★☆浄土真宗の人いる??☆★

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>>824
>正直言って、救いを求めるってどういうことなのかがわからない。

 こんなこと、単純に考えたらいいんじゃないですか。難しく考えると分からなくなる。僕にも874さんがどう考えているか分かりませんが、僕は僕なりに意見を持っています。
 救いっていうのはね、自分が生きていく上で一番大事なこと。一番大事なことが得られるというのが救いだろうと僕は思う。
 これに反対する人はいるかも知れない。生きていく上で一番大事なことと救いとは直接関係がない、と。もし、生きていく上で一番大事なことと以外のことが救いなら、救いは僕にとって一番大事なことではない。
 一番大事なことでなければ、僕にとって二の次、三の次の問題だ。そんなものは、必要が無ければ必要がない。結局、救いなどという名前を付けて求めるに値しない。僕は、生きていく上で一番大事なこととを救いと名付けてそれを求める。
 生きていく上で一番大事なこととは何か。例えば、健康問題で困れば医者に相談する。保健所に相談する。
 現代はいい時代で、例えば火山が爆発したとなると、国が避難所を作ってくれる。条件は厳しいけど、生活に困れば生活保護というものもある。
 法律事件で困れば、弁護士が相談に乗ってくれる。現代では生きていく上でにっちもさっちも行かなくなるという事態は、比較的少なくなった。
 それでも長い人生の中で、身動きがとれなくなることはやはりある。社会が不況になるとこういう場面は多くなる。相談する人もいない。
 相談は聞いてくれても、身動き一つ取れず火の車。進むも地獄、引くも地獄、留まるも地獄。こういう場面がある。そんなときどうするのか。結局最悪の選択肢を選ばないとならないのか。
 救いというのは、そんなときにこそ頼りがいになる智恵だろう。本当に必要なのは、八十年の人生の中で一週間あるかないか程度のものだろう。それでも、人によるとそれが1年にも2年にも及ぶ。
 そんな時に人生の杖となってくれる智恵、仏教はそんなものを与えてくれる。仏教の救いとはそういうものだと僕は思っているんですよ。