○ 神道(古神道)という生き方 2 ○

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163 羽雪
産土は幽世 (カクリヨ) の神、つまり出雲系の国魂神(国津神)なわけですが、
「国津神を祀る神社以外は産土ではない」と思われがちで、
実際のところ「俺は天津神は嫌いだから国津神しか拝まない」ということを
公言する人も中にはいるわけです。
まあ、若いときに学生運動に染まった、赤い思想を脱しきれない人に多いのですが。

人が誕生するときには産土神からの報告を受けて、伊勢神界からも使いの神が来訪し、
妊婦の側には日神・地神が揃うのだそうです。
日神・地神は、陽と陰、、天(アメ)と地(ツチ)、火と水、魂(コン)と魄(ハク)でもあります。

人には神の御分霊(ワケミタマ)であるところの、直霊(ナオヒ)を授かって生まれ落ちるわけですが、
天津魂(アマツタマ・火の霊・魂)は頭脳に宿り、
国津魂(クニツタマ・水の精・魄)は脊髄に宿り、
この二つの結合、アメツチのムスビによって人間的活動が行われわけで、それは六人部是香が云うところの、
「其の大元を執り続て坐すは彼の産霊二柱の大神に坐し」の
「産霊二柱の大神」の部分に端的に表されているわけです。

ですから、国津神系の神だけを拝むという姿勢では、
ほんとうの意味での産土信仰とは言えないわけで、
片手落ちのアンバランスな世界に迷うことになります。
理屈っぽくなってしまいましたが、神前で無心に柏手を打ち手を合わせれば、
アメツチの神に通じるということです。