「基礎と応用」について : あるいは2ch心理板における「臨床心理学問題」。

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1伍長
おそらく私は、この心理板が出来て、精神分析や臨床心理学に批判めいたことを最初に書き込んだ者の一人だと思います。
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=945173685&ls=50
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=945156614&ls=50
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=951238199&ls=50
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=949119091

信頼のおける優れた臨床家は実際にいますし、才能や基礎知識の有無だけでなく、経験が重要な世界だということも分かっているつもりです。当面の問題解決を何よりも優先すべきだということも分かっています。
しかし、だからといって臨床心理学の抱える問題が深刻であることに変わりはないと思います。
対立の構図?に私も多少の責任はありそうなので、私の思うところを少々述べさせて下さい。

(1)私がまず気になったのは、「精神分析(系)=心理学」だと思っているのは、素人さんだけではなく、どうやら、臨床志望者または臨床屋さんの中にもそういう人が多いらしいということでした。
(2)おそらく、「臨床心理学=本流の心理学」と思っている人も多いのではないかと思います。
(3)「心理学は科学じゃない」という類のスレッドが乱立したことがあり、そのような考えの人が確かに多いらしい。
(4)「科学的」ということに対するアレルギーが(素人さんだけでなく、臨床系と思われる方々の中にも)明らかに認められます。
(5)「基礎と応用」という二分法は間違っているかもしれません。
(6)行動療法、と言うよりも、行動分析学派の行動変容技法(応用行動分析)がもっと広まるべきだと思います。

以下、少々詳しく述べてみたいと思います。
なお、気の利いた短い煽りなら構いませんが、なるべく喧嘩せずに建設的に議論しましょう。
2伍長:2000/06/08(木) 00:38
臨床心理学会は、会員集めに成功して、今や大所帯だそうです。会員数だけで言えば、臨床心理学が「本流」になったのでしょうか。学生の志望も臨床ばかりで、今後ますます大所帯となるでしょう。
しかし・・・

(1)「精神分析(系)=心理学」だと思っているのは、素人さんだけではなく、どうやら、臨床志望者または臨床屋さんの中にもそういう人が多いらしい。

精神分析は心理学ではないというのが、一般の心理学者たちの考えのはずです。
ところが、臨床心理学の世界では事情は少々異なるらしいので、話はややこしくなるのです。
私はこの板で、臨床の世界で精神分析の地位が今でも極めて高いらしいことを知り、少々驚かされました。精神分析が臨床の世界で存続していることは知っていましたが、私の周囲の臨床関係者にはあまり見られない傾向です。
私自身は、アイゼンクその他の精神分析批判を読んで、一時の熱中から目が覚めたクチですが、最近ではどうなのでしょうか?
例えば、アイゼンクの一連の精神分析批判の根拠の一つに、自然寛解率(でしたっけ? 放っておいても治ってしまう場合の比率)と精神分析療法による治癒率とを比べると、同じくらいか、むしろ前者の方がやや高いというのがあったと記憶しております。
いろいろ考えてみて、ありそうなことだと思ったのですが、現状ではどうなのでしょうか?
費用や治療期間というコストのことも述べられていましたよね。
このあたりの事情に詳しい方、御教授よろしく。
3伍長:2000/06/08(木) 00:45

(2)おそらく、「臨床心理学=本流の心理学」と思っている人も多いのではないか。

本流の心理学とは、実験心理学と相関心理学の二つの流れのことです。
臨床心理学のほうは、本流の心理学とは無関係に発達してきたものと言っても過言ではありませんが、
もちろんこれは極論で、
行動療法や認知療法などは一方の本流(実験心理学)からの発展であるし、
テスト理論のようなもう一方の本流(相関心理学)も大きな貢献をしていますし、
他にも、社会心理学や発達心理学などとも直接・間接の関係があります。
ですから、まともな臨床屋さんなら、こうした本流の勉強はしているはずで、してもらわなければ困ります。
ところが、そうでない臨床屋さんが多い。
たしかに、基礎系出身者でも、自分の専門分野以外はなかなか精通できないとは思います。
しかし、根っからの臨床屋さんの中には、おそらく、学生時代から臨床にしか興味を持てなかった人が多いのでしょう。あまりにも無知という人が多い。
また、基礎トレーニング(特に実験心理学の)を通じて身につけるべき科学的発想を養う機会も少なすぎると思います。
大学も、学生数減少により、要望の強い臨床心理学をますます重視するでしょうから、今後はさらに、本流(基礎)に無知で、科学的発想に乏しい学生が増えるでしょう。憂慮すべき事態だと思います。
この点をどう思われるでしょうか?

(疲れたので続きは後日)
4叫素:2000/06/08(木) 01:59
心理学の「本流」をやる人は、心理学という学問をやっているのであり、
臨床をやる人は、心理学という学問を利用しつつ、クライエントの治癒
を援助するということをやっているのであり、そもそも初めから
「ハタケが違う」のではないでしょうか。
「本流」をやる人とは別の人種が増えたというだけの話で、
「本流」をやるべき学生が臨床流行に流されて科学的発想力を
失ってしまった、なんてことは全くないでしょう。

