>>194>したがって我々の活動のシーケンスはSORではなくORSとみなすべきである。
そういう単純化は、得てして誤解を生みやすいのであまり使いたくないのですが、
こんな用語はありませんが、レスポンデントに関してはSOR、オペラントに関して
はSORSあたりがいいんじゃないかと思います。
>アフォーダンス理論では椅子は座ることをアフォードしていると言うが、椅子で
>人を殴ったり、薪の材料にできるのはなぜか、という問いにアフォーダンス理論は
>答えることができない。
その問いに対するアフォーダンス理論による説明は、「アフォーダンススレ」で
なされていたと記憶しています。
>どの属性が組み合わされるかはその時の環境の文脈にある程度規定されるとはいえ、
>本来外部からは知ることのできない事柄である。
環境の文脈による説明の、精度・適応範囲の問題はありますが、「本来外部からは
知ることのできない」というのは違うと思います。
ネズミが水を見た時に、それを飲むか、それともそれで水浴びをするかを、観察
可能なものだけで説明すると、以下のようになります。もちろん、仮定の例です。
まず、そのネズミに「水を飲む」「水浴びをする」という行動レパートリーがある
かどうかが重要です。レパートリーにない行動は生じませんので。
(続き)
次は、そのネズミが水の遮断化を受けているのかいないのか、そのネズミの体温が
高いのかそうでないのか(体温が高いと水浴びをすると想定して)を考慮します。
これを「確立操作」といいます。そしてこの水の遮断化と体温の相対的な関係で、
どちらの行動が生じるかが決定されます。もちろん、他の変数も可能性としては
残りますが、ここではそれはないものと仮定します。
要は、水は、ネズミが水を飲むことも水浴びをすることもアフォードしているが
(アフォーダンス流に言えば)、そのどちらの行動が生じるかは、観察可能な要因
により説明可能である(少なくとも多い)、ということです。
誤解のないように説明すると、行動主義は、有機体外の要因「だけ」で全てを理解
しようとは考えていません。有機体内・外の観察可能な要因をインプットパラメータ
として、アウトプットである行動の理解をしようとしているだけです。
>ランダムを証明せよ、というのは行動主義から見た要求に過ぎない
別に証明しろと言っている訳ではありません。現在、徹底的行動主義が「ランダムで
ある」と説明しているフリーオペラントが、別のレベルから研究され、「ランダムで
ある」と証明されたら、それは有機体の行動の理解が進んだことになるのでいいことだ
というだけのことです。
>>179>>196くらいの説明なら虚無好き先生も私も知ってるって。私もラットの
オペラント条件づけをやってたしね。
>>197 >>198アフォーダンススレでの説明では私はまったく納得しなかったんだよ。
全体の回答を拝見して、私に言わせればあなたは問題の存在にまったく
気がついていない。まだ学部生くらいだろうけど、もう少し視野を
広げてください。
>>192>レスポンデントとオペラントの区別は、「メンドクセェスレ」みてもよくわかんないけどにゃ。
これを冗談として書いていたのなら、長々とご存知のことを書いて失礼しました。
>>199>>196くらいの説明なら虚無好き先生も私も知ってるって。私もラットの
オペラント条件づけをやってたしね。
あなたが間違った行動主義の知識を持っていることは存じ上げております。
>全体の回答を拝見して、私に言わせればあなたは問題の存在にまったく
>気がついていない。まだ学部生くらいだろうけど、もう少し視野を
>広げてください。
誰にどれだけ説明されても、「説明レベルが違う」ということが全く理解できない
ようですね。それがあなたの問題です。
心理学についての正確な知識を身に付けて、もう少し視野を広げてください。
なんなら、学部に入り直して。
>>200あはは、いや、煽るつもりじゃなかったのだが。
だいたいスレタイトルからしておかしいよね。
「説明のレベル」ね。いずれにしても、私は行動主義の説明レベルでは
満足できない。これでいいかな?
>>201200は私も別に煽っている訳ではないんですけどね。
「説明レベルが違う」ということが全く理解できない、というのをもう少し
補足すると、「ORS」の枠組みで考えると、生物自発主義(オカルトになって
しまう可能性あり)の方向に行ってしまうか、既存の知識を別の立場から説明
する、のどちらかにいくことになる。ただし、生物自発主義は取り下げたという
ことなので、後者に行くことになるので、それは別のレベルで説明を行うことに
なる、ということ。
なぜ既存の知識を別の立場から説明することになるのかというと、「脳が行動をドラ
イブ」していようがなんだろうが、脳が外界からの情報を一切使用せずに行動を行う
よう命令を下すことは考えにくい。もしそのような構造の脳を持っている種が存在する
と仮定するとすると、到底そのような種が環境に適応し、生存していくことが可能だと
は考えにくい。故に、脳が行動を行うよう命令を下す際は、環境とのインターアクション
が不可欠。結局の所、どのようなレベルの説明を行おうと、インプットである刺激(有機
体がそれを選択しているとしても)とアウトプットである行動を通らないで説明すること
は困難というか無理(フリーオペラントなどの若干の例外を除く)。
「説明レベルが違うことが理解できない」はそういうこと。
>脳が外界からの情報を一切使用せずに行動を行うよう命令を下すことは考えにくい。
外界からではなく、生得的に神経ネットワークに情報が埋め込まれている
としたらどうです?
