ペルソナについて教えて頂戴。

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1mimi
ペルソナは元型なんですか?元型ではないんですか?
意見を聞かせてください。
2名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/01 07:01
ハァ?
 ギリシア・ローマ時代に役者がつけた仮面のラテン語にこの言葉の起源がある。
したがってペルソナは、人が世界と立ち向かうときに身につける仮面、もしくは顔を表す。
ペルソナは性別同一性、発達段階(たとえば青年期)、社会的地位、仕事や職業などを意味することがある。
一生を通じて多くのペルソナが身につけられ、あるときには、いくつかを同時にあわせもつこともある。
 ユングのペルソナについての考えは、それを1つの元型とするところにある。
この文脈で言えば、ペルソナには逆らいがたさと普遍性がある。
どのような社会であれ、関係性と交換を促進するための手段が必要である。
そして、この機能は、その社会に関与する個人のペルソナによって、ある程度遂行される。
個々の社会がそれぞれにペルソナの基準を形成し、時代を経て変化し、展開する。
というのも、背後にある元型的パターンは、表に現れる無限の変化形態を受け入れやすいからである。
共同体に住まうのに適切なあらゆる妥協を巻きこむ「社会的元型」として、ペルソナを語ることもある。
 したがって、ペルソナが本質的に病理的だとか誤りだとはみなせない。
人が自分のペルソナとあまりに密着し、同一化したとき、病理の危険性が生まれる。
この危険な事態に内在するのは、社会的役割(弁護士、分析家、労働者)、性役割(母親)などを超えた多くのものに気づかないこと、成熟を考慮に入れ忘れること(たとえば、大人になったという事実に明らかに適応できていないといった)である。
ペルソナとの同一化は、心理的な堅さや脆さを形成する。つまり、無意識が、扱いやすい形で意識に現れず、むしろ突如として噴出しがちになる。
ペルソナと同一化した自我は、外的な自分の位置づけしかできなくなる。内的なできごとに盲目となり、それに応じきれない。
したがって、自分自身のペルソナにたいして、無意識のままなことも起こりうる。
 この最後に述べた点は、ユングがこころの構造の中に当てたペルソナの位置を示している。
それは、自我と外界との仲介としての位置である(アニマとアニムスが自我と内界との仲介をするのとほぼ同じ)。
ペルソナとアニマ・アニムスは、それゆえ、対立するものとみなせる。
ペルソナが意識的、集合的な適応にかかわるのにたいし、アニマ・アニムスは個人的、内的で個別的なものへの適応にかかわる。

だそうだ!!
41ではないけど:01/10/01 16:32
よくわかりました!

最後の段の、
>アニマ・アニムスは個人的、内的で個別的なものへの適応にかかわる。
というところをもう少し解説きぼ〜んです。
男性が抱く内なる女性像と、女性のこことの中で活動する男性像である。
アニマ・アニムスはそれの現れ方に違いがあるものの同じ特徴を共有する。
両者ともこころのイメージである。それぞれ根底にある元型的構造から出現する形態である。
男性の「女性的な」面と女性の「男性的な」面の基礎をなす根本形式としいて両者は対立するものである。
こころの構成要素としてアニマ・アニムスは意識下にあり無意識的なこころの内部から働きかける。
このため意識にとって有益な面ももつが憑依される危険性もつきまとう。働きかけは男女両性それぞれの支配的なこころの原理との関係に応じて決定されるが一般に考えられているように心理学的な自分と異なる性である男性性、女性性を単純に考えてはならない。
またアニマ・アニムスはたましいの導き手としての役割も果たすので創造的な可能性に結びつくために必要でもあり個性化の媒介者ともなりうる。
 アニマにせよアニムスにせよ元型にかかわるので数多くの集合的な形態やイメージの表現がある。
たとえばアプロディーテー、アテーナー、トロイのヘレネー、マリア、サピエンティア、ベアトリーチェであり、ヘルメス、アポローン、ヘラクレス、アレクサンダー大王、ロメオなどである。
著名な人物が投影を受けて注意と情動的熱情をひきつけることになる。
しかしまた友人、恋人もしくはごく日常的な妻や夫がその役を引き受けることもある。夢の中では自分のつれあいとして出会う。
こころの構成要素の人格化としてアニマ・アニムスは個人と生をつなぎ個人を生に巻きこむ。
アニマ・アニムスそれぞれのイメージを完全に認識し統合するには異性の協力を必要とする。
分析家と患者両者間のこのシジギー(対立するものの対)の諸側面を解きほぐし認識することが分析の主な課題である。
 ユングの『タイプ論』の定義でアニマ・アニムスを簡単に「たましいのイメージ」と述べている。
この説明を後にユングは明瞭化して非我とも呼ぶ。
男性にとっての非我は女性的なものに相当することが普通である。
非我とはすなわち女性的なものがその男性の外部にあり、しかも彼のたましい、精神に属することを意味する。
男性の中の気分、反発、衝動といったアプリオリな要素として、また女性の中の関与、信念、霊感といったアニマ・アニムスは個人に降りかかる。
これは男性にとっても女性にとっても、こころの中にある自然発生的な意味深いものの認識を促す要因である。
ユングによるとアニムスの背後には「意味の元型がある。ちょうどアニマが生命そのものの元型であるように」。
6続き:01/10/01 23:01
 経験に基づいて生まれたこれらの概念を用い、ユングは観察可能な広大なこころの諸現象に首尾一貫した秩序を与え被分析者との共同作業時にそれをさらに分化させることを可能にした。
分析時アニマ・アニムスを分離することは影を意識化する最初の作業に密接に結びついている。
この概念の母体となるさまざまなイメージはなかば意識的なこころのコンプレックスの具体的な例である。
このようなコンプレックスは人格化されており自律的でかなりの独立性をもつ。
そしてコンプレックスは日常生活世界との出会いによって確固となり影響力をもち最終的には意識性を獲得する。
単なる概念化(これは生きた力としてのアニマ・アニムスとの接触を喪失させる)や内なる人物イメージがもつこころの現実性を否定するような対応にユングは警鐘を与えた。
 アニマ・アニムスに憑依されると人格変容が生じ心理的に異性特有と考えられる特徴を重要視するようになる。
アニマにせよアニムスにせよ憑依によってまず個体性が失われ、次にその人の魅力と存在意義の喪失が生じる。
男性の場合アニマとエロスの原理の虜となる。これには落ちつきのなさ、混乱状態、気まぐれ、感傷性−−つまり一般に歯止めのない情動性といえるものすべて−−が伴う。
女性の場合はアニムスとロゴスに支配される。ロゴスは管理好きで、頑固で、情け容赦なく、横暴である。
男性も女性も一面的になる。男性は自分より劣った女性に誘惑され、無意味な愛着を示し、女性は二流の思考に取り憑かれ的外れな確信を錦の御旗のごとく振りかざし進軍する。
 日常的表現を使って次のようにユングは述べる。
小説の中や映画スターとして現れるとき男性をアニマを容易に受け入れることができる。
しかし自分自身の人生の中でアニマの演じる役割を目の当たりにすることになると事態は一変する、と。
 もしユングがアニムスに関して同様の発言をしていれば次のように述べたかもしれない。
女性は最近にいたるまで、あまりにやすやすと白馬にまたがる騎士に救出されることを待ち望み、男性を自分たちのために戦わせすぎてきて、と。
しかし、今日、女性は男性としてではなく、男性と並び立つ自らの地位を受け入れるようになってきており、状況は異なっている。
現代女性は同等の地位を望みながらも、同時に女性としてのアイデンティティに忠実でありつづけたいと思っており、実際、自身の生の主人が誰なのかという問題と折り合いをつけ、自分の権威の源泉を暴き出さねばならない。
 ヒルマンはアニマ心理学の問題を研究し明らかにしている。
その主張によるとアニマこそが西洋文化全体の無意識的部分を人格化したものであり豊かな想像力の世界の中でアニマイメージを介して西洋人は解放される可能性がある。
 アニムスの問題について同様の洞察力に満ち、最新の事情に応じた研究書はまだ出ていない。
その上、不幸にしてアニムス憑依が男性優位の社会の中で草分け的な役割を果たしてきた女性たちの特徴となったかの印象もあり、否定的で後天的なアニムスとは対照的ないわゆる肯定的で自然なアニムスがこころの中に介在してくることにほとんど注意が払われずにいる。
7名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/01 23:05
で、ペルソナが対社会的仮面であるのに対してアニマ・アニムスが無意識の情動の活性化に関与するイメージ体でそのイメージも個々人によって変化しそれを成長させることによって個別化も促すということが
>アニマ・アニムスは個人的、内的で個別的なものへの適応にかかわる。
なのでしょう。
8mimi:01/10/02 07:18
>ユングのペルソナについての考えは、それを1つの元型とするところにある。

