1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
マジでわからなくなってきました。
感情的になっているとき、次に行う動作(=発言等)は
いくら冷静に頭で考えたとしても、それは感情によって発せられる
ものなのじゃないのでしょうか?
わかんないので、論破してください。というか、意見ください。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/05 01:33
最近の社会的認知研究では
敢えて思考と感情を分けないんじゃなかったか?
詳しい人おしえてきぼんぬ.
かんじょう ―じやう 【感情】
(1)喜んだり悲しんだりする、心の動き。気持ち。気分。「―に訴える」「―を顔に出す」「―を害する」「―を込めて歌う」
(2)〔心〕 ある状態や対象に対する主観的な価値づけ。「美しい」「感じが悪い」など対象に関するものと、「快い」「不満だ」など主体自身に関するものがある。また、一時的なものを情動、持続的なものを気分と呼び分ける場合もある。
しこう ―かう 【思考】
(名)スル
(1)考えること。また、その考え。「誤った―」「余は―す、故に余は存在す/吾輩は猫である(漱石)」
(2)〔哲〕〔thinking〕意志・感覚・感情・直観などと区別される人間の知的作用の総称。物事の表象を分析して整理し、あるいはこれを結合して新たな表象を得ること。狭義には概念・判断・推理の作用による合理的・抽象的な形式の把握をさす。思惟。〔明治期につくられた語〕
1は阿呆かい?辞書みろよう
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/05 09:58
>>4 バカなことを言うなよ。
言葉の意味(用法)がわかることと,それが示している
現象のありさまがわかることとはまったく別。
辞書を見ればわかるのだったら,その言葉が辞書に載ってる
事柄について研究する学問は不要になる。
>>2が書いているように,現実には人間の思考と感情は
表裏一体のもので,はっきり区別したりできないということが
わかってきている。言葉が区別できることと,二つの現象が
区別できることとは関係ないよ。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/05 19:26
age
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/06 03:44
8 :
名無しさん@お腹いっぱい:01/10/06 08:20
思考と感情を日本人ははっきり分けていなかったふしがある。
西洋哲学の認識論が来てそういう区別ができてきたらしい。
心的内容をカテゴライズする発想自体が西洋のものだ。
心理学では区別できないことになっているのでしょうか?
何かこれについて書かれている、シロウトでもわかる本があったら
教えてください。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/07 00:15
認知科学で「感情」の特集してたな昔。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 19:24
感情は誘発刺激によって引きおこされるレスポンデント反応、
思考は弁別刺激によって自発されるオペラント的な言語行動です。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい:01/10/22 23:38
11よ、古い。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 23:42
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 23:44
えっと、「ディスカバー21」という出版社から
「あなたがついている17の嘘」という本が出てるんだけど、その中に
「考えることが感じることの元になっている。」て言葉があったような・・・。
本に書いてあることが事実とは限らない。
むしろ、俗本には
「こうあってほしい」という「願望」
「私はこういう気がする」という「感覚」
「これを信じなさい」という「教条」
「こういうと綺麗だね」という「レトリック」
…、が、溢れているので嘘だらけと考えて間違いない。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/22 23:50
>>14 あなたが自分についてる17の嘘
著者名 : スティーヴ・チャンドラー著 桜田直美訳
本体価格(税抜) : \1,300-
発行年月日 : 2001年5月25日
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/23 00:02
・・読んでないけど、どう考えているかが、どう感じるかの基本になってい
るということ?それはそうだよ。でもこれは思考と感情の区別とはちょっと
違うけど。
日本人が思考と感情を区別してなかったと書いた人、もう少し詳しく教えて
下さい。興味があります。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/23 00:03
>>12 「古い」ということはその考え方が妥当でないことを常に示すとは限らない。
古いからダメ、ではなくそのように考えることのどこに欠点があるかを
示すのが筋ではないか。レッテルだけ貼って否定するのはフェアではない。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/23 00:09
>>14 情動の2要因説というやつではなかろうか。
「どうして自分はいま動悸が激しいんだろう?
あの娘と一緒だからか?おれはあの娘が好きなのか?
そうか、自分はいまあの子に惚れてるのか。」ってやつ。
「そう思う」から「そう感じている」と感じるようになる。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/23 00:18
「好きだ」という感情は時として、自分のなかに「発見」される
ものですよね。(自分の行動を観察したり、他人に指摘されて。)
自分でなんでわからないんだろうね。面白いなぁ。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/23 00:36
どのような生理的・心理的状態を以って「好き」という感情を抱いているかは
はっきりと定義されていない。っていうか定義し様がない。
だから「自分はあの子が好きなんだ」という感情は客観的に測定できるものではなく
ある意味本人が勝手に決めつけたものでしかない。
生理的現象に意味付けをしたり原因をあてがったりすることで
自分、あるいいは他人の抱いている「感情」を推測、もとい決め付ける。
そういう意味では思考と感情は切り離せないかも。
ところで「好き」という感情の操作的定義できる人、解説きぼんぬ
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/23 06:22
異性の相手を本当に愛しているかどうかというのをfMRIで測った
研究があったぞ。「愛している」と言ったときに愛している強度
によって、活性化する部位が違うとか。詳細不明。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/23 06:57
このスレは良問です。突き詰めれば様々な論点が浮かび上がる。
24 :
名乗るほどのものでわ:01/10/23 17:45
うん、これは良スレなんだよー よってage
感情や思考という区別に我々は慣れているけど、真実においてはそんな区分はないものでしょう。
とはいえ、スレッドの質問に簡単に答えるのなら、神経生理学からいえば各神経はお互いに繋がっており、感情からの刺激が記憶・思考回路に作用を強めて考えが浮かんでくるという説明ができます。
26 :
(^0^)v :01/10/24 06:33
ユングの「人間のタイプ」を読め。
感情と思考は合理的機能に分類されとる
>>26 ユング?オカルト理論はいらないよ。
どっちみち何の反論も出来ないだろ。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/24 08:01
オカルト面白いよ。やっぱり人間の基本は霊だから。
だろうな。
>>26 ユングは抽象的感情は合理的機能だっていったんだよ。
また、価値感情(Feeling)と情動(Emotion)をはっきりと区別してる。
彼の定義集を読むといいよ。
>>30 だからどうした.
オカルト用語の定義なんて百万篇読んでも意味ないぜ.(藁
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/24 15:25
>>31 まったくもってそのとおり。
ユングなんてトマス・アクィナスと同じレベルの信頼度。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/24 15:49
>>32 馬鹿言えトマス・アクィナスの学説の論理的整合性をなめるなや.
ユングのアクティングアウト・オカルト学説とは比較にならない.
ケルンの大聖堂と新宿の雑居ビルくらいの差はある.(笑)
いいスレだと思ったのに。。。
ユングの名が出た途端に、このスレも荒れ出したよ。
ユングが嫌ならは、無視して放置すれば良いのにさ。
どうせ荒らしてるのは、××&××系だろうけどね。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい:01/10/24 17:28
いや、まじな話ユングはそういった面が強調されすぎでは?
直感とかいった統合的感覚を持ち出してきたことで
それまで個別化されてきたデータ実証主義を
統合しようとした功績があるんじゃ?
ポルターガイストとかに関しちゃ
多分そういったことやられちゃっててたんだってことを
世間に公表しようとしてたとしか思えないな。
どうでもいいけどね。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/24 17:29
ああどうでもいいな.
おもしろい!
1+1=2は思考かな。
「でも秋の空は透きとおっていて綺麗だ。」
は感情からくる思考かな。
でも答えを見つけたいという感情がなければ、
キットいつまでたっても1+1=???
