1 :
没個性化されたレス↓ :
02/11/24 18:16 について語り合いましょう。
2 :
没個性化されたレス↓ :02/11/24 18:34
ゆんぐなつかしい
心理学板ではユングネタは忌み嫌われているので,
>>1 が話題を提供してスレを主導していかないと
あっという間に荒れるぞ。
4 :
没個性化されたレス↓ :02/11/24 19:48
共時性とは意味ある偶然の一致のこと、つまり、友人の ことを考えている時に、その友人の訃報の知らせが届く 類の現象に関する考えである。
5 :
没個性化されたレス↓ :02/11/24 20:00
6 :
没個性化されたレス↓ :02/11/24 20:56
7 :
没個性化されたレス↓ :02/11/24 21:53
うんこがしたいなあと思ったとき、トイレがあったのも 共時性でつか?
ノンノン うんこがしたいなあ、と焦ってる時に限って 別のうんこしたくてたまらない奴がトイレに飛び込んでくるのが共時性
フロイトの提唱した集合的無意識が人間全体にあり、 共通したモチーフ・イメージを持つ(原型論)。 深い無意識層(集合的無意識、自我の枠組みを越えた自己の一部)まで 下降すると、偶然の一致というような共通的体験をすることがある (シンクロニシティ=共時性)。 ま、論理的な説明はつかないし、科学的に証明されるのは ずっと後でしょう。 体験した事のない人にはどう考えてもただの眉唾。 時が来るまで、ひっそりと待つしかないな。
age
一応突っ込むべきなのかな…
>>9 の「原型」ってのは「元型」の間違いだろう。
12 :
没個性化されたレス↓ :02/11/26 23:44
ストーの記述だと, 共時性はユングの理論の中でも最もまとまりを欠く, みたいに言われてたね。 正直俺には共時性なんてチンプンカンプンだぜ。
13 :
没個性化されたレス↓ :02/11/27 00:40
シンクロニシティ・・・ ポリス好きだったなー
14 :
没個性化されたレス↓ :02/11/27 01:27
シンクロニシティには遭遇した本人の主観的なジャッジが重要でしょう。 「これは意味ある偶然だ」と認識し、出来事に個人的な価値を見いだすことにシンクロニシティ論の中核がある。
作劇上は、共時性という言葉には「それはご都合主義だろ」というツッコミを一撃で粉砕する説得力がありまつ。
>9 あはは。その通りだ。 アフォで恥ずかしいが、 ユングはこの板でもDQN扱いされてるし、恥の上塗りというところか… (と自分を慰めてみる) >13 ポリスって誰でつか? >14 >「これは意味ある偶然だ」と認識し、出来事に個人的な価値を見いだすことにシンクロニシティ論の中核がある。 中核は集合的無意識。 偶然の一致が事実として証明されても、それは学問ではなく オカルトにしかならないのが辛いところ。 集合的無意識、元型論自体が否定されたら元も子もなくなるのが「共時性」なので、 共時性を語る前に先にやっつけとかなきゃいけない事が多い・・・。
リロードしてみたら、ロボが……。 >15はごめん、意味が分からない。 説明もいらない。
>>9 と
>>14 の共時性はある意味、別の意味合いを持ったものとして
それぞれ独立に捉えられると考える。
>>14 ような「価値の発見」は必ずしも
無意識心理学の前提を必要とせず、社会的認知の理論にも還元できるわけで。
>12 ストーって誰ですか? 検索しに逝ってきまつ……。
>18 そうですね。 俺も、無意識なんかより、社会的認知の方が生きる上では大事なので 皆が>9のたわ言より、>14の現実の判断を下す方がいいと思う。 だけどきっと死ぬ間際には9のような無意識の考えに傾倒する気がする。 一種宗教まで入るし、確かにこの板で言われてる通り学問とは いえないよね。 俺はユング興味あるけど。
21 :
没個性化されたレス↓ :02/11/27 07:43
>>19 河合の訳で岩波から「ユング」って本が出てまつ。
学術文庫でも出版されてるから,入手はしやすいです。
ちなみに,ストー自身はユンギアンじゃなかったぽいです。
22 :
没個性化されたレス↓ :02/11/27 07:57
うーむ。ポリスを知らない世代か・・・若い・・・ スティングがこれでブレイクしたんだが。 シンクロニシティのアルバムはどれも今聞いても名作だ。 Every breath you take (見つめていたい)も入っているし。
24 :
没個性化されたレス↓ :02/11/28 00:32
>23 ポリスは洋楽ね・・・それなら名前だけは聞いたことあります。 シンクロニシティというアルバムがあったんですか・・・。 >21 その本は未読でした。 ありがとうございます。 あの、〔象徴〕は学問としての心理学的にはどう捉えられているんでしょうか?
25 :
没個性化されたレス↓ :02/11/28 00:35
象徴など論外かもしれませんが あえて学問的に述べてみたらどうなりますか?
象徴について。 人間は自分の伝対しようとする意味を表現するために、 話し言葉や書き言葉を用いる。 その言語は象徴に満ちている。 しかし、人間はしばしば厳密には叙述的でない記号やイメージも用いる。 言葉やイメージはそれが明白で直接的な意味以上の何ものかを 包含しているときに、象徴的なのである。 <は、つねにそれが代表している概念以下のものであるが、 象徴は、その明白でただちにわかる意味より以上の何ものかを あらわしている。 その上象徴は、自然で無作為な産物である。 多くの象徴のなかで(そのなかで最も重要なものであるが)、 その性質や起源において、個人的なものではなく、 普遍的なものがある。 それらは、主に宗教的なイメージである。 信者は、それらの象徴が神に機嫌を有する、つまり、それは 人間に啓示されたものである、と考える。 懐疑的な人は、それは作られたものだとにべもなく言ってしまう。 この両者はどちらもまちがっている。 懐疑的な人が指摘するように、宗教的な象徴や概念は、 何世紀にもわたる、念入りできわめて意識的な彫琢の対象であったことは 真実であり、 信者が思っているように、それらの起源は、過去の神秘性のなかに遠く うずもれてしまって、人間的な源泉をもっていないかのごとく思われるのも やはり真実である。 しかし、それらは、事実、太古の夢や創造的な空想から無意図的に 自然に生じてきた「普遍的表象」である。
× 人間は自分の伝対しようとする ○ 人間は自分の伝達しようとする
× <は、つねにそれが代表している… ○ 記号は、つねにそれが代表している… で、 ×信者は、それらの象徴が神に機嫌を有する ○信者は、それらの象徴が神に起源を有する 誤字だらけで、もうだめぼ…。
29 :
没個性化されたレス↓ :02/11/29 20:49
普遍的表像として挙げられる象徴とはなに? 鳩=平和のシンボルとか? 漠然としていて分からないのだが。
30 :
没個性化されたレス↓ :02/11/29 20:50
普遍的表象として挙げられる象徴とはなに? 鳩=平和のシンボルとか? 漠然としていて分からないのだが。
精神分析やってる香具師ってアフォだよなあ 自分たちが何がわかっていないかということすらわかっていない。
>鳩=平和のシンボルとか? それも一つ。 >言葉やイメージはそれが明白で直接的な意味以上の何ものかを >包含しているときに、象徴的なのである。 という事なので、他にも沢山あるが、広く分布する宗教的イメージ 動物、車輪、十字なども数えられる。 (現実にはいない架空の)怪物も象徴の一つとしてもよい。 たとえば怪物を思い浮かべる際、 経験的に見たこともないものを空想する際、 各人が共通認識を持つのは何故か? 子供はどうやって言語と実際の事物を結びつけるのか? 「言語」-「概念」-「事物」と結びつく際、 その概念に、記号=言語や事物以上の意味を持つのは何故か? その意味が、個人的ではなく、共通に認識されるものがあるのは何故か?
>その概念に、記号=言語や事物以上の意味を持つのは何故か? >その意味が、個人的ではなく、共通に認識されるものがあるのは何故か? 質問箱スレでたまたま聞いた解答で「クオリア」という言葉を知ったが、 このクオリアの解明が上記2行の質問の一つの答えになるかもね。 ※クオリア=脳を含めての物質の物理的記述と、私達の心が持つ様々な属性の間のギャップを 象徴する概念 クオリアが脳の中のニューロンの活動からどのように形成されてくるかという ことは、人間の脳における情報処理を特徴付ける「統合された並列性」を 解く上で重要な鍵になっている…だそうな。
>>32 「鳩=平和のシンボル」のどこが普遍的なんだよ。
旧約聖書のノアの方舟のエピソードに由来する
典型的なユダヤ=キリスト教的シンボリズムだろうが。
>>33 クオリアの意味を誤解してらっしゃる。たぶん。
35 :
没個性化されたレス↓ :02/11/29 23:54
「クオリア」の元ネタはロバート・M・パーシグの 『禅とオートバイ修理技術』辺りでなかったっけ? 違うならスマソ
>35 クオリア、東京工業大学とかがやってるようなので、科学的なのか と思ってたが違うんでしょうか? もしネタ元が『禅とオートバイ修理技術』だったら(未読ですが) 禅とか言ってるし、もともと科学というより、ユングに近そう……(汗。 >34 正直誤解しているかも? 実際の事物と、それを脳内で変認識した物との間に生まれるギャップ =クオリアかとオモテタ。 違うんですね?
心理学の中でクオリアに一番近付いていた研究は、 ヴィルヘルム・ヴント先生の構成心理学だったんじゃないかと 俺は前からこの板で主張しているわけなんだが、どうよ。
38 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 00:10
それは、そうかも知れないですな。
39 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 00:13
出版当時は米国で大層、話題になったらすいですが。
×実際の事物と、それを脳内で変認識した物との間に生まれるギャップ ○実際の事物と、それを脳内で変換し認識した物との間に生まれるギャップ >34 鳩=平和の象徴について ちょっと迷ったが、それもアリと思いますた。 白い鳩⇒平和という変換で、旧約聖書のノアの方舟のエピソードから 平和を導き出したあたり、白い鳩という言語以上の意味が発生しているので・・。 しかし、キリスト教圏に限られる発想なので、 ユングの注目する「普遍的な表象」としての象徴の範疇ではないですな。 ツッコミ(フォロー)さんくす。 懐疑的な意見大募集。 っていうか、私も冷静に考えたいので。 自分だけだとつい都合のよい風に勘違いしてしまうんで……。 宗教の枠を越えた普遍的表象もあるので、ヴントは乗り越えられると思うが…。 >39 話題になったのは、『禅とオートバイ修理技術』でつか?
なんつーかユングは、ヴントの構成心理学を独自な方向へ展開して、 自分の内観的真実を基に、一息に科学的証明もなしに、 脳を含めての物質の物理的記述と、私達の心が持つ様々な属性の間の ギャップのうち万人に起こりうる共通な認識のみをピックアップして、 それを普遍的表象とした。 科学的ではないが興味ある。 ユングに興味あるものとしては、ユングのいう「普遍的表象」 (これがこければ、共時性もこける)証明への 第一歩として、クオリアの解明の動向が気になる。
ここじゃ禁句なんだろうが、ユングってオカルトチックな面がある からね。つまるところ近代合理主義からはみ出てるってことだが。
43 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 05:37
禁句ではないが、ここはユング関連スレなんでなあ。 もともと近代合理主義では説明できない人間の奥深さを 述べたものなので近代合理主義では人間を説明しきれないっつーのが前提にある。 夢なんて不条理なものも研究対象としてるし。 現代の最も優れた思考方法が 合理的な科学なんで今はこれに基づき考えるしかないが 今までの科学のあり方では説明できないことが多く 複雑系という方向も出てきていることだし ユングがオカルトチックでも科学で出来る所まで問うていく試みはチャレンジするに値すると思う。
ユング本人は、「分析心理学は科学ではなくアートである」 という考え方をかたくなに否定していたそうだがな。 俺の知っているユンギアンは「科学でありアートでもある」 などと言っていたが、おまえそれはいいとこ取りしすぎちゃうんかと(略
45 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 06:00
科学がもっと進歩しないとユングは証明できないよ。
物心一元論なんて、科学がどこまで進歩しようと検証はできない余寒
47 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 06:18
ユングはオカルトと誤認される危惧を抱いて自覚あったからね。 研究も世間一般にに公表するのを嫌った。 セミナーの冊子すら、終わった後は回収する程。 職人技のように、師匠ー弟子の直接的な伝授方法とした。 しかし晩年、周囲の説得を受け、一般読者に向けた本を書いた。 頑なに断り続けていたが 自分の理論は知識人(医者や心理学者)より 大衆の方がより良く理解を示すのではないかとふと考えたもよう。
48 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 06:22
物心一元論というより 単純な二元論を乗り越えようとする試み。 アンチテーゼではなく、第三の道としての考えでしょ。
ありもしないアンチテーゼを作ってそれを相対化してるだけじゃん、それ。
>45 科学も一定のお約束に基づいた信仰だよ。 信仰を別の信仰で証明しようとするこの矛盾。
51 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 06:38
科学では証明できないと匙投げてもしょうがない。 今までの科学絶対神話が揺らぎ、しかし進歩しつづけるのが科学であるから みずからの首をしめかねない複雑系という方向も出てきた。 天晴れ。 それに科学的な判断は捨てるべきではないというのが現代人としての私的信念。 科学が全世界を説明しきれていないが 科学の究極目的がそれである以上、 科学はいつかはユングの成否も問うでしょう。 そのいつかを目指し日夜研究に励んでいる方にとっては いい加減な理論が大上段に語られたら目障りかもしれんが・・・
52 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 06:44
少なくともユングにとってはありもしないアンチテーゼではなかった。 なんの免罪付にもならんだろうが、 ユングは科学ではまだ証明されない仮説を土台に理論構築してるが その構築が論理的なんでまったくのでたらめと片付けるには早計。
53 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 06:44
>科学はいつかはユングの成否も問うでしょう。 すでに、問うて「否」という結論が出ていますが・・・
54 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 06:48
誰が問うて判断したのか? 少なくとも現段階での科学でしょ?
55 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 06:48
>>52 それって、普通は「妄想」と呼ぶんじゃないかな?
56 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 06:49
>>54 そんなこといってたら、どんなトンデモでも
「少なくとも現段階での科学でしょ?」
で「科学」に反論できるわな。
57 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 06:53
普通はって・・・ 反論するなら科学的・論理的にやって欲しい。 そうでないなら不毛なんで寝る。
>>57 >まだ証明されない仮説を土台に理論構築
これだよ。
「科学」でも、まだ証明されない仮説を土台に歩を進めることはある。 しかし、あそこまで「理論構築」したら「妄想」だ。
60 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 07:01
すでに今の段階では学問といえないと言ってるが、何か? それを踏まえた上で科学的に証明していく価値がユングにはあると思う。 これについては見解別れるだろうが。
>まだ証明されない仮説を土台に理論構築 の仮説から証明していくしかない………(鬱。 まずは象徴から……。 上で出てきた、 とんでもハップン 科学的 ユング ->->ヴント クオリア <-<-<-<- となんとか近づいて接点を見出しそこから語らないと埒があかないかな。 他になんかいい接点はないものだろうか。 言語学あたりとも関係していきそうだが、俺には残念ながら博学では全くない。 なので、博学な方の多いこのスレでやると、いいことあるかな〜と 思ったのだが。 (1ではない。 1はどこへ逝った?) 寝ます。
×博学な方の多いこのスレ ○博学な方の多いこの板
あ
>>40 百軒くらい出版社に断られて、やっと一軒見つけて出した途端に大反響だと。
66 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 13:41
ちょっと待て。それ以前に ユ ン グ の 説 っ て 反 証 可 能 命 題 な の か ? でなければ科学による肯定や否定は未来永劫不可能な罠。
>66 それは解こうとする前に答えを知ろうとするような質問でつね。 ユングは、実は形而上学的理論ではありまへん。 証明不可能、反証可能な、経験的科学的理論に分類されるかと。 (少なくともユングにとっては、そうなる。 自分自身も研究対象であったため、完全に中立な立場を取ることが難しいし 大分部分の人間にとってはそう誤解されてもしょうがないかもしれないが。) まずはいきなりぶっ飛び「共時性」ではなく、範囲を絞って 論証していけばなんとかなるかもしんない?
× それは解こうとする前に答えを知ろうとするような質問でつね。 はい、×でした。削除しまつ。 解く、解かないの以前に、ユングの「経験」が万人には理解されがたいのが 問題………。 土台となる「仮説」からまず問題。。
精神分析学派で、フロイトのリビドー説が嫌いなヤツが ユングを選ぶんとちゃうの?
>>67 ユングがどう思ってたか、なんてことはまったく問題ではない。
分析心理学の理論命題の中で、これはこれこれこのように
反証が可能だという例を一つでいいから挙げてみろよ。
>70 ユングの分析心理学の理論命題の一つで 「あらゆる《真実な関係》は究極において意識性にかかっている」 一つの関係の価値は、双方からする意識性の程度にかかっている。 関係が全体的ないし部分的な同一化や投影および転移に基づいていない、 あるいは基づかなくなってはじめて、心理学的に関係について 大まかなうんぬんをすることができる。 というのは、それらの現象(同一化、投影および転移)は無意識の 材料との混和によっているからである。 要約すれば、誰が何にかかわるかが根本的に大切なのだ という事もできる。 ただし、これらの現象は非常に多いので、それを議論から 外すのではなく、むしろそれらを意識的関係の必然的な前段階で あるとして扱わなければならないと考える。 上記はユング分析心理学にとっては自明の理であるが、 これは反証可能では?
だから、どのような観察命題がそれを反証しうるんだよ。 自明であるとはつまり定義により常に真であるということじゃないのか?
>72 いや、知らない人もいるかと思って。 ユング分析心理学をやる人にとっては「自明の理」といっただけで、 まさかここで引っ掛かられるとは思わなかった。 っていうより、ユングの分析心理学知らないのでは? (知らなくってもこのスレで興味を持っていただけるのは良いと思うが) 命題のほうに注目して欲しい。 反証は可能でしょう。 私に反証の手本を見せてくれ…とか一人相撲議論をさせようとまで しないよね? 反証可能な議論であって、反証されないものを科学的に認められた理論というんでしょう。
73の最後の一行は一般論であって、先にあげた命題が 「科学的に認められた理論である」という事を指してはいない。 念のため。
ポパーがフロイトを批判して言った言葉だったと思うけど、
「精神分析家は、自らの理論に対するどのような反論に対しても、
『それは君の抑圧の結果である』として否定し去ることができる。
それゆえに精神分析理論は反証に対して開かれていない」
というような話がある。
真実な、とか究極な、という危うげなタームの使い方も、
それと同種類のものだよ。科学命題における反証事例なんてのは
ただ「それが観測されたかされていないか」の問題に過ぎず、
原理的に「反証可能な観察命題が仮定しえない」なんてものではない。
少なくとも、
>>71 を反証できる観察命題は俺には思いつかない。
究極においてに意識性にかかっていない真実な関係が発見された、
などということはどのような状況において言うことができるんだ?
概して、精神分析理論は完璧だ。科学はそうではない。それが反証可能性というもの。
微妙にかみ合ってないような
78 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 18:55
>77 死ね 板の話と関係ない私事でのカキコはやめろ
79 :
没個性化されたレス↓ :02/11/30 18:58
>78 ていうか、あちこち巡回してればわかるけど、 こないだからあちこちのスレに張りまわってるよこいつ。 マジでどうにかならんのかな。
心理分析理論は完璧ではないと思うのだが・・・。 一般の人にとっても自明の理であったのか? それとも、真実な関係などまともに取り上げ反証するにも 値しないものだったのだろうか? 「関係」という概念の厳密な意味については、ここでは 「客体がどう主体に作用し逆に主体が客体にどう働くのかの様式」とする。 ここでは《真実な関係》の存在有無が問題ではなく、 《真実な関係》が意識性にかかっているかどうかが問題である。 《真実な関係》とは、主体と客体が両者の意識以外の何ものかに 影響されることなく作用しあう様式である。 これは、たとえば迷信を信じる神話の世界の中に生きている未開人の夫婦が (要するに意識性の低い夫婦)が真実な関係を築いているかどうか、 お互い個人的にかかわりあっているかどうかを観察してみれば良い…… なんか分かりにくいな、やはり・・・。
下記ならツッコミどころあり、かつ、観察的に反証しようという気にはならないだろうか? 「意識」は、「間欠的、個人的歴史的には可変的で、人格的性質をもち、かつ個性的である」 「無意識」は、「継続的、個人的歴史的には不変的で、非人格的性質 (せいぜい部分的に人格的)かつ集合的である」 ※ただし、意識・無意識の境界に属する「個人的無意識」はここでは度外視した限りにおいて。 そもそも「集合的無意識」が形而上のものであるかどうかが議論の分かれ目か? ユングは「経験的」に膨大な夢の記録から「典型的なモチーフ」を 取り上げているが、統計的研究の可能性があるかもしれない。
>心理分析理論は完璧ではないと思うのだが・・・。 >一般の人にとっても自明の理であったのか? それは反証可能性ではなく構成概念妥当性だ。 ユングを科学的に検証できるかどうかを考えるなら、 もうちょっと科学哲学を押さえたほうがいいぞ。
>82 そうでつね・・。 勉強しに逝ってくる。
あ、83ですが、 >75 >概して、精神分析理論は完璧だ。科学はそうではない。それが反証可能性というもの。 を受けて、 >心理分析理論は完璧ではないと思うのだが・・・。 >一般の人にとっても自明の理であったのか? と書いただけであって、妥当だから認めろ!とか言ってませんので。 ユングの命題は色々あるが、反証ならできる物もあると思うんだが、やはり。
「精神分析理論は完璧だ」の文脈を読めてないだけ。
「『それは君の抑圧の結果である』として否定し去ることができる。 それゆえに精神分析理論は反証に対して開かれていない」 とフロイトの言ったことと一緒にしてますか? ひょっとして? ユングのスレなんですが。
精神分析学者はどんな反対意見に出会っても、その反対意見は 批判者の抑圧のせいであると示して、いつでも反対意見を説明し 去ることができる。同様に、意味の哲学者もまた、彼らの敵対者の 主張を無意味であると指摘しさえすればよい。そして、この指摘は、 「無意味」という言葉の定義がこの言葉についての討論は無意味 である、というように定義されているのだから、いつでも真である。 マルクス主義者も、同じ手管で敵対者の不同意をいつでもその 敵対者の階級的偏見によって説明する……。 問題の本質が何処にあるか、まだ分からんか?
>87 だからユングスレだってば。 ユングはそんなこといってないでしょう。 読んだのか本当に、ユングを。 問題の本質は、87がユングについて語ってないことでしょう。 他の87の言う「精神分析学者」の代表がユングではないだろうに。 そう誤解しているなら、ユングの書いた本読んだことないんですね。 (87のいう「精神分析学者」の話をしたいなら、烈しくスレ違いでつ)
ユング理論は科学的検証に耐えられるのか、 という話の流れにあわせてるだけだろうが、阿呆。 ユングの言った言葉以外には耳も貸さないってか?屑めが。
>他の87の言う「精神分析学者」の代表がユングではないだろうに。
代表ではなくとも,ユングが精神分析学者の一員であると認識していますが,
不都合はありますか?
>>88 のレスを読むと,ユングは精神分析学者ではないかのような
印象を受けるのですが,
その点についてはいかがですか?
なんか知らんけど、この板に来るユング好きは、 ユング派がサイコダイナミクスアプローチ、広義の精神分析学派の 一部に属するということを知らないか、認めたがらないのよね。 独自性を主張したいんだか何だか知らんが、やたらフロイトを否定したがるし。
>90 わ〜ドナさんにレスつけられてしまった。 光栄! いや、失礼しました。 >代表ではなくとも,ユングが精神分析学者の一員であると認識していますが, >不都合はありますか? それについては不都合ないと思いますが、87の言う 「精神分析学者はどんな反対意見に出会っても、その反対意見は 批判者の抑圧のせいであると示して、いつでも反対意見を説明し 去ることができる」 というのは理解できませんね。 むしろフロイトではないですか? ユングはフロイトの全てをリビドーで解釈する分析についていけず 離反したので、そのようなこと(全てを抑圧のせいにする)を 言ってないですよ。
>>92 それは抑圧云々の問題ではなく、その説明体系が
反証可能性について開かれてるかどうかだって言ってんの。
目先の用語に流されんじゃねえよボケ。
>93 だからその説明体系は、ユングの体系ではないんでないですか?
>>94 ユングの説明体系は反証可能性に対して開かれてるのかどうか、
を問題にしてるんだろうが。脳みそ入ってのかボケナス
聞いてもいいですか? ユングやフロイトが学問として認められないと仰るのは分かりますが、 フロイトとユングの違いはついてないのでしょうか? 本当にそうなんですか?
>>96 ユングとフロイトは違う、という主張以外何も考えられないわけ?
ここにおけるポパーの言説にどういう意味があるか、理解する頭もない?
本 当 に そ う な ん で す か ?
ただ、学問としての心理学板にこんなスレいらねーって 潰したいだけなのでしょうか。 だったら私が立てたスレでもないですし、書き込みは止めますが。 >95 だから、ユングの説明体系は反証可能性に対して開かれるべきだと 言ってるんですよ。 ユングの理論はあっちこっち飛んでいて、なかにはとんでもハップンな 物もありますが、それが全てではないんです。 脳科学が発展すれば、ユングの夢理論なんかは大部分反証可能なんでないかと 思い期待してるんですが。
ポパーという人はおよそ全ての非科学理論を槍玉に挙げているわけだが。 まあ、個人的事情のあれやこれやから、アドラーにはこだわるが、基本的には ポパーの議論は普遍的なものであって、そこにはユングとフロイトの区別なんぞない。
>100 ロボさんなにげに100ゲトですか? いや、ユングとフロイトの違いなぞないとか言い切られちゃうと もう何もいえまえんよ、はい。 今日はもう寝ます。。。
なるほど。確かに、全く何も分かっていないようだな。 >そこにはユングとフロイトの区別なんぞない。 をどう読み替えたら >ユングとフロイトの違いなぞない になるんだよ。なめんな。
103 :
没個性化されたレス↓ :02/12/01 00:16
ユングとフロイトは確かに違うが、 その体系について反証可能性がない、という点については同様と見て構わない、 というだけの話では?
>>92 リビドー理論に対してユングが離反したというのは理解できるのだが,
>>90 の
>
>>88 のレスを読むと,ユングは精神分析学者ではないかのような
>印象を受けるのですが,
>その点についてはいかがですか
という点について回答をいただいていませんね.
>>103 のいう「反証可能性」についてご検討いただけますか.
>104
>
>>88 のレスを読むと,ユングは精神分析学者ではないかのような
>印象を受けるのですが,
>その点についてはいかがですか
日本では精神分析という場合、フロイトのみならず、フロイトから
離反していったアドラーやユングの説も含めて考えることが多いが、
精神分析(psychoanalysis)⇒フロイト
個人心理学(Individual Psychology)⇒アドラー
分析心理学(Analytical Psychology)⇒フロイト
と区別して呼ばれる。
ネオ・フロイトはの考えも含めて総称するときは、
深層心理学(Depth psychology)とか精神分析学的な心理学とか
言われる。
上記に共通するのは、人間の行動理解のために「無意識」という概念を使用
する点であるが(注意:アドラー派ではこの考えはしだいに薄れていく)
お互いの間には相当な差異がある。
心理臨床と密接な関係を持っており、理論の精密さや明確さを誇りとする
よりは実際場面に役立てることを第一と考える心理学の試みであったため
(心理学と名づけるのに反対する人がいるかもしれないが)
オカルトとここでは一笑に付されているようだが、
それでは勿体ないので、学問として高める必要あり。
反証可能性については検討します。
それに私も興味があるので・・。
軌道修正ありがとうございます。
(sageなのに度々あがるのは、全角のSが入っていたからか…汗)
あ、あれ… sage
×分析心理学(Analytical Psychology)⇒フロイト ○分析心理学(Analytical Psychology)⇒ユング
108 :
没個性化されたレス↓ :02/12/01 15:13
「ところでごく最近の話なのですが、アメリカのある大学の医学者たちが、 精神分析は実験による証明を許さないという理由で、精神分析に学問としての 性格を認めることを拒むということがありました〜。それはそれとして、 われわれが問題にしている夢の象徴性を実験的に証明することに着手したのは、 ほかならぬヴィーンの研究者たちでした。シュレッターという人はすでに一九一二 年に、深く催眠術をかけられた人物に性的な事柄を夢見るように命じたところ、 そのようにして誘発された夢の中には性的素材がわれわれに周知の象徴に置き換え られて現れるということを発見しました。」(続 精神分析入門)
「たとえば、ある女性に一人の女友達と性交する夢を見るようにという 命令が与えられます。すると夢の中には、その女友達が婦人専用という レッテルの貼られた旅行鞄を持って現れてくるのです。もっと印象深い のは、ベーテゥルハイムとハルトマンが一九二四年に、いわゆるコルサ コフ錯乱症の患者たちについて行った実験です。二人は患者たちに性的 な内容を持った話をおおざっぱにしておき、そののち患者が医師の要求 に応じてその話をもう一度くりかえす際に表れてくる歪曲に注意しまし た。その時にまたしても、性器や性交を表すわれわれに馴染みのもろも ろの象徴が現れたのです〜。」(続 精神分析入門)
110 :
没個性化されたレス↓ :02/12/01 15:24
参考までにっちゅうことやね
アメリカにでの精神分析は、ユングというよりフロイト派のほうでは ないんでしょうか・・・と感じましたが。。。 あと、性に絡めるのはフロイトのリビドー理論。 フロイトの研究当時のヨーロッパは性に対して非常に閉鎖的であった為、 性が抑圧されていた為に無意識⇒性的象徴という事が実際臨床の場で 多かったのかもしれませんが、これは性というものがさほどタブーになった 現代ではあまり有効ではありません。 ところで、夢の象徴性を実験で確かめるよりは、私はまだ、 夢を見る脳の構造の研究から、ユングの夢理論へ反証を唱えたほうが、 現実的な可能性があると思ったのですが・・ 今過去ログ「心ってどこにあるの?」をROM中。 意識(心)を「機構」として扱うより「機能」として扱うほうが いいかと思い、脳科学が発展してもひょっとして無理か・・・と 検討しなおしているところ。。 もっと読んでみないと分かりませんが。 クオリアの解明というのが、ユングまではぶっ飛ばなくても、 ユングのいう象徴(=言語が意味する以上の何ものか)の自然発生の メカニズム追求につながると思うのですが、 まずヴントと、クオリアの元ネタ本も読まなければならないですかね・・・ あと、科学哲学ももっと叩きこまねばなるまいし…(あ、自分にですよ) 気、気が遠くなりますが・・・。
× これは性というものがさほどタブーになった ○ これは性というものがさほどタブーでなくなった
113 :
没個性化されたレス↓ :02/12/01 16:35
「続 精神分析入門」の著者を知らん厨め!
いや、ユングは読まなくていい。居るだけでいいんだ(藁
誤解を生みそうなんで、ひとつ・・。 ユングの言う「無意識」は、意識的でないもの全て(=「影の総体」)です。 これがシンプル。 それ以上のごたごたした論議を弟子達がしているのを 見てたまりかねたユングが発言した言葉だったと記憶していますが(うろ覚え。 無意識については、個人的無意識と集合的無意識の層があり、 集合的無意識は普遍的な人間共通の意識層として捉えています。 この辺りがユングが飛躍している所であり、ツッコミ所です。 集合的無意識について、研究対象は夢と神話です。 クライアントの膨大な夢を集めて研究し、典型的モチーフを拾い出しました。 (そこから、有名なアニマ・アニムス・グレートマザー等の元型論につながって いきます) これが、確証バイアスによるものかどうかは ライフサイクルのある特定の時期に、ある典型的モチーフがよく現れる、 あるいはそのモチーフの現れ方のバターンが特徴的に変化することなどを 統計的研究がなされれば、反証可能かもしれません。 「○○は△△の象徴」という安易な図式化も、ユング理論で意図するところでは ないです。 ユングが「経験的に既知のこと」を客観的データとして残しておらず、 またユング理論に散りばめられた象徴や神話に魅せられた人が オカルト色を強めてはおりますが、 その辺りを指摘しているのが、ユングの高弟のマイヤーです。
>114 読まないでどうやって批判するのか? 読まないでどうやって納得するのか? 要するに114は、荒らしだってことですね。
>113 だからフロイトでしょう。 ユングの 意識-個人的無意識-集合的無意識は、 フロイトの意識-前意識-無意識 とはリンクしません。 ユングとフロイトの決定的な違いは、理論の根幹にある 無意識的な心的エネルギーが意識に作用を及ぼす際の、 エネルギーの発生もとです。 これをフロイトは性欲「リビドー」とすることに固執しました。 ユングは異を唱え、性欲もあるが、もっと広範なものではないか・・と 考えを発展させて行きました。 研究してたどり着いたのが、典型的モチーフ(象徴)であり、 それが共通している事から「集合的無意識」という考えを導き出しました。 私が読むと、典型的モチーフの拾い出しが、ヨーロッパ圏内であるため、 キリスト教のモチーフ等も多く、日本人には適用できないのではないか・・と 人間共通という普遍性に疑いがあります。 しかし、ここで、世界各地の神話の類似性についての指摘があり 一概に否定はできません。 かなり怪しいですけど。 ユング・フロイトの体系に共通していえるのは、 意識が、無意識からの心的エネルギーの影響を受ける (無意識の概念はユングとフロイトの間では差異ありですが) という事です。 これが反証可能かどうか・・・・が問題なわけですよね?
118 :
没個性化されたレス↓ :02/12/01 17:20
いいかげんチャート式学習法は卒業したまえよ(ワラ
>118 そんなことで、いちいち上げるなYO。
120 :
没個性化されたレス↓ :02/12/01 17:39
なんで下げなきゃいかん?
学問板でユングなんてやめろよゴルァって思われる所にスレ立ってるから。 こっちも、勉強不足も極まるところだし。 「心ってどこにあるの?」面白いんだけど、ずっと読んでたら、 眼精疲労で頭が痛くなってきた・・・・ プリントアウトして読んだほうがいいのかな。
122 :
没個性化されたレス↓ :02/12/01 18:22
違いを重視し絶対化してしまうのが、チャート式学習法の欠点のひとつ。 フロイトとユングの違いなんて本当はニュアンス程度のものだということ が理解できないのだろう。。
123 :
☆☆☆☆☆ :02/12/01 18:22
>122 ニュアンス程度の違というなら、結論だけでなく、 「フロイトとユングについての体系が同様である」と導き出した 122氏の意見を拝聴したい。 ご教示願います。
122氏のユングとフロイトの違いの話とは別に(脇道にそれていますので) >117 >ユング・フロイトの体系に共通していえるのは、 >意識が、無意識からの心的エネルギーの影響を受ける >(無意識の概念はユングとフロイトの間では差異ありですが) >という事です。 > >これが反証可能かどうか・・・・が問題なわけですよね? という方を確認したんですが・・。
126 :
没個性化されたレス↓ :02/12/01 19:13
127 :
没個性化されたレス↓ :02/12/01 19:15
まずフロイトやユングの思想といっても、それらにはそれぞれにかなりの 振幅があり、確固たるもの・固定したものではないことに注意しなければ ならない。フロイトにしてもこれが私の思想の決定版だ、などと整理して 示してくれはしない。リビドー論ですら、決定版はないというのが本当の ところなのだ。○○の思想といっても、読解によってそれぞれが構築して やるしかないのであり、そうやって自ら創設者となって、精神分析の実践 を生きたものにすることが、権威主義的に反復されるいわゆる転移の言説 を超えた、真の精神分析的営為ですらある。まぁ、自分で勉強しろってこっ た。 たとえば普遍的無意識というが、「トーテムとタブー」を書いたフロイト には、普遍的無意識の概念は存在しなかったろうか? たとえば還元主義的解釈というが、フロイトは機械的還元主義を戒めてい なかったろうか? たとえば構成主義というが、ユングは還元主義が有効な場合、還元主義で も構わないと言わなかったろうか? すでにフロイト・ユングの時代ではなく、ラカンやクライン、ポスト・ク ラインの思想まで十分に読み込んだ上で、フロイトなりユングなりを位置 付けてやらなくてはならないのではないか?
127氏は122氏ですか?
129 :
122・127 :02/12/01 21:37
>たとえば構成主義というが、ユングは還元主義が有効な場合、還元主義で >も構わないと言わなかったろうか? 読みなおしたんだが、これは良くない表現だった。これは断片的な材料(失錯行為 のような)を用いる時の話だった。忘れてくれ。
ていうかお前ら反証可能性の何たるかも知らないようだな。
「全てのカラスは黒い」に関しては、
白いカラスが一羽存在すれば、その命題に反証できたことになる。
どんな事態があればその命題が間違いであると決定できるのか、
それが明確になっているのが反証可能性というものではなかったか?
たとえば、
>>117 「意識が、無意識からの心的エネルギーの影響を受ける」について、
どんな事態が実際に確認されれば、間違いであると決定できるのか。
そういう理論の正否の基準が明確に示せるかどうかが反証可能性。
私は、ユングの理論には反証可能性がないと思う。
それで充分だと思うが、どうか?
反証可能性というのは、科学非科学の境界設定にかかわるもので、
それがそのまま価値のあるなしにつながるわけではないのだから。
132 :
没個性化されたレス↓ :02/12/02 16:32
ある部分は実験で証明したといってるのだから、反証可能性もなにも、 追試すればいいだけだと思うが・・
その「ある部分」というのは、せいぜい初期の言語連想研究くらいでしょう。 いわゆるユング理論なるものは、その後に確立したもの。 それに、連想実験を追試すれば、確かにユングの言うように 反応時間のばらつきが観測できるが、 その観測結果の解釈の仕方のほうが、むしろユング理論に関係してくる。 ユングの連想実験に関しては、当時からすでにクレッチマーが 研究自体はたいへん興味深いが、解釈に関しては主観性の度合いが大きい、 と評している。
134 :
没個性化されたレス↓ :02/12/02 17:43
>132は、108・109の話。 あれはフロイトの還元主義とかユングの構成主義とかいう、主義以前の話だ。 そういう主義以前の、機械的に翻訳するしかない状況をデザインした実験。 噛み合わないね・・(w
135 :
没個性化されたレス↓ :02/12/02 17:46
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>131 なるほど・・・。 反証可能性をやたら面倒に考えすぎたアフォ=117(私)ですが、 >反証可能性というのは、科学非科学の境界設定にかかわるもので、 >それがそのまま価値のあるなしにつながるわけではないのだから。 それは了解してます。 >私は、ユングの理論には反証可能性がないと思う。 >それで充分だと思うが、どうか? もちっと考えたいです。 というのは、ユングやフロイトの、広義の意味での『分析心理学』が臨床心理学の 基礎理論の礎にある以上、それが「形而上学」であり非科学的理論であるのは 問題でないかと・・・。 非科学的でも有用であれば良いのかもしれませんが(東洋医学みたいに。 これは、科学的に証明されてるんでしょうか? 東洋医学が利くのかどうかは 私は受けたことがないので知りませんが) 臨床心理士やカウンセラーが巷に溢れる以上、科学でないという事に 留意しないのはちょっと……。 いや、私が知らないだけで、研究がなされているのかもしれませんが、 どうなんでしょう?
臨床心理学はもっと科学的な視点に留意してもいいし、 実験系も心理学を始めた時の素朴な動機や疑問(動機は人それぞれなので そういう人ばかりでないかもしれませんが)を忘れては どちらも無味乾燥なものになってしまう気がします。 まぁ、こんなのは部外者だからいえる究極論で、 素人の私がどーこーいうのこそ全く無駄、 各分野で必死に研究や技術を磨いている人達がいずれは発展させていく ものだと思うんで、非常に僭越ではありますが・・・。 ってか、ひょっとして臨床心理学でも、ユングはDQNなのかな? なんかK大のセンセ方もK氏に失笑というか、エッセイ書くなら 論文書け・・とか言ってたし。 でもK氏の政治的な動きにも私はそれなりの意義があると思うんですが。
age
>>131 「意識が、無意識からの心的エネルギーの影響を受ける」と言う命題に対する反証可能性についてですが。
将来、喜怒哀楽や創造性を有した、人間の意識に極めて近い一種の「人格性」をもった人工知能が開発されれば、それを手がかりに上記の命題に対する反証のための手段が得られるかも知れません。
但し、そのような高度な人工知能が開発された暁には、深層心理学を初めとして、人間の「心」を扱って来た多くの学問体系が何らかの変革を迫られることになると思われますが。
いったんageてみる…
141 :
没個性化されたレス↓ :02/12/08 22:35
夢は判じ絵なのさ〜
142 :
没個性化されたレス↓ :02/12/08 22:37
あのぉ,まともに心理学を教えている大学じゃ,ユングもフロイトも ふつうは無視しますが. 素人の世界では知りませんが,ちゃんと心理学を研究している 世界では,臨床心理学というのは行動療法か認知行動療法のことを, 指していて,精神分析やロジャー図のカウンセリングのようなものは 否定・無視するのが通常ですよ.血液型性格論と変わらない まがいものが2chのようなスレでいつまでも残るのは, マジメな心理学徒としてはきわめて不愉快ですね
>142 じゃーageるな。
>139 だ〜か〜ら〜
>142 139じゃないけど、 >精神分析やロジャー図のカウンセリングのようなものは >否定・無視するのが通常ですよ. 10年で随分変わったんですね。 臨床心理学の基礎としてユングは載ってるし(これはK大色が強かっただけ?) ロジャースもアドラーも………(汗。 今はこれらは血液型性格論と一緒なんですか。 分かりますた。 こちらを執筆された村○孝○教授は、ではもう退任されたのでしょうか? 訂正されたりしたのかな。
非大学=素人でつか? 大学=素人がまじめな心理学徒ヅラしてるのを見るのは きわめて不愉快でつね(w
>146 は? 心理学徒ヅラなどしてませんが。 どこからそのような解釈を?
自意識過剰でつ。 疲れる・・
ほう、10年前はユングもアドラーもメジャーだったのか。 知らなかったなあ。
哀れなのでオジサンがマジメに教えてあげるが、 10年前も今も変わらないよ。 ありがたがっているのは臨床バカのアホ心理学徒で、 彼らの中ではユングなりロジャースなりが主流だってこと。 勝手にやってろということだわな。
>149 メジャーとは言ってないですが。 >150 哀れとはまぁ何を誤解されているのか分かりませんが、 どうもご親切に有難うございまつ。 っていうか、大部分の心理学に関係ない人間は誤解すると思いますよ。 本まで出回ってれば。 有斐閣ブックスとかだったら信用しちゃいそう。 『心理学用語の基礎知識』とか改定はされないのでしょうか?
>『心理学用語の基礎知識』 まあ古いことに間違いはないが、他の箇所をこそ読め。 ドキュソは自分に都合の良いほんの一部分だけを読み、しかも誤読したりするから始末に負えない。
>>all このスレは、ユングの提唱した「共時性」について熱く語る場所のはずです。 外部の雑音など一切無視し、清明なる心のままに、まずはあのユング的オカルティストの先達、秋山さと子大先生の仰られた通り「易」でも立ててみましょう。 「易」こそが、シンクロニシティーの本質に肉迫するための最良の方法のはずです。 スティングの歌声ばかりに浮かれていてはいけません。自らの積極的な体験を通してのみ共時性の意味は理解できるのです。 さあ皆さん、明日から筮竹を握りましょう! そして「心」と向き合いましょう!!
煽ってる割には詳しいんですね・・・ 意識を扱おうとしたら非科学的にならざるを得ない。 だからといってオカルトに走る事への免罪符にはならないが。 それでもユングが興味深いのは、 自分の体験を基にしている点です。 体験だと偽ってない限りにおいて。 観察されないから存在しないと言うってもそれは手法のルールに過ぎないのでは? 科学的な立場を貫くならば、不愉快という 感情 的な書き込みはやめて欲しいな(はぁと 観察されないんだから感情も存在しないんでしょうから。 別にユング信奉してる訳でも心理学だと言ってる訳でもないし。
ユング本と言いながら、実はユング著者の解釈ばかりが盛り込まれた本が読まれているのかな・・・ ユング本人の著作を読むと、科学的ではないが浅いオカルト趣味では片付けられないものがあるのだがね。 心理学とは言ってないが臨床例の記述は興味深いよ。
×実はユング著者 ○実はユングにインスパイアされた著者
その前に、故・秋山女史はユング派精神分析家ではないんだが。
易たてて何の益があろうか。
下手なしゃれはやめなしゃれ。 ははははは。 さむー。 東洋思想に興味あったからなぁ…<ユング。 黄金の華の秘密とか読んでると、妙にタロット占いとか 思い出すんですが…(汗。 だけど、「人間と象徴」は分かりやすくて面白い。 編集部の人間がユングの基に通って出版の運びとなったユング晩年の本。 ユング自身も一般人に分かるように書こうと初めて思ったらしく この編集部の人間(トーシロー)を基準にしながら書いたそうなので、 読みやすい。 面白いといっても、あくまで「読み物として」だけど・・。
ユングは好きだが、あくまで心理学板は心理学板らしく学問あって欲しいと思う このアンビバレンツ。 マヂでスキナーだの何か興味出てきたし。 といいつつ、オペラント条件づけの本、まだ読みかけなんだがナー。 いずれにせよ、私のような輩が、レスするからレベルが下がるのかな(汗。 心理学徒を騙ったことはなく、誤解されそうな時については 「素人ですが」とあえて断っているんだが…。
>>157 私も、秋山さんが分析家の資格をお持ちでなかった事は存じ上げています。
しかしながら、キワ物的な著作もあると言うことを認めつつも、わが国にユング心理学の存在を広く知らしめたという事実は取りあえず受け入れざるを得ないのではないでしょうか。
特に、共時性の概念がここまで人々に知られるようになったのは、まさに秋山さんの努力(?)の結果ではなかったかと思われます。
>>158 「易立てて何の益があろうか」ですが、あなたが占いにはまり込み易いタイプの人でしたら、「易」には手を出さない方が賢明だと思います。
とは言え、「易」は文字どおり偶然性の中から豊富な象徴的イメージを喚起させてくれるものです。その意味で「易」は共時性の実験素材としては最良のものの一つだと私は考えるのですが。
さあ、あなたも勇気がお有りでしたら、明日から筮竹を握ってみましょう!
