717 :
没個性化されたレス↓:04/07/31 03:13
まんだら浩ねえ。。
トラパ全体そうなんだが、この御仁も、
どうも問題意識の根源がよく分からない。
この人のこういう文章を読むと。。
なんか「俺サマ」的おごりが漂うというか。
悟りとか解脱とかに対して、我欲レベルで執着しているような?
>SH: はい。つまりこういうことです。「高い意識に達した
>人には、必ず霊能力が存在する」ということです。しかし、そ
>の逆の命題、「霊能力があれば、その人は高い意識に達してい
>る」というのは間違いです。
>珍: ということですと、もし霊能力がない、というならば、
>いくら「悟った」と言っても・・
>SH: はい、本物ではないです。それは「悟ったと思ってい
>る」だけのことですね。実際に、いろいろなことがわかったり、
>起こしたりすることができなくてはいけません。悟りというの
>は「心の持ち方が変わる」ということではありません。そんな
>ことを言っている坊さんなどのお説教はみな偽物です。
>>717 都合よく引用したり説明するのはよしてください。
科学と超常現象
正統派科学が支持する世界観が不適当であり、様々な道に拡張する必要
があるという証拠は次第に集積されつつある。これが長年私が自身の中で
関心を持ち続けていた問題なのである。
私は個人的にそれらの実験をするよりも、これらの現象を理解しようとする
知的挑戦に関わってきている。しかしながら、私がその現象に全く関わって
いないというわけではない。もし分別ある結論に達しようとするならば、私は
その現象というのは重要だと考えている。
1974年、ジョージ・オーウェン教授のお招きで、サイコキネシスに関する
トロント会議に出席した。彼はトロント大学に移る前はケンブリッジ大学トリ
ニティカレッジでの私の同僚であった。この会議で前からヒーラーだった
超能力者マシュー・マニングは、金属曲げや磁石の針を離れて動かす能力
を見せたのであった。
時に私は、超能力者の一撃を体験し、全く驚くべき結果を得た。偶然の一致
でないといった可能性は閉め出せなかったけれども。一つの面白い体験は
訪れた講演者がケンブリッジの学生物理協会で話したことに関わっている。
彼はテレパシー実験の非公式な実証をした。まさに重要な瞬間に私は送り手
の「心」に接触しようと試してみたのだ。すると一瞬ピカッと光る光景を見た
ような体験をした。私のちょっとした「心」のイメージが後になって評価のため
見せられた絵の一つと一致するばかりか、驚いたことには、対角線が反対に
なっているのが実は講演者がOHPの透明シートを左右逆向きに置いてしま
ったことで説明が付いてしまったのだ。
これらの体験はこの問題の文献(後述)と同じで懐疑論者の注釈であまり
うまく論駁されていないわけで、私にはどうにかしてその現象を科学に適合
させるよう試みることはやってみるだけの価値があると悟ったのである。
私が関わってきた限りの重要なことというのは、
その現象を正統科学にぶつけ結びつけることである。
科学が実際は真実であることを真実ではないと見なしている状況というのは、
不満足であると私は考えるのである。
西洋ではとにかく科学者たちはこれらの事柄にとても混乱しており、
非科学的とか間違っているのだとか、同じものとして科学に統合されるもの
として必ずしもみなしていない傾向があるのである。
そのようなわけで、普通ではないこれらの現象を科学に統合することは
重要な課題となる。
科学への統合の一つは、実験といった科学的アプローチを適用することで
ある。多様な超常現象(例えばESPとかサイコキネシス)や、水の記憶と
いった興味をそそる現象で、かなり実験が成功してきている。
あまり馴染みがないようなので、後者に立ち入ることにしよう。
ホメオパシー医学、何回も薄めた溶液を使う医学分野での研究から、水の
記憶といった話題がのぼっている。使用する溶液は残存する分子が恐らく
はないぐらい十分に処理されている。これでは生物学的効果などないはず
だと不適当に考えられてきたが、水の中でも確かに電磁場は存在しうるの
だから、その基準では電磁場に依存するラジオ、テレビ、ほとんどの電子
機器を除外してしまうだろう。ベンヴェニスト、シリル・スミス他の研究が示す