なんだろうな。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 00:38
そもそも、感情と思考はどちらが先?過去の感情をもとに、思考が働き、思考中、過去の感情を刺激するから感情が甦る。子供は知識がない内から感情がある。泣く。笑う。これは思考なのか?
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 00:39
>>39 定義次第だっての。
感情と言葉をきちんと定義してごらん。
まずはそれからだ。
推敲中に送ってもうた…。
× 感情と言葉をきちんと定義してごらん。
○ 感情と思考という言葉をきちんと定義してごらん。
定義も出来ていないカテゴリに何かを分類できるはずが無い。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 00:43
感情的な思考はあるね。
思考的な感情は、たぶんない?
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 01:01
で、「感情」と「思考」の定義は?
失礼。では個人的意見になるが、感情=本能 思考=学習、智恵。さてはて。よそ様は?
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 01:28
>>1 あんまり、意味の無い問いって気がするけどなあ。
どこまでが感情で、どこまでが認知なのか。
どこまでが感情で、どこまでが生理的覚醒なのか。
どこまでが感情で、どこまでが行動なのか。
似たような問いかけはいくらでも作れる。
だけど、その問いかけそのものに、あんまり意義があるとは思えない。
なんらかの、仮説を用意しているなら別だけど。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 01:30
なるほど、その定義に従って39を書き変えると、
そもそも、本能と学習はどちらが先?
過去の本能をもとに、学習が働き、学習中、過去の本能を刺激するから本能が甦る。
子供は知識がない内から本能がある。泣く。笑う。これは学習なのか?
これで自分がどれだけピントはずれな感傷にふけっているか納得できた?
君の定義だと「本能と学習はどちらが先」などという問いが出てくるはずが無いんだよ。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 01:30
感情も知覚できるし、思考も知覚できるね。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 01:42
問い方が悪かったか?私は、感情=本能が先と思っていた。ただ他者の意見はどうだろう?という判断で他者に聞いてみたんだが。かくいう》46はどのような意見をお持ちなんであろう。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 01:55
感情は思考の一部と言えるのでは?
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 02:02
それは、定義次第。>49
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 02:19
感情の伴わない思考ってあるのかな?
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 02:27
数学など勉強中、たんたんと解答してる時など、思考のみのような、、わかんなーい。楽勝じゃーん!など思わない時だあよ。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 04:10
そういえば、テーマは感情の後の思考は…なんだっけ。読んでる内に混乱したよ。スマソ
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 04:34
読み返してみたら、》3が言ってるな。と、いう事で、感情的に荒れてなければ、》1は本人なりの正当な思考で意見した、と思うが。感情的とは自分の意識だけを正当とし、相手に強要する事、、かな、、?
感情と思考の定義はわからないが、
人間のある行動が、感情によるものか、思考によるものか
ということであれば、
緊張からの開放を目的とするものは「感情」。
そうでないなら「思考」。
したがって、泣く、笑うは「感情」。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 06:50
じゃあー、「マッサージ」なんかも感情だったりするわけ?
「入浴」とか。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 07:09
》56?意味不明。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 08:18
》55は〈人間のある行動〉でなく〈人間のある主張〉の方がよいのでは?
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 08:25
》46》50》56は、いかにも「私は解ってるけど、間違った事言ったら煽ってあげるからドンドン馬鹿な事書いて」とでも言いたいようだな。人格的醜さを感じる。そうでないなら、定義してみろよ。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 09:41
脳科学者の Damasio は思考は感情をベースにしている、といっている。
Descarte's Error という本。邦訳もあるはず。
個人的にはDamasioに賛成です。
純粋な「思考」はむしろ例外的な気がする。
4枚カードも感情で解ける
>>60 Damasio が正しいと仮定すると、
感情と思考の定義はどうなる?
感情なんて幻想。あると思うからあるだけ。
66 :
初名無しさん@お腹いっぱい。 :01/10/25 12:43
はじめまして、難しいことはわかりませんが・・・おもしろいので少しだけ!
どちらも、記憶の底にある経験が基になっていると思いますが
瞬間的に、湧き上がるような心の動きをするのが感情?
(なぜそうなのかを意識する前に、浮かび上がる)
経験や常識の中で、模索する作業や、その段階での心の動きが思考?
(感情への確認)
ただ複雑に交差しているので、同時進行で動く場合もあるし
どちらを優先するのかも、状況や個人の性格により変わってくるものだと思います。
また、経験の量により、そのスピードが感情レベルで動く(無意識に導く)場合が多く
感情・思考が、頻繁に繰り返し動くように思います。
>>1の方が、言われた感情が結局優先と言うのも、
その瞬間、反射的に思考と反対の行動を、感情が命令している場合もあれば、
思考が感情のままに行動することを、許可する場合もあると思います。
いづれにしても、どちらだけと言うものではなく、
それが交差しながら動くのが、心なのではないでしょうか。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 12:58
>>67 実はこのスレッドは部外者探知スレだったりします。
秘密ですが。
>>63 まず、感情について、Damasioの仮説を述べることにします。
彼はemotionとfeelingという二つの語を用いています。
emotionはおもに身体的な反応です。蛇など気持ち悪いものを
見たときに、おもわずぞっとしたり、とかいうものです。
feelingはemotionを認識したときに生じるものです。
蛇を見て、怖い、とか気持ち悪い、と感じるのはfeelingです。
一般にいう感情はfeelingのほうでしょう。
彼によれば、感情(feeling)も高度な認知過程の結果なのです。
思考については、感情から切り離せない、といっています。
純粋に理性的で合理的、という意味での思考は存在しないことになります。
長々と書いた上に定義になっていなくてすいません。
本を読み直してまた出直します。
感情――刺激にたいする内的変化の起伏に名前を付けたもの。
思考――概念駆動の時の伝達速度の遅れからくるノイズ。
これをメタ認知できるのが人間。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 16:17
>>70 メタ認知しているのは人間だけとはかぎらんだろう。
人間だけといいきるならもっと詳しく説明してくれ。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 16:38
>>70 たとえば、上司から前もって、
「こういうときはAという形にしてね。」
と言われたので、その通りにしたところ、
「ここはBという形にしなきゃダメだよ。」
と言われて、おもわず、
「あんたこないだBって言ったじゃねぇか!」
と怒鳴ってしまった場合、
自分のしていることが否定されたということを
「思考」によって認識し、その「認識」という刺激によって、
それまで平常だった精神が揺らいだこと自体が「感情」で、
その直後から上司に対しての言葉による批判までは
すべて思考ってこと?
ということは、「感情」は「思考」による刺激によって
発生するということ?
泣く、笑う、怒ると言った「感情」は、
本質的に精神の揺らぎであって、それがどういう形をとるかは
「思考」によるってこと?
赤ん坊が泣いているのは感情ではないってこと?
俺、なんかドキュソなこと言ってる?
つか、自分でも何言ってるかわかんなくなってきた。
ダメだ。脳みそがあぼーんだ。
難しすぎ。スマソ。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 18:31
感情が指針となる。
感情が起こって、その感情について考えるとき思考が起こる。
俺はな。みんなどうなんだろう?
思い込みで理解したつもりになるバカ。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 18:49
このスレのタイトルの問いが愚問だと思うのだが、どう?
