アルコール依存症患者の子供として育ち、 現在は成人に達した人々
のことを英語でAdult Children of Alcoholics と言います。
頭文字を取って、ACOAとかACとも書きますが、こうした分類に
何の意味も無いことが学問的に明らかになりつつあります。
なによりもまずこの用語(アダルトチルドレン、以下AC)は、
1977年頃から米国のアルコール臨床にたずさわる心理療法家やソーシャル・ワーカーたち
の間で使われはじめましたが、その人達もそして後続の人達もなんら学問的根拠もなく
統計的調査をしたわけでもなくこうした「レッテル」を使用しはじめました。
その後この根拠の無い概念は大変に拡張され適用されました。
このスレはそうした状況に対して議論を重ねようとするものです。
前スレ アダルトチルドレン(AC)について
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1035617398/1001-1100
アルコール依存症患者の子供として育ち、現在は成人に達した人々のことを英語で
Adult Children of Alcoholics という。日本でも、ACOA、AC、または
そのまま英語読みで、アダルト・チルドレンという。
AC問題は1970年代からアメリカの専門家の間で注目されるようになり、
1980年代から一般に知られるようになった。酒害家庭の子供たちの一部は、
非行などの問題行動を起こすが、大部分は目立たずに混乱した家族システムに適応して少年時代を生きのびる。
しかしそのような子供たちも思春期以後に、特徴的な感情と行動の障害を起こしやすい。
酒害家庭の子供たちは、成長期に、歪んだ家族関係の中で、「生き方」を学ぶ。
「よい子」ほど、早くから、徹底して、酒害家庭の暗黙のルールを身につける。
たとえば酒害家庭では、不仲の両親が問題の本質について真剣に話し合うことはない。
その場限りの酒害対策が最優先課題になり、その他の家庭内の問題は無視または放置される。
子供たちは、「小船を揺らすな」と教えられる。
家庭の秘密を外に漏らしてはならない。
両親を困らせるような余計な質問をしてはならない。
やがて彼らは、自分の心配や悩みを話すことをやめ、問題に正面から立ち向かうことを避けるようになる。
また、両親も身近な大人たちの誰も救い出してはくれない苛酷な状況で、
彼らは、期待して裏切られるよりは、 誰も信用しないことを選ぶ。
さらに、不安になったり、悲しんだりして、余計に両親を困らせたり、惨めな思いをするよりは、
自分の感情自体を押し殺すことを学ぶ。
しかし、幼い彼らが自分に課す「しゃべるな。信じるな。感じるな」というその不文律は、
成人して後も不健康な感情、思考、行動の癖として残り、それ自体が彼らの人生を縛る。
一般に、ACは自分の感情を認めたり、表現することが苦手である。
また彼らは、考え方に柔軟性を欠き、過度に支配的である。
あるいは逆に他人に依存的で、自分の人生を主体的に選択することが
できない。しばしば罪悪感と恐れの感覚に脅かされ、抑うつ感に悩み、
他人を信頼する能力を欠いている。
大人になった彼らは、かつて体験したことがない「正常な対人関係」を
手探りで演じようとして、失敗を重ね、疲れて挫折する。
ACのこのような障害は、治療あるいは正しい対応によって、回復することができる。
また、親のアルコール問題に早くから対処することによって、その次世代の子供たちの
成人後に起こるこれらの問題の予防も可能である。
初め、アルコール関連問題として報告された「AC症候群」は、
その後、機能不全家庭で育ち、成人した人々に共通する問題として認識されるようになった。
とりあえず前スレよりコピペしました。
ただ、前スレは2002年からあるものなので、参考として
現在のwikipediaより最初の部分を引用します。
アダルトチルドレン−wikipediaより引用
アダルトチルドレンとは、人が機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなお内心的なトラウマを持つ、
という考え方または人のことを指す。Adult Childrenの頭文字を取り、単にACともいう。
学術的な言葉ではないため、論者により定義が異なる場合がある。
日本においては、1990年代にマスコミや、精神医学、臨床心理学を知らない知識人たちにかなり誤用された
(→#語義と誤用を参照)ために、近年はその本来的な意味をあらわすのに
アダルトサヴァイヴァー(Adult Survivor)が使われるようになってきている[要出典]。
一般には、親による虐待や、アルコール依存症の親がいる家庭や機能不全家庭で育ち、
その体験が成人になっても心理的外傷として残っている人をいう。
破滅的であったり、完璧主義であったり、対人関係が苦手であるといった、いくつかの特徴がある。
成人後も無意識裡に実生活や人間関係の構築に、深刻な悪影響を及ぼしている場合も多いが、
日本においては2010年現在、未だ一般社会による認知度は低い。
Wikipedia 【アダルトチルドレン】 目次より
1 語義と誤用
1.1 定義 発祥/発展/今日の用法
1.2 誤用 誤用をめぐる事例
2 精神疾患との関連性
3 主な現象と注目点
条件付きの愛情/虐待について/共依存
4 ACの特徴的な心理パターン
5 ACの習慣化された思考
6 ACの役割
7 ACの主なタイプの特徴
8 学術的立場
8.1 AC理論と精神医学界
8.2 ACと精神疾患
8.3 ACと社会問題について
8.4 著作活動による社会への理解
8.5 ACへの批判
9 関連項目/10 外部リンク/11 脚注/12 参考文献
10 :
没個性化されたレス↓:2010/07/02(金) 22:59:04
アダルトチルドレンと呼ばれる概念には根拠が何もありません。
客観的に追跡可能な研究や再現可能な研究は存在しません。
また統計的に有意な調査はありません。
また経過を観察したり治療に関する医学的な論文も存在しません。
こうした概念を心理的な疾病のように扱うことは極めて危険な事です。
即刻の使用の中止と同時に、
アダルトチルドレン概念は上記のごとき概念であるということが
一般に宣伝流布されるべきです。
アダルトチルドレン−wikipediaは非常に参考になると思われます。
もちろん、wikiの内容が100%真実であるという保証はありません。ただ、
このスレで議論されていることはwikiの足元にも及ばないということは確かでは。
Wikipedia【アダルトチルドレン】
◆学術的立場−AC理論と精神医学界
2010現在、全般的に日本の精神医学界ではAC理論とは距離を取っている。
それは前述のACの定義から、
【社会でACは多数派であり、ACであっても社会生活に当面支障のない人が大半である】
ことが理由とされている。心的苦しみが極度に進行し精神科治療が必要となった、
虐待や喪失体験による心的障害だけが治療対象とされる場合が多い。
したがって精神科の中にさえ「ACとは病気ではない」という見方をする医師もいる。
しかし一方では、一部にAC理論を正面から受け入れ、カウンセラーも兼任して
患者と向きあい治療を行っている医師もいる。
アメリカ・イギリス・フランスなどでは、日本よりはるかに進んだ
治療的取組みがなされており、またその方法論も洗練されている。
Wikipedia【アダルトチルドレン】
◆学術的立場−ACへの批判
AC問題は世間一般ではかなり誤解を受けており、批判も受けている。
簡単な誤解としては「子どものような大人」、
「大人になりきれていない未熟な人」などである。
批判としては【「いい年をして自分の未熟な部分を親のせいにするな」】が代表的
な例である(ただしこうした批判も、小此木啓吾や高橋龍太郎の著作によれば、
【一部のAC自称者に関しては的外れではない】)。
こうした誤解・批判がAC問題に悩む人にとって解決への大きな足かせと
なっている。専門家側からは概念の曖昧さが指摘されたり、
ACOAと非ACOAの差が見られないとする報告もなされており、
日本では主に精神分析に批判的な精神科医や臨床心理士が
AC概念の有用性を疑問視している。
13 :
没個性化されたレス↓:2010/07/06(火) 00:05:49
ウィキペディアで何をどのくらい議論したのか知りませんが
元々何の根拠もないことをいくら議論しても何も産み出しません。
アダルトチルドレンには
客観的に信頼に足る論文も調査も研究も無いのですから。
「良心的に、明確に、最新最良の医学的な知見を用いる根拠に基づいた医療」、Evidence-Based Medecineの
重要性が医師からも患者の側からもますます認識されつつある現代においても、
いまだにアダルトチルドレン概念を診療に用いる
精神科医がいることは恐ろしい事実です。
しかしその事によってもやはりアダルトチルドレン概念に
何の根拠も無いという現実は変わらないのです。
14 :
没個性化されたレス↓:2010/07/06(火) 00:35:04
やたらウィキペディアを張り付ける人がいるのは
アダルトチルドレン概念には参照できる論文も研究も調査も無いため
仕方なくやっているのでしょう。
ウィキペディアの記述以外に何もない
それがアダルトチルドレン概念の根拠なのです。
なんで自分でウィキ貼って自分につっこんでんだ?大丈夫か?
wikiが100%正しいという保証はなくとも、
自分の考えるAC理論の位置づけ、距離の取り方と通じるものがあると
考えたために載せたまでです。
このスレのテンプレを考えるにあたって、他のAC関連スレを参考にしましたが、
wikiからの引用もあったように思ったことがAC−wikiを見たきっかけです。
Evidence-Based Medecineが重要であることは確かであるが、
人にはそれぞれ個体差・個人差があることも確かなことではないだろうか。
私は、自分のことは自分で理解しなければどうにもならない部分があると考えている。
第一、確立されるのに100年かかるような根拠であるならば、
どんなに研究としては意味のあるものであっても、私にとっては何の意味もない。
得てして、意味のある研究ほど議論や長い歳月が必要なのかもしれないが・・・
このスレのテンプレが完全とも思わないけれど、
このスレのテンプレや他のAC関連書籍と自分の心理を比較検討し、当てはまるようであれば
「自分はACであるかもしれない」と考えても良いのでは、と思う。
ただし、
1)ACに学術的根拠が乏しいこと
2)ACというレッテルを自らに貼ったり、それに縛られることは無意味
というよりむしろ害悪であること
などを踏まえた上で、AC理論を学ぶにあたっても、自己責任というものを
認識しておくべき、と思う。
自己責任、といえば。
古典的なAC関連書籍にも、AC自身の自己責任については
繰り返し述べられていると思う。
・・・ただ、それをAC自身が読み取れるかは別の問題である。そしてそれは
AC提唱者の責任ではなく、【読者(すなわちAC本人)の問題】ではないだろうか?
