トランスパーソナル心理学

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斎藤孝といえば最近の超売れっ子であるが、その中でも『自然体の
つくり方』というのが役に立った。そこで、現在では身体感覚が衰えて
いるという説は納得がいく。

斎藤の言う「中心感覚」があって、そこからくる自己肯定感や、また
大きな宇宙とつながっているという感じが何と なくわかるということが、
全ての基礎ではないかと思える。

つまりは「存在しているという感覚」だ。「マクロコスモスとミクロコスモス
の対応が・・」とか言っても、それが直観的にわかるような身体感覚と
いうものがあるので、まずその感覚が分からない人にいくら話して聞か
せてもわかるものではないはずだ。

そこで斎藤孝は丹田や中心軸の感覚という「中心感覚」と、それをベー
スに他者との間隔を直観する「距離感覚」を身体感覚の基礎に据えて、
それを具体的に訓練する(斎藤は「技化する」という)方法論を教えて
いる。

ある意味では『身体感覚を取り戻す』で概論として述べたことの発展で
あるが、こっちの『自然体のつくり方』のほうがずっとわかりやすく具体
的なメソードも書いてあるのでなかなかよい。

私もそういえば最近身体トレーニングがおろそかになっていると感じ、
この本にも書いてあるスワイショウなどをやってみたりした。
137:04/09/05 15:23

考えてみれば、科学の方法に載らないものをすべて「主観的」として
切り捨ててしまった近代文化に対して、身体文化というものは「自分と
宇宙とをむすぶ微妙な感覚」を「型」を通して鍛え、それを共有する
という文化なのである。

これこそ本当の現代の思想である。つまり、これからの思想は身体
感覚に支えられねばならない。これがもともと東洋文化であった。

身体を捨象して、自分というものを「脳内現象」の立場に置いてのみ
見るという西洋思想の限界がはっきりしたということだ。

身体感覚が衰弱し、「存在することの幸福」が理解できなくなった人が
いくら「スピリチュアル」とか言っても始まらない――というのが私の
基本的な考え方である。

そういった、健康な身体性に基づく自己肯定感が欠けているような
人が、その欠損を補うために霊的な世界に興味を示すというのは、
危険なところがある。さらにバランスを崩しやすいのだ。
138:04/09/05 15:25

霊的な経験は、あらゆる文化を突破する。

しかし、同時に、それを方向付ける文化の力というものがある。

現代では、そういう霊的方向づけ(オリエンテーション)の力が失われた
のだ。それが、オウム的な危うさをもたらす。つまり、エクスタシーは、
霊的共同体(これはキリスト教では教会共同体であり、仏教ではサンガ
である)に支えられて初めて意味をもつ。そこには、古典、伝承、長老
といった存在が不可欠である。

霊的な共同体はいかにして成立するのか。それが根本の問題である。
ケン・ウィルバーは、それを理論的には示しているが、実際にどのよう
に展開するものなのか、その展望を書いてはいない。

つまり、霊的な体験「のみ」に依存することはできないし、それは危険
だということだ。体験のみを重視する禅でも、禅の伝統それ自体が支え
になっている。

大事なのは「サニワ」であり、その体験はどのような意味をもち、どこへ
導くのかというガイダンスである。
139:04/09/05 15:29

この点で、シュタイナーはきわめて楽観的である。

『いかにして超感覚界の認識を獲得するか』では、そういうことを正しく
判断できる力はもともと自分の中に備わっており、間違いなくやってい
ればわかるのだ、と言っている。

たしかにそうかもしれない。正論ではあろうが、現実にはなかなか困難
な問題である。

しかし、シュタイナーがはっきり書いているように、現在では、個々人が
自分の道を確認しつつ進むという霊性のあり方以外には、ありえない
のである。

そこで、霊的認識が開きつつある人々のゆるやかなネットワークという
ものを構想せざるを得ないだろう。

その時に、インターネットなど電子メディアの活用ということも視野に
入ってくるかもしれない。


第二回 意識・新医療・新エネルギー国際シンポジウム

 オープニングレクチャー
 「超常現象とプラトン世界」
 (ノーベル賞物理学者 ブライアン・ジョセフソン)


オープニング・レクチャーをさせていただきまして、ありがとうございます。
このシンポジウム組織委員会の皆さんに感謝いたします。

私はケンブリッジ大学物理学科にいる普通の科学者です。由緒ある組織
ですが、私の興味はそれほど皆さんには理解されているものではないと
思います。

私は思っているほど科学者は世界を理解しているわけではないという
ことがだんだんわかってきました。いろいろ研究しているというわけでは
ありませんが、私は物の働きを理解しようとしています。

しかし、超常現象に全く出会ったことがないというわけではありません。
まず私の個人的な関わりから説明したいと思います
141量子と超常現象:04/09/05 15:37

ケンブリッジ大学トリニティカレッジの同僚ジョージ・オーウェンは遺伝学
を勉強していました。しかし彼はポルターガイスト現象、幽霊屋敷、超常
現象に大変関心があり、自分の時間にそれらを研究していたのです。
彼は私に超常現象について話してくれまして、それで私はそれらのもつ
可能性にとても興味をもったのです。

とても興味深いのは超常現象は量子の世界に共通する点です。そして
これらの超常現象は必ずしも非科学的ではないと思いました。科学者も
かなり変わったことを発見していたのです。

ジョージ・オーウェンはその後トロントに移り、数学の博士になりました。
トロントのサイコ・リサーチ学会の長になりまして、彼は私をサイコキネ
シスの学会に呼んでくれました。そこではサイコキネシスの学会論文の
他、様々なデモンストレーションが行われまして、マシュー・マニングは
いろいろな変わったことを見せてくれました。

彼がコンパスの針を手にかざすと、コンパスの針は動き始めました。
もしかしたら磁石を使っていたのかもわかりませんが、私は彼を信頼の
おける人物で物を動かす力をもっているのではないかと思いました。
彼の説明によると、身体の中にエネルギーを集め、そのエネルギーを
指の先に集中させて、動かしたい物の上に手をかざすだけで動かすこと
ができ、また金属も曲げることができるというのです。彼は私の持って
いた鍵を曲げました。その鍵をしばらく手の中に持ち、机に置くと、曲がり
始めました。

これはトリックではできるものではないと思いました。私の鍵はとても
頑丈な物だったので、トリックで曲げるにはとても難しかったと思います。
信じられない人もいるでしょうが、私はこれらの能力は実際あると確信
しました。

この学会で皆さんに披露するのは私のものの見方です。超常現象に
批判的な科学誌「ネイチャー」のような現状維持の人たちは、名前を
挙げるならば、スティーヴン・ワインバーグなどが思いつくのですが、
彼なんかはテレパシーに関する論文など読もうともしません。

私の研究についてもう少しお話しますと、私自身こういう超常現象を
起こすことができたことがあります。

この分野にはかなり否定的なリチャード・ワイズマンが学生の前で
テレパシー実験のデモンストレーションをしました。彼は学生たちに、
一人の学生にしか見えない絵をテレパシーで当てさせようとしました。
私はその学生の心に統合しようとしたのです。するとその瞬間、頭の
中に一瞬絵がよぎったのです。いくつかの線と壁の絵でした。講演者
がいくつかの絵を見せたのですが、その絵の一つは私が見た絵と
似ていました。講演者が私たちにその学生が見ていたのはどの絵
なのかと尋ねたので、私は一枚の絵に手を挙げたのです。講演者は
OHPの透明シートを逆に向けていましたので、実際に学生が見ていた
絵は私が一瞬脳裏で見たものと同じものでした。私は自分が特に
テレパシーがあると思ってはいませんが、このような実験でテレパシー
が実在することを実感したのです。

私自身に起こった不思議な体験、他の人たちが体験したことなどは、
超常現象の実在を私に実感させるには十分でした。

超常現象がナンセンスだという人も多いのですが、現在は説明でき
なくとも、将来的に科学がこういったものを証明することになるでしょう。

実験によって出た証拠をいくつかお見せしたいと思います。これはこの
道の権威の方々によって行われた実験なのですけれども、テレパシー
実験の結果です。

一つ難しいことは、超能力というのは統計的なものが多い。つまり実験
を何回も行わなければ実証することはできないということです。かなり
多くの実験を積み重ねなければ、データが集まりません。でもこの現象
を信じない人はそういう実験をしたがらないのです。

成功例は偶然に過ぎないということも多いのですが、積み重ねられた
結果はただの偶然では説明がつきません。つまりテレパシー実験の
結果はテレパシーの存在をかなり証明するものです。

これはサイコキネシスの同じような実験結果なのですが、サイコキネ
シスは精神を使ってものごとを早めたり、遅らせたりすることなんです。
超常現象における科学的実証はこういった実験例においてなされて
いるのです。

このような証拠で科学者も超常現象を真実だと認めるのではないか
と思うのですが、残念ながらこのような結果を科学的に認めていただく
のは難しいようです。

私がお見せした二つのスライドは、ディーン・ラディン先生の著書「意識
する宇宙」(The Conscious Universe)から抜粋したものです。

これはかなり学術的な研究に基づく本で、超常現象を実証する確固
たる研究なのですが、ほとんどの学術誌に無視されております。

ネイチャー誌は無視はしませんが、その代わりに欠点を見つけ、この
本が間違っているということを記事にして出版しようという結論に達し
ました。ネイチャー誌は以前、ホメオパシーに関してもこのような否定
的な結論を出したのですが、今回はディーン・ラディンの著書に決定
的な欠点があると批判しました。統計分析の権威I・J・グッドに頼んで
ラディンの本の書評を書かせたのです。

著者が3300という結果に到達し、書評者グッドが13とか8という数字
であるべきだといったとすると、この数字は都合のよい結果だけ出した
ことになります。ラディンの結果を間違っていると証明したといっても、
実は書評者が意味をわかっていなかっただけかもしれません。

ネイチャー誌はグッドが間違っていれば、その訂正記事を載せなくては
ならないのですが、不思議にもネイチャーの編集者はその訂正記事を
出さずに、ラディンの本に決定的な欠陥があると読者に思わせ続けた
のです。編集者はなぜその訂正を行わなかったのか? それはわから
ないのですけれども、その後かなり時間がたって訂正が行われました。

ネイチャー誌の犯した間違いについて、私そして私以外の人たちも含め
論じた結果、ようやく訂正記事が出ました。ネイチャー誌はそろそろ訂正
を出そうと思っていたんだというふうにいいましたが、ラディン博士による
手紙の他、書評者グッドの手紙も掲載しています。

グッドは科学的ではないコメントをたくさん述べ、ラディンを激しく攻撃し
ました。ラディンは本の中でそうとうわかりにくいことを述べ、そしていくつ
かの点を故意に抜かしていたと攻撃したのです。ネイチャー誌は最後
までこのラディンの本が適切なものではないと読者に思わせたかった
のでしょう。

近い将来、私のいくつかの論文を掲載してくれたハイエデュケーショナル
・サプリメント誌にネイチャー誌とラディン博士とのこれらの経緯を発表
します。

正統派科学が否定することが実在すると出版されると、たとえばネイチャ
ー誌はこのように行動するんだという経緯を公表する記事が間もなく
出るというわけです。
146超常現象と非局所性:04/09/05 15:40

科学の変化について話を移したいと思います。

初めに述べましたように、科学でも様々な変化が起こっていまして、
いずれ超常現象について科学的な説明がなされるのではないかという
希望が見えてきました。

私が当初超常現象に興味をもったのは、トリニティでジョージ・オーウェン
氏と夕食をとりながら話していたとき、量子力学で起こっている不思議な
現象にかなり似ていると思ったことに始まります。

量子力学は二つの全く同じシステムが全く同じであり、全く違うといった
性質をもっています。普通の世界では全く同じというものはありません。
かなり近いものはありますが、そしてかなり違うものはありますが、量子
力学では二つのものは全く同じというようにいえます。

原子スペクトルでいくつかの線が抜けているということもありますが、
私が当初興味をもったのはそのようなところにあったのです。
147超常現象と非局所性:04/09/05 15:40

超常現象でよくいわれるのが非局所性(non locality)です。量子論に
よくこの言葉が出てきます。

学生の講義ではG、H、Z(グリーンバーグ、ホーン、ゼイリンガ)という
三人の名前のイニシャルがついた実験のことを話します。一つの粒子
が非局所的作用をもつということが仮定されないと説明がつかないこと
になるわけです。

ジョン・ベルは1964年に量子論には通常の物理学では説明のできない
ものがあると証明しています。すなわち何らかの関係が遠隔地において
作用していることが保証されたというのです。

これはいってみれば超常現象的なものなわけで、これが科学の分野
から出てきたのです。それが古典的な物理では全くないということは
非常に驚くべきことではないかと思います。アインシュタイン他二名の
研究者が、一つの系が二つに分岐するところで奇妙なことが起こって
いると報告しております。

通常の場合にはノイズが存在し、従ってものを見ることができなくなる
可能性があるのですが、別の形では自然の振る舞いが全く異なって
しまって、通常のものとは違う現象が生ずることがあり得るという説明が
可能になるわけです。

科学者がこの理論を理解することができれば、もしかしたら実際に超常
現象を取り出すことができるかもしれません。この分野は急速に発展
しておりまして、量子情報という考え方が出て参りました。理解すること
のできない状況についても説明されるようになってきました。計算して、
その効果を取り出し、実験で確認できるのです。

この中でちょっと奇妙なことをお話ししましょう。それは量子テレポーテー
ションです。テレポーテーションは物を一つの場所からもう一つの場所に
移動させることですが、お借りした知人の講義資料によりますと、物を
一つの場所からもう一つの場所へと実際に運ぶことなく、移動することが
できることを示しています。

FAXですと、読みとった信号を別のところに伝達して、そこのプリンター
が同じものをコピーして、プリントアウトするわけです。これを私たちは
実際に使っています。この場合は一枚の紙でやっていますが、たとえば
電子を一ヶ所から別の場所に移動させ、完全なコピーをしたいとしましょ
う。FAXの方法論ですと、うまくいきません。紙に書かれている情報は
読みとれても、電子という粒子の状態を正確に読みとることはできない
のです。従って電子の移動は同じ方法論ではできないということになり
ます。

チャールス・フェネット他数人の科学者が非常に奇妙なやり方ですけれ
ども、電子の移動の方法を考えました。一つの系を二つに分けて、観察
結果の情報を移動させる。量子力学の非局所性を使って移動させた
観察結果の情報をもとの系に復元させるというわけです。

こういった量子力学の方法は実験室で検証されてきていまして、これは
神秘主義的な現象であって、超常現象的なものに関わりがあるのでは
ないかと思われます。この量子情報についてはより理解を深めていく
必要があります。
149量子論と心の場:04/09/05 15:42

それではちょっと別の観点、カリフォルニア大学バークレー校のヘンリー
・スタップの提唱する量子論の考え方を見ていきたいと思います。

スタップによりますと、量子は「心」の状態に関わり、見る度にその状態
が変わるのは量子の状態変化が実際に「心」の作用で引き起こされて
いるからだというのです。

つまり古典的な物理学では「心」の入るべき場所はないのですけれども、
量子論の場合はそうではないと主張しています。量子論は物理学である
けれども、「心」を入れることのできる全く新しいものであるというのです。

そして知識というのは自然の不可欠の宇宙部分であり、量子論の知識
は自然の不可欠の構成要素ということを私たちに伝えるものであると
いう提起をしているのです。
150複雑系:04/09/05 15:42

量子論はそれくらいにしまして、それ以外の科学の分野における最近の
展開について少しご紹介したいと思います。それは最近展開をみた分野で、
超常現象に関わり合いのある複雑系(complexity)と呼ばれるものです。

現在その理解は深まってきていますが、必ずしも全ての科学者が理解
しているわけではありません。科学は非常に大きな分野ですから、一人
の専門科学者が他の分野に通じているわけではないので、複雑系という
考え方について知らない科学者も多くいると思います。

その提唱されている一般的な考え方というのは、非常に複雑な系がある
ときにはこれまでとは異なる科学的体系が必要なのではないかという
ことです。それではこの説明を少ししてみたいと思います。

科学がどう機能するかをみますと、研究したい系について科学的な記述
を行う必要があります。光については電気と磁気で、物質については
電子とか核といった観点から記述することになります。そして数学的記述
を使って、理論を創っていきます。それに基づいて予測をしていきます。
簡単に申し上げますと、これが基本的な科学の在り方となるわけです。