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 19:04
>>76 たぶん君が正解。
他にも2、5、45あたりの諸氏がいい見識してるね。
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 19:19
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/25 20:40
意外に盛り上がるね。
感情は、生まれたときから持っている知覚反応です。海馬を抜きに反応できる行動のことです。
赤ちゃんは思考力はありませんが、感情はありますから、外部の状況の変化に反応して感情を
変えていきます。そして、その感情を顔に表します。
思考には、「言葉」が付いて回ります。言葉の量を沢山持っていて、その使い方と意味を正確に
理解している人ほど、物事を深く思考できます。
人のDNAの中にプログラムとして打ち込まれているのは「性格」です。性格というのは、物の見方や
考え方のみでなく、背格好なども含まれます。ですから、「背が高くなるという性格を持って
生まれてきた・・・・」という使い方ができます。遺伝です。次に、性格の外側にくるのが人格です。
人格は、性格に生活環境(家族、民族、習慣、文化、その他、生後外側から与えられた材料)によって
形成されれていきます。最後に、人格の外側を包むのが「哲学」です。
感情は、最も内側の性格と同じレベルにありますが、思考は、最も外側の哲学の表皮です。
>赤ちゃんは思考力はありませんが、感情はありますから、外部の状況の変化に反応して感情を
>変えていきます。そして、その感情を顔に表します。
よしゃ、ダウト。
赤ちゃんは刺激に機械的に反応してるだけかもしれない。
「顔に出たもの」を元に中核となる感情が存在すると判断するのは
成人の勝手な(しかし自然な)思い込みに過ぎない。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/26 00:01
刺激にたいする機械的な反応、生理的な反応が感情なんじゃないかなー。
だって、「生理的に嫌い」とか言うじゃん。俺は言われたことないけど。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/26 00:22
「生理的に嫌い」
そんなもんは日常会話のレトリックであって科学的論証の論拠とはなりえません。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/26 00:40
どこでが愛情でどこからが虐待なのか?
感情的に行動してる自分を認めようよ!
感情的な行動を自分が認めたくなくて、後になって、その行動を科学しようとして、
でも感情的なことを科学にできなくて、ってことでしょ?
別に科学的に考えなくても、何も考えなくても明日は来ちゃうから。
>>77 あんた何様?
(俺様とか言うなよ〜、イタイから)
>81さん
私の「感情」の定義を、もう一度お読みください。
感情は、海馬抜きに反応できるレベルの知覚反応だと言うことです。
ですから、脳(海馬)に障害を持ってしまっても、感情は残るということが医学的に
障害の有無による脳波の差異から証明されています。しかし、思考(同)は消えて
しまうとのことです。
反応が機械的であってもなくても関係ないのです。海馬を介するか否かでの知覚反応の
有無が、感情か思考かを区別する唯一の定義だからです。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/26 12:13
生理的に痛い(こういう言い方あり?)
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/26 12:14
>>81 こうも言い変えられるかも。
我々は刺激に機械的に反応してるだけかもしれない。
「顔に出たもの」を元に中核となる感情が存在すると判断するのは
我々の勝手な(しかし自然な)思い込みに過ぎない。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/26 12:29
>>90 生理が痛いことはあるけどね。
>>91 風が吹いて風見鶏が動く。
それは海馬を抜きに反応できる行動であり、外部の状況の変化に反応して変化する。
そのとき、風見鶏は感情を持っているといえるのか?
幼児には感情があり、風見鶏には感情が無いというのは
人間(および人間の幼児)に感情があることを前提に、感情があることを示す循環論法に他ならない。
あなたの定義における「感情」と言うのは実体の無い虚像であり、
感情の存在を認めたいと願う観察者があってはじめて存在することになる。
そのとき、あなたの定義における「感情」は観察対象の内部に存在しないだろう。
むしろ、間主観性という言葉が示すような相互作用の中にある。
これで、あなたの「感情」の定義に矛盾が生じることが分かるだろう。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/26 12:47
経験や記憶に依存しない思考はありますか?
>92さん
風見鶏で「感情」についての定義を覆すのは無理だと思います。
これは、私の説明が不充分であった事が原因でもありますので
誤ります。
訂正
人には、思考を司る海馬がありますが、その海馬を抜きにして反応できる
知覚反応を感情と定義されています。
ですから、海馬の無い風見鶏で、感情に関する説明は、ここでは定義外の
論法になりますから意味が無いのです。
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/26 14:31
>>89 >感情は、海馬抜きに反応できるレベルの知覚反応だと言うことです。
この定義だと、シャクターの「情動の二要因帰属理論」はどう評価します?
>>71 たとえば猫が怒ると尻尾が逆立つだかなんだか知らんが
目に見えてわかるらしいね。
でもそれを猫が知っているかというとそうでもないね。
それと「人間」と書いたのであって「人間だけ」とは書いてないが?
>>73 別に感情のすべてが思考によるわけではないし、そうでなくても特に不都合はないね?
ただ、自分が考えているときに感情の起伏がないかと言うとそうでもないね、てこと。
それから「精神の揺らぎ」とあるけど「精神」とか言わずに、刺激に対する生理的反応
の揺らぎではだめ?「精神」を定義するのに時間がかかるぞ。
80=ななし氏をだいたい70は支持できます。
しかし76氏あたりの意見もうなずけて、感情と思考が同時に起こることは普通
なのだから、今のところ明確には説明できないだろうと思うし、「学問的」を除けば、
定義すら個人の自由だよね、他人に迷惑がなければ。話題にできないけど。
側面を発見していって外殻を知り、それをもってして定義していくのが心理学
だろうから時間かかるし、めんどくさいけど面白さを感じるんだよね〜。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/26 15:01
>>94 なるほど、あなたにとっての「感情」とは、特定の器官の有無に拠るものなのですね。
それなら内部に器官をもっているかどうか分からなかったら、
それは「感情」を持っているといえるのでしょうか?
思考実験です。
ここに赤ん坊が二人います。
でも片方は実は機械で、刺激に対して文字通り機械的に反応するだけです。
でも外見で区別することはできません。
今、この二人のうち片方を選びました。
叩いたら泣き、あやしてやったら微笑みました。
この子は感情を持っているのでしょうか?
それともどこかの猫のように「半分だけ感情を持っている」のでしょうか?
それとも解剖して神経組織の有無を調べなければならないのでしょうか?
私は行動主義者ではないけれど、このあたりに関しては行動主義に一日の長があるね。
あんまり面白くないけど反応します。
>>97 その前に感情は「持つもの」なの?
あるか無いかだったら両方あると70は考えるね。
なぜなら、「泣く」、「微笑む」を定義したのは誰?人間では?
猫の感情は「半分」なの?どこまでが全部?
文章を推敲しよう。
>>98 >その前に感情は「持つもの」なの?
このあたりに関しては80に定義がありますのでそちらを参照。
もちろん、ここでは80の定義ではうまくいかないよということを
80の低後を前提に納得させようとしているわけですから、
間違っているように見えるのはあなたの論理を組み立てる能力が正常な証拠かと。
背理法って奴ね。
>>99 う、typoです。
× 80の低後
○ 80の定義
>>98 そうです。ここで80を引用できるほど信頼はしていない、
ということです。
>94さん
はい、解剖して調べるか、脳波を調べます。
もし、その機械が、解剖しても人類か否か判らないほど巧妙であったら、
それは人類です。判らないわけですから。
>>98 >>97はシュレーディンガーの猫(知ってるよね?)を引き合いに出した
だけだと思われ・・・。
>>96 感情の定義ができてないのでなんとも言えないんだけど、
刺激に対する生理的反応が、「感情」というレベルに達するまでには
何等かのシステムが介在する必要があると思うんだけど、
要するに、単なる生理的反応 = 感情 ではないと思うんだけど、
この考えは間違ってる?
>>102 じゃもし調べられない環境だったら?
