09:28 ID:3pbnqV7Y
本を読む時間がないような人間は最初から学問に興味を持つな. 本を読む時間がない,あるいは時間をとることもしないような人間に アフォーダンスを理解する必要なんかないよ. 本を読む時間がない,なんて平気で言える人間と議論してたかと思うと ほんとにがっかりだよ.
511 :
↑ :01/08/27 10:06 ID:1EjG8lck
だったらBBSで発言するなよ。
512 :
164 :01/08/27 10:24 ID:CVaNNDdY
>>510 肝心の議論がさっぱり進まないじゃないか。なんでそんなに自分の
言葉で説明するのを嫌がるんだい?
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/08/27 10:42 ID:zUlLCpnU
>>498 164のいう「意味付ける」という行為は,おそらく言語をもった
観察者しか出来ないし,それは,当然,脳がしているだろう。
しかし,それは行為者の行っていることと同じであるという保証
はない。
アフォーダンスでいうところの「行為における意味」とは,そう
いうものではなく,496で述べたように,「ある高さの平面に座れ
る」ということ。これは,平面の高さと行為者の脚の長さの関係
によって決定されるわけで,行為者の意図や知覚(脳内の過程)
によって可能になるものではない。目をつぶっていても(知覚よ
らずとも),高い椅子は座れないし,低い椅子には座れる。当然
のことだと思えるが。
私は,アフォーダンスは当たり前のことを言っているだけ,別に新
しい考えとは思わない。なぜ,流行っている(?)のか不思議だ。
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/08/27 12:18 ID:3pbnqV7Y
>>512 単にめんどくさいだけだろ。
あなただって分数のできない中学生に
分数をテキストも参考書も使わずに
教えろ、っていわれたら面倒でしょ?
515 :
164 :01/08/27 13:10 ID:CVaNNDdY
>164のいう「意味付ける」という行為は,おそらく言語をもった >観察者しか出来ないし, 言うまでもなく、ネコが間隙をくぐり抜ける際にも行っていると 考えているのだが? >しかし,それは行為者の行っていることと同じであるという保証 >はない。 「今現在の脳科学の技術レベルでは」という限定付きで同意。 よく地平線と平行に出っ張り(奥行きはせいぜい2-3cm)のある壁が あるよね? この出っ張りの高さがちょうど膝の高さに一致していたと しよう。目の見えない人はこわごわその壁に近寄って、その出っ張りを 発見したとする。そしてその出っ張りが自分の後部に来るようにしたと する。目の見えないその人は?座れないよね? 座ろうと思ったら出っ張りの 上の壁に尻がつっかえて座れないはずだ。この時初めてその人は、その 出っ張りが椅子ではなく壁だったことに気づく。つまりその出っ張りは その目の見えない人にとっては座れることをアフォードしていると思ったのと 違うのかい? つまりアフォーダンスは最初からあるんじゃない。その物体を 見るか触れるかして、その物体に関する情報を得て初めて、その意味づけが (意味づけという言葉が誤解を招くのなら、ここでは座れるかどうかということが) 理解できるんじゃないのか? まぁそれはともかく、「エコロジカル・マインド」を買ってきたよ。 ざっと目を通した感じではそんなに目新しい内容はないように思える。 私も一応、波の認知心理学講座や認知科学講座は読んでいるからね。 ただ、まえがきの冒頭から少し笑ってしまった。黒い面に黒い鳥が降り立ち、 白い面に白い鳥が降り立つというくだりだ。これは単に、白い鳥は白い色を 好むということを示しているだけじゃないのか? それを、環境の中で出会う さまざまな事物に応じて、自らの行動を巧みにコントロールしていると 言えるほどの現象かね?
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/08/27 13:45 ID:3pbnqV7Y
お,本を読んだね.すばらしい.それでこそ164だ. だから,結果と原因を混同するなって. 目で見るにしろ,触って見るにしろ, そこでアフォーダンスが「発見」されるのはなぜ? その物体がそのアフォーダンスを支える物理的性質を 持っているからでしょ? もちろん,脳が働かなければ「発見」されないだろうけど, そのアフォーダンス自体(物理的性質自体)は その人が見る,あるいは触る前からあるし, その人が見ようが見まいが,触ろうが触るまいが同じだろう? 後半については,「好む」という言葉が,そこで起きている 事象を「記述」しているだけで「説明」していないことに注意. それが説明だったら,以下のようなものも説明になる. ・浮いている物体が地表に落ちるのは,物体が地表を好いているからだ. ・パンゲアがいくつかの大陸に分かれたのは,お互いに嫌っていたからだ. ・私がけさの授業をサボったのは,その授業が嫌いだからだ. 前者二つは明らかに「バカバカ」しいが,最後のは「説明である」と 感じているとしたら,やっぱりメンタリズムに毒されている. 「嫌い」という概念は,私が授業をサボったことと再帰的な関係にあって, 実際には何の説明にもなっていない. 白い鳥が白い色を好む,という記述は「白い鳥が白い面に降り立つ」と 同じことを述べているだけで,理由の説明にはならない. なぜ白い面に降り立つのか,という有意味な説明を行うためには, 白い面と白い鳥との相互作用を具体的に論じなければならない. わかる?
517 :
164 :01/08/27 14:51 ID:CVaNNDdY
白い鳥が白い色を好むということに関し、もちろん進化の歴史において、 なぜかその種がより白い色を好むという性質を身につけた、だから交配も より白い鳥同士で行われることになり、ますます白くなった。ところが 白い色を好むという性質のために白い面にも降り立つようになったが、 それが擬態になるのはたまたま偶然であって、そこに自らを見えにくく しようなどという鳥の意図や、ましてや知性がが働いているわけではない。 ということを言いたかったんだけどね。 とりあえず序章を読んだが、やはり直接知覚、これに一番引っかかる。 28ページにある記述は、頭の中(脳)=プラニメーター本体、と考えれば なにも直接知覚を想定しなくてもすむことではないか? もちろん腕も 複雑なシステムだが、腕としての感覚器官から情報を取得し、腕をコント ロールするのはやはり脳ではないか?
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/08/27 14:56 ID:oOZKv6vs
>それが擬態になるのはたまたま偶然であって、そこに自らを見えにくく >しようなどという鳥の意図や、ましてや知性がが働いているわけではない。 まさにアフォーダンス。
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/08/27 16:41 ID:ezP81JZs
>>517 手元に本がないのでわからないが、脳(を含む身体)=プラニメータ本体と
考えるのが、直接知覚の考えだと思うのだが。
間接知覚というのは、物差しで計って、計算により出すということではない
のかな。
520 :
164 :01/09/03 12:30 ID:/rFpvc42
掲示板が完全復旧したようなので、存在証明も兼ねて書き込んでおきます。 「エコロジカル・マインド」は今半分ほど読みました。アフォーダンスを 「環境と脳の一体化」と言うとよく分かると思うようになりました。ただ、逆に 私が求めているものとは違う、ということも分かってきました。 脳は環境の情報におおいに依存している。結局、アフォーダンスは脳または身体と 環境との相互作用を介した情報処理の形態を記述している。しかし、ではその情報 処理を行わしめているのは何か? あるいは処理のためのプログラムをRUNさせる のはなにか? 「意志」というとたぶん語弊があるので「自発性」と言い換えるが、 これが神経系の本来の性質ではないか? アフォーダンスもさまざまな反射と同様に、 ヒエラルキー最上位の脳(神経節でもいいんだが)が身体を自発的に駆動するために 利用している、というのが真の姿なのでは?
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/03 17:43 ID:QWcFf.B.
本読んでるのはとてもいいことだね. ここであーだこーだいってるよりずっと時間が節約できたでしょう. で,君のいう「意志」だとか「自発性」だとか, すなわち「目的」についての議論は形而上学だ. そういう風に言うこともできるし,言わないこともできる. そして,言っても言わなくても説明できる範囲は 何も変わらない.そういう「趣味」の範囲の議論は ここでしてもしかたないよ. なんのために,なんて言わなくても生物はすべて生きているし, アフォーダンスはちゃんと機能している. たとえば進化に目的をうんぬんするのは間違い(あるいは冗長) だってことは君も良く知っているだろうに,どうして 人間を話題にするとみんなそう言うものを欲しがるのかな. その「心性」のほうに興味があるよ俺は.
522 :
164 :01/09/03 23:38 ID:Xw8sTxnI
ちょっと、なんで「意志」や「自発性」が形而上学なのか、目的論なのか、私には 分からない。それに、これは人間に限ったことじゃない。むしろ、生物学の問題とも 思える。 私には君は問題の所在に気がついていないと思えるのだが。 ただし、この件についてはもう少し時間をくださいね。今すぐにはまとめられないので。
脳を頂点とする自発性や『真の姿』に協賛を得たいのなら哲学か宗教へ。 アフォーダンスは心理学という枠の内のさらにひとつの考え方にすぎません。
524 :
164 :01/09/03 23:46 ID:Xw8sTxnI
>>523 いや、ほんとに心理学を「心の科学」だと思うのであれば、なぜ、
動物は自分で行動を開始するのか考えてほしい。私はここで決して哲学や
宗教の話をしたいと考えているわけではない。
525 :
164 :01/09/04 00:00 ID:h7z3aSU2
526 :
164 :01/09/04 00:24 ID:h7z3aSU2
525であげた文章をお読みいただけただろうか? internal turningはあくまで手がかりにすぎないんだが、確かに 動物にはさまざまな「固い」反射弓が備わっているが、結局それは 最上位中枢が外来刺激情報からその反射弓の動作に関する内的感覚 情報まで含めてそれらの情報を利用しているだけで、行動自体は脳が 決めているんだと思うんだよ。これはアフォーダンスという情報に 関しても当てはまる。
527 :
164 :01/09/04 00:38 ID:h7z3aSU2
おわかりと思うが、脳(または最上位中枢)は単に刺激-行動の間に 介在して行動を変容(midify)させるだけじゃない。視運動反射に 反して雌を追いかけるように、反射とは完全に逆の行動を行わせているよね。
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/04 07:28 ID:C9Xm63c.
>>524 なぜ動物は自分で行動を開始するのか
行動を開始しなければ,環境のアフォーダンスを発見することが
できない,つまり環境に適応することができないからさ.
そして,自発される(開始される)行動はそれ事体では無意味.
それが環境からなんらかの結果を与えられ,選択されていくことで
はじめて行動に意味が生じる.
進化の過程で,行動を自発する個体の方が,そうでない個体よりも
環境への適応に有利であった.また,個体のレベルでも
そうしたオペラント行動が量的質的に豊富な個体の方がそうでない
個体よりもよりよく環境に適応する.これが「なぜ」への答え.
こういう風に(まあ広い意味で進化論的に)考えれば,
生物の側,あるいは個体の側の意志や目的を仮定する必要はないし,
あなたが意志や目的が「感じられる」という事実にこだわるなら
それらが行動の原因ではなく,適応や行動に随伴して起きる心的現象と
考える立場も心理学や哲学では大きな勢力だ.また,なぜ行動に
随伴して意識が生じるようになったか,という問題についても
生物学で(とくに進化生物学系で)いくつか議論があるよね.
どんどん勉強して下さい.面白いから.
学問を楽しむためには,簡単に納得しないことも大切だから,
あなたにはまだまだ探すべき宝の山があるよ.うらやましいな.
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/04 07:31 ID:C9Xm63c.
>>525 のリンク先が論じているのは結局「行動の多様性」の
問題だと思う.それを意志と呼ぶか,ランダムな変異と呼ぶかは
哲学の問題.前にも書いたけど,心理学は結局「創造性」と
「デタラメ」を区別できなかった.これは「創造性」が行為者の中にではなく,
観察者の側で構成される概念だからだ.多様性を意志や目的から
説明するかどうかも,行為者(行為個体)の側の問題と言うよりも,
観察者側の概念構成の問題だろう.
530 :
164 :01/09/04 07:40 ID:4T78INJQ
>>528 ,529
ダメだ。やっぱり君は私の言いたいことを全く理解していないね。
なんか、アフォーダンスに凝り固まっているみたいだ。君の方こそ
もっと広い視野をもってくれよ。
行動を開始しなければ,環境のアフォーダンスを発見することが
できないだって? 主客混同も甚だしい。
「行動の多様性」の問題でもない。
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/04 07:44 ID:BbLR9JxQ
>>526 脳が決めている,というのは別に間違いではないよ.
しかし,その脳の働きを決めているのは環境の構造と,
それと相互作用する身体全体.ほんとに「決めている」のは何?
これは何度も出てきた近接要因と究極要因という問題.
>>527 それは「そういう行動が適応的であるから」で,適応的であるかどうかは
環境の構造によって決まる.環境が反射をコントロールすることも
できることは,反射と対立する行動が限定的にとはいえ条件づけによって
学習可能であることでよくわかる.たとえば
野球のキャッチャーがボールが目の前まできても目を開けていることを
訓練で身につけるとかね.生物が反射と対立する行動をすることと,
それが意志や目的によるとか,脳が決めているとか言うこととは全然問題が別.
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/04 07:47 ID:BbLR9JxQ
>>530 けさ私の言っていることはアフォーダンスとは特に関係ないよ.
たとえば進化生物学の学部向けのテキストや,動物行動学や生態学の
テキストにも,基本的に同じことが書いてあるだろう.
君は本当に生物学の勉強をしたの?
まあ生物学の研究者でも分子生物とか遺伝関係をやっていると進化系,生態系には
しろうと以下の知識しかないことも多いけどね.
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/04 07:49 ID:BbLR9JxQ
自分の言っていることが理解されない原因の可能性 1.自分の話は理路整然としているが相手にそれを理解する力がない 2.自分の話が論理的に混乱していて,相手が理解しようがない. 1だけでなく2の可能性も考慮しよう.思っていることをきちんと 文章で伝えることは,訓練されていないと意外に難しいものだ.
534 :
164 :01/09/04 07:50 ID:4T78INJQ
>君は本当に生物学の勉強をしたの? なんでそういう人をバカにした言い方をするかなぁ。 テキストの問題じゃない。今はテキストには未だ書かれていない 問題を論じているつもりなんだがね。
535 :
164 :01/09/04 07:52 ID:4T78INJQ
テキストに書かれていることを理解するだけでは研究じゃないだろう? 未だ気づかれていない問題があると言っているんだよ。
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/04 07:55 ID:zPf511oc
すでに教科書に書かれていることで十分理解できることを, 教科書に書かれていることを知らない人がいくら論じても しかたないだろう? もちろんテキストを理解することは研究じゃない. でも,テキストも理解していない人が研究を云々するのは それ以前の問題だろう.もちろん君がテキストを理解していないと 言っているわけではない.君が一生懸命主張することが, 教科書にも書いてあるようなこれこれのことで解決済みじゃないの? という疑問を呈しているだけだ. では仕事に行くのでまた.
537 :
164 :01/09/04 07:57 ID:4T78INJQ
本に書かれていることを説明するだけなら誰だってできる。君の やっているのはそれだけなんだよ。自分ではモノを考えていないんだ。
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/04 08:04 ID:b9WidEBk
そりゃあ自分で考えることは大事だけど,すでに解明されたことまで
自分で考える,あるいは先行研究によって解明ずみのことを
一から自分で考えるなんて無駄でしょう.まだわかっていないことについては
自分で考えるしかないけど,もうわかっていることについて自分だけ
わかってないわかってないと言って考え続けることに何の意味があるの?
それは君が言うような考える姿勢とかの問題ではなくて,単に「必要な
知識に欠けている」というだけのことなんじゃないの?
すでに分かっていることは理解した上で,そこから先に行くのが研究でしょう.
いまの時代に「じつは私は地球が丸いことを自分で考えて解明した」と
主張して,なにか意味があるの?
ところで,
>>525 のリンク先に書かれていることは,少なくとも
この場所でのあなたの主張よりは,アフォーダンスの考え方に
圧倒的に近いと思うんだけど,どう?
539 :
164 :01/09/04 08:06 ID:4T78INJQ
仮に君がここで書き込んでいるのは無知蒙昧な連中を指導するためで あって、自分自身の考えを披露する場ではないと考えているのなら それまでだけどね・・・
540 :
164 :01/09/04 08:08 ID:4T78INJQ
ほんとに解明ずみと思うのかね? まだまだ一から疑う価値のある ことがいっぱいあると思うよ。
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/04 08:27 ID:eARv78MQ
>>540 禿同.脳が行動を決めているとか,大脳生理学が心理学を滅ぼすとか,
遺伝子がすべて解読されれば人間の行動はすべてわかるようになるとか
そういう「理系的ファンタジー」はすべて一から疑う必要があるね.
アフォーダンスの考え方はそういう「一般人の常識的には何となく
正しそうに見える」嘘を疑うための重要なツールだよ.
542 :
164 :01/09/04 08:43 ID:4T78INJQ
うーん、条件付けという概念がひどい悪弊をもたらしているという気がするね。 もちろんその現象があるのは了解するし、進化の過程を通して環境と脳が一体と なって機能しているというのは分かる。しかし、なぜか生物個体の主体性という 見方が全く欠落しているような気がするんだ。オペラントにしても、動物がまず その行動を起こすことの原因についてはなぜ考えようとしないんだろう。適応とか、 アフォーダンスを発見するとかはその後で起こることだよ? 525に書いてあるinternal turningという現象はきわめておもしろい一面を 見せてくれていると思うんだが、それが見えないのかねぇ。 話は変わるが、以前、ある認知心理の先生とお話ししたことがあるが、日本人 研究者は海外の学者の理論にはすぐに迎合するのに、同じ日本人の理論は決して 受け入れようとしないと言って嘆いておられたよ。医学や生物ではあまり顕著で ないんだが、心理学は基礎・臨床を問わずその傾向が強いね。
543 :
164 :01/09/04 08:50 ID:4T78INJQ
>>541 君は私に同意しているように見せかけながら、実際は全く逆のことを
書いているんだね(笑)
私はアフォーダンスもやっぱり脳が利用している情報のひとつにすぎないと
思うのだよね。
544 :
だからどうだというのだ :01/09/04 09:05 ID:4YyYv09Q
>>543 >>私はアフォーダンスもやっぱり脳が利用している情報のひとつにすぎないと
>>思うのだよね。
私は、マイクロソフトウィンドウズもやっぱりシリコン・チップが利用している情報のひとつに
すぎないと思うのだよね。
545 :
164 :01/09/04 09:07 ID:4T78INJQ
>>544 あ、私の書き方はそういう意味になるといいたいわけ?
