1 :
心理学における名なしさん :
2000/09/14(木) 21:41 哲学板でも話題の「知」の欺瞞。 ラカンやクリステヴァなど精神分析系が叩かれてますが、 ほかの分野の心理学の中にも怪しいのがありますよね。 レヴィンの「トポロジー心理学」なんかその筆頭か? ちょっと古いが。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/15(金) 00:03
心理学にポストモダンなんてあったっけ?
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/15(金) 00:29
科学のカテゴリーに入らず、そのくせ難解な概念を縦横無尽にして人をケムにまく理論(のようなもの) へのデジタル頭脳の反感は深く暗い。デジタルの質が粗悪でチープな事もままあるんだが、その人の程度なりに、 自分の理解不能なものに対して、「欺瞞」とよんでみる、欺瞞もある。・・・と語る欺瞞もある。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/15(金) 02:48
>2 心理学....といっていいのかどうか分からんが, 家族療法家のある流派とか(良く知らん), うわごとのようにポストモダンっていってるぜ.
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/15(金) 04:53
あの論争の根底には,人文・社会科学における メタファの適切な使用とはどのようなものかという とても心理学的なテーマが横たわっているように思う。
6 :
マルシンド :2000/09/15(金) 09:02
5の指摘は凄く正しいんだけど, その問題をここで,基本的な文献も読んでない人と 議論するのはかなり辛いなあ.
7 :
マルシンド :2000/09/15(金) 09:05
付け加えれば,心理学の「科学と臨床」論争みたいなものは 哲学史でいえばまだ論理実証主義以前,20世紀初頭のレベル. 心理学者はポストモダンなんていう前にまずは論理実証主義レベル の頭を最低でも持つべし,というのが俺があちこちで主張してきたこと 論理実証主義は確かに哲学史的には破綻しているけど, 心理学はまだその時代にも達していないということ.
論理実証主義ってよく聞きますが,なんかよくわからん. 心理学と絡めるとどんな感じなのでしょうか 厨房な私にも分かるよう噛んで含むように教えてもらえんでしょうか
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/17(日) 00:29
age
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/17(日) 02:53
パンデモニアム・モデルってかなり怪しい気がするが... でも権威づけのために難しいこと言ってるわけじゃなく, 易しく説明しようとして,ちょっとトンデモの方へ逝っちゃったのか。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/17(日) 23:24
>10 いや、あれって脳科学的に見たら結構妥当なんだよ。 デーモンとかの言葉に惑わされちゃだめだよ。
12 :
少年老いやすく@いうま :2000/09/18(月) 00:01
仮説と定説とを峻別すべし。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/19(火) 05:09
神経言語プログラミングって... 定説なんでしょうか?
14 :
↑ :2000/09/19(火) 10:30
他のスレ見てね。有効性はよく分からないが、定説でないことは確か。 むしろ高橋某流の「定説」に近いという認識でしょうね。
15 :
超素人で恐縮ですが・・・ :2000/09/19(火) 15:31
スレッドの題名の「「知」の○○」って何て読むのですか?^^;
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/19(火) 17:36
>15 漢字辞典調べてみぃ
17 :
↑ :2000/09/19(火) 18:18
「ぎまん」 って書く方が字数少ないのに、、、。
18 :
マルシンド :2000/09/19(火) 18:46
>8 論理実証主義は今世紀前半の自然科学の爆発的発展とともに 「科学の基礎を明確にする」と標榜して現れた哲学の流派. ある言説(仮説や理論)が科学的かどうかを,それが客観的に 観察可能なものを基礎にしているかどうかで区別し,そうでない 言説を「形而上学」として科学と区別した. 心理学との関連で言えば,論理実証主義から出てきた 「操作的定義」という考え方が重要.操作的定義とは 概念(ものや現象につけた名前)を観察可能な一定の手続き (操作)によって定義すること.心理学で言えば,「こころ」 や「欲求」「学習」などの概念を,観察可能な行動によって定義し, 定義された行動を観察したり測定したりすることで「概念を観察した」 と考えること.現在の科学的心理学は,「こころ」を明白に対象とするか 否かに関わらず,こうした操作的定義をその方法論の基礎にしている. 論理実証主義はその後,簡単に言えば「科学はそんなに狭苦しいものじゃない」 ということで影響力を失ったが,自然科学が論理実証主義を基礎に 積み重ねた知識が今世紀の科学の発展の主な原動力になったことは 疑えない.また,「論理実証主義で分析できるもの」については 論理実証主義的な分析がもっとも有効であることは変わらない.