たとえば自分については感情を持っているといえる?
自分で解剖して確かめた?
あなたの定義では、外見がどうであっても内部構造を調べなければ
感情を持っているとはいえないよ。
あなたの定義では、刺激-反応の対が脳、あるいはそれに相当する
内部器官によって処理され、しかも言語的な処理器官を経由していないことが条件。
確かめてもいないのに「それっぽいから」「そう感じるから」という理由で
感情をもっていると断言はできないんだよ。
叩かれて怒るのも、条件反射も、風見鶏も、十分に「それっぽい」。
あなたの、「感情」の「定義」は本当に厳密に「定義」と呼べるものなの?
自分の経験から感覚で「感情」と呼べそうな例を集め、
それらに共通して見られた特徴を抽出しただけじゃないの?
それは「性質」とは呼べる、でもそれは「定義」じゃないんだよ。
「性質」はただの「必要条件」にすぎず、「定義」ではないんだよ。
>>103 はい、その通りです。
>97さん
はい、常に解剖や脳波が関係してきます。
ただし、全員を解剖するわけにはいきませんから、多くの人を解剖した結果から
私にも(まったく同じではないにしても「人」なので)同じ要素があると考えていく
ことになると思います。 たとえば、数学の問題で、2+3は5であることを証明したとき
それを前提として(公理)として3+4も考えていきますよね。ですから、すでに判っている
事実(ここで事実という言葉を使ってしまいましたが、共通の概念でも結構です)を
もった段階で、同じ集合に属する現象や反応は、「同じ」とみなすのだと理解しています。
恐れ入りますが、「定義」の定義を教えてください。私の理解している言語と異なる
と思われるため、勉強になります。
ちなみに、定義というのは、数学でいうところの定理に値するものだと私は理解しております。
そして、定理は、公理によって証明されます。公理は、証明の必要が無い公の事実です。
ですから、実験データからえられた現象を分析し、最も信頼できる(現代科学においてです)
事実を突き上げていって「定義」は創られていきます。そこには、性質も含まれてきます。
>数学の問題で、2+3は5であることを証明したとき
2+3=5 は所与の集合と"+"の定義によって定まるものであり、証明を要しません。
間違いの原因は数学の知識不足ですね。
>それを前提として(公理)
「証明されたもの」は公理"axiom"ではなく定理"theorem"ですね。
以下で間違えていないところからするとケアレスミスだと思われます。
>3+4も考えていきますよね
上と同様、3+4を考えるときは法則による証明や演繹的な判断ではなく、
所与の集合と、記号 "+" の定義によって定まります。
>同じ集合に属する現象や反応は、「同じ」とみなすのだと理解しています。
違います。あなたの犯している間違いは一般には「述語的同一視」と呼ばれます。
>「定義」の定義を教えてください。
「定義」とは「特定の概念の意味を過不足なく明確に定めること」です。
>私の理解している言語と異なると思われるため、
「言語」の厳密な意味を理解した上で書いてますか?
>定義というのは、数学でいうところの定理に値するものだと私は理解しております。
違います。
「定理」は、特定の理論上で公理および公理から法則によって導かれるものの総称ですが、
「定義」は特定の理論とは関係なく「意味」を定めるものです。
>定理は、公理によって証明されます。
「公理によって」("by")ではなく、「公理から」("from")です。
>公理は、証明の必要が無い公の事実です。
「公理」は理論、つまり何を真とし何を偽とするかの枠組みの中で初めて与えられます。
もう一歩突っ込むと、「公理」というのは理論体系を構築する上の仮定でしかないんです。
>実験データからえられた現象を分析し、最も信頼できる(現代科学においてです)
>事実を突き上げていって「定義」は創られていきます。
違います。それは単なる性質の決定でしかありません。
あなたの根本的な間違いはロジックのレベルのミスではありません。
公理でないものを公理にしてしまった思い込みがそもそもの間違いなんですよ。
脳波が出ることなんてただの脳の活動の結果であって、定義にはなりえないんですよ。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/27 00:39
なんか、97氏と、ななし氏のバトルとなってきた。
そこで、質問です。
このバトルは、どこまでが感情でどこが思考なのか?
俺他人から酷い事言われてもちょっと思考してからでないと感情的になれないんだよね。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/27 01:21
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/27 02:33
こんなくだらない議論をしているから心理学は役に立たないと言われる。
こんな議論して患者が治るの?
もっと人間を見つめなよ。
精神病院が閉鎖的になるのもよくわかるよ。
もっと実践的で社会に貢献できる話をしなよ。
象牙の塔にこもっているばかりではヒッキーと同じだよ。
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/27 18:28
重要スレにつきage
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/27 18:49
>>111 心理学が患者を治すものだなどと思っている人がまだいるのですね。
あなたにとってくだらないとしか思えないなら首を突っ込まないことです。
精神科医療について語りたいなら,ほかにふさわしいスレがあります。
>>111 心理学を臨床と決め付けしてしまうことはちょっと異議。
心理学は臨床だけじゃなくて独自思想としてもいいだろう。
つまり思想を語っているということじゃない?
役に立たない言われた思想も100年後はどうなるか分からないYO!
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/27 21:07
みんなハゲだなあ
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/27 21:53
あの〜、どうでもいいえすけど、最初の質問がぼやけているんじゃないですか?
どこまでが感情で、どれが思考なのか? っていうことですよね。
「ななし」さんの言ってる事も一理あるし、「97」さんの言ってる事も正しとおもいます。
ただ、二人とも、自分の説が正しいという前提で話を進めているところが不思議です。
お二人の話を読むと、かみ合っていませんから。
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/10/28 12:29
感情や思考は「脳」にあるんだから、
ニューロンの反応位置によって違うのではないか?
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/28 13:12
>>118 それは「ななし」さんが正しいという見解なわけですね。
僕には正しいか間違えかは判断出来ませんが、
「ななし」さんの意見は、より理解しやすいですね。
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :01/10/28 13:51
「ななし」さんって素人ではないの?
「生物」板に持っていったら即ボイコットされると思いますが……。
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/28 14:34
そりゃ生物学は理系分野なんだから当たり前。
理系から見れば明らかなことも、文系には理解できないんだよ。
知性で評価するなら、文系の院生が、理系の学部3回生に相当する。
122 :
名乗るほどのものでわ:01/10/28 15:12
知性で評価は、痴性で評価の誤植だろうなー(笑)
ま、騙りはほっといて、「どこまでが感情で、どれが思考なのか?」てのは、
そういう現象を扱う人の定義の問題.とうぜん、感情・思考に相当する実体はない
っていう意見があってもOK.それでヒトの精神活動かどれだけうまく説明・予測
出来るのかがポイントでしょ.
ただ、情動(emotion)と感情(feeling)は、概念として使い分けてる研究者が多い
のでわないのかなーと思う.
おいら的には、情動に関しては、生体として環境に対する一次的な評価だと思ってます.
感情は、経験とか記憶もかかわってくる複合的な処理の結果だと思うけど...
じゃね
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/28 15:35
思考の中で強く動くものが感情じゃない?
思考は感情を伴うものもあるしないものもある。
感情とは強く働くと思考を動かす。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/28 19:30
>>122 情動(emotion)は生理的喚起を伴うもの。生理指標も含めて評価。
気分(mood)は生理的喚起を伴わない。認知指標のみで評価。
というのが、一般的な使い分けだろうと思います。
感情と言う言葉は、どちらにも使われる曖昧な面があるような気がする。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/28 19:36
どれだけ予測できるかって、それがまぁ商売でしょうけど…。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/29 00:48
>>96 ネコの毛が逆立つのは怒ったからじゃなくて緊張するとそうなるって
聞いたけど?