>>542 スレを活発にする164はエライとは思うが
ここは164意見に迎合するスレッドなのか?(藁
>アフォーダンスもやっぱり脳が利用している情報のひとつ
だとしたらアフォーダンスがどうなると言いたいの?ここはアフォーダンスのスレだよ。
前のほうにも書いてあったけど、
164はサッカーを野球にみたてて新しい解説!と言いつのり
サッカー(アフォーダンス)のスレで
アフォーダンスについても心理学の問題についても何も語っていない。
自分の立場と対比して「疑問に答えろ」と挑発してるだけ。
アフォーダンスを唯脳論に帰結することが新しいとも有効とも
自分の頭で考えてるとも思えないのだが。
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/04 22:33 ID:llcy27jM
いちばん重要なのは,164が考えているようなことは,新しくもなんともない, 人間がおそらく何万年,何千年も前から感じてきた「素朴な生命観」が ちょっとばかり新しい言葉の衣装を着ているだけだと言うことだ。 唯脳論や大脳生理学万能論も,基本的には18世紀の哲学者が考えていた 知性観,人間観が帰ってきただけのもの。生体の(というかはっきり 人間の,と言った方がいいのだろうけど)「主体性」とか,目的とか, そういった概念自体が「観察者側で構成されている」ということを 理解できるかどうかが20世紀の(21世紀の,じゃないよ)の科学の レベルに達しているかどうかの試金石ではないかな。
548 :
164 :01/09/04 22:48 ID:J8xbVtDw
>>546 いや、私はアフォーダンスを理解したいと思うし、それと同時に
アフォーダンスだけでは説明できないと私が思うことを挙げることに
より、「心の科学」としての心理学をより深く追究したいと考えて
いるんだよ。アフォーダンスの概念自体が既存の心理学概念の多くを
再編成し直していると言うならなおさらだろう。あるいはアフォーダンスを
テコにして、認知というものをより深く理解したいと考えているんだよ。
>>547 525で挙げたinternal turningの現象をもう一度考察してみてよ。
何度も言うが新しいものが常に正しいんじゃない。新しい装いをまとい
ながらも、それでは説明できない事象を、故意の如何を問わず巧妙に
覆い隠している場合だってあるさ。テキスト、教科書というものが
そもそもそうじゃないか。
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/05 01:01 ID:MnQedGYQ
アフォーダンス論と行動主義における刺激―反応との違いは,アフォーダン スは行動の原因ではないので,刺激のように反応を引き起こすことはない。 アフォーダンスは環境が動物に与える行為の機会であり,その機会を利用す るか否かは,動物側の問題である。刺激―反応のように対応していれば,そ れで話は済むのだが,アフォーダンスは刺激ではないので,そこには,動物 の意図や主体性が関わってくる。E.リードは,intentionとは,あるアフォー ダンスが選択されるところにあると考えているし,E.J.ギブソンはagencyを 心理学が解明すべき行動の第一の特徴として挙げている。しかしながら,ギ ブソニアンは問題を提起するだけで,それに対する解答は与えていないよう に思えるのだが。
550 :
164 :01/09/05 02:06 ID:a9oensdk
私は一応このスレでは164で通しているが、他の人はいったい
どのカキコとどのカキコが同じ人物なのか、また人によって考え方が
どう違うのかが分からないのですごく戸惑っているのだが・・・
>>549 私も前段はよく分かる。E.リードの考えも分かるような気がする。
そのE.J.ギブソンのいうagencyとは何なのか、分かりやすく簡明に
説明してもらえないだろうか。その単語だけでは意味が広すぎるんだよ。
このE.J.ギブソンがJ.J.ギブソンその人ではないことは分かっている。
医学文献でたまに脳内のexecutive system(どうも前頭葉に存在すると
考えられている模様)という言葉が出てくるが、これがagencyと同じ
ような意味なのかな?
551 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/05 06:44 ID:UD25oh4I
>>549 正確には,意図や主体性と「呼ばれる」ものも関わってくる,と言うべきだろうね。
「意図がアフォーダンスを選択する」のではなくて「アフォーダンスが選択
されるところに意図がある」のだから(似ているようで全然違う)。
エリノア・ギブソンはギブソンの奥さん。一般的には視覚的断崖の研究で有名。
552 :
164 :01/09/05 09:01 ID:a9oensdk
>正確には,意図や主体性と「呼ばれる」ものも関わってくる,と言うべきだろうね。 >「意図がアフォーダンスを選択する」のではなくて「アフォーダンスが選択 >されるところに意図がある」のだから(似ているようで全然違う)。 こういうことを言ってると、他の自然科学者からは嫌われるだろうね。 意図や主体性ではないというなら、それはいったいなになのか? 意図とアフォーダンスの言い回しのところは原文の英語ではどうなって いるのだろう?
553 :
164 :01/09/05 09:26 ID:a9oensdk
The intention selects one of the affordances in the world. ではなく、 There is intention when one of the affordances in the world is selected. だと言いたいのだろうか? 前者のintentionは生体自身がもつものだと想定できるが、 後者のintentionは誰のもの? 生物自身じゃないとすると、環境が intentionをもつわけ?
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/05 11:37 ID:1STNmrIo
>>552 原文では次のように言っています。
Intention is a phenomenon that only emerges when a complex organism
finds itself in a complex environment. Roughly speaking, intention
can emerge (but may not) whenever there is a real possibility of
choice among affordances.
Reed (1993) The Intention to Use a Specific Affordance
In R. H. Woziak & K. W. Fischer (Eds.), Development in context. Earlbaum.
555 :
164 :01/09/05 12:31 ID:a9oensdk
>>554 分かりました。しかし、その文章はintentionは複雑な有機体が
複雑な環境の中で自らを発見するときに現れる現象だとは言って
いますが、intentionそのものについては何も語っていないですね。
これを心理学者のみなさんはどう考えるのか知りませんが、私は
有機体(生物自身)がintentionをもつのは自明だから、あえて
明記されていないものと考えますが如何でしょう?
数あるアフォーダンスの中に選択の可能性(余地)がある時に常に
intenstionが現れる。誰のintentionかというと、当然、生物自身の
ですよね?
556 :
164 :01/09/05 12:37 ID:a9oensdk
もう一方のvisual cliffのE.J.Gibsonのいうagencyについても 原文を挙げて説明していただけませんか?
すぐに唯脳論に帰結しようとせずに 話を展開させてる今度の164はいいZO。
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/05 18:38 ID:nh62P7Zw
>>554 サンキュー!
>>555 だったら前の話に戻るけど,ダーウィンが縷々記述しているように
複雑な環境に置かれたミミズは複雑な行動をする。
ギブソン妻の言い方を借りればこのミミズには意図があることになる。
ミミズにはわれわれが持っているような脳や,中枢神経系はない。
ミミズの意図はどこに生じているのだろう?
有機体が意図を持つことは自明? どこがどう自明?
自明であるのは,人間が自分の行動を意図と言う概念で説明すること,
その説明装置を自分以外の他者や,人間以外の動物に対しても
援用する,ということだけだ。解釈や概念を超えたなんらかの実体
としての「意図」が生物の内部に存在するということは自明でもないし,
いまのところ客観的に実証されたことすらない。
意図とか,目的とか言った概念自体,自然科学には馴染まない。
人間の個人的解釈という,自然科学が必死で排除してきたものが
ないところには,意図や目的は存在しないからだ。
こういう問題は分析哲学や科学哲学の問題。
164はアフォーダンスや心理学と対立する以前に,
自分のやっている生物学や,自分の心のふるさとである
自然科学という枠組みとも対立した主張をしてしまっていることに注意。
164の主張と,「モノが下に落ちるのは,地面が好きだからだ」という
説明にどのような本質的差異があるか?
559 :
164 :01/09/05 19:54 ID:9qXvkQqE
>>558 君はあまり相手の人格まで攻撃するようなカキコはやめた方がいいよ。
私は確かここでも、神経細胞は自発的に発火する傾向があり、それが
動物個体の自発性の原因ではないかということを言った覚えがあるの
だが、覚えてる? いうまでもなく、それがひいては個体の主体性や
意図の原因だと考えているんだけど。
私はミミズも詳しくはないのだが、ミミズにはたしかに「中枢」神経系
というものはないようだが、体節ごとに適応的な神経回路≒反射弓の
ような感覚機能と運動機能の両方を備えた神経系をもっていると思う。
で、私はアフォーダンスはともかく、ミミズもまず放っておいても身体を
グニャグニャ動かして運動できるのは、この神経系の自発的な活動に
依っているのではないかと考えているんだよ。これを「意図」とか
「主体性」と呼ぶかどうかは各人の趣味だろうけど。ただし、言って
おくが以上のことは私のオリジナルな考えだ。
自明といったのは、あのReedの文章はintentionの原因については何も
語っていない。それはなぜかというと、彼?(彼女かも)にはintentionが
生物にあるのは自明と考えているんじゃないかと私が考えただけだよ。
誤解しないでもらいたい。
科学哲学だって変化している。君が挙げた直接原因と究極原因の区別だって、
私が学生だった頃は究極原因を問うことはタブー視されていたくらいなんだ。
それが、生態学の方からその「哲学」を見直す動きが出始めているんだと
私は思う。で、君の好きな究極原因は目的論的な説明じゃなかったのかね?
頼むからもう一度、525で挙げた蚕という昆虫のinternal turningの説明を
よく読んで考えてくれよ。
560 :
164 :01/09/05 20:07 ID:9qXvkQqE
>>558 あ、そうだ。ギブソン妻のいうagencyについて君が説明してくれない?
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/06 06:37 ID:N.cHOWoQ
「究極原因の説明」と「目的論」は「全く関係ない」よ。 たとえば生物の進化における直近原因は遺伝システム,究極原因は自然淘汰だけど, 自然淘汰が目的性や意図性を「絶対に持たないこと」は進化論理解の 基礎の基礎だよね? 君も知っている生態学からの「見直し」とアフォーダンス論は完全に連続している。 だからギブソニアンを「生態心理学」と呼ぶんだよ。 生物学が「生物のリアルな姿」を離れて遺伝学,生理学に「堕落」していたのを 生態学が批判し,見直しを求めたのと同じように 生物の行動についての学(心理学)も「行動のリアルな機構(生体と環境の相互作用)」を 離れて脳科学,生物の内的過程の学に「堕落」していることを生態心理学が批判し, 見直しを求めているわけね。
562 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/06 07:00 ID:bQo0SAwQ
たとえば君は君の専門分野の,それも最新の高度な問題について, 生物学の基礎の基礎も知らない中学生が「オリジナルな考え」を 披露したとして,それを真面目に聞くか? 少なくとも学問の中で「オリジナルな考え」として評価されるのは, その分野,その問題についてこれまでどのような研究や考察が展開されてきて, 何が解明され,何が解明されずに残っているのかを理解した上で, まだ誰も言っていないこと,誰もとりあげていない問題に 言及した時だろう。すでに誰かが考え,考察したことを勉強もしないで 「俺はこう考える,これがわからない」というのはふつうは オリジナルな考えと言うよりも「素人考え」と呼ぶだろう。
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/06 07:01 ID:bQo0SAwQ
君がミミズについて
>>559 で言っていることは,それこそ
「オペラント行動の自発は意図に基づいている」という主張だけど,
オペラント行動が意味を持つ(どういう結果になり,その生体にとって
どういう機能を持つか)は環境から与えられる結果(なんらかの
アフォーダンスの発見)によって決まるのだ。つまり,オペラント行動が
自発した時点では「その行動をするとどうなるのか,自分になにが
もたらされるのか」は生体の側にはわからない。ふつう意図と言うのは
「これをやったらこうなるという予測のもとに行動すること」を
指すと思うのだが,オペラント行動の自発や,ミミズのグニャグニャが
それにあてはまる必要はないし,じっさい多くの場合はあてはまらない。
「意図」とか「目的」とかいった概念が「解釈」に過ぎず,
内的な実体とは対応していないこと,科学的説明の道具としては
用いられないことは50年も前に解明され尽くしているし,
そのことについて最近でも違った見解は出ていない。
これは「各人の趣味」とかいう問題ではないし,
このへんはウイトゲンシュタイン(入門書でいいから)などの
考察についてもちょっと知っておいて欲しい。
懐かしい「心はどこにある」スレなどでもいまはなき伍長氏などが
わかりやすく説明してくれていたけど。
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/06 07:06 ID:zCS14Hk6
E.J. Gibsonの原文が見つからないので,「現代思想(1997/11)」に載った 翻訳を挙げます。 能動性(agency)(コントロールする自己) ... 赤ちゃんには自発的に行為する能力があり,自分の行為の結果を観察する能 力があり,そしてそれに続く行為を選択する能力もある程度はあります。 ... 自己と,外部世界における変化との両方についてのインターモーダルな情報 がこのように結びついていることを乳児は知覚しており,またそれによって, 自己が因果関係を引き起こす能動的主体(causal agent)であるという知識 が問題なくえられることになります。 Gibson, E. J. Has psychology a future? Psychological Science, 5, 69-76, 1994.
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/06 07:20 ID:eYQZFaCE
で,
>>554 のリードの主張の意味は,
「意図intention」と呼ばれるものが「生じる」のは,(環境の側に)選択されるべき
複数のアフォーダンスがあって,アフォーダンスの選択が行われる時だ。
その意味で「意図の存在」自体が環境の側の選択肢の存在に依存している,ということ。
逆にいえば,環境の側に選択肢が用意されていない時には「意図」は存在しない。
以下は君が気にする「意図そのもの」についての私の「オリジナルな」説明。
このとき,意図は生体の側にあるのでも,環境の側にあるのでもなく
「複数のアフォーダンスが存在して,その中からどれかが選択される」という現象を観察し,
解釈する(意味付ける)人がそれを意図という言葉で「描写する」。
その「人」は行為者自身であってもよいから,行為者は自分がアフォーダンスを
選択する時に「自分には意図がある(意図によってアフォーダンスを選択する)」と感じ,
そう述べるわけだが,そのことと「実際に」意図というものがアフォーダンスの選択に
先行して存在するとか,意図がアフォーダンスの選択を決定するとか言うこととは「別」である。
意図とか志向性とか自発性とかいった言葉の「本質」は,それが「どのような
出来事を記述し,解釈するために用いられるか」(用法)だけであって,
そういう言葉があり,そのように用いられることと,そのときに生体(人間)の
内部に実際に意図や志向性が「実在する」とか,意図や志向性が「行動を
決定している」こととは「無関係」である,というのが分析哲学以来の
「素朴概念についての分析」の基本的な考え方だね。
566 :
565 :01/09/06 07:25 ID:.MN8GHXY
ごめんごめん,
>>564 をあいだに挟み込んじゃった。
>>564 でもわかるように,ギブソン妻はギブソン夫よりも最近のギブソニアンに
近い考え方を示していることが多いね。ギブソン自身はメンタルな概念を
こんなに「自由に」用いることはしなかった,あるいはそれに抵抗があったと思う。
そういう意味で佐々木さんなどの
日本のギブソニアンの「教祖」はギブソン本人よりエリノア・ギブソンで
あるような気もするね。
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/06 08:33 ID:zCS14Hk6
ReedがDawinのミミズの実験に関して述べているのは,ミミズは自分の皮膚 を暖かく湿った状態に保つために(in oder to keep their skins warm and moist)穴ふさぎをしているのではなく,結果としてそういう可能性が高く なるように(in a way that results in a greater probability of their skin staying warm and moist)行為している,ということである。 つまり,ミミズは原因―結果,手段―目的関係を理解しているのではなく, ある行動へと導く選択能力を持っているだけである。ReeeやShawは後者の この能力のことを意図と呼んでいる。Kuglerは,前者をintending,後者を intentionalと呼び,分けている。 おそらく,一般に意図というときは,intendingを指し,手段―目的関係を 理解した上で意識を伴った状態を指していると思われるので,ギブソニア ンの意図の定義(intentional)自体が混乱の原因かもしれない。しかし, intendingの基礎にintentionalな状態が存在するとすれば,ギブソニアン の主張もあながちはずしているとはいえないだろう。 ちなみにKuglerのいうintentional systemは,Dennettのいうものと異なる。 565の考え方はDennetのいうintentional stanceに近いのではないかな?
568 :
164 :01/09/06 16:43 ID:1PZfyY6Q
>>561 ,562,563,565,566
これはみな同じ人物だろうが、君は偏っている。しかも、566では564のE.J.Gibsonの
文章と自分の考え方に齟齬を来していることに気が付いてすらいない。
564のE.J.Gibsonの引用に感謝するが、私はまさに、
>能動性(agency)(コントロールする自己)
>赤ちゃんには自発的に行為する能力があり,自分の行為の結果を観察する能
>力があり,そしてそれに続く行為を選択する能力もある程度はあります。
の中の「赤ちゃんには自発的に行為する能力があり,」、このことを言っている。
これは、間違いなくアフォーダンスを発見するよりも「前に」、生物個体がもって
いる性質なのだ。
567とも絡むが、実は私自身は「意図」という言葉を使いたくなかった。だから
なんとか、自分の考えを伝えるために「自発性」とか「主体性」という言葉を用いて
きた。
567の言う
>つまり,ミミズは原因―結果,手段―目的関係を理解しているのではなく,
>ある行動へと導く選択能力を持っているだけである。
この前段は明らかだが、後段は意味不明だ。「ある行動」というのはミミズ自身が
示す行動だろう? それを、その行動へと導く選択能力を持っているというのは、
「自発性」という言葉を使いたくないために無理やりひねり出した言い方としか
思われない。素直に、まずミミズは自ら動く能力を持っていると言えばよいでは
ないか。それを私は「自発性」と呼んでいるのだ。もちろん「能動性」も同じ意味だ
と考える。
569 :
164 :01/09/06 16:56 ID:1PZfyY6Q
心理学の諸君は誰それがどう言った、ということをよく覚えているね。 感心するよ。 しかし、生物学者としての私は、生物の行動や、脳がどのように 機能しているかを知りたいのであって、誰それがどう言ったと いうことには関心がないのだ。
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/06 17:05 ID:ggZtEm9k
「生物学者」さんは過去の生物学的研究を無視しても良いわけだ。 そんなことは100年前に誰それが同じことを言ってるよって 言われない世界なんだ。いいね。
571 :
164 :01/09/06 17:33 ID:1PZfyY6Q
>>570 誰それが言うんじゃない。言うのではなく、実験事実として示されて
いるから、同じ研究をしなくてすんでるの。君、厨房君、分かる?
