>今という時代はにゃ、違うところで違い人が同じようなことを違う角度から
>考えておって、その間で十分に意見交換ができていないと思うのにゃ。
これは私も感じるなぁ。
しかし、私は今まで書いてきたようなことに基づいて、今の人工知能研究に
イチャモンを付けているのだが、ここはまだなかなか通じないみたいだが・・・
しかし、皆似たり寄ったりなことを考えているのなら、もうこの辺で放置して
私もクオリアの方に行くかな・・・
なんだにゃ、まだ眠っておられんにゃ?
>>952 > しかし、私は今まで書いてきたようなことに基づいて、今の人工知能研究に
> イチャモンを付けているのだが、ここはまだなかなか通じないみたいだが・・・
それも面白いかと思っておってにゃ。アルゴリズムというものに自発性にゃら、
偶然対処性にゃら考えるということにワシも基本的に難しさを感じてはいるにゃ。
しかし、最近の人工頭脳研究の動向はあまりフォローしておらんので、うっかり
首を突っ込むと、ここ以上の赤恥青恥になりそうでにゃ。ウズウズはしながら、じっと
こらえているところにゃ、いや、マジで。(ん?誰かの口調がまた伝染しとる)
> しかし、皆似たり寄ったりなことを考えているのなら、もうこの辺で放置して
> 私もクオリアの方に行くかな・・・
そんなにクォリアが魅力的かにゃ?ワシも多少は面白いと思ってはいるがにゃ。
どうも、その先に進んでいけるかどうか不安でにゃ(これはワシの個人的方向づけのせいにゃが)。
ところで、顔文字しぇんしぇいのチョー魅力的なお話だがにゃ(痴呆頭をスイッチ・バックするのが難しい・・・)
チシャ猫しゃんは揚げ足取り以上のことを聞いておったのだにゃ。ワシはまたアホにゃあ。
>>883 > にゃ.ここで原因をCAUSEで表すこととし,意志のほうはDOで表すことにすると,
> 上の曖昧性は
> [ John CAUSE [ the window BREAK ]]
> [ John DO [ John CAUSE [ the window BREAK ]]]
これは素晴らしい切り口だと正直思ったにゃ。。
> と,さらにもう一層,DO構造があるか否かの問題ということになるにゃ.
しかし、「あるか否か」と書かれておるのは、ないという意見もあるということかにゃ?
> 意志は生物,特に人間に典型的に認められるので,主語が無生物の場合はこのような
> 曖昧性は見られないにゃが,犬の場合,多少擬人化して人間を怖がらせてやろうという
> 意志がある,という想定をするにゃら,チシャしゃんのいうような曖昧性が生じるにゃ
この点にゃが、行動分析学派はどちらかというと、「意思」というものを前提するのを嫌うようにゃ。
それは、いろいろ理由があるのだろうがにゃ(例えば、人と犬を区別するのは困るとかにゃ)、
意思という形で話せば、実に通じやすく効率的に話が進むにゃが、ならば、犬にも意思があるか?と
いった問題と直結するようにゃ。
顔文字しぇんしぇいもどこかでチラッと触れておられたようにゃが、意思と関係して志向性とかの問題があるにゃ。
ワシは、そういうモノも実は、言語によって仮想されたものではないかと疑っておるところがあるにゃ。
というか、認知と言語の関係のようにだにゃ、意思も言語的な何かが、そう表現することを要請しておるのかも
しれんと思うにゃ。この世迷言を考える上で知りたいことはにゃ、DOとCAUSEの関係でにゃ、
DOを分解してCAUSEだけで表わすことはできないのか、ということにゃが。ボケ思考かにゃあ?
