952 :
没個性化されたレス↓:2005/10/17(月) 22:01:22
953 :
没個性化されたレス↓:2005/10/17(月) 22:07:34
いいか、言葉を表面的にそのまま理解するな。
絵に描いた餅は喰える餅ではない。
喰えるか?という実用的観点から見れば非常につまらないものだ。
「絵に描いた餅」と「本物の餅」は、ファンタジーとリアルであり、
アクチュアリティーなのだ。
954 :
没個性化されたレス↓:2005/10/17(月) 22:12:13
モーいい加減に隼雄、隼雄ってやめろよー。
日本の心理学界はほかにはおらんのか、実のある人間は。。。?
955 :
没個性化されたレス↓:2005/10/17(月) 22:12:58
>>953 今の自分に、必要な言葉だと思った。
絵じゃ嫌で、ファンタジーじゃ嫌で、
家族と一緒にコタツなんかに入りながら、餅を食いたい。
956 :
没個性化されたレス↓:2005/10/17(月) 23:37:22
957 :
956:2005/10/17(月) 23:38:13
『影の現象学』の中に抜群の記憶力を持つ男子高校生の話が出てくるけど、
あれ読んで、記憶能力が高いことはあんまり自慢することじゃないのかなぁと思った。
息子さんの本も面白いんだけど、お父さんの本と比べると分かり難い。
もう少しお父さんみたいに分かりやすく書けないかなぁ。
息子さんのほうが頭よいので、難しい本書くのだろうなぁ
難しく書けば頭がいいと思ってるんだなぁ
そうです
962 :
没個性化されたレス↓:2005/10/31(月) 21:03:56
全体の簡素な見取り図を書こうと志せ。
963 :
没個性化されたレス↓:2005/11/07(月) 16:07:08
まじですか?
964 :
マリリン ◆IxLejT1KUU :2005/11/07(月) 23:05:44
>>953 本当にそうだわ。何言っているかさっぱり分からない。
こういう場合、ファンタジーの世界などで思考することができない理系馬鹿がどう考えるかと
言えば。「なにたわけなこと言っているんだ、このおじさんは」となる。
普段はそういう人たちが話し合うことがないから別に問題ないが、臨床家となれば
そんなわけにも行かないだろう。
共通する言語がないと、カンウセリングなんて成立しないだろうに。
彼らは多分クライアント側になるだろうから理系馬鹿が悪いのではないからね。
理系馬鹿でも理解できる、どのような言葉や話し方を心理士は用意しているのか
聞いて見たいよ。
どっかに書いてあるの?
965 :
没個性化されたレス↓:2005/11/07(月) 23:10:37
「抑圧」「投影」「転移」が分かれば十分だよ。ググってよ。
966 :
マリリン ◆IxLejT1KUU :2005/11/07(月) 23:15:59
>>965 >「抑圧」「投影」「転移」
この辺りは分かるつもりなんですけど。こっちの方が「絵に描いた餅」より分かりやすい。
967 :
没個性化されたレス↓:2005/11/07(月) 23:27:48
>>966 ・「認知の歪み」
・『ヒゲからの感覚入力が大脳皮質のバレル皮質に「投射」される』などの「投射」
この二つがどれに対応するか分る?また残りの一つに対応すると思うものを何か挙げて。
968 :
マリリン ◆IxLejT1KUU :2005/11/07(月) 23:54:41
>「認知の歪み」
これは抑圧と投影
>『ヒゲからの感覚入力が大脳皮質のバレル皮質に「投射」される』などの「投射」
これは転移
違う?
969 :
没個性化されたレス↓:2005/11/08(火) 00:00:22
>>968 違う。「抑圧」が認知の歪み。「投影」が投射。「転移」に対応すると
おもう現象をあなたの知っているものの中から何か教えて。
970 :
マリリン ◆IxLejT1KUU :2005/11/08(火) 00:19:23
>>969 飼い主さんが、苦手なタイプの人でいい加減な態度を獣医がとってしまう。
971 :
没個性化されたレス↓:2005/11/08(火) 00:23:37
>>970 ありがとう。
あなたに必要な「メタ知識(メタ認知的知識)」が、その一部分としてであれ「飼い主さんが、苦手なタイプの人で
いい加減な態度を獣医がとってしまう。」という現象に言及している必要がある、というのは理解できる?
972 :
マリリン ◆IxLejT1KUU :2005/11/08(火) 00:26:04
>>971 分かるけど、私は言及はしているけど必要があるとは思わないよ。
973 :
没個性化されたレス↓:2005/11/08(火) 00:34:37
>>972 マリリンさんのメタ知識は定義から得られる性質より、その一部分と
して「飼い主・・・とってしまう。」という現象に言及している事が
好ましい。それで、「メタ知識」がフロイトの言う超自我に対応して
いるのは分かる?
974 :
マリリン ◆IxLejT1KUU :2005/11/08(火) 00:45:30
>>973 >という現象に言及している事が好ましい。
までは分かる
>「メタ知識」がフロイトの言う超自我に対応しているのは分かる?
