1 :
あんど:
精神分析ってどんな学問なんでしょうか?
そもそも体系化された学問なのでしょうか?
心理学とはどう違うんでしょうか?
そして、臨床に役立つのでしょうか?
質問ばかりですいません。
ラカンの本などを読んでも、精神分析の根本がよく分かっていないので、
今ひとつ理解できないのです。
どうか詳しい方、教えて下さい。
2 :
余計なお世話の当直医:1999/12/14(火) 22:55
臨床心理の現実と現在についてきいているよくにたスレッドを何度か
見かけるのですね。なんだか同一の人が聞きたい事があるのだけど
うまく聞けないので、または期待した答えが返ってこないので、
繰り返しているような気も少し。
(こんなあて推量のあたりはずれはともかくとして)
何を語らせたいのか、もう少しだけ絞っていただけませんか?
学問的話に絞るなら、ここよりも本と読まれたほうが情報がさすがに
豊かだと思うし。2ch的な、特有の情報を求めてるとしたら、
現場における分析的なものの使われかたとか、臨床心理士の
ありかたと意義とかですかしらん?何かに迷っておられるなら
具体的なほうが答えやすいんですが。
(でないとまた、とんでもなく抽象的な議論の方向へ行って
しまいそうな)
3 :
伍長:1999/12/15(水) 00:21
学生時代にハマりかけたことがあります。
文学・芸術関係が好きだったので、非常に興味がありました。
が、すぐに正気に戻りました。
アイゼンクの本を読んだことなどがきっかけです。
私も基本的には2の先生と同意見ですが、あえてお答えすると、
>精神分析ってどんな学問なんでしょうか?
一言では言えません。
乱暴に言うと、フロイトは人間の行動のほとんどorすべてを、性欲と結びつけて考えました。
>そもそも体系化された学問なのでしょうか?
ある程度は体系化されていますが、フロイトもユングもアドラーも強調点が違います。特にユングはだいぶ違います。
>心理学とはどう違うんでしょうか?
現代の心理学は、実験心理学(学習・知覚etc.)の流れと差異心理学(知能・パーソナリティetc.)の流れがあるようですが、どちらもデータの統計処理などを行います。
基本的に、精神分析は精神医学だということになっているようです。
私としては文学または思想だという気がします。
まともな心理学者の中で、精神分析を心理学だと思っている人は、現代では一人もいないと思います(ま、例外もいるかもしれませんが)。
貢献はしています。少なくとも、大抵の心理学者はフロイト関係を読んでいるはずですから。
あ、そうだ。ただし、臨床心理学の分野では、精神分析を含め、ごった煮状態です。
>そして、臨床に役立つのでしょうか?
人によります。が、一般にはあまり役立たないと思います。
かつてはあれほど盛んだったアメリカでも、最近は熱が醒めてきたようです。現実に目を向ければ当然のことです。
臨床に興味がおありなら、行動療法や認知療法の勉強をされることをお勧めします。そのためには、本流の心理学の勉強が必要です。
ただし、おそらく気に入らないと思います。
>ラカンの本などを読んでも、精神分析の根本がよく分かっていないので、
>今ひとつ理解できないのです。
ラカンは私にもよくわかりません。いきなりラカンを読むのは無茶です。
臨床とは無関係に、単に精神分析に関心があるというのであれば、解説書を読まれるのがよろしいかと思います。
近代の文学・芸術・思想関係では、マルクスと並んでフロイトの考えを知らないと理解できないものが結構ありますので。
なお、ユングは後回しの方がいいです。
4 :
目覚めて仕事の当直医:1999/12/15(水) 09:22
伍長さん、ども。他のスレッドの会話楽しませていただいてます。
ここで談笑しはじめると、またスレッド建てた人の趣旨から流れて
行きそうな予感もありますが、それでも書いてしまう(^^;
>>そして、臨床に役立つのでしょうか?