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/29 01:02
答えは猫に聞いてくれ。
まあそう感情的にならずに
>>122-
>>124 の流れはいいんじゃない?
感情という言葉には曖昧な面があるので、
まず、emotion と mood を定義づけて、
感情はその複合体とするとか・・・。
感情そのもを定義づけしようとするるよりは
明解な説明ができるような気がする。
俺自身は、
>>126 のように、
緊張とその開放という路線で考えたいが。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/29 07:14
感情をどのように定義づけるか、という問題と
感情はどのように測定されるか、という問題は
同じ事だと思うのですよ。
測定方法を考えないで定義付けだけしても無意味。
感情を脳と強く結びつけて考える場合は、生理心理学的に捉えられるものを感情と
考えるわけでしょ。でも、質問紙で測定される感情もあるわけだし。
もっとも、感情研究するのに、脳波は不適切と思うが。
>>130 心理物理ってやつですか?
確かにそのような実験心理学的な観点も必要だと思うけど、
結論として感情を定義するんではなくて、
とりあえずは仮説でいいんじゃないかな。
考えられ得る仮説をいくつか立てて、
それらの妥当性を議論することは無意味ではないと思うのだが・・・。
その上でそれらの仮説が正しいとするとこういう測定法がある。
と考えていくのが順当だと思う。
それとも fMRI とか持ち出して
いきなり測定しまくりますか?(何を?)
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/29 08:49
>感情的になっているとき、次に行う動作(=発言等)は
>いくら冷静に頭で考えたとしても、それは感情によって発せられる
>ものなのじゃないのでしょうか?
感情は動機って事でしょ。
冷静な思考は、動機によって生まれた目的を遂行するための思案なんじゃないの?
そこまで高度ではないかな。
133 :
空耳アワー:01/10/29 11:40
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
つうことだから、角が立つのが「思考」で、流されるのが「感情」
これでよし!
知・情・意って分類は明治以降、漱石なんかが
日本に紹介した比較的新しい概念じゃないんかなあ?
>>124 感情を測定したとかいってα波を測っただけの研究とか見ると
カチンとくるよね。なんだよ感性脳計測って!
>>126 そうなんだ。いや、猫飼ったことないんで適当です(藁
「人間がラベルできた感情の、表への現れの一例」として
書きたかっただけなんすよ。
>>122−
>>124 >>130、
>>131 には賛成。心理学辞典では(心理学的には)感情を一つとは定めていないとか
書いてあったし、それが心理学としての立場だと思う。そのそれぞれのパースを
心理学は求めているのだと思う。
97氏やななし氏の考えはなんとなく生物学的定義に見える(生物学は知らん)
だから1氏の質問も「心理学的には」とか枕言葉が必要では?
>>104 一概には言えないと思う、っていうかそれを証明する材料を70はもっていない
んすよ。ごめそ。
ただ、「システム」が介在していると思えるのは人間とかの「エラーが起きたから
修正しよう」とかメタ的な認知ができる動物ぐらいでは?と考える。
クワガタとかが怒るとどうなるか知らんけど、わかるらしい。というか怒ってると
人間が思っていて、実際そういう反応するんだろうけど、クワガタの脳みそと人間の
脳みそに共通するぐらい感情の起伏は原始的なものなんだと思うよ。
でもそれを認知できるのは限られてくると70は考えている。
心理学的に「感情」とは快−不快に分けられる(と辞書にある)ものだから、
快−不快に弁別できるだけの能力(?)が必要では?と思うわけよ。
どーよ?って勢いだけど、勢いだけなので勘弁を。
読みづらくて失礼。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/29 15:23
文章を書く場合、
感情は「瞬間的な心の動き」として描かれます。
「何かを見た時、何かを瞬間的に感じたら」それが「感情」でしょう。
「絶景を見て、すげ〜」と思ったら感情が動いて、「すげ〜」になってるんでしょう。
一方、「絶景を見て、脳に快感物質が発生するのか、胸が熱くなったり、背筋がゾクッとしたら」
それが「感情」なのか、「反応」なのかは判らない。
思考の方は、「瞬間的」ではない場合が多く、瞬間的であっても、秩序立てて考えられてるもの。
「絶景の美しさは何か?」となったら考えてるだと思う。
しかし、もともと言葉自体の定義曖昧なんだと思うな。
その後、家に帰ってきて「絶景の美しさ」を考えていて、またあの時、感じた気持ちよさが、
甦ってきたらそれは何だろう。
その際、反応している「脳」が感情とされるのか?
>>135 それはそれで感情では?
「すごい」の定義は個人によるというところは賛成。
>>134 なるほど、感情は観測者の存在によってはじめて
認知されるってことだね。
となると、「これが感情だ」って定義づけることは
難しいかもしれないな。
「思考」はどうだろう?
仮に感情が定義づけ不能だとすると、
思考も定義することはできないのだろうか?
思考のほうは、それこそ測定による生理学的な定義づけが
なんとなく可能なような気がしないでもない。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/29 20:42
感情、あるいは思考と、必ずしもどちらかに明確に分類できるわけではない、
と言うのを前提に、感情の定義を考えてみました。
基本的に、感情は「刺激にたいする内的変化の起伏に名前を付けたもの」(
>>70)
に賛成です。ただ、私の言葉では「刺激に対する、特定の反応を言語化したもの」
というのがしっくりきます。
>>137 >なるほど、感情は観測者の存在によってはじめて認知されるってことだね。
言語化が必要と私は考えるので、137氏に賛成です。
なぜ言語化が必要かというと、例えば「怒り」という感情を考えてみた場合、
刺激に対する反応(例えば、誰かに殴られた時に体内で生じる血圧の上昇や
なんらかの脳内物質の分泌)は、あくまで「反応」であって、「感情」では
ないと思うからです。こうした状況を例えば「頭にきた」と言語化(ラベリ
ング)することによって初めて、それが「感情」となると思うからです。
更に言うと、こうした「反応」は動物全般に生じますが、それを「感情」と
して捕らえることができるのは、言語を持った動物だけであると思います。
次に、現在問題と思われるのは、「刺激とは何か」が定義されていないことでは
ないかと思いますので、それを考えました。
刺激とは、「受容器を通して有機体に影響を与える、有機体内・外のエネルギー
の変化」と考えます(ちなみに受容器は、「動物体が外界からの刺激および体内
で生じる刺激を受け入れる器官」です)。
ポイントは、刺激は有機体の内・外両方に存在すると言うことです。
誰かに殴られるという外的なものもあれば、腹が痛いなどといった内的なもの、
更には、いわゆる「思考」というものも、有機体内で生じる刺激の一つと考え
ることができるかと思います(前に誰かに殴られたことを考えているうちに、
血圧の上昇やなんらかの脳内物質の分泌といった反応が生じた場合など)。
更に言えば、感情とラベリングされる反応もまた、刺激となりうるような気も
します。
>>107 脳波が出ることなんてただの脳の活動の結果であって、定義にはなりえないん
ですよ。
>>118 >感情や思考は「脳」にあるんだから、ニューロンの反応位置によって違うのでは
>ないか?
107さんの意見に賛成です。
刺激に対するニューロンの反応位置を調べるというアプローチも有効かと思い
ますが、それは刺激を十分に考慮することなしでは意味がないのではないかと
思います。
情動/気分、思考に関しても書こうと思っていたんですが、長くなったんでまた
今度にします。
141 :
名乗るほどのものでわ:01/10/29 22:26
>>124 気分(mood)は生理的喚起を伴わないって言い切っていいのかな?