19 :
マルシンド :2000/09/19(火) 18:56
心理学で言えば 1.論理実証主義(または「科学的心理学」)で確実に 分析できることをいまだに「こころは科学では分析できない」 みたいにゴネてる人が多い. 2.「科学的心理学」を標榜していても,まだ操作的定義が できない形而上学的概念が多用されている. 「性格」「欲求」「態度」などきりがない.... 3.その結果,論理実証主義より先の問題に進めない. もっとリアルな議論に即して言えば,たしかに人の行動や「こころ」 の問題には論理実証主義ではもはや分析できないもっと高レベルの 問題がたくさんある.ところが,論理実証主義レベルの思考も方法も 持ち合わせない人々がたくさんいて,そういうやつに限って「ポスト モダン」などの言葉だけに踊らされて,なんでもかんでも論理実証主義を 否定する.ちゃんと切り分けることが進歩のために必要なのに, それがわからないわけだ. こんな大問題を短く書くために1時間も苦労したんだから これに「コピペだ」とか「自分の言葉で書け」なんて 的外れなレス付ける奴がいたら俺はほんとに怒るぞ.
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/19(火) 22:32
漢字が多くて読みにくい(笑) ところで論理実証主義とかいうのは命題におきかえれないものには 口をつぐむんだよな、というか無意味とまで言ってしまうんだよな。その結果、語れる対象は極めて限定 される。ウィトゲンシュタインというのは(伝記読むと感じるが)猛烈にシゾイドな人なのでそれで 平気なのかもしれんが、実際にはそれで何を語れる? また語れない部分(命題にならない部分)を平気で無視できる、その視野欠損的神経には歪曲を感じる。 なんでも「妄想的」に語ってしまうポストモダンと、極めて局地戦のみで世界を推し量る思考の狭さをもつ 論理実証主義は、対極にそれぞれにある。だからどちらがともいわんが。 ああ、それにしても、物理とウィトゲンシュタインと行動分析の香りがするんだが、気のせいか・・・
21 :
伍長 :2000/09/20(水) 00:54
>20 1時間も苦労したマルシンドさんが怒りますよ。(苦笑) 失礼ながら、まず第一に、ここでウィトゲンシュタインを持ち出すのは少々お門違いです。 彼は、前期においてでさえ、論理実証主義者ではないはず。 論理実証主義者たちは、ウィトゲンシュタインの「語り得ぬもの」を、 マルシンドさんの言う、 >ある言説(仮説や理論)が科学的かどうかを,それが客観的に >観察可能なものを基礎にしているかどうかで区別し,そうでない >言説を「形而上学」として科学と区別した. という形で限定的に解釈した(と、私は理解しています)。 第二に、マルシンドさんは、論理実証主義の上っ面レベルを通過すること「すら」していない心理学者が多いということを批判しているだけ。私も同意する。 こんなことでは、論理実証主義の >極めて局地戦のみで世界を推し量る思考の狭さ を乗り越えることなんて出来るわけがない。 現に、良い実験、研究というのは、研究者自身がどう考えているにせよ、「論理実証主義の上っ面レベル」は充分に確保しているはずで、動物屋さんが時々紹介してくれる実験研究などは、多分その事例でしょう。 ついでに、 >物理とウィトゲンシュタインと行動分析の香りがするんだが、気のせいか・・・ というのも変な勘ぐりで、気のせいです。 論理実証主義者の物理主義や操作主義に批判的であったのがスキナーであり、多分ウィトゲンシュタインもそうです。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/20(水) 01:30
これは邪推しつれい。とりあえず波紋を作れば答えは出ると思いまして。多謝。 そうですか。ウィトゲンシュタインは最終的に「語りえぬもの」についての領域を 認めていたと思うが、論理実証主義者はそれをニグレクトしていたと思うのだが。 その厳密さと狭量さゆえに、行き詰まったのであると解釈しているが。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/20(水) 02:26
age
24 :
マルシンド :2000/09/20(水) 12:46
>伍長さん スキナーが論理実証主義や操作主義に批判的だったというのは 今まで気付かなかったんだけど,どの本をみたらわかる? (スキナーの原書は一通り揃っている.あまり読んでないけど..) あと洋書でスミスって人の「行動主義と論理実証主義」みたいな 本も持ってるんだけど読んでない.これにそういうこと書いてあるなら 読もうと思うので教えて下さい.
