まったく、とんでも成相明人神父

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35のほほん@カト
>>7
「救われる」ためだけに洗礼を受けるのではないです。
いかに「キリスト者」として生きていくかが重要なのです。
救われるために洗礼を受けようとするのは間違いです。
日本では特にこの間違いが広まっているようです。
日本のカトリック教会には「天国泥棒」という独特の言葉があります。
すなわち、
「キリスト者として生きるのは面倒だけど、救われたいから
  死に際で洗礼を受けよう」
と考えることです。
繰り返しますが、キリスト者になると言うことは、キリスト者として
生きることが重要なのです。

>>10
わしにも、わからん。

>>27
カトリックの信仰がベストかどうかは慎重に考えねばならないでしょう。
なぜなら、信仰とは書物に書かれるようなものではなく、信仰を持った人の
生き方が問われるからです。カトリック教会がどんなに正確な教義を
教えても、教会の信者が正しく信仰を持たなければ、もはやカトリックの
教義など無意味なものとなり、結果信仰としてベストなものとは言えなく
なってしまうからです。
ただ、キリスト教の世界を考えると、どうしてもカトリック教会が中心的役割を
担わなければならないのは明白でしょうね。