1 :
名無しさん:
◆「去勢論」というのは、ネタ用に作った造語。社会の有り方を批判する論拠の一つをそう呼ぶことにした。去勢論は、人間が社会的に成熟して大人になりうまくやっていくためには、青年期までに幼児的全能感を叩き潰す必要があり、そのためには「誰でもみんな無限の可能性を秘めている」という幻想を抱かせるような社会の風潮を改めるべき、との考え方をいう。例えば「若者が自意識過剰になったのは、戦後民主主義が能力的平等という幻想を植え付けたからで、これが酒鬼薔薇やネオむぎ君などの危険なヒッキーを生んだ。だから、これからは去勢や断念を強要する社会に改めるべきである」という風に用いる。去勢論は、医師の斎藤環氏や社会学者の宮台真司氏らが近頃さかんに主張している。
◆巷に流布されている去勢論の筋立ては、次のようなものだろう。てるくはのる君やネオむぎ君のような問題を起こす人は、自尊心が過剰に肥大している。これは、本来、人は能力的に不平等なのに、教育現場では仲良しであることを強要されるため、他人による指摘によって自己の欠ける部分が表出しないまま成長することから生じる。しかし、青年期に至ると、経験に裏打ちされない自尊心は、受験の失敗や失恋などの現実の挫折によって打ち砕かれていく。そして、一部の者は、「バモイドオキ神」や「殺人こそ正義」などといった独自の神や論理を創造しこれに基づいて自尊心を脅かす現実に対し不法な方法で攻撃したり、上げ底の自尊心が傷つけられる場面自体を回避しようとヒッキーになったりする。(2へ続く)
2 :
名無しさん:2000/07/17(月) 21:43
◆このストーリに対して去勢論は、上げ底の自尊心が形成された点に注目し、他人との率直な交流を通じて正確な自己像の形成を促進させるべきだと主張する。つまり、教育担当者による仲良しの強要を禁止して、児童・生徒に互いに率直な評価と承認をさせ合うことで、自己に欠ける部分を検出させ、自己に可能な部分と、不可能な部分とを弁別し、その弁別に従って行動できるように訓練する。その結果、成功体験を得て獲得した能力については高い自尊心を持つようになり、そうでない部分の能力については喪失するか断念するので、身のほど知らずの願望は抱かないようになるという。
◆しかし、去勢論にも疑問がある。というのは、(私的な感覚だが)たいした根拠も無いのに自分こそ最高だと思い込んでいる(いた)者の方が、現実にそれなりの幸福を掴んでいる率が高い気がするからで、また、実際に去勢論を実践すれば、去勢された者だけが適応力を欠く結果になると思えるからだ。この疑問は、次のような事実から類推して説明し得る可能性がある。(3へ続く)
3 :
名無しさん:2000/07/17(月) 21:45
◆例えば、マウスを使った実験がある。死の寸前まで水中で泳がしたマウスと、そうでないマウスとでは、同様の状況(長時間水槽で泳がせる状況)に立たされたとき、前者は後者に比べて早い時期に泳ぐのを断念して死に至る。また、象の調教ではまだ小象の時期に片脚を縄で縛って木に縛りつけ一晩放置するそうだが、小象は悪戦苦闘して縄から逃れようとするものの、力が弱いために最後には断念してしまう。このことを経験した象は、成長して強力な力を持つに至っても、象使いが象の片足に紐を結び、その先に小さな杭をつけて、地面にちょこっと刺すだけで動くのを止めてしまうようになる。
◆つまり過去に「断念や喪失」を経験し「去勢」された者は、何らかの困難な状況に陥ったとき、早い段階で「試行錯誤」といった適応能力を向上させるような行動を自制し「自己信頼」を獲得する機会を逸するようになるが、そうでない者(現実我の自己評価が不当に高い者)は、無謀にもそれと正反対の行動をとることに抵抗感がないので、逆の結果を得られ易い、と。
◆というわけで去勢論の是非を問う。
4 :
名無しさん:2000/07/18(火) 00:01
>他人との率直な交流を通じて正確な自己像の形成を促進させる
それが「他人との協調性」ばかり重視する日本の社会風土が根底にあるとなかなか難しい。
逆に、歪んだ偽りの自己中心的な個人主義だけがあちこちで簡単に生まれているのが本当。
教育現場だけの問題ではなく、家庭での問題でもあるし、逆に社会(国)全体の
無思想ぶりが問題にもなろうかしらん。理屈ほどは簡単には解決にはむかわないように思う。
とことん破綻をきたしてから治療につれてきてなんとかしてくれというのも
やめていただきたいのですが。
5 :
名無しさん:2000/07/18(火) 00:12
自尊心の異常な高さは教育制度のありかたのせいなのかな
個人差ではないのか?
心理学的な考察きぼんぬ
6 :
名無しさん:2000/07/18(火) 00:21
心理学的にではないが、似非統計的に。
教育制度がかわって、自尊心が有意に高くなったら、教育制度の
せいだな。もっとも、教育制度以外にも変化するものあるだろうから、
簡単にはわからんが。数値化して因子分析してみる?
7 :
名無しさん:2000/07/18(火) 01:28
家庭内の養育は?
母親との関係とか。
「対象関係論」で自尊心の肥大についてきいたような。。。
8 :
名無しさん:2000/07/18(火) 03:36
風邪を恐れて厚着をさせて、かえって虚弱体質になるとかな。
「かわいい子には旅をさせろ」の「旅」の質と量が問題なんだろうな。
攻撃行動の実験なら膨大にありそうだが、現実社会に当てはめて対策を講じるとなると、
検討が不十分(多分永久に)のまま具体策を提出しなきゃならんし、政治的判断とかもあって難しいな。
それにしても、
>「誰でもみんな無限の可能性を秘めている」という幻想を抱かせるような社会の風潮
なんてあるのかね?
9 :
名無しさん:2000/07/18(火) 13:15
>「誰でもみんな無限の可能性を秘めている」という幻想を抱かせるような社会の風潮
週刊少年ジャンプの世界。修行すれば空だって飛べちゃう。
馬鹿にできんと思うよ。活字本より漫画の方がはるかに読まれてるんやから。
10 :
>1・2・3:2000/07/18(火) 18:04
ふう、それにしても長かった(笑)。
ところで、その「去勢論」についてですけどね、ネオ麦茶や岡山バット事件
の少年について、「社会と関係のない自尊心を永続させることができる環境が
問題だ」って言ってる人が多いけど、彼らは2人とも激しくいじめられてるじゃ
ないですか。あれは、同級生が彼らを去勢しようとした試みだと捉えていいん
でしょうか?