のは、水が電磁信号を記憶することができるということである。つまり生物学
的に活動的な分子から信号を取り出して、水に伝え、様々な生物学的試験
で活性化する水にすることができるのである。
どう理解して良いものなのか? ありえる答えは、水が複雑系であり、
複雑系は単純系で理解されているのとは異なる行動ができると分かり始めて
いるといった事実に関係する(このことについては後ほど詳しく触れよう)。
事実、ある種の液体(液晶、超流動)は流れているという事実にも関わらず、
記憶を保持できる秩序化された構造を持つと知られているのである。
科学的偏見との戦い
不幸なことだが、科学実験を行うことで受容を保証するに十分だということ
にはならない。我々はここで情報操作と検閲の現象に立ち向かっているのだ。
ネイチャー誌はある時期、ベンヴェニストに対し、そしてごく最近では本に
対して、情報操作と検閲のキャンペーンを展開中である。
ディーン・ラディン「意識する宇宙(The Conscious Universe)」は、超常現象
の証明を考察し、肯定的結論に至っている。
ネイチャー誌は、敵対する評論家に書評するように命じ、自分に都合のよい
誤解に基づいて、「その本には決定的な間違いがある」といった結論を印刷
してしまった。その当時は訂正するのを拒み、数ヶ月が経ち、ようやく検閲
結果として印刷されるべき連絡をインターネットにて流したのであった。それ
から、この訂正と評論家の非科学的攻撃を組み合わせて、偏見に満ちた
本の紹介をし続け、攻撃についてのコメントは印刷拒否したのであった。
現在、広範な人々に、これらの全ての活動を暴露する一つの記事が準備
されているのである。
科学の進化 (量子の非局所性と情報)
科学に話を戻すと、科学は現在、革命とまではいかなくとも進化を遂げつ
つある。私はいくつか立ち入ってみたいと思う。量子の非局所性と情報、
複雑系と創出について。
量子の非局所性---我々は離れた部分に分断された系を持っており、
我々は部分を観察している。もし一つの部分を観察することが他の部分に
遠隔効果がないと仮定するならば、我々がそう選択するかもしれない多様
でありえる観察結果が矛盾することが分かる。
推論はこうである、非局所的作用(遠隔作用)があるに違いないということ
である。
不幸にも(標準理論では)我々はメッセージを送るのにこれを使うことができ
ないでいる。これができないということを介入している宇宙のランダムな影響
に帰するいくつもの理論はある。もしこれがある十分強力に連結した系に
押し込めることができれば、信号の伝達は可能であろう。しかし、これをする
やり方が実際には分からないのである。
実験室内でうまく実験できる量子の非局所性の一応用がある。それが
いわゆる量子テレポーテーションだ。
これでは、適当な系が二つの部分に分かれていて、AとBが各自一つの
部分を成す。Aは自分の部分の系をテレポートしたい系に連結させ、ある
観察をすることでBにテレポートできる(実際にはBにAと同じ系を供給する
のだ)。量子情報はすぐにBの系に伝達され、これは複製されるために
使われ、より多量の情報が過程を完結させる他の方法で送らねばならない
ということなのだ。この種の過程はかなり難しく、その十分な意味合いが
まだ実際には理解されていないのである。
バークレーのヘンリースタップは違う方法で量子論の論理を検証している。
彼の考えではこうだ。観察時に起こるとされる波動崩壊過程は「心」が物理
に入るその点である。
我々は「心」が作用するとき変化する知識を波動機能と同定することが
できる。
彼にとっては、知識とは自然の基本的側面であり、我々が行っている科学
の方法では隠されてしまう。
科学の進化 (複雑系と創出)
複雑系と創出は、通常の(非量子的)系でさえ起こる事柄である。
何が起こっているのかを論及することは、通常の言葉で物理系を表現する
問題に関わってくる。
一般的な通念では、物理系の振る舞いを表すのに方程式を書き下ろし、
それを使って計算してゆく。初期状態に微妙な関わり(カオス、バタフライ
効果)があるような時、問題が生じる。というのも我々は正確な予言ができ
るほど十分には初期状態を知ることができないからである。複雑系では
状況が悪く、我々が使うのに必要な描写を決定する一般系の現象が微妙
