66 :
七七四三:
ヌマツダさんへ。
私はカトリックです。あなたの気持ちは分からなくもない。昔の僕もそういう時期があったので。僕はあごん宗には入ったことはありませんが、昔、相当な法力を持つ真言密教の中僧正のところへ通っていたことはあります。
最初に行った教会はプロテスタントでしたが席は置きませんでした。他にもプロテスタントを巡り、結局どこにも入れずじまいでした。贖罪のことは理論的には理解しましたが、体で理解できませんでした。
理解したのは、夢のなかでイエス様を見てからです。永遠におられる方であり、死者の魂を新しい息でよみがえらせてくださるかたなのだ、とそのとき知りました。コロサイ人への手紙に書かれている「新しい人にかたどられる」の意味がはっきり理解できました。
マリア様についても、初めはあなたと同様な考えを持ちました。特に鬼塚のようなオカルトまがいの本の中で胡散臭い現象ばかりが取り沙汰されているのに嫌気がさしたことが大きかった。
が、夢に聖母マリア様が現れてある種の啓示を受けてから、すべてが変わってしまったのです。あなたと違うのは、ルルドの聖水に対して失礼な扱いをしなかったということかな。
67 :
七七四三:2001/08/14(火) 00:18
偶像崇拝とは像そのものを神と間違える原始的宗教に対して使われる言葉であり、より霊的には、自分自身を判断の座に置くこと、自己チュウを意味するのですね。このような人はどの宗教にもいますよ。
マリア崇敬の奥義はそんなこととは無縁です。聖母の信仰と愛徳と清貧を真似ることに奥義はあるのですよ。聖母に願掛けしたり、みこしを担いだり、像の前で形式的に礼拝するなどというのは初歩的な礼拝です。
あなたは枝葉末節なことばかりにとらわれて、カトリックの信仰の真髄をまったく無視していると思います。聖人たちの著作を研究するべきでしょう。
私はあなたのような幻聴になやまされたことはありません。その原因と責任はあなた自身にあるのではないかと思います。マリア様のせいにするのは子供っぽいのではないですか。
いずれにしろ、あなたの書き込みを読んで、あなたも完全に聖母の勢力圏に捉えられていることがわかります。あなたが聖母に導かれるように祈ります。