ユングやフロイトはもとより、深層心理学全体に対する実験主義者たちからの攻撃は今に始まった事ではありません。昔からそうだったのです。
批判は批判として冷静に受けとめつつも、それでもあなたたちは「心の主体性」を認める者として、自信を持って道を歩むべきです。
>>161 ここで「心の主体性」を「自我の主体性」と読みちがえると、深層心理学の説に禿しく反するかも。
無意識の働きが自我の主体性を凌駕するというのですから。
実験主義者の方々はそのような説が耐えられないでしょうか?
(^^)
164 :
没個性化されたレス↓ :03/02/18 15:52
あげ
165 :
没個性化されたレス↓ :03/02/18 22:36
あっ、これってシンクロニシティ?と、思う瞬間て、たしかにあるけど、こういうのを、 確証バイアスというのだろうか?
166 :
没個性化されたレス↓ :03/03/06 04:27
質量がエネルギーに転化されるように、物質と心も互いに干渉します。 物心未分化の領域においては、時系列を越えた現象も起こりうるかも...。
168 :
没個性化されたレス↓ :03/03/06 05:40
(^^)
ほしゅっ
(^^)
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
>質問箱スレ535
>ユング心理学では、ペルソナとゼーレは対をなすものと理解されているのでしょうか?
ケース・バイ・ケースですが、ペルソナがゼーレを阻害するものになる場合もありますが、
ですが、ゼーレの対となる概念ではない筈です。
すみませんが、私もよく分からないので、このサイトを。
ttp://www.nanzan-u.ac.jp/~mwatanab/jp/scripta/chugai01.htm >あと「集合的意識」とは「元型」のことなのですか?
これは違います。
元型には、「シャドウ」「アニマ」「アニムス」「ペルソナ」「オールドワイズマン」
「グレートマザー」「ペルソナ」の7種類がありますが、
例えば「シャドウ」は「無意識の総称」です。
いつから7種類になったんだ?
質問スレに書けよ。
173訂正。 元型に、「トリックスター」が抜けていました。 すみません。
>>173 だいぶ混乱があるようだけれども…
外界への構えたるペルソナと対になるのは、内的構えとしての無意識コンプレックス。
この無意識コンプレックスには、文脈によって、アニマ、ゼーレの両方の用語が同じ意味で当てられている。
(この場合のアニマは、いわゆる「魂」を意味する言葉で、
アニマ/アニムスにおけるアニマとは意味が異なるので要注意)
だから、文脈によってはペルソナとゼーレは対をなすように理解される。
「集合的意識」とは「元型」のことではない。
ユングによれば、集合的無意識は諸元型によって構成されている。
集合的意識というのは、集合的ではあるが比較的に意識領域に近い心の部分のことで、
例えば、「時代精神」と呼ばれるようなものがそれにあたる
元型は7種類とは限らない。ユングはこの他にも、
シジギー、変容の元型、童子元型、トリックスター、ガイスト元型と、様々に挙げている。
そもそも原理的には、人間の振る舞いのパターンはすべからく元型に相当するが、
そのうち、よく人格化されて現れるものをユングは集中的に取り上げているというだけ。
続き。 「シャドウ」は「無意識の総称」ではなくて、元型のひとつ。 シャドウは自分と正反対の性格を持った同性の像で表されることが多いとされる。 ユングによれば、個人的要素が多く現れる傾向があり、元型的要素は比較的弱い。 どちらかというと浅い無意識領域に属するもので、本当の意味での元型的領域というのは、 自分とは異質な存在、すなわち異性像として表されるアニマ/アニムスからになる。 また、ユング自身はペルソナを元型としては挙げていない。 むしろ外界に対する当人の構えを指す言葉として使っている。 多くのユンギアンはペルソナを元型のひとつとして考えているようだが、 林道義のようにこの考え方を否定する立場もある。 参考文献は、なにはともあれ『元型論』だが、このほか、 ペルソナについては『自我と無意識』第2章、 シャドウについては『アイオーン』第2章参照。 ユングスレpart2でも出ていた話題なので、そちらを見てもよい
>178 シャドウは無意識の総称といったのはユング本人と伺っています。 シャドウについて弟子達が論争を繰り広げているのを見て 語った言葉とされているそうですが・・。
>>179 それは結局、その場の文脈でそういう言い方をするところがあったんだろうと思う。
「シャドウ」が「無意識の総称」である、というのはあまり一般的な理解でないことは確か。
>181 そうなのですか。 ご説明有難うございます。 質問箱スレで質問があったので書いたのですが、 教えていただいて幸運でした。 また、「ペルソナが元型でない」という言説についても諒解しました。 「転移の心理学」という本に、ゼーレと元型について、下記のような記述があり、 それと符号します。(これについては、ユングの思想が入っておりますが・・。) 「もろもろの元型は、もちろんそれらのその時々の具体的な姿は 周りの世界から得た印象に基づいているとしても、外部のもの・ゼーレと無関係のもの・ を表現しているのではない。 元型が表現しているのは、それらのその時々の外観とは反対に、 またそれから独立して、むしろ各個人に生まれつき備わっていながら、その個性によって 修正されたり所有されたりしない、非個人的なゼーレの本質であり、生命なのである。 このゼーレは個々人において同一である。 つまりゼーレは多数の人々のなかで、 そして結局は万人のなかで同一なのである。 ゼーレは波の下に横たわる海のように、 一人一人の人間の心の前提をなしているのである。」
半可通が質問に答えるスレだったのね。 ユング派半可通には どうしてこうも思考停止したような御仁が多いのかね。
>183 半可通とは、どのレスを指していますか? 私のレスのことでしたら、自分が半可通なのを知っていますので 質問箱スレには書きませんでした。 私はユング派ではありません。
思考停止とは何のことか、書いて下さらないと分かりません。
ユングのゼーレや集合的無意識についての思想は、 哲学ではどのような系譜になるのでしょうか? ユングの「外界―内界」などは、哲学上の「外在―内在」を連想されますが・・
>>182 引用どうもです。
ここでのゼーレは、錬金術のアニマ・ムンディ(宇宙魂)概念に近い、
いわば神秘主義的な理解になっていますね。
もともと『転移の心理学』自体、錬金術文献の解釈で成り立っているわけだし。
ユングの用語、特に元型、アニマ、ゼーレあたりは、
文脈によっていろいろな使い方がされているし、
前期・中期・後期で持たされているニュアンスが違ったりするので難しい。
どの文脈での用語法だか明確にしないと、議論がかみ合わなくなってくる。
>>185 文献学的に正確な理解を問う文脈と、思考停止とは、まったく独立の事象。
それをあえて混同しているのは、要するに煽り。スルーで構わないです。
半可通は質問スレで答えない、というルールも遵守しているわけだし。
>半可通は質問スレで答えない、というルール そんなルールはないぞ。
>>186 >ユングのゼーレや集合的無意識についての思想は、
>哲学ではどのような系譜になるのでしょうか?
基本的にはプラトニズムに連なるものだと思うが、
錬金術思想の概念をそのまま受け入れている部分も多い。「一なる世界」とか。
>ユングの「外界―内界」などは、哲学上の「外在―内在」を連想されますが・・
ユングの「外界―内界」は、どちらかというと素朴な意味でのもので、
あまり難しい哲学的議論を背景にはしていないと思う。
>>188 素人が経験則で答えない、というルールはありましたよね。
文献学的なものとはいえ、専門の研究者ではない半可通が答えるのも
このルールに反すると私は理解してます。
>半可通は質問スレで答えない、というルール ルールその2「素人が経験則で回答するな」の拡大解釈と思われます。 >187 有難うございました。 バランスを取る為に、行動分析学と両方勉強しています。 臨床家でない私が勉強しても個人の道楽に過ぎないのですが、 興味が尽きないのです。
別に誰が何に答えたっていいんだよ ただ変な思い込みとか大衆心理学とかを吹聴する どうしようもない馬鹿がたまに紛れ込むからああ書いてあるだけ
まあ別に誰に何の義務があるわけでもないから 質問スレに書き込まないのは勝手だが そんな俺ルールでもって「自分はルールを守っている」 ということを他人にアピールするのはやめれ
もっとも久しく忘れられていたが 質問スレにはもう一つ暗黙のルールがあったな 「ユング関連の質問は隔離スレで」という
>189 有難うございました。 またお目にかかれれば幸いです。
ロボはいちいち書き込むな はっきりいってジャマ
>>190 実を言うと、私も行動分析学は面白いと思う。きちんと理解しているわけじゃないけど。
ユングは面白いが、それだけだと正直飽きる。
>>192 なぜそう受け取れるのかよく分かりませんが、
少なくとも、敢えて他人にアピールするような意図はこちらにはありません。
徹底的行動主義とユング心理学には もともと通じるものがあるのだよな その独特な決定論的色彩やらなにやら そもそも精神分析と行動分析にしてからがそうだが 思うに、半可通ユンギアンと半可通スキナリアンには同種の臭いがある 思考停止者の臭いとも確かに似通ってはいる、いわく言い難いスメルが
>>197 ユング心理学にある独特な決定論的色彩、というのはどういう部分のことでしょうか?
ユング心理学は目的論的ではあるが非決定論的、というふうに理解しているもので…
>半可通ユンギアンと半可通スキナリアン
勉強中は誰でも生可通です。
それを「スメル」だとか「臭い」だとかいう点で、「思考停止者と似通っている」
と仰るのは、ただの煽りだと思いますが・・。
>197
ただの煽りでないなら、
>>198 の質問についてご説明願います。
今頃調べているのかな・・
>>200 200をゲットしようかどうしようかと迷っていたところだ。
>>198 俺のいう決定論的色彩は部分の属性ではないし
根本的に理解の枠組みが違うという主観の相違。
>>199 その通りです。
君の心的現実に於いては。
>>202 すみません、ちょっとよく分からないのですが。。。
もう少し詳しく教えてもらえますか?
徹底行動主義とユング心理学、その両者に通じるものがある、
というのは何となく印象として分かるような気もするので。
>>202 >徹底的行動主義とユング心理学には
>もともと通じるものがあるのだよな
>その独特な決定論的色彩やらなにやら
>そもそも精神分析と行動分析にしてからがそうだが
ユング心理学と行動分析学そのものに「通じるもの」はあまり見出せないのですが、
「徹底」行動主義(≠いわゆる化石行動主義)が、ユング心理学に通じているというのは
どのような意味なのか気になります。
単に心の主体性を尊重している、という点位かなぁと感じていますが。
「決定論的色彩」の意味は全く分からないのですが、
もうちょっと詳しい説明をお願いします。
パラダイム自体は甚だしく共約不可能だよ。 そこから見ていっても、俺の言ってることは分からん。 つーか、ここに俺が答えを書いたら それをみんなが理解できるという話ではないので。 決定論的というのは、はじめに答えありきということだ。 答えというのが何であるかは個々の文脈により異なる。
>205 徹底的行動主義も、「はじめに答えありき」ですか? 私にはそうは思えません。 それでは、徹底的行動主義の「答え」とは何ですか?
>>205 >決定論的というのは、はじめに答えありきということだ。
この部分、ユングスレでも少し書いたことだけれども、
揺らぐことのないある種の直覚みたいなものを背後に持っている、
そこを共有できないとなかなか分かりづらい側面を持っている、
というふうに理解してもいいのでしょうか?
それとももっと単純に、ある種の枠にはめ込んで説明するだけの体系だ、
という意味でしょうか?
上の207は、103です。
行動分析学と精神分析学の最大の共通点はねえ、
それが完璧な体系をもっているということだ。
行動分析の前では、社会心理学など
有象無象のプチ理論の堆積物に過ぎぬ。
>>206 安直に他人に答えを求めてはいけないよ坊や
>>207 どちらの解釈も有意味であると思われ。
>209 はじめに答えありきと貴方が書いたので、 あなたが思うところの「答え」を聞いただけなのですが・・。 どのような意味で「完璧な体系」という言葉を使用されているのでしょうか。 世界の事象をその理論によって説明可能、という意味でしょうか。 それとも論理的に破綻がない、という意味でしょうか。
はじめにある答えは別に俺の答えじゃないし。 >どのような意味で「完璧な体系」という言葉を どちらの解釈も有意味で(以下略
>>209 なるほど、自分なりには了解しました。
ユングの場合、よくよく見れば体系にいくらでも穴があるが、
元型概念の曖昧さがそれを補っているような感じがする。
ここで、元型というのは哲学的厳密さに欠けるいい加減な概念だ、という判断もできるし、
元型という概念の直覚体験こそが真にユングの体系を支えている、と見ることもできると思う。
トランスパーソナル心理学系のテキスト『自己成長の基礎知識』のなかでは、
ライヒ、パールズ、ジェイムズ、ロジャーズ、マズローに混じって
スキナーもまた「オルタナティヴな人間性のヴィジョンの発展に貢献した」
として、大きく取り上げられていたりする。
そういう扱いは強引であるかもしれないが、決して不自然ではないという印象がある。
いずれにしても、理論的パラダイムとは別のところで
行動分析とユング心理学とがどこかでつながっている、というのは
やはりあるように思います。
ありがとうございました。
こんな曖昧なほめのかしを受けて それだけ思索を深められるのはたいしたものだと素直に感心する。
>211 徹底的行動主義は「はじめに答えありき」である、という貴方の主張が分からないのでお聞きしたいのですが・・ あなたは、徹底的行動主義ははじめからどのような答えを持っているとお考えですか? 私は、徹底的行動主義は答えを与えてくれるものではなく、 行動の記述に専念した方法論だと理解していたのですか・・
>>213 まあ、変化球もストレートだと思って受け取るような性分ですから。
一方ユング心理学の集合的無為意識などは一つの「答え」(世界観)を与えるものだと理解していますです。 このような相違から、両者に通じるものが何なのか、分からない訳でして。 私の不勉強さ故なのでしょうか。
217 :
没個性化されたレス↓ :03/05/01 01:53
俺も聞きたいのでアゲ
期待されてもこれ以上の説明はしないぞ。 俺の徹底的行動主義に関する主張は あちこちの過去ログに残ってるだろうよ。 どこにあるかもう自分でも分からんが
まあ、予想どうりだ。
これだけ言っとくか
>>216 学問が「勉強」だなどと思っている限り、
永遠にいまいる場所からは抜け出せんよ。
221 :
傍観者sono3 :03/05/01 02:04
つまり、よくしらんということなのだな。
説明はしない、過去ログを探せとは。 ロボは論客ともいえないなあ。
というか俺の行動分析学論などを読むまえに
マルシンド先生の教えを学んだほうがいい。
>>214 はおそらく徹底的行動主義と方法論的行動主義の違いすら理解できていない。
ついでに、主観的見解を提示することと 命題を議論の俎上に乗せることのの違いも 理解していただけると幸いだがそこまで期待はしない。
>220 分かりました。 暇な時にでも過去ログを探してみようかな。 学問は勉強ではなく研究でしょうね。 私は生可通なので目下勉強中です。 また、学問と思想は重なる部分はあってもまた違うものだと考えています。 学問に勉強は必要ですが、思想にはかならずしも必要ではない。 貴方が仰っているのは思想の話だと感じる事が時々あります。 一度考えてみられては。
226 :
没個性化されたレス↓ :03/05/01 02:28
223のようなレスを、虎の威をk(略
>>225 君の場合、認識も浅いが、学問に対するスタンスがそれ以上に甘い。
半可通を言い訳にしている限り真の向上はない。心せよ。
>>225 生可通じゃなくって
半可通(はんかつう)な。
>学問に勉強は必要ですが、思想にはかならずしも必要ではない。 んなわきゃあない.と思う,半可通のドナ,
言い訳などにはしていません。 どこからそのようなねじ曲がった解釈ができるのか、呆れています。
言い訳などにはしていません。 どこからそのようなねじ曲がった解釈ができるのか、呆れています。
233 :
没個性化されたレス↓ :03/05/01 02:35
ドナもロボも荒らしと変わらないな・・・・
こうして今日も誰彼構わず自己相対化を強いてまわり オプションの数を増やしかねない真似を続けるロボなのでした。
235 :
没個性化されたレス↓ :03/05/01 02:39
たまには自分自身を相対化したらどうかね。 認識論的優位に立ち、人に説教を続ける自分自身を。
てめえら、クズども ユングの理論について語れ できないのなら、去れ
>>236 _____
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| | | | ┃─┃| < 正直、スマンカッタ。
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はい、すみませんでした。 ユングの理論についてまた疑問点があれば書き込みます。
家でTVみたりTVゲームやってるだけで いじめられっ子だとか 殺人教唆だとか 言われるんですが どうしたらいいでしょうか?
なんだ、このスレ。
荒らしまわった挙句
>>237 の一言で終わらせている・・。
ひでぇな。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
244 :
没個性化されたレス↓ :03/10/04 19:25
しんくろにしてぃ〜♪しんくろにしてぃ〜♪しんくろにしてぃ〜ちょっ! ちゃちゃ〜らちゃららら〜♪ちゃちゃ〜らちゃららら〜♪
僕は詩人で芸術家で思想家のひかるです。
お前らのようなくだらない哲学者ぶってる奴にも、
ニーチェを超えた僕の高貴な哲学理論(ひかる主義)を教えてやってもいい。
掲示板にどんどん書き込んでくれ。ただし、荒らし厳禁。馬鹿丸出しの糞AAも貼るな。
特に女性は歓迎します。携帯の番号教えてください。
『Cracker Terrorism 国際貴族主義連合』
URL「
http://www.geocities.jp/hikarurutakashi2000/framepage5.htm 」
注:僕は気難しい。くれぐれも敬意を払って発言してくれ。キレる。
僕は統合失調症だから何をしても許されるエリート。それを忘れるなクズども。
あらゆる科学が発展した現代文明の中からみると集合的無意識ってのは ちょっとずれてる感もある。けど、複数の電子を箱に詰めて観測して しばらくたってからもう一度観測したときに、その場所の存在確率は 同じでもさっきと同じ電子がそこにあるかはわからない。2つの電子は 区別がつかないからだ。そーいう意味では人間の原始的意識も 区別がつかなくなって一つの大きな意識になってると、理論上は言えそう。 着眼点は面白いので精度を洗いなおして現代版にしたてあげてみる 価値はありそーだな、ユング。と、お厚いのがお好き?を観て思った。
247 :
没個性化されたレス↓ :03/11/07 08:08
シンクロニシティは、最近、生物学者たちの間で度々取り上げられている。 生物の行動や進化にシンクロ二シティといえる現象が多数発見されてきたか らだ。そのひとつを紹介しよう。 九州の東岸から少し沖に幸島という島がある。ここではニホンザルの行動を 研究するため、野生コロニーによるさまざまな観察、実験が行われていた。 そのなかにニホンザルの嗜好や食行動の研究があった。 100種類を越えるさまざまな食料を与え、その食べ方を研究していたところ、 サルたちが苦戦する食べ物があった。それは砂や泥にまみれたサツマイモであ った。果実や樹皮の食べ方は知っていても、泥で汚れたものを食べる方法をサ ルたちは知らなかったのだ。 その時、イモという名のメスのサルが問題を解決した。サツマイモを川で洗 うことを思いついたのである。サルたちにとっては人類の電気の発明と同じく らいの大発見である。たちまちその食べ方はコロニー内に広まった。だが、こ の発見をしたサルはこの島だけではなかった。 海という自然障壁さえも乗り越え、同じ実験をしていた他の島のニホンザル のコロニーや本州のコロニーでもサツマイモを洗うサルが登場したのである。
>>247 これって、20年以上前に読んだことある。
もう十数年前に体験だけど、個人的にシンクロニシティについて色々な書物を 読んだり考えていたら、何故か宇宙と同化するような経験をしたことがあった。 自分の中にとてつもないエネルギーの塊みたいなものを感じて、自分の意識が 喪失するような感覚に襲われた。そのときには神秘主義的体験という言葉は知らなかった。 「光は粒子であり波動でもある。」という言葉のように宇宙はひとつのエネルギー であり、そのエネルギーは物理的な性質(物質の形成)と精神的な性質(物質の流動)を 持つのではないかと考え、人間と外界は物理的にも精神的にも繋がっていると思えた。 よってシンクロニシティは起こるのだと。 ・・・なんか電波的かつオカルトみたいでスマン。
ついでに書いておくと不二一元論やら色即是空も納得した。
251 :
没個性化されたレス↓ :03/11/08 18:52
>>249 俺はシンクロ二シティを信じきって統合失調症になった。その感覚と似てる気がする。
252 :
没個性化されたレス↓ :03/11/14 08:47
統合失調症って心理学的にどうなん?
253 :
没個性化されたレス↓ :03/11/14 08:57
>>249 俺はシンクロ二シティを信じきってポリスになった。その感覚とも似てる気がする。
>>247 この話はトンデモ学者ライアル・ワトソンがでっちあげたホラ話であり、
日本の霊長類研究者はそれに激怒している。
256 :
統合失調症 :03/11/14 15:36
>>254 >>255 ありがとうございます。これで胸のつかえが取れたような気がします。
これからは統合失調症の治療に専念しようと思います。
>>252 どうと言われても・・・・
精神疾患のひとつですが、それが何か?
258 :
没個性化されたレス↓ :03/12/06 02:06
>>252 ユングの「変容の象徴」を読んで下さい。
共時性を楽しんだりわくわくしたりするスレではないのですね。
261 :
没個性化されたレス↓ :03/12/31 11:21
このスレ終わったのですか?
あけましておめでとうございます。 このスレ終わったのですか?
263 :
没個性化されたレス↓ :04/01/11 01:20
専門家ではないので難しいことはわからないが 本気で信じていることや実現したいことのイメージングをしていると しばらくして(期間はまちまち) その願望が実現することがある。これは良い事も悪い事どっちも 実現しちゃったことがある。失敗しないようにともんもんと考えてたら 見事に失敗したって感じです。
264 :
没個性化されたレス↓ :04/01/12 01:54
確かに偶然とは考えにくいよなぁ>263
共時性などというものは本来意識化出来うるものではないのでそれを学術の中で語ってしまったところにユング心理学の盲点があるのだろうが、問題はそそもそもそれが人間に対してどのような警告を含有しているかでは?
/ ̄ヽ │・3・ │ <ユングはきらI │ │ │、 │ Y 人 > (_)'J
267 :
あほゆるせ :04/02/04 19:48
反証というのはどうも繰り返しに近い。ボールの壁当てのようなもんで。キャッチボールは共時性に相似してる。共時性は反証できる。真実は物心一元。あまりお話には向かない。科学は確認作業安心できたらいいな。うほっ
俺のコンピュータとACCSのコンピュータのシンクロニシティにより、 ACCSのデータが手元に来たのであって、故意に行ったわけではない。 だから、俺は無実だ。
269 :
没個性化されたレス↓ :04/02/05 23:39
場による。その場ではいいんだよ。
270 :
没個性化されたレス↓ :04/02/06 18:32
それは同じときに人間様が同じような実験をしていたという事実 は勘定に入れないのか 何もシンクロニシティーなんぞというのをもちださんくてもいいべや
271 :
没個性化されたレス↓ :04/02/06 19:03
だめ だがや。
272 :
没個性化されたレス↓ :04/02/06 20:38
274 :
没個性化されたレス↓ :04/02/06 20:44
276 :
没個性化されたレス↓ :04/02/06 21:05
素人ですけど 東京に初めて上京して 最初に話しかけた人が僕の地元の親友の旧友だったりとか 人が話しかけてきた瞬間に彼の言いたいことが 分かってしまってそれを告げたら驚かれたりとか そういうことがよく起こるんですけど こういうのは共時性とは関係ないのですか?
>>277 すべて偶然と確証バイアスと利用可能性バイアスで説明できます。
ダイオードには一方向にのみ電流が流れます。
281 :
没個性化されたレス↓ :04/05/03 23:23
集合的無意識について科学的に研究してる人はいるのですか?
共時性を科学で説明すんのは無理だな。 科学ってのは言葉で説明したがるから言葉いじょうの感覚の問題になってくると弱い。
だから宗教的領域に入っていかざるをえなくなる。
こういうユングのドキュメンタリーを見ました。河合ハヤオが衝突したというユング研究所の 「J女史」などの肉声が聞けて面白かった。
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/630098639X Matter of Heart (1985)
http://www.kino.com/video/item.php?film_id=191 More than a linear biography, the film presents a fuller perspective on this humanist, healer, friend, and mentor,
through the skillful interweaving of rare home movies, valuable archival footage, and a wealth of interviews with such notables as Sir Laurens van der Post, Marie-Louise von Franz, and Joseph Henderson, M.D.
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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167138093/qid=1084673235/sr=1-4/ref=sr_1_8_4/249-8149013-5257942 この中の短編「鈍感な青年」を読んだ。大学生くらいの男女カップルが毎日、図書館で並んで本を読む(デート)、そして、ある日、東京下町のお祭りに行ってみる・・・
こんなにすんなりと主人公(たち)に感情移入できる話は久しぶりに読んだ。
それから、表題作 「樹影譚」 を駆け足で読んだら、Nabokov "Pale Fire" に近い世界を日本語で実現していた。 つげ義春にも似ている。
3つめの短編 「夢を買ひます」 も良かった。 これは Lolita みたいな感じ。 愉快で笑った。
285 :
没個性化されたレス↓ :04/08/08 11:35
age
>> こういうユングのドキュメンタリーを見ました。河合ハヤオが衝突したというユング研究所の 「J女史」などの肉声が聞けて面白かった。 Anielo Jaffe
287 :
没個性化されたレス↓ :04/09/20 05:37:06
http://d.hatena.ne.jp/kishida_shu/ 1.学歴詐称(詐欺横領) 2.セクハラ 3.剽窃(盗作)と三拍子そろった 「究極のハレンチ教授」 岸田秀
From 岸田秀 at 2004 09/15 07:38
> ところで、プロパガンダ。近頃、写真づいていて、この前、朝日新聞に写真が出ましたが、今度また、サンデー毎日に写真がでます。
(数ヶ月まえの太郎さんの言葉からの着想)
金日成(イルソン)の出生場所などに関しては神話(捏造)が続いている。
岸田が1996年以後も詐称を続けるのは、似た感じに、ある「物語」「神話」に固執しているからだろうか?
(新聞に写真が出るがごときの些事を異常に喜ぶのも、これに関係がある?)
以下のような「物語」「神話」を持続させたい:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b4%df%c5%c4%bd%a8 >> 中学時代から強迫神経症に悩まされ、自信の心の問題を解決しようとしたのがこの道に進んだきっかけ。やがてフロイドの著作に出会い、精神分析の研究をし、強迫症状はすべて自分を支配しようとした母親との葛藤から起きたものと悟り、神経症から解放される。
「ものぐさ」だが、本を大量に出す。
フランス語を話すのも下手だが(謙遜と見せかける)、博士号を取った(または、それに近い所まで行った)。
http://d.hatena.ne.jp/kishida_shu/ 1.学歴詐称(詐欺横領) 2.セクハラ 3.剽窃(盗作)と三拍子そろった 「究極のハレンチ教授」 岸田秀
288 :
没個性化されたレス↓ :04/09/20 14:17:01
>>281 >集合的無意識について科学的に研究してる人はいるのですか?
いるでしょう。ユングの言う集合無意識ではなくても
それに近い形のものを研究している研究者はいると思いますよ。
>>282 ユングがやったように易や確率を使って研究する事は出来ますよ。
いろんな科学の分野から立証するための研究をしない以上は
心理学は仮説だけの世界になってしまいます。
しかし・・・よりによってユングで共時性とは・・・ユングがこの板で嫌われるわけだ。
ユングは妻・愛人と3pしてた?
常識
291 :
没個性化されたレス↓ :04/10/14 23:08:19
292 :
没個性化されたレス↓ :04/11/06 05:07:56
集合的意識とか共時性とか全然信じてはないけど、無意識の世界なんていう非論理的で 非科学的な振る舞いをするものを相手にするには、そんなオカルティックなヨタ話を 信じるような柔軟性が必要だということなんじゃないかと思ってる
294 :
没個性化されたレス↓ :04/11/11 22:02:06
「「クンダリニー・ヨーガの心理学」」 C・G・ユング(著) / 老松 克博 (翻訳)
「発達 100 ― (創刊100号記念〉生きる意味を語ろう ― 」 ミネルヴァ書房
297 :
没個性化されたレス↓ :04/12/01 05:50:44
今、共時性についての過去ログ漁ってたんですが…質問させてください
共時性は唯物論を肯定するものか
唯心論を肯定するものか、という話題になったときのことです
ーーーーーーーー
15 名前: 名無しさん@1周年 投稿日:2000/11/05(日) 02:44
人間の無意識の活動が活発になる時、シンクロニシティが頻発するみたいな
ことは言ってた。当時検証可能でなければ科学としての俎上にあげることはできない
という、ある意味古典的な科学者としての自己抑制がユングにあったのは確かだが、
それでもシンクロニシティを問題提起したこと自体、唯心論もしくは主観的観念論への
方向性を示唆しているとみるべきじゃないか?少なくとも、自分の心が外界の現象
と暗示的にリンクするなんてことは、断じて唯物論ではないわな。
19 名前: 名無しさん@1周年 投稿日:2000/11/05(日) 07:02
12>15
ひょとして唯心と唯物が全く正反対の別のものだと思ってる?
だとしたら、それってユングのいいたかったこととまったく違う。
あなたはシンクロニシティの意味をまるっきりイタイ方向で
はき違えてると思うぞ。
ーーーーーーーーーーー
この
>>19 氏の言いたいことがイマイチわかりません
俺も
>>15 氏と同じような理解だったもので・・・どなたかご解説願えませんか?
ずっと頭に引っかかってるんです。このレス。
298 :
没個性化されたレス↓ :04/12/11 21:40:45
デジャヴって共時性なの?
299 :
没個性化されたレス↓ :04/12/12 14:42:03
黄金の華の秘密 錬金術…心理学のネバーエンディングストーリーだす。
300
301 :
没個性化されたレス↓ :04/12/13 15:54:37
TSUTAYAでダンボのパッケージを見ていたら、有線からマンボが流れてきたとです
302 :
没個性化されたレス↓ :04/12/13 15:57:03
>>297 私も
>>19 が何を言いたいのか解らない。
ただ、「シンクロニシティを問題提起したこと自体、
唯心論もしくは主観的観念論への方向性を示唆している」というのは
確かに少し違うかもしれない。
晩年のユングは、精神と物質の背後に両者を統一する元型領域があって、
心と物質はその元型の別々の現れにすぎない、と見ていた。
ユングが共時的現象に関心を持ったのは、
それがこの統一領域の存在を実証するものではないか、と考えたから。
シンクロニシティに関連して、よく聞く誤解は、
「世界は心が作っているのだから、心で思えば物質にも変化が現れる」
というもの。これだといかにも唯心的だが、
ユングが本当に主張するところは、
統一領域のひとつの現象が、心と物質のそれぞれで同時に観測されるので、
私たちには両者がひとつの意味で一致しているように見える、ということ。
心が物質に影響を与えるとか、心が世界を構成するとかとは異なる。
>>302 興味深く拝読しました。一つ教えてください。
> 晩年のユングは、精神と物質の背後に両者を統一する元型領域があって、
> 心と物質はその元型の別々の現れにすぎない、と見ていた。
それは一体何なのですか?原型ではなく元型と書く理由があるのかもしれませんが、
原型だとすれば、そこから精神と物質が分かれてきたということでしょう。だとすると
それが何であるか、何であると構想していたのかが気になります。
> ユングが本当に主張するところは、
> 統一領域のひとつの現象が、心と物質のそれぞれで同時に観測されるので、
観測する者は同一人ですか?「心と物質のそれぞれで」ということの具体的な
イメージが浮かばないのですが、どのようなことなのでしょうか?
> 私たちには両者がひとつの意味で一致しているように見える、ということ。
興味をひかれました。
>>303 「元型」は、ユングの言う archetypes の訳語として定着しているもので、
普通の「原型」とは違う意味合いを持たされていることに注意。
「そこから精神と物質が分かれてきた」というのは、流出論的な理解になってしまうけれど、
これはユングの理解と少し異なる。
コインの表と裏のように、ひとつの事象の二つの側面が精神と物質だ、ということ。
「それが何であるか」については、ユングの考えでは、原理的に認識不能。
私たちの意識の認識能力には限界があって、それ自体を直接に認識することはできず、
心と物質という別々のものとしてしか認識できない。
ただ、共時的現象などを通して、
「それ」が存在することをかいま見ることはできる、と考えた。
「心と物質のそれぞれで」の具体例を挙げると、
例えば、夢の中で知人が別れを言いに来て、
目を覚ましたら実際に訃報が届いていた、というようなもの。
ユングは、共時的な超常現象が実際に存在すると考えていた。
詳しいことは、ユングの著作に当たってみるべし。
へぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇ 夢が心で、訃報が届くという出来事が物なのか?
306 :
デミアン :04/12/15 10:24:53
便意が心で、うんこが物質。
道に転がっている犬の糞もあんたの心なのか?そうではあるまい。 糞は便意の共時性対応物ではなさそうだぞ。
308 :
没個性化されたレス↓ :04/12/15 11:41:22
おまえらは浅瀬で溺れる子供。
309 :
没個性化されたレス↓ :04/12/15 17:58:11
便意や性欲は本能に属するもの それこそ無意識の領域だ それと自己保存欲求 進退きわまる状況でこそ共時性は発生する 下痢をしてる時こそ宝くじを買え ウンがつくだろう
310 :
没個性化されたレス↓ :04/12/15 18:19:39
311 :
没個性化されたレス↓ :04/12/15 18:36:06
共時的現象はあくまで結果論 普遍的現象ではない そうかと思われるに過ぎない みんながみんな虫の知らせを経験するわけじゃない
312 :
没個性化されたレス↓ :04/12/15 18:49:47
便意の共時性対応物…サラ金のティッシュ
313 :
没個性化されたレス↓ :04/12/15 19:06:37
便意は神の意思で、うんこが人間。
314 :
没個性化されたレス↓ :04/12/15 20:36:04
あなた天才です
315 :
没個性化されたレス↓ :04/12/15 20:47:33
便意なくして出る赤ちゃんの寝糞 これぞ集合無意識ね為せる業
316 :
没個性化されたレス↓ :04/12/16 11:27:17
隠者、魔術師、精神的指導者としての元型イメージ ガンダルフ、オビワン、塚原ト伝、フィレモン 共時性の解明より物欲を離れた老人を敬いましょう
まじめに聞いたんだけどな・・・
318 :
没個性化されたレス↓ :04/12/16 14:58:34
319 :
没個性化されたレス↓ :04/12/16 15:37:51
新興宗教?
320 :
没個性化されたレス↓ :04/12/17 09:52:43
柳の下に猫がいる。だから猫柳…これも共時性かね?
321 :
没個性化されたレス↓ :04/12/17 11:59:04
君がいるから僕がいる
ほー。
323 :
没個性化されたレス↓ :04/12/18 01:40:00
ホケキョ!
324 :
没個性化されたレス↓ :04/12/18 13:52:25
>>321 これは、共時性ではない。一方が他の原因となるようなのは、因果律であり、
共時性の対概念といえよう。
325 :
没個性化されたレス↓ :04/12/18 14:37:10
知的鬼ごっこなり
326 :
没個性化されたレス↓ :04/12/18 16:07:47
朗らか、らか、らか、らりるれろ〜♪
327 :
没個性化されたレス↓ :04/12/18 20:37:52
328 :
没個性化されたレス↓ :04/12/21 11:59:05
共時性について語ろうとするとスレ進展しないな 無意識全体をテーマにすればよかったのに そもそもみんなが経験するかどうかもわからんものを語り合えるはずもない
軽いデジャヴなら誰しも経験あるとおもいけど、それって共時性と言えるのかしら
>>302 非常に遅くなりましたが、レスありがとうございました
ユングの主張については初耳でした。
331 :
没個性化されたレス↓ :04/12/28 18:16:25
すっかり寂しくなってしまった 煽りも荒しもなし
332 :
没個性化されたレス↓ :05/01/12 20:20:31
具体化できないような大きい力はある
333 :
没個性化されたレス↓ :05/01/12 20:45:29
人間って、たくさんの数え切れない偶然に毎日絶えず接しているはずです。 その中から自分にとって何か重要な出来事が起きたときに、何か変わった インパクトがある事柄に遭遇すると、それに対してのうがい意味見出す ように遺伝的に組み込まれてるのでは?
無限ともいえるたくさんの現象の中から、 ある特定の法則を見いだすことが大切です
335 :
没個性化されたレス↓ :05/01/12 21:27:22
>>334 現象の文脈を読み取れってこと?
不思議な偶然と遭遇しても、そのあとどう展開したらいいか
困ることはありませんか?
困りません ポイントは、必要条件だけで準備をして、十分条件を作らないことです 十分条件は、不確実性下の状況において、その時々で創発することです
337 :
没個性化されたレス↓ :05/01/12 22:12:18
>>336 その創発ってのは、そのあとの本人の行動ってことですよね。
頭の中でこの出来事はおれにこうしろってのか?
ああしろってのか?考えてもあまり意味がない?
338 :
336 :05/01/12 22:27:47
いや、実際に自分が共時性出来事に合ったが、 それが自分に何らかの選択を迫る出来事だったんで↑ のような質問をしたんです。
339 :
336 :05/01/12 23:08:29
フロリダ州オビエド──米フロリダ州中部オーランド郊外の長老派教会で9日、説教中の牧 師が「私が天国に行くとき──」と言った途端、意識を失って倒れ、そのまま亡くなった。 同教会の副牧師が10日、明らかにした。 長老派教会のマイケル・S・ビーツ牧師によると、亡くなったのはジャック・アーノルド牧師 (69)。18世紀の神学者ジョン・ウェスレーの言葉を引用した説教が終わりに近づき 、「そして、私が天国に行くとき」と続けたが、演台をつかんで倒れ込んだ。 シンクロ的にさっきこれを見つけました。必要条件と十分条件を上を使って説明お願いします。
ノストラダムスが、テレシコワ女史の宇宙飛行成功やケネディー大統領暗殺の予言を 的中させたのは、ユングの共時性じゃ説明できないな。あえて言えば、「異時性」かな。
共時性は必然的偶然な出来事だとして、因果律とは違うものとするけど ユングは霊能者の血をひいているよね。 だとしたら共時性は霊的な作用の結果であるとも考えられる。 これだと因果律になっちゃうような
>>340 共時性は、定義上、必ずしも同時に起こった出来事でなくても構わない。
ユングの書いたものを参照して見るべし。
それから、ノストラダムスが書いていたのは、当時の政治状況の風刺にすぎず、
それを予言に仕立て上げたのはオカルト好きの捏造。
>>341 ユングが霊能者の血を引いていると、共時性は霊的な作用の結果になるの?
論理がよくわからない。
河合隼雄の回復していく患者にはそうした共時性的な奇跡らしきものが よく起こると言っていたけど、一般の人はどうなんだろう? 患者は多分無意識でそうした奇跡的な共時性を願望しているから起こるのかもしれないが 一般の人でも共時性を意識すれば普段より起こる率が高くなるのかもしれない。
>>343 逆に、統合失調症の発病時に共時的な現象がよく起きる、という指摘もあるよ。
意識が無意識に決定的にとらわれるときに共時的現象は起きやすいからね。
一般の人なら、共時性にへんに期待するよりも、
むしろ起きることを警戒するぐらいの方がいいんじゃないかな?
共時性 = 単なる偶然
こういうオカルトスレが下がっているのは良き事。
347 :
没個性化されたレス↓ :2005/05/20(金) 20:21:37
揚げませう
348 :
@@ :2005/05/21(土) 22:41:03
>249 老子呼んでたら同じ体験したぞ@@;
349 :
没個性化されたレス↓ :2005/05/22(日) 07:42:39
249 :没個性化されたレス↓ :03/11/08 04:52 もういないのでは
350 :
@@ :2005/05/22(日) 12:31:48
orz
351 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/03(金) 19:21:59
集合無意識ってインターネットみたいなもんでしょ? 端末という個人の意識の深層に共通する無意識の層・・・
352 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/04(土) 00:54:13
353 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/04(土) 00:58:53
↑ こんなの面白いですか?
354 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/04(土) 02:46:03
↑ 内容がむずかしくてよくわからない
355 :
名無し :2005/06/05(日) 22:26:20
344さん携帯からすみません。統合失調症になりかけのときシンクロニシティーが多発するっていうのは本当でしょうか?自分は鬱なんですけど、ここ一年不思議な偶然がすごいです。一週間に一回くらいは起こります。
356 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/09(木) 00:55:29
なんかシンクロニシティーと因果性を混同している人々がおるな
357 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/09(木) 07:30:00
混同というよりは、一応、シンクロニシティと因果性を対立概念として とらえる見方は、一般的にまちがいではないでしょう。教科書的に 言ってもそうだと思うが。>352のところで論じられているのは少なくとも 混同はしてないと思うが。
358 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/09(木) 07:34:02
>355 シンクロ的現象が多発する→発病の徴。こういう思考自体が因果律的 だと思うが。もちろん、妄想タイプの統合失調症でさまざまな事象を 「強引に」ある面に関係づけることはあるわけで、当事者からみれば すべてがたとえば「自分を貶めようとしていることがやたら頻繁に 偶然とは思えない感じで生じる」とかみえるわけだが、これはまた 共時性とは一応、区別しないといけないわけでしょう?
>>358 何か勘違いをしているような。
シンクロ的現象が多発することを、発病を意味する同時的指標として見るだけなら
両者の間に因果関係を想定しているわけではないので、別に因果律的でもなんでもない。
むしろ逆に共時的な見方のはず。
>>358 付け足し。
発病の徴候が、妄想タイプの病態から必然的に現れるものなら
それは因果的といってもいいかもしれない。
患者は強引な関係づけをしやすい→シンクロ的現象が起こったと患者が思いこみやすい、
といった特徴はこれに当たる。
ただ、例えば、患者の身の上にだけでなく治療者の側にもシンクロ的現象というのは起こることもあるわけで、
そういう部分まで含めて指標とする考え方ならば、
これは因果的な発想からはちょっと外れるところがある。
361 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/11(土) 22:37:34
コンステレーションという概念を交えて 誰か解説してみて。
362 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/18(土) 20:42:30
ユング心理学ってユング以降何か発展したのか?
細かい議論は別として、根幹部分は発展してない。ある意味ユングで完結してる。 トランスパーソナル心理学がある種の発展形になるかもしれないが、 ユング心理学とは言えないだろ。
364 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/18(土) 22:21:02
シンクロにシティーって結局何? 偶然に一致する現象全般のことか?