「本流」をやっている人の中には、臨床志願の人に「基礎」をやらせたくて
しょうがない人がいるようですが、でも、臨床志願の中の文系諸氏は
受験でも理数系無しで大学入った人も多いわけですよ。
そもそも基礎をやろうとしても能力的に無理な人も多いわけです。
そんな人に向かって、「基礎が出来なきゃ臨床もできん」というのは
ちょっといただけないですね。
そもそも出来ないものを、それが出来なければ存在価値無しと言われるのは
人間として誰でも腹立たしいでしょう。
たしかに、何かにつけ出来ないより出来るほうが良いに決まっています。
しかし、基礎が出来なきゃ臨床はできないか、というとそうではない。
実際、多くの基礎無し臨床屋が良い仕事をしている。
この現実に「憂慮すべき事態」を私は発見することが出来ません。

(「本流」という言葉には若干の違和感を覚えます)
5伍長:2000/06/08(木) 02:43
「疲れたので続きは後日」などと言っておきながら、ついつい書き続けておりました。
>4
叫素さんの冒頭の数行については、実は全く同感です(この件については(5)で書きます)。
ただ、その後の内容については、失礼ながら「開き直り」のように感じざるを得ません。
私の先輩・友人・後輩も大半が私立文系専願ですから、理数系は苦手だったはずです。それでも彼らは、基礎系で実験や調査をやったり統計をやったりして、少しずつ科学的発想を身につけていきました。そのうちの何割かは臨床屋になっています。
また、私は、「基礎が出来なきゃ臨床もできん」と言っているのではなく、「多くの基礎無し臨床屋が良い仕事をしている」だけでは大きな発展はないだろうと申し上げたいのです。実際にそう考える臨床屋さんも少なくないはずだし、現にいることも知っています。
なお、私は教育系の人間ですので、「臨床心理学」を「教育心理学」に、「臨床屋」を「教師」と読み替えて考えたりもしています。
6伍長:2000/06/08(木) 02:48

(3)「心理学は科学じゃない」という類のスレッドが乱立したことがあり、そのような考えの人が確かに多いらしい。

まともなレスをする気になれない書き込みが多いので大抵は黙っていましたが、もしも、プロの臨床屋さんがこのように考えるとしたら憂慮すべき事です。
こういう考えは、
A:「臨床心理学=本流の心理学」だと思っていて、しかもその臨床心理学そのものをよく知らない。
B:そう思っている・いないに関わらず、「本流の心理学」そのものをよく知らない。
このどちらか(もしくは両方)なのではないかと思います。
ただし、Aの場合は、そう思うのも無理はないと思います。比較的科学的な研究を知らずに、テレビドラマなどで役者が演じる臨床家が能書きを垂れるシーンなどをイメージしていれば。(ただし、その程度の臨床家が実際にいたりするのも事実。また、それで上手くいくこともあるというのも事実。でもそれでは困る)。


(4)「科学的」ということに対するアレルギーが(素人さんだけでなく、臨床系と思われる方々の中にも)明らかに認められます。

科学の限界は、科学的探究の果てに初めて垣間見える(かもしれない)ものであって、科学的であろうとする努力は常に堅持すべきです。「限界」を口にするヒマがあるなら、探究をさらに続けるべきです。
そうした姿勢を見せると、すぐに「科学盲信」だと言う人が臨床関係者に多いとすれば、まことに嘆かわしい限りです。そんなことでは、臨床心理学は結局のところ、名人の技に頼る「秘伝」じみたものになってしまうかもしれません。
名人は貴重ですが、学生がその真似をしては困ります。やはり、基礎トレーニングが必須です。
基礎トレーニングを積めば必ず科学的発想が身に付くというわけではありませんが、それなくしては科学的発想は絶対に養えないのです。
7伍長:2000/06/08(木) 02:56

(5)「基礎と応用」という二分法は間違っているかもしれません。

臨床心理学が、本流から見て「オイオイ」と思えることが多いのは、臨床系にも本流系にも責任があります。
臨床系は、本流について不勉強ですし、しばしば非科学的です。
本流系はと言うと、臨床に対して無知・無関心だったりします。
しかし私は、臨床系の責任の方がより大きいと思うのです。
そして、この「基礎と応用」の乖離は、極めて深刻な問題です。

私は教育心理学や教育実践に関心があるため、実を言うと、臨床屋さんの立場に近いところにいるのです。ですから、「現場には現場の事情がある」ということもよく承知していますし、その件で言い合いをしたこともあります。
そんなわけで、立場上「基礎と応用」の問題を考える機会も多かったのですが、二つの解決策があると思っています。

一つは、「教育心理学」「臨床心理学」という分野が「真に」確立されることが肝要で、そのためには、当面の教育・臨床上の問題を解決するための研究・実践と、それらの研究・実践を深化・洗練して「科学的に」理論化するための研究が、高い水準で両立されなければなりません。
従来の「基礎と応用」の不毛の関係を捨てた、いわば「応用実践と応用理論」の関係でしょうか。
クロンバックは、“decision-oriented”と“conclusion-oriented”と呼びました。
前者が忙しくて、後者にまで手が回らないという側面(苦悩)はあるにせよ、基礎トレーニング不足と科学アレルギーが後者の邪魔をしているのは事実でしょう。
臨床系の責任の方がより大きいと言ったのはこういうことです。臨床屋さんに頑張ってもらうしかないのです。苦悩に満ちた長い茨の道ではありましょうが。
8伍長:2000/06/08(木) 03:02
もう一つは、「基礎と応用」という二分法が自然消滅するような研究法が開発されることで、これはスキナー派の行動分析学がすでに実現しました。
そこで、