クオリアに関し、液体窒素で凍結した金魚はクオリアを持ち得ない
はずだというのは、すぐに量子力学を持ち出したがる物理学者を
攻撃する上で私はやはり強力な武器だと思うんだよな。
しかし、かといって案があるわけでもない。周辺を回るばかりで
本丸に行けないという感じ。
>>955 > クオリアに関し、液体窒素で凍結した金魚はクオリアを持ち得ない
瞬間凍結した金魚は確かに面白い話にゃ。
> はずだというのは、すぐに量子力学を持ち出したがる物理学者を
> 攻撃する上で私はやはり強力な武器だと思うんだよな。
この量子力学を持ち出すというのは、何について持ち出すということにゃ?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1087816811/365 365 名前:俺[sage] 投稿日:04/10/10(日) 02:58:56
生態学的リアリティーってさ,俺はリードの
「アフォーダンスの心理学」を読んで,あの本の
鍵概念がそれだと思って,書評にもそう書いたんだよ。
で便利な言葉だからいろんなところで使ってたの。
ところが出典を問われてリードですよ,って言おうと
思ったら,リードのどこを見てもそんな言葉出てない。
とても困っている。ほんとに洒落にならない。
とある本の脚注によると,「実際に生きている個人(個体)に
とって,実際に生きている環境や時間の中で有意味であるような
事物や現象が,生態学的リアリティを持っていると考えることが
できる。」だって。これももちろん俺が書いたのだが,
なんだかよくわからないにゃ。
おじゃましますね しゃんは嬉しいコピペをあっちとこっちにしてくれたわけにゃ。サンクスにゃ。
おかげさまで少しスッキリして、よく眠れるかもしれんにゃ(逆に、目が冴え冴えするかもにゃが)
生態学的リアリティというのはマルシンドしゃんとかの造語と聞いておったにゃが、俺さんのだったんかにゃ。
俺さんとは何度か偶然行き会って話したことがあるにゃ。出所はともかくも
>>957 > とある本の脚注によると,「実際に生きている個人(個体)に
> とって,実際に生きている環境や時間の中で有意味であるような
> 事物や現象が,生態学的リアリティを持っていると考えることが
> できる。」
つまり、環境の中で生きていく<ため>に有意味な事物・現象にゃ?つまりは、アフォーダンス類似の
ことで、それを知覚してリアルな生き方ができるということではないのにゃな。ワシは、そっちかと
思っておったにゃ。こりゃまた、アフォーダンスの話になりそうにゃが、少なくとも、アフォーダンスは
<ために有意味>であるとは限らないモノだとするのがギブンソン正統派の意見のようにゃ。したが、
奥しゃんの(知覚学習屋さんの)エレノアは、どこかで「有意義な」とか「有益な」とか書いてるようでにゃ。
その辺りから、ギブソンのアフォーダンスが知覚派と認知派に分かれたのかもしれないにゃ。
生態学的リアリティのほうは「有意義」派かにゃ?それは、アフォーダンスを知覚した後で何が起きるかにも
関わっていると思うのにゃが。つまり、その結果うまく運んだ場合には、そこで初めて「有意義」となるのだ
と思うのにゃが、アフォーダンス自体はもっと中性的というか環境と有機体の配位のようなものであると
ワシは思うにゃ。もっとも、ここで、知覚した<後でいい結果が起き>と書いたわけにゃが、その<後で>
が実は問題だと思うのにゃ。そもそもアフォーダンスというのは主に環境の要因だとすればにゃ、おそらく
有機体の運動というか行動に従って非常に連続的に変化するはずでにゃ、そのどの時点を<知覚した>
と考えるべきかがチョー難しいことになると思うのにゃ。実は、これは、ナホウドリしゃんとかと時間に
ついて話したときにもワシの頭の中にあって、行動の単位とか知覚との関係で重要にゃ。
しかしだにゃあ、2ch世界はいろいろな人がおって驚くにゃが、また、その人たちが実は〜で、と
いう話もたくさんあるようでにゃ、まるで仮面舞踏会で恋人探しをするというか、歌舞伎の
だれだれ、実は、誰々が〜チョンチョンみたいで、訳が分からんときがあるにゃ。ま、それも
一興なのにゃが。ここでもワシのポリシーは、言ってることと行動を第一にするという
ことかにゃ。それで、騙されても法然上人に従いて地獄に落ちるとも後悔せず、にゃ。
盛り上がっているので、(外れな私の意見)書き込めずにいました。
どうも、落ち着いたようなので、書き込ませてもらいます。
以下は「私の世界(引いてみると個々の世界)と皆に共通した世界がある」という私の心的現実について。
>>835 >> ・私を私が触ったときと、Aさんが私を触ったとき、同じところを触られても感じ方が違う。
>>私とAさんは私の中(私の世界)では違うものだ。
>という、チョー縮約文では意味がどうしても違うように見えるにゃ。解説してくれるにゃ?