あ、それから生物自発主義はまだ取り下げたわけじゃありませんよ(笑)
そうだ、哲学者ジョン・サールの「中国語の部屋」の思考実験はどう思います?
>>196無条件反射もレスポンデント行動だ。
無条件反射による反応は生得的なレスポンデント。
条件反射による反応は習得的なレスポンデント。
『行動理論への招待』佐藤方哉(大修館書店)でも読め!
むにゃむにゃ。
ミルク先生は、わたしが「概念構成」の話をしていることがまだわかってないにゃ…
>ところで「関係概念」とは、個別概念を、
>ある関数、あるいは「産出規則」に従って構成された「値」としてみなおしたものにゃ。
とは、アウトプットが「概念」であることをいっているのにゃ。
そして自然科学の生産性、あるいは関数概念のすぐれて生産的な特長とは、
この新しく構成された「概念」、たとえば色概念が、もはや通俗的なものでなくなり、
ふつうは想定しえない「色」である(ともいえる)、電磁波の不可視領域にまで拡張されうるところにあるのにゃ。
必ずしも自然科学史にのっとった議論ではないけれども、当面はこれでいいにゃ。
科学とは、けっきょく関数概念によるモデル論であり、
必ずしもその概念の実在性を問うものではなく、(「質点」のハナシはもうしたにゃ。)
人為的変数と、(演算上無視しうる因子や決定的因子を表象する)定数を媒介として、実際には測定されていない現象、
あるいは仮想上の現象
(たとえば太陽系の任意の位置に置かれた天体の軌道とか)の予測・説明可能性によって真価を問われるのにゃ。
この議論がミルク先生には、「生命現象」の本質的否定に聞こえるのは承知してるにゃ。
しかし、わたしは、ここで生命現象の決定論を問題にしているわけではないのにゃ。
ま、いいにゃ…
まあ、議論の流れからいって、これいじょう突っ込まないにゃ。
179先生、レスポンデントとオペラントの区別の話ありがとにゃ。
わたしは、ミルク先生の思うほど物知りじゃないにゃ。行動主義にはうといと、どっかで書いたはずにゃ。
それでもひとこと言っとくと、
行動主義は、システム論としては非常に理論装置が簡潔なために、
妥当性からみると、あまりに広範囲な現象を説明してしまう可能性があるにゃ。
わたしにはいま、それが心理学としての行動主義に好ましいことかどうか、よくわからないにゃ。
それはたとえば、国家有機体論みたいな議論にゃ。
9/11テロは、米国にとって刺激であり、報復行動は予測された反応ともいえるにゃ。
国家が「学習」するとはふつういわないけど、外交政策の変化は国際情勢からの関数ともとれるにゃ。
そして実際、政治学・経済学は行動主義的見解をとっているともみられるにゃ。とくに消費行動とかにゃ。
結局、脱線したにゃ。
ま、いいにゃ。次はちゃんと心脳論の話をするにゃ。
ちなみに、「中国語の部屋」の議論より、
わたしの提出した「掛け算をする、壊れたブラックボックス」の話のほうが示唆的にゃ。じゃにゃ。
>>205 虚無好き先生
先生のおっしゃる「関数概念」は、最近のNature論文
http://www.natureasia.com/japan/nature/hottopics/motan/index.htmlのような研究方向を指しているものと思います。
一方、私はあくまで脳へのインプット(入力刺激)とアウトプット(行動や、脳内
事象に限ると「思いつき」のようなもの)に限定して話していたに過ぎません。この
場合に、環境から脳へのインプットは事実上無限にあってその中からどのインプットを
受容するかは脳が取捨選択するのであり、アウトプットするかどうかも脳が決めるのだ。
したがって、われわれの行うこと、行動や思考はすべて、有機体=脳から始まるシーケンス
で考えるべきだと主張しているだけです。
「中国語の部屋」は虚無好き先生が言語学の先生であることから連想したのですが、
先生の提出した「掛け算をする、壊れたブラックボックス」の話は残念ながら覚えが
ありませんので再度お話ししていただけるとありがたいです。
ログインできないにゃ…
>>207natureのサーバーは時々不具合を起こすのですが、今はどうです?