ただし、ダーウィンの場合は多少事情が違うんだな。たしかに
ダーウィンは化石という間接的な証拠や局所的な適応現象の観察に
基づいて進化論を唱えたけれども、進化そのものを観察した人は
誰もいない(正確には、進化は時間がかかる現象なのに対し、人間の
寿命はそんなに長くないからなんだけど)。
しかし、この100年間に進化とは無関係の領域からさまざまな知見が
集められてきたが、まだダーウィンの進化論を根底から覆すような
知見はいまだ得られていない、という状況なんだよ。だから、受け入れ
られている。
自然科学は誰それの言説で進歩するんじゃない。常に実験や観察を
通した客観的な証拠で進歩するんだよ。
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/06 17:46 ID:Y7ttra3g
自然科学には多くの仮説があること、 相対性理論のように理論が先で、 後から実験によって追認されるものがあること、 同じ観察事実からも異なる意見があることを 存じないらしい。この「生物学者」さんは。 さぞかし日夜立派な論文をお書きになっている ことなのであろう。(藁
573 :
ヨコヤリくん :01/09/06 17:53 ID:CuykjkMI
>相対性理論のように理論が先で、 後から実験によって追認される 実験事実から必然的に導かれたんですよ。 愛んしゅたいんがいなくても、特殊相対論はあの頃提唱されていたはず。
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/06 18:29 ID:1p6W25AY
>>571 生物がどうかは分からないが、少なくとも、脳科学は実験や観察だけによって
進んでいるとは思えない。現在の脳科学は、外野から見ると、心理学から借り
た仮説構成体(例えば,表象など)を使って、認知現象を説明しようとして
いるように見える。
575 :
164 :01/09/06 18:40 ID:iNMHiw2E
>>574 それはたぶん、君も含めてわれわれは解説書のたぐいを読み過ぎている
からだと思う。
論文には実験方法と結果が記載されているものだが、その結果の解釈で
仮説構成体が用いられる傾向があるのだろう。だから本当はわれわれは
解釈を読むのではなく、論文の実験方法と結果からその解釈が正しいか
どうかを判断すべきなんだよ。
その意味で、525で挙げたinternal turningと呼ばれる実験結果、
観察された現象はどう解釈できるかを自分で考えてほしい。
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/06 19:06 ID:G9Mj.CLY
生物学者の164は心理板に来てなにしてるの。学びたいの?煽りたいの? >誰それがどう言ったということには関心がないのだ。 こういうのを定義として、荒らしとか煽りっていうんじゃないのか。
577 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/06 19:18 ID:UubyadKE
>>576 ちがうんだ。頭悪いんだ。読解力ないんだ。許してやれ。
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/06 19:55 ID:Wr51V5.U
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/06 19:57 ID:Wr51V5.U
>>575 で,意図とか自発性とかいったこと(これも明らかに仮説的構成体だけど)の
存在は,どのように実験的方法と実験の結果によって確認されるのか?
ほんとに知りたいから教えてよ。それができるなら心理学だって
大手をふって平和で自由(勝手?)なメンタリズムの時代に戻れるんだからさ。
580 :
164 :01/09/06 20:02 ID:iNMHiw2E
君ら、荒らすなよ。今まで一応ここではアフォーダンスについて まじめに論じてきたはずなんだよ。 それに、進化の観察にしても、まだまだ広く受け入れられていない 現象もあるのは分かっている。しかし、それらが今後どう解釈される ことになるかは未知だ。そういう例外を挙げて足を引っぱらないでくれる?
581 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/06 20:03 ID:LzFPMyqM
>>576 , 577
別に164氏の肩を持つわけではないが、そういう書き込みは止めてくれ。
>>568 俺はギブソニアンではないが、567氏の説明の、intending,intentionalの
区別はすんなり受け入れられたのだが、何がそんなに引っかかった?
あと、164氏に聞きたいのだが、164氏の考える「意図」ってのがない行動は
存在する?それともしない?
582 :
164 :01/09/06 20:04 ID:iNMHiw2E
>>579 それは手がかりとして、525で挙げた文章を読め、とさんざん
言っているじゃないか。いい加減にしてくれよ。
583 :
164 :01/09/06 20:09 ID:iNMHiw2E
>>581 君も分からない人だね。
E.J.Gibsonの「赤ちゃんには自発的に行為する能力があり,」という能力に
「意図」は関係ないだろう? あえて、この現象を記述するとしたら「自発性」
とくらいしか言いようがないと言っているんだよ。
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/06 20:35
混乱した。
そうすると、563氏のいう「オペラント行動の自発」と「164氏の考える」赤ちゃん
の「自発的」行動の違いは何?
164氏の考えは、
>>568 >567とも絡むが、実は私自身は「意図」という言葉を使いたくなかった。だから
>なんとか、自分の考えを伝えるために「自発性」とか「主体性」という言葉を用いて
>きた。
つまり「自発性」=「意図」じゃないの?
ここはたしかに心理学板なのだが、私は昔から臨床心理はいざ知らず、 「心の科学」としての基礎心理学(知覚心理や認知心理などね)は生物学の 一分野だと考えている。 そこには、本来の生物学者がまだ気づいていない現象が多く見いだされている ので、それを生物学の対象として研究する価値が私はあると考えているんだよ。
>>584 >563氏のいう「オペラント行動の自発」と「164氏の考える」
>赤ちゃんの「自発的」行動
僕は同じものだと思う。
>つまり「自発性」=「意図」じゃないの?
違う。なにも生物個体に目的などがなくても、生物は自ら行動を
始める。このことを「自発性」と言っている。スレを少し戻って
読み直してほしいのだが、「意図」という言葉を使い出したのは
僕の方じゃない。
585に補足すると、逆に、心理学の方は行動主義心理学という、 私からみれば誤った伝統に冒されており、そのために目の 見えなくなった心理学者もいる。それを異分野を専門とする もの同士が語り合うことによって誤りを矯正し、新しい流れを 吹き込むことによって、より深い理解にたどり着ければと考えて いるんだよ。
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/06 21:25
心理学について勝手に定義するくせはやめたほうがいいぞ。 かなりナニサマ?な感じ。164は良い煽りの部類なのかもしれんがな。 bye!
私がここまで書き込まなかったら、私の、そしてこのスレを読んで くれた人のアフォーダンスに対する理解は深まらなかっただろう。 なぁなぁの馴れ合いでは第三者はその内容を知ることができない。 むしろ、疑問点や議論を投げかけてこそ理解が深まるのだ。 私は最初、唯脳論者として議論を挑み、途中からは軌道修正して アフォーダンスでは説明できないと思われる現象を挙げて問いつめて きた。決して成功したとは言えないがね。そして、今はアフォーダンス 論が視野に入れていないのではないかと思われる「自発性」に論点を 移しているのだ。私が投げかけた議論を通して、J.J.ギブソンとE.J. ギブソンは夫妻でありながら微妙に見解が違っていることもその過程で 見えてきたのだ。
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 00:19
↑ 見えてきたんじゃなくて,あなたが一方的に教えてもらったんだろうが(藁。 「行動が自発する」ということと「行為主体の自発性」とは 全く別の問題だ。たとえばオペラント条件づけの理論は オペラント行動の自発が大前提だけど,その自発自体は 「ランダム」で,あなたがイメージしているような 「意図的な自発性」は想定する必要もない。 その点では,アフォーダンス理論も同じ。 自発的であるとかないとか,意図があるとかないとか, これはすべて観察と解釈の問題で,その行動が生起する しくみとは「独立」。で,そういう区別は 少なくとも20世紀の科学を理解している人間にとっては常識。 アフォーダンス理論は自発性を視野に入れていないのではなくて, 自発性などという「疑似問題」にすでにとらわれなくて よくなっていたレベルの行動の科学から出発しているから, そんなことにはたいして時間や字数を割かないだけ。
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 00:21
そのうち「現代心理学は霊魂の問題を視野に入れていないから俺が指摘する」とか 言い出すんじゃないの? 最低限レベルの科学者(自然科学,人文科学を問わず)の 常識から見て,164の述べていることはそれとほとんど変わらないよ。
>>590 君は何度言っても分からないんだね。意図と自発性は違うものだと
言ってるでしょうが。
じゃ、君の言う20世紀の科学ってなに? そんなものあるの?
では「自発性」はどうして出てくるのか、それを説明してよ。
私はそれを問うているんだよ。私には「観察と解釈の問題」として
逃げているか、問題の所在に気がついていないとしか思えないね。
>>563 >いまはなき伍長氏
勝手に殺さないでほしかったりする。
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 00:44
「〜は常識だ。」は、禁句!!!!
>>593 ほぉお、あなたが有名な伍長様ですか。では、自発性はどうして
出てくるのか、説明してもらえませんか? 590の言う「観察と
解釈の問題」とはどういう意味なんでしょうか?
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 00:54
オペラントの自発でわかるように,生物の行動に自発性(刺激に誘発されないで 行動が生じること)は実在する。しかしそれには何の目的も,意図もない。 ランダム,つまり偶然だ。その点では自発性は偶然と同義だ。 それが偶然でなくなる,あるいはなんらかの意味や目的を持つようになるには, それに対して環境の側から「結果」が与えられることが必要だ。 自発性がどうして出てくるのかについては以前説明した。 あえてくり返せば,行動を自発しなければ環境からの結果を得ることができない, つまり,環境に適応した行動を増加させる(環境に適応する)ためには, 行動をランダムに自発し,環境からの結果を引き出すことで 適応的な行動を選択する必要があるからだ。行動をランダムに自発し,環境に よる選択を受けた(環境のアフォーダンスについての情報を手に入れた)個体は そうでない個体よりも生存,あるいは繁殖において有利であったので その子孫(その性質を受け継いだ個体)が増加した。それで生物は 行動を自発する。 しかし,164的感性から言えば,ランダムであるようなものを自発性とは 言わないんではないかな? だから164的には自発性=意図なんだろうと 考えたけど,違うの? >>伍長氏 失礼しました。お久しぶり。
私が想像するに、たぶんこのスレにいらっしゃるその他大勢の 心理の人と、私とその他大勢の自然科学者との根本的な違いは、 1.脳は刺激-反応の間にあって、刺激と反応との関係をモジュレートしている とみるか、 2.脳は刺激や反応の上位にあって、それをドライブしている(ただし ミミズなどの中枢神経系をもたない生物はその限りではない。おそらく 系統生物学的に中枢神経系の役割が次第に重みを増してきている) とみるかの違いにあると思う。 当然、私は2の立場。 と思うのですが、どうでしょう?
>>596 >あえてくり返せば,行動を自発しなければ環境からの結果を得ることができない,
>つまり,環境に適応した行動を増加させる(環境に適応する)ためには,
>行動をランダムに自発し,環境からの結果を引き出すことで
>適応的な行動を選択する必要があるからだ。行動をランダムに自発し,環境に
>よる選択を受けた(環境のアフォーダンスについての情報を手に入れた)個体は
>そうでない個体よりも生存,あるいは繁殖において有利であったので
>その子孫(その性質を受け継いだ個体)が増加した。それで生物は
>行動を自発する。
私はこれでは自発性の説明にはなっていないと何度も言っている。適応とか、
アフォーダンスの発見よりも自発的な行動の方が「先に」生じるものだと
言っている。だから596では自発性を説明したことにはならない。
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 01:03
20世紀の科学ってものをごくごく簡単に言えば, 我々の目に見えていること,素朴な感性がそうであろうと感じていることと 現実に起こっていることとは「別の問題である」ということを 前提に考える科学,ってことだろうね。 心理学で言えば,知覚心理学も,行動主義も,アフォーダンスも そういう点で共通した性質を持っているし,そうした思考は 分析哲学によって裏打ちされている。最近人文科学全体を 席巻し,かつ「自然科学の危機」の一方の立て役者であるところの 社会構成主義も,同じことを基盤にしている。 そういう点ではウイトゲンシュタイン以降の(あるいは彼を無視できない)科学が 20世紀の科学と言う風にも言えるかもね。 164ワールドはウイトゲンシュタイン的問題意識は全く無視,あるいは まだその段階に達していないわけで。でもこうしたある種の不感症は 認知心理学や認知主義にもよく見られることだから,164だけがとくに ひどいと言う話でもないけどね。
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 01:06
>>598 では,自発性が「先に生じる」ことの証拠は何かな?
あなたがそう感じる,とかいうことではなく,
客観的,具体的な実例を挙げてみて下さい。
それを吟味すればよいでしょう。
>>596 一歩引いて、自発的に運動することは進化の過程で有利であったことは
認めよう。しかし、それでは「自発的な行動が出てくる原因」を
説明したことにはならない。君は究極原因が好きなようだが、私はここでは
直接原因を問うている。
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 01:08
私は確信したけど,おそらく164は生物の進化も「生物の側の意図」によって 生じていると考えているだろう。あるいは「進化には目的がある」とね。 もしそうでないと,164は進化にたいしてと,個体の行動の構造にたいしてとで, 矛盾した思考をしていることになる。
603のようなバカは無視ね。
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 01:12
>>525 のリンク先をいくら読んでも,私には164の思考との関連性を見出せない。
リンク先ははっきりと「20世紀的科学」スタイルの思考をしているし,
むしろ(特に後半は)アフォーダンス論に非常に近い話が展開されている。
164もそのリンク先をもう一度よく読んでみて欲しい。君の言ってるようなことは
書いてないよ?
ほんとに疲れるよ。くだらない奴が多くてさ
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 01:13
で,164は「進化には目的や意図はない」ということに同意するの? 603がどうして「バカ」ということになるの?
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 01:15
>>589 みたいのを「投影」というんだよね。精神分析もたまに役に立つ。
なにかわからん。なにか分からないが、私と君たちを隔てている 大きな壁があるようだ。・・・
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 01:16
君と世界とのあいだに大きな壁があるのだと思う。
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 01:18
今日も楽しかったよ。どうもありがとう
>>164 ではおやすみ。
なぜか、君たちと話していると、こちらがこれ以上話をするのが 馬鹿馬鹿しくなってくるんだよね(笑 心理学は今はなぜか臨床心理で隆盛しているようだが、理解されにくい と思われ、敬遠されているのはなぜか、考えたことありませんか?
悪いけど、私は心理学に対する印象がすごく悪くなったよ。 たぶん、これと同じことをいろんな人にしてきたんだろう。 で、結局君たちは自然科学者から煙たがらがれて一生理解されないまま、 終わるんじゃないのか?
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 01:28
だから、君の言ってることは自然科学から見てもおかしいんだって。 嘘だと思ったらここでしているような「自発性」の議論を生物板あたりで やってみな。あるいは大学で習った先生のところに行ってこの話をしてみな。
やっぱり、こんな場でまじめに論じられると思ったのは幻想に すぎなかったのか。
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 01:31
自分が理解できない,あるいは自分の意見が受け入れられないとなったら 議論自体を否定するのではガキだよ。 このスレの心理学者たちは最近の心理学板では信じられないくらい 真剣に,かつ根気強く議論を続けていると思うけどな。 たとえば上の「進化と目的」に関する議論のどこが「不真面目」なの?
生物板では無理だよ。自然科学からみておかしいと言うが、では君は 自然科学をどの程度知っているのだね? 教科書に書かれているもの だけが自然科学じゃないんだぜ。いまだ学会からは理解されず、 排斥されても研究を続けている研究室というのもごまんとあるのだ。 そんな彼らの研究まで知っているというのかね?
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 01:34
>>613 学問の現場では普通こういうものだよ。研究者や学問に本格的に接したことがないのかな?
修士くらいは出ている人だと勝手に思い込んでいたが。
>>616 中にはいい加減な奴もいっぱいいるだろう。君らはみな、ハンドルを
明記していないから区別できないんじゃないか。
>>618 なぜ、そういって一言一言、人を揶揄した言い方をするのかね?
世間では嫌われるよ?(笑
621 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 01:37
この話題が生物板では無理だと言うなら,この問題は心理学の問題なのだよ。 そして,心理学やその周辺領域ではこの問題についての研究や思索が それこそ百年以上に渡って積み重ねられていて,心理学者はそれらを前提に 議論をしている。そうした積み重ねを知らない君に,この議論が理解できないのは当然だ。 「君は心理学をどの程度知っているのだね?」ということだ。
ああ、疲れた。ま、また気を取り直してやり直すさ。時間ちょうだいね。
いや、生物板は微小な世界に住んでいる分子遺伝の奴らばかりなんだ。 盛り上がらないことは前から分かっている。
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 01:41
>>620 それは君が「揶揄する愉しみ」をアフォードしているからさ。
君がいなければ,君が「164ワールド」のお話を続けなければ,
揶揄と言う行動は生じない。それとも君の存在や議論とは
関係なく,揶揄する側に「揶揄する自発性」があるというの?
これは「実際の構造」よりも「帰属理論」の問題だね。
そういうことを説明する心理学もちゃんとあるのよ。
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 01:43
分子遺伝の奴らが著しくつまらないという点では全く禿同。 初めて意見が一致したね(藁。
>>621 じゃ、たかだか20-30年しか生きていない君たちは、過去100年間に
論じられてきた問題をすべて理解した上でやっているのかね?
そんなことはないだろう? そうやって、部外者を排斥する姿勢が
間違っていることになぜ気がつかないんだ?
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 01:57
>>624 それってあなたが使った論法じゃありませんか?
「君たちはどの程度自然科学を理解しているのか?」
という発言をされませんでしたか?
あなたの論理に従えばあなたもまた自然科学が部外者を排除する姿勢を持っているという意味になりますが。
まあ多レスでお疲れのことと思いますが、行き当たりばったりでレスしたりしてしまうとどうしてもボロが出てしまい
ますので、ゆっくり熟考されて量より質なレスをされた方が賢明かと思われます。
>>621 積み重ねを知らないと言うが、では君たちはその積み重ねを理解する
のにどれくらいの時間がかかったというのだね? 5年か?10年か?
せいぜいそれくらいの短い時間であるにも関わらず、部外者(心理学を
専攻していないもの)というだけで同じように積み重ねを理解するのは
未来永劫にできないといえるのかね? そんなことはないだろう?