#ってゆーか生理的喚起って何を指してるのかな?
それから、その分け方だと、気分(mood)と感情(feeling)は、どうやって使い分けるの?
>>138 おいら的には、感情はともかくとして、情動に関しては、観察者の存在も言語化も
必要ないと思うけどな.
>>141 女の子と会って、この子可愛いなと思うのがmood
女の子と会って、どきどきしてしまうのが、emotion
だということです。生理的喚起とは、例えばこの時の心拍です。
この考えは、心理学の一般的な考え方だろうって私は思ってます。
feeling=感情 emotion=情動 affect=情緒 mood=気分 という訳語は
果たして適切なのかな、て疑問はありますよね。
あんまり厳密に定義づけしちゃうと、身動き取れなくなっちゃう気はします。
143 :
名乗るほどのものでわ:01/10/30 00:11
>>142 っていうかね、「女の子と会って、この子可愛いな」と思ってる
時に、本当に生理的には変化がないのかな?って思うわけだ。
ま、別にないならないでもいいんだけど(笑)、
情動系(これわいわゆる fight or flight に代表されるような
生体としての環境の一次的評価だと思ってます)の反応が
感情・気分の基礎にあるとは言わないけど、感情や気分が生起した
時に情動系も活動してることは十分考えられるよね。
とすると、学習とか嗜好も含めて、なんかモデル立てしないと
気分とか感情って、うまく語れない気がしてます。
#そこまでで止めるなっていう突っ込みはパスね。
#これ、むちゃくちゃ難しいネタだと思うもの。。。
>>138 ってことは、刺激に対する反応がラベリングという
システムによって感情というレベルに達する
と言ってもいいわけだね。
とにかく、単なる生理的反応だけでは感情とは呼べない
ということがここでは言えると思う。
138は、「特定の反応」という言い方をしてるので、
すべての反応が言語化される(あるいはできる)わけではない
ということだと思うんだけれども、
言語化というのは思考によるものでは?
それとも、思考というシステムを介在しない言語化
というのもありえるのだろうか?
さらに言えば、思考そのものが何らかの反応を
言語化したものかもしれない、と考えることもできると思う。
となるとやはり、思考というものを定義づける仮説が
必要になってくると思うんだけど・・・。
>>141 >おいら的には、感情はともかくとして、情動に関しては、観察者の存在も言語化も
>必要ないと思うけどな.
情動反応に関しては、観察者の存在も言語化も必要ないと思います。
しかし、情動反応を、情動反応を起こした固体が「意識」するには、
観察者であるその固体と言語化のプロセスは必要かと思います。
>>142 >女の子と会って、どきどきしてしまうのが、emotion
>だということです。生理的喚起とは、例えばこの時の心拍です。
>>143 >っていうかね、「女の子と会って、この子可愛いな」と思ってる
>時に、本当に生理的には変化がないのかな?って思うわけだ。
心拍といった生理的喚起(反応)を、言語化したものが「どきどき
している」というもので(これがemotionかは分かりませんが)、
その際に発せられる思考(有機体内で発生して、それが環境に発せ
られていない言語行動、かそれに近い何か。まだ定義できていません)
が「この子かわいいな」と「思う」ということと考えてみるのはいかが
でしょうか。
>>143 >とすると、学習とか嗜好(思考?)も含めて、なんかモデル立て
しないと 気分とか感情って、うまく語れない気がしてます。
>>144 >言語化というのは思考によるものでは?
思考と感情は共に言語を介するものであり、その境界は曖昧な
ものではないかと思います。というか、必ずしもどちらかに
分類できるものではないし、分類する必要もないのではないか
と私は思います。
ただいずれにせよ、言語化を介する以上、思考も感情も「学習」
されたものではあると思います。
148 :
名乗るほどのものでわ:01/10/30 22:19
>>145=138
個体が自らの情動反応を「意識」するっていうのは、
awarenessのことを指してると受け取ってよい?
だったらawareの主体が当然必要なのは同意するけど、
言語化のプロセスが本当に必要なのかな?
>>146=138
「どきどき」に関しては、他者に伝達する必要があるから
言語化してるけど、自己が「意識」する場合に、
必要かどうか、ちょっと考え中なのでパスです。
で、
自分の中で、きちんと詰めてないから、思いつきなんだけど。。。
「この子かわいいな」と「思う」時にね、情動反応を随伴して
思う場合もあるんだろうけど、情動反応を随伴しないで「思う」場合も
当然あると思うんだ。
>>146の文章は、moodとしての思考は、情動反応と随伴する「思う」だと
読めるんだけど、とするとmoodというのは、情動反応+思考という風に
捉えていいのかな?
>>147 ここでは仮に、思考も感情も[学習]されたものであるとすると、
>>148が言うように、それらを他者に伝達する必要がある場合は
言語化されるが、そういった学習、あるいは経験、記憶されたものを
自己が認識、自覚する上では、
必ずしも言語化というプロセスが介在するとは限らない
のではないだろうか?
たとえば、われわれは「恐い」という言葉をいつ頃から
使っているのか覚えていないが、恐怖体験が、恐いという言葉と
結びついたときにはじめて恐いという感情を言語化できるはずである。
恐いという言葉を知る以前の子供においては、恐いという感情は、
そのほとんどが「泣く」という行為で表現(もしくは変換)される
だけなんじゃないかな。
そこには言語化というプロセスは存在するんだろうか?
ただ、仮に、思考と感情の境界は曖昧であるとし、感情は必ずしも
言語化というプロセスを必要としないと仮定すると、
「言語化というプロセスが介在しない思考」が存在する可能性が出てくる。
つまり、
>>147の
・思考と感情の境界は曖昧である
・思考と感情は共に言語を介するものである
に対して、
・感情は必ずしも言語化というプロセスを必要としない
と反論するためには、
思考と感情は別のもである、とするか、
言語化というプロセスが介在しない思考が存在する
と考える必要があると思うんだけど・・・。
思考が、学習あるいは経験・記憶といったものと密接な関係があるのは
わかるんだけど、それと言語化との関係がいまいち不明。 スマソ。
すいません、レスが遅くて。
>>148 >個体が自らの情動反応を「意識」するっていうのは、
>awarenessのことを指してると受け取ってよい?
多分よいと思います。
>だったらawareの主体が当然必要なのは同意するけど、
>言語化のプロセスが本当に必要なのかな?
言語化がどこまで必要か、もう一度考えています。
反応−感情の間に、言語を介さない「何か」を考えなく
てはいけないのかな、と思いつきレベルで考えています。
もっとも、それが反応と感情のどちらに近いのかが悩み
どころなんですけどね。
>moodというのは、情動反応+思考という風に捉えて
>いいのかな?
一応、思考というものは、何らかの刺激に喚起されて生じる
もの(と書くと反発が多いのかな?)と考えると、moodと
しての思考は、情動反応(もしくはその「意識」?)を刺激
として生じる言語行動なのではないかと思います。
>>149 >恐いという言葉を知る以前の子供においては、恐いという感情は、
>そのほとんどが「泣く」という行為で表現(もしくは変換)される
>だけなんじゃないかな。
>そこには言語化というプロセスは存在するんだろうか?
その「泣く」という行為は、情動反応とは考えられないでしょうか?