(6)行動分析学派の行動変容技法(応用行動分析)がもっと広まるべきだと思います。

私は、ヴント以来の心理学の歴史上、「基礎と応用」との「完全なる連続」が、ここに初めて実現されたと思っています。
しかし、誤解も多く、研究者も不足しています。非常に残念です。
なお、行動の分析は、いかなる心理療法を実行する際にも本当は必須のはずなのです(でも実際には徹底してない。だから問題)。
9名無しさん:2000/06/08(木) 03:17
叫素氏の意見に同じく、憂慮すべき事態とは思いません。
「本流」を勉強していた方が治癒率が高い、という証明が
あるならば考えを改めますが(笑)。

ところで伍長氏の
>(5)「基礎と応用」という二分法は間違っているかもしれません。
という書きこみは、何を意図したものなのでしょうか。
もう少し詳しく記述していただけるとありがたいです。

それと、臨床家が「本流」の心理学を学ぶことによって、
臨床場面でどんなときに役に立つでしょうか。
10:2000/06/08(木) 03:35
あ、すいません。リロードしてなかったもので、的を射ない質問を
してしまいました。すいません。
基礎と応用の乖離ということなら、前者の解決策は賛成です。
スキナー派の行動分析学が「基礎と応用」の分割を消滅させても
現在の臨床心理学のあやふやな位置付けは変わらないと思いますが。

現在のいわゆる「応用系」の科学離れは、何も科学の限界なんて
大袈裟なものではないと思います。科学ではなくとも学問たりうる
という考えの下でそうなっているのだと私的には思っているのですが。

11ガンキャノン:2000/06/08(木) 13:06
9さんの
>それと、臨床家が「本流」の心理学を学ぶことによって、
>臨床場面でどんなときに役に立つでしょうか。

例えば、子供の異常行動に対して、母親の注目が強化子と考え
注目を与えないという手続きを始めた途端、異常行動の頻度が増加した時、
方法が間違っていたんじゃないかと慌ててしまいますが、
実験心理学に通じていれば、消去過程におけるバーストでよいと考えられるでしょう。

ある患者さんの、裸体行為にたいする対処法として、
「性的欲求が云々、、、」
とするよりも、科学的思考で考えれば、
裸体行為がどの日時に多いか観察して、評価すれば、
「ひょっとしたら部屋の温度や湿度に関係しているかもしれない。」
といった、違った角度から考えることが出来ます。

臨床にとっては、行動分析は必須だと思います。
12名無しさん:2000/06/08(木) 13:16
>2 めちゃくちゃ大所帯になってるのは「心理臨床学会」のほうです。
どうでもいいことかもしれないですが。
13伍長 >9:2000/06/09(金) 02:31
行動分析学シンパの素人の発想でよければ・・・
大抵の場合、周囲の人々の「注目」が問題行動を「強化」しているはずで、家族だけでなく、治療者側がそのことに気付いていなかったりする。
ありがちな話ですが、先日、「教室から勝手にとび出して走り去る自閉性障害児」を小言を言って手を繋いで連れ戻す先生の話を読みました。「教室から脱出」「追いかけっこ」「小言」「手を繋ぐ」などが問題行動を強化している可能性ありということは、素人の私でも推測できます。
問題は個々様々でしょうから、パターン化せずに、個々の状況に応じた分析と介入が必要ですよね。
11さんの御指摘どおり「消去」開始直後の「バースト」が生じるかもしれない。
また、消去手続きには周囲の人々の協力が必要で、誰かが失敗すると「間欠強化」することになり、生起頻度上昇とか、「消去抵抗」増大などがあり得る。
基礎に習熟していれば、失敗の原因を推測・特定でき、弾力的な修正が可能になって、介入を再開できるでしょうが、習熟していなければ、「やはり失敗だ」となって、弾力的対応が難しくなるのではないでしょうか。
他にも、問題行動の「弁別刺激」を特定・除去したり、別の行動の弁別刺激となるような「随伴性」を設定する、「非両立行動」の形成プログラムを考える、ついでに「プリマックの原理」を応用して生起頻度の高い非問題行動を随伴させるようにする等々、状況に応じたアイデアが出てくるのでは?
言語訓練などで生起頻度ゼロに近い状態から始めなければならないような場合、「分化強化」「シェイピング」など細かな行動形成の手続きが必要のはず。様々な「般化」訓練も必要でしょう。「マンド」と「タクト」の区別を知っていれば、形成手続きも異なるはずです。
とにかく、基礎理論に習熟していれば、介入前の分析の際にも、プログラム立案の際にも、介入中の分析の際にも、「目の付け所が違う」とか「細かい所に注意が向く」ということになりませんか?
第一、先行研究を読むには基礎知識が不可欠です。
14伍長 >10:2000/06/09(金) 03:16
>基礎と応用の乖離ということなら、前者の解決策は賛成です。
御賛同いただきありがとうございます。ただ・・・
前者の解決策は「苦悩に満ちた長い茨の道」となりますが、その道を歩もうとすれば、基礎知識と基礎トレーニングは不可欠です。

>スキナー派の行動分析学が「基礎と応用」の分割を消滅させても
>現在の臨床心理学のあやふやな位置付けは変わらないと思いますが。
おっしゃるとおりですが、「基礎と応用」が完全に連続した研究法が生まれたことで、少なくとも風穴(というか連絡通路)は開きました。

>科学ではなくとも学問たりうる・・・
言葉尻を捉えるようで誠に恐縮ですが、教育・臨床は、単なる学問ではありません。
目的を持った実践です。
再現可能性や反証可能性なくして、そのような実践研究が可能でしょうか?
15伍長 >12:2000/06/09(金) 03:29
そうでした。心理臨床学会の方でした。
それにしても、拡張計画?は大成功だったようで・・・
16ガンキャノン:2000/06/09(金) 09:25
>伍長サン

