○ 神道(古神道)という生き方 2 ○

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13古神道研究人
神道とは、浸透。すなわち、生活のあらゆる局面において浸透している、人間の生活様式
、考え方、思考パターン、感性などこれみな神道。神道が最も浸透している国が日本であり
ますが、神道は、神道教という人間の分類する5大宗教などの平行ラインには存在しないもの
です。つまり、神道という宗教が一番!という考え方は、神道を深く認識する前の神道
の浅い理解かと存じます。同じ、宗派の中で争いがあるとします。争い続ける考え方は、非神道
的であり、仲裁に入りより前向きの解決策を提示するのが、神道的な精神と言えます。
神道とは、まさにその字の通り、神の道であります。この場合なら、神様ならどうするか、どのように
考えられるか、判断するか、決断するのなあ?と常に、母親におねだりする幼児のごときに人間が、母親
が父親が神という関係、すなわち日常の家庭の親子の姿です。しかし、無邪気な姿は子供の時だけです。
親心としては、子が何歳になっても可愛いのですが、幼児期のようにおねだりはしなくなるのが、いちまつ
の寂しさでしょう。神道とは、日常に浸透している神的な要素がすなわちすべて神道であり、神様助けて!
とつい叫んでしまう人間の感情が神道の要素であると思います。親からすれば、どんな手段、呼び名でも頼りに
してきたら、嬉しいのであります。呼び名はどうであってもいい。親には頼るまいと奮起している子の姿もまた
この上もなく可愛い。そして、立派になった子供たちとの団欒の時の喜びは、無上のものです。この場所すなわち神社なり。
実家への電話、電報、手紙すなわち祈りであります。
何々のお経だ、やれバイブルだコーランだと、親はいいません。なにはともあれ元気であってくれたらそれだけでいいというのが
親心、すなわち神こころ。