に初期状態に依存しているのである。
結果は一つの系の部分が予言できず、予期すらできない方法で自己組織
化するのだ。
そして系が自己組織する仕方に依存しつつ、我々は全く違う現象に直面
させられるのである。
複雑系に関しては、主に組織化と関係性に基づいてとても異なる理解が
使われるべきだと結論することができる。
複雑系は、物理では馴染みのない方法で、系の微妙なところに影響を
与えることだろう。
生体系と社会系の文脈では馴染みやすいのであるが。
プラトン世界
この主題の適当な実例を挙げてみよう。
(1)ガイア---正統派になりつつあるが、生体システムと生態システムが
統一した全体を形作っているというわけだ。生体システムは環境を制御
できるまでに進化しうる。
(2)クレアヴォイヤント・リアリティ(透視的現実)---ルシャンは神秘家や
超能力者に自分たちの現実を述べるようお願いし、それが科学者の
現実と異なる原理で働いていることを見出した。全体への組織化は
時空さえ超越し、基本的に分離しているが相互作用するサブシステム
の概念よりも、もっと重要である。
プラトン世界 (心の一般理論)
心の一般理論。私は心と認知の一般理論について目下研究している。
科学ではまだ理解されていない組織の可能な形態を含み入れる、自然に
おける組織化の一般理解を与えることができればと思うのだ。
「心」とは相互支持を提供する真に特殊な過程の集合として特徴付けられ
ると主張する。これらのいくつかは、科学では普通考慮されていない能力に
対応しているのだろう。
結局、私はいわゆるプラトン世界に注意を向けるのである。これはロジャー
・ペンローズによって数学的直観に関連して大いに論じられている。私も
可能な音楽の応用に関して、音楽学者と共同研究してきている。
ペンローズはいかにして我々が数学概念を理解し、どのようにして数学的
真理に到達するかに関わってきている。
一つの見方は、我々の心はプラトン世界に接触しており、そこから知識を
取り出すことができるといったものである。ペンローズはゲーデルの定理
から次のことを示そうとしている。数学的能力の原因であると通常理解され
るような手続きはありえないが、論理が間違っている(例えばいかにして
我々の心が働いているのかといったことについての悪いモデル)といった
一般的な意見はあるのだと。
デイヴィスとハーシュは異なる見解を持ち、それによって新しい概念が
生まれる難しい経験の性質や過程の固有の誤謬性を強調している。彼ら
は数学を一つの経験科学のようであり、再現性は我々の思考過程に同期
する可能性から生じるのだと考えているのである。
しかし、私は違う理由でペンローズは正しいかもしれないと考えている。
直観の源泉は私たちには接触することの難しいある特殊な過程(いわば
プラトン過程)に違いないだろう。数学的真理との接触は日中に金星を探す
ようなものに違いない。これを成し遂げることは微妙な過程であり、接触
した者には結果は明白なのである。
音楽とプラトン世界
プラトン主義と数学の問題に関して、音楽学者テシス・カーペンターと私は
音楽に関連した問題を検討した。
我々が気づくのは、ややこしくさせる二つの異なる問題があるということだ。
一つの音の構造が全体として音楽として知覚されるのか、あるいは審美的
に有効および力強い音楽として体験させられるのかという問題だ。音楽に
ついての心理学理論のほとんどは前者を特徴づけることに専心しているよう
に思われ、ある種の音楽の文法を生み出している。
もう一方の問題は、音楽の効果および意味により関わるようにみえるのだ。
この問題をこなす方法は、音楽をある種のコードとして取り扱い、心理学者
が処理する構造(まるで言語の意味が意味とは全く関係のない統語論的
構造を通して効果があるように)を通して効果が組織化されてゆくとすること
に思える。
我々が示唆したいことは、音楽は心の過程に密接に繋がっており、それら
を再構成することができるということである。
これらの関連性は宇宙的側面があり(特殊なテーマはそれらの可能性に
おいて特に力強いか多産である)、プラトン領域に帰するという新しい音楽
に対する我々の反応に基づいて、いくつかの論争がある。
それではもし存在するならばプラトン領域とは何か? 宇宙的なもの、心の
