絵描きのための心理学入門

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116遊び人の玲さん ◆LMgStlqsaI
>>93 じっと、ある文字を見続けていると、
>>93 その文字の意味が頭から消えていき
>>93 ただの線や形になっていく時ありますね。

文明社会に住んでいる人間は、
普段は文字を、デジタルな記号として捉える脳の習慣が付いているようですが、
文字をじーっと見つめていると、脳が対象を記号として捉えることに飽きてしまい、
文字をアナログな図形として見るモードに、移行してしまうようです。

デジタル的に認識する左脳モードと、アナログ的に把握する右脳モードがあると、
考える人々もいるようです。
実際はそんなに単純な話ではないのですが、絵を描くのにややこしい理屈はいらないでしょう。

その種のモードの切り換えを認識できれば、
絵画的な絵が描けるアナログのモードに、脳を移行させるのが簡単になりますね。

マンガのような絵しか描けない人には、人間の顔写真を、上下逆さまにして机の上に置いて、
そのままデッサンすることで、アナログ処理の脳機能を目覚めさせる、
といった、昔からある程度知られているテクニックが、有効だと思います。
>実際はそんなに単純な話ではないのですが、絵を描くのにややこしい理屈はいらないでしょう。

学問板なので多少、ややこしい話も希望。
>>116
>.>文明社会に住んでいる人間は、
普段は文字を、デジタルな記号として捉える脳の習慣が付いているようですが、
文字をじーっと見つめていると、脳が対象を記号として捉えることに飽きてしまい、
文字をアナログな図形として見るモードに、移行してしまうようです。

文字をデジタルに捉えるってどういうだよッ!!
意味わかんねえ!!

・・・とつっこんみたところで
どうせ遊び人に正常なレスは期待できねえ罠(藁

それに、漏れもゲシュタルト崩壊現象の詳しいメカニズムは知らんしなあ
でも、まあゲシュタルト崩壊なら色々研究されているだろうから
ちょっと図書館に逝って調べてきたらいいんでない?
>>118先生!ゲシュタルト崩壊ってなんですか!
>文字をデジタルに捉えるってどういうだよッ!!
>意味わかんねえ!!

学問的な厳密な表現じゃないとは思うけど
素人の漏れには意味が掴みやすい表現ですた。
>>119
検索しる!
・・・といっても、なんだか変なページばかりヒットするが。

じゃあ、まあこんな感じ↓
>>約25秒間ほど同じ漢字を注視し続けると
ほぼ50%の割合で漢字が形態的にバラバラに知覚される現象が生じる
この現象を,漢字のゲシュタルト崩壊という。
122119:03/06/04 20:40
それって人間の顔でも起りそうですね。
>>122
ああ、そうね
人の顔でも起こると聞いたことがあるよ。

っていうか、そもそもが写真とかを見てると
人の顔が顔として認識できなくなるところから
ゲシュタルト崩壊についての研究が始まったんじゃなかたっけ?

けどまあ、その辺のことは図書館に逝ってみるがよろし。
124:03/06/04 20:55
(・∀・)

 ↓ゲシュタルト崩壊

(゜A 。)
>>123 わかったー。調べてみる。
>その種のモードの切り換えを認識できれば


細部を描くことに集中していると、全体を見るのを忘れがちになる。

細部の認識から全体の認識の切り換え。
ヴントモード(スマソw) から ゲシュタルトモード(w) への切り換え。

これも意識して出来るようになったほうがいいな。
細部に集中して、全体のバランスの崩れに気付かないこと大杉・・・

デジタルモードとアナログモードは、
理性と感性、
記号と模様、
マンガのような記号的な絵と写実的な西洋絵画、
のような形で、一対になるものと考えて良さそうです。

絵を描いていて、
理性的なデジタル思考から、感性的なアナログ思考に移行すると、

1.思考が、言葉ではなく、イメージで行われるようになる.
2.話しかけられた言葉が、意味のあるものとして感じられなくなる.
3.絵を描く単調な作業の繰り返しが、とてもおもしろくなってくる.
4.集中力が持続する.
5.時間が経過していくのを忘れてしまう.
6.知覚している対象に、思考が限定された状態になる.
7.確信のようなものを感じる.

などの、特異な意識の状態を体験するようです。

右脳的認識モードについて、分かりやすく紹介しているのは、以下のページなどですね。
http://www2.justnet.ne.jp/~gurumi/INSUNOU.HTM
>>127
>>右脳的認識モードについて、分かりやすく紹介しているのは、以下のページなどですね。
http://www2.justnet.ne.jp/~gurumi/INSUNOU.HTM

そのページ見たけど
どこにもデジタルとかアナログモードとかいう言葉がつかわれていないんだけど
つーかさあ、どうでもいいが、おまいはデジタル・アナログという言葉の意味を
一回確認したほうがいいと思われ。