やっぱり難しいんじゃないですか(笑)
ここでは行動分析学への批判はこないと思いますよ。
と、いうか一般的にみた事ないですね。
そりゃ、S−R理論への批判はありますけどね。

心理学への期待の仕方は人によって違うのでしょうね。
私は、医師という仕事柄なのか、
どうしても、心理学に深刻さを負わせてしまいます。
科学的でなければならない。とか
自然治癒より有効な手続きでなければならない。とかなど。
 だから、実験検証を経て構築された行動分析が必須と考えます。
おそらく、伍長さんもかなり深刻な状況なのでしょうか(笑)
17ガンキャノン:2000/06/09(金) 09:26
それでは、私から行動分析学への苦言をいわせてください。
簡単にいえば、行動分析家は普及をするための戦略を間違ったのではないか。
ということです。
ある事を普及させることと、それが正しい事とは違うと思います。
取りあえずは、普及することを目指すべきだったのではないでしょうか?
例えばですね。
「動機づけ」「認知」とか行動分析では使わないじゃないですか。
そりゃたしかに、実験上、不必要な仮説体を入れるのはよくない
と言うことは分かります。
ただし、応用行動分析の本のなかでは、分かりやすくそういった言葉を
入れても良いと思いませんか?
 ある病気の治療法を検討する時、「認知」で文献を探すとしますよね。
(今、「認知」という言葉がもてはやされているので、認知の変容という事に
飛びつく可能性は多いと思います。)
「認知」で文献を探すと、行動分析的手法は少ないと思いますよ。
(「ルール支配行動」で調べる人はおそらく天然記念物にちかいのでは!)
結局、応用行動分析への「手がかり」が少ないのです。
 臨床では、認知療法とかありますが、これは行動分析の言語行動、ルールで
説明できるのに、まったく関係ない取り扱いとなっています。
残念です。非常に残念です。

結局、普及していないことは
普及という戦略に、行動分析的手法を有効利用しなかった行動分析家の責任でも
あるわけです。
18伍長:2000/06/10(土) 00:58
>16@`17
>ここでは行動分析学への批判はこないと思いますよ。
>と、いうか一般的にみた事ないですね。
確かに批判がないですねえ。受けて立つ用意は常にしているんですが。(笑)

>そりゃ、S−R理論への批判はありますけどね。
S−R理論と行動分析学との混同は今でもありますが、S−R理論自体の消滅?と共にS−R理論が話題にならなくなり、そのおかげで、一般にはむしろ行動分析への批判が目立たなくなった。
以前は、変な先入観を持った学生・教授が多かったが、今は、少なくとも学生の間ではマイナスイメージが薄れてきている。というか白紙状態に近いらしい。以前と比べれば、ある意味で歓迎すべき事かもしれません。

>行動分析家は普及をするための戦略を間違ったのではないか。
同感ですが、「戦略を間違った」というよりも、「戦略をとらなかった」に近いと思います。
人手不足という面もあるでしょうが。
でも、二、三年前の学会誌の特集で、「普及」についていくつか論じられていました。
及ばずながら私も、こういう場所で普及活動に手を貸そうとしているわけで・・・

>応用行動分析の本のなかでは、分かりやすくそういった言葉を
>入れても良いと思いませんか?
全く同感です。
本のタイトルに「認知」の二文字が入ると売れ行きに差がでるそうですし。

スレッドの主旨から離れてしまいましたが、「臨床心理学問題」について、御意見をお願いします。
河合スレッドやフロイトスレッドの方々。
アイゼンクらの精神分析批判に反論できる方々。
叫素さん、9さん。
煽り、ボケ専の方々も。
よろしく。
19:2000/06/10(土) 04:26
9です。レスをありがとうございます。

>言葉尻を捉えるようで誠に恐縮ですが、教育・臨床は、単なる学問ではありません。
>目的を持った実践です。
>再現可能性や反証可能性なくして、そのような実践研究が可能でしょうか?

言われてみれば、確かにその通りですね。
実践を伴うとなれば、より有効な手立てを探すのは学問としての使命ですね。
それが実践者の資質に大きく左右されるようでは、学問としての発展の望み
が薄くなってしまいます。ここらへんは憂慮すべき事態といえそうです。

例えば、「男根期に固着が」とか「男根羨望が」とか言われるよりは
問題行動の消去や望ましい行動の強化など、学習心理学の知識の方が
治療のプロセスも分かりやすいし、現実的だと感じられます。
こと行動の変容に関しては、行動分析の方が遥かに役に立つでしょう。
学習理論や行動分析の知識が実践に際して有益であるとは思います。

「基礎を学ぶべし」という主張にちょっとした反発を覚えたのは、
知覚や記憶なども含まれるからです。

ところで、応用系の現場の状況をもう少し聞いておきたいです。
教育相談でもスクールカウンセラーでもいいんですが、
精神分析を地で行くような解釈が行われていたりするのでしょうか?
また、実践場面では問題意識を覚えるほどに科学アレルギーが
蔓延しているのでしょうか?
20名無しさん:2000/06/11(日) 03:02
>「基礎を学ぶべし」という主張にちょっとした反発を覚えたのは、
>知覚や記憶なども含まれるからです。