25 :
マルシンド :2000/09/20(水) 19:51
自己レス. About Behaviorism を見たら最初のところに書いてありました. 勉強不足反省. しかし,これって形而上学的存在もたとえば言語行動としての 行動分析が可能なのだ,だから形而上学的存在を扱えない (あるいは除外した)論理実証主義=方法論的行動主義より 行動分析の方が優れている,という主張と読んで良いのかな? >伍長さん
26 :
伍長 :2000/09/21(木) 00:40
よろしいのではないでしょうか。 論理実証主義に対するスキナーの理解が正確かどうかはともかく。 論理実証主義に関しては、“About Behaviorism”以外にもあちこちの著書の中で、ときおり短い一言が見られますが、‘The operational analysis of psychological terms.’(1945)(“Cumulative Record”に収録)の中にも次のような記述がありました。 「もしも心理学が統一科学(≒論理実証主義。伍長註)のメンバーであるならば、心理学のデータはメンタルなものであるよりはむしろ行動的なものでなければならないということは同意できる。しかし、採られる位置は単に‘方法論論的’行動主義の位置である。この学説によれば、世界は公的出来事と私的出来事に分けられる。そして心理学は、科学の要求に応えるために、自分自身を前者に限定しなければならない。しかし、これは決して良い行動主義ではない。(中略)この位置は、虚構(「心」「意識」などの心的用語の指示対象とされる仮設的な心的実体。伍長註)を捨て去ることに消極的であるため、純粋に操作的とは言えない。」 スミスの本は持ってません。哲学書?
27 :
伍長 :2000/09/21(木) 00:43
操作主義に関する上記論文では、御存知とは思いますが、私的出来事が言語行動を制御するようになるのは何故なのかという理論的分析が中心になっていて、“Sience and Human Behavior”や“Verbal Behavior”の同様箇所の先駆となっています。ウィトゲンシュタインの「私的言語批判」と同様の分析を、ウィトゲンとは全く無関係に、且つウィトゲンよりもはるかに明敏にやっているわけで、行動分析家はもっと宣伝すべきだと思う。 この理論的分析の前後が、操作主義に関するスキナーの回りくどい意見表明で、例の如く難解で真意が測りかねるのですが、勝手に解釈すると、「心理学用語の操作的な再定義は単なる“練習”にすぎず、必要なのは新しく定義された用語群である」、「ブリッジマンの操作主義もボーニングやスティーブンスの操作主義も決して良い操作主義ではない」、「しかし操作的態度をとることは基本的には良いことである」、「心的用語は、操作に基づく“同意”によってではなく、むしろ言語行動として扱われるべきである(この事例が上記の私的出来事に関する部分)」ということでしょうか。屈折・錯綜していて分かりにくい。 物理主義に関しては、ウィトゲンの高弟であるマルコムが、カルナップ(物理主義)とスキナー(行動主義)を比較して論じていて、両者は似て非なるものであって、スキナーの方が正しいと述べています。スキナーもマルコムの理解に感謝しているようです(ワン編『行動主義と現象学』岩崎学術出版(1980)の第5章)。ただしマルコムは、両者共に所詮は同じ根本的欠陥を持っていると断じ、スキナーは満足のいく反論ができずにいます。でも反論は出来たはず。
28 :
マルシンド :2000/09/21(木) 10:53
>伍長さん 解説感謝.Cumulative Record は手元にあるので読んでみます. ワンも原書は持ってるんだけど翻訳あるならそっちを読み直すかな. ちなみに,ウイトゲンシュタインの特に初期の思想は 哲学の入門書などでよく「行動主義」と表現されてたりするよね. 私もスキナーとウイトゲンシュタインには共通する部分が かなり多いと思っていました.もちろんどっちも好き(笑). 共通する,っていえばギブソンとスキナーもじつは似てるよね. ギブソニアンは真っ赤になって否定するだろうけどさ.
29 :
伍長 :2000/09/21(木) 18:31
30 :
↑ :2000/09/21(木) 19:23
マルシンドです. リンク先読んでみましたが,あっちは敵が手強いですね(笑). でも,哲学者に期待してはいけない.伍長さんがウイトゲンを 通じて問おうとしている「問題」は優れて心理学的なものであり, 心理学的問題について,心理学以外の学問が答えを用意して 待っていてくれることなど,実際にはないからです. 心理学的問題は心理学者によって解かれる. もしそれが,心理学以外の知識を基礎にしたアプローチであってもね.