ような側面を持ち合わせるものとは、現在語りうる全てであるが、心のような
過程の一般理論は、これを推敲するのに役立つであろう。
新しい段階に突入する科学
結論:科学は恐らく新しい段階に突入している。
「万物の理論」といった考えは奇妙にも廃れてしまうことだろう。
もっと人工的でない状況下で取り扱うべき組織化の複雑性が無視されて
いるところで、非常に選択された一連の現象だけが理論化されていたのが
伝統であったのだ。
私たちに向き合っている挑戦とは、「超常現象とプラトン世界」という、
新しい状況にアプローチする方法を見いだすことである。
※この「超常現象とプラトン世界」は、1998年11月に早稲田大学で開催
された「第二回意識・新医療・新エネルギー国際シンポジウム」のオープ
ニングレクチャーのために用意された、ジョセフソンの論文である。
ブライアン・ジョセフソン (Brian D. Josephson)
ケンブリッジ大学物理学科教授。同キャベンディッシュ研究所
濃縮物質理論グループ・精神-物質統合プロジェクト所長。
「ジョセフソン効果」で30代にしてノーベル物理学賞を受賞。
その後、デヴィッド・ボーム(ロンドン大学教授)らと共に、
意識と科学の問題を研究。
著書:
「量子力学と意識の役割」(1984) ジョセフソン,カプラ,ボールギャール,マトック,ボーム
「科学は心霊現象をいかにとらえるか」(1997) ジョセフソン、茂木健一郎訳
「意識が拓く時空の科学」(2000) ジョセフソン,ロリマー,リュービック他
「脳は1000億のニューロン(神経細胞)でできているが、ほとんどの人は、
1本のニューロンや1つのシナプスの相互作用が情報の基礎単位だと
考えている。だが、たとえばゾウリムシのような単細胞生物を見てほしい。
ゾウリムシも泳いだり、食べ物を探したり、仲間を見つけたり、生殖を
行なったりとさまざまなことをする。それでも、標準的なパラダイムに
よれば、ゾウリムシの個体は1つのスイッチにすぎないということになる」
1995年以来、ハメロフ氏とオックスフォード大学の数学者、ロジャー・
ペンローズ氏は、人間や動物の意識の本質は、ニューロンの奥深く――
つまりゾウリムシの個体内部――の量子過程の中にあるとする一連の
論文を発表してきた。
両氏の主張にはなお議論の余地があるものの、この理論が現実の成果に
つながるとすれば、人間の知性、人間の経験というものを理解するうえでの
次の大きな「量子飛躍」の踏み台は、脳のニューロンのごく小さな構造
である「微小管」にあるのかもしれない。
「全身麻酔ガスは、非常に微妙な量子力学によって完全に、そして可逆
的に意識を消す」と、アリゾナ大学で麻酔学と心理学の教鞭もとっている
ハメロフ氏は語った。
「化学結合、イオン結合といったことは一切起こさない。ただ、とても弱い
量子力学的力によって麻酔は作用するのだ。つまり、つきつめて言えば、
脳は量子力学的な力で機能しているということだ」
ハメロフ氏の微小管理論は、量子薬理学の道をひらき、アルツハイマー
といった神経障害の治療などにも応用できるかもしれない。しかし、
ハメロフ−ペンローズ理論は意識そのものの謎に迫るものだと言われる
と、医療的応用の可能性すらも色あせて見えてしまう。
「夢、陶酔状態、幻覚、それにたぶん精神分裂状態も、われわれが量子的
に重なった状態――情報が濃密になっている状態――にあるときに生じる。
その量子の重なりが壊れると、それがわれわれの現実、知覚、感覚を
決める。これが1秒に40回起こるとしたら、意識とはそれらがつながった
ものと言える」
「現代の科学では時間・空間を超えた見方をしているそうだが、その分野
や学者を教えてほしい」という質問が来た。アドレスが書いてないので
こちらで答えるしかない――というか、基本的にQ&Aというのは共有の
財産としていきたいというのが私の考えで、純粋に個人的な質問には
お答えしないのが原則である。私は霊的なマスターでもないし指導者でも
ないので、その人の霊的次元を見なければ答えられないような問いには
答えることはできない。一般論的な話ならば、公開してはいけない理屈は
ないわけである。
さてこれは「ニューサイエンス」というものの話なのだが、こういうのも知ら
