ロテ職人の考え方を読んでると、臨床家ではなく、大学の臨床系の先生の
みたいなんだよね。
私たちは疾病のモデルというのは、、新しく出てきた病気じゃない限り、
症状も治療法も予後もある程度あり推測もできる。そこの中で自分あるいは
患畜や飼い主にあう治療法を選べば良いから、こんなお気楽なことを言って
られるのかな。
新しく出てきた病気だって私たちが解明しなくても、どこかの大学の研究者
か、臨床やる獣医の中でも研究が大好きな先生が採算度外視して、原因の特定
から治療法から予後まで研究してくれる。だから、私たちは、研究は私たちの
必須の仕事ではないと、思っている。
その代わり私たちは、できる限り多くの患畜を正確に直す義務を負ってる。
前、XYZが臨床をする獣医などと言うのは機械直す技術屋と同じゃないの
みたいなこと言っていたけれど、私は、そうかも知れないなと思っている。
その代わり大学の臨床系の先生は、自分の研究に必要な少数の症例を、経済的
負担を無視して、徹底的に研究するよね。
それって一般の臨床家に必要なレベルなのだろうか。
それとも、ロテ職人の臨床の経験の段階が、勉強しながら、臨床の考え方、
方法論を身につけていく臨床を初めて、4〜5年目、やっと、臨床のおもし
ろさがわかりだし、実力をつけだした頃だから、こんな厳しいことを言うの
だろうか。その辺がちょっとわからない。
ドナの考え方は、ロテ職人に比べると、一般の臨床家に近いんだよね。だだ
臨床始めて2〜3年、まだ臨床がなんたるかわかってない段階のような気もす
るけど、私は、貴方のクライアントならなっても良い。どうしてかというと、
貴方はどうしてもしなきゃいけない治療でも、私が「辛い」と言えば、
止めてくれはしないだろうけど、ちょっとのお休みはくれそうな気がするから
そういう、安心感を貴方はクライアントに与える。多分、臨床では相手に与え
るこういう印象ってとても大切だよね。
ロテ職人はそれは、技術力だと言ってた。多分、それは正しい。
でも、相手が人間である限り、私は技術力だけではカバーできないと思う。
今までに培ってきた貴方の生き方が、相手に安心感を与えるのだと思う。
それを、大事にするといいと思う。 おわり