31 :
マルシンド :2000/09/21(木) 19:28
あと,ギブソンは「アフォーダンス」のギブソン(笑). いま「心理学外」から最も評価されている心理学者です. そういえばこの板ではギブソンの話題はでないねえ. 佐々木正人「アフォーダンス〜新しい認知の理論」くらいは 心理学者の一般教養として読んでおきましょう! スキナリアンなら「なんでこれが行動主義と対立するの?」 と思うでしょう.
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/01(日) 00:53
アフォーダンスあげ。
>4 >家族療法家のある流派とか(良く知らん), >うわごとのようにポストモダンっていってるぜ MRIとかの家族療法のことだと思いますが、どのあたりがうわごとなのか教えていただけないでしょうか? 今家族療法について勉強中ですが、外部から見た見方というのがよく分からないので。 なにぶんにも勉強始めたばかりなので難しくない言葉でお願いします。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/12(木) 03:45
えっ? 知覚のギブソンとアフォーダンスのギブソンって別人なんですか?
35 :
マルシンド :2000/10/12(木) 07:06
↑なわけないでしょ(笑)
36 :
マルシンド :2000/10/12(木) 07:07
あ,でも乳幼児知覚発達とかのE.ギブソンは 奥さんの方ね.
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/12(木) 17:14
↑知覚的断崖は嫁さん?
38 :
マルシンド :2000/10/12(木) 18:05
↑そうです.
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/12(木) 19:56
↑おととい放送大学(乳幼児心理学)でビジュアルクリフやってたぞ.
40 :
マルシンド :2000/10/12(木) 20:26
ビジュアルクリフは本当に印象深い実験だよね. うちの女房(心理出身)も他の心理学知識はほとんど忘れても あれは憶えてて,うちのガキにやらせてみたいとか 言ってるもんね.あれの実物って,日本ではいくつくらいあるのかな. たしか北大にはあるって聞いたけど....
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/12(木) 20:41
ギブソニアンの主張は ギブソンの主張したアフォーダンスから 逸脱してないかい?
42 :
↑ :2000/10/12(木) 20:45
いきなり深い議論に突入だな−(笑). その「ギブソニアン」って特定の人またはグループを 指してるっぽく聞こえるけど,いかが....
43 :
マルシンド(&42) :2000/10/12(木) 20:49
たしかに,たとえばギブソン本人はアフォーダンスを 物体の物理的性質に結びついた,アプリオリなものと 考えてる傾向あるけど,今のギブソニアンは社会学習的に 形成されるようなアフォーダンスに拡張してるかも, そういうことかな? ただ,それは逸脱と言うより正当な拡張のように 俺には思えるけどね,だれか専門家いないのここには?
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/12(木) 22:27
北大じゃ三宅亡き後,ほこりかぶってるだろ. 北大の発達もステイタス落ちたよね. 今なにやってんだろうな,北大教育.
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/12(木) 22:43
↑すまん,三宅はまだ死んでないんだった.
46 :
↑ :2000/10/13(金) 09:55
伊豆に立派な分譲型老人ホーム買ったんだよね.
47 :
どーでもいいことだが :2000/10/13(金) 18:57
専門家でもなんでもないけど。 視知覚に関するギブソンの一連の研究には共感を覚えるけど、 いわゆる「ギブソニアン」の主張はずいぶん遠く感じる。
48 :
↑ :2000/10/13(金) 19:14
その「いわゆるギブソニアン」って誰のこと, あるいはどのグループのことを指しておっしゃってるのでしょうか. あと,「アフォーダンス」の部分は「視知覚に関する ギブソンの一連の研究」に含まれるとお考えか否か? やっぱり「生態学的視覚論」程度はお読みになった方が 良いかも.読んでらしておっしゃってるんでしたら失礼.