>>362 ユングはユングで、芸術療法など、そういう形式で扱える
ところを扱っている。
ユングの枠組みをさらに超えている発展形はいくつかある。
ジェイムズ・ヒルマンの元型心理学、アーノルド・ミンデルの
プロセス指向心理学、また、トランスパーソナル心理学など、
それらはユング的な概念として、意思疎通ができるもの。
その中で、こういう状況ではどっちのほうがモデルに適合する、
とかいう臨床的な議論はいまも活発になされているようだ。
>>364 元型的パターンとしてある一致した意味をもった関係で結び
あわされている、特定の顕著な特徴をもった事象が、場面を
こえて同時に生起してくることをいう。たぶん「タオ」や「縁起」
に近い。
ユングは、物質と心の対応関係をもともといくつも含んだ、
物心未分の「プシコイド(心のようなもの)」という元型状態
にある中間領域を仮定し、その深層心理が心理療法など、
何かのきっかけによって活性化されたりほぐれてきたりする
とき、そこからいくつもの心物同一体が解錠されてくる、
と考えた。
よく言われる例をあげると、 ある日、ユングの女性患者が、見知らぬ男性からスカラベ をかたどった高価な宝石を贈られる、という、特徴的な夢を 語った。この話の最中、窓をコツコツ叩く音が聞こえた。 見ると、大きな虫が室内に入ろうとしている。それはなんと、 この土地では珍しい、スカラベと同じ仲間の甲虫だった。 それは、患者が夢で見たのと同じ黄金色で、形もほとんど 同じだった。しかもこの虫は光に吸い寄せられるのが普通 なのに、このとき室内は暗かった。 ユングは「ここにあなたのスカラベがありますよ」といって その虫を見せた。彼女は夢で見たように、男性からスカラベ を贈られたのだ。この出来事をきっかけとして、患者の心が 急速に和らぎはじめ、治療がスムーズにいくようになった。 調べると、スカラベは古代エジプトでは「再生」の象徴だった。 それがミクロの物理学のレベルで起こるのが、量子力学 だという解釈をする人もいる。
368 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/19(日) 01:28:37
>>365 >ユングの枠組みをさらに超えている発展形はいくつかある。
>ジェイムズ・ヒルマンの元型心理学、アーノルド・ミンデルの
>プロセス指向心理学、
嘘をつけ。はっきり言って、全く越えてない。
ヒルマンは結局ユングをいびつに強調しただけ、
ミンデルは枠組みをそのまま延長してバリエーションを豊かにしただけ。
枠組みそのものは乗り越えられていない。
>>368 それだけ最初のユング一人がすごかったんだよ。
逆に、簡単に越えられないことがすごいと言える。
変わらないところがあるということは、それだけその扱う
対象が基礎になりうることを意味するし、それだけその
枠組みが普遍的だということだ。時代の節々には、そう
いうマイルストーンが存在する。
大体それは、今の物理学にしても言えることだ。アインシ
ュタインはニュートンを超えたが、その枠組み自体はまっ
たく超えていないだろう。将来、量子力学が本当の意味で
枠組みを変えたときに、それにともなって、ユング系列の
心理学も、おそらくほんとうの意味で発展することになる
だろうということだ。ユング自体を超えることは心理学者
の課題じゃない。むしろ科学者が超えようとしていることだ。
>>368 変わっていないとか軽く言うが、それは自身で臨床をやって
いないから、そう簡単に言えることだろう。ユングは普通の
人じゃない。霊能者としても臨床家としても、両方の意味で、
かなりの才能があったし、自身との格闘の末に、奇跡的に
生み出されたものだと言っていい。のちの科学者にも大きな
影響を与えている。
日本で言うと、河合隼雄氏のようなポジションに当たる。
それ自体はユニークであり、簡単に真似できるものじゃない。
別に超えること自体に意味があるわけじゃない。
超えるべき枠組みに意味がある。
枠組みを超えるのではなく、その人自身を変えることに 意味がある。それが変容ということだ。
372 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/19(日) 07:18:09
>>369-371 ユングがすごい?そんな話をしているんじゃないよ。
要するに、ユング心理学の後継者のなかに
ユングの理論的枠組みをさらに発展させている人はいないってことだ。
そっちの言う「発展形はいくつかある」は間違い。
言い逃れせずにすっきりと認めろ。
なぜ発展しないのかと言えば、ユング心理学というのが、
ユング個人の経験とか直観に頼りきり、そこから出られない構造を持っているからだよ。
ラカンがフロイトに対して行ったような、抜本的で創造的な読み直しなどユンギアンはしていない。
ヒルマン程度で「発展」とか言うようでは笑うしかない。
それに、今の臨床の状況で言うのなら、
ユングを離れた立場の人のほうが、ずっと創造的なことをしていると思うけどね。
あなたの言っていることは、単に都合のよい解釈にすぎない。
373 :
362 :2005/06/20(月) 21:34:32
362だけどみんなの話についていけなくなってしまった・・・ みんなくわしいなぁ どうやって勉強してるのだろ
374 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/21(火) 00:51:36
>>372 W.Giegerich なんかはどうなんでしょうかね?
375 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/21(火) 03:45:16
>>372 問題は、なにをもって「発展」や「出る」とするかだ。
それ自体、「価値判断」や「志向性」が介在しているので、
結局それは、「自分の進歩主義的価値観に即していない
から自分には価値を感じない」とか、「ユングはフロイトでは
ないから駄目だ」のようなことをただ言っているだけの、
トートロジーの可能性が高い。
日本の学者でも、林道義氏と河合隼雄氏では、また見解
が違うと思うが? 河合隼雄氏の『中空構造日本の深層』
など、日本人にユングが合わない部分から、日本が中空
構造であることを読み解く、みたいな創作活動は、それ
自体、文化としての貢献度が高いと思うが。
フロイト派は、結局は性欲の外には出ない。むしろユング
のほうが、その外に出ていく道を開いたのだ。フロイトは、
症例の定位的な解釈の「深化」に向かうわけだが、ユング
は、症例そのものの解釈の「変化(変容)」に向かう。
その深層心理や連想心理なりイマジネーションの、断絶の
ない生きた変容のプロセスを追っていくわけだ。また、
ユングの本質は「布置」にある。
ユングとフロイトは違う。
377 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/21(火) 07:42:35
>>376 何が発展かは価値観による、なんて無意味な相対主義につきあう気はない。
精神分析では、フロイトの発想を受け継ぎつつ、
すでにフロイトの幾つかの理論を「使えないもの」として完全に捨ててしまっている。
ユンギアンというのはほとんどそういうことをしない。というか、構造的にできない。
なぜならユング派というのは、多かれ少なかれ、
ユングの直観に頼り、ユング自身をカリスマ化することで成立している派だからだ。
自伝が「聖典」となっている派など、普通はあまりない。
あなたの言う「ユングはそれだけすごかった」というのは、裏を返せばそういうこと。
こっちはユング派の、現実にある構造的な問題を指摘しているのであって、
価値判断をしたり、ユングとフロイトは違うなどという当たり前の話をしているわけじゃない。
ユンギアンの現実から目を背けるための言い逃れをするな。
>>374 まだあまり紹介されていないのでよく読んでないが、面白いことは言ってそう。
ただ、ユングを超えて発展した、という感じはしない。
378 :
374 :2005/06/21(火) 08:26:39
うーん、やっぱりその「を超えて発展した」というのがどういうことなのか いまひとつわからないですね。また教えてください。 安易にギーゲリッヒとラカンを対比する気はないけれども、フロイトに対して ラカンを置いて「発展」ということばを使うならば、ユングに対してギーゲリッヒ を置いてそのことばを使っても悪くはないと思うんですがね。なにがどう、そうなんだ という議論は必要ならばまたここで述べたいですが。
>>378 そっちがどういう形でギーゲリッヒを評価しているのか、
まずはひととおり聞けると話が早いと思うけど。
380 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/22(水) 22:42:35
来週へ続く
381 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/23(木) 00:47:45
共時性は妥当な推論形式から導き出されていると個人的には思う
382 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/23(木) 23:48:23
シンクロニシティーはただの偶然か?奇跡か? 俺は何らかの因果性があるとみてる セカイというのは複雑にいろんなことが絡み合ってるんだ 織物なんだ!セカイは!
>>383 何らかの因果性があったらシンクロニシティーじゃないじゃん。
非因果的な連関を共時性、シンクロニシティーと呼んでるんだから。
385 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/24(金) 22:34:21
非因果的な連関ってユングはナニを思って こんなこと考えたんだろ?
考えたんではなく、発見したのだよ
387 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/25(土) 22:06:44
非因果的な連関に何を見出したのだろうか
388 :
没個性化されたレス↓ :2005/06/28(火) 22:39:55
非因果的連関に、元型がコンステレーションしているのを見出した
ギーゲリッヒ話マダ?
390 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/01(金) 21:50:45
377氏の透徹したユング理解と、端的で鮮やかな文章表現に拍手。
>>390 そうでもない。
なにかを言っているようでなにも言ってない。
具体論としてはどっちもどっち。
392 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/01(金) 22:07:26
じゃあその具体論とやらを語ってみれ といってみるテスト
>>378 >うーん、やっぱりその「を超えて発展した」というのが
>どういうことなのか、いまひとつわからないですね。
>安易にギーゲリッヒとラカンを対比する気はないけれども、
>フロイトに対してラカンを置いて「発展」ということばを
>使うならば、ユングに対してギーゲリッヒを置いてその
>ことばを使っても悪くはないと思うんですがね。
同意。
自分もフロイトからラカンでなにが発展なのかわからん。
その人がどういう形で フロイトにラカンを置いて何を評価しているのか、 まずは聞いてみないと話が進まないな。
ラカンは精神医学者フロイトを現代思想の潮流に組み入れた。 対して、ユングはニューエイジ思想のまま。 ユングをその枠から外に出したユンギアンはいない。
396 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/01(金) 23:05:26
ラカンが現代思想?? どんなところが?
397 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/02(土) 00:33:56
ユング派分析家のアーノルド・ミンデルの 『プロセス指向心理学』はいいね。 河合隼雄先生も「画期的な本」として推薦している。 ユング心理学の一番新しい潮流と言えるばかりか、 国際規模での活躍がある。
>>391 >>そうでもない。
>>なにかを言っているようでなにも言ってない。
>>具体論としてはどっちもどっち。
あなたのそのコメントがまさに何も言っていません。(笑)
391氏の浅薄なユング理解と省察無き文章表現に爆笑。
批判する人間はもっと具体的にユングについて書け。 揶揄するだけの人間は去れ。
と揶揄してみるテスト。
ユング批判するだけの人は具体性がない。 本当にユングについてどれだけ専門的に学んだのか。 それだけの時間があるわけないだろうし、 詳細に指摘することはできないのだろう。
ユング批判に反論出来ない人には具体性がない。 本当にユングについてどれだけ専門的に学んだのか。 それだけの時間があるわけないだろうし、 詳細に指摘することはできないのだろう。
>>404 「ユング批判をする人」を批判する前に、
まずはユングへの批判内容に対して具体的に反論してみろよ。
その反論の内容が正当と認められるかどうかが全てだろ。
反論できないから「ユング批判する人」批判をするしかない、というんじゃ困るよ。
議論の中で相手の人格批判を始めるのは、反論できないときと相場が決まってる。
>>406 僕はユングには非常に興味があるんですけど、あなたもそこまで言うのなら、
377の批判に対して、内容をもって反批判してみたらどうでしょう?
筋の通った内容のある批判に対して、同じように筋の通った内容のある
反批判を期待しています。よろしくお願いします。
408 :
406 :2005/07/02(土) 23:47:06
409 :
406 :2005/07/02(土) 23:47:52
410 :
407 :2005/07/03(日) 01:17:15
>>409 あのー。大変失礼ですがもう少しユング心理学を学ばれてからこういう
公のところに語られたほうがよろしいのではないかと個人的には思いました。
377さんの意見は、ユング心理学に対する根本的で痛烈な批判になって
います。私には反論の余地がたくさんあると思うのですが。そうは思われ
ませんか?
>>410 だから、そう思うのならまず反論を書いてみろって。
思わせぶりなことばかり言うんじゃないよ。
412 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/03(日) 10:41:37
反論の余地がたくさんある、と言われながらも まともな反論が少しも出てこない不思議。
413 :
407 :2005/07/03(日) 17:04:47
ほんとに不思議ですねえ。(笑) 私は煽りには乗りませんので悪しからずです。
>>413 お前の行為が煽りだろ。知っててやってるな。
415 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/03(日) 17:56:45
本とかに書いて出版するという媒体をもってるやつは最初はここに書きこしてても 次第に書かなくなった。幾人かそういう人を知ってるけど、ここに書いてもまと もな議論にならないからそんな無駄な時間使うくらいなら本書いて出した方がは るかにましだから、という理由。こういうところでの議論(なのか?)はむずかしい 理由。
議論したくなければしなきゃいいさ。
問題なのは、思わせぶりなことだけ言って結局何も言わない奴だ。
要するに、
>>377 が当たっているんで、
ユング信者が悔し紛れに「反論の余地がたくさんある」かのように
印象づけようとしているんだろ。
ギーゲリッヒの人(
>>378 )も、結局なにかあるような言い方だけして消えたし。
以降、もったいぶった言い方しかしない人間はスルーで。
417 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/03(日) 22:46:16
>>407 は、「私は反論を思いつかないのだが」と言えばいいのだ
418 :
407 :2005/07/03(日) 23:33:09
>>416 まったく同感ですね。ここでの汗があなたにとって未来の果実となりますように。
お祈りしております。
419 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/03(日) 23:50:17
う〜ん、2ch的展開になってきなたぁ・・・
420 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/04(月) 01:44:12
汗臭いだけの果実になりそうだなぁ
ユングネット
http://www.asahi-net.or.jp/~we7n-hkt/jung.html 「ユングネット(Jung Network)」は、ユング心理学に関する
議論や会話を行い、論文発表、情報交換その他の交流を
するべくインターネット上に設置された会です。特定の参加
資格のようなものは設けておりません。ユング心理学に
興味を持ち、ユング心理学について楽しく話をしたい方は
是非ともご参加下さい。
・メーリングリスト
・ユング心理学
・ミンデル・プロセス指向心理学
・ヒルマン・元型的心理学
・トランスパーソナル心理学
ユング(1875-1961 Carl Gustav Jung)
スイスの精神医学者,分析心理学の創始者。ボーデン湖畔
ケスビルに牧師の子として生まれる。バーゼル大学医学部
卒。E.ブロイラー,P.ジャネ,S.フロイトらに学ぶ。〈集合的
無意識〉〈元型〉〈自己〉といった独自の概念を駆使して人類
の心の深層を探査し続けたその営為は,特に1970年代以降
世界的な注目を集めている。超常現象,東洋思想,ヘルメス
的伝統(ヘルメス思想)などの再評価という側面からも,
大きな現代的関心が寄せられる思想家。
(マイペディア97(C)株式会社日立デジタル平凡社より)
422 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/04(月) 14:41:19
シンクロニシティ?お神様の悪戯ですよ。無さんの悪戯ですよ。あなたにもいずれ分かる時がきますよ。
423 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/04(月) 23:29:11
ユングの考え方っておもしろいね。 原因がどうの・・・というのはひとまずおいておいて、 現象としてどういったことを読み取っていくのか というのを直感的に発展させていくなんてスタイルは興味深い 誰かルーツとなるような(影響を与えた)人物とかいるのかな?
そうです どういうメカニズムかはひとまず棚上げし 観察された結果としての現象から解読するのです
425 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/05(火) 00:32:07
そうやって考えてみるとさ、シンクロニシティってのは、 あるイメージを共有している別々の出来事が、なぜかある人の こころによって捉えられてしまった、という事実を布置(?) していくと、背後の何かを見出せる、という一つのユニークな視点だな
426 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/05(火) 00:40:17
↑文章へたでごめん むちゃくちゃわかりにくいな
ユングは、言語連想などを通じ、はじめ、 「コンプレックス(感情複合体)」などの深層心理を解明した。 その後、フロイトから分岐し、 「集合的無意識」の存在を提唱してからは、 「元型」の概念によって、神話学・民俗学・文化人類学などの 幅広い研究に通底する、”意識の考古学”とでも呼びうる、 深層心理理論を構築するに至った。 神話学者カール・ケレーニー、宗教学者ミルチャ・エリアーデ などは、それを大きく学んでいる。
「シンクロニシティ」とは、 事象(出来事)の生起を決定する法則原理として、 従来知られていた「因果性」とは異なる原理として提唱 された、そういう概念だろう。 たとえばなにか二つの事象が、 意味やイメージにおいて類似性、近接性を備えるとき、 時空間の秩序で規定されているこの世界の中では、 従来の因果性としてなんら関係も持たない場合でも、 随伴して現象生起する場合、 これを、シンクロニシティの作用と見なすのである。 そこには理論物理学者パウリの協力があった。 いくつかの偶然の一致(コインシデンス)は 単なる偶然ではなく、文字通りの「同時発生」か、 あるいは普遍的な事象を作り出す力の連続性 によるものであると認識するに至った。 つまり、集合的無意識による、 個体化された人間の意識のコミュニケーションを通じて、 現実の出来事が形成されるというのが、 ユングの主張である。
古典的な感覚では、科学的に立証不可能だが、 「非因果的連関の原理」の より科学的な用語である「相関性」においては、 シンクロニシティの科学的な根拠は、 今後、発見されるかもしれない。 「相関性は因果関係を意味しない」は よく知られた科学の原則だが、 相関性は、古典的な因果関係によらずに現象間に共有される、 そういう物理的性質かもしれない。 遠く離れた事象が 直接に物理的な因果関係で結ばれることなく 「相関性」を持ち得ることは、 すでに量子力学において明確に示された。 (「非局所性」を参照)。
>>427-429 解説ありがと。
漏れも通常の因果関係では説明できない何かがあると
直観的に思ってる。
科学でも複雑系なんか、説明できないこと多いしな。
431 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/05(火) 06:22:38
たとえば、チンポをしごいているとき、とつぜん電話がかかってきた。 話をしてみると、電話の相手は「ちみにバナナを与えよう」という。 これも共時性なんでしょうか?
たとえば、チンポをしごいているとき、竿売りが家の前を通った。 これも共時性なんでしょうか?
>>431 それがあなたの生き方に大きくかかわるような出来事なら
共時性かもしれないね。
434 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/05(火) 07:37:39
>>433 生き方に大きく関わらないと、
共時性にならないのですか?
>>434 なぜそのとき「それ」に限って意味ありげに感じ、
「それ」に気付いたか?
なぜほかのもっと結びついただろう日々生起する事象でなく、
そのときのその事象だけが意味ありげに捕捉されてきたか?
そう自身に問うしかない。
なんらかのメッセージなりシグナルが送られてきたから、
それがひとつづりのものだと見なしたわけだ。
ある日ユングは、病院である患者が目を細めながら、
窓の外に輝いている太陽に向かって、しきりに首をふって
いる姿を目にした。尋ねてみると、
「太陽からペニスが垂れ下がっている。それが動くと風が起きる」
性欲理論では、ペニスを男根、太陽を経口と分析できる。
ところがその後、ある時ユングは、ギリシャ語で書かれた
古代アーリヤ人の宗教文献、ミトラ文書を読んでいた。
すると驚くべきことに、
「太陽から地へ向かう管の振動が風を引き起こす」
と、まったく同じ記述があったのだ。それを読むことは絶対
にありえない。つまり、精神病者にも正常人にも共通な、
時代や文化を超えて人類に共通な、神話の起源たる
心の共通の深層がある。それを「普遍的無意識」と呼んだ。
>>434 ユングやその後のユンギアンは、
もっと希少でありえないような、度重なる一致の連続、
実際にあったシンクロニシティのエピソードたる例を
いろいろ集めている。
興味があったら調べてみるといい。
>>434 「生き方に大きく関わる」というのは共時性の判断基準のひとつとしてあり。
主観的な意味合いと、強い情動性とを伴わないものは、
それこそただの偶然になってしまう。
>>435 太陽ペニスの例は、後の研究で、
その男性患者がミトラ文書を読んでいた可能性が高い、とされている。
従って、集合的無意識を証する例としては不適切。
折れの連れに、自分に都合が悪いことがあると、
近所のパン屋の陰謀だと熱弁するサルがおります。
いちおう理屈としては筋が通っているのだが。。。
このサルはある出来事に対してパン屋の陰謀を連想するのではなく、
別の共時的事象を連想すべきということになるでしょうか?
>>435 メッセジ、シグナルは、どなたが送っておられるのですか?
普遍的無意識は、実在なのですか? 仮定されたものですか?
>>436 センクス エニウェイ
>>439 リチャード・ノルの『ユング・カルト』に書いてあるよ。
ついでに言うと、太陽ペニスの男は、ユング自身の患者ではなく弟子の患者。
いつのまにかユング自身がその男を診たことになっている。これも問題。
441 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/05(火) 21:18:16
深い情動の動きがあるってのは重要なポイントだね 元型的なものが布置しているのさ
そうですね時代が追いつきましたね。
444 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/05(火) 22:38:00
>>444 北米のとある国家の研究所で研究してまつよ
446 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/05(火) 22:50:42
【韓国】おち○ちんちっちゃいです〜勃起しても世界最短9cm ★4[7/2]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1120568437/l50 |iiiiliiiii|iiiiiliiii|iiiiliiiii|iiiiiliiii|iiiiiliiii|iiiiliiiii|iiiiiliiii|iiiiliiiii|iiiiiliiii|iiiiiliiii|iiiiiliiii|iiiiiliiii|iiiiliiiii|iiiiliiiii|iiiiliiiii|iiiiiliiii|iiiiiliiii|
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マルボロ ハガキ
97 名前: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日: 2005/07/05(火) 22:42:31 ID:tmHqeIxf
なんか鮮人ってホントに良い所ないよな。可哀想になってくる。
やっぱりシンクロニシティってあるのね 漏れもそういう不思議なことあった
だよねー
なんか「はっ」として時計をみたら 「11:11」とかなっていることが多い。 全然視界に入ってなくて首を180度回しても。 そういうときって、普通に見るときと ちょっと印象が違うんだよな。 なぜか見るつもりも無くてふと見なきゃって 思ったときというか。 そういう「気になる」ことが何度もあった。 なんか「お告げ」が送られてきてるのかな?と 思うことはいくらでもある。 例えば印象的な知人の夢をみて、あとになって その知人が同じ日に亡くなったことが 知られたこともある。 心の奥底では、出来事ってのはつながってる っていう気配ってのは誰しもある。 それが偶然といわれても、 それ以上のものに気付く人もいる。
450 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/06(水) 22:44:28
共時性って因果性と対になるような概念なんでしょ だったらさ「やっぱりシンクロにシティーはある」って表現変じゃないの? 「因果性はある」なんて言い方しなじゃん 実在するかどうか、という議論でなくて、 ある種のものの考え方の方便なんじゃないの?
451 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/07(木) 07:05:07
うん。 「シンクロにシティーはある」という言い方には 違和感を感じてしまう。
>>450-451 言っている意味がわからん
哲学的議論としての因果性なのか?
それなら哲学的に根拠立てる必要がある
しかし臨床的に発見された心理学的なものなら、
そういう哲学的思弁では解決しない
ユングは、過去から未来へと時間発展する因果性と、 空間を意味で折り合わせる共時性の二つの原理から、 この世界は構成される、と考えた。 ライプニッツの自然哲学であるモナド論に立脚したわけで、 超心理学者ラインとの書簡が残されているし、 物理学者パウリとの共著としても提唱されたもので、 つまりそれは、心理現象と自然現象を統合しうる、 因果律の拡張理論を構築しようという試みであった。 実際、「元型がシンクロニシティを”引き起こす”」と、 臨床的知見を原因と結果(因果)によって述べているし、 シンクロニシティは元型的世界、つまり「上位の階層」における、 目的論的な「変則的因果」と解釈するのが、 もっともユングの理論を整合的に解釈できるのも事実だ。 ユング自身は、自身の臨床的知見から、 いわゆる「世界の構成原理」を「発見」したんだ、と、 あくまでそのつもりで提唱していたとは思われる。 ただそれは臨床現場以外では、通常はめったに起こらない。 だが、心的エネルギーのバランスが崩れたときや、 そのバランスを回復しようとするとき、 元型的な深層の無意識が活性化され、 そのときシンクロニシティが多発する、と考えられる。
シンクロニシティとは、ある二つの事象が、 「ある瞬間に収斂する」ようなものと考えればいい。 その意味では主観的に認識される現象ではあるが、 その瞬間、治療者などと共有されることも事実だ。 また、ユングのいう元型というのは、 ある種のゲシュタルトであり、 クオリア(感覚質)と呼ばれているものとも隣接した 上位のレイヤーを指す概念であると考えられる。 つまり、元型自体は、 物理的現実とは重ね描きされるしかないような、 そういうまったく異質のリアリティである。
共時性(シンクロニシティ)を提唱した経緯を整理しておくと、 超心理学者ラインとの、20年にわたる9通の書簡のやりとり が歴史的背景にあった。これは湯浅氏の編纂によって、 日本でも邦訳されている。 その理論が公開されたのはその書簡のやりとりの終了した 1952年であるから、ラインとのやりとりで明確されたことは 間違いないとみていい。 ユングは超心理学に関わっていないが、ラインがマクドゥー ガルからユングのことを教えられ、自身の著作をユングに 送ったり、コミットしてきたということだ。 ユング自身もサイ現象(サイコキネシスやテレパシー)に ついて体験していたが、ラインから促されても、自分を見世物 にするつもりはないと、コミットには消極的だった。 その時点では、科学者としての信頼性を失うことを恐れた ことと、後の同僚の物理学者パウリの協力を待つしかなく、 まだその時点では理論的に整備できなかったことがある。
いずれにせよ、ユングの理論は、ラインの実験結果と、 自身のサイ現象の体験を、独自に解釈したものとして あったということだ。 このため、検討には、湯浅氏の邦訳した書簡と、弟子の ヤッフェが編集した『ユング自伝』を参照することが必須 となる。それによると、治療者との治療の過程において 変容していくとき、そこでサイ現象が起こる。無意識の エネルギーが関係しているとわかったということだ。 それは情動と関わりあっている。それは超心理学の実験 で分かったことと矛盾しない。 ユングは、意識されていない心的プロセスの結果だと しているということだ。日常世界では因果律に支配される のみだが、それより深層では、時間と空間は相対的で 絡み合っている。ユングはそう考え、こうした深層を、 ミクロ物理学に対応すると考えたようだ。
サイ現象については、オーソドックスな心理学の教科書 である「ヒルガードの心理学」の6章に載っている。 アメリカ超心理学会についても、全米科学振興会(雑誌 「サイエンス」の発行団体)が1969年に参加を許可して いる。 ラインの研究管理方法についても、アメリカ心理学会の 特別委員会が1983年にアメリカ数理統計学会で審査 された提出を受け、審査しており、すくなくとも実験管理の 方法には問題がない、としている。
サイ現象の多くが、知人が交通事故に遭うとか、家族が 死に瀕しているとか、体験者に強い情動を引き起こす ような深刻な状況で起こっている。 情動の高まりがあるときに、サイ現象、つまりシンクロ ニシティが起こることまでは、ユングもラインも一致する。 ユングは、サイ現象も、シンクロニシティ(共時性)で 包括できると考えていたのだ。つまりサイ現象よりも、 さらに広い包括概念として、提唱している。リニアな 因果性とは異なることは確かだが、相対的な同時性を 主張している。 またシンクロニシティを提唱するとき、集合的無意識は、 心の内面つまり内的世界に閉じておらず、内的世界と 外的世界にまたがって広がる、心を含めた広義の自然 の場(フィールド)として、また元型も、そうした自然界の 場を組織化する一要因として、「捉えなおし」がされた。
ここで連投している人って、 トランスパーソナルスレにいた人?
つまり、集合的無意識としての内的世界と外的世界を、 非因果的(相対的な同時性)に「組織化」するのが、 「元型」というパターンである。そのパターンに従って、 組織化、つまり「布置」される。 サイ現象と認識するものは、元型が自然を組織化、 布置していくプロセスが、あからさまに現象化されて 捕捉される事象ということになる。 それは最終的には、量子力学の観測問題や非局所性、 サイ現象をも含む、そうした「世界の構成原理」を主張 したものだ。 集合的無意識でまず元型が活性化する、それに対応 して個的な個人の心で情動が沸き起こってくる。 このような形で、相関関係を示すものなのだ。
>>459 ああ、その人とは違います。
いちユングマニアと思っておいてください。
>>459 ちゃんといま、自分で書いたものですよ。
自分でも整理しておきたいとおもいましてね。
肯定とか否定とか差し置いて整理しているだけなので、
あまり気にしないでください。
ここは整理のための場所ではないです。 一方的に情報を流すのではなく、話の中で必要な情報を適宜出してください。 トランスパーソナルスレで起きたようなことを繰り返さないでください。
あくまでこれがユングの主張に沿った解釈である ことまでは間違いないと思っています。 証明されたというわけではないです。ただ、 問題点があっても、この解釈に即した指摘になるでしょう。 ユングは、意味が個的な心の外部にもある、 と主張していました。つまり、意味実在論なんです。 現代的な言い方をすれば、情報実在論ですかね。 量子力学では量子暗号や量子テレポーテーションなど、 工学的に実現されつつありますが、 そういう情報システムとして、実在があるということです。 シニフィアンとシニフィエが時間的に近接しないと、 シンクロニシティは起きないということです。 体験者の主観に依存しつつも、 ある程度の基準は理論的に見出しうるということです。 ユングの理論は、現代超心理学に対応しています。
>>463 漏れはそいつとは違うけど、
その議論のためにも、このくらいはいいと思うが。
ちゃんと詳しい人がいなかったからか、
どうも議論の材料が足り無すぎた。
まとめると、ユングが考えたように、 単純に客観的な意味が実在するとまでは言えないが、 潜在的に規定する構造が存在すると考えられ、 体験者の主観的な意味づけによってのみ、 共時性が成立しているわけではない。 どうしてもそこからあふれこぼれるものがある。 シニフィアンとシニフィエの類似性と、 体験者のライフサイクルなりプロセスに相関する。 心的現実と物理的現実、想像力と現実の関係を 明らかにしようという試みだった。 元型とはその媒介である。 それは意味を生み出し、その構造は言語的でもある。
467 :
465 :2005/07/07(木) 10:31:32
いま読んだ。うーん漏れには難しい〜! でもなんか読んでて、そうかもしれない、って思えてくる。 自分の直観とも近い。
ユングってもしかしたら大化けするんじゃないか? 100年後には、 心の統一理論の古典に含められていてもおかしくない。 ユングがその一翼を担う、そういう気配がある。
>>465 いいかげんな解釈が多すぎ。あまり信用できない整理だ。
ユングが言ってもいないことを勝手に付け加えている。
たとえば、
「臨床現場以外では、通常はめったに起こらない」には根拠がないし、
そもそもユングはそんなことをひとことも言っていない。
ユングのいう元型を、ある種のゲシュタルトと見なす見方はユンギアンの中にもあるが、
それをクオリアと同等に見なす考え方はないし、そう見なしていい根拠も分からない。
「元型がシンクロニシティを”引き起こす”」という表現にしても、
必ずしも、目的論的な「変則的因果」と解釈しなくたって理解できる。
「物理法則が物理現象を”引き起こす”」と表現したからって、
物理法則(原因)→物理現象(結果)という因果関係があるわけじゃない。
因果関係というのは、あくまで物理現象間の連なりであって、
物理法則はそれを記述したものだ。
これは問題のほんの一部。他にも多数問題を指摘できる。
議論のための整理なら、まずはユングが何を言っていたかをまとめ、
その上で自分の解釈を書くというふうに、明確に分けてやるべきだ。
まあ、ユングがすべてとは言いがたいが、 心の深層のある部分については妥当なモデルの 有力候補でいまだあり続けることは確かだな。 それも不可欠の要素であることは確かなのだろう。 重ね描きということだな。 ユングはやはり残っていくものだと思う。 そういう意味では、良くも悪くも古典と言うべきか。 ユングを超えていくことが、未来の課題なのだろう。
>>469 >ユングのいう元型を、ある種のゲシュタルトと見なす見方
>はユンギアンの中にもあるが、それをクオリアと同等に
>見なす考え方はないし、そう見なしていい根拠も分から
>ない。
クオリアと、ユング心理学の元型は、
非常に密接な関係があると私は考えています。
ユンギアンのヨランデ・ヤコービは、『ユング心理学』に
おいて元型とゲシュタルトの関係についてユングの言葉を
引用している。
>「ゲシュタルトは本来何らの解釈も必要としない、
>ゲシュタルトはそれだけですでにみずからの意味を
>はっきりと示している」
その原典は、「心の本質についての理論的考察」 (『ユング研究9』、p.137)にあり、 >誰でも四まで数えることができ、円や四角とは何かを知っている。 >しかしそれらが形態原理として何を意味するかは意識されておらず、 >その心理学的な意味も同様に意識されていない。 >私の最も本質的な見解や概念はこうした経験から生まれたものである。 >イメージと意味とは同じものであり、 >イメージが自らを形成するとすれば、 >意味は自らを明らかにする。 >形態はそもそも解釈を必要としない。 >それはそれ自身の意味を表現しているからである。 これがユングの元型理解そのものである。 そしてクオリアの感じ方というのは、 感情モニタリング法における視覚の意識化そのものである。 それは元型と近接しているはずだ。
サルトルの『嘔吐』をご存知だろうか。 『嘔吐』の主人公のロカンタンはマロニエの木の根を 見ているうちに、突然、変容体験を経験します。 それは、事物の根元に横たわる元型的イメージ、 あるいは、認識の基本原理としての元型的枠組みに 触れた、と、ユング的には説明できると、 私は理解しています。 元型的イメージというものは、 ヌミノース的な、強い感情的価値を帯びています。 それを「クオリアを経験した」といえばそうなるでしょう。
雲がしだいにウロコ雲になっていく、 アマゾン河が突如として逆流を始める、 味噌汁が急にぐるぐる周り始める、 これまでこうした現象は説明できなかったものだ。 しかし、流体力学やカタストロフィ理論、 非平衡力学やカオス論が登場し、これらの現象に 特異的な秩序生成が起こっていると分かった。 イリヤ・プリゴジンが言うところでは、 熱力学と密接な関係で「混沌から秩序へ」向かう。 また、多田富雄が言うところでは、 抗原と抗体の意外な関係で免疫効果を発揮する、 「スーパーシステム」として機能する。 そうした説明でも、アマゾン河が逆流する前日に、 ホタルが群れ飛ぶような、 「系を超えて何かが同時に起こる」ことの「関係」は、 まったく説明できなかったのだ。
シンクロニシティのようなものは絶対にない、かというと、 科学をもってしても、否定しきれないのが現状だ。
相関性は因果関係ではないと言っても、 古典的な因果関係によらずに 現象間に共有される物理的性質がないわけではない。 遠く離れた出来事が、 直接に物理的な因果関係で結ばれることなく 相関性を持つことは、 すでに量子力学においては明確に示されている。 因果関係で結ばれないからといって、 「相関性だけの物理現象」がないわけではないのだ。 これについては、非局所性、ベルの定理、 量子暗号、量子テレポーテーション、を参照のこと。 そこでは遠隔地において別々のものが、 同時に切り替わる。それは直接の因果関係はない。 相関性だけだが、確実なものだ。 量子力学の論理では、もう超えているわけだ。
また、量子力学の観測問題も、 まだ解決しているわけではないので念のため。
1952年の、シンクロニシティ理論の発表だが、 これはまさにラインとのやり取りから生まれ、 パウリの協力から実現した、 『自然現象と心の構造』に他ならない。 それはユング派の河合隼雄氏と、 科学哲学の村上陽一郎氏の共訳で出ている。 そのなかで、 >シンクロニシティは不可解でも神秘でもない。 >そうした誤解は >唯物科学による因果律への根深い信奉によるものである。 >シンクロニシティという現象が確実に存在する以上、 >私たちはそれを >『ずっと以前から存在する神の創造行為』 >とみなすべきである とユングは述べているし、 >自然の基本的な存在としての『量子』が発見されてから、 >物理学者は自然のすべてを解明できるという >奢った主張を完全に捨てざるを得なくなった。 >現在の科学者が置かれている苦しみのなかにこそ、 >偏った唯物科学の欠陥を見直すチャンスがある。 >宇宙全体を統一する科学の構築に向って、 >シンクロニシティ現象にこそ >真理の種が隠されているかもしれないのだ。 とパウリは述べている。
いずれにしても、ユングに基づくならば、 >シンクロニシティという現象が確実に存在する以上、 >私たちはそれを >『ずっと以前から存在する神の創造行為』 >とみなすべきである ということになる。
これをもってどうというわけではないが、 これをユングと違う解釈に変換してしまうとなれば、 それは残念ながら、 ユングのそれとはまったく別のものになってしまう かもしれない。 非常に浅い理解しかできなくなるわけで、 はたしてそんなユング理解で満足できるのか、 ということになる。 そしてそうした別物が、 ユングのそれそのものではもはやないことは事実だろう。 少なくとも、ユング自身は、 ここまで近代やら日常の枠組みから、 はっきりと逸脱するところを持っている。
結論としては、 シンクロニシティはどうしたって逸脱したものなので、 それを無理に変換して理解したところで、 それは無意味じゃないか? ということになる。 それは形而上学的な構成になっている。 それこそがユングの問題点でもある。 これはユングを研究すればどうしたってごまかせない。 それを他の解釈もできるなんて言って、 無理にユング本人と違う受け取り方なり解釈をしてまで ユングを理解しても、なんのおもしろみもないし、 誰だって絶対満足できないと思う。 だったら理解しないほうがましと思うのだ。
だから結局、まともなユング、なんてどこにもないのだろう。 いくらユングを冷静に冷静に解釈しようとしても、 そこからユング以外に変換することで、 なにか有意義なものに発展するとはまったく思えない。 役に立ちそうで役に立たない、 まったくちんけな概念に成り下がってしまう。 それは次元が違うものを扱っていると考える。 だからクオリア、その先にこそユングがある。 はっきり言ってここで反論している人は単なるペダンティストと思う。 知識としてはそれなりに知っているようでも、 ユングをまったく理解していないと思う。 そういう知識ってはなして意味や価値をもつのかわからない。 もうちょっとユングに即して理解しなきゃ、 せっかくの知識もガラクタに成り下がって終わりだと思う。
>>480-482 よくぞ言ってくれました!って感じ。
漏れが言いたくていえなかったことをうまく言語化してくれた・・・。
ユングを批判してる人って、
人の心が無くて他人の足ばっか引っ張る、
意地悪くてつまらない人。
知識と論理だけですべてばっさり斬って捨てられると
勘違いしてるけど、
それでいったいどれだけを理解できるというのだろう。
つまらないもったいない生き方をしてると思う。
ユング研究者でも臨床経験があるわけでもないのに、
専門外に安易に口出しするのも、
なんか越権行為的な傲慢さがあってどうかなと思うしね。
その程度の心理学理解しかできないのなら、
ユングに口出ししないほうがまだましだと思う。
484 :
482 :2005/07/07(木) 13:04:54
>>483 いやどうも。まあ、そこまで言われると、
自分も書きずらくなるんだが。。。
自分はユングが正しいと思っているわけじゃない。
そこまで絶対化するものでもないしね。
ただそれをユングになりきって味わってはみたい、
とは思っている。
そういう態度って必要だと思うんだよね。
ユングの論理に乗って考えるというか。
それを自分で変形させてしまうともはや違うものになる。
そこまでしてユングを受け取ろうとするのも、
何かの徒労には思えてしまうよね。
結局、ユングに乗らないと、ユングは語れないし。
ユングをユングのまま味わっている人は、
けっこう多いしね。
概念の形式操作だけで捉えるユングって、
もはや別物だと思うね。
485 :
482 :2005/07/07(木) 13:26:51
あと、俺はユングマニアで通りすがっただけだから。 もう議論には残念ながら参加できないことと思う。 ちょっと整理しておこうかな?と思っただけ。 この板はどうせ盛り上がっていないみたいだし、 このくらいネタがないとね・・・って逆効果か?おい^^; では〜
>>485 あんた暇人だな。漏れもこないけどね。
漏れは正直、あんたみたいな知識はまだないし。
ただシンクロ?体験みたいなことはしたことある。
それでどうなのかな?と思ってふらふらしてて。
ここはあんま、そういう人はいないみたいね。
気のせいの可能性もあるけど。
んじゃこれで。
誰がどれを書いているのか分からないな… 繰り返して聞くけど、 「臨床現場以外では、通常はめったに起こらない」という話の根拠は何? 結局説明がなかったぞ。 クオリアについてのあなたの解釈はわかった。 ゲシュタルトの場合は、感覚の中に現れる共通のパターンみたいなものだから 元型と結びつけるのは分かる。 しかしクオリアは、通常は個人的な感覚の「質」を指す言葉であって、 それが普遍的な元型とどう結びつくのか根拠が分からない。 そもそも、クオリア体験は常にヌミノース的情動を伴うものなのかい? ヌミノース的情動を伴う体験を、あなたがクオリア体験と呼んでいるから クオリアは元型、という話になっているとしか思えないのだが。 あと、感情モニタリング法ってなに?
>>483 あなたの場合、ユング批判者への自分の投影を引き戻してから
ユングについて語ったほうがいいよ。
あえて言うなら、ユングの擁護者というのは、
ユング批判者を「つまらない生き方をしている人間」にしたがるね。
これがユング理論の抱えている傾向性だとしたら、問題がある。
489 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/07(木) 19:58:47
転移の仕組みをシンクロニシティーを交えて説明できないかなぁ・・・
490 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/07(木) 20:19:19
>>489 それはすでに20年以上前に co-transference という概念でけっこう言われている。
転移ー逆転移は共時的な現象であるとする見方。で、実際私もそうだと
思っているが。
491 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/07(木) 20:33:19
492 :
490 :2005/07/07(木) 20:53:29
資格をとったわけではないので厳密にいえばユンギアンではないがユンギアンシンパ ではあるかなと思います。
490は2ちゃんねらーです。
>>490 転移・逆転移を共時性の観点からみることには、
具体的に、どんなメリットがあるの?
転移分析を主とする発達派の中には、共時性という概念自体を
治療を妨げる自己愛的発想として退ける人もいると聞くぞ。
495 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/07(木) 23:24:30
ここでシンクロニシティについて熱弁をふるってらっしゃる方に聞きたいのですが、 その熱弁が実生活でどんな役にたつんですか?
497 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/08(金) 00:07:46
>>494 共時性が自己愛的というのは面白いね。
どういう理由が詳しく聞いてみたい。
>>497 簡単に言うと、宇宙論的な全体論へと防衛的に逃げることで、
今ここでの現実的な課題に向き合おうとしなくなる傾向がある、ってこと。
499 :
490 :2005/07/08(金) 02:07:08
↑ そういうことを言うならば、精神分析の転移という概念も妄想的とも いえるし、その意味で自己愛的といえると思うな。 自身が属している体系から他の体系をみる(もちろん、それしか出来ない わけだが)ことへの自覚がないと、他の治療概念はみな自己愛的にみえる んではないのかな。初期文化人類学において西欧からみて「周辺領域」に 生きる人々の文化をみな「野蛮」だとみなしたように
>>490 いかにも理屈だけの反論。
ものの見方次第ではなんだって自己愛的。そりゃそうだろ。
しかし、これはそういう問題ではない。
共時性の概念が、実際に臨床の現場において、
患者にとって防衛的に働き治癒の妨げになっていることがある。
それはやはり無視できないほど問題であると判断されたからこそ、
共時性概念を疑問視する意見がユング派臨床家自身から出されているわけだろ。
だったら、なぜその現実をまず受け止めようとしない?
その事実は、どう言いつくろったところで変わらないし、
臨床家がぶち当たっているのは、まさにその現実なんだから。
ここのユング擁護派って、どうしてこう言い逃れをして現実を見つめないんだろうね。
理屈ばかり言って、決して現実を認めようとしない。
それがユングの教えかい?
501 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/08(金) 06:53:03
>ものの見方次第ではなんだって自己愛的。 そんなことを言ってるのではないのですよ。「ものの見方はすべて自己愛的」 と言ってもらったほうがまだ近いな。 >これはそういう問題ではない とあったけれど、心理療法において「ものの見方」をはずしての治療理論というの があると単純に思っている人の方が単純でかつ馬鹿で有害で怖い存在だと思いますね。 いかにも、客観的な治癒の基準、方法論、テクニックがあると思っている人。 だったら、まだ行動療法の立場で論を張る人の方がかわいげがある。 「患者にとって防衛的に働き」と書いてるが、その「防衛的」とは何に対してどのように 防衛的なのか。その防衛をはずさなければならないとする領域は「客観的」に保証される ものなのですか? もし万一そうならばその「客観的な根拠」を教えてください。 「共時性概念を疑問視するユング派」がいるのは当然です。「ものの見方」の 違いですから。ただ、そこの議論をするときに「現実をみてない」とか受け止めて ないとかそういう「問題ではない」のです。あなたの言う「現実」ってなに? 私は別段「ユング擁護派」ではないですよ。あなたが勝手に「アンチユング擁護派」 になりたがっているだけではないですか?W 「ユングの教え」? なにそれ?
502 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/08(金) 06:58:58
ついでに言えば「共時性概念を疑問視する意見がユング派臨床家自身から 出されている」とあるが、私は寡聞にして、その論拠が「防衛的に治療の 妨げになっているから」疑問視しているという意見・論文、また海外を含めて ユンギアンの人から聞いたり読んだりしたことがないです。どこにそのような 「ユング派」の意見があるのか教えてください。タビストックに依拠している ユング派の人からも聞いたことがありません。アンソニー・ストー(つまんない 人だと思うけど)なんかは共時性にアンチの本をいくつか書いてるけど、それは 「防衛」云々の文脈ではなかったと思います。教えていただけますか?
>>501 >「患者にとって防衛的に働き」と書いてるが、その「防衛的」とは何に対してどのように
>防衛的なのか。その防衛をはずさなければならないとする領域は「客観的」に保証される
>ものなのですか? もし万一そうならばその「客観的な根拠」を教えてください。
根本的に何か間違えていますね。
臨床家が現場で「これは防衛的で、治療に際してこれをはずさなければ」
と判断するケースが実際多かった、ってことでしょう。
これが私の言う「現実」ですよ。
誰も「共時性はすべからく防衛的で、その防衛をはずさなければならない」
などという一般論は言っていない。
>あなたの言う「現実」ってなに?
上にある通り。
>「ものの見方」をはずしての治療理論というの
>があると単純に思っている人の方が単純でかつ馬鹿で有害で怖い存在だと思いますね。
そんなことはわざわざ言われなくても分かりきっている。
「ものの見方」の問題も含めて考えても、現場の臨床家が、
「これは問題」と判断するケースが実際多かった、ということ。
でなければ、共時性理論への疑問は最初から出てこない。
>>502 ソースについては今すぐに出てこないが、
たしかサミュエルズあたりがどこかで書いていたはずだ。
いずれにしても発達派の文献のはず。
>>501 >「共時性概念を疑問視するユング派」がいるのは当然です。「ものの見方」の
>違いですから。ただ、そこの議論をするときに「現実をみてない」とか受け止めて
>ないとかそういう「問題ではない」のです。
共時性の概念が、患者に悪影響を及ぼす可能性もないとは言えない以上、
それはそれで現実問題として議論すべきこと。
そこを懸念して出された意見に対して、
「見方次第ですから」で相対化して終わりにしていいのかどうかだ。
問題がある、という指摘に対して、
問題なんて見方次第ですから、という言い方で問題提起自体を潰すとしたら
やはり「問題自体を受け止めようとしていない」と思われても仕方ないだろう。
ちなみに、共時的現象が起きること自体を警戒する見方は、
フォン・フランツとかも書いていたはずだ。
このスレ内にもなにかあったな、と思って検索したら
>>344 があった。
結局、共時性というものの見方には、現実的に顧慮すべきなんの問題もなくて、 問題があるとするのは「そういうものの見方をする人がいる」というだけのことにすぎない、 とでも言うのだろうか?
