★ 無量寿会 第2章 ★ 

このエントリーをはてなブックマークに追加
364名無しさん
無量寿寺に勧誘される時は、この一度の作法で成仏決定とか
後生の一大事の解決が出来た等と、皆さん言われた事と思います。
しかし、無量寿に入会が決定して暫くすると、御礼の聴聞だとか
復習の為の研修会とか、何かと忙しい事になっている事でありましょう。

そして、地域の支部の活動の御手伝いや、感謝を表す済度等で
親子・兄弟・親戚・友人知人に至るまで、信者となるように勧誘活動を
しなさいと、色々な方便で説得された事と思います。
しかし、ここが無量寿寺の狙いだと未だ御気付きにはなりませんか?
もし、この文章を読んでいる貴方が誰かを勧誘して、運良く御手引きに
成功したとしましょう。寺からは、仏像一千体を奉納したと同じ仏の功徳が
あると誉められ、そして、その御手引きさせてもらった方が、次々と信者獲得され
新入会員が増えてきて、私のおかげで解決付いたと言われたら、
もう、貴方はその方達より先には辞める事は出来なくなりますよね。
妻に薦めて、妻より先に誹謗したり辞める事は出来ないし、
知人を御手引きしてしまうとその方達より先には辞められない。
また、そう言う悪循環のシステムです。これは、
”生前に間違ったものを人々に説くと、無間地獄に落ちるのである
その全ての人が地獄での修業を終えないと、自分は助かる事の出来ない世界”
と言うのと同じに思えてきます。
365名無しさん:01/09/08 20:54
そして、そうした無量寿寺の方針に添った活動が認められ、寺から五具足だの
何だのと声が掛かると皆から、「素晴らしい事ですね」と持て囃されてしまい、
自分の経済状態を無視してでも無理をして高額の布施を用意して、
寺からの段取りに合わせて数日間を無理して時間を作ってでも、
相伝を受けるのではありませんか。
そして、作法を終えて、また皆から誉めた耐えられ、僧上慢の心を植え付けて
しまい、仕事や自分の為の時間や一番大切な家庭の時間を二の次にしてしまい、
寺の用事をする為に自分の全てを費やす事となってしまいます。
しかし、本人は寺や別院に居る時は仏に近ずいた感じがして、とても気持ち良く
感じてしまい、どんどん深みにはまってしまいます。まあ、ほめ殺しとはこの事ですね。
しかし、家庭や現実の社会に戻れば、平日休日昼夜関係なしで寺の用事をする
そうした生活が認められるわけが無く、家庭内や仕事先での不調和や
金銭的不調和が起こるのである。また身体的不調が生じても人には言えず。
現実逃避するが如くに、ますます寺に従事する事となるのであります。
無量寿寺が本物の釈迦を仏としているのなら、その様な信者を作らないでしょうし、
その様な自己満足を持つ信仰を説かないと思われます。ましてや、仏自信が
「私の御蔭なのだから、感謝して私の為に全てを犠牲にしても尽くせ」等とは
言わないであろうと思うのであります。
この2chを見た信者は、そんな事無く実生活と信仰は両立出来ると言われると
思いますが、現実に苦しんでいる人々が多く居る事は事実であります。