マリヤ崇敬は・・(2)

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98ブルネルス
そもそもイエスの身分自体が、キリスト教思想史の中でだんだんと昇格して、
ついには神にまでいたったものだと思われます。例えば、パウロの真正書簡
では、イエスは特別な存在ではありましたが、神のエイコーン(像)では
あっても、神ではありませんでした。これに対して、パウロの名による書簡
の内、テサロニケ第2では、主であることと神であることとがイエスに帰せ
られてますし。ヨハネ福音書ではイエスはヤハウェと同一視されるに至って
おります。

同様にして、マリアの地位も時代を経るにしたがってどんどん上昇していっ
たものと思われます。イエスの母であるという限りでは、はじめは特に処女
降誕であるという必要もなかったのが、そうなり、さらには、イエスを産ん
だ後も生涯処女で有り続けたのでなければならないとなり、そこで、では、
新約中で、イエスの兄弟への言及をどう説明するかというので、いろいろな
伝説ができ、無原罪の宿りだの、昇天(?)だのという尾ひれがついたもの
でしょう。そのようにして成立した伝承を信じるのは自由ですが、それはお
話に過ぎないという主張も十分成り立ちます。

プロテスタント系の方はマリア崇敬を馬鹿にしますが、そもそもイエスを神
として崇める理解が歴史的に形成されたものであるとする立場からは、マリ
ア崇敬と五十歩百歩なのです。まあ、違いといえば、イエスの神格化は新約
に収められた文書においてすでに現れているが、マリヤの方は少し遅れて昇
進しているので、新約中では処女懐胎程度にまでしかなってないところで
しょうか。