前スレ860では
>かの有名な【不幸にする親 人生を奪われるこども/ダン・ニューハース著】より
>“信頼する力をはぐくむには時間がかかりますが、あなたは何かに成功したり、困難の中を生き延びるたびに、
>少しずつ自分を信頼する力をつけていきます。そしてその過程で、自分の力で変えられることと変えられないことの違いも
>区別できるようになっていくでしょう” ・・・とある。これは、
>辛い時もあるだろうが、自分の経験が本人にとってはかけがえのない財産である、ということではないだろうか。
>とくにACを克服するにあったては、どんなに価値のある理論・学問も、自分の経験なしには何の意味もなさない、
>ということではないだろうか。
としたが、実はこれには続きがある(※載せるつもりでタイミングを逃した)
あ、気が変わってもうちょっと前から引用してみますね。
実は、この本の、最後の方のヤマから引っぱってます、
ホントはきちんと順番に読んでいくのがいいのでしょうが・・・セルフヘルプ系の本はとくに、
最初がつまらないからって、最後までつまらない、重要でない、ってことはないと思う。
最近自分で読み直していて思うんだけど(※自分のため及びこのスレのため)、
意外とこういう本って最後まで読んでなかったりってあると思う・・・
最初だけ読んで分かった/救われた気になったり、
既出の情報だと思って、きちんと読まずに投げ出す、みたいな。
あるいは耳の痛い部分は読んでるつもりで頭に入っていない、みたいな。
また、何度も読んでみないと自分のモノにできないし、それでは
セルフヘルプになってないよね。それこそ意味ないよね。
"9.他人や周囲の状況をコントロールしたがる欲求を減らす
(あなたがコントロールできる唯一の人は、あなた自身だけである
―マリアン・ライト・イーデルマン)
"「コントロール」は「信頼」の反対です。
親の有害なコントロールによるトラウマを体験して育った人は、
将来に希望が持てず、落胆しないように状況をコントロールしたがります。
子ども時代の苦しみを生き延びるにはそれしかなかったとしても、
成長して大人になった時、それでは喜びに満ちた、挑戦のしがいのある
将来を描くことができません。"
"信頼する力は、感謝の気持ちを表現したり、失敗や困難にではなく
自分の強さや成功に気付くことによって、少しずつ育てることができます。
どんな人でも、精神性、高位の自我、持って生まれた意識、などと
いわれるものを持っています。呼び方は違っても、これらはみな同じ
ことです。それをどう呼んでもかまいませんが、
あなたを進化させる精神性を追及してください。(中略)
「精神性」は「誠実」や「信頼」に関係し、
「コントロール」は「恐れ」と「不信」に関係しています。”
"信頼する力をはぐくむには時間がかかりますが、
あなたは何かに成功したり、困難の中を生き延びるたびに、
少しずつ自分を信頼する力をつけていきます。そしてその過程で、
自分の力で変えられることと変えられないことの違いも
区別できるようになっていくでしょう"
"最後に、次の言葉を覚えておいてください"
"変えられることを変えることができる勇気を私に与えたまえ。
変えられないことを受け入れる心の安らかさを私に与えたまえ。
変えられることと変えられないことを見分ける知恵を私に与えたまえ。"
(不幸にする親 人生を奪われるこども/ダン・ニューハース著 玉置悟訳 p255-256より)
23 :
没個性化されたレス↓:2010/07/06(火) 20:14:34
宗教は宗教板でどうぞ
25 :
没個性化されたレス↓:2010/07/06(火) 23:48:14
違いますしそんな意味のない事を追及をしても
アダルトチルドレン概念並みに意味がないですよ。
自己責任だろうが他人の責任だろうが
お祈りをしようがアダルトチルドレン概念に
何か意義が生まれる事はありません。
百年研究をしなくとも統計的に有意な調査研究はできます。
意味があるアダルトチルドレン研究をしたいのなら
ぜひこれをなさっては。
>>25 嘘つき
あんた、前スレで暴れてたでしょ
次スレを立てたと書いてたでしょ
GOTO病院
統合失調症は薬飲んで治療しないと廃人
とにかく一度でいい
空気よめ
ACは空気よめなくなる病気か?違うだろ?
ごめん
脳内補完したけど、空気を読む以前に、あんたの日本語が読めないんだ
病院に行ったら何か不都合でもあるのか?
自己愛が肥大してるって自分でも理解してるんじゃなかったか
こういうスレの使い方や書き込みの仕方が
まともだと思っているところが空気よめてない
あんたの文章は、何度読んでも意味がわからない
特に下2行の意味がわからない
ちなみに、自分は「自己愛が肥大している」と書き込んだ人物とは別人
>>20-22を載せる気になった理由の一つは、
「AC概念に根拠がない、嘘である」と執拗に唱える人に
「コントロール」及び「恐れ」と「不信」の心理を見出したが故です。
あくまで、素人の私が、前スレ及びこのスレでの彼(彼女)の発言から判断して、ですが。
あるいは「考え方に柔軟性を欠き、過度に支配的である
>>5」ようにも私には見えます。
そもそも、AC概念に学術的根拠が「乏しい」ことは言えても、
「根拠がない」と言い切ってしまうことは科学的な姿勢とは言い難いと思うのです。
AC概念の学術的根拠、ということを述べるには自己愛の病理に触れる必要がある、
と思っていますが、私は医師でも精神医学が専門な訳でもないから・・迷い中です。
>>23 ACに宗教っぽい側面があることには激しく同意。
AC理論、関連する自助グループやAC業者の怖さはそこにあるのでは、と思う。
今だから言えることかもしれないのだが、AC提唱者は、ACの依存的な心性
(宗教等にハマりやすい等)に対しても配慮が欠けていたのでは・・とは思う。
ACのそういった心性に気づかず/気づいた上で、それを利用していた業者もいたかもしれない。
しかし、AC業者への批判をこのスレのメインテーマにしたいとは私は思わない。
何の解決にもならないし(あるとすれば自己満足だけなんじゃない・・・?)、
ACのホントの意味で生きづらさが解消されることは決してないのだから・・・
ただし、前スレ986で
>「ACを知ったからこそ私の人生がある」と合理化をするようになる。
> AC商業主義の暴虐に晒された心に「ACには何の根拠も無い」と言われても
すぐには受け入れらないのはもっとなことだ。
>このスレも次スレもこうしたAC被害者のリハビリをどうするかという問題も検討されるべきだろう。
とありました。
これらは十分にこのスレのテーマになり得ると思います。議論が出来れば。
荒れるのはあんまり良くないけど、まぁそういう時もあるよね、ぐらいに思っています。
あんまり荒れたら私は逃げるんですけどね・・笑
ちなみに、
>>22 「変えられないものを受け容れる心の静けさと、
変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける英知」
があるならば(徹底できるなら)、2ch的によく云われる【スルー(能力)】
とやらも自然に出来るはず、と思う。
つまり・・・多少の煽り?はスルーしながらも自分の心の平穏を保ちつつ、
また受け止めるべきところは受けとめ反省しつつ、
自分の分かる範囲については丁寧に答え、
何度も自分の考えを伝えることで相手に伝わるのを待ちながら、
その両者を判断する自分の能力、知力を鍛えていく・・みたいな?
これぐらいだと宗教とはいわないと思いますがね、賢く生きるための秘訣ぐらい?
実際、これを意識しながら生活すると、頭が良くなっていく・・のかも。
誰でも訓練すれば少しずつは身につくはず、実践あるのみと思います。
その2のスレを立てたのは私です。他
>>1-9、
>>11-12、
>>16-22 前スレでも結構書き込んでいたけど、
>人格障害を疑うようになったら、AC概念はそんなに必要ないと思う、
と言って一度消えたもののあげた者です。
(でも、wikiにもACと人格障害及びその他精神疾患との関連が
述べられているのを知り、ちょっと自信を取り戻した、みたいな)
>>23がスレを立てたのではない、ことは分かってる気もするけど。
>>35 このスレを立てる時に、
前スレのテンプレをほぼ正反対に勝手に変えた理由について、説明してもらいたい
スレの趣旨を勝手に変えるぐらいなら、別のスレを立てるべきだ
>>35 自分の事をあらすじみたいに話すんですね
>>1(本人が書き換えたらしいテンプレ)
学問的根拠もなく統計的調査をしたわけでもなく
こうした「レッテル」を使用しはじめました。
その後この根拠の無い概念は大変に拡張され適用されました。
>>12-13 wikiと根拠無しは明らかに同一人物
>>37 AC業者だと隠しつつ、AC業者を駆逐しようとしているんですよね
>>37 あなたがこのスレを立てたんですよね
とぼけないでください
いやいや…
なんか面白いけどさ
同一人物だという証拠を示しただけなんだから
そんなんなるのおかしくない?
病気なら先に投薬治療だろ
じゃなかったら自己愛&境界例
悪い自分と善い自分その他わけてたら
矛盾もわからんだろな
>>41 あんたの文章だけは、何度読んでもよくわからん
俺にはアンタがこういう事繰り返す気持ちがわからんわ
こき下ろしたくもなるし、ありがとうとも言われたいんだろ?
書き込み内容だけ見ると回復しててもよさそうなのに
真逆突っ走るとか、矛盾だらけじゃねーか
アンタってどの人のこと?
「こういう事」ってどういうこと?
ありがとうと言われたいというのはどの文章を指しているの?
どの書き込みを読んで、ACから回復しててもよさそうだと判断したの?
何の真逆に突っ走っているの?
回復したり悪化したりすることを指して、矛盾するとは表現しないと思うんだけれども、そのことについてはどう思うの?
こうすれば回復しますよって言いながら
回復に向けての行動になっていないって事だよ
そこまでして他人をコントロールする必要あるか?
親は矛盾したメッセージを送り続けてこなかったか?
質問に一つずつ答えろ
見た感じ自分でわかっていてやめられないのかと思うが
他人を傷つけたり嘘をつくのが自由を得るって事じゃないだろ
親がした事は一体どういう事だった?
親と同じ事をして、それで回復すると思うか?
親と同じ事をしない為に、学ぶんだろが
うわすごい荒れようだな。私の言ってること伝わってる気がしないけどw
せっかく事態の収拾をはかろうとHNつけたけどそれも果たして意味があるかどうか。
(“名無しのAC”イコール
>>1及び
>>35etc)
>>36 テンプレと言っていいのか分からないけど、前スレの
>>1、3-5について、
その2の
>>1-6で、「自分の判断で読みやすいように、改行、段落の変更」
ぐらいをした上で貼り付けました。【内容は段落、誤字等以外そのままです。】
ちなみに、前スレの
>>1は2002年のものですが、あなた(
>>36)の文章だったのですか?
とにかく、もう一度、「アダルトチルドレン(AC)について」を確認して欲しい。
スレはもう落ちてるんだけどね。私は全文を自分のPCに保存してあるから。
そんなにこのスレに執着があるならそれぐらいしてるよね?
