よくわからなかったので遠回りになりましたが、 知りたかったのはこれでした。
「転移逆転移」とは、カウンセリング場面での、カウセラー、クライエント間による、
@不合理、不適切な感情のことのみだと思えばいいのか、
A単に、
クライエントからカウンセラーに向けられる感情。転移
カウンセラーからクライエントに向けられる感情。逆転移
つまり、合理的で適切な感情のことも、カウンセリング場面では、
そのように「転移逆転移」と呼ばれているのか、です。
・ フロイト ・・・ @
>>897 ・ ロテ職人 ・・・ A
>>760 ↓
「転移」とは単に、患者から治療者に感情が向けられているということであり
そこに治療者の優位性や支配性などはありません。
(言葉には出さなくとも)治療者から患者に向けられることも多々あります。
>>879 「転移」とは単にクライエントから治療者に向けられた感情のことを言います。
・
>>759さん ・・・ A?
↓
まず、転移とは、治療者と患者の2者間の相互関係のうち患者から治療者に向けられるものを言います。
そして、逆転移とは、治療者から患者に向けられるものを言います。
(つまり「治療者から患者に向けられる転移」=「逆転移」という事。)
多分この辺りはお分かりでしょうが、念のため。
・ 来談者中心療法 ・・・ 「転移逆転移」の概念なし
>>882 ================================
なお、 A番の考え方であるロテ職人がやっているのは、
「精神分析的(力動的)心理療法」
>>880 >>883 これで間違いないですか?
>>898 一つ目の逆転移が不合理で不適切な感情だというのはよくわかるのですけど、
二つ目の逆転移は、合理的で適切なものに入るのでしょうか、
それとも、不合理で不適切なものに入るのでしょうか。
浦島さんの考え方だと、上記@Aのうち、Aになるわけですか?
つまり、不合理で不適切な感情のことだけでなく、自然な怒りなども転移逆転移と呼ぶ、と。
それとも、自然な怒りなどは、転移逆転移とは呼ばないのですか?
機械的な対応しかできないカウンセラーであれば
人工知能モードの愛美君でも、充分代わりを果たせますね。
カウンセラーは数年以内に、完全に消える運命か、
もしくは治療の道具として、人工知能を利用するようになるでしょうね。
人工知能カウンセラーなんてものは
30年以上前にすでに現実化しているが,
人間カウンセラーは増える一方だ。
そもそもカウンエラーは治療なんてやらないし。
アフリカの呪い師と大差ないことをしている
精神科医・心理療法家・カウンセラーたちの仕事の、瑣末な違いなど
電波である私にはどうでも良いことです。
それにELIZAなんかと愛美君を比べたら
彼女は拗ねて、仕事をしてくれないかもしれませんねw
アフリカの呪い師が絶滅しないように
カウンセラーという種族も絶滅しないよ。
名前は変わるかもしれないけれど。
>>946 最初から、相手の枠組みを理解しなくていいとは、一度も言っていません。
自分の枠組みを広げないと、相手の枠組みを理解できないとは言いました。
定義上、相手の枠組みを理解する、で正しいと思いますよ。
異論ありません。
ただ、相手の枠組みで理解するにしても、それはあくまでも自分の枠組みを通して
しかできないと言っているのです。
で、ロテ職人さんも、
>>クライエントの私的な世界をあたかも自分自身のものであるかのように感じ取ることや、
>>クライエントの世界をその内的思考の枠組みから受け取ることが、
>>自分の枠組みを通しては、絶対にできないとお考えなのですか?
>そんなことは言ってませんよ。
なんでしょ?
じゃあ、最初から私の意見に何も異論ないじゃありませんか?