これは分からない。マリリンにとってメタ知識と超自我は対応していない。
ゴメン今日はこれで落ちます。私にはこういう話し方の方が理解でる。だけど、
面接現場でこんなこと話してたら馬鹿だろうね。アハハハ
975 :
没個性化されたレス↓:2005/11/08(火) 00:53:22
>>974 おやすみなさい。予定していた内容は、「超自我」は性の本能に対応している、
「性の本能」以外の本能は「エス」に対応している。「イド」は感情に対応している。
「意識」は思考に対応している。思考と本能を直接繋ぐ部分をフロイトは「性」と
総称している、本能からの衝動は「性」により抑圧され、その抑圧のメカニズムを
フロイトは超自我と呼んだ。メタ知識は超自我に切り込みこれを改善するメス(手段)
である。あるいは健全な行動をもたらすためのバランサーである、よってカウンセリングは
自然に、メタ知識の健全な交換と共有を目指すものになる、というものです。
よければ後でメモ帳にでも貼ってゆっくり眺めてでも見て下さい。2ちゃんねるで無理やりに
対話形式に落として話すには、ちょっと長すぎる内容だったかも知れませんね。
では。おやすみなさい。
では「行動」とはなにか?
それは次回の講釈で。
978 :
没個性化されたレス↓:2005/11/08(火) 14:42:26
What so?
979 :
没個性化されたレス↓:2005/11/08(火) 15:31:19
What so!
980 :
没個性化されたレス↓:2005/11/08(火) 21:32:12
行動とは、思考が予測しそれが感情の抵抗を押し切って体を動かし、
その結果生じた何らかの知覚が本能において最初の予測と照合された
結果意識が生じるまで、という過程だという事ができる。
フロイトの言う「意識」が思考に対応しているのに対し、この説明では
本能を意識の座だとしている事に注意。
981 :
没個性化されたレス↓:2005/11/08(火) 21:36:32
と思ったが逆かも知れない。
やはりフロイトの言うとおり、行動は本能(エス)が予測をし、
それが感情の抵抗を押し切って(性の働き)、それが思考で
照合されて意識が生じる、としたほうがよいような気がする。
認知心理学が確立された今、このような突合せをするのは
既存の心理学により文化が汚染されている影響を除去する
目的にのみ役立つ。ある種の瑣末主義とともいえ、必ずしも
各人がこのような作業に労力と集中力を費やす価値はないとも
言える。(ただしこれは臨床心理家の立場からの意見ではない、
臨床心理家は瑣末主義であるべきである。)
982 :
没個性化されたレス↓:2005/11/08(火) 21:47:02
河合隼雄氏はクライエントの話題に合わせ、話題に対応できるように
読書をし、研鑽を重ねたという。本人の「私はカウンセリングを
している時が一番輝いている」という言葉と、著書に紹介されていた
「先生はどんなに話が飛んでもいつもそこにいてくれる人」という
クライエントの感想が氏の高潔な人柄と高い能力とを余す所なく
伝えていると思う。敬愛すべき人である。
行動は動作程度の意味で十分です。
981で瑣末主義について述べたが、先の記述はすべて
「おおよそ医療に関わる人間は瑣末主義者であるべきである」
と訂正させてほしい。スマソ。
985 :
没個性化されたレス↓:2005/11/09(水) 00:23:10
>本能からの衝動は「性」により抑圧され、その抑圧のメカニズムを
>フロイトは超自我と呼んだ。
これはまちがいかも知れない。マリリンさんが言ったとおり、超自我と
性とは同一視してはいけないものなのかも知れない。というのは、この記述を
含む以降の記述は瑣末な内容でありよく検討されていないものだからだ。
冷静に考えれば、本能からの衝動を抑圧するのは感情である。性、すなわち麻痺と
それにともなう快感は、本能からの衝動を思考に送り届けるパイプ役になっている。
それが損なわれると、リストカットなどの自傷により、麻痺とそれに伴う快感の部分を
増やし、抑圧を減らそうという行動が発生する。そう考えたほうがよいだろう。
986 :
没個性化されたレス↓:2005/11/09(水) 00:52:09
「こころの病気」とは、要するに感情の病気である。感情が原因で
病気になるケースは大きく二つに分けられる。一つは感情が過剰な
場合、もう一つは感情が少なすぎる場合である。そもそも感情の
量は、他人の感情とのバランスにより決まる。おおざっぱに言って、
他人から孤立した人間は感情の放出に歯止めがなく、感情は過剰に
なるだろう。逆に他人から感情的な圧力を受けすぎた場合は、
感情は過小になる。
987 :
没個性化されたレス↓:2005/11/09(水) 00:55:17
感情が過剰である場合には、感情が思考を攻撃し、思考は混乱し
幻想を見たりするであろう。分裂症はこの類である。また、感情が
超自我を攻撃し、そのため本能から思考への連絡が絶たれる。
そのため、本能からの衝動(予測)と感情(動作)とを照合する
機能が正常に働かず、意識に障害が発生すると言える。
988 :
没個性化されたレス↓:2005/11/09(水) 01:06:13
逆に、人間が過大なストレスにさらされ、他人の感情に攻撃され、
結果として感情がやせ細ってしまうと何が起こるだろうか?
