トランスパーソナル心理学

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思想の問題としてはいろいろあるが、座右に置きたい本としては、
前々から言っているように、ロースキーの『キリスト教東方の神秘
思想』そして横山紘一の『唯識の哲学』の二冊だけでよいと思う。

それぞれ、西洋的霊性、東洋的霊性のエッセンスがある(ただ後者
は、東洋的霊性の「一部」ではあるが)。西田幾多郎も、井筒俊彦も、
私の中では完全にドロップアウトしてしまった。これらの思想は結局、
「究極」と現象界を無媒介に結びつけてしまい、「魂」の場所が見出せ
なくなっている。同時に、そういった無媒介性のために、現象界イコ
ール絶対となってしまい、それは伝統社会的な形而上学のポジション
を超えられていない。つまり現存の世界が神の意図した世界そのもの
とだという完璧なる現状肯定の思想になってしまうのである。これは
思想的には時代錯誤でしかない。その程度のものをもてはやしている
ようではお先真っ暗である。

外界は外界、内界は内界で、宗教や神の問題は外界と無関係な内界
の問題として考える。はっきり言うと、こういう発想でももう行き詰まって
いる。

超心理学をどれだけ真剣に受け取るか、というテーマが近代的知性に
は課せられている。その点ではウィルバーも駄目なのである。
これでは「創造する神」への信仰が持てないのは当然のことである。

「魂」という中間的な場所を確保した時に、神の意志に反して不完全な
世界を作ってしまう魂のありようが見え、そこからいかにして救済、解放
されるかという視点が見える。

こうなって初めて、西洋的霊性との対話が可能になるのである。
504:04/10/09 13:55:20

近代合理主義的科学の「世界の地図」に抗して、霊性を守ろうとする
とき、私たちの作戦は二方面に向けられるべきであろう。

一つは、「汎内在神論」ともいうべき宇宙体験の地平である。これは
おそらく、ネイティブな文化はほとんど持っていたものであって、中国
思想はその洗練された形であると考えられる。

そしてもう一つが、西洋・インド的な霊性に顕著な、いったん現世的な
ものを否定し、否定しつくした上で超越的な神的世界を見る、合一する
という体験の地平、そしてそこに基礎をおく神秘哲学の再興である。

私たちが戦わねばならないものは、ニヒリズムである。「どうせ人間こん
なもの」という現代インテリ的な絶望を拒絶することである。スピリチュア
リティーは、単に「心の持ち方」を変えることではない。新しい意識にふさ
わしい社会秩序の生成を含むのである。スピリチュアリティーは、「希望」
を与えなければならない。未来世において人類が理想の文明に達する
可能性を信じられるようにすること、その燃える火としてのイデーを点火
しなければならないのである。このためには、旧来の東洋的霊性だけで
は不十分である。

まあこんなことまで言う人は誰もいないが、アカデミズムなんかまったく
恐くなくなったので、そういう恐さがなくなってしまうと自由で、楽しいもん
ですよ。アカデミズムにどう思われようと定年までは食えるんだからね、
私は。というわけでここやHPでは今後、ダメなアカデミズムに対しては
仮借のないクリティックを展開していく予定。結局、同業利益団体で、
「そもそもそんなもの存在してる価値あるの?」という批判を発し得ない
のがアカデミズムなんだから。(なお、もちろんすべての学会を否定して
るわけではない。念のため)