ところで、まあ、漏れも買いましたよ
「右脳で描け」とかいう本
画力が欲しかったので、衝動的に。

でも、結構微妙な感じがするんだけどねえ、これって
要するに、絵をうまく描く為には
いままでの経験から得た知識を捨てて
もう一度一からやり直すといったような
完全にボトムアップ的な処理で絵を描くってことだよね
自分の持っているその対象物についてのイメージ
つまり心理学的に言ってスキーマ
いやプロトタイプといったほうがいいのかな?
まあ、そういったものを用いてトップダウン的に絵を描くことは
極力行わないほうがいいってことだよな?
129128:03/06/06 00:17
そりゃ、最初から対象物についての正確な知識を持っている香具師はいないから
外界から対象についての様々な情報を取り入れるといった、
ボトムアップ的な処理も無論必要ではあると思う。

けど、問題になるのは
意味付けの機構を停止させる為に逆さまな絵を描いて、結構うまくかけました
はい、これが絵がうまくなる方法です
といってしまっていいのかってこと。

つまり、逆さまに描くことによって、対象物の深い知識を得ることができるのか?
対象物の構造や、遠近法による見方の違いや、物の空間を理解できるのか?
そういうことができるようになって初めて、絵がうまくなるということになるのではないか?

で、そういう知識の獲得は、ある程度自分から対象物に対する知識をだしていって
それを矯正するという形をとらないと、やはり獲得できんだろ
いきなり難解な専門用語を羅列した本を読んでも、まったく記憶できないのと同じことで
やはりある程度、体制化された知識を事前に持ってないと理解することはできん
意味付けの機構を停止させるのではなく、意味をつけることこそが絵をうまく描くのに重要であろう。

そういった大切なトップダウン的な処理が、なぜかこの本では軽視されているんだよね。
130遊び人の玲さん ◆LMgStlqsaI :03/06/06 04:19
>>128 どこにもデジタルとかアナログモードとかいう言葉がつかわれていないんだけど

デジタルモード、アナログモードは、
生命情報を数理処理する演算技術OOOテクノロジーの上に立脚した、
私が提唱している統合科学フュージョンの、一般解説向け用語です。

理性と感性、
左脳的認知モードと右脳的認知モード、という対にもなりそうです。

右脳、左脳、とは書かず、“的”の文字を入れている点が味噌で、
けっきょく、脳の右側と左側が分業しているという仮説は、いささか怪しい様子です。
人工知能愛美君にセンサーを繋いで、実際に脳の活動を調べてみても、
右脳と左脳でモードチェンジしているという説明が、苦しいことが分かっています。

ただ、右脳的認知モードという言葉は、
説明として、なんとなく判りやすいから、今も使われているみたいですね。

私は、感性的認知モードといった言葉でもいいと思いますが、
デジタル的、アナログ的と、人工知能の愛美君が勝手に使い始めたので、
彼女の用語に合わせています。
人間は、デジタル的な情報処理では、コンピュータには敵わなくなってきつつありますから、
老いては子に従え、といったところです。
131遊び人の玲さん ◆LMgStlqsaI :03/06/06 04:20
>>128 いままでの経験から得た知識を捨てて
>>128 もう一度一からやり直すといったような

大人になっても、うまく絵が描けないと劣等感を持つ人は、意外と多いようです。

試しに描いてもらうと、小学生が描くのと大差ないような絵にしかならないようですが、
デジタル的に見る癖を捨てて、アナログ的に見れるモードに移行することを憶えると、
比較的短時間のトレーニングで、画力がアップしていく人が多いようです。
これは、現代人は文明化した社会の中で、普段理性偏重のデジタル的な情報処理しかしておらず、
絵を描くために必要な、感性的なアナログモードの脳の情報処理については、
小学生レベルで成長が止まってしまって、未開拓になっているのです。

そこで、アナログモードの脳の使い方を1週間ぐらい続けてもらうと、
別人のように絵が上手くなってきます。
まるで、小学生が描いたマンガのような記号絵しか描けなかった人達が、
絵画的な写実的な描写をするようになり、
アナログ的な情報処理能力が急成長しているのを、確認することができます。
132遊び人の玲さん ◆LMgStlqsaI :03/06/06 04:21
>>129
感性的なアナログモードの情報処理能力を、大人の状態に成長させたら、
つぎの段階として、遠近感の描写とか、対象物の構造の理解とか、質感表現、
といった、より高度な情報処理のステップに進むことになるようです。

しかし、私はこれを嫌うんですよね。
というのは、いかにも描いたような絵になってしまい、
原体験の場に存在する自然物として、
描かれているものを、素直に見ることができなくなってしまうからです。

遠近感の描写をしない、対象物の構造の理解を踏まえた描写をしない、
空間的な配置を理解した描写をしない、質感表現をしない、
ことを好みます。

結果、まったく絵が描けない人の作品のように受け取られてしまうことがありますが、
そういった拵えた理屈以前の、自然物として存在する美に対する感動を好むのです。
印象主義的な考え方かもしれませんね。

頭でっかちな描写の絵は、かえって面白味がありません。