それから、この2人について言うと、この2人をいじめてた人たちっていう
のは、別に能力が高いわけでも立派な人間であるわけでもないのに、日ごろ
からやりたい放題この2人をいじめることができたわけですよね。相当ひどい
ことをやっても誰も止めに来ないわけで、この2人を叩いてたほうも、ある種
幼児的全能感を永続させていると言えるような気がするけど、どうなんで
しょうか。「自分は世界を思うがままにコントロールできる神様だ」っていう
のに近い感覚を抱いていたと思う。だから、幼児的全能感を維持しているのは、
何もああいう凶悪犯だけじゃなくて、そういうやつらを追い詰めた多くの人々も
そうであるような気がする。それなのに「てるくはのるや岡山の少年の自尊心
だけが異常なんだ」っていう言い方をするのは、いかがなものか。大勢がやって
いるものは表に出てこないっていうだけなんじゃないかってこと。
要するに、「幼児的全能感を永続させている大勢のヤツが、少数者的な幼児的
全能感の永続のさせ方をしているヤツに対して幼児的全能感を行使し過ぎた結果、
追い詰められた少数者が、より誰もが否定する手段で幼児的全能感を行使した」
のではないかということです。
で、「彼らを去勢する教育をしたら、彼らは諦めやすくなっちゃうんじゃ
ないか」という心配についてですけど、ものすごく独りよがりな自尊心を持って
しまう可能性だけを取り除くようにすれば、それでいいんじゃないですか?
11 :
名無しさん:2000/07/18(火) 18:32
幼児的万能感なんてものは、そのまま成長して維持できるわけがないから
極めて矮小な人間関係の範囲の中で、または自分の世界観の中だけで、幻想的に
維持されているものなんだなぁ。 それを価値観の違う人間と接触させる事を
日常にして解決しようというのが趣旨らしいが、そんな事が簡単にできるような
社会構造にも、個人の許容できる精神構造にもなっとらんのだわな。
2chの板の中で自分と違う趣旨や価値観の人のスレッドが存在すると、その不快に
耐えきれず、その感情を見事に知性化して排除しようなんて動きすらあるわなぁ。
閉鎖的社会の整合性に生き続けていた人に、価値観の多様性の中に身を投じろと
言っても頑なに「合理化」するだけだろうよ。まぁ、そういうこったなぁ。
12 :
名無しさん:2000/07/18(火) 21:26
俺は1から3までの問題提起は面白いと思うけど。
まず2の中にある、根拠のない自信があるヤツの方が
成功するというのはわりと正しいと思う。
要するにてるくはのるとかネオむぎ茶の全能感というのは
「自信」とは別物だろう。
彼らの場合、現実社会での尊厳とか自信は粉々に砕かれて
いるわけだから。
てるくはのるみたいなのは、幼児の我が儘の延長というのとは
ちょっと違うと思うな。
13 :
名無しさん:2000/07/18(火) 21:54
ところでフロイトに関して言うと、
幼児的全能感に父の裁断が入ることによって
自我が確立されるということのはずだから、
幼児的全能感を叩きつぶすのは、良いという説明に
なるのかな?
幼児的全能感と自信の関係について、
「現実に基づいた自信を持て」というのは簡単だが、
実は自信というのは、
ある程度コントロールされた全能感なのではないか?
どうよ?
14 :
名無しさん:2000/07/18(火) 22:25
はぁぁ・・・ こりゃ深いため息ついちゃうな・・・
15 :
名無しさん:2000/07/19(水) 10:33
虚勢論というのは、フロイト的に見れば、ごく普通の考えだと
思うんだけど。
1から3までを書いた人はフロイト否定論者なのかな?
16 :
名無しさん:2000/07/19(水) 22:33
フロイト肯定論者のなかで著しく知識、理解力不足のものがいることだけは
潔く認めることにしよう。
17 :
名無しさん:2000/07/21(金) 08:19
あげ
あげんな.
19 :
どーでもいいことだが。:2000/07/21(金) 08:34
1は、「幼児の魔術めいた全能感をなくさせること」と、
「現実に基づいて失敗を学習させること」とを混同しています。
逆に、マウスや象の例をあげ、まるであきらめさせなければ
(誰でも)成功者になれるのだ、みたいな幻想を煽る言説こそが
1が言うような「去勢論」が攻撃目標にしている発想なのでは
ないでしょうか?
ま、どーでもいいことですが。
20 :
名無しさん:2000/07/21(金) 10:34
>19
そうか、納得。で、それに対する具体的方策としてはどうしたらいいのだろう。
21 :
名無しさん:2000/07/21(金) 12:26
>19
嫌味なしに、こーいう人こそが本当に「頭が良い」のだと思うな。
22 :
名無しさん:2000/07/21(金) 13:21
16の発言はどういう意味なんだろう?
幼児的全能感を象徴的な父の手によって切断するべきだというのは、
間違ったフロイト理解だということ?
23 :
名無しさん:2000/07/21(金) 15:01
16じゃないけど、13はデタラメな人です。
24 :
名無しさん:2000/07/21(金) 17:05
なんかこのスレッド読んでも何が正しいのかわからないんだけど。
25 :
名無しさん:2000/07/21(金) 18:46
19が正しいよ。簡潔で的をえてる。後半のしなやかな知性の働きはうますぎるくらい。
26 :
名無しさん:2000/07/21(金) 20:19
「幼児的全能感」と「父」の関係は結局どうなの?
27 :
名無しさん:2000/07/21(金) 20:48
幼児全能感をなくすとニヒリズムになる、っていう
1の短絡思考が間違いってことではないの?
中途半端に精神分析を論じる人たちは、否定論者よりもずっとタチが悪いと
潔く認める事にしよう。
>1から3までを書いた人はフロイト否定論者なのかな?
フロイトはよくわかりませんが、精神分析自体は否定していません。
無意識は、行動主義のある派でいう「生理」に相当するものと
捉えれば十分有用性があると思えるからです。
>なんかこのスレッド読んでも何が正しいのかわからないんだけど。
同感です。どんな結論でもいいから、パシッっと竹を割ったような
見解を読んでみたいです。ただ、あまり関心が沸かないような
スレなんで、立てて失敗したかなと思っています。
やはり、適当に馬鹿を書いて煽っている方が、明らかに反応がいいです。
否定意見こそ聞きたいんで、こんなのダメ?
>「現実に基づいて失敗を学習させること」とを混同しています。
単に「混同しています」と言明しているだけでは、その言明が妥当だとはいえません。
あなたは、その言明を支える根拠を示していないからです。
もしも、あなたが「混同しています」と主張したいならば、両者が同一のものではなく、
異なるものであるということを示す必要があります。それを示さない限り、混同しているか、
混同していないかについて、読み手が決定的な判断を下すことができないからです。
>1が言うような「去勢論」が攻撃目標にしている発想なのでは
これも単に「発想なのではないでしょうか」と仄めかしているだけで、その仄めかし
の妥当性を支える根拠を何も示していません。もしも、あなたがそのような「発想」に
違いないと何処と無く思っているなら、それを支える事実、つまり、あなたの推量を
根拠付けるような去勢論者の発言をどこかの本などから引用してくるべきです。
でなければ、上と同じく、何も決定的なことはいえません。
>ま、どーでもいいことですが。
これは嘘です。本気でそう感じているなら、わざわざ、そんなレスするはずありま
せんから。あなたが、わざわざ6行に渡って1を否定する文章を綴り、最後の行に、
殊更そのような一言を付け加えたのを、無関心がなせる技だと解釈するのは不自然でしょう。
>19が正しいよ。簡潔で的をえてる。後半のしなやかな知性の働きはうますぎるくらい。
ところで、あなたは、19さんのどの部分に知性の働きを感じましたか?