>>8-9、
>>11-12にwikiを貼った意図については、
>>7において
>ただ、前スレは2002年からあるものなので、参考として
現在のwikipediaより最初の部分を引用します。
とお断りしてあります。wikiを貼ったのがスレを立てた者(私)であること、
及びそれが私自身の判断であることを配慮したつもりだったのですが・・
>>37 【※参考
>>7-16で流れを確認してみてください】
>>8-9、
>>11-12(wiki)を書き込んだのが私です。
>>13-14は別の人。
おそらく、
>>15は
>>13-14への書き込みだったようですね。
15さんは12-13を同一人物と言い切っていますが、実際は別人ですよ。
>>16も私で、
>>15への断りのつもりの書き込みでした。
私(8-9、11-12、16)は、
>>15をてっきり、
>アダルトチルドレン−wikipediaは非常に参考になると思われます。
>もちろん、wikiの内容が100%真実であるという保証はありません。ただ、
>このスレで議論されていることはwikiの足元にも及ばないということは確かでは。
へのツッコミと思って書き込んだ訳なのです。
>>40 私もそう思うんですけど(ガクブル)
>>37 >
>>12-13 wikiと根拠無しは明らかに同一人物
とありますが(同一人物でないことは51に記載済)、
私
>>1がwikiを貼った意図はむしろ、
「ACに学術的根拠が乏しいことは言えても(つまり全くないわけではない)、
根拠がないと言い切ってしまうのは、思い込みなのではないか」
でした。【※参考
>>7-17で流れを確認してみてください】
※前スレ「アダルトチルドレン(AC)について」1-5
>1 :没個性化されたレス↓:02/10/26 16:29
アルコール依存症患者の子供として育ち、
現在は成人に達した人々のことを英語で
Adult Children of Alcoholics と言います。
頭文字を取って、ACOAとかACとも書きますが、
適当な日本語訳がなく、日本でもこれらの略語で呼んだり、
またはそのまま英語読みで、アダルトチルドレン(1人ならアダルトチャイルド)
と言ったりします。この用語(アダルトチルドレン、以下AC)は、
1977年頃から米国のアルコール臨床にたずさわる心理療法家やソーシャル・ワーカーたちの間で
使われはじめました。
>2 :ロボ ◆lSiROBOsc. :02/10/26 16:33
既出スレッドです。
ただちに削除依頼を出し、しかるのち首を吊ってください。
アダルトチルドレン PART2
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1008306421/ >3 :没個性化されたレス↓:02/10/26 16:38
アルコール依存症患者の子供として育ち、現在は成人に達した人々のことを英語で Adult Children of Alcoholics という。日本でも、ACOA、AC、またはそのまま英語読みで、アダルト・チルドレンという。
AC問題は1970年代からアメリカの専門家の間で注目されるようになり、1980年代から一般に知られるようになった。酒害家庭の子供たちの一部は、非行などの問題行動を起こすが、大部分は目立たずに混乱した家族システムに適応して少年時代を生きのびる。
しかしそのような子供たちも思春期以後に、特徴的な感情と行動の障害を起こしやすい。
>4 :没個性化されたレス↓:02/10/26 16:42
酒害家庭の子供たちは、成長期に、歪んだ家族関係の中で、「生き方」を学ぶ。「よい子」ほど、早くから、徹底して、酒害家庭の暗黙のルールを身につける。
たとえば酒害家庭では、不仲の両親が問題の本質について真剣に話し合うことはない。その場限りの酒害対策が最優先課題になり、その他の家庭内の問題は無視または放置される。
子供たちは、「小船を揺らすな」と教えられる。
家庭の秘密を外に漏らしてはならない。
両親を困らせるような余計な質問をしてはならない。やがて彼らは、自分の心配や悩みを話すことをやめ、問題に正面から立ち向かうことを避けるようになる。
また、両親も身近な大人たちの誰も救い出してはくれない苛酷な状況で、彼らは、期待して裏切られるよりは、
誰も信用しないことを選ぶ。さらに、不安になったり、悲しんだりして、余計に両親を困らせたり、惨めな思いをするよりは、自分の感情自体を押し殺すことを学ぶ。
しかし、幼い彼らが自分に課す「しゃべるな。信じるな。感じるな」というその不文律は、成人して後も不健康な感情、思考、行動の癖として残り、それ自体が彼らの人生を縛る。
一般に、ACは自分の感情を認めたり、表現することが苦手である。また彼らは、考え方に柔軟性を欠き、過度に支配的である。
>5 :没個性化されたレス↓:02/10/26 16:48
あるいは逆に他人に依存的で、自分の人生を主体的に選択することができない。しばしば罪悪感と恐れの感覚に脅かされ、抑うつ感に悩み、他人を信頼する能力を欠いている。
大人になった彼らは、かつて体験したことがない「正常な対人関係」を手探りで演じようとして、失敗を重ね、疲れて挫折する。
ACのこのような障害は、治療あるいは正しい対応によって、回復することができる。
また、親のアルコール問題に早くから対処することによって、その次世代の子供たちの成人後に起こるこれらの問題の予防も可能である。
初め、アルコール関連問題として報告された「AC症候群」は、その後、機能不全家庭で育ち、成人した人々に共通する問題として認識されるようになった。
前スレついでということで(また、13、16あたり結構的を得ていると思う)
>6 :没個性化されたレス↓:02/10/26 17:57
共依存とアディクションを手掛かりにして後期近代社会における自己と人間関係の変容について知るにはギデンズ「親密性の変容」
野口裕二「アルコホリズムの社会学ーアディクションと近代」
>7 :没個性化されたレス↓:02/10/27 00:39
アダルトチルドレン?ハァ?
ACの正式名称はアル中だろ?
早く削除依頼出せヴォケが
>8 :没個性化されたレス↓:02/10/31 20:37
嫌アダルトチルドレン厨=回復できないAC
>10 :没個性化されたレス↓:02/11/24 01:07
ACは、治りますか?
>13 :没個性化されたレス↓:02/11/24 07:36
自称ACしてるヤシは、カミング・アウトすること自体に酔ってるように思われ。
ま、ホントのACってヤシは、自分のことをACとは思いもしない人のことかもな。
>16 :没個性化されたレス↓:02/11/28 19:06
自助にはまってどんどん人格障害者化するケースも多い
あとよくわからん療法にはまって金むしり取られたり
AC唱えている奴=悪徳商法の犠牲者
気の毒なことだが
前スレの最初もたいがい荒れているみたいですね。
このスレではそれ以上の議論が出来ると良いとは思うのですが・・・
57 :
40:2010/07/08(木) 12:09:34
あのさ………すごいね
スレ立てした人がwikiをコピペしていったんですよね
スレ立てした人と
>>13の言っている事(根拠無し)が同じ
なのに13は
>>12(wiki)に対して
『ウィキペディアで何をどのくらい議論したのか知りませんが
元々何の根拠もないことをいくら議論しても何も産み出しません』
って別人みたいに書き分けして言ってるんだよ
書き分けしきれてない部分もあるけど
それ指摘しただけで
立て続けに
>>38-39の反応がまたおかしいってだけ
荒れるも何もこのスレ機能してないと思うけど…
普通スレタイ見ただけで機能してないなと思うよ
>>57 つまり、スレ立てた人とwikiを貼りつけた人と
「…」を多用する人の3人を書き分けているってことですよね
AC業者叩きの芸風を捨てたと思ったら、今度は書き分けの芸風ですか
スレでまともな議論をさせないためのテクニックって
色々あるんですね
そうですよ
自演認定している人は、大体あやしい
自分も自演をしているか、自演を隠すために自演を指摘しているか
とてもいいスレだと思います。
今は荒らしがいるようですが
おさまったら参加したいと思います。
>>59 このスレでまともに議論させないようにする利益なんかないし、
このスレで無理にまともな議論をする必要もないのに、どうしてこだわるの?
64 :
40:2010/07/08(木) 22:19:07
しれっと私が自演したことになってる…
このスレだけの話ならいいけど他スレでもやってるから厄介なんでしょ
>>64 あら、口調が変わってるわよ
もう少し丁寧な物腰の人物だったわよね
書き分けは丁寧になさいよ
66 :
40:2010/07/08(木) 22:29:50
こうやって相手の言葉を利用して加害者にすり替えるとか
AC関係なくまともじゃないよ
加害者扱いされたという被害妄想で、
こちらを加害者扱いする手ですよね
それは、確かにまともではないですね…
>>66 温厚な人物のめっきがはげてますよ…
他人を自演認定しておいて、自分が自演認定された途端に、
被害者意識を丸出しにするのは、温厚な人物のやることではありません
人格の書き分けは適切にね…
>>66 わけわからないことになっているこのスレで、
何がまともで何がまともじゃないという話を延々としているのは、無駄だと思う。
はぁ…そうですか…
この人いつまでAC関連スレに居座るのかな
自助会がある意味危険って意味がわかった気がする
あ69さんにじゃないです
こういう人にかまうのって私がACだからかな
でももうやめときます
変な人に粘着するのも同じぐらい変な人とよく言われるよ。
素性のわからない変な人に粘着するよりも、スルーした方がいいと思うけどね。
病院をすすめるのが一番穏便なんだよ
真面目に相手したら自分の方がおかしい事にされる
自分の方がおかしかったのかもと思い始める
人格障害者の使う手だまともな話は通じない
身内にいるが統失&自己愛&境界例の破壊力はすごいぞ
病気だからと我慢し続けたらただ腹黒いだけのように感じる
なぜこう似通った感じになるんだろうな不思議だ
74 :
没個性化されたレス↓:2010/07/09(金) 01:29:04
まあとりあえず落ち着いて
ここは学問板であるという事を思い出していただきたい。
学問と言うのは自分一人の思いつきや、宗教的な決まり事にはなじまない。
色々調べて皆が納得できるというのが学問だ。
アダルトチルドレンという概念が誰でもが納得できるか
そしてその根拠について重大な疑念があるなら
それについて話すのが
建設的なそしてエコな地球資源とスレの
使い方ではないでしょうか
75 :
没個性化されたレス↓:2010/07/09(金) 01:45:45
誰が人格障害か
誰が統合失調症か
そんな事をスレの書き込みで判断する事を
医師法は許していません。
私たちはこうして無名性と書き込みの不連続性が許される
匿名掲示板に集いました。
学問板らしく客観的にアダルトチルドレ概念を
検討できれば思います。
私たちの前には無限のスレとアダルトチルドレン概念が許さなかった部分を疑う自由があります。
76 :
没個性化されたレス↓:2010/07/09(金) 02:08:08
アダルトチルドレン概念は客観的に研究検討されたアカデミックな根拠は全くありません。
しかしいまだに一部の精神科医やカウンセラーが
この概念を用いているのは誠に悲しむべき事です。
エビデンスに基づいた医療と言うのは
患者の側からも納得できる医療という側面もあります
アダルトチルドレン概念に対する疑念をこうしたスレで積極的に話し合うべきでしょう
77 :
没個性化されたレス↓:2010/07/09(金) 02:54:00
アダルトチルドレン概念に全く根拠がないという
誰でも調べられる真実を書いたり
そうした事を利用している出版社の事を書いたり
根拠もないのに患者を騙している精神科医の事を書けば
個人攻撃を受けるのは当然です。
彼らは反論できないので個人攻撃かスレを荒らすか混乱させるかしか手がないのです。
>>56、
>>57 そうですか・・
>>50は私からの事実を述べたつもりですが、伝わらなかったのですね。
何を言っても伝わらないのなら、私が一旦消えるとはっきりするのかもしれませんね。
現時点では誰が誰で何人いるのか謎、私がトリップをつけてもHNつけても意味なしw
まぁ、2スレ目なんだし、テンプレにしても、何をテーマにすべきかにしても
議論はこれからだと思うけどね。
こんだけ書き込んでおいて恐縮なのですが、
このスレが結構負担で不眠が悪化してきてキツいので今日でちょっと離れますノシ
夜、仕事が終わった後は見ないようにしてるんだけど・・考えて寝付けない、みたいな。
私も暴走しやすいところがあるし(前スレ参照)、言い過ぎたところはあると思っています。
たまに荒れるのは必要悪な面があるかもと思いつつ・・疲れた時は休むのも大切かな。
>>75 そもそも、このスレは誰が○○障害だとか病気だとかといった個人攻撃をする所ではないはず。
それは荒れてさえなければ、普通は誰もが分かっていることと思う。
でも、荒れた時や意見が衝突した時、攻撃されていると思ってしまうことがあるのかも・・と思う。
他者の意見に対して自分の意見を述べることと、攻撃とは違うはずだけど、実践は意外と難しいと思う。
議論を深める中で、ACの醜い部分が暴かれていくのかも・・とか言ってみるw
でも自分のそういった部分と向き合うことこそ、ACの克服に必須なのかもしれない。
いや別に欠点なんて誰にでもあることなんだろうけど、
自分で自分の欠点を把握できないことが問題だと思うのです。
把握できてるつもりなだけ、ってよくあると思う、それだけ意外と難しいことなのでは。
しつこいようだけど
>>22は、単なる祈りじゃないと思っている。
この文は、実は何度か他にも見かけるものであり、有名な“祈り”のようなので、
個人的に最も好きな引用より、再度紹介させていただきます。
>・・・山登りの場合と同じように、最も素晴らしい瞬間は、全景が一望できる見晴らしのよい
>高台にたどり着いたときです。上を見上げればめざす頂上がくっきりとそびえ、下を見れば
>自分の到達した高みが実感できる、そんな場所へ到達したとき、ようやく一息ついてあたりを
>見回して眺めを楽しむことができるのです。そのような体験には、
>【めざす目標は山頂に到達するだけではなく、ひたすら上に向って歩みを進めることにある】
>という認識も求められます。
>【そうして頂上をめざして歩き続けていくことこそが、人生というもののすべて】なのです。
>【精神的な健康とは】、その大部分がアッシジの聖フランチェスコの
>「主よ、変えられないものを受け容れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、
>その両者を見分ける英知を我に与えたまえ」
>という言葉に象徴される、【現実を受け入れ、その旅路を慈しむ姿勢に拠っているものなのです】。
−境界性人格障害BPDのすべて−
ジェロルド・J・クライスマン医学博士著/白川貴子訳、星野仁彦監修 p166より
ちなみに、出典に境界性人格障害(ボーダー・BPD)とあるから今頃になって載せたけど、例えば
同著はACでも十分に共感できると思うし、AC関連本より専門的な内容かつ分かりやすいと思う。
BPDはACを別の視点から見た感じになるんじゃないかな?但し、知識を得たからといって、
【経験を積んだ精神科医でない素人が、自分及び他者を人格障害と自己判断してはいけない!】
中途半端な知識が役に立たないどころか害になり得る、というのは普遍的なことと思う。
境界性人格障害って「親へのこだわりがある」「愛と憎しみ」の病気とか言われたりもする。
大部分のACはBPDよりは大人しい(行動化がない)のだろう。程度の問題は重要と思われる。
とにかく、ACにもBPD関連書籍は参考になるのでは、と言いたいのであって、
ACはBPDである、と言っている訳ではない。
さらに、よりACのイメージと一致するのは、人格障害の中でBPDよりも依存性人格障害や
(過剰警戒型)自己愛性人格障害になるかと思う。この三者は同根、すなわち
原因が同じところにある(その多くは親との関係か)といわれており、参考になるのでは。
また後者2つよりBPDに関する著者が内容、数ともに優れていることがある。
境界性人格障害 Borderline Personality Disorder (BPD)
自己愛性人格障害 Narcissistic Personality Disorder (NPD)
依存性人格障害 Dependent Personality Disorder (DPD)
ちなみにBP(Bipolar)が双極性障害(躁うつ病)とか、BPDは結構見るけど
NPD、DPDはあんまり使われていない感じ・・とか慣れるまでは分かりにくい面はある。しかし、
2chでボーダー/ボダって言うと煽りにしか見えず、あんまり使いたくない派なので載せてみた。
ACと人格障害の関連はこの3者に限ったことではないはずだが、代表的なものと思う。
話を
>>80に戻し、これ(22、80の祈り)を今度はAC概念的に解釈すると、
“AC本人がどんな親のもとに生まれ、どのような子ども時代を過ごし、どんな思いをしたか
(=変えられないもの)を受け容れる心の静けさと、”
“自分がACであることをいかに克服していくか(=変えられるもの)を変える勇気と、”
“その両者を見分ける英知を我に与えたまえ”
ぐらいになると思う。単なる祈りというより、AC自身がそのような努力をすることを誓う、
というか。古典的なAC本のいくつかはこれを意識しながら書かれているのでは?