私による私へのタッチとAさんによる私へのタッチ。その二つは、私には違って感じる。
(大きな違いでは)私が握ったときには、握られた腕の感触と握った手のひらの感触を感じる。
Aさんが握ったときには、握られた腕の感触だけ。
私がAさんの腕を触った。私はAさんの腕を触られた感触は感じない。握った手のひらの感触は感じる。
>私にとって、私とAさんは違うものだ。
>> ・私とAさんは子猫じゃれている。私は猫の目が青いといった。Aさんもうなずいた。
>> 私とAさんは同じ世界を見ている。
>それは、前にも出てきたことにゃが、意見の一致がそのまま同じ世界を見ていることでいいのかにゃ?
>「青い」という言葉のレベルでは同じ世界かもしれないにゃが、もし、その「青さ」を比べ始めたら、
>同じ世界ではなくなるのかもしれないにゃ。クォリアかにゃー、これ?それだけではないにゃ。
心理学者や哲学者は真の一致なのかを疑うかもしれませんが、私は大きくなるまで疑ってきませんでした。
私「あれも青い?これも青い?それも青い?」
Aさん「うん。うん。うん。皆青いね!」
私「ね(^▽^)ルンルン」
>>958 論点がいっぱいありすぎてどれから手を付けてよいかわからんよ。
また,このスレの流れも止めたくないしね。だから短く書くよう
努力してみる。
俺の問題意識(っていうか俺が読み取ったリードの問題意識)は
心理学が対象とすべきリアリティとはなにかということだ。
科学はすべからくなにかのリアリティをとらえようとするわけだが
心理学にとってのそれは生態学的なリアリティであるべきだ。
心理学が培ってきた方法論(の少なくとも一部)はそれを
研究者の手から奪っていないか,と。そういう文脈ではからずも
生み出してしまった言葉。
その「俺」って人が○震度だよ
まだ、これから構築されていく概念なんだね
そのうち辞書にのるだろうな
つづき
>>835 >> ・私は「この子猫が可愛いといった」だといった、でもAさんは「そんなに可愛くないよ」といって首を振った。
>> Aさんも自分の世界を持っているのではないか。
>意見の不一致じゃな。そのとき、人(「私」)はAの(中に)別の(Aの)「私」を感じるということかにゃ?
>サリーとアンの問題で、サリーがアンの箱を開けに行けば、観客はそうだ!と思うにゃが、実際は
>サリーは自分のカゴを開ける。見ていた観客(子ども)は??と感じるにゃ。なんでだ?ボールは箱の中
>じゃないのか?なんでサリーはカゴを開けたのか?で、そこで、
→サリーと私は何か違う。
その子は、成長(経験と成熟)しながら、理論を見つけていくのですよね。
こう見ると、私の書いた理論の発見は、経験による発見ですね。
>> ・私は私を動かせる。私はAさんを動かせない。
>> 私とAさんは違うのではないか。
そうそう、私だけでは、私の世界と世界の世界は区別できないそうにないですよね。
私の世界があるのは私以外の皆様のおかげです。
>>846 >ワシのも、チョー感覚的分析でにゃ。極めて非論理的だと思っとるにゃ。。。。
私はちょ〜ちょ〜ちょ〜〜〜〜感覚的ですにゃ。
私の心的現実についての話は、この書き込み止めたいと思います。
私しかフォローできない話題ですし。。。
つぎは、時間ですかにゃw(にゃーおいらには無理〜ROMかにゃ)
にゃにゃ、ワシの睡眠奪取して記憶再生を調べようとしてるにゃ (^^)
ま、今日は静かな夜でにゃ、ゆっくりバス・タブにつかりながら返事するにゃ。
俺はアフォーダンスは関係的ではあるが本質的には物理学的な
実在で,その存在とそれが知覚され実際に利用されるかどうかとは
無関係と考えている(教条派ギブソニアン)。その意味で
アフォーダンスが常に生態学的リアリティを持つわけではない。
しかし生態学的リアリティは知覚されたアフォーダンスによって
構成されているだろうし,そういう意味である個体にとっての
生態学的なリアリティを構成しているのはニッチとアフォーダンス
だろうね。
後半の論点については境先生が「アフォーダンスはオペラント
条件づけの弁別刺激だ」と書いていた。俺もそう思う。
だったら時間の経過はとても重要。運動とか時間の経過を
重視するのもギブソンの特徴だけど問題が巨大すぎて短く書けない。
でも「そこでスキナーですよ」とは言っておきたい。
にゃにゃにゃ、フロで一杯やりながらと思って、オールド・ファッションドを作ってきたら、