31 :
名無しさん:2000/07/23(日) 05:03
なんかこのスレッドは中盤以降から、
「説明するまでもない」
というレスが異常に多いんだけど、
要するに自作自演率が高いのかな?
ザ・30氏の用語法
自分に判断する知識が無い → 「読み手が判断できない」
素直に *私が* 理解できないと書けばいいのに。
>素人の「説明してくれ」攻撃くらい疲れるものはない。
だな。自分の頭の悪さを逆手にとって突き進める人は幸せだろうな。
34 :
名無しさん:2000/07/27(木) 02:25
でもさー。
なんか「17歳の犯行」系の方が、しっくりこない?
自分もあそこにいたかもしれないという、緊張感とか?
逆に、40代のおばさんたちの保険金殺人の方が、わかりやすすぎて
絵空事のように感じる。
17歳も40代も、「戦後民主主義」教育を受けていることには
変わりないのだけど、全然異質じゃない?
その辺、どう思う?
35 :
名無しさん:2000/07/27(木) 03:50
1,2,3の言い方(書き方)からみて、彼は去勢論肯定派ではないのでしょう。
だから
>まるであきらめさせなければ
>(誰でも)成功者になれるのだ、みたいな幻想を煽る言説
をしていても別に不思議ではない。
ところで、能力的平等という幻想をとっぱらって、全ての人間に身の程を弁えさせる
ことによって、何がどう変わるのだろうか。いや、否定的な意味じゃなくてね。
身のほど知らずの願望は抱かないようになるかわりに、自分の身の程に絶望感を
覚えて、暴力的な行為に走り、デカイ事件を引き起こす可能性も当然あるでしょう。
教育場面においても、
「実際の能力に基づいて身の程にあった自尊心を身につけろ」、ということになると
能力の低い輩はどんどん無気力を学習してしまうのだろう。
何をやっても能力ある人間にはかなわないのだから。
現実は個人の能力によって階級や差別が生まれてくるのは当然なんだけど、
教育場面における平等幻想という希望によって、無気力への免疫を作ることができる。
この点では平等幻想には意義があるのではないかな。
教育場面の「平等」がタテマエであることを理解していれば(教育に限ったことではないが)
自尊心がそこまで肥大化することはないだろう、と思う。
平等幻想が行き過ぎると、自尊心が肥大化して現実場面との軋轢を生むが、
去勢論が罷り通ると抑圧的な社会になり、活気が失われそう。
ツマラン結論だが、バランスが大事ってことでしょう。
皆が互いに「身の程をわきまえろ」というような社会は面白みがない。
多少勘違いな奴がいる方が楽しめる。と個人的には思う。
(平等の原則に基づいて無限の可能性を煽ることにより)
2> 一部の者は、(中略)独自の神や論理を創造し
2> これに基づいて自尊心を脅かす現実に対し不法な方法で攻撃したり、
(平等の原則を組み込まない能力主義の教育によって)
35> 身のほど知らずの願望は抱かないようになるかわりに、自分の身の程に絶望感を
35> 覚えて、暴力的な行為に走り、デカイ事件を引き起こす可能性も当然あるでしょう。
35の論旨は1〜3の延長でしかないのに、両方あわせると
どんな教育をしようと大事件の元凶になる茶羽的摩訶不思議。
もちろん、
「人間はどんな教育をしようと大事件を起こす奴は起こす」
と勝手に短絡的な一般化をしてはいけない。
37 :
名無しさん:2000/07/28(金) 03:22
>17歳も40代も、「戦後民主主義」教育を受けていることには
>変わりないのだけど、全然異質じゃない?
というか、「戦後民主主義」教育を受けている点以外はまったく違う。
40代はいわゆる高度経済成長期のなかで教育を受けた人達で、
お金がものをいう時代だった。
夢を叶えることとお金をたくさん稼ぐことの意味合いが近い位置にあった。
でもお金への信頼はバブル崩壊でポシャって、
地震で安全神話にヒビが入って、オウムで学歴社会が否定された。
そういう時代に昔と変わらない教育を受けていたのが17歳(ネオ麦茶etc)。
で、1の去勢論と話をつなげると、経済的な問題はどうなるだろう?
仮に幼児的全能感を叩き潰す教育を始めたとして、
裕福な家庭であれば、塾や習い事などを通じて自分の可能性をいろいろと試すことができる。
しかし貧しい家庭だと可能性を試せる場所は限られる。
その結果、前者は幼児的全能感を叩き潰す教育の逃げ道を確保できるのに対し、
後者は幼児的全能感を早期に叩き潰される。35が言っているような事態も起こりうる。
選択肢の数の違いから、格差が生じないだろうか?
そもそも能力的平等という幻想は経済的不平等を埋め合わせるためにあったのでは?
能力的不平等を説いた途端、経済的不平等が急浮上してしまう気がするのだが…。
バブル以前に「戦後民主主義」教育を受けてきた人達のなかには相変わらず、
お金や地位、名誉に執着する者がたくさんいるだろう(保険金殺人の主婦のように)
そして教育者や保護者であったりする。
その人種が絶えない限り、去勢論の実践は難しいように思える。
> 37
幼児的全能感を叩き潰すというのと、
君はダメな奴だ、と全面的にきめつけることとは別物でしょ。
どうして勝手に話を飛躍させるの?