627は読みが浅いね、残念ながら。
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 02:05
ときどきあなた(164)の目的が何なのだか分からなくなるときがあります。
>>595 (164氏)
2chをたまに覗いてもタイトルをざっと見てすぐに移動していたし、このスレはいつも下の方にあるらしく、
気が付きませんでした。いつの間にかこんなにレス番号が付いているとはね。
で、「自発性」ですが、まず164さんがどう考えているのか分かるレス番号をいくつか指摘してくれませんか?
もしも「オペラントの自発」のことなら、
>>596 (マル氏? お久しぶりです)を読んだ限りでは、まあこれが一般的で穏当な行動分析的見解だとは思いますが、
私個人は、「オペラントの起源」というものに想いを巡らしたことがあり、必ずしも100%は納得できない。つまり、まさに貴方の
>>598 に近い想いは持っています。
単純素朴に考えて、「何が“ランダム且つ偶然にも”そうさせたのか?」ってことでしょう?
それは多分、生体内部にあると考えた方が自然だと。
(もっとも、それが「自発性」かというと???ですが)。
すいません。最近の50レスならざっと目を通しはしたんですが、熟読しないと分からない。
こういう内容の濃い議論はリアルタイムじゃないとなかなか付いていけないものがある。
面白いので再読してみますが、熟読しているヒマがあるかなあ?
毎回気を付けて見ておけば良かった。
>>525 のリンク先も今見てみましたが、これまでの議論がよく分かってないので、どう関連があるのかよく分からない。
だいたい私にはアフォーダンス自体がいまだによく分からんし。
ただ、私はマル氏と思われる書き込みの内容には、理解できる範囲では概して同意です。
164さんの書き込みも非常に勉強になりますが、失礼ながら、時々おかしなこと(というよりも、他の鋭い書き込みに比べると不自然なメンタリズム)を言っておられるように感じてしまいます。
そういうおつもりは無いのでしょうが。
「意図」や「目的」などの日常語(=心的用語)が頻繁に登場するので、何やらまた言語問題を解消しないまま、混乱に陥っているような気がしないでもなく・・・
私も仕事をほっぽり出して、まぁ・・・
>>631 私は596は自発性の説明にはなっていないと考えているわけですが、
>単純素朴に考えて、「何が“ランダム且つ偶然にも”そうさせたのか?」ってことでしょう?
ランダムかつ偶然にも・・・この言い回しを用いる意図が私には理解できませんが、
じゃ、仮に刺激のまったく一様な空間(があればの話ですが)にラットを放せば、
そのラットは死ぬまでじっとしているでしょうかね? その、なぜじっとしないのか?
が私の問いかけです。刺激の一様な空間内を行動できる、これは597の1の考え方では
説明できないのではありませんか? 対して、私は脳が行動をドライブしている、
と考えているわけです。この考え方が行動主義とは根本的に違うはず。
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 02:35
>そのラットは死ぬまでじっとしているでしょうかね? その、なぜじっとしないのか? この部分は憶測でしかありませんから、当然じっとするという仮定のもとでの仮説も対等に扱う必要があるかと思われます。 ですが少なくとも心理学の知見の一つである「感覚遮断」という状況下において、被験者は自分から刺激を生成しようとする 結果が報告されていますから、そういう意味で「じっとしていない」という仮説を幾分か支持できると思います。 が、やはりあまり特殊な状況を仮想して、それを論拠にするのはどうかとも思われます。
>>632 (164氏)
「ランダム且つ偶然にも」という表現は、
>>596 氏の表現を受けてのもので、他意はありません。
>なぜじっとしないのか?が私の問いかけです。
この事例ではすでに何らかの環境条件に置かれるわけだから、置かれた時点で環境に変化が生じますよね。
ですから、感覚遮断の実験と同様、ここでは良い例とは思えませんが、貴方のおっしゃりたいことは分かるつもりです。
つまり、やはりオペラントの起源の問題ですよね。
オペラント条件づけはあくまでも「結果による淘汰」ですから、先行刺激が全く存在しない場合にも、とりあえずオペラントが自発されることがなければ、条件づけは成立しない。
ではなぜ「とりあえずオペラントが自発される」のか?
おそらく脳内で何らかの発火現象が(いわば)「勝手に」生じるから、ラットは何かをするのだと。
このときのラットは、「環境側の先行条件とは無関係に」、言い換えれば「自発的に」(あるいは「ランダム且つ偶然に」)何かをしたことにならないかと。
まずはこういうことでしょうか?
(議論の蒸し返しの可能性が高そうですが、一応確認させて下さい)。
>>633 たしかにおっしゃることはよく分かる。
そこでこの際、
>>525 で挙げたinternal turningを挙げましょう。ハエの頭を
180度回転して固定すると、ハエの身体を「少し動かす」と後は自分で回転を続ける。
これは脳が視運動反射のずれを補正しようとして活動するからだと説明されて
いますよね。これは風景が右から左に流れるとハエも同じ方向に移動しようとする、
視運動反射の発現なわけですね。簡単に言うとハエ叩きで右からハエを追うと、ハエは
左に逃げるということです。そういう固い反射がハエの行動を支配している。ところが
そのハエが右に雌ハエがいるので右に回ろうとすると、風景は当然、右から左に流れる。とすると
視運動反射からハエは左に回ってしまうはず。なのに難なく右に回って雌にたどり
着けるのは明らかに視運動反射に反した運動だ。これがなぜできるのか?
というのが問いかけです。反射が行動させているのではなく、脳が行動を
ドライブしていると考えれば説明できる、というのが私の考え方。この考え方を
敷衍すると、自発性から、(あまり明言したくないのだが)意図も説明できる。
>>634 まさにそういうことです。私が559で述べていることです。
>>635 の
>反射が行動させているのではなく、脳が行動を
>ドライブしていると考えれば説明できる、というのが私の考え方。
は、
刺激に対する反応としての反射が行動させているのではなく、脳が
行動をドライブしていると考えれば説明できる、というのが私の考え方。
に訂正しておきます。
>>636 (164氏)
そういうことであるならば、
(1)そのような脳内の発火現象が「勝手に」生じる(事実かどうかはともかく、私もこれに近いことは考えたことがあります)のは、進化の過程でそのような種が淘汰されたからだ、ではいけないのでしょうか?
(2)「オペラントが自発される」という術語用法にも問題はなさそうですよね? オペラントは「刺激に対する反射反応」ではありませんから。
(3)なぜ、「脳内の勝手な発火現象」が、人の「自発性」「意図」「主体性」etc.の原因なのだ(
>>559 ,
>>635 )ということが言えるのでしょうか?
(3)の質問には、「脳内の勝手な発火現象」が事実かどうかということではなく、「自発性」「意図」などの語の貴方の用法を知りたいという意味もあります。
寝ます。また明晩(多分)。
つまり、行動主義心理学は「刺激に対する反応としての反射」と 「自発的な行動」との区別ができていない。だから私に言わせると 生体の主体性を無視した刺激反応理論というむちゃくちゃな理論が 立てられた。そして、これが一時、心理学を席巻したものだから、 この悪弊が今も心理学に影を落としている。 環境と脳が一体であることを見いだしたアフォーダンスはたしかに すぐれた概念だと思うが、いまだ残る行動主義の残滓は取り除かれ なければならない。
>>638 (1)それでは説明になっていないと感じます。それに、私は自発的な
発火現象が、脳ではなく神経細胞の性質だと考えている。淘汰どころの
話じゃない、おそらく太古の昔、生物が動物と植物に分かれるとき、
神経細胞のような性質を細胞が獲得した時、その生物が動物になった、
と考えています。ゾウリムシは単細胞の動物だが、たしかその細胞は
神経細胞と同じような電気的活動を行う。
言い換えれば、自発性の起源はこれくらい古いものだ、と言いたい。
(3)「自発性」自体にはたいした意味はありません。ただ、勝手に
始めることができる、くらいの意味です。「意図」まで説明できるよう
になるのは遠い道のりでしょうが。
>>639 区別は「とりあえず」ついていますよ。後者が「オペラント」じゃないですか。
ただし、ミクロなレベルでは昔から議論されています。
スキナー派だけじゃないです。たぶん生理学者の中にもいるはずです。
しかも、貴方の考える方向とは逆に、区別は無いのではないかと考える人もいます。
スキナー派はむしろ区別する人が大半です。
(が、厳密に言うと、必ずしもそうでない人もいます。大御所のCataniaもそんな感じだったような。でもこれは、貴方が言っているようなレベルの話ではないのです)。
それと、「生体の主体性」って何でしょうか?
日常用法としての「主体性」のことなら、無視なんてしていませんが。
>>640 なるほど、そういうことなら前段(1)は概して同意できますが、
同時に、貴方は、「オペラントの自発」という事実と、
「生体の自発性」という問題とを単純に重ね合わせておられるように思えます。
後段(3)を見ると尚更そう思えます。
(2)についてはよろしいのでしょうか?
「自発」という語の日常用法は、「オペラントの自発」と言うときの「自発」とは違います。
同時に、「自発性」≒「勝手に始めることができる」は、まあ日常用法に近いでしょうが、
これでは素朴すぎます。
「勝手に始めることができる」とはどういうことでしょうか?
大した意味はありません、などとおっしゃらないでください。
こういうのが昔から哲学者を悩ませ続けている大問題なわけです。
上記
>>639 ,
>>641 の「主体性」も同様です。
これが大問題だということを知り、貴方も悩む必要があると思われます。
悩んでくれないことには、おそらく議論はなかなか噛み合いませんよ。
(もっとも、心理学者の中にもこういう問題を悩まない人が「かなり」多かったりする)。
そういう意味もあり、(3)について少々説明を希望します。
今度こそ寝ます。夜が明けてもうた・・・
では伍長さんの方から、「オペラントの自発」と「生体の自発性」の
違いを解説していただけませんか?(私は同じだと考えているわけですが)
ただ、予感として、「オペラントの自発」と「生体の自発性」が違う
ものだとおっしゃるところをみると、「オペラントの自発」の方に
問題があり、それが
>>639 、
>>641 のやり取りに関連してくる。いくら、
オペラントが自発的と言っても、スキナリアンは私の言う意味で自発的とは
言っていないのだろう。なんとなれば、しょせんスキナリアンにとっては
オペラント条件付けも刺激への条件づけにすぎない、と考えているからだ。
私の考えでは、オペラント条件づけは出てきた当時は目新しく見えたかも
知れないが、考え方は古典的条件づけと同じだ。いずれにしても生体の
主体性を考慮していないという欠陥がある、のではないか。
いずれにしても、私の方はスキナーワールドは受け入れられません。
オペラントという言葉は早晩死滅するとみています。言っちゃ悪いですけど
スキナーが言い出した言葉にみんな翻弄されているだけじゃないのですか?
「主体性」の方も説明していただけませんか?
そうだ。スキナリアンで思い出しましたが、私はラットがさまざまな やり方でレバーを押すのをみています。これらのやり方をスキナリアンは 反応クラスと呼ぶそうですが、では、ネズミはなぜ同じ反応クラスに 属する行動を選べるのでしょうか? 私は以前、このことに関し、ネズミは同じ反応クラスに属する行動は 同じ効果(レバーを押す→餌が出る)を持つことを、それまでのレバー 押しの経験を通じて「理解」しているからできるんだ、と言いました。 私は今でもこの説明のどこがおかしいと言われるのか分からない。
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 06:41
自発性,意図,主体性について意見が分かれるのは分かるんだけど,なぜ, それがアフォーダンス論の否定につながるのかが分からない。164はアフ ォーダンスの発見よりも自発的な行動の方が「先に」生じるものだと主張 しているが,それは,ギブソニアンが言ってることと同じではないか。 ギブソニアンは,刺激に対する反応ではなく,調整(regulation)という 言葉を使う。それは,常に能動的に活動している有機体が環境と出会って 有機体の活動を修正することである。その活動の調整に使われる情報がア フォーダンスである。 確かに,今の認知心理学は,S→RをS→O→Rに拡張し,OはS-Rをmodulate している考えている節があるが,生態心理学は,Oの能動的な活動が初め にあり,環境の情報(アフォーダンス)を使って,その活動を調整してい ると考えている。
それともう一つ気に入らないのは、なぜ同じ日常語に対して、 日常用法と行動分析用法?などという区別を立てるのでしょう? これが行動分析をきわめて胡散臭く感じさせる一因にもなっている と思うのです。なぜ、まるで部外者を閉め出すようなことをするの でしょう? なぜそんな特殊な、一般に通用しない概念を付与しようと するのでしょう?
>>645 なるほど。だとすると、それは行動分析に偏ったギブソニアンの
マル氏の偏った説明に起因している。
>>645 ちょっと待てよ。では、有機体が能動的に活動する原因はなに?
これについてアフォーダンス論はなにか言っていますか?
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 07:06
>>646 いったいなにいってるんだ?
じゃあ生物学のタームは全部日常用語と同じ意味で用いられているか?
用語を明確に定義することをしなければ科学的分析はできない。
しかし日常用語の大半は明確な定義を持たない。だから科学に用いられる
用語は,同じ言葉であっても,それの日常用法よりは狭い定義を
与えられるし,その結果日常用語と違った意味を持つことはよくある。
その区別を理解でき,厳密な定義に基づいて議論できるものだけが
その問題についての科学者であり,それができないのは素人だ。
たとえば「重さ」ではなくて「質量」とか「慣性重量」などという
日常用語ではない用語を使う物理学ってのは胡散臭いのか?
「重さ」という現象についてより精密な定義をした結果,このような
日常用語ではない用語が生じるんだろう?
あるいは同じ用語の日常的ではない用法が生じるんだろう。
たとえば「進化」という言葉も,日常用法では「よい方向に進む」という
意味を持つが,進化生物学ではそうした価値的含意はいっさい持たせていない。
これも客観的に解明された事実に基づいて「用語の科学的厳密性」を追求した結果だが,
だからといって一般人が「進化」を価値的に使うことを規制するなんてことはできない。
だから「進化」という言葉の日常用法と進化生物学的用法は違う,という
ことになる。164ワールドではこれも「部外者を閉め出す胡散臭い営み」ということになるな
どうも164は科学というものの基本的な仕組みもわかっていないようだ。
理系学部の学部教育が科学の仕組みについて明示的に教えないことの弊害だな。
>>649 分かった分かった(笑
646は取り下げよう。
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 07:47
「能動的な活動」かー 164に言わせれば、ブラウン運動やネズミ花火の運動も能動的な活動になるんじゃない?
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 07:47
>>647 おいおい,俺はギブソニアンなんかじゃないぞ。
心理学者なら誰でも持っているレベルの知識で解説しているだけだ。
少なくとも論理実証主義以降の科学観では,科学であるものと
科学でないものとを分けるのものは,もちいるタームが厳密に
(論理実証主義では「操作的に」)定義できるか否か,なんだ。
で,その厳密性があがればあがる程,科学におけるその用語の
用法と,それの日常用法とのあいだには乖離が生じることが多い。
そこで厳密な定義に基づいてその言葉が使える人が
「その問題についての」科学者,そうでない人は素人,という
ことになる。そういう意味では行動分析に限らず,科学あるいは
科学を標榜する思考体系というものはそれ自体「部外者を閉め出すもの」
なんだろうね。
だから,164が本気で自発性について述べたいなら,まずそのタームを
「客観的に観察できるものを基準に」定義する必要がある。
話が噛み合わないのは君がそれをしないで周辺をうろうろしているから。
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 07:48
「科学的手続きとはなにか」みたいな話は自然科学者は苦手。 最初から科学である,あるいは科学であった歴史が長い学問分野, その主題が科学に乗りやすい,あるいはそもそも科学自体がその主題にあわせて 作られてきたような分野の研究者にとっては,その世界の中にいる限りは 「科学とはなにか」「自分の思考は科学的か」なんてことは考える必要も, 場合によっては知る必要もないことが多い。それに対して心理学のように もともと科学に乗りにくいテーマを扱い,科学になろうとしてなかなかなれない 歴史をいまも重ねている分野の研究者は「科学とはなにか」「何が科学で何は 科学でないか」みたいなことには敏感である必要があり,実際に敏感だ。 その結果,「科学である」自然科学の研究者が,「科学もどきの」心理学の 研究者から「科学とはなにか」について教わる,と言う奇妙なことがよくおこる。 現に,俺もそういう授業を来年からやらされることになりそうなのだ。
>>652 そうか、やっぱり君はギブソニアンじゃないんだね。前からどうも
おかしいとは思っていたんだ。時々口を挟んでくれる人(E.J.Gibsonの
文章を紹介してくれた人のような)の言うことの方が私にはよく分かった
んだよ。
どうも伍長さんもスキナリアンのようだね。はっきり言って苦手だ。
>それに対して心理学のように
>もともと科学に乗りにくいテーマを扱い,科学になろうとしてなかなかなれない
>歴史をいまも重ねている分野の研究者は「科学とはなにか」「何が科学で何は
>科学でないか」みたいなことには敏感である必要があり,実際に敏感だ。
分からないでもない。しかし、本当はむしろ、実験方法とその結果を、
できたら図にして説明すればいいことだ。そうすれば多少あいまいな
言葉を用いても何を指しているかは分かるものだ。これはどういうこと
かというと、自然科学は言葉よりも客観的なデータを重視するからなんだ。
でも、こういうことは実験心理学の論文や学会発表でも常識的に広く
行われていることだろう?
こういう形式で議論を進めていくのはどうだろう?
どうもこのスレッドにもスキナリアンがかなり混じっているんじゃ ないか? そういう奴らのせいで私は混乱させられているような気が するよ。 私の場合、放射状迷路やメンタルローテーションが認知心理に 入れ込むきっかけになったのだが、昔少しやったレバー押しなんて 今じゃつまらなくてさ。
「いじめられる側に原因がある。」 -------J.J.