ない人は知らないのだな、と思う。一時期は、C+Fの『パラダイム・ブック』
とか、この手の情報を要領よくまとめたガイドブックもよく出ていたのだが、
新しいものはあまり出ていない。
で、まず基本書としてはカプラの『タオ自然学』(工作舎)である。これはまだ
色褪せてはいませんね。それからズーカフの『踊る物理学者たち』(青土社)、
この二冊が定番。
それから、ホログラフィーモデルについて詳細に語り、霊的な領域にも踏み
こむタルボットの『ホログラフィック・ユニバース』(春秋社)がおすすめ――
ということだが、こんな名著が品切れ? 何を考えているのか春秋社はー
ーというわけだが、もっと易しいものとしては天外伺朗『ここまで来た「あの
世」の科学』(祥伝社)は、物理学とユングとのドッキングを試みる。理論的
には粗すぎるが、入門としてある種の雰囲気を知るには役立つ。
それから、科学論として村上陽一郎『新しい科学論』(講談社ブルーバック
ス)に眼を通しておくのをすすめる。これは「科学信仰」の毒抜きとして必須
科目である。それと、『パラダイム・ブック』(日本実業出版社)も96年の新版
があるのでそれもガイドとしてよい。
それからニューサイエンスではないが『魂のロゴス』の予備知識となる本
をいくつか。
まずユング心理学のことくらい知っていないと話にならない。これはマンガ
が出てますぞ。石田おさむ『マンガ ユング深層心理学入門』(講談社)で
ある。あとは河合隼雄のものとかを読む。
それからトランスパーソナルについては、吉福伸逸『トランスパーソナルと
は何か』(春秋社)が、そのバックグラウンドなどをよく説明してあるというの
でいいかも(何? これも品切れ?)。
それにしても・・この間の攻撃メールは、このページが存在することが面
白くない人物による意図的な嫌がらせなのかもしれない。
フリーメールアドレスから差し出されているし、堂々とした意見陳述では
なく、嫌がらせと呼ぶしかない。そのような行為をする人間が霊性に
ついて語る資格を欠くことは言うまでもなかろう。
私が時折いろいろなものの批判や悪口を書くので、その辺に気に入らな
いところがあるのかもしれない。まあ、これ以上は言わないが。
私としてもあまり批判めいたことは書きたくはないし、書く場合はたしかに
自分の中にある傲慢性が刺激される場合もあるので、その点に細心の
注意が必要であることも自覚している。
だが、やはり批判すべきものはこの社会の中にたくさんある。
それはたとえば、自分の利権のために、
もっとよいものが育ってくるのを妨害する諸勢力である。
その代表例として、医学界とか大学界とかがあると考えている。
また自分の商売のためにあるものが存在すると具合が悪いので
いろいろ妨害するという人々は世の中に決して少なくないのだ。
社会人をある程度やった人は、世間というものにどういう人間がいるのか
よくご存じだろうと思う。
問題なのは、自分の生活のために(正確には生活レベルの維持のために)
そういう行為に手を染めることをなかば強いられている状況におかれたとき
どうするか、ということかもしれない。
霊性そのものを教えたり語ることはむずかしいが、
霊性の展開を妨げている諸条件が現代社会に存在することは事実であり、
それを撃破していくことは必要である、と考えている。
というわけでこれから多少形は変わる可能性はあるが、
自分の内なる傲慢性に注意を払いつつ批判すべきものは批判する、
という姿勢は維持するつもりなので、その点はご安心願いたい。
738 :
没個性化されたレス↓:04/07/31 16:40
>>718 いや一例として挙げただけで、
まんだら浩の文章にはあちこちにそういう固さや狭さが感じられて、
どうも好きになれないということなんだが。
それに、
> 都合よく引用したり説明するのはよしてください。
と言われても、そもそもなにも説明していないわけで。
なんか変だ、なんかよく分からん、ということで書いたまで。
あんたこそ果てしもない「都合よく引用」を繰り返しているぞ。
>>738 いずれにしても抽象的な印象批判に益はありません。
>>738 また、それについては、このあたりのFAQ
>>485-493をよく読んで
「役割」というものを理解してください。学問に乗せて、根本的に変革
していくには、戦略が必要なのです。