49 :
47 :2000/10/16(月) 12:14
>>48 こりゃ失礼しました。
>「いわゆるギブソニアン」って誰のこと
素人が日本語で気軽に読める範囲では、「ギブソニアン」という語には
東大教育のあのお方とその賛同者いう意味しか読み取れなかったのですが。
「誰」「どのグループ」を特定しないといけないほどに「ギブソニアン」
と呼ばれる人々の間には見解の相違があるのでしょうか。私の不勉強でした。
> アフォーダンス」の部分は「視知覚に関する
> ギブソンの一連の研究」に含まれるとお考えか
含みます。ただし、共感と賛同は別です。
「そう言いたくなる気持ちはわかるんだが、でもそれはどうかな?」という
気持ちをこめて「共感を覚えるけど」と書きました。
50 :
47 :2000/10/16(月) 12:20
ついでにひとこと。
>>43 > ギブソン本人はアフォーダンスを物体の物理的性質に結びついた
> アプリオリなものと考えてる傾向あるけど
「生態学的知覚論」には
〒ポストが郵便制度のある地域で手紙を書いた人に
手紙を投函することをアフォードする
という例(うろ覚えですが)が出てきます。
これを「物体の物理的性質に結びついたアプリオリなもの」と
呼んでいいのか疑問に思いますが。
51 :
47 :2000/10/16(月) 12:22
「〒ポスト」ってなんだよ… 鬱だ氏のう。 スレの趣旨から脱線して申し訳ない。>All
52 :
マルシンド :2000/10/16(月) 12:35
>49@`50 なるほど.「あの方たち」のノリはアメリカのギブソニアン と基本的に連動してる気もするけど, >これを「物体の物理的性質に結びついたアプリオリなもの」と >呼んでいいのか疑問に思いますが。 というように,俺が指摘したような「ギブソンとの違い」を 問題にしてるのでないのなら,佐々木さんらが複雑系とか心身問題とか 「心理学じゃない」領域に首を突っ込んでいることが 「逸脱」だと考えるのかな? ごめん,まだ主旨がわからない.
53 :
マルシンド :2000/10/16(月) 12:38
余計なつけくわえをすれば, 「現代思想」なんか読んでると,哲学の連中が 佐々木さんらを面白がっていじり倒しているという 雰囲気が伝わってくるように感じるのは俺だけ?
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/16(月) 16:15
>〒ポストが郵便制度のある地域で手紙を書いた人に >手紙を投函することをアフォードする これってもろスキナーじゃん。 郵便ポストが弁別刺激になってるっていうこととどう違うのよ。
55 :
こうもり :2000/10/16(月) 17:16
「郵便ポストに手紙を入れると手紙が届く」、って知識を考えるか どうかでないのかな。アフォーダンスは、一応知識も考える、と 勝手に理解してるけど。 弁別刺激なら、知識は必要とせんでしょ。というか、冗長だとして、 そもそも知識について考えないのではなかろーか。 自信なし!!
56 :
マルシンド :2000/10/16(月) 18:49
だからスキナーとギブソンは基本同じなんだって. 佐々木さんたちが行動主義の悪口いうのは 自分たちが教育された「方法論的行動主義」を 対象にしてだと思うね(あるいはよくあるスキナー についての勉強不足). ギブソン自身は「知識」なんてものは考えないと思うよ. アフォーダンスは「直接知覚されるもの」で,内的過程は どうでもいいんだから.
57 :
しろうと=47=49=50 :2000/10/16(月) 19:18
>>52 > ごめん,まだ主旨がわからない.
すみません。
なぜギブソンには共感することが出来るが佐々木正人はダメなのか、
その違いがどこにあるのか自分でも未だに整理がついていないんです。
えっと、今、考えが及ぶ限りで整理してみますが
まず、「ギブソニアン派(佐々木派?)」は、彼らのアプローチと
「古典的な知覚理論」「網膜像に基づく説明」などとの差異を強調する
傾向が強いと思います。これを読んでいて疑問に思うのは
ギブソンの「アフォーダンス」と「古典的知覚理論」は
原理的に相容れないものなのか
ということです。また彼らの文章では
現在の「ギブソニアン派ではない」視覚研究は、すべて彼らが言う
「古典的知覚理論」「網膜像に基づく説明」に含まれるのか
という点が不明瞭(だと私には思える)なのも気になります。
私は、現在の「佐々木派ではない」視覚研究にはギブソンの思想を
活かした研究が多く含まれていると思うんです。しろーと判断ですが。
