そのニヒリズムだが、「高校教師」というテレビドラマの一場面を思い
出す。いや、いまやっているリメイク版ではなく、オリジナルの桜井幸子、
真田広之が出ていたやつである。
あれは、「いまの世界に生きていることに対する『魂の叫び』」を表現
したものだ、と私は受け取っていた。つまり、「ここは一体何? 私は
いったいどういう世界に来てしまったの?」ということで、この世に来た
魂が、この世そのものが「狂気」なのではないかという発見に悲鳴を
上げているのである。
(ちなみに、いまはあまり転生経験の少ない魂も来ているらしく、そう
いう魂はこの世界があちらと比べてあまりに狂っているので、もの
すごい恐怖を覚える場合があるらしい。引きこもりと言われるケース
はそういう魂のことが多いような気がする。この問題は、こういう
霊的視点がなければ本質的には解決しないだろう。性同一性障害
の問題も魂と世界との違和が問題の本質である。「この世界はどこ
か根本的に狂っている。そういう狂った世界で生きざるを得ないこと
が現在の人間の本質である」と言うことができない者は、思想家たる
資格はない。人間が宇宙原則を見失ったという「喪失」の絶望を知ら
ない者を、私は思想家とは見なさない)
で、そのドラマで主人公の生物教師は、池に泳ぐ鳥たちを見ながら、
「生物学的には、生きるということには、何の意味もないんだよ」と
言う。それを聞いて、女子生徒(桜井幸子)はさめざめと泣く、という
シーンである。
宇宙と人間とのつながりを理解させるどころか、そのつながりの感覚
を崩壊させる学問など、どのような意味があるのだろう。
しかしもちろん、自然科学はダメだということがここでの趣旨なのでは
ない。あの生物教師の言葉は、「なぜこの世界は、生きていることの
意味を全く教えてくれないのか?」という魂の叫びだったのではない
か、と感じたということだ。その「もがき苦しみ」を過激に描いたのが
あのドラマだったのだ(少々過激すぎるが)。
世界イメージのその二だが、
2.世界はすべてつながっている、という直観を持っている。その無限
の連鎖の中で、自分はきわめてささやかではあるが、不可欠のある
部分を担っている。自分はいかにも小さいけれども、宇宙において
ある大切な役割を持っているに違いない、と感ずる。
このグループの学生は魂が健全である。宇宙とのつながりを直観する
ことができている。このグループは、必然的に、「エコ」志向になる。
いわゆる「ジブリ系」でもある。また卒業研究に宮澤賢治を取り上げる
学生もけっこういるのだが(デザイン学科なので、絵本とかを作るの
だが)、たぶん彼女らもこのグループだろう。あるいは、自然の豊かな
田舎で育ったのかもしれないが、そこまでは確認できない。しかし
大都市の学生には少ないタイプと思われる。
このグループに対しては、「ホーリズム」、すべてがつながっていると
いうことが現代思想からも強く出てきていることを伝えれば、自分たち
の直観の理論的サポートとして受け止めることができるだろうと思わ
れる。私の講義が最も効果を生み出しそうなグループである。「三千
大千世界パラダイム」のイデーも、自分らの宇宙直観と近いので、
素直に受け止めることができるであろう。
ただし、この1と2のグループはオーバーラップしている。その間で揺れ
動いているような学生もかなりある。それに対しては、素朴実在論を
打破する手助けをしてやれば、2の世界観に移行できる確率が高く
なるであろう。