ユング自身は言ってないと思うんですけど・・・。
どうして元型なのか説明できます?
>>8
>>3ではないですが・・・・

『ペルソナは、適応のため、あるいはやむをえない都合のため
成立した機能コンプレックスであって、個性とは別のものである。』
         C.G.ユング タイプ論 林道義訳 P.498-499
と明記してあります。

ペルソナが機能コンプレックスであるということは、ペルソナが
意識に由来するものでなく、無意識に由来することを示しています。

そしてそれは、一般的な状況や一般的な期待に沿っている点で、
 『決して個性的ではなく、集合的である。』
         C.G.ユング タイプ論 林道義訳 P.498
 ということですから、ペルソナが集合的無意識に由来する元型
であることはユング自身が明記してることになります。

上記引用部分の前後には、人格分裂についての説明があります。
健常者でも、自らの仮面(ペルソナ)をしっかり意識することなく
無自覚になっていることもあることが書かれていますが、多重人格
の症例では、アニマ・アニムスと共にペルソナもまた自律的な
ひとつの人格として(当人の個性と関係なしに)あらわれること
があることが知られています。これは現代の症例でも言えること
です。
 ユングの言ったことを調べていくと、矛盾があって、ペルソナ
にかんする事も、別の文献を見るとまた違ったことが書かれている
ようです。というより、そもそも『元型』の定義が多様で多義的なの
で、今困っているところです(笑)
 ペルソナを元型と見立てたほうが、臨床では役に立つ、と思う人
は、ペルソナを元型と見ているし、そうでない人はペルソナを元型
とは見なさない。どちらが正しい/正しくないということではなく
て、解釈は人それぞれということでしょうね。そして、ユング派
は(国際的にも)そういった多様でプログレッシブな解釈を認め
ているようです。
10nanasisann:01/10/02 13:24
>9
確かにペルソナは個性とは違うとされているが、
通常当人が同一化している機能コンプレックスなので、
必ずしも無意識ではない。むしろ意識的な側面がある。
ユングをよく読んでみると、そもそも意識/無意識の区分け自体が、
意識化の程度による相対的な基準であるとされている。

また、ユング心理学では必ずしも集合的=集合的無意識ではない。
集合的意識というものも存在する。
意識/無意識と、個性的/集合的とは、必ずしも一致していない。
 
ユング自身が言ったことだけをたどるなら、
ペルソナを元型だとする明確な根拠はない。
ただ、ペルソナを元型と見立てたほうが臨床では役に立つというのなら、
それはそれで「あり」かもと思う。
大場登「ユングの『ペルソナ』再考」p.203 を参照。
11mimi:01/10/02 18:40
教えてくださってどうもありがとうございます。
とても参考になりました。
確か、林道義さんのHPに「ペルソナは元型ではない」という記述がありました。
結構説得力があります(笑)

もう一つ質問なんですが、
ペルソナが表とすると、裏はなんでしょうか?
影?アニマアニムス?
混乱して分かりません。
12名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/03 13:56
>>10
>>ユング自身が言ったことだけをたどるなら、
>>ペルソナを元型だとする明確な根拠はない。

そうだね。そしてそもそも一番重要なこと、
何が元型で、何が元型ではないのかを実証するための
明確で客観的な根拠も、ユングにはまったくないのだよ。(笑)
13nanasisann:01/10/03 14:34
>12
ペルソナが元型かどうかという設問は、
こう考えると整合的に理解できるという理屈の整合性の話。

臨床の立場からすれば、客観的な根拠よりも使い勝手でしょう。
「何が元型なのか」ではなくて、
「これを元型と見立てるとやりやすいかどうか」のほうが重要です。
つまり、臨床では意味論より語用論のレベルのほうが大事ということ。
141:01/10/03 14:49
15名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/03 16:49
>>13
 臨床では、Clの表出イメージにどのような意味があるのかを
考えるための手掛かりが、元型なりペルソナなりといった概念なの
だから、臨床では語用論的整合性より意味論的整合性のほうが
大事ってことじゃないのか?
 言ってることが納得できないぞ。
16nanasisann:01/10/03 18:06
>15
確かに、「意味論より語用論のレベルのほうが大事」というのは
言いすぎだった。
ただ、ユングによる構成的方法と還元的方法との比較などを読んでいると、
必ずしも意味論的整合性のみが問題になっているとは
考え難いという印象を受ける。
どういう意味の読み方をするか、Clがそれにどう納得するかは
大きな意味を持つのでは。

ちなみに、
家族療法やブリーフセラピーなどでは、意味論的整合性より
語用論的整合性のほうに重きをおくようになった。
ワツラウィック他「人間コミュニケーションの語用論」など参照。
(ワツラウィックはユング派分析家の資格を持っている)
17mimi:01/10/03 19:54
何が元型で、何が元型ではないのかを実証するための
明確で客観的な根拠はユングにはまったくないのだということを
論じている人は誰かいますか?
本があるなら読んでみたいのですが・・。
何が元型で、何が元型ではないのかを実証するための
明確で客観的な根拠がユングにはあるのだということを
論じている人は誰かいますか?
本があるなら読んでみたいのですが・・。
19nanasisann:01/10/03 21:12
>17,18
「明確で客観的な根拠」とは言えませんが、
ユング自身は、何を元型的なものと見なすかについて、
臨床上の一応の判断基準を持っていたみたい。

たとえば、転移のなかに現われる強烈なイメージで、
個人的な過去の体験に還元するだけで解消しないものは、
元型的なものに由来すると見なす。
元型的イメージに対しては、
イメージの感情価を引きつけるようなイメージを
当人の内面に新たに構成させることで対処する。
ユング「分析心理学」レクチュア5を参照。

元型というのは、臨床的にはあくまで
こういう実用上の概念だと私は思うが。
20名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/04 08:05
>>19
 だからそれは実証されていないだろ、って言ってんの。
 霊能力者の『霊』に関する判断基準なんて、我々には何の役にも立たない
ってことと同じ。無意味なオカルトだよ。ユング。
21nanasisann:01/10/04 09:04
>20
ユングではないが、問題児を抱える家族に対して
「お祓い」に類似した行為させることで効果をあげている
家族療法の技法について読んだことがある。
もちろん、その技法を行なっているほうは、
霊みたいなものが実在するかどうかはどうでもいいと考えているし、
家族のほうも半分冗談でやっている。

ユングの言うことは臨床的対応をする上での仮説で、
事実かどうかとは一義的には関係ないと思うが。
使い勝手が悪いなら捨てればよし、手応えが良ければ採用すればよし。
ユングの言うこと=事実そのもの、と
思わない限り、構わないのでは。

ただ、ユング心理学によるアプローチの有効性と問題点については
ユンギアンが実証的に研究していく必要があると思う。
まあ、心理療法の治療理論と治癒率とは
ほとんど関係ないというデータもあるそうだが。

私はユングについては、フロイトと同じく、心理学というよりも
ひとつの哲学とか思想として捉えた方がいいように思っている。
思想史の中でのユングの位置づけを考える研究も
ずいぶん出てきているようだし。
22名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/04 10:33
>>21
 要約すれば、
 元型やペルソナといった概念が、実証できないことを認めてるわけだ。
 そして、ユングが実証的心理学ではなくてオカルト哲学、オカルト思想で
あることを主張しているわけだね。困ったもんだなぁ。(笑)
23名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/04 10:35
好意的な霊感商法なわけね?
臨床での似た体験に名称をつけているだけなのに実証性とかそんなことを言ってなにになるのか。
あと霊や超常現象に関する書物を書いた時点で心理学者として終わっているみたいな視点はどうなんだ?
25nanasisann:01/10/04 11:24
>22
だから、実証できるかどうかは一義的には関係ない、という話。
実証できるかどうかで論じても、さほどの意味はないということ。
なんで無理やり実証のほうに話をもっていくのだろう?