>なぜ役立つものはなにもないとおっしゃるのかが不思議です。
だから、私も最初からあの定義通りだと思っているから、何でわざわざ、と思いました。
910の枠組みは歪んでいるぞ
心の理論って、実践するのは難しいわね。
それと、私の
>>939の文章は定義からはずれていません。
自分の枠組みを広げ、自分の枠組みを通して、相手の枠組みを理解する
ことを私は説明しています。
定義には載っていないことも書いているだけです。
はい、DQN決定。
注*心理学的にはまったく「正しくない」であろう、たとえ話*
たとえば、鼻の粘膜が弱く、頻繁に鼻血を出してしまうので、それで恥を
かいて悩んでいる様子の友人が、家に遊びに来た、とする。
彼はふと窓辺に咲く真紅のバラを見て、「僕はあの花、あまり好きじゃないな」
貴方は「そうかな、どのへんが?」と何気なく問いかける。
友人は「あの色がね・・・」と答えた。友人とは長い付き合いの貴方は、話の
流れとその表情から、ああ、血の色を連想するんだな、と思い、
「そういえば、ちょっと血の色みたいだしね」と呟く。友人は「そうそう」と頷いた。
この時貴方は、
赤いバラの色=血=学校で鼻血を出してからかわれた=あの花は好きじゃない
という友人の連想したことを、推察することはできる。
けれど、バラを見ている友人の「眼球そのもの」、を、貴方自身の眼球と
交換したり、その複製体を移植することはできない。
そもそも最初にロテ職人さんが、正しい定義は「相手の枠組みを理解する」なのに、
間違えて「相手の枠組みで理解すると」と言い続けていたことが、
私が、「でもそれは自分の枠組みを通してしかできない」ことを強調したくなった
理由ですので、一応お伝えしておきます。
そうなの?ロテ。
「相手の枠組みで考える」でしたっけ?そうでしたよね。
あとで訂正されてましたけど、でもなぜか自分が訂正した後も
私の「自分の枠組みを通してしか相手の枠組みで考えることはできない」
の言葉にだけは、ロテ職人さん拘り続けてましたよね?
そこからだんだんわけわからなくなってきたんですよ。
主体と客体 フレーム スキーマ どんがらがっしゃーん
ミンスキータン(;´д`)タスケテェ〜
*注・これも心理学的には「まったく正しくない」たとえ話です*
まあまあ、910さん、だいじょうぶですよ。
貴方はその「を」と「で」の違いで、「文章の意味する定義が大きく変わって
しまうのではないか」、と思った。ただ、その疑念を表現するのに、その通りに
言わずに、いろいろと書いたので、伝わりにくくなってしまった、それだけのことです。
それに、学術論文を書いたり、それを学会で発表したりする際には、そういう
細部もつつかれるでしょうが、クライエントさんは一般人なので、そういう、
「厳密かつ明確に定義しうる言葉」を意識して使おうする努力とか、話し方、は
だいたいがしませんし、カウンセラーにも、求めません。
重要なのは、そういう曖昧な表現をどこまで「クライエントのいわんとすること」への
近似値まで絞り込めるか、で、確かにそれはカウンセラーの側の能力の問題ですが、
「眼球交換(のような、徹底的なクライエントとの視野の同化)」までしなくても、カウン
セリングには支障はないでしょう。
カウンセリングはギャンブルでも、学会発表でもないので、「一発勝負でばしっと決める」、
必要はないし、むしろクライエントの日々の揺らぎを考えると、一発で決める、というのは
危険ですからね。また、共感を感じさせることと、完全に同意してあげることとは、イコール
ではないし、イコールであろうと努力する必要もない。
(実は私、殺人が趣味なんです、と言われて、私もだ、と同意する治療者はいない)
「眼球交換」などしなくても、「同じ人間同士だから」という信頼関係さえ築いていれば、
クライエント側でも、カウンセラーにわかりやすく話してあげよう、という歩み寄りが出て
くるのではないですかねえ。
*私はこの業界の人間ではないので、思い切りいい加減に書いています。本気にして
反論する必要はまったくありません。それより、肩が凝ったでしょう。
軽く深呼吸して、背伸びして、冷たいものでも飲んで、リラックスしておいでになっては
いかがですか? 根の詰めすぎは、体によくないですよ*
ロテ職人さんて、相手の言葉を、不当に言い換えておいてから、
それを批判しているところもありますね。心の専門家が、、いけないことをしていますね。
見ているだけでも、こういうやり方って気分悪いです。
たとえば、
>>701の、『「カウンセラーの思考「に」合致しなければ』を、
ロテ職人さんは、何の断りもなしに4回も『思考「が」合致する』に言い換えておいて、
それを批判するというやり方も見られました。
「に」を「が」にすれば、微妙に意味が違ってきますね。
>>763 「思考が合致する」(というのも正直よく分からないのですが)ということでもないでしょう。
>>764 これが「思考が合致する」ということとは違うというのはおわかりいただけたでしょうか?
