???真如苑について教えてver4.0???

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559ホワイトチョコ
チョコレートさんへ

539は、はじめからそう考えてたわけじゃないです。
私は、小学校のときから、お救けをしていました。種まきですけど。
そのときはどうだったか?「なんでわかんないの」「この教えすごいのに・・」
ってなぐあいに、それが正しい事というだけでやってた。
相手の気持ちなんて考えてません。迷惑を自分で気づかないんです。
じゃあ、なぜ気づいたか?接心(わかります?)で教えられたんですよ。
「お救けは、いくら正しいからといって、相手を傷つけてはいけない・・」
とてもとてもショックでした。自分が正しいと思っていたことが違っていた。
友達への申しわけなさと自分の悔しさとで、今もあの気持ちは忘れない。
以来ずっと、語るたびに、自分の伝え方を見返ってきました。
そして今の考えがあるのです。
お救けは、単に「勧誘」という言葉でかたずけられるようなものじゃないと思う。
それは、人のとらえ方にもよりますが、「勧誘」とは、「あることをすすめ、そうさせる」
という意味ですよね。それだけなら、客観的にお救けとかわりません。
でも、今の世の中「勧誘」という言葉は、怪しさや危険な印象を受ける方が、
多いと思うのです。539の人数稼ぎもいい聞こえはしないですよね。
そういった観点で「勧誘」をとらえるなら、
私は、「お救け」と「勧誘」はちがうと言えます。
ただ、「お救け」を怪しいものとみる方には、お救け=勧誘になってしまうでしょう。
お救けは、「勧誘」のような不信感を与えないよう語らなければならない。
もし、与えたなら、その場でそれ以上語ってはならない。
「しつこい勧誘」があっても、「しつこいお救け」はあってはならないのです。

何かご意見があれば、お聞きしたいです。お願いします。