ただ、ユング派的アプローチの治療効果のほうは、
データを取って実証的に研究していく必要はあると思う。

>23
確かにその通りかもしれないと、私個人は思う。(笑)
もっとも私は、肯定的な意味で捉えているけど。
26名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/04 18:52
>>25
で、あんた臨床やってるの?
27名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/04 19:20
>>25
 実証できない理論をいくら論じても、心理学として意味はないよ。(笑)
 哲学や思想だなんて、単なる逃げ口上に過ぎないよ。
 ユング心理学とか分析心理学なんて名前を付けてるじゃないか。
 哲学や思想と言うんなら心理学という名称を返上しなさい。(笑)
 ある理論が実証できるか/出来ないかは人文科学にとって一義的な問題だろ。
 治療効果のほうだけは、データとって実証研究する必要はあるっていうのも納得できない。
 ペルソナとやらが元型だと考えているセラピストと、そうは考えないセラピストとの
治療効果を比較、実証研究するって手段だってあるはずだろ。
反ユングどもよチタマの崇拝する臨床教科書を述べよ
29名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/04 20:40
真理探究者はどんな理論も崇拝しないの。
30名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/04 21:13
>>21
私はユングについては、フロイトと同じく、心理学というよりも
ひとつの哲学とか思想として捉えた方がいいように思っている。
思想史の中でのユングの位置づけを考える研究も
ずいぶん出てきているようだし。

ちょっと興味ある話です。
どなたが研究なさってるのでしょう
31名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/04 21:33
じゃ板違いだな。
32名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/05 08:04
nanasisannは単なるユングマニア
33名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/05 10:01
実証て?
概念の定義の問題を話してるんじゃないの?
34名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/05 10:16
そうですが、何か?
35名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/05 11:44
>>34
何だこのレス…
36nanasisann:01/10/06 09:59
>27
> 哲学や思想と言うんなら心理学という名称を返上しなさい。(笑)

これは心理学の定義次第で、なんとでも言えることでは。
思想史的にみれば、哲学と心理学というのは領域が重なる分野で、
ユングはその流れの中に位置している。ジェイムズなんかもそうだった。

実証的な心理学と、思弁哲学的な心理学、
どちらもそれぞれやっていけばいいだけだと思うのだが。
少なくとも私はどちらも好きだし。
なんであえて一方のパラダイムで他方を断じたり、
対立的に捉えたりする必要があるのかなあ?

> ある理論が実証できるか/出来ないかは人文科学にとって
> 一義的な問題だろ。

哲学や文学は、人文科学の一分野だけれども、
原理的に実証できないような事柄も扱っている。
だからといって無価値とか非現実的というわけでもないと思う。

「神」なんて概念は原理的に実証不可能だけれども、
この概念が人間心理や社会に対しどう機能しているかとか
神のイメージが臨床の中で現われてきたときにどんな変化が生じるかとかは
ある程度客観的に論じたり、
仮説をたてて実証したりすることは可能だと思うし、
ユングも基本的にはそういう方向で論じようとしている。
ここで「神」という概念の実証を求めても意味はない。
そういう主旨なんだけど。

> 治療効果のほうだけは、データとって実証研究する必要は
> あるっていうのも納得できない。

臨床心理学に限って言うのならば、
治療効果に関与するかどうかが最重要と考えてもいいのでは。
理論が事実かどうかよりも、
有効な枠組みかどうかのほうを考える、ということで。

まあ、治療結果に対して臨床技法は関与をしているが、
技法の違いによる差はほとんどないという調査結果はあるようです。
ミラー他『心理療法 その基礎なるもの』参照。
37nanasisann:01/10/06 10:01
>30
クラーク『ユングを求めて 歴史的・哲学的探求』富士書房
ホーマンズ『ユングと脱近代』人文書院
上山安敏『フロイトとユング
     精神分析運動とヨーロッパ知識社会』岩波書店
などなど、
探してみるといろいろありますよ。

最近だと、木田元『偶然性と運命』(岩波新書)の中に
ユングの共時性理論が哲学史上で
どういう位置にあるか書いてあって面白かった。
ドイツ形而上学の<生の思想>の系譜に属するらしい。
38名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/09 16:37
<生の哲学>じゃないの?その本読んだことないけど。
39nanasisann:01/10/09 23:56
>38
確かに通常言われるのは<生の哲学>なんですが、
この本の中で木田元は、この系譜をあえて
もう少し違った括り方で組みかえていたと記憶していました。
本を確認してみたら、やはり私の勘違いがあって、
実際は<生と運命>の系譜でした。失礼しました。

<生と運命>の思想の系譜とは、要するに、
「生」を根源的存在とし、自然を生きたものとして考える思想家たちのことで、
機械的因果性を主張する近代合理主義に対抗すべく、
因果関係では処理できない現象に目を向け、
それを「運命」や「偶然性」の概念のもと問題にした人々だそうです。
具体的には、ライプニッツ、カント、ショーペンハウアー、
ニーチェ、シェリング、ジンメル、ショルツ、最後にユングです。
そして、この<生と運命>の思想の系譜とは別の形で
「運命」や「偶然性」を問題にしたのが実存主義者たちだった、
というのが木田元の主張です。

ユングの元型概念というのは、つまるところ、
「生」を根源的存在と考える思想のひとつの表現で、
カントのカテゴリー概念と同じく、
哲学的・論理的に要請される類の概念なんでしょう。
こういう概念そのものは、実証ということとは
少し別に考えていかなければならない範疇の事柄じゃないかなあ。
カール・ポパーは、科学的理論=反証できるもの、非科学的理論=反証できな
いもの、というような基準を作ったそうです。

ポパーの基準と帰納法の理論を合わせると、科学的な過程が導かれるけど
この過程で忘れてはならないのは、理論は「反証」できるだけで「証明」は
できないという事だそうです。
厳密に言えばいかなるものも「証明」不能なのです。

以上、「マンガ心理学入門」より。

確かなものは何も無い、ましては人間の心理ともなれば複雑です、実証
できるかどうかより、実際の治療効果があるかどうかの方が私には大切に
思われます。

ユングの世界を見つめる視野は広いから多方面の分野にクロスオーバー
(死語?)してしまうのでしょう。
>>40
 お前、頭悪すぎ。
4227:01/10/10 11:35
>>36
 あのね、現代の心理学は「内観」を捨て去ることからスタートしてるの。
 過去の誤った因習とか、宗教的・呪術的な思い込み、虚妄を徹底的に疑って
客観的で実証可能な概念だけをピックアップして、検証して、みんなの役に
たてようと地道な努力している人が沢山いるの。

 AとBという概念があったとして、「AはBである」ということを導き出す
ために、まずA、Bの概念が実証に値するものかどうかを徹底的に洗い出して、
命題が真であるための要件、検証方法をきちんと立てて、気の遠くなるような
検証をしたあとで集計、結論付けをしてる人がいるわけさ。それが学問だろ。
ユング自身はこう言いました、で終わってしまうようなものなど、学問でも
なんでもないさ。コーランはこう言ってます、のイスラム原理主義と大差ない。
それは死んでしまった過去の遺物。生きた形で現代社会、現代科学、現代思想
に与することなんて出来やしないさ。臨床で貢献しているっていったって、
ユング派分析家なんて日本に十数人で、あとはお追随者の無資格診療だろ。
臨床心理士資格問題はユングが現代に無力であることを如実に示している。

 フロイトとかユングが好きな素人は良く言えば素直な人が多い。元型、ペルソナ
とかちょっと不思議な言葉をポンと目の前に置くと、「ふむふむ」とかいって
その説明を頑張って理解しようとするんだけど、学問にとっていちばん肝心な
懐疑的精神に欠けているから、その行為は宗教の教典を読むのと同じなんだ。

 そんな宗教教義上の問題は、心理学的問題ではないということさ。

 言っておくがジェームズも前々世紀の遺物だが、自分の哲学と心理学はちゃんと
区別していたし、その哲学は論理実証主義へ、そしてその心理学はのちに行動主義
に受け継がれた。自派以外理解不能な哲学と心理学を味噌糞一緒にしていたユング
と一緒にするな。
4327:01/10/10 11:42
>>40
 科学的な学説は、反証可能性を用意していることと、その反証可能性
が証明・実証されなければならない、ということですよ。
 もう一度そのマンガを見てみましょうね。
 たぶん、アドラーはじめ臨床心理学のの学説は反証可能性を用意
できない点で、科学的学説ではないと書いてあるのではないでしょうか。
44名有りさん@お腹ぺこぺこ:01/10/10 15:30

>>41
君は頭良すぎ(笑)。

>>43
分かりやすく説明してくれてありがとう。
ポパーは非科学的な理論の例として、宗教的な概念や政治的概念、フロイト派的概念
等をあげています、臨床心理学やユングなどもこの範疇に入る。

しかし私が言いたかった事は科学的な理論が反証可能性を持ち、反証可能
であったとしても、「証明」まではできないと言うこと。
「証明」できなければ、実証=確かな証拠を掴んだとまでは言い難い。
科学的な理論ですらこんな状況です、理論は日々塗り替えられて行くし
知っているつもりであっても神のみぞ知る世界です。

想像して下さい、もし私達が中世に住んでいたとしたら宗教的な世界観の中で
暮らしていたとしたら、科学的な理論は異教者のたわごとのように聞こえるでしょう。
現代は、みな科学的な世界観の中で暮らしているけど未来はどうなるかわからない。
科学教典を信じていた時代と位置づけられる可能性だってある。