39 :
名無しさん:2000/07/28(金) 06:45
別に心理学を学んだ者ではありませんがシロウトの目から見て感じた事を
基本的に去勢論は賛成できます。ただ、去勢論に悲しさを感じておられるようですが僕はそう思わない。
人間は「夢」を見ない方が良い。見るべきものは「現実」。
自分に備わった知力、体力、共感能力(やさしさ)などを把握してそれを生かして生きていく。
「夢」を見ながら他人に存在しない能力をさぞ存在するように振る舞ったり(虚勢)、また存在してないものを
存在してるだろと他人に強制する生き方は不自然、疲れる。それより、どんなに小さな能力だろうが
「存在している能力を出す生き方」をした方が断然自然で楽な生き方だと思います。
成功者とは、「華やかな人生」を送ってる人たちの事を言ってると思います。例えば、総理大臣、
実業家、巨人の4番とか。でも、その「役割」を受け持つのには実力がないと自分も含めた関係者全員
不幸になりますよ。実力のない4番打者のいるチームは負けてしまいますし統治能力のない統治者が治める国は滅びてしまうでしょう。
40 :
39(続き):2000/07/28(金) 06:59
幸せには成功者しかなれないのであれば大半の人たちは不幸になると思いますが、
幸せは自分の心が決めると思います。僕の読んだ心理学書にも書いてましたから
心理学の分野でもそういう方向に向いてきているのではないでしょうか。
だから、「夢」を見せずに「現実」を見せて「自分の分」を把握させる事。
そして、「分」に沿った人生を送る。能力のあるものは、統治者やその能力を必要としてくれる
ところで生きる。能力の小さいものは、自分にはできないでかい事をやろうと思わずに
自分の能力に見合った事を精一杯やる。こういう生き方が楽な生き方だと思います。
ただ、書いた事はほとんどプラトンの『国家』篇の受け売りです。
ソクラテスは、民主主義を最悪の一歩前の政治体制と言っています。
民主主義体制の自由な風の元、凶悪な僭主が生まれると言ってます。
それは、ワイマール憲法の下でヒットラーが出てくるという形で実現してしまいました。
ソクラテスの嘆きと去勢論を訴えてる人たちの叫びは似ていると思います。
興味があれば読んでみるのもよろしいかと(読んでてその上で去勢論を唱えてるのだったらすみません)
41 :
名無しさん:2000/07/28(金) 10:20
高校生っぽいし一応指導しとくか。39の論述中に含まれる問題点。
1、「実力」という目に見えないものの存在を素朴に信じている。
2、「幸せは最終的には自分の心が決める(40のパラグラフ1)」と
「実力にふさわしくない役割は不幸を招く(39のパラグラフ3)」が矛盾。
3、もともと定義があいまいな言葉を論述に使うときには、定義が必要。
たとえば39の中での「夢」という言葉には、日本語の範囲でさえ、
・将来に対する明るい見とおし
・否定的な意味をこめた根拠の無い妄想
・眠っているときに知覚する一連のイメージ
などなど複数の用法があるため、文の意味がブレる。
他にも「分」や「現実」などの単語が非常に怪しい。
「成功者」には39のパラグラフ3で定義をちゃんと行っているでしょ?
独自の用法で使うときには他の言葉に対しても同様にね。
42 :
>41:2000/07/28(金) 11:02
「2」はともかく、他は単なるいちゃもんだろ〜(笑)
「2」の部分も説明はされているし。
本人に納得させる方法はやはり不明だが。
俺は一度突き抜けて、無駄だと知って、自力で
自己イメージ書き換えたけどね。
43 :
39&40:2000/07/28(金) 20:05
41さんの指摘された事をできる範囲で補足します。
「2」の部分ですが、少し言葉が不足してたかもしれません。
ソクラテスは、「公共の幸せ」というのを「個人の幸せ」より重視してます。
「個」を存続させるために必要な社会や共同体の安定を考えてます。
そして、能力のあるものが支配者や重要なポストにつくべきであり、それが社会にとっても個人にとっても
幸せであると語ってました。
そういう意味で、能力のない4番バッターを起用して試合に負ける事、能力のない経営者によって会社が倒産される事、
無能力な為政者によって国が崩壊する事は不幸であると僕は書きました。
「個人の幸せ」ですが「公共の幸せ」とは別にあると思います。例えば、ソクラテスは華やかな人生を送っている成功者と呼ばれてる人たちを
「美酒に酔って酩酊しているにすぎない」と結構批判的な目で見てます。
成功者=酔っ払い=実相とかけ離れた人生を送る=不幸という意味ですが、成功者でも心が満たされた幸せな人たちも
いると思います。また、成功してないように見える人の中にも心が満たされた幸せな人っていますよね。
よって、「幸せは自分の心が決める」と表現しました。
44 :
39&40:2000/07/28(金) 20:07
(続き)
「夢」の意味は「白昼夢」という言葉を念頭に書きました。
白昼夢を見ている人たちは、目が覚めてるのに現実に存在してない世界にいます。
自分の実力に不相応な成功をする事、賞賛を与えられる事を妄想の世界で夢見てます。
そういう人たちの事をひっくるめて「夢を見ている」と表現しました。
「実力」の部分は学者や思想家も同じ事を言っているそうです。「ソクラテスは、全ての存在に
実体があるものという事を盲信している『実体論者』である」と非難されてるそうです。
ただ、一介の学生である僕がソクラテスの肩を持った所でなにもなりませんが
身体能力の高い者がスポーツ選手になれば良い、共感能力のある者が保母さんやカウンセラーに
なれば良い、公正で誰とでも平等に接する事ができる者が政治家になれば良い、なんて思うもので
「確かに能力には実体はないけどソクラテスの言いたい事はわかるでしょ。」と言いたくなりますね。
ここまで補足すれば文章として意味が理解できるかな。
補足がないと真意が伝わらないなんて文章構成能力が欠如してる証拠だな。精進あるのみ。
とりあえず、ご指摘ありがとうございました。
45 :
名無しさん:2000/07/28(金) 20:29
僕は、日本も今すぐ「自己決定支援型・選択カリキュラム制」の教育にシフトするべきだと思います。宮台によると、先進国の中で「みんな仲良し・同調支援型」の教育を未だに続けているのは日本だけだそうです。
「自己決定支援型の教育」と言っても、3がマウスの実験に例えて言うような「いろんなことに挑戦しようという子供たちの動機をコテンパンに叩きつぶす」こととは全く逆で、むしろ「失敗を恐れずに、いろいろなことにどんどんチャレンジしろ。そうやって獲得したことを自尊心にしていけ」というものです。第一、「死の直前までマウスを泳がせる」ような去勢教育とは一体どういうものなのでしょうか。そんなものは教育でもなんでもないでしょ? 考えただけでぞっとする!
それから、「現時点の自分に対する自尊心」と「これから夢や希望に向かってがんばるぞという意気込み」を分けたらどうでしょう? 前者は独りよがりでは困るが、後者は少々独りよがりでも全然OKだと思し、自己決定支援型の教育が後押ししていくものです。確かに子供の可能性は無限ではないし、大失敗をするかも知れないけど、宮台は「失敗をさせることがとても大事だ」と繰り返し言っています。宮台の周りにいた東大生のストーカーたちは、地方県立高校出身のローカルなエリートばかりだそうです。地方で育って、勉強ができてスポーツができて顔も良かったりする彼らは、「周りから1度も否定されたこともなければ、失敗を1度も経験したことのない」ようなヤツらです。ところが、欧米の教育では、ウソか本当か知りませんが(笑)、子供たちに必ず失敗を経験させるそうです。そうやって失敗を多く経験することによって、彼らは「少々の困難に陥ったぐらいでは挫けたり愚行に走ったりしない、タフな自尊心」を獲得するというわけです。
>「死の直前までマウスを泳がせる」ような去勢教育とは一体どういうものなのでしょうか。
おっ、電波の受信状況、絶好調だね!