念のため、日本語要約はこんな感じ。
Scaling effects in caudal fin propulsion and the speed of ichthyosaurs
Nature 415, 309 - 312 (2002)
Japanese summary (日本語要約)
進化:魚竜類の尾びれの推進力と遊泳速度に見られるスケーリング効果
系統の異なる4群の大洋回遊性大型脊椎動物(マグロ類、クジラ類、ネズミザメ類、
小骨盤類の魚竜類)は、マグロ型(thunniform)の体形を進化させた。おそらく、
周囲の水流から受ける厳しい物理的な制約が、進化における収斂を示すこのような
例を生み出したのだろう。本稿では、こうした制約を特定して定量化するための、
遊泳動力学および流体力学を取り込んだ数理モデルを提示し、実験データでこの
モデルを検証する。検証により、大型回遊脊椎動物では形態、運動、生理が実際に
密接に相関して変化することが、定量的に明らかになる。このモデルによって、
外寸測定から最適な遊泳速度を算出することが可能になり、また、マグロ型遊泳
動物に典型的な幅広の尾びれが、大型回遊動物に必要なものであるという予測も
できる。この知見は、マグロ型の尾びれが選択されたのは尾びれの縦横比が大きく
なって推進効率が上がったためだとする、どちらかといえば目的論的な通説とは
相入れないものである。本稿では計算をもとに、ジュラ紀魚竜類であるステノ
プテリギウス(Stenopterygius)の最適回遊速度および基礎代謝率が、現生マグロ
類のものに近かった可能性が大きいことも示す。
今更のレスですいません。
>>203>脳が外界からの情報を一切使用せずに行動を行うよう命令を下すことは考えにくい。
>外界からではなく、生得的に神経ネットワークに情報が埋め込まれている
>としたらどうです?
有機体内に生得的に備わっているものは、情報ではなく、特定の情報に対する処理機能
かと思われ。そもそも、情報だけが備わっていても、それに対する処理機能が備わって
いなければなんら有機体の生存に有利に働かない。
それから
>>206を読むと、結局外界からの刺激があることを前提に話を進めているように
見える。ようやく、外部環境の刺激が重要だということを認めたと考えてよい?
>そうだ、哲学者ジョン・サールの「中国語の部屋」の思考実験はどう思います?
「説明レベルの違い」ということに尽きる。有機体が「理解」しているかどうかを、
インプット・アウトプットを考慮することなしにどのように説明できるのかを知り
たい。それより何よりも、「理解」とはどう操作的に定義されるのか気になる。
>>204>無条件反射もレスポンデント行動だ。
>無条件反射による反応は生得的なレスポンデント。
>条件反射による反応は習得的なレスポンデント。
私の説明した所についてのレスなので、しょうがないから説明する。
まず、レスポンデント条件づけを考慮しない、反射のみの説明の所で、反射反応を
「レスポンデント反応」と呼ぶことはない。
それから佐藤先生の定義では、「レスポンデント反応」の中に、「条件反応」・
「無条件反応」の両方を入れる。しかし、「条件反応」のみを「レスポンデント
反応」とする研究者もいる。
重要なことはは、誰がどのように定義しているかという事ではなく、どちらの定義
が適切かということ。
私は、
・「無条件反応」は「レスポンデント条件づけ」により成立するわけではない
・手続きレベルで両者は異なる(両反応は異なる刺激により誘発される)
・「条件反応」と「無条件反応」は全く異なる場合もある
という理由により、混乱を招きやすい「レスポンデント反応」=「条件反応」+
「無条件反応」という定義には反対。
以上。これ以上のレスはいらない。
>>205(虚無好き先生)
時間が無くなってしまったので、宿題にさせて下さい。
>>209>有機体内に生得的に備わっているものは、情報ではなく、特定の情報に対する処理機能
>かと思われ。そもそも、情報だけが備わっていても、それに対する処理機能が備わって
>いなければなんら有機体の生存に有利に働かない。
これはレトリックの違いに過ぎないのかも知れないが・・・。生物の身体構造は遺伝的に、
つまり生得的に備わっているというのには同意するよね? 眼球には三種類の錐体細胞が
あって、これが色彩の弁別に寄与している。ヒトの五本の指のうち、親指は他の四本の
指と対面する具合に動かすことができる構造になっている。これは明らかに細い棒を
持つのに適した構造だ。この構造に情報や機能が蓄えられている、と私は言えると思う
んだよ。「言語能力は生得的か」スレの
>>588以降のカキコも読んで考えてくれないかな。
>それから
>>206を読むと、結局外界からの刺激があることを前提に話を進めているように
>見える。ようやく、外部環境の刺激が重要だということを認めたと考えてよい?