また書き込みが増えてるにゃ。げに恐ろしきは2ch心理板の皆様方にゃ。
#徹夜でにゃんにゃんした若き日々を思い出すにゃあ〜
あらあ、おじさままで、そんなこと言って。報告しちゃうから。
にゃ、さてと、本来ならナホウドリしゃんが先なのにゃが、ちょっとわけありで後にさせてもらうにゃ。
>>961 >
>>958 > 論点がいっぱいありすぎてどれから手を付けてよいかわからんよ。
実はワシもだにゃ(^^)ワシとしては自分の問題をひたすら追っかけているつもりにゃが、あれこれ
アナロジー心が働いてしまってにゃあ。ところで、ワシは別にこのスレのホストではないからにゃ、
勝手にお話してくだされや。あったりまえだのクラッカーにゃが、一応。
> また,このスレの流れも止めたくないしね。だから短く書くよう
> 努力してみる。
気配りサンクスにゃ。しかし、適度に止めてもかまわないにゃ。必要なものはまたいつか顔を出すにゃ。
>>962 > その「俺」って人が○震度だよ
まあ、それはいいにゃ。ありがとにゃ。
> まだ、これから構築されていく概念なんだね
> そのうち辞書にのるだろうな
生態学的リアリティかにゃ?そうなるのも時間の問題だろうかにゃ。あるいは、既に?
>>961 > 科学はすべからくなにかのリアリティをとらえようとするわけだが
> 心理学にとってのそれは生態学的なリアリティであるべきだ。
> 心理学が培ってきた方法論(の少なくとも一部)はそれを
> 研究者の手から奪っていないか,と。
なるほどにゃ。それはワシも感じるにゃ。もっとも、今は、それを求める声が大きくなっているとも思えるにゃ。
それはそれで、夢を抱かせるのだがにゃ。他のアプローチや問題が山積してる中で、どれを
とるべきかは確かに難しいことだにゃ。ワシの生き方は、「私の勝手でしょ」かにゃ。どのみち、田舎に
すっこんどって何もしてない老人だから、関心のあることぐらい好き勝手に考えさせてもらおうとかにゃ。
これからの人たちは、自ら選ぶということを大切にしてもらいたいにゃ、何事も。
>>965 > 俺はアフォーダンスは関係的ではあるが本質的には物理学的な
> 実在で,その存在とそれが知覚され実際に利用されるかどうかとは
> 無関係と考えている(教条派ギブソニアン)。その意味で
> アフォーダンスが常に生態学的リアリティを持つわけではない。
合意にゃ。境しゃんの本を素晴らしいというからにはそうにゃろ。
> しかし生態学的リアリティは知覚されたアフォーダンスによって
> 構成されているだろうし,そういう意味である個体にとっての
> 生態学的なリアリティを構成しているのはニッチとアフォーダンス
> だろうね。
ふむにゃ。
> 後半の論点については境先生が「アフォーダンスはオペラント
> 条件づけの弁別刺激だ」と書いていた。俺もそう思う。
それはカタニアもそう書いているし、結構、そう書いている人はいるようだにゃ。問題はそうだとして、
弁別刺激だとしてだにゃ、そのままオペラントと整合性を持てるようにできるかどうかにゃ。さっき、ワシが
結果と書いたのは強化のことにゃ。アフォーダンスとしての弁別刺激と強化を結びつけること、それが
目下のワシの最大関心事なのなのだがにゃ、そこにはどうしても、そういう複雑な関係を整理し、明示する
方法が必要だと思うのにゃ。
> だったら時間の経過はとても重要。運動とか時間の経過を
> 重視するのもギブソンの特徴だけど問題が巨大すぎて短く書けない。
そりゃ、まったく、その通りにゃ。
> でも「そこでスキナーですよ」とは言っておきたい。
ナラティブではなくかにゃ?(悪い冗談にゃ、赦されたしにゃ) スキナーは確かに方向性を示して死んだと
思うにゃ。死ぬ前にも、そういうことをあれこれ考えておったようにゃ。ただ、今の行動分析の枠組みで
それがきちんとできるかどうかについて、ワシは少しばかり考え方が違うかもしれないにゃ。違うかどうか
分からないにゃが、それも、結果次第かと思うにゃ。
因みに、ここで言語に絡んであれこれ考え、教えてもらっていることもにゃ、弁別刺激に絡むのは
わかっておられるだろうにゃ。
ワシも学びたいことがいっぱいあるでにゃ、どうかまた気が向いたときには宜しくにゃ。
その弁別刺激・アフォーダンス論て、私の好きな『人はなぜ心を求めるか』でも論じてあったと思うわ。
おじさまと共通点があるみたい。これも、また偶然の一致ね、きっと。そこにベイズ定理が絡むのよね?