断っておくけど、科学的な態度を否定するつもりはありません。
理論が科学的ではない(かのように見える)という事だけで、排除する
心理が働くとすると、それは単なる拒絶反応で本当の意味での科学的な態度とは
言えないという事が言いたかった。
45nanasisann:01/10/10 17:59
>42
> あのね、現代の心理学は「内観」を捨て去ることからスタートしてるの。

これは歴史的経緯として、確かにある。
心理学は、哲学から分離することで独立した分野となったわけだから。
現代の心理学はそもそも「心」というようなものを扱っていない、
なんてスレも別にあったけれども、その通りだと思う。

私は、厳密な検証に基づく現代心理学は
間違いなく大きな貢献をしていると思っているけれども、
一方で、「心」のような曖昧なものを扱っていく
哲学と重なる心理学の系譜も
現代的な形で存在してもいいんじゃないだろうかとも思う。

実証的な営為を否定するわけではないが、
人間にとって、実証的なものだけが役に立つわけではないし、
実証的なもの以外は学問とは言えない、というのも偏狭な気がする。
私は文学や神学も、現代的で切実な問題意識に支えられた
重要な学問領域だと考えている。過去の遺物ではない。

> ユング自身はこう言いました、で終わってしまうようなものなど、
> 学問でもなんでもないさ。

ユング理論を便利な「オチ」に使う傾向があることは事実だけれども、
すべてのユンギアンがそんな単純なわけではないと思う。
ユングを歴史的文脈に置く読みにしても、
ユングの言っていることをいったん相対化して、その上で
新しいものの見方を導き出そうとしている。
詳細な資料をもってユングの問題点を突く研究も出てきているし。

ユングの問題提起したことを考え始めると、
いわゆる細分化された学問としての心理学という
枠からはみ出るところがあるのは事実。
このはみ出た部分にも価値を認めて取り上げようと考えるか、
あえて扱わないか、という選択ではないだろうか。
46nanasisann:01/10/10 18:00
>42
> 言っておくがジェームズも前々世紀の遺物だが、自分の哲学と心理学はちゃんと
> 区別していたし、その哲学は論理実証主義へ、そしてその心理学はのちに行動主義
> に受け継がれた。自派以外理解不能な哲学と心理学を味噌糞一緒にしていたユング
> と一緒にするな。

哲学と心理学と区別をしていたとしても、ジェイムズの中では
両者は密接に絡んでいたと私は思っているし、だからこそ
細分化される以前の可能性をいろいろと持っていて、
さまざまな形で再評価できる源泉になっているのでは。

また、宗教心理学者としてのジェイムズも重要だと思う。
無批判な信仰でも、単なる懐疑でもない中間の態度を取る姿勢こそ、
ユングが受け継いでいった側面になる。
ユングに懐疑的精神が欠落していたということはない。

歴史的経緯をふまえた上で、きちんと客観的に読んで行けば、
ユングは、哲学と心理学とが一緒に論じられていた
19世紀的な思想状況の正統な後継者として読める。
思想の系譜をきちんとたどっていけば、
「自派以外理解不能」なんてことはないし、
<ユング・カルト>的なところに陥らない形での
再評価もできるように思う。
そういう読み方がまだまだされていないというだけでは。

率直に言って、現在の日本のユングの受容のあり方には、
疑問に思うところが少なくない。
もう少し相対化した読み方をしないと危ないという気はする。
4727:01/10/10 20:29
>>45,46
 聞こえの良い美辞麗句を重ねればものの本質が捉えられると思ったら
大間違いなんだけどな。(笑)
 思想と重なるような心理学に価値があるというのなら、東洋的宗教思想の
たっぷり入ったおキツネ様やらいわしの頭にすら心理学的な価値がある
のか?断じて私はそうは思えないよ。それは文化人類学や民俗学、宗教学の研究
対象であって、(これが肝心なことだが)研究主体になってはならない
のだよ。キツネ祓いの巫女が大学で教鞭を振るってはならないのだ。
 それから、これも肝心なことだが、その思想が正しいかどうかを判断
する材料の一つに、その人の意識がはっきりしているかどうかがある。
ユングは結局病人だったんだよ。「分裂病様の元型的イメージにさいなまれた」
って、それはもう分裂病だったってことですよ。
 カウンセラーになりたがる奴は病人が多い。まず自分の問題をなんとかしろ
人の面倒なんか見るな、言いたいが、病人ユングの思想の蔓延は自分の問題
を棚上げにして、ぬるま湯的な「癒し教」カルトに予備軍を集めさせるのに
一役買ってるんだよ。そんな状況はおかしい、と言っときたい。
 ユング自身が懐疑的精神を持っているかどうかなど、関係ないし、私はそんな
ことを言及するつもりもない。問題はユング追随者が懐疑的精神を放棄して
いたずらに小難しいカルト的概念に拘泥することにいったいどんな意味があるのか
と言いたいだけさね。そんなことをする前に、解決すべき自分の問題を
抱えているやつがうじゃうじゃしてるのが現状だよ。自分の問題から目をそらす
ために、自分勝手な解釈で御大の教典を読んでるんだら、逆効果じゃないか。
 カウンセラーだって、一緒に仕事してる別のスタッフや、患者の家族、学校の
教員、キーパーソンにネゴを取ることが出来なくて引きこもってる奴が沢山いる。
異なった思想を持った人とぶつかり合うことを覚悟しながらそれでもなお自分の
主張を述べ、全体を考えて行動するための理解力やコミュニケーション能力が
欠けているとしか思えない。その理由は、基礎にある科学的思考がなってないから
じゃないのかと思うのさ。傍から見てるとね。
 これからしばらく来れなくなると思うので悪しからず。言いたいことは以上。
48名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/11 02:25
ひょっとして下の板の人が来ている?。
http://yasai.2ch.net/psycho/kako/973/973124557.html
49nanasisann:01/10/11 09:07
>47
> それは文化人類学や民俗学、宗教学の研究
> 対象であって、(これが肝心なことだが)研究主体になってはならない
> のだよ。キツネ祓いの巫女が大学で教鞭を振るってはならないのだ。

私はそういうことがあってもいいと思っているんだけど。(笑)
仏教者や神主が大学教授やっていることだって実際にあるし。
最終的には、意識的に自分の立場を
相対化する視点が持てるかどうかではないだろうか。
私自身は、学問的ということの基準を
そこに置くことがあってもいいと思っている。

> それから、これも肝心なことだが、その思想が正しいかどうかを判断
> する材料の一つに、その人の意識がはっきりしているかどうかがある。
> ユングは結局病人だったんだよ。「分裂病様の元型的イメージにさいなまれた」
> って、それはもう分裂病だったってことですよ。

ユングは確かに分裂病的な資質を持っていたが、
だからこそ意識を明晰に保ち続けることや
自分の立場を相対化する視点の重要性に気づき、
それをたいへん強調していた。
ユングは「西洋人はヨーガをしない方がいい」と言ったが、
これはヨーガの中では西洋的意識の明晰性を維持できないと考えたから。

それと、分裂病だから言っていることがおかしい、というのは
理屈としては成立しないと思う。
哲学者や文学者には、普通以上におかしい人々がたくさんいるが、
だからこそ新しい視点を提出できた面がある。
50nanasisann:01/10/11 09:08
>47
> カウンセラーになりたがる奴は病人が多い。まず自分の問題をなんとかしろ
> 人の面倒なんか見るな、言いたいが、病人ユングの思想の蔓延は自分の問題
> を棚上げにして、ぬるま湯的な「癒し教」カルトに予備軍を集めさせるのに
> 一役買ってるんだよ。そんな状況はおかしい、と言っときたい。

> 問題はユング追随者が懐疑的精神を放棄して
> いたずらに小難しいカルト的概念に拘泥することにいったいどんな意味があるのか
> と言いたいだけさね。そんなことをする前に、解決すべき自分の問題を
> 抱えているやつがうじゃうじゃしてるのが現状だよ。

これはユング批判というよりも、
ユング追随者批判あるいは「癒しブーム」批判ではないかと思うが。
意見そのものには賛成です。
ユングの理論の中に、こういう傾向を生む余地があることは
批判的に検討していく必要がある。

ただ、臨床心理学という枠だけで
ユングを捉えることには異論がある。
フロイトにしても、臨床という枠から外れたところで、
現代思想の礎になったわけだし。ユングにもそういう読み方は必要。
河合隼雄が本格的にユングを導入する以前の、
文学者たちが中心となっていたユング研究のほうが
ある意味レベルが高かったと私個人は感じている。