あれは外界に存在する刺激の場合についてのみ述べたもの。その場合でもSORではなく
ORSのシーケンスで考えるべきであることを私ははっきりと言ってるね。さらには
内部から生じる動機づけや、そもそも動物はじっとしておれない、など内部の原因に
よってわれわれは突き動かされることが多々あるよね。
いずれにしても、やはりあなたの見方は一面的で、行動主義に洗脳されているように
私には思える。今すぐに思いつく本として、ラマチャンドラン「脳のなかの幽霊」(角川)、
苧阪直行「心と脳の科学」(岩波)、茂木健一郎「心を生み出す脳のシステム」(NHK)
などを読んでご覧よ。(徹底的)行動主義は今となっては過去の遺物、現代の脳科学者に
とって行動主義にみるべきものは何もない、と感じていることが分かると思う・・・
虚無好き :01/11/23 05:30
【2】ブラックボックスの一般問題
これは生物板の繰り返しになるにゃ。
ある演算を行なうブラックボックスの演算プロセスをいかに知りうるか、という問題にゃ。
xとyを入力して、掛け算x*yを行なうデヴァイスがあったとするにゃ。
その掛け算プログラムとして次のような可能性があるにゃ。
1)yをカウンタとして、ゼロにxをy回足して、毎回、計算結果を出力する
2)すでに可能な計算結果は、九九の表のようにデータテーブルにあらかじめ置き、
(x,y)を座標とみなして答を検索し、出力する
3)新しい出題については、1)と同じく計算し、答は検索可能なように格納する。
同じ問題がでたときには、格納されたデータから出力する
ところでシステムは一般に一部が損傷する可能性があり、また
このようなシステムはエネルギーを消費するので、供給エネルギーを減らし、
意図的に誤作動させることも可能にゃ。そして、
もし一度目の掛け算は正答するのに、二度目以降かならず誤るばあい、
3)のプログラムで、メモリ機能が損壊したと推定されるにゃ。
また、x<5、y<8のとき、必ず誤答するとすれば、
2)のデータテーブルの一部が損傷していると考えられるにゃ。
このように、システムの演算プロセスの推測については、
システムじたいが不完全なときのほうが、より興味深い振る舞いを観測できるのにゃ。
言語のばあいは、ずばり言語習得中の幼児、および失語症の患者の発話だにゃ。
きょうは、「ぶっちゃけた」話をするにゃ。
わたしがなぜ「唯脳論」的見解に興味をもったかのハナシにゃ。個人的なものにゃ。
わたしは数年前まで、かなりの睡眠障害に悩んでおり、いわゆる「金縛り」もしばしば経験したにゃ。
なぜわたしがオカルティストにならなかったか不思議なくらいにゃ。
ま、ここではオカルト的内容にはふれないにゃ。
ここでは、身体のいちぶが、
「強靭な意志力」によって動かすことができるようになったとこのことを話すにゃ。
(わたしの金縛りは、だいたい覚醒プロセスが正常に作動しなかったときに起こるにゃ。立ち上げ失敗にゃ。)
まず、首から上が自由になったときの話にゃ。
あるとき首が左右に動かせたのにゃ。首をねじったときの筋肉の緊張感、その他三半規管の平衡感覚なんかも、
「わたしが首をねじっている」という「事実」を、覚醒時と同じように伝えていたのにゃ。
つまり動いているのはわたしの「首」であり、周りの世界ではないという情報にゃ。
じっさいわたしははげしく首を左右にふっていたはずなのにゃ。
ところが、わたしはそのとき目を開いており、
わたしの視野は、眼の表面に張り付いているように感じたのにゃ。
もちろん見えていたものは、ベッド上の頭部の位置からみた部屋の情景にゃ。
どうやら、後から考えれば、眼を開けたまま金縛りに陥ったらしいのだけどにゃ。(ブキミにゃ。)
なんとも、ぞっとしないハナシにゃ。
これだけじゃないにゃ。
もうひとつの例は、腕が動かせたときのハナシにゃ。
わたしはかねてから、金縛りの最中に腕が動かせたなら、なにか腕でやってみようと思ってたにゃ。
さてその機会が訪れたので、わたしは脇の壁をどんどんと叩いたのにゃ。
その音も、こぶしの触覚も、腕を振り回しているときの筋肉の内感も、やはりすべて覚醒時とおなじにゃ。
ところが正常に覚醒してみると、わたしが動いた形跡はなにもないのにゃ。
わたしの腕はあるべき位置にあり、掛け布団が乱れていたわけでもないのにゃ。
これらの異常感覚は、本人にしかわかんないけどにゃ。
そもそもすべて「夢」とかたづけられてしかたのないことにゃ。
しかしわたしからすれば、環境が主観によって構成される可能性を大いに示したものにゃ。
「金縛り」の生理学的説明はよく知っているので、解釈は不要にゃ。
以上、与太話でしたにゃ。
なんでみんなサゲ進行なのかにゃ?くだらないハナシをするとき困るにゃ!
