1 :
名無しさん :
1999/11/16(火) 04:45 実はあんまり良く知らないけど、興味はあるので 誰かが膨らましてくれるのを期待してネタだけ振っておきます。 生き物の外側に、生き物とは独立に情報がすでに存在して 生き物はその情報を直接的に利用できるって感じですか。。。 脳で複雑な計算の結果、外界にあるものの価値が出てくる のではなく、それがもう存在している。 例えば「机」は「支えること」をアフォードするとか言いますね。 よく建築設計の世界でアフォーダンス理論は取り入れられるようです。 こういう考え方をすると、人間の心理とかを考える上で どういう良いことが出てくるのでしょう?
2 :
ひろゆき :1999/11/16(火) 06:37
うーん、おいらもかじりかけなので、なんともいえませんが、 モノを単純な情報としてきめつけちゃうですよ。 認知の方面にもいっちゃいますが、リンボーダンスをするときに、 棒の高さが130cmだから、腰を25度まげて、ひざを15度まげて、、、 とか計算しませんよね。 1回目が失敗して、2回目は低いところを通り過ぎて疲れて、 3回目にその真中らへんでちょうどよく通るという場合は、 計算うんぬんではなく、棒と体のお互いの関係だけで、うごいてますよね。 そんな感じ、、、、、でしたよね??>くわしいかた。
3 :
UVROM :1999/11/16(火) 18:05
簡単にいえば、「AをBの状態にするためにはCをすればよい」いう既成 概念(ショートカット)ですよね。 たとえば、 よく「四角い頭を丸く・・・」系のTV番組で、回転式ドアノブの付い た引き戸(スライド扉)を 子供はすぐにドアをスライドさせて部屋に入れるのに、 大人は一生懸命ノブをひねってドアを引いたり押したりして、なかなか あけられない・・・ という実験をやりますが、 あれは、大人は何十年かの人生で、回転ドアノブの付いたドアを開ける ためには、ノブを回転させてドアを押すというアフォーダンスを得て いるからなんですよね。 アフォーダンスのおかげで、いちいちドアノブの構造を思い浮かべなく ても無意識にドアが開けられる代わり「自由な発想」が失われるたわけ です。
4 :
UVROM :1999/11/16(火) 18:16
で、利用法ですがOS(GUI)の囲い込みなんかは顕著ですよね。 まず、そこそこ使いやすいGUIをそこそこの値段で出してある程度普及 させます。 ユーザーは、使っているうちに、そのGUIに関するアフォーダンスが生 まれて、違う設計思想のGUIをだんだん使えなくなってくる(無理矢理 使おうとすると「勝手が違って」いらいらする)。 やがて、ある程度のシェアをとって、デファクトスタンダートになると 、未経験者は好むと好まざるとに関わらずそのGUIを使わなくてはいけ なくなり帝国の完成。 Mac vs Win の果てしない戦いもこれが原因ですよね。林檎系ユーザー が長年にわたってAppleをつかうことによって得られたアフォーダンスが 全く違うM$系のGUIに通用するはずがなくて「使いにくい!」となるわ けです。 #逆もいえるが、M$ユーザーが、無理矢理林檎を使わされることは少ない #ので、あまり文句がでない。
5 :
あほだんす :1999/11/17(水) 12:49
人工知能のフレーム問題のブレークスルーとして1950年代のギブソンの 理論が脚光をあびました。入力→情報処理→出力と言う処理形態ではこの世のすべてを データベースとしてインプットしていなければ、人工知能はできません。 神さまになってしまいます。でも人間は限られた情報から近似値を計算しています。 対象物にあらかじめ情報がありそれから推論していくのです。この概念の導入により 相互作用、相互関係の次元に研究がうつりました。 1988年ドナルドノーマンが材料・道具の心理学の出発点になると考え、デザイン分野でも アフォーダンス理論がさかんです。ながくてごめんね。
6 :
アフォーダンスは :1999/11/20(土) 00:21
外側にあらかじめ情報が存在すると考えるので、 実はあんまり面白く感じない。 どうして外側にあるのかを説明しないと、生物の現象を説明 するときに、「そこに存在するから」で終わってしまいそうで。。。 同じように流行りのオートポイエーシスの考え方は システムへの入力を認めません。 自分自身の閉じたサイクルでシステムが完結すると考えます。 アフォーダンスもオートポイエーシスもどっちも心を述べるもの だけど、どちらか一方で説明できるものでもないと思う。 結局、どっちの考え方もあって、これらがどうやって相互作用 していくかに興味があります。