506 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/08(金) 09:09:12
根本的に何か間違えていますね、か。はぁ。 今すごく眠くなってしまったんで、また明日にでも書き込みますわ。こういうの をまだ「防衛だ、それは」って言ってくれた方が理解しやすいんだけれども。 ちらっとだけ書いておくと、フォンフランツを例に挙げていたけれど、それは 精神病を発病するときに共時的な現象が生じるという意味であって、あなたの 言う「共時性云々を言うことが治療的に防衛として働き」というようなことと はまったく別のことでしょう。(発病するときに共時性が生じやすい、という 言い方自体にとても問題があると思うけれど今は置いておく) むしろ、それ ならば、つまり「防衛」が働くならば精神病発病に際して防衛できる力がある わけでむしろいいみたいな話しにもなってくるとも思うが(ここ、揚げ足とらないで ください。できたら。ここがメインの言いたいことではないので。単にあなたの 論の運び方がとても理解しにくいことを言ってるだけです) それとついでに書くと、サミュエルズなぁ。そんなこと書いてるんだ。ほんとかな 。どうも前に書いたことに関して、私が質問したこととずれたことが書かれているから 素直に受け取れないのだが。フォンフランツの例をみてもぴんとはずれの答えだし。
507 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/08(金) 09:18:05
うー、眠い。ついでのついでにもう少し書くと、 >臨床家が現場で「これは防衛的で、治療に際してこれをはずさなければ」 >と判断するケースが実際多かった、ってことでしょう。 >これが私の言う「現実」ですよ。 いや、だから私がたずねている、「現実」とは、臨床家がその「判断」する 「客観的な根拠」とはなにか、そういう「現実」があるのか、ということです。 私はすべてを相対化して、なんでもいいと言ってるわけではなくって、むしろ、 あなたのその素朴な治療的判断の根拠、客観的にあるものが現実だと思っている 主観の方が治療的にネガティブな意味での相対性を招くと思うのですが。 たとえば、「精神分析学はの転移という概念は、本来、生成の根源的な 様相を的確に反映している共時性という「現実」を返り見ておらず、神経症的な 防衛に陥ることをうながしやすい危険性がある」とか言ってもいいことになる わけでしょう。私が言っているのは、こういうことをいろんな学派がいろんな 立場でいいうるわけだし、それを他学派からの批判は当然あるべきだけれども その際に、素朴に自分の学派だけが「現実」の上にたっている、その上に立って の理論と違うことを述べている連中はだめだ、とかいうのは論議にならない でしょう、ということです。
508 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/08(金) 09:32:49
>共時性の概念が、実際に臨床の現場において、 >患者にとって防衛的に働き治癒の妨げになっていることがある。 >それはやはり無視できないほど問題であると判断されたからこそ、 >共時性概念を疑問視する意見がユング派臨床家自身から出されているわけだろ。 この文だけでかなりの数の突っ込み場所があるわけですが、とりあえず、ひとつ 挙げると、(あなたの言う「現実」とは何かはとりあえず置いといて)この文脈 では治療の中で患者が共時性に関わることを述べて、それを治療者が「宇宙論的 な全体論へと防衛的に逃げることで、今ここでの現実的な課題に向き合 おうとしなくなる傾向がある」と判断するわけですよね。これは要するに 患者の少々妄想に近い言述にほかならないでしょう。たとえば、「昨日、あこがれの 人の夢をみたら、その人と偶然であったんですよ。」とか。こういうことが 治療的に問題になることはあるだろうけれど、それと「共時性の概念」とは 関係がないでしょう。それはその患者が共時性ということばでまあいわゆる自身の 自我の弱さを表現しているだけでしょう。その人が「ロシアの政治体制が自分を取り巻く 環境の苛酷さと似ている」とか妄想を語りだした場合に、ロシアの政治体制に問題が あると論じることはこっけいだと思うのですが。
509 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/08(金) 09:43:33
ちょっと目が覚めてきたので。こう書いた方がいいのかな。 あなたの言っている理屈は、ある患者がたとえばAという事象と それに近似したA’という事象とを「いわゆる」共時的な現象として 結びつけた場合に、治療的には防衛だから「共時性の概念」は問題がある ということですよね。 ならば、ある患者が(妄想の多くはそうだと思うけれど)Aという事象に対して Bという事象が因果的に絡んできてこういう事態になっていると語る場合(たとえ ば、宇宙人に解剖されたので(B)自分の身体はサイボーグになってしまった(A))、 それは「いわゆる」因果律だから、因果律と言う概念には問題がある。 これは変だと思いませんか?
ちょっと、通りがかった者ですが、ひとつ。 ユングの『分析心理学』(みすず書房)は、とりあえず、 ユング心理学の全体像を捉えてみたい、という方にはお勧めしておきます。 医者相手のレクチャーですから、ユングにしては簡にして 要を得た説明をしているし、味のある話も多い。 これでぐっとユングが身近になったような気がしたものです。 本当に印象に残ったのは、 実はユングが所々入れていたエピソードの方だったりします。 これは西洋人からすれば、非西洋的な「異文化」の衝撃といったところですが、 自分としても、まさにそのようなものとして新鮮な驚きがあったものです。 2つばかり挙げてみると。 1つは、ユングの出会ったブェブロ・インディアンの話。 彼はユングに「アメリカ人は皆狂っている」と言い出す。 ユングが何故かと問うと、「彼らは<頭>で考えるからです。 しっかりした人は、頭では考えません。我々は<心>で考えます。」 と言った。 しかし、これなどはまだ、日本人にとっては理解しやすい。
2つ目は、ユングの友人が中国人の学生に「道(タオ)」とは どういう意味なのか聞いたという話。 中国の学生は、彼を建物のバルコニーに連れ出し、 「何が見えますか?」と聞く。 「道と家と人が歩くのと、市街電車が通っているのが見えます。」 「他には?」「丘が見えます。」「それから?」「木です。」 「それから?」「風が吹いています。」 すると、その中国人は両手を上に挙げて、 「それが道(タオ)なのです。」と言った。 まあ、禅や荘子などに接したことのある人にとっては、 この辺はもう「相変わらず、やってるな」という感じかもしれませんけどね。 で、蛇足ながら、あえて解説めいたことを言えば、 「道(タオ)」というのは、抽象的な原理や理念ではなくて、 具体的な個物に即した「あるがまま」の「全体」ということになる。 ユングも「共時性」の観点から、 「ある瞬間に同時に<布置>された事物」という捉え方をしている。 いずれにしても、中国人というのは、 何とも堂に入った「道」の示し方をするものですな。 まだ学生というのに。
>>506 まず、フォン・フランツの例は、
「共時性云々を言うことが治療的に防衛として働き」ということとは無関係に書いたので、
一緒にはしないで下さい。
「ちなみに」という言葉で、別件であることを示したつもりだったが、
そこは分かりにくかったかもしれない。
共時性を「よいこと」として受け入れたがる傾向がこのスレにあると感じているので、
これはそれに対する意見。
>>507 >いや、だから私がたずねている、「現実」とは、臨床家がその「判断」する
>「客観的な根拠」とはなにか、そういう「現実」があるのか、ということです。
それはあなたが問題にしている「現実」でしょう。
私が問題にしている「現実」とは違う。それだけのことでしょう。
>あなたのその素朴な治療的判断の根拠、客観的にあるものが現実だと思っている
>主観の方が治療的にネガティブな意味での相対性を招くと思うのですが。
治療的判断をしているのは、共時性に疑問を呈する臨床家であって私ではない。
具体的な治療関係の中でそう判断する文脈があって、臨床家がそう判断した。
私がしているのは、そういうユング派の臨床家がいるという事実の指摘であり、
(これが私の言う現実だが、これは見方を変えると消えてしまう現実ですか?
見方を変えれば、そういう臨床家がいたという事実が消えるのですか?)
そういう事実がある以上、共時性を臨床に持ち込むことの是非は問われてもいいはず、ということだ。
家族療法の一派のように、
「問題なんてものはない。問題視される事柄だけがある」という見方があることだって、
こちらは知っているし、説得力のある意見だとも思っている。
その上でこちらは言っているつもりなんだけどね。
>>508-509 関係づけに問題があるという話ではない。
なんでもかんでも宇宙論的な世界観の中で都合よく解釈する、
そういうやり方を支えるツールとして共時性の概念が患者によって使われる傾向がある、
そこを臨床家が問題視しているということだ。
補足すると、 二つの事柄を意味によって結びつけること自体を「防衛的」としたのではなく、 ユングの共時性理論・一なる世界論によって描かれる「宇宙論的な世界観」自体が 都合のよい解釈をする防衛的なツールとして利用される、ということ。
516 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/08(金) 12:22:11
>>513 >治療的判断をしているのは、共時性に疑問を呈する
>臨床家であって私ではない。私がしているのは、
>そういうユング派の臨床家がいるという事実の指摘
>であり、そういう事実がある以上、共時性を臨床に
>持ち込むことの是非は問われてもいいはず、という
>ことだ。
自分は、自分の理解できる範囲に勝手に矮小化して
ユングを受容しようとするユング理解なりユング解釈と
いうのは、そういうものは正統的なユング派とは認め
てない。
「合理主義一辺倒は、科学的姿勢の表現というよりも、
科学に対する狭い考えの信仰の表現であることを、
多くの人は実感するようなった」
『ユングと共時性』イラ・プロゴフ著/河合隼雄・河合幹雄訳
こういった、日本のユンギアンが時代のなかで紹介し、
積み重ねてきたユングの功績を矮小化なり無効化し、
時代に逆行なり退行する、そういう臨床家というのは、
ユング派としては間違っている異端的なものでしかない
と思う。それに、そういう異端的な臨床家がいたところで、
それでなんで、持ち込むべきでない、とまで言えるのか、
よくわからん。これについてはどうやら見聞きしたこと
しか言えないアウトサイダーの素人ということになる。
それなのに、そこまでの権利はない。
>>516 あなたの「見方」「解釈」はよくわかりました。w
あなたの書いていることを読んでいると、
>>377 は当たっていると改めて思う。
そもそも、共時性への疑問=合理主義一辺倒、なの?
ユング派として正統派か異端かというのがそんなに重要な問題か?
その臨床家の意見が正しいかどうか、それを問うだけのことじゃないの?
>それでなんで、持ち込むべきでない、とまで言えるのか、
私自身は、持ち込むべきでない、と主張してないはずだが?
どこにそんなことが書いてある?
「批判論もある以上、共時性を臨床に持ち込むことの是非は問われてもいいはず」
とは書いているけどね。
こういう是非を問うこと自体が悪いとでも?
518 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/08(金) 12:44:27
それに、ユングがしたように、ある非日常的な体験を 独自の「内的な現実」として認めてかかるのでなければ、 どうとり繕ってみたところで、結局は「日常的現実」からの 「逸脱」か「誤謬」でしかないではないか。そこには、 もはや「ヌミノーゼ(聖なるもの)」も顔を出す幕すらない。 それでは、精神医学というのは、「日常的現実」の唯一の 正統性を背後から補強する「イデオロギー装置」だと言わ れても仕方がない。そういう抑圧的な一辺倒な姿勢こそ、 批判されるべきものだろう。私としてはむしろ逆に、せめて ユングくらいには、そのような共時性などの体験について 理解の可能性を見出して、まともに取り組めないものかと、 歯痒いばかりなのが実感ですらあるくらいだ。 さらに、逆に何らかの非日常的体験に見舞われた者の側 を考えても、ユングについての知識は重要だと言える。 それはそのような衝撃的な体験を受け止めていくうえでの、 「バッファ(緩衝帯)」のような役目を果たすからである。 いずれにせよ、まずはそのような体験を「内的現実」として しっかり受け止めていくことが重要で、これをクリアすること の重要性は計り知れないものがあるにも関わらず、一般に、 ユング以外にはこの点を明示したものにお目にかかれない というのは本当に驚くべきことなのだ。これは「現実の多重性」 という視点がないと、できないことなのだ。 それだけ、ユングが現代に残したその価値、可能性という ものは、ユングに独自であるからこそ、現代ではものすごい 潜在性を帯びたものになっている。
519 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/08(金) 12:50:42
そして、たとえ個人的なものを超えたようなものであっても、 まずは起こっている出来事を何らかの(普遍的)「無意識の 投影」として引き受けてみること。 これは主観的な問題に過ぎないとも言えるが、これで、 ある意味現象の「他者性」が薄れ、体験の直接的な衝撃が 緩和されるのである。そうして、冷静に認識していくための 余地も生み出されるのである。 ただし、ユングも言うように、それらは強力なエネルギーを 伴った「自律的」な「存在」として現れるものであるから、 単なる「幻想」を暗示するような一般的な「投影」の理解で は捉えることはできない。 まあ、いずれにせよ、望まずして、準備もなくそのような体験 の領域に入れられることはいくらでもあり得るのだから、 ユングくらいは必須の予備知識でなけれればならないはず だと言いたいのだ。 ユング批判をしている人は、毒がなければ、免疫がなくても いい、ウィルスをなくせば、ワクチンはいらない、と言っている ようなものだ。そんな対処法ほどに、愚かな考え方もない。
>>519 >ユング批判をしている人は、毒がなければ、免疫がなくても
>いい、ウィルスをなくせば、ワクチンはいらない、と言っている
>ようなものだ。そんな対処法ほどに、愚かな考え方もない。
そういう考え方を「投影」って言うんだよ。
ユング擁護者の視野の狭さを感じるな。
ユング批判をする人はみなそういう考え方をしているとでも?
ユング批判にだって、いろいろな立場があるんだぜ。
それだけユング心理学が重要だというのなら、
ユング心理学の欠点についてもっと考えてもいいはずだ。
521 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/08(金) 20:50:37
めずらしくこのスレのびてるけど 長文がつらい
522 :
電車男 :2005/07/08(金) 20:52:13
おーぃ
523 :
電波男 :2005/07/08(金) 21:07:35
ここでユングについて熱弁をふるってらっしゃる方に聞きたいのですが、 その熱弁が実生活でどんな役にたつんですか?
527 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/09(土) 08:53:19
>>513 とかも相当の馬鹿だけどさぁ、それにしても
>>516 みたいなとびきりの
馬鹿が出てくると相対的に513なんかがまだましに見えてしまうところが怖い
よね。
>>527 こういう無内容を書く人を見ると、
馬鹿のほうがずっとましに見えてしまうところが怖い。w
529 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/09(土) 13:08:12
馬鹿って言うやつが馬鹿 といってみるテスト
531 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/09(土) 16:03:46
で、490はもっともらしいことをいろいろ言っているが、要するに、 「臨床なんて立場や見方次第ではいろいろだから、 共時性の発想が臨床上悪影響を及ぼす可能性については考えなくていい。 そもそも現実にそんなことがあるかどうか自体が怪しいんだから」 ってことなのか? 「悪しき相対主義」というのはこういうことを言うのか、という感じだな。 少なくともユンギアンたちは、共時性のみならず、 ユングが残した発想が持つメリット・デメリットについてかなり議論していたはず。 そういう議論すら最初から行う気もないのでは話にもならない。 そうした議論の中で、個々の臨床家たちは、 それぞれに特定の発想を切ったり採用したりと、個別の事情の中で苦労しつつ判断しているわけだろ。 そういう個々の真摯な試みを尊重するわけでもなく、 客観的根拠がないだの「異端」だのと勝手に切り捨てる態度にはうんざり。 ここのユング・シンパというのは人間として最低ですね。
>>531 あんたうるさいよ。なに一人で熱くなってるんだか。
共時性は発想じゃない。臨床をやれば、絶対に遭遇
するはずの、そうした現実的な現象として実在する。
それほどに目立つものなので、それが認識されていない
臨床家とはつまり、ユング派としては落ちこぼれだ。
逆に、それが認識されているかで、ユング派としての、
力量なり熟達度が判断できるくらいですらある。それが
発想だの概念だのと思っている臨床家がいるとしたら、
それは空理空論でしか接近できない凡人でしかない。
共時性だけは誰がなんと言おうと、死んでも絶対に譲れ ない、重要な臨床的事例だ。どんな臨床家よりも優先 される自然現象だからだ。それを否定することこそ、 人類の自由な知の営みへの冒涜になる。 ユングは臨床であるまえに、意識研究であり科学なん だよ。西洋医学が患者よりエビデンスが優先される限り、 ユングもエビデンスは捨てないんだよ。ひとつの確固と した対抗的立場だからだ。粘着な反骨精神がなんだよ。
共時性はもう無くせないものだから、諦めてもらいたい。 共時性はいわば、ユング派にとっては絶対防衛線だ。 それを抜くと、ユング派という立場は成り立たなくなる。 すべてはそれのためにユングがあるくらいですらある。 超心理学の100年の歴史は、結局はシンクロニシティ を証明するために費やされたと言っていい。その努力を 手放すわけにはいかないんだよ。それが事実である以上、 統計技術などあらゆる科学技術をフルに活用してでも、 超心理学によって全総力をあげて、シンクロニシティを 科学的に証明していかなければならないということだ。
共時性がどんなに弊害があろうと、それを主張し続ける ことにこそ意味がある。それがグノーシスの伝統だからだ。 ユングは言った。「私は神を信じる必要はありません。 私は神を知っています」、ユング派は単なる臨床ではない。 それは心の深層の、神の真理の探究である。そう思って いなければ、ユング派はやれないし、成り立たない。 それがユングの意志を継ぐもの、グノーシスという真理に 命を賭けるものの、避けられない宿命であり義務なのだ。 それだけの実存的な覚悟のないものに、ユング派である 資格はないはずだ。臨床がどうので揺らぐほど、真理の 探求は甘くない。
かつてのキリストのように、どんな人格批判による受難が あろうと、真理を主張していかなければならないということだ。 共時性を認めることなしに、その先の探求もないからだ。 ユングだけが真理ではないが、ユングもまた真理である。 異なる立場を尊重できなければならない。
537 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/09(土) 18:37:11
ちょっと改行おおいよ 読みやすいけど
相手は散々、健全な議論だのなんだのといって、 歩み寄らなければ罵倒し、相手に共時性を捨てさせれば、 ユングの真理もろとも、闇に葬ろうとする、さもしい連中だ。 自分に都合よく取り込めなければ相対主義だの、 さも自分のほうが正しいように言うが、しょせんは自分に 都合の悪い事実を排除したいだけだ。 学問の自由はそこまで狭いものではない。
超心理学講座・シンクロニシティ
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/5-8.htm 以上のように、共時性は絶対防衛線である。
超心理学の現在の最終目標だからだ。
そのために100年の年月が費やされてきた。
相手の立場の尊重するなら、
それを捨てろなどとは決して言えないだろう。
ユング派の臨床家よりも優先しなければならないし、
どんなに人格批判されても、
真理のためには耳をふさがなければならない。
ユング派を擁護したい人は、
この点だけはしっかり注意してもらいたい。
どんなに批判されても、
立場として、絶対に外してはいけないところがある。
歩み寄ったら負けなんだ、と思っていい。
臨床がどうのくらいで共時性を外せるような臨床家は、 ユングの残した歴史のことが、 本当にはよくわかっていないんじゃないか。 それがわかったら、どんなに叩かれても、 妥協なんてできないはずだからだ。 そういう覚悟がない人がユングをやるのはおかしい。
ユングを研究している人は、 内心では共時性を信じていないとやれないと思う。 それを信じていないとすれば、 自分が信じていないものをやってる詐欺師だろう。 自分がやっていることを詐欺だと思っている臨床家なんて、 誰も信用したくないが。 河合先生だって、共時性とか魂とか信じているから、 そういう本を翻訳しているはずだが。 共時性は事実なので、罪悪感は感じなくていい。 もうこの時代なら、どんどん広めてしまっていい。
自分としてはもう、この現代というのは、 「ゴーサイン」が出ている時代だと思ってる。 ユングはもう十分に普及してるし、そういう流れ。 否定しきれる段階は、もうとっくに越えてしまった。 共時性をなくせだのは、 最後の無駄なあがきでしかないわけだ。 自分は共時性はあると知っているので、 もうなんの迷いもないわけだ。 他人を嘘で騙しているつもりもない。 事実を許容できない人のほうが、悪いわけだ。
共時性が事実だと困る人のほうが悪い。 困るなら無視すればいいのに、関わるのがおかしい。 関わってきて、相対主義だのと批判したり、 ユング派は嘘つきだの人格批判を始めるようなら、 超心理学で証明していくしかないわけだ。 もう、証明で戦うか、無視するかしかないわけだ。 ユング派にあんまり鬱憤を溜めないほうがいいよ。 これまで十分、受難を経験してきてるんだから。 ユング派を叩けば叩くほど、追い詰められたら、 どんどんメディアで広めたくなるのが人情だろうな。 ユング派も人間だから、 あるものをないといわれたら、むかつくわけだ。
『自然現象と心の構造』 ユング、パウリ、河合隼雄(訳)
『ユングと共時性』 イラ・プロゴフ、 河合隼雄(訳)
『シンクロニシティ』 デヴィッド・ピート
『ユング超心理学書簡』 ユング、ライン、 湯浅泰雄(訳)
シンクロニシティの本はもうたくさん出ている。
こういうものをどれだけ読んだのだろうか。
結局、都合の悪いのは無視しているわけだから。
それは、ユング派の河合隼雄氏や、
哲学者の湯浅泰雄氏がさんざん語ってきているし、
もっと若手でも「ユングの共時性」を思想的に
研究テーマにしている人というのはいる。
→
http://www.geocities.jp/bodyandsoul_institute/research.html 共時性を引っ込めろ、となると、
そういうまっとうな研究すべてが、無意味だったんですよ、
と一方的に決め付けてることになる。
尊重というのは、そういうものではないはず。
ユングをやってるわけでもないのに、 外側から割り行って叩くのがおかしい。 そういう人というのは、 共時性があったらなにかまずいのか。 もしそうだとするなら、 それだけの覚悟しかないということだ。 別に矛盾するわけではないからだ。 ユングに文句付けたり叩く暇があったら、 自分の専門なりに集中してもらいたいものだ。 なんだかんだもっともらしい口実を付けては、 他人の足を引っ張ることしか考えてない連中に、 ろくなのはいない。そういう連中は、 結局のところ自分の専門も中途半端だろうから。 自分の専門に集中してたらそんな暇はない。 専門外を叩くのは大抵暇を持て余している者だ。 そこを勘違いしてはいけないだろう。 第一線の人はそうやって叩いたりはしない。
共時性を抜いて、現実問題の解決もなにもない。 共時性こそが現実に起こってくる問題だからだ。 それを無視することでは、問題は解決できない。 こういう揶揄的なスレッドが立ってしまう、 そしてそこに群がる連中がいることこそが、 なにか不自然な問題ではないだろうか。 共時性自体には神秘もなにもない。 それ自体は単なる事実だからだ。 その事実を適切に広め、認知してもらうことが重要だ。 それでこそ、冷静な対処が可能になる。
揶揄しかできない人は、 もうこのスレッドには書かないでもらいたい。 ここはもう共時性体験者だけが おもしろおかしくポップに気楽に書けばいい。 「健全な議論」なんてしても無駄。 それで立場が一致することなんてないのだから。 自分とは絶対に一致しない立場がある という諦めこそが、精神衛生上好ましいのである。 自分の立場以外認めないのにろくなのいない。 経験が違う以上は、一致するわけないんだから。 特に、特定のデータだけを疑うような、 不誠実な態度であれば、いつまでたっても、 データに矛盾はあって当然だろう。 なにしろ排他的にしか受け取ろうとしないのだから。 まともな人は、共時性があったところで、 それとは矛盾せずに洗練させることができる。 そういう能力がないから共時性のせいにする。 才能がないんだよ。
ユングをほんとにやれば、絶対共時性には遭遇する。 これは自分の直観。ユングとはそういうものだからだ。 自分が効果出せないからって、共時性のせいにしちゃ いけない。共時性みとめてても、効果出している人は いるだろうからだ。そういう人がどこまで無意識に食い 込んでいけるのだろうかしらないが、それは「ただの 臨床家」であって、ユング派としてのアーティストの才能 はないだろう。これはアートのように心のひだに食い 入っていけるような積極性がなければ駄目だ。そういう 人材が出てこないと、河合氏を超えることはできない。 積極性がなければ、結局、共時性とはどういうことかも わからないまま、中途半端なユング派で終わってしまう ことに変わりないだろう。ユングも、河合氏も、こえる ことはできない、ということだ。それだけ厳しい才能が 要求されるし、本来ならやりがいを見出せるものだ。 すでにある河合氏を超えようとしないで諦めちゃってる 人というのは、結局のところユング派としてはそれだけ の人ということにならないか。中途半端なことは否めない。 誰もが河合氏を超える人材を求めているのだから、そろ そろ志の高い若手の新星が出てこなくちゃいけない。 河合氏だって、いつまでもご存命とはいかないのだから。 ユングは、現代の日本にあわせたものとして、まだまだ いくらでも新しく語れるということだ。ユングを刷新して いく意欲がなければならない。
ユングは、まだまだ全然生かしきれていないのが真実だ。 ユングの可能性というのはこんなものでは全然ないものだ。 その本当の可能性を認識しているひとは、まだ少ない。 であるから、河合氏を超えるつもりでやらなければ、ひと あたま飛びぬけたことはやれないだろう。ユング程度で 怖気づいてるようでは、それを超えられないということだ。 文化というものはそういうものだ。 そろそろ独創的なものが出てきてもいい時期でもある。 煽るだけ、無責任に煽っておかなければならない。 そうした余計な種まきから、 新しい芽が出てくることになるからだ。 臨床にはオリジナリティが必要である。 無難に縮減していく方向に、可能性はない。
お主気に入った。
>>532-549 いいかげん呆れるね。
誰も「共時性がない」なんて話はしてないし、
共時性概念を持ち込むことを疑問視するユンギアンだって、
方法としてそれを主張しているだけで、「共時性がない」と主張しているわけではない。
その程度の区別すらできないのかよ。
議論する能力がないからこそ、勝手な持論を一方的に話を垂れ流すんじゃないのか?
ありもしない敵を勝手に敵を作って、それで一人熱くなっているバカはそっち。
これこそが事実だろ。w
>>539 >共時性は絶対防衛線である。
>超心理学の現在の最終目標だからだ。
超心理学者たちは、サイ現象の実在は信じているだろうが、
必ずしも全員が、そのサイ現象の作用機序がユングの共時性理論の言う通りであると
認めているわけではない。
共時性理論は、影響力のある論のひとつだが、
「超心理学の現在の最終目標」というわけでは決してない。
超心理学のテキストを読んでみろよ。ユングについての記述は全体に比してそれほど多くはない。
共時性が超心理学の現在の最終目標なら、なんでこんなにも小さな扱いなんだ?
「共時性は超心理学の現在の最終目標」なんて書いてある文献があるのか?
要するに、お前の言っていることは、ユング擁護派による拡大解釈にすぎない。
こういうところにも、ユング擁護派の勝手な思いこみが出ているな。
>>544 >シンクロニシティの本はもうたくさん出ている。
>こういうものをどれだけ読んだのだろうか。
>結局、都合の悪いのは無視しているわけだから。
そっちが挙げた本は全部読んだし手元にもある。
ついでにリストに付け加えるなら、エラノス叢書シリーズに入っている
共時性についてのユングの小論文だって読んでいるよ。
湯浅先生なら『共時性の宇宙観』ははずせないだろ。
ジーン・シノダ・ボーレンの『タオ心理学』はなぜリストに入っていない?
URLの先にあった論文もほとんど知っていた。
というか、そのうちの何人かとは知り合いだよ。w
批判者が、その程度の論文すら読んでない・無視しているなんて、なぜ思うんだ?
こういう部分に、一方的な思いこみが見えるな。
まあ、ひとことで言うなら、 ユング擁護派の思いこみというのはこういうものだ。 共時性に対して、ちょっとでも疑問の声を上げると、 もうこれだけの過剰反応が返ってくるんだからな。 共時性についてはもう絶対で、疑問を出すことすら許さない、 疑問を呈する奴は「真実・事実」を分かってない、とくる。 まさにユング・カルトだな。
555 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/10(日) 02:36:52
>>552 >超心理学のテキストを読んでみろよ。ユングについての
>記述は全体に比してそれほど多くはない。
具体的にどの本を読んだんだ?
ラインがマクドゥーガルの紹介でユングと書簡のやりとりを
したことは湯浅氏の本にあるし、それは超心理学史の
ひとつとしてある。創始者のラインがユングにそれだけの
コミットをしていた以上、そうした草創期の影響はあると
考えていいし、記述の多寡がどうだろうと、発想としては
ユングとさほど変わりないものになっていることは、どうし
ても、ごまかしようがないわけだ。その形而上学的な意味
は決して小さくない。
湯浅氏にしろ河合氏にしろ、ユングをそうした視点で捉え
ているところはある。両人とも、気功にも関心があるからだ。
河合氏が推薦している湯浅氏らの人体科学会による
『科学とスピリチュアリティ時代』を読めば、そうしたユング
の解釈が読み取れるはずだ。
アインシュタインは「宗教なき科学は不具であり、科学なき 宗教は盲目である」と言ったが、ユングのそれは、ライプ ニッツのモナド論を下敷きにしている。 宮沢賢治の「春と修羅」に出てくる、華厳経の「インドラの 網」のモデルは、ライプニッツのモナド論に類似する。これは 彼がその類似に注目していたからで、詩の中でも「モナド」 という言葉がしばしば使われている。 井筒俊彦氏の華厳経解読(井筒俊彦集9「東洋哲学」所収) によると、ギリシャ後期の哲学者プロティノスの世界と、 華厳経の世界の共通点に注目している。プロティノスの時代、 アレクサンドリアには有力な仏教コミュニティが存在していた。 プロティノスが華厳経に触発されたこともありうるとしている。 そして、プロティノスをはじめとするネオプラトニズムの哲学 者と、ライプニッツにも、かなり明瞭なつながりが認められて いる。ドゥルーズ「襞─ライプニッツとバロック」でも、ライプ ニッツの「モナド」という言葉は、ネオプラトニズムの哲学者の 用語に由来すると書いてある。
華厳経→ネオプラトニズム→ライプニッツ→超心理学やユング。 日本でもそれは、宮沢賢治、井筒俊彦、中沢新一、河合 隼雄、湯浅泰雄、人体科学会や早稲田の「気のコミュニティ」 など、ライプニッツ=ユング=ベルクソン=東洋思想(密教 や気功)のラインがある。日本的な文化として育ってる。 『科学とスピリチュアリティの時代』(2005年4月) を読んでくれ。 こういう人材がほとんど揃ってる。 こうした東洋的な思想のラインが存在することを把握する 必要がある。自分に都合が悪いときだけ、まるで弱者の ふりして「なかよしこよし」で歩み寄れ的な振る舞いをするが、 結局は「ユングカルト」だのなんだの弾圧し、他の立場を 抑圧したいだけなわけだ。そこに「聞き分けの良さ」なんて あったもんじゃないぞ。 ユングなら叩きやすい、ユングを突けば信頼性はすべて 揺らぐ、と思ったのかもしれないが、その背後にも、もっと 深い思想の歴史がある。心理学だけを学んでいる程度の 連中が、ちょっと疑問をあげたくらいでゆらぐほど、その洞察 は甘くない。くやしかったら、わざと説明不足でほのめかして どうにか錯覚させようとしたり、それが失敗するとただただ 人格批判で貶めようとする、そうした卑しい行動パターンに 終始せずに、きちんと学んでから、相手を尊重して部分的 な疑問に限定することだ。それができないほうがカルト なんだよ。
>>556 超心理学とタイトルの付いた概説書ならなんでもいい。見てみろよ。
ユングについては必ず記述があるが、たいていほんの数カ所だ。
重要な位置にあることは確かだとしても、
「共時性は超心理学の現在の最終目標」と言えるような根拠は全くない。
ユングびいきの勝手な解釈をするなよ。
まあ、要するに、「共時性は超心理学の現在の最終目標」というのは
事実というよりもお前の「解釈」なわけだな。
まずはそこを認めたらどうだ?
また言い逃れをして認めないか?www
>>558 >その背後にも、もっと
>深い思想の歴史がある。心理学だけを学んでいる程度の
>連中が、ちょっと疑問をあげたくらいでゆらぐほど、その洞察
>は甘くない。
背後に歴史があれば、それだけで正しいのかよ。w
おめでてえな。
だいいち、ユング批判している奴がみな
「心理学だけを学んでいる程度」だと決めつける根拠はなんだよ。
思想史の専門家にはユング批判者はいないとでもいうのか?
哲学者や思想家、神学者のなかにも、ユング批判者はワンサカといるぜ。
むしろ、お前のようなおかしな擁護者がいることこそ、ユング叩きの元凶だろ。
>くやしかったら、わざと説明不足でほのめかして
>どうにか錯覚させようとしたり、それが失敗するとただただ
>人格批判で貶めようとする、そうした卑しい行動パターンに
>終始せずに、きちんと学んでから、相手を尊重して部分的
>な疑問に限定することだ。それができないほうがカルト
>なんだよ。
このスレのユング擁護派がやっていることじゃないか。w
笑わせるなよ。
『科学とスピリチュアリティの時代』(2005年4月) これを読めば、もうユングを突いたくらいでは、どうにもなら ないほど、こうしたものに注目が集まっていることはわかる。 重要人物が広く結びついてるすごい本。鍼灸大とか気功 研究とか、日本のユング土壌の独自性がわかる。 日本をとりまく独自の歴史的経緯については、この本に 簡潔にまとめられている。ユングをとりまく、広大な領野が まとめられている。そういう豊穣な精神文化に属するもの で、ちょっと批判の対象になったくらいでは、まったくびくとも しない。文化というものは、そこまで甘くはないからだ。 ユング程度で止まっているほうが、むしろ視野狭窄で危ない くらいなのだ。データは一生かかってもくみつくせないほど もう集積されている。批判している暇があったら、どんどん 学んで、視野を広げていくことだ。こういうものは、思い込ん だらそこで負け、の世界だからだ。 あと、カトリックで科学哲学者の村上陽一郎氏も、こっちの グループ(=シンパ)なので、その本も非常に参考になる。 河合氏と同様、人体科学会(ニューサイエンスコミュニティ) の顧問でもある。 心理学なんて相手にしててもらちがあかないのだ。パラダ イムが別なんだから。医学やWHOの動向を見ていたほうが 早い。あとは哲学のほう。心理学とは領域が違う。口出し しても無駄。
>>561 批判に対して具体的に答えることなく、
ひたすら「批判されてもびくともしないんです」を繰り返すだけ。
それがそちらの態度というわけだな。w
そもそも、話は共時性の臨床的応用についてのことだったのが、 その是非についての議論をうやむやにしたまま、 いつのまにかサイ現象の実在とか超心理学の正当性の話になっている。 話を逸らそうとするのがユング擁護派の特徴だな。w
564 :
なか :2005/07/10(日) 15:00:17
516と517って、同じ人が書いているんだろ?
565 :
なか :2005/07/10(日) 15:03:14
≧557 イラ・プロゴフの『ユングと共時性』ね?
566 :
なか :2005/07/10(日) 15:07:28
≧557 プラティノスが華厳経に? そりゃ大変だ!!
567 :
なか :2005/07/10(日) 15:18:42
≧558 意味がわからない
568 :
なか :2005/07/10(日) 15:20:53
≧558 個にして全、全にして個。だよ、わかる? ボツ個性化されたレス↓君?
569 :
なか :2005/07/10(日) 15:24:20
≧559 まぁ、参考になるかわからないけど、おたくの言う、 河合先生は、その著書で、 「祈りが通じるとワカってこそ、祈ることに意味があり」、云々と 言っている。
570 :
なか :2005/07/10(日) 15:25:04
逃げたね?しんいちくん
571 :
なか :2005/07/10(日) 15:26:18
≧561と562 何一人でしゃべっているんだ?
572 :
なか :2005/07/10(日) 15:27:40
ほら来い、どうした? 話が続かないだろう? 今日で終わらせたいんだよ。 俺もひまじゃないからね?
>>566 井筒氏は、まず華厳思想は、インド特有のものではなく、
プロティノス(205年−270年、ネオプラトニズム、イスラ
ーム哲学に深く影響)、ゾロアスター、スフラワルディー
(1154年−91年)、イブヌ・ル・アラビー(1165年−
1240年)らのイスラーム思想、荘子思想とも共通する。
井筒氏が意図的に「東洋」を強調し、また仏教からでは
なく「東洋思想」全体の枠組みのなかから「華厳」を語り
出しているのは、「東洋」とは、イスラーム思想はもちろん、
『旧約聖書』の世界や、プロティノスを含むからだ。
華厳哲学は、ヨーガの実践に基づく唯識派の言語哲学に
全面的に依拠している。その唯識哲学の措定する「意識
構造モデル」における深層領域、「アラヤ識」(一切の存在
の元となる「種子」を内蔵する識)についてこう言う。
「深層意識的意味エネルギー(種子)は、全体が一様に 等質的な存在可能の流れではなくて、いわば、強弱いろ いろに度合の違う凝固性の差異によって区切られている のが特徴です。なかでも特に凝固度の高いところは、 「名」によって固定されて独立し、記号学のいわゆる「シニ フィアン」ー「シニフィエ」結合体となって、表層意識で正式 の言語記号として機能する。今日の記号論の常識から すれば、「シニフィアン」に裏打ちされない「シニフィエ」など というものは、理論的にあり得ないわけですけれど、唯識 の「種子」理論を意味論的に読みなおすためには、それを いささか拡張解釈して、まだ「シニフィアン」を見出すに 至っていない、潜在的、暗在的「シニフィエ」というような ものを措定して考えたほうがいい。要するに、まだ「名」に よって固定されていない、凝固しかけの「意味」可能体が、 「アラヤ識」のなかに、たくさん揺れ動いている、というわけ です。」
アラヤ識(深層意識) ≒ 集合的無意識
種子(深層意識的意味エネルギー) ≒ 元型
超心理学講座 ・ 情報システム理論
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/5-7.htm ユングの「集合的無意識」と「元型」とも対応する。
「情報システム理論」も、類似した発想に至っている。
超心理学講座 ・ サーンキヤ哲学
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/8-4.htm 釈迦時代の六派哲学の一つであるサーンキヤ哲学では、
「プルシャ(意識)」と「プラクリティ(物)」の二つの実在を想定
する。意識(自己)が、流出した世界の外から、これをじっと
見ている。ヒンドゥ教の「アートマン」も、物質世界である
「マーヤー」には属していない永遠の実在だ。究極的には
それは「ブラフマン」に一致する。
サーンキヤ哲学は、ヤージュニャヴァルキヤの自己論の
核心を正確に継承している。8世紀にヴェーダンタ哲学を
不二一元論で一新したシャンカラも、サーンキヤ哲学と
唯識学派を取り込んで、自己論を形成した。
つまり、これだけ「普遍的な考え方」だということだ。
それほど覆すのが難しいほど、有力だということだ。
私たちが見ているよりもはるかに深くて広い、生の基盤。 それに比べれば、私たちの生は影にすぎない。私たちの いう精神的世界とは、その深みに関係している。東洋の 宗教もその深みに触れている。幻とは、その深み、その リアリティに比べてしまえば、幻に近いということだ。 インド哲学における自己論の基礎を築いた、ヤージュニャ ヴァルキヤの自己論によると、自己は、環境のなかにある けれども、環境とは異なるものであり、環境をその環境 たらしめているもの、環境をうちから照らし出すものだ。 自己は、心の作用と心と身体と環境とのなかにあるけれ ども、それらとは異なり、それらを内から照らし出すもの である。 仏陀の「心身の五要素の非我説」も、この説を正統に継承 しているし、のちのインド哲学全般に見られる説である。
認識主体が認識対象になりえないというこの説は、不二 一元論(幻影論的一元論)のシャンカラも受け継いでいる。 つまり、認識主体が認識されたとすれば、それはもはや 認識対象であるから、それを認識する主体が別になけれ ばならない。結局、どこまでいっても、認識主体はつねに 私たちの背後に廻り続け、けっして認識はされない。 こうして自己は、私たちが知りうるものの中には、けっして 入ってこない。そして私たちが知りうるものの総体が世界 であるなら、自己は「世界の外」にあることになる。 クオリア(感覚質)は、脳を含めた物質の物理的記述と、 私達の心が持つ様々な属性の間の「ギャップ」を象徴する 概念である。この哲学的な問題を回避して、クオリア問題 は解決されないようになっている。 「脳を含めての物質の物理的記述」をいかに積み上げても 説明することはできない。その原理的な不可能性を、理論 的に正確に明らかにすることこそ、クオリア問題を論じる ための前提となる。
西洋哲学の影響下にある哲学者たちは、心身と自己との 関係を問題とし、「私」とは、心か身体かと問い続ける。 だが、インドの自己論では、自己ははじめから心身とは 無関係である。 自己は、「世界の外」にある。 たとえば、もし私が失神しているうちに記憶も身体もすっ かり改造され、その上で意識を取り戻したとする。その時 に「私は私だ」と発する「私」は、失神以前に発していた 「私」が指していたものと同じなのか。 インド哲学の「答え」は明瞭である。 それは「同じ」であり、「心身とはまったく無関係」ということ だ。自己は心身とはまったく無関係に先行し、常住にして 不変であり、世界の外にある。よって、当然の帰結だという ことになる。
579 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/10(日) 16:18:17
このスレが立ったのって随分前だな・・・
超心理学講座 ・ 生まれ変わり事例の研究
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/7-3.htm 輪廻転生も、結論は同じである。
スティーヴンソンが想定している説は、「生まれ変わり」だ。
心的世界は、生前の身体的特徴の記憶を媒介するメカニ
ズム(彼は「心搬体」と呼んでいる)を持っている。それが、
受精卵や胎児に影響する。(臓器移植で影響する事例も
あるはず)
つまり、人間の生物学的心理学的発達は、遺伝要因と
環境要因に加え、それに比べて小さいものの、転生要因
とでもよぶべき影響を受けると言う。
もし私が死んで生まれ変わり、前世での記憶を一切失った
としても、認識主体としての自己は「同じ」ということだ。
では、死んでいった者と、まったく同じ記憶をもつコピー 人間は、その個人と同じ人物とみなせるかどうか。 コピー人間の問題は、人口頭脳(AI)問題においても出現 する。「かりに人間以上の記憶容量と処理速度をもつコン ピュータができたとして、死の直前に、今までの人生の記憶 などのすべての情報をその機械に移し替えることができた としたら、そのコンピュタは「自分」だといえるのか」という 問題だ。 技術的な問題がすべて解決したとして、「心の移転」によっ てつくられたコピーは、本当に「私」か。さらに、外見も中身 もまったく同じで第三者に区別できないようなコピー人間が 出来たとして、それは本当に「私」なのか。 「私」とは、まさに体験している主体のことである。目の前 にいるコピー人間が、外見も記憶も感じ方も私と同一だと しても、私と別個の主体として世界を体験している以上、 それは「私」ではない。
日本の西洋哲学では永井均も、ライプニッツの「可能世界」 について書いているから、その近くまでは来ている。私たち 自身を形成するマトリックス以外にも、この宇宙には無数の 潜在的な可能性が存在し、また、そうしたマトリックスが 交錯しつつ、全体の秩序、つまり現実を組織化していく。 玉城康四郎は、ユングの深層心理学と、自我意識を源底 まで極めて、自我の在り方全体の転換を目指す唯識思想 などのインド哲学が、同じ「超越」の領域を主要課題として いることに注目している。 また井筒は、ユングの考え方を、密教と同じ「元型的『本質』 論」と捉えた。彼は、イスラム、東アジア、インド、ユダヤの 神秘思想など、東洋哲学の構造を研究する中で、ユングの 思想を、プロティノスの思想や密教などの仏教哲学をはじめ とする神秘思想の「普遍的『本質』実在論」と同種のもの としてとり上げている。 日本でもこれまで進められてきたこうした研究、プロティノス のネオプラトニズム、インドのヴェーダーンタ、仏教の華厳、 こうした普遍的な世界観を、ライプニッツの造語を借りて、 「永遠の哲学(ペレニアル・フィロソフィ)」と呼ぶこともできる。 それは、オルダス・ハクスレーの同名の著書に代表される が、近代以前にもかなり普遍的に存在していたことは、 これまで示したとおりだ。
583 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/10(日) 17:29:35
>>572 >今日で終わらせたいんだよ。
>俺もひまじゃないからね?