>人によります。が、一般にはあまり役立たないと思います。
ここだけね、ちょっと古いタイプの精神科医としては少し異論有り。
今現在、純粋な精神分析療法というものはかなり少数派でしょうが
精神力動(対象関係論とか云々)の知識とかその延長戦上の知識は
臨床現場ではかなり有用です。また治療者自身が自分の心を患者の
病理を映す鏡とする場合、その自らの歪みを減らすために、
教育分析とまではやらないまでも、治療者自身が自己分析はできている
ほうがよろしくて、治療者の心の平安にも(端的に言うと、不安や不適切な
怒りの減少)大切なよう。分裂病者のような一般的には理解不能と
思われている患者さんを治療していても、そうなのです。
もっとも最近は面接技法だけを覚えて、このテの入門書も読まない
NewTypeの人も多いようで、それでまた、立派な臨床をしたりしているので、
絶対必要とはいいませんが。経験的には、インパクトファクターへの
関心度と精神病理学への関心度は反比例するようです(笑)
そろそろ仕事に・・・
5 :
あんど:1999/12/15(水) 20:33
当直医さん、伍長さん、お返事どうもありがとうございます。
私が一番疑問に思っていたのは、なぜ分析家(というか、ラカン)は
自分の理論を心理学と峻別したがるのか、ということだったのですが、
伍長さんの発言で何となく分かりました。
どうやら「学」に対する根本的な態度が、両者では異なっているようで。
しかし、精神分析が、臨床において面接技法の一助と扱われてしまうのは、
何だか悲しい。特に多くの分析家が、その理論を臨床場面から構築しているので、
臨床において主導的に用いられていないならば、その存在意義すら
怪しくなってしまう気もします。
精神分析関連の学会の会員とか、どんな人たちなんでしょう?
哲学・思想の延長として学んでる人たちが優勢なのか、
それとも心理学の一分野として学んでいる人たちなのか、
臨床現場で利用するために学んでいる人たちなのか、気になります。
何だかその存在自体が不思議な学問?です…。
あ、あとユング。あれは占いだと思ってます(笑)
ちなみに、ここに書き込むのは初めてでした。そもそも見るのも初めて。
6 :
家に帰った当直医:1999/12/15(水) 22:10
ラカンはねぇ正直言ってよくわか知らない。最低限の話だけ。いい加減で
悪いんですが、ラカンって心理学だけでなく、ほとんどあらゆる学会や人と
訣別したような人生と理論をおくった人じゃなかったでしたっけ?
>しかし、精神分析が、臨床において面接技法の一助と扱われてしまうのは、
何だか悲しい。特に多くの分析家が、その理論を臨床場面から構築しているので、
臨床において主導的に用いられていないならば、その存在意義すら
怪しくなってしまう気もします。
これはちょっと違うと思うぞ。面接技法の一助として使われる場合
もあるが、主導的に用いられる場合もある(私にはできないけど)。
あらゆるものが柔軟に使われるのが臨床だと私は思ってる。
精神分析学会は・・・慶応閥とかむかし聞いた(笑)よく知りません。
哲学・思想の延長で学んでる人は、精神病理学会にもう百家争鳴で
います。ラカン派も最初そこでいた。独立した学会も作ったような。
ラカン派はほとんど初めて精神病理学会で発表した時(そのときは
まだ懇話会という名称だったと思う)、私は木村敏先生の前の席
に座ってました。ラカン派の発表がまーーったいうわからなかった。
後ろで「木村先生、どう思います?」っていう会話が聞こえて、
「僕はこーいうのは全然わからないから」の趣旨の話をしてるので
とっても安心した記憶が(笑)。
7 :
家に帰った当直医:1999/12/15(水) 22:14
おまけ。技法や理論が病気を治すんじゃない。なおすのは
「ひと」だと思ってます。
8 :
サル:1999/12/15(水) 22:48
ラカンは物語の語り部として大変優れています。フランス人は大好き
だよね。ドゥルーズ・ガタリとかと一緒。思想家です。
日本では「社会的ひきこもり」の第一人者、斉藤 環先生がラカンを研究
されているが、たぶん高尚なご趣味だと思う。ひきこもりの研究とは別にされている
と思う。でもラカンって昔はやったよね(ニューアカのころ)
9 :
伍長:1999/12/16(木) 00:32
>4
これは大変失礼をばいたしました。
>・・・経験的には、インパクトファクターへの
>関心度と精神病理学への関心度は反比例するようです(笑)
なるほど。
>5
まず、精神科医は薬を処方できるが、臨床心理学者はできません。
次に、精神医学はあまりよく知りませんが、臨床心理学はごった煮状態で、これが臨床心理学だというものはありません。