>>208興味はあるんだけどにゃ。またあらためてにゃ。
>>213の問題はなにをおっしゃりたいのか、私にはよく分からないけれども、
いずれにしても、この問題を考える場合に行動主義はなんの力も持たないこと
だけははっきりしているね。
>>214私自身は金縛りの経験がないんだけれど、この現象は神経系には覚醒する順番が
あることを示唆しているのだと思う。感覚系だけが目覚めた時には身体は動かせ
ないと感じる。これがつまり金縛り。さらに中枢神経系の中で運動系が目覚めても
筋肉まで至る末梢神経系が目覚めるまでにはさらに時間がかかる、ということなんだ
と思います。
私はわれわれは脳で世界を解釈しているに過ぎず、世界が実際はどんな状況にあるのか、
そもそも外界は存在するのかどうかすら知ることはできないと思うけれども、それでも
唯物論者であり得ているのは、上のnature論文を挙げるまでもなく環境の媒体(水や
空気)の性質と、生物の身体構造(魚は水の強い抵抗や粘性をかわして移動するために
流線型の形状をしているなど)との間のミステリアスな符合は外界が実在することを
強く示唆していると考えるから。
にゃにゃにゃ。
議論の意味がわからないのに、行動主義はなんの力もないと決めつけるのは飛ばしすぎにゃ。
この「ブラックボックスの議論」の初出のときは、
理解してくれた人からレスがあり、
わたしはいわば「徹底的」認知主義にたっているという旨のコメントをもらった記憶があるにゃ。
認知の立場から「徹底的に洗い出す」手法だったかにゃ…?
それをふまえて、また読んでもらえればきっとわかるにゃ。
わかんなくても、文脈がない引用だから、気にしないでいくにゃ。
またくるにゃ。
思わずあげっちゃったにゃ。ま、いいにゃ。
「言語生得スレ」の失敗は、まず、言語板関係の人間が般化に論及しなかったせいにゃ。
わたしとしては、行動主義的な言語の見解には反対だけどにゃ。
しばらく、行動主義の方法論の正当性を考えてみるにゃ。
遅レスすいません。
>>205>行動主義は、システム論としては非常に理論装置が簡潔なために、
>妥当性からみると、あまりに広範囲な現象を説明してしまう可能性があるにゃ。
確かに理論上は、行動主義が対象とすることが可能な現象は広く、表面上の説明に
終始しているということは可能だと思います。
しかし、実際の行動主義は、その表面上の説明を高々に主張することは無い(少ない)
です。そしてその適応範囲を十分に吟味し、その表面上の説明よりは突っ込んだ説明
を行います(残念ながら、この辺はあまり紹介されていないのが実情ですが)。
具体的には、例えば「刻印づけ」を行動主義でどう説明するかというと、表面上の
説明では、刻印づけされた「刺激」に対して、その後をついていくという「行動」が
生じるとし、そのメカニズムにたいしては「ブラックボックス」であるということに
なるかもしれません。
ただし、実際の行動主義の説明では、ついていくという「行動」が、刻印づけされた
「刺激」が「誘発」している、ということに疑問を呈します。
それを検証する実験として、以下のようなものが行われました。それは、透明のガラス
で区切られた箱の片方のスペースにヒナを、もう一方のスペースに刻印づけされた刺激
である親鳥を入れます。そして、親鳥のいる方向のガラスに向かって歩くという以外の
行動をヒナが学習することができるかどうかが実験されました。なぜなら、ヒナの親鳥
の方に向かって歩くという行動が、生得的にプログラムされたものであれば、それ以外の
行動を行うことはできないからです。
(続き)
具体的には、親鳥の方向に向かって歩くという行動とは両立しない、ガラスと反対側の
壁にあるディスクを突っつくという行動が使用されました。そしてそのディスクを突っ
つくたびに、透明のガラスが動いて親鳥がヒナに近づくようになってしました。
結果は、ヒナはディスクを突っつくという行動を学習しました。つまり、刻印づけは、
刻印づけされた「刺激」がその方向に歩くという「行動」を誘発しているのではなく、
親鳥の姿が近くに見えるという「結果」が、その方向に歩くという「行動」を「強化」
しているものであり、その「強化子」として確立されるものは、生後一定期間に見る
ある特性を持った「刺激」である、と説明されました。
ここでの関数関係は、
インプット :親鳥の姿が近くに見えること(結果/刺激)
アウトプット:親鳥のあとを追いかける(行動)
です。表面上の行動主義の説明では、
インプット :親鳥の姿(刺激)
アウトプット:親鳥のあとを追いかける(行動)
と非常に似通っていますが、「が近くに見えること」の有無の差は大きいです。
要は何が言いたいかというと、行動主義に対する「表面的過ぎる」という批判は、得て
して行動主義の実情に即していない(場合もある)ということです。
もちろん、刻印づけが生じる際、脳内で何が起こっているのか、というブラックボックス
はまだ残っています。私個人としてはそのことに興味はありますが、行動主義そのものが