さてこのところ毎日ディスカバリーチャンネルを見ている。最近では前世
記憶や古代のシャーマンをテーマにしたものも。これがどうしてなかなかの
水準のものだ。前世問題ではハラルドソン博士、シャーマンではクリップナ
ー、グロフ、それにモンロー研究所まで登場し、当代一流ばかりである。
モンロー研究所での、ヘミシンク技術による体外離脱の実験まで紹介して
いた。いちおうたまに批判的な意見も入れたりするが、全体としてはこうした
「意識のフロンティア」の探求に対しかなり好意的な製作態度である。それ
はもう日本の民放の興味本位、視聴率稼ぎの特番などとは比較になりよう
もない。こういうテーマでこうしたレベルの番組は日本では決して作れない
だろう。それはこうしたテーマを日本語で語れる人材があまりいないという
こともあるが。
しかし意識のテーマに限らずディスカバリーで放送する番組にはみな、
「フロンティアの探検」に対する大きな興味というものを感じる。これは
アメリカの文化が持っている長所の一つではなかろうか。奥地を探検
するのと、意識のフロンティアを探検するのを同じ目線でとらえている
ところを感じさせる。「未知」に対する感性に健康なものがある。
思うに日本は北海道などを除いて、あまりに隅々まで開発されつくした
のか。「未知」が少ない国土に住んでいてはそうした興味が高まらない
のもやむを得ないのかもしれない。探検もせずに「・・ということはある
はずない」などと決めつける人々ばかりだと、フロンティア・スピリットは
殺される。残念ながら、日本の放送人、ジャーナリストでさえそうした
人々がたくさんいるのではないか。
The Cultural Creatives という本がある。How 50 million people are
changing the world という副題で、Paul Ray / Sherry Ruth Anderson の
共著である。
アメリカに新しい文化が生まれつつあることを論じた、社会学的な本である
が、読みやすい。つまり、新しい意識の目覚めに関心を持ち、また同時に、
環境問題、女性問題・・等々にも新しい意識を有している、という社会層の
人々だ。それが今や5000万人に達するといっている。
これは従来「ニューエイジ」と呼ばれてきたものに近いが、現在では「ニュ
ーエイジ」という言葉は蔑称になっており、だいたいにおいて、そういう動き
が気に入らない人が、その最もオカルト的な部分を誇大に捉えて馬鹿に
するための言葉になっている。たとえばすぐ「プレイアデス星人からのチャ
ネリング」などという類のものを連想させてしまうわけだ。まともに意識の
成長を考える人々は――私を含め、ここを読んでいる人の大多数はそう
だと思うが――自分をニューエイジと呼ばれたくはないだろう。
ところがそういうグループをどう呼ぶかというほかの名前がなかったのだが、
この本ではそれを明確に「cultural creatives」という名前を与えた。
名前をつけたということがいちばん重要なことだろう。
この日誌でも前に取り上げた Hanegraaf の研究にしても、何をもってニュ
ーエイジとするかというのが、いろいろ説明はしているものの今ひとつ納得
できないものがあり、著者の恣意で線引きをしているのではという疑念を
消すことができなかった。また日本の島薗などは新宗教運動を合わせて
考えているが、これも納得しがたい。
つまり、「自分とほぼ価値観の近いグループ」というものができつつあると
私たちは感じているわけで、それがそういうものと一緒に扱われるのは
かなり違うという印象を受けるわけである。
しかし、この「cultural creatives」というのは、その点、新宗教ともオカルト
好みともはっきり異なる、ある価値観を共有するグループとして際だたせる
ことに成功している。
つまり私たちは自分たちのアイデンティティを確認し、その名前を持つことが
できたという意味で、この本は画期的だと思う。
そういうグループの人自身の自己確認には最適であるし、また社会学者や
宗教学者もこれを読んで勉強していただきたいものだ。
というわけで、日本でもアメリカに数年遅れてはいるが、確実に cultural
creatives の層は増加していることは肌で感じることができる。