> カウンセラーだって、一緒に仕事してる別のスタッフや、患者の家族、学校の
> 教員、キーパーソンにネゴを取ることが出来なくて引きこもってる奴が沢山いる。
> 異なった思想を持った人とぶつかり合うことを覚悟しながらそれでもなお自分の
> 主張を述べ、全体を考えて行動するための理解力やコミュニケーション能力が
> 欠けているとしか思えない。その理由は、基礎にある科学的思考がなってないから
> じゃないのかと思うのさ。傍から見てるとね。

こういうケースがないとは言わないが、
一般化するには極論ではないかという気がするけど。

> これからしばらく来れなくなると思うので悪しからず。言いたいことは以上。

どうもお世話様です。
個人的には面白かったので、よかったらまたよろしく。
51名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/11 12:42
>50
で、あなたもやっぱり患者さんですか?
52nanasisann:01/10/11 13:23
>51
ごく普通の平凡な人です。(笑)
精神疾患での通院歴があるとか、何かが「見える」体質であるとか、
神経症的な傾向があるとかは一切なし。
そういうところがあるほうが、
ユングのことをよりリアルに分かるのかもしれませんが。(笑)
5327:01/10/14 17:42
>>49
>>それと、分裂病だから言っていることがおかしい、というのは
>>理屈としては成立しないと思う。

 あのね、おかしいから分裂病であり、神経症なんですよ。
 それこそ理屈になっていない。

 ユングはやっぱりおかしかったんですよ。
 患者と肉体関係になっていたことは、ほうぼうの出版物に書いてあることだし、
フロイトが所有していたユングからの書簡には、ある患者とのセラピーで、
性行為するしかないような抜き差しならない状況になってくなってしまったから、
それを避けるためにユングは患者の親告げ口してしまった、自分はそれを悔やん
でいます、とする内容をフロイトに書き送ってもいる。
 おかしい治療者の治療はおかしいことになるし、他人に迷惑をかけることに
なるんです。異常者をかくまえばヒューマニストだと思ったら大間違いなんだよ。
それは美徳ではなくて悪徳です。どんどん告発すべき。ここでもずいぶん告発
があるようだけどね。ユング派の山王教育研究所治療者への告発なんかもあった
が、これなんか、ユングの臨床思想がおかしいことを如実に示していたよ。過去
ログをあたるべし。
 普通に考えたって、自分の教官や主治医がおかしいことが分かったら、もう
御世話にはならうとしないでしょ。新しい視点を提出できるからって、自分が
目茶目茶にひきずり回されて良いはずはない。擁護するのは単なるへ理屈だし、
あんたもやっぱりおかしいだろうと言わざるを得ない。
54名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/14 20:02
ユングはキティのオカルト。常識ですよ。
55名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/15 11:07
日本のユング派は、ずる賢いカワイが、頭は良いが精神異常の者たちの集めて作った。
56名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/15 11:08
そんなことより悩みない?悩み
心理学のホスト123だけど何か悩みある?
123だけど、感性のすばらしい人って相談者からいつも言われるんだ。
迸る才気と絶世の感性で癒すんだよ。
カウンセラーはボクみたいじゃないとね。国際標準カウンセラー
ボクの愛の巣「心理学」。MSNチャット
http://chat.msn.co.jp/
健康と医療カテゴリー
http://chat.msn.co.jp/find.msnw?cat=HE
夜21時から25時
でもここで癒されたい君たちのために御ホウシしているんだよ。
だけどシャイな2ちゃんねるの住人たちのために今回特別にここに来て
やったんだから有り難く思うようにだから悩みをいってよ聞いてあげるから
みんなイッパーイ悩み聞いてあげるから言えば聞いてやるからさ、なにか悩
みないの?無いの悩み?在るよね悩み?悩みだよ?あるよね?悩みないなん
てないよね?悩み?
57nanasisann:01/10/16 00:25
>53
人物論と理論の話がいっしょになっていると思うが。
その人の構築した体系がどんなものであったのかは、
体系自体を客観的かつ思想史的に考えていくのが本筋。

それから、ユングは分裂病質ではあったが、
正常な統覚の能力を失っていたとまでは言えない。
分裂病の状態にもピンからキリまであり、
それを「おかしい」の一言で括って捨てるのは乱暴だし、
発想の仕方として極端にすぎる。

文学者にもおかしな人はたくさんいるが、
それゆえに文学は多様さと豊かさを持っていると考えるべき。
ノーベル文学賞をもらったイェイツにしても、
今月出たばかりのちくま学芸文庫の新刊などを見れば、
秘教的でなんとも「おかしい」としか言いようがないが、
だからこそ、ひとつのオルタナティヴな見方を提出できている。
こういう創造的な「おかしさ」は全否定するべきものではない。

ちなみに私はヒューマニストではないよ。人は悪いから。(笑)
ユングという人物にことさら共感しているわけでも
所業を擁護するつもりもないです。
ユング派にしても、擁護する義理があるわけではない。
それに、山王教育研究所が実際にはどれほどのレベルかについては、
以前から知り合いの臨床家の方々に直接聞いてましたし。
個人的には、臨床の話ならブリーフセラピーのほうがずっと面白い。
ただ、公平に考えて、
ユング派臨床を行なっているのは何も山王だけではない以上、
山王の話をもってきてユング派臨床全体を断じる論法は、
一部を全体にまで拡張する論理的誤りだと思う。

ユングが普通以上におかしかったことは
様々な伝記的研究で明らかになってきている。
私の場合、だから嫌になるとか、許せんと思うことはなくて、
むしろ、「独特の面白さがある奴だ」と思っている。
実際に身近にいられると困るけれども。(笑)
58nanasisann:01/10/16 00:26
>54,55
みんな極論が好きだなあ。(笑)
私の感覚で言えば、極論というのは
物事をひとつの観点から切り捨ててしまう考え方であって、
いちばん警戒すべき発想の仕方、なんだけど。
59名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/16 02:24
>>57
体系自体を客観的かつ思想史的に考えていくのが本筋。

ユングに哲学的な体系なんかないですよ。卒論でユングやろうとして文献漁った結果、私の
結論はそういうことでしたよ。ユングの仮説は臨床的事実、心的現実に対して常に開かれている。
自分自身は形而上学を弄するつもりはなく、事実を重んずる経験主義者であると言っている。つまり、
仮説を覆すような新しい事実が提出されたときには、仮説を変更すべきで、事実を捻じ曲げて解釈し
てはならない。そして行為者としての分析家は観察主体であって同時に観察対象でなければならない。
そうでなくては、己の心の動きや逆転移を知ることが出来ない。ここでは客観的という言葉を安直に
使用することは出来ません。
心的現実に対して開かれていることから、結局どういうことになったかというと、仮説を構成する
概念が多義的になってしまった。例えば元型という概念を基礎付けるのに、10種類近くの方法が
出来てしまった。個人的経験、個人的無意識に帰することが出来ない心的内容を、集合的無意識に
由来する元型とする、という定義にしても、aという患者とbという患者とでは同じ内容が提出されても
aの内容は元型であるが、bの内容は元型ではない、ということが起きるし、更にcという治療者の
かかわり方によっても変わる。更に、cという治療者の解釈のしかた、あるいはdというスーパー
バイザーのかかわりと解釈によっても変わりうる。いったい元型のどこが厳密な哲学的概念なんだ、
ということになる。厳密な解釈学的思考など無力で、結局は経験と勘の職人芸の世界です。そこま
で突き詰めて考えたことはありますか?
>>27の方は、この辺の歯がゆさを含め「おかしい」と言っていると好意的に解釈したいところですが、
ま、詳しい方に聞いたりした結果、私は卒論のテーマとしてユングは諦めたわけです。
哲学なら、読解力さえあればtextだけでその思想は伝わるのでしょうが、ユングの場合は、
臨床的経験と理論とが両輪となってはじめて駆動される、行為のための仮説です。そのための
教育分析でありスーパーヴィジョンなんです。結局はそこまでいかないと本当のところは分か
らんのです。一般論は語れるが、個々の事例は語れないというおかしなことになる。
しかもその事例は倫理上公に出来るものは全体からすれば非常に少ないし、ユング派は患者を
護る為か、ことさらにそれをしようとしない。
個人的趣味でいかように読まれようと、あるいは異常者の狂った思想であると決め付けられようと、
個人の自由です。その上で私もその自由を行使させてもらうなら、ユングは哲学ではなく臨床心理学
の一派であるという常識的な結論だけです。
60名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/16 02:25
(追記)
・ドイツ形而上学についての記述は木田元の主張というより、ハイデガーの解釈と思います。
・機械的因果性→機械論的因果性あるいは機械論的因果律では?
生の思想ではなく生の哲学ではないかと聞いたのは私です。細かい字句に拘っていると思わ
れるかもしれませんが、細かい字句に拘るのが哲学思想です。たぶん哲学はご専門外でしょうが、
これらを見ていて、ユングが哲学思想、と言われても哲学に縁のある人には信憑性はありません。