知覚障害や記憶障害が相手なら知っておいた方がいいんでないの?
21伍長:2000/06/11(日) 23:00
>精神分析を地で行くような解釈が行われていたりするのでしょうか?
それは私も知りたい。

>科学アレルギーが・・・
この板の人々(特に臨床系と思われる人々)の一部にそれを感じています。
1であげた(3)と(4)は、正反対のようでいて実は同根なのではないかと思います。
つまり、(3)の主張には二つの異なる立場があって、
A:心理学は科学でなければならないのに、到底科学とは言えないと考えている。
B:そもそも心理学は科学である必要はないと思っている。
このうち、Bの立場の人がけっこう多い?
22ガンキャノン:2000/06/17(土) 08:41
「フロイトを批判する皆さんへ。」に書き込もうとしたけど、
やっぱ、こっちにした。

 例えば、ボーダーライン、神経症を相手にする場合、
標的行動の変化だけではなく、
「クライエントとセラピスト間におけるさまざまな問題、変化」
を説明できたほうがよい。と思うわけです。
例えば、クライエントが治療者に敵対し始める事を、
転移といわれる現象で説明したりするのです。
 だから、精神分析的な方法が必要だという人がいるのでしょう。

 しかし、行動主義の立場から
「クライエントとセラピスト間におけるさまざまな問題、変化」
に注目している人もいるのです。例えば、
Diagnosis of personality disorder: a radical behavioral alternative.
J Consult Clin Psychol. 1996 (Kelly Koernerら)

 行動療法について
 ワトソンしか知らない。
 徹底的行動主義と方法論的行動主義の区別を知らない。
 古典条件づけの消去手続きから派生した行動療法しか知らない。
 罰技法しか知らない。
 といった人が多いのだと思います。

23名無しさん:2000/06/18(日) 11:24
不毛な?フロイト版でも書きましたが(笑)
現在精神分析や力動論があつかっているような臨床上の課題を
行動療法で置き換えあつかえているなら具体的に教えていただけますか?

個人的印象では認知行動療法というのは分析力動論と対立するのではなく
相互に考え方の違いはあれ、相補しながら臨床に役立つものだと思っている
のですが。理論的礎からはじまる行動療法と、経験的なものからなる分析力動論
は、対峙して当然かもしれませんが、だからといって、お互いの存在を排除
しあう関係になる必要はないと思っています。

行動療法について精神科医が精神分析以上に、無知で無理解であるというのは
おおせのとおりだと思います。ただ最近の少年犯罪にみられるような言語化以前の
水準の病態については、(先が思いやられますが)、行動療法のアプローチは
有効ではないかと愚考しておるのですが。理論的な精緻な組み立てよりも、
実際にそーいうところで成果をまずあげていただければ助かるんですがね。
24ガンキャノン:2000/06/18(日) 12:26
>言語化以前の水準の病態
例えば、攻撃行動においては行動分析(徹底的行動主義)では
スケジュール誘導性好子という確立操作という概念で説明するでしょう。
そこでは、フラストレーションとか他の仲介概念、または
手がかりとなる言語行動に注目しなくても説明できるわけです。

おそらく23さんは徹底的行動主義と方法論的行動主義を区別されては
ないのでは。徹底的行動主義では「認知」はつかいません。
「刺激ー生活体ー反応
生活体はブラックボックスであり、生活体の内部は観察不可能で
精神分析などの人間理解の学問が必要である」
というのは方法論的行動主義です。

私は、精神分析を排除しようとは思いません。
多種方面の知識を得ることは有効なことであるのは分かっています。
認知療法のBeckが有名になったのは、精神分析から出発し
行動療法の考えも取り入れたからかもしれません。

ただ、言いたいことは、
臨床においては行動アセスメントは必要ですが
精神分析的理論は必須ではないということです。

25名無しさん:2000/06/18(日) 16:00
>ただ最近の少年犯罪にみられるような言語化以前の水準の病態

この前のバスジャックの事件にもありましたが
少年のパーソナリティ発達障害の諸問題を取り除くことが出来なった
ということでしょうか。
精神分析が某精神科では十分にやられてたのでしょうか。
少年と医師との共感が不十分でバスジャックの事件につながったのかも
しれません。
26伍長:2000/06/19(月) 02:00
>23
基本的な行動原理をよく知らない、環境要因を特定するための手法は尚更知らない、という場合は、こういう場所で詳しく学ぼうと思ってもちょっと厳しいでしょう。
「症状の置換」などは、「並立スケジュール」で説明できるようですが、「並立スケジュール」による説明を理解するのは、初歩から始まって各種の強化スケジュール等、知っておかなければならない基本原理を抑えておかないと。
ガンキャノンさんが例示した「スケジュール誘導性の攻撃行動」などもそうだと思います。
モノによっては簡単な説明なら出来るでしょうが、上記二つはちょっと無理だと思います(少なくとも私には)。
別スレッドの「転移」や「葛藤」の解釈なら、詳しい人なら上手く説明できるかもしれない。
でも、紹介されていた本などを読んでみた方がいいと思います。

とにかく、事例ごとに環境要因を分析してみないと。←これが一番大事なのに不十分なんじゃないのかな。
精神分析に限らず、心理療法の方々は、この点だけでも取り入れたらどうでしょうか?