また、私はそう読むべきと思う。日本語等、改善の余地があると思うけど、個人的には
次スレ以降のテンプレ候補です。
>>80等も含め。
>>81 最終行は「著書」の間違いです・・
最近考えた中で私が一番言いたかったことを言ってみました。
とくに
>>80は、ACとか人格障害に限った話をしている訳でないことが
お分かりかと思います(そう伝わることを願う)。
鼻毛出てるよ
他ACスレには書き込まないんだよ
俺はね
印象って確かに大事だろう
確かに
鼻毛出ている人と出てない人では、滑稽さという印象で大きな違いがあるね
89 :
没個性化されたレス↓:2010/07/13(火) 12:37:19
どうみても糖質の住人が一人で頑張っているスレだよな
90 :
没個性化されたレス↓:2010/07/15(木) 19:32:36
もともとアダルトチルドレンは根拠の無い概念なので治療のしようもない。
アダルトチルドレンの治療をうたう療法も多数あるが
もともと根拠の無い物をどのように治療するというのだろうか。
詐欺に金をだまし取られるようなものである。
多数あるアダルトチルドレンの治療法に関しても根拠、エビデンスのある研究報告は一切無い。
ただ治療を施す側がその治療を宣伝するのみである。
「私はその治療で治った」という方もいるかもしれないが
それでは全ての人に効く治療とは言えない。少々難しいかもしれないが以下の説明を聞いて欲しい。
ある治療法(や薬)に明らかに効力があるという事を証明するには
二重検盲法という検査をパスしなければいけない。
治療する側とされる側が効力のある治療法と効力のない似たような治療法の
効力を知らないまま試さなければいけないのだ。
(この説明では分かりにくいかもしれない希望があれば詳述する)
アダルトチルドレンに対する療法で二重検盲法をパスしたものはない。
つまりあなたがアダルトチルドレンの治療法を受けて「よくなった」と思ったとしても
それは「あなた自身の力で自然によくなった」という可能性があるのだ。
二重検盲法をパスした心理療法の代表としては認知行動療法がある、
アダルトチルドレンの治療法はこの検査を受けるべきだろう。
指毛が生えてるよ
指毛じゃなくて、手毛というんだよ
どっちでもいいけど、手入れして置いた方が好印象だよ
復帰しにきましたヾ(´∀`*)ノオヒサシブリデス
別にこのスレだけが負担な訳では全くなかったのだが。
仕事なり治療なり主治医との関係なりが大変だった。
でも私にも優先順位というものがある訳で。
実際、以前のペースでこのスレに書き込むのは負担でした。
自分に余裕がないと、無駄に荒らしの相手をしそうになるのがちょっと、と思う。
疲れていたのかもしれない。しんどい時に限ってやたらと書き込んでしまう・
オーバーワークな私なのですが・・ぼちぼち行きたいですね。
>>90 アダルトチルドレンの「治療法」に対する根拠はないことに同意。
ただ、私はアダルトチルドレンの「存在」に対する根拠はあると思う。
ただ、これに関してはおそらく、AC理論だけでなく愛着障害等の愛着の問題、
及び人格障害等を学ぶ方が良いかと思う。
さらに、愛着の問題や人格障害に関する研究・統計結果は多くあるはず。
私が読んだ書籍の中にもいくつかあるし(どうやって紹介するか悩み中)。
>>二重検盲 二重盲検と呼ぶ方が一般的では。
>>つまりあなたがアダルトチルドレンの治療法を受けて「よくなった」と思ったとしても
それは「あなた自身の力で自然によくなった」という可能性があるのだ。
私は、AC理論は、【きちんと活用することが出来れば】
「あなた自身の力で良くなる」ことを助ける手段になるのでは、と考えています。
AC理論をどう活用すべきか、逆に何に注意すべきかは、このスレでの重要なテーマと
考えています。
>>二重検盲法をパスした心理療法の代表としては認知行動療法がある、
アダルトチルドレンの治療法はこの検査を受けるべきだろう。
AC理論について例えば二重盲検法を用いた統計的研究が必要かについては
私はあまり興味がありません。ACに理解があり、かつ統計的研究にも
精通している研究者が現段階ではいる気がしないので。何となく。
AC理論をクライアント(他人)に対して用いようとする人って
宗教っぽい人が多いような気がする。なんてゆうか、理想ばっかり
高いけど、現実的・常識的な視点が欠けているタイプなんじゃないかな。
それに私は研究者ではないので(研究者よりは臨床家に共感するタイプで
研究者になりたいとも思わない)。
私はAC理論はACを自覚する者が「自分に対して」用いるべき、と思う。
ただ、AC理論は認知行動療法的な側面をもつ概念だと思うので、わざわざ
AC理論について研究しなくともそれなりに根拠があると思ってもいいのでは。
ただし、AC理論単独よりも、認知行動療法の理論を理解した上でAC理論を学ぶ
方が断然、AC克服につながると思う。努力する方向を間違えないで済む、というか。
臨床家が好き、と言ってみたのでついでに。
別のスレより精神科医(と思しき人)の発言をコピペ。
>一度、精神科にかかると良くなる率より悪くなる率の方が高い。行くまでは特別どうこう言うような状態でもない人までが
>行ったら本当におかしくなってしまう(されてしまう)。
>これらの原因は簡単だ。本来、薬など必要のない人間にまで適当な病名を付けて安易な投薬をするものだから
>薬のせいで脳に異変が生じてしまう。その結果薬剤性の精神病症状を呈するようになる。
>薬のせいで生じる異常(異変)人格レベルの低下などに対してこともあろうか新たに病名を付けてさらに薬を増やす。
>その結果、完全な薬物依存状態にされ廃人化してしまう。
>最悪の場合は精神病院→更なる薬漬け→薬物性ショックで死亡(病院側は心不全で済ます)こういう結果になりかねない。
>いや実際のところこれが現実に起きている。
>退院できたとしても普通の人生を送ることは到底不可能。悔しいが世間では精神科に罹っていたという履歴は犯罪の前科に等しい。
>くれぐれも安易な気持ちで精神科に関わってはダメだ。一生を棒に振ることになる。
>一度、精神科にかかると悪くなる率の方が高い。何故その事実をマスコミは報道しないのか?氷山の一角のようなうつからの生還者や
>精神医療を肯定するような番組や記事ばかりを報道している。
>全国から薬物被害者の声を聞くなり向精神薬被害の実態を調査する術はないのか?
