どこまでが感情で、どれが思考なのか?

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148名乗るほどのものでわ:01/10/30 22:19
>>145=138
個体が自らの情動反応を「意識」するっていうのは、
awarenessのことを指してると受け取ってよい?

だったらawareの主体が当然必要なのは同意するけど、
言語化のプロセスが本当に必要なのかな?

>>146=138
「どきどき」に関しては、他者に伝達する必要があるから
言語化してるけど、自己が「意識」する場合に、
必要かどうか、ちょっと考え中なのでパスです。

で、
自分の中で、きちんと詰めてないから、思いつきなんだけど。。。
「この子かわいいな」と「思う」時にね、情動反応を随伴して
思う場合もあるんだろうけど、情動反応を随伴しないで「思う」場合も
当然あると思うんだ。

>>146の文章は、moodとしての思考は、情動反応と随伴する「思う」だと
読めるんだけど、とするとmoodというのは、情動反応+思考という風に
捉えていいのかな?
149無題:01/10/31 05:13
>>147
ここでは仮に、思考も感情も[学習]されたものであるとすると、
>>148が言うように、それらを他者に伝達する必要がある場合は
言語化されるが、そういった学習、あるいは経験、記憶されたものを
自己が認識、自覚する上では、
必ずしも言語化というプロセスが介在するとは限らない
のではないだろうか?
たとえば、われわれは「恐い」という言葉をいつ頃から
使っているのか覚えていないが、恐怖体験が、恐いという言葉と
結びついたときにはじめて恐いという感情を言語化できるはずである。
恐いという言葉を知る以前の子供においては、恐いという感情は、
そのほとんどが「泣く」という行為で表現(もしくは変換)される
だけなんじゃないかな。
そこには言語化というプロセスは存在するんだろうか?

ただ、仮に、思考と感情の境界は曖昧であるとし、感情は必ずしも
言語化というプロセスを必要としないと仮定すると、
「言語化というプロセスが介在しない思考」が存在する可能性が出てくる。
つまり、>>147
・思考と感情の境界は曖昧である
・思考と感情は共に言語を介するものである
に対して、
・感情は必ずしも言語化というプロセスを必要としない
と反論するためには、
思考と感情は別のもである、とするか、
言語化というプロセスが介在しない思考が存在する
と考える必要があると思うんだけど・・・。
思考が、学習あるいは経験・記憶といったものと密接な関係があるのは
わかるんだけど、それと言語化との関係がいまいち不明。 スマソ。
150138:01/10/31 22:24
すいません、レスが遅くて。

>>148
>個体が自らの情動反応を「意識」するっていうのは、
>awarenessのことを指してると受け取ってよい?

多分よいと思います。

>だったらawareの主体が当然必要なのは同意するけど、
>言語化のプロセスが本当に必要なのかな?

言語化がどこまで必要か、もう一度考えています。

反応−感情の間に、言語を介さない「何か」を考えなく
てはいけないのかな、と思いつきレベルで考えています。
もっとも、それが反応と感情のどちらに近いのかが悩み
どころなんですけどね。

>moodというのは、情動反応+思考という風に捉えて
>いいのかな?

一応、思考というものは、何らかの刺激に喚起されて生じる
もの(と書くと反発が多いのかな?)と考えると、moodと
しての思考は、情動反応(もしくはその「意識」?)を刺激
として生じる言語行動なのではないかと思います。
151138:01/10/31 22:37
>>149
>恐いという言葉を知る以前の子供においては、恐いという感情は、
>そのほとんどが「泣く」という行為で表現(もしくは変換)される
>だけなんじゃないかな。
>そこには言語化というプロセスは存在するんだろうか?