しかしロバート・ローゼンは「ライフ・イットセルフ」という本の中でこのよう
に述べています。「一つの自然を研究するような方法論は特に複雑系を
対象にしている限りうまくいかない可能性がある!」と。そしていろいろな
方法で記述する可能性があるということを指摘しています。

ということは実際にどの記述を使うのが適切なのかわからない場合が
あるということです。単純系では曖昧性はありませんが、複雑系は
基本的には非常に曖昧なものです。
151複雑系:04/09/05 15:43

カオスという考え方もあり、バタフライ効果はよく知られております。蝶の
羽ばたきのような微小な変化が非常に大きな影響を及ぼす可能性が
あり、予測がしがたいことを意味します。

複雑系においても予測はなかなか難しく、何らかの現象が起こる可能性
があります。全く予想外のことになる可能性がありますが、それは科学に
反することではなく、私たちの科学的方法に疑問を投げかけているので
す。すなわち複雑系は様々な形で語ることができるものなのです。

複雑系の理解には組織化あるいは関連性といった、また違った観点を
もつ必要があります。いわゆる普通の古典的な原則は適用されないと
いうことです。

たとえばゲノム解読プロジェクトがありますが、これはもしかしたら人間
が予想しているほど成功をおさめないかもしれません。

つまり生命体というのは非常に複雑であって、遺伝子の観点で完全に
理解できてしまうような対象では全くない、ということが明らかになるか
もしれないからです。
152ガイア:04/09/05 15:44

複雑系の一つとしてガイアという考え方があります。ガイアとは地球を
一つの有機体ととらえる考え方です。この考え方の基礎にあるものは、
その対象が生命体だということだけではなくて、環境の中における生命
体について思考する必要があると提唱することです。

生命体は単に環境を一時的に占拠するものではなくて、さらには環境
を変化させ、その生命体にとってよりよいものへと変化させうる力をもつ
ものであるというのです。

ジェームズ・ラブロックはこのように提唱していますが、実際に生命体が
環境に影響を与える実証的事実があるのです。たとえば海洋生物が
大気の成分を変え、気候を変動させる可能性があることは実証されて
います。これは単に偶然によって起こるわけではなく、生命体が進化し、
その過程でどういったことが好ましいかということについて学習してゆく
わけです。このような理論は馬鹿げているといわれましたが、今では
受け入れられるようになってきています。

これは通常の科学の方法論には矛盾するものです。私たちはものを
分断することによって研究するわけですから、ガイアのようにむしろ
全体を対象にしたもののとらえ方は全くアプローチが違うのです。

似てはいますが、もう一つの別の考え方が非常に重要なある本の中で
説明されています。これはあまり注目を浴びてきませんでしたが、大変
重要な本だと私は思っております。

ルシャンの著書「クレアヴォイアント・リアリティ(透視的現実)」です。
このルシャンの考え方は大変面白いものです。

科学者は現実に対してあるものの見方をしていまして、私自身研究して
きてよくわかっています。しかし神秘家や超能力者は現実の考え方が
全く異なっているということをいうのです。

科学は部分と部分が相互作用をもつと考えていますが、これに対して
より大きな全体像があると想定する考え方もあります。これは科学者が
通常考えてきたものではありませんが、複雑系の理論を考えますと、
もしかすると実際に自然の作用しているその在り方というのは、この
全体論的なものかもしれないと考えざるを得ない。

すなわち全体というものがあるのですが、私たちはそれについて知ら
ないだけなのかもしれません。何らかの統御する単位があって、そこで
統御されているものが実際に私たちの目にとまるだけなのかもしれない
のです。

従って、科学の進むべき道、そしてルシャンのいう神秘家の世界には
共通するものがあると思うのです。
154プラトン世界:04/09/05 15:45

ちょっとプラトンの世界にも触れたいと思います。

プラトンの世界とは何でしょう?プラトンによれば、私たちが目に見る
ことのできない形態をこの真の世界はもっているというわけです。

ロジャー・ペンローズは最近、私たちは数学的な真理にどのように到達
するのかという関連で論文を書いています。プラトンのように、ペンロー
ズは別の異なる世界との接触によって数学的な真理を知るのだと考え、
実証しようとしたのです。新しい過程を創ることなしに数学的仮説を証明
することができるといったのですが、いろいろな人がその方法が間違っ
ているといいました。しかし私は、その方法論は分かりませんけれども、
結論は正しいのではないかと思っています。

実際に数学がどのような作用をもっているかを考えますと、私たちは
過ちを犯す存在でもあるということを忘れてはいけないわけで、真理との
接触がある中で、精神を正しい適切な状態におくことができなかった故に
ミスを犯すと思うわけです。つまり真理に関連した特定の特性を得るため
には、特定の精神状態に自分をおかなければならないということになると
思います。
155プラトン世界:04/09/05 15:45

この数学の問題は音楽との関連で解決することができるのではないか
と思います。そこで私は音楽の専門家との話し合いを始めたわけです。

簡単にエッセンスだけを申しあげます。心理学者の使っているような理論
では音楽を説明することができません。音楽は非常に根本的なところに
触れるものがあり、基本的には非常に基礎的な言語であって、プラトン的
な世界がこの言語に反応するのだろうと思うわけです。

私たちはおそらく第一歩として、音楽とは何かという理論を構築し、展開
することができるはずだと思うのです。プラトン的な世界で音楽が精製
されるとする聖アウグスチヌスに反対する理論も最近出てきております。

この会議は科学者が通常拒絶しがちな考え方をテーマにしておりますが、
科学の向かう方向性を見ますと、おそらくはこういった考え方もとらなく
てはならないというところにきていると思います。

数年の間に科学と超心理学との橋かけができてくるのではないかと
期待しております。

以上です。ありがとうございました。
156プラトン世界:04/09/05 15:46

(これは1998年11月に、早稲田大学で行われたジョセフソンの
 講演内容である。「意識が拓く時空の科学」(2000)に所収。)

その他の著書:

「量子力学と意識の役割」(1984)
 ジョセフソン,カプラ,ボールギャール,マトック,ボーム
「科学は心霊現象をいかにとらえるか」(1997)
 ジョセフソン、茂木健一郎訳


●ブライアン・ジョセフソン (Brian D. Josephson)


ケンブリッジ大学物理学科教授。同キャベンディッシュ研究所
濃縮物質理論グループ・精神-物質統合プロジェクト所長。

ジョセフソン効果(薄い絶縁体膜を挟んでサンドイッチ構造にした
超伝導体における電子対のトンネル効果)を理論的に予言したことで、
(『理科年表』「物理学上のおもな発明および発見」1962年)
30代でノーベル物理学賞を受賞。

その後、デヴィッド・ボーム(ロンドン大学教授)らと共に、
意識と科学の問題を研究。

1990年以降、電圧標準と抵抗標準はそれぞれジョセフソン効果と
量子ホール効果を用いて表現されている。

広く超常現象研究の起源は,中世ヨーロッパのルネサンスにさかのぼ
れる。16世紀から17世紀にかけて,魔術やオカルト,錬金術の類がさ
かんに研究された。

この時代は同時に,今日の科学のルーツでもある。ガリレオやニュー
トンやボイルが自然科学への道筋をつけたのもこの時代である(ニュー
トンとボイルは錬金術にも手を出していたが)。

今日では哲学者として知られる,デカルト,ホッブズ,スピノザ,ライプ
ニッツらも,こうした時代において,「自然哲学」から「自然科学」が
生まれるのに貢献した。

いわば,「科学」と「擬似科学」を区別する「境界設定」がなされ始めた
ということだろう。その境界によって,超常現象研究のほとんどは科学
から排除されるという歴史をたどる。

超心理学のルーツは18世紀のメスメリズムである。ウィーンの医師ア
ントン・メスメルは,「動物磁気」という一種の生体エネルギーによって
我々の健康が支配されるという理論に基づき,磁石や手かざしによっ
て治療を行なった。そうした治療の過程でトランス状態になる患者が
現れ,たとえば無痛手術にも応用されたという。これはまさに今日の
催眠の起源でもある。

一方,超心理学上の興味は,このトランス状態の患者がしばしば高度
のESP現象を起こした,と報告されている点にある。
158超心理学のルーツ:04/09/05 15:48

超心理学の基本的方法論は,19世紀の心霊主義(スピリチュアリズム)
のなかで培われた。心霊主義は,人間は死後にもその魂が引き続き
存在し(これ自体は古くからの伝統的考えである),ときには生者がそ
の魂と交信できるとする考え方である。交信の可能性を初めて主張した
のは,18世紀のスウェーデンの予言者,スウェーデンボルグである。
彼は,歴史上の人物の魂と交わったとして,教義を広めた。

19世紀には,誰でもが交霊会を通して魂と交信できるという考え方が
一般的となった。交霊会では,通常「霊媒」と呼ばれる「特異能力者」が
鍵となり,死者の魂からの交信を受けたり,テーブル浮遊や物資化現象
を起こしたりしたという。交霊会において,かなり大掛かりで奇妙なPK
現象が報告されたために,多くの科学者を巻き込んだ心霊研究へと
展開していくのである。

1882年には,最初の学術団体である心霊研究協会(SPR)がロンドン
に設立された。会長はオックスフォード大学の倫理学の教授,シジウィ
ックであったが,評議員には,著名な科学者が多数,名を連ねた。テレ
ビ表示装置の原理を発見した物理学者のクルックス,ダーウィンと平行
して進化論を唱えた博物学者のウォーレス,ノーベル物理学賞を受賞
したアルゴンガスの発見者レイリー卿,同じくノーベル物理学賞を受賞
した電子の発見者トムソンらである。続いて,ニューヨークに米国心霊
研究協会(ASPR)が,パリに国際心霊研究会が設立された。アメリカ
では,ウィリアム・ジェームズやガードナー・マーフィなどの著名な心理
学者が,フランスではノーベル生理学賞を受賞したシャルル・リシェらが
研究を推進した。リシェは実験に初めて統計的分析を導入した。

1882年からの40年間ほどが,この種の研究の社会的認知が歴史上
もっとも高まった時期であった。しかし心霊研究は,交霊会の事例を積
み上げるものの,さしたる発展が得られず(ときにはインチキが指摘さ
れ),世代交代とともに著名な科学者の参加も次第に減っていってしま
ったのである。

1920年代からの停滞期を救ったのがJ・B・ラインであった。

1920年代からおよそ30年間,アメリカの心理学界はワトソンの提唱する
行動主義心理学に席巻される。行動主義心理学とは,刺激と行動の対
応関係を探れば,人間の心的活動の究明には十分であり,心の中の
状態などは一切問題としない心理学であった。これにより心理学は,
旧来の人間の内観報告による研究から,ネズミを使った行動の条件づ
け学習の研究へと,大きく方向転換した。同時に統計学の手法が導入
され,実験心理学の方法論も広く普及した時期でもあった。こうした時
代背景から見ると,ラインが超心理学の実験研究方法をこの時期に確
立したのもうなずける。

ラインは植物学の研究者としてウエスト・バージニア大学にいたが,19
28年,心理学者のマクドゥーガルの招きで,デューク大学に赴任した。
マクドゥーガル自身も心霊研究に力を入れようと,前年にハーバード大
学からデューク大学へ転勤してきたばかりであった。ラインは交霊会に
参加してはみたものの,その研究方法には疑問を抱いていた。そこで,
カード当てを繰返してその結果を統計的に分析する方法で,新たな研
究路線を模索した。トランプ当て実験などはそれ以前にもあったが,
ラインは5種類の図柄を印刷したESPカードを開発して,おもに一般人
を対象に実験を行なった(図柄は同僚のゼナーによってデザインされた)。

分析の結果,ESPの存在が有意に示されたのである。ラインは1934年,
文字通り『ESP』という著書でその結果を発表し,世界の注目を集めた。
「超心理学(parapsychology)」という言葉もこの頃から使われ始めた。

1937年には,マクドゥーガルとラインによって,超心理学誌(JP)という
論文誌の発行が開始され,デューク大学が世界の超心理研究の中心
地となっていくのである。なお,ラインの研究資料や書簡など25万点は,
約700箱に収められてデューク大学パーキンス図書館特別収集部門に
保管されている。

1965年にラインはデューク大学を退官し,自ら設立していたFRNM(The
Foundation for Research into the Nature of Man)という財団で研究を
続ける。

また,1957年に設立されていた超心理学協会(PA)は,1969年,ガー
ドナー・マーフィーらの尽力で全米科学振興協会(AAAS)に登録され,
学術団体として認知される。

そのころには,超心理学の研究拠点は全米各地に拡大していた。それ
に伴って,ライン流の画一的な実験方法から脱皮し,新たな方法論を
模索する動きが現れた。マイモニデス医療センターで行なわれたドリー
ムテレパシー実験,スタンフォード研究所などで行なわれたリモートビュ
ーイング実験,プリンストンの精神物理学研究所(PRL)などで行なわ
れたガンツフェルト実験などは,どれも被験者に自由に内観報告させる
ものである。

心理学の分野では1950年代に「認知革命」が起きており,それまでの
行動主義心理学から,認知心理学へと方法論の転換がなされていた。
行動を引き起こす心の内的状態(あるいは脳状態)を想定し,コンピュ
ータモデルでもって人間の心的働きを機能的に解明しようという方法で
ある。超心理学の分野にもそうした影響が及ぼされたと見ることができ
よう。

またこの時期には,変性意識状態との関連性など,PSIの特性に関する
多くの研究がなされた。そうしたデータが集まるなかで,PSIの機構を説
明しようとする理論構築の試みがされ始めた。一方では,懐疑論者たち
の批判も最高潮に達し,CSICOPという懐疑論者の団体も設立された。

1990年代に入ると,コンピュータ技術の発展により,超心理学実験も
コンピュータシステムによる自動化がなされてきた。

生理学指標の測定技術や乱数発生器の技術も一般化し,PSIが存在
するという有力な証拠を提示する実験手法が確立されてきた。

統計学の「メタ分析」が超心理学に導入され,統計学的な証明も強固
なものになってきた。

さらには,新たなシステム論的理論も提案され始め,理論的な進展の
兆しが見えてきた。

超心理学の研究コミュニティーは,最近のアメリカではやや縮小ぎみ
であるが,ヨーロッパではやや拡大している。これは実用を重んじる
アメリカで,超心理学の応用はまだ遠いとして研究費がとりにくくなっ
ているためと思われる。ただ,代替医療などの周辺領域では研究費
が増えているという指摘もある。

周辺領域の科学の発展により,超心理学が周辺領域の科学と融合
する動きも感じられる。

認知に関する実験心理学に,脳神経生理学と,コンピュータによる認知
機能のモデル化研究とを加えた研究領域を,認知科学と言う。だが最近
では,心を研究対象とする分野を,学際領域まで含めてもっと広く「心の
科学(マインドサイエンス)」と呼ぶ傾向も現われてきている。

それに対して,「意識科学」を標榜する動きも出てきている。アリゾナ州
ツーソンで1994年から隔年で開催されている「意識科学に向けて」とい
う国際会議である。

この国際会議には,心理学者はもとより,生理学者,生物学者,物理学
者,コンピュータ科学者から,社会学者,哲学者,宗教学者までが数百
人規模で集まり,意識に関するさまざまな話題を議論する場である。

研究領域は「心の科学」と大部分重なっているが,「意識科学」という
だけに,哲学的な研究が多く含まれている。国際会議の主催は,アリ
ゾナ大学の意識研究センターであるが,そこでは意識研究誌(JCS)
と言う論文誌も発行しており,そちらの内容はかなり哲学に重点が
置かれている。

さらに1997年からは,意識の科学的研究学会が結成された。こちらも
哲学者が中心になっているようである。

意識や心の科学というのは,まだはっきりとした「科学」になっていない
ために,研究コミュニティや研究アプローチが混沌とした状態である。

現在模索されている「意識科学」の営みには,科学と非科学の境界を
再設定しようとする狙いが含まれている。そうでなければ,意識は科学
の対象にはならない。この境界再設定に伴って,超心理学が科学と
扱われる可能性があるかもしれない。

実際,「意識科学に向けて」の国際会議では,超心理学のセッションが
設けられ,数人の超心理学者が研究報告している(2002年の会議では,
マリリン・シュリッツを座長にした5件の発表と,チャールズ・タートらによ
るワークショップが開催された)。このように超心理学は,意識科学とい
う大きな傘の下に居場所を見つけようとしている。