だいじょうぶ。すでにあなたは終わっているから。
こいつ、明らかにトランスパーソナルスレにいた例の病人だな。 批判を読んで落ち着かなくなると、情報垂れ流しの書き込みを連投する。 こいつがいる限り、まともな議論にはならんね。
まあ、「共時性によって描かれる世界観を防衛的に使う」 という姿勢の実例をやってくれているから、 これはこれでたいへんいいかもしれない。w
>>585 >ユングを思想的に研究すれば、当然、こうした事項が
>並べられてくることになる。ユングだけは、素人知識の
>独学でもあれこれ文句付けられるなどと思っていること
>自体、学問をなめていることだ。
ユング思想の背景を羅列すれば、それで擁護できると思っているところが
おまえが学問をなめているところだな。
お前が羅列する思想背景程度など、ちょっとしたユング批判者ならみんな知っている。
その程度のことすら知らないお前のほうが井の中の蛙ということだ。
>>587 批判をすれば、偉いわけでもねえんだぞ。
誰でもできる批判なんて、しょせんその程度の価値しか
ないし、取替えが効くということだ。
ちょっとした批判者くらいでも知っていることは、
しょせん、その程度の薄っぺらいものだということだ。
背景を知っているのと、実質を理解するのは違うんだよ。
実質を理解するには自分だけの時間が必要なのに、
始末の悪いことにそういうヤクザのような批判者というのは、
批判のための批判でしかなく、建設的な内容を出せない。
理解するまでもないかのようにそれこそ誰でもできる
誰でも取替えがきくような批判をして、知的貴族たる時間を
割こうとしないばかりか、その芽を摘もうとしてしまうわけだ。
まさに悪貨が良貨を駆逐することでしかないんだよ。
そういう連中の言うこと、そういう連中の戦略パタン、
それこそ辟易するばかりの一辺倒な不毛さだろう。
おまえがつまらない人間だからって、
そのつまらなさを他人にまで押し付けるなよ。
「議論に打ち勝つことで何か真理がうち立てられるなどと
考えるのは、子供ぐらいのものだ。」
(アラン『思索と行動のために』)
議論というものが大事だと思っている者が多いが、
こちとらそんなこと、ちっとも信じちゃいやしない。
心理学なんて最初から眼中にねえぞ、雑魚が。
議論で証明できるようなことというのは、 しょせんその程度のものでしかないということだ。 いくらでも取替えがきくものだ。 始末が悪いのは、 そういうくだらないヤクザなやつほど、 本質的な真理を理解できずに、 からんでくるということだ。 卑俗で世俗な心理学と、 聖なるものを同列にしてんじゃねえぞ。 雑魚と議論する無意味さを見極めるのが、 知的貴族だ。
590 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/10(日) 20:47:11
なんて長文ばかりのスレだ これもシンクロニシティー?
自分で心理学を選んだくせに、ユング批判も無いぞ。 そういうやつらというのは的を得ず、批判のための批判 でしかないだろう。結局は人格批判に終始している。 結局は言い訳のための言い訳を探しているに過ぎない。 大体、批判するために集めた知識なんてくだらない。 その者には集めても他人の足を引っ張る以外には なんの足しにもならなかったということを示すのみで、 そういう建設的でないものは振り返れば恥ずかしいと 思うべき行為でしかないし、人生に残らない、すぐに忘れ 去られてしまうようなものにすぎない。堂々とできずに、 他人の足を引っ張るやつなんて、ろくなもんじゃない。 批判をすることが、なにかのためになる、などという履き 違えほど、ヤクザなものはない。 いくらユングを批判しようがそれで変わるわけではない。 批判したから聞き分けないなどとわがままを言うのは、 なにか幼児的な万能感をはきちがえてないか?いくら 批判しようが、変わらないものは変わらない。そのくらい わからなきゃ子供でしかないぞ。いつの時代にも、一定 の割合ではユングをやる人はいるし、共時性もなくなら ない。これは名前が変わろうと、なんらかの形では残り うるものだ。 何度も言うが、批判したからといって、根が尽きることは 絶対にないということだ。
592 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/10(日) 21:22:59
ユーは氏んじゃいなよ
こういうものをやる人というのは絶対に尽きない。 共時性もどんなに批判しても無くなることはないだろう。 日本には東洋の伝統もあり、いくらでもユングの替えはある。 ユングは前線として有効だが、仮にそれがなくても、まったく 死活問題にはならないということだ。やはり、日本の知的条件 は西洋とはまったく違うということだ。そこを無視して、西洋 科学の真似事をしたつもりになっている、というのが実情だ。 そこがほんとうにはわかってない。外国の啓蒙本ばかり 読んでいると、なにか錯覚に陥って、自分がそれになりきっ て懐疑に酔いしれてしまうところもあるのかもしれないが、 西洋の文化と日本の文化はかなり違う。なんだかんだ言って もあっちは一神教だが、日本は一神教が根づいてないし、 これからも根づかないということだ。そこが一番違うだろう。 日本人にはそういうものには抵抗感が強く、相性も悪い。 それはそれでかまわない。これまでも日本人は無くてやって きたものだし、合わないから遠回りになるだけだからだ。 そうした違いのなかで、日本には日本の、ユング土壌や、 ユング受容がある。日本人にユングが人気があるのは、 結局のところ、仏教的土壌があるからだ。日本が西洋と 同じ形態になりうると考えるのは、大間違いだということだ。 それを示して、目を覚ましてもらう必要があったので、日本の 知的状況を紹介してきたつもりだ。 良くも悪くも、日本は、日本の霊的リソースに負うところが 大きくなる。ユングも当然、日本では「気功」とも結び付け られる独自の恵まれた環境がある。中国との交流もあり、 こういう地理的条件を理解できない人が多い。
西洋の心理学はぜんぜんだめだということだ。 こういうものに口出しできるほど、 こうしたものについては使い物にならない。 ユングはそういうものとは全然違うだろう。 これは分野が違うから仕方ない。 なんでも口出しできると思うのが大間違いで、 そこは割り切るしかない。 領域をわきまえずに、 なんでも心理学を適用しようとするのが間違い。
そう考えると、 分野が違うのに、批判だけはしようなんざ、 いかにさもしいことか。 勝手に叩くのにはユング派を代弁して叩く、 やってることが下品だろう。 心理学をやっているやつは世俗的で、意地汚く、 粘着で、こういう行儀の悪い連中しかいない。 貴族的なしつけがなってない。 アンチユングは あまり深いことを考える忍耐力もなさそうので、 相手しないほうがいい。馬鹿が感染る。
596 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/10(日) 22:29:53
だんだん狂ってきたな。w
批判する奴は全てダメ。狂信的カルト信者と全く同じですね。
本性がようやく出てきたってところかな。
>>588 >批判をすれば、偉いわけでもねえんだぞ。
>誰でもできる批判なんて、しょせんその程度の価値しか
>ないし、取替えが効くということだ。
その誰にでもできる批判にさえ答えられないで、
相手を罵倒するばかりなのはお前だろ。
普通に読めば、お前のやっていることの方がヤクザのような物言いだぜ。
だいいち、「偉い」ってなんだよ。
そもそも偉い偉くないという話なのか?
そういうことにこだわっているなんて、馬鹿馬鹿しいね。
批判をしているのが「心理学をやっているやつ」だ、と決めつける根拠もないのに、
そう決めつけているしね。狂ってるよ。
597 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/10(日) 22:30:38
ところで、ここのユング擁護派はさ、 ユングが、スピリチュアリズムやゲルマン霊性運動、ドイツ民族主義、 場合によっては反セム主義の系譜に連なっていて、ナチスとも親近性がある、 という事実については何も言わないのな。 それこそ、いろいろな研究があってすでに明らかになっていることなのにね。 自分の主張に都合のいい系譜だけは取り上げて、都合の悪い系譜は無視する。 それがユング擁護派のやり方。卑怯極まりない。
>>589 >卑俗で世俗な心理学と、
>聖なるものを同列にしてんじゃねえぞ。
>雑魚と議論する無意味さを見極めるのが、
>知的貴族だ。
ま、このへんにものの考え方がよく現れてるね。
「偉い」なんてことをわざわざ言い出すことでもでも分かるように、
いろいろ言う裏には、自分を上、相手を下に置きたいという、
一種の権力欲みたいなものがあるわけだ。
パーソナルな問題を抱えた人がいかにもやりそうなことだ。
宇宙論的な話をすれば、パーソナルな問題から自分が逃れられているような気もするだろうしね。
パーソナルな欲求を満たす道具として宇宙論的な理屈を持ち出す。
その宇宙論的な理屈の元に、自分は真理の側、相手は迷妄の側と決めつける。
まさにカルト信者そのもの。
こういうのも、まあ「共時性の防衛的な使い方」の実例に入るわけだな。
599 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 08:39:40
ここに書き込んでいる人はみな同一人物です。これが共時性です
600 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 08:44:10
>>595 と
>>596 昔、TV番組で自分は木星人だと主張している人と自分は水星人だと主張
している人とが互いに「おまえは偽者の宇宙人だ」とがなりあっていたのが
あったけど、限りなくそれに似ているな
ロバの工作 気を付けろ
>>596 >批判をしているのが「心理学をやっているやつ」だ、
>と決めつける根拠もないのに、そう決めつけているしね。
>狂ってるよ。
ん?やってないのになんでこんなところ来てるんだ?
なんだ、ただの素人か?
自分の主張に都合のいいように錯覚させて、
都合の悪いことは書かないでほのめかすだけ。
それがユング批判のやり方。
卑怯極まりない。
>>598 >宇宙論的な話をすれば、パーソナルな問題から自分が
>逃れられているような気もするだろうしね。
心理学をやっているかすらもわからないあんたこそが、
ユング批判をすることで、逃れようとしているわけだろ。
こうしたユング批判にかまける時間があることこそ、
一種の負け組みだよ。
言っていることも、カルトだの、パーソナルだの、
宇宙論だの、語彙が稚拙。
そう言われて反応するということは、それなりにあんた
のコンプレックスに触れてしまったのだろうかね。
よほどユングをカルトにしないと、自分の実存が保て
ないか、コンプレックスがあるかだね。
ところで、あんたユングとなんの関係があるんだ?
>>598 >自分は真理の側、相手は迷妄の側と決めつける。
あんたアタマが悪いな。
真理にも、世俗的で、公共的な真理と、
そうではない真理と、次元の違いがあるんだよ。
それが理解できない者は、
当然、馬鹿にされるし軽蔑される。
>自分を上、相手を下に置きたいという、
>一種の権力欲みたいなものがあるわけだ。
置きたいではなくて、
扱うものには厳然とした区別はあるんだよ。
それが理解できなければ軽蔑され、
区別を強調することは当然のことだ。
それにいくらだだをこねても、区別は区別だ。
それを平等などと言って、混同するのは、
文化が理解できないということだ。
なんでも同じレベル、平等でなければ気がすまない
という、意地の悪さこそ、浅ましいことだ。
負け組は他人の足を引っ張りだすらしい、
おまえの、今ある現実を受け入れることだ。
>>598 >こういうのも、まあ「共時性の防衛的な使い方」の実例
>に入るわけだな。
おまえが招いている、
おまえ自身のそうした意見の受け入れられない挫折経験を、
おまえに都合よく防衛などと解釈したところで、
現実は現実なんだよ。
>宇宙論的な話をすれば、パーソナルな問題から自分が
>逃れられているような気もするだろうしね。
おまえは子供だ。
自分の素人意見が聞き入れられないと、
自分に理解できないものを、
結局こうして、なんでも卑俗なレベルにすり替え引き下げて、
自分と同じレベルにすることで満足しようとする。
>その宇宙論的な理屈の元に、自分は真理の側、
>相手は迷妄の側と決めつける。
パーソナルだのの卑俗な理屈の元に、
なんでも自分の基準で割り切ろうとしているだけだ。
真理には世俗で公共的で取替えが効くものと、
そうではないものがある。
それを混同するのは愚かなことなのは事実だ。
>>598 おまえの場合は、
結局は中途半端な知識しかないから、
自分に叩きやすそう(とおまえは思い込んでいる)
対象を見つけて、
自分の見解を証明したつもりになりたいだけなんだな。
それ以上のものを出されると、
とたんに「場合によっては親近性」だとかまたもや
なんとか錯覚させようというさもしい手段に出て、
その次のレスからは
人格批判に走ったものだから笑えてしまった。
この程度のストレートでないことしかやれないのが、
おまえの限界なんだよ。
パーソナルな問題とか、
なんでも卑俗な心理的な問題にすり替えていって、
自分の理解のできなさを、
全部他人のせいにしようとする。
仮におまえみたいなやつしか地上にいなくなれば、
それは当然、文化などは成り立たなくなるわけだ。
結局、言うことがそれだけだろう。
おまえのその理屈では、
結局は、文化そのものが衰退するだけなんだよ。
>>600 >一種の負け組みだよ。
ほらほら、また勝ち負けにこだわる。
>>598 が当たっているようですね。w
>>603 >ところで、あんたユングとなんの関係があるんだ?
お前は関係あるのかよ。w
個人情報の開示は控えさせていただくよ。
いずれにしても、指摘された問題に答えられるかどうかが全てだからな。
ま、どうでもいいけどさ、次の質問にちゃんと答えろよ。 ・「共時性がない」なんて主張は誰もしていないのに、なぜ執拗に 「共時性はある。これは現実だ」を繰り返すのか? ・共時性があったとしても、それをあえて取り入れないという臨床上の選択もあるはず。 というか、実際にそういう選択をしているユンギアンもいる。 そういう選択を勝手に否定する根拠はあるのか? ・思想的な背景があれば、それだけでその論は正しく問題がないのか? ユングの独自性はどこにあるのか。ユング独自の問題というのはないのか。 ユングにはナチスに親近する思想系譜の背景もあるが、なぜその点には触れないのか? ・共時性と呼ばれている現象があるかどうかと、 共時性「理論」の問題点をなぜ混同して話すのか。 なぜ共時性理論の問題点について論じること自体を否定するのか? そっちも質問をまとめてみな。くだらない話ばかり垂れ流さないでな。
質問をもう一つ追加。 ・ユングを批判するのは心理学者ばかりではなく、 思想家、哲学者、神学者などもそれぞれの立場から批判している。 そういう批判全てを駄目と言えるのか?
なあ、ユング批判(笑)とやらよお、 もうこれ以上、中途半端なユング批判で、 個人的な欲求を満たすのはやめてくれよな。 他人を自分の恣意に彩られた偏見だけで 人格批判しているだけで、批判になってないんだから。 まずはその人間性を克服することだ。 個人的な品性が克服できていないのに、 ユング批判もないということだ。 こうしたヤクザな輩に、 文化的なものを与えてはならないということだ。 本物の文化を直接背負う人間は、特別扱いされて当然。 それは村上陽一郎氏しかりである。 それが世の中の仕組みであり文化だからだ。 そういう本物は、科学なんかと同一視したり、 世俗信仰=常識の次元で、批判したりなんかしないぞ。 こういう現実を認識できずに、 嫉妬しているほうがさもしい世俗性しかない。 偽物の奴隷文化に従い、消費側に甘んじているやつに限って、 さもしくも、分相応のことが自分に批判できると勘違いする。 そして回りまわれば、奴隷根性を広めるだけのことしか、 やれないでいるにも関わらずに、自己に満足する。 それをどうやれば馬鹿にせずにいられるんだ?
そういう卑しい連中から文化を守ることも必要だ。 文化人と、公共は、やはり区別しなければならない。
ついでにもひとつ追加。
>>604 >あんたアタマが悪いな。
>真理にも、世俗的で、公共的な真理と、
>そうではない真理と、次元の違いがあるんだよ。
>それが理解できない者は、
>当然、馬鹿にされるし軽蔑される。
わかってないね〜w
自分が「世俗的ではない真理」の側に立っているという勘違いが
おまえがカルト信者と同じであることの所以だ、と言っているだけだよ。
ある意味
>>600 は正しいよ。
お前と俺とが同等の立場にいる、という事実をちゃんと分かっているからな。
>>612 >自分が「世俗的ではない真理」の側に立っているという
>勘違いが、おまえがカルト信者と同じであることの所以だ、
>と言っているだけだよ。お前と俺とが同等の立場にいる、
>という事実をちゃんと分かっているからな。
そういう相対主義にだらけていたいのなら、それでよろしい。
だがそれを、他人に押し付けるのはやめることだ。
おまえのような、自身の立場を明かさない人間には、
質問する権利は与えられない。
>>612 おまえが、自身の立場を明かさず、
ユング批判の意図を明かさない、
卑怯な人間であることはしつこく批判される。
卑怯な人間は、透徹して軽蔑される。
そこに、なあなあのなかよしこよし、
世俗的平等でなんでも自分には面倒なものは
問題視して議論すればおっけー、
みたいな甘えはないんだよ。
同等の立場なんてものはない。 自分の立場を明かさない姑息で卑怯な人間と、 文化を背負う人間がいるだけだ。
他人を批判したり、勝手に自分に都合のいい議論に乗せて、 なんでも自分のレベルに引き下げればいい、という人間は、 結局のところなにも分かっていないということだ。 表面的な理想的な平等を吹聴するだけで、 やっていることは卑俗だし、正当化なんてできない。 馬鹿されてくやしいなら、 自らもっと高貴な人物であろうとすることだ。 ここでこうしてユングを批判しているその行為自体は、 きわめて卑俗的な印象であることは、決して否定できない。 それに対してはきちんと軽蔑させてもらう。
なんでも自分と同じでなければ気がすまない、 というのは幼児的なわがままでしかない。 そこまで文化を理解できない常識が、 周囲の環境ではまかりとおっているからといって、 そうでない文化を生きている人間の邪魔はしないことだ。 もっと自由な生を生きている人はいる。
文化に対して何か言いたいなら、 自分がリスクを負って文化人になればいいことだ。 自身の立場を明かし、批判の意図を明かす。 そうしたリスクを負っていないで、権利もない。 「その覚悟がない」ということは、 自らが「他人の足を引っ張っている」自覚があるからだ。 正々堂々、文化人になるか、 そのリスクを負わずに単なる消費に回ったのなら、 自分がリスクを負ってない文化人の足を 引っ張ったりしないことだ。
620 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 12:22:44
ほらほら、いろいろ言い訳をして結局質問には一切答えない。
それがそちらの態度だ。
まともに答えられないのなら、正直にそう言えよ。w
>>616 >自分の立場を明かさない姑息で卑怯な人間と、
>文化を背負う人間がいるだけだ。
じゃあ、お前は自分の立場を明かしてるのか?
ここで俺たちが立場を明かす・明かさないが、ユングの問題の是非に関係してくるのか?
ユング批判をする者は文化を一切背負わないのか?
もうめちゃくちゃだな。
そもそもユング批判が出たなら、それに対して、
「いや、そういう問題は、これこれこういう理由で存在しない」
とか、
「そういう問題はあるが、しかしそれはこうすれば補えるし、
何よりもそれ以上のメリットがあるのだ」
とか答えていけばいいだけのことだろ?
ここまでつまらない話を繰り返すのはなぜだろうね?
いいかげん曖昧なことばかり書かずに、ビシッと質問に答えてみろよ。
世俗的な心理学的な人格攻撃や、 こういう研究がある、こういうユング派がある、 そうしたソースを示さない伝聞は聞き入れられない。 いくらでも誇張なり捏造ができてしまうからだ。 個人的趣味での努力しか割かないレベルで、 ユング云々を思い込むのは自由だが、 それと現実とはまったく違うものだということだ。 現実に反映されるわけではない。
622 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 12:30:55
まあ、ここまでの流れを総括するなら、 共時性を臨床に取り入れないユンギアンがいることを指摘したら、 一方的にそういうユンギアンを否定する。 否定するだけの根拠というのがあるのかと聞いたら、 ユング擁護派がそれにはこたえず、訳の分からない「共時性絶対論」を垂れ流し始める。 で、次々と疑問をぶつけたら逆ギレ、 文化人だの文化を背負うだの高貴だの、ユングにから話題を逸らして逃げ始めた。 というところだな。w 文化人だのなんだの言う前に、質問に答えてみろよ。 ユングに真剣に取り組んだことがあるんならな。
623 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 12:33:28
>>621 じゃあ、ソースを示せばいいのか?
例えば、ユングとナチスとの親近性についての文献リストを上げれば、
それでそちらは議論に乗るし、
ユングとナチスとの親近性という「現実」とやらを認めるわけか?
>>620 >結局質問には一切答えない。
>それがそちらの態度だ。
そのとおりだ。貴族には貴族たるプライドがある。
くだらない質問には一切答えない。
呆れることはしてやるが、言うことは聞き入れない。
これはどこの世界でも同じ。
>じゃあ、お前は自分の立場を明かしてるのか?
ユング派の価値を認め擁護する立場だということだ。
一方、ユング派を批判する立場などというものはない。
自らを明かさず、批判によってのみ成り立つというのは、
結局のところ、卑怯な立場だと言うことだ。
それについては軽蔑しなければならないだろう。
>ここで俺たちが立場を明かす・明かさないが、
>ユングの問題の是非に関係してくるのか?
関係しなければ、問題ならなんでも言えば通じるのか?
そうではない。これは最低限のマナーだからだ。
>ユング批判をする者は文化を一切背負わないのか?
文化にも優劣はある。
ユング批判で成り立つ文化は、劣った文化だ。
>>620 >そもそもユング批判が出たなら、それに対して、
>とか答えていけばいいだけのことだろ?
おまえの指図は受けない。
>ここまでつまらない話を繰り返すのはなぜだろうね?
おまえが、つまらない人間で、
つまらない質問しか出せないからだ。
つまらないものにはつまらないものを返すのが誠意だ。
>いいかげん曖昧なことばかり書かずに、
>ビシッと質問に答えてみろよ。
おまえが曖昧な立場に甘んじずに、
ビシッと答えてみることだ。
>>624 >そのとおりだ。貴族には貴族たるプライドがある。
>くだらない質問には一切答えない。
すばらしい!www
ここしばらくの中でいちばん面白かった。w
できれば「王子と呼べ」とまで言ってくれれば完璧だ。
>ユング派の価値を認め擁護する立場だということだ。
じゃあ俺の立場も明かしてやるよ。
俺ははっきり言えばユング擁護派だ。
だからこそ、ユングの持つ問題を正面から受け止めずにないがしろにする
お前のようなユング狂信者を批判するんだよ。
わかったか?
>文化にも優劣はある。
>ユング批判で成り立つ文化は、劣った文化だ。
根拠プリーズ。
バルト、ブーバー、トーマス・マン、ブロッホ、
こういう人たちはみなユング批判をしたので、劣った文化人ということだな。w
>>622 >共時性を臨床に取り入れないユンギアンがいることを指摘
>したら、否定するだけの根拠というのがあるのかと聞いたら、
指摘しただけでは事実にならない。具体的にどの人が
という指摘はしてないし、どのように取り入れていないか
というのも、言われなければ誤解されてもいい、いや
むしろ誤解されてほしい、というような、後出しで卑怯な
ものになっていた。こっちは無名ではなく著名なユンギ
アンを出している。なのに一方的に著名なユンギアンより
優先させることは不自然なことだ。それに、共時性を
取り入れない臨床は、世俗的な説明概念でしか捉え
られていない可能性が高く、洞察の深さにそれだけの
限界があるという認識だ。取り入れないのは自由だが、
取り入れるのも自由だ。評価の違いがあることは当然の
ことだ。
628 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 12:59:59
>>627 サミュエルズが無名のユンギアンか?
というより、無名か有名かというのがどうして真実に関係してくるんだよ。
おまえのほうが世俗的な価値観を持っているようだな。w
それから、臨床というのは「洞察の深さ」で量られるものじゃないぞ。
何か勘違いしてないか?
>>626 >だからこそ、ユングの持つ問題を正面から受け止めずに
>ないがしろにするお前のようなユング狂信者を批判する
>んだよ。
だが、その問題は共時性を否認することでは解決されな
いという考えだ。はっきりいって、ユング派同士の見解の
違いに動じるつもりはない。河合氏と林氏でも、ユング
解釈は違うからだ。ユング的なアプローチでは、理論その
ものは、さして重要ではない、ということだ。ユングだけに
収まっても、ユング自身にはなれないし、超えられない。
中沢氏は、『ブッダの夢』(河合隼雄×中沢新一共著)
において、彼が仏教徒だと思う、ジャック・ラカンについて、
「普通の人はラカンの精神分析を、フロイト直系として、
ユングと対立させたりしますけれども、僕はそういうふう
にはとらえてこなかった」、と言う。
この意味を考えてみることだ。ここでいう「普通の人」の、
紋切り型の言説が、このスレッドにも出てきていたはずだ。
そうした常識の限界を突破しないと、既存は超えない。
重要なのは、無意識にどれだけ迫ることができ、そこから
象徴イメージのデータをどれだけ取り出せるか、という、
アーティスティックな才能と、深層心理学的な探求への、
積極的なアプローチの姿勢だ。
ユングの魂は、ノンローカルな意識フィールドを指しており、
そこは入れ子で多種多様なコンプレックスが混在している。
元型とは、微細をこえる次元からのエネルギーによって
活性化されて現象化される、微細次元の意識フィールド
と考えられる。それはプシコイド(心物相関体)である。
http://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/kokubun/soki/jyuken.html プシコイド仮説、これは重大なことである。
心理療法とは、バランスを欠いた作用を及ぼしている意識
フィールド(つまりコンプレックス)の影響を解除することで
あると定義することができる。ここにおいて、意識フィールド
がある一定以上深層に存在する場合、通常の西洋的心理
療法の範囲を超える。
心理療法は、その範囲を拡大することを目指している。
臨床的な堅実な問題解決も重要かもしれないが、それ だけでは、ユングでなくても取り替えがいくことだ。それに 付け入る隙を与えると、サルが、ラカンやらを持ち出して、 ユングを対立させて否定しようと付け込んでくるという ことだ。 共時性が無くてもいい、ということは、他でも取り替えが 効く、という次元の差異化の無効化を意味する。次元に 違いがないという錯覚は、交換可能という錯覚を生む。 こうした平面的で均一的な価値観こそが、深層心理学 へのアプローチを抑圧してしまうわけだ。 共時性を語らず、まともになりきったら、形骸化と無害化 によって、文化が見失われる恐れが出てくるということだ。 文化に問題はつきものだ。そのためには、多少のトライ アンドエラーはかまわないということだ。 ユングでなければいけないものとはなにか、そして、本質 については可能な限りシンプルに捉え、かつ、その中身を どれだけ豊かにできるかということだ。そのために、ユング の説明原理は恐ろしいほど有効になるということだ。おそ らくこの先、ユング理解がラディカルに進まないと、その先 も、進歩的に扱えないということだ。
ユングが進歩していないと批判することと、 共時性を取り入れることを批判することは、 矛盾するということだ。 共時性を批判するような狭い心理学的理解だったからこそ、 進歩してないだけだ。なぜならユングとは、本来は深層へ と向かう、深層心理学であり、「まとも」にしようとするものとは ベクトルが違うからだ。まともにしようとすればするほど、 相殺されて、ユングの固有性が失われてくるわけだ。それを 進歩させるには、深層心理学的アプローチによって、 深層心理学を開発していくことも、また必要だということだ。 そうして超えようとする、ユング系列の研究者もいる。 はっきり言って、共時性ごときで怖気づいているようだと、 ユング的な無意識との作業には、本格的には立ち向かえ ないだろう。それほど甘いものではない、という認識だ。 どれだけ冷静に共時性を受け止めることができるかという ことだ。 「まともなユング」なんてありはしないぞ。
ユングを持ち上げようとして、 逆に評価を下げてしまっているアホがいるようですね。
ユング派というのは、分派してて然りといえる。 そこには顕教と密教がある。 顕教というのは、ユングの理論だけで完結するということだ。 そして批判についてもそうした顕教的なものなり、 歴史的なものなり、に対して行われるのみだということだ。 それは単なる世俗的な問題解決だけで満足する。 それで満足するなら否定はしない。 密教というのは、ユングの体験に即して解釈することだ。 それをひとつの魂の軌跡として深層的リアリティとして受けとめ、 そこに東洋的な思想も、取り入れていくということだ。 ユングはあくまでインターフェースだということだ。
アメリカでは代替医学、イギリスでは補完医学と呼ばれて いる。ここには中国医学のような伝統医学をこえる新しい 治療法も入っていることに、注目しておくことだ。 アメリカでは、外気功、セラピューティックタッチ、レイキ、 などが中国や日本から紹介され、現実にはそれは医療 現場に広まりつつある。1997年に、NIHの鍼の医学的 有効性の認知を引き金に、医学部に代替医療センターを 設立され、予算も年々増加の一途をたどっている。 イギリスでも、医師の監督下で、ヒーラーによる治療を 社会的に公認する制度を整備している。おそらく日本も、 遅れてこれに追従することになるということだ。 つまり、こうした新しい治療法が、アメリカとイギリスでは、 近年急速に急増しており、心理療法も、瞑想の指導に 通じるような進展を見せている。21世紀初頭の現在、 一部の医学だけが進んでしまって、他がそれに追いつい ていないのが現状だということだ。これについてニードル マンは、「現代人は、もはや心理療法を求めているのか、 霊性(スピリチュアリティ)を求めているのか、わからなく なっている」と述べている。
そこでユングも、重要な役割を担うことになるはずだ。 ユングは、はじめて西洋でヌミノース(聖なるもの)に関わ った心理療法であり、精神医学であるからだ。ユングが 残した文献、日本でのユング研究の基礎は、いまでも取り 替えが利かない重要さをもつということだ。 新しい背景のもとに、日本の風土にあったユング、そうした 新しいユング派が出てくることが期待されるわけだ。
638 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 16:44:21
>>628 あんたは細かいことにこだわりすぎじゃないか?
現場の人は、そこまで理屈にこだわらないだろう。
そんな、こうあるべき、だなんて言っててても、
現場では立ち行かないし立ち回れないだろう。
あと、あんたがユンギアンなら、
おのずからこちらの態度も違ったことだけは、
念頭に入れておいたもらいたい。
相手のマナー度に応じて、態度は変わる。
あんたの場合は、議論の仕方がなってない。
なんでも後付けで小出しにしようとするからだ。
そういうクセがついているのか?
あんたがどういう立場なのかよくわからないんだな。
実際に現場を知っているわけでもなく、
ただ文献的に粗探しをしていると言えそうだ。
まあ、あんたが掲示板をその程度と考えているように、
こっちも掲示板でどうということもないわけだ。
あんたも、言ってみてる、だけだろう。こっちだって、
言ってみてる、だけだということだ。ディベートに
過ぎないということだ。あんたがユングがすべてで
ないなら、こっちもユングでどうこうということもない。
639 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 16:48:00
>>628 ただ、あんたがわからないのは、
それをユング愛好者に対して批判しても、
おかと違いだということだ。
あんたは結局、現実でどうこうできない鬱憤なりを、
他人にやつあたりして発散しているだけではないのか?
あんたが批判したところで、自己満足だろう。
なにか現実がよくなるとも思えない。
結局、あんたの批判は、「叩き」になっていて、
「癒し(治癒)」を真剣に考えてないのではと思うんだ。
あんたの、そういうストレス解消と考えてしまう、
そういう手段に疑問を呈しているわけだ。
それよりは現実に取り組んでいる人を擁護したいし、
尊敬したいわけだ。
>>628 >それから、臨床というのは「洞察の深さ」で量られるもの
>じゃないぞ。何か勘違いしてないか?
あんたは「量る」とか、計量主義が先に来てて、
臨床家にあるべきモラルなりマインドが欠けている
だろう。あんたは批判のための批判になってて、
あんまり人の心というものを考えてないわけだ。
こっちはあんたみたいな人が口出しすることで、
臨床というものが徹底した効率主義で形骸化した
道具主義的なものになっていくのではないかと、
なかば危惧するんだ。
>>628 あと自分は心理療法というものは、もっと文化的な余剰
として捉えられていいものだと思っているんだ。
つまり実利というより、他が現代ではもはや現実的には
担えなくなっている機能、失われた探求や文化を補うもの
ということだ。
そうしたとき、部分的にちゃんと限定しないむやみやたらな
批判というものは、抑圧的なムードを生み、文化を衰退、
枯渇させてしまうということだ。
もういちどいうが、あんたがユング派臨床家であるなら、
おのずからこちらの態度も違ったわけだ。そうでもないのに、
それを借りてふざけたようなまねをしてれば、当然、
そうした相手のマナー度に応じて、態度は変わるわけだ。
そこだけは勘違いしないように。
>あんたは細かいことにこだわりすぎじゃないか? >現場の人は、そこまで理屈にこだわらないだろう。 >そんな、こうあるべき、だなんて言っててても、 >現場では立ち行かないし立ち回れないだろう。 このような態度こそが、オカルトユンクという妄想?を助長するのではなかったか 現場ではOKだが、 外に出たときも内輪で通じればよしというのは、旅の恥はかきすてで、 独り善がりと言われても。。。 折れはユンクに詳しくないのだが、違和感を感じてしまうのです。
643 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 17:19:11
>>635 >顕教というのは、ユングの理論だけで完結するということだ。
>そして批判についてもそうした顕教的なものなり、
>歴史的なものなり、に対して行われるのみだということだ。
こういう部分に、お前の理解のいいかげんさがよく表れているな。
顕教と密教との違いというのは、そんな簡単な問題じゃない。
たとえば、ナチスへのユングへの親近感というのは歴史的な問題だが、
決して顕教的なレベルの問題ではない。
両者の親近性ないし対立点というのは、むしろ密教的なレベルの問題だ。
林道義の説明によれば、
「ナチスの元型的な面に気づいていたからこそ、ユングは判断を保留していた」
となる。
ユングのやっていた密教的なレベルの行為は、
下手をすればそのままナチス的なものに行ってしまう可能性もあるわけで、
そこを内的に経験したことがある者なら、
ナチスとユングとの関わりをないがしろにできるわけがない。
歴史の問題を、自分の内的な問題として考えるはずだ。
お前がそれをやったことがない、というのが、これでよくわかるよ。
そもそも、ようやくユング派の内部からも
ユングとナチスとの関係について正面から考える意見が出てきつつあるところなのに、
お前の言っていることはそれにも逆行しているな。
問われた問題に答えないことを正当化する、勝手な理屈付けだな。
>>642 >このような態度こそが、オカルトユンクという妄想?を
>助長するのではなかったか。現場ではOKだが、外に
>出たときも内輪で通じればよしというのは、旅の恥は
>かきすてで、独り善がりと言われても。。。折れはユンク
>に詳しくないのだが、違和感を感じてしまうのです。
言っている意味がわからないが、そういう文脈で言って
いるわけではなくて、共時性というのは、理屈をこえた
現象として起こってくるだろう、ということだ。
別に、パフォーマーではないのだから、他人に外面から
どう見えるかという体裁にこだわればいいというわけでは
ない。そういう素人の違和感を気にして取り繕えば、つまり
「もっともらしく見えれば」それで説得されるというのも、
おかしな話だ。まず体験ありきでなければならないだろう。
そしてその体験がいくら違和感のあるものでも、体験は
体験として受け止めていく姿勢が、理想的な臨床家だと
思うわけだ。他人にどうアピールするかで、共時性を
引っ込めるようだと、ようはそれは体験者や体験データ
よりも、素人へのアピールを優先してしまう人ということに
なる。たかが素人の受けが悪いくらいで、そこで妥協する
ほうが、違和感を感じるわけだ。
自分はユング派というより、ユング的な体験をして、自分
なりのユング理解から、ユングも体験しただろうそのリア
リティを擁護しているだけということだ。ユングのいう「コン
プレックス」とか「心的エネルギー」というものは、ある種の
実体的なものだと考えているということだ。自分はそれを
体験的に分かっているということがある。
645 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 17:21:53
>>633 >共時性ごときで怖気づいている
事実は逆。
無意識との作業に怖気づいて共時的世界観に逃げ込んでいる、という例もあるから
共時性概念を臨床に持ち込んでいいのか、という話も出てきたんだろ。
共時性概念というのは、ある種の人にとっては逆に、
心理的に抵抗なく逃げ込みやすい概念なんだよ。
特に、病理圏にいるような人にとってはね。
それはそれで危険、という指摘には頷けるものがある。
そういう部分を考えてみたことがお前にはないのか?
ちなみに、ユング派がユングの後、これといった進歩をしていないことは、
それこそ河合俊雄とかも書いていることなんだぜ。
そういうことは見ないようにしてるんだな。
ラカンとユングの共通性みたいなことを言うのも、ユング派の一方的な解釈だ。
ラカン派は、決してそんなことを認めないだろうな。異質性のほうを重要視する。
646 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 17:22:29
>>642 そういう違和感というのは正常なものだと思う。少なくとも俺はね。
>>634 いや、その通りだよ。w
俺はユングが好きだから、そういうことはやめてくれと言っているんだけどさ、
聞く耳がないようだ。困ったもんだな。
647 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 17:23:08
>>638 >そんな、こうあるべき、だなんて言っててても、
>現場では立ち行かないし立ち回れないだろう。
言うべき相手を間違えてるな。
それはさ、
「共時性を取り入れない臨床は洞察が浅い」
みたいな意見を言う奴に対して言うべきことだろ?
俺は逆に、そういう意見はおかしい、
共時性を取り入れていないから駄目なんてことはない、
個々の臨床家の判断を尊重すべし、と言い続けてきた立場だ。
648 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 17:23:39
>>640 >>それから、臨床というのは「洞察の深さ」で量られるもの
>>じゃないぞ。何か勘違いしてないか?
>あんたは「量る」とか、計量主義が先に来てて、
あのなあ・・・
「量る」というのは「推し量る」というふうにも使う漢字で、
必ずしも数量化して量ることを意味する言葉じゃないぞ。
日本語も分からないで難癖つけるなよ。
字面の印象だけでものを決めつけているのがミエミエ。
>>641 こういう場所で、相手の立場によって言うことを変えるというのは
俺は好きじゃないね。
>>643 例えば、ユングがナチスに協力してユダヤ人迫害に加担した
なんてことは、明らかに誤解だ。
この点は、ユング自身が「バーリー博士に応える」のなかで
弁解しているし、それは、
バーバラ・ハナ『ユング、その生涯と仕事──伝記的回想』、
アニエラ・ヤッフェ『ユングの生涯と仕事から』が
詳しく論じていることで、それはわが国でもすでに、
平田武靖、河合隼雄らによって紹介されてきたことだ。
誤解のきっかけとなったのは、
クレッチマーがヒトラーに反発して降りた『精神療法中央誌』
の会長をユングが引き受けたことで、
バーリーにいわば加担者だと因縁を付けられたからだが、
「バーリー博士に応える」でユングが述べているように、
会長の職に就いたのはユダヤ系医師を救済するためで、
実際に彼は、そのためのさまざまな努力をしていた。
ユングは自分の名誉のためにクレッチマーを追い出し、
ナチスの片棒を担いだなどという疑惑も、
当時の時点ですでに国際的名声を博していたわけで、
ユングにはなんのメリットもなかったことだ。
『中央誌』へのナチス・マニフェストの掲載も、
ユングの眼をぬすんでなされたことだ。
このことは、日本のユンギアンは、
それなりに反論してきている。
むしろ逆に、大きな注意をしなければならないのは、 反ユダヤ教の政策によって生じてきた、 デマ・プロパガンダ・偏見・ステレオタイプの類なのだ。 ユダヤ人へのホロコーストは、 第二次世界大戦時のときだけではなく、 それ以前にも、ロシアなどで、何度もあったことだ。 そもそも反ユダヤ主義とは、 プロテスタントの宗教改革者ルターが確立したものだ。 ヒトラーは、反ユダヤ思想を利用して、 ユダヤ人迫害を行ったわけだ。 『ローマ教皇とナチス』によると、 ナチスが勢力を拡大していく時代、 ローマ教皇だったピウス11世は、熱心な親ドイツで、 ナチスのユダヤ人ホロコーストを知っていながら、 決して公然と批判することはなく、 終戦後もユダヤ人に対して謝罪をすることがなかった。 彼が批判していれば、 ナチスもやめざるを得なかったかもしれない。 なぜ世界中の教会が強く要望していたにも関わらず、 ローマ教皇は沈黙してしまったのか、と書いてある。 第二次世界大戦後、ローマ教皇は、 こうした反ユダヤ主義の責任の一端が キリスト教会による煽動にあると認めて謝罪し、 イスラエルの主席ラビと和解している。
第二次世界大戦後、ローマ・カトリック教皇は、 「これは私たちの責任です。 なぜなら私たちが、ユダヤ人への憎しみを教えたからです。 私たちだけが真理を持っていると言って、 ユダヤ人を排除しようとしたことが間違いだったのです」 と、言った。 先日亡くなったヨハネ・パウロ二世も、 イスラエルを訪問し、ホロコースト記念館に行った。 そこで、教皇は初めて、 ユダヤ教会堂の中のユダヤ人を前にして、 「皆さんは私の兄上です。昔も今もそうです。 そして私たちは同じ家族の一員です。」 と言い、その上で、正式に過去のカトリック教会の ユダヤ人に対する態度を謝罪した。 「あなたがユダヤ教を信じるのもカトリックを信じるのも 自由です」 このように、キリスト教でもカトリックのほうは、 最近では割と柔軟で、積極的に宗教間の対話を 繰り広げていて、間違った過去を反省し、 優れた宗教に育ってきている。 問題は、キリスト教でもプロテスタントのほうで、 ユダヤ人に謝罪を表明したことがなく、 ユダヤ教排斥の動きがいまだにある。
ユングによると、ナチスの動きを キリスト文明においてあまりに抑圧された北欧神話の神 オーディンの顕現と見ていた。 岸田秀『一神教vs多神教』によると、 一神教の病理を次のように捉えている。 多神教を信じていたヨーロッパ人は、 ローマ帝国の圧力でキリスト教を押し付けられて、 心の奥底で「不幸」を感じた。 だから一神教を押し付けられた被害者のヨーロッパ人が、 自分たちが味わっている不幸と同じ不幸に 世界の諸民族を巻き 込みたいというのが、 近代ヨーロッパ人の基本的な行動パターンだったのではないか。 その行動パターンは、 新大陸での先住民へのすさまじい攻撃と迫害などに 典型的に現われている。
定方晟の『憎悪の宗教― ユダヤ・キリスト・イスラム教と「聖なる憎悪」』という 本でもそれがわかる。 宗教に破壊や虐殺はつきものだが、 ともあれ歴史的にはキリスト教がいちばん破壊的だった。 つまり、ヨーロッパ人は押し付けられた宗教の被害者 だったから、いちばん攻撃的になったのではないか。 十字軍の攻撃の残虐性、魔女狩りの歴史、 カトリックとプロテスタントの殺し合い、 カトリックのスペイン人が新大陸を侵略して原住民が キリスト教徒ではないからと大量虐殺した歴史、 これほど血なまぐさい歴史があるだろうか。 キリスト教徒が、ユダヤ教徒を憎む理由の考察は、 たいへん興味深い。ローマ時代から近世にかけての キリスト教とヨーロッパの歴史を知ると、 岸田秀の分析は正しいのかも知れないと思える。 人間で言えば、相当な人格的な歪みであろう。 とくに中南米での先住民虐殺の徹底性を考えると、 その感を強くする。
>>644 大したことは言っていない。
聞き手の折れがバカチョンというのは有るだろうが、
相手に伝わらないということは、独り善がりのそしりを免れぬと言っただけだ。
そして、それがオカルトの正体だったりする。
「私は知ってしまった」というのも分かるが、
「ひょっとして私の独り善がりではないのか」という検閲機能も必要なのでは
岸田秀、小滝透の 『アメリカの正義病・イスラムの原理病』によると、 キリスト教国には、昔から反ユダヤ主義があり、 繰り返しユダヤ人虐殺が起こっている。 ペストの時代、魔女狩りの時代、スペイン、ロシア等。 第二次世界大戦中にのドイツで起こったのは、 危機のなかで生じた一種の「退行」によって、 もともとあったユダヤ人差別が異常に強められたからだとする。 西欧人がユダヤ人を差別するのは、 西欧人がローマ帝国によってキリスト教を押し付けられ、 元来の民族宗教を捨てさせられ、 元来の神々を悪魔とされたところに起源がある。 そこで本来ならローマ帝国とキリスト教に向くはずの恨みが、 転移のメカニズムによって、強者とつながりのある弱者に向かう。 強者に攻撃を向けることは危険だからである。
656 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 18:04:03
>>649 トラパスレでも同じ話を出していたな。w
あっちでも言った通り、お前の書いていることは、参照している資料が古すぎ。
どんどん新しい資料や研究は出てきている。
ユングがナチスに積極的に加担したという説には、根拠がない。これは事実。
しかし一方で、ユングが一時期、ナチスにたいへん親近感を持ち、
反セム的感情も持っていたことは、
弟子たちの証言などの新資料等により、すでに明かな事実なのだ。
一部紹介するなら、
ユングは「ユダヤ人の血を引いた女性との間には子供を持ちたくない」と言っていた。
(弟子のヨランデ・ヤコービの証言)
手紙の中で「これから反セム主義者になるだろうと思う」と書いている。
(ポウル・ピュレ宛書簡)
ナチスの危険性を弟子のノイマンがいくら説明しても納得しようとしなかった。
(ノイマンの息子による証言)
ナチスのユダヤ人に対する暴力の事実をいくら説明しても否認して信じなかった。
(ジェームズ・キルシュの証言)
また、ユングが本当にユダヤ人の援助を積極的に行っていたのなら、
それに関する具体的な話や資料がもっと出てきてもいいのに、あまり出てきていないのは不自然。
(ユング派臨床家サミュエルズの指摘)
657 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 18:05:02
続けると、
海外では、ユングとナチスとの関連についての論文集だって出ているし、
ユングがナチスに接近したことを大幅に盛り込み、そこへの批判を込めた
ユング派によるユングの伝記も出ている。
それが今のユング研究の状況だ。
ユング派の進歩みたいなことを口にするわりには、
こういう部分の研究に進み具合に関しては全く無関心なのな。w
>>650 以降の書き込みは、
ユングとナチスとの結びつきを薄めてみせるための必死の印象操作にしか思えん。
ナチスの心理みたいなことは、むしろ、 ユング研究者の林道義が「心の不思議を解き明かす」で ユング心理学の元型による補償作用によって、 説明を試みたりされている。 それによると、 当時のプロテスタント的な背景に問題があったようだ。 むしろ、ユンギアンの本を読むことによって、 的確に指摘しうるところもある。 詳しいことは、「心の不思議を解き明かす」を読むといい。
659 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 18:20:09
ユングがナチスと結びついていたかどうか知らんが、 そんなことがユングの理論と関係あるのですか?