あのにゃあ、チシャ猫しゃん、ありがたいのにゃが、もう少し後でその話にしようにゃ。頼むでにゃ。
なんでだ?
夜が明けて煽りがたかる前に、早めに次スレを作られてはいかがですか。
こんな定式化はどう?
(SD*H_t)R→C→H_t+1
強化履歴(H)が蓄積された有機体が、弁別刺激(SD)のもとで
反応(R)を自発することで随伴事象(C)が起こり、
それはその有機体の強化履歴(H)を更新する。
佐々木氏もアフォーダンスの発見は「学習」だと言ってた。
学習だとすればアフォーダンスはオペラントでも
強化子でもないだろうから弁別刺激だろ。
それをオペラント条件づけに組み込むこと自体は簡単だと
思う。ただ単にアフォーダンスという「もの」をまるごと
マクロに切り取って強化随伴性の中に入れちゃえばいいだけ
だから。ただ,それがアフォーダンスを,あるいは
アフォーダンスと生体の関係を分析したことになるのか?
っていうのが廻廊さんの問題意識なんだろうな。
それは難しい。わからん。でもそのうちなんとかなる。
>>972 ほんと!? 斜め読みしかしてなかったから見てみるよ。
サンクスコ。
>>976 そうそう,俺が「簡単だ」と書いたのは
まさにそのようなイメージで。
>>960 > 盛り上がっているので、(外れな私の意見)書き込めずにいました。
いや、実はさっきナホウドリしゃんは来てられんのかにゃ?と、もう少しで書こうと思っていたにゃ。
が、色々考えてやめておいたのでにゃ、書いてくださって、安心したにゃ。
> 以下は「私の世界(引いてみると個々の世界)と皆に共通した世界がある」という私の心的現実について。
> 私による私へのタッチとAさんによる私へのタッチ。その二つは、私には違って感じる。
> (大きな違いでは)私が握ったときには、握られた腕の感触と握った手のひらの感触を感じる。
> Aさんが握ったときには、握られた腕の感触だけ。
これはその通りにゃ。その、私とAさんの違いを、一人の中で(つまりAさんなしに)体験できるのが赤ちゃんにゃ。
つまり、「私」がまだ完全ではないからだがにゃ。
> 私がAさんの腕を触った。私はAさんの腕を触られた感触は感じない。握った手のひらの感触は感じる。
> >私にとって、私とAさんは違うものだ。
これもそうだにゃ、その通り。では、Aさんと握手したとき、私が感じることとAさんが感じることにはアナロガスな
ものはないだろうかにゃ?ワシはそこに何かとてつもなく大切なことがあると感じているにゃ。
> 心理学者や哲学者は真の一致なのかを疑うかもしれませんが、私は大きくなるまで疑ってきませんでした。
> 私「あれも青い?これも青い?それも青い?」
> Aさん「うん。うん。うん。皆青いね!」
> 私「ね(^▽^)ルンルン」
ふふふふ、微笑ましいにゃあ。それは、一種、ピアジェの自己中心性とも関係あるかもにゃ。それだけではなく、
言語の持ってる機能の一つなのかもしれないにゃ。「青」と言えば、また、「青」と聞けば、その語のレベルでは
同一であって、その指しているものすらも同一に感じてしまう。しかし、実際はそうではないにゃ。言葉を批判的に
受け取れるようになることも必要なのだろうにゃ。(だが、またまた、これがピアジェの自己中心性に戻って
来るのかもしれないがにゃ、今はおくとしようかにゃ)
>>963 > その子は、成長(経験と成熟)しながら、理論を見つけていくのですよね。