アメリカと違うのは、日本では知識人層がこれに対応できていないことだ。
この社会層の価値観を支え、リードしていくような知識人が数えるほどしか
いないのである。
たとえばその中核となる「新しい意識成長のあり方」について知的に論じる
ことのできる人材がどれだけあるのだろうか。出版界では翻訳物に頼らざる
を得ない状況だろう。たとえば私も二つ星をつけた中沢・鎌田といった人たち
も、ほかに人材がないから出てきてはいるが、みな彼らに決して満足して
いるわけではないのである。
日本ではアカデミズムの縛りが強いというか、正確に言えばスタンダード
からはみ出ることが怖くて自己規制してしまう人がほとんどなのだ。私も
「スピリチュアル知識人の研究」
http://www.nct9.ne.jp/mandala/ranking.html を書いてみて、日本の人材不足ってかなり深刻だと実感したのである。
新星が出現するのを待望する、という雰囲気がかなり高まりつつ、と見る
ことができる。
だが、アメリカに比べれば絶対的なマーケットはまだ小さく、向こうのよう
に講演やワークショップだけで生活できるという条件はない(アメリカの
cultural creatives をリードする知識人のほとんどは大学人ではなく、
そのようにして生活している)。
明日の準備の合間に書いているという次第。明日は「至高体験」をとりあ
げる予定。ロマン主義から深層心理学への流れをおさえていく。
深層心理学と言っても、私はユングは過渡的なものと考えており、そこは
軽く飛ばすことにして、アサジョーリ、マスローを重視することにしたい。
日本でのユングはちょっと過大評価だというのが率直な意見である。
ユング学者はたくさんいるが、結局、河合隼雄を超える人材はいないでは
ないか、と言いたい。アサジョーリをもっと評価すべきである。
講義では、トランスパーソナル・セルフ、つまり「自分の中核」というテーマ
に切りこんでいく。
747 :
没個性化されたレス↓:04/07/31 22:00
抽象論にすぎない、といって、またコピペに逃げる・・・
だめだこりゃ。
トラパってこんな奴ばかりなのか。まともなカキコする奴いないの?
748 :
没個性化されたレス↓:04/07/31 22:05
著名人の書いたものを延々とコピペ。
つっこまれると「それは印象批評だ」「それは偽物だ」と、聞く耳持たず。
そしてまた延々とコピペ。
コピペやめろといわれると腹を立てるが、いったんやめたふりして再開。
トラパって自己愛性人格障害か?
749 :
没個性化されたレス↓:04/07/31 22:30
なんか言ってやれ、コピペの人。
このままじゃトラパのイメージが最悪になるぞ。
むしろ戦略が失敗してるのでは?
もう遅いけれど、コピペだよとすぐわかる何かがあればよかったんだよ。
(引用符または出典表示)
自分はわかっているから平気なんだろうね。
>>747-748 一スレの事象でしかないことから、何らかの人格や行動を推測し、
「トラパって」という形で粗雑に一般化しようとするのは無理があるだろう。
ひとつの情報源にすぎないのだから、もし何か知りたいことがあれば、
一つの活用として、自分で調べてよく理解する必要があるだろう。
つっこまれるも、逃げるもなにも、そもそも、そういう具体的で
まともなものがあったわけでもない。様子をみるに、自らの想像の範囲で
なんとか存在を矮小化して、印象・結論づけようとする、そういう総括の
意図の書き込みが、3回ほど続いただけだ。心理学板、そもそも2chでは
よくある傾向ではある。
あまり自己を投影していてもしょうがない。まずは知ることだ。
>>749 たしかに、コピペは成り行き上、かなりやりすぎている。
ただどっちみち揶揄的なイメージを刷り込んでくる人はある。
そういう人ではなく、むしろ中間層に対して、情報に遭遇する確率を
上げて、いろいろ本人で触発されて気づくスピードを早めたい、
そういう実験的意図がある。
コピペしていて説得力ないが、安易な偏見をのりこえて、
情報として活用できれば活用していってほしい。
>>750 まあ、そもそも、コピペ自体の割合に根本的な問題があるかも
しれない。たしかにもう遅い。
754 :
没個性化されたレス↓:04/08/01 22:53
>>752-753 おまえコピペマンか?