けれども他方では,意識研究と超心理学の結びつきに疑問を呈するこ
ともできる。PSIの能力発揮は無意識に行なわれる傾向が強く,意識が
むしろ邪魔になるようでもある。

ホーンティング事例のように,人間を介在しないような現象もみられ,
物理学や工学出身の超心理学者には,物質的な説明体系の内に
超心理現象を収めようとする者もいる。

超心理学者チャールズ・タートの試みを紹介しよう。

彼は1972年に,意識状態に特異的な諸科学が形成可能であると指摘
した。科学の合理性は我々の認識によって正当化されるのであるから,
我々の認識形態に多様性がある場合,それら各々に対応した科学が
それぞれ存在すると言うのだ。

その指摘のうえで彼は,現在の本流科学は通常の「覚醒した」意識状
態に対応する科学に過ぎず,変性意識状態には別な固有の科学が存
在すると主張する。最先端の物理学の理解は,特別な学問体系を6,7
年かけて学んだ一部の人間にのみ可能であるが,同じようにPSIが可
能な世界を理解できる意識状態に至るのに,6,7年の訓練が必要であ
っても何も不思議ではない,と言う。

こうしてタートは,変性意識状態を探究する学問として,トランスパーソ
ナル心理学を推進したのである。トランスパーソナル心理学とは,個の
垣根を超えて全体論的な世界観に至ることを目指す,実践的な心理学
であり,PSIの理解を実現する研究に当たるのだろう。

彼のアプローチでは,実証主義の科学的方法論をそのまま残したうえ
で,観察・理論化・検証の各段階で適用される我々の認識のほうを,
PSIに適うよう変更すべきであるとした。

状態特異科学は,超心理学を推進する1つの方向性を示していると言
えよう。

75年前、物理学者のニールズ・ボーアは「量子論に衝撃を受けない
としたら、量子論を解していない証拠だ」と言った。

今日では衝撃的な報道が氾濫し、だれもがショッキングということに
麻痺しているが、ミシガン大学の主催で開催中の量子論会議では、
この現代においてさえボーアの言葉が蘇るような衝撃的な議論が
続出している。

『第1回量子応用シンポジウム』(http://www.erim.org/qas2001)は、
「量子論の成果は21世紀の技術の発展を支配するだろうか?」という
疑問に取り組もうというものだ。

2001年7月1日から3日まで(米国時間)開かれているこの会議の講演
者の顔ぶれから察するところ、上の疑問に対する答えは「イエス」と
決まっているようだ。本当の疑問はむしろ、「イエス」のあとにいくつ
「!」がつくかという点らしい。

講演のおよそ半分は量子コンピューティングに関するもの。講演者は
オックスフォード大学量子コンピューテーション・センターのデビッド・
ドイチュ氏、ケンブリッジ大学のブライアン・ジョセフソン氏、米ルーセ
ント・テクノロジー社ベル研究所のフィル・プラッツマン氏といった著名
な面々だ。


「脳は1000億のニューロン(神経細胞)でできているが、ほとんどの人は、
 1本のニューロンや1つのシナプスの相互作用が情報の基礎単位だと
 考えている。だが、たとえばゾウリムシのような単細胞生物を見てほしい。
 ゾウリムシも泳いだり、食べ物を探したり、仲間を見つけたり、生殖を
 行なったりとさまざまなことをする。それでも、標準的なパラダイムに
 よれば、ゾウリムシの個体は1つのスイッチにすぎないということになる」


1995年以来、ハメロフ氏とオックスフォード大学の数学者、ロジャー・
ペンローズ氏は、人間や動物の意識の本質は、ニューロンの奥深く――
つまりゾウリムシの個体内部――の量子過程の中にあるとする一連の
論文を発表してきた。

両氏の主張にはなお議論の余地があるものの、この理論が現実の成果に
つながるとすれば、人間の知性、人間の経験というものを理解するうえでの
次の大きな「量子飛躍」の踏み台は、脳のニューロンのごく小さな構造
である「微小管(マイクロチューブリン)」にあるのかもしれない。

「全身麻酔ガスは、非常に微妙な量子力学によって完全に、そして可逆
的に意識を消す」と、アリゾナ大学で麻酔学と心理学の教鞭もとっている
ハメロフ氏は語った。


「化学結合、イオン結合といったことは一切起こさない。ただ、とても弱い
 量子力学的力によって麻酔は作用するのだ。つまり、つきつめて言え
 ば、脳は量子力学的な力で機能しているということだ」


ハメロフ氏の微小管理論は、量子薬理学の道をひらき、アルツハイマー
といった神経障害の治療などにも応用できるかもしれない。しかし、
ハメロフ−ペンローズ理論は意識そのものの謎に迫るものだと言われる
と、医療的応用の可能性すらも色あせて見えてしまう。


「夢、陶酔状態、幻覚、それにたぶん精神分裂状態も、われわれが量子
 的に重なった状態――情報が濃密になっている状態――にあるときに
 生じる。その量子の重なりが壊れると、それがわれわれの現実、知覚、
 感覚を決める。これが1秒に40回起こるとしたら、意識とはそれらがつ
 ながったものと言える」

1998年の10月3日と4日、千葉県稲毛市と東京都の新宿区で、アメリ
カから来日したスチュアート・R・ハメロフ博士の特別講演会が開催され
た。その後、名古屋、大阪の各地で同様の講演が開かれた。

その目的は、来年国連大学国際会議場で開催される予定の「脳と意識
に関するtokyo'99」のプレコンファレンスであり、演題は「量子脳理論と
意識(Quantum Brain Theory and Consciousness)」であった。

麻酔科医で心理学科教授でもあるハメロフ博士は、アリゾナ大学のヘ
ルス・サイエンス・センターで半分は手術室での治療と講義に充て、
その半分は「意識のメカニズム」について研究を行ってきた。

千葉では科学技術庁放射線医学研究所の重粒子治療推進棟2階の
大会議室が講演会場にあてられた。翌日の東京講演は、新宿の工学
院大学の高層煉で行われた。

講師陣には、玉川大学の学術研究所量子通信研究部門の大崎正雄
博士が加わった。

演題は「量子情報通信研究と意識コンピューターの展望」であり、生命
科学、数理科学、情報科学の接点を目指してという副題がついていた。

ところで、脳量子理論は、一体どんな理論だろう。その話をする前に、
心と意識の問題に物理的アプローチを行った一人の科学者に触れて
おきたい。

それは1995年に『心への階梯(Starway to the Mind)』を記した非線
形力学の先駆者であるアルウィン・スコット博士である。彼はアリゾナ
大学数学科、デンマーク・リングビ−工科大学数理モデル研究所教授
で、「ソリトン」という非線形現象研究の第一人者でもある。

彼は脳細胞のニューロンは、単体で動くのではなく、集合体として働く
と考えた。そして、その集合体は非線形として働くため、心や意識が
階層構造を持つという認識を持っている。人工知能の研究からスタート
した機能主義的な考え方から導かれた結論は、脳の活動は、ある
アルゴリズムによって置き変える事が可能であり、原理的にはコンピ
ュータで再現することが可能であると考えた。

しかし、ペンローズはその考え方に真っ向から反論をした。ベストセラ
ーになった『皇帝の新しい心(The Emperor's New Mind)』(裸の王様
のパロディで、王様とは機能主義者達を指す)の中で、これらの機能
主義を徹底的に批判している。

ペンローズによれば「意識」はアルゴリズミックでない。したがってアル
ゴリズミックなマシンであるコンピュータが、意識をもつことはあり得ない
というのが、この本の主題となっている。

彼は、その例として、数学上のアイデアを思いつく際の経験について
述べる。たとえば数学の定理というのは『発明されるのではなく、発見
されるものである』という。発見されたばかりの数学概念は、まず漠然
としたイメージで語られるのであり、厳密な形式的記述が与えられるの
は、その後だというのだ。

1989年、「意識は量子の波動から生まれる」、つまり「量子力学が人間
の意識を生み出す」という大胆な仮説を世界に広めたのは、ペンローズ
博士が最初だった。

彼の論文や著書「皇帝の新しい心」、「心の影」に記された共通の主張は、
心の動きには非計算的な部分があるに違いない。そして、人工知能の
実現性はなく、脳についての現在の理解は、不完全であるという考え方
であった。そして新たなパラメーター(量子重力論)を用いて量子論と
一般相対性理論の統合を唱える。

ペンローズの主張や理論を数学や論理学に精通していない一般人が、
その理論を理解し、素直に受け入れることは容易なことではない。なぜ
なら彼のバックグランドとなった数学や理論物理学の歴史的背景を熟知
した上で、彼のいわんとしている事を、解釈しなければならないからだ。

実際にペンローズは「心の影」に事あるごとに反論してきた科学者達
にでですら、議論の論点がずれていると指摘する。

またペンローズは「数学的理解力は非計算的だと」いう彼の主張が、
しばしば数学世界だけの話であるという風に解釈され誤解されている
という。

彼の議論のポイントは、「もし数学において、我々が行う計算に収まら
ないことが存在するならば、それは計算外の事柄が実際に起こってい
るからだ」と、理論展開を行う。

そして、心や意識にある種の非アルゴリズム(計算手順)的な物理作用
が含まれている事を、彼独特の数学的解釈や新しいルールに従って、
まるでボクシングのジャブのように説明を繰り返す。

彼は、我々が棲むこの世界が、計算によって捉えられない様々な事象
が存在すると考える。それは認識力であり、質感であり、感情である。
これらは非計算の作用であると力説するのである。

その思考仮定の源には「ゲーテルの不完全性定理」と「チューリング・
マシン(Turing machine)」の問題があった。

この二つの定理は等価であり。ペンローズのいう「機械にできる事と」と
「人間にしかできない事」の理由の原点である。

ゲーテルの不完全性定理とは、1930年に数学者のクルト・ゲーテル
が数学界に大波紋を投じた定理である。それは自分が無矛盾である
限り、自分が無矛盾であることを知らないだけでなく、その論理体系の
中には、真であるか否かを決定できない命題(定理)があるという数学
上の言明であった。

その定理のアナロジーとして、「エピメニデスのパラドックス(嘘つきの
パラドックス)」がある。ある時クレタ人の古代ギリシア人である哲学者
エピメニデスが、「クレタ人は嘘つきだ」と言ったとする。もしこの「言葉」
が真実であれば、自分自身が嘘つきであることになり、その言葉も信用
できない。一方これが嘘だとすれば、クレタ人は正直という事になり、
嘘をついたエピメニデス自身が、クレタ人であることに反してしまう。

つまり、エピネデスの言葉が、正しくても、嘘でも、自分自身の真偽を
確かめようとするとき問題が生じてくるという考え方なのだ。これは一般
に「自己言及のパラドックス」といわれている。 これらの定理は、数学
とは完全に論理的で、矛盾がまったくないと信じていた当時の数学界に
大きなインパクトを与えた。

またチューリング‐マシンとは、イギリス、オックスフォード大学の数学者
アラン・チューリングが、1936年に提案した普遍的計算機の数学モデ
ルで、有限記憶媒体とその外部記憶媒体として、一次元無限長のデー
ター記憶テープで構成されているものである。

この装置はテープの長さに制限がなく、仮にある解法が存在するならば、
マシンによってすべて解けるはずだと考えを基に仮想の装置である。
しかし、任意のチューリングマシンに空白のテープを与えた場合、その
マシンが結果的に停止するか、つまり解が与えられるかどうかについては、
それを決定できるマシンは存在しないこともチューリング自身が証明して
いる。

つまり、ペンローズは「数学によってのみ、<意識活動の一部分は計算
できないことを証明できる>可能性がある」と、言葉は控えめであるが、
強く確信しているのである。

そして人間の意識はこれらの問題を超越している。従ってコンピューター
に意識は生まれないと考えるのである。

もちろん彼は夢想家ではなく、神秘主義者でもない。

彼の議論は数学的基盤に基づいて、人間はただの機械ではないことを
証明し、さらに「量子重力理論」を中心に、医学、心理学、哲学、生物学、
天体物理学等、あらゆる分野の科学者達を巻き込んで、脳と意識の問
題について、量子力学の分野から革命を起こそうとしているのである。

ペンローズは始め脳細胞(ニューロン)内部で、何らかの量子力学的
作用が生じる結果、意識が生まれると推測した。脳細胞どうしは電気的
なインパルス(信号)を交換することによって情報処理を行う。そして
これらの信号は、無数の異なったパターンが量子力学的干渉によって
生じると考えたのだった。だかこの仮定には大きな問題があった。生体
の1個の細胞には、活動的な分子と原子が満ちあふれており、それらが
出す熱的なノイズ(背景雑音)により、量子力学的作用は、簡単にかき
消されてしまうはずである。ペンローズは、すぐにジレンマに落ちいって
いたしまったのだ。

そこに登場したのが、ハメロフのニューロンの微小管の研究である。

微小管は8ナノミクロンと4ナノミクロンのチューブリンという二種類の立
体構造を持つ蛋白質からできている。チューブリンは変形した空豆状の
格好をしていて、αとβという二つの部分から成り立つ。それが管の円
周部分に13列並び、積み重なって微小管が形成されているのである。

微小管の内部では、チューブリンが2つの状態を行ったり来たりしており、
これがセル・オートマトンのように振る舞い、微小管に沿って複雑な信
号を走らせることになる。この仮説に従うと、その配座の状態は質量運
動を生じる。つまり、これがペンローズが指摘する量子系の干渉に相当
するのである。

一般の科学者や人工知能の研究者達は、脳は100億個のニューロン
というスイッチが繋がったものであると考えている。

ところがハメロフに言わせると、シナプスを調整したり実際の情報処理
を行うためには100億台のコンピューターが必要だという。

ではそのコンピューター部分はニューロンのどこにあるのか。その答え
が微小管なのである。

また微小管で量子干渉が起こっているという仮説はは検証が可能であ
るという。

その理由の一つは1981年にフランスの物理学者アラン・アスペが偏光
させた2個の光子使って、「非局所的な量子干渉」が起こることを実証し
ていることであり、この種の実験を微小管(チューブリン)で、ある条件を
設定して行うことを博士は提言している。

そして、ギャップ結合で繋がった、数千数百という異なるニューロン群の
チューブリンで、光子を観測することが、マクロスケールでも量子干渉が
起こっているという仮説の検証となるというのである。

実際の量子干渉は3.5ナノメートルという長さのギャップ結合で起こっ
ているらしいとの予測をハメロフは立てている。つまり、電気的なギャッ
プ結合と同時発火する皮質ニューロン・ネットワークとの関連性が証明
できれば、意識の事象に関与していると説明できるというのだ。

一方、日本でもノートルダム清心女子大学情報理学研究所講師の治
部眞里女史がギャップ結合で繋がった40ヘルツの神経ネットの存在を
予言している。

これらの実験は、ペンローズの主張(重力量子論)や他の科学者のまっ
たく異なる研究から得られたデーター(特に脳内における40ヘルツの
振動の話)と一致するらしい。

それ以外にもハメロフは、PETを使った実験も計画中とのことである。

また、前述の治部女史は同研究所所長の保江教授と共著「脳と心の
量子論」を書いているが、脳細胞の水の電気双極子の凝集場が、
電磁場の波動運動とシンクロしてダイナミカルな秩序を生み出すという
仮説を立てている。

(文部科学省所管)独立行政法人 放射線医学総合研究所(NIRS)
山本生体放射研究室
http://wwwsoc.nii.ac.jp/islis/belabo/belaboJ.htm

●科学技術庁の5ヶ年プロジェクト (1995年9月〜)

 科学技術庁 放射線医学総合研究所において、1995年9月より、
 科学技術振興費(5年間で1億円)による5ヶ年プロジェクト、
 官民特定共同研究「多様同時計測による生体機能解析法の研究」
 を行い、多くの実験を行いました。

 1.感覚遮断状態での対人遠隔作用実験
 2.感覚外情報伝達に関する脳波測定実験
 3.下意識に於ける未知情報伝達に関する聴覚誘発電位実験
 4.感覚外情報伝達に関する脳波測定実験(そのII)
 5.感覚遮断状態での対人遠隔作用実験(そのII)
 6.動物培養細胞に対するヒトの非接触作用効果検出実験系の検討

●多様計測による特殊生体機能に関する研究 (2000年6月1日〜)