考えてぞっとするのは結構だが、…いや、もう何も言うまい。
47 :
名無しさん:2000/07/29(土) 04:57
なんかこのスレッドの半分くらいは、
「何も言うまい」的な一行レスだな。
48 :
名無しさん:2000/07/29(土) 16:57
素人さんが一番まともなこと言ってるように見えるんだが。
49 :
名無しさん:2000/07/30(日) 01:27
どの意見が一番まともに思うかというのは、読み手それぞれの「踏絵」
みたいなもんかもしれん。それにしても沢山の絵があるわなぁ(笑)
50 :
名無しさん@そうだカキコしよう!:2000/07/31(月) 03:19
木を見るか?森を見るか?
それぞれの家庭のさじ加減って気もします。
考える限り理想的な教育、考える限り理想的な家族を持たなければ
人間って成功しないものだろうか?
人間が人間を導く以上、落ちこぼれは出るんじゃないかな?
落ちこぼれたから、考える限り暗い人生を送るわけでもあるまいに。
51 :
参考:2000/08/04(金) 07:58
斎藤環『社会的ひきこもり』、205頁〜210頁より抜粋。
>端的にいって、現在の教育システムは、「去勢を否認させる」方向に作用します。
>「自分が万能ではないこと」を受け入れなければなりません。この「万能であることを
>あきらめる」ということを、精神分析家は「去勢」と呼ぶのです。
>エリートと呼ばれる人たちが、しばしば社会性に欠けていることが多いことも、
>この「去勢」の重要性を、逆説的に示しています。
>成長の痛みは去勢の痛みですが、難しいのは、去勢がまさに、他人から強制されなければ
>ならないということです。みずから望んで去勢されることは、できないのです。
>まず問題とされるべきは、子供たちが学校において「誰もが無限の可能性を
>秘めている」という幻想を強要されることです。
>社会的ひきこもりの事例は、圧倒的に男性に多い。
>女性に関しては、社会システム全体が「去勢」を成功させるように働くので、
>女性のほうが速やかに成熟しやすいのかもしれません。女性は人生の早期から、
>「女の子」として扱われることを通じて「あきらめ」を受容させられるのです。
>このため思春期においては、同年齢なら、たいがい女子のほうが大人びていますし、
>そうでなくても女性の打算やリアリズムには、男性は到底、太刀打ちできません。
>「去勢否認」の誘惑は、それを受け入れても拒んでも、その誘惑へと引き寄せられて
>しまうしくみになっているのです。
>典型的な偏差値エリートと、一部の「登校拒否」児たちは、不適応のあり方において
>共通しています。その共通点とは「価値観の狭さ」と「自己中心性」です。
52 :
参考:2000/08/04(金) 11:29
宮台真司(他2名)『新世紀のリアル』215頁〜216頁より抜粋。
>僕が香山や大塚は不徹底だと思うのは、彼ら自身何かを断念したと
>思うんだけども、自分が断念をして何かに適応したということを忘れていると
>思うんですよ。僕が中森さんを素敵だなと思うのはなぜかというと、
>僕は中森さんに強い断念を感じると同時に、断念をちゃんと記憶していて、
>記憶しているがゆえの倫理性があるからです。
>大塚英志は何かを断念したんだろうけど少女幻想は断念していない。(中略)
>大塚英志的な言説というのは、少女は傷ついている、そうであるがゆえに
>何かしなければいけないんだという勘違いの社会的な施策に、無根拠に
>正当性を与えちゃうんですね。僕はそれは違うと思う。少女は確かに
>時代に適応した。適応した結果、昔なら傷ついていたことで傷つかなく
>なったんですよ。そのことを記述するときに、彼女たちはロマンを断念して
>生きているのであって、もし断念しなかったら傷つくのである、というような
>言い方をしちゃダメなんですよ。適応が完了したあとの少女は、適応する前の
>状態を知らないんだから。
先日、高校生向けの進学雑誌に「去勢論」について載っているのをみました。
本当は、そこから抜粋するのがいいのですが、手持ちにないので、かなり昔に
出版された本から、近い(?)個所を抜き出してみました。
53 :
おまけ:2000/08/04(金) 11:30
1.『少女革命ウテナ』のセリフです。アニメに詳しい人がいたら、正確なセリフを教えてください。
>君には、あの音が、聞こえるかい?まだ、君が本当にあきらめていないなら…。
>いざ、行かん、世界の果てへ。
こんな感じのセリフが物語の中に何度も出てきます。この物語の毎回毎回のあらすじを
大雑把に言ってしまえば、
(1)抱くことを禁じられた願望や、満たされるはずのない願望を持った脇役が、
(2)ある種の決闘で勝ち進めれば特殊な力を得られ、どんな願い事も
かなえられるようになると、学園の支配者にそそのかされ、
(3)その気になって実際に決闘してみるが、相手(主人公)が強力なため必ず敗北し、
(4)脇役は再びその願望の実現を断念することになり、深く傷つく、というものです。
そして、上のセリフは、学園の支配者が、脇役をそそのかすときのキメ言葉です。
2.(宮台氏風に読むこと→)「去勢論者はロマンを断念しながら何とか生きているのであって、
もし断念しつづけるのをやめたら傷口が広がってしまう」という言い方ができるんですよ。
不適応の少年は、歳をとってもそのままの状態をいつまでも保っているんだから。
あとは、自分の本心をゴマカシながら、自分が断念したのと同様の願望を他人にも断念させて
苦痛をなめさせる。そういう点では、援交を憎悪して彼女らを罰する説教オヤジと
変わらないわけですね。そんなことをしても、自分自身の願いは適わないのだから。
3.宮台氏のHPのリンクです(
http://www.miyadai.com/link.htm)。
>僕の大好きな、めそのページです。とてもかわいい。
http://www.ne.jp/asahi/meso/ma-b/msr/ HPの主宰者が「『モエちは』プロジェクト」で紹介している女子学生の絵に注目。
http://www.ne.jp/asahi/meso/ma-b/msr/gallery/moe-rough1.jpg 彼の「断念」って、もしかしてこれかニャ?
54 :
名無しさん:2000/08/08(火) 13:12
51、52、53は一体誰なんでしょうか? まあ、そんなことは気にするまい。
さて、斎藤環の『社会的ひきこもり』という本ですが、いつの間にか僕も持ってたので、
P.205〜210を読んでみました。
P.206>人間は自分が万能ではないことを知ることによって、初めて他人と関わる必要
が生まれてきます。
これって変じゃないか? 「自分が万能だと思っているかどうか」と、「人と交わろうと
するかどうか」とは無関係だと思うが。単に、「幼稚園や保育園に行ったら、周りに同年代
の子供がたくさんいたから、話し掛けてみた」という程度なんじゃないの? ただ単に「そ
こにいたから話しかけた」というだけじゃないのか。
あなたも、「自分は万能だ」という幻想を捨てたことによって、はじめて人と付き合うことが
必要だと気づいて、人と付き合い始めたのですか? その辺、どう?