大澤武男の『ユダヤ人とドイツ人』によると、 今ドイツといわれる地域には ローマ時代からユダヤ人が住みつき、 その後もドイツ人と深いつながりを持ちながら、 しかも過酷に差別されて生きてきた。 宗教改革のルターさえもが、 強い反ユダヤ的な態度をもっており、 その流れがナチスの時代に爆発する。 ユダヤ人問題は、 まさにヨーロッパの歴史を通じての「影」であり、 人間の「業」の深さを 歴史上にこれでもかというほどに刻み付けた問題である。
河合隼雄『影の現象学』においては次のようにもいわれる。 ナチスドイツは、すべてをユダヤ人の悪のせいであるとする ことによって、自分たちの集団のまとまり、統一性を高め、 集団内の攻撃を少なくしてしまう。集団の影の面をすべて、 いけにえの羊に押し付け、自分たちはあくまで正しい人間 として行動する。 一神教では、いけにえの羊はよく発生する。それは多数の ものが、誰かの犠牲のうえにたって安易に幸福を手に入れる 方法である。いけにえの羊の存在によって集団の幸福が 乱されていると、本気で感じる人もいる。実は、その羊の 存在によって自分たちの安物の幸福がなりたっていること を忘れてる。 ナチスとユダヤ人の関係については、フロムの『自由から の逃走』があまりに有名である。また、岸田秀も、別の観点 からヨーロッパとユダヤ人、ナチスとユダヤ人の関係を精神 分析している。
662 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 18:42:09
663 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 18:42:32
>>658 それ、トラパスレからのコピペじゃん。w
こっちもコピペを使って答えてあげよう。
733 :没個性化されたレス↓ :2005/07/06(水) 04:45:12
>>731 その本はとっくに読んでいる。
ユングによるナチス研究は、専門のナチス研究者の間では無視されるか批判されている。
それこそ、「ユングの指摘は事態のほんの一面にすぎない、
それでナチスを理解するには無理がある」ってね。
「ユンギアンの本を読むことによって的確に指摘しうるところもある」というのは
ユング派の自己満足にすぎない。
734 :没個性化されたレス↓ :2005/07/06(水) 05:02:36
繰り返すが、ドイツ・ロマン主義とナチズムとの結びつきは、
すでに歴史家の間では常識的な事柄。何が選択的なのか?
ナチス研究の専門家にしてみれば、ユングのナチス集団心理の研究こそ、
事態の一面を極端に肥大化させた理解であり、選択的な内容なのだ。
>ロマン主義的なものは、むしろ、
>ユング心理学を適切に知ることによって克服できる。
そう簡単な話か?
ユング心理学が、ロマン主義の問題点の克服に役立つとしても、
それだけで克服できると考えるのなら、それはユング心理学の過大評価だ。
>>659 ユング理論とナチスが思想的にどういう関係にあるか、
どういう共通の土壌にあるかについては、すでにいくつも研究がある。
例えば、ユングがナチスに協力してユダヤ人迫害に加担した なんてことは、明らかに誤解だ。 この点は、ユング自身が「バーリー博士に応える」のなかで 弁解しているし、それは、 バーバラ・ハナ『ユング、その生涯と仕事──伝記的回想』、 アニエラ・ヤッフェ『ユングの生涯と仕事から』が 詳しく論じていることで、それはわが国でもすでに、 平田武靖、河合隼雄らによって紹介されてきたことだ。 誤解のきっかけとなったのは、 クレッチマーがヒトラーに反発して降りた『精神療法中央誌』 の会長をユングが引き受けたことで、 バーリーにいわば加担者だと因縁を付けられたからだが、 「バーリー博士に応える」でユングが述べているように、 会長の職に就いたのはユダヤ系医師を救済するためで、 実際に彼は、そのためのさまざまな努力をしていた。 ユングは自分の名誉のためにクレッチマーを追い出し、 ナチスの片棒を担いだなどという疑惑も、 当時の時点ですでに国際的名声を博していたわけで、 ユングにはなんのメリットもなかったことだ。 『中央誌』へのナチス・マニフェストの掲載も、 ユングの眼をぬすんでなされたことだ。 このことは、日本のユンギアンは、 それなりに反論してきている。
むしろ逆に、大きな注意をしなければならないのは、 反ユダヤ教の政策によって生じてきた、 デマ・プロパガンダ・偏見・ステレオタイプの類なのだ。 ユダヤ人へのホロコーストは、 第二次世界大戦時のときだけではなく、 それ以前にも、ロシアなどで、何度もあったことだ。 そもそも反ユダヤ主義とは、 プロテスタントの宗教改革者ルターが確立したものだ。 ヒトラーは、反ユダヤ思想を利用して、 ユダヤ人迫害を行ったわけだ。 『ローマ教皇とナチス』によると、 ナチスが勢力を拡大していく時代、 ローマ教皇だったピウス11世は、熱心な親ドイツで、 ナチスのユダヤ人ホロコーストを知っていながら、 決して公然と批判することはなく、 終戦後もユダヤ人に対して謝罪をすることがなかった。 彼が批判していれば、 ナチスもやめざるを得なかったかもしれない。 なぜ世界中の教会が強く要望していたにも関わらず、 ローマ教皇は沈黙してしまったのか、と書いてある。 第二次世界大戦後、ローマ教皇は、 こうした反ユダヤ主義の責任の一端が キリスト教会による煽動にあると認めて謝罪し、 イスラエルの主席ラビと和解している。
第二次世界大戦後、ローマ・カトリック教皇は、 「これは私たちの責任です。 なぜなら私たちが、ユダヤ人への憎しみを教えたからです。 私たちだけが真理を持っていると言って、 ユダヤ人を排除しようとしたことが間違いだったのです」 と、言った。 先日亡くなったヨハネ・パウロ二世も、 イスラエルを訪問し、ホロコースト記念館に行った。 そこで、教皇は初めて、 ユダヤ教会堂の中のユダヤ人を前にして、 「皆さんは私の兄上です。昔も今もそうです。 そして私たちは同じ家族の一員です。」 と言い、その上で、正式に過去のカトリック教会の ユダヤ人に対する態度を謝罪した。 「あなたがユダヤ教を信じるのもカトリックを信じるのも 自由です」 このように、キリスト教でもカトリックのほうは、 最近では割と柔軟で、積極的に宗教間の対話を 繰り広げていて、間違った過去を反省し、 優れた宗教に育ってきている。 問題は、キリスト教でもプロテスタントのほうで、 ユダヤ人に謝罪を表明したことがなく、 ユダヤ教排斥の動きがいまだにある。
ユングによると、ナチスの動きを キリスト文明においてあまりに抑圧された北欧神話の神 オーディンの顕現と見ていた。 岸田秀『一神教vs多神教』によると、 一神教の病理を次のように捉えている。 多神教を信じていたヨーロッパ人は、 ローマ帝国の圧力でキリスト教を押し付けられて、 心の奥底で「不幸」を感じた。 だから一神教を押し付けられた被害者のヨーロッパ人が、 自分たちが味わっている不幸と同じ不幸に 世界の諸民族を巻き 込みたいというのが、 近代ヨーロッパ人の基本的な行動パターンだったのではないか。 その行動パターンは、 新大陸での先住民へのすさまじい攻撃と迫害などに 典型的に現われている。
定方晟の『憎悪の宗教― ユダヤ・キリスト・イスラム教と「聖なる憎悪」』という 本でもそれがわかる。 宗教に破壊や虐殺はつきものだが、 ともあれ歴史的にはキリスト教がいちばん破壊的だった。 つまり、ヨーロッパ人は押し付けられた宗教の被害者 だったから、いちばん攻撃的になったのではないか。 十字軍の攻撃の残虐性、魔女狩りの歴史、 カトリックとプロテスタントの殺し合い、 カトリックのスペイン人が新大陸を侵略して原住民が キリスト教徒ではないからと大量虐殺した歴史、 これほど血なまぐさい歴史があるだろうか。 キリスト教徒が、ユダヤ教徒を憎む理由の考察は、 たいへん興味深い。ローマ時代から近世にかけての キリスト教とヨーロッパの歴史を知ると、 岸田秀の分析は正しいのかも知れないと思える。 人間で言えば、相当な人格的な歪みであろう。 とくに中南米での先住民虐殺の徹底性を考えると、 その感を強くする。
岸田秀、小滝透の 『アメリカの正義病・イスラムの原理病』によると、 キリスト教国には、昔から反ユダヤ主義があり、 繰り返しユダヤ人虐殺が起こっている。 ペストの時代、魔女狩りの時代、スペイン、ロシア等。 第二次世界大戦中にのドイツで起こったのは、 危機のなかで生じた一種の「退行」によって、 もともとあったユダヤ人差別が異常に強められたからだとする。 西欧人がユダヤ人を差別するのは、 西欧人がローマ帝国によってキリスト教を押し付けられ、 元来の民族宗教を捨てさせられ、 元来の神々を悪魔とされたところに起源がある。 そこで本来ならローマ帝国とキリスト教に向くはずの恨みが、 転移のメカニズムによって、強者とつながりのある弱者に向かう。 強者に攻撃を向けることは危険だからである。
ユング研究者・林道義の 『心の不思議を解き明かす』によると、 当時のプロテスタント的な背景に問題があったようだ。 むしろ、ユンギアンの本を読むことによって、 的確に指摘しうるところもある。 大澤武男の『ユダヤ人とドイツ人』によると、 今ドイツといわれる地域には ローマ時代からユダヤ人が住みつき、 その後もドイツ人と深いつながりを持ちながら、 しかも過酷に差別されて生きてきた。 プロテスタントの宗教改革のルターさえもが、 強い反ユダヤ的な態度をもっており、 その流れがナチスの時代に爆発する。 ユダヤ人問題は、 まさにヨーロッパの歴史を通じての「影」であり、 人間の「業」の深さを 歴史上にこれでもかというほどに刻み付けた問題である。
ユング研究者・河合隼雄『影の現象学』においては 次のようにもいわれる。 ナチスドイツは、すべてをユダヤ人の悪のせい であるとする ことによって、自分たちの集団のまとまり、 統一性を高め、集団内の攻撃を少なくしてしまう。 集団の影の面をすべて、いけにえの羊に押し付け、 自分たちはあくまで正しい人間として行動する。 一神教では、いけにえの羊はよく発生する。 それは多数のものが、誰かの犠牲のうえにたって 安易に幸福を手に入れる方法である。 いけにえの羊の存在によって集団の幸福が乱されていると、 本気で感じる人もいる。 実は、その羊の存在によって 自分たちの安物の幸福がなりたっていることを忘れてる。 ナチスとユダヤ人の関係については、 フロムの『自由からの逃走』があまりに有名である。 また、岸田秀も、別の観点からヨーロッパとユダヤ人、 ナチスとユダヤ人の関係を精神分析している。
ユング研究者・河合隼雄氏も支持する「気」だが、 アメリカでは代替医学、イギリスでは補完医学と呼ばれる。 ここには中国医学のような伝統医学をこえる、 新しい治療法も入っていることに、注目しておくことだ。 アメリカでは、外気功、セラピューティックタッチ、レイキ、 などが中国や日本から紹介され、現実にはそれは医療 現場に広まりつつある。1997年に、NIHの鍼の医学的 有効性の認知を引き金に、医学部に代替医療センター を設立され、予算も年々増加の一途をたどっている。 イギリスでも、医師の監督下で、ヒーラーによる治療を 社会的に公認する制度を整備している。 おそらく日本も、これに遅れて追従することになるから、 いまのうちに免疫を付けておくことが大切だ。
つまり、こうした新しい治療法が、アメリカとイギリスでは、 近年急速に急増しており、心理療法も、瞑想の指導に 通じるような進展を見せている。 21世紀初頭の現在、医学の一部だけが進んでしまっており、 他がそれに追いついていないのが現状だということだ。 これについてニードルマンは、「現代人は、もはや心理療法を求めているのか、 霊性(スピリチュアリティ)を求めているのか、わからなく なっている」と述べている。 結論は、次のとおりとなる。 西洋医学の現場には、すでに霊性が入ることが許された わけだが、霊的次元は、学問の次元には属さないゆえに、 その内部での議論ではいつまでも決着がつかない。霊的 な領域に関わることは、個人がおのおのに決定すべきで あって、それを学問的方法によって規定することはできない。 つまり、現代の霊性は、そうした学問的に中間的な、経験 の領域に生まれてくる。まずは医学や臨床心理学に、 実際にはもう動きつつある「新しい時代」の動向を見ること になるだろう。つまりそれが21世紀となる。
良スレをコピペでつぶさないでくれ〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あとは、1998年に検討されたが、WHO(世界保健機関) による霊性を導入するための改正案。 これが大きかった。これが引き金となって、医療のなかに 霊性が浮上してくることになったという、現実がある。これ は独りよがりではなくて、WHOが引き金となっていることは、 ちょっと調べればすぐに出てくる。 正式決定には至っていないものの、今後この状況が後退 することはありえないということになる。 これは単なる事実の提示であって、個人でどうこう批判と いうものではない事実ということ。事実を書いているだけで、 そうあるべき、という個人の意志なり意図なりがあるわけ ではないということ。きっと調べれば調べるほど、こうした ことがはっきり言えるだけの事実が集まるということ。 日本では、「ユング」「気功」「禅」、この三つがキーワード になっている。
677 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 19:56:47
こいつ、トラパスレでも常習犯だからな。 自分が信じていることを批判されると不安定になって、 「自分は落ち着いている。批判にびくともしない」とか言いつつ、 コピペを連投し一方的意見を垂れ流す。 まだ懲りていないらしい。
まあ、つづけよ 全てわしの思惑どおりじゃ
>>654 >相手に伝わらないということは、独り善がりのそしりを
>免れぬと言っただけだ。
時代が動いてしまえば、それはどうだってよくなる。
これから共有していくことになるだろうということだ。
まったくでたらめということはなく、永遠の哲学として、
井筒や玉城など、日本でもそれなりに共通点は研究
されているということ。鈴木大拙も出ている。だから
語れるわけだ。それは人文学と医学の接合になる。
共時性というのもどうでもよくなるかもしれない。しかし
ながらいずれにしても、ユングはユングで結びついて
くるということだ。
>「ひょっとして私の独り善がりではないのか」という検閲
>機能も必要なのでは
必要なのは検閲ではなく、自分で位置づけていく知識
の探求と、情報の共有と、体験の把握だということだ。
それはおのおのがやればいいことだ。
680 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 20:18:18
まあ、この共時性批判に対する過剰反応を見ていれば、
「共時性理論を防衛的に使う」なんて話も信憑性が増してくる。
なんでいつもわざわざ実演してくれるんだか。w
>>679 にしたって、トラパスレで言われていた「他者不在」という言葉が、
そのままここでもあてはまるよ。
>>677-678 『科学とスピリチュアリティの時代』(2005年)を読むことだ。
河合隼雄氏が推薦し顧問をしている人体科学会が出した。
ここは日本の気のコミュニティ、ニューサイエンスの学会の
ひとつだが、村上陽一郎(科学哲学)氏も顧問である。
トランスパーソナル代表の安藤治氏とユング研究の湯浅氏
が冒頭で対談している。また、神道研究の鎌田東二氏も、
気功研究の人も、ユング研究の人も、鍼灸大学の人も、
いろいろ寄せているということだ。
これは、霊性研究というものが、それなりのつながりを
見せていることを示すだろう。つまりそうした主要な学的
文化人が集まってる日本の状況を、これまで書いてきた
だけのことだ。
また、インド哲学や、精神分析の人が、一神教を批判する
という趣旨の本も、どういうわけか頻発している。ニーチェ
の本も出て、それに東大の松原隆一郎氏がコメントを寄せ
ている。これも一神教批判である。
もう少し経てば、国際的な交流と展望が開けてくる。 今は臨床心理学者と医者を中心に、主としてイギリスと アメリカから日本に入ってきている。 湯浅氏が交流しているデヴィッド・ボームのグループ でも研究は続いている。つまりこれは、ユング=パウリ を発展させたラインだ。そうしたイギリスやヨーロッパ のものも、検討は続けられている。英米を中心に、 ヒーリングや祈りの研究も、こうしたモデルを検証すると いう意味がある。 「ユング=パウリ往復書簡」も近刊予定だということだ。 いずれにせよ、どんどん進められることだ。
こうしたものは、決して「怪しい」ものではないということだ。 ちゃんとした科学的な研究に乗っているものもあるし、 どのくらいの体験なのかという人文学的なことも、比較研究 としてあるということなのだ。そういう研究が生かせる意義が 出てくる、とても良い動向だということだ。これはこれで 「あり」だということ。安心していいということだ。日本の伝統 も多いので、すっかりなじみやすいということなのだ。
>>680 >「他者不在」という言葉が、そのままここでもあてはまるよ。
もともとあんたにはこうしたことは関係がないから、
どうでもいいはずだろう。
あんたが口出ししても相手されてないだけだ。
ユング派を代弁する詐欺師さんへ。
臨床心理学、とくにユング派は、 普通の心理学とはあまり関係がないと聞いている。 それなのに口出しするというのは、 はっきりいって分野外の素人扱いになるだけだ。 言っていることも素人レベルだろう。 つまりヤクザ的な素人の野次にすぎないわけだ。 せめて思想研究なりユング派臨床家ならまだしも、 そうでないとなると、こうも口出しできるわけでもないし、 聞き入れられなくて当然だということだ。
土壌が違うものに、 安易に分野外なのに口出ししすぎないほうが いいはずだろうと思うのだが。 消費側で素人同然の領域なら、 そんな聞き入れられないくらいで どうということもない。 自分は別に聞き入れられなくても なんとも思わない。 同じ素人としか思ってないからだ。 批判でも部分的に限定しないやつ、 意図が見えないやつとはお話にならない。 共時性云々でナチスがどうのとか わめきちらすのがちょっと間抜けだということ。
そういう批判のための批判のためでしかない 知識というのは、結局は残らないクズではないだろうか。 自分の専門と関わって云々するならまだしも。 もっと建設的な方向に知識を持てないのだろうかね? 結局はナチスがどうのこうのとくだらない子供じみた 粗探しのミスリードみたいなせせこましいさもしい努力 をしたところで、自分の人間性を貶めるだけだろう。 そんなもの突けばいくらでも覆るのだから。 本来なら癒し、療法において使われるべき知識が、 まったくナチスだとか拡大解釈して邪魔してしまうような、 そうした人間性の輩に、なんの説得力があるのか。 もうその時点で、人間性は見えてる。
ところで どこからどこまでがコピペなんだ?
すべてがコピペみたいなやつだからな〜
他人を癒すつもりもない人間が、こういうものを安易に 批判したりしてはいけないんじゃないか。自分の研究に 関係していてそれなりに的確ならまだしも。 臨床の知識を、それ以外のところで自分に都合のいい ように個人の人格批判にみだりに使ってはいけない だろう。防衛だとか。そうしたディベートに終始してしまう 時点で、その人の品性というのはそれまでの矮小な ものだということだ。 批判するなら、それなりの誠意がほしいものだよな。 結局は個人情報云々言って、安全な位置に置いている のだから、それはただの陰口でしかない。
>>691 >他人を癒すつもりもない人間が、こういうものを安易に
>批判したりしてはいけないんじゃないか。
臨床家を「洞察が浅い」とか言って批判したのはお前だろ。
ふざけるなよ。
「口出しするな」としか言えなくなってきたな。 答えられない人間の最後のあがきみたいなもんだ。w
694 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/11(月) 22:26:52
もうなんつーか あれだな うんクソスレだ
>>693 ほんとおまえは疲れさせるだけの人間だよな
おまえのまわりのやつも、
裏でおまえのこと、意地が悪くて粘着で姑息で
つまんねえやつって思ってるんじゃないかね?
おっと、おまえのまわりも
つまらないやつばかりならそれもないわなw
正直、おまえなんかのために
いちいち労力つかいたくねえんだわw
ユングというのも、部分でしかないわけでね
もっと話の分かるやつはいるわけで
おまえはおまえでおまえの錯覚を生きればいい
こっちはべつに仮におまえに話を合わせてみる
ことはできるんだぞ?
だがあえて遊んでやってるということだ
わっはっはっは そろそろ決めゼリフかな いや、まだ言わないゾ
697 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/12(火) 00:53:32
凶児性はあきらかにあることが明らかになったスレ
698 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/12(火) 05:39:37
議論が恐ろしく不毛なんだけどさ 荒らし?これ このスレ削除申請しとこうか?
>>696−698 あんた議論に負けたからって自作自演して見苦しい 素直に負けを認めてちゃんと調べることだろ あんたがつっかかってきたのがすべてわるいんだよ
まあ、ユングが陰謀を仕組んだだの、 ありもしないネガティブキャンペーンのために くだらん粗探ししてる暇あったら ちっとは世の中よくすること考えることだな たいしたこと言えない馬鹿が多い
言えてる やってることが意地汚いw
そのひと、ユング批判以外にやることないのかね? 共時性について素人で語ってただけだろうに なんかほんと、大人げない・・・
自分のこともろくすっぽできない人に限って ユング批判・・・とか言うひと多い気がする。 まずは自分のことからどーにかするべきじゃあないかと。 他人のことなんてできやしないのだから。
このスレで不可解に或いは感情的に「ユングマンセー」を連呼するサルを目の当たりにすると、 ユングがナチと関係している気がしてきたよ。
事実を指摘されると「ネガティブキャンペーン」とか言ったりするの、 オウム信者もやっていたよな。
>>703 つまらないことにこだわって
くだらないこと考えるやつが多いよな
断片的なユングの語録(笑)を
粗探しするかのようにかき集めて、
そっからトンデモ誇大妄想膨らましはじめるし
それこそオカルトだろ
別にユング抜きでも社会構造で説明できることを、
それこそなんでもユングにオカルティックに結び付けて
不安感を煽っているのも
ホラー映画手法並みの稚拙さだしな
そういうオカルト的発想こそ、
魔女狩り的な拡大解釈に行き着くから
危惧すべきといえる
ユングの臨床面ではよほど現実的に考えるくせに、
いったんそこで議論に無理が来ると
一気にスケールがトンで、
ユングを負の意味で万能に祭り上げて現実離れ
もっと地道に現実に取り組むべきだろうに
むしろそうした滑稽なオカルト的発想が、
不安感を煽るだけになってしまい、
現実での臨床的な課題を見えなくするといっていい
ユングの臨床それ自体は、
そこまで拡大解釈するのも不自然でおかしいことだ
704=705 ↑それこそこういうサルの主観的なイメージの 短絡的な結びつけに思考停止はしたくはないわな こういうやつが逆にオカルト的思考にはまってる
704 :没個性化されたレス↓ :2005/07/12(火) 06:53:02 sage このスレで不可解に或いは感情的に「ユングマンセー」を連呼するサルを目の当たりにすると、 ユングがナチと関係している気がしてきたよ。 705 :没個性化されたレス↓ :2005/07/12(火) 07:08:40 sage 事実を指摘されると「ネガティブキャンペーン」とか言ったりするの、 オウム信者もやっていたよな。 なんか、括弧があってどっちも文章構造が同じだな。 パターン的にわかりやすい狂信的イメージを作り出す、 そしてそのイメージが想起されるタイミングで、 次の行で短絡的にネガティブイメージに結び付けていく。 それを二度、繰り返すことで刷り込んでいるとも言える。 こいつ、こういう洗脳手法、慣れちゃってるのかね? ようは、思考停止したまま、こいつの書き込みを 鵜呑みにして飲み込むと、こうして、こいつのキモい 脳内観念のオカルト的イメージの短絡パターンが、 こっちにコピーされてインプットされてしまうわけだ。 恐いよな。そういうことにこそ気をつけたいよ。
>>708 ユング批判のほうがオカルト的なのが致命的だよな。
類は友を呼ぶというか・・・きっと自分こそがオカルト的な
発想しかできないサルだからこそ、ユングに似たものを
見出してしまうんだろうな・・・そういうやつって、免疫が
ないから、簡単に他人の価値観に騙されるんだろうな。
ナチスだか必死に結び付けようとゴミ情報をかき集めて
いること自体、「アンチユングカルト」こそがいるんだな、
って思ってしまったよw
なんか実質限りなく2,3人くらいで 張り合ってるだけのような気がするここ
ユング擁護といっても、 そっちのほうはおかしなアンチユングやらを 叩くことに終始しているだけなので そっちのほうがある意味健全か 読んでるとアンチユングのほうが 実質ユング自体はしっかり読んで理解していないのに 気張りすぎているような気がする なにか妄想をユングに投影しているんだおうな
>>711 確かに。ユング派でもないのに、肩入れしすぎ。
なにかのキモオタのようなマニアックさを連想する。
そんなにユングが気になるのなら、
どうして自分でやらないのかね?
思い残した過去なりが相当あるように思える。
>>706-709 こっちのほうがずっとネガティブキャンペーンだな。w
ユングとナチスとの結びつきに関しては、すでにユング派自身も認めて
いろいろと研究していることなのにね。
「積極的にナチスに加担した」というような根拠のない主張を退け、
一方では、親ナチス・反セム的な側面をしっかりと把握し、
実りあるような建設的な議論をしようとしているんだよ。
そういう研究の動向を無視して、この問題に触れること自体を
「ネガティブキャンペーン」とするんだからなあ。
事実を認めようとしない人間てのは怖いな。
しかもゴミ情報って・・・直弟子たちの証言がゴミ情報か?
都合のいい判断だな。
ユング自体よりも、ユング擁護派の人間に問題があるね。
ユング派というわけでもないが、 いずれにしろ、安易にユングに寄ってくるやつってのは、 どっちもどっちだな・・・ ユング批判にしても、 そいつなりのユングへの固着のありようなんだろうな それはそれでその情熱にはキモいものがある
>>711 、
>>714 なにか勘違いしてるな。
よく読めば分かるが、誰もユング批判なんてしてない。
ユングマンセー批判をしてるだけだ。
共時性への疑問、ユングとナチスとの親近性、
そういう事柄を話題にすること、
あるいは話題にする人自体を否定する行為を批判しているのだ。
>>713 >しかもゴミ情報って・・・直弟子たちの証言がゴミ情報か?
ユングを聖典と考えるならまだしも、
ユングを臨床の技法と考えるなら、
「瑣末な情報」と「本質な情報」の区別はあるだろうな。
そういった、
「ユングも例外なくいわばその時代になびく面もあった」
というものなどは「瑣末な情報」としか思えないが?
なぜなら、その時代ではユングに限らないものであって、
反ユダヤ思想自体は、ルターあたりのものだからだ。
>>716 それが臨床上「些末な情報」だとする根拠は何?
>>643 に対してどう答える?
臨床に関係のない出来事なら、なんでユング派分析家たちが
ユングとナチスとの関係について研究をするんだ?
>>713 >ユングとナチスとの結びつきに関しては、すでにユング派
>自身も認めていろいろと研究していることなのにね。
>「積極的にナチスに加担した」というような根拠のない
>主張を退け、
だから、その程度の結びつきが結びつきになるのなら、
むしろ、もっと結びつくものが出てきてしまうわけだ。
であるから、こうしたものに限って安易にいきがちな
オカルト的発想、その論理の非合理な飛躍を、しつこく
退けておきたいわけだ。
>一方では、親ナチス・反セム的な側面をしっかりと把握し、
だからその側面はユングの臨床の実践としては具体的に
どこにどのように折り込まれていると把握できるんだ?
ユング自体が「一時期」にどういう発言をしていようが、
ユング自身は「そのつもりはない」を反駁しているわけだろ。
それを陰謀論的に考えてしまうことが不合理だろう。
>>717 >臨床に関係のない出来事なら、なんでユング派分析家
>たちがユングとナチスとの関係について研究をするんだ?
あんたみたいなオカルト的な発想をする人がいるから、
その領域をきっちり限定するために、研究せざるをえなく
なったんだろう。ユング自体に大した寄与度なんかない。
ナチスの背景なんて、フロイト的な精神分析でも解釈が
なされていることだ。そこにユングなんか出てきやしない。
つまりその程度の、恣意的なものでしかないということだ。
ユング的にも解釈できる、からといって、ユングが関与して
いた、なんてことは、まったく別のレベルのものだ。それ
こそ、オカルト的発想だということだ。
>>718 別に非合理な飛躍がなくても、ユングとナチスとの親近性というのは事実だ。
他にもっと関連のある奴はいるだろう、なんて言い逃れをすれば消えるわけじゃない。
繰り返すが、最近ではユング派自身がこの問題に取り組んでいる。
自身がユング派なんだから、それなりの内的葛藤もあるだろう。
それでも真摯にユングとナチスとの問題に取り組んでいるんだろう。
そういう試みを、そっちの都合で勝手に排除するんじゃないよ。
>ユング自身は「そのつもりはない」を反駁しているわけだろ。
ユング自身、後になって
「あれは失敗でした」と証言してるんだが?
そういう事実は無視か?
>それを陰謀論的に考えてしまうことが不合理だろう。
誰も陰謀論など持ち出してない。レスをちゃんと読め。
>>719 >あんたみたいなオカルト的な発想をする人がいるから、
>その領域をきっちり限定するために、研究せざるをえなく
>なったんだろう。ユング自体に大した寄与度なんかない。
勝手な解釈をするな。
ユング派自身が、これは大きな問題で避けて通れない、と判断したからこそ、
自ら研究をしているんだろ。
それに、ユングとナチスとの親近性は
オカルト的発想でもなんでもなく、歴史学的な事実だ。
>>715 >共時性への疑問、ユングとナチスとの親近性、そういう
>事柄を話題にすること、あるいは話題にする人自体を
>否定する行為を批判しているのだ
それのどこがわるいんだ?
例えるなら、変態趣味やフェティシズム的なユングへの
見方を、「キモい目線だから近づくな」と言っているだけで、
キモいものはキモいのだから仕方ないだろう。あんたが
いくら批判して否定しようとしても、その目線のキモさは
変わらないということだ。
品性の悪い人間がいれば当然そうなることだ。
>>722 共時性への疑問、ユングとナチスとの親近性、
これを言うユング派分析家ないしユング研究家たちは決して少数ではないが、
それは全て「変態趣味やフェティシズム的」なのか?
決めつけもいいかげんにしろよ。
>>721 >ユング派自身が、これは大きな問題で避けて通れない、
>と判断したからこそ、自ら研究をしているんだろ。
あんたがわめきちらしているだけで、具体的に出てきてる
わけでもない。むしろ「大した関係がない」ということこそが
冷静に考えるとこれまで見えてきたことだ。
あんたのここでの投稿回数による主観的な印象だけが
グロテスクに際立っているだけであって、具体的な資料
として、さほど具体的なものが出てきたわけでもない。
むしろユング以外の要因が大きいことが、冷静に考える
なら分かってくるはずのことだ。それに比して、ユングの
寄与度などは微々たるものでしかないということになる。
>>723 >共時性への疑問、ユングとナチスとの親近性、これを言う
>ユング派分析家ないしユング研究家たちは決して少数で
>はないが、それは全て「変態趣味やフェティシズム的」な
>のか?決めつけもいいかげんにしろよ。
あんたがいくら、がなり散らそうが、パフォーマンス以外
には、特定の文言をあんたがしつこく繰り返している以外、
さしたるものは出てきてないんだよ。
だから、あんたみたいなズレた解釈に導こうとするやつの
その恣意性こそが、大きな問題なんだよ。「決して少数で
はない」とか「ないしユング研究家たち」のミスリード的な
ところ、また「いいかげんにしろ」という感情だけの勢いで
もっていくところ、どこをとっても具体性がないだろ?
それになんでユング派がおまえの恣意性によってそうした
ものだけにまとめられる必要がある?
>>723 >ユングとナチスとの親近性、これを言うユング派分析家
>ないしユング研究家たちは決して少数ではないが、
この時点で、おまえには論理矛盾があるんだよ。
ユングとナチスの親近性が、仮にユングの思想に根本的
に内在し抱え込んでいる構造だとするなら、ユングを実践
するユング派分析家というのは、すべて自動的に、すべて
本質的に、ナチス的にならなければおかしいだろう。ところ
が、同時にそういうユング派分析家がいるというなら、
それだけ当のユング派自体は、どれも個性的になっている
ということが言えるだろう。
つまり、ユング派それ自体にはまったく内在していないもの
だと言えるんだよ。反ユダヤ思想自体は、ルターとかから
来ているはずだ。そうしたプロテスタント的な背景がすべて
だと、心理学的には分析できるということだ。
>>720 >他にもっと関連のある奴はいるだろう、なんて言い逃れ
>をすれば消えるわけじゃない。
そうでもない。ユングに帰着する意味は消失するはずだ。
>繰り返すが、最近ではユング派自身がこの問題に取り
>組んでいる。自身がユング派なんだから、それなりの
>内的葛藤もあるだろう。
「あるだろう」という推測で勝手に肩入れして共感する
だけで具体的なソースを出さないのかね。そうした人情が
冷静な認識を邪魔することもあるんだよ。そういう葛藤と
いうのは、しょせん文学的な思い込みであり虚構ないし
幻想にすぎないということだ。ユング心理学的にも社会分析
できるし、ユングをまったく考慮に入れなくてもフロイトでも
社会分析できる、それ自体は、そうした社会心理学的な
力学要因として振り替えることができるものにすぎない。
それ以上でもそれ以下でもないということだ。そうした
クールな視点がどうして持てないのかね?
>それでも真摯にユングとナチスとの問題に取り組んでい >るんだろう。 真摯に取り組めば、それだけ的確な分析に行き当たるとは 限らないんだよ。その態度の前提自体が間違っていれば、 しょせんはどこまでいっても文学的な虚構だということだ。 >そういう試みを、そっちの都合で勝手に排除するんじゃ >ないよ。 まったく葛藤を感じないものもいる。いくらあんたが文学 青年よろしく葛藤を感じるからといって、そっちの都合で 勝手に、そうした根拠も特定しずらいわけのわからぬ葛藤 をむやみやたらにみだりに押し付けないことだ。あんたの 主観的な葛藤が、必ずしも共有されるものとは限らない。 いずれにせよ、日本人が西洋人のように葛藤することでも ないことだ。日本のユンギアンの誰もが、そこまであんた ががなり散らすほど葛藤を感じているか?そうした視点で ナチスとユングを受け止めているか?いやそうではない。 日本人と西洋人はまた違うからだ。思い込むことで葛藤 を増やしているだけかもしれない。
>>724 >具体的な資料
>として、さほど具体的なものが出てきたわけでもない。
>>656 は具体的な資料じゃないの?
ユングとナチスとの関連について、
具体的に指摘している文献リストを上げれば納得するわけか?
『ユング・カルト』くらい読んでないのか?
サミュエルズの『Political Psyche』は?
論文集『Lingering Shadow』は?
>むしろユング以外の要因が大きいことが、冷静に考える
>なら分かってくるはずのことだ。それに比して、ユングの
>寄与度などは微々たるものでしかないということになる。
>>656 の証言を読んでもなお、
ユング自身の寄与度が微々たるものと考えるほうがどうかしている。
>>726 >ユングとナチスの親近性が、仮にユングの思想に根本的
>に内在し抱え込んでいる構造だとするなら、ユングを実践
>するユング派分析家というのは、すべて自動的に、すべて
>本質的に、ナチス的にならなければおかしいだろう。
まるきり逆だ。
陥らないようにトレーニングを積んでいるからこそ
ユング派分析家たる資格があるんだろ。
ナチス的なものに陥る危険はいつだってある。
そこを知っているからこそ、ユング心理学が有効な手段たりうる。
危険の存在そのものを最初から無視するようでは、話にもならないんだよ。
>反ユダヤ思想自体は、ルターとかから
>来ているはずだ。そうしたプロテスタント的な背景がすべて
>だと、心理学的には分析できるということだ。
反ユダヤ思想は「プロテスタント的な背景がすべて」!
歴史研究の専門家が聞いたら、 冗談だと思うだろうね。
>>727 >「あるだろう」という推測で勝手に肩入れして共感する
>だけで具体的なソースを出さないのかね。
例えば、ローゼン『ユングの生涯とタオ』では、
ナチスに接近したユングを、タオから外れ闇に落ちたものとして描き、
ユングを赦すためにこの本を書いた、とある。
これに限らず、ナチスとユングとの関連について書いてあるユング派の論文を読めば、
それなりの苦渋が読みとれるはずだ。
『Lingering Shadow』くらい目を通してみろよ。
葛藤を感じない者がいるからといって、葛藤が存在しないということにはならない。
問題は現実にある。それを自身の問題として考える姿勢があるかどうかだろ。
>>730 >反ユダヤ思想は「プロテスタント的な背景がすべて」!
ユング自身はプロテスタント派の牧師の子供だったという
ことだ。
>>656 の証言にしても、その影響だろうな。それだけ
ユング本人にしてみれば、彼も多分に漏れず、そうした
反ユダヤ思想に影響を受けてしまったということだろう。
ユング研究の林道義氏は自著「心の不思議を解き明かす」
でかなり明確に述べているので、参考にするとよい。
ナチスの出現を生み出した歴史が形成されたというのは、
言うまでもなく大多数の人に共通の無意識が働いた、つまり
同一の元型にドイツ国民の大多数が占領されたからという
ことになる。ナチスが出てきた背景としての、ドイツ国民の
心理的基盤の一面性について考えると、当時のドイツ
国民の精神構造の特徴は、「啓蒙主義/キリスト教/劣等感」
ということだ。理性中心のプロテスタンティズムの信仰という
のは、思うにもともと好戦的なゲルマン民族のもつ精神的
構造の偏りから自然選択されてきたものと言えなくもない。
>>732 「心の不思議を解き明かす」には、
「反ユダヤ思想はプロテスタント派の牧師の父からの影響」
なんてことは書いてねーぞ。
逆に、父への失望があったことが書いてある。
「ユダヤ人は古い文化をもっている、伝統的な文化をもって いる。ということは、意識の次元が洗練されているという ことなのである。長い歴史を持っているから、一面的に 偏ったものもだんだん訂正されてきたりして、それほど 偏って一面的にはなっていない。それなりに平衡が保たれ ている面がある。だから意識ももちろん発達しているが、 その上に無意識がやたらに変な形で出てこないような いろいろな装置もあり、変な形で爆発するようなこともない。 そういう意味で、ユダヤや中国の文化は、ある意味では 優れている」 これはあくまでもユングの言葉を紹介したものだ。 こうした側面から、現状の日本文化を捉えなおそうとした 場合、ユダヤの古い文化とは対照的に、当時のドイツ以上 に未熟だと言うことができるだろう。アメリカから移植された キリスト教精神の影響下にさらされた今日の日本ということ ができる。さらに悪いことに、このキリスト教精神が中途 半端で、結局表面的にしか受け取れなかったということが、 現在の日本の特殊な現実をつくっているのだと、と言うこと もできる。
>>730 >ナチス的なものに陥る危険はいつだってある。
だがもっとも根底となる背景、スケールを混同してはなら
ない。それそのもののスケールは、一神教的背景から
説明することが妥当だということだ。つまりそれ自体は、
そうした思想的な背景そのものが仮にないとするなら
そもそもそこまでのスケールでは起こらない、それなりに
集団自我仮構的なものに起因するということだ。ユダヤ人
虐殺的なものは、一神教的背景ではナチスに限らず、
いやそれ以上に凄惨なものが度々起こってきたのが、
西洋の歴史では歴史だということだ。
無理な想定だが仮に、純粋に東洋の深い多神教的背景を
想定するなら、そこではそもそも、そこまでのものは起こり
えない、ということが、東西の歴史の比較からは分かるのだ。
>ユング心理学が有効な手段たりうる。危険の存在その
>ものを最初から無視するようでは、話にもならないんだよ。
いずせによせ、そこまで問題があるようなら、日本の伝統
では、ユングなしにやっていくことも、可能だと言うことだ。
曖昧な記憶で申し訳ないが、 ユングがアホ弟子――この弟子はユダヤ人だっただろうが、ここでユングとナチを云々するつもりはない―― そのサルを2階から突き落としたというのがあったと思う。 ユングマンセを繰り返す連中は2階から落とされればいい。
>>733 >「反ユダヤ思想はプロテスタント派の牧師の父からの影響」
>なんてことは書いてねーぞ。逆に、父への失望があった
>ことが書いてある。
ユダヤ人へのホロコーストは、第二次世界大戦時のとき
だけではなく、それ以前にも、ロシアなどで、何度もあった
ことだ。それそのものは西洋一神教そのものが抱える
問題なのだ。聖餐式で葡萄酒をイエスの血として飲み、
パンをイエスの肉体として食するというようなキリスト教に、
かなり不気味なものを感じていたということだ。そうした
ものを、父親が信じたフリをしていたのが、ユングの疑問
だったということだ。
そもそも反ユダヤ主義とは、プロテスタントの宗教改革者
ルターが確立したものだ。ヒトラーは、反ユダヤ思想を利用
して、ユダヤ人迫害を行ったわけだ。
『ローマ教皇とナチス』によると、ナチスが勢力を拡大して
いく時代、ローマ教皇だったピウス11世は、熱心な親ドイツ
で、ナチスのユダヤ人ホロコーストを知っていながら、決して
公然と批判することはなく、終戦後もユダヤ人に対して謝罪
をすることがなかった。彼が批判していれば、ナチスも
やめざるを得なかったかもしれない。なぜローマ教皇は
沈黙してしまったのか、と書いてある。
第二次世界大戦後、ローマ教皇は、こうした反ユダヤ主義
の責任の一端が、キリスト教会による煽動にあると認めて
謝罪し、イスラエルの主席ラビと和解している。
あくまでも、そうした西洋そのもの自体が特殊なんだ、と
考えるしかないわけだ。
またコピペか・・・
>>738 こちらがナチスの話を先に振ったわけではない。自分は
ノンポリティカルだということだ。振られたから返しただけだ。
もともとキリスト教は、パリサイ派やサドカイ派とともに、
ユダヤ教の一派(当時、ナザレ派と呼ばれた)として始ま
っただけなのだが、聖書66巻は、2巻を除き、すべて
ユダヤ人によって執筆されたもので、初期の弟子と信者の
ほとんどはユダヤ人だった。その新興宗教の教祖だった
イエス・キリストという人物だが、彼もまたどういうわけか
ユダヤ人だった。
ユダヤ人迫害だが、のちの神学で形成されたにすぎない
のだが、馬鹿らしいことに、キリスト教国のクリスチャンと
呼ばれる人々によって、1700年にもおよんで行われて
きたということだ。11世紀から13世紀に8回の大規模な
十字軍遠征があり、ユダヤ人虐殺が行われた。そうした
ものの一つとしてナチスのユダヤ人虐殺もあったわけだが、
ドイツのプロテスタントの宗教改革者ルターがユダヤ人に
対して用いた反ユダヤ神学がその背景にあったという
ことだ。ナチスの兵士たちは、日曜日に教会に行っては、
午後は制服に着替えて、そそくさとユダヤ人を虐殺して
いたということだ。
740 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/12(火) 17:52:07
>>735 大量虐殺は多神教的なところでは起きないとでも?w
どういう事実認識だよ。
そもそも、ナチスもユダヤ人排斥も複合的現象であって、
単一の理由にそれを帰することはできない、というのが一般的な歴史家の見方だ。
ものの考え方が単純すぎ。
いずれにしても、ユングとナチスには共通する背景があるんだろ?
そしてユングは、その扱いに実際に「失敗した」(本人の証言)んだよ。
そこは認めなくてはならない現実だ。
741 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/12(火) 17:52:26
>>737 要するに、
「反ユダヤ思想はプロテスタント派の牧師の父からの影響」
なんてことはその本にはまったく書いてないんだろ?
なのに
>>732 では、
そんな内容が書いてあるかのように印象づけているんだろ?
いいかげん認めたらどうだ?
こっちは手元にあるその本の現物で、そんな内容が書いていないことを確認している。
言い逃れが通じると思うなよ。
>>736 その弟子というのはヨランデ・ヤコービのことだったかな?