>>655 あらゆる行動は刺激-反応の関係で説明できると考えているスキナリアン
(心理学者でもよい)は、現在あなたの脳の中とあなたが読んだ間違った
教科書にしか存在しない。
そんな単純に説明できる訳ないでしょ。
あなたのスキナリアン叩きは面白くないので、できればアフォーダンス
の話をして下さい。
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 15:41
とにかく164は、
>>638 の(3)を説明してよ。
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 18:36
>>654 多分そういうことを言うだろうと予想していて,帰ってきたらやっぱりそうなっていたから
笑ったよ。
科学が科学であるのは,データをとるからでも,実験するからでもない。
実験やデータ収集の対象になる「概念」が明確に定義されているからだよ。
概念が客観的指標で明確に定義されなければ,科学的測定が成り立たないから,
客観的なデータをとることはできない。
逆にいえば,科学的でない実験,科学的でないデータと言うのはいくらでもある。
実験心理学(行動分析学ももちろん含む)が客観的データ「だけ」で
議論をできるのは,それ以前に問題になっている概念が明確に定義されており,
それ(操作的定義)にもとづいて独立変数や従属変数が客観的に測定できることが
保証されているからだ。
だから,使っている「言葉」が明確に定義できていることが実験とか
客観的データの前提。「多少あいまいな言葉を用いても何を指しているかわかる」
なんてことは絶対にあり得ない。
自発性についてどうしても議論したい,とくに実験や客観的データの
土俵で議論したいなら,まずは164のいう「自発性」を操作的に定義することが
絶対に不可欠なんだよ。ところで操作的定義って知ってるか?
660 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/07 18:36
164がどうしてこういうデタラメなことを言うかは簡単なことで,自然科学の現場では 実験や測定の手続きの客観性(概念が明確に定義されていること)は,その概念についての 実験方法を創始した人や,過去の先行研究によってすでに保証されており, 現場の研究者は「他人が考え,確立されている実験手続き」を踏めば,極端な話 自分が測定している事象や問題にしている概念を定義することも,それがその手続きで なぜ測定できるのかも知らなくて良いからだ。だけどこれはそこで「概念があいまいに 使われている」のではなく,概念や手続きが実験をしている本人とは全く無関係に 明確に定義されているというだけのこと。つまり,実験をしている人間は 「単なるロボット」にすぎないのだ。 164は「心理学者は誰が何を言ったということに詳しい」などと揶揄していたが, 実際には164のような「自然科学実験ロボット」(研究者なんて呼ぶ必要もない)こそが 過去の研究,過去に誰かが定義した概念や実験/測定の手続きに盲目的に従っていながら, それを理解していない,それどころかそうした枠組みの存在にも気付いていないわけだから, その方がずっとひどいよね。
このスレを読んでる人から質問が来て,それに答えたんだけど ここにもコピペしとくね。と言ってもこの話題に興味もつのは 伍長氏だけかな?(藁 > 刺激は提示されるものだけど、アフォーダンスは見いだされるものっていう違 > いはない?スキナー的行動主義が「主体軽視」と思われるのはその辺に理由が > あるのではないかとふと思ったりしたもんで・・・。 あのね,これは「実験行動分析」の連中が三項随伴性の「弁別刺激とそれによる 刺激性行動制御」パラダイムにこだわり過ぎてしまったからだね。 オペラント条件づけはそもそもオペラントのランダムな自発によって生体が 「環境の情報を探索する」(アフォーダンスを探索する,でもよい)ことが 本質中の本質なのに,それを忘れて行動の「先行刺激」の分析に集中して しまっている。 やっぱり実験屋たちはオペラント条件づけも「SR」のパラダイムに 落とし込みたかったんだろうね。 杉山さんたち超訳の「行動分析学入門」の優れている点は,三項随伴性に とらわれずに「行動の自発とそれによる結果の変容」をオペラント条件づけの 基本パラダイムとしてきちんと置いて,基本的に最後までそれで 貫いていることだ。これからの人はみんなあれで学べば,オペラント条件づけと アフォーダンスの関係もすぐわかるようになるだろう。
伍長さん来てくれたことだし 純粋にアフォーダンスの話も出来そうな雰囲気になってきましたな。 164は「自発性と心理学」とか「心理学と自然科学」などというスレ立てれば? そうすればスレの趣旨や方向と違うっていう言い訳しなくてすむようになるじゃん。 今や164もそれなりに人気者だしね。(藁
お久しぶりです。時間がありませんので、気になる点をひとつだけ。
>>525 >635 (164氏)
これは525リンク先のインタビューにも言えることですが、
a)自発運動がなぜ視運動反射によって妨害されないのか
b)自発運動はどのように開始されるのか
という問題を混同しておられるように感じます。両者は別の問題です。
Holstの実験と仮説はa)の問題に関するもので、b)の問題について
何か手がかりを与えるものではありません。
164氏はb)の方を問題にしておられると思いますので、
>>525 の
話はひとまず忘れた方が議論がすっきりすると思いますが?
>>659 たしかに操作的定義について生物学の現場で習うことはなかった。これは白状しよう。
しかし、幸い、私は一応少しは心理学関係の本を読んでいるので、ここでは操作的
定義が重視されていることには気がついている。
ただ、日常用法でもそうだが、「自発性」というのは広い概念であり、私の考えでは
自発性はあらゆる生物があらゆる行動を開始する際に現れているので、かえって厳密に
定義しづらいものがある。しかし、あえて例を用いて述べると、ある脊椎動物の頭部を
固定して、ある一様な視界を呈示した時に、その動物が眼球を動かすのが「自発的な」
行動であり、「自発性」の発現である、ということにしておこう。
これでよろしいか?
>>661 > 刺激は提示されるものだけど、アフォーダンスは見いだされるものっていう違
> いはない?スキナー的行動主義が「主体軽視」と思われるのはその辺に理由が
> あるのではないかとふと思ったりしたもんで・・・。
たしかにこのことも、私が行動主義が主体性を無視していると感じるひとつの要因だ
と思う。そして、
>>661 が述べるように「刺激による行動制御」というパラダイムに
こだわり、主体性を軽視した研究者も行動主義者の中にいるだろう。もちろん、私は
この一群の研究者を攻撃している。
>オペラント条件づけはそもそもオペラントのランダムな自発によって生体が
>「環境の情報を探索する」(アフォーダンスを探索する,でもよい)ことが
>本質中の本質なのに,それを忘れて行動の「先行刺激」の分析に集中して
>しまっている。
は、行動主義者がパラダイムの変化に抵抗することなくアフォーダンスパラダイム
と融合すること(あるいは吸収されること)を目指した試みであると私は感じる。
>>663 > a)自発運動がなぜ視運動反射によって妨害されないのか
> b)自発運動はどのように開始されるのか
>という問題を混同しておられるように感じます。
というより、Holstの例がふさわしくないのは気がついていたが、あの時はとっさには
よい例が見つからなかったので、あえてこの例を出したものとご理解いただきたい。
で、もちろん私は b) を問題にしている。これがアフォーダンス論では扱われて
こなかったのではないかと言っている。
以上に基づき、
>>520 や
>>559 で述べた、「神経細胞は自発的に発火する傾向があり、
それが動物個体の自発性の原因ではないか」という考え方はたしかに私の直観にすぎ
ないのかも知れないが、この十数年来、私が温めてきた、価値のある研究テーマだと
考えているのだが。
>アフォーダンス論では扱われてこなかった=スレ違い >私が温めてきた、価値のある研究テーマ=板違い 「私が温めてきた、価値のある研究テーマ」でスレ立てなさいって。
>>665 本スレを
第1章 唯脳論者によるアフォーダンスへの質問
第2章 アフォーダンス理論の疑問点
第3章 アフォーダンス理論が扱ってこなかった問題点
という具合に見ると、それなりにここで展開するのは意味があると
考える。
>>666 その章区切りと意味付けにかぎり却下。
アフォーダンスとはBBSで情報を集めたくなるほど少数範囲の心理学の考え方であり
「アフォーダンス理論が扱ってこなかった問題点」を文意のまま認めると
「アフォーダンス以外の心理学の問題点」となりスレッドの情報価値がなくなってしまう。
自分のテーマを認めてもらう事について腐心せず
あくまでアフォーダンスに関連する事で議論を展開するように努力してください。
>>667 分かりました。ただ、このスレでもお分かりのように、アフォーダンスは
認知心理のみならず、行動主義も巻き込んだ、基礎心理学全体を再編成し
直すような一大潮流ではないのでしょうか? それにE.J.Gibsonの文章でも
お分かりのように「赤ちゃんは自発的に行為する能力がある」と述べられているにも
かかわらず、その自発的な行為の原因について全く検討されていないのは問題と
いわざるを得ません。
今はとにかく、伍長氏の応答を待っています。
>基礎心理学全体を再編成し直すような一大潮流ではないのでしょうか それがね…そうならいいけどね… このスレにしても164があらわれるまで下がりっぱなしだったからねぇ。 実際のとこどーなのよ?研究者している皆さん?
>>643 (164氏)
分かりやすく「生徒の自発性」にしましょうか。
「生徒の自発性を尊重しましょう」とか、「この生徒は自発性に富んでいる(or不足している)」とか言うときの自発性です。これが本来の日常用法でしょう?
人から「強制」「指図」されず、自ら「積極的」または「能動的」に行為する生徒の様子を、「自発的」とか「自発性がある」などと形容しているわけです。
逆に、人から「強制」「指図」され、「消極的」または「受動的」に行為する生徒、または、「強制」や「指図」がないと行為しない生徒の様子を、「自発的でない」「自発性がない」などと形容します。
(哲学者や心理学者なら、さらに今度は「強制・指図・積極的・能動的」などの語が気になる)
同様に、実験用のラットでさえも、「自発的なラット」と「自発的でないラット」とがいるでしょう(分散は小さいでしょうが)。
「オペラントの自発」の場合は、
(通常は)「明確な誘発刺激が存在しないにもかかわらず生起する」=「自発する」ですから、上とは全然違います。
同じなら、「強制・指図」=「誘発刺激」だということになってしまいますから。
(言うまでもなく、上例の場合は、どちらの生徒の行為もオペラントであることに変わりはありません)。
昔、教育系の教授でこの辺の区別が分からずに、単純素朴に、「能動的行為」=「オペラント」、「受動的行為」=「レスポンデント」と説明していた人がいました。
他専攻の入門教科書的な説明としてはアリかもしれません(意味が限定されるという留保付きで)が、これを彼は「意味を限定せずに」使用したのです。
彼によれば、「強制」「指図」によって動くのは「受動的」なので、その行為は「レスポンデント」なのだそうです(そのように何度も明言していました)。
(おそらく、このレベルの悲惨な厨房教授は今でもけっこういるのではないかと思います)
この教授は、「受動的」「能動的」という日常語の日常用法をそのまま学術用語の世界へと無反省に持ち込んでしまっているわけです。
ここまで酷くはありませんが、164氏にもこういう傾向があるように見受けられるので、マル氏だけでなく他の人もそのことが気になって仕方ないのです。
また、これは行動分析やアフォーダンス理論とは無関係ですので、ツッコミを入れている人は反スキナリアンや反ギブソニアンの中にもいると思いますよ。
そういえば、「心ってどこ」スレ第2部で、「気づく」という現象が問題になったことがありました。
実はこれは「現象」が問題になったという以前に、「気づく」という「語使用」が問題だったのだということが後で分かったわけです。
心理学側と生理学側で、言語使用上の不一致が生じていたわけ。
心理学側は、まさか生理学側がそんな素朴な事を考えているわけがないと思いこみ、
生理学側は、まさか心理学側が日常語にそんなこだわりを持っているとはつゆ知らず・・・。
で、この種の用語問題はこのスレでも度々言われているらしく、毎回同じ事の繰り返しとなっているようです。
そこで、
>>403 (381氏)のあたりで棚上げにしておくか、さもなくば用語問題を解消するかです。
ところが164氏は後者には興味がないらしく、かといって前者では納得できないらしい。
では、一体どうすればいいんでしょう?
私は、後者に興味がない164氏に問題があると思うのです(「操作的定義」(良くも悪くも)を習わなかったというのは少々ショックです)。
興味を持ってもらって、その上で棚上げにするという手もありますが。
なお、164氏が(特に)スキナーワールドを批判する際にも、この種の混乱を解消しないまま行っているため、マル氏や私から見れば「勝手に誤解して、勝手に見当違いな批判をして・・・」ということになります。
ただし、この種の混乱・批判は昔からよくあるので、164氏が特別というわけではありません。
ただ、164氏だけに惜しい。
>>664 の定義は御自由ですが、さてそうなると、
その脊椎動物は「がんじがらめ」の状態を「強制」された上で、「無理矢理」何かを見せられ、眼球を動かすことを「余儀なくされた」と。
このような「自発性」は日常用法と乖離があります。
定義ですので、それでも構わないのですが、別のところで、「じゃあ『自発性』はどうなる?」という発問をされれば、誰だってまずは日常用法を連想するし、おそらく貴方も同様のはず。
やはり用語問題は解消しておいたほうがいいのでは?
(「オペラントの自発」の方は、学術的にすでに定着しており、問題はないでしょう)。
あるいは、
>「神経細胞は自発的に発火する傾向があり、それが動物個体の自発性の原因ではないか」
魅力的でもあり、私も似たようなことを考えたことがあるので、繰り返しますが、もう少し説明して下さい。
これだけでは、始めの「自発的」と後の「自発性」は繋がりません。
繋がれば、貴方の用語法は日常用法と乖離しなくなる可能性があります。
それと、「自発性とは何か?」という問いの意味については、「心ってどこ?」スレの第1部をどうぞ。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=974569037 同意するしないにかかわらず、こういう議論(言語問題)もあるということを知って下さい。
例によってくどくどとこねくって書いたが、 アフォーダンスとはあんまり関係なかったですね。 ゴメン。>1
黙っているのはなんですので、とにかく今「心ってどこ?」スレ第1部を読んで いる最中です。 今のうちに、このスレの流れで気づいたことを忘れないうちに書いておきますが、 用語問題に関し、私は最初から「生徒の自発性を尊重しましょう」という意味での 自発性は全く念頭になかった。というか、ここで「自発性」を説明しようとするとき、 私の脳はこの解釈をあらかじめ排除していた。しかし、私も「自発性」という単語だけでは 自分の言いたいことが正しく伝わるかどうか、大変不安だ。だからこそ、一様な刺激環境に 放したラットがじっとしていない(であろう)ことの例、internal turningの例、 さらには頭部を固定して一様な視野を見せた場合に眼球は運動(あくまでvoluntary movementとしての)をやめないだろうことの例を挙げて、なんとか言いたいことが 正しく伝わるように努力した(ひとつひとつの例ではなく、例のすべてに共通するものを 読みとっていただければありがたいと思う)。単に単語だけでなく、例を挙げて説明する、 この方法を私は好むし、強力な説明方法であることを経験的に知っている。で、 さすがに今は一応、ここで言う「自発性」の意味がお分かりいただけたでしょう。 だから、用語問題は解決したということでよろしいか? 正直なところ、670-672は私をいらいらさせるものだった。 たしかに「神経細胞は自発的に発火する傾向がある」から「それが動物個体の 自発性の原因である」までを説明するための道のりが遠いことは分かっているの だが、では、以下のように言い換えればいいのだろうか。 「(一部の)神経細胞は刺激がなくとも自ら活動してインパルスを次の神経細胞に伝えられる 性質を持っており、その活動がその神経細胞のネットワークを体内にもつ動物の自発性の 原因ではないか」
伍長さんが思うアフォーダンスへの疑問や問題点、 はたまたアフォーダンスに興味を感じる部分なども話してもらえると嬉しいです。
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/08 05:20
>>674 確かに心理学者が用語の定義に固着して、論のポイントよりも用語
ばっかりをほじくりかえす傾向があることは認める。あなたがそれに
いらついているだろうことも想像できる。
しかし、申し訳ないが、あなたの説明はわかりづらい。
揚げ足を取るような書き方をして申し訳ないが、あなたは
>>664 で
>Holstの例がふさわしくないのは気がついていたが、
と書いておきながら、
>>674 では再び「自発性」の例として用いている。
「神経細胞は自発的に発火する」というのは、「神経細胞は刺激がなく
とも自ら活動する」ということを差しているのはわかった。
では「動物個体の自発性」を操作的定義で説明すると何になるのか。
「明確な誘発刺激が存在しないにもかかわらず生起する行動」が観察
できればそれでいいのか?