であれば、言語化のプロセスは存在しなくてもいいのではないかと
思います(存在していてもいい)。
>感情は必ずしも 言語化というプロセスを必要としないと仮定
感情の定義によるんですが、
>>150でも書いたように、反応と
(言語化を伴う)感情の間に、何か一つ必要なのかもしれません。
>・感情は必ずしも言語化というプロセスを必要としない
>と反論するためには、
>思考と感情は別のもである、とするか、
>言語化というプロセスが介在しない思考が存在する
>と考える必要があると思うんだけど・・・。
「思考と感情は別のもである」が私にはいいように思えます。
まあ、定義によるのですが、言語を介さない「思考」ってのは
ちょっと気になります。
感情については、
>>150の言う、
>反応−感情の間に、言語を介さない「何か」を考えなく
>てはいけないのかな
が、どうもポイントになるような気がする。
それがわかれば、感情の定義について妥当性を伴った仮説を
立てることができると思うんだけど。。。
「言語化というプロセスが介在しない思考」
自分で書いてて、そんなもんあるわけねぇだろ
って思うんだけど、次のような例はどうだろう?
ここに一匹の猿がいます。
今、白いテーブルと、赤いテーブルを用意して、
その上にバナナを一本づつ置き、猿に与えます。
白いテーブル上のバナナは普通に取ることができますが、
赤いテーブルは、触れると電気ショックが流れるように
しておきます。
赤いテーブルのバナナを取ろうとした猿は、びっくりして、
白いテーブルのバナナを食べるでしょう。
以上のような行為が行われたあと、次に、
赤と白のテーブルの位置を変えて、
それぞれのテーブルの上にリンゴを置きます。
猿は、どちらのテーブルのリンゴを取るでしょうか?
多くの人は、白いテーブルのリンゴを取ると思うだろうし、
実際に実験をしてみても、そうなる可能性が高い。
仮にそうなった場合、
猿の選択は思考によるものではないのだろうか?
それが思考によるものだとしたら、猿は、自身の言語化によって
思考したのだろうか? 猿は言語をもっているのか?
あるいは、猿には、言語も、思考するという能力もなく、
パブロフの犬のような、単なる学習による条件反射的な
行動だったのだろうか?
猿が言語をもっていないとしても、
「言語化というプロセスが介在しない思考」があると
仮定すると、一応猿の行動を説明することはできる。
っていうのは、飛躍しすぎかな?
突っ込むところはいっぱいありそうだね(^_^;)
>>152 >猿の選択は思考によるものではないのだろうか?
またしても「思考」の定義にはよるのですが、
(1)弁別刺激としての赤いテーブル
(2)「バナナを取る」という行動と「りんごを取る」という
行動の類似性
の2つで説明するほうを私は好みます。
>パブロフの犬のような、単なる学習による条件反射的な
>行動だったのだろうか?
スキナーのネズミ(もしくはハト)のような、学習による
オペラント行動かと思います。
お分かりのように、当方行動系です。なので、知覚とかに
疎くて。。。
今のところの結論としては、
思考と感情は別のものであると仮定するのが妥当
なようだね。
> お分かりのように、当方行動系です。なので、知覚とかに
> 疎くて。。。
俺は、行動系でも、知覚系でもないYO。
そろそろ正体がバレそうなので逝きます。
では。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/02 03:43
言ってみれば「パンク」が衝動で「ハードロック」が情動。
ニルバーナのライナーノーツに書いてあった。
岩谷あたりのクソ評論だろどうせ
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/02 07:36
=感情=
自分の概念では処理しきれない情報を受け取ったときの体の耐震行動。
=思考=
以前の概念では処理しきれなかった情報を、
知識や経験によって然るべき所にスムーズに送り、
再処理するための「新しい概念が命令する衝撃回避行動。」
学習能力に欠ける人間は毎回衝撃を受る事になり、
そのたびに体がオーバーアクションを取って
泣き、笑い、怒り、等を起こす事になる。
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/09 21:00
刺激があって、反応が起きる。
その反応に対し、様々な言葉を名づけた。それが感情。
刺激には、思考も含む。
これでいいのかな。
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/09 21:42
思考があるから感情があるのでは?
はいな。わたしはそう言ってるるもりですがなにか?
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/10 04:40
悪い意味で感情的になってしまうのは、自分が弱い証拠だと思う。
「だって、なってしまう物はしょうがない」と思ってるうちはホントにどうしようもない。
どんな事も受け入れられるだけの心の広さ。
思いやりだとか、そう言う類。器の問題かな。
感情をコントロールできるのが人間だと思う。
>>162 どうしようもなくともいいじゃん。
まあ、気にしませんが。
感情には好いも悪いもありまへ〜ん!人間の各々の勝手な解釈ですから〜。
歪曲しないように〜。
久しぶりに来たら誰もいない。終わったの?
166 :
名無しさん@お腹いっぱい:01/11/16 00:43
いやさー、忘れちゃいけないのが、数値で測れるものと計れないものがあるんだべさ。
もっというなら数値で表れるものとそうでないもの。もっといえば今ある計測の仕方で図れているものとそうでないもの。
紫外線だって計れて初めて明らかに。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/16 06:44
感情は言語化することで明らかになります。
思考は論理性を持つもので、感情を動かします。
感情と思考は言語を介在して相関関係にあります。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/16 13:16
感情は動物にもあるっけな。
思考はどうだろ。
全ては思考の一種。
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/16 19:48
そこまで言い切るのはどうか。感情も思考の一種かもしれないが。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/01 21:50
感情は明確に言語化されにくいんじゃ?
親の虐待で自分の感情のうち「怒り」と「嫉妬」等が消えてしまいました。
例えば突然殴られたとしても私の場合怒りはおきません。
私が悪質な相手に害をなすとき、それは決して怒りからくるものではありません。
「こうしたら相手はやめてくれるか」と実験的なものです。
-------------------------------------------------
参考にしてください。ノンフィクションです。
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/03 05:02
人間以外の動物には感情があるのかな?
以外で一括りにしてしまうとよくないのかもしれないけど、
海の中を泳いでいる魚なんかは感情があるのだろうか?
人間は恋をしてセクースして子供が生まれるけど(恋抜きでもできるけど)
魚は恋をするのだろうか?
本能か機能かわからないけど、人間にあたるセクースをして子孫を残す。
ここに感情があるのだろうか?
感情でなく、理性で機能的にセクースをして子孫を残しているのならば、
人間は感情によって子孫繁栄の機能を制御している分、感情を持つことが
高度な動物ということになるのだろうか?
ということをテレビで魚が泳いでいて思ったんですが、どうなんでしょう??
心理学者に口挟むのも悪い気がすんねんけどな、コイツら自分の体が遺伝子でできとるっちゅー事悟らへんねん。
おかしいやろ?
心理学者やのに表層で物考えよる。
ええかーわんども。
感情っちゅーんはボディー・ラングエッジや。英語で言うとBody Langage!!
どうや!!解ったやろ!!
動物はみんなコレ使いよんねん。
お前もギャーギャーわめきよるやろ。
こんな残酷な声聞かされてみ?