>>809 そもそも「思考が合致する」ということはあり得ませんし
>>817 それを
>>701は「思考が合致しないと共感してもらえない」と誤解した・・・と。
「思考に合致しなければ」には、二者間どちらかの思考の一部を、
他者の思考の一部に合わそうとしなければ、というニュアンスになるけど、
これを「思考が合致しなければ」にすると「に」の場合より、
それぞれの思考同士がより大きく重なり合わなければならないと
言っているようなニュアンスになると思うので、心の専門家なら、じゅうぶん注意するはずだと思いますが。
>>901,
>>939 896番で私がしたことは、少なくとも「共感」ではないと思います。理由は以下の通りです。
「共感」とは、必ず何らかの情緒的交流を伴うものだと私は思います。しかし
掲示板上で可能なのは「知的な相互理解」がせいぜいで、「あたかも真の情緒的交流
を行っているかのような幻想を、参加者それぞれに抱かせてしまう傾向がある」が、
実は「真の情緒交流」は全く行っていない、と私は考えているからです。
910さんのご意見を、私が「知的に理解して同意した」のは確かだと思います。
(少なくとも私はそう考えています。)
>>952 >>953 「転移・逆転移」というのは非常に大きなテーマで、これをきちんと定義しようと
すると、専門家の間でも意見が分かれるような性質の概念であることを、はじめに
お断りしておきます。
まず「転移・逆転移」は、基本的に「無意識に」起きる現象です。「無意識」は、
「意識」と違って「合理的な反応」をしませんから、結果として、「転移・逆転移」
感情は「不合理、不適切である」ことが多くなる訳です。
また「精神分析的心理療法」「力動的心理療法」では、「治療場面(=カウンセリング場面)」
において「転移感情」が活性化し、それがほとんどを占めるような構造になって
います。(いわばそのように設計されている、ということです)実は「逆転移」
についても、似たようなことが起こります。したがって、「治療場面」生じる感情を
「転移・逆転移」感情と呼んでも間違いではない、ということになると思います。
「転移・逆転移」に関しては、以下のトビの議論も御参照ください。
「カウンセラーと人間としての器」430番など
「臨床精神医学を語る」385番、400番、467番、486番など
>>971さん
まあまあ。なにせここは『2ch』です。
大学や病院のミーティング・ルームではないので、時には疲れからタイプミス
したままの文章をあっぷしてしまうこともあるでしょうし。
それに、意外に知られていないことですが、「てにをは」「がでの」の使い方は、
個人個人で差異があって、その「差」に与える重要性も、おもいきり個々の
ばらつきがあるんですよ。
それに、ロテ職人さんは、貴方の専属カウンセラーでも、指導教官でも、
ライバルでもありません。
2chという「不特定多数の参加者が、思いついたことを自由に書き込む場」
で、貴方と出会って、たまたま話がうまくかみ合わなかった、だけのことです。
貴方が本当に、とことん学術的な「てにをは」の意味やその重要性について
突っ込んだ議論がしたいのなら、
それなりの代償を支払って、資料片手に「面と向かって」話し合える場で
なさるほうが、貴方のためになると思いますよ。
ひとはそれぞれモノの感じ方、言葉への意味の与え方と趣味嗜好、
感情の持ち方、表し方、というのを持っています。それらが誰かと
「まったく同じである」人など、ひとりもいません。
それでも人間が他者に共感できるのは、『違うことを前提にして相手を
見る姿勢』のたまものです。
2chで学べる最も有意義なことはそこなので、後のことは専門書を読むなり
しかるべき機関で学ぶなりするほうが、ずっと正確です。
「しかし自分は正しいのだ」と証明するために、そんなに一所懸命に努力しなく
ても、誰も貴方が劣っているとか、だめだとか、本気で「評価」など、できません。
出会い系のネット恋愛がさっぱりあてにならないのと同じで、貴方は誰とも、直接
会ったわけではないのですから、このような場での言動は、話半分に聞くのが
ちょうどいい塩梅、と思ってみるのも、ひとつの手ですよ?