「古典的知覚理論」だの何だのではなく、「現在の知覚理論」に
ギブソンはどのように取り込まれているのか、さらに何が取り込まれる
べきなのかといった問題こそ、「ギブソニアン」を含む現在の研究者が
するべき議論だと思うんです。
その辺りの議論が不足しているように感じるのが、佐々木正人の
文章を読んでいて不満を感じる理由かも知れません。
うーん、なんかまだ整理できていない部分がある気がする…
58 :
しろうと :2000/10/16(月) 19:22
>>54 >郵便ポストが弁別刺激になってるっていうこととどう違うのよ。
問題にしていることがぜんぜん違うと思います。
心理学をきちんと学んだことがないので、スキナーを正しく理解しているか
どうか自信がありませんが。
「郵便ポストが弁別刺激になってる」といいますが、では「郵便ポスト」は
どのように同定されるのでしょうか。
繰り返しさまざまな「郵便ポスト」を提示されたときに起こった各種感覚のうち、
その「共通する性質」の集合体が「郵便ポスト」なのでしょうか。
その「共通する性質」はどのように記憶され、感覚刺激と比較されるのでしょうか。
「アフォーダンス」は、この「どのように感覚刺激が○○であると特定されるのか」
というレベルの議論だと思います。
フレーム問題(別スレで話題になってますね)に関連してくるのもこの辺の
議論のはず。
59 :
マルシンド :2000/10/16(月) 20:27
>58 しろうとさんが述べたこと自体が正しいか間違っているか はともかく,ギブソン自身が「記憶」とか「感覚刺激と 比較」だとか「どのような特定されるのか」といった 内的過程にまったく興味がなく,そうしたことを考慮しなくても アフォーダンスを含めてすべてが「直接知覚される」と 考えていたことは明らか. >57 知覚研究全体がギブソンと相容れないということは ないだろうが,歴史的な知覚研究(および認知心理学) が共有している「知覚が生じるプロセスの説明」が ギブソンの考えと相容れないことは間違いない. 少なくともギブソンにとってはアフォーダンスは 「世界自体の中に存在する」のであって, 人の内的過程の問題ではない. きちんとした議論をするためには佐々木さんの本だけを読まないで (確かに読みやすくそれでいてレベル高いけれども) ギブソンの書いたものを直接読む必要はあると思う.
60 :
名無しさん :2000/10/16(月) 23:14
佐々木正人じゃなく、古崎敬の方はどうよ?
61 :
伍長 :2000/10/16(月) 23:30
えーと、55@`58と54@`59の解釈の違いが気になりますが、 とりあえず、本気で読んでみようという気になってきました。 面白そうなので、素人のためにもう一度参考文献を整理していただけると嬉しい。 佐々木さんの本の他には?
62 :
こうもり :2000/10/16(月) 23:56
あいかわらず、ドキュンぶり垂れ流してます、、。 >アフォーダンスを含めてすべてが「直接知覚される」と >考えていたことは明らか. だから、西垣通が、オートポイエーシスと合わせると良いとか言うのか。 あいかわらず、●震度、、なんて変換だ、、マルシンド先生には脱帽。 しかし、ギブソン自身の考えだと、拡張せざるを得ないな。 >60 古崎敬って、ゲシュタルト・現象学的知覚の好々爺?
63 :
しろうと :2000/10/17(火) 10:25
一応「生態学的視覚論」程度は読んでるんです…すみません。 > 内的過程にまったく興味がなく,そうしたことを考慮しなくても > アフォーダンスを含めてすべてが「直接知覚される」と > 考えていたことは明らか えーと、ですから「共通する性質の記憶」とか「感覚刺激と比較」とかいう 考えに対して、「そうじゃなくて、情報は環境の中にあって、その情報は 直接取り出すことが出来るんだよ」と言ってみせたわけですよね。 「どのように感覚刺激が○○であると特定されるのか」という問題設定自体に 疑問を投げかけるという意味で、「どのように感覚刺激が○○であると特定されるのか」 という問題に関連した議論だと言っていいと思ったのですが。
64 :
マルシンド :2000/10/17(火) 10:45
>63 ああ,それならわかります.失礼しました. としても,その問題への「答え」において従来の知覚研究や 認知心理学とギブソンがまったく違うアプローチを しているのは確かですよね. その部分では,ギブソンと佐々木さんたちの姿勢は一致していると 思うし,佐々木グループの「実証研究」も直接知覚をめぐって 展開されてるわけですから,なおさら逸脱とはいえないのでは?
