カトリック誤謬告発スレッド(1)

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900Sylvius
カトリック教会のカテキズム643-645には、主の復活は身体的なものであることが明記されています。
「霊の体」といえども、それはわれわれが知っているような通常の物理的条件の拘束下にはないという意味で、可視性や三次元性がないなどということは言われていない。
それどころかそれを否定することは福音書のエピソードに真っ向から矛盾します。復活した主は、魚を食べておられるんですよ?三次元性を持たない存在が、どうやって魚を食べるんですか。
復活した主の御体には、受難の御傷が残ってたんですよ。三次元的でない傷って、どうやって概念するんですか。

信仰虚弱さんや897さんは、つぎのような命題を主張するのですか?
(1)「復活の身体はカメラに写らない」
(2)「復活の身体は三次元性をもたない」
(3)「復活の身体がカメラにうつるという主張は非常識である、あるいは誤謬、あるいは異端である。」
(4)「パンを増やす奇跡はカメラに写らない」
(5)「パンを増やす奇跡はカメラにうつるという主張は非常識である、あるいは誤謬、あるいは異端である。」