>実際にそーいうところで成果をまずあげていただければ助かるんですがね。
細かい点や多くの事例研究については、やはり専門書や論文を読んだ方がいいと思います。
宗旨替え?してもらうためには、こういうスレッドも意味があるかもしれないが、せいぜい取っ掛かりを掴めれば良しとすべきでしょうから。
27ガンキャノン:2000/06/19(月) 18:22
伍長さんが来てくれましたか。
てっきりこのスレッドを見捨てたのかと思った。

このスレッドをみて1人でも
行動分析の本を手にしていただければ。例えば、

「うまくやるための強化の原理―飼いネコから配偶者まで 」
は読みやすかったです。
友達に貸したら、
「つまり、優しくしなさいってことね。」と言っていました。
28アモン:2000/06/22(木) 19:25
>9
>教育相談でもスクールカウンセラーでもいいんですが、
>精神分析を地で行くような解釈が行われていたりするのでしょうか?
まだまだ新米ですが、精神分析的心理士をしてます。
いわゆる心理療法の諸技法や、精神分析の中にもいろいろと立場の違い
がありますが、私の分かる範囲では次ぎのようなことでしょうか。
まず、解釈がとおっしゃられていますが、多分フロイトの欲動論に基
づいた解釈と捉えればよいかと思いますので、その趣旨で答えたいと
思います。
まず、フロイトの理論そのままを当てはめるのは現実的でないでしょう。
そういうことをしてる人はほとんどいないと思います。
いや、古典的なフロイト派では考えはするかもしれませんね。でも、そ
れをそのまま解釈として提示したり、話したりすることはないでしょう。
では、何をしてるのかって事ですが、ちょっと具体的に例をあげないと
書きづらいです。
抽象的になりますが、出来るだけ相手の言葉で、少なくとも相手に通じ
る言葉で(普通いきなり性欲がどうこう言われてもピンと来ないでしょ
う)伝えますし、時期が悪ければ伝えずに待つという選択をすることも
多いです。
あんまりうまく書けませんね。そのうえ、ずいぶん長くなってきました。
この件については、例をあげればもう少し分かりやすいと思うんですが、
よろしければレスつけてください。
29アモン:2000/06/22(木) 19:46
↑とっても分かりにくいですね。申し訳ないです。

あと、もうすこし、ここに来て思ったことなのですが、やっぱりかた
くなな方って多いんでしょうか。自分の拠ってる理論背景以外は受け
いれにくいような。
あ、そういう問題じゃなくって、私たちの基礎知識不足への警鐘でし
たね。

自分はクライエントに会っていて、単純に一つの技法だけで対応する
ことは無理だと思いますし、とり入れられるものは、とり入れていき
たいと思ってます。安易な折衷主義は危険だし、ある程度ものになら
ないと現場で使ってみようとは思えないですけどね。
ただ、行動療法は少しだけかじったのですが、不勉強にもここにくる
まで行動分析との違いは知りませんでした。勉強します。
宗旨替え(?)はする気はないですが、勉強することは沢山あります
ね。
もちろん、自分にとって主となる精神分析の修行もしていかなきゃだ
めだし。

最後に、
>27
>「つまり、優しくしなさいってことね。」
いろんな理論があるけど、結局そうなのかなって思いました。
やさしくするってどういうことなんだろうって、みんな考えてる
のかなって。
30伍長:2000/06/24(土) 01:41
>>「つまり、優しくしなさいってことね。」
>いろんな理論があるけど、結局そうなのかなって思いました。
>やさしくするってどういうことなんだろうって、みんな考えてる
>のかなって。
優しくする、つまり強化手続きの一種だとして、
何に対して優しくしたのか、つまり、
どういう状況で、何を、どのように強化して、その結果どうなったのか、を細かく分析しないとね。
こういう分析は、どんな療法をとるにしても、まずは治療の前提として不可欠なことじゃないかと。
だから、素人さんならともかく、「結局そうなのかな」って主観的に一般化するのはマズイと思うわけで・・・
31お!:2000/06/28(水) 15:01
32ったくもう:2000/06/28(水) 17:32
>29
宗旨替えした方がいいと思うが・・・
少なくとも、精神分析以外の勉強に力を入れてくれ。
臨床系の論文を片っ端から読むことだ。
臨床以外にも、学習、認知、生理など、やることはたくさんあるな。
まあ、がんばってくれ。
33名無しさん:2000/06/29(木) 05:38
ってゆーか君は精神分析の勉強も実践もしてないんだろ? > ったくもう
34名無しさん:2000/06/29(木) 06:51
>33
文章読んで、私もそう判断しました。
文脈を辿っても精神分析を持ち出す必然性が全く感じられない。
35劇化:2000/06/29(木) 09:26
いつも思うんですが、
28@`29のような精神分析的な人は
一回発言しただけで、レスせずに消える人が多いですね。
悲劇のヒロインを演じてるのかしら。
ここのスレッドでも、固定ハンで頑張っている
精神分析的な人はいないみたいだしね。
36ったくもう:2000/06/29(木) 17:21
おいおい、文脈って言うなら、このスレッドの1から読んでみろ。
それに、基礎の勉強もしなければと真面目に考えているらしい28@`29にとって、
基礎の勉強をしていないらしい33@`34のようなヤツはありがた迷惑。
てなことを書くと、せっかくの良心的スレッドが荒れそうだな。荒らすなよ。

