465 :
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SF作家ブライアン・オールディスの小説に、人類の実存に関して何がしかの意味があるとかねてか
ら思っていた短編がある。「外側(アウトサイド)」という作品だ。
男4人、女2人の6人がどことも知らぬ家で暮らしている。毎朝起きて倉庫を覗くと、不
思議なことに食料が入っている。6人は日がな1日飽きもせず、トランプなどをして愉快に過
ごし、夜になればベッドに入る。自分たちの暮らし方にも、そこにいる理由にも疑問を抱く
様子はない。
ある夜、ハーレーという男がどうも不安になって無理やりおきていることにする。すると別の
男が寝室を出て倉庫へ行くのが見える。倉庫を覗き込むと、奥の壁が開き、階段へつなが
っているではないか。
ひどく不安になったハーレーは同室者の一人をゆすり起こした。「何か変だ。外側への出口があ
るぞ。自分たちの正体を確かめなくちゃならない。何か恐ろしい実験でもされているか、
全員怪物なのか」。しかしそういうあいだにも、その同室者はみるみる解けて棒切れのよう
な昆虫の姿に変わってしまう。ハーレーはなんとか外側に脱出する。自分が何者なのか、なに
をしているのか知りたいという欲求で頭が一杯で、あの家での年月を騙し取られたような
気分だ。見えた建物のほうへ走っていってドアを押し開けると、そこは照明のきいた部屋だ
った。
「出てくるのに4年かかったな」。机の向こうに座っている男が説明し始める。地球はニティテ
ィアンという昆虫型生物と戦争状態にあった。地球上にやってきたニティティアンは人間を殺し、そ
の人間に成りすましてしまう。ある種の自己催眠を使って人間の姿を維持するのだ。彼ら
は人間そっくりにふるまうように条件付けされている。
466 :
、:2008/09/18(木) 21:15:08
人類は複数のニティティアンを捕虜にした環境に抑留し、その中に人間を一人、観察者として送り
込んでおいた。
その人間が特に何もせずにぶらぶらしているので、ニティティアンもぶらぶらしている。自分の居
場所がどこか、誰が食料を配達してくれるのか、家の外がどうなっているか聞こうともし
ない。ただひたすら自分の置かれた環境を受け入れるだけだった。
倉庫から出て行くのをハーレーが見た男はその人間の観察者で、夜になって勤務を終え、出て
行くところだったのだ。
聞かされた話の意味が分かって愕然としたハーレーは、大声を上げる「おれは(ニティティアンなんか
じゃないぞ、、、、)」。だが、その瞬間みるみる自分の身体が溶解し、昆虫の姿になっていく
のをかんじる、、、、
宇宙の果てはどこなのか議論した学校時代のあの日以来、わたしはずっとこのハーレーのよう
な気分だった。表面的には、この世界はごく普通に見える。ちゃんとした町に生まれたし、
両親がどんな人間かもわかっている。学校で歴史を習ったし、やがて科学に興味を持つよ
うになると宇宙のことや人類の進化について学んだ。何もかも正常で安定しているように
思えた。H・G・ウェルズに熱中するようになって
存在のあらゆる謎も最後には科学が答えを出してくれると教わってからはとくにそうだっ
た。ところがある日、宇宙の果てなどまるで検討もつかず、自分が何者で、何をやってい
るのかもまったくわかっていないことに気付かされたのである。すべてに答えがあるよう
に見えてはいた。だがじつは、われわれはみなオールディスのニティティアンと同じ立場におり、催眠
術をかけられてなんでも鵜呑みにする受身の状態にいるのである。
467 :
、:2008/09/18(木) 21:16:57
仲間の人間のほとんどは、こうした疑念にはまったく無縁のようだ。それなりに悩みを抱
えてはいても、何もかもがばかげた茶番か欺瞞かもしれないなどとは思ってもいないよう
に見える。私のほうはといえば、誰かに担がれているのだという疑いをずっと抱いていた。
無名詩人ウィリアム・ワトソンに「この世の不思議」という詩がある。
部屋から部屋へさまようものの
姿を見せ無この館の主
今日のこの日に至るまで
賓客とも囚人とも知れぬこのわが身
心霊主義に興味をもった子供のころ、はかない一生の仕上げをするのは眠りなのだという
シェークスピアの考えより、死後生存のほうがずっと理にかなっている思ったものだ。とはいえ、
根本的な疑問が解けたというような気がしなかった。死後も自分が存在すると分かったか
らといって、「自分はここで何をやっているのだろう?」という疑問が解けたわけではない。
「自分はここで何をやっているのだろう?」という疑問が「自分は向こうでなにをやるの
だろう」という疑問におきかわっただけなのだ。
一つだけは確かだった。超常現象の驚異的な諸問題や、別の銀河系や次元からエイリアンが地球
にやってきているのかいないのかといった事柄にわが人間同胞たちがほとんど関心を示さ
ないのは、オールディスの短編小説の登場人物のように、不可思議な、催眠にも似た受動態にあ
るためらしいということだ。人々の安全を求める気持ち、異なるものの進入に異議を唱え
る心情が理解できるくらいの気持ちは私にもある。だがそれは、現実から目をそらすのと
同じではないだろうか。
468 :
、:2008/09/18(木) 21:20:23
同じようにばかばかしさを感じたのは、スティーブン・ホーキングなどの天文学者たちの、宇宙は150
億年前にビッグバンとともに誕生したとか、物理学はまもなく万物の法則を作り上げ、宇宙
についてどんな疑問にも答えが出るという主張を聞いたときだった。もしそうなら当然、
神が存在するとい仮定は不必要になるわけだ。しかし、自分には宇宙の果てがどこか分か
らなかったことを私は思い出し、そこでホーキングもまた現実から目をそらしているだけだっ
たのだとはっきり知った。神が存在するという仮定はおそらくは不必要なのだろう。また
神を厄介払いしようというホーキングに異を唱えるつもりはまったくない。だが、なぜまった
くの無ではなく、事物が存在するのかという問題が解決できるまでは、そういいきる権利
はわれわれには無いと、単純に思うのだ。それでは科学的ではない。
同じことが生物学者リチャード・ドーキンズについてもいえる。厳格なダーウィン進化論であらゆる物
事が説明でき、生命とは物質から偶然に生じた存在に過ぎないとドーキンスは信じている。だ
がドーキンスはこの根本的問題に、そんな偶然など存在しないというふりをしながら応えよう
としているように思える。