扱う対象ではありません。行動主義と相補的な、別のレベルでその説明がなされるという
ことです。
以前、別スレで刻印づけの話が出た時に書きそびれたものを、いつか書こうと思っていた
ので、今回刻印づけを例に説明しました。長文失礼しました。
>>205>ちなみに、「中国語の部屋」の議論より、
>わたしの提出した「掛け算をする、壊れたブラックボックス」の話のほうが示唆的にゃ。じゃにゃ。
>>216>わたしはいわば「徹底的」認知主義にたっているという旨のコメントをもらった記憶があるにゃ。
取ってつけたようなコメントなのですが、「データテーブル」というあたりなど、方法論的
行動主義に立脚した認知主義的な感じがします。
スキナーの徹底的行動主義では、「データテーブル」のような、仮説構成体を用いた説明
を良しとしません。なぜなら、観察可能なインとアウトのみで予測も統制も可能であれば、
倹約性の問題により、仮説構成体の必要性がないからです。
予測と統制の精度を上げるためには、インプットパラメータとして、掛け算の問題だけと
いうのは不充分だと思われるので、掛け算の問題が出された時のさまざまな環境的要因、
固体の特性(言語習得中の幼児、および失語症というのはこれに含まれるかと思われます)
等も考慮する必要があるかと思われます。
もっとも、徹底的行動主義が目指すものは、関数内のメカニズムの解明ではなく、言って
みれば関数そのものを見つけることということができるかとは思いますが。
すいません。今日はここまでにします。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/20 21:13
>>212>内部から生じる動機づけや、そもそも動物はじっとしておれない、など内部の原因に
>よってわれわれは突き動かされることが多々あるよね。
飢えという動機付けは「食べ物を摂取していない」という外部から観察可能な
条件によって決定されるものであるし、同様に「動物がじっとしておれない」という
ことも、例えば新奇刺激が長い間与えられないだとか、餌に対する確立操作が
なされただとか、なにかしら外部からの影響がある。
そしてその影響とは、刺激が与えられるということだけでなく、刺激が長時間
与えられないことである場合もありうる。まとめると、関数は
{インプットorインプットの遮断化→内部過程→アウトプットorアウトプットの停止}
になるでしょうか。これでいくと、インプットがあるときになされず、
インプットがなくなるとなされるアウトプットというのも論理的には可能ですが。
刺激の選択に関しても同じことが言える。
例えば満腹の時には餌に関連する弁別刺激が機能しなくなるように、
特定の刺激が選択されるかされないかはそのときの有機体の状態による。
そしてその状態とは外部から観察可能な条件によって決定される。
インプットはただ内部過程を中継してアウトプットを導出するだけでなく、
内部過程という関数を変質させる効果をもつものもある。
{インプット→第三者の内部過程→内部過程の変質(アウトプット)}
これがいわゆる確立操作と呼ばれる関数といえるでしょう。
いわば関数の関数。
変質した内部過程は前と同じインプットに対して
今度は異なるアウトプットを返すようになると。
外部からの働きかけに「刺激の遮断化」を、
関数に確立操作的なものを含めた上でお尋ねしたいのですが、
なお内部過程によってのみ突き動かされるアウトプットには何があるのでしょう。
>>210, 174
佐藤方哉の定義ではなく、レスポンデント・オペラントという言葉をつくった
人物(スキナー)の定義なのだがね。
レスポンデントは誘発反応、オペラントは自発反応。
誘発反応の条件づけがレスポンデント条件づけ、
自発反応の条件づけがオペラント条件づけ。
レスポンデントもオペラントも、習得されたものとそうではないものがある。
これらは最近の教科書(例えば、Catania の“Learning”の用語集)でもそうだ。
専門誌でも同じ。
何を誘発反応あるいは自発反応と考えるか(レスポンデントとオペラントの境界)
については研究者間で違いがあるが、無条件反射はレスポンデントじゃないなんて
話は聞いたことも読んだこともないぞ。
万が一、そんな定義をする研究者がいればそれは専門家ではないね。
少なくとも、行動分析の専門誌では通らない。
なお、無条件反応と条件反応の反応トポグラフィが同じかどうかと
この問題は直接関係ない。
レスポンデントとオペラントの意味もわからないできないのに、
スキナリアンぶって議論しないこと。
行動分析学・徹底的行動主義が誤解されるだろ。
>>222174ではないが。根拠を示してそう主張してるんだから別にいいじゃん。
問題はその概念枠組みが「正しい」とされているかではなく、その根拠では。
174氏が示す根拠のどこが不適切なのかもっと具体的に示してやるべき。
そして、それが問題であるとしても、他の議論にまで問題があるはずと
決め付けるような非難は良くない。オペラント・レスポンデントの区別以外に
問題発言は特にないでしょ?