>35
28@`29は固定ハンでまた発言すると思う。
37名無しさん:2000/06/29(木) 20:09
>臨床系の論文を片っ端から読むことだ。
この言い方は背中が煤すけてて笑えるなぁ
38名無しさん:2000/06/29(木) 20:19
>てなことを書くと、せっかくの良心的スレッドが荒れそうだな。荒らすなよ。
「俺の悪口かかないでくれ」って正直に言えばいいのに。
39名無しさん:2000/06/30(金) 03:05
ってゆーかが精神分析の勉強も実践もしていないとすれば、
臨床系の論文を読め、に対する信頼性に問題が出るでしょ。
簡単な話。
40horobi:2000/06/30(金) 03:16
『うまくやるための強化の原理 - 飼いネコから配偶者まで』
の書誌データ呉〜、と思ったら、検索でみつかりました。

『うまくやるための強化の原理-飼いネコから配偶者まで』
カレン・プライア (二瓶社) 1998
Karen Pryor: Don't Shoot the Dog!:
The new art of teaching and training@` 1984

http://kogolab.edu.toyama-u.ac.jp/chiharu/yonde/980727.html
の感想文面白いです。
41名無しさん:2000/06/30(金) 14:49
42名無しさん:2000/06/30(金) 19:57
「定型罵倒文」のコピペとかわりませんな。自分の言葉がそんなに怖いですか。
43アモン:2000/07/01(土) 11:02
28,29です。
>伍長さん
確かに、簡単に一般化してしまうのは、まずいと思ってます。
あんまり長くなると思って、感想を端折り過ぎたので、そのように
取られても仕方ないのですが…。
いい訳がてらに。
理論・実践において、どのような立場にせよその時の状況と介入・結果
を分析することは不可欠でしょう。これは、精神分析だろうとその他
の心理療法だろうと、ある程度ちゃんとした人ならば、やってること
です。
その上で、27の友人が(たぶん非専門家)優しくしろってことねと言
ったことに対して、注意を払うべきだと感じたのです。
それこそ、当たり前のこととして語られにくいのかもしれないのです
が、この分野での専門的技法と捉えられるものが、非専門家から見た
ときに、「優しくしろってこと」と感じられるようなことが重要だと
思うのです。
いずれにせよ、クライエントに対して、単純に優しくしてりゃいい訳
ではないですが、クライエントとセラピストの関係の中で、クライエ
ントが「優しさ」を感じられることは、大切なことでしょう。
また、いずれの理論においても、スタート地点としては、クライエント
に対して、症状の消失や(彼らが求めるならば)人格の問題を扱って
いくために、どうすればよいのだろうかという真摯なスタンスがある
訳で、それが各理論・技法体系の27の友人言うところの「優しさ」と
いう共通点であると思ったのです。

長々と申し訳なかったです。
また、結果として、私の発言および反応の遅さで迷惑をかけたようで
す。その上、今後も1ヶ月ほどネットにつながれなくなっちゃうので、
また、書き逃げと思われるといやですな。8月に入ればまた戻って来
ると思いますので、それまで、このスレッドがあればそこで、そうで
なければまたどこかで書きこみしたいと思いますので、よろしく。
44名無しさん:2000/07/04(火) 19:41
伍長さんへ。ボードちがいですが砂漠化がすすんでますので、こちらで失礼。
標準型精神分析療法 390点
 口述による自由連想法を用いて抵抗転移幼児体験などの分析を行い
 解釈を与える事によって洞察へと導く治療法。
 (内規では、45分、カルテ半ページ書け というのがある 笑)
入院精神療法
 360点 精神保健指定医によるもの(3ヶ月まで)
 150点 非指定医によるもの(6ヶ月まで)
 80点  入院6ヶ月以降
通院精神療法 340点

45名無しさん:2000/07/04(火) 19:43
何が驚くべきことかっていうと、精神分析療法が高い保険点数というよりは、
それ以外の精神療法が、なにやっても(実は時間とかの規約はあるんですが)
そこそこに点数がもらえるという事実。ほとんどの精神科医は支持的精神療法を
しており、あとは説得(たぶんに認知療法的であるが、単なる結果)を行っている
のが現状だと思います。

なんで分析をしなかというと、単にめんどくさいとか知識がないというのもあるん
ですが、何より分析的な行為というのは、安易に行うとしばしば悪化させること
があり、中途半端は許されない。治療者と患者との間に劇的な力動をおこす
わけですから、それをある程度コントロールされる力量がいるわけですが、
その力がない。暇も余裕もない(ちょっといいわけ)。(ある人もいる)
46名無しさん:2000/07/04(火) 19:43
しかし、分析的治療をしようがしまいが、大抵の治療者は患者との間で
様々な問題にまきこまれちまうわけです。このへん臨床現場を知らない
人は全然ピンとこないようなんですが、あるんです。
「陥りやすい心理療法の101の失敗」(ちょっと曖昧)なんて本がある
くらいでして。いまや治療者にとっての最大の課題は転移などではなく
「逆転移」なんですな。治療者自身の揺らぎをどう食い止めるかというのが
大切なんです。で、これは嫌味でも何でもないんですが、誠実な治療者で
あろうとすればするほど、おこりやすいのです。それは治療者だけに起こる
だけでなく、治療チーム全体におこってしばしば出口なしになるんですな。

そういうときに分析的な知識は有効になります。分析的でなくてもいいですが
その「場」をスーパーバイズできる人が必要になるんです。治療の過程を
後方視して総括でき、現状を把握し、先の治療への方向性を示す事が必要に
なるんですな。今現在それを精神力動以外の知識で統括できるかは疑わしい。
47名無しさん:2000/07/04(火) 19:44
最後にまたエールをおくることになるわけですが(笑)、最近はとうとう境界例の
ようなまっとうな葛藤、両価的なんてレベルをとおりこして、ただただ問題行動
のみあって無自覚な行為障害とよばれるようなものが増えているわけです。
3歳児の精神に20歳の肉体と欲望をつけたようなのがいるわけですわ。
これはね行動療法の得意な領分でしょう。是非に実際的治療と理論の礎との
差を縮めていただきたい。それが全体を説明できるようになれば申し分ない
のですがね。