正確には、怒ったユングに蹴られて階段上から落ちた、というものだったと思うが。
これは俺も記憶が曖昧だな。改めて調べてみよう。
>>731 >例えば、ローゼン『ユングの生涯とタオ』では、ナチスに
>接近したユングを、タオから外れ闇に落ちたものとして
>描き、ユングを赦すためにこの本を書いた、とある。
赦すもなにも、キリスト教自体が闇に落ちた歴史であり、
おかしなことをやってきたということだ。キリスト教自体が
赦されなければならない。いずれにせよ、「赦し」とか
「原罪」とかいう傲慢的な思想は、それそのものが西洋の
ローカルな考え方だということだ。そういう劣等感を誇大
したような文学性は、西洋のものだろう。そういうものを
理解できなければ、霊性はないなどと、ことさらに構えたり
する必要はなく、必要なのは、そういう歴史性なり文学性
に甘んじるのではなく、なんでも誇大視せずに、クールに
捉えていくことなのだ。それはそもそも西洋のフィルター
を通しているのではないか、という相対化する視点も持つ
ということだ。勝手に苦渋なり葛藤してみようが、それは
西洋人にしか意味を持たない、理解されない種類のもの
でしかない。日本人のユンギアンは、そんないつまでも
過去を反芻しては深刻ぶって、自己陶酔なんかしてないぞ。
ユングのナチス論はユングがどのように理解していたかを
知る上で欠かすことのできない。『現在と未来─ユングの
文明論』松代洋一編訳、『ユング思想の真髄』によると、
ユングはナチズムの分析において、キリスト教による愛と
平和の一方的な押しつけが、ドイツ民族の間に憎しみと
暴力の無意識の抑圧をもたらしたと捉えている。ようは
一過性のある心理的なバランスということだ。
>>743 日本人のユンギアンがナチスについてあまり考えずに済むのは、
それこそヨーロッパから遠く、ナチスの記憶がさほど強くないからだ。
アメリカやヨーロッパでは、「ユングはナチス加担者」という見方を取る人も多く、
これに対して何をか言わないと話すらできない、という事情がある。
ユングがこれだけ世界的に広まったのは、英語圏の人に対して教えを拡げたので、
ドイツ語圏ならば分かってしまうような民族主義的な背景を隠すことができたからだ、
という指摘もある。(リチャード・ノル)
日本だって、これと同様ということだ。
中村雄二郎がフランスでの講演でユングの名を出したとき、
ひとかたならぬ反発があったという話もあるのだ。
いずれにしても、ナチスを歴史上の一過性の問題と見なす主張には真っ向から反対だ。
それは結局、歴史の上っ面だけを見て、
ナチスの問題を内的に理解できていないにすぎない。
ナチスの問題は、例えば有名な言葉、
「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮だ」(アドルノ)というぐらい
決定的なものとして受け取れる事柄なのだし、
今すぐにだって似たようなことが再現されうる可能性もあることだ。
そういう問題意識に対してお前が鈍感なだけの話だろう。
ちなみに、ユング派分析家のマイデンバウムによれば、 「ユングとナチスとの問題は、ユンギアンにとって集合的な影」だ。 ユングを自分のものとして受け入れ考えるのならば、 その影から逃れられるなどと甘いことを考えるべきでない。
>>743 >なんでも誇大視せずに、クールに捉えていくことなのだ。
ま、共時性についてこそ、そういう態度でいてほしいものだが。w
共時性理論に異を唱えるだけで駄目、みたいな態度じゃあねえ。
せめて、
1・サイ現象が現実にあるかないか
2・サイ現象があるとして、それを「共時性理論」で把握することの是非
3・共時性の発想を臨床スタイルとしてどう取り入れるか
あるいは取り入れないか
くらいは分けて考えてほしいところだよ。
2、3を議論すること自体を排除するようじゃあ、救いようがない。
ナチスの問題にしても、共時性の問題にしても、ユンギアンたちは、
問題の存在そのものを否定することなく、いろいろ自由に議論している。
そういう自由な議論に逆行することはしてほしくないね。
>>744-745 自分が言えることは、日本人が西洋的に日本を見ている
ほどには、日本は西洋とは根本的に違うところもある、と
思っているということだ。日本にはそういう『ロスト・イン・
トランスレーション』的な、憂いに彩られた、断絶ないし
二面性があることを、認めつつ感じつつあるということだ。
ハーバード大学神学部教授で比較宗教学とインド・サンス
クリット研究をやっているダイアナ・エックの、『宗教に分裂
するアメリカ ―キリスト教国家から多宗教共生国家へ』では、
プロテスタント原理主義国家と思われがちな、実際には
世界でもっとも多宗教に分裂しつつある現代アメリカの、
真の宗教事情を描いている。これは、1991年にハーバード
大学に立ち上げられた「社会的多元性研究プロジェクト」に
よって行われた、10年間にもおよぶ、調査・研究の成果
として、もっとも正確に現代アメリカを反映するものである。
それによると、民族だけの宗教から、60年代のカウンター カルチャー以降、東洋のさまざまな宗教がアメリカ社会に 浸透し、文化多元主義、宗教共生国家とでもいうべき、 状況になっているということだ。 『文明の衝突』のサミュエル・ハンチントンも、近年の『分断 されるアメリカ』において、アメリカの文化を築いてきたプロ テスタントの影が弱まり、ナショナルアイデンティティを喪失 して、サブナショナルアイデンティティが高まっていくと予測 している。 こうした傾向を、ダイアナ・エックは「良し」としている。 1996年には、キリスト教とは最も相容れないはずの イスラム教のイマームが、海軍のチャプレン会に宣誓加入、 1999年には、国防総省において、イスラム教徒がクル アーンの啓示という聖なるできごとを祝うラマダーン月の 終わりに近い夜を祝った。 これは、信教の自由の憲法にそった決断ともいえるが、 カウンターカルチャー世代、あるいは文化多元主義に 基づくリベラリズムから生み出された結果かもしれない。
749 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/12(火) 22:04:46
>>745 >ちなみに、ユング派分析家のマイデンバウムによれば、
>「ユングとナチスとの問題は、ユンギアンにとって集合的な影」だ。
>ユングを自分のものとして受け入れ考えるのならば、
>その影から逃れられるなどと甘いことを考えるべきでない。
それはまったくそうなんだけどね。でも、このスレの流れの中でこういう書き方を
すると、ユング擁護派=ナチ新派 VS 純粋無垢派=俺 みないな図式にどうしても
なってしまって、とてもみっともないと思うのだが
>>749 それは、俺自身が「ユング擁護派だ」と明言している以上、
明らかな誤解と言っていいだろう。
ちなみに、先ほど帰ってくる前に寄った古本屋で、何気なく本を開いたら、
自分が
>>744 で引用したアドルノの言葉がそのまま載っていた。
印象深い符合だったので、そのまま本を買ったよ。
これを読むべし、と言われているような気がしてね。
こういうものを共時性というのなら、まあ、共時性はあるんだろう。
そういうところを否定するつもりはこちらにはないからな。
ただ、病理圏に近いような人が、こういう共時的体験を頻発させるとき、
それに対して警戒したり、時にはそういう観点を排除しておくといった
個々の判断は臨床的にはありだろう。
そういう判断まで否定すべきではない。
753 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/13(水) 02:15:54
久しぶり。随分書き込みしてるね。暇そうだけど、ちゃんと仕事してる?
>>746 素粒子は、位置と速度を原理的に同時に測定できない
ことがわかっている。これがハイゼンベルクの「不確定性
原理」である。注意したいのは、不確定性原理によって
知ることができないだけで、それでもなお依然として局在
した実体が決まった軌道を時間経過とともに辿っている
のだ、として説明できないことだ。それは波動状態とする
しかないが、観測されると点状の実在として現れる。
これを、コペンハーゲン派のボーア解釈では、「波動関数
の収縮」と表現する。
表現したものの、ここにおいてハイゼンベルクもボーアも、
観測という概念を明確に定義することができなかった。
これで「観測問題」が浮上してくる。
量子力学では、遠く離れた2つの粒子が、エンタングル メント(絡み合い)とよばれるノンローカル(非局所的)な 相関をもつことが、1964年、ベルの定理が破れることで、 確定した。これは数学的証明なので、その意味は重大 であり、実際に実験でも観測されている。これがEPRペア とEPR相関である。 それまでの相対論では、光速度が規定する光の拡散の 限界、光円錐(ライトコーン)内の事象における因果律を 重視するが、量子力学では、光円錐外の事象における 相関を重視する。相対論は、ある時空点の状態の影響が 光円錐の外に及ぶことを禁止するが、光円錐の外にある 2つの事象が実際に一致することが確認されたということだ。 因果関係ではなく相関とするならば、相対論では禁止 できないし、実際に相関は確認された。 「エーテルは観測に現れてこないが、その幕の背後で 何かが超光速で伝わっている」とベルは説明する。その ときの量子力学的作用は、例えば、「虚数を導入した拡張 時空理論」や「隠れた変数(普遍的確率法則)」のような 通常の物理学的作用で記述できないことに注意する。 ではなぜこうした相関があるかと問われても、そこでは 通常の因果律が成立していない。相関関係はあるが、 物理学的にはランダムであり、それそのものには量子論 の適用は不可能だということだ。
量子論のなかだけで考えれば、それを遠隔作用として 解釈すれば、コペンハーゲン解釈(超光速の遠隔作用、 分離不可能性)、実在論として解釈すれば、町田・並木 理論(統計作用素の手法)が、さしあたって矛盾がないと 言われるだけだ。 注意したいのは、純粋に理論物理学的に考える限り、 このメカニズムは未解決のままだろうということだ。 「客観的現実を表すには数学的モデルが必要だが、この モデルは目に見えない因子を使わなければならない。 心理学の場合には客観的現実を定式化するさいに、 その中に観察者としての心がすでに織り込まれてしまう ため、なおさらこの[認識上の困難という]普遍妥当性を 免れることはできないのである。心理学の理論は数学的 な形にはなりえない。われわれは心を数量的に図る 物差しをもっていないからである。」 カール・グスタフ・ユング『元型論』
唯識 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98 唯識説(ヨーガを実践することによって体験的に体系化
された東洋の心理学説)によると、心の種類として、眼識・
耳識・鼻識・舌識・身識のほか、意識・末那識・阿頼耶識
が存在するという。
1・心から完全に独立する物質の存在は否定される。
2・心は存在し、それを排除することはできない。
3・相関、つまり客観性は、因果律を超えた次元にある。
どれも、量子力学の帰結に一致し、その洞察に過去に
体験的に達していた、ということになる。唯識説によれば、
自然界の客観性は、おそらく阿頼耶識という次元が変化
して生じている。「量子の謎をとく」によれば、クィーンズ
ランド大学教授のバスは、人間の意志決定が、波動の
どれかの状態への収縮だと主張している。それを、そこ
から派生したマナ識が眺めている。こうして「知られる」
ということだ。
こうした見解は、東洋では著しく一致するものである。
例えばヒンドゥでは、1がマーヤー、2がアートマン、3が
ブラフマンにほぼ対応する。唯識などのサンスクリットの
文献では、過去のヨーガ実践者・研究者による、さらに
詳細な区別が存在する。
それに比べれば、これは非常に大雑把なもので、ユング 的な、超個的で全人類共通な、「集合的無意識」の概念 だけでは、単純に捉えられるものではないかもしれない。 ユングは、「元型それ自体は類心的な作用因であり、 いわば心のスペクトルの不可視の紫外線部に属している」 と『元型論』で説明する。 ユングもいうように、意識はスペクトル状であり、純粋な 意識はそのままありながらも、個的な意識の合っている バンド(周波数帯)をずらして、拡げていくことができる。 また、唯識によれば、各周波数帯に属するコンプレックス も浄化することができる。こうしたことは、意識を存在する と考え、意識状態とか、意識構造が、変化すると考えな ければ、説得力を持たないわけだ。 また、クオリア(感覚質)も、現在のこうした物理的世界観 に入り込む余地がないことが分かっており、因果律や相関 以外の、「第3の言語」が必要になる。相互作用同時性は、 従来の因果律と相関という考え方では「まったくだめ」だと いうことを示唆している。それら因果律と相関をこえた法則 によって、脳内にクオリアが生じていることは確かな事実 なのだ。
>>750 >それは、俺自身が「ユング擁護派だ」と明言している以上、
ただ、言ったからといって、あなたが擁護派を独占したり
代弁できるかはまた違うだろう。言うだけなら誰でもできる
のだから。擁護派ではないのに、ユンギアンにこうせよと
指図したいだけかもしれない。
実際のユンギアンに対して、影響力があるわけではない
ことも確かだし、日本のユンギアンがそうするべきという
わけでもない。
>>759 「擁護派だ」と明言しただけで、
擁護派全体を独占したり、代弁したりしたわけではないが?
まずは日本語を読む能力が必要なようですね。
>>745 >ユングを自分のものとして受け入れ考えるのならば、
>その影から逃れられるなどと甘いことを考えるべきでない。
結局のところ、日本のユンギアンでそこまで暗いトーンに
支配されている人もいないわけだ。
>>752 >ただ、病理圏に近いような人が、こういう共時的体験を
>頻発させるとき、それに対して警戒したり、時にはそういう
>観点を排除しておくといった個々の判断は臨床的には
>ありだろう。
それは当然のものの、こうした態度はえてして限界にも
なりうることだ。あんたは歴史家やら研究家になりたい
のかもわからないが、ユング派の臨床家に向いているの
かはわからないことだ。
ある日、ユングの女性患者が、見知らぬ男性からスカラベ をかたどった高価な宝石を贈られる、という、特徴的な夢を 語った。この話の最中、窓をコツコツ叩く音が聞こえた。 見ると、大きな虫が室内に入ろうとしている。それはなんと、 この土地では珍しい、スカラベと同じ仲間の甲虫だった。 それは、患者が夢で見たのと同じ黄金色で、形もほとんど 同じだった。しかもこの虫は光に吸い寄せられるのが普通 なのに、このとき室内は暗かった。 ユングは「ここにあなたのスカラベがありますよ」といって その虫を見せた。彼女は夢で見たように、男性からスカラベ を贈られたのだ。この出来事をきっかけとして、患者の心が 急速に和らぎはじめ、治療がスムーズにいくようになった。 調べると、スカラベは古代エジプトでは「再生」の象徴だった。 臨床家が警戒の態度を示すのは、逆効果かもしれない。 臨床において重要な目的は、そこからいかに統合するか というようなことであり、道義論ではない。臨床家が受容 することで、回復なり好転に向かうこともある。その意味で、 一概にこうだと言えないものだろう。 どの世界にも、「あの人はしゃべらせればあんなに堅実で まともなのに、臨床をやらせたらまるでだめだ」、という人 はいるだろう。本人の「こうしなければならない」という 「こわばり」が、ネガティブフィードバックを招きうるわけだ。 そういうギャップはあるものだ。
>>761 >結局のところ、日本のユンギアンでそこまで暗いトーンに
>支配されている人もいないわけだ。
それで済むようなお気楽な環境にいる、というだけだろ。
そもそも、「ユンギアンの集合的な影」を引き受けていないんだから、
日本のユンギアンたちが暗くならないのは最初から当然だ。
しかし、問題となっていることが「ユンギアンの集合的な影」である以上、
それを引き受けようとしないのは、ユング心理学の考え方に反する態度だ。
この問題についての、日本での状況は確実に変わりつつある。
ノル『ユングという名の<神>』の訳者あとがきでも読んでみろ。
そこには、いろいろと逡巡しつつも、
ユングの真の姿を受け入れていこうという真摯な態度がある。
>>761 続き
>それは当然のものの、こうした態度はえてして限界にも
>なりうることだ。
限界があるかどうかなんて話はしていない。話を逸らすな。
こちらはあくまで、
「そういう個々の判断や議論自体を否定するな」と最初から言っているのだ。
そもそも個別の臨床現場では、
臨床的判断として特定の選択なり限定なりが必要な時もあるのだ。
だったらそのときには、まさにその選択こそが必要だったのであって、
他の立場や選択など、その場にあったところで意味がないんだよ。
別の言い方をすれば、そういう現場からお前の言うことを見れば、
また別の意味で「限界がある見方」にすぎない。
臨床家にとっては、一般的な意味での限界がどうこうよりも、
今そこで必要かつ的確な選択をすることのほうがずっと大事なのだ。
そういう部分に、おまえはとことん鈍感だよな。
>>762 だからな、受け入れたほうがいい場合もあれば、
限界を設けたほうがいい場合もあるんだよ。
それだけのことだろ?
それなのに、受け入れない選択をした臨床家を一方的に拒否するという
馬鹿げた議論をなぜお前はするのか、と俺は聞いているんだよ。
いいかげん話を逸らすのはやめろ。
>>765 臨床家を勝手に代弁するおまえの態度に疑問があるという
ことだ。臨床については、臨床家に権限があるんだよ。
共時性を受け入れない選択をした閉鎖的な臨床家を受け
入れないのも、ユング派の健全な発展には必要だ。
>>765 だからな、受け入れたほうがいい場合もあれば、
限界を設けたほうがいい場合もあるんだよ。
それだけのことだろ?
それなのに、共時性を受け入れる選択をした臨床家を
一方的に拒否するという馬鹿げた議論をなぜお前はする
のか、と俺は聞いているんだよ。
すべてはおまえが決めることではない。
>>765 おまえがいくら独学しようが、こと臨床については、おまえ
は素人同然にすぎないんだよ。専門の専門家ではない。
それだけは勘違いするな。
それについて臨床家以外が指図して聞き入れられるわけ
ではない。臨床は議論で決まらない。臨床のなかで決める。
あくまで臨床家のコミュニティのなかで判断されることだ。
権限をわきまえるか、自分で現実に臨床家にでもなって
取り組めばいいことだ。
共時性を受け入れないという閉鎖的な決断をする臨床家
もいるだろうが、それはあくまで一部にすぎない。外部から
批判するのは自由だろうが、他人に強制するのはおかと
違いだということだ。
ユング心理学においては、外的世界の物質の運動を主と
して規定する「因果性」と共に、因果性とは独立して、「意味」
や「イメージ」の「類似性・類比性」によって、外的世界の
事物や事象、個人の精神内部の事象等が互いに関連性を
持つ「共時性(シンクロニシティ)」が存在するとされる。
それは変わらないことだ。
>>765 おまえのやっていることは、ヤクザな言いがかりでしか
ないぞ。ユング派としてはおまえはいくら擁護派だろうと、
アマチュアに変わりはないわけだ。個人の趣味で特定
のユング派だけに肩入れするのは自由だろうが、それを
他人に押し付ける意味はない。幼児的な万能感に自己
陶酔もいい加減にしろ。
チューリッヒのユング研究所が主催したエラノス会議には、 心理学、宗教学、神話学、民俗学等の多様な研究者が 出席し、会議において発表された論文は、学際的な研究 成果として意味を持った。 神話学者カール・ケレーニー、宗教学者ミルチャ・エリアー デ等は、ユング心理学より大くを学んだ。 ユングは、ユング派臨床家のみで動いている事象では ない。学際的な研究としてある。 ユング派としてはアウトサイダーの、ジャーナリズム的な 位置にあるユング批判本は、あくまで指摘するのみであって、 ユング派コミュニティでの権限はない。
>>766 >臨床家を勝手に代弁するおまえの態度に疑問があるという
>ことだ。臨床については、臨床家に権限があるんだよ。
鏡を見て言えよ。w
それは俺がおまえにずっと言ってきたことだぜ。
>共時性を受け入れない選択をした閉鎖的な臨床家を受け
>入れないのも、ユング派の健全な発展には必要だ。
共時性ドグマティズムまるだしだな。
それを受け入れない者は閉鎖的ってか?
おまえこそ、勝手にユング派を代弁してるだろ。
>>767 >すべてはおまえが決めることではない。
おまえが決めることでもないが?w
>>768 >臨床は議論で決まらない。臨床のなかで決める。
>あくまで臨床家のコミュニティのなかで判断されることだ。
その通り。
だから、おまえがいかに「共時性を受け入れないユング派はおかしい」と言い張ろうが、
そういう判断をする臨床家は現にいるし、
そういう臨床家がユング派資格から排除されることもない。
それが現実だ。
>批判するのは自由だろうが、他人に強制するのはおかと
>違いだということだ。
俺は何も強制してない。現実を指摘してるだけだ。
おまえのようにドグマを主張するのではなくてな。w
「共時性を受け入れなければ絶対に駄目」みたいな
幼稚っぽいドグマを強制してるのはそっちだろ。
なんて言うのか、おまえはさ、 どんな形であれ共時性に疑問を呈すると、 それだけで異常なほどの排除的拒否反応を示すのな。 その幼稚な「共時性ドグマティズム」をどうにかしろよ。w
>>770 >ユング派としてはアウトサイダーの、ジャーナリズム的な
>位置にあるユング批判本は、あくまで指摘するのみであって、
>ユング派コミュニティでの権限はない。
だから?w
ユング派コミュニティの中で権限がなければ、
そのユング批判は正しくないとでも?
いろいろと笑わせてくれるな〜www
>>772 だから、おまえがいかに「共時性を受け入れるユング派はおかしい」と言い張ろうが、
そういう判断をする臨床家は現にいるし、
そういう臨床家がユング派資格から排除されることもない。
それが現実だ。
こっちは何も強制してない。現実を指摘してるだけだ。
おまえのようにドグマを主張するのではなくてな。
「ナチスがどうのとおまえのコンプレックスを受け入れなければ絶対に駄目」みたいな
幼稚っぽいドグマを強制してるのはそっちだろ。
>>773 なんて言うのか、おまえはさ、
どんな形であれ共時性に関心を示すと、
それだけで異常なほどの妄想的拒否反応を示すのな。
その幼稚な「ナチスドグマティズム」をどうにかしろよ。
>>775 ナチス問題の受け入れに関しては、ユング派自身が意識的に行おうとしている。
それが現実の流れであり、日本でも端緒に付いたところだ。
強制もなにも、それがユング派の現実。
早く現実を認めなよ。言い逃れしないでさ。
>>776 つまんないよ。w
繰り返すが、俺は共時性を拒否してない。
共時性を認めない者を排除する姿勢を、ドグマティズムとして批判しているだけだ。
>>774 >ユング派コミュニティの中で権限がなければ、
>そのユング批判は正しくないとでも?
おまえみたいな他人のことばっかかかずりあうやつが、
ありもしない妄想で事態を余計こじらせてしまうんだよ。
いるだろ?
なんとかしなきゃ!とか言って騒くだけ騒いで、
余計散らかしてしまうだけのやつ。
おまえみたいなセンスのないゴリゴリの馬鹿が
ウィットに富んだユニークさもなく、
ただただわめきちらしがなりちらしていたら、
あとに残るのは焼け野原のようなものだけなんだよ。
おまえみたいなつまらない人間がすべてじゃない。
>>779 はいはい、問いの内容に答えられなくなって
逆ギレしてきたみたいね。w
話ができるようなレベルではないな。
共時性の問題について、もっと冷静に議論できる人を望むよ。
781 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/13(水) 17:58:21
水星人vs木星人
>>777 >ナチス問題の受け入れに関しては、
>ユング派自身が意識的に行おうとしている。
>それが現実の流れであり、
>日本でも端緒に付いたところだ。
だから、ナチスとユングよりも
もっともっと関係があるものがあるんだよ。
スケールもまったく違うもので、
他の説明もされている以上、
ユングとして重大視することはできない。
>強制もなにも、それがユング派の現実。
>早く現実を認めなよ。言い逃れしないでさ。
繰り返すが、俺は現実を拒否してない。
現実を選択的にしか認めない者、
自分以外の現実認識を排除する姿勢を、
ドグマティズムとして批判しているだけだ。
>>780 >逆ギレしてきたみたいね。w
筋金入りの馬鹿に逆切れするのは当然。
>話ができるようなレベルではないな。
話ができない人物に対しては当然。
>>780 >共時性の問題について、もっと冷静に議論できる人を望むよ。
おまえだろ、
自分以外のユングをとりまく現実認識を認められず、
排除的に自分の現実認識を押し付けようとするのは。
おまえの現実認識はあくまで間違っていると思っている。
こちらの現実認識、こちらの資料では、
まったく違う日本をとりまくユンギアンの状況が出てくるからだ。
おまえがいくらここで錯覚させようと、
おまえのようなバイアスをもって受け入れられるわけではない。
おまえがここで何度も同じ事を書きすぎていること事態が、
バイアスでしかないんだよ。
ここを読んだ印象と、実際の日本のユンギアンは、
まったく一致しないということだ。
『ローマ教皇とナチス』 地上におけるキリストの代理者、使徒の頭ペトロの後継者 として、全世界のカトリック教徒から崇敬を集めるローマ教皇。 だが第二次世界大戦中、モラルの体現者ともいうべき教皇 は、人類史上未曾有の犯罪であるナチスのユダヤ人虐殺を 知りながら止めようとはしなかった。当時の教皇ピウス十二世 ―エウジェニオ・パチェリは、なぜ“沈黙”してしまったのか。 その理由を、彼の人生だけでなく、ヨーロッパ文化の基層に まで遡って探る。ローマ教皇の戦争責任を追及した点では、 貴重な書物といえよう。皮肉なのはどちらかといえばドイツ 同盟国の方がよほど一生懸命ユダヤ人を守ろうとしたこと だろう(イタリアやハンガリー、そして日本)。いくら善人面して いても国際社会が全く自分達を守ってくれず、常に迫害されて きたユダヤ人が今異常なまでに他人の言うことを聞かない のもむべなるかな。 著者略歴 1942年生まれ。上智大学文学部史学科卒業、同大学院 西洋文化研究科修士課程修了。ドイツ・ヴュルツブルク大学 に留学し、同大学より神学博士号を受ける。専攻は古代 教会史、ドイツ・ユダヤ人史。
>>784 >おまえの現実認識はあくまで間違っていると思っている。
>こちらの現実認識、こちらの資料では、
>まったく違う日本をとりまくユンギアンの状況が出てくるからだ。
資料プリーズ。
ユングがナチズムに加担したということは、 あくまで林道義氏が「心の不思議を解き明かす」で その説に異を唱えている。 ユングは直接の関係が無いし、 まったく責任がないということだ。
C.G.ユングの『心理療法論』の「6.ナチズムと心理療法」。 この論文は、ユングが、ナチスに加担しているという批判を 受けたことに対し、それが全くの誤解であることを主張した ものである。 ユングによれば、心理療法の世界を守るためには必要以上 に政治的な反抗をすることは無益であり、また、ユダヤ人の 特質を述べることが、それだけで差別になるわけではない のだと主張している。
> 宗教改革の導き手であるマルチン・ルターまでもが、
> ユダヤ人迫害に手を染めていったことは、あまり知ら
> れていません。
> 反ユダヤ主義が頂点に達したのがホロコーストですが、
> ナチス・ドイツは、ルターがユダヤ人に対して用いた
> 反ユダヤ神学をそのまま用いました。
> ナチスの兵士たちは、日曜日に教会に出席し、午後は
> 制服に着替えてユダヤ人を虐殺していました。
http://www.bfpj.net/about_israel_anti.html
790 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/13(水) 21:33:27
相変わらずだねえ。大丈夫?仕事順調?墓石屋さん。
ちなみに、第二次世界大戦終結後、ユングは「カスタロ フィーのあとで」って言う論文を発表して、その中で自身 とナチズムの関係について完全に否定し、「ナチズムを 生み出した責任はドイツ人全体にある」と言っている。
>>787-788 だから、再度繰り返すが、
それは、おまえが参照している文献の内容が古い。
エレンベルガーの『無意識の発見』が書かれた頃の認識に留まっている。
今は、ユングについての新証言、新研究などがどんどん出てきていて、
ユングの弁明をそのまま信じていいかどうか、ユング派の内部からも疑問が出されているのだ。
その資料の一部は、すでに紹介したはずだ。(
>>656 )
参照している資料が古いから、認識が今の現実とずれているのさ。
このことは一度説明したはずなんだけどね。(
>>657 )
ユングとナチスの問題については、 ユング派資格者の公式の国際組織IAAPが1989年にパリで行った 国際シンポジウムの企画のなかでも論じられている。 論文集『Lingering Shadows』も、そうした流れの中で出てきたものだし、 その論文集も、今はペーパーバックの普及版として入手できる。 おまえの理屈で言えば、こうした研究に参加しているユング派分析家たちは みな「変態趣味でフェティシズム的」な人たちなわけだ。w ユング派分析たちが自ら研究を進め論じているようなことなのに、 それを「たいしたことじゃない」と勝手に決めつけているのはおまえだけ。 身近な日本のユンギアンしか見てないから、それがわからない。
ちなみに、マルチン・ルターは、ドイツ人。 ちなみに、ユングは、スイス人(中立国)。 ユングは「ドイツ人じゃない」のだ。スイスは中立国である。 スイスは、ナチス・ドイツとは「中立」の立場でなければ ならないし、中立国としては、「中立」であたりまえなのだ。 ドイツが他国である以上、ユングの心理学の生まれた 風土を考えるにしても、ドイツから考えるのはズレている。 スイスはドイツとは国自体が違うんだから。 ユングが初期に発表した分析を、現在の時点から振り 返って、「楽観的にすぎた」と責めることはあまり意味が ない。四方田犬彦の言うように、「両者が相互に認めあ ったことを意味しているわけではない」だろう。
>>793 >おまえの理屈で言えば、こうした研究に参加している
>ユング派分析家たちはみな「変態趣味でフェティシズム
>的」な人たちなわけだ。w
そのとおりだ。
なぜなら、『ローマ教皇とナチス』とかの研究を知ってしまうと、
まったくユングとの関連性などが瑣末に思えるからだ。
実際、ナチスだけ調べれば、ユングなんかめったに出てきや
しない。
>>794 国境での区分など意味がない。
国は違えど、ユングはドイツ語圏文化を共有していた。ここが重要。
ユングがその体系を作り上げる際に参照している文献には、
ゲルマン霊性運動、ドイツ民族主義などの思想的背景を持ったものが多いことは
すでに研究者から指摘されている。
ユングは、アーリア人としてのアイデンティティを強く持って、
こうした思想的背景に共感していたのだ。
それに、ユングがスイス人であることを強調するのは、
「ナチスはドイツがやったこと。スイス人たる私には関係ない」と
言いたいがためだったのでは、という指摘もある。
俺はユングの失敗を責めているわけではない。
むしろ、その失敗の意味を深く受け止めようとしないユングシンパを
俺は批判しているんだよ。
>>795 そういうのを「開き直り」と言う。
より大きな問題があるなら小さな問題なんか些末なこと、
問題にしなくても構わない、というのは
まさに修正主義としか言いようがない主張だ。
ユングは政治家でも社会運動家でもないのだから、通常のナチス研究に
ユングの名前が出てくることがあまりないのは当然。
しかし、精神医学などの各論に的を絞れば、話は別だ。
しかし、よくそこまで真摯な研究家たちを侮辱できるな。
呆れてものが言えないよ。
>>793 ユングを、宗教の教派とは考えない。
あくまで臨床にそって改良されたり取り入れられたり
するべきリソースでありメソッドだろう。
つまり、ユング派にはベクトルが違うものがあるし、
おのおの個性があっていい、と考える。
ユング派でも、ユングとはもはや対立するほどに、
根本的に違うものもある。
つまり、ユングを背負うつもりはないということだ。
>>798 だったら、共時性についても
違う考え方を持ったユング派を排除するようなことをするなよ。
>>796 >国は違えど、ユングはドイツ語圏文化を共有していた。
>ここが重要。
重要なのは「ドイツ人のプロテスタント改革のルター」の
「反ユダヤ主義」を「ナチスが取り入れた」ことだろうが・・・
わざとやってるのか?プライオリティがあべこべだろ。
>「ナチスはドイツがやったこと。スイス人たる私には関係
>ない」と言いたいがためだったのでは、という指摘もある。
実際、関係がないのだから、仕方ないだろう。
>俺はユングの失敗を責めているわけではない。
当然だ。責めるべきほどの失敗が出てこないからだ。
>むしろ、その失敗の意味を深く受け止めようとしない
>ユングシンパを俺は批判しているんだよ。
むしろ、『ローマ教皇とナチス』を深く受け止めている。
>>799 >違う考え方を持ったユング派を
>排除するようなことをするなよ。
排除しているのは、あんたのユング派を利用するその
態度なりあんただけだ。それにこっちが排除しようが、
ユング派には影響しない。つまり、ユング派に指示できる
という幻想を排除している。ここはあくまでネットであって
アマチュアとして気張らないでやるべきものだからだ。
ユングに不利益になる、なんらかのプロパガンダに
関わるつもりはない。
>>799 気張った傲慢的な人間が嫌いだと言うことだ。
そういう硬直した人間にたいして、
自ずから反応しているだけ。
あんた自身に原因があると思っておいたほうがいい。
>>800 >「反ユダヤ主義」を「ナチスが取り入れた」ことだろうが・・・
その「反ユダヤ主義」に、ユングも共鳴するところがあったわけだ。
これは否定できない事実。
プライオリティどうこうでこの事実は変わらない。
>実際、関係がないのだから、仕方ないだろう。
ナチスシンパだった、という事実があるけどな。
その事実を隠すために、スイス人であることを強調したということだ。
>当然だ。責めるべきほどの失敗が出てこないからだ。
ナチスシンパだった、というのは本来、充分以上に責められるべき問題だよ。
実際にあったナチスの暴力を指摘しても、信じさえしなかったんだから。
>むしろ、『ローマ教皇とナチス』を深く受け止めている。
それはその問題。
ユングとナチスとの関係には、それこそ関係ない。
>>801 >つまり、ユング派に指示できるという幻想を排除している。
こっちだってそんな幻想は持ってない。
ただ、事実ではない主張、排除的な主張に対しては、
資料の裏づけをもって批判していくだけだ。
>ユングに不利益になる、なんらかのプロパガンダに
>関わるつもりはない。
プロパガンダではなくて、みな事実なんですが。w
きちんとした資料の裏づけがある、ね。
>>802 自分の行動の責任を、他人におわすなよ。
自分はもっと気張らない板に書き込んでいるし、 気張った人以外に対しては、 あまり気張っていないということだ。 そういう意味ではここは人が不器用な人が多い。 そこにナチス的なものを感じてしまう。
>>803 >>むしろ、『ローマ教皇とナチス』を深く受け止めている。
>それはその問題。
>ユングとナチスとの関係には、それこそ関係ない。
この時点で、あんたの言葉には
真剣に耳を傾けるつもりはないということだ。
>ただ、事実ではない主張、排除的な主張に対しては、
>資料の裏づけをもって批判していくだけだ。
駄目だ。説得力がない。排除的な方向が違うだけだからだ。
>>804 結論から言うと、
あんたのそのしつこさにこそナチスの原因がある。
そう確信しているし、
自分でもおそろしいほど直観として自覚している。
ユングにしても、あくまで、
プロテスタント的なところが原因だということだ。
>>806 >この時点で、あんたの言葉には
>真剣に耳を傾けるつもりはないということだ。
事実に目をつぶり耳を覆う、ってことですな。
>排除的な方向が違うだけだからだ。
ひとつ聞きたいんですが、
俺が何を排除した?具体的に書いてみてください。
>>807 >ユングにしても、あくまで、
>プロテスタント的なところが原因だということだ。
要するに、ユングに原因があった、ってことじゃないか。w
>>803-804 あんたのしつこさに「引いて」しまったし、
そこにこそ狂信性を見て問題視している。
あんたがいたことで、
逆にユングが原因ではないと確信できた。
>>808 >要するに、ユングに原因があった、ってことじゃないか。w
いや違う。ナチスとユングは関係ない。
ただユングに重なるものを見たとしたら、
それはプロテスタントに原因があるということだ。
それをユングに投影している。
そういうしつこいメカニズムに、
ナチス的な力学がある。
>>809 事実を、あくまで資料の裏づけを元に主張することが
「しつこい」「狂信的」というのでは、もうね・・・
あなたが何を確信しても、事実は覆らないんだよ。
なんだか哀れになってきた・・・
>>810 あのさ、ユングの中に、実際に親ナチス・反ユダヤ感情があった以上、
それを指摘することは投影でもなんでもない。
実際にないものを「ある」というのが投影だからな。
その感情がどんな源流から来たかにかかわらず、実際にあったのだから。
>>811 だから、それがどうした?ナチスとは直接は関係ない。
プロテスタントにはルター以来、ナチスが政権を掌握すると
それに積極的に協力するプロテスタント「ドイツ・キリスト者」
が生まれた。政治分布地図を見ると、ナチス支持の多かっ
たのはプロテスタント多数の北と東で、カトリック多数の西と
南でナチスは少なかった。プロテスタントに「告白教会」
といわれた部分もあったが、反ナチを標榜するものではなか
った。ニーメラー牧師は戦後反ナチ抵抗者として英雄視
されたが、彼は実は三三年当時積極的にナチスを支持。
ヒトラーとの個人的確執のゆえに三八年に投獄はされたが、
獄中では特別優遇され、三九年には国防軍に従軍を志願
していた。
デハウの強制収用所に収監された二八〇六名の聖職者
の九五パーセントはカトリック、プロテスタントは四パーセント
だった。
>>812 >だから、それがどうした?ナチスとは直接は関係ない。
だれも直接関係があるなどとは言っていない。
親近性があると言っているだけ。そしてそれが問題なのだ。
ナチス協力者という決めつけも、ナチスとは無関係で問題なしという弁護も、
どちらも一方的で問題がある。
現代のユング派によるナチス研究は、そういうスタンスの上に成り立っている。
あんたの墓石にはその長文を刻むといい。
『第三帝国と宗教―ヒトラーを支持した神学者たち』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4938662353/ ナチスに共鳴したアルトハウスやヒルシュ、キッテル、
3人の傑出した「ルター派」の神学者が、ナチス時代に
示した思想と行動を克明に描いている。これまで十分に
認識されていなかった、「ナチスとキリスト教の癒着」を、
厳密に考証している。
これまで、つねに「告白教会」など、ナチスに抵抗した
「少数」のキリスト教徒や教会が持ち上げられる傾向が
あった。だが、「多くの」キリスト教徒と教会は、「何をした
か」ではなく「何をしなかったか」という点で、直接ナチス
の基盤を「支持した」面があった。キッテル、アルトハウス、
ヒルシュといった神学者たちは、そうした当時の状況の
「象徴的存在」になっていたことが理解できる。
これら神学者は、当時、尊敬を得ていたまともな人々で、
「それだけに」、ナチスがそれら多くの人々を魅了する
だけの政治的擬似宗教的エロスになりえた「事実」を、
膨大な資料や情報を元に、明らかにしている。
歴史的に、ルター派神学が、ドイツのナショナリズムへの
特有の甘さと弱さをもっていたことは否定できない。そこに、
「民族」が擬似宗教的実体として絶対化される危険性が
あった。
やはりナチスについては、こうした見方が多い。
そうした全体と比べると、 ユングはある種「少女趣味」的な、 とても矮小なものに見えてしまう。
というかナチス研究で調べても、 ユングはなかなか出てこないということ。 それだけでも相当脇役だとわかる。
ということでもうここにはこない。 墓石とかやたら宗教的な思考をする人が多いからだ。 そういうものが他の板とくらべても極端だなと思う。 ここの宗教性に疑問があったということかもしれない。 たぶんそうした心性こそが、 構造的になんらかの問題を孕んでいるのだろう。 それだけの極端さが他と比べてもここにあるので、 それは間違いないと思っている。 自分はその影響を受けていたということだ。 あまり教条的なものに関わるつもりもないということだ。 しなやかさがなくなってくるからだ。
よくいうぜ
結論としてはユング的でない普通の心理学を やってるらしき人には、大いに疑問をもった。 どういうわけかしなやかさがないということだ。 自分もそうしたこわばった心性に影響をうけていた。 それがなんなのかはわからない。 他の板ではまるで違うということまではわかってる。 ここはかなり均一的・同一的・同質的ということか。 行動パターンも神経質で偏執的で極端なところがある。 これからはあまり係わり合いになりたくない。 というか悪い意味では影響を受けたくないと思う。 敬してこれを遠ざける、ということだ。
こわばった心性?それは君の中にはじめからあったのだよ。 「普通の心理学をやっている人たち」に投影していただけ。 もっと言おう、教条的でガチガチなのは君のほうです。 こんな夜中まで血眼になってレスを書き込んでいたのは君。 そんなことも気が付かずによくユングを語ろうとしますね。 己の影を投影した相手との語らいを放棄すれば、更にガチガチ の教条主義者になることでしょう。 ちなみに僕はこのスレの議論には参加してませんのであしからず。
>>821 >こわばった心性?それは君の中にはじめからあったのだよ。
そうでもない。人間って相手でけっこう変わるものだよ。
>こんな夜中まで血眼になってレスを書き込んでいたのは君。
これが投影なんでは。相手がいたから続いたんだろうし。
その相手もずいぶん熱くなっているようだが。
よほど「指導好き」なのかね?
>己の影を投影した相手との語らいを放棄すれば、
こういう強迫観念はよくないのです。
不毛かそうでないか、相手を選ぶことも必要です。
>ちなみに僕はこのスレの議論には参加してませんのであしからず。
参加してます。
>>821 >こわばった心性?それは君の中にはじめからあったのだよ。
ロールプレイです。
>「普通の心理学をやっている人たち」に投影していただけ。
そうでもないですよ。ちゃんと観察したり読んでました。
>もっと言おう、教条的でガチガチなのは君のほうです。
そういう決めつけが教条的でガチガチだからでしょう。
>>821 もっと広く視野をとったらどうですか。
あなたにとってはここが「君」とか呼ぶほどに
特別なのかもしれません。
ですが、相手がそうとはかぎりません。
もっと広い世界を知っていればこそ、
また違う態度が取れるようにもなるはずです。
その意味では、ここの人は狭いですね。
どこがどうとは言いませんけれどね。
それでは。
相手に教訓やら赦しやらを与える、という発想。 他人に影やら呪詛やらを投げ込むのではなく、 自分で自分を明るくしてみたらどうですか。 それができないひとがなにをいっても説得力はない。 逆にここと他を比較することで、 他の豊かさを知り、他から多くを学んできたようです。 ここの貧しさを知って、 ほかの想像をこえた豊かさがわかった。 そういう皮肉さから、 どういうものに学ぶことが大きいかがわかった。 ここは、反面教師以外のなにものでもなかった。 こういう連中から、何かを得たという記憶もない。 本来出会わない、縁のない連中もいる。
これほどの時間の無駄もなかった。 最初から、ここから得るものもなかった。 そうした一番得たくないところに寄ってしまった と思うしかないことです。 世の中には、こういうどうしようもない連中も いるのだなと思うしかない。 他人に一定の関わりしかできない貧しい連中。 それと比べることで、他で得るものが多かった。 こうした悪口的なことで吐露するのも、 説得力のないことだが、正直な感想で事実だ。 やはり価値観の違い、相性の違いはある。 どうしようもない、得るもののない代物もある。 それはどっちに染まるべきともいえない、 どうしようもない相性だということ。 そこをお互い割り切れるか、 得るもののあるものを見極められるか、その重要性。 これが分からない限り、 そのひとの人生は限りなく貧しいものになる。 そういう意味では精神の貧しさとはなにか、 考えさせられたし、相性のなかで、 それを共有する気も失せることだった。 やはり、敬して遠ざける、そういうものはある。
相性の悪い人とは無理して付き合わないことです。 自分に言い訳して、自分に嘘付いて、 そうやって付き合ってもどこか無理がくる。 義理や義務で関わらなければならない関係ではない。 そうすると結局、自分が消耗するだけ。 つねにそこに疑問が沸いたら、ほかと比べて、 相手の呪詛に飲み込まれないようにする。 結局、それは相性の問題でしかないということ。 相互無視しかない。相手を選ぶことです。 話してもまったくしょうがない相手というのはいる。 そういう自分にとっては得るもののない相手には、 やはり得るものがないと正直であるしかない。 うまく相手の価値観に丸め込まれてしまうと、 それが合わなければ、あとでどこかで無理が来る。 時間の無駄になる。そういうものは けっこう比較してみると、あるものだということ。 そういう意味では世界は広いところもある。 だから自分から付き合うべきか選ぶことです。 相性が合えばそれがぴったりだということ。 そしてここは自分の相性ではなかったということ。 それ以上でもそれ以下でもない。 結局、その割り切りがすべて。
そういう意味では、ここは人をだめにするような だめな人が多いので(それをどう説明しても伝わらない だろうからあきらめているが)、 心理学そのものに直接関係しないだろう人は、 ここの人たちに染まらないほうがいい。 ここは特殊、文化がほかと比べればね。 自分はここで敬して遠ざけるのみ。 あまりにもある意味で型にはまった不器用な人が多いので、 自分の感覚が狂ってしまう。 こういう相性の違いというのは恐いものだと思う。 これはなんと言われようと、相性の違いでしかない。 自分はそれよりも「わかる」ところがあるということ。 均一で集団的なものだからといって、 その場に飲み込まれて、はぐらかされたりしてはいけない。 やっぱり他で調子を変えて書けば、まったく違うのだから。 自分の感覚がおかしいというわけではない。 もし、ここしか見ていないとしたら馬鹿を見た、 なんてものはけっこうあるものなのだ。 こういうことはほんと勉強になる。 ではこれで。
自分はここではここでの あえてこういうスタイルだけに制約していただけ。 それまでほかでずいぶん読みもすれば、 ほかでずいぶん書きもした。 そういうことが見えないと、 こっちの感じるくだらなさが分からないということになる。 そういう意味では不誠実なところは謝りたい。 自分はここは片手間でしかなかった。 どうしてもそれが分からない人もいるようだ。 もうわずらわしいので、これっきりの縁になる。 特にここに思い入れは、なかった。 ずいぶんないいようかもだが、 比較文化研究みたいなものだった。 自分の事の反映を書いていたわけではないということ。 誰だってそこまで真面目な人もいないだろう。 えてして他人はそうだと思うのかもしれない。 そういうことの幻想性、媒体的な虚構性も感じた。 これも漠然と書いているだけで、 ここでは伝わることを意図しているわけでもなし。 誰しもほかはほかであるもので、 こうしたわずらわしいことに関わってしまうこともある。 それはそれで大して気にも留めないことだ。 いちいちわずらっていたらやってられないことで、 白昼夢のようなものでしかない。 しかしときにひとは、あるもののタイミングで、 そこに過剰な文学性を見出すこともあるということ。 そして、それに巻き込まれてしまうこともある。 それだけのこと。 それではこれで。
んー、ユングでナチスとか言っているそいつも、 ちと神経症すぎるな。 例えばドイツや英語圏では、 ナチスの反動で血液型がタブーになっている。 けれど、日本ではタブーじゃない。 だから、分子生物学の世界では、 日本だけで血液型遺伝子の研究が進んでいるんだよ。 そうした国の文化の差異をなし崩しにした議論は、 検討外れになるし、日本ではなんの利益もないね。 日本がもつ文化の健全なところを、否定すべきじゃない。 日本のユング臨床ということを見たときも、 西洋文化圏とはずいぶん違うものであるべきだと思う。
例えば、河合隼雄の『中空構造日本の深層』によると、 スイスの「ユング研究所」に留学して、ユング派の心理療法を持ち帰ったのだが、 それを日本人にあてはめてみると、肝心のところがまったくあてはまらなかった。 そこで、日本人の心の深層構造は、西洋人とはどこが異なっているのか、 日本の文化、日本の神話を探っていくことになった。 例えば『古事記』では、中心にいるはずの神が、 神話の中で、ほとんど無為の存在としてしか語られない。 神話だけではなくて、神社もそうなっている。 中心に行けばいくほど、何もなくなっていく。 中心の、魂匣を開けると、大抵は何も入っていない。適当な代替物しか入っていない。 鏡も反射するだけで、神という実体はない。 そもそも日本の神々は常住しない。どこからかやってきて、どこかへ帰っていく、 訪問するだけなのだ。 日本の深層は、中空構造で、多中心構造でもあるともいえる。 中心はうつろで、うろつきまわる。 中心はたしかに穿たれてはいるが、そこは複合的なのだ。
>>831 別に、日本のユング臨床も海外と同じであれ、と言っているわけではないよ。
ただ、ユングの中に、ナチスに親近する部分が実際にある以上、
それを自覚的に理解しないままユングを導入することには危険もあるだろう。
それだけのことだ。
英語圏では、ユングの理論のどの部分がどうナチスに結びついたのか、
詳細に検討しているユンギアンの研究だってある。
そういう研究を知って、プラスになることはあってもマイナスになることは決してないし、
それで健全さが損なわれるということもないだろう。
ちなみに血液型の例で言うと、
確かに日本ではタブーにならなかった分、血液型の研究は進んだかもしれない。
しかし同時に、血液型性格判断の流行という厄介な副産物も生み出しているわけだ。
血液型の問題が海外でタブーになった経緯を知り、
血液型性格判断が偏見に結びつく可能性があることを自覚する。
これはむしろ今の日本にとって必要なことではないだろうか?