>>954 >二つ目の逆転移は、合理的で適切なものに入るのでしょうか、
それとも、不合理で不適切なものに入るのでしょうか。
898番で私が二つ目に書いた例は、「不合理で不適切な感情」になると思います。
なぜならば治療者は本来、「このクライアントを援助したい」という感情を持って
(つまり、他のクライアントと同じように接するつもりで)治療を開始したはずにも
かかわらず、「不合理」なことに、そのクライアントを援助する代わりに「支配したい」
という感情を持ってしまっているからです。
>自然な怒りなどは、転移逆転移とは呼ばないのですか?
これは、お答えすることが非常に難しいご質問だと思います。なぜならば「自然な」
及び「転移」「逆転移」の定義によって、お答えが変わってくるからです。
例えば、もし「自然な怒り」が、「『こういう状況でこういうことが起これば、
クライアントが怒るのは無理ないな』などと、治療者が人間として自然に理解できる
怒り」であれば、おそらく治療者としての私は、それを「転移」感情とは考えない
だろうな、と思います。
>>974 26。
何のことだと思いますか。
これはロテ職人の間違いがいかに取るに足らないことであるのか
に関しての説得のためにあなたが要した行数ですね。26行必要だったんですね。
しかし肝心なことは
何行費やそうとも、
いかに取るに足らないことにしてしまおうとしても、
いかにここが2chであろうとも、
学術的に論じるまでもなく、
「間違いは間違いである」という事実です。それで十分なはずですが。
>>953 話題になっていた「共感」については、ロジャースの来談者中心療法の話です。
来談者中心療法それ自体に、「転移逆転移」の概念は組み込まれていません。
>私は、
>>732-740で、基本的にロテ職人と同じことを述べています。
と書いたのは、同時進行で進められていた話題、「転移」「逆転移」に
ついてです。
>>915-916 ロテ職人氏
>で、伝える努力はしてみたのかね?それとも伝えたくないのかね?
私はクライエントではありません。
で、今は心理学板で、「共感的理解」についての話をしています。
テーマは、「共感とはどこまで可能か?」です。
>だから、そうやって自分の感情から類推している時点で「自分の枠組み」に囚われていて
>相手の枠組みを理解しようという姿勢になっていないわけだが。
私はクライエントの理解というものは、
(1)知的理解
(2)共感的理解
この両輪があって成り立つものであると思っています。
そして、
(1)知的理解------クライエントの思考の枠組み「を」理解すること。
(2)共感的理解----クライエントの思考の枠組み「で」理解しようとすること。
だと思っています。
これを両立させようとすると、治療者は「自我を二つに分けたままにしておく」ような
態度が必要になると思うわけです。 非常に難しく、治療者には高度な自己分析能力が
求めらると思います。
そして、話題にしていたのは、(2)の「共感的理解」の方です。
ロテ職人の仰るように、(1)の知的理解の為の作業は、(2)の共感的理解にも繋がるものだと思います。 しかし、知的理解≠共感です。
クライエントが実際にはどのように感じているのか?
クライエントの思考の枠組みを理解して、あえて治療者自身がその枠組みで理解しようとし、クライエント内の内的世界を、あたかも自分の世界であるように感じ取ることは、
程度の問題ですが、現実に不可能なケースもあるのではないでしょうか。
>その状態をちゃんと説明してもらえば共感可能だと思いますよ。
と仰いますが、それは少々楽観的ではないかと思います。
上手く伝わるかどうか、なかなか伝わらなくてもどかしいですが、
説明ベタですみませんね...