65 :
しろうと :2000/10/17(火) 12:40
マルシンドさんの64を読んでふと思ったのですが、
>>41 の「ギブソニアンの主張はギブソンの
アフォーダンスから逸脱してないか?」を書いたのは私ではありません。
>>47 が初登場です。
佐々木派の「アフォーダンス」がギブソンの「アフォーダンス」の拡張になっているという
点では、私はマルシンドさんの
>>43 に同意します。
それでもなお私が「ギブソンには共感できるけど、佐々木派には…」と感じるのは、
>>57 に
書いた点もありますし、オプティカルフローやテクスチャ勾配に関する実験からから
包囲光配列のアイディアにいたる一連の議論の部分には深く同意できるからだと思います。
えーと、つまり、包囲光配列の変化から「接近してくる面=回避すべきもの」
「面の不連続=段差」などのアフォーダンスを「直接知覚できる」というのは、同意できます。
これらのアフォーダンスの知覚から「回避」「段差を上る」といった制御を、認知地図のような
「空間の表象」を介さずに行うことが出来る、というのも恐らく正しいでしょう。
私が共感できるギブソンはここまでです。
ギブソンはさらにこのアイディアを拡張して、「郵便ポスト=投函」などのアフォーダンスも
「同様に」直接知覚できると考えたのでしょう。しかし、ここには飛躍があると思います。
いったい何がどう「同様に」なのでしょうか? 「郵便ポスト―郵便制度―投函という行為」
の関係は、「包囲光配列―面の配置―姿勢や歩行の制御」の関係とはまったく異なる要因を
含んでいるはずです。その相違の部分はなぜ問題にならないのでしょう。
この「拡張されたアフォーダンス」が「正しい」とするギブソニアン(例えば佐々木さんの
著書にいう表現が見られる)は、この辺りの問題をもっと精密に議論する義務があると思います。
ただ「正しいんだ」といわれても、アホの私にはついていけません。
66 :
マルシンド :2000/10/17(火) 12:58
あ,それ私も凄く良く分かります.やっと話噛み合った. っていうかスキナリアンの俺から見れば アフォーダンスは直接知覚されるというより 経験によって学習されるものだろう,って思います. ギブソニアンの研究は「マイクロスリップ」(だっけ?)や 幼児が歩行を徐々に獲得していくみたいなミクロレベルの 研究や概念と,アフォーダンスのようなマクロレベルを 連結するものに欠けているように思います. 私はそれを繋ぐのが例えばオペラント条件づけではないか と考えています.ミクロレベルでの身体の動きや環境から のフィードバックがアフォーダンスというマクロレベルの 知覚につながるには「環境の動的特性情報の取り込み」の ようなことが絶対に必要だと思うから. ただギブソン自身も含めてギブソニアンはとにかく学習理論が嫌い, 行動主義が嫌い,なのでそこらへんにはほとんど触れていない. でも佐々木さんはどこかの対談でアフォーダンスの知覚について 「まあ学習なんですけど(笑)」みたいなことを言っていて 私はニヤリでした.
67 :
マルシンド :2000/10/17(火) 13:10
>伍長さん ギブソン自身のの書いたものでとりあえず日本語で読めるものは ギブソン,古崎他訳「生態学的視覚論」サイエンス社 ¥4175 のみと思います.解説書関係では ロンバード,古崎他訳「ギブソンの生態学的心理学」勁草書房¥7000 佐々木正人他「アフォーダンス」シリーズ複雑系の科学と現代思想 青土社¥1800 あとは岩波科学ライブラリ,講談社学術新書の佐々木さんの本. 個人的には「生態学的視覚論」が結局一番面白く読めました. ロンバードは買ったけど大著でもありまだ未読です.
68 :
名無しさん :2000/10/17(火) 13:36
アフォーダンスが学習だったら、トールマンの「ディスクリミナンダ」とどう違うんだ?
69 :
マルシンド :2000/10/17(火) 14:19
あ,ギブソン的にはアフォーダンスの「本質」は あくまでも物質の側にある「物理的な性質」であって, 生体によってそのアフォーダンスが「発見」される わけです.もし発見されなくてもそのアフォーダンス自体は 物質の中にあるわけ. この場合アフォーダンス自体は学習ではなく, 「アフォーダンスの発見」が学習. まあどーでもいいことですけどねー.