当然、臨床場面では、様々な技法が使われます。
精神分析的な技法が使われるとしても、目的は治療etc.ですから、精神分析にこだわる必要はないのです。クライアント第一に考えなければ。
どんな病気にも同じ治療法をとる医者はイヤでしょう? なんでもかんでも手術したがる医者とか。
精神分析があまりはやらなくなったのは、それなりの理由があるわけです。
「悲しい」とおっしゃられても、最新の他療法で上手くいったらそれでいいわけですから。
純粋の精神分析家がいたとしても、上手くいかなければクライアントはやって来ないんじゃないかな。いや、精神分析に幻想を抱いている人なら来るか。私は行きません。
ただ、7の先生のおっしゃるように、人次第という面がほとんどすべてだと思います。
それじゃあイカンというわけで、行動療法などが出てきたわけですが、それでもやはり人次第だという面が大きいと思います。期待はしていますし、私ならこっちへ行きますが。
なお、
>その存在意義すら怪しくなってしまう気もします。
もしかすると当直医先生はお気に召さないかもしれませんが、私はそう思っています。
10 :
今日は居残り医:1999/12/16(木) 17:41
まず自我の未成熟な日本人の風土に会わないという事もあったと思いますが、
なんというか精神分析という治療法の対象になる患者が減ったっていう気もします。
今ね都会で純粋な神経症と呼んでいいような患者さん
というのは、絶滅してしまったんじゃないかと思うほどで。
社会を映す鏡のように患者の悩みの表現型も代わるんですね、きっと。それにあわせて治療形態も変わる。
>>その存在意義すら怪しくなってしまう気もします。
>もしかすると当直医先生はお気に召さないかもしれませんが、私はそう思っています。
私は分析の人ではないのでこのへんに頓着はないのですが、
ここね、すごく失礼な言い方になるかもしれないので
決して悪意はないと、ほんとにほんとに断ってから
いうんですけど、(気分害されたらひたすらご容赦くだされ)
「精神分析とその関連物自体」の存在意義があやしいのでしょうか?分析という事自体が、人の心を全部統括
して理解できるものとして存在してないかもしれませんが、それで存在意義までかかわるのはちょっと。
あの・・・なんていうか、それを純粋に使う臨床心理士の
アイデンティにもかかわるという意味も含まれている
かなと少し。(ほんとに失礼な言い方なんですが)
11 :
伍長:1999/12/16(木) 19:55
>10
あちゃ、これは私の方が失礼な書き方をしてしまいました。
精神分析そのものの存在意義にまで言及するつもりはありませんでした。
5さんの、
>しかし、精神分析が、臨床において面接技法の一助と扱われてしまうのは、
>何だか悲しい。特に多くの分析家が、その理論を臨床場面から構築しているので、
>臨床において主導的に用いられていないならば、その存在意義すら
>怪しくなってしまう気もします。
を受けて、
クライアントのことを第一に考えるべきなので、
「臨床において面接技法の一助と扱われてしまう」のは構わないし、
「臨床において主導的に用いられていないならば、その存在意義すら怪しくなってしまう」のも構わない、
決して「悲しい」と思われる必要はない、という意味合いでした。
12 :
家に帰った居残り医:1999/12/16(木) 20:18
あ、これはこちらこそ、詮索まがいな事まで言ってしまいまして
(職業がらの悪い癖でございます <m_ _m>)申し訳ないです。
ついでですので、ちょっとおまけ。
行動療法(実際的には、認知療法ですかね、行われてるのは)は
非常に主観の入りにくい、治療者のちがいが明確にでにくいほうの
治療法だと思うんですね。(私はほとんど全然使ってません)
逆に言うと、あらゆるパターンの患者さんに対して、一定の要件を
満たせば同様にやれるわけですねぇ。ここがね、一期一会の
患者さんに対しての最適(と治療者が勝手に考えているわけ
ではありますが)な治療法を選んでるのとは違うと感じるわけで、
古いタイプの精神科医としては(しつこいけど(^^;)
どーも気になるんですねぇ。これはそうとう主観なんですけど。
13 :
伍長:1999/12/16(木) 21:12
認知療法という言葉は、まだ明確に確立されていないから使わない方がいいという人もいる、とどこかで読んだ記憶があります。
認知行動療法なんて言葉はよく目にしますが。
行動療法では、まずはじめに患者さんの行動を分析して問題点をさぐりますし、治療中も常に分析が行われますから、すべては「個別事例」なんです。