>あなたも、「自分は万能だ」という幻想を捨てたことによって、はじめて人と付き合うことが
>必要だと気づいて、人と付き合い始めたのですか? その辺、どう?
54氏のおっしゃる通りだと思います。学識があるとされる人でも珍説を唱えて
いる人は多いです。そのオンパレードを叩き切っている本があります↓
心理学の本ではありませんが、面白いのでこのスレで紹介します。
『ハインズ博士「超科学」をきる』(化学同人)という本です。(←Part2の方)
この本は、超能力やUFOや霊魂などの存在を否定しています。面白いことに、
精神分析治療も、オカルトのたぐいに分類してあります(およそ60頁にわたって
心理療法の諸分野を批判)。ちなみにハインズという人は心理学者です。
否定しているものの例:
フロイト理論全般(夢の象徴的解釈、自由連想法、オイディプス・コンプレックスなど)、
ロールシャッハ検査、DAP人物画検査、面談療法、ユング心理学、クライエント中心療法…。
肯定しているものの例:
行動療法(認知行動療法を含む)
本の「タイトル紹介」から「目次紹介」になったぶん一応進歩は認めよう。
57 :
名無しさん:2000/08/08(火) 20:41
斎藤環氏の本は俺も読んだけど、彼の去勢の説明には
物すごい違和感を感じたよ。
てるくはのるや岡山の少年がもし幼児的万能感を持っていたとすれば、
現実世界の自分があまりに惨めだったからだろう。
精神のバランスを取るためにその酷い体験を埋め合わせるために
頭の中で幻想の万能感に浸った。
要するに、幼児的万能感が先にあったのではなく、
つらい経験を補償するために後から(幻想の)万能感が生じたんだと思う。
58 :
名無しさん:2000/08/09(水) 00:00
全能感を捨てるためには、家族の承認が必要なのでは?
問題は承認が充分与えられないことだと思う。
承認が与えられないまま、社会的な役割を背負わされたり競争させられる
から、昔はなかったような問題が次々起こっているのでは?
59 :
名無しさん:2000/08/09(水) 01:16
> 全能感を捨てるためには、家族の承認が必要
…?
どういう意味ですか?
60 :
名無しさん:2000/08/09(水) 01:50
他スレの話題だが、擬似科学が話題になったので一言。
クレッチマーもトンデモなのか?何はともあれ、クレッチマーも一応証拠を提出して
立証責任を果たしている(下参照)。さて、どう攻める?
分裂病(計5,233人)
細長型…2,632人
肥満型…717人
闘士型…884人
形成不全型…550人
非典型例…450人
躁鬱病(計1,361人)
細長型…261人
肥満型…879人
闘士型…91人
形成不全型…15人
非典型例…115人
てんかん(計1,505人)
細長型…378人
肥満型…83人
闘士型…435人
形成不全型…444人
非典型例…165人
61 :
名無しさん:2000/08/09(水) 13:27
精神分析がトンデモなのかどうか知りたいんだけどなあ。。
62 :
名無しさん:2000/08/09(水) 14:23
> 61
「続・科学の終焉」という本では、精神分析とアンチ精神分析をまとめて
ぶったぎっています。フロイトはトンデモだけどアンチフロイトはもっと
トンデモ、だからフロイトがまだ消えないのだ、というのが著者の結論。
63 :
名無しさん:2000/08/09(水) 20:09
話の流れが変わってきているところで恐縮ですが・・・。
バスジャック事件直後の5月11日のテレビ朝日「スーパーJチャンネル」で、ある専門家が
こんなことを言ってました。それを引用します。奇跡的に家にビデオが残ってたので。
東京工業大学・犯罪精神病理学 影山任佐教授
> 小さいときには誰でも、王子様、王様、天才なんですね。それが現実の大人になるにしたがって、
>いろんな体験をし、ぶち当たって、それで現実的に修正されてくるわけですよね。それがなかなか
>今の子供さんたちは、その幼児的な万能感が傷つくのを恐れるために、回避して閉じこもってしまう?
> 本人自身は、限定された万能感では満足できないわけです。当然万能感というのは、全てのものに
>おいて、帰結しなければならないわけですからね。いずれは、家庭外にはじき出されてしまう性質の
>ものだと思うんですね。それが、こういう風な少年の場合には、犯罪になってしまう。
64 :
続き:2000/08/09(水) 20:15
(ごめんなさい! 文字の大きさによっては読みづらくなっちゃいまして。)
まず、「何でも願望を叶えなければ気が済まないから、あんな事件を起こしたのだ」と
いうのは変。彼は「自分は何でもできる」と思ってたわけじゃないと思う。こういう言い
方は不謹慎かもしれないが、彼はただバスジャックと殺人をやっただけ。彼は、外に出て
人と交わることすらできなかった。高校で自己紹介をすることすらできなかった。ただ、
そういうセルフ・エスティームが著しく低くて、将来の希望もない人に与えられた特権
みたいなものがあって、それがこういう逸脱行動だった、それを彼は自暴自棄的に実行
した、それ以上でもそれ以下でもない、ということなんじゃないのかな。バスジャック
以外は何もできないと自覚していたんじゃないか。
つまり、「オレは何でもできるんだぜ!」と万能感に浸ってたわけじゃなくて、「オレは
ダメ人間だ! 外に出て人と話すことすらできない! 将来の希望もゼロだ! オレにでき
ることなんて、何1つない! しかも、インターネットでも馬鹿にされた! もう、どうにで
もなっちまえ! ウォー」というように、自分が大したことのできる人間でないことを自覚
していたのではないか。彼は「全員殺し、死ぬつもりだった」と供述していますし。
この事件をテレビで見た専門家が、勝手に「こんなことをするヤツは、万能感に浸ってる
に決まっているんだ!」などと決め付けてるだけなんじゃないのかな?
65 :
名無しさん:2000/08/09(水) 20:26
うーむ。安直にただ「トンデモなのかどうか知りたい」という姿勢自体が
トンデモなんだといいたくなるなぁ。この板に書いているフロイトの肯定派
にも否定派にも内容的に「トンデモ」ないのがいますよ。要はそれを語る姿に
知性を感じるかどうか、そのあたりを楽しむもんじゃないですかしらねぇ。
2ちゃんなんだから。
66 :
>64:2000/08/09(水) 20:40
「自分が大したことのできる人間でないこと」を自覚していたのなら現実に根ざした人生を
歩むわけなんですよ。それを否定して、幻想的万能感を維持するための最終手段として事件を
おこしてるんです。他人から見ればもちろんそんな事しても万能なわけは無いけれど、
本人のなかでは幻想のなかで、万能感の維持として完結してるんです。
67 :
>66:2000/08/10(木) 12:20
はあ、そういうもんなんですか。さすがに手強かった、ということですか(笑)。身の程
知らずでした。すみません。万能感に浸っているのは僕のほうでした。
ところで、ずいぶん初歩的な質問ですけど、前々から気になってたことが1つあるんですよね。
「幼児的万能感」って、一体何なんですか(笑)? ある人が幼児的万能感から抜け出してるか
どうかっていうことは、きちんと言えるんですか? それとも、結構あやふやな概念なんです
か?