>いくらでもありそうに思うのだが…。意図的に取りあげたくないのか、取り上げられないのか?どうなんだろう。
精神科医は単なる薬売りpart5 (92)
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/utu/1259266788/
また、同スレ:精神科医は単なる薬売りpart5 (194)より、
>軽度から中程度のうつ病には、抗うつ薬治療はほとんど効果がなく、
>別の治療をした方が良いとの研究結果が、5日の米内科学会誌
>「米国医師会雑誌(Journal of the American Medical Association、JAMA)」に発表された。
>
>米ペンシルベニア大学(University of Pennsylvania)のジェイ・フルニエ(Jay Fournier)氏の
>研究チームは、一般的に処方される抗うつ薬(ADM)と偽薬(プラセボ)の治療効果の比較
>のため、ハミルトンうつ病評価尺度(Hamilton Depression Rating Scale)で重度から軽度の
>うつ病と評価された成人718人を対象に6つの研究を実施した。
>
>研究の結果、抗うつ薬は、症状の重篤度に応じて、効果が大幅に変わることが分かった。
>
>JAMAに掲載された論文によれば、非常に重度の症状を伴った患者には大きな効果があった一方で、
>軽度から中程度、重度のうつ病に対して、抗うつ薬治療の効果はまったくないかごくわずかだった。
>
>論文は、抗うつ剤に対する研究の大半が重度のうつ病患者に対する治療効果を調べるものであり、
>重度以下のうつ病治療に対する効果を証明するためには証拠が十分でないと述べた。(c)AFP
>
>
http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2679872/5127812 >
>
> 軽度から中程度、重度のうつ病に対して、抗うつ薬治療の効果はまったくないかごくわずかだった。
コピペの意図は、
>>97 AC理論による治療だけでなく、精神科における治療も、現段階では問題が山積
らしいのです。ご注意を。このスレでも、精神科への誘導が時々あるので。
どっちにハマりこむ・依存してしまうのも危険を伴うということ。
>>97 「疾患の重さにより薬物療法、精神療法のどちらに重点を置くべきかは異なる」ことを示したいこと。
ACで精神障害を抱えているタイプは、疾患の重さとしては軽度〜中等度となると思う。
この研究も二重盲検法を用いているからその例としてもいいかなと。
この記事に限らず、私のネット遍歴の経験から言って
軽度〜中等度の精神疾患については薬物療法より精神療法(認知行動療法など)
が有効であること(薬物療法はむしろあまり効かないらしい)、
軽度〜中等度の精神障害を抱える者には、自己愛性人格障害等の人格障害の問題を
抱えた者が相当数いること(とくに若年者)
が最近、よく言われているらしい。
そして人格障害は愛着や育ちの問題と関連が強いことも言えると思う。
以上より、私の個人的な(とりあえずの)結論は、
「軽度〜中等度の精神障害を理解する上でアダルトチルドレン問題を考慮する
ことは実は結構重要なのでは、と考えます」です。
とりあえず100げっと
最後に同スレ208より、
>妄想性人格障害 統合失調質人格障害 非社会性人格障害 反社会性人格障害
>情緒不安定性人格障害 衝動型人格障害 境界型人格障害 演技性人格障害
>強迫性人格障害 不安性(回避性)人格障害 依存性人格障害 自己愛性人格障害
>受動攻撃性人格障害 抑うつ性人格障害 統合失調症 統合失調症型障害
>持続性妄想性障害 急性一過性精神病性障害 統合失調感情障害 感応性妄想性障害
>気分障害 双極性障害 鬱病 神経症性障害 ストレス関連障害 身体表現性障害
>不安障害 恐怖症 パニック障害 全般性不安障害
>強迫性障害 重症ストレス障害 急性ストレス障害 心的外傷後ストレス障害
>適応障害 解離性障害 解離性同一性障害 身体表現性障害
>転換性障害 心気症 疼痛性障害 身体醜形障害
>摂食障害 神経性無食欲症 神経性大食症 睡眠障害
> ↓
> ↓
> ↓
> ↓
> ↓
>たった一言で表すと、アダルトチルドレン
> ↓
> ↓
> ↓
>要するに、
>機能不全家族の中で育った子供たち
>きちんと甘えられなかった子供たち
>家族の中で何らかの役割を演じてきた子供たち
>心の自覚できないほど奥深いところに親(親代理)への恨みを抱えている子供たち
>親に甘えたい、抱きしめられたいという欲望が満たされなかった結果、渇望を抱え続けている子供たち
> ↓
> ↓
> ↓
>子供を生きられれば大人になれる
>今からでも遅くない、心の癒しに取り組もう
さすがに私が書き込んだ訳じゃないよw
でもACスレ以外にもACを取り上げる人はいるんだね、ってことを言いたい。
ちなみに、上記のスレでも208の後には
「自己中過ぎて笑えた」「甘えんな クズ」等たたかれるという流れだけど。
また鼻毛出てますよ
今度はボーボーですが
>>103 鼻毛ぐらいなら処理すればいいのですが、
あいにく私の手持ちの鏡では鼻毛は見えないようなのです。
中身のない批判?(あげあし取り?)には一般的にはスルーが吉と思うけれど、
あえて一つ言わせてもらうとすれば、
「寝ていて転んだためしはない」ということわざを知っていますか?
何もしなければ、しくじることもない。そりゃそうだ、という意味。
私はこのスレでたとえ滑りまくり&転びまくりでも、
批判や他者の意見を取り入れながら次第に、
自分の考えなどが洗練されていくことを期待しています。
トリップ失敗wハンドルも変えます。
Is life delicious ?
私の好きな言葉の一つより。元ネタは内緒。
deliciousは他の単語でも良さそうだけど、食についても
歳を重ねるにつれて例えば苦味のあるものもおいしく感じるように
なりますよね、などの意味もこめて。
>>86=103と仮定すると、
もしかして私は他のACスレにも書き込んでいると思われているのかな?
そういうことは可能性として十分に考えられるけれど、
残念だけどハズレです。多分、世界はあなたが思うよりは広いよ。
例えばアダルトチルドレン回復過程・克服後スレ かな?
例えば682さんは私の考え方と似ているような気がしますが私ではないです。
このスレが機能していないのを見て、他の関連スレに流れた人は結構いるかも、
なので、これからはチェックはします。ネタ探しのためにも。
書き込みはこのスレだけでいっぱいです。
一応私が
>>1(=
>>35=名無しのAC=i.l.d.?◆fiUrwjw.Gs)なので。
人がいないからって私は自由すぎるかなぁ・・とは思いつつ、
次スレのテンプレでも考えておきます。
ACスレにはACスレの役割があると思う。ただ、ACスレにばかりいると
気付かぬうちに視野狭窄に陥ってしまう面はあると思う。
ACスレに限らず、メンヘル板や心理学板全般に言えることだろうけど・・
まだまだ十分でないのに、ACを克服した気になれてしまう、だとかね。
他のスレなら例えば、精神科(医)のスレが興味深いと思う。
治療者側の視点をぜひ知りたいのです。自分が通院中なこともある。
AC同士では得られない視点が存在するのかもしれない。
ACばかりが集まるスレにおいてACに寛容であるのは当然だと思う。
このスレではあえてACの痛いところをついてみたい、と思っている。
痛いところ=問題の本質、核心ということもあるかもしれないから。
ACを克服するのに親と話し合ったり、対決したりしても意味はないと思う。
そこで自分の非を少しでも認めるような親なら子供はACになんかなってないと思う。
ACは親を恨みながら、親の影響を気にしながらも、普通に家族で楽しく過ごしたりしてる。(おれがそうだった)
これじゃあ一向によくならない。
だから親に気を許すのをやめる。気の合わない隣人のように接する。
縁を切るとか、絶対口利かないとか、そういう極端なことをしようとしても
失敗するし、逆に親への恨みを意識することになる。
だから、他愛もない話、世間話、一緒にどこかへ行く、こういうことをやめる。
必要最小限の会話しかしないようにする。
干渉してきてもできる限り無視する。相手もリアクションがなければその内やめる。
実行1ヶ月だが、かなり効果は出てきている。
精神は安定してるし、自信もつき、対人恐怖もだいぶなくなった。
最近、親が妙にこっちに気を使うようになった。少し一人の人間として認められたような感じがする。
これは単純に親離れかな?とも思う。しかし気分はいい。
でも、まだ気は許さない。このまま実行する。
意識しなくても、これが普通の状態になるまでは。
自分も2年前ぐらいから同じことをしてる
親との接触を最小限にすることで、
自己評価をちょいちょい下げられることを避けられるから、
無駄にヘコむことが少なくなった
>最近、親が妙にこっちに気を使うようになった。少し一人の人間として認められたような感じがする。
>これは単純に親離れかな?とも思う。しかし気分はいい。
親は、強者としてコントロールすることができなくなると、
弱者としてコントロールしてくることもあるよ
その一つの手として、周囲の人間を取り込んできたりもする
自分の場合は、病気を口実に親戚や近所の人間を取り込まれ、
大げさに嘆き悲しまないことを遠回しに責められたりした
(目先の家事とか先のことを考えると、嘆き悲しんでなよなよしている余裕なんてないことを、
守られてる中高年女性など、わからない人が割といるんだよね)
コントロールをほとんど受けなくなった自分は、
親殺しのニュースが流れるたびに、親からこそこそと距離を置かれてる
自分のこれまでの言動からすれば、
暴れる方向に行かないことぐらいわかりそうなもんなんだが…
それがわからんからACを育ててしまうんだが
ACを育てた親は、本当に「一筋縄でいかない」んで、
何とかしてこちらの首に縄をかけてこようと執着することもあるんで、心から健闘を祈る
次に何をテーマにしようかと考えてはいて(私はのんびりしているけど)、
愛着障害に関する文献の中で目にした「虐待的きずな」という言葉が以前から
気になっていて、後日にこのスレで取り上げたいなと思っています。
以下は自分の経験やいろんな書籍等にあたって得た、私の考えの一つであり、
正しいかは分からないし、キツイ言いかたかもしれないけれど、
毒親と子どもの関係って、「支配」と「被支配」の関係なんだと思う。
親(支配者)はその権力をもってして
「子どもに自分(親)に忠実であることを執拗に/当然のこととして求める」
のではないか。もしかすると、そこには
「親には子どもの人格の尊重するという意識が最初からない」
のではないか・・と思っている。
親自身が当然のことと思っていれば、悪気がないということであり、
それこそ「一筋縄でいかない」理由の一つかなぁと思う。
自覚がないだけにタチが悪いっつーか。
子供の頃、親が私を愛してくれない(?←愛されるということが未だによく分からないので)
理由を必死で自分の中に探した私だったけれど、今では、もしかすると、
それは親自身の問題なのかもしれない、と思う。
次第に、このことを罪悪感を感じることなく確信を持てるようになってきている
(と思う)が、それは親と距離を取れるようになったことを意味するのかもしれない。
あるいは「自他境界」を認識できるようになってきたのかもしれない。
支配と被支配の関係は依存の関係ともいえる。
被支配者が支配者に依存しているように見える一方、
実はもしかすると被支配者以上に「支配者は被支配者に依存している」。
つまり共依存ってこと。
被支配者が支配者に依存しているように見えるのは、
支配者が権力を持っているためかもしれない。
権力を持っていることと、その人にそれに見合う能力があるかは別と思う。
(親が親としての責任を果たせなくとも、子どもを持てば社会的に親となるのと同じかもね)。
また、被支配者に逃げられた(※支配者的には裏切られたと思うらしい)時の
支配者っていうのは案外と弱いと思う。
かといって、被支配者の方も支配者を失うと「自由」にはなるが、
それは心の支えがなくなるとも言え、
結局、以前とは違う人ではあっても別の支配者的な者を自ら求めてしまう
こともおそらく一度は経験するのではないかな。
それは、今まで経験がなかったために自由ってものが重過ぎるのためかもしれないし、
コントロールしきれずに躁状態的になってしまうためかもしれない。
・・・これは家を出て、親以外の者から親ほどの愛情を求めようとして
(つまり愛情を求めすぎたのだろうか)ボーダーライン化した自分の実体験に基づいています。
厳密言えばACだと気付いていない、抑圧されたACの可能性が高い
言い分がACの親と似ているのに気付くだろう
抑圧した感情を他者に見るのは反動形成として心を不安定にさせる
ACの親と直接対決を避けなければならない理由でもあるし
気付きは必要だが、目的ではないからそれをやる必要性もない
今も気付いてなければこの先どうなったか
抑圧した感情を他者(子供)に見た時、同じように責めるだけだったはずだ
そして気付けない負の連鎖が繰り返されていた
現在の私は抑圧を解く方向にいると思う。
以下はそういった内容になると思う、不快だと思う方は読まないで欲しい。
最近の私はどうも様子がオカシかった。
自分のレスを振り返ってみても、やたら偉そうにいろいろ書いているけど、
その頃からちょっと変だった。
今はちょっと落ち着いていて(多分)、以下は4-5日前にワードに書き溜めたもの。
ただ、こんなことを、わざわざ掲示板に載せる必要があるのか、分からない。
このスレでは偉そうにしてても、私って今もバリバリのACかもしれない。最近(ここ2-3週間)の私↓
・睡眠時間は長いのに不眠(目の下のクマがすごい、日中の眠気が強く、
実際数時間単位で昼寝をしてしまう)
・時々、仕事中に意識がとぶ、集中力が途切れる
・休みの日には休養を取らなければいけないのは分かっているが、
嫌味・失敗等を思い出してストレス、
過食→お腹が痛くなるまで食べる→下痢(死ぬほどお腹が痛い)
※下剤は使用していない、また嘔吐はしないタイプです。
・さらに死にたくなる(以前、もう死にたいと思うことはないだろう、と思ったのに)
ヒステリー真っ盛りでした。ストレスを過食で代償しようとしている、的な?