 平成12年度より、科学技術庁交付金に基づく
 「試行的研究プログラム−新パラダイム創成に向けて−」
 がスタートしました。

 この研究の課題
 「潜在能力の物理生理学による実証的研究」のうち、
 当研究室では、
 「多様計測による特殊生体機能に関する研究」をテーマに
 研究を開始しました。

●量子脳理論と意識
 ハメロフ教授来日記念講演会
 http://wwwsoc.nii.ac.jp/islis/belabo/semi98J2.htm

 共催: 文部科学省
 場所: 文部科学省 放射線医学総合研究所
 講師: スチュアート・ハメロフ教授、アリゾナ大学医学部教授

 ハメロフ教授は、25年間、ニューロンをはじめとする生細胞の中で
 蛋白質高分子のネットワークがいかにして情報を処理し、活動を
 制御するかを研究してこられた。

 特に、ニューロンの中の微小管が脳の活動の中で重要な役割を
 果たしていると考え、ロジャー・ペンローズ教授(オックスフォード大学
 数学教授)と共に、

 微小管における量子干渉の重ねあわせ状態が自己収縮を起こし、
 我々の意識の流れを作っているというPenrose-Hameroffモデルを
 提唱している。

(1) 感覚遮断状態での対人遠隔作用実験(そのII)

 「遠当て」と呼ばれる現象では、気功熟練者が非接触で離れた相手を
 激しく後退させる。我々は、両者間の感覚伝達を遮断した
 無作為・盲検実験で、暗示等の心理効果を取り除いた後でも、
 本現象が統計的有意に生起することを、
 第1回生命情報科学シンポジウムで発表した(初報)。

 本報では、本現象に関し、さらに詳細な次の3実験を行い、
 前回の報告を支持する結果を得た。
 未知な情報伝達機構の存在が示唆される。

 実験1)通常の感覚伝達を遮断したビルの1階と4階の2部屋に発気する
  気功師(送信者)と弟子(受信者)を配置し、遠当て時の送信者の
  発気動作時刻と受信者の反応動作時刻を記録した。
  時間差5.5秒以内で両者が一致したものが、
  49試行中16試行あり(期待値 7.88 試行)、
  統計的に高度に有意であった(危険率 0.0008)。

 実験2)遠当てによる通常感覚伝達遮断状態での情報伝達を試み、
  その時の受信者の脳波を測定した。発気動作(送信動作)は、
  1分間内の無作為に選ばれた一瞬において行われる。
  57試行の結果、送信動作時と非送信動作時の受信者脳波の
  α波平均振幅の間に、右前頭部で統計的に有意な差が見られた。
  さらに、遠当てにおける通常感覚伝達遮断状態での情報伝達
  において脳の右前頭部が関与している可能性が示唆された。

 実験3)送信者と受信者が同室にいる場合と別室にいる場合について
  実験した。送信者と受信者の遠当て時の脳波を同時に測定し、
  両者の脳波の遠当て前後にわたる意識変化を
  複数の指標を用いて推定した。
  両者とも安静時より遠当て時の方がリラックスしている場合と同様の、
  また遠当て時にはイメージ想起を行っている場合と同様の、
  指標傾向が見られた。さらに、遠当て時のβ波平均振幅トポグラフ
  に両者間においてパターン類似性がみられた。

(2)感覚外情報伝達に関する脳波測定実験(そのII)

 情報送信者と情報受信者を感覚伝達を遮断した2部屋に配置し、
 感覚外情報伝達を試み、その時の両者の脳波を測定した。
 感覚外情報送信は継続した2分間の内の
 無作為に選ばれた前半または後半において行い、
 受信者はその送信時間帯と送信内容を推測する。
 20回の試行の結果、受信者は送信時間帯を
 統計的に有意に推測することができなかったが、
 感覚外情報送信時と非送信時の脳波のα波平均振幅の間には
 統計的に有意な差がみられ、下意識における感覚外情報伝達の
 存在が示唆された。その感覚外情報伝達は、送信者の脳での
 反応直後に完了するものではなく、受信者の脳で、まず、
 後頭野から頭頂野にかけての反応があり、
 次に、右前頭野での反応が起こるという経過を経て構成される。

1) 山本 : 応用物理学会放射線分科会 第8回「放射線夏の学校」 テキスト, 25-38, 1996.
2) Hirasawa M, Yamamoto M, Kawano K, Yasuda N, Furukawa A :
  J Int SocLife Info Sci, 14, 185-195, 1996.
3) Yamamoto M, Hirasawa M, Kawano K, Yasuda N, Furukawa A :
  J Int SocLife Info Sci, 14, 228-248, 1996.
4) Yamauchi M, Saito T, Yamamoto M, Hirasawa M :
  J Int Soc Life InfoSci, 14,266-277, 1996.
5) Yamamoto M, Hirasawa M , Kokubo H, Yasuda N, Furukawa A,
  Furukawa M Yamauchi M, Matsumoto T, Fukuda N , Kurano M,
  Kokado T, Nishikawa M, KawanoK, Machi Y, Hirata T :
  The 3rd World Conf. on Medical Qigong (Abstract of presentations),
  115-116,Beijing, 1996.9.
6) Yamamoto M, Hirasawa M, Kawano K, Yasuda N, Furukawa A :
  Proc. of the 6th Int.Symp. on Qigong, 114-117, Shanghai, 1996.9.
7) 山本, 平澤, 河野 , 小久保 , 古川, 安田, 古川, 福田, 蔵野 , 古角, 西川, 平田 :
  人体科学会第6回大会研究発表抄録集, 37-38,1996.

8) 山本 : アジア気功科学研究会, 大宮, 1996.12.
9) 小久保, 山本, 平澤, 河野, 古角, 平田, 安田, 古川 :
  日本超心理学会第29回大会発表論文集, 20-23, 1996.
10) Yamamoto M, Hirasawa M, Kokubo H, Kawano K, Kokado T, Hirata T, Yasuda N :
  J Int Soc Life Info Sci, 15, 88-96, 1997.
11) Kokubo H, Hirata T, Hirasawa M, Hirafuji M, Ohta T, Ito S, Kokado T, Yamamoto M :
  J Int Soc Life Info Sci, 15, 97-108, 1997.
12) Kawano K, Yamamoto M, Hirasawa M, Kokubo H, Yasuda N :
  J Int Soc Life Info Sci, 15,109-114, 1997.
13) Kokubo H, Furukawa A, Yamamoto M : J Int Soc Life Info Sci, 15, 115-118, 1997.
14) Yamamoto M, Machi Y, Kawano K, Obitsu R : J Int Soc Life Info Sci, 15, 167, 1997.
15) Hirasawa M, Furukawa A, Yamamoto M : J Int Soc Life Info Sci, 15, 252-258, 1997.
16) 山本 幹男, 平澤 雅彦, 河野 貴美子, 古川 章, 安田 仲宏 :
  第44回応用物理学関係連合講演会講演予稿集1, 378, 1997.3
17) 小久保 秀之, 山本 幹男, 平澤 雅彦, 河野 貴美子, 古角 智子,
  安田 仲宏, 古川 章, 福田 信男, 平田 剛 :
  第44回応用物理学関係連合講演会講演予稿集1, 379, 1997.3
182PSIの理論的検討:04/09/05 16:29

これから,PSIの理論構築を目指した超心理学者のアプローチを解説する。
PSIの理論とは,PSIがどのように現われるかを説明するものである。

そうした説明は,ラインが指摘したように,社会学,心理学,生物学,
物理学の全領域に渡ったものである必要がある。

PSIは,社会的・心理的条件によって発現が左右されるように見える。
PSIは,生物学的能力のように見えるし,それが発揮されると現在の
物理法則に反するようでもある。PSIの理論は,多くの研究分野の知見
を基礎として,それらと整合的に展開されねばならないのだ。

「良い」理論とはどのような理論かは,厳密には科学哲学の議論にな
るが,次のような評価ポイントが挙げられる。第1に,これまでの観察
結果が説明できること,第2に,訓練を積んだ専門家ならば説明が
理解できること,第3に,将来の観察結果を予測できること,である。
反証可能性の高い理論ほど,精度の高い予測ができるので,より実用
的理論となる。

超心理学では,それに向けた理論化の努力がなされている途上と
言える。ここでは,そうした努力をいくつかの角度から概観してみる。
183PSIの理論的検討:04/09/05 16:30

まず最初に,PSIが存在するならば何故日常的に現われて来ないか,
微小な電流変化に敏感な情報機器が,何故PKによって損なわれない
か,という観点の検討をする。

次に,PSIの発揮主体が,我々人間個人であるとすると,その超能力
にはどのような進化生物学的意義があるのかを考える。

そして,心理学的な知見を踏まえてPSI実験の結果を説明するPMIR
理論を,続いて,ESPをもとにPSIを一元的に捉えるDAT理論を解説
する。

その次には,物理的視点から構築される理論を概観する。物理的理論
は一般に,心理学的知見が盛り込みにくい問題がある。そこを改善する
試みとして,量子論における観測問題を手がかりにして心理学的要素
(意識)を導入する理論が現われた。それはさらに,情報を鍵概念にした
システム論的理論へと展開する。

最後に,古典的な理論ではあるが,今でも多大な影響力を持っている
ユングの理論について述べる。
184隠蔽効果の理論:04/09/05 16:31

PSIは厳密な実験を行なうと姿を消してしまう。PSIには「とらえにくさ」
という性質が伴っているように見える。これは懐疑論者から見れば,
トリックが行なえない状況になって「姿を消した」に過ぎず,まさに
「インチキの証し」である。だが,もしPSIが存在するならば,PSIが自ら
を隠蔽するような性質を結果的に示しているのは,ほとんど確実で
ある。PSIの理論は,この「隠蔽効果」を説明する内容を含むことが
必要であろう。

笠原は,この点に注目して,次の分厚い(なんと800ページ以上もある)
文献を編集している。

笠原敏雄編著訳『超常現象のとらえにくさ』(春秋社)

ケネス・バチェルダーは,長らく「会席者グループ」の研究を続けていた。
会席者グループとは,複数の参加者を部屋に集め,交霊会に似た状況
設定でマクロPK現象が起きるよう促すものである。その過程で,マクロ
PK現象が参加者に混乱を与え,さまざまな心理的防衛反応を引出すこ
と,またそれによって,さらなるPK現象が起きにくくなることを見出した。

1970年頃,彼は,そのPSIに対する防衛反応に,「保有抵抗」と「目撃
抑制」とがあると指摘した。

前者は,自分がPSI能力を持つこと,あるいは持っていることが知られる
ことへの心理的抵抗であり,後者は,PSI現象を目撃したという経験を
否定しようとする傾向,あるいは目撃をしないようにする傾向である。

どちらも,未知のものや制御できないものへの恐怖に起因すると言う。

この理論によれば,PSIはこうした恐怖を最小化することで現われ易くなる。
たとえば,PSIを発揮したり,目撃したりしても重大なことではないという,
気楽な雰囲気を部屋の中に形成すると良い。
186<2>タートの意識調査:04/09/05 16:34

チャールズ・タートは1982年,周囲の人間の考えていることや感じている
ことが分かるというESPを保有した状況,あるいは,周囲にあるものを手を
使わずとも自由に動かせるというPKを保有した状況を想像させると,被験
者が多くの恐怖と,保有抵抗とを報告することを確認した。

超心理学者でさえも,こうした潜在的恐怖に気づかずにいると言う。

PSIの無制限な発揮は,自他の幻想を打ち砕き,自分と他者という社会
制度上の基礎を失わせる。そうしたものに対する恐怖は,死に対する
恐怖に近いものがあるだろう。その結果,PSIは存在しないものとして,
あるいは特殊な場面にしか起きない形に抑制されてしまう。

PSIに携わる者は,そうした恐怖を克服せねばならない。

バチェルダーの言うような一時的な回避だけでは十分でない。

まず恐怖があることを是認し,その否定的側面を受容れ,人格的成長
を遂げる中で,恐怖に対処可能となることが理想である,とタートは語る。
187<3>隠蔽現象の社会学:04/09/05 16:39

PSIの抑圧が社会的要因で起きるとすると,PSIの現われ方と,社会の
文化的側面(いかにPSIを許容しているか)との間には,深い関連が
見られると予想できる。

ジェームス・マクレノンは1991年,こうした観点からの社会学的研究に,
大きな成果が期待できると主張している。

非再現性や実験者効果に思い悩むよりも,実験室からフィールドへ
出ようという勧めである。
188進化適応の理論:04/09/05 16:40

ここでは,我々がPSIという能力を持っていると仮定した場合,進化生物
学から考えて,その性質はどのようなものかを検討する。

ESPが五感と同様に人間の知覚能力の一部であり,PKが手足と同様に
人間の運動能力の一部である,としてみよう。生物学的に考えれば,
人間の能力は進化的に獲得されてきた。すなわち,生存競争に勝ち残る
ことによって,多くの変異種の中から環境に適応した種が繁栄する,その
プロセスで,必要な能力が獲得されるのだ。PSIが生物学的な能力である
ならば,PSIは環境に適応的な役割を果たしていたので,我々に備わった
ことになる。他の個体よりも生存競争で優位に立ち,遺伝子を後世に残す
のにPSIが利用されていたに違いない。

確かに,ESP能力は食べ物を探すのに利用できるし,PK能力は食べ物を
獲得するのに利用できる。PSI能力は高ければ高いほど,生存競争に有利
であろう。ならば,何故我々は高いPSI能力を持っていないのだろうか。
強靭な手足の筋力は生存競争に有利ではあるが,それを維持するのに
多くのエネルギーが(すなわち多くの食べ物が)必要であるから,結局は
進化の過程で最も効率が良い(現在の)手足の筋力に落ち着いたと考え
られる。それと同じように,PSI能力の維持にエネルギーがいるのだろうか。
残念ながら,PSIと物理的なエネルギーの関連は見出されていない(むしろ
関係が無いと考える超心理学者が多い)。

では,PSI能力の低さは,生物学的にどのように説明できるだろうか。
そのひとつの可能性は進化的安定戦略である。
190<2>進化的安定戦略:04/09/05 16:41

進化的安定戦略とは,進化生物学者のメイナードスミスが理論的に
導いた,進化上獲得される行動形態のことである。直感的に言えば,
ある行動形態は,その戦略をとる個体が増えても安定であり,かつ
その増えた状態で他の戦略をとる個体が優位にならない場合に,
進化的に安定な戦略として,生き残るのである。

戦いを好む個体(タカ派)と,好まない個体(ハト派)の例で考えてみよう。
力が強く戦いを好むタカは,生存競争に勝ち残り子孫を増やす。ところ
が,タカが大勢を占めるようになると,戦いばかりが発生し,互いに傷つけ
合って安定した繁栄が望めない。一方で,戦いを好まないハトは,大勢に
なっても問題は少ないが,その状態にタカが現われると,食べ物を独占
できてハトが追われてしまう。タカもハトも進化的安定戦略ではなく,
進化上は,タカとハトが混在した状態で推移する。

しかし,それらの中間的な行動形態には,かなり進化的に安定な戦略
がある。それはナワバリ派であり,自分のナワバリの内側ではタカとして
振舞い,他の個体の進入に対して戦いで排除しようとする一方,ナワバリ
の外側ではハトとして振舞って,他の個体に資源(食べ物,水,住居など)
を譲るのである。ナワバリ派は,同一戦略を取る子孫が増えても,ナワ
バリに十分な資源がある間は繁栄を続けられるし,単純なタカやハトより,
通常は進化的に優位である。
191<2>進化的安定戦略:04/09/05 16:42

PSI能力は,進化的安定戦略として,ある種のナワバリの内側でのみ有効
に働くように抑制されているのでないか,という可能性が考えられる。
PSI能力を使って資源を奪い合う個体群は絶滅し,個体の周囲に限って,
あるいはまさかの時のみにPSIが発揮されるような謙虚な個体群が,
現に今,生き残っているとされる。この理論に基づいて想像力をたくましく
すれば,ナワバリの外側でPSIを発揮する個体がいたら,皆がPSIを働か
せてやっつけてしまうというプロセスで,隠蔽効果も説明できよう。また,
PSIが意識的には働きにくいという観察事実も,意識的に働かせることに
よって破滅的結果を招いた進化の歴史上の必然から,意識とPSIとを切り
離す突然変異が起きたとも説明できよう。