幼児的万能感から抜け出せている人の割合は、例えば今の小学生、中学生、高校生、大学生で
言えば、どのぐらいなんでしょう? 「こいつは幼児的万能感から抜け出せているぞ」という
決定的な証拠とかって、あるんですか?
ネオ麦茶で言えば、10にも書きましたが、彼の筆箱を盗んで「ここから飛び降りたら返して
やろう」などとからかって腰椎骨折に追い込んだヤツらは、幼児的万能感から脱却できてるんで
しょうか? また、岡山の少年で言えば、周りの野球部員たちが彼を「声が低くてかれているの
を日常的に真似してからかっていた」そうですが、この人たちはどうでしょう?
そうすると、「みんなほとんど幼児的万能感から脱却できてない」と言っていいんでしょうか。
さらに言うと、日本の大人たちはどうなるんでしょうか。ネオ麦茶の中学時代の担任は、彼が
からかわれているのを見ても放置していたようです。それで相当怒りが溜まってバスジャックを
やった可能性もある。
どうでしょっ?
68 :
名無しさん:2000/08/10(木) 22:17
>すみません。万能感に浸っているのは僕のほうでした。
なんて言ってるようだと万能感に浸ってません(笑) こーいう場合に万能感に浸ってるのは
しばしば答えてるほうだったりしますね。でも電脳空間で書いてる時って、現実世界から離れてる
せいか一時的に恍惚となる時ってあるんですよねぇ。 自分の書いたものばかり何度も読んでたり
して。相手の文章は1回くらいしか読んでなかったりする。焼けそうなナルシズムがあったりする。
>ある人が幼児的万能感から抜け出してるかどうかっていうことは、きちんと言えるんですか?
万能感なんてものは突然ぐしゃっと潰れてしまうものでもなくて、売れないバーゲンセール品みたいに
ちょっとずつ値踏みされて消えていくもんです。完全に消えるわけでもなくて、部分的には社会的に
適応される範囲で残る。仕事の成功だとか、研究の成果だとか。もう万能とはいえないけれど、個人の
成功が、幻想のなかでは幼児的万能感に似たような達成感として残る。
>そうすると、「みんなほとんど幼児的万能感から脱却できてない」と言っていいんでしょうか。
そうそう頭がよろしいですね。幼児的万能感というのは、そのまま母子一体幻想と重なるんです。
何をしても許してくれて愛してくれる母親と一対になって始めて幼児的万能感は維持できるんです。
それを切り離す存在として、父親=社会規範=言葉がわりこんでくるんですね。これがエディプス
コンプレックスという奴なんですが。日本ではその父親が機能していないと言われてます。
このへんは「幼児的万能感って何ですか?」と一緒にちょっと勉強すると、良い事か悪い事か知りませんが
目の醒めるような思いをするかも。
最近の事件で責任が問われる時に、無職の17歳でない、立派な会社組織でも「規範」が存在していない
事実があります。会社に万能感などはないけれど、規範を守るという厳しさが無い。うわべだけの反省
だけが残る。ま、日本の「大人」も似たような状態であると考えてよろしいかもしれません。
69 :
名無しさん:2000/08/11(金) 10:59
ほぉほぉほぉ。ずいぶん丁寧に答えて下さって・・・。余はうれしい限りじゃ。誉めてつかわすぞ。おかげさまで、幼児的万能感(最近、この言葉を使い過ぎてるような気がしません? なんか打つのがイヤになってくる・・・)の意味がかなり分かりました。ここで、これまでにこのスレッドに出てきた話を、恐れ多くもまとめてみたいと思うんです。
結局、最近の17才の事件を見て、「子供たちが幼児的万能感を維持させていることが問題だ」という風に問いを立てて、「じゃあ、教育を『まず子供たちの幼児的万能感を取り除き、そののちに試行錯誤をして得たものを自尊心にさせる』というものにしよう」ということになったわけですよね。ところが、そうすると今度は、「幼児的万能感に浸っている子供の方が、幸せを掴みやすいんじゃないか?」「能力のないヤツが身の程をわきまえたら、無気力になったり凶悪犯罪をやったりするようになるんじゃないか?」という問題が出てきたわけですよね。
実を言うと、僕は、最近の17才の犯罪を見て「幼児的万能感を維持していることが問題だ」というような問いの立て方をすることに、違和感を感じていたんです。それを言うなら、一部の能力のある人たちを除いて、68さんがおっしゃったように、他の大勢のヤツらも同じだからです。能力が凡庸なヤツらについては、「ケンカが強くて、弱いものをいじめることでイライラを解消できる大勢のヤツ」も、「いじめられっ子で、強いヤツらにからかわれつづけ、溜まった不満を一気に凶悪犯罪でぶちまけるヤツ」も、おそらく同じくらい万能感に浸っている。
70 :
続き:2000/08/11(金) 11:01
ということは、「幼児的万能感を取り除く教育」を始めれば、両者とも苦しくなるわけです。そうすれば「弱いものを追い詰める大勢のヤツ」はより一層弱いものを追い詰めるようになり、今まで以上に苦しくなった「追い詰められたヤツ」は今まで以上に凶悪犯罪に不満のはけ口を求めるようになるでしょう。これは上のどなたかがおっしゃるように、非常に抑圧的な社会です。
だったらどうすればいいか? 幼児的万能感を取り除かないまま、みんな仲良し同調支援型の教育をやめ、自己決定支援型・個人カリキュラム制の教育に切り替えたらどうでしょう? これだと、幼児的万能感を取り除かないのですから、親は子供を承認する必要がないので、現実的です。小中学生たちの間に蔓延する、同調圧力から来るストレスは激減しますし、それによっていじめも減ります。いじめがきつく無くなれば、今までなら抑圧されていた弱い子供も、より自由に振る舞うことができるようになり、将来に対する希望も持てるはずです。能力がそれほどない人たちも、やる気を無くすことのないまま、根拠なく自分が最高だと信じて、チャレンジしようという意気込みを存分に持ったまま、試行錯誤を通して自尊心を高めることができます。
まさにユートピア!