罰はむやみに行使すべきではないとスキナー先生もおっしゃっておる。
いずれにしても、オペラント・レスポンデントの区別についての議論は
スレの流れからそれるので反論は「メンドクセェ」スレにて。
これに関するこれ以上のレスはここでは厳禁。よろしこ。
他の先生方、引き続きどうぞ。
・イン、アウトあり関数について
>>206>環境から脳へのインプットは事実上無限にあってその中からどのインプットを
>受容するかは脳が取捨選択するのであり
>>212>SORではなくORSのシーケンスで考えるべきである
前から聞きたかったのだが、「選択的注意(selective attention)」と言われている
ものとの違いが見えない(特に「どのインプットを受容するかは脳が取捨選択」という
あたり)。
それだけ新しい枠組みであることを強調するなら、まずは現在当たり前に研究が行わ
れているものとの違いを示すのが先かと。
・インなし関数について
>「言語能力は生得的か」スレの
>>588以降のカキコも読んで考えてくれないかな。
有機体の様々な器官が進化の過程でどのように発達してきたかという解釈としては
面白いが、残念ながら反証可能性がない。
それよりも、もともとは器官の話ではなく、インなしで生じる行動の話。「ある器官
に環境情報が蓄積」されていようがいまいが、外界からの情報を一切使用せずに行動を
行う種が、どのように環境に適応し、生存していくことが可能かと聞いている。それに
ついての解答がない。
レスポンデント、オペラントの区別ではなく、レスポンデントにもオペラントにも
習得性のものとそうでないものがあるということをいっている。
174の区分では、無条件反射、条件反射、オペラント行動
の3つしかない(そして条件反射だけをレスポンデントと勘違いしている)が、
スキナー初め行動分析家の区分では
レスポンデントかオペラントかという軸と習得的か否かという軸の2つを考えている。
習得的でないオペラントというと、「自然発火の自発性」氏の再臨をまねきそうだがな。
>>225 あなた方は行動をオペラント条件づけや行動分析理論で説明したいのか、行動その
ものを理解したいのか、どちらだね?
もしも前者なら本末転倒だろう。
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/23 02:01
行動そのものを理解するために枠組があるのではないかな?
枠組で説明できなければ、そこで初めて新しい枠組を模索すればよい。
これは心理学に限らず学問の基本。
それともミルク氏は現象学的な考え方がお好みかな?
それも枠組。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/23 03:43
新しい枠組みを考える前に、既存の枠組みで本当に説明できないのか、
徹底的に検証しておくことは必要。これは不必要に枠組みを増やすのを
防ぐためでもある。どこかで言ってたオッカムの剃刀だよ。
既存の枠組みに疑問を感じるひともいていいし、
既存の枠組みで間に合わせられないものだろうかと思う人もいてもいい。
両者が牽制し合うことが真に有用な枠組みの生成につながる。
こういう考え方にも反対?
だから私は、そもそも最初のフリーオペラントはどういう仕組みで生じる
のか?と何度も訊いている。あなた方はランダムだとしか言わないが、
私に言わせればそれは「分からない」と言っているのと同義だ。
私は36億年前に物理化学反応より上の秩序である化学反応の連鎖が生じ、
その連鎖が継続されるようになったことをもって生命が誕生したと考えて
おり、したがって現在出生してくる生命は生まれながらに自発的に活動する
のだ、だから行動は生命システムつまり有機体の側から説明されなければ
ならない、と主張しているんだよ。
君たちは私の主張をいったん認めると、徹底的行動主義の体系が崩壊する
ことを本能的に知っているんだ。だから、既得権益を守ろうとするあなた方は
頑強に抵抗するのだろう。行動分析の理論で行動を説明して、それで事足れり
とする姿勢がそもそも既得権益なのだ。
オッカムの剃刀だって? 笑わせるな。なんで、数百年も昔のスコラ哲学を
今時分持ち出すんだ?