河合は、日本が中空構造なのを認め、その特徴をこう説明する。 その中空の空性は、エネルギーが充満したものとして存在する。 相対立するものや矛盾するものを、あえて排除せずに共存する。 無であって有であるべきで、その中空が文字通りの無いものだと、 全体のシステムはきわめて脆弱なものとなる。 河合は、このような洞察のうえで、 日本人がその中空構造に気がつかなかったり、 そこにむりやり父性原理をもちこもうとすることに警鐘を鳴らしている。
>>833 >しかし同時に、血液型性格判断の流行という
>厄介な副産物も生み出しているわけだ。
一般の世間の人は厄介とは感じていないかもしれない。
軽妙な会話の潤滑剤として機能しているかもしれない。
>血液型性格判断が偏見に結びつく可能性があることを自覚する。
ユングへのナチス関係の偏見のほうを自覚することだ。
>>835 >一般の世間の人は厄介とは感じていないかもしれない。
> 軽妙な会話の潤滑剤として機能しているかもしれない。
だから問題なんだろ。偏見が当たり前のように保持されていくわけだから。
実際に、厄介と感じている人もかなりの数いるからこそ、
血液型を取り扱う番組に対して抗議が集まったりするわけだから。
>ユングへのナチス関係の偏見のほうを自覚することだ。
客観的な資料に基づく知見は、偏見とは言わない。
>>833 >確かに日本ではタブーにならなかった分、血液型の研究
>は進んだかもしれない。しかし同時に、血液型性格判断の
>流行という厄介な副産物も生み出しているわけだ。
なんにでもいえることだ。
脳の研究が進んでも、脳科学者自身がゲーム脳だの、
脳信仰だの、自分の利益で副産物は生み出されるものだ。
>>836 >実際に、厄介と感じている人もかなりの数いるからこそ、
>血液型を取り扱う番組に対して抗議が集まったりする
>わけだから。
血液型占いとは一概に比較できない。
そもそもが血液型遺伝子の研究の話だったわけで、
いつのまにか「議論のすり替え」になっている。
>客観的な資料に基づく知見は、偏見とは言わない。
だから、ナチスとプロテスタンティズムによる知見も、
ユング以上に認識するべきだろう。
>だから問題なんだろ。偏見が当たり前のように保持されて
>いくわけだから。
だからユングへの過剰なナチスとの関連性の強調こそが
偏見の保持にあたるだろう。
>>837 >>815-817 と同じ人か?
「もっと悪いことは他にもある」「同じようなことは他にもあるよ」
という言い方で、問題の重要性を相対的に薄め、
「問題にするほどたいしたことではなかった」と結論づける。
こういう態度は、歴史学では修正主義と呼ばれているが、
あなたはまさに、ユングに対する修正主義そのものに陥っているだろう。
いずれにしても事実は、ユング自身の内にナチスとの親近性があったこと、
ユンギアンたちも、その点について自ら引き受けて研究を重ね、
「ナチス加担者だから駄目」あるいは「ユングは全くの潔白」のような極論を排しつつ、
様々に広く柔軟に考えてきているということだ。
このへんは、すでに取り上げた客観的な資料からも明らかなわけで、
偏見でもなければ恣意的な解釈でもない。
いずれにしても、 河合は、日本が中空構造なのを認め、その特徴をこう説明する。 その中空の空性は、エネルギーが充満したものとして存在する。 相対立するものや矛盾するものを、あえて排除せずに共存する。 無であって有であるべきで、その中空が文字通りの無いものだと、 全体のシステムはきわめて脆弱なものとなる。 河合は、このような洞察のうえで、 日本人がその中空構造に気がつかなかったり、 そこにむりやり父性原理をもちこもうとすることに警鐘を鳴らしている。 臨床に関わるなら、 日本人にはそのままあてはまらないことを認識することも大切。
>>840 それは、「日本人がユングとナチスの問題について考えなくていい」理由にはなっていないが?
>>839 >「もっと悪いことは他にもある」「同じようなことは他にもあるよ」
>という言い方で、問題の重要性を相対的に薄め、
>「問題にするほどたいしたことではなかった」と結論づける。
>こういう態度は、歴史学では修正主義と呼ばれているが、
ちょっと疑問。
むしろ、あんたのバイアスを修正しているように思えるが。
自分もナチスとそこまでユングが関係するとは思わない。
むしろプロテスタンティズムの神学との関連が深いし、
ナチス研究でも、ユングというのは出てこないので、
ちょっと疑問があった。
>>839 >ユング自身の内にナチスとの親近性があったこと、
ユングというより、プロテスタント神学とナチスとの親近性が
あったのが事実だよ。問題を取り違えている。
ちなみにユングはヒトラーとはまったく関わってない。
ホロコーストはやっぱり反ユダヤ思想との関係なんだ。
これまで見ているだけだったけれど、
その点で、あなたの強情さにはちょっと疑問ありよ。
>ユンギアンたちも、その点について自ら引き受けて研究を重ね、
>「ナチス加担者だから駄目」あるいは「ユングは全くの潔白」
>のような極論を排しつつ、様々に広く柔軟に考えてきているということだ。
ところで、あなたはユンギアンのなんなの?
そんなに必死になることもないと思うのだけど。
柔軟になれ!と思想家みたいに叫んでいて矛盾している。
ユングとナチスの関係は日本のユンギアンは疑問を呈してて、
臨床となるとまったく考えていないのが実態よ。
それでこれまでもうまくまわっていたんだから。
あなたよりももっと柔軟にユングも技法のひとつとして
取り入れているにすぎないと思う。
あなたのような人が、ユンギアンを代弁されても困るのよ。
>>842 >自分もナチスとそこまでユングが関係するとは思わない。
「関係」という言葉をどういう意味で使っている?
まさか、俺が「ユングはナチスに政治的に加担した」と言っているとでも思っている?
この主張に関しては、これといった明白な証拠はなく、
今の時点では、研究者の中でも悪質な偏見とされているんだよ。
政治的に加担したわけじゃないんだから、
通常のナチス研究を見ても、名前が出てこないのは当たり前だ。
ユンギアンたちが問題にしている関連というのは、そういうことではない。
問題になっているのは、あくまでもユングとナチスの思想的な「親近性」。
両者の思想や発想の中に内在する親近性のことであって、
それがユングを一時期ナチスへ向かわせ、心情的にも共感させた。
ユングの思想を受け継ぐものとして、ユンギアンたちはそこに敏感になっているんだよ。
何度も言うが、
「ナチス加担者だから駄目」あるいは「ユングは全くの潔白」という、
両方の極論を排するところに、ユンギアンのナチス研究は成り立っている。
>>844 >ユンギアンたちが問題にしている関連というのは、そういうことではない。
>問題になっているのは、あくまでもユングとナチスの思想的な「親近性」。
>両者の思想や発想の中に内在する親近性のことであって、
>それがユングを一時期ナチスへ向かわせ、心情的にも共感させた。
そしてその自体のプロテスタント神学者の多くもなびいた。
それはルター派のプロテスタント神学のこと。
ユングもプロテスタントの父親の影響があったんでしょ。
問題があるとしたら、プロテスタントそのものね。
>>842 >ユングというより、プロテスタント神学とナチスとの親近性が
>あったのが事実だよ。問題を取り違えている。
だから、そういう源流から来ていることも含めて、
ユングの中にはナチスとの思想的な親近性があったんだろ?
>あなたのような人が、ユンギアンを代弁されても困るのよ。
代弁も何も・・・
ユンギアンたちは自ら、ユングとナチスの親近性を認め、研究をしている。
それが現実だよ。俺が代弁しようとしまいとね。
>>844 >ユンギアンたちが問題にしている関連というのは、そういうことではない。
>問題になっているのは、あくまでもユングとナチスの思想的な「親近性」。
>両者の思想や発想の中に内在する親近性のことであって、
>それがユングを一時期ナチスへ向かわせ、心情的にも共感させた。
その時代のプロテスタント神学者の多くもなびいた。
それはルター派のプロテスタント神学のこと。
ユングもプロテスタントの父親の影響があったんでしょ。
でもユングはスイスにいたし、
対岸の火事程度にしか、受け止めてなかったのよ。
問題があるとしたら、プロテスタントそのものね。
>>845 、
>>847 ユングのナチスへの親近性の源流は、プロテスタント神学というよりも、
ドイツ民族主義やゲルマン霊性運動のほうにより多く負っている。
ユングの蔵書リストの研究などからも、このことは支持されている。
プロテスタント神学という、単一の原因に帰するのは強引すぎ。
そもそも、プロテスタント神学→ユングという道筋というのは
資料的にどこまで実証されているの?
それにナチス自体、単一の現象ではなく、複合的な現象であるというのが
歴史家の一般的な見方のはずだ。
>>848 ナチス・ドイツの宗教政策ですが、
ナチス党の主流、つまり「ヒトラーの政策」では、
キリスト教を廃止しようとはしませんでした。むしろ、
キリスト教の中に潜在的にあるミトラ教の要素を強め、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ドイツ帝国教会という形になりました。
一方、キリスト教に替わる独自のゲルマン宗教を
確立すべきだという派もあり、
それにユングも興味を示したのかもしれませんが、
これはヒトラーの受け入れるところとはなりませんでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ユングは、誰かも言っていたかもしれませんが、
少女趣味みたいなところもあり、まったく異質でした。
>>849 意味がわからん。
なんの反論にもなってないけど?
>>848 ナチスに共鳴したアルトハウスやヒルシュ、キッテル、
ドイツから生まれたプロテスタント、ドイツ人ルターの
ルター派の神学者が、ナチス時代に思想と行動を示しました。
『第三帝国と宗教―ヒトラーを支持した神学者たち』では、
これまで十分に認識されていなかった、
ナチスとキリスト教の癒着を、厳密に歴史考証しています。
多くのキリスト教徒と教会、特にプロテスタントが直接、
ナチスを支持した面がありました。
彼ら神学者たちは、そうした当時の状況の、象徴的存在でした。
ナチス・ドイツは、ルターがユダヤ人に対して用いた
反ユダヤ神学を、そのまま用いました。
ナチスの兵士たちは、日曜日に教会に出席し、
午後は制服に着替えて、ユダヤ人を虐殺していました。
これら神学者は、当時、尊敬を得ていたまともな人々で、
それだけに、ナチスがそれら多くの人々を魅了するだけの
政治的擬似宗教的エロスになりえたのが、事実でした。
歴史的に、ドイツ・ルター派神学が、ドイツのナショナリズム特有の
甘さと弱さをもっていたことは否定できなく、そこに、
「民族」が擬似宗教的実体として絶対化される危険性がありました。
その歴史的証拠に、 デハウの強制収用所に収監された2806名の聖職者、 その95パーセントがカトリックでした。 プロテスタントはほとんどいなかった。 プロテスタントのニーメラー牧師も、 戦後反ナチス抵抗者として英雄視されましたが、 その後のナチス研究では、 当時積極的にナチスを支持していたことがわかりました。 獄中では特別優遇され、国防軍に志願するほどでした。 「告白教会」といわれた部分もありましたが、 反ナチスは標榜しませんでした。 ドイツ生まれのプロテスタントにはルター以来、 ナチスが政権を掌握するとそれに積極的に協力する、 「ドイツ・キリスト者」が生まれました。 政治分布地図を見ても、 ナチス支持の多かったのはプロテスタント多数の北と東で、 カトリック多数の西と南ではナチスは少ないものでした。
>>848 ところであんたはなに研究家なんだ??
それが一番疑問だ。
アマチュアにしても、きな臭すぎる。
そういうポリティカルな議論がしたいのか?
どんどんこのスレおかしくなってんぞ。
ユング愛好家が話してただけでそ。
なんか、無粋で、ケツの穴が小さい男が、やりあってるだけって感じ・・・・どっちもどっち もっとおもしろいことみつけたら?
>>852-853 それは分かったが、だからといって
「ユングとナチスに親近性がある」という事実は変わらないんだけど?
>>854 だから、俺だってユング愛好家だよ。
俺の書いていることなんて、
普通に手に入るユング関連の本を、普通に読めば書いてある程度の話だぞ?
>>855 実は女だったりしてね。w
>>856 >だから、俺だってユング愛好家だよ。
ユングのどこか好きで評価しているの?
日本のユング派でもどの人を支持しているとか。
それがないと生産的な話にはならないわな。
あんたの言っていることって、
ユングをとりまく雑多な情報しかでてこない。
ユングの中身について生産的に話してない。
>>856 親近性といってもそれこそオカルト的思考だわな。
直接の因果関係がないし、
そうやってなんでも親近性で片付けられたらねぇ。
ユング派の精神分析に疑問を呈する立場なら、 そもそもその親近性の根拠に疑問が出てくる。 実際、フロイト的な精神分析家は、 ナチスを分析するとき、ユングなんか出さない。 日本のユンギアンも、 プロテスタント的背景を分析することはあるけどねえ。 そういうもっと引いた相対化する視点も必要なのでは。 ユングマニアだからこそ、西洋の一般書ばかりに偏って、 盲目的になることもある。
>>857 ユングのどこが好き?
まあ、それはいろいろとしか言いようがないよ。だから愛好家なんだろ?
個人的に、日本のユング派で注目しているのは、老松克博先生。
サトル・ボディ、アクティヴ・イマジネーションの技法、
「クンダリニー・ヨーガの心理学」の新訳にノルの翻訳などなど、
今まで日本のユング派があまり正面切ってやらなかった仕事をしていると思う。
それと、ナチス関連の情報が、
本当にユングにとって「雑多な情報」にすぎないかどうかについては、
まだ保留しておいたほうがいいと思うけどね。
>>858 だから、せめて論文集『Lingering Shadows』一冊でもいいから読んでみなって。
資料の裏づけによるしっかりとした研究にもとづいて、
ユングとナチスのどこに親近性があるのかを考えているから。
人は何でも親近性に原因なり理由を求める。 それは一昔前だったら、 「前世で悪い事をしたから…」「狐に…」云々と 言ったものだったのかもしれない。
>>860 ユング愛好家って、
みんなあんたほど余裕なさげな脂っこい性格なの?
あんたのせいで、
ユングにハマる人ってみんなこんな人なのかって、
すごくイメージ悪くなったんだけど。
なんでも陰謀史観っていうの?
なんでもオカルト的に説明しようとするのって、
バランス的におかしいところがあると思う。
>>859 >ユング派の精神分析に疑問を呈する立場なら、
>そもそもその親近性の根拠に疑問が出てくる。
今ひとつよく分からない。
ユング派の精神分析に疑問があるかどうかに関係なく、
親近性の根拠というのは、ユングについての綿密な資料研究で
判断されるものじゃないの?
>>861 でもって、往々にして、
「前世や狐のせいであって、あなたのせいではない」
となってしまったりするわけだよ。
しかし、その前世だの狐だのの正体は、要するにその当人そのものなのさ。
プロテスタントの背景のせいであってユングのせいではない、とかも同じでしょ?
>>862 誰も陰謀史観なんか言ってないし、
オカルト的ではなく資料に基づいた話を言っている。
>>863 >プロテスタントの背景のせいであってユングのせいでは
>ない、とかも同じでしょ?
全然違うと思うが。
チミの話は論理のすり替えが多いと思う。
思い込んだら一直線って感じ。
>>863 >誰も陰謀史観なんか言ってないし、
>オカルト的ではなく資料に基づいた話を言っている。
でもナチス研究では、ユングなんかあまり出てこない。
戦争責任でも、全然違う人が出てくるな。
>>863 >親近性の根拠というのは、ユングについての綿密な資料研究で
>判断されるものじゃないの?
親近性があるから親近性があるという、
視野狭窄なトートロジーに陥りやすいとはいえるが。
この手の、誰が悪い的な本というのは、
たくさん出ているものなのだ。
それを見分けるには、もっと幅広い資料が必要となる。
そうしたときナチス研究そのものに当たることになる。
そうすれば、ユングが出てこないことが分かる。
>>864 どう違うの?
どんな背景を持っていようと、
それを元に
>>656 みたいな言動を取ったのは、あくまでユングなんだよ?
他の誰でもなくてね。誰に強制されたわけでもなく。
>>865 >>844 もう一回読め。
誰もユングに「戦争責任がある」なんて言っていない。
そもそもそんな話ではない。
>>867 >それを元に
>>656 みたいな言動を取ったのは、あくまでユングなんだよ?
言動をとるだけで親近性というなら、
ドイツ人はみんなそういう言動を取っていただろうね。
プロテスタント神学者もそう。
誰に強制されたわけでもなくね。
そういうこと。
>>866 >誰が悪い的な本というのは、
こっちの書いていること読んでる?
というか、問題となっている資料も読まないで「誰が悪い的な本」と決めつけるなよ。
そもそも、「誰が悪い」なんて話ではないの。戦犯探しではない。
もちろん、ユンギアンもそんなスタンスで
ユングとナチスとの関連を研究はしているわけではない。
そこを根本的に勘違いしてるな。
大声で言っておこう。
「ユングが悪い」と言いたいのがこちらの目的ではない!!!
ユングの中に、期せずしてナチスに接近するような要素があるのなら、
それはいったい何で、具体的にどういう経緯があって、
それがユングの理論の中に影を落としているのなら、そこをもっと自覚して
ユングの継承者たるユンギアンたちが、誤りに陥ることのないようやっていこう。
こういう問題意識を持って、ユンギアンたちはユングとナチスの問題に取り組んでいるんだよ。
ユングのナチズム加担疑惑については、 林道義の「心の不思議を解き明かす」という本で その説にしつこく異を唱えている。 それに納得する。
>>869 >ユングの中に、期せずしてナチスに接近するような要素があるのなら、
>それはいったい何で、具体的にどういう経緯があって、
>それがユングの理論の中に影を落としているのなら、
>そこをもっと自覚して
>ユングの継承者たるユンギアンたちが、
>誤りに陥ることのないようやっていこう。
>こういう問題意識を持って、
>ユンギアンたちはユングとナチスの問題に取り組んでいるんだよ。
それがプロテスタント神学という要素だと思う。
影を落としているとするならそれだろう。
林道義の「心の不思議を解き明かす」という本でも、
プロテスタント的な背景であるとし、
それをユング心理学で分析している。
他のナチス研究でも、プロテスタントという視点である。
>>868 >言動をとるだけで親近性というなら、
そんなこと言っていないっての。わざとねじ曲げて読んでるのか?
親近性というのは、あくまで資料的研究によって示されるもの。
言動もひとつの資料だが、ひとつの資料だけで決められるものではない。
こっちが言っているのは、そういう言動をしてのがあくまでユングである以上、
その言動は本人の問題であって、他の誰かの責任ではない、ということ。
>>870 その本が参照している資料は、今では少し古い。
新資料がいろいろ出てきているので、必ずしも当てはまらない。
>>871 >林道義の「心の不思議を解き明かす」という本でも、
>プロテスタント的な背景であるとし、
>それをユング心理学で分析している。
おいおい、本をいいかげんに読んではいかん。
それは、ナチスという現象の分析についての話だ。
ユングがナチスに対して感じた親近感を、それで説明しているわけではない。
というか、そういう親近感の存在という事実は、その本には載っていない。
林道義氏の「心の不思議を解き明かす」によると、 > ナチスが出てきた背景としての、 > ドイツ国民の心理的基盤の一面性について考えるに、 > 第一次大戦が終わった後の精神状況が関係している。 > 同時に、その前後を通じて存在している一面性も > 合わせて考えなければならない。 > まず、戦争前後のドイツ国民の精神構造の特徴は何かというと、 > 1.啓蒙主義 2.キリスト教 3.劣等感 > であった。理性中心のプロテスタンティズムの信仰というのは、 > 思うにもともと好戦的なゲルマン民族のもつ精神的構造の偏り > から自然選択されてきたものと言えなくもない。
>>872-873 ナチスに共鳴したアルトハウスやヒルシュ、キッテル、
ドイツから生まれたプロテスタント、ドイツ人ルターの
ルター派の神学者が、ナチス時代に思想と行動を示しました。
『第三帝国と宗教―ヒトラーを支持した神学者たち』では、
これまで十分に認識されていなかった、
ナチスとキリスト教の癒着を、厳密に歴史考証しています。
多くのキリスト教徒と教会、特にプロテスタントが直接、
ナチスを支持した面がありました。
彼ら神学者たちは、そうした当時の状況の、象徴的存在でした。
ナチス・ドイツは、ルターがユダヤ人に対して用いた
反ユダヤ神学を、そのまま用いました。
ナチスの兵士たちは、日曜日に教会に出席し、
午後は制服に着替えて、ユダヤ人を虐殺していました。
これら神学者は、当時、尊敬を得ていたまともな人々で、
それだけに、ナチスがそれら多くの人々を魅了するだけの
政治的擬似宗教的エロスになりえたのが、事実でした。
歴史的に、ドイツ・ルター派神学が、ドイツのナショナリズム特有の
甘さと弱さをもっていたことは否定できなく、そこに、
「民族」が擬似宗教的実体として絶対化される危険性がありました。
>>971 >それがプロテスタント神学という要素だと思う。
>影を落としているとするならそれだろう。
まあ、そういう要素があることは否定しないが、それが全てでもない。
少なくとも、そういう単一の話ではないだろう。
そのへんを詳しく見ていくのが、
むしろユンギアンたちの研究の目的でもあるのだ。
その歴史的証拠に、 デハウの強制収用所に収監された2806名の聖職者、 その95パーセントがカトリックでした。 プロテスタントはほとんどいなかった。 プロテスタントのニーメラー牧師も、 戦後反ナチス抵抗者として英雄視されましたが、 その後のナチス研究では、 当時積極的にナチスを支持していたことがわかりました。 獄中では特別優遇され、国防軍に志願するほどでした。 「告白教会」といわれた部分もありましたが、 反ナチスは標榜しませんでした。 ドイツ生まれのプロテスタントにはルター以来、 ナチスが政権を掌握するとそれに積極的に協力する、 「ドイツ・キリスト者」が生まれました。 政治分布地図を見ても、 ナチス支持の多かったのはプロテスタント多数の北と東で、 カトリック多数の西と南ではナチスは少ないものでした。
コピペいいかげんにやめたら?
ユングにナチスを結びつけるのほうが 不毛だしやめたほうがいいと思う やっぱりそんなにユングは関係していない
>>879 そういうことは、ユンギアンたちの新しい研究に目を通してから言ってくれ。
具体的には?
>>881 リチャード・ノル『ユング・カルト』
”Jung and the Shadow of Anti-Semitism”
Samuels ”Polytical Psyche”
まずはこのあたりを共通の叩き台にしないといけないかもな。
憶測で「誰が悪い本」とかにされてしまっては話にもならない。
>>876 >まあ、そういう要素があることは否定しないが、それが全てでもない。
否定しないどころの要素でもないと思うけどねぇ。
あんたの誠実性を疑うよ。
プロテスタント神学者の影響も大きいはずだが、
それは無視できないくらい大きいはず。
影響はユングなんかよりよほどね。
ユング愛好者でもないし、ユングには関心が無いのだが、
その点で、あなたの無粋なところには疑問あるよ。
他人を批判するんではなく、
そういうものは自分で示すものだよ。
>>882 あなたが言うとおりそれはユンギアンたちの本なの?
ユング派の資料を出したほうがいいはずだけど。
>>883 >それは無視できないくらい大きいはず。
無視するとも大きくないとも言っていない。
「それが全てでもない」と書いてあるだけだ。
普通に読めば分かるはずだが?
>>885 それがすべてではないがユングよりは大きいよ。
>>884 ”Jung and the Shadow of Anti-Semitism”は
ユンギアンたちの論文集だよ。
Samuelsに到っては、ユング派分析家の中でも大物中の大物だ。
知らないの?
ノルは正確にはユンギアンではないが、
明確にユング批判にまわる前の頃は、
ユンギアンのなかでも評価の高く、ユング派の雑誌にも論文が掲載されていた。
いずれにしても、ユングへの批判的研究の口火を切った本で、無視できない。
>>886 その大きなものを抱えていたことが、ユング自身の問題だってことだろ。
>>876 君はもう、道を外れている。
それがどうしてかは自分で気付くしかない。
君は言葉ではまともなユング愛好家を気取るが、
典型的なユングマニアの悪い面にハマっている。
はたして”正しければどんな態度だっていい”のかな?
君自身がそれじゃ、誰も心を打たないし、
説得されなくて当然だよ。
>>886 何かひとつ勘違いしているようなので言っておくと、
ここで問題になるのは、あくまでユング自身の言動、あるいはユング心理学の理論に与えた影響だ。
社会や、実際のナチス政権に与えた影響の度合いの話ではないぞ。
>>887 >ノルは正確にはユンギアンではないが、
>明確にユング批判にまわる前の頃は、
>ユンギアンのなかでも評価の高く、
>ユング派の雑誌にも論文が掲載されていた。
やっぱりなぁ。
こういう人ってどこの世界にもいるでしょう。
「期待を負いすぎて、逆切れする人」という印象。
理想だけが高くて、
現実ってのが妥協の産物だとわからないんだな。
>>888 ユングとナチスについての研究は、
もうすでにユンギアンたちが自ら始めているし、
「両者の親近性はやはりあるだろう」という見解にも到っているわけだよ。
これはもう、現実なんだよ。
心を打つとかいう問題でも、説得するとかいう問題でもない。
実際にある現実なの。それだけ。
で、これに異論があるなら、そのユンギアンたちの議論に対して
具体的に何かを言っていくしかないでしょう。
>>890 著者への詮索はともかく、ユンギアンの中では、評価は別として
無視できない本として受け止められているのは確かだ。
>>891 >ユングとナチスについての研究は、
>もうすでにユンギアンたちが自ら始めているし、
>「両者の親近性はやはりあるだろう」という見解にも到っているわけだよ。
>これはもう、現実なんだよ。
>心を打つとかいう問題でも、説得するとかいう問題でもない。
>実際にある現実なの。それだけ。
一部のユンギアンの現実ではあるだろう。それだけだ。
それに疑問を呈するユング派という現実も依然あるだろうね。
それはきっと、これからも排除できないという感は強い。
その状態のままのほうが健全だと思う。
ユング派といっても分派していていろいろある。
あるがまま、という感がする。
>で、これに異論があるなら、
>そのユンギアンたちの議論に対して
>具体的に何かを言っていくしかないでしょう。
実力のある臨床家なんか忙しくて、
そんなことにかまけていないでしょう。
そういうのはやりたい人がやっていればいい。
臨床家は思想家ではない。
実際は臨床的な技法の上で現実に即して語られるのみ。
それ以外にかまっているほど暇ではないでしょうね。
>>893 >一部のユンギアンの現実ではあるだろう。それだけだ。
>それに疑問を呈するユング派という現実も依然あるだろうね。
>それはきっと、これからも排除できないという感は強い。
>その状態のままのほうが健全だと思う。
互いに議論がある状態だというのなら、俺もそれでいいと思うよ。
両者の関連を言うだけで、ユングを貶めるプロパガンダだなんだと
最初から決めつけるような状況がなければそれでいい。
>臨床家は思想家ではない。
>実際は臨床的な技法の上で現実に即して語られるのみ。
>それ以外にかまっているほど暇ではないでしょうね。
そりゃ、純粋に「臨床家」ならそうでしょうね。
ただ、否が応でも「ユンギアン」というものを背負わなくてはならない人がいて、
そういう人には必ずのしかかってくる「ユンギアンの集合的な影」(マイデンバウム)
というものがあるんでしょう。
そういう立場の人というのは、どこにでも必ずそれなりに、いるってことです。
このへんがオチかな?
>>889 >ここで問題になるのは、あくまでユング自身の言動、
>あるいはユング心理学の理論に与えた影響だ。
それはきっと、
君が、アマチュアとして、興味があることなんだろう。
それを始終唾を飛ばしながら、
やたらめったらあたりにわめきちらして、
押し付けられてもね。
それはユング心理学そのものを
思想的に研究し、そうしたことについて研究したい人が
研究すればいいことだろう。
>>895 その見方は、プロのユンギアンたちが実際に研究しているという事実に反するね。
>>894 の後半を改めて読んでおいてくださいな。
>>894 >互いに議論がある状態だというのなら、
>俺もそれでいいと思うよ。両者の関連を言うだけで、
>ユングを貶めるプロパガンダだなんだと
>最初から決めつけるような状況がなければそれでいい。
それでいいもなにも、あんたは関与できないことだろう。
まあ時間の流れというのはあるもので、
ジャーナリスト的なものは、けっこう忘れ去られる本もある。
日本のユンギアンのなかでは、無粋になるし、
結局はそうしたことはあまり語られないかもしれないな。
現実ってのはそういうものだ。
ナチス問題も、
プロテスタントのうちで頻繁に語られないだろう。
>>894 >ただ、否が応でも「ユンギアン」というものを背負わなくて
>はならない人がいて、
>そういう人には必ずのしかかってくる「ユンギアンの集合
>的な影」(マイデンバウム)
>というものがあるんでしょう。
>そういう立場の人というのは、どこにでも必ずそれなりに、
>いるってことです。
それだけあんたの頭のなかでは
そういう観念に支配されることになるんでしょう。
そうした観念からどこまでも自由な人もいる。
けっこう遠くから言い合うだけのもので、
そういう人とは無視して近づかないことも可能なもんだ。
>>893 >それでいいもなにも、あんたは関与できないことだろう。
この程度の希望くらい、語ってはいけないの?w
>日本のユンギアンのなかでは、無粋になるし、
>結局はそうしたことはあまり語られないかもしれないな。
>現実ってのはそういうものだ。
しかし、日本のユンギアンが語らないなら語らないで、
小俣和一郎『精神医学とナチズム』のような、いかにもいいかげんな本が出てくる。
それこそ、これといった批判に晒されることもなく、
「ユングはナチに積極的に加担した」という話が流通する。
これも現実なんだよ。
ユング愛好家からすれば、
「議論があればそれでいい」という希望ぐらい言いたくもなるさ。
たとえアマチュアであっても、言えることは言っておこうか、
と考えたりとかね。
これもまた、ひとつの現実。
上は
>>897 宛でしたね。
>>898 あなたの好きなようにすれば?
俺は少なくとも、マイデンバウムが自らその影を背負おうとしたことを
馬鹿にする気はないし、
そういう不自由さを潔いと思っているよ。
>>896 >その見方は、プロのユンギアンたちが実際に研究して
>いるという事実に反するね。
あんたはその一部のユンギアンじゃないだろう。
そのユンギアンも西洋のものだろうし、いずれ死ぬ。
すべては日本のユンギアンが決めることだ。
それほどに色々なユンギアンがいるし、いつづけるだろう。
ユングを背負う、そんな奇特な人もいない。
結局、ユング派そのものが無くても、誰も困らない。
そういうバランスの取れた広い視点に立つことが
大切ではないだろうか。
>>900 >俺は少なくとも、マイデンバウムが自らその影を背負おうとしたことを
>馬鹿にする気はないし、
>そういう不自由さを潔いと思っているよ。
ドイツ人でも、プロテスタントでもないからねぇ。
そういう一番の当事者になれば、
あんたのそういう軽い言い分は出てこないものだろう。
別にマイデンバウムという個人になんの思い入れも
ないだろう。
そしてあんたの生き様がかっこいいとも思わない。
>>901 >すべては日本のユンギアンが決めることだ。
俺は違うと思うな。
ユングというものが、単に臨床の一派としてだけではなく、
ここまで文化として広がったら、
もうユングはユンギアンだけのものじゃなくなっていく。
ユング派のあり方はユンギアンが決めるかもしれないが、
ユングの受け入れ方は、もうユンギアンのものではなくなっていくだろう。
それこそ、ユンギアンという枠から離れた視点が必要だと思うよ。
コピペロボットがコピペロボットと話してる感じだね。 なあ墓石屋。
>>902 そういう話がいちばん無粋だな。w
やめとくよ。
>>899 >>それでいいもなにも、あんたは関与できないことだろう。
>この程度の希望くらい、語ってはいけないの?w
努力しないで要望だけの人間が好きじゃないからねぇ。
そういうのは自分でアマチュアでなく取り組んで通したら。
別にこっちは単なる趣味で話しているだけだ。
結局、河合氏にしても、林氏にしても、
そこまで暗いトーンの自己陶酔にはまらないだろうね。
そんな気がする。
>>899 >それこそ、これといった批判に晒されることもなく、
>「ユングはナチに積極的に加担した」という話が流通する。
>これも現実なんだよ。
言いたい人には言わせておけばいいんじゃないの。
そういうことにかまけている人が、
同じそうした世界を生きる人以外に、
尊敬されるという話も聞いたことが無い。
結局はそういうものは「うわべ」だということだ。
他人を批判しているような人は、
結局はその次元で自分が批判されるだけということだ。
他人を批判しながら批判することで同じことをする。
批判しなくてもいい。どうせ人の心には残らない。
それを卒業することのほうが重要だ。
そういうものなのだ。そうした批判は無視することも懸命。
結局は臨床家が現実で取り組むことなのだからだ。
>>908 別にいいかげんな批判をする人はどうでもいいが、
いいかげんな情報がそのまま流通することには、やはり抵抗感がある。
ある本を読んでいると、いきなり「ユングは積極的にナチスに加担した」みたいなことが書いてあり、
参照文献を見てみると、やはり当の本だったりする。
そしてそれを読んだ人は、それを疑うことなく受け取るかもしれない。
批判は人の心には残らなくとも、情報はそのまま残るからね。
臨床家が黙って取り組んでさえいればそれで済む問題なんだろうか、
という思いはやはりあるよ。
ユングは愛好家がうっとおしいね。
ものには感情的に限度ってものがあると思う。
この人のせいで、もうユングは関わることは無いだろう。
ユングだけが考え方のすべてじゃないよ。
アーノルド・ミンデルのプロセス指向心理学のほうがいい。
河合隼雄先生も「画期的な本」として推薦している。
私自身、ユングの提唱した「元型」について、
かなり受け入れがたい思いがあった。
ミンデルの「センシェント」のほうがしっくりくるところがある。
これからの人はユングはやめたほうがいい。
古典的なユングは、不完全で偏っているところがある。
それ自体、根本的な構造的欠陥があるんだと思う。
ユング自体にこだわることから離れたほうがいい。
POP=プロセス指向心理学
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1105938564/
>>909-910 こういったものは野にあってこそのもの。
アカデミックな中に居場所を求めようなんてのが
堕落の始まり。
ユングも心理学出身者にはうけてない。
もてはやしてるのは他分野の人。
河合隼雄氏をはじめとして日本のユング研究家の有名どころは
もともと心理学畑以外の人間ばかりだ。
もともと戦後日本のユング受容は、文学者が先行してたんだよ。 小林秀雄とか、高橋義孝とか。 海外でも、ユングはもうサブカルチャーとして語られるのが普通で、 臨床の中でのユング派なんてマイナーに属する。 アカデミックなユング派が幅を利かす日本の状況が、むしろ特異。
ユングを何よりも臨床として考えるから、 「ナチスの問題は些末なこと」なんて判断にもなる。 例えば、文学という観点からユングを考えるならば、 ユングという人間が何に親近感を感じていたか、ということは むしろ主要なテーマのひとつとなるはずだ。 この問題が日本で些末なことにされてしまうとしたら、 それは、日本のユング受容の構造的なあり方にも関係しているだろうね。
もうひとつ付け加えると、 ユングの邦訳は、ユング派資格を持った臨床家ではない 非ユンギアンによるものが大半。 このことのほうが、ユング受容の状況を正確に表していると思う。
917 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/15(金) 08:46:09
↑ それは、版権を先に取った、取られたの問題だなW。こういうのはそれほど 学問的な問題ではないことも多いんだよ。
↑ もちろん、そこをも含めての現状の話だよ。 いずれにしたって、ユングはすでにひとつのカルチャー。 臨床家としての見地だけでは量れないこともあると思う。
919 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/15(金) 17:32:18
それはそう思うけどね。ラカンみたいに。でもその意味ではまだまだユングは ラカンほどいろいろと論議されてないと思う。日本では。
920 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/15(金) 19:26:29
論議できませんよ。あんなアメーバみたいな思想。
理系だと専門分野以外は無知であるとわきまえていて、 わからないものはわからないとはっきり言う。 そしてわかる場合は、 一般人にわかるよう相手がちゃんと理解できるように 中学生でもわかるとこから説明 してから徐々に本題に入る。 それも、むしろそうして説明することに 純粋な好奇心と興味を持ち、目を輝かせて語る。 一般人を馬鹿にして諭してやる、とか、 勝手に自分を他の専門なり理系の仲間に加えたり、 詐欺師みたいなことで煙に巻いたりはしない。 理系は本人が、何を研究しているかが問題になる。 そして、それを研究している研究者を評価する。 心理学では、個人の評価を心理学の評価であるか のように一般化したり、勝手に専門外までをも 代弁してしまう傾向がある。これは明らかな錯誤だ。 心理学って、一般と特殊の違いを解からず、 一般人(その分野を専門としない者)に対して、 自分の専門分野でなくてもノウノウと話してないか? 精神分析にしても、それが専門の人を勝手に 自分に権限があるかのように代弁して、平気で偉ぶる。 そして、一般を馬鹿にして、優越感に浸る。 心理学の人って領域をわきまえず態度ばかりでかいから、 けっこう他分野の人から嫌われているよ。
922 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/16(土) 21:45:52
墓石屋と言ったとたんに墓石屋が沈黙したのには笑った。
墓石屋と言ったとたんに墓石屋が沈黙したという心的現実があったのには笑った。
例えばトラウマについては、明らかに「もう飽きた」という論調が 目立つようになっている。 例えば、サスペンス物で、主人公は幼児期のトラウマによって異常な 殺人嗜癖者となって不可解な犯罪を繰り返し、精神医学又は臨床心理学 者によって解決される…といったパターンは、既に余りにも陳腐化して 「またそれかよ」といわれるようになっている。 何か重大な犯罪・事故が起きるたび、「とりあえず心のケアやっとけ」 「とりあえず心理士派遣しとけ」という風潮も、「またそれかよ」と言 われるようになってきている。 目の前で生じている様々な不可解な事象を、個人の心理に還元して説明 する心理主義的手法が、そろそろ鮮度を落として飽きられてきているのだ。 もちろん、ここで言う心理主義的手法がまったく間違っている 無根拠なものだとは言わない。しかし、いささか乱用されすぎた 嫌いもあるし、はやりすたりの世界では、正しくても飽きられると お仕舞いなのだ。 ユングとナチスうんぬんもそうでもう四半世紀も前に飽きられてる。 生き残ってるのはテレビのサスペンス劇場の中だけだろう。
俺も含めて匿名でなければ語れないやつばかりってことで ・・・・・・・・・・・・終了・・・・・・・・・・・・
927 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/16(土) 23:58:54
ところでおまいらバウムテストちゃんとできるか?
「文系と理系の差も、よく話題に上る。いろいろなサンプルを 検討した結果、森が至った結論。「数学や物理ができない」 と思い込んでいる人間が文系に属する。そうでない人を 彼らは理系と呼ぶ。しかし、実際には、前者の集合は後者の 集合の中にすっぽり含まれているので、文系は理系の一部 と捉えることができる。理系は文系に対して上位互換だ。 自分は数学ができない、と勝手に思い込むことで、この集合 の中に逃れた人たちが文系だが、理系の人間から見れば、 同じ集合、特に差を感じない。 理系の人間は、人間をタイプ分けなどしない。そもそも、この 「勝手に思い込む」というのが文系の特徴らしい。人間なんて、 とても不確定なものだ。物体の運動や化学反応のように法則 で割りきれないもの。精神とか心理を分析しても、ちゃんとした 答など得られないのではないか、と、理系の人間は考えている。 ところが、文系の人は「思い込む」能力によってこれを分析した がる。彼らは言うだろう。「数学をこねくり回して何になる?」 「重力加速度など何の役に立つのだ」「人間の心理を分析する 方が重要だ」そうかもしれない。しかし、役に立たないことを するのが、人間の高尚さではないのか?とも森は思う。 心理学、経済学などは、実社会では役に立つだろう、お金が 儲かるかもしれない。微積分を知っていても特に便利なことは ないのだ。しかし、そこに人間の生の高尚さがある。生きている、 という愉快さがあるのではないか。そういう意味で、数学者は、 とても「生」を楽しんでいる人が多い。彼らは遊びを知っている 人たちだ。役に立たない、ということは、すなわち、芸術の必要 条件である。」 (森博嗣 国立大学工学部助教授)
まあユングは心理学というより文化だな
930 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/17(日) 00:58:31
もう長文はいいよ 疲れる
読む義務なんてないだろ・・・ どこ読むもおまえの自由だぞ
932 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/17(日) 11:20:13
次スレは?
933 :
なか :2005/07/17(日) 15:58:00
どこにユングと共時性について書かれているのか悩む
934 :
クリ男 :2005/07/17(日) 15:59:06
俺もどこにユングと共時性について書かれているのか悩む
天外伺朗、茂木健一郎 『意識は科学で解き明かせるか』 天外伺朗、瀬名秀明 『心は何処に宿るのか』 天外伺朗氏が いろいろな科学系の人と対談して、 量子力学とユング・唯識の結びつきとか 散々言ってきたことだ。 文句があるなら、天外伺朗氏にいうことだな。
115 :没個性化されたレス↓ :2005/07/16(土) 12:26:31 撒き餌を撒いて 釣られている自覚のないサルを釣るのが心理学板の楽しみです。
松永君はもうこないよ
938 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/18(月) 13:14:30
なんでこんな大昔にできたスレ(02/11/24 18:16)が 今頃伸びているのだ? これも何かの強磁性?
臨床心理学がご専門であられる、實川幹朗氏の、 『思想史のなかの臨床心理学』という本がある。 一時期は、全国大学生協の人文書の15位あたりに位置し、 茂木健一郎氏もわずかにしのぐほどの売れ行きだった。 氏もこの本を買われ、読まれたそうだ。 著者は、精神分析が「発見した」無意識という領域を、 ユダヤ=キリスト教に由来する西洋思想の伝統から解釈する。 精神分析の「科学としての自負」の根拠などを解き明かし、 19世紀からの実証主義も、ハイデガー現象学の意識への還元も、 どれも実は、精神分析と「表裏一体」のものであったことを示す。 その上で、精神分析すなわち臨床心理学は、 歴史において宗教が担ってきた重い課題を引き受けつつある 現実を、率直に認める。 我々に深い反省を促す書だ。