一方でPSIは,五感や手足のような原始的能力ではない可能性がある。

PSIは,あまりに微弱(あるいは制御不能)であるため,進化上の環境
適応手段として用いられてこなかった。

ところが,人間が進化して意識が現われた進化の段階で,何らかの
進化上の偶然で顔を出し始めた「高級な能力」なのかもしれない。

こうした方向の研究は,意識の探究を進めた上で,初めて取組めるもの
だろう。現在は「意識」の進化的説明に諸説が立てられている段階で
ある。

例えば,生化学者ケアンズスミスの『心はなぜ進化するのか : 心・脳・
意識の起源』(青土社)を参照されたい。

そもそもPSIが存在するのであれば,生存競争に基づく進化の原理は
修正されねばならないという議論も成立つ。

タートが唱えるように,PSIによって自他の分離が消えるならば,個体の
環境適応度は,その個体の持つ遺伝子に直接起因するわけではなく
なる。

またスタンフォードやシュミットらが主張するように,PSIに目的指向性が
あるとすると,進化生物学が葬ったラマルクの獲得形質遺伝説が,一転
して現実味を帯びてくる。

エジンバラ大学に超心理学講座を寄付したケストラーは,ラマルク説を
あからさまに支持していた(『サンバガエルの謎 : 獲得形質は遺伝する
か』サイマル出版会)し,デューク大学に赴任した頃のラインは,マクドゥ
ーガルとともにネズミの迷路学習の実験を行ない,獲得形質の遺伝に
対して肯定的な結果(迷路の学習が速くなる)を得ていた。
194PMIR理論:04/09/05 16:44

ここからは,超心理学の知見からボトムアップに生まれた,最も洗練
された理論と言われる,PMIRを解説する。

レックス・スタンフォードは,テキサス州オースティンにあった超心理学
研究センターで,無意識に働くPSIに注目した研究を行なった(現在は
セント・ジョーンズ大学)。

彼は1974年,「PSI媒介道具的反応(PMIR)」という理論を提唱した。
「道具的反応」とは,何らかの目的を達成するための手段(途中段階)
として現われるプロセスであり,PMIRでは,そこにPSIが働くとしている。

彼がPMIRの着想に至った手がかりは,第1に,PSIは,意図せずに無意識
に働く傾向があること,第2に,複雑な機構にも問題なくPSIが働くこと,
第3に,PSIは,必要性,目的,報酬,動機づけなどがあるところに現われ
ることであった。

PMIRでは,PSIは常に主体から世界へと(環境をスキャニングするように)
広がっており,目的を達成する最も「倹約的な」プロセスを発見して働くと
見なされる。最も倹約的プロセスを選ぶので,PSIは結果的に,意識的に
自覚されることさえも回避すると言う。

これは例えば,歩行時に足の出し方が意識されると歩き方がぎこちなく
なるので,歩行運動が無意識的に行なわれるのと類似した事柄である。
196<2>PMIRに影響する要因:04/09/05 16:46

スタンフォードは,PMIRが次のような要因に影響されるとした。

促進要因は,目的を達成する必要性の高さや報酬への動機づけの高さ
である。抑制要因は,PSIに対する心配や不安,恐怖や罪の意識である。
PSIは,こうした要因のバランスで,働いたり働かなかったりする。

また,PSI発揮主体とターゲットとの間が,時空間上で近接している場合
ほど起きやすいともされる。

「意識すること」は多くの場合,抑制要因になるので,あまり意識しない
ときに偶発的にESPが働いたり,努力をやめたときにPKが発揮されたり
するのだ。

PSI発揮に対して責任を回避できる状態も,罪の意識が低くなりPSIが
発揮されやすい。

予感実験でPSIが検出されやすいことは,PMIRの観点からうまく説明で
きる。予感実験では,無意識に起きるPSIを捉えようとしているし,誘引
動機が高い性的なターゲットや,排除動機が高い死にまつわるターゲッ
トを使用している。

脳が,五感を通じて外界の情報を収集し,身体運動を制御して行動を
生み出しているという考え方を,サイバネティック・モデルと呼ぶ。

これは情報工学における典型的な人間の捉え方であり,脳は情報処理
の拠点となるコンピュータで,身体はあたかもロボットのように,脳の指令
によって動作すると考えられる。

PSIをこのモデルに当てはめて考えると,外界の情報がESPを通じて脳に
運ばれ,脳の意図はPKによって外界に影響するとなる。サイバネティック
・モデルは,我々にとって理解しやすく,超心理学者の多くも,PSIはその
ように働くと漠然と考えている。

けれどもPSIの性質を深く考えると,サイバネティック・モデルでは不適当
な点が見受けられる。PMIRも基本的にはサイバネティック・モデルに沿っ
ており,あたかも脳がESPで環境をスキャニングして,目的を達成する
手段がないかどうかいちいち調べている,というようなメカニズムが想定
されている。しかし,そう考えると,脳の負荷が高すぎる。目的を達成する
手段が複雑ならば,脳は複雑な処理を行なわねばならないだろう。これ
では,複雑な機構にも問題なくPSIが働くという点との矛盾が感じられる。

スタンフォードはPMIRを改訂して,サイバネティック・モデルを脱却した
「適合行動理論」を提唱した。
198<4>適合行動理論:04/09/05 16:49

1978年にスタンフォードが提唱した適合行動理論によると,変動が大きく,
非決定的な物理系は,「傾向性を持つシステム」の傾向性(主体にとって
の必要性や目的を外的見方に言い替えた用語)に適合するよう,自然に
決定づけられるとした。

すなわち,傾向性という目的を動因として(PSIによって)適合行動が
生まれるという,目的指向性の強い理論である。適合行動理論によれば,
この決定づけこそがPSIなのであり,ESPもPKも一元的に理解される。

適合行動理論の内容を具体的に説明しよう。スタンフォードは,非決定的
な物理系の代表として乱数発生器を挙げている。乱数発生器にミクロPK
が働いたように見えるのは,PKを働かせたいと希望する人間(傾向性を
持つシステム)の傾向性に駆動されて,乱数発生器が,その希望にかなう
状態に適合するのである。テレパシーの場合は,例えば,送り手の希望
により,受け手の脳の非決定的な物理系が,自然に,ターゲットのイメージ
を写し出した状態になると理解される。言わば脳は大きな「乱数発生器」
であるのだ。透視の場合は,希望する人間と,脳という「乱数発生器」を
持っている人間とが,たまたま同じである,と考えれば良い。

なお,乱数発生器の状態がどのようにして傾向性に適合するか,は示
されてない。スタンフォードは,とにかく「そうなるのだ」ということを「万有
引力はあるのだ」と同じように,そっくり受け入れたうえで考えようとして
いる。
199<4>適合行動理論:04/09/05 16:51

適合行動理論は,目的や希望というような心的世界から,物的世界への
「ある種」の因果性を認める方向性を持っており,心身問題の解決の観点
から興味深い。

また,傾向性を持つシステムは,人間である必要はなく,原始生物や
機械でもよさそうである。傾向性を物質から定義し,適合行動が物理的
な法則として記述できれば,唯物論としての包括的な理解に到達する
可能性もあろう。哲学者であり超心理学者のエッジは,適合行動理論
の哲学的妥当性を議論している。

だが,適合行動理論は,哲学的含蓄は深いものの,超心理学の実験結果
を説明する度合いという点では,PMIR理論と大差ない。スタンフォードは,
他の超心理学者の反応がかんばしくないためか,その後は適合行動理論
を強くは主張しなくなってしまった。

代わりに1982年と1990年には,PMIR理論における「必要性」を「傾向性」
に,「道具的反応」を「目的に合う反応」と言い換えた。PMIR理論の方を
適合行動理論へと若干近づけたと言えよう。
200DAT理論:04/09/05 16:53

ここからは,ESPをもとにPSIを一元的に捉える理論である,DATについ
て概説する。

長らくリモートビューイング実験に取組んでいだエドウィン・メイは,1995年
に「決定増大理論(DAT)」を提唱した(ただし,当初は「直観的データ分類」
とも呼んでいた)。

DATによれば,我々が意思決定をするときには,ESPによって将来の結果
を(無意識のうちに)ある程度感知して,自分の希望に合うような選択を
(ときには無意識に)行なっている,となる。

DATは,乱数発生器に現われるミクロPKの解釈から生まれた。乱数発生
器の出力をPKで操作できるというのは,その出力が出ることを予知して,
うまいタイミングでボタンを押しているのに違いない,と言うのだ。

より複雑な過去遡及的PK実験などの場合は,実験者がターゲットを作成
するときにすでに,未来に渡って予知が働いて,実験が興味深い結果に
なるようにターゲットが選ばれている,となる。

DATを受け入れると,PSIとは人間の意思決定時に働く情報論的な性質を
持つ能力であり,自然界にはそれ以外,PKなどのPSIは存在しないという
描像が成立する。
202<2>DATが提示する問題:04/09/05 16:54

DATは,超心理学はもとより,通常科学の実験に実験者効果が潜在
することを,明確に指摘する。

例えば,ヒーリングや新薬の効果を実験的に示そうと,複数の患者を
実験群と対照群に分ける時に,予知による選択が起きる可能性がある。
近々快方に向かう患者を実験群へ,なかなか自然治癒しない患者を
対照群へと,知らず知らずに入れてしまうのだ。そうすれば,治療には
効果がないにもかかわらず,効果があるような実験結果が得られる。

グループ分けに伴う無作為化の方法を工夫してもダメである。その
方法の選択自体から予知が働く可能性を排除しきれないからだ。グル
ープ分けをする人も実験について知らないという,「トリプルブラインド」
とも言えるような実験設定をすると,かなり改善できよう。
203<3>DATの検証:04/09/05 16:55

乱数発生器の実験を工夫すると,PKかDATかをある程度,実験的に
区別できる。乱数発生器で生成される乱数列の長さを次々と変動させて,
被験者にPSIを働かせるのである。例えば,0/1の二値出力の乱数
発生器で,1が出るように念じるとしよう。もしPKが働いているとすると,
乱数は短くても長くても,1文字ごとに1が出るように働くと考えられる
から,長い乱数列になればなるほど,1回当たりのPSIの検出可能性が
単調に増加するはずである。一方,DATに従うと,念じても乱数列は
変化しないとされる。ただ被験者が,1が多く続いて発生するタイミング
を予知で見はからってボタンを押している,と想定されるのだ。すると,
乱数列が長くなると,それだけ多くの1が集中して現われるタイミングで
ボタンを押さなくてはならなくなる。だが,0/1は確率的に均等なので,
限定された時間内にそれほど1が集中することはない。よって,1回
当たりのPSIの検出可能性は乱数の長さによらず一定となるのである。

メイは,この比較実験を行なったところ,データはかなりバラついたが,
PKよりもDATを支持する結果が得られたと主張している。WEBを利用
したポ−ル・スティーヴンスの実験では,逆にPKを支持するデータが
得られている。引続き検証実験が期待されている。
204<4>マクロPKはあるか:04/09/05 16:56

DATは,PSIをESPに一元化する点で,興味深い理論である。これまで
の物理理論をそのままにして,情報論的理論を加えることでPSIが説明
できる可能性が生まれるからだ。

だが,その代わりに,かなり説明の難しい高度な予知能力を認めなけれ
ばならない。この予知能力の説明は,PKの説明に比べて果たして易しい
のかという疑問がある。

また,リチャード・ブラウトンは「DATは,従来から指摘されている問題を
表現し直しただけで,真の理論とは言いにくい」と批評している。

さらにDATがはらむ問題は,ミクロPKは説明できるが,マクロPKが説明
できない点である。マクロPKが存在すると,結局PKを説明せねばならず,
DATの興味が失われてしまう。

確かに超心理学者であっても,マクロPKに疑問を呈している者は多い。
だが,理論の延命のためにPSI現象の一部の存在を疑うのであれば,
不健全な態度だろう。

(メイ自身,「マクロPKは,無いものと考える」と,SSPで歯切れの悪い
発言をしていた。)
205特異的場の理論:04/09/05 16:57

ここからは,物理的性質を持つ「場」によってPSIが達成されるとする
諸理論を概観する。
206<1>電磁波モデル:04/09/05 16:58

ESPは電磁波に乗って情報が伝わるとか,PKは電磁波によって力が
伝わるなどという「PSIの電磁波モデル」が,古くから提案されている。

ロシアの科学者ワシリエフは1963年,テレパシーは電磁波によって
実現されるとした。コーガンは1966年,超長波(低周波)の電磁波が
テレパシー情報を伝達するとした。最近ではパーシンジャーが1979年,
地磁気の源から発生するそうした電磁波がテレパシーを媒介する,と
提唱している。

PSIの電磁波モデルは,イメージは湧きやすいが,多くの困難を抱える。

まず,脳は,遠距離を伝達するほどの電磁波を発生させるパワーに
欠けている。仮に電磁波を発生させたとしても,情報はどのように電磁波
に込められて(符号化されて)いるのだろうか。情報の受け手はどのように,
その情報源を判定(周波数同調)し,その情報を解読しているのだろうか,
妥当な説明はつかない。そもそも遠距離に隔離された実験でもPSIが
働くこと,予知も見られることなどが,PSIは電磁波ではないことを明示して
いるように思われる。

ただ,カーリス・オシスの1965年の分析では,距離が増大するとESPスコア
の低減傾向(およそ5分の2乗の減衰)が見られており,時空間の近接性が
物理的(あるいは心理的)に何らかの影響があることは否めない。

他方で,地磁気や地方恒星時とPSIとが相関することは,電磁波がPSIと
関わりがある可能性を示唆する。
207<2>場の理論:04/09/05 16:59

物理的な電磁波に問題があるならば,電磁波に似た,PSIを媒介する
超常的な「場」を想定すれば,一応整合的な理論にはなる。このように,
何か特異的な「場」を導入する理論(もどき)は数多い。

脳波の研究者であるバーガーは,1940年,時空間に制限されないサイ
キック・エネルギーが,被験者の脳波を共鳴させることでテレパシーが
起きると考えた。ヒーリングの説明では,生体エネルギーであるとか,
オーラと呼ばれるエネルギー場がしばしば登場する。

数学者のワッサーマンは1959年,超心理学のみならず,生物学や心理
学の現象を説明する,数学的な場の理論を提唱した。彼は1993年には,
影の物質がPSIの担い手であると主張した。

1965年にはドブズが,PSI媒介粒子を想定し,それをサイトロンと命名した。
208<2>場の理論:04/09/05 16:59

ロルは1966年,「PSI場」を導入した。彼は,予知はPKで実現されるとして,
物理的な因果性を保持した。さらに彼は,記憶はPSI場の一部であり,
人体を離れて存在・伝達し,それがPSI現象を引き起こすとする,ある種の
「汎記憶理論」を提唱した。ホーンティングなどのPSIが起きやすい場とか,
物品に込められた歴史を知るサイコメトリーなどの現象を説明しようとした
のである。

場の理論はどれも,その「場」が存在する積極的な証拠を持ち合わせて
いない。しかし何よりも,それらの理論は漠然としており,奇妙な現象の
ほとんどを理論を補強することによって「説明」できてしまう。それゆえに,
将来の観察結果を予測できない無意味な理論となりがちである。同様の
批判は多くの,多次元空間理論や共鳴理論,超微細粒子理論にも当て
はまる(場の理論は,表現を少し変えることで,容易にそうした別種の
理論に変身できる)。

ただし,ロルの「PSI場」は,長期記憶を介してESPをもたらすという部分
では検証可能であり,1970年代に検証実験が試みられ,いくつかの
肯定的結果が得られている。しかしそれでも,場の理論の本質部分は
検証不能のように思われる。
209<3>形態形成場:04/09/05 17:01

検証可能な特異的場の理論として,ルパート・シェルドレイクが唱えた
「形態形成場」が挙げられる(『生命のニューサイエンス』工作舎)。この
理論はまた,「形態共鳴」という共鳴理論として解釈されることもある。

形態形成場はもともと,獲得形質が遺伝するように見える現象を説明
しようとした生物学の理論である(だが,生気論の復活と見なされて
抑圧された)が,PSI現象の説明にも適している。

シェルドレイクのホームページ:http://www.sheldrake.org/

形態形成場は,広い意味での「形態」を一定のものへと導く,特異的
場である。形態とは,生物の体型や細胞組織の形状,タンパク質の
折畳みなどから,生物の行動・思考パターンまでをも含む,広い概念で
ある。形態形成場は,「同じものは同じ形態になりやすくなる」原理
(形態共鳴)や,「繰返し起きたことは将来も起きやすくなる」原理を
実現するものとして,捉えることができる。形態形成場の効果によって,
生物の体型や行動は,過去から現在に至るまでの同じ生物が取って
きたものと類似のものとなる。