ちなみに、書き手の説明が悪いのか読み手の理解力がないのかは相対的
に決定されるものだ。あなたの周りの人には同じ説明でも理解してもら
えるのかもしれないが、おそらくこのスレであなたの考えを「正確に」
理解できている人は非常に少ないだろう。
たしかに解りづらいのですが、どうやら164氏はまさに「オペラントの自発」のこと“だけ”を言いたいのではないかと思えてきました。 それとは違う「自発性」という言葉を使いたい164氏の気持ちは解るが。 まず、生体外部の環境要因も学習歴も全く存在しない状態を仮定する(そんな状態は想像できないが)。 それでもなにがしかの反応は自発されるだろう。 この反応を「純粋自発反応」と呼ぶことにする。 この「純粋自発反応」は、自発されたときはいわば「意味がない」。 つまり、自発されても「結果による定義」は不可能である(オペラントとしては定義できない)。 では、この無意味な「純粋自発反応」がそもそも自発されるのはなぜか? それは「神経細胞は自発的に発火する傾向がある」からだ。 言い換えれば、 「(一部の)神経細胞は刺激がなくとも自ら活動してインパルスを次の神経細胞に 伝えられる性質を持っており、その活動がその神経細胞のネットワークを体内にもつ 動物の『オペラントの』自発性の原因ではないか」 ↑もしもそういうことであるなら、私は同意したい気持ちが強い。 「原因」ではなく「起源」と呼びたいところですが。 マル氏経由のアフォーダンス理論とも充分に繋がると思う。 (オリジナルの理論の方はよく解らない)。 164氏のイライラは他人事ではないです。私も哲学板や他のサイトで同じ経験をしました。 「一体全体、何でそんなことばかり言っておるのだ!?」って感じでしょう? 他分野で他流試合をする以上は仕方ないのか、と思いました。 (さあ週末だ。だいぶ遅れたが、釣りに行ってきます。)
678 :
マルと呼ばれる男 :01/09/08 07:27
だから俺は「アフォーダンス」(環境が持っている情報),「オペラント条件づけ」(個体が情報を 取り出す仕組み),進化(その仕組みが作られた経緯)の三題話でまとまると思うわけよ。 オペラント条件づけを支えている直近要因としては「神経の勝手な発火」でもなんでもいいけど 「オペラントを自発させる内的(生理的)機構」と,「オペラントの結果として検出される 強化随伴性にあわせて行動を増減する機構」があって,それはひとつの究極要因としての 「進化による環境への適応」によって形成されてきた,164はその直近要因について 興味があるけど,一般に行動分析学者はその部分にはあまり興味がない,ということだね。 これは目的の違いに帰因しているだろう。 オペラント条件づけは個体と環境とのコミュニケーション。コミュニケーションを考える時に, 伝達される情報や,その情報が個人や集団の行動にどのような影響を与えるかに興味を持つ 研究者もいれば,信号検出理論みたいにコミュニケーションを支える機構に興味をもつ 研究者もいる。心はどこにあるスレだか他のスレだかで盛んに論じられたように, この両者は相互補完するもので,対立などしようがない。対立を煽り立てるのは 「行動主義対認知主義」みたいなカビの生えた議論に未だにしがみ付いている人だけ。
一言いっておくと、用語の定義の問題のために、多くの人々が肝心の本題に入る前に その問題で疲弊してしまうのだ。これはその学問の進歩を妨げる大変な弊害だ。 もちろん、同じことが哲学でも生じており、これがいわゆる素人を哲学から遠ざける 大きな要因になっている。 今回の問題でも、私の方から「自発性」を「明確な誘発刺激が存在しないにも かかわらず生起する行動」と言えればよかったのかも知れないが、私は用語定義の 問題をあらかじめ知っているからこそ、なるべく概念を用いない説明方法、つまり 例を示すという方法を採るのだ。この方法はたしかに能率は悪いかもしれないが、 初学者や部外者諸氏が専門家と対話する際に用いる方法として有効ではないかと 思う。 さて、なぜかここに来て、 >だから俺は「アフォーダンス」(環境が持っている情報),「オペラント条件づけ」(個体が情報を >取り出す仕組み),進化(その仕組みが作られた経緯)の三題話でまとまると思うわけよ。 の意味が突然分かってしまったが、しかし、これで解決したわけではない。今までに 述べた「自発性」の概念に基づく研究は今から始められるべきなのだ。 純粋な自発なんてものは考えられないが、出生直後の赤ん坊はまず呼吸ができる。 呼吸は遺伝的プログラムによって発達を遂げた個体に付与される自発的な行動だ。 呼吸に限らず、出生直後には遺伝的にプログラムされている、さまざまな自発的な 行動が現れる。これらの行動によって、「オペラント条件付け」の仕組みでも なんでも構わないのだが環境の情報が取り出されていく。そして、取り出された 情報は直ちに生体によって利用される。泣けば母親が飛んでくる、だから母親を 呼ぶために泣くようになるのだ。私はこれを条件付けとは呼びたくない。赤ん坊は 泣けば母親が飛んでくることを「理解し」、直ちにその「知識」を利用して母親を 呼ぼうと「意図して」泣くのだ。これはオペラント条件付けの説明とは全く違うはずだ。 それは、われわれは刺激によって駆動されて反応するのではなく、脳が刺激と行動を ドライブしている、という考えが根底にあるのだ。ミミズも同じ。ミミズには中枢 神経系はないが、各体節の局所の神経細胞群が自発的に活動して行動が起こされた結果、 感覚器官が受け取った外界から帰ってくる情報を利用しているのだ。 当初は多少、私も「自発性」と「意図」で混乱したかも知れないが、自発的な 行動によりごくわずかでも情報が取り出されると、直ちにその情報を利用して 「意図」する行動がとられるようになる。そして、われわれのように一応成熟すると、 すでに膨大な情報を獲得しているので、「自発的な」行動の後ろには常に「意図」が 控えていると言えるようになる。 私は「自発性」というものを行動の基本に据えることにより、少なくとも条件付け とは全く異なった行動に対する展望が開けるものと考えている。
E.J.Gibsonが
>>564 で述べる考えが、ここに来て私には重みを持って伝わってくる。
おそらく、E.J.Gibsonの言う能動性(agency)と、私の考える「自発性」は同じもの
である。
>>549 によると、E.J.Gibsonも心理学が解明すべき行動の第一の特徴として
"agency(能動性)"を挙げている。
私の考えももしかしたらギブソニアンと非常に親和性が高いのかも知れない。 ギブソニアンではないと明言しているマル氏や、アフォーダンスはよく知らないと 述べている伍長氏がアフォーダンススレに出てくるのは本当はおかしいのだ。 あまり表に出てこないギブソニアンにこそ、もっと発言してもらいたい。
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/08 17:40
やはり164はマルシンドや伍長ご推奨であるところの後期ウィトゲンシュタイン『哲学探究』を読むべきだ。 >なるべく概念を用いない説明方法、つまり例を示すという方法 これのオンパレードだよ。やるならこのくらい徹底しなくちゃ。 ウィトは例示してから徹底的に考察する。
683 :
ギャラリー :01/09/08 18:32
>679
用語の定義の問題が学問の進歩を妨げているのではなく、
未定義のまま論じようとするから君みたいな人は疲弊するんだよ。
どうやら君が受けた大学教育にも大きな責任はあるようだが。
学問の進歩は用語の定義に成功するか否かにかかっているといっても過言ではない。
懸案の「自発性」については皆わかったようだが(
>>676 や
>>677 の解釈、つまり「オペラントの自発」のことでいいんだよね?)、
>>679 の後半でまた揉めそうで心配になる。
「理解」、「知識」、「意図」、これらは定義された認知用語だと思っていいわけね?
これらも日常用法とは違うんだろう?
そういうことで納得しておきたいが、どうでしょう?>ALL
行動主義の方々も妥協して歩み寄ってくれないだろうか。
さもないと、また揉めて164氏が疲弊する。(苦)
ただし、妥協してもらう以上は164氏も行動主義をこの用語問題で攻撃することはやめてくださいな。
毎度毎度同じ事の繰り返しではさすがに聞き飽きた。
164も歩み寄って、行動主義の用語法を大目に見てあげればよい。
どうも言っていることは同じ事のように思えてきたので。
アフォーダンスを論じましょう。
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/08 19:14
ちょっとした感想なんですが.... ギブソニアンの方々って 「あの人はアフォーダンスを分かっていない。」 「あれはアフォーダンスじゃない。」 ときに凄く嬉しそうなんですが、やっぱ、こういうこと言っているときには、喜びを感じているのですが? これだからギブソンイアンはやめられない、みたいな。
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/08 20:27
>>684 に対して
「もう少しでこの駄レスに攻撃行動をアフォードされそうになった」
って考えた時に、攻撃行動をアフォードされる人とされない人の違い
はなんなんだろうってことが気になった。
この駄レスのアフォーダンスは同じのはず。しかし、そのアフォーダンス
を発見できるかどうかは個人による。
はるか以前、マル氏がスキナーとギブソンの共通点はアフォーダンスの
発見のプロセス、みたいなことを書いていたような気がするが(その時
俺はすごく気になったんだがそれ以上は膨らまなかった)、164氏の懸案
も一段落したんだろうから、次の話題はアフォーダンス発見のプロセス
じゃだめ?別にスキナーとの共通点は触れなくてもいいから。
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/08 22:14
やっぱり理系の生命科学を学ぶ人間に,科学の基本的仕組みとか, 概念と定義の関係,それと測定や実験との関係といった「方法」の 基礎をちゃんと教えることが必要だね。彼等は自分が何をやっているのかを 知らないで実験や測定をしていることが164を見ても,漏れが接している 生物学系大学院生などをみてもほんとに明らかだから。 ちょうど求められてもいるし,このスレも参考にして「生物学者に科学の仕組みを 教える授業」を準備してみるわ。 理解,知識,意図を定義された認知用語だと思っていいのかとギャラリー氏は 言うけど,定義されたと思っていいとか悪いとかじゃなくて,定義そのものが 提示されなきゃ話にならないだろ。 「自分がそう感じること」「自分がその概念で説明すること」と「じっさいに そうであること」「その概念に対応する事実があること」とは別。 最低限そのことを理解した上で,定義された概念のもとで議論することを求める。
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/08 22:23
漏れはたしかにギブソニアンではないが,
>>684 に述べられるようないわゆる
ギブソニアンが漏れよりアフォーダンスを分かっているとは到底信じられないし,
そもそもギブソン自身は「自発性」だの「能動性」だの定義できないメンタルな用語は
いっさい使っていないと思う。せいぜい「能動的に」とか「自発的に」という
形容詞を用いた程度だ。メンタルな用語を形容詞として使うか,名詞として使うかは
ものすごく大きく違う。
たとえば「あなたは無意識にそう行動した」というのと「あなたの無意識があなたを
そう行動させた」というのとが天と地ほど違うように。
また,ギブソン妻がメンタルな用語を用いる時にもおそらく形容詞的な意味で使っている
のであって,「能動性という(あるいは能動性を生み出す)実体」などを想定しているわけでは
ないだろう。単にメンタルな用語の使用について(行動主義の批判をあまり恐れずにすむ時代に
なったことから)安易になっているだけだと考えるべきだろう。
アフォーダンスはあくまでもギブソンの用語であって,ギブソン妻の用語ではない。
ギブンソン妻が言っていることからアフォーダンスを定義しようとするのは間違いだろう。
ところで164は「生態学的知覚論」は読んだの?
>彼等は自分が何をやっているのかを >知らないで実験や測定をしていることが164を見ても, 君は偉そうにいうが、これはマル氏が私のことを何も知らずに 決めつけただけの話だ。そのことは分かって書いているのかね? ほんとにあんたは大学の教官なのか? 俺ならあんたみたいな 先入観にすぐ染まるような教官の指導を受けたくないね。
>>687 あなたには自分には語れる主張がないから、他者の批判しかできない
のだろう、と言ったらどう思う?
しばらく「自発性」の説明のために割きすぎてしまったが、
改めて私は
>>403 の発言が気になる。
もう381はいないのかな。
>>685 >164氏の懸案も一段落したんだろうから、次の話題はアフォーダンス
発見のプロセスじゃだめ?別にスキナーとの共通点は触れなくてもいいから。
私の懸案は一段落したんじゃなく、これから研究を始めるべきだと思うの
だが、それはここで論じるのはやめにして、私もアフォーダンス発見の
プロセスについてどなたかに解説していただければと思う。
しかし、私が書き込まないとこのスレが伸びないというのもやっぱり真実なんだな。 ギブソニアンはそんなにアフォーダンスのことを語るのが嫌なのだろうか? それから、今まであまり注目してこられなかったが面白い現象というものは まだまだたくさん残されており、それが初学者や専門外と思われる人物から 示された場合、私ならその説明の言葉が多少おかしくてもまじめに取り上げる 用意があるのだが、そういう度量が特に基礎心理学者には欠けている、と前から 感じている。この点、皆さんはどうお考えだろうか?
「あまり注目してこられなかったが面白い現象に親切に答える」スレなら答えるな。
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/09 05:17
>>692 >神経細胞は自発的に発火する
→面白い。取り上げるに値する。ただしそれはアフォーダンスと対立
するものではなく、相互補完的なもの。つまり、残念ながらアフォ
ーダンスとの関連は低い(もうすでに話題になったが、本来ならこの
スレの話題にはなりにくいもの。
>>667 )。
>「理解」「意図」
→面白くない。取り上げるに値しない。すでに説明されている事象を
定義せずに日常用語で置き換えただけ。つまり、既存の説明に対する
疑問になっていない。科学の倹約性という大前提に反するし、それ
以前に素朴メンタリズムかつ単なる目的論。
>しかし、私が書き込まないとこのスレが伸びないというのもやっぱり真実なんだな。 > ギブソニアンはそんなにアフォーダンスのことを語るのが嫌なのだろうか? 164が書き込み激しすぎという気もするが、かなり同意。 学生レベルでもいいから(希望は院生レベル以上)アフォーダンスへの意見を聞きたい。
696 :
また名無しに戻る :01/09/09 07:18
>>688 先入観,とかなんとかではなくて,ここでは我々はみな「相手がここに書いたこと」
だけを基準にその人について判断する以外ない。「マル氏が私のことを何も知らずに
決めつけた」のではなくて,君がここに書いていることはそうとしか読めないこと,
読んだ人にそう感じさせることなのだ。それは,君自身が現実にそうであるから
その程度のことしか書けないか,あるいは自分自身の考えをきちんと文章にすることが
苦手かどちらかだからだろう。後者だと思う瞬間もあれば,前者であると思う時もある。
ところで,神経細胞が自発的に発火する,というのは「ノイズ」ではないか?
電子回路で考えたら,増幅素子が入力と関係ない「自発的」な出力を行うのは
「ノイズ」だよね。むしろ素子の品質の低さとか回路設計(とくにアースの取り方とか)
のまずさに帰因する現象だ。
しかし,ある種の欠陥,あるいは失敗が適応を生み出す,ということは生物にはよくある。
そもそも自然淘汰による進化の前提になる「突然変異」は両親から子どもへ遺伝子が
分割コピーされる時の「偶発的なエラー」によって生じる,という事実が代表的な例だ。
オペラントの自発が神経細胞の自発的な発火という「偶発的ノイズ」によって
生じるという仮説は認めても良いものだと思うし,そう考えることで,
突然変異と同じように,オペラントの自発という「適応の前提条件」が,
それ自体は偶発的で無意味であること(「意図」だの「理解」だのという過程は
介在しないこと),その意味は「行動の結果」が環境から与えられることで
初めて定まる,ということがますますはっきりするだろう。
>>696 また蒸し返したいのかね?
ノイズの可能性はたしかにまだ触れていないが、君の好きな究極原因の淘汰で
説明する方法に対しては伍長氏に答えた640で反論している。
>(1)それでは説明になっていないと感じます。それに、私は自発的な
>発火現象が、脳ではなく神経細胞の性質だと考えている。淘汰どころの
>話じゃない、おそらく太古の昔、生物が動物と植物に分かれるとき、
>神経細胞のような性質を細胞が獲得した時、その生物が動物になった、
>と考えています。ゾウリムシは単細胞の動物だが、たしかその細胞は
>神経細胞と同じような電気的活動を行う。
>言い換えれば、自発性の起源はこれくらい古いものだ、と言いたい。
君はおそらく君の脳に刷り込まれた教科書的なステレオタイプな論法を
踏襲しているにすぎない。自分で考えるということをしていないのだ。
しかし、このことはここで論じても仕方のないことだ。これは実験を行って
データが得られて初めて正否を問えるようになる。そのデータが今はない以上、
論じることはできない。
>>694 神経細胞は自発的に発火するという考えが面白い、取り上げるに値すると
思うのなら、実験的に証明していただけないだろうか? 私は今はそのような
実験を行える環境にないので、これは切にお願いしているのである。
私はそういう意味で、これから始められるべき研究だと言っている。
私は独創的な研究や見方というものを評価したいと考えている。 私はなにも基礎心理学者諸氏がみなそうだという気はないが、既存の 概念にがんじがらめになって、独創的な研究ができなくなっているの ではないかと危惧する。 研究は概念遊びではないし、既存の概念を用いて行動を説明すること でもないはず。
>>697 俺は神経細胞の研究なんてしていないから、実験的に証明なんて
できないよ。心理学の分野がカバーしていない、生物の理解に
繋がるものだからそういった領域の研究を生物学者などにして
もらえたらいいという意味で「面白い」と思うだけ。本気で証明
してくれなんて言ってないのは分かってるけどね。
頼むから、また唯脳論には戻らないでくれよ。何度も繰り返され
ているが、両者は相互補完的な関係だ。役割分担ということ。
>>698 マル氏の考えが既存の概念にがんじがらめって思ってるみたいだ
けど、例えばギブソンとスキナーと関連性なんて、俺はそんなの
どこでも聞いたことないなあ。
マル氏の説明は、初学者向けの教科書的な説明(アフォーダンスの
解説と科学の説明ね)とそれ以外のものと俺には明確に区別される。
最も、我々とはパラダイムを異にする(基本概念・方法論などという
意味と時代という意味で)164氏にはその違いが見えないのはしょうが
ない。まあ、気になさるな。
>>699 べつに、「あなた」という特定の人物にお願いしているのではない。私は基礎
心理学者全体に呼びかけているんだよ。
それから、脳が刺激と行動をドライブしているというのが私の一貫した見方で
あり、ここんとこしばらく唯脳論をあまり明示的には示してこなかったが、
やはり私は本質的には唯脳論者なのである。そして、「脳が刺激と行動をドライブ
している」という見方は行動主義者とは相容れないだろうが、一連の書き込みの
印象からギブソニアンにはこの見方はそんなに受け入れがたいものではないはず、
と感じている。
最後に、すでに何度か述べているが、パラダイムを異にしているから見えないと
いう言い方は、専門外の研究者の参入を妨げていることにいい加減気がついてほしい。
アフォーダンスの概念はそれを知らないものを見て優越感に浸り、内輪の研究者間で
のみ秘匿しておくべき概念装置なのかね? そうではないだろう?
>>700 >「脳が刺激と行動をドライブしている」という見方は行動主義者とは相容れない
>だろうが、一連の書き込みの印象からギブソニアンにはこの見方はそんなに受け
>入れがたいものではないはず、と感じている。
この書きこみを見る限り「自発性」の議論が徒労に終わったらしいことが分かった。
俺が「パラダイムを異にする」と言ったのの行間の意味は、決して164氏を除外しよう
としてる訳ではなく、164氏にはどんなに分かりやすい説明であっても、唯脳論と昔の
科学観が邪魔をして理解してもらえないのは、もうパラダイムが違うとしか言いよう
がないということ。頼むから、もっと自分の前提を疑ってみてくれ。
>>701 >この書きこみを見る限り「自発性」の議論が徒労に終わったらしいことが分かった。
はぁ?ちょっと言わんとする意味が分からないのだが、「自発性」の議論は私の
述べる「自発性」を皆さんになんとか理解してもらうための議論だったはずなのだが?
徒労というのは、私の努力が徒労に終わったという意味なのだろうか?