その「泣く」という行為は、情動反応とは考えられないでしょうか?
であれば、言語化のプロセスは存在しなくてもいいのではないかと
思います(存在していてもいい)。

>感情は必ずしも 言語化というプロセスを必要としないと仮定

感情の定義によるんですが、>>150でも書いたように、反応と
(言語化を伴う)感情の間に、何か一つ必要なのかもしれません。

>・感情は必ずしも言語化というプロセスを必要としない
>と反論するためには、
>思考と感情は別のもである、とするか、
>言語化というプロセスが介在しない思考が存在する
>と考える必要があると思うんだけど・・・。

「思考と感情は別のもである」が私にはいいように思えます。
まあ、定義によるのですが、言語を介さない「思考」ってのは
ちょっと気になります。
152無題:01/11/01 07:16
感情については、>>150の言う、

>反応−感情の間に、言語を介さない「何か」を考えなく
>てはいけないのかな

が、どうもポイントになるような気がする。
それがわかれば、感情の定義について妥当性を伴った仮説を
立てることができると思うんだけど。。。

「言語化というプロセスが介在しない思考」
自分で書いてて、そんなもんあるわけねぇだろ
って思うんだけど、次のような例はどうだろう?

ここに一匹の猿がいます。
今、白いテーブルと、赤いテーブルを用意して、
その上にバナナを一本づつ置き、猿に与えます。
白いテーブル上のバナナは普通に取ることができますが、
赤いテーブルは、触れると電気ショックが流れるように
しておきます。
赤いテーブルのバナナを取ろうとした猿は、びっくりして、
白いテーブルのバナナを食べるでしょう。
以上のような行為が行われたあと、次に、
赤と白のテーブルの位置を変えて、
それぞれのテーブルの上にリンゴを置きます。
猿は、どちらのテーブルのリンゴを取るでしょうか?

多くの人は、白いテーブルのリンゴを取ると思うだろうし、
実際に実験をしてみても、そうなる可能性が高い。
仮にそうなった場合、
猿の選択は思考によるものではないのだろうか?
それが思考によるものだとしたら、猿は、自身の言語化によって
思考したのだろうか? 猿は言語をもっているのか?
あるいは、猿には、言語も、思考するという能力もなく、
パブロフの犬のような、単なる学習による条件反射的な
行動だったのだろうか?

猿が言語をもっていないとしても、
「言語化というプロセスが介在しない思考」があると
仮定すると、一応猿の行動を説明することはできる。
っていうのは、飛躍しすぎかな?
突っ込むところはいっぱいありそうだね(^_^;)
153138:01/11/01 22:30
>>152
>猿の選択は思考によるものではないのだろうか?

またしても「思考」の定義にはよるのですが、
 (1)弁別刺激としての赤いテーブル
 (2)「バナナを取る」という行動と「りんごを取る」という
   行動の類似性
の2つで説明するほうを私は好みます。

>パブロフの犬のような、単なる学習による条件反射的な
>行動だったのだろうか?

スキナーのネズミ(もしくはハト)のような、学習による
オペラント行動かと思います。

お分かりのように、当方行動系です。なので、知覚とかに
疎くて。。。
154無題:01/11/02 02:49
今のところの結論としては、
思考と感情は別のものであると仮定するのが妥当
なようだね。

> お分かりのように、当方行動系です。なので、知覚とかに
> 疎くて。。。

俺は、行動系でも、知覚系でもないYO。
そろそろ正体がバレそうなので逝きます。
では。
155名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/02 03:43
言ってみれば「パンク」が衝動で「ハードロック」が情動。
ニルバーナのライナーノーツに書いてあった。
岩谷あたりのクソ評論だろどうせ
157名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/02 07:36
=感情=

自分の概念では処理しきれない情報を受け取ったときの体の耐震行動。


=思考=

以前の概念では処理しきれなかった情報を、
知識や経験によって然るべき所にスムーズに送り、
再処理するための「新しい概念が命令する衝撃回避行動。」

学習能力に欠ける人間は毎回衝撃を受る事になり、
そのたびに体がオーバーアクションを取って
泣き、笑い、怒り、等を起こす事になる。
>>155
わかりやすくてイイ!!
159名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/09 21:00
刺激があって、反応が起きる。
その反応に対し、様々な言葉を名づけた。それが感情。