この理論は実験的な検証ができる。例えば,難しいパズル課題を作成
し,多くの人間が解答を知る前の実験と後の実験では,後の実験の
方がパズルの正答率が高まると予想される。この着想は,「隠し絵」
から隠されている絵を探す課題で実行に移され,実際に正答率が
高まった結果が得られた。この実験はもちろん,後の実験に参加する
人は事前に解答を知り得ない,という状態を維持した環境で行なわね
ばならない。
210<3>形態形成場:04/09/05 17:02

形態形成場の評価は別にして,ここではPSIの理論と比較してみたい。

少し考えれば,形態形成場が適応行動理論と良く似ているのが分かる。
どのような形態でも取り得る可能性のあるものが,形態形成場によって
一定の形態になる点は,適応行動理論において,非決定的な物理系が
PSIによって決定づけられるのに類似している。そう考えると,適応行動
理論の傾向性は,形態形成場では,過去の形態パターンの蓄積に相当
する。形態形成場は,過去のパターンを踏襲するので,新規のパターン
が生まれにくい。その点で,むしろPSIが起きないことの良い説明になる
かも知れない。さらに形態形成場は,上述の汎記憶理論とも似ている。
過去の形態パターンの蓄積は,一種の「場としての」記憶として捉える
ことができ,その「記憶」が,次の同様な現象を繰返すとも解釈できる。

形態形成場をPSIの理論とするためには,生物個体間の形態共鳴現象
だけでなく,出来事間の形態共鳴へと拡張しなければならない。そうす
ると何が「同じ」出来事であるかという同一性の基準を導入せねばなら
ない。これはまた,大きな議論の対象となる。ユングならば,それを
「元型としての意味である」と言うのだろう。
211量子的観測理論:04/09/05 17:03

物理学と整合的なPSI理論の構築のため,超心理学者は量子論に
発生する観測問題に着目した。

観測問題に関係するところでPSIが起きるとして理論構築すると,
現代物理学を大きく修正することなしに済ませられるからだ。
212<1>量子論の観測問題:04/09/05 17:03

最初に本流物理学で起きている観測問題を概説する。

ミクロな世界の現象を記述する量子論は,1926年シュレーディンガーの
波動方程式により,形式化された。

この波動方程式では,物理系が取り得る複数の状態が「重ね合わされ
た」状態で表現され,時間経過とともに,その状態がどう変化するかが
記述されている。波動方程式は,観測が行なわれた時に(重ね合わさ
れていた)複数の状態のうちの各状態が観測される確率を与える。

例えば,電子が発射され,経路Aと経路Bの2つの経路のいずれかを
通る可能性があるとしよう。波動方程式は,2つの経路が重ね合わさっ
た状態を記述し,経路Aを通るのが20%の確率で観測され,経路Bを
通るのが80%の確率で観測されるなどと予測する。波動方程式の
予測は極めて精確であり,同一の波動方程式で記述される状態を
多数回観測すると,統計的な誤差の範囲で正しく20%と80%の頻度
で観測される。

さて,ここで問題となるのが,その観測の直前に電子はどこにいたか
である。我々の日常的な世界観によると,電子が経路Aに観測された
ならば,その直前には当然ながら,経路Aを走っていたと考えるだろう。
ところが,そう考えると矛盾が起きるのである。観測をしないと(あるい
は観測する前は),電子はあたかも「波」のように両方の経路に広がっ
ており,ある種の干渉現象を起こすことが,波動方程式によって導かれ,
またそれは実験によっても裏づけられるのである。すなわち,観測を
するまでの間,物理系は複数の取り得る状態が重なり合った奇妙な
状態のままでいる,などと考えざるを得ないのである。
213<1>量子論の観測問題:04/09/05 17:05

どうせミクロの世界の話なのだからどうでもよい,などと事は済まない。

何故なら,「観測」がいつどこで起きるかが量子論からは導けないので,
マクロの世界に関わる可能性があるのだ。「観測」という行為を分解
すると,そこには「測定装置」があり,観測する人間がいる。電子が
経路Aと経路Bのどちらを通るかを測定する装置を作り,経路Aに検出
されたら針が右に振れ,経路Bに検出されたら針が左に振れるように
しよう。すると,波動方程式では,経路Aに検出されて針が右に振れる
状態と,経路Bに検出されて針が左に振れる状態とが,依然として
重ね合わせた状態のままであり,どちらかには決まらないのである。
さらに,測定装置の針が右に振れたら近くの猫が死ぬような仕掛けを
して置くと(あくまで思考実験である),猫が死んだ状態と生きている
状態が重なり合うという,実に奇妙な状態を想定せねばならない
(シュレーディンガーの猫)。

これが観測問題である。

物理学者は奇妙な現象をミクロな世界に封じ込めるため,なんとか
マクロの測定装置あたりでどちらかの状態に「決定」されるよう,量子
論の拡張を試みるが,うまい理論が作れない。

そうした中で,1980年代には,数メートルという十分マクロの大きさに
おいても,ある種の物理系が重ね合わせ状態にあることが,実験的に
確かめられた。
214<1>量子論の観測問題:04/09/05 17:06

一方で,物理系でないものが関与する時に「観測」が起きるとすれば,
量子論の整合性が保たれるとして,ウィグナーやウィーラーは,観測者
の「意識」が物理状態を決定していると想定した。

意識が関わる前までは,複数の状態が重ね合わされているが,誰かの
意識がその物理系を観測すると,波動方程式に示された確率に従って,
いずれかの状態に決定するという。

また,エヴェレットは,「観測」はそもそも起きていないとする「可能世界
論」によって量子論の整合性を保とうとした。

可能世界論では,電子が経路Aに検出されて針が右に振れ猫が死んで
いるのを観測する世界と,電子が経路Bに検出されて針が左に振れ猫が
生きているのを観測する世界とが,それぞれ別個に存在するとされる。
波動方程式により,日常的にほとんど無限個の世界が生成されるのだ。

このようにして,観測者は多数の可能世界に複製されるが,その意識は,
意識の存在する特別な世界を認識する。つまり,死んだ猫を観測する
世界の意識と,生きた猫を観測する世界の意識とが,互いに交流もなく
それぞれ存在するので,我々は常にどちらか一方を認識するという。

観測問題は解消されるが,代わりに我々は,可能世界の迷宮へと追い
込まれる。

エヴァン・ハリス・ウォーカーは1974年,量子論の観測問題の部分で
PSIが起きるとする観測理論を提唱した。

彼の観測理論では,現実の重ね合わされた状態に加えて,想像による
状態という新たな物理状態が導入される(物理学で言う「隠れた変数」
である)。その想像による状態が,いわゆる意識に相当する(つまり意識
は特殊な物理状態とされる)。重ね合わされた状態は,意識と関わること
で1つの状態に決定されるが,その観測の時点で,意識の想像状態と
合致する状態が選ばれるという。これにより,願望や意志(これらは意識
の想像状態とされる)に合った物理状態が結果として選択されることとなる。

例えば,サイコロは回転中に6つの目に対応する6つの状態が重ね合わ
せになるが,意識で特定の目を念じていると,その目の想像状態と合致
する状態が現実に選ばれやすくなる,としてPKが説明される。ESPは逆に,
コールにつながる想像状態の方が重ね合わせになっており,ターゲットの
現実状態が意識と関わる時に,ターゲットに合うコールの想像状態が
選ばれやすくなる,と(やや複雑だが)説明される。

ウォーカーの論文:
http://users.erols.com/wcri/CONSCIOUSNESS.html
http://users.erols.com/wcri/QMcons1970.html

乱数発生器の実験手法を開発したヘルムート・シュミットは1975,1978年,
目的論的性格を持つ観測理論を提唱した。

この理論では,PSIの源である人間は,時空を越えたPSIを発揮すると
して,PSI独自の世界を先に認めてしまう。そして,PSIを評価するとき
(コールがどれくらい当たったかを調べるとき)に,高スコアを望む目的
に沿って評価者がPSIを発揮し,過去に向かってPKが働くとする。PSI
の源となる評価者とは,被験者に実験結果のフィードバックが与えられ
るときは,被験者自身に相当するが,与えられないときは結果を照合
する実験者となる。過去に働くPKは,重ね合わせの状態から1つの状態
が決定する,量子論的観測時に,将来の目的に沿った状態が選ばれ
やすくなることで実現される。

彼が得意とする乱数発生器の例で説明しよう。乱数発生器の出力は
「未来」の,良いスコアを残したいという目的に沿って出力が決まる。
これは,特定の出力と合致する場合はPKとなり,コールと合致する
場合はESPとなるが,基本的に未来からのPKという原理で実現される。

この点はDATとは,ちょうど逆の構図であることに留意されたい。DAT
では,ターゲットを選ぶときに選ぶ人間の予知で,将来の目的に合致
したものが選ばれた。シュミットの理論では,コールを評価するときに
評価者のPKで,過去のターゲット選択が目的に合致するように選ばれ
るのである。

この理論によれば,彼が実験的に掴んだ過去遡及的PKも,自動的に
説明される。目的指向性を持つので,たとえ複雑な構造を持つ乱数
発生器であっても,PSIが困難になることがない。

この理論は,量子論と極めて整合的である。
218情報システム理論:04/09/05 17:14

ここからは,ラカドウが提唱する,PSIの情報システム理論について
解説する。
219<1>ラカドウの試み:04/09/05 17:15

ドイツの物理学者(かつ心理学者)のウォルター・フォン・ラカドウは,
量子論の理論構造を情報システムのレベルに適用することで,PSIの
性質,とくにその「とらえにくさ」を説明できると考えた。

量子論とPSIは,類似したところがある。

観測前の重ね合わせの状態が持つ大局的性質は,PSIの現われ方と
類似している。また,観測することが状態を決定するところは,PSIの
実験者効果を連想させる。

だから,量子論とPSIの理論を組合わせるアプローチは魅力があり,
物理学に詳しい超心理学者の多くは,観測理論に注目するのであった。

しかしラカドウは,物理状態がどのようにPSIと関わるかといった物理学
的レベルや,PSIがPSIの源の心理状態とどのように関わるかといった
心理学的レベルは,理論の対象とはしない。

代わりに,実験装置や被験者や実験者などをひとまとまりの「システム」
と捉え,その「システム」に流入する情報と,PSIの性質との関連性を
見つけるアプローチを取った。

そのときの理論化の道具が量子論の理論構造である。

彼の初期の着想はドイツ語の論文にあるが,最初の英語の論文は
1983年に発表され,これは『超常現象のとらえにくさ』の第30章に邦訳
が収録されている。より包括的な論文は1995年のEJPにある。
220<2>語用論的情報:04/09/05 17:15

ラカドウがPSIの説明に一定の寄与をするだろうと着目したのは,語用
論的情報である。

旧来のシャノンの情報理論は,符号化の理論であり,意味論的側面に
欠けている。我々は,メッセージに込められている「意味」によって行動
するのであるから,意味を扱えない情報理論では不十分である,という
のは現代の情報学において確認されている事項である。

ところが,意味というのは,他の情報や信念と関わった,文脈性の高い
ものであるため,情報理論として定式化が困難である。

しかし,語用論的情報ならば,意味論的側面を部分的に含んだ検討が
可能であるという。

語用論的情報はワイツゼッカーによって1974年に提案された。それは,
確認性と新奇性との積によって表わされる。情報は理解されねばなら
ない(確認性)し,行動の変化を引き起こさねばならない(新奇性)という,
両方の性質を同時に含む必要があることを示している。未知の外国語
の情報が来ても,分からないので情報量はゼロ(確認性がゼロ)である
し,すでに知っている情報が来ても意味がないので情報量はゼロ(新奇
性がゼロ)である。

ラカドウはさらに,確認性と新奇性の間には不確定性関係があり,語用
論的情報は離散的であると,量子論になぞらえた議論を展開するが,
ここでは省略する。

ラカドウによると,システムに語用論的情報が加わるときにPSIが起きる
という。これによって,PSIの下降効果が説明される。つまり,被験者が
新たなPSI実験方法を経験するときに,その被験者を含むシステムに,
語用論的情報が加わる。するとPSIが発生するが,何度も繰返している
うちに,語用論的情報が加わらなくなり,PSIは現われなくなるのだ。
ジョークが最初だけ面白く感じるのも,同様の語用論的情報の流入に
よって説明される。

PSIの実験者効果は次のように説明される。PSI実験をする被験者の
システムに実験者が加わることで,大きな語用論的情報をもたらすと,
実験者の影響でPSIが起きることになる。実験の全貌が被験者に知ら
されていれば,被験者のシステムが語用論的情報の観点で「閉じて」
いるので,実験者が加わることでPSIが起きることはまず無い。ただし
その際には,被験者が理解できる情報が知らされてなくてはならない。
これは,乱数発生手順と種数とを知っていても,問題なく過去遡及的
PKが起きた実験結果を説明する。それらを知らされていても,語用論
的情報の全貌を知らされたことにならないからである。

つまり,PSIは語用論的情報を取得した人間のところで起きることになり,
「意識」が観測状態を決定するとした観測理論と同様の議論となる。

けれども,語用論的情報に基づく理論は,観測理論と違って,PSIの
限界を示す。語用論的情報が新たに加わるかどうかが,PSIの発生の
鍵となると想定しているからである。

端的に言えば,信頼性のある確実で安定したシステムは(すなわち
システムが既知になってしまうと)PSIは起きず,常に新しい挑戦をする
自律的なシステムであると,PSIが起きるのである。

科学的解明とは,解明するとき(すなわち創造的発見のとき)にはPSI
が起きるが,解明された後はPSIが起きにくくなると言えるだろう。科学
の発展は,PSIをますます「とらえにくく」しているのだろうか。
223シンクロニシティ:04/09/05 17:20

ここからは,シンクロニシティの理論と,それを提唱した深層心理学の
大家,カール・グスタフ・ユングについて述べる。
224<1>ユングと超心理学:04/09/05 17:21

ユングは,患者の深層心理を分析する過程で,何度もPSI現象を体験
していた。とくに治療が良い方向へと向かい始めるときに,PSI現象が
起きやすいという。その一端は,彼の死後に刊行された『ユング自伝』
(みすず書房)にも記されている。

彼は超心理学にたいへんな関心を寄せていたが,超心理学の論文を
著してはいないし,超心理学のコミュニティに積極的に参加することも
なかった。

ラインは,ユングに対し再三,PSI現象の体験や,それに対する考えを
発表してくれるように書簡で依頼していたが,臨床上の知見では,
専門外の人は説得できないと,断っていたのである。ユングとラインの
書簡の遣り取りは1934年から1954年まであり,ユングの姿勢は次の
書簡集からはっきりと読み取ることができる。

 湯浅泰雄著訳『ユング超心理学書簡』(白亜書房)

ユングは分析のうえで,集合的無意識に注目していた。その集合性
とは,我々人間が皆,無意識の深い部分で共有している,歴史的・
社会的・生物的部分である。PSIの見方も,集合的無意識との関連性
に重きが置かれていたようである。例えば,PSI現象は,被験者個人
の性格とは無関係であると断定している。

そうしたユングが,初めて超心理学を視野に入れて発表した理論が,
1952年のシンクロニシティであった(『自然現象と心の構造』海鳴社)。

この立論にあたっては,スイス連邦工科大学の同僚であるパウリの
影響があった。パウリは量子の排他原理でノーベル賞を受賞した
物理学者であるが,自分自身にPSI体験があり,ユングの心理分析も
受けていた。

シンクロニシティは「共時性」とも訳され,複数の出来事が非因果的に
意味的関連を呈して同時に起きる(共起する)こと,である。

シンクロニシティの正確な理解は難しい。何故なら,「出来事」,「因果」,
「意味」,「同時」とは何かについて,議論が必要だからである。言い換え
れば,解釈の余地が残されている理論である。