たまらんで。ほんま。
ゴキブリの死骸見るのもイヤなるで。
感情使わへん人間がおったら、本能使わんで理性で揉み消しよるっちゅうことや。
祝福や。
おめでとう言うたるわ。
本能言うたらコンピューターで言うBIOSや。
理性っちゅーんは、RAMや。
CPUはお前やけどな、自由意志が動くんはRAM上や。
なんでかっつうとな、BIOSには書き込みでけへんねん。
最初っから用意されてあるプログラムやさかいな。
でもRAMっちゅう所は、自由に読み書きできる所なんや。
本能に書き込みできてもうたらロボットなるっちゅうねん。
まあ、わしから見ればロボットやけどな。
実はな。おまえはロボットやねん。
表層意識っちゅう所は、RAMや。
自由意志はここしか機能せえへん。
深層意識っちゅうところは、データベースや。
んでもってBIOSは、基本プログラムの本能や。
ハードウェアが肉体としたら、この体を動かす為に必要なソフトウェアは
揃っとるっちゅうこっちゃ。
でもな?あえての話やさかい、このCPU自体を制御するRAMを作ったとしようや。
BIOSの代わりに、もう一つのBIOSをRAM上で作ってCPUを制御する手法や。
BIOSに制御が移ってもRAM上のBIOSが常に監視しよる。
暴走しようにも暴走せーへんっちゅー話やでほんま。
Windowsで言うたらBuild on NT Thechnology やで。
お前らDOSはもう古いで。
>>176 既存のシステムに依存しすぎて考えるのは古い
そやけどお前、心理学を日本語だけで説明してみ?
心理学が仏教なるで、ほんま。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/03 13:08
羊たちの沈黙ごっこして自己満足にしたっているが心理学屋なわけ?
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/04 03:30
やはり、定義をちゃんとしないとどうにもならないと思われ。
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/13 14:49
おもしろいので保守age
182 :
ひきゃあああああ:02/01/26 10:47
感情の無い思考はありえますか
東洋では、体験をトータルなものとして把握する。
空が青いな〜
と言うとき、それは、空が今快晴で青く澄み渡っているという記述的・論理的な
内容(ある種、思考)を述べると同時に、その青さから来る一種の感情・感慨を
表現していると思う。
体験は一体となっていて、そのトータリティの中に、豊壌性がある。
体験は不分離なもので、ロゴスやパトスに分離した瞬間、両者の生命は失われる
のではないかと。
というわけで、思考・感情不分離論に一票。
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/12 20:58
書き込む前から罵倒レスが目に浮かびますが・・・
感情-辺縁系
思考-新皮質 みたいに何となく思っていましたがどうなんでしょうか?
感情を「情動」と置き換えるんなら、
そんな的外れじゃないと思うよ。
「気分」とか「感情」っていうと、辺縁系だけじゃすまないと思うけど。
186 :
名無しさん:02/02/12 22:10
小汚いごみ消えろ!
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/13 02:33
5人の人が線路の上に縛りつけられている。1台の列車が近づいている。
このとき、1人の人しか縛りつけられていない別の線路へ列車を方向転換させることができるとしたら、
それは道徳的に正しいだろうか。
多くの人は「そう思う」と言うだろう。
しかし、5人が列車にひかれるのを防ごうと、
もう1人の人を線路の上に置いて障害物にすることは正しいだろうか。
この場合、ほとんどの人が「いいえ」と言うだろう。
この反応は哲学者を悩ませる。
なぜなら、1人の命を犠牲にして5人を助けるという点では、両方のケースは同じだからだ。
今回、私たちの脳はこの2つの状況をまったく異なる方法で判断することが、
核磁気共鳴画像(MRI)を使って分かった。
2番目の状況でのみ、感情をつかさどる脳の領域が働くのだ。
プリンストン大学(米国・ニュージャージー州)の研究者らとこの実験を行った
同大学の心理学者Jonathan Cohenは、
「私たちは、倫理上のジレンマを脳がどのように扱うかについてほとんど何も知らなかった。
今回の研究で分かったのは、人々が倫理的な決定を行うとき、
感情的な反応は論理的な分析と同じくらい重要らしいということだ」と話す。
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/13 02:37
沈みかけた救命ボートから人々を投げ捨てるといった、
その人自身にかかわる状況について、研究に参加した被験者に倫理的な判断をしてもらうと、
感情の処理にかかわる脳の4つの部分で活性が上昇した。
一方、情報を短時間蓄えて処理する作業記憶に関係する3つの領域では、活性は落ち込んだ。
ところが、落とし物の財布の中にあったお金を自分のものにしてしまうといった、
その人自身にかかわる要素が少ない倫理的問題を被験者に判断してもらったり、
ある状況でバスで行くべきか鉄道にすべきかといった、
倫理に関係ない問題を被験者に考えてもらったときには、この逆が起こった。
英国・バース大学で「道徳性の心理学」を専門としているHelen Hasteは、
「これはたいへんおもしろい研究だ。
この結果は、論理的な判断の過程に感情がかかわっていることを確かに示している。
多くの研究者は、倫理について論理的に考えることは、純粋に分析的なプロセスだとみなし、
感情は、論理的な判断を妨げる何かにすぎないと考えていた」と解説する。
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/13 02:48
「この研究のもっとも重要な成果は、
走って来る列車の前に人を押しやることを不適当だと判断するよりも、
妥当だと結論する方が、明らかに時間がかかるという点かもしれない。
妥当だと言う人々は自身の感情と闘わなければならない。
だから、妥当だと判断した人はためらいも大きかった。
このことは、感情が単に二次的なものではなく、
実際に人々の判断に影響することを示している」と
プリンストン大学の研究をひきいたJoshua Greene は話した。
Cohenは「この研究は、どの判断が道徳的かについては何も言ってはいない」と強調している。
「私たちがしたことは、どちらが倫理的に正しいかには関係ない。
私たちはただ、人々がどのように判断にいたるかを調べただけだ。
これは、彼らが正しい判断をしたということではない」と彼は話した。
「同時に、今回の結果は、
私たちは自分自身の直感的な反応を信頼すべきだという根拠になるかもしれない。
感情は重要な『適応』と言ってもよいだろう。
感情を、愚かであいまいで不合理な反応とみなす必要はない」と彼は述べた。
Erica Klarreich
reference
Greene, J. et al. An fMRI investigation of emotional engagement in moral judgment .
Science 293, 2105-2108 (2001).
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/13 06:10
>>187 別の線路に導けば5人の命はほぼ確実に助かるが,
1人を障害物にしても5人の命が助かる保証はない...
なんてツッコミはなしですか?
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/16 03:10
>>188 >感情の処理にかかわる脳の4つの部分で活性が上昇した。
>一方、情報を短時間蓄えて処理する作業記憶に関係する3つの領域では、活性は落ち込んだ。
脳の4つの部分,3つの領域って,具体的にはどこ?
もとの論文読んだ方はいませんかね。
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/16 00:42
感情の定義について
動物には生きることへの内的動機はありますよね。言葉で考えなくても
餌を探して食って、危険があれば逃げるなりなんなりして・・・・。生きようと
しているのは間違いないと思うんですが・・・。生きようとしている元になっ
ているものを内的動機と呼んだんですが、動物をして生に向かわせしめて
いるそのエネルギーのようなもの、(あるのか無いのか分かりませんが・・・)
それが感情と関係がありそうに思うんですが・・・・。
人間にも、動物と同じように生へと向かわせしめるエネルギーはあると
思います。ただ、人間は、言語を創り、文化を創り、変な観念(イメージ)を
持つようになって、そういうエネルギーをちゃんと使えなくなった。
例えば、想像ですが、そういうエネルギーが自尊心とつながったりしたと
すると、このエネルギーが怒りと言う感情として発散されると言うようなことが
起こるのではないか・・・・そんなことを考えています。
感情は、人間の変てこなイメージと結びついたエネルギーなのではないか。
ちょっと、想像力を働かせすぎですか。
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/16 00:49
「感情」って外的要因で左右されている場合が多い気がする。
つまり自由意志ではない。
つまり自分の「感情」と思っているものも自分ではどうしょうもできないもの。
思考は意志でする。
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/01 22:33
道徳性関連スレあげ。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/01 22:34
Neuroimege 関連スレでもあるな。
ほぜんぬ