> こう見ると、私の書いた理論の発見は、経験による発見ですね。
それをワシは大切だと思うのにゃが、あるいは、そのような経験を経ずに分かることがあるかもしれんとも思うにゃが。
> >> ・私は私を動かせる。私はAさんを動かせない。
> >> 私とAさんは違うのではないか。
> そうそう、私だけでは、私の世界と世界の世界は区別できないそうにないですよね。
> 私の世界があるのは私以外の皆様のおかげです。
そうなのにゃ!まったくそうなのにゃ。それと、空間だにゃ。他者以外にも環境世界も必要なのだにゃ、きっと。
> 私はちょ〜ちょ〜ちょ〜〜〜〜感覚的ですにゃ。
> 私の心的現実についての話は、この書き込み止めたいと思います。
それはお任せにゃが、ワシは興味深く読ませてもらってるにゃ。まだ、うまく言えないがにゃ、そして、おそらく
ナホウドリしゃんが言っていないことで、ワシの問題に関わることがあるような気がするにゃ。
> 私しかフォローできない話題ですし。。。
おおい、おおい、そうなのかにゃ?では、明らかにまだ語っていないことがあるはずにゃ!
> つぎは、時間ですかにゃw(にゃーおいらには無理〜ROMかにゃ)
上の「私の心的現実」の中にも時間は入っておるのと違うかにゃ?
>>976 > こんな定式化はどう?
> (SD*H_t)R→C→H_t+1
> 強化履歴(H)が蓄積された有機体が、弁別刺激(SD)のもとで
> 反応(R)を自発することで随伴事象(C)が起こり、
> それはその有機体の強化履歴(H)を更新する。
んにゃ?これは『人はなぜ〜』の著者の偶機理論そのものみたいだにゃ?
正確には、それをベイズの確率更新と重ねた理論じゃにゃ。これ書いたの誰にゃ?
>>977 > 佐々木氏もアフォーダンスの発見は「学習」だと言ってた。
それは結果を考えるとこまで含めるからだろうにゃ。
> 学習だとすればアフォーダンスはオペラントでも
> 強化子でもないだろうから弁別刺激だろ。
それは少し単純化しすぎだと思うにゃが。。。
> だから。ただ,それがアフォーダンスを,あるいは
> アフォーダンスと生体の関係を分析したことになるのか?
> っていうのが廻廊さんの問題意識なんだろうな。
まぁ、そうだにゃ。
>
>>972 > ほんと!? 斜め読みしかしてなかったから見てみるよ。
それはワシも保証するがにゃ、その本でもまだ超えられないところがあるのをここで考えていると
いうのがワシのスタンスだがにゃ。
ったくにゃあ、このスレは突然火を噴いたようになるでにゃあ、ワシはもう死にそうだにゃ。
だが、まだ、ワシは、アフォーダンス・オペラント結合までもう少し時間が欲しいにゃがにゃあ・・・
ベイズの定理 事前確率を事後確率に転じるのが強化だというような話であったにゃ、そう言えば。
しかし、あれはなかなかに難物じゃぞ〜。
あの偶機理論にとって、刺激・知覚と行動、その結果の関係が、従来どおりの行動分析学の枠組みに
入りきらんのではないかという心配があると思うのにゃ。それは、そういう随伴性構成項目の間の
奇妙な距離でにゃ。それをもっと緊密にせんと、うまく行かないところがあるのにゃ。
おそらく、それは
(SD*H_t)R→C→H_t+1
でも同じだろうかと思うがにゃ。上の+1だがにゃ、強化履歴だけの更新で済むわけではないだろうにゃ?