私の知っている範囲ではユングを哲学者と見ている人はいません。
好意的に捉えている人でも、フロイトの亜流くらいにしか捉えませんし、良く知っている
人であれば、ユングが影響を与えた思想家達が彼の存命中親交があった人がほとんどであり、
親交がなくて影響を与えた思想家達の多くがファナティックな人たちであることを知ってい
ます。いずれにしても、現代的な意味での哲学者とは誰も見ていません。
61nanasisann:01/10/16 08:51
>59,60
いわゆる現代哲学を基準に考えすぎているように思うが。
別に、現代的な意味での哲学者かどうか、という話ではないし、
厳密な体系があるかどうかが問題ではないです。
むしろ、そういう体系に収まらないところに
ユングの面白さがあるわけだから。

文学的な領域全般までに視野を拡げると、
たとえばエゾテリスムの一部として、
カウンター・カルチャー思想の一部として、
西洋における東洋思想理解に影響を与えた人物として、
現代神学に大きな影響を持った人物として、
様々な文学者に対して影響を与えた人物として、
ユングは間違いなく位置づけられるし意味を持っている。
そこを思想史的に考えていく必要がある、ということです。
ユングには、現代哲学思想というよりも、
むしろ中世以前の思想の現代的な再生といった意味合いのほうが
大きいと私は思っている。

臨床をやっていなければ分からないとする前に、
すでに臨床と離れたところでの受容が広くなされている、
という現実のほうから考えていく必要がある。
それに、「臨床しなければ分からない」という考え方そのものが、
ユングをユング派内部に秘教的に押し込める要因にもなっていると思う。
もういいかげん、臨床家と違った分かり方があっても構わない、
というふうにした方がいいんじゃないだろうか。
フロイトも、そういう扱いになって初めて思想の中に入ってきた。
私は、河合隼雄登場以前の文学者たちのほうが
ユングをよく理解していたと思うことがある。

なお、ユングが哲学者から敬遠される理由は、
体系的に把握しようとするとえらく難しいということもあるが、
ナチスと関係があったと噂されていて(これ自身は根拠なし)、
ヨーロッパでは取り扱うこと自体がタブーになっている面があることや、
アメリカではカウンター・カルチャーに属するものという見方が強く、
アカデミックなところで扱うべきものではないという思い込みが
一般的になっていることなど、歴史的経緯によるところも大きい。
62nanasisann:01/10/16 08:58
>60
こちらも追記です。

> ・ドイツ形而上学についての記述は木田元の主張というより、ハイデガーの解釈と思います。
そうなんですか。ありがとうございます。
実存系にはまったくもって暗いもんですから。

> ・機械的因果性→機械論的因果性あるいは機械論的因果律では?
本の中には「機械的因果性」と書いてあるので、
そのままにしておいたんです。
内容的には「機械論的因果性」だとは思いますけど。
6327:01/10/16 14:01
>>57
 科学的思考だけじゃなくてどうやら哲学的思考もおぼつかないように見受けられ
るオカルト厨房君には何を言っても無駄な気がしてきたな。
 おいらも工房の頃から数年間ユング先生の高邁なご思想に熱中してた時期があるの。
だからこそ奴は異常だし、その考え方も異常だと言ってるの。
 ユング先生は、クライエントを癒すのは治療者の人格である、というように言ってる。
また揚げ足取りされると嫌だから言っとくけど、これはカワイハヤオが言ってるんじゃ
なくてユング先生が言ってるの。
 で、そういうことを言っている当の先生が、患者と汚らわしい肉体関係になったり、
人格が破綻してるんじゃ、言ってるととやってることが違ってるわけだから、おかしい
でしょ、クライエントを癒すのは治療者の人格である、という高邁な思想に基づく命題
も成立しないでしょ、ってことだよ。これは矛盾であり、欺瞞ですよ。いったいどこに
整合性とやらがあるんだ?
 患者と肉体関係を結んだり、人格破綻して周りに迷惑かけまくりのような治療者で
なければクライエントを癒すことはできない、っていうなら、納得できるけどさ。(笑)
 別のところでユングの臨床に関する倫理の記述を見たことがあるけど、結構ちゃんと
してるんだな、と思った記憶があるからそうではないと思う。別に清廉潔白な人格者で
なければならない、というのではなく、その人格が矛盾や葛藤があったとしても、クライ
エントを良い方向へ導くものであれば良いのだろうけど、治療者のアクティングアウト
だけは別だよ。
 カルト信者さんにとっては教祖の異常な行動も愛嬌のうちで「面白い」「人間的だ」
なんとなるんだろうけど、まともな理性と科学的思考を持った人間から見ればおかしい
ものはおかしいですよ。ご信心が深いと、そういうところで論理的整合性を考えることも
できなくなっちゃうんだろうなー。可哀想。
 矛盾を抱えた思想?対立物の結合?ご冗談。
 自分の子供の首を締めながら、人の親に幼児虐待の非を説いているような言説に誰が
耳を傾けようかってことさね。
64nanasisann:01/10/16 21:00
>63
アクティングアウトはうまくない。これは事実だろう。
ユングは大きな失敗をしたし、
道徳的にも疑問のある対応をしたことがあるということだ。
しかし、それをもって全否定というのもヘンではないか?
なんでそんなに、オール・オア・ナッシングで考えたがるのだろう。
ユングが臨床にもたらした成果というのは、
本当にゼロということなのだろうか?

それと、ユングは、
私の言う理屈は矛盾しているが、しかしそれは、
人間において矛盾が現にそこにあるからだ、
だから、整合性がないことを批判されても私は気にしない、
と自分で言っている。
論理的整合性がないことぐらい、ちゃんと自分で知っているんだよ。
あえてそれで構わないとしているだけ。

繰り返して言うけど、
私は別にユングという人物にことさら共感してないって。(笑)
ユングの理屈を100%信じるべきと言っているわけでもない。
ユングは思想史上において特異な位置にいるし、
「信者」に限らず、様々な文学研究者たちからも注目されている。
一律に全否定する前に、そういう存在としての意味と位置づけを考えるべき。
これを指摘するだけでなんで「信者」になるんだ?
全否定しない限り信者、というのも極論だと思う。
65ecoo:01/10/17 03:53
はじめて訪れる者ですが、C・G・ユングの説く「ペルソナ(仮面)」について話して良いですか?
なにやら、本題と少しづれて来ている感じがするので改めて書き込んどきます。
ユングは、自分なりの素晴らしき人生が送れるように突き詰めて研究なさった方なのです。
精神分析の創始者フロイト、そしてアドラーと共にユングは元々フロイトの高師であった事は皆までいう事ではないですね(^^)
ユングは、自分の不安や悩みが、自分の意識されていない未知な心(無意識)に通じるものであると考えました。
悩みとは、意識と無意識がせめぎあい、葛藤する事で生じるのだそうです。
意識=今我々がこうして起きている時に自覚している領域
無意識=我々が自分でも自覚していない領域
で無意識の領域なのですが、これは意識の世界の下に広がっているのです。
無意識の話をしだすときりが無いのでこの辺にしておきますが、この無意識の領域に七つの元型モチーフが隠されているんですね。
まず本題となっている「ペルソナ」「シャドウ」「アニマ」「アニムス」「グレートマザー」「オールド・ワイズ・マン」「マンダラ」
とありますが、Mimiさんが聞きたがっている「ペルソナ」は、
要するに仮面なのです。
誰もが持ち合わしている仮面で、人の前に出る時、自分をあまりさらけ出すと傷つく事があるので、誰でも外向きの顔を作ります。
その場の自分の役割にふさわしいペルソナ(表情・態度・振る舞い)をおのずと変化させます。
例えば、会社では堅物で厳しい上司だけれど、家に帰れば甘えん坊な父親であるとか・・・
例えば、普段はおとなしくて目立たないような子が、車のハンドルを握らすと凶暴になるとか・・・
後、人から求められるのもペルソナの要素なのです。
まだまだ話す事はたくさんありますが、レスが長いとあまり読んでいただけないし、他の方々に不愉快にさせるのでこの辺で辞めときます。
またそのうちに・・・
登場します。失礼いたしました。
 