20世紀はやはりフロイトの世紀であったわけです。(反論ありそうですが)
21世紀はたぶんそうはならないでしょう。が、誰がそこに一番乗りするかは
わかりません。生化学、生理学、神経心理、遺伝子?、ありとあらゆる方向から、
いまだ「非科学的」な精神医学へのアプローチは続いていますから。
48伍長:2000/07/05(水) 19:03
遅くなって失礼。
最近、テレホタイムだと重くて全く入れないんです。

>40
その感想文を書いた先生のサイトを見てみました。教育工学が御専門の非スキナリアンのようですが、PSIを御自分の授業に取り入れておられるようですね。
(PSI:Personalized System of Instruction. スキナー派の重鎮ケラーKellerが大学の授業のために開発した個別化教授システムです)

そういえば、他に読みやすいものとしては、
『パフォーマンス・マネジメント―問題解決の行動分析学』(米田出版。販売元は産業図書)
『わが子よ、声を聞かせて―自閉症と闘った母と子』(NHK出版)
などはいかがでしょうか。

>43
ご心配なく。2chの人々は慣れてますから大丈夫ですよ。
また書き込んでください。
なお、
>理論・実践において、どのような立場にせよその時の状況と介入・結果
>を分析することは不可欠でしょう。これは、精神分析だろうとその他
>の心理療法だろうと、ある程度ちゃんとした人ならば、やってること
>です。
そうだといいのですが、私は懐疑的です。つまり、私の言う「不可欠な分析」とは、環境面に要因を求める行動レベルの機能的分析のことだからです。
49伍長:2000/07/05(水) 19:08
>44
これは詳細にありがとうございます。

>標準型精神分析療法 390点
> 口述による自由連想法を用いて抵抗転移幼児体験などの分析を行い
> 解釈を与える事によって洞察へと導く治療法。
これって、まさしく標準的というかフロイト的なやり方でしょう?
へぇー・・・・・・

>45@`46
「分析的」というのは、「精神分析的」という意味ですよね。
「逆転移」の問題はある程度想像はつくのですが、
>今現在それを精神力動以外の知識で統括できるかは疑わしい。
行動分析家ならどうするだろうか?

>47
>20世紀はやはりフロイトの世紀であったわけです。(反論ありそうですが)
うーむ、臨床心理学の世界ではそうなんでしょうね。
あ、思想界も含めてか。
そう考えると、「フロイトの世紀」だったというのは正しいか。
50名無しさん:2000/07/05(水) 23:56
>行動分析家ならどうするだろうか?

そもそも知の技法としてまったく別個のものなので、「砂漠の77」のように
置換を試みていただいたのは、やはり誰かが砂漠80で書いたとおり無理が
出てくると思います。だとすると、行動分析が影響力をもつとすれば、
まったく新しい治療のパラダイムからはじめていかないといけないのでは
ないかと思えます。 もしフロイトが偉大だとすれば全くの四面楚歌の状態から
彼なりの「新しい治療のパラダイム」を(嘘かホントかはおいといて)
作り上げた事だと思いますね。そして確かに妖しいその言説にもかかわらず
実際的に、いかなる生物学的研究もまだそれを淘汰しきれていない事。

同様の試みが行動分析家であり臨床家である誰かに現実的にできているでしょうか?
他の生物学的アプローチの足音も実はかなり近くまで来ているかもしれないのですが。
51伍長:2000/07/07(金) 04:31
>まったく新しい治療のパラダイム
これは、すでに行動療法(行動分析に限らず)が提供しているのでは?

>誰かが砂漠80で書いたとおり無理が出てくる
パラダイムが違うし、失礼ながら「砂漠」の80氏のコメント自体が不明瞭でした。

「砂漠」の80氏wrote@`
>「転移」は「言語としての無意識」の中に、主体と対象がどのように
>位置づけられるかによって自動的に進行する現象だったと思う。
説明不足のため少々意味不明です。
そもそも内的過程を仮定してそれに依存した説明であり、環境要因への言及がありません。
したがって、
>学習や環境要因に全面的に依存しているわけではないよ。
と言い切る根拠にはならないでしょう。

精神分析に限らず、心理療法というのは内的過程=心因?を問題にするが、
行動療法では、症状となる問題行動を直接的に制御しているのは、仮説的な心因ではなく、環境要因なのだと考える。

心理療法側は、心因?を除去できなければ症状の置換が起こると考えるだろうが、
行動療法側は、症状置換が起こるのは環境要因の調整不足であると見なす。

行動療法のこうした考え方は、一般には馴染みにくい。
「心」を扱っているようには思えないだろうし、精神分析のような「妖しい」魅力もない。
「心」に関心がある心理療法家(患者も)の中には、このような療法を欲しない人もいるでしょう。
これが行動療法(行動分析を含めて)の最大の弱点だと思います。
52名無しさん:2000/07/13(木) 11:07
>誰かが砂漠80で書いたとおり無理が出てくる

砂漠とは何を指しているんですか?
ロムしていたものですが興味深いスレだったのでぜひ見てみたいです。
よろしかったら教えてください。
5352
判明しました
にちゃんの同板別スレでした
「フロイト…」のほうです。
お騒がせしました。