それでは、偶機理論でオペラントの確率が更新されるところまで行かないとおもうのだがにゃあ。ま、いいか、にゃ。
>>980 >いや、実はさっきナホウドリしゃんは来てられんのかにゃ?と、もう少しで書こうと思っていたにゃ。
>が、色々考えてやめておいたのでにゃ、書いてくださって、安心したにゃ。
ありがとうございます。私は、自分は的外れな迷惑な書き込みをしているのではないかと
おもっていたぐらいで。。。。
>>981 >そうなのにゃ!まったくそうなのにゃ。それと、空間だにゃ。他者以外にも環境世界も必要なのだにゃ、きっと。
その通りだとおもいます。
>> 私の心的現実についての話は、この書き込み止めたいと思います。
>それはお任せにゃが、ワシは興味深く読ませてもらってるにゃ。まだ、うまく言えないがにゃ、そして、おそらく
>ナホウドリしゃんが言っていないことで、ワシの問題に関わることがあるような気がするにゃ。
>おおい、おおい、そうなのかにゃ?では、明らかにまだ語っていないことがあるはずにゃ!
私が言っていないことですか・・・
すぐに思い浮かぶのは、
自由意志が存在するという感覚が、私の世界があるという感覚を支えている(と関係している程度かもしれません)
のではないかという。なんだか、ぼやーとした気持ち。
「自由意志あり、故にわれの世界あり。」でしょうか。
そして、自由意志など無いと考え出すと、なんだかさびしくなること。ですか。
>上の「私の心的現実」の中にも時間は入っておるのと違うかにゃ?
どういう意味でしょうか?私の意図しない解釈がありそうですね。
言うの、早すぎでしたか?もう、だいぶ煮詰まってきたかなと思ったんですけど。
言語関係と並行して進んで行っても面白いかと思ったんですけど。。。
その方が、廻廊おじさまの問題意識がより具体的にわかってもらえるような気がして、つい。。
>>983 >ほぇ〜・・・
あくびでしょうか。もう、寝ましょう。
ま、こうなってきたのだから、それこそ、チシャ猫しゃんではないが、レッセ・フェールじゃにゃ。
ワシはワシの道を行くにゃ。(^^)
>>989 >
>>983 > >ほぇ〜・・・
> あくびでしょうか。もう、寝ましょう。
んにゃ、まだにゃ。朝までニャンニャンだにゃ、もう、ここまで来ると。
>>986 > ありがとうございます。私は、自分は的外れな迷惑な書き込みをしているのではないかと
> おもっていたぐらいで。。。。
ワシにはそう思えんがにゃ、全然。
>
>>981 > >そうなのにゃ!まったくそうなのにゃ。それと、空間だにゃ。他者以外にも環境世界も必要なのだにゃ、きっと。
> その通りだとおもいます。
嬉しい合意にゃ!
> >上の「私の心的現実」の中にも時間は入っておるのと違うかにゃ?
> どういう意味でしょうか?私の意図しない解釈がありそうですね。
にゃ、まあ、次のこととか、その他もあるかもにゃ。もう少し整理せんとワシもすぐには言えないにゃ。
顔文字しぇんしぇいみたいに、いつでもどうぞう! みたいにはなかなか行かんもんだにゃ。
> 自由意志が存在するという感覚が、私の世界があるという感覚を支えている(と関係している程度かもしれません)
> のではないかという。なんだか、ぼやーとした気持ち。
> 「自由意志あり、故にわれの世界あり。」でしょうか。
> そして、自由意志など無いと考え出すと、なんだかさびしくなること。ですか。
その問題は、顔文字しゃんへのレス
>>954 > 顔文字しぇんしぇいもどこかでチラッと触れておられたようにゃが、意思と関係して志向性とかの問題があるにゃ。
> ワシは、そういうモノも実は、言語によって仮想されたものではないかと疑っておるところがあるにゃ。
> というか、認知と言語の関係のようにだにゃ、意思も言語的な何かが、そう表現することを要請しておるのかも
> しれんと思うにゃ。この世迷言を考える上で知りたいことはにゃ、DOとCAUSEの関係でにゃ、
> DOを分解してCAUSEだけで表わすことはできないのか、ということにゃが。ボケ思考かにゃあ?