ひとつ補足しておこうと思ったら、ほぼ同じ内容をマルシンドさんが 66、69で書いておられました。すばやいですね。 そろそろ本業にもどります。 おつきあいいただいてありがとうございました。
71 :
伍長 :2000/10/18(水) 00:07
>67 マルシンドさん、どうもありがとうございます。 とりあえず安い本を買ってみます(\7000や\4175は考えてしまう)。
自分の立てたスレでアフォーダンス論議が盛り上がっていることを 光栄に思います。 意図したことではないけれど。
73 :
こころある名なしさん :2000/10/23(月) 00:04
多くの人に読んでもらいたいので、あげておこう。
74 :
こころ洗われる名なしさん :2000/10/30(月) 01:34
みなさん,これが心理学の最前線です。
75 :
こころ躍る名なしさん :2000/11/05(日) 01:37
あげておくから、 「アフォーダンス」の訳語を考える参考にしてネ。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/11(土) 13:29
いっぱいあるだろ>知の欺瞞
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/11(土) 13:47
たとえば何?
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/13(月) 17:38
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/14(火) 01:35
やっとこのログまで追いつきました。 その他にアフォーダンス関係で日本語で読めるものは ●bit2000年8月号別冊「身体性とコンピュータ」(岡田美智男・三嶋博之・佐々木正人 共立出版) ●複雑系の科学と現代思想「アフォーダンス」(佐々木正人・松野考一郎・三嶋博之 青土社) があります。 楽しいのはbit別冊のプロローグとエピローグなんですが、まだ書店で手に入るでしょうか・・・?
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/14(火) 01:36
81 :
どう見ても名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/15(水) 00:37
おそらくマルシンド先生は生態光学や視覚の問題からアフォーダンスはマクロな物であると捉えていらっしゃるのではないかと思うのですが、
間違っているので直そうとしたら書きこんでしまいましたsage(恥)
83 :
どう見ても名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/15(水) 01:29
マルシンド先生の意見にも疑問があるのですが、恥ずかしいミスをしたので別のレス。 まず誤解を解かせて下さい。 郵便ポストのアフォーダンスについてですが、ポストに出す瞬間だけをイメージしてしまいまぎらわしいのであれば、出したい郵便物を持っているがどこにポストがあるかわからない状況(時と場所)の動作を考えてみてはいかがでしょう。それなりにダイナミックに変化すると思うのですが。 (郵便物を出しそびれていた事に気づいた/ポストを見てから思い出した/ふとふり返るとポストがあった・・・等) (郵便局がこの先にあったかも/たまたま橋の上にポストらしき物が見えた/子供の赤い服/この柱の向こうにポストがあったっけかな) 該当の記事もそのように読めますし、弁別どうこう、では無いと思いますよ。 以下手打ちなので誤字はご容赦。 -------------------------------- ■生態学的視覚論 8.4 アフォーダンスの概念の起源------その変遷(p151〜)「」=引用個所 (注:ここのみ、ギブソンによるコフカからの引用) 「それぞれの事物は自分が何であるかを語っている・・・果物は『食べてください』といい、水は『飲んでください』と語り、雷は『こわがってください』と、また女性は『愛して』と語りかけている」 「対象が持っているこれらの誘発性には、どのような説明がなされるのであろうか。」 (図8.1 「観察者が郵便ポストに近づくにつれ変化する遠近法構造。」 ※近づくにつれ変化するポストの"見え"を段階的に線画で示した図) 「コフカにとっては、手紙を郵送することを誘いかけるのは*現実的な*郵便ポストであり、*物理的な*郵便ポストではなかった。しかし、この二元性は、有害である。そこで私は以下のようにいう方が良いと思う。つまり、実際の郵便ポストが(これだけが)、郵便制度のある地域では手紙を書いた人間に、手紙を郵送することをアフォードする。このことは、郵便ポストが郵便ポストとして同定されるときに知覚され、そして郵便ポストが視野内にあってもなくても理解される。投函すべき手紙をもっているときに、郵便ポストへの特殊な誘引力を感じるということは、驚くべきことではないが、しかし、重要なことは、その誘引力が環境の一部として------我々が生活している環境の1つの項目として------知覚されることである。6歳以上の人ならだれでも郵便ポストは何のためにあり、また一番近くの郵便ポストはどこにあるかを知っている。郵便ポストのアフォーダンスの知覚は、それゆえ、郵便ポストがもちうるそのときどきの特殊な誘引力と混同されるべきではない。」 -------------------------------- では、反省して出直してきます。
84 :
95卒 :2000/11/18(土) 19:30
阿呆だんす
85 :
95卒 :2000/11/18(土) 19:31
阿呆だんす
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/11/18(土) 22:42
阿呆ざんす
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2000/11/25(土) 05:53 阿呆あげ