66名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/17 18:29
>>65
この人たちはあなたが書かれた事を分かった上で議論されてるのだと思いますよ。
その上で、それが論理的な整合性(矛盾があるかないか)を議論してるのでしょう。
アトラスが出している女神転生系のゲームだよ
68ecoo:01/10/17 19:58
どうもecooです。
名無しさん@お腹いっぱい。さんレスありがとうございます。
そうですね!私は、解っていて改めて書き込んだのです。
「見直し」って言うやつですね(大変失礼だと思ったのですが、あえて書き込んだのです)
理解した上でないとここまで掘り下げて、議論はなさらないのでしょう。
私達の知っているユングの本は皆「ユング自身」が書かれたものでない事なんです。
確かに内容は皆一緒の事を書いているのですが、著者が皆一緒ではないという事。
著者の書き方によって読んだ者達が違う意味でとらえるのだと思います。
それだけでなく「千人十色」と言う言葉どうりさまざまな感性の持ち主がいるから、人類は繁栄していったのですから意見もさまざまです。
当たり前でしょ?と言う方がおられるなら「じゃー当たり前の根拠は何?」と私は言うと思います。
ここで注意したいのですが、(私自身にも言っている事ですが)ユングはどう思われるか?と言う疑問なのです。
この場合私なりに考えたのですが、「ペルソナ」はあくまで自分以外の人に対して伝える為に解りやすく、説いたものなのです。
矛盾があるか!ないか!と言う問いに対しそれぞれ一人ずつはあるか?ないか?と言うのを自分自身で感じていれば良いのではなかろうか?と言う感じに思いました。
いくら自分が「こうだよ!」と思っていても、他人が「違うよ!」なんて否定されるとつい私も含め自分のペースに持っていこうと働きかけるものです。
矛盾があるか?ないか?と言う議論を求め出すと切りがありませんが、分ち合うと言う場面では素晴らしい好意だと思われます。
話はそれましたが、理論と言うのは一つ間違えば「意見の押し付け」でもあり、共感できる人がいるならば「必要」とされるものでは無いのかな?
答えは急がなくともいつも自分自身の中にある。
眼に見えるものがすべて答えではないという事。
もしかしたら、何年後かこのユングの研究した結論「ペルソナ」を覆す学者が現れるかもしれません。
と思うと答えを急がなくても良いのかな?と言う感想です。
いろんな心理学の本を読みましたが、どの方も自分の考え方を少し精神的に疲れている人たちに分けているだけなんです。
「こうしろ!」と言う事は書いていないように思われます。
ユングもそうなのでは?
生意気でどうもすみませんです。
でも私の考えはこうなのです。
>>64
>>それと、ユングは、私の言う理屈は矛盾しているが、しかしそれは、人間において矛盾が
>>現にそこにあるからだ、だから、整合性がないことを批判されても私は気にしない、
>>と自分で言っている。論理的整合性がないことぐらい、ちゃんと自分で知っているんだよ。
>>あえてそれで構わないとしているだけ。

これもまた極論だと思いますけど。(笑)
ユングの理屈に論理的整合性がなくても構わないということだったらペルソナが元型
ではないことをあなたが整合性の問題だとしたことと矛盾するではないかとまた批判
されてしまいますよ。
そこまで酷くなかった思いますが。ユング。
読み直してみると私のカキコはやっぱり板違いと思いますのでこれにて終了します。
丁寧な回答ありがとうございました。
>>68
臨床の理論が共感できる人には「必要」とされている、ということ全くその通りだと思います。
色んな臨床理論、臨床思想が共存していいし、異なった理論を尊重出来る臨床家は尊敬に値する
と私も思います。
でも、哲学思想となると、「批判」いうことがとても大事なんです。批判とその回答
によって哲学が成長してきたと言って良いですから。また自分の勉強したこと、考えた
ことを主張して議論することが哲学の徒にとって基本的なトレーニングになるという
部分があります。決して相手を傷つけようとして批判してるのではないのですが、その
ように受け取られてしまったようであれば、ごめんなさいを申し添えます。
70ecoo:01/10/18 02:16
>69の名無しさん@お腹いっぱい。 さん、書き込み大変嬉しく思います。
ありがとうございます!!!
ふむ!そうなんですよね!通じて嬉しいです。
それで少し行き違いがあるように思われたので、また書き込みました。

決して相手を傷つけようとして批判してるのではないのですが、その
ように受け取られてしまったようであれば、ごめんなさいを申し添えます

なんですが私の書き方が今ひとつ誤解を生んだように思われました。
ごめんなさい。
私は別に「批判」=相手を傷つける行為とは全然感じておりません。
それが人によっては、「批判」=傷つける行為だと思われる方も幾人もおられると思います。
が、まーそういう考えを持ち続ける方々に幾ら説明してこちらの思いを告げても伝わらないんですよね。
悲しい事に考えの柔軟が出来ないんですよ。
固定観念の強い方には、やがて議論し合う仲間が居なくなります。
初めはいたとしても議論し合う相手の意見を自分の思考に取り入れない為やがて議論相手もうんざり来る訳なのです。
「うんざりなんかしていない!」と議論相手が意識していても、無意識の自分はいつも素直で居ているので何らかの行為なり、体なり拒否反応を起こしているんです。
結果、嫌悪感を感じている方から離れる訳なんですよね。
意見を交換しあう=言葉のキャッチボールが出来るか出来ないか?
そして自分の思想を相手にいかにキャッチしてもらえるかどうか?なのでは無いだろうか?
私は貴方の意見に対し共感する所もありますし、かといって共鳴とは違います。
自分の主張も大切にしようとしているのであえて、この謝罪のようにも思われる「〜ごめんなさい」に対し、
私なりに私の思考を告げてみました。
こちらこそ!誤解させるような書き込みをしてどうもすみません。
まったくもって恐縮です!
最後にありがとうございます。
では、本題に移りましょうか?
71au:01/10/18 04:41
マンダラって元型の一種なの?
72nanasisann:01/10/18 08:49
>66
ユングの記述に論理的整合性に欠ける部分があることは、
事実として共通認識であってもいいと思うけど。

話を元型論にしぼって言うと、
ユングによる元型の規定は七通りあるそうで(渡辺学「ユングにおける心と体験世界」)、
記述相互だけを比べれば、必ずしも整合的とは言えない。これは事実。
ただ、例えば物理学者のパウリがやったように、
ユングの元型概念を年代順に並べると、ユングの発想の変遷と展開が
秩序だって見て取れるということもある。
どういうところに整序性をおくかでもかなり違う。
73nanasisann:01/10/18 08:50
>69
> ユングの理屈に論理的整合性がなくても構わないということだったらペルソナが元型
> ではないことをあなたが整合性の問題だとしたことと矛盾するではないかとま
> た批判されてしまいますよ。

別に、何でもかんでも整合性がなくてよいとしたわけではないよ。
ユングは基本的には整合性をもって考えようとしているけれども、
特定の事柄とか局面では論理的整合性がなくなることを重要視している。
例えば、錬金術の象徴において、ある特定の段階にくると
なぜかみなパラドックスのある表現が使われているが
このことは論理的には説明しがたいような
特定の心理的事実を反映しているのだ、と考える。
それが、「矛盾が現にある」ということ。
論理的に考えるところがなければ、「矛盾がある」ことだってそもそも分からない。
ユングが留意したのは、論理的な整序よりも、
イメージの表象における整序になる。だから時として論理的に整序しない。
論理的には成立しないはずの和解が、イマジネーションの中では成立しうる、
そこに心理的葛藤の解決の糸口があるというのがユングの考え。

ニュートンの光学に対して、ゲーテは色彩論で対抗した。
言ってみれば、ユングのやっていることにはそういう側面がある。
ゲーテの「原-現象」というのは、思想史的にはロマン派的発想で
まさに「元型」概念と重なるものになるけれども、
こういう見方自体が、そもそも実証的で合理的な学問体系に対する
アンチテーゼとして出てきているという歴史的経緯がある。
客観性よりも、内的な観照やイマジネーションの重要性を主張し、
論理的法則ではなくイマジネーションの法則性を考えようとした。
文学者にユングが注目されるのはそこで、少なくともユングの言葉は、
実証的で合理的な学問体系ではすくいきれないような
ある種の内的体験を上手く反映しているように感じられる。
こういう発想に対して、そもそも実証的でないとか、
論理的整合性がないということを問うても意味はない。
最初からやろうとしていることが違う。ここをまず前提に考えるべき。

自然科学の歴史においては、ニュートンが勝利したことに間違いない。
まずはこれを事実として認める。批判的な学問の重要性も認める。
その上で、ゲーテの色彩論に現代的意味があるかないか、が問われる。
実際、ゲーテの色彩論はいろいろと再評価されていると言っていい。
ユングも、そういう形で評価されてもいいはずだし、
まともな評価をしている人というのはそこを押さえているとも思う。

> 読み直してみると私のカキコはやっぱり板違いと思いますのでこれにて終了します。

確かに板違いっぽいので、私もこの話題からは撤退します。
どうもありがとう。
74nanasisann:01/10/18 08:51
>70
批判というのは、真面目に受けとれば面白いよ。
せっかくなら楽しんだほうがいいです。(笑)