過食をしながらも仕事上では表情に出さないようにしている、
むしろ取り繕おうとして自分の能力以上に頑張りすぎている感がある、
その割に疲れているために冷静さを欠き、ミスをしてしまう、
周囲の者にもちょっと変だと感づかれている・・かも。
私もちょっと遅れて自分の状態が病んできているのに気付いてきました。
過食しだしたり、病んでしまうと、時に失職につながるような失敗もする、
遅刻その他。アルバイトはすぐに雇う側の都合でクビにされたりするが、
正社員でない&生活がかかっているのである程度仕方ない、文句が言えない
(今の仕事は割に時給がいい。文句を言う前に別のバイト・正社員を探すつもり)。
治療を受けて、希死念慮は克服したつもりだったけど、ストレスがかかると
容易に今も死にたい、と思ってしまうようです。で、過食にブレーキがかからないw
死ぬほど食べる。お腹を壊すまで食べる。丈夫ではないし、身体がボロボロなのは
分かってるけど。私にとって、過食は何も考えないようにするためなのかも・・・
ACは言い訳である、と思う。
ACは克服すべきと思う。
今の私は昔ほどはACではないと自分では思う。
―ただ、このように思いすぎて、自分でも自分を追い詰めていたような気がする。
仕事の方が忙しかったのもあるけど、影響されすぎ・ダメージを受けすぎ。
(つまり(ストレスに)弱いってことかな)。
それは、ACの弱い自分を自分で受け容れられずにいたことも関係しているような気がするのです。
仕事がキツい時ほど、自分で自分を大事にしつつ、コントロールしていく必要があると思います。
頭では分かっているつもりでも、それが何故か私には難しいのです。
ストレスが自分のキャパシティを越え始めて、ストレスだけでなく、
自分がストレスを感じているということ自体を受け止めることができなくなる。
誰かに分かって欲しくなる、自分以外の誰かが分かってくれないのなら
(※実際、やたらと異性に頼りたくなる笑)、
もう私には無理、死んでしまいたい、みたいな感じになる。
依存傾向が強まっている、といってもいい。
こんな時の私に今だから言える必要だと思われる一言は、
「人間の感情が他人の言動から影響を受けるのは事実だが、大人であるなら、
だれかに傷つけられた時に自分を癒すのは自分の責任である。」
(毒になる親 p.209)かな。
他者への依存と過食すなわち食べ物の依存。結局、私の場合、過食によって
ストレス、寂しさ、不安を必死で埋めようとしているんだと思う。
(※過食の最中はそうは思わない、何も考えずわがままにただひたすら欲求に従う)
埋まる訳ないんだけど、そうせざるを得ない、みたいになっている。
何が言いたいかって言うと、社会と関わりをもつにつれ、
ACを言い訳にしてしまってはいけない、
なぜなら前に進めない、社会的に適応することや自立は望めないからだ、
ACを自覚する私もそう感じられるようになってきたのです。
しかし、自分のAC的な部分を克服するのは困難である、少なくとも簡単ではないし、
浮き沈みがあります。そもそもACなんて必ずしも克服しなくとも生きてはいける。
だって今までの私だって生きてはいる、泣いてばかりいたけど。
ACの克服は焦らなくていいよ。焦っちゃダメなんだよ。
焦っても私の場合だったら過食をこじらせてしまうだけだw(結構、今回は激しかった)
そんなに簡単にorすぐに克服できるものではない、と覚悟しておくべきだと思う。
でないと、自分がやっぱりACだ、と気づかされた時のショックが大きくなる、
また、そういった自分で自分がACだと受け容れる余裕がないことは良いことではない。
言い換えると、自分で自分の欠点(ACの部分を含む)を冷静に受け止められないうちは、
まだまだACなんだと思う。
自分の話ばかり長くなりました。
そこで少しばかり愛着障害に触れたい。
対人関係っていうのは相手(例えば親)だけでなく自分がいて成り立つ。
結局、ACって親以外の関係でも再現される場合があると思う。
これは非常に問題である。
ねぇ、ACの私は一体いつになったら幸せに生きられるの、と思わない?
以下は「子ども虐待という第四の発達障害」学研
あいち小児保健医療総合センター診療科部長兼保健センター長 杉山登志郎著
から引用させていただきました。
最近私は忙しい&余裕がなくって、ACのように自分と向き合うエネルギーが
残っていない、今日は休みだけどお盆は仕事も忙しい、多分このスレは放置します。
このスレに私が載せるのを待つよりも、上記の本を一度手に取っていただく思います。
>・・・このように、重大な愛着障害は、脳の器質的発達そのものに影響を与える一方、
>愛着の部分的な不全という場合には、対人的社会的能力に欠落を抱えることになる。
>
>しつけなどの社会的な練習は、子どもの欲求を押さえつけるものにほかならない。
>愛着者の優しいまなざしが内在化されることによってはじめて、愛着者の喜びを自らの
>喜びと重ね合わせ、社会的な規範が抑圧ではなく倫理や道徳へと転ずるのである。
>
>愛着提供者を抑圧者と取り違え、「愛そうとする人を拒否する」一方で
>「見ず知らずの人にまとわりつく」という行動こそ、不全型の愛着障害に
>特徴的に見られる逆説的愛着の姿である。
>
>愛着の未形成はこうして共感性の不全や攻撃的傾向といった育ちの障害に
>発展していく。
「子ども虐待という第四の発達障害」p35
>・・・しかしながら被虐待児においては、しばしば虐待的対人関係を反復する
>傾向が認められる。他の大人、子どもとの関係が、すべて支配・被支配という
>関係になりやすい。また、挑発を繰り返し、周囲を故意にいら立たせているように
>見えることも多い。ふだんの状況から一転して、激しい攻撃行動の噴出に転じる
>スイッチングが生じた場合、解離による意識の不連続を伴い、後には健忘を残す
>ことが少なくない。
(同著 p118)
>レジリアンシーの研究から
>
>近年、トラウマ研究の中で注目されている概念がある。それがレジリアンシー
>である。レジリアンシーは復元力と訳され、トラウマに対する抵抗性を示す
>ことばである。つまり、同一と考えられる外傷体験に対し、PTSD症状を呈し
>にくい個人が存在することは、1980年代から注目されていた。
>
>ある特定の地域のすべての児童を経年的に追跡するというコホート研究の中で
>示されたのは、児童の約1割に「逆境に強い子」が存在するという事実であった。
>その特徴とは次のようなものである。「敏しょうで人付き合いがよい」
>「コミュニケーション能力が高く、知的に高い」「みずからの運命に積極的で、
>打開に向けて取り組む」。
>
>さらにベトナム戦争の戦闘体験からは、30〜50日間の戦闘体験下でPTSDを発症
>しない個体の特徴として、非常に類似した次のような結果が得られた。第一に、
>積極的対処能力、第二に高い社会性、そして第三に内的倫理性である。つまり
>みずからの運命に直面化し、強引にでもその意味を見出し、孤立せず、他者と
>共同で目的に向かって戦い、他者をも守るなど妥協せぬ高い倫理性を持ち続け
>る者、これは言い換えれば人である誇りを泥沼の戦闘の中で失わない人間である。
>さて、このレジリアンシーは子ども虐待においては極端に難しい問題である。
>虐待の症状の強度を示すもっともよい指標は、虐待を受け始めた年齢というの
>はよく知られた事実である。むしろ、筆者は、レジリアンシーの反対、ぜい弱
>な個体の特徴の方が、子ども虐待のケアには学ぶものが多いと思う。それは
>ちょうど強い個体の反対の次のような特徴である。
>
>無力感、孤立、低いコミュニケーション能力、状況に対する受け身性、知的な
>ハンディキャップ、衝動性、暴力的、著しく低いストレス耐性。こうした状況
>をつくらないことこそが、我々がなすべきサポートだが、これまで述べたこと
>から分かるように、困ったことに上記のような特徴は、実は被虐待児の持ちや
>すい特徴にぴったり重なるのである。
>
>それでも確かに、被虐待児の中にも、明るさや人への信頼を失わない子どもたち
>も存在する。その特徴を敢えて取り上げてみると、次のようになる。
>
>「人からのサポートを受け入れることができる」「記憶の断裂が比較的少ない」
>「衝動性が比較的乏しい」。
>>120-121 同著pp173-174
※参考※ 子ども虐待という第四の発達障害−目次
第一章 発達障害としての子ども虐待 8
第二章 反応性愛着障害と子ども虐待 24
第三章 解離という現象と子ども虐待 38
第四章 高機能広汎性発達障害と子ども虐待 52
第五章 他動性行動障害と子ども虐待 74
第六章 子ども虐待の終着駅−解離性同一性障害と複雑性PTSD 88
第七章 子ども虐待が脳に及ぼす影響 102
第八章 被虐待児への包括的ケア1 心理アセスメント 116
第九章 被虐待児への包括的ケア2 子ども自身へのケア 134
第十章 家族へのケア 154
第十一章 子育ての未来 176
参考文献/参考図書 176
あとがき 180
目次を載せたのは、
本のタイトルの「発達障害」という最近話題の語句だけでなく、
もっとAC的にも従来から注目されていると思われるキーワードを載せたかったから。
「トラウマ」「PTSD」「解離」
ぐらいはACを調べだすといずれ出会う語句である気がしている。
さらに、愛着障害の文献においては、アダルトチルドレンみたいな
分かったような分からないようなファジーな言葉で誤魔化さずに、
「被虐待児」と表現されている。その程度は同著においても様々で、
重症のものだけでなく比較的軽度のものまで示されている。
自分のことをアダルトチルドレンとは言えても、
被虐待児だった、と言える人はそうそういないのではないでしょうか?
何となく、虐待、とまでは酷いことはされていないような、親に悪いような気になり、
この本を手にしたのは発達障害の診断を受けて違うことが分かってからだった。
実はこの文献を知ったのは、自分の発達障害を疑ったことがきっかけ。
・・・以前は他人に興味を持てなかったし、他人の目も見なかったから。
そんな私も今は結構、他人とのコミュニケーションは大事にしているつもりです。
ACって意外と、仕事を通じて人間関係を学ぶのは向いているんじゃないかと思う。
職場であれば、とにかく仕事が出来るようになれば/努力すれば、自分の居場所
はできるし、先輩にも認めてもらえる、同僚とも次第に仲良くなれるような気がします。
最初は上手くいかなくとも、数年単位で続ければ何らかの道は開けると思います。
過去にACであったとしても、いつまでもACでいる必要はない。
不必要に囚われることもない。自分で自分の可能性を狭めてしまっては
どうしようもない。少なくとも自分の親には期待できない・・となれば、
親と直接向き合うことよりも、とにかく親以外の人間と数多く出会い、
その中で信頼できる人や、様々な価値観に触れることがAC克服の近道では
ないだろうか、と思います。
親と直接向き合わずとも、自分がACであることを知ったり、
過去の抑圧がほどけていく機会は多くあるような気がしています。
きっと、ACにはACの成長過程というものがあるんじゃないかな。
私は、社会不安障害的傾向→実家を出る→恋をする・破綻→ボーダーor躁鬱的な気分の波(今ココ)
って感じでちょっと時々大変な感じになっています、今も。
※躁的・誇大的・現実感をなくすといった傾向を助長するようで忙しい時はネットは控えるべきと
思うけど、昨日は連投規制で途中で終わってしまったので、今日(仕事は朝だけ)も来てみたっていう。
誇大感すごいよね
世界中の人がここを見ているぐらいの妄想とか、
ここを見た人すべてのために教えてあげているぐらいの妄想で、
ここに書き込んでいるような雰囲気を、文章から感じる
AC特有の自責や他責があまり感じられないので、自己愛の本人スレの方が向いている気がする
多分、こんな長文をほとんど誰も読んでないし、
ここの長文を読むぐらいなら、本を読み漁ってるんじゃないの
1、友人はいるのか?
2、居場所はあるのか?