7 :
じんが(あほだんす) :1999/11/22(月) 17:14
メルロ・ポンティの知覚論:世界には眼があってそれが人間を見つめている。 ジャック・ラカンの凝視論:対象である世界が人間を見つめていて、それにより人間の存在が規定される。 ジェームズ・ギブソンのアフォーダンス:環境は生命体に対して様々な働きかけをしている。 人工知能:例:突然目の前に飛び出してきた障害物を知覚するシステムは従来の入力→情報処理→出力と言う処理形態 では回避できない。そこで相互作用により分析します。(ニューロンの発火) ドナルド・ノーマン:インターフェースの概念(使い勝手)とどこが違うのかわからん。 わたしは、スレッドに関係ないけどクオリアのほうが興味ありです。
8 :
クオリアは :1999/11/23(火) 01:48
どう面白いですか? 昔本でちょっとかじろうとしたことはありますが、 その感覚がちっとも理解できなかったです。 内省に多くのことを求めるので、その能力がない人(まさに私) には辛いな〜と思って、途中で断念しちゃいました。
9 :
じんが :1999/11/23(火) 18:09
アフォーダンスは環境が生命体に働きかけます。では受け取るほうは全て 一定でしょうか?そんなことはなく、アフォードを感じる時「意識」が発生します。 相互作用が生じます。その「感じ方」が「クオリア」です。アフォードは現在工学的な インターフェース理論として発展しています。(コンピュータ等)しかし、アフォードから 感じる「意識」「質感」こそが「クオリア」問題とかんがえます。 もちろんまだ 何もわかっていません。しかし「アフォード」から「クオリア」の流れは面白いと思います。 1950年代の「アフォード」が人工知能の問題により蘇ったのだからつぎは 人工知能の問題は「クオリア」にぶち当たるとおもっています。 (たいへん端折った説明ですいません。)
10 :
>じんがさん :1999/11/23(火) 21:03
とても良くわかりました。 クオリアはアフォーダンス理論からさらに進んだものなのですね。 ところで、アフォーダンスは何となく条件反射的な情報にしか 適用できないように感じていたのですが、正しいでしょうか? より複雑な情報処理は別のメカニズムが必要で、自我は そのような複雑な情報処理に付随して出てきそうに思えます。 だから、クオリアがアフォーダンスの発展として出てくるなら 質感は説明できても、自我は出来ないとか、そういうことは ないでしょうか? 素人考えの上わかりにくい発言で申し訳ありません。。。
11 :
じんが :1999/11/23(火) 23:49
1.クオリア問題 2.自己意識、意味論、情動等 3.創造性、価値観、愛等 以上の問題がこれから生じますが、科学はまだ1、クオリアさえも見つけることは できません。分子機械としての脳、ニューラルネットワークとしての脳のメカニズムは クオリアにも到達していません。21世紀の問題だとおもっています。 アフォーダンス理論に基づく報告は神経科学学者からも報告されはじめています。 例:ハトが障害物を認識するニューロンのメカニズム
12 :
げん :1999/12/27(月) 03:05
自分なりの(またえーかげんな)解釈を・・・ ほとんど知らないので単なるネタふりでえす 何も知らないんだなと怒らないでください(^^; じんがさんの話を自分なりにまとめると アフォーダンス理論: ある種類の情報処理は遺伝的に入力→出力が一意に 決定されているから、外界に何かの情報が存在したら その生き物にとって内部で(複雑な)計算を 必要としない。 クオリア: より複雑な情報処理では、入力→中間表現→出力 となり、さらに中間表現→出力では、遺伝的以外の 要因による計算が成される。 だけど、入力→中間表現においては、アフォーダンス と同様に遺伝的に決定されているような写像が成り立つ。 そこで、ここを質感(クオリア)と呼ぶことにする。 このように、中間表現の前後で情報処理の質が全く異なるため 通常のシステムの記述のように、入力→出力のみを表示する だけでなく敢えて中間表現のレベルを表示する必要が出てくる。 さらに、ひょっとすると、この質感のレベルが遺伝的に決定 されていることから、心の最も深い構造を表している 可能性がある。 駄目?