刺激には、思考も含む。

これでいいのかな。
160名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/09 21:42
思考があるから感情があるのでは?
161>160:01/11/10 04:33
はいな。わたしはそう言ってるるもりですがなにか?
162名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/10 04:40
悪い意味で感情的になってしまうのは、自分が弱い証拠だと思う。
「だって、なってしまう物はしょうがない」と思ってるうちはホントにどうしようもない。
どんな事も受け入れられるだけの心の広さ。
思いやりだとか、そう言う類。器の問題かな。
感情をコントロールできるのが人間だと思う。
163:01/11/10 05:01
>>162
どうしようもなくともいいじゃん。
まあ、気にしませんが。
感情には好いも悪いもありまへ〜ん!人間の各々の勝手な解釈ですから〜。
歪曲しないように〜。
16570:01/11/15 15:28
久しぶりに来たら誰もいない。終わったの?
166名無しさん@お腹いっぱい:01/11/16 00:43
いやさー、忘れちゃいけないのが、数値で測れるものと計れないものがあるんだべさ。
もっというなら数値で表れるものとそうでないもの。もっといえば今ある計測の仕方で図れているものとそうでないもの。

紫外線だって計れて初めて明らかに。
167名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/16 06:44
感情は言語化することで明らかになります。
思考は論理性を持つもので、感情を動かします。
感情と思考は言語を介在して相関関係にあります。
168名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/16 13:16
感情は動物にもあるっけな。
思考はどうだろ。
169    :01/11/16 14:21
全ては思考の一種。
170名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/16 19:48
そこまで言い切るのはどうか。感情も思考の一種かもしれないが。
171名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/01 21:50
感情は明確に言語化されにくいんじゃ?
172(´∀` )14サーイ:02/01/02 12:40
親の虐待で自分の感情のうち「怒り」と「嫉妬」等が消えてしまいました。
例えば突然殴られたとしても私の場合怒りはおきません。

私が悪質な相手に害をなすとき、それは決して怒りからくるものではありません。
「こうしたら相手はやめてくれるか」と実験的なものです。


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参考にしてください。ノンフィクションです。
173名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/03 05:02
人間以外の動物には感情があるのかな?
以外で一括りにしてしまうとよくないのかもしれないけど、
海の中を泳いでいる魚なんかは感情があるのだろうか?
人間は恋をしてセクースして子供が生まれるけど(恋抜きでもできるけど)
魚は恋をするのだろうか?
本能か機能かわからないけど、人間にあたるセクースをして子孫を残す。
ここに感情があるのだろうか?
感情でなく、理性で機能的にセクースをして子孫を残しているのならば、
人間は感情によって子孫繁栄の機能を制御している分、感情を持つことが
高度な動物ということになるのだろうか?
ということをテレビで魚が泳いでいて思ったんですが、どうなんでしょう??
174分裂閣下:02/01/03 05:13
心理学者に口挟むのも悪い気がすんねんけどな、コイツら自分の体が遺伝子でできとるっちゅー事悟らへんねん。
おかしいやろ?
心理学者やのに表層で物考えよる。
ええかーわんども。
感情っちゅーんはボディー・ラングエッジや。英語で言うとBody Langage!!
どうや!!解ったやろ!!
動物はみんなコレ使いよんねん。
お前もギャーギャーわめきよるやろ。
こんな残酷な声聞かされてみ?
たまらんで。ほんま。
ゴキブリの死骸見るのもイヤなるで。
感情使わへん人間がおったら、本能使わんで理性で揉み消しよるっちゅうことや。
祝福や。
おめでとう言うたるわ。
175分裂閣下:02/01/03 05:41
本能言うたらコンピューターで言うBIOSや。
理性っちゅーんは、RAMや。
CPUはお前やけどな、自由意志が動くんはRAM上や。
なんでかっつうとな、BIOSには書き込みでけへんねん。
最初っから用意されてあるプログラムやさかいな。
でもRAMっちゅう所は、自由に読み書きできる所なんや。
本能に書き込みできてもうたらロボットなるっちゅうねん。
176分裂閣下:02/01/03 05:49
まあ、わしから見ればロボットやけどな。
実はな。おまえはロボットやねん。
表層意識っちゅう所は、RAMや。
自由意志はここしか機能せえへん。
深層意識っちゅうところは、データベースや。
んでもってBIOSは、基本プログラムの本能や。
ハードウェアが肉体としたら、この体を動かす為に必要なソフトウェアは
揃っとるっちゅうこっちゃ。
でもな?あえての話やさかい、このCPU自体を制御するRAMを作ったとしようや。
BIOSの代わりに、もう一つのBIOSをRAM上で作ってCPUを制御する手法や。
BIOSに制御が移ってもRAM上のBIOSが常に監視しよる。
暴走しようにも暴走せーへんっちゅー話やでほんま。
Windowsで言うたらBuild on NT Thechnology やで。
お前らDOSはもう古いで。
177電子科:02/01/03 05:54
>>176
既存のシステムに依存しすぎて考えるのは古い
178分裂閣下:02/01/03 06:03
そやけどお前、心理学を日本語だけで説明してみ?
心理学が仏教なるで、ほんま。
179名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/03 13:08
羊たちの沈黙ごっこして自己満足にしたっているが心理学屋なわけ?
180名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 03:30
やはり、定義をちゃんとしないとどうにもならないと思われ。
181名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/13 14:49
おもしろいので保守age
182ひきゃあああああ:02/01/26 10:47
感情の無い思考はありえますか
183joy:02/02/12 04:15
東洋では、体験をトータルなものとして把握する。
空が青いな〜
と言うとき、それは、空が今快晴で青く澄み渡っているという記述的・論理的な
内容(ある種、思考)を述べると同時に、その青さから来る一種の感情・感慨を
表現していると思う。