3、会話はできるのか?
4、今、楽しいのか?
答えてくれよ
>>126 1、居る?
2、家(独り暮らしだから)
3、出来ない日が多い
4、如何だろうね。でも1時期よりは楽しい
>>126 1 年に数回遊ぶ程度の友人が3人ほど
2 今はない
3 できるけどしない、する気力がない
4 おいしいものを食べてる時に一瞬だけ楽しい
つまんねー人生だなおい
129 :
没個性化されたレス↓:2010/08/13(金) 23:42:47
アダルトチルドレンに根拠が無いと言う事に対する反論はないようだ。
アダルトチルドレンには科学的な研究も無いし、
客観的にまた統計的に有意な調査研究はないということに反論が無い。
これは大きな進歩だろう。
今はもうあまり流行ってないようだが、昔出版されたアダルトチルドレン自己診断の本を読んで
検索してここにたどり着いた人がもしいたら警告したい。
アダルトチルドレンは根拠の無い概念でまともな精神科医やまともな人は
疑問視している概念です。
自己診断表で自分がそうだと思い込んでしまったのは「バーナム効果」と
呼ばれる有名な占いなどを信じてしまう心理学的効果による錯覚です。
自分がアダルトチルドレンであると思い込んでも医学的に有効であると立証された治療方法はありませんし
業者にカネをむしられるだけです。
ぜひアダルトチルドレン本などというくだらない物は捨てて
その存在を忘れ、よりよいケアを求めるようお勧めします。
1、友人はいるのか?
友人はいたが、今は誰とも連絡を取っていない。
今は自分のことで必死だし、何より立場が違うから。友人は私と違って、
正社員なりちゃんとした肩書きを持っている子ばかり。私はフリーター
(かつワープア)。変に気を遣ったり、遣わせるのも気まずい・・みたいな。
それに、その場限りの友だち以上に仲が良かった自信もない。
でも、またいずれ連絡は私からとってみようと思う。いつになるかは分からん。
2、居場所はあるのか?
仕事以外では家(一人暮らし)、ずっと一人。
仕事では、大人しい、控えめなポジションをキープしています。
最低限、仕事が出来て(またはそう努力して)、仕事上の最低限必要な
コミュニケーションが同僚と取れれば、居場所は何となくは確保されると思う。
求めすぎなければ居場所は誰にだってあると思う、でも求めてしまう、要は
さびしい、とかっていう気持ちも人として大事だと思う。
3、会話はできるのか?
仕事上ではします。飲食&接客業だしね。
客とはマニュアル的な最低限の話ぐらいしかできないけどw
ただ、感じ悪くならないようには気をつけています。
同僚との会話は無理にはしない。もちろん話かけれれば話す。
※但し、仕事上の会話には上司にいじられ&イジメられる、やつ当たり的なもの
が相当含まれます。でもいじりつつも優しい上司もいるから何とか続いてる。
4、今、楽しいのか?
楽しいって一体なんなのでしょうね?
今は生活することに必死、生きていくことに必死。
八つ当たりされたり、仕事上の失敗、人間関係で悩んだりツラい時もある。
でも、そんな時も踏ん張っているうちにふっと視野が開けたり、他人からの優しさに
気づく時があったり、そんな時はうれしくなる。
普段、仕事に対して厳しい(そして仕事がデキル)人ほど、
仕事を頑張っていたら分かってくれたりする、だとか。
忙しいお盆をなんとか乗り越え、リズムを掴みつつある
(以前より安定感が出てきた)ことに対しては充実感があります。
一方で、一人でいるのが淋しいときもあるし、誇大感なりに飲み込まれて
過食が激しくなってボロボロの時もある。
自分なりに真剣に答えてみたが、こんなに長かったら読めないよねwっていう。
>>125 ホントすごいよね。しんどい時はホントに大変、酷いものがある。
自分でも後から見て気持ち悪くなるし、気味が悪い。
普段もたいがいだけど(とくにこのスレでは)。
>>114 ACでも仕事は出来なくないはずだとは思うけど、
普通の人なら普通にできるはずの仕事も、
ACだと何らかの代償行為・自傷行為に頼らざるを得ない部分ってあるのかも。
でも、職場にもよると思うけど、自分以外にも何かを抱えながら(例えば
精神科通院など)仕事を続けている人なんていっぱいいるよ。
何かを抱えながらも、人前では(とくに仕事上では)他人にさとられない
ように気をつけている人だって多いだろう。
それで何とか生活が成り立つならそれでいいし、あるいは仕方ないんだよ。
※代償 (比喩的に)ある目標を達成するために払う犠牲や損害(広辞苑より)。
例えばそういうことは仕事をある程度続けないと分からないと思う。
少なくとも一人で引きこもっている限りは知ることはないことってたくさんある。
ACでも働けない訳ではないが、苦労はするだろうことを覚悟しておいた方が賢明
だと思うし、逆にその覚悟さえできれば選ばなければ仕事はある気がする。例えACでも。
さらに大切なことは続けること、その間にスキルアップを図れば道は開ける・・かもしれない。
書き忘れたけど、132は114の補足をしたかった。
114を書き込んだ時はモロに病んでたけど、比較的落ち着いている今の視点も
含めてみたかった・・と言いながら、今の私はホントにまともなのか自信がなくなってきた。
私は現実の世界に生きれているのでしょうか?
現実の世界に生きようとしながらも、現実を直視できないままに、
理想や幻想、あるいは妄想に囚われながら生きているのでしょうか?
そういえば自己愛人格者の課題のひとつに、「現実能力を補う」ことが
挙げられるらしい。
>過剰な自信とプライドとは裏腹に、現実生活において子供のように無能で、
>依存的であるのも、自己愛性パーソナリティ障害の特徴である。そのどちらもが、
>しばしば社会生活に不適応を起こす原因となる。
>自己愛性パーソナリティ障害の人は、自信に満ちた自己アピールの一方で、
>現実的な問題処理能力の乏しさ、脆さを抱えていることが多い。
>自己愛性パーソナリティ障害が、どういうふうに醸成されるかを考えれば、
>それは必然の結果であろう。従って、自己愛性パーソナリティ障害の人は、
>現実的な問題処理を、身近で肩代わりしてくれる人が必要である。
(パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか 岡田尊司著(PHP新書)p105、121-122)
ACと自己愛性人格障害って切ってもきれない関係があると
思うけど、それが何故かはまた今度(・・触れるかもしれない)。
134 :
126:2010/08/18(水) 02:08:39
回答ありがとう。
最近このスレを知って、やたらと一人で突っ走ってる人がいたから、お話がしたくなったんです。
とはいえ何を話そうにも、まずはどんな方向性でスレに居続けるのかが知りたかったから、
>>126みたいな突拍子もない質問を投げかけてみたってワケです。 いいキッカケ、話題作りとしてね。
さて、なんとなくだけど一応は お話のできる人ってのは解ったから、
>126の質問に他の意味を持たせる必要もないんだけど、アレで何が解ったか知りたいですか?
135 :
没個性化されたレス↓:2010/08/18(水) 02:32:53
ACって親や家系を駄目な自分のスケープゴートにして気分的に楽になりましょう療法でしょ
むちゃくちゃな屁理屈だけどこれで救われる人がいるのも確か
こういう人は霊とかオカルトなもののせいにしても誰かのせいにさせてあげれば楽になるんだろうけど
136 :
没個性化されたレス↓:2010/08/19(木) 01:52:27
私の生きづらさは親の育て方のせいとして安心したところで
生きづらさは減るわけではない。
親を責めたところで生きづらさは減るわけではない。
インチキ業者のセミナーに参加したところで生きづらさは減るわけではない。
インチキ教授の育て直し療法でも一時の性的快感にスッキリするかも知れないがその後の生きづらさは減るわけではない。
あなたの生きづらさは過去にこだわっても改善しない。
では、どうすればいいのですか
これって
延々どや顔で自分語りしてたら
精神安定するっていう療法をネット上でやってるんですか?
自尊心が低いACには無理じゃないですか?
どや顔といえば自己愛が有名ですが
139 :
没個性化されたレス↓:2010/08/20(金) 23:36:17
>>137 >>138 一度AC本に洗脳された人を救うのはネットでは難しいのでは。
でも
自分で生きづらさの問題点を洗い出して
医学的問題なら医療機関にたよるし、
リハビリの問題ならそれも対応する機関もある。
生き方スキルの問題ならそれをなんとかするよう学ぶとか。
そうでもないなんか生活での欠落感の問題なら
それをなんとかする自助努力とか宗教とか。
でも問題点を洗い出して対処できるならそもそも生きづらさなんて
ないだろうとも思う。
でもこれは個人的感想だが生命が行きている以上生きづらさは
「生きてるだけで丸儲け」の税金のようなものでは。
今日私は自宅の戸口で見事な死にそうなオニヤンマを拾った。
オニヤンマの最後をみとるため外が見えるようオニヤンマの顔を外に向け
窓辺に置いた。
オニヤンマはもう絶命した。
彼にもオニヤンマとしての生きづらさはあっただろうが
でも「丸儲け」の生命を満喫したのではとも思う。
140 :
没個性化されたレス↓:2010/08/20(金) 23:58:35
AC業者は誰でも体験する生きずらさを
「両親のせい」にするためにどんな手でもつくす
AC本はそんな無茶苦茶な理屈のオンパレードだ。
父親が残業しただけでも子供は生きずらくなるそうだ。
例によってこうした主張の根拠はない。
調査研究も統計的追跡も無い。
141 :
没個性化されたレス↓:2010/08/21(土) 00:24:36
>>139 AC理論をすっと受け入れられる人はもともと自分がだめな原因を何かのせいにしたい人なんだよ
自分自身がだめなのは自分自身がダメ人間だからとはちっとも思いたくない
だから親のせいにしたい。
でもAC理論って誰かのせいにしたい人にはもっともらしく聞こえるんだろうけど
人間って誰でも一緒に生活してきた人の影響をうけてるわけで
親に悪影響を受けたと思うのなら、完全に縁をきってしまえばいいのに
依存したいから縁を切らない人たちなんだよね
まあ、誰かのせいにして癒されるのならそれはそいつの勝手だけど
決してそれで自立した大人になれるわけじゃないからね
AC理論は安易な癒しを提供するという意味では害悪だな
なんかスレ見てたらちょくちょく仮面acの人や変に分析したがってるのがいるね。全然違う。そんなものじゃない。
私自身ももしかしたら、という程度で実際acなわけじゃないけど。
ただの感情的な思い込みレベルの憶測ばっか。心理学向いてないんじゃない?
勉強でやってんのならacの知り合いでも実際に作って観察してみたらいいんじゃないかな。
絶対何も吐かないと思うけど
理解されたいという感情よりまず、拒絶されるのが怖くて打ち明けられない。たぶん。
143 :
没個性化されたレス↓:2010/08/21(土) 10:41:20
>>142 ACとは親のせいにすることで癒されるスケープゴート療法だよ
自己正当化したいのかもしれないけどあなたが癒されるのならそれでいいんじゃないの?
親の虐待で本当におかしくなったのはPTSDであってACなどという甘っちょろいものではないよ
>>143 へーそーなんだぁ。どうでもいいけど…
癒されてないしね別にw
友人がACで、出会った頃は若いのに大人びた感じの子だった。
大人になる為の成長はそこで止まってしまったのかも知れない。
10数年経った今もその頃と変わっていなくて今は幼稚な世間知らずという印象しかない。
親から自立する事を何度も勧めたけれど結局言いなりになってた。
未だに過干渉気味の親をおかしいと思ってきたけど違うのかも。
いい年をして自立できない子供を心配するのは親として当然なんじゃないかと思う。
146 :
没個性化されたレス↓:2010/08/21(土) 22:12:02
>>142 >>145 AC概念は何の裏付けもない虚妄なので、
この世にACの人は存在しません。
単にAC業者が自分たちの収入と地位を守るため虚妄を
拡大再生産してるだけです。
まずあなたがその業者による洗脳から解放され
他人に対しあの人はACだなどという無意味無根拠有害なレッテル貼りを
止めることをお勧めします。
「親として当然」って、なんだろう。よく聞くけど、全く意味が分からない言葉。
当然って、どういうのが当然なんだろ?