13 :
名無しさん :2000/01/15(土) 14:53
なんか難しいのでアゲ。
14 :
鏡の中の貞子(衝動派改め) :2000/01/15(土) 22:56
ホント、よく分からないので教えて欲しいっす。 アフォーダンスっていうのは、例えば、こういうことなんでしょうか? 「俺は椅子を見たことがある」 故に、「椅子」の視覚表示を脳内に持っている。 椅子の役割も脳内に持っている。 「持っている」と言うのは「記憶している」と言う意味。 (i)さて、ある物体Xを目にした。 (iia)Xは「椅子」に類似した形態をしていた (iib)Xに座ると気持ちよさそうだった (iii)故に、Xを「椅子」椅子として見るつもりで見ることにしよう で、事実は、 Xは「前衛芸術のとても座れそうもない物体(iia)、例えば、高さ5mの椅子形の造形」だったり 「ただ単なる新聞紙を重ねた束(iib)」だったりする。 そう言うことなんでしょうか? 対象が「おいらは椅子っす」って(あたかも自ら発しているような「情報」を) 発していて、人間が、「勝手に読みとる」。 そう言うことなんでしょうか? 視覚に限定し、きわめて概略的に言うと、 「人間は思いこみをして、ものを見る」ということなのでしょうか? だとすると、少し突っかかりたくなる。 アフォーダンスを声高に言う人は、問題を取り違えているのではないか? なーんて(おびえ笑い) 例えば、「視覚」に関して(ギブソン自体がこれを言ってたのだから) 上記のどこが間違っているのか教えてほしい。
15 :
学生時代を思い出す :2000/01/16(日) 00:07
結局すっきりと解決できなかったのですが アフォーダンスとゲシュタルト心理学との概念の違いは何なのですか? ものの本で「違う」とあったけど言葉使い以上には理解できなかった。
16 :
学生時代を思い出す :2000/01/16(日) 00:17
結局すっきりと解決できなかったのですが アフォーダンスとゲシュタルト心理学との概念の違いは何なのですか? ものの本で「違う」とあったけど言葉使い以上には理解できなかった。
17 :
素朴な質問 :2000/01/21(金) 03:52
まじめなスレッドなんだから教えたれや。誰か
18 :
んーとね :2000/01/21(金) 16:29
建築、心理、コンピュータの各分野で”アフォーダンス”という言葉を つかっているが、それぞれ別の概念になってるから混乱するんだとおもう。 これわ言葉わ同じでも”別モン”だよ。 ギブソンからわ概念として借りてきただけだと思う。(説明に都合いいから)
19 :
衝動派(鏡の中の貞子改め) :2000/01/21(金) 21:10
(i)人間は積極的に自分の内部にある表示とのパターン・マッチングを 求める性質を求めると言うだけのことを言っている。だから「対象が 意味を発している」の類のアフォーダンスを説明する際の表現は比喩的 な表現であって、相手にすべきでない。問題はパターンマッチングを求 める性質の機構は何か?だから、闇雲に、比喩的表現である「アフォー ダンス」なる概念に踊る必要はない。そう解釈していいのか? (ii)これは明瞭に「学生時代を思い出す」さんがおっしゃってるように アフォーダンスとゲシュタルト心理学とを区別する決定的な違いは何か。 つーことなんでしゅ。佐々木正人を初めいくつか読んだが心が晴れない。 (特に僕の場合は(i)のこと)。
20 :
衝動派 :2000/01/21(金) 21:14
またやっちまったぜ(ごめんごめ) (誤)「・・・求める性質を求めると言う・・・」 (正)「・・・求める性質を持っているという・・・」
21 :
んーとね :
2000/01/21(金) 23:01 さらに、佐々木正人さんわ独自に概念を発展させているのでわかり難い。 でも、いいことだと思う。 ゲシュタルト:線形、静学的な処理体系 アフォーダンス:非線形、動学的な処理体系(学習の概念、相互作用) として使う場合が最近わ多いかな。つまり、相互作用を動的に捕らえるか 静的に捕らえるかのちがい。