体験は一体となっていて、そのトータリティの中に、豊壌性がある。
体験は不分離なもので、ロゴスやパトスに分離した瞬間、両者の生命は失われる
のではないかと。

というわけで、思考・感情不分離論に一票。
184名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/12 20:58
書き込む前から罵倒レスが目に浮かびますが・・・
感情-辺縁系
思考-新皮質 みたいに何となく思っていましたがどうなんでしょうか?
感情を「情動」と置き換えるんなら、
そんな的外れじゃないと思うよ。

「気分」とか「感情」っていうと、辺縁系だけじゃすまないと思うけど。
186名無しさん:02/02/12 22:10
小汚いごみ消えろ!
187名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/13 02:33
5人の人が線路の上に縛りつけられている。1台の列車が近づいている。
このとき、1人の人しか縛りつけられていない別の線路へ列車を方向転換させることができるとしたら、
それは道徳的に正しいだろうか。
多くの人は「そう思う」と言うだろう。
しかし、5人が列車にひかれるのを防ごうと、
もう1人の人を線路の上に置いて障害物にすることは正しいだろうか。
この場合、ほとんどの人が「いいえ」と言うだろう。

この反応は哲学者を悩ませる。
なぜなら、1人の命を犠牲にして5人を助けるという点では、両方のケースは同じだからだ。
今回、私たちの脳はこの2つの状況をまったく異なる方法で判断することが、
核磁気共鳴画像(MRI)を使って分かった。
2番目の状況でのみ、感情をつかさどる脳の領域が働くのだ。

プリンストン大学(米国・ニュージャージー州)の研究者らとこの実験を行った
同大学の心理学者Jonathan Cohenは、
「私たちは、倫理上のジレンマを脳がどのように扱うかについてほとんど何も知らなかった。
今回の研究で分かったのは、人々が倫理的な決定を行うとき、
感情的な反応は論理的な分析と同じくらい重要らしいということだ」と話す。
188名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/13 02:37
沈みかけた救命ボートから人々を投げ捨てるといった、
その人自身にかかわる状況について、研究に参加した被験者に倫理的な判断をしてもらうと、
感情の処理にかかわる脳の4つの部分で活性が上昇した。
一方、情報を短時間蓄えて処理する作業記憶に関係する3つの領域では、活性は落ち込んだ。
ところが、落とし物の財布の中にあったお金を自分のものにしてしまうといった、
その人自身にかかわる要素が少ない倫理的問題を被験者に判断してもらったり、
ある状況でバスで行くべきか鉄道にすべきかといった、
倫理に関係ない問題を被験者に考えてもらったときには、この逆が起こった。