あなたの方こそ、もっと議論の流れをつかんでみてくれ。
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/10 01:40
ここって、やっぱ東大佐々木研の人達が来てるわけですか? っていうか佐々木先生や三嶋先生が来てたらサインして欲しいなあ。
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/10 02:04
ここを読んでいる人には専門家も多そうだが、
専門家同士なら暗黙の了解でOKでも、
164のような他専攻の人が議論のレベルを保ちたいならば、
「自発性」にしても「理解」や「意図」にしても定義をまずは示すべきで、
その上でその用法に限定して一貫させてほしい、というのが皆の共通の思いではなかろうか。
今回だって、自発性、自発性って騒いだわりには、
結局はオペラントの自発のことだったようだが、
だったら始めから騒ぎなさんなと言いたくもなる。
「多少混乱した」どころではないではないか。
いつも偉そうな誰かさんの言うとおりで、
>>686 のようなことはみんな感じているはず。
尤も、俺の分野ではオペラントなんて言葉は出てこないので
「オペラントの自発ってそういうことでもあるわけなのね。ふーん」
と、一応少しは勉強にはなったし、
その意味では164の苦労も満更「徒労」でもなかったとは言える。
ただ、せっかく分野を跨いだ研究をしようとしているのだから、
他分野の用語に対する無頓着だけは改めたほうがいいのではないかと愚考いたす次第。
心理学用語には「自発性」「理解」「意図」などの日常語が多いので尚更。
「パラダイムを異にしている」云々は多分こういうことでしかない。
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/10 02:11
>「自発性」にしても「理解」や「意図」にしても定義をまずは示すべきで、 >その上でその用法に限定して一貫させてほしい、というのが皆の共通の思いではなかろうか。 >用語に対する無頓着だけは改めたほうがいいのではないかと愚考いたす次第。 >心理学用語には「自発性」「理解」「意図」などの日常語が多いので尚更。 ふむふむ。 これは164氏だけではなく、一部の心理学者にも言えることではないか。 皆の衆、胸に手を当ててよーく考えて御覧なさいな。 思い当たる人は正直に手を挙げなさい!(笑)
了解した。 「自発性」の操作的定義は「明確な誘発刺激が存在しないにもかかわらず生起する 行動が観察できること」ということにしよう。 しかし、白状すると、私はやはり操作的定義なるものに慣れていないで、私の 言いたい「理解」や「意図」をどう操作的に定義したらよいのか分からない。 どなたか例を示していただけないか? ただ、私自身は日常用法と同じ気持ちで 用いているつもりだ。 ただ、新しく立った「操作的定義って何?」スレで操作主義の「科学的概念は、 それが得られた具体的手続きによってのみ定義されるべきである」という定義を 見て、なにかおかしいという気がしたのも事実である。これではすでに具体的な 手続きで測定ないし観測された事柄、つまりすでに分かっている事柄しか定義でき ないではないか?という疑問が生じるのだ。 暗黙的にだが誰しもその存在を了解できる現象(これが得てして頭の中で生じて いる現象だったりするのだが)というものがあり、それがいまだ「正しく」測定されて いない場合、その現象を操作的に定義することはできないのではないか?という 思いである。 私がメンタルローテーション実験で受けた衝撃がまさにこれに関連する。脳内で (おそらく)図形を回しているという、暗黙的だが誰しも了解できる現象が反応 時間という客観的な指標で捉えられたのだから。しかし、逆に考えるとメンタル ローテーションはきわめて幸運な例であり、まだまだ捉え切れていない現象は山ほど 存在する。それをどうやって客観的な指標で捉えて操作的に定義すればよいのだ? さらにいうと、操作主義はあくまでひとつの立場にすぎず、それが常に正しい 定義付けの方法ではないと考えることもできるのではないか?
ついでに、恐れずに言ってみると「操作主義」とか「操作的定義」は どうも行動主義と親和性の高い考え方なのではないか、という気が するのである。
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/10 04:04
難しい話はやめようぜ、なっ!
>>706 ,707
これは新スレの「操作的定義」スレの方でやるべきなのでは?
>>709 ええ、まぁ一応、そちらのスレで挨拶をすませました。ただ、これは
勝手な予感ですが、大論争に繋がる可能性があるという気がしています。
ウェブで調べたところでも、操作的定義に懐疑的な人が多いようですし。
しかし、もちろんこのスレでは棚上げしておきましょう。
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/10 06:43
>>697 神経細胞の自然発火、の期限が太古でも、
それが現在まで残っているのは自然淘汰の結果としか
考えられないだろう?(あるいは偶然。この場合は
それと適応とは無関係だから、ここでの議論とも
無関係になる)。
167はたいてい、議論を巻き起こしておきながら
その議論の最も本質的な部分には興味を示さないのだ。
謎だよ。
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/10 06:44
>>711 太古の生物(細胞)が神経細胞のような自発的に活動する性質をもつようになり、
その性質を獲得した細胞が動物になった、つまり、系統発生的な種の分化
(ここでは動物界と植物界への生物史上最大の分化)と、自然淘汰は分けて考えた
方がいい。神経細胞のような自発的に活動する性質をもたなかった細胞も植物として
繁栄しているのである。自然淘汰の結果、動物と植物に分かれた、というのはおかしい
だろう?
究極原因の説明はなぜか最後には進化とか自然淘汰に行き着いてしまうようだが、
何度もいうようにそれだけでは説明したことにならない。今回の場合は直接(直近?)
原因を問うているのだ。
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/10 13:18
>太古の生物(細胞)が神経細胞のような自発的に活動する性質をもつようになり、 >その性質を獲得した細胞が動物になった、つまり、系統発生的な種の分化 >(ここでは動物界と植物界への生物史上最大の分化)と、自然淘汰は分けて考えた >方がいい。神経細胞のような自発的に活動する性質をもたなかった細胞も植物として >繁栄しているのである。自然淘汰の結果、動物と植物に分かれた、というのはおかしい >だろう? もう驚いて何も言えないよ.「その性質の獲得」は突然変異や自然選択(あえて淘汰と いう用語を避けよう.進化を学んでいれば誤解する危険はないがそうでない人のために) ではない,どのような過程を通じて生じたの? 生物学板にでも行って動物と植物の系統発生についての君の新説を披露すれば? みんなきっと驚くよ.いろんな意味で.
>>714 ゾウリムシの細胞表面の電気活動からの発想なんだがね、大胆だよ、
もちろん。だから、公式に表明しようとはまだ考えていない。
>>714 たしか、ドーキンスも移動する能力を身につけた細胞が動物に、そうで
ない細胞は植物になったということを言っている。しかし、どのような
過程で生じたか、それは今後の研究課題としか言えないよ。
すまない、ドーキンスは運動能力を持つ生殖細胞の精子と、そうではない 卵子について言っているのだった(笑
>>714 まぁ深入りするのはやめておきたいが、たぶん突然変異が植物の
先祖か動物の先祖となる細胞に生じた可能性が高いとは思うけれども、
ではその突然変異を起こして動物と植物に分かれる原因となった
遺伝子をどうやって同定したらいいのか、今は全く分からない。
ミトコンドリアのように、ある種の生物が細胞と共生するに至って
動物細胞に特有の性質を与える、動物細胞にしかない細胞内器官に
なった、という可能性もなくはない。
仏教の禅問答だったはずが キリスト教の聖書解釈の話になっているような… すこしはアフォーダンス派の思想について語ってみては?
「164氏に訊く」というスレを立てるか?
イヤミじゃなくて、 すでに人気者の164は 「心理学と唯脳論。ないか?だろう?の164に訊け」という スレッド立てればいいのに。賑いそうだYO!
>>702 遅レス失礼。
アフォーダンスの構図は、
(1)外界にアフォーダンスが存在
(2)有機体が自発的に行動
(3)アフォーダンスが発見・利用される
ということ。
これを164氏が理解せず、「意図」「自発性」だの言い出し、アフォーダンスの
唯脳論的解釈を延々と繰り広げたから、俺はまず「自発性」=「意図」なのかを
聞き、次に「自発性」=「オペラントの自発」なのかを聞いた。で、結局164氏の
「自発性」が「オペラントの自発」だってことが分かったのが「自発性」の議論
(もちろん、それだけじゃないけど)。
そもそも、この「自発性」だの「意思」だのの議論は、上記アフォーダンスの構図
が唯脳論とは相容れないということを説明するために始まったもの。
それが、結局「唯脳論者とギブソニアンは近い」とか言い出す始末だから、「自発
性の議論は徒労に終わった」って俺は言ったまで。
>>702 >「自発性」の議論は私の述べる「自発性」を皆さんになんとか理解してもらうため
>の議論だったはずなのだが?
このスレは、164氏の考えを理解するスレではなく(最も、そう言う話もあるが)、
あくまで、アフォーダンスを論じるスレ。
>>722 ちょっと違うが、まぁ、もうどうでもよい。
>アフォーダンスの構図は、
> (1)外界にアフォーダンスが存在
> (2)有機体が自発的に行動
> (3)アフォーダンスが発見・利用される
>ということ。
これに沿うと、(1)はせんどやったような気がする。(2)に関して、ギブソニアンは
「自発的に行動」と言いながら、その原因がアフォーダンス論では扱われていないと
いう点を私はとらえて、少し「自発性」ということにこだわってみたもの。ただし、
解決したわけではない。これは今後のむしろ生物学的な基礎研究にゆだねられている。
では次に、(3)アフォーダンスが発見・利用されるプロセスに移ろうではないか。
どなたか叩き台を。
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/10 23:55
そろそろ新スレを立てないと危ないかも。 なんせ皆さん長文が多いから。 区切りもいいことではあるし。 ここは是非164氏にお願いしたい。 何と言ってもあなたがいなければこんなに盛り上がらなかったわけで。
新スレ立てるなら
参考文献など
>>2 -3にまとめたいから
御協力願いたいです。
生態学的視覚論:J.J.ギブソン
アフォーダンスの心理学:E.S.リード
アフォーダンスの構想:佐々木 正人 編訳 :東京大学出版会
アフォーダンス:青土社
アフォーダンス―新しい認知の理論:佐々木 正人 著:岩波書店
知性はどこに生まれるか:佐々木 正人 著:講談社
季刊[武蔵野美術]NO.116:アフォーダンス入門◎身体/環境/インターフェイス
書店で簡単に手には入るものをざっとです。
付け足しや原著などはギブソニアンの皆さん
よろしくお願い致します。
参考URLとかもあると楽しいな♪
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/11 09:36
>>1 切りのよいところで文献をきちんとあげとくのはよいことだな.
とても重要で,かつ初心者にも読めるものがぬけとる.
*エコロジカル・マインド〜知性と環境をつなぐ心理学 三嶋博之 NHKブックス
あと,哲学史,心理学史を通してアフォーダンスを考えるなら
*ギブソンの生態学的心理学 ロンバード,古崎他訳 勁草書房
佐々木グループが進めてる進めてるとずっと言ってるJ.J.Gibson「The senses Considered
as Perceptual Systems」の翻訳はどうなったのかなあ.これも重要な本なので
アフォーダンスを論ずるなら読むべきだろう.Houghton Mifflinから出ていた初版(1966)は
とっくに絶版だが,Greenwood Pressから出ているリプリント版(1983)ならいまでも
注文すればおそらく手に入る.ただしリプリントは写真や図版の解像度が低い
(この本ではこれはけっこう減点大きい)のが難点かな.
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/13 00:28
>佐々木グループが進めてる進めてるとずっと言ってるJ.J.Gibson 遅々とした生産性でがんばってるのでホッといて。プン。
728 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/13 00:39
>>727 実は私は糊口を得る手段として翻訳に従事しているので、私にも
仕事を回すというのは如何?
E-mail欄参照。
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/13 00:56
日本のGibsonianは、スキナ−系の学術誌である Journal of the Experimental Analysis of Behavior に米国のGibsonianが論文を発表しているのを知ってるのかな?
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/13 00:57
ほう、どんな内容で?
Journal of the Experimental Analysis of Behavior はネットでabstractが読めるから、自分で調べな! 甘えるんじゃないよ。
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/13 01:08
>>733 やさしくてYO!こんな世の中なんだから!
誰か直訳レジメをキボン.
正直、スマンかった。 と思ったので、affordanceとGibsonで検索してみたら、 Gibsonで2件だけヒットした。 読んでみたけど、これだけじゃ分からねーよー。
>>734 直訳でいいのか?
1本目。
Costall, A.P.(1984).
知覚の理論が必要であるか?視覚知覚への生態のギブソンのアプローチのレビュー.
振舞い, 41, 109-115の実験的な分析のジャーナル.
孤立と自治「対象」がその本当の環境は別として, 設定して, 次に行く知覚公理の具象主義の理論は
精神的な表現, 工事, またはそれにもかかわらず知覚がどう行われることができると説明するかために
仮設する過程を呼び出す.
ジェームス・ギブソンの最も異彩の貢献は具象主義の理論に挑戦したが, 彼の究極の関心は現在心理学
で行き渡るcognitivismだった.
彼が確信していた…それ…そのように…-…呼ばれた認識的な革命が単に永続させる…促進さえする…
心理学の最も古い誤りの多くこのレビュー記事はcognitivism(ギブソン, 1979)とギブソンの彼の
「生態の」代替手段の最終的なステートメントを考える.
それはギブソンの代替手段の完全なアカウントとして,そして,しかしながらが, 主として彼の批判的な
貢献の感謝としではなく意図される.
具象主義の理論を打ち返すギブソンの支えられた試みは, 単にこの理論を支持して使用される議論の
バラエティーを明らかにすることではなく彼らが休息する疑わしいメタ物理的な仮定をも露出するのに
役立った.
彼の代替の計画のポイントについて強調して, 説明するために目的をギブソンのしたがって, 具象主義の
理論, この紙の批評に集結する際に, 重要な関心のいくつかがギブソンの生態のアプローチとオペラント
心理によって共有された.
[ギブソン, 視覚perception.ボストンへの生態のアプローチ: J.J.ホートンMifflin, 1979.
2本目。 Turvey, M.T., ソロモン, H.Y., および軽滑車, G.(1989). 盤踞することによって知る生態の分析. 振舞い, 52, 387-407の実験的な分析のジャーナル. あるものがhaptic知覚のシステムによってどう携帯用の物の様々な特性を知っているように, 知覚へのジェームス・ギブソンによって展開される生態のアプローチは記述されて, 適用されるか. 対象が盤踞される見えない物の範囲, オリエンテーション, 形, および断片的な部品に関して 自由に報告した4セットの実験は見直される. 各タスクに関しては, 問題の物の特性に特定の不変式は盤踞する行為によって起こされる回転の 瞬間と張りの構造化されたアレイで確認される. 情報ピックアップとして生態のアプローチ, および知覚の一般的な理論によって「再-定式化」 されるように注意と刺激の概念と関連して結果について議論する. ところで、「軽滑車, G.」って誰だ?
>>736 ,737
裸姦やズーロースやクリトリステヴァと比べても遜色ない文体だと思われ。
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/13 02:28
>ところで、「軽滑車, G.」って誰だ? 謎の人物ですな。 中国のお人なのでは?
お前ら、かの有名な「軽滑車, G.」博士を知らんのか!
>>736 >重要な関心のいくつかがギブソンの生態のアプローチとオペラント
>心理によって共有された.
ここだけは明解だな。
なるほど。
マルのネタ元がこれだったか。
軽滑車,G.は吉本の芸人臭い。
軽滑車, G.はタレルに匹敵する日本籍の世界的アーチスト. 佐々木さんと対談したりしてるYO. つうか吉田戦車?っぽいな.
軽滑車, G.博士にいろいろと教えを乞いたいのですが、 ここでは何ですので、 別スレ立ててもよろしいですか?
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/13 05:30
軽滑車, G.= Gregory Burtonでしょ。 ダイナミック・タッチに関する研究,特に杖による知覚を研究していた 人だと思う。
おー,知らんかった.っていうか遠い昔に誰か(岩M先生か?)に紹介された気はするが そのときは読んでなかった.これで俺の説にも文献がついたぞ(笑). 古い JEABは手元にないのでちょっとあせったが,こないだ買ったJEABが出してる 主要論文の製本版「Variations and Selections」(Ed. Catania and Hineline)に 収録されていた.読んでみるわ.
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/13 12:45
>>727 「アフォーダンスの構想」の佐々木論文はその予告編なんだね.
翻訳はいつごろ出そう? 来年度前期のゼミに使うのには間に合わないかな?
>>745 自己レス
Costall(1984)ざっと読んでみたけど,基本的にはアフォーとスキナーが認知主義との関係において
「同じ興味を共有している」という話だけで,アフォーとオペラント条件づけの直接の関係には
ふれてないなあ.まあ本のレビューに過ぎないんだから当たり前か.
それから「紹介された気が」したのは同じタイトルのスキナーの論文(1950)だった.
アフォーとオペラント条件づけの直接の関係を述べているのはマさんだけなのね。
たぶん異端なんじゃないの?(笑) もう一度見直そうかな。
>>727 なんならお手伝いしますが。E-mail欄参照。ご連絡お待ち申し上げております。
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/13 20:27
ごくごく当たり前のことで,分かっている人にとっては言うまでもない自明な ことのように思えることが,調べてみると意外とどこにも書いてないということは よくある.他のスレで書いた「測定の構成概念妥当性とは操作的定義の精度のことだ」という ことだって,そのままズバリ書いてあるものは見つからなかった.もちろん, よく読めばどの本にもそういう意味のことが書いてあるんだけどね. だから,誰にも書かれてないことが必ずしも異端ということもないだろうな. 個人的には異端といわれた方がカッコよくて良いけどさ.
いーや、アフォーとオペラント条件づけは考え出された時代が違うので、 少なくともスキナー側にはアフォーとオペラント条件づけを直接 関連づけるような考えはなかっただろう。 やっぱりマさんの論は、スキナリアンがパラダイムの変換に抵抗する ことなく(抵抗したら叩かれるから(藁)、アフォー論に融合すること (または吸収されること)を目指した試論だと思うね。いずれにしても 自ら自己解消することを目指している。したがって、オペラント条件づけの 概念はいずれ、私の述べる自発性の概念に取って代わられるんだよ。
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/13 21:45
あーこれこれ。とっておきの持論を2chで自信を持って書くと 妄想!オマエモナー!という循環になるので控えましょう。
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/14 08:44
>>750 どうしてそうなるのかね(藁.
歴史的には自発性などという定義不能なメンタルな概念が廃されて
オペラントなどの定義可能な概念に移行してきたんだ.
まあオペラントという「ターム」が歴史の流れの中で他のものに
代替されることはあるにしても,それが自発性などという
低レベルの概念に「先祖返り」することはないだろう.
君が新しいと思っている問題のほとんどは,歴史の中で
その無効性が明らかなになった結果,現在は問題にされていないのだ.
単に君が歴史を知らないだけ.ほんとに「心はどこにある」スレを読んだのか?
それから,君はオペラント条件づけという概念の恐ろしさをまだ
判っていない.オペラント条件づけにおける強化は
結果によって定義される再帰的な概念だから,そこには
行動の頻度の増減に影響する「すべての」要因を包含することが
できる.アフォーダンスの概念はオペラント条件づけの図式に
ごく自然に組み込まれることができるし,もちろんその逆も可.
だってアフォーダンスとオペラント条件づけには相互矛盾する部分はとくにないからな.