で、少しだけ触れ始めているのにゃ。
しかし、これも偶果せいだにゃ。こんなにまで、色々な話ができるとは本当に思っておらなんだにゃ。
皆々様方のおかげさまさまにゃ。めるしー・ぼく。だんけしぇーん。しぇしぇやにゃあ。
人ありて我あり、かにゃ。いや、マジで。
>>992 > 顔文字しぇんしぇいもどこかでチラッと触れておられたようにゃが、意思と関係して志向性とかの問題があるにゃ。
> ワシは、そういうモノも実は、言語によって仮想されたものではないかと疑っておるところがあるにゃ。
> というか、認知と言語の関係のようにだにゃ、意思も言語的な何かが、そう表現することを要請しておるのかも
> しれんと思うにゃ。この世迷言を考える上で知りたいことはにゃ、DOとCAUSEの関係でにゃ、
> DOを分解してCAUSEだけで表わすことはできないのか、ということにゃが。ボケ思考かにゃあ?
以上の発言と自由意志との関係。
もうすこし、解きほぐして、説明してもらえると、ありがたいです。
自由意思ということだがにゃ、ワシは意思はちょい疑問視するがにゃ(それも言語上ではいいのかもしれん程度だがにゃ)
自由はあると思うのにゃ。決定論か非決定論という関係でもにゃ、ワシは基本的に非決定論だと思っているにゃ。
スキナーみたいな人ですら、最晩年の論文では、随伴性を「気ままな」ものだと言っておってにゃ、そこに、偶然性、
非決定性を言っておるようにも思うのでにゃ。
>>994 > 以上の発言と自由意志との関係。
> もうすこし、解きほぐして、説明してもらえると、ありがたいです。
スマンが、もう少し待ってくだされにゃ。ただ上のレスでも書いたがにゃ、意思と自由とをいったん分けて
考えるというのがワシのスタンスだということだけは言えるにゃ。
>>985 強化歴とか弁別刺激とかオペラント条件づけの
主要概念って,「それがそれとして操作できること」に
よって定義されてるから,一般化された数式とかに
入って行くと現実と乖離しやすいのではないか。
強化歴とは強化歴として実験的に操作できるものすべて,
弁別刺激とは弁別刺激として実験的に操作できるもの
すべて,なんだよね。その内容的な性質とかはおそらく
スキナリアンにとってはそれほど重要じゃない。
どこかに「刺激であるものはすべて弁別刺激になりうる」
みたいなことも書いてあった気がする。
+1みたいのも,実際に何かを1個たす,という話じゃ
なくて,単に概念的な繰り返しで,その繰り返しの
説明されない内容が実際にはものすごく豊かなんだと思う。
眠いから何書いてるかわからん。意味ないと思ったら
スルーして。
>>995 自由ってのが偶然性・非決定性という意味だったら
自由は間違いなく存在するよね。
俺は意思の方にこだわりたい,っていうか
「自分は自由に行動している」という感覚の根拠みたいな
ことね。
まあお休みです。誰か1000ゲトして。
>>997 >
>>985 > 強化歴とか弁別刺激とかオペラント条件づけの
> 主要概念って,「それがそれとして操作できること」に
> よって定義されてるから,一般化された数式とかに
> 入って行くと現実と乖離しやすいのではないか。
それは、正しい教訓だと思うにゃ。したが、ときには乖離せんといけないかもしれんとも思っているにゃ。
ま、できれば、実験事実と整合であるような理論化が欲しいところだがにゃ。
> 強化歴とは強化歴として実験的に操作できるものすべて,
> 弁別刺激とは弁別刺激として実験的に操作できるもの
> すべて,なんだよね。その内容的な性質とかはおそらく
> スキナリアンにとってはそれほど重要じゃない。
> どこかに「刺激であるものはすべて弁別刺激になりうる」
> みたいなことも書いてあった気がする。
それはそうだがにゃ、式の途中で、急に相対的な概念に移行するのも、いささか変かと思って聞いたのにゃ。
> +1みたいのも,実際に何かを1個たす,という話じゃ
> なくて,単に概念的な繰り返しで,その繰り返しの
> 説明されない内容が実際にはものすごく豊かなんだと思う。
そうだにゃ、ある<状況>nがある。そして、その<状況>nがステップ・ジャンプして<状況>n+1になる。
> 眠いから何書いてるかわからん。意味ないと思ったら
> スルーして。
にゃ、ワシもほとんど夢の中にゃ。後はオボロ〜にゃ。にゃはははは。
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