生物は進化が生じた順番などのさまざまな制約のせいで不合理な体制を
たくさん抱えているんだよ。このことを何も知らなかった時代の哲学なんて
屁の突っ張りにもなりゃしない。
ちょっと入りづらいにゃ。
「ブラックボックスの一般問題」は、掛け算をするヒト(でも鳩でもなんでもいいが)
のたんなるシミュレーションではなく、
αRβの安定したインプット・アウトプットの関数的関係が確立されたときに、
ブラックボックス内部の(実在的な)メカニズムについて仮説をたてることが、
自然科学として正当かどうかの議論にゃ。
「中国人の部屋」で提出されたブラックボックスの不可知論、あるいは、
何通りものもっともらしい説明が可能なために、やはり原理的に知ることはできないという見解に対して、
わたしは単純に、ブラックボックスを<不完全に>コワせ、といっているのだにゃ。
そうすれば、メカニズムを推定できるようなコワレかたをする見込みがあるのにゃ。
(これが唯一の方法ではないにゃ。「非破壊検査」もあるにゃ。)
じっさい、動物の能力は、(脳などが)損壊したばあい、
機能的モジュールを推定させるような局所的な不完全さをみせることが多いと思われるにゃ。
で、
ここで不可知論が成立せず、メカニズム研究が正当な対象領域であることが確認されたとしても、
行動主義がそれについて無関心というのなら、それまでのハナシだにゃ。
と、そう思いたいところだけどにゃ。
どうも徹底的行動主義と認知的アプローチの単純な相補性は成立しないようにゃ。
問題は、徹底的行動主義の対象領域の限界が、自然科学の限界として規定されている(らしい)ことだにゃ。
これが、「知識・能力」の研究・考証に対して、
そのような問題は解決済みか、あるいは「おとぎ話」の領域であるという強力なバイアスを形成しているのにゃ。
というわけで、
わたしも反行動主義を標榜することになってしまったのにゃ。
論理の飛躍があったらそう言ってにゃ。
「関数の関数」については、また議論するにゃ。
じゃにゃ。
中国語の部屋のまちがいにゃ。
徹底的行動主義者の皆さんは、一度だまされたと思ってドーキンス「ブラインド・
ウォッチメイカー」(早川書房)を読んでみよう。
虚無好き先生には、そんなことはすでにラマチャンドラン「脳のなかの幽霊」
(角川)に書かれていることを指摘しておこう。
むにゃ?
ミルク先生わたしをあおってんのかにゃ?
アオリ上等にゃ!
うけてたつにゃ!
はっきりいって、PCはOSをたちあげたらナンニモしないと言ってる時点から、
システム論を語る素養あるのかと思ってたけどにゃ。
オッカムの剃刀についても、トンチンカンなこと言ってるにゃ。
行動主義の簡潔ではあるが、数論を思わせる整合性をもった壮大な論理体系が、
一冊の本で変わると思ってんのかにゃ。
ま、いろいろ批判されて当然にゃ。
とにかく、ミルク先生とは距離を置かないと、わたしもいろいろ誤解を蒙るにゃ!
ついでに、あの系統のちがう紡錘形の水棲生物のハナシは、
あれはアフォーダンス系の進化論のパクリにゃ。
そこんとこを指摘しておこう。
↑パクリは事実無根だったにゃ。
ただいえることは、結局ミルク先生はアフォーダンス理論についても、
環境が個体を操作するという側面しか理解できなかったのであり、
自分が思わずアフォーダンス寄りの発言をしても気づかないトホホな先生だということにゃ。
これ以上荒らすのもなんだから、ここにはもう来ないにゃ。
それにしても、とってつけたように、なにが「指摘しておこう」だ。
最初からそう言え!
ムカツクなーーーー
>>235-238 は全部、同じ虚無好き先生が書いてるの? 虚無好き先生って私が思っていた
よりはるかに若いんかな・・・
>ついでに、あの系統のちがう紡錘形の水棲生物のハナシは、
>あれはアフォーダンス系の進化論のパクリにゃ。
これなんの話? 覚えがないんだけど・・・
アフォースレと同じ良スレ殺しの164の匂いが…
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/22 19:36
もうしばらく保全あげ
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/21 16:16
休日にじっくり読みたいスレ。
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/07 19:10
土俵準備あげ
ほぜんぬ
さげんなよ。ざけんなよ。