あと,細かいことだがオペラント条件づけとアフォが考え出された時代が違う,
というのはまったく間違い.ギブソン(1910生)とスキナー(1904生)は
心理学史的には同世代と言っていいし,スキナーが行動分析学を発展させたのと,
ギブソンがアフォーの理論を考え続けたのは同じ時代.
単に,スキナーの方が先に理解され,ギブソンが理解されるのは遅かったというだけのこと.
何度も言ったが、基本的に私は誰それがどう言ったとか、ある学問の歴史などに 興味はなく、あくまで行動発現の仕組みや脳の機能をより深く理解したいのだ。 私はうみねこになり、この興味に突き動かさせて、さまざまな学問世界を鳥瞰して きたが、刺激-反応理論に基づく説明は一番つまらないものであった。この理論が 一時的にでもあれ、心理学界を席巻したという事実はほとんど信じられない。 >歴史的には自発性などという定義不能なメンタルな概念が廃されて たしかに20世紀末になるまでこのことは事実であったかも知れない。しかし、 行動主義心理学がメンタルな概念を捨てた後も、神経生理学を初めとする基礎科学が 進歩した結果、従来は定義不能であったメンタルな概念を扱える環境が整ってきた。 つまり君の知識こそ片手落ちであり、特に近年の脳科学の進展に無関心すぎるのだ。 >オペラント条件づけにおける強化は >結果によって定義される再帰的な概念だから,そこには >行動の頻度の増減に影響する「すべての」要因を包含することが >できる. しかし、最も最初の原因である「オペラントの自発」に君たちは全く言及して こなかった。君たちは21世紀に入った今も、20世紀半ばの概念をもっとらしく 見せかけることに汲々としているのである。
E-mailを公開したらいきなりウイルスが送られてきたよ。 ほんまに鬱になるな。
2chにメールをさらせば何をアフォードするかわかっておろうに… それは必然。というかまさにオペランド条件。
それでもあえて公開したのは、うちはウイルス対策ができていることの自信の 表れでもある。
オペラント理論は刺激反応理論ではないが? むしろ、認知理論の方が刺激反応理論なのだが。
>>757 刺激反応(SR)理論でなく反応刺激(RS)理論だと言いたいの?(笑)
言い方が悪ければ、入力と出力だけで説明しようとする立場がつまらない
と言ってもよい。
何度も言うが、私の主張は「脳が刺激と行動をドライブしている」ということ。
うーんと、私の考えでは、おそらく非常におおざっぱに分けると 心理学者には行動主義者と認知主義者がいる。そして、私は神経生理学を 初めとする生理学または生物学の立場にある。これら三者は行動を 理解したいという意味では興味の対象が共通している。 そして、「脳が刺激と行動をドライブしている」という私の立場からは、 行動主義には全く見るべきものがない。そして、この立場ゆえに、 刺激がなくとも生体は自ら随意筋を動かすことができる、という意味での 「自発性」が重要なテーマになってくるんだよ。
760 :
マmail :01/09/16 00:03
>>752 あと,細かいことだがオペラント条件づけとアフォが考え出された時代が違う,
というのはまったく間違い.
御意。誰がいつ何をいったのかは大事。事実に基づいて考えることは自然科学の基本でし
ょ。
ギブソンの考え方は基本的に知覚理論。しかし、行為者が動く場合の知覚理論であった。
そのため
1 従来的な知覚理論からは攻撃が加えられることさえあった。
2 行動理論として再発見されることになった。
という解釈はいかが?
一方でスキナーはオペラント行動の研究をするなかで、(オペラント)随伴性、進化、
文化を統一的に説明できると考えていたので、結果的にギブソンの考え方はスキナーの考
え方とある意味で親和性を持つようになった。
『ギブソンの生態学的心理学』ロンバード,古崎他訳 勁草書房 から関係しそうなとこ
ろを抜いておきます。
p335 1957年から1961年の間に、ギブソンは、それまでとっていた精神物理学的アプロ
ーチを、知覚に対する生態学的アプローチへと、大きく転換された。
p440 経歴の最後の10年間(1970年代)には、ギブソンの見方に対する世間の関心は非常
に高まった。
ついでに、スキナーの考え方についてややわかりやすい説明があったのでそれも抜いておきます。
『ことばと行動』 ブレーン出版 2001から 佐藤方哉 行動分析学の特徴
p3
1 研究の対象は行動それ自体である。行動を通して心ないし意識や認知あるいは脳の働
きなどを研究するのではない。
2 行動に関するすべての出来事を、同一の理論的枠組とできるだけ少ない共通の原理で
分析する。
3 行動の原因を、個体の内部にではなく、個体をとりまく過去及び現在の環境のなかに
求める。
p7 オペラント行動とは、その行動の生じた直後の環境の変化(刺激の出現もしくは消失)
に応じて、その後にその行動が生じる頻度が変化する行動である。オペラント行動には通
常それを引き起こす(elicit)生得的な刺激(無条件誘発刺激)は存在しない。オペラント行
動は個体が自発する(emit)行動である。
オペラント条件付けとは、オペラント行動が、それが自発された直後の環境の変化に応
じて、その後の自発頻度が変化することをいう。
行動随伴性とは、オペラント行動とそれが自発された直後の環境の変化との関係をいう。 強化とは、直前のオペラント行動の自発頻度を高める環境の変化をいう。強化をもたら
す環境の変化は、通常、個体の生存にとって望ましい出来事である。言語共同体とは、特
有の行動随伴性のもとで特有の言語を共有する共同体をいう。
行動分析学の研究の中心はオペラント条件付けで、その分析の理論的枠組は行動随伴性
である。
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/16 00:45
アフォーダンス理論で説明できる自律ロボットとか造れば文句いわれないんじゃない。それが気持ち悪いほどに人間のように振る舞えば、みんなを納得させれらるよ。 言葉だけだからうさん臭がれるんだよ。
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/16 02:07
アイボがあるじゃん.<あふぉ理論で動くロボット
763 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/16 02:10
>>762 それはホント??
どんな風にアフォ理論を利用してるのか説明キボウ。
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/16 02:17
人工知能とかは自己完結するタイプの研究に先がなくなったりして アフォー理論とか注目をあびやすくなったのでは? そっち方面は詳しくはないが。。。
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/16 02:39
>>764 もしかしてあなたさまは
>>762 さん??
まさかそれが
>>763 への解答?
そしてまさかギブソニアン?
もしそうだとすると、それがギブソニアンが攻撃されやすい原因だよ。あれだけのブームを造ったのだから、責任を持って一般化、具現化の道しるべを示すべきだ。
実際ブームなんてあったのか?疑問だ。 攻撃ってのもよくわからん。 やっと進み始めて形になるのか?って段階の思想なような気も。 ギブソニアンはどー思っているのだろうか。
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/16 20:11
>>766 進んでいるのか?
足踏み状態のような。
ギブソンが偉大すぎるせいか?
ブレイクスルー的な研究はいつ発生するのか?
情報理論や計算論で説明つかないからアフォーダンス、っていうんじゃなくて、アフォーダンス以外では説明がつかない、という研究が必要。
>>765 はいはい.おおはずれ.
764は別人.763への回答もしていない.私はギブソニアンではない.
ソニーのアイボ開発者の開発にまつわるお話がWebのどこかにでてるはずだから,
それでも読んでくれたまい
>>763 >>768 そんなことはないよ?<アフォーダンス以外では説明がつかない、という研究が必要
決して情報理論と,アフォは背反ってわけではあるまい.
外界の情報の何をいつ,脳が処理しているのかで解釈が食い違っているだけでは?
ギブソニアンのよくやらかす間違いの一つが,
全体の知覚のほうが,部分の近くより早い→だから,環境情報を直接知覚している
というやつがある.
しかし,神経生理的には,部分の情報が処理されているから,全体の処理が行える.
これはもう,神経回路の投射の図式からしてしょうがないこと.<少なくとも視覚は
その処理のハイエラルキー順に知覚(意識)されるわけではないってだけです.
ギブソニアンの言っていることも間違いではないけどね.
連合野で情報が処理されてはじめて意識化される≒環境情報の直接知覚ってだけじゃないすかね.
従って,網膜座標,頭部座標,身体座標などの相互変換によって
身体近傍空間を処理している,と考える方が現時点ではもっともらしい.と思われ.
>>769 私も最後まで残る疑問が「直接知覚」という考え方なのだが、君の説明する
>全体の知覚のほうが,部分の近くより早い→だから,環境情報を直接知覚している
>というやつがある.
>しかし,神経生理的には,部分の情報が処理されているから,全体の処理が行える.
>これはもう,神経回路の投射の図式からしてしょうがないこと.<少なくとも視覚は
>その処理のハイエラルキー順に知覚(意識)されるわけではないってだけです.
は論理が食い違っている。ギブソニアンは部分の知覚より全体の知覚の
方が速いという、一方、神経回路の投射の図式は部分の情報処理がなされてから
全体の処理が行えるような構造になっている。ここまではよい。しかし、
このことと、少なくとも視覚はその処理のハイエラルキー順に知覚
(意識)されるわけではない、というのが繋がらない。読解不足かも
知れないのでもう少し説明してほしい。
それから、神経回路の投射の図式は部分の情報処理がなされてから
全体の処理が行えるような構造になっている、というのも言い切れない。
たとえば顔のような全体的な構造の処理を担当する皮質領域が存在する。
そして、それらの皮質領域間の連絡構造が「解剖学的に」一貫して部分から
全体へというヒエラルキー順に結合しているということは明らかにされて
いるのか?
「直接知覚」の意味がまだ分からないということを断った上で、しかし、
私には連合野で情報が処理されてはじめて意識化される、と言い切るのは
まだ怖い。
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/17 03:28
>>769 >ギブソニアンのよくやらかす間違いの一つが,
>全体の知覚のほうが,部分の近くより早い→だから,環境情報を直接知覚している
>というやつがある.
これは,ギブソニアンではなく,ゲシュタルトの主張でしょ?まぁ,確かに
ギブソニアンはゲシュタルトの影響を受けてはいるが,そのような主張はき
いたことないよ。エセギブソニアンでは。
それに仮に全体の知覚がはやいからって,どうして直接知覚になるのか理解
できないのだが。
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/17 06:26
あなたはすぐに絶対などと云う あたしは何時も其れを厭がるの だって冷めてしまっちゃえば其れすら嘘になるじゃない
まずは、自分はギブソニアンだと自認する人が「直接知覚」について説明して くださることを希望します。
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/18 04:51
ギブソニアン来れ!煽り荒らしありません! 164さんもやさしく対応します!もう持論を歌いあげたりはしません! ぎぶそにあんキボーーン!!!!
私もこのスレでいろいろ勉強させていただいたので感謝しているのですが、 アフォーダンスという情報が環境にあるのはよく分かったけれども、私はむしろ その環境にある情報を脳が取り出す仕組みに関心があるのですね(もちろん、脳 または中枢神経系、または、まぁ比較的単純な神経回路をもつ生物が環境の情報を 取り出す仕組み自体もその生物の生活環境に依存しており、自然淘汰によって 獲得されたものであることは理解しているつもりです)。 最初の方はこの点でいろいろ食い違いがあったような気がしています。 で、最後に残った、というか今でも分からないのが「直接知覚」という考え方だ ということです。これを、なにか実験の例を挙げて解説してくださいとお願いしている のです。 ただ、生物が運動を開始するのも、感覚器から受容した情報の処理を開始する のも自動的に始まるんじゃない。そこには神経細胞の持つ性質としての自発発火と いう現象が働いていると考えている。メンタルローテーションで、そもそも図形を 回転させようとするのはいったいなにか? これを問うている。それを「意図」と呼ぶか 「自由意志」と呼ぶか「自発性」と呼ぶかはともかく、これを問う意味があると 感じたときはいつでも言及するつもりです。
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/18 08:22
いま日本で明確にギブソニアンを自称する(かつそれに価する)人は
みんな名前の知られた人だし,ギブソンをしろうと相手に説明しよう
(説明できる)などという人はもっと少ない。絶対数が少ないんだよ。
ここへくる人は確率的に皆無に近いだろう。
スキナリアンだって日本には優に500人いるのとはずいぶん違う。
>>776 では「自発性」と「自動的」ということの違いを
メンタルな概念を用いないで説明してほしい。
細胞の(ランダムなノイズとしての)自発発火のどこが
「自発的」で「自動的じゃない」の?
君がそれを説明できないということ自体,その議論の
無意味性を明らかにしているんだyと。
意図,自由意志,自発性などの概念は,どれも事象を科学的に
説明するものではなく,事象に対する人間の素朴な解釈に
用いられる概念に過ぎない。精霊,霊魂,運命,相性などと同じ。
>では「自発性」と「自動的」ということの違いを >メンタルな概念を用いないで説明してほしい。 もうすでにいろんな例を挙げて説明しているんだけどね。君こそ蒸し 返さないでくれる? それに、776で用いた言い回しは用語の定義で もめることをうまくかわしたつもりなんだけど。それに、私は神経 細胞の自発発火をランダムなノイズとは考えていない。そっちで勝手に 決めつけないでくれる?
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/18 10:37
ランダムなノイズでなかったらむしろ大変だぞ。 多細胞生物において細胞単位で目的性のある「行動」が生じていることになる。 自分が物凄いトンデモ説を主張していることに気付くべし。
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/18 10:43
「用語の定義でもめることをうまくかわ」せるような概念は すべて定義ができてないわけだから無意味なんだよ。 操作的定義がきちんとできて,用語の意味について同意ができるような 概念しか用いなくても「意味がある」主張以外は,考慮されないの。 君の「自発性」話は定義できる用語で述べたらまったく内容がなくなる。 定義というのは「例を挙げて説明する」ことではないぞ。それに 君の話はすぐに自分があげた「例」(とそれに基づいた定義)を 逸脱する。君の説の内容がどうのこうのいう以前に, 科学的な議論をするための基礎訓練の問題だと思う。
話が進まないじゃないか。 「一般に刺激のない環境で、少しでも動物個体が随意筋を動かしたら、 それは自発的な運動であり、行動である」 これでよいか?
君たち心理学者は言葉の定義を問題にするが、私は数々の客観的にみて とれる現象に共通する事柄、基盤となる原理のようなものに注目するんだ。 これに関して出てくるアイディアは突き詰めれば直観みたいなものかも 知れない。最初はなかなか言葉にできない。しかし、これが、我々が 物事に対する理解を深める上で重要なことだと考えている。 ゾウリムシは自分で勝手に動き回っているよね。では、ゾウリムシの 身体の構成要素である細胞膜やゴルジ体、ミトコンドリアに鞭毛などを 個別に作って合体させたら、その「ゾウリムシ」は動き回り出すだろうか? これは直観にすぎないんだが、私は動き出さないと思う。決して超自然的な ものを想定しているわけではないが、なにかが足りないと感じる。この 「なにか」なんですよ、一番根本的な興味は。ゾウリムシは一番極端な 例だが、とにかく動物が自ら動き出す、このことを私は「自発性」いう言葉を 用いて記述する以外の方法が思い浮かばない、ということなんですよ。
たとえばここにモーターがある。電源が接続されているので回って いる。これを見て、しかしモーターの部品を集めて組み立てただけでは モーターは回らない。当たり前だが電源をつないでエネルギーを供給して やらないとモーターは回らない。では電源をつないだらなぜモーターは 回るのだろうか? 言いたいのは、このことが今までの行動研究では 問題にされてこなかった、ということ。
神経細胞の自発発火まで言及したのは先走りすぎたのかも知れない。 今はとにかく、動物が自ら動き出すという、ごく基本的なことに問題が 存在することに気がついていただければよい。 では(笑)、どなたか「直接知覚」についての解説をお願いします。
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/18 13:44
つまり,君が興味を持っていることとアフォーダンスは関係ないのだよ。 生物がいくら行動を自発しようが,それが環境のアフォーダンスとの相互作用によって なんらかの「結果」を生み出さなければ,その「自発行動」には何の意味もない。 アフォーダンスや条件づけなど,心理学者が問題にしているのは そうした「行動の意味が生み出されるシステム」であって,無意味な行動が ランダムに生み出されるシステムではない。 君は前に,君の言う自発的行動とはオペラントのことであるとみとめたよね? オペラントはランダムな(それ自体は無意味な)行動自発で,その意味は結果によって与えられる。 おそらくそれは,どこかの神経のランダムな発火か外的なノイズによるんだろう。 そんなことはきっと比較的容易に解明できるだろう。これは進化における突然変異と 同じ役割なわけだけど,突然変異が遺伝子が分割,結合される時の偶然のエラー (つまりノイズだ)によって生じることはほとんど分かってるよね? でも,突然変異のシステムと進化のフェノタイプには関係がないように, オペラントが自発するシステムと「行動の意味」とは何の関係もない。 君のまねをして比喩を用いるなら,君の言ってることは,自分の買った宝くじの 当たり外れについて考えようとしているのに,まずはその宝くじに印刷された番号が どのように生成されているかについて考えろ,それを考えなきゃ宝くじについて 理解したことにはならないと言っているようなものだ。 (しかし,科学的な議論では比喩は無意味だ。生物は宝くじではないし,モーターでもない。) どうも君はほんとは「生命の神秘」みたいなものに囚われているんじゃないかな? 君の疑問は結局「生物はなぜ生きているのか」ということに帰着すると思う。 残念ながら,それは科学のテーマではない。
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/18 13:47
>>782 そのような議論は心理学だけでなく,生物も含めたあらゆる科学から
相手にされないだろう。まさに「生命の起源」に関する基本的な問題で,
科学ではなく宗教の領域だ。あるいはある種の構造主義哲学ね。
君が生物学を習ったのなら,そういうことには答えがないということも習ったはずだが?
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/18 14:13
どうせ785、786はマさんなんだろうけど、あなた、ほんとに行動主義と 進化論に凝り固まっているのね。自分だけが絶対正しくて、異なる 意見には耳を傾ける余裕がまったくない人間だと見たね。私はあなたが 恐ろしい。
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/09/18 16:35
>>164 端から見てるとどっちもどっちですので、本論とは直接関係ないようなことは言わない方がいいですよ。スレが荒れる元ですから。
>>788 議論の問題点にあわせてきちんとした立場や学説に基づいて発言できなきゃ
学者じゃないだろう。座標軸の定まらないひとりごとだけ言ってればいいのは
しろうとだけだよ。