まずは単純な例で考えてみる。「花瓶が割れた」,その時,「病院で祖母
が亡くなった」というのが,シンクロニシティであるとしてみよう。出来事と
いうのは,単純な物理現象ではない。祖母が粘土から作って大切にして
いた花瓶(歴史性)が突然奇妙な音とともに割れ(状況性),居合わせた
人々が不吉に思った(体験)というような事柄全体が,1つの出来事となる。
シンクロニシティである場合には,そうした「花瓶が割れた」という出来事
と,「病院で祖母が亡くなった」という出来事との間に,通常の因果関係が
ない(一方が他方の原因になっていたり,共通の原因から両者が派生して
いたりしない)必要がある。因果から考えると,同時に起きたのは全くの
偶然であり,両者は1日違っていても1週間違っても構わない。因果関係
がない代わりに,それらの出来事は共起することに,意味があるのだ。
花瓶というのは祖母の象徴であり,割れることは形を失うことである。
意味的関連が両者の出来事を橋渡ししている。

シンクロニシティは,それが起きることで「意味」を生成している,と捉え
ることができる。ユングは,シンクロニシティに現われる意味は,もっぱら
元型(アーキタイプ)であると主張した。元型とは,「影」,「アニマ」,「老賢人」
などの,集合的無意識に由来する象徴であり,ユング心理学における
中核概念である。
226<3>因果性と共時性:04/09/05 17:24

上では,シンクロニシティは,通常の因果関係にない出来事に起きると
したが,実は因果関係自体が哲学的議論になっている。因果関係を
科学的に定義すれば,過去の物理事象が未来の物理事象に影響する
ことである。だが,この定義では,心的世界から物的世界への影響は
除かれ,「私が手を挙げようと思った」から「私の手が挙がった」という
のは,因果関係ではなくなってしまう。我々の日常の直感に基づいて,
これも因果関係に入れる拡張した立場もある。シンクロニシティで比較
される「通常の因果関係」とは,この拡張した因果関係を指すのであろう。

ちなみに,心的世界から物的世界への影響は,科学的世界観(唯物論)
では認められない。だから,「私の手が挙がった」原因は,特定の生理学
的脳状態であり,「私が手を挙げようと思った」という意志は全くの幻想
であるか,良くてもその脳状態に伴う随伴現象(エピフェノメナ)であって,
手の運動には何ら影響を与えることができない,とされる。

ところが「目的因」という,さらに変則的な因果を考えることもできる。
これは古代アリストテレスが提唱した概念で,万物は目的を持ち,その
目的が原因となって,目的を達成するように変化するとされる。アリスト
テレスは,今日の科学的因果関係に相当する「運動因」とともに,2つの
因果関係があるとした。

この考えを発展させたのが,ライプニッツのモナド論である。モナドは
自然界を構成する最小単位であるが,心的性質を合せ持ち,それらは
全体として,あらかじめ定められた調和的関係を反映するとした(予定
調和説)。

中込照明は,このモナド論をもとにした物理理論によって,観測問題が
解決できると主張している(『唯心論物理学の誕生』海鳴社)。
227<3>因果性と共時性:04/09/05 17:26

ユングは自ら,モナド論からシンクロニシティの着想を得たと語っている。
彼は,過去から未来へと時間発展する因果性と,同一空間を意味で
折り合わせる共時性との2つの原理から世界は構成されるとしたのだ。

こうした歴史から判断するに,シンクロニシティを変則的因果と見ること
もできる。実際,ホワイトマンは,シンクロニシティを上位の階層における
目的論的因果関係であると解釈している。ブラウディは,ユング自身が
「元型がシンクロニシティを引き起こす」とも述べていることを指摘し,
シンクロニシティは因果的理論であると主張している。

スタンフォードは,適合行動理論を提唱するに当たり,シンクロニシティ
と違って「因果的」理論であるとして,適合行動理論の独自性を主張した。

ところが,シンクロニシティに目的因を見て取れば,適合行動理論の
「傾向性」を,シンクロニシティの「意味」の一部と見なすことで,適合
行動理論がシンクロニシティに包含される。両者は極めて類似した
性格の理論である。
228<4>共時性と場の理論:04/09/05 17:27

シンクロニシティにおける「同時」という概念を文字通り取ると,困った
ことが起きる。超心理学においては,予知の説明に不都合が起きる。
予知を行なうという出来事と,予知された現象の出来事とは同時では
ないので,シンクロニシティであると容易には見なせない。

物理学においては,そもそも同時性を絶対的に定義することが不可能
である。(アインシュタインの)相対論的時空間では,同時刻の現象も,
異なる速度で移動する系から捉えれば,異なる時刻になってしまう。

どうも「同時」とは,何か意味論的な概念と捉えるのが良さそうだ。
「同時」を,物理的な「時間軸上の距離がゼロの関係」から脱却し,
「抽象空間上の意味距離がゼロの関係」などとするのが,シンクロニシ
ティの本来の意図を汲んだ解釈なのかも知れない。シンクロニシティは
本来,共鳴理論であるが,多次元空間理論とも,場の理論とも捉える
ことができる。

ロルの汎記憶理論は,記憶が世界に広がっていて,広がった先で関連
したPSI現象を起こすというものであったが,その記憶主体の出来事と,
PSI現象とされる出来事が,記憶の内容を意味的関連にして共起する
と見なせば,シンクロニシティに相当する。長期記憶と集合的無意識
との間に類似性を見つけるのも難しくはない。また,シェルドレイクの
形態形成も,反復性を意味の1つと見なし,同時性を拡大解釈すると,
まさにシンクロニシティであると言えよう。

シンクロニシティは一見突飛な理論に見えるが,深く考えると,超心理学
の諸理論と関係づけられ,理論を整理するうえで有効なものである。
229乱数発生器実験:04/09/05 17:33

乱数発生器を用いたPK実験は,わずかな物理効果を厳密に検出する
のに向いており,PSI研究の物理的アプローチの主流となっている。

乱数発生器(以下RNG)を製作し,PSI実験に活用し始めたのはボーイ
ング社の物理学者ヘルムート・シュミットであった。彼は1969年にライン
のFRNMに異動し,初期のRNG実験は主にそこで行なわれた(1972年
からはマインド・サイエンス財団へ異動し実験を続けた)。

彼の初期の研究では,プラス/マイナスの2値出力のRNGを用いて,
その出力に応じて円状に配列した9個の電球を点滅させる実験システム
を作成した。9個の電球のうち1つだけが点灯しているのであるが,RNG
からプラスが出力されると点灯位置が1つだけ時計回りに移動し,マイ
ナスが出力されると逆方向に移動する。被験者はどちらかの方向に
電球の点灯が回転移動するよう念力をかける。

15人の被験者について実験し,Z=3.33の有意に偏った結果を得た。
しかし,この実験はESPとの判別がつかない設定であった。というのは,
所定の方向に点灯が移動するタイミングをESPで察知して,実験を開始
している可能性があったからである。
230乱数発生器実験:04/09/05 17:34

そこで彼は,PKとESPとを区別する実験を行なった(それでも完全では
なかったが)。

4つの電球が横に並び,その下に4つのボタンが並んだボックスを作成
し,1〜4の4値出力のRNGに接続した。被験者には,4つのボタンのうち
いずれかを押し,その上の電球が点灯したら当たりであると言うが,
内部の仕組みは,ESPモードとPKモードで異なっていた。ESPモードでは,
RNGの出力が1であれば一番左の電球がつき,4であれば一番右の
電球がつくようになっていた。PKモードであるとRNGの出力が4のとき,
被験者が押したボタンの上の電球がつき,1〜3のときはそれ以外の
電球がつくようになっていた。PKモードのときは,RNGが4をたくさん
出さねば有意な結果が得られない。

この比較実験では,どちらのモードでも,同様に有意な結果が得られた。
シュミットは,PSIは対象物の仕組みによらずに,結果に直接働くのでは
ないかと考えるようになる。
231乱数発生器実験:04/09/05 17:34

次に彼は,低速RNGと高速RNGを比較実験した。

低速RNGは1秒間に30個の2値出力を発生し,高速RNGは1秒間に300
個を発生する。被験者は,その出力によって得られるクリック音を聞き
ながら念力をかけるか,またはペンレコーダーが描くグラフを見て念力を
かける。10人の被験者による実験の結果,クリック音を聞いての実験も,
グラフを見ての実験も同様に,高速RNG(ヒット率=50.4%)よりも低速RNG
(ヒット率=51.6%)のほうが,平均(50.0%)からの偏りが大きかった(ただし,
高速RNGのほうがデータを多くとれるので,統計的有意性を示すには,
高速RNGのほうが短時間で効率のよい実験が行なえる可能性がある)。

彼はさらに,単純RNG(ストロンチウム90による2値出力RNG)と複雑
RNG(電子雑音RNGによる2値出力を100回ほど行なってその結果を
多数決で最終2値出力にするもの)をも比較した。

被験者にも実験者にも分からないように両者は切り替えられた。35人
の訪問者が被験者になったが,結果は,単純RNGではp<0.00001,
複雑RNGではp<0.001となり,単純RNGのほうが効果が大きかった。
だがシュミットは,複雑RNGでも問題なく効果が出たことに注目し,
複雑さはPSIの妨げにならないと結論した。

こうした初期のシュミットの成功に対して,懐疑論者のハンセルは,
「シュミットはいつも独りで実験している」と,シュミットが不正を働いて
いる可能性をほのめかした。懐疑論者のオルコックは,事前に実験の
長さが決められておらず,調子がよくなったら実験が開始されて,調子
のいい間に実験が打ち切られたのでないかという疑いを表明した。

シュミットは,こうした批判を受けて,より厳格な実験を行なっていくの
である。
232過去遡及的PK実験:04/09/05 17:35

シュミットは1976年,PKの効果が過去のターゲットにも及ぶ可能性を
示す実験を行なった。

この実験では被験者が知らない間に,一部のRNGターゲットが,すでに
事前に生成・記録されてあった乱数に入換えられていた。ところが,
それでもPKの効果が出るのである(ときには事前生成の乱数を使った
ほうがスコアが良かった)。このPK効果は,被験者がPKをかける「前」
に実験者が記録された乱数を閲覧すると現われなくなる。驚くべきこと
に,RNGの乱数でなく,コンピュータの乱数発生ソフトウェアを用いた
擬似乱数でも(最初の種数が決まれば将来に渡って乱数が「決定」
されているにもかかわらず),同様に過去遡及的PKが起きることを
示した。またその際には,実験者が事前に乱数発生手順と種数とを
知っていても,問題なく過去遡及的PKが起きるという。

シュミットは,この現象を「観測理論」で説明しようとした。
233過去遡及的PK実験:04/09/05 17:36

さらに彼は,この過去遡及的PKを,PSIの存在を証明する厳格な実験
設定に利用した。

その一連の実験では,部外者(ときにはPSIに懐疑的な人物)に実験
監視者になってもらい,次の仕事をお願いするのである。実験者は,
2値出力RNG(あるいは乱数発生ソフトウェア)によってあらかじめ発生
した乱数系列のプリントアウトをコピーして,(本人を含めて)誰も見ない
ように封をしたまま実験監視者に送る。実験監視者はその封筒を受け
取ったら,実験を構成する複数のセッションごとに,プラスをターゲットに
するかマイナスをターゲットにするかを,それぞれ無作為に指定し,
実験者に伝える(封筒は開封せずに厳重に管理する)。実験者は,
その指定されたターゲットに応じたPK実験を,記録されている乱数を
用いて被験者に対して行なう。実験結果が集計されたら(この時点で
PKが働いたかどうかが分かる),実験監視者に結果を送付する。実験
監視者は,事前に受け取っていた封筒を開封し,事前に決まっていた
乱数によって実験が行なわれていたことを確かめる。

シュミットは,この種の実験を1986年から1993年に渡って5回行ない,
その結果を総計すると,Z=3.67(p値にして約8000分の1)で極めて有意
になることを示した。

実験監視者が信用のおける人物であれば,この種の実験は極めて
厳格にPSIの存在を示すことになる。
234メタ分析:04/09/05 17:36

シュミットは,注意深く実験設定を工夫し,被験者も精選して実験を進め
る方法をとった。

一方で1980年代には,RNGを作成して大規模に実験をする研究者が
次々に現われた。なかでも代表的なのは,プリンストン大学工学部の
PEARプロジェクトで,ロバート・ジャンらが行なったものである。彼らは,
大勢の協力者を被験者に使って,多数回のRNG実験を,12年間に
渡って積み重ねた。

彼らは1秒間に100〜1000個の2値乱数を発生する高速RNGを用いて,
乱数の累積値をプラスに偏らせる,マイナスに偏らせる,何もしないと
いう3つの条件でPK実験を行なった。彼らの実験の概要は次の文献で
日本語で読める。

 ジャンほか著 『実在の境界領域』 笠原敏雄訳(技術出版)

ジャンらは7800万回のPK試行全体で,50.02%のヒットを得て,p値は
0.0003で有意であった。この結果はシュミットのヒット率である50.53%
に比べれば,かなり低い。

懐疑論者のオルコックは,PEARの有意な結果が一部の被験者に集中
しているのを見て,そこでは「事後的」に,プラスに偏らせるか,マイナス
に偏らせるかを決めるインチキがなされたとか,実験者グループの人物
が被験者になっているとして,暗に実験者による不正があったとかと
批判した。
235メタ分析:04/09/05 17:37

RNG実験全体のメタ分析は,ラディンとネルソンによって,1989年および
2000年に発表された(1989年の論文は基礎物理学分野の論文誌に
掲載された)。

1959年から2000年までの215の報告(91の異なる研究者による515の
実験)に渡って分析したところ,エフェクトサイズは0.007と小さいが,
Z=16.1と,p値にして10の50乗分の1の有意性となった。

これらの実験が,不成功に終わった実験が隠されることで有意になって
いるにすぎない(引出し効果)と仮定すると,報告されない5240の実験が
存在したことになる。これは,研究者と実験設備の数からして現実離れ
した数字である。

またラディンとネルソンは,懐疑論者が指摘するような実験上の欠陥を
16箇所あげ,実験がもつ欠陥の数と実験結果の有意性との相関を調べ
たが,無相関であることがわかった。

懐疑論者は,実験上の欠陥がゆえに有意な結果が出ていると批判する
が,そういった欠陥を取り除いた最近の実験でも,同じように有意な結果
が得られているし,過去の実験であっても,欠陥があるからといって有意
な結果になっているわけではないことが示された。

この報告は,次のWEBサイトに公開されている。

http://www.boundaryinstitute.org/articles/rngma.pdf

何かイベントがあると,そこのフィールド乱数に偏りが生じるのなら,
それを地球規模で行なったらどうであろうか。そうした発想でラディンら
が始めたのが,地球意識プロジェクト(GCP)である。GCPは,世界各地
にRNGを設置して乱数を記録し,その偏りと地球規模の出来事との
対応関係を見ようというものである。

プロジェクトリーダーは,プリンストン大学工学部のロジャー・ネルソン
教授である。RNGを設置したサイトでは,毎秒200ビットのRNGの出力を
記録し,自動的にプリンストン大学へデータを送付する。プリンストン
大学では収集されたデータを随時公開し,誰でもが解析できるように
なっている。次のWEBサイトを参照されたい。

http://noosphere.princeton.edu/

GCPが本格的にスタートしたのは1999年であり,以来,サイトも次第に
全世界に広がって,今や50か所以上になっている。明治大学では情報
科学センターにおいて,2002年1月よりGCPに協力し,RNGサイトを運営
している。現在のところ,日本で唯一のサイトである。

これまでも,オリンピックやニューイヤーなどの世界的なイベントがある
と,たびたび乱数が偏るという観測結果が報告されている。

なかでも2001年9月11日のテロ事件の日には,極端な変動が観測され
た。第1に,全RNGの変動の相関が1年中でその日がもっとも高かった。
第2に,累積変動がテロの時刻から極端にプラス方向に振れ,その後
マイナス方向に落ち込んだ。この変動は標準偏差の6.5倍にも及んだ。
第3に,テロ時刻付近に移動平均のピークが観測され,この偶然に対する
比は,1千万分の1であった。これらの結果は,6人の統計学者によって
独立に解析されて一致した結論が得られていると言う。

RNGの地球規模の偏りがどのようなメカニズムで起きるかについては,
これまでのところ具体的な仮説は立てられていない。詩的な表現を好む
人は,「地球(ガイア)の息吹」が偏りとして現われるのだという。

一方,超心理学者の多くは,この乱数の偏りも実験者効果だろうと推測
している。それに対してネルソンは,世界中で多くの実験者がかかわっ
ているので,特定の実験者の効果とは言えないのではないか,と答え
ている。
238動物PSI実験:04/09/05 17:40