内容からしてそうだろうと思うが、どうもおまえの表現力は拙いな。
どうして「コピペ本人です」と一言添えられないんだ。
コピペにも断りがなかったしな。
たえず自分の本性を隠しながら偉そうに相手の高みから物を言おうとする。
そういうパーソナルレベルをなんとかしてからトラパでも始めればと思うが。
>>754 >>750の「自分はわかっているから平気なんだろうね。」に書いたように、
本人は「コピペ本人です」とわかっているから、平気なんだ。
サイズが496KBを超えています。512KBを超えると表示できなくなるよ。
コピペ過多のための異状事態か。
>>754 そういう風に見えたということは心しておくが、
ただ、やはりいくつかあった人格批判もどうかと思うぞ。
一言で言うと一貫して「その前にパーソナルをどうこう」って
パターンだけど、正当化するわけでもないが、それを言うなら
このスレだけに当てはまるわけでもなくて、あたりを見回すと、
臨床に対する悪口など、いっぱい見えてくる。
あまりに独断的で一方的な見方すぎないかな、ということ。
あなたも人のこと言えないような高みから物をいうような
態度になっているのも説得力に欠ける。
>>755 固定ハンドル付けているならまだしも、
あなただって「自分はわかってるから平気」と思って
書いている側面はあるかもしれないよ。正直、
読んでもどこまで同一人物かもそれほど定かじゃない。
必ずしも一方的に言えるわけじゃないでしょ。
759 :
没個性化されたレス↓:04/08/01 23:52
>サイズが496KBを超えています。512KBを超えると表示できなくなるよ。
ワラタ。こんなの始めてみたw。
コピペで唯一印象に残ったのが「補足」だけだった
>>758 ここで問題になっているのは固定ハンドルじゃなく、
コピペの人の言動、それだけなのだよ。
>>760 まあ、それだけならトラパとは切り離そう。
かなり多いね。
コピペはちょとおどろいたけど、わりと面白かった。
参考になり。
763 :
没個性化されたレス↓:04/08/02 02:29
自演がいる模様ww」
764 :
没個性化されたレス↓:04/08/02 10:18
コピペ、読みごたえあって面白いんだけれど
出典元のURLも入れてくれないかな?
あまりこの分野知らないのでもっと網羅的に
読みたくなるんです。
内閣府が出している、「科学技術と社会に関する世論調査」
(2004年2月)の結果を見てみると興味深い。
2000名を越える回答者を対象に行われた調査で、
「科学技術に関する関心」の「世代差」がくっきり出ている。
「関心がある」割合は40歳代、50歳代ではまだ高いが、
「関心がない」割合は18〜29歳、70歳以上で、
さらに高くなっている。
科学技術に対する無関心は、
10代、20代の若い世代で、もはや過半数を超えている。
いわゆる「理系離れ」の現象は、確実に進行しているのだ。
これは学習指導要綱の問題というより率直な現実認識だろう。
実際、「科学技術の発展がわれわれの生活にもたらすプラス面と
マイナス面」をみると、プラスとマイナスが「両方同じくらいである」
と答えた者の割合は、18〜29歳、30歳代で、
それぞれ高くなっている。
科学(近代合理主義)は、物質的経済的な豊かさの原動力になり、
生活の利便性をもたらしてはくれたが、一方で、社会に多くの歪みと
矛盾を作り出し、合理性と能率の過度の重視が、環境破壊や
人間疎外の原因となっている。
もう若い世代ほど、科学技術の限界や負の側面を認識し、
科学信仰のうそくささを、肌身で感じているということだろう。
こうした矛盾や問題を解決したい、という現代人の欲求の高まりが、
心理学など、人間への関心に結びついていると考える。
その意味で、従来のようなスタイルの科学は、これから現代人への
影響力を失っていくだろう。