▲自己愛性パーソナリィティ障害

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 抑うつを呈して来院する青年の多くは自己愛性人格障害ないし傾向を持つ人たちである。
彼らに共通しているのは、等身大の自分がないということであり、「思い描いている自分」と、
思い通りにならなくなった現実に直面して転落した
「取り柄のない自分」の二極に解離した自己構造を持っている人たちである。
彼らは思い描いている自分が機能しているときには我々の前には来ない。
しかし、人生は思春期を過ぎると、思うようにならないことがしだいに多くなるものである。
早い人では中学の人間関係や成績、あるいは容貌や体型、
遅い人では社会に出てからの職場の人間関係や自分への評価が挫折や傷つきの原因となる。
そこでかろうじて維持してきた「思い描いている自分」が破綻して一気に「取り柄のない自分」に転落することになる。
健康な人は思い通りにならない事態に直面しても、
「もう少し時期をみて」とか「少し準備不足だったかな。もっと基礎からやらなくては」とか、
「ちょっと高望みだったかもしれない。少し目標を下げよう」とか、
「無理かな。それは断念して別の目標を探そう」「もっと着実に積み重ねてゆこう」というように、
いったん引き下がって現実的な解決方法を見いだすであろう。
しかし、自己愛性人格構造を持つ現代の青年達はこうした現実的な選択が困難である特性がある。
それが可能になるには中心となる自己、すなわち等身大の自己という真の自己が存在することが前提になる。
思い描いている自己は誇大的自己であり万能的自己であるから、そのような選択ははじめから不可能なのである。
「そうしたことは自分が許さない」といった方が正確であるかもしれない。
ttp://www.studio.co.jp/ichihashi/doctor2.html