行方不明になったペットの犬や猫が,遠く離れた元の飼い主のところに
現われたという話が多くある。またペットたちは,大好きなご主人の帰宅
が事前に分かるとも言われる。最近では,ルパート・シェルドレイクらが
特定の犬と飼い主のペアの実験で,肯定的な結果を出している。また,
そのデータについてラディンが,地球物理学的指標との相関を調べて
いる。

こうした動物(アニマル)の発揮するPSIを,特別に「ANPSI」と呼ぶ。
ANPSIは,動物が「発揮する」PSIであり,動物をPSIの「対象とする」
生体効果と区別する必要がある。しかし,ご主人の帰宅が事前に
分かるといっても,犬のPSIではなく,ご主人のPSIである可能性も
考えられ,両者を区別できない場合も多くある。

ANPSIに関する厳密な実験は,次に示すように,乱数発生器(以下
RNG)を用いて行なわれている。

RNGを開発したヘルムート・シュミットは,1970年代にANPSIの実験装置
を作成して,多くの実験を行なった。

彼の実験装置は,動物を入れるオリが二等分されており,それぞれの
区画に電流が流せるようになっている。オリの中の動物は2つの区画を
自由に行き来できるが,あるタイミングでRNGが動作し,どちらから一方
の区画に無作為に電流が流れる。もし電流が流された区画に動物が
いたら,電気ショックを受ける。電流が流された区画と,そのとき動物が
いた区画は,コンピュータで自動記録される。動物にとって電気ショック
が不快であり,かつ動物にPSIがあるならば,予知(またはPK)を働か
せて,電気ショックを避けるというのである。

シュミットは,ハムスター,テンジクネズミ,アレチネズミ,ドブネズミ,
そしてオオエビなどを被験動物にして実験したところ,それぞれについて
統計的に有意に電気ショックを避けたと報告した。

同じころワトキンスも,トカゲを被験動物にして,無作為に一方の区画を
白熱灯で照明する実験を行なった。トカゲは,実験室の気圧や湿度の
状況によって,白熱灯を必要とするときは白熱灯が点灯する区画にいる
ことが多く,逆のときは点灯しない区画にいることが多かったという。
シュミットも,猫を使った白熱灯実験で肯定的な結果を残している。

さらにシャウテンは,ネズミに明るい円の下のバーを押すと餌がもらえる
のを条件学習させ,隠れた明るい円をターゲットにしたANPSI実験に成功
している。

より最近のANPSI実験で際立った成果を上げているのは,フランスの
ルネ・ピオックが1980年から取り組んでいるヒヨコを用いた実験である。

この実験では,ピエール・ジャニンが1977年に設計した自律走行型
ロボット「タイコスコープ」を使用している。タイコスコープはネズミ程度の
大きさの円筒形の物体であり,RNG(電子雑音式)の出力に従って
ランダムな方向にランダムな距離だけ動く。

彼は,ヒヨコたちをタイコスコープが母親であるかのように「刷り込み」
した(生まれてすぐにタイコスコープを動かして見せる)うえで,オリに
入れておく。その脇にタイコスコープを動作状態でおいておくと,初期
の実験では,タイコスコープはオリが空の状態のよりも,2.5倍もの
時間接近していたという。

一方で,刷り込みをしていないヒヨコの場合は,偶然平均であった。

また1986年にレミー・ショーバンは,タイコスコープを使ったネズミの
ANPSI実験を報告している。こちらでは,ネズミがタイコスコープを
恐れるので,タイコスコープはオリから遠ざかる傾向が見られている。

ピオックらは,第二世代のタイコスコープとして,RNGを本体から切り
離して,データを自動記録するコンピュータに入れ,そこからタイコ
スコープの動作を無線制御するシステムを作成した。さらにヒヨコの
誘引性を上げるために,タイコスコープの上にロウソクを灯し,部屋を
暗くして実験した。ヒヨコ15匹を80組に分けて(総計1200匹)実験した
ところ,71%の場合に,タイコスコープはオリに近いところにより多くの
時間滞在した(p<0.01)。

なお,RGと呼ばれる「人間の」被験者は,刷り込みされたヒヨコと同様
に,タイコスコープの存在位置を偏らせることに成功したという。


魂のライフサイクル―ユング・ウィルバー・シュタイナー
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130130838/
西平 直 (著) 東京大学出版会

宗教心理の探究
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130104039/
島薗 進 (編集), 西平 直 (編集) 東京大学出版会


「かつては代替知であったものが、
 いずれ正統知の地位を獲得するようになるのかもしれない」

 島薗進(東京大学教授・宗教学)
 (日本トランスパーソナル心理学/精神医学会顧問)

小久保秀之(1995)は日本超心理学会第27回年次大会シンポジウム
「21世紀の超心理学を考える」において、物理学の超心理学に対する
貢献可能性としてカオスと量子力学の研究が注目されると述べている。
すなわち、

『カオスの微小効果の指数関数的時間発展は,超心理学的効果の特徴を
 説明するのに 適当かもしれない。量子力学では従来からある観測問題
 だけでなく,メゾスコピック系の物理が注目されている。また,量子生物学
 や意識の量子力学モデルなどは,急速に研究者の数が増えつつある』

超心理現象に対する量子力学的アプローチは有望であるという印象が
ある。また、小久保(1995)は最近の生物学的研究において、通常の
5感以外にさまざまな方法を使って生物は情報を伝達していることが
わかっていると述べており、理論的には量子力学的効果が生物レベルで
発生していることが検討されるようになってきている。



2001年2月17日から19日、神奈川県葉山町の湘南国際村において、
文部科学省の外郭団体である科学技術振興事業団主催の異分野
研究者フォーラム「心と精神の関与する科学技術」が開催されている。

文部科学省は、将来的には恒常的な専門教育・研究機関である
「潜在能力科学研究所」や大学院・大学の設置も射程においた、
わが国のニューサイエンスの拠点づくりも構想しているという。
 本超心理学講座の著作権は,筆者である石川幹人に帰属します。
 筆者の許諾のない複製は,お断りいたします。
245アメリカの民主政治:04/09/05 23:57

ここに掲載するのは、アレクシス・ド・トックビルの名著「アメリカの民主
政治」からの名言の抜粋です。

何と言っても、本書はアメリカという国の真の姿を知るための最高の
古典的バイブルであると共に、この中には社会学において人類が
今までに到達した最高のものが集約されており、読者が社会学という
ものを把握するための最短のルートが提供されているからです。

それゆえ読者は、以下をプリントアウトして本と突き合わせ、書かれて
いる場所を照合して抜粋部分の前後の文脈に目を通す作業を行ない
さえすれば、もうそれだけで他のたくさんの本を読んだり大学へ行った
りせずとも、社会学の最高到達点のエッセンスを吸収できるのだと、
私は敢えて断言してはばかりません。

そこまで確信をもって推す理由はまず第一に、ただでさえ本書の内容
それ自体が驚異的に高いレベルにあり、現代の大衆社会の病理の
構造を示した本として本書以上のものが現代でも他にほとんど見当ら
ないことです。
246アメリカの民主政治:04/09/05 23:58

そして第二のもっと大きな理由は、本書が書かれたのが驚くべきことに
実に160年以上も昔だったということです。そしてそれにもかかわらず
ここまで正確に現代を洞察できたということは、要するに本書の基本的
な分析が如何に正しかったかの何よりも動かしがたい証拠なのです。

一般に科学においては、ある理論が信用できるかどうかは「予言に成功
したか」ということが大きな判断基準の一つとなります。その点からする
と、現在大学などの中にあるどんな「最先端の社会学の論文」といえども、
せいぜい10年程度の予言によってしか信頼性を実証しておらず、本書
が160年前に正しく現代を予測し、1世紀半を生き延びてきたというその
驚嘆すべき実績の重みの前では、本当ならそれらはまだ対等の立場で
本書に向かうことを許されていないはずなのです。

ともあれそれらを合わせて考えると、本書と肩を並べうる社会学の著作
はこの地上にまずほとんど1冊も存在しないと言えるでしょう。

その割には本書は、一般の知名度という点では必ずしもトップではあり
ませんが、しかしむしろその理由は、むしろどうもこの本の洞察が余りに
も突出して凄すぎたため、最近になって現代的な大衆社会の病が現実
となってくるまで、その真価がどれほどのものかが十分理解されなかった
ことにあるようです。

(何しろマルクスの「資本論」が出版されたのが本書の32年後であり、
 その後百年間、世の中はそれにうつつを抜かしていたのですから。)

そして知名度でトップでないところへもってきて、かなり分厚い本である
ため、とかく敬遠されがちで真価がなかなか世の中に浸透しないという
のが実情です。そのためここでは、現代的観点からみて最も重要と
思われる部分を厳選して抜粋し、とにかくこれだけを読めばその最高の
エッセンスを修得できるよう、工夫されています。
247アメリカの民主政治:04/09/06 00:00

なおテキストは講談社学術文庫「アメリカの民主政治(上・中・下)」で、
ページの指定もこの文庫版のページを指します。(もっとも以下の抜粋は
もっぱら中および下巻に集中していますが。)

そして作用マトリックスとハーモニック・コスモス信仰(個人主義。大きく
はデカルト的還元主義)についてご存じならば、トックビルが指摘する
多くの現象の背後にそれが横たわっていたことをどこかでお感じになる
ことでしょう。実際その多くは、その気になればそれを用いた数学的
再解釈も十分可能であり、われわれが本書にあらためて現代的な数学
的基礎を与えていくことも、あるいは可能かと思われます。

ただ、やはり何と言っても抜粋の文章だけでは内容の深さが表現しきれ
ないため、できれば文庫版と突き合わせて前後との関係を眺めると、
さらにその恐るべき洞察の深さがわかることでしょう。

とにかく以下のほんの10ページほどの内容についてそれを実行する
ことは、下手な本十余冊をだらだら読むことを優に上回る効果があり
ますので、是非試みてください。

「アメリカは世界中で最も少ししかデカルトが読まれていない国であるが、
 しかしデカルトの教訓が世界中で最もよく遵法されている国である。」

(下巻・22頁。これは、アメリカ文明の根幹にハーモニック・コスモス信仰
 が侵入しているということを、すでにトックビルが認識していたことを
 はっきりと示した語句として重要である。)

「今日、地上には異なる地点から出発して同一目的に向かって進んで
 いるように見える、二大民族がいる。それは、ロシア人とアメリカ人と
 である。・・・これら量民族は共に誰にも気づかれずに大きく成長した
 ・・・・両民族の出発点は異なっているし、道程もまちまちである。
 それにもかかわらずこれら両民族は、神の秘められた意志によって、
 いつか世界の半分ずつの運命を自らの手に掌握するように定められ
 ているように思われる。(中巻・498頁)

(しかしこれが何と1835年に行われた予言であったことには、誰しも
 驚嘆のほかないであろう。それが実現するのは110年後であるが、
 逆にそのことからわれわれは、例えばソ連の超大国化に関しては
 共産主義革命は最大の原因ではなく、背後にさらに大きな構造的
 要因があったことなどをはっきり知ることができる。予言の力とは
 そこまで大きいのである。なお、これは中巻の最後の文章であり、
 米国が唯一の超大国化した後のことはむしろ5年後に出版された
 下巻の方に多く記されている。)

「多数者の道徳的支配は、ただ一人の卓越した個人においてよりも
 多数の人々において、より大なる知識経験と英知があるという観念
 に一部基づいている(中巻・164頁)」

(なお「多数者の専制」とは、われわれの言葉で言えば「多数者の短期
 的願望が多数者自身の長期的願望を駆逐している状態」のことである。
 また、文庫版では下巻37頁の訳註にルソーの「一般意志」の説明が
 あるので、こちらも参照されたい。「一般意志」と「すべての者の意志
 (全般意志)」のどこがどう違うのかは、政治学の中で最も難解な概念
 とされているが、要するに前者が多数者の長期的願望、後者が短期
 的願望のことを意味しており、これは作用マトリックスと縮退の概念を
 知る者にとっては一目瞭然のことである。)

「一般に、アメリカにおけるほどに精神の独立と真の言論の自由の少な
 い国は他にはないのである。(中巻・179頁「アメリカで多数者が思想
 に対して行使する権力について」)」

「民主的民族では、大衆の恩顧は、人々が呼吸している空気と同じよう
 に必要なもののように思われる。そしてそこでは、大衆と不一致であ
 ることは、いわば生きていかないということである。大衆は、大衆と同
 じように考えない人々を屈服させるために法律を用いる必要はない。
 大衆にとっては、そのような人々を否認するだけで十分である。その
 人々の孤立感と無力感は、彼らを押し潰し絶望させる。(下巻・463
 頁)」

「民主国では、圧制は肉体を放任したままにしておいて、魂に直進する。
 ・・・そしてアメリカには精神の自由というものはないのである。(中巻
 ・181頁)」

「民主的社会という場所は、理念や事物など様々なものが常に変化し
 続ける、不断の変動の時代であると、一般には信じられている。しかし
 それは本当なのだろうか。(下巻・446頁「大革命はなぜ稀になるの
 か」。以下いくつかは、この問いの結論)」

「商業は、人々の自由を促進するが、人々を革命から遠ざける。・・・
 不動産は革命によっては一時的に危機にさらされるのみだが、動産
 は完全に消滅してしまう恐れがある。・・・それゆえある民族で動産が
 多くなっており、動産所有者の数が多くなっているほど、その民族は
 革命に反対する気分を多くもっている。(下巻・451頁)」

「民主的民族の欲望と自然的本能とを、よく注意して吟味すればする
 ほど、この世界に平等が一般的に恒久的に確立されるならば、知的
 並びに政治的大革命は、想像されているよりも遥かに難しく、そして
 稀になっていくことがわかるだろう。・・・・・・そのときには人々はあら
 ゆる革新を、煩わしい厄介な革命の第一歩として見なすようになり、
 それに引き入られることを恐れて、身動きすることを拒むようになる
 かもしれない。そのようになることを、私は恐れずにはいられない。
 ・・・・・そして人々は、ついには現在の享楽に臆病にも耽るだけの
 ものが持てれば良いと思うようになり、自分たちの将来の利益と自分
 たちの子孫の利益は、無視され消滅することになるかもしれない。
 ・・・・・そしてまた人々は、自分たちの境遇を改善するため精力的に
 努力するよりも、自分たちの運命の流れに無気力に屈従することを
 好むようになるかもしれない。そのことを思うと、私はぞっと身震いが
 する。(下巻・466頁)」

「新社会は、日に日に変貌していると信じられているが、私は新社会は
 ついには同一制度、同一偏見、同一風習にあまりに不変に固着して
 しまって、動かなくなってしまいはしないかを恐れている。その場合
 には人類は停止し、ゆきづまり、精神は新しい理念を生み出すことなく、
 永続的に自らの限界にとじこもり、その屈従を続けるのである。また
 その場合には、人間は孤独な不毛な小さな運動に力を消耗してしまう
 し、そして人類は、絶えず動いていながらも、少しも前進しないので
 ある。(下巻・468頁)」

(これらは、コラプサーとは如何なる状態かについてその本質を述べて
 いると考えられる部分である。病に例えれば、これは絶対回復不能
 な痴呆状態に陥ったまま死ぬこともかなわず永久に生き続けるよう
 なものであり、それに比べれば一時的な騒乱や戦争などは、いわば
 活力や回復力が残っていることの裏返しであって、さして戦慄すべき
 ものではないというのが、トックビルの認識のようである。また、それ
 が不可逆過程である可能性が高いということが早くも示唆されている
 のも注目すべき点であろう。いずれにせよ、これは本全体の中で
 人類の未来にとっての最大の脅威として位置付けられており、その
 予言能力からみてこの優先順位は信頼すべきものと考えられる。)

「民主的時代の著しい特徴の一つは、すべての人々が容易な成功と、
 目前の享楽に憧れていることである。・・・彼らは直ちに大成功をかち
 えたがってはいるが、大きな努力を払わないですましたいと思ってい
 る。(下巻・45頁)」

「民主的民族は、自由に対してよりも平等に対して、より一層熱烈な、
 そして一層執拗な愛情を示しているようである。(下巻・179頁「民主
 的民族は何故に自由に対してよりも平等に対して、より一層熱烈な
 そしてより一層持続的な愛情をあらわすのであろうか」)」