てかここACという言葉に依存しちゃったヤバい人の個人スレですよね
149 :
没個性化されたレス↓:2010/08/22(日) 00:09:16
>>148 その通りだと思うよ
公平にみてACの診断はあまりにも曖昧すぎてバーナム効果あてはまりまくりだもの
本当に病んでる人はうつ病とかPTSDのカテゴリだろうし
150 :
没個性化されたレス↓:2010/08/27(金) 22:13:33
児童虐待とその後遺症を救うのは火急の課題だ。
だがそれを邪魔するアダルトチルドレンと言う無意味な屁のような
もやもやしたゴミがある。
このゴミを片付けゴミ箱に捨てて忘れ去る事が必要だ。
151 :
没個性化されたレス↓:2010/08/27(金) 22:20:06
児童虐待の被害者を救う方法を医学的に確立せねばならないときに
アダルトチルドレンという出版業者の飯のタネでしかない
占いのような意味の無い言葉は一利も無く百害をまき散らしている。
この言葉の使用を今すぐやめるべきだ。
152 :
没個性化されたレス↓:2010/08/28(土) 00:10:45
>>150 そうなんだよ。虐待の被害者はPTSDなんだよね
ACというのはグズに言い訳を与えるだけの処方せん
一緒に生活してない2世代上の人間がアル中なのもACの原因とかとんでも理論すぎる
153 :
150:2010/08/28(土) 00:36:44
>>152 同意してもらって有り難いです。
でもクズというのはちょっと…
どんな人でもクズではないと思っているので。
まあクズなのはアダルトチルドレンという概念でしょう。
154 :
没個性化されたレス↓:2010/08/28(土) 11:39:37
おまえらはさ、運の悪かった人というのが、代償を求めるのが普通だ
という単純至極なことがわかってないようだな。
なんか完璧主義すぎませんか
自分被虐待児ですけど
PTSDや鬱の問題は別に考えて治療してます
ACで儲けてる人もいる、でもそれもまた別の問題では
例えたら、なんでこんなずっとご飯食べにくいんだろうって
箸の持ち方ちゃんと教われなかった、間違って教わってたって
気付くまで“利用”できる=AC
正直気付く事ができれば占いレベルだろうがなんだろうが別にいいのでは
矯正は本人がやるしかないし
親に対してお前のせいで食べにくくなったから
今から矯正し直せって求めているわけでもない
156 :
150:2010/08/28(土) 22:57:45
>>155 被虐待であるとのこと。
同情を禁じ得ません。しかし私などの想像を遥かに越える
苦痛、苦悩がおありになっただろうと思います。
児童虐待の悲惨さは無関係な人間の同情という生半可な感傷すら許さない、
苛烈な許されざる残虐行為だと思います。
それでもなおアダルトチルドレン概念を攻撃する理由は
この概念が児童虐待という現象自体を曖昧にしてしまう、
有害な概念だと考えるからです。
産まれてからずっと暴行を受け養育放棄された児童と
自立期に両親に不満があるだけの思春期の青少年が同じであるとする。
それがアダルトチルドレン概念です。
ここは学問板であり、
学問とはこうした悲惨さを曖昧にさせる有害な概念は議論により排除すべきである
義務があると思います。
学問的に根拠が無く有害なアダルトチルドレン概念を利用し私腹を肥やす業者を
学問板から排除することに協力をお願い致します。
>>産まれてからずっと暴行を受け養育放棄された児童と
自立期に両親に不満があるだけの思春期の青少年が同じであるとする。
それがアダルトチルドレン概念です。
ちがいます。
身体的虐待や育児放棄をされていなくとも、酷い精神的虐待を受けている人はたくさんいます。
158 :
没個性化されたレス↓:2010/08/28(土) 23:37:34
排除すべきである、というのは学問ではないだろう。
概念の正当性を議論するのが学問。
159 :
150:2010/08/28(土) 23:46:57
>>157 > ちがいます。
> 身体的虐待や育児放棄をされていなくとも、酷い精神的虐待を受けている人はたくさんいます。
精神的虐待の存在を否定などしない。
むしろ身体的虐待や育児放棄事態が精神的虐待である。
身体的虐待や育児放棄は精神的虐待でないとでも言うつもりか。
それをどのように立証するのかアダルトチルドレン業者は
なんら客観的論文や調査を提出しえていない。
つまり精神的虐待の被害者と
ただ自立期に両親に不満があるだけの青少年を弁別しえないということだ。
これは恐るべき事態だろう。
160 :
150:2010/08/28(土) 23:49:03
>>158 アダルトチルドレンに学問的正当性はないのですが
ではそれを無限に言い続ける事にしましょう。
161 :
150:2010/08/29(日) 00:14:47
私は
>精神的虐待の被害者と
> ただ自立期に両親に不満があるだけの青少年を弁別しえない
と書いたがもっと悪い事にアダルトチルドレン概念は
出版書籍物の根拠の無い自己診断表にしか依拠していない。
つまり
>精神的虐待の被害者と
> ただ自立期に両親に不満があるだけの青少年を弁別しえない
どころではない。
両親からの苛烈な精神的虐待の被害者と
本を読んだだけで「べつに両親に不満も何もないけどなんとなくそうかな」と思った人とを
弁別しえないといういうことだ。
恐ろしい事態だ。加害者を隠匿するのにこれ以上の腐った状況を想像する事は難しい。
加害者とは虐待両親であると当時にAC業者の事だ。
162 :
没個性化されたレス↓:2010/08/29(日) 00:59:44
おまんこ
163 :
150:2010/08/29(日) 01:08:52
>>162 芯まで腐りきったアダルトチルドレン本出版業者
ならびに良心まで腐ったアダルトチルドレン治療業者にふさわしいコメントです。
164 :
没個性化されたレス↓:2010/08/29(日) 22:15:15
>153
自分も被虐待児で、親の異常性についていろいろ心理学を学んだけど
ACという概念だけは明らかにおかしい。すべてを親のせいにするだけで
終わってしまう概念じゃないかい?
いちばんいいのは虐待親の影響を受けないところに行くことだよ
大人になって自分がACだって主張してる人ってだいたい親と同居してるんだよね
同居してなかったら文句言われる筋合いもないし、電話きても不愉快なことしか
言わないから出ないっていうだけでいい。
虐待親ってのは体力的に暴力をふるえなくなっても口を開けば不愉快なことしか
言わないもので、それは自分の家族は自分の所有物だから思い通りになるものだ
ってのが根底にあるんだよね。
それは違うということを身をもって教えてあげることだよ。
はっきり言うんだよ。ずっと虐待されてきていやだったことと、不快な刺激しか与えない人とは
一緒にいる必要がないって
癒し、っていうのはやっぱり信頼できる人に出会うことが一番なんじゃないかな。
ACでいう「育て直し」という治療法は結局、支配と被支配の虐待的関係の再現
になってしまっている場合が問題なんだと思う。
AC関連の治療が必要だとクライアントに告げるということは、暗にクライアント
がACであり、不完全な存在である、ということを強化してしまっている、
クライアントの可能性を奪っているのではないか、と思う。
ホントの意味での育て直しというのは、
苦しい気持ちには共感しつつ、かといって流されなず(安定感のある保護者的な存在)、
「あなたはACであるかもしれないし苦労はするだろうけど、それでも十分に生きていけるんですよ」
ぐらいのことを言ってあげることじゃないかな。つまり、AC本人の苦しみに共感しつつつ支持しつつも、
AC本人の可能性を認めてあげる、信頼することじゃないかな。そしてそれはきっと穏やかな関係のはず。
親との関係との違いは、子どもは親を選べないが、クライアントは治療者を(治療の有無を)
選択する余地があるということ。選択の余地(自己責任ともいえる)があるだけに、
後者における失敗は更なる傷付きや、抑圧につながるのでは、と思う。
多分、信頼できる存在であることを毒親やAC、AC業者なんかに求めても応えて
もらえないだろう、彼らにはそれができないし、そもそもそういった観点が
欠落しているのかもしれない。
信頼できるか否かは地位や肩書きで測れるものではないだろうけど。
私にとってこのような信頼できる存在とは、主治医の精神科医が初めてだったかもしれない。
それはその主治医の人格的な良さだけでなく、私が自分が自分自身の寂しい気持ちを自覚できる
ようになったタイミングに出会えた人、ということがあるんじゃないか、と思っている。
つまり、相手だけでなく、自分にもそういった関係を築く要因があったということ。
親にはあまりめぐまれなかったかもしれないけど、こういった人に出会えた私は幸せかもと思うよ。
親に愛着は昔っから持てなかったんだけど、主治医に対しては愛着というものを感じたかな。
会えるのが嬉しかった、そして、私はずっと私に思いやりを向けてくれ、優しく厳しい、
こんな風な父親を求めていたんだってことに気付いた。
それによってやっと、もう一度、抑圧していた淋しかった自分の気持ちを取り戻すことが
出来たような気がしています。
他者を求める気持ちを抑圧している、あるいは抑圧せざるを得ない状況では、
自己愛人格は治らないと思う。信頼できる人に出会えたからすぐに治る訳でもないみたいだけど。
167 :
没個性化されたレス↓:2010/08/30(月) 00:35:08
あおって儲けようとする出版業者、治療業者はあると思う。
自分は高額セミナーは行かなかったけど、
過去にとらわれて時間は損した気がする。
でもやっぱり家庭に問題あって自分の何かがおかしいと思うなら
ACの概念は知ってたほうがいいと思う。
基礎的な本を数冊と数万までのセミナー1,2回と
カウンセリング5回ぐらい行って
あとは自助グループいろいろのぞいて合うとこ探すとOK.
自分はNHK出版の本と「ほんとうの自分の見つけ方」とかいう
本がよかったと思う。西尾さんの本はいいとは思わない。
>>126さんへ
>>134 >126の質問に他の意味を持たせる必要もないんだけど、アレで何が解ったか知りたいですか?
について是非知りたいです。遅くなりましたが機会があればお願いします。
なんか134をスルーして(読み飛ばしていた−自分の書き込みを読みたくなかったがため)
>>138-139、
>>148-149あたりを読んでしまっていたみたいです、
ヤバイ人、自己愛とかって言われても否定はしません。でも人から改めて指摘されると
ショックですし、書き込みはしばらく控えてクールダウンをはかったりしています。
その後も連投しすぎのためか規制がかかって最近は書き込めなかったこともあります、
また忙しくなったり振り回されて、睡眠障害・食障害・躁的な感じになってたりもあります、
そういうことがなければもう少し早くお返事をしたかったです。
>>164 >大人になって自分がACだって主張してる人ってだいたい親と同居してるんだよね
そういう決め付けは良くないのでは?
私がACだと認識したのは結婚して子供を産んだあと。
ずっと自分は人として何か欠けているのはわかってたけど、いくら考えても何をがんばっても何も変わらないままで、
ACだと認識して初めて自分の抱えている問題に気づけた。
なんだかAC関連業者さんに恨みを持つ方がいるようですね。
自分は本も取りあえずは図書館で借りるし、時間もお金もないからカウンセリングもやってないし、
それでもACの概念を知れただけで良かったと思ってます。