カトリック誤謬告発スレッド(1)

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327カトリシズムへの道
 カトリック教会は世俗国家を主の人類救済計画に仕えるという前提において、その存在を容認しているのである。
 カトリック的自然法は国家や世俗法に優越しており、その批判者としての地位を今日においても放棄していないのである。
 また、教会は国家や主権を超越した存在であり、霊的裁治権、教導権、聖化するという教会の任務において啓示に基づく福音化、
社会のキリスト教化、その勝利の道を歩んでいるのである。キリストの神秘体、肢体であるカトリック教会は救いの普遍的秘蹟であり、
 過去においても現在においても将来においても過ちを犯すことはあり得ないのである。
 そして教会共同体においては霊的裁治権において全世界が統治されているのである。
 それとエキュメニカルであるということはキリストの神秘体、肢体の交わりの中でコムニオという形であることであり、
誤謬に迎合することではない。真の教会はキリストの神秘体、肢体である教会以外には存在しない。
 そして教会は国家や主権をも超越し、優越しているのだえる。イエズスが制定したのはカトリック教会であり、
その使徒継承性、教皇の首位権の源泉もキリストの神秘体、肢体における教会の一致というコムニオにその源泉があり、
それ以外にはイエズスの教会は存在し得ないのである。
 キリストの神秘体、肢体の交わりにおける教会の一致こそがエキュメニズムなのである誤謬と迎合し、それを鵜呑みにすること
でもなく、統一宗教を作ることでもない。
 カトリック教義の純粋性から逸脱したしたエキュメニズムはもはやエキュメニズムではなく、実質的な異端と変らないであろう
ドミヌス・イエススにあるように有効な司教制度を持たず、かつ、キリストの神秘体の交わりにないプロテスタントは
真の意味での教会とは言えないのである。それはセクトでしかない。
 誤謬には権利すらなく、そうした誤謬は断固として排除しなければならないのである。