答えを急がなくても良い、という考え方には賛成です。
現在の自分が持っているパラダイムを前提に
物事を速断して切り捨てることもないでしょ。
75nanasisann:01/10/18 08:52
>71
いちおうは元型とされている。
要するに、「円」と「4」というシンボルが根源的で、
どちらも<全体性>の表現として使われる傾向がある。
それがマンダラ象徴の中に典型的に現われているということ。
7627:01/10/18 12:23
nanasisanことオカルト厨房くん、
 キミは実に面白いねえ。ちょっと突っつくといつも表示しきれないくらい大量の
カキコしてくれるけど、「ユングは〜と言っている」なんて書き方でずらずら書かれ
てもさ、こっちは全然納得できないの。こっちはユング大先生の言説そのものが
論理的整合性が無くて破綻してる、だから納得できない、って言ってるわけ。納得
出来ない大先生の御言葉をどれだけ大量に拝聴してもこっちには無意味なのよ。
 まあ、仕入れたオカルト知識を開帳したいんだろうが、そういうのは趣味では
あるけど学ではないからね。
>>64
>>論理的整合性がないことぐらい、ちゃんと自分で知っているんだよ。
>>あえてそれで構わないとしているだけ。
 前提条件も何も書かずにこんなこと書いちゃうしさ。(笑)
 >>69が指摘してる通りだと思うよ。極論ていうかカルト教団の教義そのものですよ。
 ミイラになって蝿がたかってる死体を「生きてる。定説です。」ってさ、それは
実際いかなる学をもってしても論理的整合性皆無ですよ。それなのに、それはそれで
構わないって言ったって、そんなカルト学説誰が信じますか?
 生と死という対立するテーマが人間にとってもっともラディカルな問題であって、
論理を超えた問題として捉えられてる。これはなにもユングに限ったことじゃない。
「母は死んだ。しかし私の心の中で生きている。」って、論理的に考えたらおか
しなことだけど、おいらも心情的には納得出来る。それはそう思っている人の思考
の問題であって、内的な問題だから。
 だけど内的な問題として解決されるはずの問題を、外的で物理的な問題にしてし
まうこと、それがアクティングアウトというものでしょ。心の中で生き続けるので
はなくて、実際に死体と一緒に生き続けたり、可愛い可愛いと思う患者を実際に
犯してしまったり、それでも「あえてそれで構わない」?ふうん。そうなの。
 ユング大先生の言説をなきものにしようと否定するって気はないよ。以上の様な
理由から、ユングは異常なオカルト理論であることを肯定しているだけだよ。そし
て科学的、理性的な自分の判断によって、要は自分でちゃんと考えて批判に回答し
ないで、「ユングは〜と言っています」というような出来の悪い大臣みたいな回答
しか出来ない点でオカルト厨房君はマインドコントロール入った信者だと思うのだよ。
77nanasisann:01/10/18 12:52
>76
なんか煽りっぽいなあ。(笑)
「定説」の話に結びつけるのは単純に極端すぎ。
まあ、73で書くことは書いたから、あとはお任せです。

アクティングアウトの件で追加すれば、
ユングがどっぷりと転移−逆転移につかる要素を持っていたからこそ、
このことについて独自の理論を提出できたように思う。
例えば『転移の心理学』などは、よくも悪くもそうして成立したのだろう。
これを、たいへんな失敗への真摯な反省として受けとる人もいるし、
結局は個人的事象を隠すのに元型概念を使っているという批判もある。
見方はいろいろ。

それから、「ユングは〜と言っています」というのは、単なる事実の指摘。
それが正しいとかなんとか、私は言っていないよ。(笑)
評価するというのは、必ずしも正しいとすることとは違うから。
>>77
正しくないんですか?真面目にスレ読んで馬鹿見ちゃったよ。
7927:01/10/19 14:22
>>77
 反論なしと見た。
 雑知識をいくら披露しても、正しさの一貫性の主張を放棄したら学はお仕舞です。
>>78
 ユングを真面目に読むのは間違いです。
80nanasisann:01/10/20 11:17
>77
やはり煽りか。まあ、この場所らしいかも。(笑)
こちらの反論は、73を再度参照してください。

ついでだから、「雑知識」をまたひとつ。雑知識は楽しめるよ。(笑)

ユングが肉体関係を持つことになった患者、
ザビーナ・シュピールラインがユングのもとに来たのが1905年。
その一年後にフロイトとの文通が始まる。
1909年には関係が発覚して、上手いとは言えない別れ方をしている。
その時の自分のやり方が、道徳的に自己弁護できないものであったと、
ユングはフロイト宛の手紙の中で告白している(1909.6.21付)。
治療者の人格が治療に及ぼす影響について
ユングが正面から考え始めたのは、このあたりの時期以降になる。
治療者の教育分析をフロイトに対して提案したのはユングだが、
自分自身の経験からその必要性を思いついたことは充分に推測できる。

また、転移論について、ユングがまとまった自分の意見を語った
有名な講義タヴィストック・レクチュアが1935年。
転移−逆転移理論に関する主著『転移の心理学』が1946年。
時期的に見て、ユングが自らの転移−逆転移論を完成させたのは
若いときに起こしたアクティング・アウト問題のずいぶん後になる。
つまり、27さんの言うような、
「自分の子供の首を締めながら、人の親に幼児虐待の非を説いている」
というような極端なイメージよりも、
「かつて虐待をしていた者が、その体験の中で問題に深く感じ入り、
問題提起して、後に虐待論をまとめることになる」というほうが
おそらくは実情に近いかな。
これをどう評価するかについては、77で触れた通りいろいろで、
体験者による問題提起だから深みがあると思う人もいるし、
過去の個人的事象をごまかすための理屈になっているという批判もある。
81nanasisann:01/10/20 11:20
失礼。>79でした。
自分のことを煽りだと発言してどうする。(笑)
82名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/23 14:15
意味不明オカルト厨房晒しage
十字架は元型でしょうか?
84名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/01 21:31
age
83
元型だべさ
十字架ってさ、クリスチャンでなくても
じ〜とみてるとなんか感じない?感じない人は
ユングに嫌悪感持つ傾向が強いかも(w

すれ違いですが
人の心って切り口がいろいろあっても良いのでは?
ここでユングを必死に叩く人ってなんでそこまでユング嫌うの?
世の中にはほかにも「学」とはいえないものがいっぱいあるでしょうが
86名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/03 02:16
>>85
じーっと見てるとなんか感じるのが元型なんですか。
あまりにもオカルトな回答なので寒くなります(笑)

学とは言えないものは沢山在りますが、それは学を名乗っていません。
ユング心理学などという言い方は詐称というものです

医療とは言えない治療は沢山ありますが、それは医療ではないのと同じですね。
もしそれを医療と言うなら、詐称行為とか無資格診療と言われますね。
それと同じ事です。
87名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/18 18:35
ユングは学ぶものではなく感じるもの。
ああ今日も感じまくり。ぴくぴく。
88名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/21 00:25
河合隼雄は心理学者ですよ!!
なんか勘違いしてませんか???!
89名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/14 18:43
河合マンセー
ここの27は病気か?
自分の書いてること、よく読んで見ろ。
お前が矛盾だらけだ、っつーの。
長い文章書けば、賢いとでも思ってるのかね・・・。
丁寧に、紳士的に対応してるnanasisannに同情します。
ジサクジエン ヤメロ. カワイアン ノ nanasisan.
93名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/26 10:30
最後に一回だけ上げさせてください。

nanashisannて、凄く知性的で寛容な方ですね。
感動しました。
途中から崩れてきた27とは大違いです。
942ちゃんねる:02/05/05 10:42
age
ユングってLSD食って、フロイトと決別して、あっち方面逝った人でしょう?
解らなくもないが、少なくとも≠ニューエイジ止まりじゃない?
96名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/05 11:13
http://www2.wind.ne.jp/catholictakasaki/
掲示板で質問してみて。
97名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/20 08:39
フロイト・アインシュタインの戦争についての往復書簡は読んだ?
書名忘れたけど。
98没個性化されたレス↓:02/07/07 08:43
とりあえず、原著にあたってみるのが、最適かと・・・
解説された著書では、微妙に、時には大きく逸脱していることが多いと思われる。
ユングの原著は意味難解なことで知られているが、それも誤解釈を招いている一因
かと思われる。頑張って、自分なりの結論を出して見るのがよろしいかと。
99没個性化されたレス↓:02/07/10 03:23
>>98
オレも不覚にも、カワイの本なんぞ読んでしまったが、結局よく分からんかったぞ。
それに、実効性があるとも、到底思えんかったわけ・・・駄目だな、こりゃ
100没個性化されたレス↓
ユング心理学の真髄を知りたかったら林道義先生のご著書を読むべきです!