αマリヤ崇敬は確実に間違いであるω

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92ヌマツダ
>80 霊能者マリヤ さん他へ、

私が霊能より医学者を採った理由は、
霊能者は気の病を治すどころか、悪化させて、
ソレをネタに生きていると見えるからです。
藪医者(2つ前に掛かった医者)もおるだろうけれど、
まだ霊能(阿含宗の修行者やルルドの水)よりマシだと思っています。

霊能で幸せになった体験談の人もいるが、それは一時のことで、
自分には当てはまらない。と思ったことです。
多神教の神様でも一時に限ってみれば救ってくれます。しかし後が続かないのです。
一時期、関聖帝君の拝拝も、大国主命の神社への日参もしたことがあり、
その功実って、持ち家を持てたのです。
3度も借り入れ拒否されたにもかかわらず、願いが叶ったわけですから。ご加護と言うべきでしょう。
でも今になって分かったのですが、結果的に家を買わない方がよかったのです。

家を買わず、別の道に気持ちを向かわせ失敗しない選択に導く神様が、
ただ祈願に熱心なので叶えてあげる神様より善性が上であったと、今では思っています。
「賛美歌354 かいぬし我が主よ」ではありませんが、善に導くのはイエス様しかなさそうです。
が、でも実際の所、神様のセイ、と言うより、
願い事をする自分がシッカリしていないで、
本当の人生の目標やソレに沿った願い事を、
賢く考える力が無かったことに問題があったと思っています。
多神教の神様は霊界の不具合直しの手伝いや巡り合わせのお手配が主な作用なのだ。
と思っています。

やはり神様の加護より選択失敗の自己責任に行き着くのです。
自我の確立に良さそうな人生観を求めている。
人生を善く導ける神様も必要なのだろうけれども。