71 :
名無しさん:2000/08/17(木) 17:02
> 能力が凡庸なヤツらについては、
> 「ケンカが強くて、弱いものをいじめることでイライラを解消できる大勢のヤツ」も、
> 「いじめられっ子で、強いヤツらにからかわれつづけ、溜まった不満を一気に
> 凶悪犯罪でぶちまけるヤツ」も、おそらく同じくらい万能感に浸っている
の部分が、いきなり間違い。
主観で見てなんとなく巷間言われるところの「社会の歪み」っぽく感じられるところを
すべて「幼児的万能感」のなせる業と勝手に考えてはいけない。
その逆で、いじめに見られる暴力性は、去勢の段階を強制的に通過させられるときの
必死の抵抗なのではないか? いじめの形態に男女差があることでも分かるが、
いじめの根幹に性化の問題、つまり去勢の段階が関わっていると考えられる。
つまり、いじめている側は将来社会に適用して生きていく見こみがあると言える。
いじめられている側に関してはそのようなことはいえないが、昔を振り返ると
いじめられる者にはいじめられそうな独特の雰囲気があったように思う。
今思えばそれは、「去勢を知らぬ者」の雰囲気ではなかったろうか。
いじめには強制的に去勢の段階を通過させられている者が、
まだその段階を迎えてない者に対する嫉妬があるのではないだろうか?
軍隊で新兵をいじめるのも同様で、「未だ喪わざる者」に対する嫉妬が
異質性を不快なものへと変容させていくのではないか?
そして、根拠のない自分は最高だという思いこみと、
実際には最高ではない自分という組み合わせの行きつく先は、
強迫神経症や分裂病といった精神病の領域でしかないのは周知の事実。
無理な前提をその礎にして築かれる社会なんて、まさにUtopiaの語源が
示すように、「どこにもない」社会でしかない。
…とか真面目に反駁してみたりして(照)。
72 :
名無しさん:2000/08/17(木) 18:06
>いじめには強制的に去勢の段階を通過させられている者が、
>まだその段階を迎えてない者に対する嫉妬があるのではないだろうか?
なかなかうまい捉え方ですねぇ。感心しましたです。
>そして、根拠のない自分は最高だという思いこみと、
>実際には最高ではない自分という組み合わせの行きつく先は、
>強迫神経症や分裂病といった精神病の領域でしかないのは周知の事実。
でも、このへんはちょっと勢いに乗って勇み足気味に書いてないか。
強迫神経症はともかく、分裂病の例示もちょっと無理気味ではなかろうか。
73 :
名無しさん:2000/08/18(金) 00:10
なんか意識と無意識がごっちゃになって議論されてるぞ!
例えば親に虐待を受けていて
A) 親は私を愛していた。あれは愛のムチだ
B) 親は私を憎んでいた
B)のように真実を意識が認めてる人は大丈夫だけど、A)のように
真実を否認している奴が自分の子供を同じ論理で虐待するんだろ。
つまり、自分で自分の心の中を覗いてみて認識できないもの(A)が
行動を歪ませる本当のトラウマで、B)のようなのはトラウマと言わ
ない。
同じように口では「僕はカスです。ゴミです」とか言ってて本人も
意識の中ではそう思っている)けど、無意識の中に「俺は神だ」
という感情が残ってるのがヤバいんじゃないの?
万能感っていうのは少くともフロイト的な意味では、無意識の中にある
感情を指すものだと俺は理解してんだけど、去勢論で言う万能感も同じ
なの?違うの?それとも俺のフロイト理解もおかしい?
74 :
名無しさん:2000/08/18(金) 06:15
71の意見はかなり興味深いと思った。
このスレッド全体に関して言うと、
そもそも「幼児的全能感」というものが
明確に定義できるものなのかということがあると思う。
辞書みたいに短い言葉で明確に定義するタイプの言葉じゃないともいえる。
自動車の部品の1つだけを定義してもその役割が明らかにならないんだわ。
ま、そーいうのが曖昧だから文句も言われるんだけどさ。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/01(金) 19:46
http://www.midi.co.jp/~akuaku/miyadai.html >どの学校でも既に先生達は知ってるんだよ。一学年に二人から四人くらいはいるよ、
>人と物の区別が付かない奴はさ。でも何も手を打ってない。当たり前だよ、自分が
>ヤバイんだから。自分がポコられるかもしれないし。
そんな奴が一学年に2〜4人もいるわけないと思わない? ウソだろ、こんなの。
凶悪犯罪って数えるほどしか起きてないし、しかもピーク時から比べたら相当減ってる
わけでしょ。わざわざ教育を変えるほどのことか? 下手に変えたら予想もしなかった
ようなことが起きそうな予感がする。
8月の朝生で、お馴染みの精神科医・和田秀樹が、「アメリカは60年代に(70年代
だったかな?)リベラリズムの流れを受けて教育を自由化したが、10代の自殺者が大量に
出るようになったので、すぐに元に戻した」と言ってました。
これは本当なんでしょうか?
ってゆーか,こんなスレあったんだねえ.
なんかくだらないから読みもしねえけど,
せめて「去勢」なんてクダラナイ単語使うのはやめろよな.
>77
このスレが立った経緯を知らないの?
くだらないと思ったのなら黙っていればよろしい。
それとも、口を出さずに入られなかったのかな?
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 00:06
80 :
やすお :2000/09/04(月) 14:21
>76
具体的事実(教育の改革、自殺者の増加、教育の再改革)は
調べれば確認できるようなことだから本当かも知れないけど、
因果関係(教育の改革→自殺者の増加→教育の再改革)が
それほど強いとも思えんな。
特に教育の改革→自殺者の増加なんて、社会的変数が山のように想定できるし。
ま、政治の決定は事実に基づいた政策というよりは
政治的力学の産物と言うことが圧倒的に多いよ
とくにいじりやすい教育問題の場合。
81 :
やすお :
それから、もうひとつ本筋とは関係のないことで。
「戦後民主主義教育」とか、「いじめ」などの言葉は
もう少し慎重に使った方がいい。
「戦後民主主義教育」
戦後といっても終戦直後から現代まで、本当に一様だと思うか?
たとえばこの間大学進学率は飛躍的に上昇して
高等教育はエリート段階からマス段階へと移行している。
子供の家庭環境も、サラリーマンが増加して都市化が進み
核家族が多くなると当然異なってくる。
学校教育の制度こそ変わってないが、
実際には現場の教師など、内容は非常にダイナミックに変化している
それよりもこの言葉に含まれるイデオロギー的色彩を回避しないと
(「戦後」というのは「戦前」とならべることで成立する概念でしょ)
まともな議論にならずに、根っこのところでは感情論になってしまうぞ
「いじめ」も同様
たとえば小学生の「いじめ」と中学生の「いじめ」では
質的に異なるものだ。
(詳しくは省くが、「傍観者」がどれほどいじめ現象にコミットするか
小学生ではクラス全員でやる(「バイキン」いじめなど)
中学生では一部のグループ内でやり、他のものは関心を払わない)
でも、なんでみんなコラムニストみたいにたった一つの概念を振り回して
いろんな問題を一刀両断にしたがるのかなー(笑
一番最悪な例がこの国の首相というのがトホホだけど。
教育問題なんて実証研究するしかないのにね。