共感不可能な場合について
ロテ職人氏の思考の枠組みで、つまり臨床場面における具体例を
私も探して見ます。 見つけたら書きます。
私の思考の枠組みではどのように説明できるか、先に書かせて頂きますね。
まず、「たとえば概念がない」という例は、混乱を招きやすいので、別の言葉で
言い換えて見ます。
クライエントが自分の心的現実で【感じている】ことを治療者に様々なアナロジーを用いて説明を試みるが、、たとえば、「それを【感じる】レセプターがない」「それを受信する周波数がない」為に、どうしても伝わらない、というものです。
どこかで「クオリア」とつぶやいた人もいましたが、もしかすると、究極的にはそういう話になりますものね。
たとえば、二人の人間が夕焼け空を見ていたとする。 二人とも「空が赤い」と思っているが、二人の感じている「赤」が同じものかどうかは、誰にも分からない、というものです。
「赤」という概念があってすら、二人が同じようにその「赤」を感じているかどうかは分からない。
「既存の概念のないもの」になると、尚分からないでしょう。
たとえば、雪がよく降る地域では、殆ど降らない地域より、多くの雪の名称があります。
常夏の国から来た人に、みぞれ雪、ぼたん雪、あられなどの区別を伝えるのは、なかなか骨の折れる作業だと思います。
自分は説明ベタなんて、雪の名称というキーワードで探して見たら、たまたま丁度こんなページがありました。
ttp://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/profile/lost-language.htm 他の内容は読んでないのですが、雪のところだけちょっと抜粋します。
>さて、問題は、その命名という基本的な部分で、その住み暮らす地域によって、
>体系に違いが生じるのである。
> 日本のように冬には雪の降る国柄であれば、雪という名前は勿論、
>「あられ、みぞれ、ひょう、ふぶき、etc.」と無数の雪の名称、
>雪の文化が育まれるのである。雪のない地域に「雪」という言葉がリアリティを
>持てるはずがない。まして雪についての繊細極まる表現の体系が生じるはずも
>理解されるはずもない。
>同様に、雨の多い日本のこと、「雨」に関わる名称も文化も豊かで細密である。
「理解されるはずもない」は言い切ることは、私にはできませんが、
理解してもらおうとするには、結構骨が折れると思います。
時には、伝えきれない人もいると思うのですが。
雪ならば、百聞は一見にしかず・・と、その人を雪が降っているところへ
連れてゆき、ぼたん雪を体験してもらうことは出来ます。
しかし、心的現実は、すぐに出し入れしたり、目前に提示したり
出来ません。
自分の「感じていること」を分かって貰うために、
相手に、自分の思考の枠組みを説明し、自分の感じていることを
多様なアナロジーを使って説明してみても、上手くいく時と
上手くいかない時があるのは、容易に想像のつくことです。
(クオリアのような話になると、ずっと話は難しくなりますが、
今はそこまでの究極的な話での共感ではありません。)
自分の感じていることを、説明するだけですぐにわかってもらえるなら、
音楽家も画家も作家も、あんなに苦労することはないと思います。
まぁ、ロテ職人氏も「すぐに」分かる、等とは仰っていないのは
分かってはいるのですが・・
私も感じているのは、
「たとえば、概念がない」という話からすぐ彷彿したのは、言語学でした。
しかし、全然詳しくはない為、結局色々な考えが全く纏まらず、
>>911-912のように他に思いついたことを書いていました。
「たとえば、概念がない」ようなものをどう説明するか、などとは、
ウィトゲンシュタインでしたら、偽問題として切り捨てるかもしれません。
フッサールでしたら、世界の存在意味は他我との交渉の中に生きる自我の
主観性=超越的間主観性にあるのだから、クライエントが自分の【感じていること】
を、概念があろうが、なかろうが、治療者(他者であれば、治療者でなくとも
誰でも良いが)に伝えられて、始めて意味を持つと考えるでしょう。
記号論の話になるのでしょうか?
ストア学派で下記が体系的に区別を行われました。
・素材的な意味するもの(シニフィアン) 物理的実体として感受された表現。
・意味されるもの(シニフィエ)つまり、表現されたもの。内容(物理的実体を
表すのではない)
・外的な対象。 つまり、記号が指し示す対象。 それは今度はある物理的実体。
ある出来事ないしある行為でもある。
の3つです。
日本語の「馬」という記号を考えて見ると、
シニフィアンはフランス語を知らない(つまり、フランス語のコードを
持っていない)イヌイット人には無意味である。
私がそのイヌイット人に、「馬」のシニフィエを説明したければ、
イヌイット語の翻訳を示してあげることもできるし、
または字引や百科事典がやっているように、馬とは何かを
定義することもできるし、説明すべきシニフィアンの代わりに、