ですから、「一期一会の患者さんに対しての最適(と治療者が勝手に考えているわけではありますが)な治療法を選んでる」はずなんです。
ただ、これも「人次第」なところがあるはずなんですね。特に、元になった実験心理学のトレーニングを受けていない治療者だと、症例や治療法をパターン化してしまう危険性があると思います。
14 :
あせってる居残り医:1999/12/16(木) 21:49
なるほど、生半可な知識でものを言ってすいませんでした。私の理解
があきらかに不充分であったようです。
認知療法に限らずですが、あらゆる治療法はパターン化する危険が
ありますね。それ以上に、現実的制約の中で、患者にとっての最適
を選ぶ余裕がないときが多いようで。多数の外来や入院患者と頻発する
トラブル、人間関係、こんななかで現実と整合した最適戦略を
(ただの妥協ですが)選ばざるをえない事が多い。これが非常に
充実感の喪失を招いたり、ストレスになるわけで、自己治療が必要
になってきます。
15 :
伍長:1999/12/17(金) 00:01
>14
いや、本当に大変な御苦労だと思います。
現場の実際は知りませんが、間接的に友人・先輩・先生たちから話を聞ける環境にいました。
また、私自身が教育関係の仕事をしておりますので、ある程度は類推で想像できます。
「現場の事情」っていうのもあるんですよね。
それと、先生のお仕事と重なる部分も大きいかと思いますが、
以前、「重度」の方々の施設を見学したことがあります。
スタッフの皆さんの御苦労は想像するにあまりあるものがありました。
16 :
劣等生:1999/12/17(金) 01:48
伍長さんって心理学の先生なんですか?おそわりたいなぁ〜
あっ別に個人情報を詮索してるわけでわありません。
なんでも聞けそうだなぁって思っただけです。
17 :
伍長:1999/12/17(金) 16:20
>16
とんでもありません。大変恐縮です。私は素人です。
院は出てますが、専攻は隣接領域です。
今は趣味の一つとして、ぼちぼちと勉強しています。
18 :
あぜ:2000/01/09(日) 07:35
話が止め処も無く発展しちゃってるけれど、
最初の疑問程度だったら、単純に、
フロイト知りたかったら岸田秀を、ユング知りたかったら河合隼雄を
読んでみるのが手っ取り早いと思う。
それ以上のことって、とりあえずはいらないんじゃないの?
先はいくらでもあるけどさあ。
19 :
うふ(^^):2000/01/09(日) 13:16
岸田秀と河合隼雄なぁ。どっちも手っ取り早いというか文章読みやすいんだが、
どっちも日本流と言うかそれぞれ流にデヴィエイトしていますねぇ。
はじめて「ものぐさ精神分析」読んだときは(高校生)けっこう感動したが
あとで対象関係論とか知ると、なんだほとんどバクリを極論してるだけ
じゃないかってわかるし。やけに幻想にこだわるなぁと思ってたら、
後に彼の生い立ち自体にかなり関係してるとわかる。(町沢さんとの
対談ね)。
スレッド最初の疑問は、最近どーもあちこちで散見される理系(科学)志向
心やさんと、文系(哲学?)志向心やさんとの果てしない溝があるようで
ま、これは、研究屋さんと臨床屋さんの果てしない溝でもあったりして。
ちゃんと総括してた文章も見たような気がするんですが、まだまだ
こだわりたい人も多いようで・・・(はぁ)
20 :
名無しさん:2000/01/09(日) 14:18
えーと、当然こういう溝を埋めることは大変だろうし、
ここのスレッドで解決できないのは当然だけど、
大事なのは議論してお互いの考えや問題点(分かり合えない
ということも含めて)をいろいろ出すことだと思います。
みんな最初は素人なんだし、溝についても最初は知らないけど、
議論しているうちに相容れないところがわかってくる。
そうしたら、次にお互いの立場も考慮して語り出せるのでは
ないでしょうか。
十分に納得しないまま議論を放棄すると、あいつらは人種が違う
ということで終わってしまうから。
そーいう意味で、こういうスレッドはとてもためになるなぁ
と感じる今日この頃(^^)
21 :
あぜ:
>19
だからさあ、ぼくが思ったのは「うふ(^^)」さんみたいに
そっから入って、納得したり、批判したりできるようになるのが
いいんじゃない、ってこと。
とりあえず、なかに入って、いろいろいじってみなきゃ。
多分、ぼくのあげた両者が、一番普通で、一番入りやすい入り口
なんじゃないかなあ。
多分、かなりの人がとりあえずそこから入っているよ。
詳しくなっちゃってから、出生を隠しちゃう場合が
ほとんどと思うけど、ね。