マリリンは仮説検証型の研究を知らないらしい。
「Aをおこなったらどうなるか」「Bをしなかったらどういう結果になるか」
というのは実験ではなくて調査だ。
確かに、調査ではデータをそのまま提示することにも少しは意義がある。
ただし、例えば1000以上のデータで1データに500以上のパラメータがあるときのように、
大容量の生データを見てわかることは、きわめて表面的なことだけ。
そして、心理学や社会学では調査というのは大容量でとるものだ。
なぜなら医学や獣医学の生理データとは違って、誤差が大きいから。
心理学の研究の本質は仮説検証型実験にある。
「C仮説が正しければ、Dの操作を加えた結果、Eになる」
というものだ。
つまり、Eという結果が出たかどうかを客観的に見るため、
統計的検定などの技法を用いることになる。
これに生データは無意味。
Eが発生したかどうかだけが問題だから。
FさんはデータからEの結果が出たと読み、
Gさんは出なかったと読む、では研究の意味がない。
言ったもの勝ち、頑固なもの勝ちの世界になってしまう。
と、いうことをマリリンは理解していない。
おそらくマリリンは仮説検証型実験を全く知らないのだろう。
獣医学部の卒論でさえ、仮説検証型実験をするばあいもあるのに。