他のいろいろな(ことば上、視覚上等)のシニフィアンを
イヌイット人に呈示することが出来る。
いずれにしても、経験が語っているように、ある時点では彼は
「馬」が何を意味するか理解するであろう。
ある人々の考えによると、彼の精神の中で一つの「観念」ないし
「概念」が形成されたことになる。 他の人々に言わせると、
むしろ、私は彼に「答えようとする志向」を刺激したのであり、
そのおかげで彼は現実の馬を連れてくるか、または、彼が理解した
ことを示すためにいななきはじめるかもしれない。
こういう意味作用の過程全体は、馬が1頭も現存しなくても生じうる。
現実の馬、つまり存在しているすべての馬は、世界に存在しようが
しまいが、シニフィアンの指向対象として照準を合わされる。
(たとえば、実際に、「一角獣」なるシニフィアンは存在する。)
その意味で、「概念がないから、共感は不可能である」という事はないのは、
今のこのスレにいる殆どのものが承知だったと思います。
それと、「伝え切れない【感情】があるかもしれない」という話は別のものです。
「概念がないから、共感は不可能である」と主張していると誤解されやすいため
「たとえば、概念がない」という例が混乱を招きやすいマズイ例だったと思いますが。
あー、
>>974ですが。
まだ続けていたんですか。すごい根気だなあ。うらやましい。
しかし残念だなあ、私のとるに足りない表現能力のせいで、貴方に
誤解させてしまったようですね。訂正しておきましょう。
私が26行費やしていいたかったのは、
>ロテ職人の間違いがいかに取るに足らないことであるのか
ではありません。「貴方が」自説の正しさの証明に執着していること
について、「だいじょうぶですか?」と問いかけたのですよ。
また、
>「間違いは間違いである」
というのは、この場合は、「事実」ではなく、貴方の主観的判断であり、
貴方の主義主張であって、それは
貴方「だけの」枠組みの中で、「起こったこと」と感じている、他の者には
よく判らない出来事
です。
それでなかなか、「他のひとにわかってもらえず、賛同が得られなかった」
のですよ。
>>984の訂正
>シニフィアンはフランス語を知らない(つまり、フランス語のコードを
シニフィアンは日本語を知らない(つまり、日本語のコードを
ご自分は「もっと枠組みを広げるべきだ」、と主張しているのに、そうして
「自分の中に閉じこもって」、誰かが完璧な理解をもって「入ってきてくれる」
のを待っていると、苦しくなりませんか?
どちらにせよ、もう少し「行間を読む」能力を身に着け、何かに執着し始める
と周りが見えなくなる傾向を修正して、視野狭窄をいましめる癖をつけないと、
カウンセラーなどの心理学関係を志すには、困難が多いと思います。
貴方のように、独自の哲学を持ち、それを強固に主張したい、万人に
認められたい、という情熱を持ち、強烈な執着心を持つ方は、
心理学関係よりむしろ「芸術分野」でのほうが大成なさると思います。
>自分の感じていることを、説明するだけですぐにわかってもらえるなら、
>音楽家も画家も作家も、あんなに苦労することはないと思います。
なども、芸術家にはありがちな慨嘆ですしね。
シニフィアン、シニフィエ、辺りのお話にも、そういう才能が見え隠れ
していることですし。どうでしょう? 進路を再考慮なさってみては。
ご自分の適性を冷静に見つめるのは、現在の貴方には重要なテーマだと
思いますよ。もしかしたら、将来日本を代表する、「第二の岡本太郎」は、
貴方かも知れない、のですから。
いえいえ。
>>974については読み飛ばしていました。
私の知的好奇心が刺激されてるだけなので、お気になさらず。
>>988 私を誰かと勘違いしてませんか?
私のレス番書いておきますね。
それでは、夜も遅いので失礼します。
911さんも、風邪など引かぬよう、ここらで一旦休憩なさったらいかがですか?
では、おやすみなさい。
ああ、これは失礼しました。
例の方かと思ってしまったもので。せっかくの考察のお邪魔して
しまいましたね。申し訳ない。
それでは、今度こそおやすみなさい。
994 :
没個性化されたレス↓:03/08/23 00:14
コンテクストが分からなくなったので、質問します。
そもそもの議論の元は、911さんがなさった、>701
の問題提起と考えてよろしいですか?
そして、
911さんと、952さんは、別の方と考えてよろしいですか?
心的現実の赴くままに
993です。
おやすみなさい、と書いておいて申し訳ないのですが、
ちょっとこの機に便乗させてもらって、
>>944さんに質問が。
こちらでは、このような(
>>910さんとロテ職人さんの間でのような)
議論(?)が、しょっちゅう行われているのですか?
失礼、>>994さん、ですね。
993さんと994さんは別の方、ですか。
999 :
没個性化されたレス↓:03/08/23 00:27
1000
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。