感情は常に本能から突き上げられ、それが行動として表出している。
しかし感情がやせ細れば感情は本能からの突き上げに耐えられなくなる。
そして実際の行動に障害が出てくる。これは欝病の機序であろう。
投薬がない場合に鬱病が非常に悲観的であるとされるような気分障害を
伴う理由と言うのは判断し難い。あるいは単純に、人間には喜怒哀楽という
感情があり、感情は基本的には攻撃的な「怒」のトーンからなり、感情が弱り
本能からの突き上げが増す状態を「哀」、それら二者の比較的長期的な感情の
変動に対して、ごく短期的に感情が弱まり超自我のパイプが広がる状態を「楽」
逆にごく短期的に感情が強まり超自我のパイプが狭まる状態が「喜」であると
いう事なのかもしれない。感情の変動の周期が短期的であれば、その人の「こころ」は
健康で、そうではない場合はより不健康なのだと総括できるのかも知れない。
989 :
没個性化されたレス↓:2005/11/09(水) 01:16:53
しかしどうだろう。「喜」とは、感情によりごく短期間、
超自我のパイプが狭まったため、感情を放出してそれを回復する
動作なのかもしれない。「哀」で胸が張り裂けそうになるのも
同様で、失われた感情の圧力を取り返し、本能からの突き上げを
押しかえすという回復の動作なのであろう。この両者は比較的考えやすい。
990 :
没個性化されたレス↓:2005/11/09(水) 01:23:40
「楽」は「喜」の反対であるので、一時的に感情が放出されたあと、
それをじんわり回復するというものであろう。「哀」に比べて危機的
ではないため激しい感情は伴わない。のこりは「怒」であるが、これは
「哀」の反対であり、「哀」がたとえば感情的に結び付いたパートナーを
失った時に大きな感情的な喪失を埋めるために発生する、つまり孤独に
ともない発生するのに対し、長期間にわたって強い感情的なストレスを
受けた事に対する防衛反応にあたる。この時交感神経は緊張する。しかし
息を長く吐けば副交感神経が亢進し、その作用を簡単に相殺できる。
・・・何で病気になるんだ???
992 :
没個性化されたレス↓:2005/11/09(水) 01:56:24
そもそも、人間は怒れば天を仰ぎ、罵声を飛ばすものだ。
こうやって息を長く吐く事で副交感神経が刺激されて
感情のバランスを取り戻すものだ。また悲しいとき、
人は下を向き、息をしゃくりあげる。こうやって吸う息を
長くして交感神経を刺激して同様に感情のバランスを
取りもどす。マックス=ウェーバーが「インドの呼吸に関する
生理的実験」と呼んだ知見が現代でも再発見されている。
単純に「上を向きながら息を吐く、吐き終わったら左を向く、
下を向きながら息を吸う、吸い終わったら右を向く」程度の
オリエンテーションでこの技術は習得できる。悲しいときは
ずっと下を見れば、自然に吸う息は長くなる。怒りが収まらない
時はずっと上を見ながら息を吐けば、同様に吐く息は長くなる。
鬱病は悲しいときに順じ、躁病(分裂症スペクトル)は怒っている
時に順ずる。
993 :
没個性化されたレス↓:2005/11/09(水) 02:00:23
このような知識がメタ知識(メタ認知的知識)に含まれていれば問題ない。
逆に、このような知識がないか、あるいは誤った知識があるか、あるいは
正しい知識が誤って伝わった知識があるか、など、さまざまなケースが考え
られるだろう。どちらにしてもこの種の技術の土台にあるのは、生理学的な
知識である事が確認できた。カウンセリングや臨床心理学は、医学や生理学の
領域に隣接している。
994 :
没個性化されたレス↓:2005/11/09(水) 02:05:49
しかし、メタ知識の考え方は医学の範疇なのだろうか。そうではなく、
文学やその中の哲学などと隣接するような領域なのではないだろうか。
つまり、心理学の内部の知識であるとおもわれる。よって、カウンセリング
(臨床心理学)は、その一部が医学に応用される事はあっても、基本的には
心理学全体のかなりの部分を占める、心理学の内部の運動であると総括して
しまってよいのではないだろうか。この結論をもって、本稿を終了する。
(おわり)
995 :
没個性化されたレス↓:2005/11/09(水) 02:13:20
メタ知識の
996 :
没個性化されたレス↓:2005/11/09(水) 02:13:45
メタ知識の考え方は医学の範疇なのだろうか。そうではなく、
文学やその中
997 :
没個性化されたレス↓:2005/11/09(水) 02:14:14
哲学などと隣接するような領域なのではないだろうか。
つまり、心理学の内部の知識であるとおもわれる。よって、カウンセリング
(臨床心理学)は、その
998 :
没個性化されたレス↓:2005/11/09(水) 02:14:42
部の
999 :
没個性化されたレス↓:2005/11/09(水) 02:15:12
学の
1000 :
没個性化されたレス↓:2005/11/09(水) 02:16:03
上程なるだろうか
1001 :
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