αマリヤ崇敬は確実に間違いであるω

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527ヌマツダ
>>460、多分アンティオキア第二代の監督のイグナティオスの事だろう。
一世紀と言うより2世紀の初めだね。
イグナティオスはトラヤヌス帝(在位98−117)下の迫害の時で、
110年に野獣と闘う刑に処せられて殉教した。
マリヤ尊敬の文書箇所らしき所は次の引用か?

使徒教父文書(講談社文芸文庫)荒井 献[編]
イグナティオスの手紙−エペソのキリスト者へ19章1節
「そしてマリアの処女性と彼女の出産、同様に主の死とは、
この世の宰(悪魔)に気づかれなかったのです。
これら三つは(今は世界中に語られる)叫びの秘儀ですが、
(当時は)神の静けさの中で遂行されたのでした。」

イグナティオスの手紙−マグネシアのキリスト者へ9章
・・・もはや安息日を守らず、むしろ主の日を守って生きるなら−
主の日に私達の生が、彼を通しまた彼の死を通して、立ちあらわれたのです。
・・・預言者達も聖霊によって彼の弟子だったのであり、
・・・彼らを死人の中から甦らせたのでした。
(キリストは死んで陰府に下ったとき、
陰府の預言者や義人をパラダイスに連れ出したと考えられていた。
『ニコデモ福音書』の「キリストの陰府下り」参照・・・)

とあり、
処女性と出産で神の母と聖人のパラダイス入りの根拠とされそうだが、
一方で、
イグナティオスの手紙−エペソのキリスト者へ7章
・・・生まれたけれども生まれたのではない(はじめからある方)、
(地上に)肉となってあらわれた神、死の中での真実の生命、
マリアから生れ同時に神から出たもの、・・・、私達の主なるイエス・キリスト。
とあって、後に「神から出た」と別記されているから、「神の母」とは言えない。
20章に、「イエス・キリストは肉によればダビデの裔、人の子にして神の子なのです。」
とあって「人の母」と言うしかない。
ダビデの裔とまで言っているから、父方のヨセフの家系と考えると処女降誕も怪しくなります。