英国・バース大学で「道徳性の心理学」を専門としているHelen Hasteは、
「これはたいへんおもしろい研究だ。
この結果は、論理的な判断の過程に感情がかかわっていることを確かに示している。
多くの研究者は、倫理について論理的に考えることは、純粋に分析的なプロセスだとみなし、
感情は、論理的な判断を妨げる何かにすぎないと考えていた」と解説する。
189名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/13 02:48
「この研究のもっとも重要な成果は、
走って来る列車の前に人を押しやることを不適当だと判断するよりも、
妥当だと結論する方が、明らかに時間がかかるという点かもしれない。
妥当だと言う人々は自身の感情と闘わなければならない。
だから、妥当だと判断した人はためらいも大きかった。
このことは、感情が単に二次的なものではなく、
実際に人々の判断に影響することを示している」と
プリンストン大学の研究をひきいたJoshua Greene は話した。

Cohenは「この研究は、どの判断が道徳的かについては何も言ってはいない」と強調している。
「私たちがしたことは、どちらが倫理的に正しいかには関係ない。
私たちはただ、人々がどのように判断にいたるかを調べただけだ。
これは、彼らが正しい判断をしたということではない」と彼は話した。

「同時に、今回の結果は、
私たちは自分自身の直感的な反応を信頼すべきだという根拠になるかもしれない。
感情は重要な『適応』と言ってもよいだろう。
感情を、愚かであいまいで不合理な反応とみなす必要はない」と彼は述べた。

Erica Klarreich

reference
Greene, J. et al. An fMRI investigation of emotional engagement in moral judgment .
Science 293, 2105-2108 (2001).
190名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/13 06:10
>>187
別の線路に導けば5人の命はほぼ確実に助かるが,
1人を障害物にしても5人の命が助かる保証はない...
なんてツッコミはなしですか?
191名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/16 03:10
>>188
>感情の処理にかかわる脳の4つの部分で活性が上昇した。
>一方、情報を短時間蓄えて処理する作業記憶に関係する3つの領域では、活性は落ち込んだ。

脳の4つの部分,3つの領域って,具体的にはどこ?
もとの論文読んだ方はいませんかね。
192名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/16 00:42
感情の定義について

 動物には生きることへの内的動機はありますよね。言葉で考えなくても
餌を探して食って、危険があれば逃げるなりなんなりして・・・・。生きようと
しているのは間違いないと思うんですが・・・。生きようとしている元になっ
ているものを内的動機と呼んだんですが、動物をして生に向かわせしめて
いるそのエネルギーのようなもの、(あるのか無いのか分かりませんが・・・)
それが感情と関係がありそうに思うんですが・・・・。
 人間にも、動物と同じように生へと向かわせしめるエネルギーはあると
思います。ただ、人間は、言語を創り、文化を創り、変な観念(イメージ)を
持つようになって、そういうエネルギーをちゃんと使えなくなった。
例えば、想像ですが、そういうエネルギーが自尊心とつながったりしたと
すると、このエネルギーが怒りと言う感情として発散されると言うようなことが
起こるのではないか・・・・そんなことを考えています。
 感情は、人間の変てこなイメージと結びついたエネルギーなのではないか。
ちょっと、想像力を働かせすぎですか。
193名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/16 00:49
「感情」って外的要因で左右されている場合が多い気がする。
つまり自由意志ではない。
つまり自分の「感情」と思っているものも自分ではどうしょうもできないもの。
思考は意志でする。
194名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/01 22:33
道徳性関連スレあげ。
195名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/01 22:34
Neuroimege 関連スレでもあるな。
ほぜんぬ